江戸時代の旗本、御家人についてpart2at HISTORY
江戸時代の旗本、御家人についてpart2 - 暇つぶし2ch438:日本@名無史さん
09/10/15 19:57:09
浅野大学は500石だっけ
百分の一でも御家再興と言えるのかね

439:日本@名無史さん
09/10/15 20:00:11
その500石って浅野大学家(三千石だっけ)の再興ではなくて、赤穂浅野家の再興だったの?


440:日本@名無史さん
09/10/15 20:37:50
>>435
今時、武士ヤクザ論は流行らんぞ

441:日本@名無史さん
09/10/15 21:40:06
>>440
赤穂浅野

442:日本@名無史さん
09/10/15 22:49:53
>>430
南町同心浅井竹蔵跡式と関係筋への礼金を合わせて100両
同時に浅井竹蔵の負債300両も継承



443:日本@名無史さん
09/10/15 23:38:59
>>442
幕末とはいえ400両といえば大金、すぐ江戸幕府瓦解じゃ大損だけど
なまじ下級職の南町奉行同心だったからそのまま東京府の役人か。

444:日本@名無史さん
09/10/15 23:39:57
>>426
子孫はともかく、取り立てられた林忠英はむしろ佞臣の部類だと
そしられていなかったかな?

445:日本@名無史さん
09/10/15 23:49:50
>>443
実際に樋口一葉の父親は東京府の役人を経て警視庁の役人になっている
しかも副業で高利貸しまでやっていて十分な実入りがあったため一度退官したが外聞のために復職したという

446:日本@名無史さん
09/10/16 01:12:29
同心ごときが士族になれるの?

447:日本@名無史さん
09/10/16 01:36:27
同心は卒族とされたが卒族を廃止するとき
世襲の者は士族に、抱席の者は平民にされたというが
事実上世襲だった家は士族になってる
最後の当主が初めて抱えられた場合は平民

448:若年寄格陸軍奉行竹中丹後守重固
09/10/16 01:45:28
あげ

449:日本@名無史さん
09/10/16 01:46:08
>>441
確かに基地だ。大義のためだろうが人殺しなんかできねえよ。

450:日本@名無史さん
09/10/16 01:49:05
>>434
お家がただ存続すればいい、のではなく、
事業縮小により路頭に迷う予定の、旧幕府勤め側の人間の
「生活保証」
が榎本らの目的。
「旧幕臣有志で、屯田兵として蝦夷を開拓守備するから許可して」と。

451:日本@名無史さん
09/10/16 01:55:18
>>450
政府はなんで許可しなかったの?
榎本らが武器を持っていたから?

452:日本@名無史さん
09/10/16 01:58:03
>>447幕軍側なのにずいぶん温情に厚いな。普通は平民だろ


453:日本@名無史さん
09/10/16 07:25:26
新撰組って旗本、御家人に取り立てられたとテレビで見た事あるけど正式になったのですか?それとも話だけで実質は何もなくて終わったとか?

454:日本@名無史さん
09/10/16 08:00:36
町同心も全員東京府貫属士族

455:日本@名無史さん
09/10/16 15:10:21
>>453
慶應三年に幕臣に取り立てられている。

近藤勇   見廻組与頭格 300俵(御目見え)
土方歳三  見廻組肝煎格 70俵5人扶持
沖田総司ら 見廻組70俵5人扶持
他     見廻組並 40俵

456:日本@名無史さん
09/10/16 15:40:25
近藤の月の手当てが50両って聞いたことあるんだけどそれは別なのですか?

457:日本@名無史さん
09/10/16 16:25:13
局長ですら平の両番衆と同じ程度なのか・・・

458:日本@名無史さん
09/10/16 21:51:08
最後の大名取立てが判明した。それは播磨福本藩の池田喜通の模様

459:日本@名無史さん
09/10/16 22:22:49
農民の子からいきなり御目見得だから悪くはないだろう。実際当人は大喜びだ。
同格となった佐々木只三郎も元々は御目見得以下とはいえ幕臣の後継ぎだし。

460:日本@名無史さん
09/10/17 03:13:00
>>451
蝦夷島に幕府軍が徳川将軍を担いだ上に、
駐屯自営してたら、自然と半独立になっちゃうし、
そもそも薩長のDQNたちは
「ヒャッハー!幕府の連中全潰しぃ!」
しか考えてなかった。
長期的に大局を見るような発想のある奴はいなかった。

461:日本@名無史さん
09/10/17 04:55:26
>>459
佐々木は会津藩の手代木家の出じゃなかった?

462:日本@名無史さん
09/10/17 05:48:19
幕府陸軍の歩兵の身分は御家人?雇人?

463:日本@名無史さん
09/10/17 06:28:00
只三郎が養子に入った佐々木家は五十俵三人扶持の御家人

464:日本@名無史さん
09/10/17 06:48:23
しかし江戸に帰ると近藤は若年寄格、土方歳三が寄合席格。
甲州100万石は切り取り次第で実際近藤は小大名並の格式で行列を整えたという。
近藤にとっては最後の晴れ舞台だったろう。



465:日本@名無史さん
09/10/17 06:55:16
>>456
それは文久3年の家茂上京に応じた処遇。
近藤は大御番組の頭取扱いで50両、土方40両、副長助勤の沖田らに30両が支給。
たぶんお雇い。


466:日本@名無史さん
09/10/17 07:27:44
甲州切り取りなんて本気でやる気あったんか?近藤一行は各地で接待、宴会を繰り広げながら遊興三昧でゆっくり行軍。甲府城には既に官軍が入城していたよ。

467:日本@名無史さん
09/10/17 07:55:13
>>462
そのザクっとした質問はなんだよ。
幕府陸軍(従来の組とは別に新規編成)の歩兵には新徴募の庶民浪人部隊と御家人の部隊があった。
いずれも士官は旗本。


468:日本@名無史さん
09/10/17 08:55:31
真夏の夜の淫夢

469:日本@名無史さん
09/10/17 11:03:30
上様御進発で隠居届続出。部屋住みの舎弟や幼少嫡子が家督相続。これが神君以来の旗本八万騎の末路。

470:日本@名無史さん
09/10/17 13:10:28
そしてご一新後は、人力車夫になったり、娘や嫁を女郎に売る者が続出。

471:日本@名無史さん
09/10/17 13:12:28
甲府近辺に100万石なんか存在しないだろ?
どれだけ切り取れば良いんだよ?

472:日本@名無史さん
09/10/17 13:45:17
福沢諭吉が遣欧使節・翻訳方の手当てが400両と書いてあるから(福翁自伝)
中級役人でそのくらいの人は少なくなかったかも。

473:日本@名無史さん
09/10/17 13:55:51
役料1000石・俵とか100両という場合、実際に現米で1000石・俵とか百両支給された?
それとも知行の表記みたいに、実際手元に届くのはその3分の程度?

474:日本@名無史さん
09/10/17 14:24:34
>>473原則まんまくれる
実際は手数料や小普請でショバ代引かれる

475:日本@名無史さん
09/10/17 14:31:03
>>474
サンクス!
ということは長崎奉行の手当ては役料だけで1万石の大名家の総収入より多かったわけか・・・


476:日本@名無史さん
09/10/17 14:36:04
江戸中期あたりから御家人株が販売されてたんだろ。生活苦で先祖伝来の身分、家系を売り払うなんて信じられないが勝の実家男谷家も勝の祖父にあたる盲人の金貸しが買ったそうだが。

477:日本@名無史さん
09/10/17 15:08:52
勝海舟の祖父は男谷平蔵
男谷平蔵の父が米山検校

478:日本@名無史さん
09/10/17 16:15:31
旗本株は売買されてたの?

479:日本@名無史さん
09/10/17 18:00:08
旗本株なんでありません。


480:日本@名無史さん
09/10/17 20:17:59
男谷平蔵は三男なんだね
西丸与力だったが自力で出世して旗本になった
すぐ上の兄が水戸藩士の男谷家に入ってる
精一郎はそっちの家系の妾腹の子で
旗本男谷家の婿養子になった

481:日本@名無史さん
09/10/17 21:42:28
山岡鉄舟の山岡家は家禄いくら位ですかいな?

482:日本@名無史さん
09/10/17 22:30:26
山岡鉄舟(鉄太郎高歩)の家は御家人、百俵二人扶持
(生家は六百石の旗本、実父小野高福は御蔵奉行)

>>477 勝と男谷の系図詳細図↓
URLリンク(dokugen.web.fc2.com)

>>478 株券はないが実質売買されたらしい
URLリンク(dokugen.web.fc2.com)


483:日本@名無史さん
09/10/17 23:21:27
御家人株にも株券なんてないぞw

484:↑
09/10/17 23:26:45
482が引用してるサイトをよく読めば。

485:日本@名無史さん
09/10/17 23:53:48
旗本の家督は株として売買できない
持参金付き養子は株とは言えない


486:日本@名無史さん
09/10/17 23:59:52
株として売買できたのは抱え席御家人の場合だろうね

487:日本@名無史さん
09/10/18 00:08:29

資格のないもの(浪人等)が旗本の養子になったのがばれると死刑になるよ
『よしの冊子』参照


488:日本@名無史さん
09/10/18 09:28:06
遠国奉行とかになって諸大夫成したら、官途・受領名を名乗れるのが一番の特典なのかな?
他にも従五位下に叙せられると何か良いことあった?


489:日本@名無史さん
09/10/18 11:36:13
単なるステイタス

490:日本@名無史さん
09/10/18 12:57:21
『よしの冊子』によると、
家斉の姫君誕生を祝して178歳の夫と137歳のその妻が長寿の白髪を献上したそうだよw


491:日本@名無史さん
09/10/18 13:14:09
どの姫君だよw

492:日本@名無史さん
09/10/20 02:49:13
それ、旗本と関係あんの?

493:日本@名無史さん
09/10/21 23:27:28
名ばかりの典薬頭だった半井、今大路って世襲だし旗本の中ではかなり美味しい地位だよな。


494:日本@名無史さん
09/10/22 17:16:26
伊勢伊勢守って何する旗本?

495:日本@名無史さん
09/10/22 22:20:51
神道方の吉川氏も


496:日本@名無史さん
09/10/23 07:32:39
旗本榊原氏も東照宮専門の神主らしい。

497:日本@名無史さん
09/10/23 14:31:51
神主じゃないし。過去レス読まないし。

498:日本@名無史さん
09/10/23 17:43:19
大工棟梁の中井、甲良は旗本の身分のようだが軍役はあったのだろうか?手下の大工が道具じゃなくて槍、鉄砲を担ぐのは絵にならないな。

499:日本@名無史さん
09/10/23 17:53:33
大工頭の中井って旗本なの?
知行を与えられたり初代が従四位下に叙されたりはしてるようだけど
旗本身分ってことは代々将軍にお目見えしてたのかな。

500:日本@名無史さん
09/10/23 19:38:04
最近女性にセクハラして捕まった学校経営者が茶屋四郎次郎の直系子孫らしいのですがこの御用商人の身分は何なんですかね?

501:日本@名無史さん
09/10/23 19:46:23
今井宗久とか角倉了以の家は代官に任じられた流れで旗本になっているけど、茶屋はあくまで
京の豪商として江戸初期には幕府御用商人としての関わりだった。その後は鎖国のあおりを受けて
衰退して行ったらしい。
それでも元禄期には藩札の発行に関わるなど紀州藩の財政に深く関わっていたようだ。

502:日本@名無史さん
09/10/24 07:50:52
茶屋は武士の装束着て二本差しで勤務してたのかね。それとも町人の格好かね?

503:日本@名無史さん
09/10/24 08:59:16
茶屋は苗字を名乗っていなかったようだから、町人の格好だろう。紀州藩でも苗字でなく茶屋と名乗っていたようだ。

504:日本@名無史さん
09/10/24 11:31:11
商人は苗字帯刀を許されても帯刀はしなかったそうだよ。

505:日本@名無史さん
09/10/24 12:08:40
金座の後藤は町人?旗本?

506:日本@名無史さん
09/10/24 12:56:29
町人だよ

507:日本@名無史さん
09/10/24 13:02:13
農民の庄屋は苗字帯刀してるのにね

508:日本@名無史さん
09/10/24 14:58:01
金座の後藤は勘定組頭への登用運動が成功していれば旗本になれたのに
磔刑はかわいそうだな

509:日本@名無史さん
09/10/24 18:47:52
>>507
庄屋はふだんから帯刀しているの?士分なの?

510:日本@名無史さん
09/10/24 21:13:35
庄屋は中世以来の小領主が多い。元来武士なのだ。

511:日本@名無史さん
09/10/24 23:58:07
甲州なんかはそれが酷すぎて並みの大名では統治不能だとかで甲府勤番でわ(;^_^A。
庄屋さんの分家が幕閣とかって不味いだろうなあ。

512:日本@名無史さん
09/10/25 00:00:13
出羽の本間家とかもすごいよな


513:日本@名無史さん
09/10/25 02:12:57
>>511
松平郷の庄屋みたいなもんの分家が、
最終的に将軍になりましたがw

514:日本@名無史さん
09/10/25 03:00:16
>>512
本間は商人
高利貸で担保の土地を集積した

515:日本@名無史さん
09/10/25 08:48:39
本間様には及びもせぬが せめてなりたや大名に♪

516:日本@名無史さん
09/10/25 09:34:59
庄屋は武士じゃないんだけどね

517:日本@名無史さん
09/10/25 15:11:13
郷士が多かったね。加賀の時国家なんか身分は庄屋でも壇ノ浦で生き残った平家の末裔。もちろん純粋な農夫上がりの庄屋もいたけど主家を失い農民化した武士もいたわけだ。

518:日本@名無史さん
09/10/26 01:37:07
>>515
まあ、庄内の殿様は
スレリンク(history板:667番)
の状態だったしね。

519:日本@名無史さん
09/10/26 07:50:55
中井は大和守を名乗っているから大工でありながら士分となったようだ。

520:日本@名無史さん
09/10/26 23:21:39
大工頭だから

521:日本@名無史さん
09/10/27 08:39:16
普請作事も立派な軍事行動ってな。

522:日本@名無史さん
09/10/28 01:30:46
刀鍛冶の名乗りみたいなもんじゃないの?

523:日本@名無史さん
09/10/28 09:25:46
黒鍬者ですか

524:日本@名無史さん
09/10/28 09:39:47
>>521
合戦場には普請作事は必須だよね。
土木の職能人たちも合戦に動員されたわけだし。

今ふっと疑問になったんだけど、
肝心の合戦のさいにはそういう職能者はどこに控えていたんだろう?

525:日本@名無史さん
09/10/28 09:48:30
初代・中井正清に関しては従四位下大和守・知行1000石だから、刀工や菓子司の大掾とは別物だよ
コトバンクで「中井正清」で検索したら結構詳しく載ってる

526:日本@名無史さん
09/10/28 09:59:16
>>524
兵糧攻めにあったときには真っ先に食ry

527:日本@名無史さん
09/10/28 10:01:12
中井って高家なみの官位? と思ったら幕初か。

528:日本@名無史さん
09/10/28 10:53:21
>>524
今ふっと疑問になったんだけど、現代の自衛隊工兵科はどうするんだろう?


529:日本@名無史さん
09/10/28 12:03:42
工兵でも武装工兵はエリートで危険な部隊だろ。
マッカーサーは武装工兵出身だよな。


530:日本@名無史さん
09/10/28 13:27:00
中井は工兵じゃないけど?

531:日本@名無史さん
09/10/28 18:21:44
江戸城は火災の度に天守、櫓、多聞等再建中止になる建物ばかり。中井も甲良も江戸中期以降は御殿作事以外は仕事がなかっただろうな。

532:日本@名無史さん
09/10/28 21:00:16
>529

セントローセンス川やミシシッピ川の堤防の管理人もアメリカ工兵隊だお。

533:日本@名無史さん
09/10/28 21:05:05
四品といったら10万石の大名の官位に相当するからな
大工としては空前絶後の大出世だろう

534:日本@名無史さん
09/10/28 23:28:12
作事方の大工頭や大棟梁とは別に小普請方の大棟梁もいたんですか?

535:日本@名無史さん
09/10/29 18:18:48
小普請って既存の建物の屋根、壁、土塀の補修でしょ。大工棟梁と言うより職人の親方って言うレベルでしょ。

536:日本@名無史さん
09/10/29 21:02:55
それって大事やん

537:日本@名無史さん
09/10/29 22:36:41
小普請にも大工棟梁がいる
松村淡路、柏木土佐、柏木周防、溝口備中、大谷出雲、依田伊予、小林阿波
清水豊吉が慶應元年の武鑑に載っている
初めは作事方からの交代出役だったらしい

538:日本@名無史さん
09/10/30 05:44:22
中井にしろ甲良にしろ旗本として知行を与えられているのに作事の際に工事代金は受け取るのかね?

539:日本@名無史さん
09/10/30 23:35:58
工事代金と世禄はべつだよ
たかだか千石では普請の準備すらままならない

540:日本@名無史さん
09/10/31 13:29:07
呉服師は旗本?御家人?屋敷は江戸城にかなり近い場所にあったようだが。

541:日本@名無史さん
09/10/31 14:05:42
用達

542:日本@名無史さん
09/10/31 16:57:53
>>537
幕臣(諸大夫未満の旗本)は諸般の重臣(国司信濃や原田甲斐とか)と違って受領名の
国名は名乗れなかったらしいけど、大工棟梁は名乗れたのかな?

淡路「守」の淡路じゃなくて、菓子司や職人・芸人みたいな淡路「掾」の淡路ってことなんだろうか…

543:日本@名無史さん
09/10/31 22:56:55
帯刀とか掃部はオッケー?因獄石出帯刀とか

544:日本@名無史さん
09/10/31 22:59:34
本因坊は旗本?御家人?

545:日本@名無史さん
09/10/31 23:20:51
旗本の場合、官途名の名称(采女、帯刀、監物)はOK、受領名の国名(安芸、大和)はダメ

546:日本@名無史さん
09/11/01 12:30:18
中井大和守、吉良上野介(親王任国は介が最高官。)、伊勢伊勢守等々これは何で?

547:日本@名無史さん
09/11/01 12:37:24
中井や吉良は諸大夫(従五位下)以上に叙されている正規の官位だからだろ

548:日本@名無史さん
09/11/01 14:51:34
たまに受領名が変わるのはなんでだろ?
大岡能登守忠相→大岡越前守忠相
とか

549:日本@名無史さん
09/11/01 16:14:00
老中に能登守の受領名を持つ者が就任したら五位の大名旗本は
受領名を変えるのが江戸幕府のならわし

550:日本@名無史さん
09/11/01 16:47:46
当時能登守の老中いたかなー

551:日本@名無史さん
09/11/01 17:01:57
官位って朝廷に一々書類送って承認貰うの?金払うの?それとも幕府が勝ってに決めて与えてるの?

552:日本@名無史さん
09/11/01 18:46:05
>>551
幕府が決めて与える
ただし定員外とはいえ正式な官位なので
高家が朝廷に伺候したとき任官者に与える口宣案と位記を貰ってくる 

553:日本@名無史さん
09/11/01 18:56:29
大岡は先任の町奉行(中町奉行)が能登守だったから越前守に遷任したんだろ

554:日本@名無史さん
09/11/01 19:56:04
坪内能登守定鑑かな?


555:日本@名無史さん
09/11/01 22:37:43
このスレが適切なのかわかりませんが、頭がよさそうなレスが多いのでちと質問を。
ある村で天領の名主でもない人が名字を名乗っているケースを発見して不審におもっていました。
某文書にかいてあるのですが、他村の名主も名字を書いていないのに、その人だけ名字がある。
その村には名主は別にいて、別の名字を持っている。。。
農村で武士がいないはずなのにこれは一体なんだろう。で、最近思ったのですが、この人はひょっとして郷士ってやつなのかなと。
天領で郷士というのは八王子や十津川のそれが有名ですが、他の土地にも割合的に結構いたものなんでしょうか。

556:日本@名無史さん
09/11/02 01:43:03
律令的に、能登はランクが低い。越前は大国。
ってのは関係ない?

557:日本@名無史さん
09/11/02 02:15:40
それは関係ない、能登守=越前守。

558:日本@名無史さん
09/11/02 03:05:03
先任の同役に坪内能登守がいたからなんだろうな

559:日本@名無史さん
09/11/02 08:29:13
>>555

それが本当なら、苗字を許されているのだろう
郷士・浪人とか、神官・医師のたぐいとか


560:日本@名無史さん
09/11/02 12:33:11
>>555
その某文書とはなんの文書?
それがわからないと答えられないよ

561:日本@名無史さん
09/11/02 14:21:50
庶民は公式には苗字を名乗れないだけで
たいてい屋号と別に苗字を持っていた

562:日本@名無史さん
09/11/02 16:12:16
>>555
レスありがとう。神官は別にいるのでありえませんね。医師も違うみたいで。
なんだろうなこれは と不思議に思っていたのですが、郷士ってことならすんなりいくかな、と。
ただ天領にそんな郷士っているものなのかというのが疑問ですが。

>>560
すいませんが、その文書は私が持っているわけではないのでなんとも断定できないのです。
残念ですが。

>>561
この例では他の庶民(?)は名字を書いてないのに、その某は名字がかいてあったケースですね。


563:日本@名無史さん
09/11/02 17:23:11
天領にも刀御免、苗字御免の百姓はいるよ

564:日本@名無史さん
09/11/02 19:17:07

なんだ結局>>562は荒らしかwww


565:日本@名無史さん
09/11/02 19:36:34
八王子同心みたいなのもおるし

566:日本@名無史さん
09/11/02 19:43:03
八王子千人同心の苗字名乗りは火の番等の公務中限定だったと思う


567:日本@名無史さん
09/11/02 20:40:30
つまり八王子千人同心は百姓が臨時雇用の兵賦を兼帯してるわけだな

568:日本@名無史さん
09/11/02 21:29:26
御家人じゃないのに百姓やりながらわずかな俸禄で九州の戦地にまで駆り出されてる八王子千人同心は可哀想


569:日本@名無史さん
09/11/02 23:08:15
元は武田の槍中間?

570:日本@名無史さん
09/11/03 18:13:54
御家人身分から旗本に成り上がった人物の寛政譜記載に”斑をすすめる”と
いうのが在りますけど、これはこの時に旗本に為ったと云う事でしょうが、
具体的にはどのような意味なのでしょうか。


571:日本@名無史さん
09/11/04 21:42:33
御免とは?

572:日本@名無史さん
09/11/04 22:13:38
徳川の親戚なのに、御家人斬九郎みたいな待遇の人ってほんとにいたのかな?

573:日本@名無史さん
09/11/04 23:08:28
>>570

「斑」じゃなくて「班」だよ。いくら2ちゃんでも
学問板なのだから、用語は正確にww



574:日本@名無史さん
09/11/05 00:52:12
>>573
2chとはいえ無駄に草をはやすべきではない。ここは学問板なのだから。

575:日本@名無史さん
09/11/05 01:59:28
学問板だってよw
おまえ2ちゃんで勉強してるの?

576:日本@名無史さん
09/11/07 03:32:08
>>572
十八松平ってほど、松平性は多くあったのだよ。

577:日本@名無史さん
09/11/08 07:17:54
代々(凡そ3代)御目見以上の家格を得られた場合は、旗本として位置づ
けられたということでしょう。

その身一代限りで、旗本役の職に就いても子供・孫の代では、また御家人
に戻ってしまう。


578:日本@名無史さん
09/11/12 07:03:00
旗本・御家人も初期には無嗣改易が多かったのかな?

579:日本@名無史さん
09/11/14 15:00:54
こいつらしっかりしてたら会津も苦労せずにすんだのにな。見廻なんとかみたいな
少しは骨のある奴もいたが。義を彰かにするっても手遅れなんだよ。

580:日本@名無史さん
09/11/14 19:28:54
>>577
妄想で嘘を撒き散らさないように

581:日本@名無史さん
09/11/14 21:09:15
>>580

>>577のどの箇所に誤りがあるのでしょうか??

582:日本@名無史さん
09/11/14 21:56:59
>>581
あんまり、信用できないけど、フリー百科事典『ウィキペディア』には。
『・・・旗本の資格がない者(御目身以下の御家人)が旗本になる場合は、
旗本の役職に3代続けて就任することが原則であったが、将軍に謁見が許
されれば御目見得の士として直ちに旗本として認められた。』とある。

>>577は原則を書いていて例外を書いていないってこと。
>>580さんは逆に例外しか言ってないようですね。



583:日本@名無史さん
09/11/14 22:08:18
佐々木顕発みたいなケース?

584:日本@名無史さん
09/11/14 22:27:50
佐々木顕発も川路聖謨も一代で御家人から五位諸大夫になった人物であり、
文句なしの例外だったんでしょうね。

585:日本@名無史さん
09/11/15 04:32:24
たとえしっかりしていても、会津藩みたいに常時2千人を動員できる
体制なんて無理でしょ。まじめな奴ほど損をする。

586:日本@名無史さん
09/11/15 08:05:40
維新後は静岡で貧窮するか、帰農、武士の商法で苦労したので後でツケを支払わ
されたんだが。
ところで新政府に帰順したのは1000石以上の家が多かったんだってな。
高碌なだけで実務には疎かったろうに。

587:日本@名無史さん
09/11/15 08:42:37
関東以外に知行地があれば、代官所役人や在地代官などが鎮撫使に使いを出して
帰順する機会ができるからな。西日本に知行地を持つ旗本は大抵このパターン。

588:日本@名無史さん
09/11/15 16:45:46
旗本は明治になって一挙に庶民化したな。もともと幕府があった時点でも町民以下の
生活してた奴が多かったみたいだが。

地方の武士は、結構、しばらくは士族の風儀を維持してた家が多かったようだが。


589:日本@名無史さん
09/11/16 15:51:14
>>582
『ウィキペディア』にはこう書いてある、だけが根拠だなんて
恥ずかしくない?

590:日本@名無史さん
09/11/16 21:06:39
>>589
まあまあ、落ち着いて。
582は >あまり信用できないけれど とか一応の前置きはしている。
それにwikiを持ち出して書き込むなんて、まだお若い人なんでしょう。

でも582さん、こういう2ちゃんで意見を書き込むにおいても
みんながみんな、(知識はあっても)一から十まで書き込む必要もないし、
数々の例外をいちいちとり上げるなんて無理な話だと思うよ。
研究者が書籍を書いてるわけじゃないんだもの。
だから、レス最後の2行は余分なんじゃないのかな。

591:日本@名無史さん
09/11/17 01:01:37
しかし、何ひとつソースも出さないよりは、たとえWikiであっても
ソースがあるほうが信用できるね。

592:日本@名無史さん
09/11/17 06:24:00
と言うより、
>>580の『妄想で嘘を撒き散らさないように』

>>589の『恥ずかしくない?』
のコメントは建設的なものではないので、最初に戻って、彼らにも
御目見以上と以下の身分格差や班を進むについて、深いコメント
を貰いたい


593:日本@名無史さん
09/11/17 20:31:39
三浦按人とかヤンヨーステン等の白人の子孫はどうなったんですか?

594:日本@名無史さん
09/11/18 00:11:27
後は、一代で旗本役を三つ(?)以上勤めるか、布衣以上の役に
付くというのもあったんじゃないかな?

595:日本@名無史さん
09/11/19 12:07:29
wikiをソースなんてこんな奴が増えるから困るんだよ。
どうせ大学へ出すレポートもwikiのコピーだろ?
勉強しろ! ゆとり君!

596:日本@名無史さん
09/11/19 13:20:47
後学の為にお伺いしておきたいのだか信頼するにたりるソースとは如何な物に相成りまするか?

597:日本@名無史さん
09/11/19 15:20:36

県史・市史の史料編に載ってれば一応はソースとして可かと。
間違いもあるけどな


598:日本@名無史さん
09/11/19 16:26:51
実例を挙げれば済む話だな

599:日本@名無史さん
09/11/19 20:19:38
江戸幕府は正式文書を多く出していない。
慣例・実例で処理していたものが多い。
ソースが出しにくい

600:日本@名無史さん
09/11/19 20:54:10
一応、著者・出典が明らかなものはレスする上でのソースにしても良いんじゃね?真偽はともかく。

601:日本@名無史さん
09/11/19 21:52:26
旗本の定義もあいまいだが、『江戸の旗本辞典 著者:小川恭一』では、一応、

■家禄万石以下で代々、家として将軍家への御目見を許される家格を持つ家

と定義されています。寛政譜(寛政10年末)では、旗本総数が5158名とされ

うち、50俵以下の微禄の家が100家程度もあったと掲載されている。家禄の大小

では定義できないのだろう。それと、旗本の役職を代々(3代程度)勤めた家で

「班を進め」のお墨付きがなければ、子・孫の代でまた、御目見以下に落ちて

しまう。しかし、これも原則であって、一代で以下から以上に進む者(家)も

いた。

602:日本@名無史さん
09/11/20 12:57:49
その本持ってる、というかその文庫本をきかっけに柳営に興味持ったわ

氏の「江戸幕府旗本人名事典」、前々からほしいんだが
絶版だし古書もかなり良い値段するんだよな

603:日本@名無史さん
09/11/20 20:12:59
最も少禄の旗本は誰さん?

604:日本@名無史さん
09/11/20 21:29:10
江戸幕府旗本人名事典には掲載してるんだろうが、もってないので「江戸の旗本辞典」から
そこには、30俵以下の旗本が20名(家)あったとされている。
だから、その者がもし、御目見以下から旗本役の御勘定に抜擢されれば、同職の職禄が
150俵なんで、高150俵内足高130俵本高30俵○×勘定奉行支配△△△△となるのでしょう。


605:日本@名無史さん
09/11/21 02:12:50
御家人  金と能力(運・コネ含む)があれば誰でもなれた
旗本  御家人で能力(運・コネ含む)がずば抜けていたら誰でもなれた
でおけ?
結構融通のきいた「身分がちがち制度」ではないじゃないか。

606:日本@名無史さん
09/11/21 02:15:37
30俵かぁ
へたうつと嫁ももらえんなぁ

どこぞの藩の下士は収入が少ないので嫁が貰えず
養子を取って家を存続させたとか聞いたなぁ



607:日本@名無史さん
09/11/21 03:01:07
>>606
野菜を自家栽培出来るくらいの庭はあったんだろうか・・・

608:日本@名無史さん
09/11/21 07:34:18
>>605
運・金・コネで庶民⇒御家人だったけど、御家人⇒旗本は養子入りも不可なんで
やはり、運・コネとともに、これらのベースには一定の実績は必要だったかも

あと、町奉行所の与力・同心も同じ以下の御家人だが、同心から与力にあがる
ことはほとんどなかったらしい。ある意味、以下の役職の多くは世襲職かと

よしの冊子などに掲載されている、特昇した人物などは特例・例外の紹介で
あり、以上と以下の別もふくめて、身分はやはりガチガチだったと思う。



609:日本@名無史さん
09/11/23 00:15:14
旧事諮問録で質問者が「成り上がり」という言葉を使う。
庶民~御家人~旗本 にあがった者 という意味。
「目付には成り上がりはいませんでしたか?」
「成り上がりが勘定の実権を持ってましたか?」的な。

寛政時に勘定や広敷の大部分が「成り上がり」の家らしいから、
役方の一部は多かったのでは?

勝が川路を「成り上がり」といってらしいが、
「成り上がり」がそんなに悪い言葉ではなかったのではないだろうか。


610:日本@名無史さん
09/11/23 00:44:49
そうだろうね、むしろ褒め言葉に聞こえる

でも勝も川路も似たようなもんだと言ったら勝は怒るかなw


611:日本@名無史さん
09/11/23 16:06:17
・御目見以下よりの昇進家の目標は勘定吟味役
・先祖からの由緒家の目標は目付が一定の目標

あと、御家人が御目見以上の旗本役職に一代に限り着任する場合は「拝謁を許さる」
となるが「班をすすめ」とはならない。

「班をすすめ」が与えられて初めて、旗本としての家が確定する。


612:日本@名無史さん
09/11/23 17:00:51

現在の国家公務員の数は超荒で約90万人

であるならば、下級旗本であっても、家数が約5200人なんで

その限りでは相当なエリートともいえたんだろう。

613:日本@名無史さん
09/11/23 17:13:58
能力に関係なく世襲だからエリートというより特権階級って感じがするな

614:日本@名無史さん
09/11/24 15:12:48
現在と比較するのは無理があるのは承知の上で
旗本 公務員中、上級職
御家人 国家公務員三種採用
藩士 地方公務員でオッケー?
少なくても人口の5%が武家なのだから特権階級とまで行くかな?

615:日本@名無史さん
09/11/24 15:59:33
川路左衛門尉は自らを「成り上がり」と書き残している

616:日本@名無史さん
09/11/24 17:21:30
川路もだけど
男谷平蔵も御家人に養子入りしてから
自力で出世して旗本になってる
榎本武揚の親父もそうだな

617:日本@名無史さん
09/11/24 17:42:29
耳嚢の根岸なんて知行1000石の大台に乗せてるもんな
長期間三奉行の顕職にあったし、(幕末や寵臣を除けば)下級幕臣の一代記としては
これ以上はのぞめないだろう

大名になった大岡もすごいが、元々大身の名門旗本だからなー

618:日本@名無史さん
09/11/24 20:35:20
>>617
親子孫の三代が同時に役についたという事でも、周囲にうらやまれたらしいですね。

619:日本@名無史さん
09/11/24 23:22:49
>>617
松本伊豆守秀持

620:日本@名無史さん
09/11/24 23:54:54
田沼の失脚が痛かったな

621:日本@名無史さん
09/11/25 18:14:22
>>609
勝が川路を評して言ったのは「取立者」だと前スレにある
「川路は取立者だから人が悪くてね。こすくてね」

622:日本@名無史さん
09/11/25 18:24:55
その話、勝自身の評価を下げてるよな
取立者だから人が悪い、こすいってのは流石にちょっと無理がある
書院番筋の旗本が言うならまだわかるが、勝も川路に毛が生えたようなもんジャマイカとw

623:日本@名無史さん
09/11/25 19:25:03
すれ違いだろうけど

江戸末期の町並み
URLリンク(park6.wakwak.com)

太平洋戦争以前の街並み
URLリンク(www.youtube.com)

はあ、なんでこうなっちゃたかね
何も言う気がしない


624:日本@名無史さん
09/11/25 21:18:33
>>622
勝自身も周りから「成り上がり」扱いされて拗ねてるしね。

625:日本@名無史さん
09/11/26 00:40:58
>>623
上の写真はどこだろう。何となく芝の薩摩屋敷かなという気がする。

626:日本@名無史さん
09/11/26 01:34:17
>>622
葉隠も取立者は信用できないと書いている
自力で出世する奴は最終的には自分が可愛いから裏切るってことかな

627:日本@名無史さん
09/11/26 01:59:20
「成り上がり」が信用できないって・・・
おれは明治以降の勝は一応評価してる。
なんのかんのいっても旧幕臣のみそもかすも面倒見てる。
その立場からの放言は許されるかも。
幕末に限れば、
徹底抗戦したのは「成り上がり」やまだ「成り上が」っていないやつが多い。


628:日本@名無史さん
09/11/26 02:18:53
川路:旗本←御家人養子~〈親〉新規抱入御家人←日田代官手代(百姓身分?)
勝:旗本~〈親〉不良旗本~〈父方祖父〉旗本←御家人~〈父方曽祖父〉検校←按摩

でも母方では勝は立派な旗本(下級だけど)

629:日本@名無史さん
09/11/26 03:56:42
川路の母方は遠祖は豊後大友氏の流である日田代官所元締の高橋氏



630:日本@名無史さん
09/11/26 04:01:16
川路は幕府三兄弟の一人
幕府の頭脳でまさにエースであり徳川幕府に殉じた
勝は幕府瓦解時にその才能を最大に発揮した俗人

631:日本@名無史さん
09/11/26 09:00:06
列強がいかに強いといっても、当時の蒸気船の輸送能力はたかがしれていて、
アヘン戦争やアロー戦争で動員できた兵力は、英仏合わせても
二万に及ばないわけですよ。
ですから、旗本八万騎というのは物凄い兵力なわけですよ。
しかも、騎馬武者というのは、一人で戦うわけではなくて、
馬引きや供の徒歩武者が付き従いますからね、実際は数十万の大兵力になるわけです。
兵器や艦船では優性であっても、肝心の陸上兵力では、列強といえども日本には
全く太刀打ちできないわけです。


632:日本@名無史さん
09/11/26 18:55:32
そんな欧米の一部兵力ごときに惨敗を喫した大藩毛利。

633:日本@名無史さん
09/11/26 20:48:51
そもそも八万騎なんていない。
せいぜい二万ってとこだ。
供をあわせてもしかしたら八万にいくかいかないかくらい

634:日本@名無史さん
09/11/26 21:04:39
供と言っても譜代の家臣は大名家に比べると少ないしな、大身はともかく。

635:日本@名無史さん
09/11/26 21:41:45
>631

イタリア相手じゃまいぞ。
英仏だぞ、相手は。
おまけにアメリカまでいるんだぞ。

636:日本@名無史さん
09/11/26 22:21:11
100石につき2人
400万石÷0.02=8万騎

637:日本@名無史さん
09/11/26 22:23:43
単純に徴発可能な人数だね

638:日本@名無史さん
09/11/26 22:30:28
下級幕臣は式日だけ人手を雇ったりしてたわけだしな

雇う金がなくて上司に挨拶にいけず、小普請から抜け出せない悪循環にもなってたらしいな

639:日本@名無史さん
09/11/26 22:59:06
一応、侍が外出する際には、は中間とか草履取りなどの供揃えをする義務有り
たしか町奉行所の同心でも




640:日本@名無史さん
09/11/26 23:11:29
基本的に最下級である抱席御家人は役付きだから中間小者の一人は雇ってたろうな

641:日本@名無史さん
09/11/26 23:39:34
>>636
大都市江戸で馬1頭を飼育するには
年12両程度必要

642:日本@名無史さん
09/11/27 00:57:38
馬必須な格式は400石くらいかね。

643:日本@名無史さん
09/11/27 01:52:23
>>635
当時アメリカは極東に拠点を持っていないので、
日本に派遣できた兵力はペリー艦隊でおそらくいっぱいいっぱい。
数千人規模でしかない。
できることは、沿岸から大砲で恫喝するのがせいぜいで、軍事拠点の占拠などは不可能。
これは英仏も同様で、中国大陸にまとまった兵力があるとはいえ、
それをおいそれと日本にもってこれるものではない。
(大陸の兵力は大陸の権益を守るために置いているのであって、
 日本に移動させては意味がない、これは艦隊も同じ)

644:日本@名無史さん
09/11/27 02:38:16
脅しと透かしの交渉術だよ

645:日本@名無史さん
09/11/27 02:59:27
>>643
>軍事拠点の占拠などは不可能。
下関砲台はノーカウントかな?

646:日本@名無史さん
09/11/27 03:07:32
>>645
一時占拠であって、占拠しつづけることはできないっしょ。
つまり、交渉(恫喝)材料として、一時的に占拠はできても、
そこを自らの軍事拠点として保持する力はない。

647:日本@名無史さん
09/11/27 06:56:31
占拠は一時占領のニュアンスで使われることが多い。永続占拠なら普通は占領と呼ぶだろう。
軍事力に関する認識の違いというよりは、用語の認識の違いだな。

648:日本@名無史さん
09/11/27 07:02:38
つまり、

× >軍事拠点の占拠などは不可能。
○ >軍事拠点の占領などは不可能。

でFA

649:日本@名無史さん
09/11/27 10:04:39
何故奇兵隊等庶民から兵を募ったのか?それは武士の世襲による弊害で常備性が崩壊していたからだ。ある番士は60歳、同役15歳、8歳。これで戦争ができるか。幕府も同じで浪士や鳶職等の傭兵に頼った。


650:日本@名無史さん
09/11/27 10:07:33
8歳では見習いにすらなれんだろ。

651:日本@名無史さん
09/11/27 10:10:29
何でもかんでも旗本のせいにしているが、黒船が来てから十数年の年月があったのに、
旗本に対してまともな軍制改革に着手しなかった幕府の責任そのものだろ。

652:日本@名無史さん
09/11/27 12:59:42
今さら幕府の批判してるやつなんなの?幕府もうないのに・・・

653:日本@名無史さん
09/11/27 14:53:36
??┻┳?一

654:日本@名無史さん
09/11/27 17:34:34
千石の旗本で、家臣・使用人は何人ぐらい召抱えてたのかな?

手元のメモに、
「用人2人・給人1人・小姓3人・足軽2人・中間8人・女中7人」
って自分で書いてあった(出典不明。たぶんネットで見つけてメモった)けど、
千石でこの人数は多すぎるよな、どう考えても。

655:日本@名無史さん
09/11/27 17:43:59
軍役は1万石で250人程度。千石なら二十数人だから、平時なら相応。

656:日本@名無史さん
09/11/27 18:01:42
平時なら相応か、千石でも結構な人数抱えてたんだな
女中7人は多い気がするけど、半分ぐらいは殿様のお手つきかなw

657:日本@名無史さん
09/11/27 19:02:09
千石の旗本なら屋敷も広いからな。炊事と掃除だけでも大仕事だ。家族がいるから、
奥方のお付きの女中も必要だしな。

658:日本@名無史さん
09/11/27 21:01:54
>>649
なるほどな、常備性の崩壊か。



元気な老人はなかなか家督を譲らなかった元気な老人も結構いたようだし
定年がないというのも痛し痒しかもな。

根岸肥前守も79歳で死ぬまで町奉行に在任してるみたいだな。
いくら有能でも、そういう老人が多いとポスト空き待ちの連中はたまったもんじゃないなw

659:日本@名無史さん
09/11/27 21:07:38
19世紀前半だと、留守居とか旗奉行、槍奉行なんかには80代、90代の大ベテランまでいたそうな。

660:日本@名無史さん
09/11/27 23:57:38
>>642
馬を持つのは五百石からじゃなかったかな?
五百国扶持のことを馬一頭のお家柄と呼んでいた。
ちなみに、「槍一筋」の家といえば、二百石扶持の家。

661:日本@名無史さん
09/11/28 00:51:23
>>660
ああそうなんだ。
確か前田が400石くらいだったから幕府もそうかなと。



662:日本@名無史さん
09/11/28 01:17:50
>>658
>元気な老人はなかなか家督を譲らなかったそうだし

氏家幹人氏の著書に、そういうご老人たちを書いた章がある。
早死にも多かった時代だけど、長寿で元気な人は意外に多かったようす。

663:日本@名無史さん
09/11/28 06:08:24
平均寿命を下げたのは乳児死亡率の高さだからね

664:日本@名無史さん
09/11/28 07:39:18
>>660
騎馬は200石で当主に加えて一騎。
200石高の町与力の軍制もこの通り。

665:日本@名無史さん
09/11/28 10:54:09
第二次長州征伐で大阪城本丸御殿に幾人もの七、八歳の童子が旗本の当主として詰めていた。先代の当主達が命惜しさに俄か隠居したためである。これを見た慶喜は幕府の命運はもはや尽きたと落胆したと言う。

666:日本@名無史さん
09/11/28 12:53:13
直参旗本の名が泣くな
あの世で鬼作左に叱られてることだろうw

667:日本@名無史さん
09/11/28 16:56:04
幕府が鳥羽伏見で敗れても大身の旗本の殿様の関心事は朝顔の品評会にあったと言う。

668:日本@名無史さん
09/11/28 17:08:16
江戸時代の朝顔の多種多様なことには驚くし
どういう交配からこの種が生まれるなんてこともわかってたのに
遺伝の法則を見つけられなかったのは不思議なことだ

669:日本@名無史さん
09/11/28 17:20:08
>>667
今だって、民主党が温室効果ガス25%削減とか言って日本を滅ぼそうとしてても
マスコミや大衆の関心事は、芸能人だとかスポーツ選手だとかの話ばかりだしね。

670:日本@名無史さん
09/11/28 17:23:00
子が親の形質を受け継ぐことはどの民族だろうと常識。それを一般化する必要性を感じたか否かの問題だろう。
少なくとも、品種改良という目的には大した意味がない。メンデルの法則も、それ単独の知見としては大したことを
言ってないから数十年顧みられることがなかった。ダーウィンの進化論や分子生物学と並べてはじめて価値が
生じるものだからね。

671:日本@名無史さん
09/11/28 22:21:50
>>669
んな間接的な話でなくても、小泉純一郎が以前「日本を叩き売りしまーす」
と叫んだ時に、馬鹿が大勢票を投げ捨てていたのを見ればわかるだろうに。

672:日本@名無史さん
09/11/28 22:27:29
>>671
で、株価と雇用の上昇はスルーかなw
小泉を全否定したがる奴って経済・外交分野は自力では理解出来てないしw

公的資金強制注入による不良債権処理
数字上の好景気と新卒売り手市場
すら無かったことにしたがるしw

673:日本@名無史さん
09/11/28 22:44:31
新自由主義なぁ・・・

674:日本@名無史さん
09/11/28 22:56:50
>>672
前の成果がやっと出てきた、という果実をむしっただけだろうに。
今の景気後退が「小泉式叩き売り」完了後だったらえらいこと
だったよ。
で、世界に向けて「日本は強面で迫られればいくらでも下がります」
と公言してきた小泉の「外交分野の成果」ってなんだね?

675:日本@名無史さん
09/11/28 23:17:10
>>665
隠居を言い出しても認めなければいいはずなんだけどね。

676:日本@名無史さん
09/11/29 02:54:34
10年以上運動してないだろう文官のおじいちゃんを動員するより、まだマシじゃね?

677:日本@名無史さん
09/11/29 04:24:56
>>661
前田は家によって四分役と二分役があって(100石に付き四人か二人かの違い)
400石で騎馬というのは二分役の家じゃないかな?

678:日本@名無史さん
09/11/29 07:31:24
彰義隊が戦っているのに殆んどの旗本、御家人は知らん顔。都市生活者と言う者が腐敗堕落して他人に無関心になるのは今も昔も同じ。

679:日本@名無史さん
09/11/29 07:59:00
高家や交代寄合という、いわば新参者のみならず、
三河以来の家柄の高禄の大身旗本にも早々と新政府に帰順して朝臣になった者は多い。

静岡に無禄移住したり、箱館に脱走したり、帰農した連中より賢明だな。
武士の賓雷のあり方は「一所懸命」なんだから、所領の安堵を最優先するのは当然だ。

680:日本@名無史さん
09/11/29 08:17:28
>>679
>武士の賓雷のあり方

× 賓雷
○ 本来

681:日本@名無史さん
09/11/29 08:58:26
>>671>>674
具体的に書いて見なさいな
在任中の指標や指数でも貼ってみなさい
是々非々を論ぜられない盲目的なお人に分析は無理

682:日本@名無史さん
09/11/29 09:14:26
小泉がどうの新自由主義がどうのって時事ネタはスレ違い、板違い。
ダラダラ長くやると完全に脱線だから、どっかよそでやれよ。

旗本について語る意思がないのなら、ただの荒らしだろ。

683:日本@名無史さん
09/11/29 09:41:18
歴史は繰り返す。旗本・御家人の堕落で徳川幕府瓦解
清朝の堕落で日清戦争の清の敗北、辛亥革命
民国政府の堕落で中国革命
日本はというと平成以降長い堕落のトンネルで
以下略


684:日本@名無史さん
09/11/29 09:47:25
>>679
帰順した人の活躍ってあんまり聞かないんだけど、その後どうなったの?

685:日本@名無史さん
09/11/29 09:55:35
所詮、官僚だからなぁ。

そういや、秋山好古の嫁さんの実家の佐久間家て幕府以来の屋敷みたいだけど明治になってからは何していたんだろう。

686:日本@名無史さん
09/11/29 14:13:00
番方といっても、平時は特に何もすることないからな

687:日本@名無史さん
09/11/29 15:44:45
若く体力があり訓練で練達されてないと軍隊にならない。一部の新進気鋭の者を除いて大部分の旗本は本来の将校、将軍の役回りができなくなり歩兵を雇う資金の分担のみで時代から取り残された。

688:日本@名無史さん
09/11/29 20:04:01
帰順した旗本も、廃藩置県以前に知行は新政府に収公されてはした金貰って終わり。
その後は、お寺で憤死したり、旧知行の農民から金を借りて行方知れずとか、帰農して身の回りの世話を
自分の娘にさせ、そのまま2人とも死んで旧知行内の菩提寺に葬られたり。

689:日本@名無史さん
09/11/29 21:33:57
>秋山好古の嫁さんの実家の佐久間家て幕府以来の屋敷みたいだけど
確かに、明治も十五、六年になっても、旧幕時代とかわらぬ生活を維持できてるのは、
尋常ではないな。

690:日本@名無史さん
09/11/29 21:48:40
うまく旧知行地で地主になれたんじゃないか。我が家も昭和初期まで旧知行地に私有地を持っていて村役人の地位を確保していたよ。

691:日本@名無史さん
09/11/29 21:59:05
旧旗本が旧知行所で地主?
実例あるのか?

692:日本@名無史さん
09/11/29 22:12:36
遠山の金さんの子孫が維新後、千葉県の旧知行所に帰農してたという例はある。
明治の中頃には東京に戻ったそうだが。

693:日本@名無史さん
09/11/29 22:18:06
金さえあれば地主になれるから、実例はある。知行所の在地代官や村役人とは直近まで主従関係だから、
土地売買の仲介役には事欠かないし。
新政府から貰った金を陪臣に配って共倒れ同様に元手を失ってしまうか、陪臣を小作人にでもして土地を
買うか、どっちが家中にとって幸せだっただろうか。
しかし、旗本当主に才覚がなければ、才覚のある陪臣はとっとと主君を見限り、ない陪臣は右往左往するうちに
共倒れ同様になってその家中は終わりだったわけだけどね。

694:日本@名無史さん
09/11/29 22:21:57
米良氏とか長澤松平氏、岩手竹中氏など、交代寄合でも旧知行地で明治以後も屋敷を構えていた家は多いね。

695:日本@名無史さん
09/11/30 00:16:03
>>682
自分で始めて都合が悪いと自治で収束を計るかね
新自由主義wとかさ
基本は雑談はオートマチックにスルーされる
過疎板だって大前提すら忘れてないかい

まぁ基本、近世経済が趣味な史学は素人で無頼漢なだけど
せめてIPくらいは変えてこい

逃げるくらいなら絡むな

696:日本@名無史さん
09/11/30 00:23:17
まだやってるのか、この板違い野郎は。

697:日本@名無史さん
09/11/30 00:24:03
>>689
自分もあの屋敷構えを見て、あの家は駿河に下らなかった組なのか?とか
上手く新政府の高級官僚となり潤っているのだろうか?とか、
色々と考えながら見ていたよ。

原作を読んだことのある人いますか?
その中に佐久間家についての記述は何かあるのだろうか。

698:日本@名無史さん
09/11/30 07:19:43
大身旗本といいこと以外には特に書いてなかった

699:日本@名無史さん
09/11/30 12:56:48
佐久間家から好古に嫁いでるから没落したんだろ

700:日本@名無史さん
09/11/30 13:32:46
しかし、あのエピソードは SNE だな。


701:日本@名無史さん
09/11/30 20:03:33
佐久間の屋敷、立派な門構えだったね

702:日本@名無史さん
09/11/30 20:17:41
>>699
帝国軍人の好古は、いわば「天朝様の御旗本」だから、別に没落にはならんだろ。

703:日本@名無史さん
09/11/30 21:32:31
旗本の佐久間家は1300石が最高?

704:日本@名無史さん
09/11/30 22:14:56
>>702
司馬の原作にも天朝様の旗本と書いてあるよね
でも事実として佐久間家は没落旗本だったんだよな
原作には書いてないけどドラマでは好古と民のお見合いシーンがあるみたいだしその辺りの事情も描かれてるかもね

705:日本@名無史さん
09/11/30 22:17:18
>>702
最下級の伍長でも法的にれっきとした「帝国軍人」で天皇陛下の官吏だから、「天朝様の御旗本」かな?

※からかってるわけではありません

706:日本@名無史さん
09/11/30 22:19:57
千石台って大身なのかな
3千石以上じゃなくて?

707:日本@名無史さん
09/11/30 22:21:03
大身旗本にしては屋敷狭くない?


708:日本@名無史さん
09/11/30 23:21:56
千石は相当でかいやろ。

709:日本@名無史さん
09/11/30 23:31:29
幕臣中でも知行千石以上はごく少数のエリート中エリート

710:日本@名無史さん
09/12/01 01:11:19
そりゃ、何千石の旗本も少数いるわけだけど、
幕臣階層石高ピラミッドの下のほうの家が圧倒的に多いわけで、
千石どりだったら「大身」って言われるんじゃないのかな。

正岡子規の家って、お馬廻りだったんだ。
確かに、秋山家と比すと「低くはない」家筋ではあるね。

711:日本@名無史さん
09/12/01 13:30:18
正岡姓は四国で名族だよ。久松の殿様が三河から連れてきた移住組ではなく元来四国にいた豪族の系統だよ。

712:日本@名無史さん
09/12/01 18:02:04
小十人筋、大番筋、書院番筋、寄合の典型的な出世ルートはそれぞれどんな感じだろう?

書院番は番衆→使番・徒頭・小十人頭→組頭・目付→遠国奉行→三奉行→大目付って感じかな
役方の下級旗本だと勘定→評定所留役→組頭→勘定吟味役→とか・・・

713:日本@名無史さん
09/12/01 19:42:08
小説やドラマの中の佐久間家は、羽振りがよさそうだったけど、
史実の佐久間家はやっぱり維新で零落して窮迫してたのかねえ。

でも、漱石の「坊ちゃん」の主人公(多田?)の生家は、
坊ちゃんの親父が生きてるうちは、そこそこゆとりのある暮らしぶりだったが。

714:日本@名無史さん
09/12/01 20:09:42
「坊ちゃん」の主人公一家から明治の旧旗本の具体的な姿を見てみる。
作中の年代は、モデルとなった漱石の松山赴任時期と同じなら1890年代中頃、
作品の執筆時期と同じなら1900年代中頃だが、その頃の旧旗本一家の一例。

父親・・・「何もせぬ男」、すなわち無職。先祖代々の屋敷で何もせず自適。
兄・・・高等商業(現在の一橋大)を卒業して、会社員となり九州支店に赴任。
本人・・・物理学校(現在の東京理科大)を卒業して、数学教師として松山の中学に赴任。のち街鉄の技手。

こうして見ると、人力車夫や女郎に落ちぶれた旗本が多い中、坊ちゃん一家はかなり恵まれている。
息子たちは中学から専門学校(現在の大学)まで進学し、会社員や教員になっている。
士族、旧旗本としての品位を落とさず、明治の代でそれなりの職業についている。

しかし、このような境遇の旧旗本は実際にどれだけいたのだろうか?

715:日本@名無史さん
09/12/01 20:18:12
理科大は凄いが、一橋って聞いたこと無い。随分落ちぶれたな。

716:日本@名無史さん
09/12/01 20:27:55
釣りか?
現在の一橋大学は言うに及ばず東大・京大に次ぐ一流大学だが。
理系でいうと東工大のポジション。
尤も当時と今を単純に比べることには意味ないけど。

717:日本@名無史さん
09/12/01 20:41:16
職業でなく大学名に今の感覚で反応するアホな厨房を相手になに遊んでんだか。

718:日本@名無史さん
09/12/01 21:02:39
高等商業といっても、どういう学校かわからんだろうから、
現在の校名を書いただけなのに、何を過剰反応してるのやら。

「坊ちゃん」の主人公の家は、父親の存命中は売り食いか家作の収入でもあったのかな。
父親の死後、家督を継いだ兄が家屋敷を処分してるくらいだから、家作はなかったかもしれん。
それでも無職の主人が、妻子を養い、二人の息子に高等教育を受けさせたのだから、
旧旗本としてはそこそこ裕福だったことは疑いを得ない。

可能性としては、明治初年に朝臣になって、新政府の官吏にでもなってたのだろうか。
新政府の中下級官吏の大半は旧幕臣だったというし。

719:日本@名無史さん
09/12/01 21:09:57
そんなところかもね。
新政府の中下級官吏ってかなり待遇良かったらしいね。
「武士の家計簿」の旧加賀藩士・猪山家も、中央の官吏になって叙位されてたっけ。

旗本でも数万両溜め込んでた家も中にはあったみたいだけど、
そういう家が明治以後どうなったことやら・・・

720:日本@名無史さん
09/12/01 21:23:17
>>712
寄合⇒江戸城門番・駿府加番・中川御番などのボランティア勤めで実績⇒
大目付、小普請組支配、甲府勤番支配、駿府城代、御側衆などの重職勤め


721:日本@名無史さん
09/12/01 21:57:17
高家をやってた畠山家(政長系)は、維新後に分家からとった養子に
家督を譲った、という話が論文(畠山家の子孫から大学に寄贈された文書の
調査に関するもの)に掲載されてたけど、こういう高家や一般の旗本って維新後の
話ってほとんど聞かないよな・・・

722:日本@名無史さん
09/12/01 21:58:47
御側衆以外、あまり実権やうまみのない御役だよなぁ
そりゃ城代や番頭、支配役は名誉の御役なんだろうけど大変そうだな
大目付は風紀委員みたいに重箱の隅をつつくのが仕事だし・・・

723:日本@名無史さん
09/12/01 22:25:02
案外「人力車夫や女郎に落ちぶれた旗本が多い」てのが珍しいからネタ話に残っただけで
堅実で震災か空襲まではいちおう体裁保ってたのがほとんどで珍しくもなんともなかったので
話そのものが残っていないとか・・。

官僚は薩摩、長州やけど、ノンキャリ公務員程度ならなんとかみたいなもので。


724:日本@名無史さん
09/12/01 22:26:17
寄合なんで基本は3千石以上の御大身
従五位下諸大夫役の名誉職でOKだったんでしょう

725:日本@名無史さん
09/12/01 23:07:59
旗本の大多数が没落した
有名な話だが2500石稲葉家は債務者に追われ
かつて屋敷に使えた乳母がいる元町同心の家に債務家者の対応をしてもらったが
最後には夜逃げした

元町同心は樋口一葉の家

726:日本@名無史さん
09/12/01 23:50:29
夜逃げ後は身分を隠して、裏長屋で都市細民として社会の底辺に埋没したんだろうな。
その日の糧を得るため、人力車夫や日雇い労務者。下手をすれば嫁や娘は女郎。

子どもは教育を受ける機会もないので階級上昇の機会もなく、士族らしい風儀も忘れ、
社会の底辺に這いずる貧しい労働者となり、結婚相手も士族でもなんでもない貧民窟の人間と・・・

727:日本@名無史さん
09/12/01 23:51:28
秋山の大家の佐久間殿なら大学南校でドイツ語の先生つーか文部省の役人してたような。

728:日本@名無史さん
09/12/01 23:53:02
>>723
まあ、明治期の知識階層って士族系の連中が多いからなあ。

729:日本@名無史さん
09/12/02 00:09:11
>>725
樋口一葉が窮乏生活してたってのは、
父親が亡くなったということのほうが大きいんじゃないの。

あの頃は父親が死亡して没落・・・という家が多いからね。

730:日本@名無史さん
09/12/02 00:36:32
>>729
蜷川新のように父親が死んだ後、親戚を頼った(母方が大名だった)ケースもあるようだけど、
蜷川家の場合も家財を売っている(蜷川家文書も蜷川新から国が購入している)し、やはり
父親の死亡=収入の途絶=没落というケースは多かったんだろうな

731:日本@名無史さん
09/12/02 00:44:48
>>726
維新後、アメリカに移民した元会津藩士の中には黒人と結婚したやつもいたらしい。

明治維新、恐るべし。

732:日本@名無史さん
09/12/02 02:00:09
>>729
樋口一葉が貧乏とかじゃなくて二千五百石の稲葉家のことだろ?
一葉の父は稲葉の元家来にも金貸してたみたいだな

733:日本@名無史さん
09/12/02 02:35:06
樋口一葉の母滝子が安政四年六月に旗本稲葉家の乳母として屋敷に上がった時の給金は三両、外に仕着料一両、里扶持一分一朱、小遣い二百文だった。
当時、夫の樋口則義は甲斐から出奔したばかりで同郷の幕臣真下専之丞の元で求職中で、
翌月に蕃書取調所の小使いになりさらに翌年に大阪城番与力田辺太郎の従者になり大阪に単身赴任した。
後年則義が町同心株を買い御家人になる時、稲葉家の知行地採用の家来を親類だと偽装して分限小札に記し幕府に提出した関係もあった。



734:花
09/12/02 06:47:46
明治政府は江戸幕府の因縁を引き継いでいた。

URLリンク(akiba.geocities.jp)

新暦と旧暦に、その陰謀は隠されていた。

735:日本@名無史さん
09/12/02 08:03:00
乳母ってけっこう金もらえるんだな

736:日本@名無史さん
09/12/02 09:14:55
>>735
いやいや、多分月給じゃなくて年給
住み込み食事つきじゃないとやっていけない

737:日本@名無史さん
09/12/02 18:09:33
漱石や子規と同い年の幸田露伴の生家は茶坊主をつとめる御家人の家柄だった。
実兄は千島探検で有名な郡司成忠大尉。

露伴自身は電信技師になるための学校を出て、北海道に技師として赴任したが、
極寒の僻地での生活に嫌気がさして、職場放棄して東京に逃げ帰った。

738:日本@名無史さん
09/12/02 18:52:32
「坂の上~」で秋山兄が佐久間家の老女中に陪臣と見下されてたけど、
同じ直参の旗本と御家人の間(御役の上下関係のない小普請同士で)でも、
どこかで同席した場合のとかの身分差は大きかったのかな?
地方藩だと、上士と下士の差でいろいろ過酷な話も多いけど・・・

739:日本@名無史さん
09/12/02 19:27:48
植村 正久(1858年1月15日〔安政4年12月1日〕 - 1925年1月8日)
思想家・キリスト教の伝道者・牧師・神学者。
号は「謙堂」あるいは「桔梗生」など。
1,500石どりの旗本の長男に生まれるが、幕府の瓦解とともに生家は没落する。
横浜へ出て薪炭商などを営むなかで、J・H・バラの学塾に通ってキリスト教に接し、
横浜日本基督公会で1873年5月にバラから洗礼を受ける。

740:日本@名無史さん
09/12/02 19:39:17
>>731
>黒人と結婚したやつもいたらしい
ワカマツ・コロニーの入植者はほとんどが黒人女性と結婚し
子孫は日系人社会ではなく黒人社会に溶け込んだんだよ

741:日本@名無史さん
09/12/02 20:01:35
悲惨だな、それ。

742:日本@名無史さん
09/12/02 22:18:04
劇画の「荒野の少年イサム」。
アメリカに渡った父親は元会津藩士だという設定w
黒人女性ではなくネイティブの女性と結婚したことになってる。

743:日本@名無史さん
09/12/03 00:02:28
陪臣の話はスレ違いだろ

744:日本@名無史さん
09/12/03 20:57:59
陪臣関係のスレってそういえばないよな
大名スレ・家老スレはあるのに三百藩スレがないという不思議

745:日本@名無史さん
09/12/04 07:30:38
旗本、御家人の家来は諸藩の陪臣と同格となるわけだな。

746:日本@名無史さん
09/12/04 08:20:13
>>738
陪臣ってのもおかしいよな。
秋山兄は帝国陸軍将校だから天皇の直参中の直参。

747:日本@名無史さん
09/12/04 08:29:57
天皇の陪臣っているの?

748:日本@名無史さん
09/12/04 08:49:57
明治憲法以前は、位階のついてない将軍や大名の家来は陪臣じゃね。

749:日本@名無史さん
09/12/04 08:50:46
朝臣の家人とか。

750:日本@名無史さん
09/12/04 09:43:07
公家侍は何にあたるんですか?

751:日本@名無史さん
09/12/04 10:04:23
大名なみの官位があったりするから天皇の直臣。

752:日本@名無史さん
09/12/04 10:49:55
位階もってないのは天皇の陪臣は?

753:日本@名無史さん
09/12/04 15:37:25
明治以降に天皇の直臣なんて言うか?
じゃあ天皇の陪臣っているの?
重臣ならわかるが


754:日本@名無史さん
09/12/04 16:44:13
明治憲法だと国民全員等しく天皇の臣下ってことになってるから、
日本国民は全員言ってみれば直臣、ということで、
直臣陪臣って言葉に意味がなくなって使われなくなったんでしょう。

755:日本@名無史さん
09/12/04 17:01:31
明治の初めなら江戸時代の身分秩序を振り回す奴らが多かった。田舎には今もいるようだけど。
旗本知行地などで聞き込み調査とかしていると「○○さんの家は陣屋詰だったけど、士族じゃなくて卒だ」とか
馬鹿にしたように言う郷土史研究家に何人か会った。

756:日本@名無史さん
09/12/04 17:44:59
その郷土史家自身は百姓の出のくせになw

757:日本@名無史さん
09/12/04 17:50:11
↑そういうお前はいまだに封建秩序を振り回す田舎者の癖にな。

758:日本@名無史さん
09/12/04 18:11:04
郷土史家って中学や高校の歴史の先生だった人が多いよな。
で、地方や農村部の場合、農家の息子が学校の先生になってるケースが多い。
寺の住職や神主の場合も多いが。

759:日本@名無史さん
09/12/04 18:17:27
農村部にはそもそも士族がほとんどいないから高率で農民なのは当然といえるけど。

760:日本@名無史さん
09/12/04 18:44:16
郷土史家の志とは明治維新以後に旧藩の事績を忘れないで欲しいと言うような旧体制側の事情、哀惜にある。昭和の軍人が大東亜戦争肯定論的な戦記を書きまくっているのに似ている。

761:日本@名無史さん
09/12/04 20:04:38
盗人にも・・・と言うと語弊があるが、どんな立場の人にも、
多かれ少なかれ、それなりに尤もな事情があるものだ。

762:日本@名無史さん
09/12/04 23:42:44
挑戦とか外地は陪臣じゃね?

763:日本@名無史さん
09/12/05 00:15:46
旗本知行所に卒なんかいるのか?

764:日本@名無史さん
09/12/05 00:24:31
>>762
植民地ではなく、併合である以上、実態はともかく、建前上は内地の人間と同じはず。
というか、「陪臣」って言葉の意味理解できてるか?

765:日本@名無史さん
09/12/05 00:30:24
のび太は陪臣だな

天皇―ジャイアン―のび太

766:日本@名無史さん
09/12/05 00:35:52
自演病が紛れ込んでるな

767:日本@名無史さん
09/12/05 00:41:38
自演どうこう以前に意味不明すぎるw

768:日本@名無史さん
09/12/05 07:17:49
町奉行所には御目見以下の「与力(職禄120-230俵)」「同心(職禄30俵2人扶持)」が
いたが、同心⇒与力への昇格は皆無であったらしい。

これに比べ勘定系は、支配勘定(以下)⇒勘定(以上)⇒勘定組頭⇒勘定吟味役(布衣)
⇒勘定奉行(諸大夫)と 立身出世の少ないながらも残されていた。

769:日本@名無史さん
09/12/05 08:36:30
>>763
代官所を構えていれば現地採用の下役人がいるし、明治初頭の身分制では、それらの多くは卒族になった。
のちに代々の取立てなら士族、一代二代程度なら平民になったそうだ。

770:日本@名無史さん
09/12/05 12:13:14
駿府にいた同心は正式な幕臣でなかったらしく家達の静岡藩が成立するとお役御免で追い払われている。

771:日本@名無史さん
09/12/05 12:26:18
正式でないというより、下っ端だからリストラされただけじゃないのか。

772:日本@名無史さん
09/12/05 12:29:05
同心って足軽(卒分)のことだからなぁ

773:日本@名無史さん
09/12/05 15:02:00
町奉行所には同心とは別に足軽がいるよ

774:日本@名無史さん
09/12/05 16:05:33
隠密同心はあっても隠密足軽ってのはない(?)

775:日本@名無史さん
09/12/05 16:28:51
NINJAと言えYO!

776:日本@名無史さん
09/12/05 17:35:50
>>739
>植村 正久
徳川の1500石の旗本の家に生まれた。
大政奉還で没落し、立身出世を目指して英学を学ぶ。
そこで、ブラウン宣教師、バラ宣教師に師事した。
16歳のときにバラより洗礼を受け、日本基督教会の教会員となる。

上流階級、中流階級、ホワイトカラー層中心の教会を形成した植村正久は
「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」
と言って下層階級、ブルーカラー、肉体労働者層を排除した。

>「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」

旗本の大多数は「車夫、職工の類」になったというのに・・・

777:日本@名無史さん
09/12/05 20:36:19
天野八郎は自称旗本?

778:日本@名無史さん
09/12/05 20:57:45
>>778
やっぱり1500石の大身旗本の若様だからな。

779:日本@名無史さん
09/12/05 21:59:11
しかも大名の分家

780:日本@名無史さん
09/12/05 23:07:17
代官所の手代は現地採用の一代抱え、手附は御家人かね?
手代から世襲の手附に出世して転勤する例もみられるよう。
手代は管内では士装二本差しだが、江戸や他の代官所への出張のときは脇差のみとかややこしい決まりがあったらしいね?


781:日本@名無史さん
09/12/05 23:40:34
手附は御家人だが手附職は世襲ではない

782:日本@名無史さん
09/12/06 00:20:28
天野は幕臣ですら、ないのでわ?

783:日本@名無史さん
09/12/06 00:23:33
上野国甘楽郡磐戸村の名主の息子。
1865年、江戸町火消し与力の広浜喜之進の養子となったが、翌1866年に離縁し、
自ら旗本天野氏を称して天野八郎と名乗る。

自称旗本?


784:日本@名無史さん
09/12/06 00:49:51
彰義隊をどう考えるかだろうけど、一応幕府の命で市中取締に任じたわけだから。
新撰組→浪士結社→京都守護職支配下→全員幕臣
彰義隊→任意団体?→幕臣、浪士のごっちゃ→公認?
天野は副頭取だけど、お雇いぐらいの感じか・・・


785:日本@名無史さん
09/12/06 08:04:21
南の妖怪・鳥居ヨウ蔵について、こんな記述が・・・

>鳥居は養父鳥居一学の長女を妻としたが、その妊娠中に二階から突き落として死なせた。
>その次女を妻としたがこれもまた一朝の怒りに狂して妊身に踏台を投げ付けて即死させた。

>鳥居の骨格相貌は一見して奸悪な人間とわかる険相だった。
>なぜ温和な父述斎の息子にこんなものが生まれたかと思わせるほどだった。 

786:日本@名無史さん
09/12/06 09:05:06
一見して奸悪って単なる誹謗中傷じやね
話全てが嘘臭くなる。

787:日本@名無史さん
09/12/06 09:47:55
大名、端本の当主てのは一種ね公職だから変な事していたら縁座の対象の一族、親戚、上司部下同僚よってたかって隠居か養子離縁だわさ。

788:日本@名無史さん
09/12/06 10:44:56
鳥居は明治維新後も生き抜いて「俺を処罰するから幕府は滅んだ」とうそぶいたと言う事だ。

789:日本@名無史さん
09/12/06 11:56:49
はたもとの子孫
三省堂書店創業者一族・・姻戚がソニーの盛田

790:日本@名無史さん
09/12/06 13:04:36
松平定知なんて桑名の末裔かと思ったら久松の分家の旗本なんだね。

791:日本@名無史さん
09/12/07 23:55:44
それでもNHK好みの家系だね
事件おこしても復活してるし
あだ名が殿様、旗本でも殿様は殿様だろう

792:日本@名無史さん
09/12/08 07:28:49
分家旗本が本家の養子に入って大名になった例は姫路榊原、小田原大久保、宇和島伊達か?他には?

793:日本@名無史さん
09/12/08 07:49:20
幕末の姫路酒井。
兄弟2人が続けて相続した上、兄は大老、弟は老中。

794:日本@名無史さん
09/12/08 07:50:18
あと幕末の白河藩阿部氏も。
これまた町奉行から一気に老中就任。

795:日本@名無史さん
09/12/08 08:37:57
昔は二十、三十でポックリ死んだからな。遠山の金さんも跡目が回って来たんだよ。

796:日本@名無史さん
09/12/08 11:35:09
遠山金四郎ってかっこいいよな

797:日本@名無史さん
09/12/08 13:10:16
遠山景織子って子孫なの?
景がついてるけど、偶然か

798:日本@名無史さん
09/12/08 14:12:29
遠山景織子の姉妹はみんな景の字がついているそうだが
後北条系遠山氏で金さんの末裔ではない


799:日本@名無史さん
09/12/08 15:33:36
>>793
佐幕派だったんで維新後は謹慎させられたが
後に許されて分家して2人とも男爵
幕臣の身からは思いも寄らない出世だね
 
姫路酒井は7代で直系が絶えた後
初代重忠の父正親から分かれた系統へ行って15代忠顕まで続き
やっと初代重忠の十代孫忠績へ家督が帰ってきたんだな
そういう意味ではもっと早くから大名になっててもよかった

800:日本@名無史さん
09/12/08 17:52:52
>>799
明治になってから男爵になったことよりも、
旗本の息子が15万石の譜代名門を相続した上、すぐに大老や老中になったこと自体が、
一介の幕臣の身からは思いも寄らない出世だと思う。

大老や老中をつとめた身からすれば、男爵ていどは出世とは思えないのでは?
(たとえ「朝敵」として官位剥奪された身とはいえ)

801:日本@名無史さん
09/12/08 18:48:19
養子大名連中は幕末凄い活躍してるよ


802:日本@名無史さん
09/12/08 18:56:08
剣豪将軍義輝なみの活躍をか。

803:日本@名無史さん
09/12/08 19:29:57
旗本の維新後の没落は自業自得だよな

804:日本@名無史さん
09/12/08 19:42:36
>>802
酒豪大名なら約1名、土佐のほうにいるけど。

805:日本@名無史さん
09/12/08 20:34:18
酔侯も養子、容保も養子、将軍も養子

806:日本@名無史さん
09/12/09 00:13:34
もともと、養子の多い時代だからね

807:日本@名無史さん
09/12/09 00:40:48
旗本から大名への養子の代表は宇和島伊達の賢侯だろうね

808:日本@名無史さん
09/12/09 02:24:01
未決事案を扱う御側御用取次と既決事案を扱う平御側では権勢が段違いだったのかな
老中の取次を拒否するケースって結構あったんだろうか・・・

809:日本@名無史さん
09/12/09 02:57:38
ない

810:日本@名無史さん
09/12/09 03:21:05
慶応4年段階で、旧幕府系何とか隊、がいっぱいできた。
そのなかで彰義隊が一番敷居が低くて、いぱーい集まった。
実質、愚連隊に近かったようだな。
彰義隊に「御旗本」が何人いたのか??

811:日本@名無史さん
09/12/09 09:53:54
>>810
そんなん、資料本を読めばすぐにわかることなのだが。

それに、愚連隊に近いような隊といったら彰義隊より他に
そのものズバリみたいな集団もいるよ。

812:日本@名無史さん
09/12/09 12:59:28
黒門の戦いの戦死者でも相当数の直参の若様達がいる


813:日本@名無史さん
09/12/10 01:50:09
情夫(色)に持つなら彰義隊

814:日本@名無史さん
09/12/10 07:32:10
全て慶喜のせいだ。己の保身と後世に朝敵の汚名を避けるために権現様以来の旗本、御家人を見棄てた。彰義隊は徳川二百年七十年の栄光に殉じた立派な存在である。

815:日本@名無史さん
09/12/10 11:39:12
武士道の頂点の人間が敵前逃亡ってのがな・・。
しかも維新後貴族にまでなって。
恥さらし

816:日本@名無史さん
09/12/10 12:07:39
武士道の在り方に多論があるのは、赤穂藩の取りつぶしで明白。
風聞を根拠に老人を夜襲に掛け惨殺したことが褒め称えられたが、家名存続のため
謀議に加わらなかったことが、武士道に恥じる物なのか不明だ。
武家は家臣と言っても、隷属したわけではない。
何を大切に考え、どのように名を残すのかは人それぞれ。
物事の解釈は多角的なので、武士道の在り方も一つではない。

唯一、一致するのは「己の信じる道を突き進む」ことくらい。

817:日本@名無史さん
09/12/10 12:16:38
貴族じゃないよ華族だよ

818:日本@名無史さん
09/12/10 18:05:32
帝国憲法時代の法律では華族は日本人で貴族は朝鮮人(李王朝の遺臣で日本の爵位を受けた者)と区別されていた。

819:日本@名無史さん
09/12/10 18:14:38
貴族院という言葉があるのだから、「貴族」というのは皇族や華族の総称であり、
漠然と華族などの特権階級をさした言葉だろう。

のちに「朝鮮貴族」が創設されたから、紛らわしいが。

820:日本@名無史さん
09/12/10 18:42:09
>全て慶喜のせいだ。
その慶喜に継戦を諦めさせたのが子供だらけの旗本部隊。

821:日本@名無史さん
09/12/10 19:59:37
>>819
貴族院には華族議員の他に勅撰議員や多額納税者議員もいた
だから華族院じゃなくて貴族院と範囲を広く取ってるわけ

822:日本@名無史さん
09/12/10 20:51:34
いずれにせよ、貴族=朝鮮人という解釈はまちがいだよな。

823:日本@名無史さん
09/12/11 01:18:36
818みたいな勘違いな薀蓄って、一体どこから仕入れてくるんだろうか・・・

824:日本@名無史さん
09/12/11 06:41:03
日本に法制上貴族と言う身分は朝鮮人有爵者のみを指す。日韓併合条約に附帯する朝鮮貴族令による。最上位は侯爵。日本の華族制度とは法制上別立。貴族院議員にはなれないなど差別されていた。つまり帝国憲法下には華族制度と貴族制度があった事になる。

825:日本@名無史さん
09/12/11 07:44:05
屁理屈こねるな。

帝国憲法制定時点での「貴族院」の名称は、朝鮮貴族なんぞを想定してたわけじゃないだろ。

なあにが貴族=朝鮮人だ。木を見て山を見ずってのは、おまえみたいな視野狭窄な重箱の隅ほじくり野郎のことなんだよ。


826:日本@名無史さん
09/12/11 07:50:35
頭が悪い。歴史オタクは法律面では無知だな。

827:日本@名無史さん
09/12/11 08:17:30
双方とも落ち着けよ

828:日本@名無史さん
09/12/11 18:42:22
明治時代は天皇を皇帝(対外呼称だけでなく国内向けでも)と言ったり、
国号も大日本帝国と大日本国と日本国と日本帝国を混用してたり、
けっこう名称にはアバウトなんだよね。

貴族と華族も、当初はそんなに厳密に区別してたわけじゃないだろ。

829:日本@名無史さん
09/12/11 20:13:16
旗本と旗本奴は同等か?

830:日本@名無史さん
09/12/12 12:41:54
>>826
法律の話をするなら、朝鮮貴族は「朝鮮貴族」という身分だね。

831:日本@名無史さん
09/12/12 18:47:29
君らいいかげんスレチだということに気づいてな

832:日本@名無史さん
09/12/13 23:26:41
勝、榎本、山岡以外で、華族になった幕臣って誰がいたかな。
大久保一翁くらいか。

渋沢とか益田孝とか郷純造とかは、純粋な幕臣じゃないし。

833:日本@名無史さん
09/12/13 23:47:38
松本良順
林董

養子だから「純粋」じゃないかな

834:日本@名無史さん
09/12/14 00:11:55
>>811,812
すまぬ。資料さがす。
大佛がそういうので、書いてみた。

835:日本@名無史さん
09/12/14 00:14:44
>>832
赤松

836:日本@名無史さん
09/12/14 09:09:26
最上徳内の本読んでるんだけど御譜代士になったって書いてあった
これって御譜代席の事なんですかね?


837:日本@名無史さん
09/12/14 10:42:13
>>832

池田謙斎


838:日本@名無史さん
09/12/14 18:46:27
「坂雲」を見ていて、好古が戦場に向かう場面で
身重妻の多美が「帰ってきて下さい」という台詞、
かなーり苦情が出るだろうなと思ってたら、某板でやはりヤリ玉にw
いえ、自分も「ご武運を」くらいにしとけばいいのに・・・とは思ったけど。

「武家の娘のくせに」と、多くの人が非難してたけど
旧旗本の家とて維新を生き抜くのに大変な時代、
「武家の娘たるもの、夫が戦場にむかう場合の心得」なんて厳しい躾を
皆がみな受けているわけでは無いだろうに、とふと思ってしまった。
もしも直参旗本の多くに、逞しい武家魂や気構えがあったら、
あんなに易々と官軍が江戸にはいれたわけないだろうに。

多美の家は官軍に抗うことがなかったからこそ、
あの家屋敷を保持できて到っているのだと思えば、尚さら。
好古は生きて立身してこその職業軍人なのだし。

自分の考えも少し天邪鬼が入ってるのは認識しています。けど、
明治のあの時代に「お国のために死んでこそ軍人の誉れ」的な風潮は無いよね?

839:日本@名無史さん
09/12/14 18:59:13
少なくとも、村田蔵六先生が生きてたら、そんな発想はしなかったろうな。

840:日本@名無史さん
09/12/14 20:45:47
俺の祖父は昭和18年に出征したが、駅で「絶対に死なないでくれ」って母(俺の曾祖母)さんに泣かれたらしい
曾祖母は仙台藩の下級士族の娘
祖父は、お国の為に死にに行こうという時になんて事を言うんだと憤慨したらしいが


841:日本@名無史さん
09/12/14 21:01:21
こういう婆さんがいたから日本は負けたんだ。

842:日本@名無史さん
09/12/14 21:02:28
太平洋戦争の頃の昭和は、そういう風潮が最高潮な時代だったのでは。

843:日本@名無史さん
09/12/14 21:42:12
昭和18年で「死ぬな」は大した勇気だな
さすがお武家のお嬢さんだなw

844:日本@名無史さん
09/12/14 21:58:12
仙台藩は賊軍だから

845:日本@名無史さん
09/12/14 22:50:38
>>841
むしろ、お前さんみたいな言い草のやつばかりになって、過剰な精神論に走った結果がアレだろう。

846:日本@名無史さん
09/12/14 23:13:12
小野田寛郎少尉の母上はお国のために立派に死んでこいと
小野田少尉を送り出したけど、それは時代が言わせた言葉
どこの世界に息子や夫に名誉の戦死を望むものがいようかと言ってたな。


847:日本@名無史さん
09/12/14 23:14:34
村田蔵六みたいな、精神論とは対極のリアリストが建軍の父なのになあ。

848:日本@名無史さん
09/12/14 23:40:28
君死にたもうことなかれ

849:日本@名無史さん
09/12/14 23:44:04
蔵六は花神だからね

850:日本@名無史さん
09/12/15 00:01:00
与謝野晶子の弟は職業軍人じゃないし。

851:日本@名無史さん
09/12/15 01:57:45
この場合職業軍人じゃなくてもいいだろ

852:日本@名無史さん
09/12/15 10:36:30
将軍に日常的に接する御小姓・御小納戸って意外と定数多いんだね

853:日本@名無史さん
09/12/15 11:02:24

奥医師もね
どこへ外出するにも付いて行くし


854:日本@名無史さん
09/12/15 21:48:32
御小納戸なんて数十名もいたから、将軍とそんなに親しく接する機会なかったんじゃないか?

侍従や秘書というより召使いや従僕って感じかな。

855:日本@名無史さん
09/12/16 02:27:08
例えは悪いけど、御側衆は執事長、御小姓は執事、御小納戸頭取はメイド長、
御小納戸はメイドさんのイメージがあるんだがw

856:日本@名無史さん
09/12/16 06:46:57

奥儒者=家庭教師の先生
奥医師=侍医、主治医



857:日本@名無史さん
09/12/16 09:30:20
図面とかみると将軍の居住空間(奥部分)って意外と狭いのな

858:日本@名無史さん
09/12/16 23:46:52
昔の日本家屋って、一番重要で広いスペースはプライベート空間じゃなくて
仏間ですから。

859:日本@名無史さん
09/12/17 14:31:26
なるほど、当時の仏間の重要性は今とはぜんぜん違ったんでしょうね。

860:日本@名無史さん
09/12/19 19:48:43
旗本の暮らしやいかに
URLリンク(mytown.asahi.com)

861:日本@名無史さん
09/12/20 01:22:09
>>858
えらい近代の話するのな

862:日本@名無史さん
09/12/20 12:43:32
茶坊主は中奥で将軍の世話は焼かなかったの?

863:日本@名無史さん
09/12/20 12:52:30
無理に近代にあてはめると

側用人は内大臣
御側御用取次とか御側衆は侍従長
小姓は平の侍従
御小納戸は内舎人のような側使いの召使い

茶坊主は宮中晩餐会とかでのボーイみたいな人たち

864:日本@名無史さん
09/12/21 00:30:55
近現代の侍従はもっと地位が高い気がする

865:日本@名無史さん
09/12/21 18:35:12
>>862
既出だけど御休息之間とか将軍の居住空間は「中奥」じゃなくて「奥」だよ
奥には奥坊主がいた
中奥は「表」の黒書院あたりのことらしい


866:日本@名無史さん
09/12/22 13:51:54
茶坊主って格好だけ?何処かの宗派に属した正式な坊さんなの?

867:日本@名無史さん
09/12/22 19:22:46
格好だけ。
身分が低くても高貴な人のお側で奉仕できるように、法体にしている。
室町時代の○阿弥や御典医なんかと同じ。

868:日本@名無史さん
09/12/22 19:24:00
ちなみに幕府の茶坊主の家系からは、幸田露伴と芥川龍之介が出ている。

869:日本@名無史さん
09/12/22 19:24:30
御典医は身分低くないだろ


870:日本@名無史さん
09/12/22 19:55:53
まあ、そうなんだが、幕府の奥医師が坊主頭なのはそういう理由かららしい。
ちなみに綱吉時代以前の林家当主が坊主頭だったのも同様の理由から。

871:日本@名無史さん
09/12/23 03:59:10
茶坊主には軍役はあるの?

872:日本@名無史さん
09/12/23 07:48:25
>>871
自分が馬鹿だという自覚はあるか?

873:日本@名無史さん
09/12/23 08:31:22
室町時代、同朋衆が将軍について従軍したりしてなかったかな?

874:日本@名無史さん
09/12/23 08:49:55
個人としての従軍と石高に基づく配下を引き連れた軍役との区別について。

875:日本@名無史さん
09/12/23 10:01:43
茶坊主って御家人だろ。軍役がなければ石高はもらい得だな。

876:日本@名無史さん
09/12/23 10:18:38
ニートや寄合・小普請旗本などと違って、ちゃんと仕事してるし、禄も足りないくらい
衣装その他の出費はかさんだだろうけどな。

877:日本@名無史さん
09/12/23 10:26:26
出入りの大名衆からのいろいろ貰ってるから豊かな暮らしではあったようだ

878:日本@名無史さん
09/12/23 11:41:26
御庭番の元締って茶坊主じゃなかった?時代劇の見過ぎかな。

879:日本@名無史さん
09/12/23 12:48:32
>>878
本職では小納戸頭取や奥之番、隠密御用では側用取次だね。

880:日本@名無史さん
09/12/23 12:49:25
小納戸頭取

881:日本@名無史さん
09/12/23 13:55:41
小納戸ってのは、やっぱり将軍の男性版メイドなんだなw

882:日本@名無史さん
09/12/23 17:57:18
各藩の御典医って上士扱い?


医者でも法体だから官位の叙位じゃなくて法印・法眼なのか・・・
でも儒者は諸大夫だよね?

883:日本@名無史さん
09/12/25 16:48:48
>>882

幕府でも諸藩でも医者は「御目見以上の末席」という感じだよ。
その医者たちのごく一部、直接殿様(あるいは将軍)とその家族の
脈をとる人だけが足高をもらったりして、上士に準ずる扱いになる。
幕府の医者でも法印・法眼になるのはほんの少数者のみ



884:日本@名無史さん
09/12/25 17:06:25
>>883
ありがとう!
なるほど、藩お抱えの医者全体を御典医っていうんだね
藩主と家族の主治医の役職だけを指すのかと思ってたよ

885:日本@名無史さん
09/12/25 19:25:12
「ごてんい」って最初、「御殿医」って書くと思ってた。

886:日本@名無史さん
09/12/26 17:46:18
御典医の家って立派な屋敷が多い気がするけど
専門職だから御一新の後もあまり没落しなかったのかもな



887:日本@名無史さん
09/12/27 07:00:18
多紀楽院?

888:日本@名無史さん
09/12/27 08:33:52
>>886

江戸時代以来医者をやってきた者と、その弟子で
明治15年6月現在満25歳以上の者は無試験で開業できた


889:日本@名無史さん
09/12/31 15:39:27
age

890:日本@名無史さん
09/12/31 17:46:42
216 :日本@名無史さん:2009/12/30(水) 21:02:55
>>210
>>211

明らかに信成のジジィが捏造した家系だろw
なんだよ、明治時代の先祖がに4代不明って。


織田信長 - 2代織田信高(七男) - 3代織田高重 - 4代織田一之 - 5代織田信門 - 6代織田信倉(養子) - 7代織田信直(養子) - 8代織田長孺 - 9代織田長裕 - 10代織田信真 - (11代から14代は不明)- 15代織田重治 - 16代織田信義 - 17代信成(次男)


【織田信成】
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E9%81%B8%E6%89%8B)

【10代織田信真】
URLリンク(ja.wikipedia.org)



891:日本@名無史さん
09/12/31 17:47:45

7 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2009/09/01(火) 11:29:30 ID:kWPuDRiK0


~ 織田信長の子孫に関する小ネタ ~

●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。

●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」






  ■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
スレリンク(skate板)




892:日本@名無史さん
09/12/31 17:48:46



【織田選手、名誉城主に 五輪年に清洲城から天下取り】
                      2009年12月27日 朝刊

愛知県清須市にある織田信長ゆかりの清洲城の名誉城主に、信長の子孫として知られるバンクーバー五輪のフィギュア男子代表、織田信成選手が就任することになった。

清洲城下が城ごと名古屋へ移った清須越(きよすごし)から400年となる2010年に、清須市が実施する清須越400年事業のシンボル的存在となる。
就任は10年1月から1年間。織田選手は「清須の文化と魅力の発信にお役に立てれば、信長公を先祖とする私としてもうれしい」とコメント。
メダルの期待がかかる来年2月の五輪に向け「清洲公園の信長公の銅像に戦勝報告したい」と誓った。

清須市は、五輪で市を挙げて織田選手を応援することを検討。来春には、織田選手を迎えた就任イベントの開催を計画している。
織田選手は大阪府高槻市出身。今年のグランプリ(GP)シリーズで2連勝し、世界の強豪が競うGPファイナルでも2位に入り、五輪代表を決めた。

現在の清洲城は1989年、旧清洲町(現清須市)が町制100周年記念事業で再建した。

URLリンク(www.chunichi.co.jp)





税金の無駄いと家系捏造支援をする清須市への御意見&抗議はココから出せますwww

URLリンク(www.city.kiyosu.aichi.jp)





893:日本@名無史さん
09/12/31 19:39:52
市の観光宣伝なんだから、税金の無駄遣いという話にはならんだろ。
マスコミが宣伝しているのに乗っかってるだけだから、家系捏造が明るみにでても被害者面をはじめて
それで終わりだ。マスコミもグルなんだから。

894:日本@名無史さん
10/01/01 08:33:15
能楽師と旗本・御家人および陪臣との姻戚関係はどうでしょうか。
明治はじめのシテ方喜多流宗家・十四世喜多六平太の略歴によれば
六平太は明治7年常陸国竜ヶ崎に550石の知行を拝領していた旧幕臣=宇都野鶴五郎と
十二世喜多六平太(能静)の三女まつの次男として生まれています。

URLリンク(kita-noh.com)

895:日本@名無史さん
10/01/01 13:53:11
家系そのものが「不明」という時点でおかしいと思う。
婚姻関係、養子縁組があったらあったで、そのまま記載すればいいのではないか
しかも、最後の御当主が「行方不明」だし。

896:日本@名無史さん
10/01/01 14:44:51
高級幕臣だったら、戦前から明治にかけての除籍簿を遡ったら
幕末か19世紀前半頃の先祖まで遡れるだろう。
それと寛政重修諸家譜とか幕末期の幕府の記録とかを照合すれば、
空白の部分とか簡単につながるだろうに。

ていうか、曾祖父の名前なんて戦前の除籍簿で簡単にわかるだろw

897:日本@名無史さん
10/01/01 14:51:32
弁護士なら他人の除籍謄本でも取れるから、損害賠償で訴えるなら簡単に嘘と証明できる。

898:日本@名無史さん
10/01/01 20:44:26
>>895
ま、新田とこじつけた徳川家の系図と同じだわな

899:日本@名無史さん
10/01/01 23:43:16
>>895
写真師をやってたらしいけど、いつ頃亡くなったのかは不明だそうな。
祖父は戦前に大学行ってるらしいが、それくらいの裕福な家庭で
親の名前判らんてことは無いと思うが

900:日本@名無史さん
10/01/02 02:27:20
「なりすまし」
の可能性が出てきましたね。
Kの国の人が大好きなアレ、ですね。

901:日本@名無史さん
10/01/02 03:00:41
そういえば織田家というと、ちょっと前に「宗家」を名乗って、武田家の子孫の方と
和睦してた人がおったけど、一応ページに家系図は出てたけど、到底「宗家」とは
言えんもんだしあれは何だったの?

902:日本@名無史さん
10/01/02 08:16:28
戦前に京都帝大出てるなら、向こうの人ってことも考えにくいな。織田信長人気は戦後の産物だし、
一体なんだろうな。祖父の経歴全てが怪しいのか?

903:日本@名無史さん
10/01/02 14:50:53
>>896
高級幕臣じゃなくても普通の日本人なら檀那寺の過去帳でそんくらい遡れるだろ?
うちなんか寺の分家だから、百姓なのに室町まで遡れるw
百姓になった8代前から当代(伯父)まで全部きちんとわかるし。
曾祖父の名前が不明とか、ありえんよ。
うちの本家には写真まであるし、百姓なのにw


904:日本@名無史さん
10/01/03 01:45:48
>>902
″戦前″ならそれ、普通にあり得るだろ。
逆に「このまま日本で暮らしたい」となるパターン。

905:日本@名無史さん
10/01/03 05:14:34
京城帝大ならともかく、京都帝大って向こうの人に門戸が開かれていたのか?

906:日本@名無史さん
10/01/03 10:44:33
>>905
台湾人だけど、李登輝は京都帝大の出身。

907:日本@名無史さん
10/01/03 15:39:22
明治時代の神田神保町は東京の中華街と呼ばれていた
留学生が多かった

908:日本@名無史さん
10/01/03 22:52:05
朴正煕、全斗煥、盧泰愚らは陸士。
韓国の大統領って陸士出身が多いな・・・

909:日本@名無史さん
10/01/04 01:26:50
織田の話に戻ろうぜ。
本土以外の奴にも、旧帝大の門戸は開かれておった。
つまり、
旧帝大という話は、「日本人かつ元旗本」の裏付けにはならない。

910:日本@名無史さん
10/01/04 02:42:10
そういえば、秀信(三法師)は信忠と武田の松姫との間にできた子で、
自分ちは秀信の子孫だって主張して妙な文書を露出させてた家があったな。

911:日本@名無史さん
10/01/04 20:36:49
官僚出身とか言ってた気がするが、なぜか三井物産入社になってる。
記憶違いかな???

信成の実家の会社
URLリンク(www.osakatsukan.co.jp)

912:日本@名無史さん
10/01/04 20:49:03
>>909
話を戻すも何も、公表されている家系図が、途中4代が不明とか言ってる時点で、信成自身が織田信長とは繋がってませんと言ってようなものじゃないかwww




913:日本@名無史さん
10/01/04 20:52:50
           、-‐'"  __ ヽー- 、}ヽ
           ,/´/ /  , _,.  _/ ノ レi
        _,// /  /{  i    ー' ノ
          / // / /  .i  l  l! ー<
        / /  //!/    ヽ ヾ l  〉ヾ,
         !/!  イ  ===   ==ヾ、  }
          |」l !  ,:==:、  , ,:==:、 l  /
        f r| !|    ´ '  ヽ `   | l/
          .l ヾハ    ( ,-、_,-、)   l/l!
          \ _j   _,, -―-ー-、_   l /
            l l  ヽ =エエエ=7 /´   御先祖の声が聞こえた(本能寺にて)
          `l丶  `ー---‐'´ イ┐
            l \      /  」、 _ ,,.
          「ヾ、__,>ー‐- ′_/  r―-- `ゝ
             l        イ   /  ̄ ̄  ヽ
              !_ _,..   i |  /          ヽ
          /           !.| ,/

914:日本@名無史さん
10/01/04 21:23:53
>>903
一般論だが、寺の過去帳に関しては廃寺や戦災、住職の断絶等でたどれなくなる
ケースは珍しくない。
大名家の菩提寺ならともかく、旗本の場合家そのものが没落して寺を支えるどこ
ろでなくなっていたケースも多いだろうしね。

915:日本@名無史さん
10/01/04 21:25:30
「真田幸村の子孫」
と新聞などが大々的に書き立てて、
でも日本史ちょっとかじった奴らならすぐにわかる偽系図っぷりで、
そのうち誰もそれを言わなくなった。

そんな巨人軍の選手がいましたね。

916:日本@名無史さん
10/01/04 22:45:01
>>914
曽祖父の代なんだから戸籍辿れるはず。空襲で焼けたところもあるけど、再製する場合に、既に帝大出てる祖父が
「自分の父親の名前は不明」では役所も処理しようがないだろう。

917:日本@名無史さん
10/01/04 23:52:53
いや、まて・・・。

本当に京都帝大出ているのか?

何もかも、嘘のように思えてきたぞ。

918:日本@名無史さん
10/01/04 23:57:11
「信長はこの地で天下統一の夢が破れた。その思いを継いで、しっかりした成績を残したい。五輪の舞台に立てたら、いい演技ができるように、絶対に頑張ります!」

URLリンク(www.sponichi.co.jp)







おい、本能寺の変の時、本能寺は、ここには無かったぞ。
子孫なのに、そんなことも知らんのかwww

大徳寺の総見院はスルーか‥‥‥‥って、断られたのかな???

919:日本@名無史さん
10/01/05 00:31:37

何でこんなに必死に、織田信成厨が張り切るのか判らないwww
芸人のネタと一緒でしょ? アハハと笑い飛ばせは良いだけ。
また伊達公子が政宗の子孫であろうがなかろうが
織田信成が信長の子孫であろうがなかろうが、選手としての成績に
何の関係も影響もないのにwww


920:日本@名無史さん
10/01/05 00:37:52
東京の場合、関東大震災と空襲で過去帳が焼けてしまったという例は多々あり。

921:日本@名無史さん
10/01/05 01:47:48
欠史4代の謎
なんか皇統みたいじゃのwww

922:日本@名無史さん
10/01/05 02:10:11
織田信成の祖父・重治(15代)は大正6年(1917年)の生れ。
直系の祖先とされる幕末の高家・織田信真(10代)は天保13年(1842年)の生れ。
間に4代居たというが、兄弟間や養子縁組の相続を考えないと年代的に不自然。
抑も系譜が不明なのにどうして代数を知ることができるのだろう。

923:日本@名無史さん
10/01/05 07:55:19
>>922

わが家は俺で19代目ということは分かるが(なぜなら過去帳に明記されてるし、
菩提寺に墓も揃ってる)系図が無いので系譜関係は分からない。
養子・実子の区別も分からない。はっきり分かるのは戒名と代数だけ。
代数だけが口伝で伝わるということは有り得る


924:日本@名無史さん
10/01/05 09:10:38
過去帳過去帳と繰り返している奴がいるが、今議論になっているのは明治以後のいまだに当時の
戸籍が廃棄されずに残っている時代の話だぞ?

925:日本@名無史さん
10/01/05 10:35:40
>戸籍が廃棄されずに残っている時代の話だぞ?

たしかにな。
明治末まで10代目はいたんだし、親の名前が分からん・・・だけでなく4代も抜けて14代目はおかしすぎる。

ただ、信成の家系ネタをすると、どこからともなく、子孫を肯定する内容の書き込みが現れる。
スケート板とヤフー知恵袋なんかすごいからね。

926:日本@名無史さん
10/01/05 11:01:47

飢渇も困窮も知らぬ厨坊の書くことは面白いね

禄を失った旗本は車夫になったり娘を売ったり
累代の墓石を売ったものまでいるんだよ
白無垢を着た乞食の話は有名だろ?
2~3代没落・流浪していて、やっと家運を盛り
返すということもある
その間に家伝を失ったり、本籍地・菩提寺すら
あいまいになってしまうケースだってある

身分だの何のと言ってられない時期もあるんだよ


927:日本@名無史さん
10/01/05 11:06:16

織田信成厨の方へ

憶測の上に憶測を重ねるのは、30年前のババアの井戸端会議と同じ
です。そんなに気になるなら、国立公文書館等の古文書にあたって
みるとか、(資格のある)人を雇ってお調べなさい

自腹を切って調べて、黒白いずれにせよ信成サンに教えてやりなされwww


928:日本@名無史さん
10/01/05 12:21:53
>>926
子孫であることを証明するものがないことを疑問視しているんじゃなくて、今生きている祖父の
父親の名前すら不明としていることを不審視しているんで、あんまりバカな主張をしないでね。

>>927
そんな手間や費用をかけるより、誰が見ても不自然であるという情報をネットで共有して、本人が
説明責任を果たさなくてはならない方向に持っていく方が簡単だろ。

929:日本@名無史さん
10/01/05 12:49:47
>累代の墓石を売ったものまでいるんだよ

まさか、某外交官の家の・・・・・・。
やばいでっせ、それの話はwww

930:日本@名無史さん
10/01/05 12:54:49
>>928
まぁまぁ、本気に相手しないことだよ。
不思議なことに、必ず、出てくんだよ、>>926>>927みたいに、信成きゅんを擁護する奴が。
ほとんど、話をすり替えて誤魔化してるだけなんだけどね。

931:日本@名無史さん
10/01/05 12:56:25
>>929

某外交官なんて知らんよ
雑誌『掃苔』をみてごらん。そんな記事は珍しくもない



932:日本@名無史さん
10/01/05 12:58:01
戸籍の事を言ってるのに、墓石だの菩提寺だのと言ってる時点で話をすり替えているwww

まさか、信成スレで叩かれた人?

933:日本@名無史さん
10/01/05 12:59:01
>>928

赤の他人のことでなぜが必死になってる、あるいは
自分だけの正義感に酔ってるのが理解できないからねwww


934:日本@名無史さん
10/01/05 13:00:56
>某外交官なんて知らんよ

有名な話じゃんwww

935:日本@名無史さん
10/01/05 13:06:18
>>933
有名人のスキャンダルは庶民のいい暇つぶしになるからな。
正義感? バカジャネーノ?

936:日本@名無史さん
10/01/05 13:54:33
>>931
金吉でクグレ

937:日本@名無史さん
10/01/05 18:06:05
おまいらそろそろ旗本の話に戻しましょうぜ。

938:日本@名無史さん
10/01/05 19:15:50
織田信成(フィギュアスケート選手)が織田信真(織田信長の子孫・幕末の高家)の
子孫か否かについては以下のスレへ移動しましょう。

■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
スレリンク(skate板)
?  有名人が主張する家系  ?    
スレリンク(history板)
あれ?なんで織田家の末裔がいるの?
スレリンク(history板)


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