09/09/09 09:12:02
>>119
庄屋は村方役人。帰農した武士がかつての家臣団を従えたまま土着するケースも多い。
江戸期には基本的に村方の自治を領主が村方役人に一任する傾向が強いために、
もと在地土豪の館は堀を巡らし、蔵や塀などで堀べりを固めた重厚なつくりであることも
珍しくない。屋敷のつくりは領主が命じた格式に則るが、比較的高い格式が認められることも
ままある。
武士ではないから藩政機構には組み入れられず、江戸後期以降には財政改革などの際に
下士から中士程度の待遇で召抱えられてことに当たる場合があった。
大庄屋は領主の方針にもよるが置いていた領主も多い。天領では中途で廃止。10か村から
数十か村程度を束ねる立場で、あくまで村方役人ながら村方における権勢は最上級。
領主によっては、旗本領や藩飛地領などの領主在所からの遠隔地域の場合には、大庄屋や
有力庄屋を在地代官に任命して藩政機構に組み込み年貢取立てなどを行うことがあった。