任那と加羅と日本府と【10ヶ国め】at HISTORY
任那と加羅と日本府と【10ヶ国め】 - 暇つぶし2ch538:日本@名無史さん
09/09/23 05:17:32
>>537
日本人は地球が一つの星であり太陽の周りを回ることを知ってたと?

539:日本@名無史さん
09/09/23 05:29:56
>>537
仏教では須弥山という超高山の廻りを月や太陽が廻ってると考えられてた。
高天原というのも須弥山と同じ意味であろう。
これらは地が動かず天が廻ってるというのだから天動説に含まれる。

540:日本@名無史さん
09/09/23 06:07:51
>>531
>古代の一般人にとって、天上界が「内」だという考え方をよく説明して
くれ。

5歳の子供に例えよう。
子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。

分かったかな?

541:日本@名無史さん
09/09/23 06:22:59
日本人の精神世界内でのことなんだから内だろ

542:日本@名無史さん
09/09/23 08:36:40
>>529
>アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
>「地球上のものでない」に該当する。

エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
という解釈が付け加えられたのは、
主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。
それ以前にも、火星にはタコのような生き物がいるなんてヨタ話も欧米で出回ってたみたいだが、
どっちにしても近年に出来た意味合いだ。

それでもって古代日本の説明になるわけない。

543:日本@名無史さん
09/09/23 08:38:16
>>540
やっと出て来た「考え方」がそれか。
天上界=おとうさん、おかあさん >内
理解できる人がいるかな。かえって5歳児なら直感的に理解するかもしれない。

君の「考え方」だからそれはそれとして尊重して、私の「考え方」を示そう。
以前に「内、外」を境界で説明したが、また「属する」という考え方もできる。

我々にとって日本が「内」、外国が「外」であるのは、我々が国境の
内側にいるからだとも言えるが、また我々が外国ではなく日本に
「属している」からだとも言える。

さて、古事記は世界を「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて
いる。国つ神や一般人民は「葦原の中つ国」に属している。
天孫族は「高天原」に属している。死者は「根の国」に属している。
それぞれ属する先が異なる。

そうであれば、国つ神や一般人民は高天原に属していないのだから、
高天原は彼らにとって「外」であり、高天原から天下った天孫族は
彼らにとっては「外来者」である。

これが私の「考え方」だ。おとおうさん、おかあさん説よりはわかりやすい
のでないか?

544:日本@名無史さん
09/09/23 08:45:20
だから日本人の精神世界内でのことなんだから内だよ

545:日本@名無史さん
09/09/23 09:19:04
>>543
>540は君が質問してた人ではなくて横レスだったのだが、まぁいいだろう。

>そうであれば、国つ神や一般人民は
>高天原に属していないのだから、
>高天原は彼らにとって「外」であり、

大八島の「内」での事だからね。
言い張っても「外」にはならないのだ。

また、

>「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて いる

と言われても、それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。

何回同じこと言えば分かるのかな?
5歳児の方が理解力あるぞw

546:日本@名無史さん
09/09/23 13:23:47
>>545
前から言おうと思っていたが、まさか、と思って言わなかった。

>それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。
>何回同じこと言えば分かるのかな?

この文章は君の基本的な誤りをよく表している。
「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
があるのだ。
なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
には「内外」の区別が生じるからだ。
例えば地面を塀でしきることによって我が家と隣家との境界が生じ、我が家に
属する「内」と、隣家に属する「外」が生じる。
それを、「それは隣近所であって内外ではない」などと言っても始まらない。

つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
書いてしまうのだ。

547:日本@名無史さん
09/09/23 13:30:56
>>542
>エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
>という解釈が付け加えられたのは、
>主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。

私もそれは若干あると思う。
しかし、映画が地球外生物に対して「エイリアン」という言葉を
使うことができたのは、この言葉がもともと「異質の、外部の」という
意味であったからだ。

つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
ものでない」という意味になってしまうのだ。

いずれにしても、神話上の天孫族や扶余の始祖が「エイリアン」だと
いうのは、我ながらうまい用語だと思うよ。


548:日本@名無史さん
09/09/23 14:41:41
ひどい水掛け論だなぁ
いつまでこんなの続けるつもりなんだみんな……w

549:日本@名無史さん
09/09/23 17:25:31
>>546
横レスだが、あんたの「内外」は平面的な内外だったんじゃないのか?

で、その目的は高天原を外国に比定し、日本を朝鮮人の祖先が作ったという妄想にふけること。

550:日本@名無史さん
09/09/23 18:07:00
>>546
>つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
>そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
>書いてしまうのだ。

ごまかすな。
内外は大八州での概念だ。、
その中の高中低だと言ってる。

会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
君は日本語をもっと勉強した方がいい。

さて「天=外」の文献を示せないなら君の脳内だけの話となるがそれでいいのか?

551:日本@名無史さん
09/09/23 18:10:40
>>547
>つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
>ものでない」という意味になってしまうのだ。

だから古代の日本には地球という概念なかったのだから、
そんな例え使っても意味ないだろうに。
真性のアホかおまえは。

552:日本@名無史さん
09/09/23 18:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

553:日本@名無史さん
09/09/23 19:07:05
>>546
>「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
>があるのだ。
>なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
>には「内外」の区別が生じるからだ

君の私見はけっこうだが、日本の歴史においてそのような解釈があったという例を出してくれ。
なければまったく意味がないからな。

554:日本@名無史さん
09/09/23 19:50:44
>>551
君が引用した文章は映画の話。間違えるな。

だが、神話上の天孫族や扶余の始祖を「エイリアン」と呼ぶのは、
現代の言葉で古代の事象を表現しているわけだ。

しかし天孫族は三輪山にいた九州系の豪族だ、と言ったところで、
「九州」「豪族」「天孫族」という言葉が古代にあったわけではない。
現代語で古代の事象を表現しているのは同じことだ。

言葉の意味範囲が対象をうまく表現していれば、現代語だろうと
英語だろうとかまわないのだ。

555:日本@名無史さん
09/09/23 19:55:41
>>553
私は一般論を説明しているのだから、一般論で反論してくれ。
文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。

文献というなら、「天=おとうさん、おかあさん、だから天は内」の
文献を出したらどうか。

556:日本@名無史さん
09/09/23 23:44:41
>>555
>文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。

おまえが逃げだろうが。
天=外が歴史上使われてない概念なら、
それにどんな意味があるのかと何度もおまえに問うているのだ。

>私は一般論を説明しているのだから

だから天=外なんてそんな一般論があるのかと聞いてるのだ。
通常使われてないなら君の脳内ろんだろうが。

>一般論で反論してくれ

だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。

これに文献を出せとはどういう意味だ。
これこそ一般論だ。
逃げるな。

557:日本@名無史さん
09/09/23 23:48:23
>>555
それとおまえは都合の悪いことは無視してるが、

>会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
>平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
>君は日本語をもっと勉強した方がいい。

これに一般論で反論してみろ。

558:日本@名無史さん
09/09/24 02:22:35
何の議論をしてるんだかわからなくなってきたぽ…

559:日本@名無史さん
09/09/24 08:52:35
何も難しくない。
日本神話の神々を無理やり「外来」にしたいやつ(1名)が、
自分の屁理屈を一般論と摩り替えてごまかしてるだけ。


560:日本@名無史さん
09/09/24 09:23:46
>>556
>だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
>普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
>天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
>うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。

もはや幼稚園児がだだこねているのと変わらなくなって来たな。
この辺で打ち切ろう。スレを浪費して皆さんにも申し訳ないし。

561:日本@名無史さん
09/09/24 11:00:07
ヤタガラスは外来の物のアレンジだな。

562:日本@名無史さん
09/09/24 12:13:44
谷田ガラスは韓国起源だよ

563:日本@名無史さん
09/09/24 14:02:19
俺の第三の足は風呂場で上手く玉をグリップしてる

564:日本@名無史さん
09/09/24 14:55:33
倭のタバナ国の謎は面白いですね。当時の半島との係わりを説明するのに便利かも。
邪馬台国とどうつながるのかも妄想したくなりますw

565:日本@名無史さん
09/09/24 16:10:26
>>560

「ぼくちんの考えはこうだよ、すごいでしょ!」
って言いたいならチラ裏にでも書いとけ

566:日本@名無史さん
09/09/24 18:39:52
>>560
だいたい日本の神々は天地初発。
URLリンク(homepage1.nifty.com)

エホバのように在って在る神でもあるわけだ。

何で「外来」なんだよ、このハゲが。

567:日本@名無史さん
09/09/24 18:57:21
新羅のように外来人に支配された歴史を持ってると、
結局、近代でも外国人に支配される歴史になるんだね。
血筋って怖いね。

568:日本@名無史さん
09/09/24 19:02:37
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

569:日本@名無史さん
09/09/24 19:17:59
>>567
新羅を馬鹿にすることはできない。
日本が白村江で負けて唐恐怖症になり、博多に600人の唐軍に上陸
されてもひたすらかしこまって軍需品を差し出していた同じ時期に、
独力かつ実力で唐軍に敵対し、ついには半島から追い出したのだからね。

570:日本@名無史さん
09/09/24 21:33:19
>>569

唐の力を借りた時点で独力でもなんでもないだろ。

571:日本@名無史さん
09/09/24 22:21:34
>>570
唐の力を借りて唐を追い出したとでも主張するのかw

572:日本@名無史さん
09/09/24 22:40:07
>>569
URLリンク(ja.wikipedia.org)

[旧百済領を占領していた唐とその支配権をめぐって対立し、
670年から争ったが、676年に唐軍を半島から追い出し、
旧高句麗領の南半分と合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。
これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいる。
半島統一後、唐に対して謝罪外交をする一方、
引き続き唐との小競り合いが続いたので関係は緊張し続け...]

謝罪外交してるじゃんw


573:日本@名無史さん
09/09/24 23:34:56
負けて謝罪する倭とは大違い

574:日本@名無史さん
09/09/24 23:44:57
あれ?
倭って謝罪したっけ?

575:日本@名無史さん
09/09/24 23:45:49
新羅は負けても無いのにあやまったの?
戦う前からあやまったの?
なぜ?道徳的におかしいことをしたからかな?
本来は中国の土地だった半島東部、日本の土地だった半島南部、それを盗んだから?

576:日本@名無史さん
09/09/25 00:19:40
>>571
唐の力を借りながら、恩人に対して仇で返す。今の朝鮮人に通じるね。

577:日本@名無史さん
09/09/25 01:15:02
>>576
朝鮮戦争時、アメリカに助けてもらったおかげで今の韓国が存続してるのに、
この何年かの酷い反米行動と同じだね。

578:日本@名無史さん
09/09/25 01:59:18
朝鮮戦争以前にアメリカがいなきゃそもそも独立してないし。
大日本帝国という列強の一部として幸せに暮らしてたのに。
アメリカのせいで中進国にされた。
経済的にも政治的にも大損害。
今も主要先進国には絶対入れない状況。

579:日本@名無史さん
09/09/25 08:38:06
>>575
一応戦争に勝っておいてから册封を受けるのが中華の周辺諸国にとって
有利な生き方なのだ。後にベトナムも同じことをやっている。

戦争に完敗してから册封を受ければ、清国に対する李氏朝鮮のような
みじめなことになる。

>>574
日本が大量の軍需物資を差し出したのは一種の賠償だ。
しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。

580:日本@名無史さん
09/09/25 09:02:56
そりゃ拡大解釈しすぎ

「~と同じ」だけで論理を組み立てる
机上の空論にさらに空論を重ねている。

581:日本@名無史さん
09/09/25 09:40:07
『旧唐書』劉仁軌伝に「麟德二年、封泰山、仁軌領新羅及百濟、耽羅、
倭四國酋長赴會、高宗甚悅、擢拜大司憲」とあり、白村江敗戦の翌々年、
唐の総大将劉仁軌に率いられる形で「倭国酋長」が封禅の儀に参加させ
られており、このとき唐に対する倭の降伏と謝罪が行われたと考えられます。
「倭国酋長」は倭王とは思えませんが、王子が派遣されたのかもしれませんね。

582:日本@名無史さん
09/09/25 12:25:39
>>579
>しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。

しかしその後に聖徳太子が册封破ったのだからなかったも同じだ。

583:日本@名無史さん
09/09/25 12:29:00
>>582
?聖徳太子の後の時代の話だろ。

584:日本@名無史さん
09/09/25 12:39:13
>>581
「筑紫の君、薩野馬」が、唐軍二千とともに帰還したと日本書紀は記している。

585:日本@名無史さん
09/09/25 12:53:54
>>582
その時は聖徳太子死んでます。
時系列が判らない人こんにちは。
時制の表現に不足がある言葉なんて捨ててしまおうね。

586:日本@名無史さん
09/09/25 15:57:31
>>585

て言うか日本は唐の冊封受けてないし。
受けたと言うなら官職名と当時の日本の暦号と唐の暦号を出してみろ。

587:日本@名無史さん
09/09/25 16:56:20
>>586
冊封と朝貢は別物。
冊封受けてなくたって朝貢は成り立つ。
お馬鹿さんにはちょっと難しいかな?

588:日本@名無史さん
09/09/25 17:25:15
遣唐使を廃したから朝貢は無かったも同じだww

589:日本@名無史さん
09/09/25 17:28:59
>>579

日本が大量の軍需物資を供出したなんて初めて聞いたな。
出展求む。

590:日本@名無史さん
09/09/25 19:26:38
倭の五王の時代は朝貢。
ただし半島をめぐる領有権を認めさせるためのもので、
他の朝貢国のような自国を認めてもらうための冊封という意味合いはない。
遣唐使は
形式「朝貢」実質「留学」
先進文化を学ぶためのみ存した。
政治的意味合いは皆無。


591:日本@名無史さん
09/09/25 19:35:43
遣唐使は
・政治的に土下座
・文化的にも土下座
・倭列島の統治権すら承認されず

ひどいな・・・

592:日本@名無史さん
09/09/25 21:18:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

593:日本@名無史さん
09/09/25 21:28:36
文献が残っていない国ってなんなの?

594:日本@名無史さん
09/09/25 21:46:21
>>591

>倭列島の統治権すら承認されず

承認されずとも元から日本のだし。
承認されないと統治できなかった朝鮮半島と比べるな。

にしても・・・

・政治的に土下座
・文化的にも土下座

これって朝鮮の歴代王朝のことじゃね?

595:日本@名無史さん
09/09/25 22:27:10
>>584
『日本書紀』をみてみると、天智天皇4年(麟徳2年、665年)条の
「是歳、遣小錦守君大石等於大唐、云々。等謂小山坂合部連石積・
大乙吉士岐彌・吉士針間。蓋送唐使人乎」が対応するようです。

「唐使人」というのはこの年に来航した劉徳高、百済禰軍、郭務悰
を主とする254人で、守君大石、坂合部連石積らはその送使となり
ました。岩波『日本書紀』の補注によると、守君大石の官位が小錦
と送使にしては高いこと、劉徳高が泰山に近い山東省沂州の司馬
であったことから、劉徳高の来航および守君大石の遣唐の目的は
封禅の儀への参加であった可能性が高く、また実際に封禅の儀が
執り行われたのは麟徳3年正月で、おそらく彼らは封禅の儀には
間に合わなかったろうが、遅れて参加したのだろうとしています。

596:日本@名無史さん
09/09/25 22:31:56
>>589
横レスですが。
天智の崩じた直後、以前より筑紫に来航していた郭務悰らに対し、
甲冑弓矢、ふとぎぬ1673匹、布2852端、綿666斤が供与されています
(天武天皇元年3月条)。武具はいうまでもなく、糸・布・綿も帆布やら
防寒具になるわけで立派な軍需物資です。

>>590
倭の五王の時代は都督某諸軍事某将軍および倭国王の官爵を受けて
いるわけですから、倭王は冊封されています。一方、遣唐使の時代は
官爵を受けることなく遣使のみ行っているので、不臣の朝貢国という
扱いになります。

それから、「政治的意味合いは皆無」というのはどうなんでしょうか。
正式な国使を派遣するということは政治的行為に他ならないと思うの
ですが。遣唐使の本質は王権の代替わり事業であると言い切ってる
研究者もいますしね。唐使派遣のペースをみてみると結構当たってる
んじゃないかなと思います。

597:日本@名無史さん
09/09/25 22:44:27
>>596

高句麗が滅びた後も唐軍はその残党征伐に忙しかったしね。
主力はそっち行ってた感がある。
軍需物資ってのは百済に手が回らなかった唐に対する融和策か。
対新羅の同盟結んだ可能性もあったかも。



598:日本@名無史さん
09/09/25 22:51:26
>>596
糸・布・綿は兵士の被服や防寒具用とも考えられますが、唐軍が元寇の
時の元軍のような「綿甲」を用いていて、それの製造に使ったとすれば
直接の軍需物資です。

599:日本@名無史さん
09/09/25 23:35:16
>>569
負けた日本と勝った新羅の唐への対処を比較しても意味がない。
単に勝った負けたという事実だけだし。
だいたい負けたと言ったって唐や新羅の人間に常駐されたわけではない。
古代から続く半島への足がかりを失ったが、
鉄を自製できてたのでそんなの意味がないし。

むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった。
新羅なんて名前が金ナントカって中国人風になって行くのだよね。
白村江の戦いは半島と日本の文化の分岐点になったし、
日本はあれで良かったし幸運だったと思う。

600:日本@名無史さん
09/09/26 00:22:29
新羅は唐に勝って正式の属国になれてよかったね

601:日本@名無史さん
09/09/26 09:22:53
歴史的に見れば白村江で負けても何も問題なかった日本。
新羅は勝ったせいで中国との関わりを強くして禍根を残すことになった。

602:日本@名無史さん
09/09/27 17:20:06
「日本と朝鮮半島2000年(5) 日本海の道~幻の王国」を再放送まで見損なったんだけど、
どこかで動画観られない?

603:日本@名無史さん
09/09/27 18:07:35
NHKオンデマンド

604:日本@名無史さん
09/09/27 23:47:20
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


605:日本@名無史さん
09/09/28 01:16:58
>>603
タダで観たい。

606:日本@名無史さん
09/09/28 04:53:54
>>599
>むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった

こういうのはホント不思議だよな。
イギリスも新大陸植民地に負けて植民地を失ってからむしろ発展して“日の没しない帝国”となってるしな。

607:日本@名無史さん
09/09/28 10:11:58
>>604
射程距離は?


608:日本@名無史さん
09/09/28 19:17:56
>>607   和弓は飛距離で約400m,実用射程で約200m,実戦射撃距離は約70m~80m位見たい。

米カリフォルニア大学のサクストン・ポープ教授による同大人類学博物館所蔵の世界各地の弓の実射テストによる結果でも、
トルコ弓の飛距離が257mおよび250mであったのに対し、朝鮮弓そのものではないものの同系統の東アジアの角弓である
中国弓(清朝)が91.4m、モンゴル弓(タタール族)が82.3mおよび102.4mと同じ角弓であってもトルコ弓に著しく劣る。
(なお、同実験における和弓は142.6m)
遠矢用の軽い矢を用いれば最大射程は4町(約436m)を超える。(『図説・日本武器集成』/学研 68頁)

トルコの弓最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で600m 和弓の最大飛距離は実用の矢で200m、遠矢用で400m
ロングボウは実用255mただしこれは照準をしない撃ちっぱなしの射撃バリスタは420mだが現代の素材を用いれば1キロメートル以上の射程も可能 ...
may.han.net/b/res/80009238.htm - 類似ページ


609:日本@名無史さん
09/09/29 18:06:20
>>608

最初の矢合わせで飛距離が大負けしてたら不味くね?
飛ばない弓は敬遠しそう。

610:日本@名無史さん
09/09/30 09:38:12
URLリンク(www.youtube.com)
【韓国の国史授業】 任那日本府を論破する

この碑石は高句麗の碑文だから部分、部分に主語が省略してると解析する
海を破の間で切って読む

百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
                    ↑
                    ここ                      
つまりこうなる

「倭が辛卯年に海をこえてきた。そして高句麗の広開土大王が百済を潰して新羅を臣下にした」

当時、倭と百済と加羅は同盟だった、新羅は高句麗の影響下にあったからこの391年の事件も
倭が海を越えてきた、だから倭を叱るため広開土大王が倭の同盟国だった百済を潰して新羅を臣下にした

だとさww


611:日本@名無史さん
09/09/30 13:54:34
渡海の主語も高句麗にするんじゃなかったか?
(高句麗が)「海を渡って百済を破り・・」

これによって「来渡海」を「海を渡って来たり」と変な読み方を
しなければならない問題もなくなる。

612:日本@名無史さん
09/09/30 14:18:51
【政治】 民主党「川端文科相」「江田五月議長」ら5議員の団体、キャバクラなどへの500万円超を政治活動費で支払い★4
スレリンク(newsplus板)l50

613:日本@名無史さん
09/09/30 23:58:30
●日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)

◎正倉院の宝物の意味

正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の完成期であったこの時期に、日本文化を
一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心がとても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、
聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。

一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。
それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。
しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。それは島国であった日本が外部の文物を受容するには
遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった。
URLリンク(www.searchnavi.com)

>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった


614:日本@名無史さん
09/10/01 01:11:32

縄文時代から沖縄まで出かける能力が有りましたが!!

615:日本@名無史さん
09/10/01 02:43:09
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
URLリンク(www.searchnavi.com)


616:日本@名無史さん
09/10/01 02:49:02
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


617:日本@名無史さん
09/10/01 02:50:59
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


618:日本@名無史さん
09/10/01 04:47:57
>>610>>613>>615
またチョンはトンデモだなw


619:日本@名無史さん
09/10/01 07:42:35
>>615
>大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。

まったくの嘘。
日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、
その逆はない。
これはこのような鉄製武器が日本製である証拠だ。

620:日本@名無史さん
09/10/01 10:00:42
>>619
×鉄製武器

○鉄製武具

621:日本@名無史さん
09/10/01 15:44:57
みまなの白うさぎ


622:日本@名無史さん
09/10/01 22:33:01
>>615
>当時倭は倭寇等で呼ばれていた
>少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を>持っていなかった。

「倭寇」とは海賊のみに用いられる用語ではない。
「元寇」が単なる海賊集団でないように、豊臣秀吉による朝鮮出兵の派遣軍についても朝鮮側では「倭寇」と記している。

そもそも
*『広開土大王碑文』には倭が新羅の王都の中に満ちるとある。
*『三国史記』には新羅の王都が何度も倭軍の包囲を受け、さらに新羅・百済は倭国に人質を送っている。
*『宋書倭国伝』には倭王が、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任じられている。

もし倭が「少数分散的略奪集団」に過ぎないのなら、このようなことはあり得ない。
古代半島で活動していた倭とは「大和の王権」以外にあり得ないのである。

623:日本@名無史さん
09/10/02 03:56:59
>>613
九州から半島まで渡れるのに、半島伝いに中国まで行けないとしたら、
途中の国が海賊行為をする以外ないだろ。


624:日本@名無史さん
09/10/02 07:47:00
>>613
遣随使は?

625:日本@名無史さん
09/10/02 09:16:07
遣隋使って半島経由とちゃう?

626:日本@名無史さん
09/10/02 12:38:41
>>622
5世紀以前、倭とは大和政権だけでなく朝鮮半島南部も倭と呼ばれていた
つまり倭人は日本列島だけでなく半島にもたくさんいたのだ

特に金官加羅なども倭人系であり、倭とは大和だけを指すものではない
では碑文の「倭が海を渡って」という下りがあるがこれは当時、加羅の同盟国
だった倭国(属国だった可能性大)から戦闘要員として借り出された倭人達であると
考えられる
つまり高句麗と激しい戦いをしたり新羅の王城を攻め落としたりしてたのは
大和の倭人ではなく半島南部の加羅だと考えられる
その戦いに(391年)大和の倭人集団が海を越えて加羅の備兵として戦ったことが
誇張されて碑文に刻まれたというのが真相

627:日本@名無史さん
09/10/02 13:35:03
>>626
>大和の倭人集団が海を越えて

大和に限定する必要はない。九州とか吉備とかの、大和の対抗勢力だった
かもしれない。

628:日本@名無史さん
09/10/02 18:53:33
>>626
>倭国(属国だった可能性大)

ほんと朝鮮人ってしみったれた考えだね。

629:日本@名無史さん
09/10/02 20:03:40
>>619
>日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、その逆はない

鋲留め式縦はぎ短甲は?

630:日本@名無史さん
09/10/02 21:03:30
>>628
倭国(属国だった可能性大)などについては、そう書いている本人もたぶん「ないだろうな」と思っているかとw
それにしても「同盟国ってよく言われるけど、どこからでてきたんでしょ。

631:日本@名無史さん
09/10/02 22:42:15
俺はNHKでみたが。
根拠がみまなは製鉄技術があるが、日本はない。
だから公開土王の石碑の倭兵とは傭兵もしくは、鉄の対価に渡された日本人奴隷に違いないはず
みたいな事いっててクソワロタ。
「~はず」ならなんでもいえるわい。
冶金技術はともかく国力が桁違いだろ。



632:日本@名無史さん
09/10/02 22:59:02
都合の悪い歴史書は読まずに、そのせいで知識の空白となった部分を自分勝手な妄想で埋め立てて喜んでるんだもんな……
ほんとあの国の歴史学者は時代小説家と勘違いするよ

633:日本@名無史さん
09/10/02 23:11:02
人間なんて、皆そういうものさ。
だから、自分に都合のいい歴史だけを残したものが勝。


634:日本@名無史さん
09/10/02 23:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

635:日本@名無史さん
09/10/02 23:43:07
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

636:日本@名無史さん
09/10/02 23:48:52
>>629
鋲留めであろうが
縦剥短甲という「タイプ」だからな。

韓国でまともな木製短甲は見付かったのかい?w

637:日本@名無史さん
09/10/03 00:21:06
>>626-627
丁度、『広開土大王碑文』や『三国史記』で百済・新羅が人質を倭に送る時期にあたる4世紀末から5世紀始めごろから、日本で鉄製甲冑・武器・馬具といった軍事的な遺物が全国的に激増する。
この遺物変化は九州や吉備に限定されるものではない。
この全国的な遺物変化が何を意味するかと言うと、この時期日本列島の大部分から兵員が朝鮮半島へ派遣される状況にあったことを意味する。
こうしたことは大和の王権による号令がなければ起こりえないこと。

また、大和の王権は本拠を内陸の奈良盆地から、海に面した大阪平野に移している。これは半島の軍事状況に対応した処置と考えるのが妥当である。
そしてこの時期、大阪平野に築かれた前方後円墳は最大級に達している。これはこの時期に大和王権の勢力が最大化していることを意味する。

これらを考え合わせると大和の王権が全国的に号令を発して軍勢を動員し、朝鮮半島に派兵し、当地に何らかの勢力圏を確立していたことは明確である。

638:日本@名無史さん
09/10/03 01:20:13
大和の王権が朝鮮南部に勢力を築いたことはない!
と主張する論者は韓国人、朝鮮人と何故か日本人の一部を除くといないだろ。


639:日本@名無史さん
09/10/03 05:02:14
>>626
また電波をw
属国だったのは朝鮮なんだよ

640:日本@名無史さん
09/10/03 09:37:09
>>639
この時代(4世紀後半)の百済や伽耶は領土も大きく高句麗は勢いが増してる時期
新羅だけがひ弱という構造の中で果たして大和朝廷が海を越えて百済や新羅を
臣下にしたなんてことが本当にあったんだろうか?

ましてや伽耶も全盛期(新羅に降伏するのは532年、滅ぼされるのは562年)
普通に考えて伽耶や百済の要請で高句麗と戦うために備兵として雇われたと考えるほうが
当時の東アジアの力関係から見て妥当な考えだと思うが

倭人は人口が多く兵力の代償に伽耶から鉄資源、百済からは先進技術などを
取り入れた、そのための機関こそが大和のミコトモチといい半島南部に設置した
そこに駐在していた大和からの倭人達(6世紀中頃まで)の墓が安羅などで見られる墓
であり新羅に伽耶が滅ぼされる562年前後までその機関はあり伽耶滅亡後は
倭人達は大和に帰還した

その後、蘇我馬子や聖徳太子がミコトモチのあった伽耶の鉄資源を再び取り戻すべく
新羅征伐を敢行するが新羅出兵は中止される

つまり新羅や百済を臣下にして朝鮮半島南部をを支配してたわけではなく
鉄鉱石や先進文物を入手するための外交施設のようなものであり、それが
日本書記編纂で「任那日本府」などと書かれたために今日まで物議を醸している

百済や伽耶の要請で海を渡って戦いに参加した倭人が余りにもたくさんいたため
高句麗は倭が海を渡って百済や新羅を臣下にしたと勘違いしたんではないだろうか
実際は百済や伽耶の備兵として戦っただけなのに百済、伽耶以外に大和の倭
まで参加してきた連合軍を我々は打ち果たしたと誇張したかったんではないだろうか


641:日本@名無史さん
09/10/03 10:29:39
>>640
つまり、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」は本国であるはずの加羅の軍事権を属国の領主である倭国の王に与えたものなわけですね
……よくわかりません

642:日本@名無史さん
09/10/03 14:43:51
>>640
倭の進出が活発であった4世紀末から5世紀はじめにかけての時期
*『三国史記』には加耶の記述は皆無。
*『広開土大王碑文』には倭軍の退却先として「任那加羅」が登場するのみ。
南からは倭、北からは高句麗の圧迫を受けたこの時代、百済・新羅の力は大きくなく、小国群にすぎない任那(加耶)の諸国の力は更に小さかった。
小国が強国の従属下に入るのは小国の生き残り手段として当然のこと。

この情勢が変化するのは5世紀後半以降。

643:日本@名無史さん
09/10/03 15:33:39
>>636
URLリンク(www.jfe-21st-cf.or.jp)
(大阪大学文学部教授 福永伸哉)より引用

では、その帯金式短甲の系譜はどのようにとらえられるであろうか。日本列島の古墳
の調査が進んでくると、帯金式短甲に先行する4世紀中葉に日本列島にはじめて鉄製
短甲が出現したことを示す事例が増えてきた。それは、竪矧板革綴短甲、方形板革綴短甲
と呼ばれるもので、細長い鉄板や方形の鉄板を革で綴じた構造を持つ。
 これらは、従来、前期古墳に特徴的な「前期型短甲」ととらえられてきたが、近年の
出土数の増加によって形式研究が進展すると、竪矧板革綴短甲から方形板革綴短甲を経て
帯金式短甲へと一連の技術系譜で展開することが明らかになってきた(高橋克1993)。
さらに、竪矧板革綴短甲との関係がうかがえる縦長鉄板を用いて製作する短甲が4世紀の
韓国釜山福泉洞古墳群や金海市退来里遺跡などで出土し、その技術系譜の出発点を朝鮮
半島南部の伽耶地域に求められることがほぼ確実となった。

●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった
●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった

644:日本@名無史さん
09/10/03 15:41:44
>>643
たしか甲冑の研究をしてて、常備軍の存在を主張している
田中晋作氏もそんなことをいってたな。
ルーツがどちらにあるにしろ、相互に関係しあってるんじゃないの。

645:日本@名無史さん
09/10/03 18:23:45
>>643
日本列島と朝鮮半島南部の双方から同一形式の短甲が出土することは
大和王権の朝鮮への進出を物語るもの。

646:日本@名無史さん
09/10/03 18:32:17
奈良盆地から大阪平野への陵墓の移転を
なにも別王朝の成立とする必要は無い。
海に面した大阪平野のほうが半島へのアクセスに便利だから本拠を移転したもの。

副葬品の変化もこの時期に朝鮮への進出があり、その影響を受けたからで
別王朝の成立を物語るものではない。

647:日本@名無史さん
09/10/03 19:14:39
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

648:日本@名無史さん
09/10/03 19:24:46
>>643
>竪矧板革綴短甲との関係がうかがえる縦長鉄板を用いて製作する短甲が
>4世紀の韓国釜山福泉洞古墳群や金海市退来里遺跡などで出土し、
>その技術系譜の出発点を朝鮮半島南部の伽耶地域に求められることがほぼ確実となった。

おかしいね、竪矧板革綴短甲が出た椿井大塚山古墳はもはや3世紀後半が有力なんだけどね。
つまりその説は古いのw

それと伽耶には鉄製短甲の前の木製短甲の系譜がないのだろ?
日本は沢山ある。
木製短甲から鉄製短甲への流れを説明できない伽耶と、
説明できる日本とじゃ出発点がどちらかは明白。
まぁどっちみち伽耶の縦長鉄板の短甲も倭人がもたらしたものだろうけどね。

649:日本@名無史さん
09/10/03 20:14:09
韓国人が鉄で作っていたものを倭奴は木でつくっていた。
それだけのこと。しょせん鉄製品が作れない土人ですからw

650:日本@名無史さん
09/10/03 20:22:55
>韓国人が鉄で作っていたものを倭奴は木でつくっていた。

確か韓国から出る最古の鉄製武具は四世紀なんだが、
それ以前に作ってたのかい?

興味がある。
ソース。

651:日本@名無史さん
09/10/04 05:02:26
>>640
本当にあったから倭が朝鮮を征服したって史料ばっかなんだろうが

652:日本@名無史さん
09/10/04 07:25:04
>倭が朝鮮を侵略したなんて史料ばっかりなんだろうが

新羅の王城に攻め込んだり高句麗と激しい戦いをしてた「倭」とは伽耶のこと
当時「倭」とは日本列島だけを指すものではなく半島南部の伽耶も含まれている

その伽耶と大和朝廷は同盟関係(実際は属国)にあり高句麗と戦うため
大規模な兵隊を半島に送っただけ





653:日本@名無史さん
09/10/04 07:43:51
>>652
だから日本が半島を占領してたわけだ
伽耶など日本の属領のほんの一部に過ぎない。>>641-642のレスも読んだら
どんなに電波を発したって日本が伽耶の属国なんてあべこべにはなりはしない

654:日本@名無史さん
09/10/04 07:48:35
三世紀に、朝鮮半島の南部に、「倭」がいたんだよ。
三国志・東夷伝・韓伝には「韓は、東西は海をもって限りとし、南は倭と接す。」とある。
弁辰伝には「弁辰のトクロ国は倭と界を接す。」ともある。
陸で倭と接していたことを記しているんだよ。

655:日本@名無史さん
09/10/04 07:54:03
>>654
そ、倭が海を渡って征服したとあるもんね
倭の本拠というものが海の向こうの存在だとちゃんと認識してたというわけだ

656:日本@名無史さん
09/10/04 07:59:08
加羅なり伽耶なりが倭を属国にしていたなら、それが中国の史書に記されない
わけがないし、加羅の支配層を取り込んだ新羅が記録に残さないはずがないと
何度言ったら。

657:日本@名無史さん
09/10/04 08:04:37
あらゆる史料が日本が半島を属国としていたことを示している
反対するのはチョンだけ

658:日本@名無史さん
09/10/04 08:53:03
日本の史料を認められなくても、せめてお宅のご主人様の中国の史料位認めなくてはねぇ
当時の日本と中国がわざわざ口裏合わせる必然性どこにあるんだろうか
理由解ったら教えて下さいね

659:日本@名無史さん
09/10/04 10:33:36
というか三国史記だけを見たって652のような結論も推測も成り立たないのは
あきらか。
加羅がかつて倭を属国にしていたなら、新羅に併合された後に旧加羅王族が
そのことを秘密にしておく理由は皆無で、むしろ大袈裟に吹聴してまわるはず。

660:日本@名無史さん
09/10/04 11:23:02
というより、半島南部にあった伽耶が倭族だったから居たのは日本人じゃないって主張もなんかすごいよな……
普段は、朝鮮半島に首都を移した事もある扶余族の作った高句麗滅亡後、その流民がいた渤海は朝鮮民族の国だ!という民族主義的な主張をしてるのにね
他国の場合は民族よりも位置が重要だ!って事ですか? 素晴らしいダブルスタンダードですね

661:日本@名無史さん
09/10/04 16:57:40
半島南部に倭があったってのは『魏志』の誤読

662:走 ◆VWCBut9QG7q4
09/10/04 23:15:46
>>661
何?魏志の誤読って。

663:日本@名無史さん
09/10/05 00:30:29
自分の夫が朝鮮半島出身だと知ったら、妻はショックで寝込んでしまうだろうな。
そして離婚を切り出すのはほぼ間違いない。半島の血を半分引いていると知れば、親権も放棄するかもしれない。
家庭崩壊につながるような秘密は、絶対に漏らしてはならない。

664:日本@名無史さん
09/10/05 04:58:29
結婚前に戸籍見たらわかるから常考

665:日本@名無史さん
09/10/05 23:23:12
>>663
●NHKスペシャル日本人はるかなる旅

この番組で日本人のルーツを科学的に解明していました
およそ1万種類を越えるタイプに分かれるヒト白血球抗原(HLA)で日本人に一番多いタイプ
は中国北京北部から遼東半島一体に分布するB52ーDR2という抗原だそうです


B52-DR2    (日本人に最も多いタイプで北京北部から遼東半島付近と現在の韓国と西日本一帯)

B46-DR9    (中国中部長江流域)

B54-DR4    (中国南部)

B44-DR13   (現在の北朝鮮、古代の高句麗領土付近)

これだけのタイプが日本列島にさまざまな時代に入り込んできて現在の日本人を形成したそうです
一番多いB52-DR2タイプは北京北部、遼東半島、現在の韓国全域、そして九州北部から山口、広島などの
西日本のほとんどがこのタイプだそうです
意外だったのは韓国と北朝鮮ではタイプが違うということです
韓国は日本人と同じDR52-DR2ですが北朝鮮はB44-DR13というタイプです

このB44-DR13も日本に渡来しています、地図では日本海側の新潟あたりをさしていたように思います

666:日本@名無史さん
09/10/06 00:19:42
>>665
母系を示すミトコンドリアでの話だね。
父系を示すY染色体では全然違うよね。


667:日本@名無史さん
09/10/06 00:31:19
ところがねGm遺伝子で分析すると
1、Gm遺伝子の分布によって、蒙古系民族は、南方型と北方型とに大別されるが、日本民族は、あきらかに北方型である。南方型蒙古系民族との混血率は、せいぜい7~8パーセントであって、それほど高いものではない。
2、日本民族は、北海道から沖縄にいたるまで、ことGm遺伝子に関するかぎり、おどろくほど均質(遺伝的に同じ)である。
日本民族は、北方型蒙古民族に属し、そのおおもとの起源はシベリアのバイカル湖畔と推測できる。
つまり「日本人については、北方型蒙古民族が中核をなしていたことは、原初以来一貫としており、異民族の血を、それほど大きくはうけていない、ということになるであろう。」と結論になるそうです。


668:日本@名無史さん
09/10/06 00:42:21
だから人間はお父さんとお母さんがいるから産まれたわけだろうが。
片一方の話をしても仕方ないだろうが。

669:日本@名無史さん
09/10/06 04:09:09
■「大和国」の由来は韓国 (新羅のおかげ)

◎大化の改新も新羅人のクーデターだった

南朝鮮、韓国の歴史学者文定昌氏の「日本上古史」の中に書かれた「大化の改新」に関する部分を、韓国における状況の反映として紹介している。
◎「日本上古史」文定昌

孝徳王朝はこれよりただちに、日本有史以来はじめての年号を定めて大化とし、法制・官制、その他の文物制度を新羅、唐の
それを再販的に移植したのであるが、この事実は「日本書紀」にも記録されているので、日本の史家たちはこれを大化の改新と言っている。
(注:新羅は法興王七年( 520)に律令を制定して公服を定めたが、これは中国が唐となる98年前の事であった、)

このころ新羅は善徳女王が死んで、真徳女王が立ち、真徳女王はその年号を「大和」とした。
そして、金春秋がその実権を握ることになった。

このとき、金春秋は倭(やまと)から来ていた高向玄理(たかむくのくろまろ)を帯同して倭国に乗り込み、進行中の大化の改新に
拍車をかけて、倭国の名を新羅の年号「大和」としたものであるが、これが日本列島内に「大和国」というものの生まれたはじめであった。

大化の改新そのものは、土着していた新羅系渡来人が中心になって引き起こしたもので、母国の新羅がそれを後押ししたものであろうとする。
そして、金春秋も実際その目的で日本へ来ていたであろうとし、大化の改新は高向玄理ら渡来人が青写真を引いたクーデターだったと結論づけるのである。
今となっては、果たして真相は奈辺にあるのか誰にもわかりはしない。それこそタイムマシンで過去へでも行かない限り、実際の所は確かめようもない。

しかしこの時期、渡来人達が日本の形成に多大の貢献と指導力を発揮したであろう事は容易に想像しうる。
現代日本人のDNA調査で、韓国人に一番近い人々は近畿圏に集中しているという事実を見ても、多くの渡来人達が
日本の古代国家の成立に大きく関わっていたのは間違いない。
URLリンク(inoues.net)


670:日本@名無史さん
09/10/06 05:00:02
>>669
はいホルホル電波乙
属国は哀れだねチョン

671:日本@名無史さん
09/10/06 06:01:13
漢字のない国はこれだから困る。
>>669
新羅の年号は『大和』じゃなくて『太和』でしょ
まず根本的に間違えがある。
説得力ゼロの学説と思われますが

672:日本@名無史さん
09/10/06 09:07:47
URLリンク(www.kahaku.go.jp)
●古墳時代人の姿

古墳時代、3世紀中頃から6世紀まで、巨大な古墳が造られました。
この時代に、支配する者と支配される者との差はいっそう拡大し、地位身分も固定化しました。5~6世紀の古墳の
表面にたてられた人物埴輪は、男女、身分や職のちがいをよくのこしており、当時の儀式や社会を復元するうえで欠かせない資料となっています。
正装した男は政治をおこなう人、器を捧げもつ巫女は供え物をささげる人をあらわしており、亡き人に捧げるために生前の良き生活を再現したようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし3世紀~6世紀(200~500年代)でこの程度の埴輪しか作れなかった集団がよく前方後円墳を作ったなw
秦の始皇帝の兵馬俑なんて2200年前にもかかわらずあの精巧な出来栄え、赤い色が残ってるものさえあり
弩(石弓)の三段射ち攻撃の様子が分かるほどの躍動感がある兵馬俑もあり、兵士の顔や体格の特徴も一人一人違う
兵俑達の平均身長は178センチで8000体、馬俑600体が埋葬されている
始皇帝の時代から400年以上経ってもこのレベルとは・・・・
やっぱ任那日本府なんて無理だよ、こんな技術力ではw

●2200年前の始皇帝稜からの発掘
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
武器を扱う兵士たちの躍動感が伝わってくるようだ
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
顔も一人一人違うが、曲げの形までも一人一人違うとは凄すぎ
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
兵馬も大きくてカッコいい(戦国の武田軍でさえ実ははポニーだったなんて言われてるのにこのカッコよさ)
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
色がついた状態で発掘されたものもある
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
2200年前の武器、1700年後の日本の戦国時代並みの装備と技術力

673:日本@名無史さん
09/10/06 09:17:32
おや、言うに困ったチョンが宗主国支那様を崇拝する発言をw
前方後円墳はもう隠せないよね~
どんなにわめいたってチョン半島は日本の属国

674:日本@名無史さん
09/10/06 10:09:12
>>672
埴輪のあの穏やかでユーモラスな表情こそ最高の芸術品なんだが。

675:日本@名無史さん
09/10/06 10:13:59
>>672
とりあえず、お前がアホだということはよく分かった

もういっぺん自分の文章読み返してみな。恥ずかしくて死にたくなるだろうから

676:日本@名無史さん
09/10/06 10:43:17
>>672
秦は背伸びしすぎ
それが国を滅ぼす原因のひとつだって知っているよね
日本だって、ピラミッドを造ったエジプトだってそれが原因で国は滅ばなかったよね
秦のすぐれた技術を継承したはずの国が、1500年後にモンゴル人に征服されたのだが
またその当時世界最強のモンゴル人の国、元は属国高麗と共に日本に攻め込んだが2度も撃退されたのはどういう事かな
1200年代の事ですけれど
日本の1700年代と同じってどういう事かな
偶然の神風?
でもそんな遅れた相手になんで2ヵ月も3ヵ月も船の上で夜をすごさなければなかったのかな
不思議、不思議

677:日本@名無史さん
09/10/06 23:46:03
「好太王の碑文」

「倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
「391年に倭が海を渡って攻めてきて、百済・新羅を属国にした」


「宋書」倭国伝
「倭王武の上表文」

「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、
寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、
渡りて海北(朝鮮半島)を平ぐること九十五国、・・・・・」

詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。


そして、神功皇后の三韓征伐。
ここまで内外の文献が一致していたら、認めないわけにはいかない。


678:日本@名無史さん
09/10/06 23:50:36
>>672
日本の馬はポニーではないよ。
あと写真見たが人間の背丈より馬の方が低く見えるんだが。
あと騎兵じゃなくてほとんどは戦車じゃないかな?
騎馬兵もいたかもしれんが。
それから秦の時代の甲冑と戦国時代の甲冑では全く違う。
材質、作り方、何を防ぐかも。


679:日本@名無史さん
09/10/06 23:52:10
>>672
それから三世紀は201年からな

680:日本@名無史さん
09/10/07 00:40:27
672の人気に嫉妬w

681:日本@名無史さん
09/10/07 02:58:00
“朴”姓在朝??中作Pak,音和“瓠”相近,加上朴姓来源的??,
?更肯定了“朴”、“瓠”一体的状况。既然“瓠公”是倭人,
而且后来?期在新?朝中担任要?,?新?王室的朴氏也当是倭人无疑。
朴氏?当是先于昔氏抵?新?并?立?治地位的一支日本人

682:日本@名無史さん
09/10/07 03:25:30
三国史記・新羅本紀?

683:日本@名無史さん
09/10/07 05:46:54
>>678
秦代の甲冑=戦国時代の甲冑だろ。

684:日本@名無史さん
09/10/07 05:54:13
ご冗談を

685:日本@名無史さん
09/10/07 07:35:23
つまり中国の文化が劣化して明は秀吉に簡単に敗北したと。

686:日本@名無史さん
09/10/07 07:40:41
>>683
春秋・戦国時代と言う落ち?

687:日本@名無史さん
09/10/07 12:56:14
>>685
2200年も前に独創性と凄い技術力も持っていた秦(当時世界最強の文明)
の優れた文化はある程度継承されたが、その後の大陸での戦争で失われたり
復活したりしてるうちに次第に埋没していったと考えられる

明の時代の鄭和の先進的な大航海などはヨーロッパの大航海時代より70年も
早く行った偉業なのにその後明は閉鎖的になり航海は中止させられ、これまた停滞した
このように歴代皇帝の資質や様々な時代環境が中国を長期間低迷させた原因だと考えられる

これに比べ日本は織田信長の資質を秀吉が受け継ぎ海外に目を向けわずかな期間で
大躍進を遂げた
明の時代、軍事比較で総力戦を展開すれば日本は明に勝てたという学者は多い
(秀吉の時代ではなくその前の信長時代の後期らしい)
清の時代も欧米列強に屈して植民地を献上し内乱を招きここでも停滞する
逆に日本は欧米の技術を学びそれを自国に活用し軍事大国として発展していった

日本は世界でも進化するスピードが最も速い国だ(キッシンジャーも言ってる)
ポルトガルに伝わった鉄砲の大量生産の速さ(驚くべき技術とスピード)
封建制度から議会制民主主義への移行の速さ(明治維新は世界的にも奇跡的な革命)
貧弱な鎖国国から軍事大国へのスピードの速さ(これも世界的に見て驚異的に速い)
第二次世界大戦敗戦後の奇跡に近い経済大国への速さ(朝鮮特需があったがそれでも圧倒的な速さである
石油も鉄もないこの島国が80年代後半には 世界経済の48%まで支配した驚くべき経済大国)

実は世界的視点に立って考えると中国人が普通で日本人が凄すぎるだけなのかもしれない
日本人ほど短期間であらゆる物事を達成できる民族はほかにいないのである

ただし日本が短期発展をしてる時期はすべて外側からの影響力である「外圧」が キーワードになってる
外側からの刺激に対して非常に敏感で、驚くほどのスピードに簡単に変容するが、外からの刺激(外圧)がないと
問題を棚上げにしてしまう、日本人は外圧を受けたほうが発展することは歴史が証明しているのだ
外圧で驚異的に発展する日本と、外圧で従属する朝鮮、この差が両国の優秀性の違いとなって表れているのは言うまでもない


688:日本@名無史さん
09/10/07 15:55:51
>>682
出所は知らないがこれは現代中国語だよ

689:日本@名無史さん
09/10/07 18:49:40
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

690:日本@名無史さん
09/10/08 07:43:27
稲作技術は6000年前にもう日本列島に入ってきてるよ
ただ水田技術を使った水田稲作は2300年前ぐらいに朝鮮半島からもちこまれたもの


691:日本@名無史さん
09/10/08 08:01:02
半島じゃ稲作は無理

692:日本@名無史さん
09/10/08 08:53:29
半島経由だったとしても稲作をメインに生活していた部族は半島には数世代ですら定住せずに稲作ができる地域を求めて移住したはずだな

693:日本@名無史さん
09/10/08 21:36:33
半島には日本経由で稲作が伝わったんだよ
縄文人がいろいろ教えに行ってあげたわけ

694:日本@名無史さん
09/10/08 22:24:49
もともと南方系の作物である稲が、
中国の稲作圏ではないところを経由して半島に到達するという仮説には無理があるような。

故に中国南部から半島に海路で稲作が伝播したのでなければ辻褄が合いませんが、
中国南部から海路を経由するならばむしろ日本列島に稲作が伝播するほうが先だと考える方が合理的。

695:日本@名無史さん
09/10/08 22:48:25
稲の伝播は、中国南部から半島南部の倭人地経由日本列島
半島南部の倭人地から半島北上
これでOK?
OKとしたら、朝鮮人は日本人のおかげで稲作始められたって事ですよね。

696:日本@名無史さん
09/10/08 22:50:42
稲作技術は、いまだに日本には根付いていないようで、
政府の所得補償なしでは農民は自活できません。情けない状態です。

697:日本@名無史さん
09/10/08 22:52:15
>>695
おk
稲の研究からしてそれ以外に考えられないらしい

698:日本@名無史さん
09/10/08 22:53:27
あ、違うや
中国南部→九州→半島だよ
稲の研究からしてそれ以外に考えられないらしい

699:日本@名無史さん
09/10/08 22:53:33
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

700:日本@名無史さん
09/10/08 23:25:20
>>696
って事は、なにかい在日半島人にはいまだに自立精神が根付いていません。
日本政府による生活保護支給に頼って生活している者が多数おりますので。
って事かい。
本来、日本国憲法で保証されている生活権は日本国民に対してのものですね。
日本国民とは、日本国籍を有する人です。
自立生活出来ないのなら、愛する祖国政府に泣き込んで下さい。


701:日本@名無史さん
09/10/09 01:17:51
久々にここを見たら何のスレかと思った。

スレ違いもいい加減にせいよ。

702:日本@名無史さん
09/10/09 01:21:35
稲の話してるのは歴史関係の板に粘着してるキチガイだから相手にしちゃだめ

703:日本@名無史さん
09/10/09 04:03:42
>>664
今どき結婚前に戸籍見せてくれ、なんて言う奴いねーよw

704:日本@名無史さん
09/10/09 05:16:30
>703
普通は調べる
実際のとこ結婚は相手の親族とも繋がりができるから、
相手が変な一族だったりすると後々面倒だからな

705:日本@名無史さん
09/10/09 16:45:22
>>704
調べたって、他人の戸籍なんて見られないよ。

706:日本@名無史さん
09/10/10 00:23:44

近代、清朝時代に鵜飼いがあったから古代にも、「あったかもしれません」記録はありませんが!

近代、沿海州には高床式倉庫があったから古代にも、「あったかもしれません」遺跡はありませんが!

近代、沿海州には自動車があったから古代にも、「あったかもしれません」遺物は発見されてませんが!

近代、古代日本には納豆、なれ寿司があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!

近代、古代日本には歌垣があったから古代朝鮮にも「あったかもしれません」古代朝鮮の記録にはありませんが!


707:日本@名無史さん
09/10/10 04:53:25
>>705
興信所とかあるっしょ

708:日本@名無史さん
09/10/10 11:12:18
唐代に成立した『隋書』卷八十一・列傳第四十六・東夷の百済条に
「其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人」
(そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。)
とあり、百済が多民族国家であったことが分かる。

同様に新羅条には「其人雜有華夏、高麗、百濟之屬」
(そこの人々は華夏(漢族)、高句麗、百済に属す人々が雑居しており)
とあり、新羅もまた他民族国家である。

高句麗と倭国の記載には、他民族国家であるような記載は無い

709:日本@名無史さん
09/10/10 12:19:50
任那とは百済・新羅の南、朝鮮半島の南端部分です。日本ではその地に任那日本府を置き、
加羅諸国を支配したと主張しています。しかし韓国ではその地域は加羅又は加耶と呼ばれ、
それぞれ独立した小国の総称であるとして、任那日本府の存在を認めていません。

しかし広開土王の碑には「大軍をもって新羅城を奪還すると、
撤退する倭兵の背後から任那加羅まで急追していった」との記録があります。
又倭の5王が認められた勢力範囲として任那の文字が明記されています。
当時朝鮮半島南部に任那と呼ばれる地域があったこと、
そこに日本が大軍を置いていた事は確実ではないでしょうか。

710:日本@名無史さん
09/10/10 15:38:04
>>709
その任那日本府(任那ではない)については事実上、欽明紀の記述が
あるのみ。
そこに書かれた任那日本府は百済の下位、他の任那諸国と同列の一小国だ。

711:日本@名無史さん
09/10/10 15:56:37
『宋書』によると、倭王済と武が、使特節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事安東大将軍に任ぜられているのですが。

712:日本@名無史さん
09/10/10 18:04:37
「日本府」という単語の有無は
言葉尻の問題であり、大して重要ではない。

713:日本@名無史さん
09/10/10 18:35:04
●任那日本府の真実

広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。

日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。

大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
URLリンク(www.searchnavi.com)

714:日本@名無史さん
09/10/10 20:36:01
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

715:日本@名無史さん
09/10/11 00:52:10
日本は軍隊を朝鮮半島に派遣し、
任那(みまな)7県を新羅から取り戻し、百済に与えましたね


716:日本@名無史さん
09/10/11 04:54:37
>>713
はい電波乙
朝鮮は日本の支配下でした

717:日本@名無史さん
09/10/11 05:46:39
新羅・儒礼王が、先手を打って倭国を何とか攻められないものかと下問したのだが、
舒弗邯(新羅宮廷官位の第一位)の弘権が、
我が軍は水上戦に不慣れで倭攻略は無理でございますと諫言したという記述がある。


倭国はガンガン攻めて百済と新羅を臣民したのに新羅は情けないねw

718:日本@名無史さん
09/10/11 07:48:33
その新羅も元を手繰れ倭人王だし。

719:日本@名無史さん
09/10/11 09:16:42
>>713
>日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、
>北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
>確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、
>伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。

何度も繰り返さないといけないが、
日本の鎧や冑が伽耶に波及してる。

720:日本@名無史さん
09/10/11 14:22:42
>>713
やっぱりそうなんだ。韓国人からしたら迷惑な話だ。

721:日本@名無史さん
09/10/11 14:28:04
韓国人の存在は迷惑だわな

722:日本@名無史さん
09/10/11 15:17:22
>>721
なにコイツ?

そんなに韓国が嫌いなら日本から出てけ

723:日本@名無史さん
09/10/11 17:06:43
>>722
お前の孫は日本に帰化するよ

724:日本@名無史さん
09/10/11 17:51:55
●青銅鏡の秘密(日本古代王朝の起源は百済)

URLリンク(www.searchnavi.com)
エジプトのピラミッドよりも巨大な世界最大の古墳と言われる仁徳天皇陵は、大阪湾に隣接している。
そしてその側には、仁徳天皇と鷹狩りにも一緒に行っていたとされる百済王族の酒君塚がある。
またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている。

こういった様子は、仁徳天皇の父である応神天皇陵の周辺からも見ることができる。応神天皇は百済から王仁など多くの博士らを
招き、論語、千字文を教えさせていて、当時その周辺には船氏、飛鳥部(戸)氏などの百済系の勢力が居住していた。
なぜ百済系の氏族らは日本天皇陵の周辺に居住していたのだろうか。これは歴史の謎ともいえるが、日本人の心のふるさととも
言われる飛鳥地域で、当時百済勢力の蘇我馬子のお墓として知られる石舞台古墳を含めた百済人の古墳群(飛鳥千塚、新沢千塚など)は、
そこに大規模な百済人が渡来し、言わば「新百済」または「リトル百済」を形成、居住していたことを証明する。
また「続日本紀」でも当時飛鳥地域の10人中9人が移住民であると記録しているほど、現在の奈良県にあたる飛鳥地域は、百済の文化が日本に入る前哨地でもあったと考えられる。


725:日本@名無史さん
09/10/11 18:37:59
>>724
神道のけがれの感覚が理解できれば高貴な人が墓の近くに住むなんてありえねーww
そんな連中は下等な連中認定受けてるだろww

726:日本@名無史さん
09/10/11 20:49:05
朝鮮人って今も昔もエタヒニンと同じ地域に住んでいるのか。

727:日本@名無史さん
09/10/11 21:05:41
なんかレベル低いな

728:日本@名無史さん
09/10/11 22:15:48
>>724
>またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
>発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている

おいらまったくの地元民だが、南百済小学校なんてないぞ。
百舌鳥、東百舌鳥、西百舌鳥小学校ならある。
百舌鳥陵南町という町が昔に百済町と言われたらしいが、
それも小さな町だ。
そして百済という苗字を持つ人なんて一人も知らない。

729:日本@名無史さん
09/10/11 22:50:13
>>712
>「日本府」という単語の有無は
>言葉尻の問題であり、大して重要ではない。

なにを言っているのかわからない。
任那日本府というのは、任那という地方にある日本府という役所
(ないし役人)だ。
その証拠に安羅日本府という言い方もある。




730:日本@名無史さん
09/10/12 02:19:36
朝鮮半島では5~6世紀の新羅・百済・任那の勢力圏内で大量のヒスイ製勾玉が出土しており、
新羅の宝冠や耳飾などにヒスイ製勾玉が多く使用されている。

勾玉に使われる宝石レベルのヒスイ(硬玉)の産地は、アジアでは日本とミャンマーにほぼ限られ、
朝鮮半島にはその産地がないことや、
また朝鮮半島で出土されるものは日本出土の硬玉製勾玉を時期的にさかのぼる例が認められないことに加えて、
最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じものであることが判明した。
これにより倭の勢力範囲を示し、少なくとも倭から朝鮮半島へ伝播したものであると考えられている。



まぁ新羅は日本から渡った日本人が作った国だから当然だわな

731:日本@名無史さん
09/10/12 04:56:20
>>722
何この馬鹿w
お前が帰れや在日

732:日本@名無史さん
09/10/12 07:22:02
>稲飯命(神武天皇の兄)は新羅王の祖である。

『新撰姓氏録』右京皇別下新良貴条は、「是出於新良国 即為国主 稲飯命出於新羅国王者組合」とあり稲飯命は新羅王の祖であるとする異説を載せている
(朝鮮の歴史書『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀では、「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里」とあり新羅の4代目の王にして昔氏王統の初代である脱解尼師今は
倭国の東北千里にある本多婆那國の出であるとされており、関連性が見られる)。なお尼師今は日本語のニシキと思われる


733:日本@名無史さん
09/10/12 07:39:51
>>731
おまえが認定すんな。

ほとんどの日本人は韓国と韓国の文化のことが大好きなんだってよwwwww。
おまえら反韓派は少数派なの、わかる?それが嫌なら日本から出てけよ。

こんなところで何優越感に浸ってんだよw 悔しいの?大韓民国のこと大好きなんでしょ?wwwwwwwwwwwwwww


734:日本@名無史さん
09/10/12 08:11:40
>>733
何だ鳩ポッポ民主ネタで釣りか

735:日本@名無史さん
09/10/12 08:13:36
URLリンク(japanese.yonhapnews.co.kr)
一方、7月に発表された韓国の国家機関の調査では、日本は韓国を嫌ってる国に属し、
さらに韓国製品を見下してる国に属するという結果が出ている

736:日本@名無史さん
09/10/12 08:38:01
朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき、
昭和天皇が『今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』
と述べられたことを思い起こします。

ていうか、ずっと仲が悪かったような気もしますが・・・

737:日本@名無史さん
09/10/12 08:47:09
朝鮮との交流で何か豊かだったことなどないな

738:日本@名無史さん
09/10/12 09:38:31
>>732
>なお尼師今は日本語のニシキと思われる

なるほど、トキニシキという相撲取りだったのか

739:日本@名無史さん
09/10/12 18:34:12
>>728
百済人の子孫か?w

740:日本@名無史さん
09/10/12 21:21:26
>>728
朴や金では日本に住みにくいですから、
木戸とか金田とか日本風の苗字に変えて生活しているんでしょうね。

741:日本@名無史さん
09/10/13 00:15:09
在日なんてほとんどいない地域だが。
旧・百済町は秀吉の朝鮮出兵と関わってるとも聞いたが、
その時代には百済はないよね。
謎だが、どっちにしても旧・百済町は小さな地域だ。

742:日本@名無史さん
09/10/13 01:24:21
[偽書とされる書における檀君]  <清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え>
                     <20世紀に入ってから作られた男女平等、父権などの用語が使用されている>

『桓檀古記』に含まれる「檀君世紀」上編[2]によれば、檀君朝鮮は始祖王倹より古列加まで47代続いた王朝であったという。
しかし、同書や同じく『桓檀古記』にある「太白逸史」には清の嘉慶5年(1800年)に命名された地名「長春」が見え、
「太白逸史」の引用書「朝代記」に至っては男女平等、父権などの近代になって登場した用語が使用されている。
このことから、20世紀に入ってから作られた新しい偽書であることが確実視されている。


743:日本@名無史さん
09/10/13 04:17:15
飛鳥時代に伝説はともかく金やら朴を一般的に名前として使ってはいないだろうに。


744:日本@名無史さん
09/10/13 04:45:10
東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
URLリンク(www.chosunonline.com)

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。

745:日本@名無史さん
09/10/13 04:53:42
ま、所詮は属国のたわごと

746:日本@名無史さん
09/10/13 15:19:18
百済の民衆はナニジンが住んでたんですか?

747:日本@名無史さん
09/10/13 21:42:01
>>745
そうだよなw
日本はアメリカの属国なんだから黙っとけばいいのに
こんなところで根拠のない優越感に浸って何考えてるんだ?クソネトウヨ。

748:日本@名無史さん
09/10/13 23:05:49
しかし日本は少なくともアメリカ人が造った国ではないよな。ちょっと上。

749:日本@名無史さん
09/10/14 02:10:09
>>747
アメリカって多額の国債を日本に買ってもらい、
軍事技術も日本の民間企業に頼ってるのだよ。
こういう状態ってアメリカが日本の属国とも言えるよね。
もっとお勉強しようね。
まぁ君の国韓国が日本のようにアメリカを属国にするほどには永遠になれないけどねw

750:日本@名無史さん
09/10/14 02:39:41
>>748
日本は百済人を初めとする渡来人が作った国だろ
日本もイギリスと同じ征服王朝の王室



751:日本@名無史さん
09/10/14 03:43:40
渡来人の征服王朝?
なぜ当時の日本の記録にも、中国の記録にもその事が書かれていないのか。もちろん朝鮮の記録にもだ。


752:日本@名無史さん
09/10/14 04:09:36
>>751
逆に、百済は倭人が作った、倭国の属国だったという記録ならたくさんあるよな

753:日本@名無史さん
09/10/14 04:12:00
謙虚じゃないなーオマエラ

754:日本@名無史さん
09/10/14 05:01:28
>>747>>750
はい、チョンワードいただきました。「クソネトウヨ」w
日本人が優越感に浸ってるんじゃない、
朝鮮人が勝手に劣等感に駆られてファビョってんだよ
征服王朝は朝鮮ですな。日本と中国とモンゴルのw

755:日本@名無史さん
09/10/14 05:14:04
まぁ新羅と百済はヤマト国の臣民だよ
記念碑にがっつり書かれてるから言い逃れできない真実

756:日本@名無史さん
09/10/14 05:51:13


東北工程:百済・新羅の歴史も「中国史の一部」=中国社科院
URLリンク(www.chosunonline.com)

公式研究書に百済と新羅の歴史も「中国史の一部」と記述していたことが3日、分かった。
百済に対しては「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」
とし、新羅については「唐は(百済が滅亡した)660年以前には羈縻政策を、それ以降には直接統治を行った」
と記述した。また、新羅は「中国の秦の亡命者が樹立した政権」であり、
「中国の藩属国として唐が管轄権を持っていた」とした。


「王建は決して<朝鮮>半島の新羅人の子孫ではなく、
中国・淮河流域から来た漢人の末裔・・」と主張し、933年に後唐の明宗が
太祖・王建に送った冊封詔書などをその根拠として提示した。
冊封詔書には太祖・王建を「長淮の茂族」と呼んでいる部分があり、
この論文は「長淮は淮河流域を意味する言葉で、
太祖・王建の本籍地が中国であるため、高麗は中国人が建国した国」と主張している。


757:日本@名無史さん
09/10/14 07:29:43
百済は扶余人が作った国。
日本は百済人が作った国。

つまり、日本は中国人が作った国じゃないか。w

758:日本@名無史さん
09/10/14 07:47:51
>>757
え?
とうとう唐辛子の過剰摂取で脳細胞が壊死したのか?
日本も朝鮮も倭人が建国しましたよ

759:日本@名無史さん
09/10/14 08:22:17
>>758
そんなこと言ってるの2chだけだぞ。現実を見ろ。
日本は渡来人が作った国、紛れもない事実

なぁ…。もうこのスレ終了しようぜ。『ネトウヨ』『チョン』とかレベル低すぎ

760:日本@名無史さん
09/10/14 08:24:02
>>759
そんなこと言ってるの朝鮮人だけだぞ。現実を見ろ。
朝鮮は倭人と中国人が作った国、紛れもない事実


761:日本@名無史さん
09/10/14 08:26:31
百済は日本に人質を送っていた日本の属国
これは世界共通の認識

つい最近でも、

【韓国】 「高宗は国の統治をあきらめた王」「任那日本府説」 外国教科書の韓国関連の誤りが深刻 [10/05]
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

>またアメリカの世界文化教科書には「日本が韓国南部の小さな地域を統治した」と「任那日本府説」が載せられた。


762:日本@名無史さん
09/10/14 08:30:29
>>759
チョンだけだよ電波飛ばしてんのはw
現実を見ようぜ在日君

763:日本@名無史さん
09/10/14 09:16:29
日本を建国したのが渡来人だとするためには倭人がヤマト王権確立と同時に渡ってきたっていう証拠が必要だな
あちこちから日本に渡ってきた人間が日本で何百年もかけて倭族を作り上げ、
倭族が王権を確立したとしたら建国した民族は外人ということにはならない(そんなこといったら世界中の国を建国したのはアフリカ人になるし)

ってことで、渡来一世代目がガンガン建国してる朝鮮の国々とは違うわけです

764:日本@名無史さん
09/10/14 18:38:01
遺伝子レベルで調べたら日本人の6~7割は2200年前以降に
渡来してきた弥生人の子孫らしい

つまり日本人の7割は渡来人の子孫
ではその渡来人はどこから来たのか?
北京北部や遼東半島、朝鮮半島、中国南部など様々な地域から来てる

しかし大和政権を担ってた主流派は百済人集団や伽耶人達
正確には百済系かな
蘇我や藤原だけでなく物部氏もさえも百済系だという説もある
3~4世紀の有力豪族である武内や葛城、大伴は新羅系
秦氏はユダヤ系、東漢氏や西文氏は大陸系
倭人がいないんだよなw


765:日本@名無史さん
09/10/14 18:57:18
>しかし大和政権を担ってた主流派は百済人集団や伽耶人達
>正確には百済系かな
>蘇我や藤原だけでなく物部氏もさえも百済系だという説もある
>3~4世紀の有力豪族である武内や葛城、大伴は新羅系
>秦氏はユダヤ系、東漢氏や西文氏は大陸系


だから根拠を言えよ、いくらでも聞いてやるから。

766:日本@名無史さん
09/10/14 19:12:48
>>765
とりあえず涙拭けよwww

767:日本@名無史さん
09/10/14 19:50:25
●青銅鏡の秘密(日本古代王朝の起源は百済)

URLリンク(www.searchnavi.com)
エジプトのピラミッドよりも巨大な世界最大の古墳と言われる仁徳天皇陵は、大阪湾に隣接している。
そしてその側には、仁徳天皇と鷹狩りにも一緒に行っていたとされる百済王族の酒君塚がある。
またその近くには南百済小学校、百済大橋、百済という苗字を持つ人々など、1400年が経った今でも日本古代王朝の
発祥の地である百済の痕跡を感じさせる様々な様子が残っている。

こういった様子は、仁徳天皇の父である応神天皇陵の周辺からも見ることができる。応神天皇は百済から王仁など多くの博士らを
招き、論語、千字文を教えさせていて、当時その周辺には船氏、飛鳥部(戸)氏などの百済系の勢力が居住していた。
なぜ百済系の氏族らは日本天皇陵の周辺に居住していたのだろうか。これは歴史の謎ともいえるが、日本人の心のふるさととも
言われる飛鳥地域で、当時百済勢力の蘇我馬子のお墓として知られる石舞台古墳を含めた百済人の古墳群(飛鳥千塚、新沢千塚など)は、
そこに大規模な百済人が渡来し、言わば「新百済」または「リトル百済」を形成、居住していたことを証明する。
また「続日本紀」でも当時飛鳥地域の10人中9人が移住民であると記録しているほど、現在の奈良県にあたる飛鳥

768:日本@名無史さん
09/10/14 19:53:19
>>764
>北京北部や遼東半島、朝鮮半島、中国南部など様々な地域から来てる
一部で檀君大学のキム教授と逆なこと言ってるなw

キム教授は、その2200年ほど前に「日本から朝鮮半島へ弥生人が流入」って
方々で主張してたぞww

769:日本@名無史さん
09/10/14 20:09:22
>>768
●NHKスペシャル日本人はるかな旅

この番組で日本人のルーツを科学的に解明していました
およそ1万種類を越えるタイプに分かれるヒト白血球抗原(HLA)で日本人に一番多いタイプ
は中国北京北部から遼東半島一体に分布するB52ーDR2という抗原だそうです


B52-DR2    (日本人に最も多いタイプで北京北部から遼東半島付近と現在の韓国と西日本一帯)

B46-DR9    (中国中部長江流域)

B54-DR4    (中国南部)

B44-DR13   (現在の北朝鮮、古代の高句麗領土付近)

これだけのタイプが日本列島にさまざまな時代に入り込んできて現在の日本人を形成したそうです
一番多いB52-DR2タイプは北京北部、遼東半島、現在の韓国全域、そして九州北部から山口、広島などの
西日本のほとんどがこのタイプだそうです
意外だったのは韓国と北朝鮮ではタイプが違うということです
韓国は日本人と同じDR52-DR2ですが北朝鮮はB44-DR13というタイプです

このB44-DR13も日本に渡来しています、地図では日本海側の新潟あたりをさしていたように思います
URLリンク(www.kahaku.go.jp)

770:日本@名無史さん
09/10/14 21:02:50
百済は扶余人が作った国。
日本は百済人が作った国。
日本は扶余人が作った国。

物部氏も扶余人だったというから、
縄文系とみられる遺伝子を持った人たちも、大陸から物部氏とともに渡来した可能性がある。

つまり、縄文文化を形成した生粋の縄文人は、日本には残っていないのではないかということです。
では、縄文人の子孫はどこに消えたのか?謎だらけですね。

771:日本@名無史さん
09/10/14 21:12:33
>>769
NHKは「我々はどこからきたのか」という番組を放映している。
やはり最新の研究の結果、日本人のDNAサンプル取りまくって、
世界中にルーツを求めた末に、マンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツと結論付けている。

さらに南方系は、中国福健省あたりの海岸周辺の民族が海を渡って直接入ってきたことがDNA鑑定で確かめられた。
このグループは沖縄だけでなく、九州から一気に北上して近畿まで来ている。

DNA鑑定という新技術が採用されるまでは、
狩猟を生業とする縄文人が朝鮮半島から稲作技術を備えた弥生人によって駆逐されて古代国家が成立したと単純に考えられてきた。

しかし韓国人は人種的に日本人とはかなり違った異人種であるという事が分かった。少なくとも原日本人のDNAとは一致しない

772:日本@名無史さん
09/10/14 21:15:18
>>769
>1つや2つではなかったという考え方(図1)、
>似ていないという考え方(図2)、
>中央アジアだろうという考え方(図3)

在日朝鮮人はただの推測で結論付けるのが好きだな

773:日本@名無史さん
09/10/14 21:17:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

774:日本@名無史さん
09/10/14 21:18:14
B52-DR15が高頻度の場所が日本とモンゴルで地理的に離れて 二極化しているのに対し、
B44-DR13は高頻度の場所が日本と韓国で地理的に連続しており、
その中で一番頻度が高い地域が日本の東海地方と来れば、
東海地方から日韓中に広がっていったと見るのが正解。

現にDNAは日本からモンゴルへと入っている
URLリンク(www.geocities.com)
URLリンク(blogimg.goo.ne.jp)
URLリンク(img.blogs.yahoo.co.jp)
URLリンク(www.pro-classic.com)
URLリンク(news.nationalgeographic.com)
URLリンク(www.wired.com)
URLリンク(ao.jpn.org)

DNAの流れも日本→半島ですね

775:日本@名無史さん
09/10/14 21:19:41
>>764
>遺伝子レベルで調べたら日本人の6~7割は2200年前以降に
>渡来してきた弥生人の子孫らしい

ソース出してね
日本人で一番多いのはD2で縄文系ですが

776:日本@名無史さん
09/10/14 21:35:33
韓国のB52-DR15の頻度は1.4%だ。

古墳時代以降、朝鮮人は満州人などと混血してB52-DR15(DR2)・B44-DR13が
半減したからそれ以前は現在の倍以上あったとするのなら、

本州日本人に16.1%、韓国人に17.4%見られる日韓共通の古モンゴロイド
の北方縄文人のmtDNAも、朝鮮人は現在の倍以上の35%以上もあったという
馬鹿げた事になる。

日本から朝鮮へ流れた可能性の方が高いね

777:日本@名無史さん
09/10/14 21:41:16
URLリンク(japanese.joins.com)§code=400
■高句麗象徴する「三足烏」、韓国の代表ブランドに

韓国だけでなく日本でも昔から三足烏を神聖視していたことを示す事例がある、と指摘した。
日本の王が即位式のときに着る服に三足烏が描きこまれてあったり、日本サッカー協会(JFA)のエンブレムも三足烏だとのこと。

これについてネットユーザーは「韓民族の風習が日本に伝えられたもの」とし「高句麗の遺物に現れる三足烏の形が日本のものよりデザイン的に優れている」と主張した。
他のネットユーザーは「東夷族が初めて三足烏を崇め、近隣諸国に伝えたのだろう」とし「三足烏の元祖は韓半島」と強調した。



778:日本@名無史さん
09/10/14 21:54:52
モンゴルや満州、フヨなどの北方騎馬民族系の男の集団は
Y遺伝子C3系の遺伝子の多さでわかる。

朝鮮はフヨが支配していたり、モンゴル満州に支配されていたので
15%以上はC3系の男が居るようだ。

でも日本にはC3系の男は1%居るかどうか。
これは百済王族の帰化人だと思われる。
日本はフヨなどの騎馬民族とほとんど関係が無い。

南方C系のC1系なら5%ほど居る。
なんにしても男の集団として日本と朝鮮は違いすぎるので
どちらかの民族が移動して支配したということは無い。

779:日本@名無史さん
09/10/14 22:40:33
C3は約2年前に日本に入ってきたので帰化人ではないな
日本人のC系はほとんどC1で日本固定で10%ほど
D系はD2で45~50%でこれもまた日本固定(C1、C3、D2は縄文人)
父系で日本人と朝鮮人は多くの研究者がびっくりするほど違っている
母系でも日本人に一番近いのは福建省と台湾人です
まぁ母系はアジア特有でどこも同じだけど

780:日本@名無史さん
09/10/15 05:03:03
>>764>>770
無根拠乙
朝鮮の国々は倭人が建国してるだろ

>>767
それ地元の人が否定してたろ
百済小学校なんてねーよ、と

781:日本@名無史さん
09/10/15 07:53:26
百済小学校、百済大橋などがある百済という場所は東住吉区。
7世紀の百済崩壊時の渡来人に関わる場所で、
5世紀の仁徳天皇の時代とは全然関係ない。
もちろん場所も堺からは遠く離れてる。

782:日本@名無史さん
09/10/15 08:03:29
百済から馬飼いが送られてきたり、
降伏した新羅王が馬飼いになったとか、
または百済王の一族である酒君に命じて鷹を養わせたとかの記述があるが、
それらの根拠地から考えれば、
渡来系と同和地域は密接に関連してるね。

783:日本@名無史さん
09/10/15 08:15:06
難民が部落化したのか

784:日本@名無史さん
09/10/15 16:34:20
>>783
当初の職掌、職権からして充分あり得る話かもね。

785:日本@名無史さん
09/10/15 18:06:25
>>780
でも蘇我氏は百済から来たというのは信じてるねw

■蘇我氏は渡来系氏族か

飛鳥時代の筆頭豪族である蘇我氏一門は、その実在が記録上ではっきりするのは蘇我満智からです。
その満智が渡来人だとしたら、その影響は大きいものがあります。

まず、皇族では崇峻天皇や推古天皇、用明天皇などが渡来人の5代目子孫、聖徳太子は6代目子孫
ということになり、天皇の祖先は意外な側面をみせることになります。

さらに、これまでの「帰化人史観」では、百済や新羅などから来た「帰化人」が倭に文化や技術を伝えたと
理解していたのですが、それが一転して渡来系氏族もヤマト政権の一翼をになったということになります。
このように右翼を仰天させるような大胆な説が門脇禎二氏により提唱されましたが、この説は地元の
明日香(あすか)村教育委員会でもまともに信じられているようです。
職員のキタムラ氏は蘇我馬子の墓と伝えられる飛鳥の石舞台を前にテレビでこう語りました

 「この古墳に葬られている方はどなたかというと、蘇我馬子といわれている。
その当時、今から1400年前に勢力を持っていた方で、この方の先祖、正しくはひいおじいさんは
韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では
蘇我満智(まち)という方」門脇説は意外なところでも信じられているようですが、はたして満智=満
致という門脇説はどの程度の信憑性があるのか興味あるところです。
URLリンク(www.han.org)

>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」
>韓国の百済からお越しになった方で、韓国のお名前を木羅満致(もくらまち)、そして日本では蘇我満智(まち)という方」


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