09/09/17 19:57:10
台 湾 人 の 日 本 侵 略 を 許 す な !
URLリンク(www.youtube.com)
422:日本@名無史さん
09/09/17 20:15:12
>>418
隋書新羅伝を見ると、高句麗との関係も最初から濃厚だな。
新羅が強盛になったのは高句麗人逃亡者が流入したからだと言う。
また、最初は百済に、次いで加羅に従属したと言っているのは
実に面白い。
加羅への従属は考古学と一致するからだ。
423:日本@名無史さん
09/09/17 21:06:40
>>420
訂正:
ことらが正しい → こちらが正しい
424:日本@名無史さん
09/09/17 22:07:14
>>414
>>415
>そのスサノオは新羅に天下って見たけどつまらないから日本に来たというのだろう?
ふうむ・・・
「外来系」が貴種の証明だと言っておきながら、国津神も外来系にする・・・か。
さて、違和感を感じるのは俺だけかな?
>私が「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
普通、外国から来た事はともかくとして、神の国から来たって言うのは
外来とは言わんだろ。
何しろ神話だからな。
お前の考えてることって、世間の一般的な意味とは違ってるんだよww
425:日本@名無史さん
09/09/17 22:51:46
>>424
>「外来系」が貴種の証明だと言っておきながら
誰がそんなことを言ったのか。支配者が自らを差別化するために、外来者
としての説話を創作する、という話をしているのだよ。
その支配者が実は土着だった、でもいいのだ。「何しろ神話だからな」
>国津神も外来系にする・
私がしたのではない。神話の一説がそう言っているという話をしたのだ。
神話がそう言っているにもかかわらず、その国津神が実は土着であっても
一向にかまわない。「なにしろ神話だからな」
>神の国から来たって言うのは外来とは言わんだろ。
神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いない
ではないか。
外来と言えば「渡来人」しか思い浮かばないのか。頭かたいな。
漢字は本来の意味に使っていいのだよ。
426:日本@名無史さん
09/09/17 23:03:56
オイオ~イw
矛盾ありまくりだぜ~?
>誰がそんなことを言ったのか。支配者が自らを差別化するために、外来者
としての説話を創作する、という話をしているのだよ。
差別化できてないじゃんよ~?w
どっちも高天原っつーとこから来たんだろ~?
故郷が同じで来た順だけ違けりゃ差別化できんのか~?
フツーに「土着の神」を征服すりゃいいのによ~ww
>「なにしろ神話だからな」
都合の良いところだけ「神話」かよww
この程度で「外来」なら、世界中の民族は外来系に支配されてんのかよ~?ww
>神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いないではないか
いや、それはお前の主観。
フツー外来からそのようなイメージは無い。
辞書で調べてみ?
ここまで神話にひっつくなんて、よっぽど悔しかったんだなwwww
427:日本@名無史さん
09/09/17 23:22:01
>>417
>「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
>言っているのがわからないのなら、それは「抽象力の欠如」という
>ものだ。
アホか。
私が「外国から来た」と「神の世界から来た」を併せて「外来」と
言っているのは「創造力の欠如」だ。
神の世界から来たのなら「天から」と表現することはあれども、
「外から来た」なんて言わないのだ。
428:日本@名無史さん
09/09/17 23:24:08
>>427
訂正
×私が
○君が
429:日本@名無史さん
09/09/18 00:01:58
>>425
>神の国は現実世界の外にある。そこから来たのなら外来に違いない
>ではないか。
外とは内外の横軸だ。
天地の縦軸とは違う。
何言ってんだよお前w
430:日本@名無史さん
09/09/18 00:16:32
神話の登場人物は、歴史研究での民族には当てはめることは無理だぞ。
どんな民族でも、その最初の統率者はその民族だ。
例えばゲルマン民族の伝承にあるだろう始祖は、ゲルマン民族だが
その父親は何なのか?というとゲルマン以前の人間だが、
何に当てはめて良いかわからん。そこで神話になる。
民族の始祖がどこから来たかというのは、民族に関係が無い。
民族が始まるのはそこだからだ。
431:日本@名無史さん
09/09/18 00:28:35
そうだな。
ま、新羅のように完全に外来人に王権を奪われた伝承を持ってるのも情けないがなwww
432:日本@名無史さん
09/09/18 00:44:55
あのな、ここで色々言ってるけどそもそも韓国では日本人の
「新羅は倭人が建てた王朝説」なんて誰も知らないし
新羅は韓国人が作った国として当たり前に認識されてる
433:日本@名無史さん
09/09/18 00:54:23
>>432
だから何なんだ。それは都合の悪い事は教えない韓国自身の問題であるとしか言い様がないけど。
434:日本@名無史さん
09/09/18 01:24:03
俺達は、たとえ半島の古代史の主役が、俺達の先祖じゃなくても
、合理的かつ客観的に証明できる人間と議論ができればそれで満足だろ?
だってここ、一応は史板だぜ?
それが理解できない人間がいる事こそ理解できない
韓国の人とか、左の人って、思想の優先順位が違うの?
435:日本@名無史さん
09/09/18 01:48:32
>>418
「其王本百濟人」というのは『隋書』に初めて出てくる記述であって
前後の史書をみるとかなり怪しい。ただ、「自海逃入新羅、遂王其國」
とあるように、海を渡ってきた外来王としているのは瓠公、脱解の説話
と共通していて興味深い。
初めて新羅の項目が立てられた『梁書』には、新羅の前身の辰韓(秦韓)に
秦からの亡命者がおり、王には馬韓人が立てられたという説がみえるが、
これは『三国志』魏書などのコピペであり、とくに前者はそう自称している
という言い伝えがあるよというだけでほとんど信用できないシロモノ。
『北史』もそれを踏襲し、『南史』は『北史』を参照しろといい、『旧唐書』
には「本弁韓之苗裔也」とある。
総合的にみると、『隋書』の「其王本百濟人」というのは、『梁書』等の
馬韓人を辰韓の王に立てたという説に基づいた憶説と考えられる。ただ、
その辰韓王もオリジナルの『三国志』魏書をみると、「辰王」となってる。
辰王は馬韓の月支国を治め、弁辰と辰韓の半数の国々を従えたとあるから、
これは新羅王をいったものではない。結局、倭人出自説にしろ百済人出自説
にしろ根拠がない。新羅の王や貴族が外来者というのは史実ではなく、
地生えの辰韓人らの王権なんだろうが、彼らが外来者を標榜したことは
おそらくそのとおりであり、それをもって身分秩序を強固にし、貴族層の
特権を保持する目的があったんだろうね。
436:日本@名無史さん
09/09/18 01:51:28
だから史実の解釈なんてどうでもよくて、
倭人が堂々と鉄を採ってたって考古学的事実は、
倭人が王であっても差し支えないだろうに。
437:日本@名無史さん
09/09/18 02:30:10
史実の解釈はどうでもいい、というのはよく分からんね。
一連の議論は新羅の建国神話の解釈についてじゃないの。
あと、倭人が堂々と鉄を採ってたって考古学的事実ってのは
>>394の釜山市萊城遺跡と泗川市勒島遺跡のことなのかな。
詳細についてもっと教えてくれると有難いのだけど、いづれにせよ、
新羅本来の領域からは離れた場所であることには違いない。
さらにいうなら、鉄を取っていたからその地の王であるなんてのは
まったく論証になってない。
438:日本@名無史さん
09/09/18 06:04:55
>>426
>差別化できてないじゃんよ~?w
>どっちも高天原っつーとこから来たんだろ~?
私が「支配者が自らを差別化する」と言っているのは被支配者の
人民と差別化するという意味だよ。
君も>>412でいいことを言っているではないか。
>天皇家を特別なものとするために天津神と国津神の区別を作っただけのこと
その通りだ。その国つ神のところに人民も併せて考えればいいのだ。
天皇家を「特別なものにする」すなわち「差別化」の名目が「高天原」から
の「外来」というわけだ。
スサノオは出自が天つ神であって、しかも異説によれば新羅を経由するという
「二重の外来」だ。
439:日本@名無史さん
09/09/18 06:48:43
スサノオが新羅経由したなんてのはいくつもあるスサノオの降臨神話の一種だけどな
440:日本@名無史さん
09/09/18 06:50:40
てゆーか日本人はみんな降臨した神の子孫
441:日本@名無史さん
09/09/18 07:50:06
>>437
史料と物証が揃ってれば事実となるのだが、
一応揃ってるといえる。
>新羅本来の領域からは離れた場所であることには違いない
古代の国境や領地概念から言ってそれは違う。
また新羅が5世紀以前に倭の臣民にされてたというのは好太王碑にも示されてる。
442:日本@名無史さん
09/09/18 08:05:44
>>438
>「高天原」からの「外来」というわけだ。
おまえしつこいな。
外来でなく「降臨」
スサノオは追放され海を渡るのだから新羅側から言えば「外来」
443:日本@名無史さん
09/09/18 08:56:12
新羅は倭人が造った国ですからね。
新羅にとってスサノウは外来です。
444:日本@名無史さん
09/09/18 10:32:00
なんだか神経症みたいにしつこいヤシが居るね。
445:日本@名無史さん
09/09/18 11:24:30
>>442
「降臨」は縦移動の「外来」、
「渡来」は横移動の「外来」だ。
昔氏の始祖伝説は漂着だから横移動の外来だが、その元は卵生だ。
卵生神話は扶余の始祖伝説にもあって、この場合は女が日光に感精して
身ごもるのだ。
昔氏の場合は日光感精がないが、卵生神話は上記のように本来は日光感精、
すなわち縦移動の要素を含んでいる。
だから昔氏の始祖伝説は縦移動と横移動の合成だ。
降臨、すなわち縦移動は日本神話の専売特許ではない。
446:日本@名無史さん
09/09/18 11:35:12
昔氏の始祖に関する民間伝承の一つによれば:
「昔、倭国の東北千里に多婆那国があって、またの名前を龍城国とも言った。
国王の名前を含達婆といい、女王国の女を王妃としていた。その王妃は妊娠
から7年目にして大きな卵を産んだ。国王は怪しいと思って、それを捨て
させた。
王妃は絹布で卵を包み、櫃の中に入れて船で海に流し「有縁の地に到り、
国を建て、家を成しなさい」と祝福して別れを告げた。
その船は阿珍浦(慶州郡陽南羅児里)に流れ着いた。」
これによればタバナ国は完全に倭国ではない。
また王妃の出自「女王国」が倭国のことだとすれば赤ん坊は倭系では
あるが、母系だ。
447:日本@名無史さん
09/09/18 11:55:37
だから、魏志倭人伝に「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」
女王国の向こうにも多くの国があるが、皆倭種である。
と書いてるだろ。
ヤマトだろうがクマソだろうがエミシだろうが
中華から見たら全部倭人だったということだよ。
中華は、多くの民族を分けて書き記しているのに
日本の島には倭人しか居ないように書いてあるわけで。
448:日本@名無史さん
09/09/18 11:57:36
渡来渡来言う奴は、具体的な民族名を示すことができない。
いくらでも古代人の名前も記録にあるわけで
漢人か倭人かその他か、くらいは示してもらいたいね。
449:日本@名無史さん
09/09/18 12:26:15
多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると、
そこに婚姻関係が存在する事は
籠神社の海部氏系譜図とも一致しているね。
450:日本@名無史さん
09/09/18 12:45:54
新羅の王の一人は外国人だ、だから日本もそうに違いない!!
って言う思考はどうかと思うね。
知識人ぶってファビョってもね・・
451:日本@名無史さん
09/09/18 16:15:07
>>449
残念ながら大和は丹波の東北ではない。
なんで倭国の東北なのかと言えば、倭国の西ならばそれは日本海で、
半島人には通い慣れた海域だが、
倭国の東北と言えばそれは北太平洋で、半島人には全く未知の海域だ。
だれも知らないし、だれかがそこへ出かけていく可能性も薄い。
タバナ国がここだということにしておけば、作り話がばれることはなかろう。
そう考えただけだろう。
452:日本@名無史さん
09/09/18 16:22:21
新羅王の外来説は王だけ外来なのが問題なんでしょ
日本の神話の場合は全部ひっくるめて天から降臨してる上に、それが起きた時期が神話としてしか語れない大昔な上に、王権を確立したのは神様の何代もあとでどう見ても倭人成立後のはなし
453:日本@名無史さん
09/09/18 21:25:47
>>451
>残念ながら大和は丹波の東北ではない。
何処にそんな事が書かれてるのw
倭国=北部九州とすれば
必然的に出雲~能登半島辺りだけど。
454:日本@名無史さん
09/09/18 23:37:35
>>445
>「降臨」は縦移動の「外来」、
>「渡来」は横移動の「外来」だ
へぇ君は自分の住んでる空(天)を「外」と言うのか。
変わったやつだねw
455:日本@名無史さん
09/09/18 23:56:17
>>446
>これによればタバナ国は完全に倭国ではない。
>また王妃の出自「女王国」が倭国のことだとすれば赤ん坊は倭系では
>あるが、母系だ。
倭国と呼ばれてなくても倭人だろ。
出雲は一つの国だけど人種は倭人だよね?
それと同じ。
456:日本@名無史さん
09/09/19 01:31:49
>>441
史料は新羅の建国神話で、物証は釜山や泗川の遺跡なの?
全然関係ないものなんだけど。補完にも傍証にもなってないよ。
>古代の国境や領地概念から言ってそれは違う。
違う、とだけ言われてもね。新羅の本拠は慶州周辺であって、
考古学的にみて、釜山方面に勢力が伸びたとされるのが
5世紀半ば頃だし、泗川などはもっと先の話。釜山や泗川
に倭人が住んでいたからといって、必ずしも支配者という
ことにはならないし、そこが新羅の本拠であったわけでも
ないのだから、そのことをもって倭人が新羅の支配者であった
とするのは全く理屈に合わない。
広開土王碑の記述にしても、新羅が倭の臣民とされたのは
辛卯年(391年)以降とされていて、貴方もご存知のとおり、
建国当初からの事態ではない。
しかも、碑文の筋立ては、以前は高句麗の傘下にあった新羅
が倭の臣民とされてしまったものの、それを見事打ち破ったぞ
(そのあとは碑面の摩滅でよく読めないけど、文脈からいって
新羅が再び高句麗の傘下に復帰したとするものだろう)という
ものだから、倭に属したのは一時的な出来事といえる。
その後の中原高句麗碑でも高句麗と新羅は上下の関係にある
とされているしね。
457:日本@名無史さん
09/09/19 02:17:20
>>456
>史料は新羅の建国神話で、物証は釜山や泗川の遺跡なの?
>全然関係ないものなんだけど。補完にも傍証にもなってないよ。
これで完全に証明されたなんて言ってない。
しかしながら可能性はあるだろう。
瓢公が半島に渡ったのも何かの理由があったろうが、
それは「鉄 」であったろう。
釜山にあった倭人の製鉄場から新羅に対して何なりかの実行支配に及んでも不思議でないとも思う。
逆にそうでないなら何で瓢公という倭人の重臣の話が伝承になってたのか、
はっきりした答えを以前のレスでも聞いてないが?
458:日本@名無史さん
09/09/19 02:28:51
伝承は実際に物事があったから残るものだからね。
勿論脚色等はあるのだが、何もない所に伝承は残らない。
それが半島の南部、日本の丹波地方双方に
似たような話があるという事は、
実際にあったと考えられる話でしょうね。
459:日本@名無史さん
09/09/19 02:29:20
それと、
>広開土王碑の記述にしても、新羅が倭の臣民とされたのは
>辛卯年(391年)以降とされていて、貴方もご存知のとおり、
>建国当初からの事態ではない。
その辛卯年(391年)の話は倭が海を渡って進軍してきたのであって、
それ以前に瓢公という倭人によって穏やかな王権簒奪があっても不思議でない。
もちろん、そうであったことを考古学的に証明しろなんて言われたら全く出来ないが。w
460:日本@名無史さん
09/09/19 02:49:31
>>459
URLリンク(www.youtube.com)
●百済と日本の差異. そして七支刀の秘密
6世紀頃に描かれた外国人使者 梁職貢
で裸足だった倭人が4世紀に新羅を属国にできるわけないだろう(笑)
461:日本@名無史さん
09/09/19 03:46:34
■任那日本府の真実をもみ消そうとするへたれ日本人学者
いったい日本の古代史研究者はなにをしているのだろうか?歴史研究者でなく政治、イデオロギーに囚われた人間でしかない。
結局、日本帝国時代の悪いイメージ(これも歴史学者が事実をしっかりしないために根付いたひとつの問題)と古代歴史をくっつけて
研究してしまい、半島に気を使い、真実に近い論を言えない人々と言える。そこには何ら客観性・中立性や事実に近づこうとする精神はない。
半島で前方後円墳がいくつも見つかり、日本製ヒスイが各地で多く見つかり、中国や朝鮮の史書には倭人が攻めていたと書かれ、終いには
碑文には倭人が百済・新羅を破り臣民としたとまで書かれている状況でありながら、「ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団」が
伽耶地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたなどと、あくまで「倭人が~」と言えない半島主導の半島言いなり研究者たち。
これが本当の売国奴(歴史売国奴)と言えるのではないだろうか?これがまったく逆に、例えば九州あたりで新羅独特の墓が多く出て、半島で
しか取れない物が多く出土し、各国の史書や碑文に新羅人が倭人を攻め臣民にした、などと書かれていたら
「新羅人が」九州を支配していたなどと定説化していることだろう。
これまでの韓国の研究者の行動からして間違いない。どんだけ主張できない(わざとしない?)研究者達なのだろうか?
真実を求めはっきり主張できる研究者はいないのだろうか?
任那日本府を通じての半島南部の有効支配については否定する見解が提出されています。私の手元にある資料だけでも、
井上秀雄氏、鈴木靖民氏、鬼頭清明氏、田中俊明氏などです。
462:日本@名無史さん
09/09/19 05:00:04
>>460
チョン国の妄想歴史動画w
新羅建国は倭人によるものだし半島を属国にしたことは広開土王碑にもかかれている
463:日本@名無史さん
09/09/19 08:09:49
>>454
>へぇ君は自分の住んでる空(天)を「外」と言うのか。
>変わったやつだねw
へぇ、君にとっては高天原が「内」であって、君は高天原に住んでいるのか。
それとも天国かな?
>>453
>残念ながら大和は丹波の東北ではない。
>何処にそんな事が書かれてるのw
>>449が
>多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると
と書いたのに対して書いたまで。的外れで残念だったね。
464:日本@名無史さん
09/09/19 09:06:57
>>463
>へぇ、君にとっては高天原が「内」であって、君は高天原に住んでいるのか。
>それとも天国かな?
天を「外」という変わった君が何か無理やり言い返そうとしてるみたいだが、
高天原は日本にある架空の山、だから「内」だというのが俺の説だが。
だから何か?
465:日本@名無史さん
09/09/19 09:12:30
>>463
>多婆那=丹波で女王国がヤマトだと仮定すると
と書いたのに対して書いたまで。的外れで残念だったね。
まだ的外れてますよw
466:日本@名無史さん
09/09/19 10:03:14
■好太王碑の謎「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
●倭が百済や新羅を支配下においてしまうほどの軍事大国だったのか?
碑文の中でも常に論争の的となってきたのは、第一面の8行目後半から9行目にある。
「百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」の節です。
この文の意味は「百残(百済)と新羅はもともと高句麗の属民であり、高句麗に朝貢していた。
ところが倭が辛卯年(391年)より以来、海を渡って百残を破り、新羅を□□して、臣民にしてしまった」と解釈されてきました。
そこからは、百済、新羅を臣民にして、高句麗と対抗するほどの軍事大国だった倭のイメージが思い描かれます。
はたして、倭の実態はそのようなものだったのでしょうか。
戦後、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の研究者から異論がいくつか提出されました。鄭寅普(ちょんいんぽ)さんは
「百残と新羅は(好)太王のともに属民であった。しかるに、倭がかつて高句麗に来り侵し、高句麗もまたかつて海を渡って往きて
(倭を)侵し、相互に攻めあった。そして、百残は倭と通じて新羅に不利をはたらいた。(好)太王は、吾が臣民がなぜこのような
有様なのかと思った」と解釈しました。
朴時亨(ぱくしひよん)さんは「倭が辛卯年に侵入してきたために、高句麗は海をこえて彼らを撃破した。
百済は(倭をひき入れ)新羅を侵略し、それを臣民とした」とし、また、金錫亨(きむそくひょん)さんは
「倭が辛卯年に来たので(高句麗は)海を渡って百済を破った。そして新羅をもあわせて高句麗の臣民とした」とする解釈を下したのです。
また、碑文に記された倭が日本列島のヤマト政権のことを指しているのかということも問題です、西日本各地の豪族が率いた
海賊集団を意味するという説や九州北部におかれた百済の分国だとする説もあります。
少なくとも、4世紀後半の日本では、百済や新羅、はては高句麗まで攻め入るほどの軍事力を持っていたのかは大いに疑問です。
碑文に記された倭の文字は中国の王健群(わんぢぇんちゅん)さんによれば、周辺国中最多の11箇所にのぼります。
好太王の好敵手のように扱われていた倭の実態はいまだ多くの謎に包まれているのです。
467:日本@名無史さん
09/09/19 10:28:35
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
「北九州から東北へ進みますと、(日本海の孤島を別にしますと)人間の住んでいる場所で、
王様のいそうな場所といいますと、日本列島の日本海側だけです。
で、千里とはどのくらいかといいますと、仮に昔のシナの里を使っていたとしますと、
魏の時代の里は、
「一里=435メートル」
―なので、
「千里=435キロメートル」
―となります。
これを地図上で計りますと、鳥取から丹後のあたりになります。」
「西暦713年に《丹波国》の(都から見て)後ろの方が独立して《丹後国》になったので、
新羅云々の時代には《丹波国》と呼ばれておりました。
つまり、《籠神社》の一帯は、古代においては《丹波国》だったのです。」
なるほどねぇ…丹後(丹波)に決定だなw
468:日本@名無史さん
09/09/19 11:12:37
年代は特定できないが、「倭国」が北部九州だと
その東北千里に「タバナ国」があって
そこの王は「女王国」の女を王妃にしているという事だからね。
はっきり「倭国」と「女王国」は別とされている訳です。
ヤマト王権成立以前に、今の丹後地方に王権を持つ
強大な国らしきものがあったのは、
遺跡や出土品からも確実ですからね。
特に鉄の量の豊富さは、弥生後期の一時期は
北部九州の国を凌駕するとも言われてる位だし。
469:日本@名無史さん
09/09/19 11:42:12
いくつもの独立的な『国』があっても対外的には全部ひっくるめて倭国(連合的・同一民族的なまとまり)なんじゃないの
「倭国」内の始点(大陸に近い側)から東北千里に倭国のタバナ国があって、倭国の女王国から王妃を迎えている
470:日本@名無史さん
09/09/19 14:20:48
>>464
>天を「外」という変わった君が何か無理やり
「内」か「外」かは境界(ボーダー)しだいだ。村境をボーダーに
すれば隣村でも「外」だが、県境をボーダーにすれば隣村も「内」に
なる。
君が「天」は「内」だと言い張るのは、「宇宙」の果てをボーダーとして、
地球を含む宇宙ぜんたいが「内」だと言っているわけだ。
しかしそれだけの無理をやっても囲い込めるのは物理的な宇宙であって、
現実ならぬ形而上のものを囲い込むことはできない。
太陽の光の形で女の身体に入り込んでこれを孕ませてしまうものは
まさに人間社会の「外」にある形而上の力だ。
このような意味で、扶余や新羅の創始者は人間社会の「外」から来た
「外来者」なのだ。
もちろん、神話の中の話だよ。
471:日本@名無史さん
09/09/19 18:43:18
>>470
おまえ頭おかしいのか。
自分の生存行動範囲の天空を「外」なんて【日本人】は言わない。
そ れ だ け だ。
472:日本@名無史さん
09/09/19 18:55:35
それと
>>463の「君にとっては高天原が「内」か?」に、
そのとおりだと答えただけだ。
「日本領内」なので何も問題ない。
473:日本@名無史さん
09/09/19 19:50:11
>>457
同じようなことを聞かれて>>404を書いたんだけど、
分かりにくいところがあったかもしれない。
平たくいうと、そもそもは原型として、渡来してきた倭人が新羅の始祖
になったというシンプルな神話があったんじゃないかと思ってる。
支配者がヨソモノであることを強調することで、被支配者の原住民と
同じ地から生じてはいない、常人ではないと主張する意図があった
ということ。
しかしながら、第三者的な中国史書にもそれに類した話は載っておらず、
考古学的な物証もないから、この神話に史実性を認めることはほとんど
できない。新羅王墓をみても、一目で分かるような倭系要素はないからね。
ではなぜ、倭人出自という設定がなされたのかということだけど、まず
倭国が新羅にとって近すぎず遠すぎない海の向こうの異国であったこと、
そして国家戦略的に重要な位置づけにあり、高い関心が寄せられていた
ことがあったからだと思う。事実、新羅の外交を管掌する官司は7世紀
初めまで「倭典」と称されており、対倭関係の重視がうかがわれる。
474:日本@名無史さん
09/09/19 19:55:37
ところが、唐との関係が安定するにしたがって、新羅にとっての倭国の
格付けが下がり、また次第に華夷思想が受け入れられてくると、新羅の
始祖が渡来倭人であったとする神話は都合が悪いってことになってくる。
そんなわけで、神話の部分的改変が行われたんじゃなかろうか。まず、
始祖の渡来倭人王のキャラクターは分割され、卵生を特性とする始祖王
朴氏と、渡来倭人の能臣瓠公になったんだろう(朴と瓠は同じヒサゴを
意味する)。また、キャラの分割という方法によらず、始祖から代数を
ずらし、倭人の設定を少し変えたのが、第四代王の脱解だったんじゃ
なかろうか。倭人か否かと議論になってる曖昧な部分はそのように
出来上がったのだと思う。
この脱解は瓠公の家を詐取したという少々トリッキーなキャラクターだが、
他の説話が取り入れられることで、いたずら者のキャラが加味されたのかも
しれない。なお『三国遺事』には瓠公の宅地詐取の際、脱解が自らの祖先を
鍛冶屋と称したとあり、外来王と鍛冶が結び付けられているのは注目される。
鉄を求めに渡来した倭人のイメージが取り入れられたとも考えられる。
475:日本@名無史さん
09/09/19 23:20:54
>>461
>「ヤマト朝廷と深い関連を持つ集団」が伽耶地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたなどと、
↑これだけ言ってたらまだマシなほうかもしれない。
それだけ無茶苦茶になってる実情がある。
>>466
>戦後、韓国と朝鮮民主主義人民共和国の研究者から異論
馬鹿馬鹿しい。
476:日本@名無史さん
09/09/19 23:52:30
>>474
脱解も国はタバナだが人種は倭人に間違いないだろう。
宰相の瓢公は倭人と書けても、
4代目王を倭人と書けなかったのは、さすがに朝鮮人のプライドが邪魔したのだろう。
477:日本@名無史さん
09/09/20 02:33:03
■日本は,百済の継承国家である! 2009/02/11(水)
世界中,どの国の国民も自国の「建国の歴史」を明確に理解している
ただし,一国だけ例外がある. わが日本国である、日本だけは「建国の歴史」が
曖昧模糊(あいまいもこ)としている
日本という国がどのようにつくられてきたのか? ほとんどの国民が知らない、
日本にも「建国の日」があるが,神話(つくり話)上の日なので 出鱈目である
だから 「建国の日」が,賛成・反対,右派vs左派,「分裂の日」になっている
国民こぞって皆が祝える 「建国の日」 にするには,どうしたらいいのか?
それには,先ず “建国の歴史” をより明確・明瞭にする作業が必要だ
難問は,日本には “歴史のタブー” があることだ
タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
このことを,過去1400年間,日本国の支配者層はタブーにしてきた
日本古代唯一の歴史書 『日本書紀』 も,渡来人が天皇になって日本国をつくった
ことを隠すために書かれている
ところが,ご聡明な平成天皇は…,
「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫である…」
と,先祖に百済人がいることを明確にされた.さらに天皇陛下は…,
「宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります」
と,現在においても “渡来人の子孫” が宮内庁にいることを明らかにしておられる
平成天皇は,御自ら 「歴史のタブー」 を解き放たれたのである
URLリンク(www.geocities.jp)
>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
>タブーとは 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」 ということだ
478:日本@名無史さん
09/09/20 02:49:46
× 「日本国は外国人(渡来人)がつくった」
○ 「日本建国は外国人(渡来人)も関わった」
479:日本@名無史さん
09/09/20 03:06:06
■日本を作ったのは百済人 これは常識だ
ほとんどの日本人は,日本人あるいは日本国のルーツをキチンと言えない.自分たちのルーツが分からない…,世界でも珍しい現象だ
この原因は,日本には歴史書がないことだ.
『日本書紀』『古事記』.これらは日本に渡来した百済人によって書かれたものだ.両書とも,台本は『百済本紀』等々,百済國の歴史書だ
ではいったい,どうしたら日本のルーツが分かるのか?
中国は文字の国,そして歴史の国で,膨大な量の歴史書が残っている.韓国にも古い歴史書が沢山ある
もちろん『日本書紀』も重要な資料だ.
この日中韓の歴史書を読み抜き,徹底的に読み比べるのだ、すると,ルーツが辿(たど)れ,謎が解け,見えてくるのだ
いったい,我々の先祖はどこから来たのか?
……結論を急ごう.
7世紀,日本国は百済人がつくった.これは常識だ.では,百済のルーツは?
百済のルーツは,いくつもの中国史書に明確に書いてある.たとえば,『旧唐書』百済伝には「百濟國,本亦扶餘之別種」とある
これは,百済のルーツは「扶余」である,という意味だ.そう書いてある
つまり,「扶余」→「百済」→「日本」.日本のルーツ,それは「扶余」である
「扶余」とはツングース語の鹿(ブヨ)の漢字表記.「扶余」は鹿(ブヨ)なのだ
URLリンク(www.geocities.jp)
480:日本@名無史さん
09/09/20 04:55:32
■日本民族の歴史はない
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)
我が国に、とくに我々日本民族の歴史というものは厳密に言って存在いたしません。
一般に言われているように「日本書紀・古事記」をもって日本の史書として いますが、これらの中の
「神代の巻」という伝承神話は、旧満州及び今日の韓 半島方面における史実の断片の神話伝承化であります。
高天原(こま)= 後の高句麗の蓋馬(こま)大山(大古馬嶺山)
蒼みが原 = 黄海(古名が蒼海、前漢が滄海郡をおいた所の南海に
存在する海)
スサノウノミコトの大蛇退治の伝承
= 鴨緑江流域に於ける檀君王倹の邑樓(おろ・うむる)
八部族の平定が日本に伝えられ、スサノウノミコトの
ヤマタノオロチ退治と寓話化されたもの
数えあげたらきりがない程、満州及び韓半島との係わりあいが多く、書記・古事記を全て今日の日本列島に位置づけて語ることには無理が出てきます。
なお、日本書紀そのものが百済本紀の引き写しとも言われる故、或いは、神武東遷の伝承そのものが
百済の始祖・尉仇台の遼西方面からの東遷の史実が色 濃く投影されている可能性があります。
又、我が天武朝が楽浪朝鮮(馬韓)の後身であったこと、先の天智朝とは何の繋がりもないことなども、日本の歴史家達は口をつぐんでいます。
何とぞ先生におかれましては現地の歴史にお詳しいことと存じますので、これらの史実の実証の程をお願い申し上げます。
かつて、日本がその偏見と独善的な歴史解釈から誤った指導理念を生み出し、近隣アジア諸国なかんずく御国・韓国に対し、いかなる
結果をもたらしたか、小生は、過去の歴史が雄弁に物語っていることを知る一人の日本人であります。
山形 明郷 拝上
481:日本@名無史さん
09/09/20 05:12:27
>>479-480
電波はどんだけ発しても電波
482:日本@名無史さん
09/09/20 06:43:42
ということは韓半島は満州民族に支配されていたということでいいのかな?
483:日本@名無史さん
09/09/20 08:18:45
長文こぴぺしても無駄なのにね。
484:日本@名無史さん
09/09/20 08:53:10
>>471
>自分の生存行動範囲の天空を「外」なんて【日本人】は言わない。
この珍妙な文章を読んでいて、ふと思った。「生存行動範囲の天空」とは
ひょっとして「領空」という概念か?
今は飛行機があるから空も行動範囲で、国境を空に拡大した「領空」の
概念があるが、それを古代に投影しているのでないか?
>>472
>「日本領内」なので何も問題ない。
地上の国境などに囚われないでこそ天上界の有り難みがあるのに、
「日本領内」とは、高天原も落ちぶれたものだ。
485:日本@名無史さん
09/09/20 08:56:48
日本人の精神的領域だろうが
486:日本@名無史さん
09/09/20 09:38:41
>>484
もう一度言う。
縦軸は天地。
横軸が内外。
天を「外】なんていうアホはおまえだけ。
>地上の国境などに囚われないでこそ天上界の有り難みがあるのに、
>「日本領内」とは、高天原も落ちぶれたものだ。
分かった。おまえは高天原を空中にあるものと捕らえてるのか。
おいらは頂上に神々が住む聖山信仰と捉えてるのだ。
だから日本のどこかに高天原に見立てられた山があり、
その最有力候補は三輪山だけどね。
487:日本@名無史さん
09/09/20 20:41:48
>>486
なるほど、天孫族は三輪山に盤踞する山賊であったと。
まあ、古今東西、古代の支配者の始祖は山賊みたいなものだからあり得ない
話ではないな。
しかしいずれにしても自らを「天つ神」と称しているのだから、みずからを
人間界の「外」に由来するものと規定することによって人民や土着豪族と
差別化しようとしているのは間違いないではないか。
488:日本@名無史さん
09/09/20 20:50:24
ついでに「高天の原」について世人の見方を書いておこう。
広辞苑:日本神話で、天つ神がいたという天上の国。「根の国」(私注、死者の国)、
葦原の中つ国(私注、日本)に対して言う。
ウィキ:
<作為説>
神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原がどこにあったかなど
と考えること自体が無意味であるとする説。(中略)現在でもほとんどの学者
は、高天原神話は支配階級を天上界に由来するが故に尊いとする信仰を語った
ものであるという説に与しており、思想的には別として次の天上説と実質的には
同じである。
<天上説>
高天原は神の住まう場所であるから天上に決まっており、それ以外の場所を
考えるのは不遜であるとする説。(中略)戦前は皇国史観と結びついてこの
考え方が主流であった。
以下、各種地上説が紹介されているが、そのなかに三輪山説はない。
489:日本@名無史さん
09/09/20 22:08:43
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
490:日本@名無史さん
09/09/20 22:44:44
隋書によれが新羅は「附庸於迦羅国」つまり加羅に従属していた。
新羅は加羅の属国であった。
このことがあまり問題にされないのは不思議だ。
491:日本@名無史さん
09/09/20 23:44:46
属国もなにも任那も加羅もすでに新羅に滅ぼされてたんだけど
492:日本@名無史さん
09/09/21 04:38:07
URLリンク(blog.kodai-bunmei.net)
●高句麗→新羅→出雲
石川県小松市の地元では、小松は「高麗津(こまつ)」であるとささやかれているようです
出雲の文化と信州、東国の文化は新羅系の仏教文化である、それに対して大和の仏教文化は百済系である
あらら・・百済系だけでなく出雲まで新羅系とは・・(わかってたけどw)
ね、日本人って一体なんなの?
ね、 な ん な の?
493:日本@名無史さん
09/09/21 05:05:46
出雲は神道の本拠だろ
得体がしれないのは朝鮮人だよ
エベンキ族だけど
494:美濃もん太 ◆hF.jG29Cew
09/09/21 06:08:30
>>487
つか高天原は美濃から神坂峠を登った信濃の高原地域の事だってば
アマテラスが産まれた場所は中つ国の阿木
で、中つ国の恵那山にはイザナミとアマテラスのエナが祀られてるよ
で、神坂峠を越えると信濃高原
ここが高天原だよ
ちなみにアマテラスは皆神山み祀られてたけど、後にその岩戸は開けられて戸隠し山に捨てられた
だいたい「天」って漢字が付いてるからって大げさに考え過ぎ
そもそもアマテラスの「アマ」は「雨(あめ)」の意味だよ
ちなみに大国主から国譲りを受けたのがアマテラスの御子。でそのアマテラスの御子達は国造りを行い各地を治めたってだけ
ちなみにアマテラスの御子である天孫降臨の日向三代が国造りに降り立った地は乾国だっての
495:日本@名無史さん
09/09/21 06:40:57
>>487
>みずからを人間界の「外」に由来するものと規定することによって人民や土着豪族と
差別化しようとしているのは間違いないではないか。
まだ言ってるのかおまえ、神経症のようにしつこいやつだな。
高天原山上にすむ神々の子孫であり縦軸における「天」
「外」は化外。
残念だな新羅建国神話と違って。悔しいのうw
>そのなかに三輪山説はない
三輪山というのは纏向遺跡など考古学的な要素から考えた俺の私見。
496:日本@名無史さん
09/09/21 06:47:28
× 「外」は化外。
○ 「外」は化外という言葉があるくらい横軸。
497:日本@名無史さん
09/09/21 07:02:07
>>492
>小松は「高麗津(こまつ)」であるとささやかれているようです
おまえらチョンが「ささやいてる」のだろ?w
百歩譲って高麗津であったとして、
高麗を他所として識別してるのだから、
識別してるその実体は日本人たちだね。
498:日本@名無史さん
09/09/21 07:42:40
だんだん倭人が追いやられた、ということになるか。
どさくさにまぎれて、だと思うが。
新羅なども、初期は倭人だらけの国であったが、金氏などに乗っ取られた
これは色々な記録からわかることだな。
日本の都市部が在日韓国人に乗っ取られ、国政にも食い込まれつつあるのと
同じように思える。
結局は、自分が大和、いわゆる倭人の系統なのか、中華やフヨなのか、という自覚で
民族を分けるしかないだろうな。
499:日本@名無史さん
09/09/21 07:49:39
>>492
古墳ができるころの時代は、百済や新羅あたりは
中国の記録では倭人だらけであるとされている。
倭人は日本人のみの先祖のはずであるから、問題は無いよ。
金とかいう一族が新羅を乗っ取ったのは、古墳時代も終わろうかという頃だし。
それ以前は、高麗の記録にさえ倭人が王で倭人が大臣で・・・と書かれてある。
500:日本@名無史さん
09/09/21 08:10:55
>>498
>在日韓国人に乗っ取られ
一等地がかなり乗っ取られたという人が多いが、
そこで汚い商売してれば結局ダメになってる。
俺にとって「乗っ取られるというのは、
例えばソニー、ホンダ、松下、三菱などの大企業がチョン系であった場合、
はじめて「あぁ乗っ取られた」という感想を持つが、
実際はそうでないので日本が乗っ取られなんてしてないよ。
>結局は、自分が大和、いわゆる倭人の系統なのか、中華やフヨなのか、という自覚で
>民族を分けるしかないだろうな。
自分のY染色体で男系遺伝子を調べればいいだけ。
今じゃ簡単。
面白いのは母系を示すミトコンドリアではチョンとの共通性が見られるが、
父系のY染色体では皆無に等しいのだ。
501:日本@名無史さん
09/09/21 13:44:43
>>491
>属国もなにも任那も加羅もすでに新羅に滅ぼされてたんだけど
それは6世紀の話。
隋書の記述は年代を示してないが、「百済が高句麗を圧迫したので高句麗人
は新羅に帰化するものが多かった。帰化した高句麗人のおかげで新羅は
強盛になり、(それ以前従属していた)百済に替えて加羅に従属した」
となっている。
百済のほうが高句麗より強かった時代と言えば漢城時代、すなわち
475年より以前だろう。
そのころ、新羅が加羅に従属していた時期があったということになる。
502:日本@名無史さん
09/09/21 13:55:14
>>495
で、君の意見によれば、天孫族はもともと三輪山にいたのか?
それとも別の場所からやって来て三輪山を占領したのか?
503:日本@名無史さん
09/09/21 17:34:15
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
504:日本@名無史さん
09/09/21 18:53:00
>>502
見てたんだけどさ、天=外って概念を証明できる根拠あるの?
505:日本@名無史さん
09/09/21 19:24:16
>>502
日向から来て三輪山周辺にに住んだ可能性高いと思うよ。
西都原古墳群と畿内の古墳群の連動性を見てそう思う。
占領ではなくて三輪山祭祀を通じて各地方が連合を組んだのが大和王権だろう。
506:日本@名無史さん
09/09/21 21:02:14
>>505
>日向から来て三輪山周辺にに住んだ可能性高いと思うよ。
なるほど、大和土着の人々にとっては「外来」だな。
そして、それならば普通に、日向が高天原ではないか。
507:日本@名無史さん
09/09/21 21:20:50
>>504
>見てたんだけどさ、天=外って概念を証明できる根拠あるの?
君は宇宙人が地球人にとって外来者であるという概念を証明する必要が
あるのか?
508:日本@名無史さん
09/09/21 21:34:24
元々日向にあってもおかしくないが、
所詮神話上の想像の山なのであろうから細かく拘ることでもなかろう。
どっちにしても3世紀頃の三輪山周辺から王権が始まってる事を考えれば、
三輪山を高天原に見立てることで各地域の豪族をまとめたのではないかと思ってる。
509:日本@名無史さん
09/09/21 21:46:50
>>507
それは地球内と地球外だから「天=外」とは関係ないよ。
510:日本@名無史さん
09/09/22 00:42:13
>>499
URLリンク(blog.kodai-bunmei.net)
日本人の起源:“倭人”のルーツは中国大陸の呉・越
511:日本@名無史さん
09/09/22 04:57:00
ブログw
512:日本@名無史さん
09/09/22 08:16:23
>>509
>それは地球内と地球外だから「天=外」とは関係ないよ。
宇宙=天だ。
古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。
だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、古代人に
とっては「地上界は内、天は外」だ。
これを古事記の言葉で置き換えれば
「葦原の中つ国は内、高天原は外」になるわけだ。
もちろん、内か外かは立場次第だ。高天が原もそこに住む天孫族に
とっては「内」だ。
高天が原が「外」だというのは、古事記を読む古代の一般人の立場だ。
513:日本@名無史さん
09/09/22 08:24:06
何で自分らの祖先が外なんだよ
514:日本@名無史さん
09/09/22 08:37:38
>>513
天孫族は日本人一般の祖先ではない。天皇を中心とする支配者の祖先だ。
それとも君は皇族なのか?
515:日本@名無史さん
09/09/22 08:50:09
天孫という記録を、「記録を全て事実」と見るなら
天孫族も国津神も同族と記されている。
アマテラスとスサノオが兄弟だからだ。
また、ハヤトとヤマトは兄弟であるようにも記録されている。
源氏、平家は帝の子孫であるからその子孫は全て同族。
藤原氏はアメノコヤネの子孫とされているから、天孫。
で、大半の日本人は源氏や平家、藤原氏、イズモ、ハヤトの子孫であるから
記録を事実と見るなら、大多数の日本人は天皇の子孫、または直系男子で無くとも親戚。
帰化人系の秦氏、漢氏(彼らも日本人の半数は居るだろう。)
らも1500年も日本人として生き混血しており差別は無い。
516:日本@名無史さん
09/09/22 08:53:43
508
>三輪山を高天原に見立てることで各地域の豪族をまとめたのではないかと思ってる。
地上説をとるにしても、高天原の場所は古事記にちゃんと書いてある。
「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺に天下りまさしめき」
つまり高天原を出発して九州のどこかの山に着いたのだが、問題はその
後で:
「・・ここはいとよき所なり」と詔りたまいて・・高天原にひぎたかしりて
坐しき」とあることだ。
つまり、出発地も、到着地も、高天原なのだ。ここに地上説がつけいる
余地がある。
しかしいずれにしても、古事記に則れば三輪山ではない。
517:日本@名無史さん
09/09/22 08:57:45
>>512
>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、古代人に
>とっては「地上界は内、天は外」だ。
だから天を外と書いてる文献、史書でも随筆でもなんでもいいから出せよ。
518:日本@名無史さん
09/09/22 09:03:03
>>515
>天孫族も国津神も同族と記されている。
君がスサノオや源氏の話をしているのなら、それは臣籍降下の話だ。
スサノオは高天原を追放されて地上界に来たのだから臣籍降下の
はしりだ。
支配者がはじめから、「私は君たち土着豪族や一般人民と同じだよー」
と言うのなら、扶余の卵生神話や日本の天下り神話は必要ない。
519:日本@名無史さん
09/09/22 09:06:20
>>512
>古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。
その通り。だからずっとそれを言ってるわけだ。
にも関わらずむりやり「天=外」なんて概念持ち出して、
外国人に王権簒奪された新羅神話と同一視させようとしてたのはお前だろ。
>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、
>古代人に とっては「地上界は内、天は外」だ。
現代人の感覚を古代人に当てはめるな。
【古代人は「宇宙」という言葉も概念もないのだから「天」と言うしかない
ではないか。】とたった今言ったばかりではないか。
アホかおまえは。
520:日本@名無史さん
09/09/22 09:07:45
>>518
違うと思うのは、それは君の「想像」だろ。
同族であるかのような「記録」のほうが確かなはずだが。
記録というと、中立国の記録はどうか。
魏史倭人伝
女王国東渡海千余里復有国皆倭種
皆倭種とかかれており、百済のようなフヨ、倭、漢の区別も無い。
もともと全部倭族だとされている。
521:日本@名無史さん
09/09/22 09:54:24
>>512
>だから我々にとって「地球は内、宇宙は外」であるのなら、
>古代人に とっては「地上界は内、天は外」だ。
おまえって古代人が地動説で自分たちが住んでるのは、
地球って言う一つの星であると知ってたとでも思ってるのかよ。
馬鹿じゃねこいつw
522:日本@名無史さん
09/09/22 11:42:07
>>520
誰が民族の話をしたのか。君が>>515で氏族に由来する身分の話をした
から、それに沿って答えたのだ。
私がはじめから言っているのは、支配者がみずからを超絶した「身分」に
置くために、自分が外来者であるかのような説話をこしらえる、という
話をしたのだ。
もちろん、本当に外来者である場合もあるし、清国における満洲族のように
民族が即ち身分である場合もある。
しかしそれはまた別の話だ。
523:日本@名無史さん
09/09/22 11:56:50
考えてみると、君にとっては「外来者」という言葉が躓きの石なのかも
しれない。漢語は意味につきすぎるから、「外」の字にこだわって
しまうのだ。
では英語で言えばなにか。それはalien、アライアンだ。alienを辞書で
引いてみよう。形容詞のほうで言えば、
1)外国(人)の
2)異質な、相容れない
3)地球上のものでない
4)外来の(動植物など)
このなかに卵から生まれた人、天上界から来た人、宇宙から来た人、
外国から来た人、超絶した身分の人など、全ての概念が入っている。
卵生や天下りの始祖伝説は、支配者の始まりをアライアンとする
ものなのだ。
こう言えば「外」にこだわることもあるまい。
524:日本@名無史さん
09/09/22 13:33:39
>>523
訂正:
発音を間違えた。alienはアライアンではなくエイリアンだった。
すまん。
ついでに「超絶した身分の人」は「超絶した人となりの人」と
訂正する。言葉を思いつかなかった。
525:美濃もん太 ◆hF.jG29Cew
09/09/22 13:36:54
>>518
高天原も地上だっての
なんでそんなメルヘンな解釈するの?
526:日本@名無史さん
09/09/22 17:12:20
>>522
>>523
君の長ったらしい講釈は良いからさ、当時の書籍または文献に天=外と言う
意識があったかどうかを教えてくれよ。
英語とか持ち出してきても、当時の人間がそう考えていたかどうかは別物。
君の頭の中の妄想はどうでも良いんだよ。ホント。
527:日本@名無史さん
09/09/22 18:32:37
>>523
だからアマテラスやニニギは、
1)外国(人)の
2)異質な、相容れない
3)地球上のものでない
4)外来の(動植物など)
ではないじゃん。
何を言ってるのかな、おまえ。
528:日本@名無史さん
09/09/22 18:57:02
>>527
まあまあ。
落ち着いて「天=外」という意識があったという根拠を待とうじゃないか。
出せなかったらこき下ろしてやれば良いんだ。
韓国面に陥ったら元も子も無いぜ?
529:日本@名無史さん
09/09/22 19:34:13
>>527
アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
「地球上のものでない」に該当する。
もちろんそれは地球人とは「異質」でもある。
また地球(地上界)が内であるのに対する「外来」でもある。
高天原は地上だと言ってもダメだ。それは神話の、一つの俗解に過ぎない。
神話の主張するところは天上界だ。
>>528
>>512ですでに説明した。考え方なのだから証明や根拠の問題ではない。
それが理解できないのならそれで終わり。待ってもむだだよ。
530:日本@名無史さん
09/09/22 20:16:43
>>529
つまり、
「ぼくちんはこう考えてるよ。根拠は無いけどね。」
って事か。
だったら
>高天が原が「外」だというのは、古事記を読む古代の一般人の立場だ。
とか証拠も出せない妄想を書き込むなよw
531:日本@名無史さん
09/09/22 21:22:36
>>530
どうも君の考え方がわからん。
古代の一般人にとって、天上界が「内」だという考え方をよく説明して
くれ。
「考え方」だよ。私は「証拠」などと馬鹿なことは言わない。
532:日本@名無史さん
09/09/22 21:29:01
>>531
何で?
君の「考え方」を、古代人が持っていたかどうか聞いてるだけだよ?
その「考え方」を古代人がしていなかっただけ。
もし「天=外」と言う意識が古代にもあったなら、それを出せば事足りる。
でも実際には天=外のような記述は無い。
それが全て。
つまり、君の考え方は君自身の頭の中だけにあると言う事。
533:日本@名無史さん
09/09/22 23:05:18
/~~~ 皇国の興廃
∧_∧ / ● / この一戦にあり
(・ω・´ ) /~~~ 瑞穂の国を愛する
( つ 国民たちよ団結せよ
Y ノ、 日本人の怒りを
(_)J 見せてやろうぞ
【外国人参政権断固反対!全国リレーデモ開催中】
9月13日は北の大地「札幌」で雨に負けないデモ行進
9月20日は三英傑を生んだ「名古屋」で前回を上回る威風堂々の大行進
次の決戦地は首都東京・秋葉原です!
9・27外国人参政権断固反対!『東京』デモ/秋葉原(ニコニコ動画で生中継予定)
【集合場所】秋葉原公園※出発および解散地になります
13:30集合 13:45デモ出発 14:45デモ解散
【デモコース】
秋葉原公園発 - 昭和通り - 神田明神通り - 昌平橋通り - 万世橋交差点 - 秋葉原公園着
雨天決行
日章旗、プラカード持参大歓迎
特攻服など現場にそぐわない服装はご遠慮ください
当日は撮影が入りますので、顔を写されたくない方は帽子サングラスなどをご持参ください
主催:在日特権を許さない市民の会
URLリンク(www.zaitokukai.com)
10月4日(日)『福岡』天神 警固公園・10月10日(土)『大阪』新町北公園
534:日本@名無史さん
09/09/23 04:56:44
>>514
天孫からみんな生まれたってのが神話だろ
535:日本@名無史さん
09/09/23 05:06:39
>>529
>アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
>「地球上のものでない」に該当する。
アホ丸出し。
天動説の当時、地球なんて概念あったのか?
アマテラスやニニギは神々。
神とは崇高なる者。
神々が住むところはあくまで天。
536:日本@名無史さん
09/09/23 05:13:27
だいたい何で英語を引き出してきて
その解釈内に引き込もうとしてるのかな。
まったく意味がない。
537:日本@名無史さん
09/09/23 05:14:16
横から失礼。
天動説つーのは中世ヨーロッパで信じられた説
日本は関係ない。
538:日本@名無史さん
09/09/23 05:17:32
>>537
日本人は地球が一つの星であり太陽の周りを回ることを知ってたと?
539:日本@名無史さん
09/09/23 05:29:56
>>537
仏教では須弥山という超高山の廻りを月や太陽が廻ってると考えられてた。
高天原というのも須弥山と同じ意味であろう。
これらは地が動かず天が廻ってるというのだから天動説に含まれる。
540:日本@名無史さん
09/09/23 06:07:51
>>531
>古代の一般人にとって、天上界が「内」だという考え方をよく説明して
くれ。
5歳の子供に例えよう。
子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。
分かったかな?
541:日本@名無史さん
09/09/23 06:22:59
日本人の精神世界内でのことなんだから内だろ
542:日本@名無史さん
09/09/23 08:36:40
>>529
>アマテラスやニニギは高天原という天上界に住んでいたのだから
>「地球上のものでない」に該当する。
エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
という解釈が付け加えられたのは、
主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。
それ以前にも、火星にはタコのような生き物がいるなんてヨタ話も欧米で出回ってたみたいだが、
どっちにしても近年に出来た意味合いだ。
それでもって古代日本の説明になるわけない。
543:日本@名無史さん
09/09/23 08:38:16
>>540
やっと出て来た「考え方」がそれか。
天上界=おとうさん、おかあさん >内
理解できる人がいるかな。かえって5歳児なら直感的に理解するかもしれない。
君の「考え方」だからそれはそれとして尊重して、私の「考え方」を示そう。
以前に「内、外」を境界で説明したが、また「属する」という考え方もできる。
我々にとって日本が「内」、外国が「外」であるのは、我々が国境の
内側にいるからだとも言えるが、また我々が外国ではなく日本に
「属している」からだとも言える。
さて、古事記は世界を「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて
いる。国つ神や一般人民は「葦原の中つ国」に属している。
天孫族は「高天原」に属している。死者は「根の国」に属している。
それぞれ属する先が異なる。
そうであれば、国つ神や一般人民は高天原に属していないのだから、
高天原は彼らにとって「外」であり、高天原から天下った天孫族は
彼らにとっては「外来者」である。
これが私の「考え方」だ。おとおうさん、おかあさん説よりはわかりやすい
のでないか?
544:日本@名無史さん
09/09/23 08:45:20
だから日本人の精神世界内でのことなんだから内だよ
545:日本@名無史さん
09/09/23 09:19:04
>>543
>540は君が質問してた人ではなくて横レスだったのだが、まぁいいだろう。
>そうであれば、国つ神や一般人民は
>高天原に属していないのだから、
>高天原は彼らにとって「外」であり、
大八島の「内」での事だからね。
言い張っても「外」にはならないのだ。
また、
>「高天原」「葦原の中つ国」「根の国」に分けて いる
と言われても、それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。
何回同じこと言えば分かるのかな?
5歳児の方が理解力あるぞw
546:日本@名無史さん
09/09/23 13:23:47
>>545
前から言おうと思っていたが、まさか、と思って言わなかった。
>それは縦軸を示す「高中低」であって「外」にはならないよね。
>何回同じこと言えば分かるのかな?
この文章は君の基本的な誤りをよく表している。
「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
があるのだ。
なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
には「内外」の区別が生じるからだ。
例えば地面を塀でしきることによって我が家と隣家との境界が生じ、我が家に
属する「内」と、隣家に属する「外」が生じる。
それを、「それは隣近所であって内外ではない」などと言っても始まらない。
つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
書いてしまうのだ。
547:日本@名無史さん
09/09/23 13:30:56
>>542
>エイリアンという言葉に「地球上のものではない」
>という解釈が付け加えられたのは、
>主にハリウッド映画「エイリアン」が大ヒットして後のこと。
私もそれは若干あると思う。
しかし、映画が地球外生物に対して「エイリアン」という言葉を
使うことができたのは、この言葉がもともと「異質の、外部の」という
意味であったからだ。
つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
ものでない」という意味になってしまうのだ。
いずれにしても、神話上の天孫族や扶余の始祖が「エイリアン」だと
いうのは、我ながらうまい用語だと思うよ。
548:日本@名無史さん
09/09/23 14:41:41
ひどい水掛け論だなぁ
いつまでこんなの続けるつもりなんだみんな……w
549:日本@名無史さん
09/09/23 17:25:31
>>546
横レスだが、あんたの「内外」は平面的な内外だったんじゃないのか?
で、その目的は高天原を外国に比定し、日本を朝鮮人の祖先が作ったという妄想にふけること。
550:日本@名無史さん
09/09/23 18:07:00
>>546
>つまり、「高中低」と「内外」は全く別の尺度、判断基準なのだ。
>そこをごっちゃにするから「それは高中低であって内外ではない」などと
>書いてしまうのだ。
ごまかすな。
内外は大八州での概念だ。、
その中の高中低だと言ってる。
会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
君は日本語をもっと勉強した方がいい。
さて「天=外」の文献を示せないなら君の脳内だけの話となるがそれでいいのか?
551:日本@名無史さん
09/09/23 18:10:40
>>547
>つまり地球に関連して「エイリアン」を用いれば、それは「地球の
>ものでない」という意味になってしまうのだ。
だから古代の日本には地球という概念なかったのだから、
そんな例え使っても意味ないだろうに。
真性のアホかおまえは。
552:日本@名無史さん
09/09/23 18:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。
かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。
佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。
考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。
それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
553:日本@名無史さん
09/09/23 19:07:05
>>546
>「高中低」であれ何であれ、あらゆる「範囲」「広がり」には「内外」
>があるのだ。
>なぜならば「境界」や「所属」を設けることによって、あらゆる「広がり」
>には「内外」の区別が生じるからだ
君の私見はけっこうだが、日本の歴史においてそのような解釈があったという例を出してくれ。
なければまったく意味がないからな。
554:日本@名無史さん
09/09/23 19:50:44
>>551
君が引用した文章は映画の話。間違えるな。
だが、神話上の天孫族や扶余の始祖を「エイリアン」と呼ぶのは、
現代の言葉で古代の事象を表現しているわけだ。
しかし天孫族は三輪山にいた九州系の豪族だ、と言ったところで、
「九州」「豪族」「天孫族」という言葉が古代にあったわけではない。
現代語で古代の事象を表現しているのは同じことだ。
言葉の意味範囲が対象をうまく表現していれば、現代語だろうと
英語だろうとかまわないのだ。
555:日本@名無史さん
09/09/23 19:55:41
>>553
私は一般論を説明しているのだから、一般論で反論してくれ。
文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。
文献というなら、「天=おとうさん、おかあさん、だから天は内」の
文献を出したらどうか。
556:日本@名無史さん
09/09/23 23:44:41
>>555
>文献を出せ、というのは一種の「逃げ」だ。
おまえが逃げだろうが。
天=外が歴史上使われてない概念なら、
それにどんな意味があるのかと何度もおまえに問うているのだ。
>私は一般論を説明しているのだから
だから天=外なんてそんな一般論があるのかと聞いてるのだ。
通常使われてないなら君の脳内ろんだろうが。
>一般論で反論してくれ
だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。
これに文献を出せとはどういう意味だ。
これこそ一般論だ。
逃げるな。
557:日本@名無史さん
09/09/23 23:48:23
>>555
それとおまえは都合の悪いことは無視してるが、
>会社で言えば取締役、中間管理職、平社員と同じ。
>平社員からみて取締役を外部なんて言わないよね、同じ会社なんだから。
>君は日本語をもっと勉強した方がいい。
これに一般論で反論してみろ。
558:日本@名無史さん
09/09/24 02:22:35
何の議論をしてるんだかわからなくなってきたぽ…
559:日本@名無史さん
09/09/24 08:52:35
何も難しくない。
日本神話の神々を無理やり「外来」にしたいやつ(1名)が、
自分の屁理屈を一般論と摩り替えてごまかしてるだけ。
560:日本@名無史さん
09/09/24 09:23:46
>>556
>だから「子供にとって「お外に行きましょう」とはおうちを出ることだな。
>普段、そのおうちにはお父さんとお母さんがいるよね。
>天上界(の神々)とはおうちにいるお父さんとお母さんのことなのだ。
>うちにいるお父さんとお母さんは「外」にいることにならないよね。」なのだ。
もはや幼稚園児がだだこねているのと変わらなくなって来たな。
この辺で打ち切ろう。スレを浪費して皆さんにも申し訳ないし。
561:日本@名無史さん
09/09/24 11:00:07
ヤタガラスは外来の物のアレンジだな。
562:日本@名無史さん
09/09/24 12:13:44
谷田ガラスは韓国起源だよ
563:日本@名無史さん
09/09/24 14:02:19
俺の第三の足は風呂場で上手く玉をグリップしてる
564:日本@名無史さん
09/09/24 14:55:33
倭のタバナ国の謎は面白いですね。当時の半島との係わりを説明するのに便利かも。
邪馬台国とどうつながるのかも妄想したくなりますw
565:日本@名無史さん
09/09/24 16:10:26
>>560
「ぼくちんの考えはこうだよ、すごいでしょ!」
って言いたいならチラ裏にでも書いとけ
566:日本@名無史さん
09/09/24 18:39:52
>>560
だいたい日本の神々は天地初発。
URLリンク(homepage1.nifty.com)
エホバのように在って在る神でもあるわけだ。
何で「外来」なんだよ、このハゲが。
567:日本@名無史さん
09/09/24 18:57:21
新羅のように外来人に支配された歴史を持ってると、
結局、近代でも外国人に支配される歴史になるんだね。
血筋って怖いね。
568:日本@名無史さん
09/09/24 19:02:37
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
569:日本@名無史さん
09/09/24 19:17:59
>>567
新羅を馬鹿にすることはできない。
日本が白村江で負けて唐恐怖症になり、博多に600人の唐軍に上陸
されてもひたすらかしこまって軍需品を差し出していた同じ時期に、
独力かつ実力で唐軍に敵対し、ついには半島から追い出したのだからね。
570:日本@名無史さん
09/09/24 21:33:19
>>569
唐の力を借りた時点で独力でもなんでもないだろ。
571:日本@名無史さん
09/09/24 22:21:34
>>570
唐の力を借りて唐を追い出したとでも主張するのかw
572:日本@名無史さん
09/09/24 22:40:07
>>569
URLリンク(ja.wikipedia.org)
[旧百済領を占領していた唐とその支配権をめぐって対立し、
670年から争ったが、676年に唐軍を半島から追い出し、
旧高句麗領の南半分と合わせて朝鮮半島をほぼ統一することに成功した。
これ以後を日本では統一新羅時代と呼んでいる。
半島統一後、唐に対して謝罪外交をする一方、
引き続き唐との小競り合いが続いたので関係は緊張し続け...]
謝罪外交してるじゃんw
573:日本@名無史さん
09/09/24 23:34:56
負けて謝罪する倭とは大違い
574:日本@名無史さん
09/09/24 23:44:57
あれ?
倭って謝罪したっけ?
575:日本@名無史さん
09/09/24 23:45:49
新羅は負けても無いのにあやまったの?
戦う前からあやまったの?
なぜ?道徳的におかしいことをしたからかな?
本来は中国の土地だった半島東部、日本の土地だった半島南部、それを盗んだから?
576:日本@名無史さん
09/09/25 00:19:40
>>571
唐の力を借りながら、恩人に対して仇で返す。今の朝鮮人に通じるね。
577:日本@名無史さん
09/09/25 01:15:02
>>576
朝鮮戦争時、アメリカに助けてもらったおかげで今の韓国が存続してるのに、
この何年かの酷い反米行動と同じだね。
578:日本@名無史さん
09/09/25 01:59:18
朝鮮戦争以前にアメリカがいなきゃそもそも独立してないし。
大日本帝国という列強の一部として幸せに暮らしてたのに。
アメリカのせいで中進国にされた。
経済的にも政治的にも大損害。
今も主要先進国には絶対入れない状況。
579:日本@名無史さん
09/09/25 08:38:06
>>575
一応戦争に勝っておいてから册封を受けるのが中華の周辺諸国にとって
有利な生き方なのだ。後にベトナムも同じことをやっている。
戦争に完敗してから册封を受ければ、清国に対する李氏朝鮮のような
みじめなことになる。
>>574
日本が大量の軍需物資を差し出したのは一種の賠償だ。
しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。
580:日本@名無史さん
09/09/25 09:02:56
そりゃ拡大解釈しすぎ
「~と同じ」だけで論理を組み立てる
机上の空論にさらに空論を重ねている。
581:日本@名無史さん
09/09/25 09:40:07
『旧唐書』劉仁軌伝に「麟德二年、封泰山、仁軌領新羅及百濟、耽羅、
倭四國酋長赴會、高宗甚悅、擢拜大司憲」とあり、白村江敗戦の翌々年、
唐の総大将劉仁軌に率いられる形で「倭国酋長」が封禅の儀に参加させ
られており、このとき唐に対する倭の降伏と謝罪が行われたと考えられます。
「倭国酋長」は倭王とは思えませんが、王子が派遣されたのかもしれませんね。
582:日本@名無史さん
09/09/25 12:25:39
>>579
>しかもその後に朝貢しているのだから謝ったのと同じだ。
しかしその後に聖徳太子が册封破ったのだからなかったも同じだ。
583:日本@名無史さん
09/09/25 12:29:00
>>582
?聖徳太子の後の時代の話だろ。
584:日本@名無史さん
09/09/25 12:39:13
>>581
「筑紫の君、薩野馬」が、唐軍二千とともに帰還したと日本書紀は記している。
585:日本@名無史さん
09/09/25 12:53:54
>>582
その時は聖徳太子死んでます。
時系列が判らない人こんにちは。
時制の表現に不足がある言葉なんて捨ててしまおうね。
586:日本@名無史さん
09/09/25 15:57:31
>>585
て言うか日本は唐の冊封受けてないし。
受けたと言うなら官職名と当時の日本の暦号と唐の暦号を出してみろ。
587:日本@名無史さん
09/09/25 16:56:20
>>586
冊封と朝貢は別物。
冊封受けてなくたって朝貢は成り立つ。
お馬鹿さんにはちょっと難しいかな?
588:日本@名無史さん
09/09/25 17:25:15
遣唐使を廃したから朝貢は無かったも同じだww
589:日本@名無史さん
09/09/25 17:28:59
>>579
日本が大量の軍需物資を供出したなんて初めて聞いたな。
出展求む。
590:日本@名無史さん
09/09/25 19:26:38
倭の五王の時代は朝貢。
ただし半島をめぐる領有権を認めさせるためのもので、
他の朝貢国のような自国を認めてもらうための冊封という意味合いはない。
遣唐使は
形式「朝貢」実質「留学」
先進文化を学ぶためのみ存した。
政治的意味合いは皆無。
591:日本@名無史さん
09/09/25 19:35:43
遣唐使は
・政治的に土下座
・文化的にも土下座
・倭列島の統治権すら承認されず
ひどいな・・・
592:日本@名無史さん
09/09/25 21:18:36
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
593:日本@名無史さん
09/09/25 21:28:36
文献が残っていない国ってなんなの?
594:日本@名無史さん
09/09/25 21:46:21
>>591
>倭列島の統治権すら承認されず
承認されずとも元から日本のだし。
承認されないと統治できなかった朝鮮半島と比べるな。
にしても・・・
・政治的に土下座
・文化的にも土下座
これって朝鮮の歴代王朝のことじゃね?
595:日本@名無史さん
09/09/25 22:27:10
>>584
『日本書紀』をみてみると、天智天皇4年(麟徳2年、665年)条の
「是歳、遣小錦守君大石等於大唐、云々。等謂小山坂合部連石積・
大乙吉士岐彌・吉士針間。蓋送唐使人乎」が対応するようです。
「唐使人」というのはこの年に来航した劉徳高、百済禰軍、郭務悰
を主とする254人で、守君大石、坂合部連石積らはその送使となり
ました。岩波『日本書紀』の補注によると、守君大石の官位が小錦
と送使にしては高いこと、劉徳高が泰山に近い山東省沂州の司馬
であったことから、劉徳高の来航および守君大石の遣唐の目的は
封禅の儀への参加であった可能性が高く、また実際に封禅の儀が
執り行われたのは麟徳3年正月で、おそらく彼らは封禅の儀には
間に合わなかったろうが、遅れて参加したのだろうとしています。
596:日本@名無史さん
09/09/25 22:31:56
>>589
横レスですが。
天智の崩じた直後、以前より筑紫に来航していた郭務悰らに対し、
甲冑弓矢、ふとぎぬ1673匹、布2852端、綿666斤が供与されています
(天武天皇元年3月条)。武具はいうまでもなく、糸・布・綿も帆布やら
防寒具になるわけで立派な軍需物資です。
>>590
倭の五王の時代は都督某諸軍事某将軍および倭国王の官爵を受けて
いるわけですから、倭王は冊封されています。一方、遣唐使の時代は
官爵を受けることなく遣使のみ行っているので、不臣の朝貢国という
扱いになります。
それから、「政治的意味合いは皆無」というのはどうなんでしょうか。
正式な国使を派遣するということは政治的行為に他ならないと思うの
ですが。遣唐使の本質は王権の代替わり事業であると言い切ってる
研究者もいますしね。唐使派遣のペースをみてみると結構当たってる
んじゃないかなと思います。
597:日本@名無史さん
09/09/25 22:44:27
>>596
高句麗が滅びた後も唐軍はその残党征伐に忙しかったしね。
主力はそっち行ってた感がある。
軍需物資ってのは百済に手が回らなかった唐に対する融和策か。
対新羅の同盟結んだ可能性もあったかも。
598:日本@名無史さん
09/09/25 22:51:26
>>596
糸・布・綿は兵士の被服や防寒具用とも考えられますが、唐軍が元寇の
時の元軍のような「綿甲」を用いていて、それの製造に使ったとすれば
直接の軍需物資です。
599:日本@名無史さん
09/09/25 23:35:16
>>569
負けた日本と勝った新羅の唐への対処を比較しても意味がない。
単に勝った負けたという事実だけだし。
だいたい負けたと言ったって唐や新羅の人間に常駐されたわけではない。
古代から続く半島への足がかりを失ったが、
鉄を自製できてたのでそんなの意味がないし。
むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった。
新羅なんて名前が金ナントカって中国人風になって行くのだよね。
白村江の戦いは半島と日本の文化の分岐点になったし、
日本はあれで良かったし幸運だったと思う。
600:日本@名無史さん
09/09/26 00:22:29
新羅は唐に勝って正式の属国になれてよかったね
601:日本@名無史さん
09/09/26 09:22:53
歴史的に見れば白村江で負けても何も問題なかった日本。
新羅は勝ったせいで中国との関わりを強くして禍根を残すことになった。
602:日本@名無史さん
09/09/27 17:20:06
「日本と朝鮮半島2000年(5) 日本海の道~幻の王国」を再放送まで見損なったんだけど、
どこかで動画観られない?
603:日本@名無史さん
09/09/27 18:07:35
NHKオンデマンド
604:日本@名無史さん
09/09/27 23:47:20
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)
日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
605:日本@名無史さん
09/09/28 01:16:58
>>603
タダで観たい。
606:日本@名無史さん
09/09/28 04:53:54
>>599
>むしろ関わらなくなって後の日本の独自性が生まれるきっかけになった
こういうのはホント不思議だよな。
イギリスも新大陸植民地に負けて植民地を失ってからむしろ発展して“日の没しない帝国”となってるしな。
607:日本@名無史さん
09/09/28 10:11:58
>>604
射程距離は?
608:日本@名無史さん
09/09/28 19:17:56
>>607 和弓は飛距離で約400m,実用射程で約200m,実戦射撃距離は約70m~80m位見たい。
米カリフォルニア大学のサクストン・ポープ教授による同大人類学博物館所蔵の世界各地の弓の実射テストによる結果でも、
トルコ弓の飛距離が257mおよび250mであったのに対し、朝鮮弓そのものではないものの同系統の東アジアの角弓である
中国弓(清朝)が91.4m、モンゴル弓(タタール族)が82.3mおよび102.4mと同じ角弓であってもトルコ弓に著しく劣る。
(なお、同実験における和弓は142.6m)
遠矢用の軽い矢を用いれば最大射程は4町(約436m)を超える。(『図説・日本武器集成』/学研 68頁)
トルコの弓最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で600m 和弓の最大飛距離は実用の矢で200m、遠矢用で400m
ロングボウは実用255mただしこれは照準をしない撃ちっぱなしの射撃バリスタは420mだが現代の素材を用いれば1キロメートル以上の射程も可能 ...
may.han.net/b/res/80009238.htm - 類似ページ
609:日本@名無史さん
09/09/29 18:06:20
>>608
最初の矢合わせで飛距離が大負けしてたら不味くね?
飛ばない弓は敬遠しそう。
610:日本@名無史さん
09/09/30 09:38:12
URLリンク(www.youtube.com)
【韓国の国史授業】 任那日本府を論破する
この碑石は高句麗の碑文だから部分、部分に主語が省略してると解析する
海を破の間で切って読む
百残新羅旧属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民」
↑
ここ
つまりこうなる
「倭が辛卯年に海をこえてきた。そして高句麗の広開土大王が百済を潰して新羅を臣下にした」
当時、倭と百済と加羅は同盟だった、新羅は高句麗の影響下にあったからこの391年の事件も
倭が海を越えてきた、だから倭を叱るため広開土大王が倭の同盟国だった百済を潰して新羅を臣下にした
だとさww
611:日本@名無史さん
09/09/30 13:54:34
渡海の主語も高句麗にするんじゃなかったか?
(高句麗が)「海を渡って百済を破り・・」
これによって「来渡海」を「海を渡って来たり」と変な読み方を
しなければならない問題もなくなる。
612:日本@名無史さん
09/09/30 14:18:51
【政治】 民主党「川端文科相」「江田五月議長」ら5議員の団体、キャバクラなどへの500万円超を政治活動費で支払い★4
スレリンク(newsplus板)l50
613:日本@名無史さん
09/09/30 23:58:30
●日本最高の新羅商品、新羅産毛氈(もうせん)
◎正倉院の宝物の意味
正倉院に保存されているものは、主に8世紀前後世界各地から入ったものである。日本の古代国家の完成期であったこの時期に、日本文化を
一段階高めたということで、日本ではこの正倉院の遺産に対する自負心がとても強い。そしてこの正倉院の宝物で象徴される8世紀の日本文化を、
聖武天皇のころの年号をとって天平文化と呼んでいる。
一方この時期中国も唐の文化が花を咲かせていて、首都長安は世界各地から様々な文物が集まる交易の中心地だった。
それで新羅もこの時期長安に使臣を派遣し、輸入してきた唐の先進文化を日本にまた輸出していたのである。
しかし日本はなぜこのような文化を中国から直接受容しなかったのだろうか。それは島国であった日本が外部の文物を受容するには
遠くの国まで行ける船が必要であったが、それまでの日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった。
URLリンク(www.searchnavi.com)
>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
>日本にはまだそのような造船術が発達していなかったのであった
614:日本@名無史さん
09/10/01 01:11:32
縄文時代から沖縄まで出かける能力が有りましたが!!
615:日本@名無史さん
09/10/01 02:43:09
●任那日本府の真実
広開土大王碑文には百済を服属させたのは、倭つまり日本でなく高句麗であったと言える。当時倭は倭寇等で呼ばれていた
少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を持っていなかった。
従って広開土大王碑には新羅を侵略した倭を高句麗が退けたという内容がいくつも出てくるのである。
日本初期に日本府は"大和の御事持"であると記録していることから、日本府は総督府のような軍事統治の支配組織ではなく、
王の使臣を称するものであったことが確認できた。
日本が伽耶出身で、主に吉備、河内地域にいた伽耶系日本人を外交使節として安羅に派遣し、鉄器や土器の輸入を
担当させていたと考えられる部分である。
大阪にある辛国神社は、伽耶人たちが交流の多かった日本に移住したした6世紀頃、故郷を偲びながら祖先を祀っていたのが
始まりであると伝えられている。特に安羅国が滅亡する6世紀末、多くの伽耶人が日本に移住し定着していたという。
従って日本が伽耶の鉄器文化に影響されたのは、北九州博物館や奈良の橿原博物館に展示されている鉄製の鎧や兜から
確認できるが、これらは大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
この他にも伽耶の鉄と先進文物が、日本の古代国家形成に決定的な役割をしたということは、様々なところから推定することが出来るであろう。
また日本で伽耶土器と知られている須恵器の大量出土は、伽耶の須恵器製造集団の日本移民を意味するものであろう。
こういう関係から考えて古代日本が古代韓国を支配したということは、考えにくいのではないだろうか。
URLリンク(www.searchnavi.com)
616:日本@名無史さん
09/10/01 02:49:02
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)
日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
617:日本@名無史さん
09/10/01 02:50:59
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
URLリンク(img.houseco.jp)
URLリンク(www.fieldnote.info)
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(yamatai.cside.com)
日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
URLリンク(yamatai.cside.com) (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
618:日本@名無史さん
09/10/01 04:47:57
>>610>>613>>615
またチョンはトンデモだなw
619:日本@名無史さん
09/10/01 07:42:35
>>615
>大抵5世紀頃作られたもので、伽耶のものより100年も後れて伽耶の鉄と技術で作られたものである。
まったくの嘘。
日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、
その逆はない。
これはこのような鉄製武器が日本製である証拠だ。
620:日本@名無史さん
09/10/01 10:00:42
>>619
×鉄製武器
○鉄製武具
621:日本@名無史さん
09/10/01 15:44:57
みまなの白うさぎ
622:日本@名無史さん
09/10/01 22:33:01
>>615
>当時倭は倭寇等で呼ばれていた
>少数分散的略奪集団で、百済と新羅を審問にする程の大規模な軍事集団を>持っていなかった。
「倭寇」とは海賊のみに用いられる用語ではない。
「元寇」が単なる海賊集団でないように、豊臣秀吉による朝鮮出兵の派遣軍についても朝鮮側では「倭寇」と記している。
そもそも
*『広開土大王碑文』には倭が新羅の王都の中に満ちるとある。
*『三国史記』には新羅の王都が何度も倭軍の包囲を受け、さらに新羅・百済は倭国に人質を送っている。
*『宋書倭国伝』には倭王が、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任じられている。
もし倭が「少数分散的略奪集団」に過ぎないのなら、このようなことはあり得ない。
古代半島で活動していた倭とは「大和の王権」以外にあり得ないのである。
623:日本@名無史さん
09/10/02 03:56:59
>>613
九州から半島まで渡れるのに、半島伝いに中国まで行けないとしたら、
途中の国が海賊行為をする以外ないだろ。
624:日本@名無史さん
09/10/02 07:47:00
>>613
遣随使は?
625:日本@名無史さん
09/10/02 09:16:07
遣隋使って半島経由とちゃう?
626:日本@名無史さん
09/10/02 12:38:41
>>622
5世紀以前、倭とは大和政権だけでなく朝鮮半島南部も倭と呼ばれていた
つまり倭人は日本列島だけでなく半島にもたくさんいたのだ
特に金官加羅なども倭人系であり、倭とは大和だけを指すものではない
では碑文の「倭が海を渡って」という下りがあるがこれは当時、加羅の同盟国
だった倭国(属国だった可能性大)から戦闘要員として借り出された倭人達であると
考えられる
つまり高句麗と激しい戦いをしたり新羅の王城を攻め落としたりしてたのは
大和の倭人ではなく半島南部の加羅だと考えられる
その戦いに(391年)大和の倭人集団が海を越えて加羅の備兵として戦ったことが
誇張されて碑文に刻まれたというのが真相
627:日本@名無史さん
09/10/02 13:35:03
>>626
>大和の倭人集団が海を越えて
大和に限定する必要はない。九州とか吉備とかの、大和の対抗勢力だった
かもしれない。
628:日本@名無史さん
09/10/02 18:53:33
>>626
>倭国(属国だった可能性大)
ほんと朝鮮人ってしみったれた考えだね。
629:日本@名無史さん
09/10/02 20:03:40
>>619
>日本では出るのに韓国で出ないタイプがあるが、その逆はない
鋲留め式縦はぎ短甲は?
630:日本@名無史さん
09/10/02 21:03:30
>>628
倭国(属国だった可能性大)などについては、そう書いている本人もたぶん「ないだろうな」と思っているかとw
それにしても「同盟国ってよく言われるけど、どこからでてきたんでしょ。
631:日本@名無史さん
09/10/02 22:42:15
俺はNHKでみたが。
根拠がみまなは製鉄技術があるが、日本はない。
だから公開土王の石碑の倭兵とは傭兵もしくは、鉄の対価に渡された日本人奴隷に違いないはず
みたいな事いっててクソワロタ。
「~はず」ならなんでもいえるわい。
冶金技術はともかく国力が桁違いだろ。
632:日本@名無史さん
09/10/02 22:59:02
都合の悪い歴史書は読まずに、そのせいで知識の空白となった部分を自分勝手な妄想で埋め立てて喜んでるんだもんな……
ほんとあの国の歴史学者は時代小説家と勘違いするよ
633:日本@名無史さん
09/10/02 23:11:02
人間なんて、皆そういうものさ。
だから、自分に都合のいい歴史だけを残したものが勝。
634:日本@名無史さん
09/10/02 23:42:34
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。
かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。
佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。
考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。
それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
635:日本@名無史さん
09/10/02 23:43:07
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。
かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。
佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。
考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。
それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
636:日本@名無史さん
09/10/02 23:48:52
>>629
鋲留めであろうが
縦剥短甲という「タイプ」だからな。
韓国でまともな木製短甲は見付かったのかい?w
637:日本@名無史さん
09/10/03 00:21:06
>>626-627
丁度、『広開土大王碑文』や『三国史記』で百済・新羅が人質を倭に送る時期にあたる4世紀末から5世紀始めごろから、日本で鉄製甲冑・武器・馬具といった軍事的な遺物が全国的に激増する。
この遺物変化は九州や吉備に限定されるものではない。
この全国的な遺物変化が何を意味するかと言うと、この時期日本列島の大部分から兵員が朝鮮半島へ派遣される状況にあったことを意味する。
こうしたことは大和の王権による号令がなければ起こりえないこと。
また、大和の王権は本拠を内陸の奈良盆地から、海に面した大阪平野に移している。これは半島の軍事状況に対応した処置と考えるのが妥当である。
そしてこの時期、大阪平野に築かれた前方後円墳は最大級に達している。これはこの時期に大和王権の勢力が最大化していることを意味する。
これらを考え合わせると大和の王権が全国的に号令を発して軍勢を動員し、朝鮮半島に派兵し、当地に何らかの勢力圏を確立していたことは明確である。
638:日本@名無史さん
09/10/03 01:20:13
大和の王権が朝鮮南部に勢力を築いたことはない!
と主張する論者は韓国人、朝鮮人と何故か日本人の一部を除くといないだろ。
639:日本@名無史さん
09/10/03 05:02:14
>>626
また電波をw
属国だったのは朝鮮なんだよ
640:日本@名無史さん
09/10/03 09:37:09
>>639
この時代(4世紀後半)の百済や伽耶は領土も大きく高句麗は勢いが増してる時期
新羅だけがひ弱という構造の中で果たして大和朝廷が海を越えて百済や新羅を
臣下にしたなんてことが本当にあったんだろうか?
ましてや伽耶も全盛期(新羅に降伏するのは532年、滅ぼされるのは562年)
普通に考えて伽耶や百済の要請で高句麗と戦うために備兵として雇われたと考えるほうが
当時の東アジアの力関係から見て妥当な考えだと思うが
倭人は人口が多く兵力の代償に伽耶から鉄資源、百済からは先進技術などを
取り入れた、そのための機関こそが大和のミコトモチといい半島南部に設置した
そこに駐在していた大和からの倭人達(6世紀中頃まで)の墓が安羅などで見られる墓
であり新羅に伽耶が滅ぼされる562年前後までその機関はあり伽耶滅亡後は
倭人達は大和に帰還した
その後、蘇我馬子や聖徳太子がミコトモチのあった伽耶の鉄資源を再び取り戻すべく
新羅征伐を敢行するが新羅出兵は中止される
つまり新羅や百済を臣下にして朝鮮半島南部をを支配してたわけではなく
鉄鉱石や先進文物を入手するための外交施設のようなものであり、それが
日本書記編纂で「任那日本府」などと書かれたために今日まで物議を醸している
百済や伽耶の要請で海を渡って戦いに参加した倭人が余りにもたくさんいたため
高句麗は倭が海を渡って百済や新羅を臣下にしたと勘違いしたんではないだろうか
実際は百済や伽耶の備兵として戦っただけなのに百済、伽耶以外に大和の倭
まで参加してきた連合軍を我々は打ち果たしたと誇張したかったんではないだろうか
641:日本@名無史さん
09/10/03 10:29:39
>>640
つまり、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」は本国であるはずの加羅の軍事権を属国の領主である倭国の王に与えたものなわけですね
……よくわかりません
642:日本@名無史さん
09/10/03 14:43:51
>>640
倭の進出が活発であった4世紀末から5世紀はじめにかけての時期
*『三国史記』には加耶の記述は皆無。
*『広開土大王碑文』には倭軍の退却先として「任那加羅」が登場するのみ。
南からは倭、北からは高句麗の圧迫を受けたこの時代、百済・新羅の力は大きくなく、小国群にすぎない任那(加耶)の諸国の力は更に小さかった。
小国が強国の従属下に入るのは小国の生き残り手段として当然のこと。
この情勢が変化するのは5世紀後半以降。
643:日本@名無史さん
09/10/03 15:33:39
>>636
URLリンク(www.jfe-21st-cf.or.jp)
(大阪大学文学部教授 福永伸哉)より引用
では、その帯金式短甲の系譜はどのようにとらえられるであろうか。日本列島の古墳
の調査が進んでくると、帯金式短甲に先行する4世紀中葉に日本列島にはじめて鉄製
短甲が出現したことを示す事例が増えてきた。それは、竪矧板革綴短甲、方形板革綴短甲
と呼ばれるもので、細長い鉄板や方形の鉄板を革で綴じた構造を持つ。
これらは、従来、前期古墳に特徴的な「前期型短甲」ととらえられてきたが、近年の
出土数の増加によって形式研究が進展すると、竪矧板革綴短甲から方形板革綴短甲を経て
帯金式短甲へと一連の技術系譜で展開することが明らかになってきた(高橋克1993)。
さらに、竪矧板革綴短甲との関係がうかがえる縦長鉄板を用いて製作する短甲が4世紀の
韓国釜山福泉洞古墳群や金海市退来里遺跡などで出土し、その技術系譜の出発点を朝鮮
半島南部の伽耶地域に求められることがほぼ確実となった。
●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった
●技術系譜の出発点を伽耶地域に求められることがほぼ確実となった