09/09/18 01:48:32
>>418
「其王本百濟人」というのは『隋書』に初めて出てくる記述であって
前後の史書をみるとかなり怪しい。ただ、「自海逃入新羅、遂王其國」
とあるように、海を渡ってきた外来王としているのは瓠公、脱解の説話
と共通していて興味深い。
初めて新羅の項目が立てられた『梁書』には、新羅の前身の辰韓(秦韓)に
秦からの亡命者がおり、王には馬韓人が立てられたという説がみえるが、
これは『三国志』魏書などのコピペであり、とくに前者はそう自称している
という言い伝えがあるよというだけでほとんど信用できないシロモノ。
『北史』もそれを踏襲し、『南史』は『北史』を参照しろといい、『旧唐書』
には「本弁韓之苗裔也」とある。
総合的にみると、『隋書』の「其王本百濟人」というのは、『梁書』等の
馬韓人を辰韓の王に立てたという説に基づいた憶説と考えられる。ただ、
その辰韓王もオリジナルの『三国志』魏書をみると、「辰王」となってる。
辰王は馬韓の月支国を治め、弁辰と辰韓の半数の国々を従えたとあるから、
これは新羅王をいったものではない。結局、倭人出自説にしろ百済人出自説
にしろ根拠がない。新羅の王や貴族が外来者というのは史実ではなく、
地生えの辰韓人らの王権なんだろうが、彼らが外来者を標榜したことは
おそらくそのとおりであり、それをもって身分秩序を強固にし、貴族層の
特権を保持する目的があったんだろうね。