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●日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)
◎正倉院の宝物の意味
正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の完成期であったこの時期に、日本文化を
一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心がとても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、
聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。
一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。
それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。
しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。それは島国であった日本が外部の文物を受容するには
遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった。
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>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
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