【卑弥呼】倭迹迹日百襲媛命【邪馬台国女王】at HISTORY
【卑弥呼】倭迹迹日百襲媛命【邪馬台国女王】 - 暇つぶし2ch250:日本@名無史さん
09/06/04 10:47:42
箸墓はほとんどの中にはいっておりません。
民家に隣接して他の巨大古墳からはなれ、あれほどめだつ墳がだれのかわからなくなることなどありません。

251:日本@名無史さん
09/06/04 12:22:10
>>245
巻向は宗教&政治都市、それは丹の産地の入り口という点で証明できる。
>>249
真剣に言ってるなら単なる電波な人だよ。
籠神社の資料にも記載されてる事を否定するという訳だな。

252:日本@名無史さん
09/06/04 13:55:53
埋葬者が明確なのは、岩戸山古墳ぐらいだろう

253:日本@名無史さん
09/06/04 14:02:20
イワイの遺体は埋葬されているのでしょうか。
なにか行方不明になったように記憶していますが。

254:日本@名無史さん
09/06/04 15:58:09
>>245
古墳には被葬者の名前が書いてないので、誰の墓かは不明。
文献の記述だけが頼りなのだが、それもあいまいなところがある。
継体天皇陵でもわかるように、宮内庁の指定もアテにならない。

纏向のあの大きな古墳を箸墓というのも適切ではない。
箸墓は、日本書紀によると倭迹迹日百襲姫の墓なのだが、あの古墳が
倭迹迹日百襲姫の墓、つまり箸墓だという証拠はない。

仁徳天皇陵なども最近は大仙古墳と呼ばれるわけだから、いわゆる箸墓も
被葬者が特定されているかのような名前は付けないほうがいいと思う。

だいたい倭迹迹日百襲姫は皇女、つまり天皇の娘なので、あんな大王クラス
とも思える大きな古墳が作られたとも思えない。

255:日本@名無史さん
09/06/04 16:07:47
倭王だから当然

256:日本@名無史さん
09/06/04 16:12:05
>>254
ついでに、
箸墓は、全長が282mとなっている。同じ頃の天皇陵とされる古墳は、
第9代開化天皇陵 105m 第10代崇神天皇陵 242m 第11代垂仁天皇陵 227m

天皇でも皇后でもない皇女の墓としては違和感がある。

257:日本@名無史さん
09/06/04 16:18:10
モモソ姫は天皇以上の存在だった大物主の妻であり後継者ですよ。

258:日本@名無史さん
09/06/04 16:54:26
箸墓がモモソヒメの墓ではない、という理屈が通るなら、
箸墓が卑弥呼の墓である、という理屈も通るわけだが。


259:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/06/04 16:57:20
>>254
古墳自体かその近隣に埋葬者の文字がかなり多数分かっているということだ。
それは池田仁三氏のサイトにあるがね。

260:日本@名無史さん
09/06/04 17:27:49
出雲の国王と結婚した倭の女王は
出雲までも自分の支配下にしたようだが、出雲文書では。



261:日本@名無史さん
09/06/04 17:28:36
出雲文書なんてない

262:日本@名無史さん
09/06/04 17:35:20
あるよ。現在島根大学で解読中。
出雲大社の歴史を書いた古文書。
ご神体になっていた。


263:日本@名無史さん
09/06/04 17:46:00
出雲文書はいつ頃書かれたん?

264:日本@名無史さん
09/06/04 17:52:29
去年

265:日本@名無史さん
09/06/04 18:25:43
投馬(ツマ)が出雲なら魏史倭人伝での記述も整合性はでるよね。
水行10日で丹後の宮津へ、そこから陸行1月で巻向。
瀬戸内海の水路が対抗勢力の妨害があったのかもしれないし。

266:日本@名無史さん
09/06/04 19:44:52
>>265
なるほどね。
気がつかなかった。
サンキュです!

267:日本@名無史さん
09/06/04 19:50:28
しかし、もし今後、畿内説で魏使のルートを日本海とする説が有力になり
箸墓が卑弥呼の墓の候補の筆頭の地位を不動のものにしたら

笠井新也 先生大勝利だなwwwwwwwww

268:日本@名無史さん
09/06/04 19:54:18
>>265
都合のいいかいしゃくだな。
水行と陸行で方向が90°変わってる。
記述がおかしい。
おまけに上陸した港街は記述するはず。
トウマコク、ヤマタイコクの行程は伝聞であると解釈するのが妥当。

269:日本@名無史さん
09/06/04 20:19:02
>>268

もういいよ。九州説なんて過去のものなんだし。

270:日本@名無史さん
09/06/04 20:24:53
>>265
いっぱいいっぱいですね(笑)

271:日本@名無史さん
09/06/04 20:25:30
九州に決定したから、もはや説ではなくなったね。

272:日本@名無史さん
09/06/04 20:27:09
まあ出雲が九州から見て南と言うのは中国人の認識で
若狭丹後あたりから南へと言うのは倭人(出雲の人間)からの情報だとすれば問題ないw

よく畿内説で
「東は南の事で90度ずれている」
と言うのがあるがそれほど機械的な単純な物では無いと思う

情報ソースとして
 1)実際に邪馬台国卑弥呼の下に言った魏使によるもの
 2)伊都国あたりに常駐していた郡使及び帯方郡の人間の知見
 3)倭国にも郡にも行った事の無い中国内陸の人間の脳内地図wによるもの…

以上の三つがかなり混ざっていると思っているwwww


273:日本@名無史さん
09/06/04 20:27:16
九州厨涙拭けよwww

274:日本@名無史さん
09/06/04 20:39:35
畿内派が可哀相なんで、どうにか無理してでも援護したいと思ってます。

275:日本@名無史さん
09/06/04 20:43:22
若狭丹後が、邪馬台国の時代に隆盛してたのは確かだしねえ。

魏の使者がそれを知らないわけが無いわけで。



276:日本@名無史さん
09/06/04 20:48:06
丹後のことは知ってただろうね、対馬、壱岐、呼子。糸島半島(伊都国)は大陸交流の歴史の地だから、そこの住人にくわしく聞いた可能性はあるよ。

277:日本@名無史さん
09/06/04 21:16:35
まあ半島からは山陰系の土器が出てるからな
そこから考えて山陰~九州~半島の人や物の行き来は想定できるわけで…

九州にいた中国の人間にとっては日本海側の情報が集まり易かったのかもしれないwww

278:日本@名無史さん
09/06/04 21:18:15
伊都に滞在中に大和朝廷の卑弥呼の話を聞いた、そこで聞いた大国の話を魏志倭人伝に記した。

279:日本@名無史さん
09/06/04 21:35:44
>>277
>まあ半島からは山陰系の土器が出てるからな

この事実だけで九州説死亡。

なんというか、九州説の人は、
山口県ですら邪馬台国と無関係の隔絶した東の倭種の土地だと思ってるからな。


280:277
09/06/04 21:54:54
>>279
ただし、その山陰系の土器を山陰の人間が直接半島に持ち込んだかどうかまでは分からない。

ただ九州~山陰の人や物の往来は活発であったろうに留めておくが吉wwwwwww




281:日本@名無史さん
09/06/04 22:02:59
伊都から大和朝廷に行くなら瀬戸内海経由を考えてしまう。

282:日本@名無史さん
09/06/04 22:05:50
>>276
丹後知ってたなら倭人伝に記述するよね
何国?

283:縦目仮面
09/06/04 22:06:47
だから、縄文期から列島内の人の移動はきわめて活発だったんだよ。土器の移動(そのもの
ではなく形式の移動)の状況が近年の研究で明らかになりつつあるが、俺はこれを勉強して、
九州説はないと考えた。とても倭国の範囲が九州島内に収まりきるものではない。

284:日本@名無史さん
09/06/04 22:14:31
九州王国の影響範囲は、福島県ぐらいまで行ってるでしょ
むしろ畿内文化の伝播範囲が狭い

285:日本@名無史さん
09/06/04 22:19:05
>>284
>九州王国の影響範囲は、福島県ぐらいまで行ってるでしょ

そんなの知らんが、具体的にはなんだ?

286:日本@名無史さん
09/06/04 22:20:15
>>283
>だから、縄文期から列島内の人の移動はきわめて活発だったんだよ・・・
>とても倭国の範囲が九州島内に収まりきるものではない。
あなたの言うとおり。
九州~越、濃尾まで明らかに倭国ですよ。もしかして関東までも。
海の道などは韓半島から日本海沿岸の多数の地域に延びていたのに違いなく、
対馬から博多への一路線しか無かったはずがない。
魏志倭人伝に九州の地名しか出てこないのは大和朝廷が情報を制限したからでしょう。

287:日本@名無史さん
09/06/04 22:23:21
>>286
>魏志倭人伝に九州の地名しか出てこないのは大和朝廷が情報を制限したからでしょう。

サッパリ意味がわからん。

288:日本@名無史さん
09/06/04 22:23:27
弥生後期には商いを専門にする人達もいたんだろ。
階級社会で富の集中が出来てたから当然。
各地から使役で人があつまってたというのもあるだろうけど市もあったんじゃないのかな。
とすると、やはり畿内のほうが有力だな。

289:日本@名無史さん
09/06/04 22:28:21
>>287
防衛的見地からの情報制限ですよ。
それができるくらい大和は力があったのではないでしょうか。


290:日本@名無史さん
09/06/04 22:29:41
あえて制限しなくても魏人は辺境の倭なんかにほとんど興味なかったんじゃないか
陳寿は歴史家として一生懸命調べただろうけどそれでもあの程度しか調べきれなかったんじゃないかと

291:日本@名無史さん
09/06/04 22:32:30
>>289
そしたら魏帝の卑弥呼への贈り物は最終的に何処へいくのだ?
親魏倭王金印はどうなるのだ?

292:縦目仮面
09/06/04 22:36:51
「長野県中野市の柳沢遺跡は、東日本で唯一、銅鐸(5)と銅戈(8)がともに出土したことで知ら
れているが、この銅戈も畿内型と九州型が混在しており、複雑な文化背景があることが伺える。
つい最近この遺跡から、前1世紀と推定される、シカを描いた絵画土器が出土し、話題になった。
シカは豊作をもたらす霊力を持つという説があり、西日本型の農耕祭祀といえる。従来のシカ
絵土器の分布の東端は石川県であったが、おそらく北陸経由でこの地に伝わったものではな
いか。」

これは、俺が他スレに書いたもので弥生時代の話だが、このような複雑な状況は各地で
見られるんだ。


293:日本@名無史さん
09/06/04 22:51:41
仲哀天皇や神功皇后が熊襲・新羅征伐にあたったときの都はどこか?
斉明天皇が新羅との戦争にあたって筑紫行幸したときの都はどこか?
明治天皇が東京に行幸した時の日本の都はどこか?

戦争で戦線の近くに仮宮を置いたときなどは首長のいる場所と本国の都は別のところにあり
そんなとき外国の使者は留守の都には行かず首長のいる仮宮に行けば全て用が済むんだよ

294:日本@名無史さん
09/06/04 22:56:26
考えてみれば、瀬戸内というのは当時の造船技術を考えれば、最高のルートだな。

295:日本@名無史さん
09/06/04 23:09:23
>>283
>とても倭国の範囲が九州島内に収まりきるものではない。

まあ九州説側からの反論としては
「如何に九州と本州の交流が活発であっても
中国側の倭国の範囲の認識が九州であったならしかたがない」
…だろうなw

>>286
>大和朝廷が情報を制限したからでしょう。

いや、そんな陰謀論もどきのややこしい話作らなくても
単に郡使が常駐していたのは伊都国とか北部九州であって
当然その近辺の情報が詳しく載っているに過ぎないでおkwwwwwww

はっきり言って広範な首長連合を想定する畿内説にとって
九州のクニが多く出る、またはその風俗が仮に九州のそれだとしても何ら問題ないwwwww


296:日本@名無史さん
09/06/04 23:24:14
>>295に全面的に同意。

それでも九州説では、九州より東の国は、よくわからん倭種で片付けるつもりなんだろうな。


297:日本@名無史さん
09/06/04 23:37:38
出雲から古文書がでてきたということは、
宇佐にもあるということだ。
だから探すのもいいかも。
文字があったらしい(文字がなければ使者は送れず)から、
九州説を推進させたければ、宇佐の古文書を探した方が。
今は空間探査機みたいなものがあるから、
それで見つかるらしいよ。


298:日本@名無史さん
09/06/04 23:48:35

■大阪府立近つ飛鳥博物館 平成21年度春季特別展
   開館15周年記念「卑弥呼死す、大いに冢をつくる-前方後円墳の成立-」

関連事業
○発掘調査報告会
  6月6日(土) 『3世紀の墳墓の最新情報』
時 間: 午後1時30分 ~ 午後4時
会 場: 地階ホール
定 員: 200名

 「島根県出雲市西谷墳墓群の調査成果」・・・・・坂本豊治氏(出雲市文化財課)
 「徳島県鳴門市萩原2号墓の調査成果」・・・・・藤川智之氏((財)徳島県埋蔵文化財センター)
 「奈良県桜井市ホケノ山古墳の調査成果」・・・・岡林孝作氏(奈良県立橿原考古学研究所)

※発掘調査報告会には今季特別展の半券または年間パスポートが必要です。
※12時より1階ロビーで入場整理券を配布します。
URLリンク(www.mediajoy.com)

大阪府立近つ飛鳥博物館 大阪府南河内郡河南町大字東山299番地
URLリンク(www.mediajoy.com)

299:縦目仮面
09/06/04 23:56:11
俺は、景初三年(二年?)以前も、倭国ー公孫氏の交流があったと考えてるんだが、後漢書
の倭国王帥升時、すでに160人もの生口を渡海させることができるほどの航海技術がある
のに、波静かな瀬戸内海を大阪湾まで来れないはずはないだろう。

むしろ、1~2世紀の瀬戸内に見られる高地性集落の分布ををどうとらえるかが、俺的には
興味深いところ。

300:日本@名無史さん
09/06/04 23:58:05

■大阪府立弥生文化博物館 平成21年度春季特別展
   「弥生建築 -卑弥呼のすまい-」      

      春季特別展特別講演会

6月 7 日(日)

第2回 「描かれた弥生建築」 当館館長 金関 恕

時 間:午後2時~4時 ※午後0時30分から整理券配布・午後1時30分から受付
場 所:当館1階ホール
定 員:170名(当日先着順)
聴講料:無料(要入館料)
URLリンク(www.kanku-city.or.jp)

大阪府立弥生文化博物館 大阪府和泉市池上町4丁目8-27
URLリンク(www.kanku-city.or.jp)

301:日本@名無史さん
09/06/05 00:07:30
宇佐神宮の地下は何も入ってないパンドラの箱、
開けてしまうと九州説はとどめをさされるぞw

302:日本@名無史さん
09/06/05 00:14:19

■広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民俗資料館
   開館30周年記念 春の特別企画展 「弥生の都・吉野ヶ里遺跡」

 記念講演会(第2回文化財講座)

          『邪馬台国ヤマト説の今日』

  講師 奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長 寺澤 薫さん

日 時 平成21年6月6日(土) 14:00~16:00
会 場 広島県立歴史民俗資料館 研修室

申込み 当日受付
定  員 120名
受講料 200円(資料代を含む)
URLリンク(www.manabi.pref.hiroshima.jp)

広島県立みよし風土記の丘・広島県立歴史民俗資料館 広島県三次市小田幸町122
URLリンク(www.manabi.pref.hiroshima.jp)

303:日本@名無史さん
09/06/05 02:04:28
>>295
そうだよね、これだけ通信が発達した現在でも、
日本の風土を中国と混同したり、未だに侍がいるような
教育をしている例は沢山あったしな。
別に倭人の風土紹介で九州を連想させるような
文章なんてのは、邪馬台国=九州なんて事にはならんでしょ。
単に往来の多かった伊都出張所近辺の様子や集まる伝聞が、
色々混ざったと考えても不思議ではない、というか極めて自然。


304:日本@名無史さん
09/06/05 03:05:04
>>303
いや寧ろ、位置情報民俗学的な描写を含むルーツ的なほのめかしにこそ重要
な意味が隠されてたんじゃないか?

要するに、ハッタリ噛してでっち上げなならん理由があったんだろ。チンポコ先生にはw

305:日本@名無史さん
09/06/05 11:03:01
馬鹿の一つ覚え・・・「広範な首長連合を想定する畿内説」
考古学的に、広範な首長連合の証拠がさっぱりないのだ。
むしろ銅鐸文化圏のなかにありながら銅鐸がない、
全国的にも孤立していたのが畿内。
連合がいちばん見られない地域が、3世紀の畿内といえる。


306:日本@名無史さん
09/06/05 11:50:45
全国的に三輪山信仰を集めてたのは間違いない。
三輪山信仰と銅鐸は無関係とみてよい。

さて東征厨は、4世紀に東征して畿内を支配したとしてるが、
それでも三輪山信仰が残るほど、その影響力は近畿中心に強大だった証拠なわけだが、
なにか反論でもあるなら聞いてあげるよ。ヒマだし。



307:日本@名無史さん
09/06/05 12:10:36
>>305
馬鹿の一つ覚えはお前のようなコピペ厨だよw


308:日本@名無史さん
09/06/05 13:21:15
ゴッドハンド依存体質の畿内説
落ちたものだな

309:日本@名無史さん
09/06/05 13:24:14
正直つまらん悪口言ってる場合では無いのが九州説だよね。


310:日本@名無史さん
09/06/05 15:35:44
畿内説叩きに忙しく、まともに研究する時間なんかないんだろうw

311:日本@名無史さん
09/06/05 15:48:34
叩くに値する根拠がないからなあ → 畿内説(ヤマトと邪馬台の語呂合わせ)

312:日本@名無史さん
09/06/05 16:32:58
東征してきたんなら、どうして三輪山信仰をやめさせられなかったのかね?


313:日本@名無史さん
09/06/05 16:41:40
横レスだけどそりゃタタったからだろ

314:日本@名無史さん
09/06/05 18:17:47
>>313

つまり、もともと近畿の勢力が強大だったってことだよ。

315:日本@名無史さん
09/06/05 18:38:30
神の崇りに地元勢力の強さは関係ないだろ
疫病が流行った→神託を求めた→三輪山を祀れと出たから言われるままに祀った
現代人からすれば馬鹿馬鹿しくても古代日本人は本気で神の崇りを信じてたからね

316:日本@名無史さん
09/06/05 19:23:02
卑弥呼の時代の日本の文化の中心は大和。発掘成果のベクトルがすべて同じ方向を向いているではないか。
九州説はもう説でもなんでもなく、はっきり間違っていたんだ。真実は自ら明らかになっている。


317:日本@名無史さん
09/06/05 19:26:34
>>315

「神の祟りじゃー」と、地元住民が騒いだから、祀ったわけだろ。
それはつまり、地元勢力が強かったという証拠。

権力を掌握してたなら、「うるさい黙れ」で粛清しておしまい。
そのほうが王の権威になる。

地元勢力に迎合し、地元の神を畏れていたなら、
畿内の勢力が強かったという証拠だよ。



318:日本@名無史さん
09/06/05 19:32:52
× 卑弥呼の時代の日本の文化の中心は大和。

○ 卑弥呼の時代の日本の文化の空白地は大和。

319:日本@名無史さん
09/06/05 19:43:34
巻向遺跡から新しい建物跡が出土。近日中に発表があります!

320:日本@名無史さん
09/06/05 19:45:22
>>318

だから、三輪山信仰があるから、空白地ってことは無いわけ。

バカだねえ。


321:日本@名無史さん
09/06/05 19:46:15
>>318
語尾に~ニダが抜けてるよ。

322:日本@名無史さん
09/06/05 19:51:52
>>319
ゴットハンドふたたびW

323:日本@名無史さん
09/06/05 19:58:29
九州説のセンセイ方はそろそろ自説の訂正を始めているよ。学者生命がかかっているからね。
正面切って九州説唱えている学者は、もう一流どころにはいないよ。


324:日本@名無史さん
09/06/05 20:00:51
>>323
逃げ足は速いね。


325:日本@名無史さん
09/06/05 20:08:24
畿内説って、戦前から頑迷に意見変えない耄碌学者とか、
学閥などで意見を縛られている御用学者だけなんだよね。
つまり畿内説って、あのテポドンの国の学問みたいな印象。

九州説は若手でも優秀な学者ガ多い。学閥に縛られていないから、
一般国民も大体、九州説。



326:日本@名無史さん
09/06/05 20:30:11
>>325
>九州説は若手でも優秀な学者ガ多い。

ほう、それは知らなんだが心強い限りじゃの。
ぜひその若手の先生方のお名前をお教えくださらぬか。
伏してお願い申し上げる。m( _ _ )m

327:日本@名無史さん
09/06/05 20:47:49
どれだけ優秀だろうが若手だろうが素人だろうがW

見つけた者のが正しいのだ。ケケケ

328:日本@名無史さん
09/06/05 20:52:06
これ以上調査できない畿内説は終わったわけだ

九州説に期待大

329:日本@名無史さん
09/06/05 21:05:18
>>325
>九州説は若手でも優秀な学者ガ多い。学閥に縛られていないから、

俺もその若手のホープと言うのに誰がいるのか具体的に名を聞いておきたいwww

またまたまた(以下ほぼエンドレスに続く)
一発ネタの書き逃げじゃないよな?w


330:日本@名無史さん
09/06/05 21:14:00
>>325
誰だよ、それが言えないなら、その若手の学者は邪馬台国をどこだと予想してるよ。

参考まで聞かせてくれ、横取りしたいと思ってるからWWW

331:日本@名無史さん
09/06/05 21:41:23
>>325
オタクは、大和朝廷も九州なんて言い出すんじゃないの?新説大歓迎だよ。


332:日本@名無史さん
09/06/05 21:50:28
>>328
畿内を調査出来たらマズイのか?

333:日本@名無史さん
09/06/05 22:01:09
>>332
宮内庁から発掘許可でんの?

334:日本@名無史さん
09/06/05 22:05:22
>>333
発掘許可の問題ではない。何が真実かということ。

335:日本@名無史さん
09/06/05 22:09:39
>>334
真実って何?

336:日本@名無史さん
09/06/05 22:14:36
宮内庁が押さえ込みたいのは、南九州の方だろw

337:日本@名無史さん
09/06/05 22:20:51
>>323
畿内説は最初から一流どころは居ないな。

338:日本@名無史さん
09/06/05 22:24:27
もう畿内説には、似非学者やゴッドハンド学者しか残っていない

339:日本@名無史さん
09/06/05 22:43:54
で…

>>325
>九州説は若手でも優秀な学者ガ多い。学閥に縛られていないから

九州説の若手の優秀な学者って誰よ?

このいい加減さはサイキバ君かな?w

いつもの一発ネタ書き逃げピンポンダッシュかな?wwwwww

340:日本@名無史さん
09/06/05 22:52:00
たぶん太国じゃないか?

341:日本@名無史さん
09/06/05 23:04:26
しかし現在進行形で今日のニュースも
日中半島ゴタゴタしてますなぁ
もうそろそろ歴史を遡るようにひとつひとつの陵墓を公開検証していいゃな?
平時戦乱とわず盗掘はあったらしいけど?


342:日本@名無史さん
09/06/05 23:10:57
畿内説のマトモな学者などいない件

343:縦目仮面
09/06/05 23:48:21
まあねえ。纒向の発掘だって、主体が人口6万程度の桜井市教育委員会である場合、きわ
めて厳しいものがあるんだ。 「纒向小学校トイレ等改修約480万」(市予算案より)ww
などの実生活に結びついた事業が当然優先されるわけだし。

344:日本@名無史さん
09/06/05 23:54:47
そもそも畿内説だろうと九州説だろうと邪馬台国論争に関わっている人間なんて大抵年寄りだろ?w

九州説で一番若いつったら関裕二かな?(確か50歳?)まあ学者ではなくライターだが・・・

本当に若い学者にとっては邪馬台国論争なんてもう既に(畿内説で)終わったものって思ってんじゃないのか?



345:日本@名無史さん
09/06/06 00:05:18
畿内説なんて言っている時代ではなくなった。大和桜井が卑弥呼の住まった場所。大和國の姫皇女。


346:日本@名無史さん
09/06/06 00:06:35
九州説なんて今時誰が支持するんだよ?

引っ込みのつかなくなった自治体位じゃないかw

347:日本@名無史さん
09/06/06 00:18:41
畿内説で結論が出て終わったのは、オカルト考古学。

348:日本@名無史さん
09/06/06 00:19:51
いまや全国的に、九州説でまとまりつつある。
ゴッドハンド派だけは、畿内説だが。

349:日本@名無史さん
09/06/06 01:10:25
九州説だと、邪馬台国は倭国の中で最も栄えていた国ではなかったって事だよね?
出土品を見る限り、九州と近畿は、人の交流も物流も頻繁だった。
それなのに最も栄えた国を差し置いて、長らく倭国の王として認められたのは何故?
何らかの特別な事情が、邪馬台国と大陸側にあったとするの?


350:日本@名無史さん
09/06/06 01:38:45
ももそは今なら桃子、百恵あたりだろうね。

351:縦目仮面
09/06/06 01:42:57
そうかな? 百襲(ももそ)は100人殺し(徇葬)という怖い説もある。トンデモと思うが。

352:日本@名無史さん
09/06/06 01:53:33
九州の出土品 鉄の刀 巨大鏡 ブレスレッド 
畿内の出土品 木の鍬 木仮面 花粉

353:日本@名無史さん
09/06/06 02:11:04
>>349
基本的な認識がなってないな。九州説では、倭国は九州のみなんだよ。だから
当然邪馬台国は倭国でもっとも栄えていた国ってことだ。
当時の大和は独立した国があったかどうかすら不明、あったとしても単なる倭
種の国々の一つ。そこは倭国ではない。


354:日本@名無史さん
09/06/06 02:14:37
>>351
ん?
そ、それだったら先に殉死者が百襲ヒメタンに襲われて絶命、
で100人殺してようやく百襲ヒメタンも自害、ってこと?


・・・・・・・・・・・・以下妄想・・・・・・・・・・・・

「来るのじゃ~~!!、一緒に死ぬのじゃ~~~~~ッ!!!」

「や、やめてくだされ!、モモソヒメさま~ッ! ヒエ~~ッ!だ、だれか、助けてくれ~~~!!」

「え~いッ!!」(グサリッ!)

「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・ ・ ・  ・    ・  」

「よし。・・・次は・・・・・・・おまえじゃ~~~~ッ!!!!」

「ヒエ~~ッ!だ、だれか、助けてくれ~~~!!」

「え~いッ!!」(グサリッ!)

「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・ ・ ・  ・    ・  」

  (・・・以下98回繰り返す・・・)

「ハアハア、ハアハア・・・・・・、も、も、もはや、これまでえええ~~~ッ、え~いッ!!」(ブスッ!)

・・・・・・・・・・・・妄想、以上・・・・・・・・・・・・

ぶ、ぶきみ~~、こ、怖いよ~~


355:日本@名無史さん
09/06/06 02:23:00
九州地方を中心とした百余国全体が棲み分けしていて、
この全体を倭国と称していると思う。
その国々の中から代表国を決めるしきたりがあった。
かつては漢から金印をもらった委奴国が代表をしていた。
その後一時ゴタゴタしたが、卑弥呼を長とする邪馬壱国が
代表になった。邪馬壱国は、魏が厳しい戦いの最中に
いち早く加勢を申し出たため、親魏倭王という金印をもらった。


356:日本@名無史さん
09/06/06 02:27:57
>>354
こわ杉

357:日本@名無史さん
09/06/06 03:42:49
百襲姫の「襲」は、地位などを継ぐという意味もあるらしい
日を継ぐという意味で、100日間お篭りをした姫という意味だろうか

358:日本@名無史さん
09/06/06 07:31:13
>>352
畿内は遅れてるな(笑)

359:縦目仮面
09/06/06 07:35:21
「襲」は「重ね着をする」という字義があり、百襲は魏からもらった答礼品の織物類を何重にも
着ていたとする説、「継承する」という字義から、卑弥呼は一人ではなく「卑弥呼職」が何代も
続いたとする説などがあるようだが、どちらもいただけない感じ。あと「迹迹日」の部分は、
(10×10・・とう と とう)で百にかかる枕詞のようなものとする説もあるね。奈良時代には
九九はあったようだが(万葉集に出ている)・・・これもちょっと考えにくい。

HPを見ればいろんな人がいろんなことを書いているが、まあ、名前の意味からしてよくわ
からんのだからね。

360:日本@名無史さん
09/06/06 08:04:09
未だに九州なんて騒いでいるのは、地元の町おこし連中だけじゃないか。
邪馬台国焼酎とか、ミス卑弥呼とかやめてくれよ。
対馬を韓国領だと騒いでいるのと同じ。

361:日本@名無史さん
09/06/06 08:06:51
>>348
コミカル・アリか?


362:日本@名無史さん
09/06/06 10:28:35
倭迹速神浅茅原目妙姫
倭迹迹日百襲姫

迹迹 迹速 偶然にているだけ?誤字?

倭迹迹日百襲媛命 ヤマト+(トト) 日有り 日本書紀
夜麻登登母母曾毘売命 ヤマト+(ト) 日無し 古事記

倭速日百襲姫 これがオリジナル?

363:日本@名無史さん
09/06/06 13:11:22
この時代このようなヤマトトソのようななをもったひとがけっこういたようなのです。
よって、名前が錯綜し、ヒモモソ媛じたいが皇女なのかどうかもわからなくなってしまったようなのです。

364:日本@名無史さん
09/06/06 13:28:52
>>360
産業のない奈良県に、畿内説で観光客を誘致したいんですね、わかります

365:縦目仮面
09/06/06 14:19:48
まあ、よくある説では、崇神天皇の和風諡号、御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)
の、「御間城」の部分が、倭人伝に出てくる邪馬台国の官名「彌馬獲支」(ミマカキ?)に似て
いるとか、「五十瓊殖」(イニエ)の部分が、「百襲」と50:100で対比関係(なんのこっちゃ?)
にあるとか。五十と百は関係ありそうだが、これはいくら調べても確証がでるとは思えないた
ぐいのことなんだな。

366:日本@名無史さん
09/06/06 15:10:17
産業のない九州の村に、邪馬台国で観光客を誘致したいんですね、わかります 。

これぴったしカンカンだね>

367:日本@名無史さん
09/06/06 15:13:33
五十瓊殖
五十狭茅
五十瓊敷
五十狭城

368:日本@名無史さん
09/06/06 15:18:28
善光寺と草津温泉以外に新しい観光の目玉がほしい長野県にも
邪馬台国説はぜひほしいです。

>晋率善羌中郎将
周の国を支えた羌族が移り住んだのが善光寺で
邪馬台国=山田国だったという説をぜひ広めたいです。



369:日本@名無史さん
09/06/06 19:21:39
工業団地をやめて吉野ヶ里遺跡を保存した九州と違って、
畿内の観光客から、お金を巻き上げるための畿内説ですね、わかります。

370:日本@名無史さん
09/06/06 20:13:47
>>369
邪馬台国なんて、魏志倭人伝に載っているから注目されるだけであって、日本の歴史の一断面にしか過ぎない。
たとえばそれが大和であったとしても、奈良にとってはそれほど大きな事件ではない。それ以上に大和朝廷や飛鳥の
遺跡、国宝や重文など文化遺産が掃いて捨てるほどある。巻向なんて奈良県民にとってはただのド田舎ですよ。



371:日本@名無史さん
09/06/06 20:44:16
まぁJR九州なんて社歌にまで卑弥呼を入れてる時点で…
何を言っても恥ずかしいだけだぞw

372:日本@名無史さん
09/06/06 20:56:57
>>371
そう言えば『 幻の邪馬台国 』の宮崎康平って島原鉄道の元役員だっけ?

373:日本@名無史さん
09/06/06 21:10:57
>>371
しかしこれはなかなかの名曲と思うぞ。(YouTube動画)
URLリンク(www.youtube.com)

あー、ゆっくり九州旅行したいなー、とつい思ってしまった。w

俺? 俺は畿内説だけどね。ww


374:日本@名無史さん
09/06/06 21:17:44
>>372
島原鉄道乗務取締役だね。
しかし決定もしてないのにここにあったと
吹聴する自治体や会社は大半九州だな。
俺が昔行った九州への修学旅行でのバスガイドも
「邪馬台国はここ九州にありました」と断言してたw

375:日本@名無史さん
09/06/06 21:25:04
>>373
確かに歌詞の中に「卑弥呼」が出てくるなw

しかし観光資源の有効利用と言うことなら奈良より九州に邪馬台国があったほうが良いんだろうな…

そもそも奈良にあった場合あくまでヤマト王権(の前身?)が中国史書に邪馬台国と記されていたと言う事で
どうしても「ここが邪馬台国」とストレートに言い難いんジャマイカ?

その点、九州なら
「やがてヤマト王権が始まるその前の時代、滅び去った夢とロマンに満ち溢れたクニ!」
としてアピールし易さそうwww



376:日本@名無史さん
09/06/06 21:46:51
ここまでをまとめると九州必死だなwwwwwwwwwww
ってことですね。

377:日本@名無史さん
09/06/06 22:20:32
>>373
感動した!
なんという素晴らしい曲が生まれたことか!
これこそ女王卑弥呼様のおかげだ!
理由は要らん、もう邪馬台国は九州でいい!

378:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/06/06 22:25:58
まぼたいで、何故吉永さんが歌わずにセリーヌ・ディオンさんに歌わ
せたのかねぇ~? 吉永さんは昔いつでもなんとか♪とか歌手もやっ
てたのに?? 歳がいってしまったからかな?

379:日本@名無史さん
09/06/06 22:27:12
>>377
よし!決まりだ、邪馬台国は九州で確定だぜ。

380:日本@名無史さん
09/06/06 22:31:58
そうです、邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。

381:日本@名無史さん
09/06/06 22:49:11
>>369
工業団地作れば良かったのに。判断を過ったな・・・。

382:日本@名無史さん
09/06/06 23:04:31
MR・BRAIN氏が「邪馬台国は奈良県桜井市にあった!」と言った。

383:373
09/06/06 23:32:15
>>377
>感動した!

そうかい。ww

確かに一般的な企業の社歌なんぞよりは、遥かにハイレベルの曲だね。
きみのようなファンができて、JR九州は嬉しいだろうよ。w

もう一回、別の動画で聴いてみるかい?
URLリンク(www.youtube.com)
(YouTube動画)

>理由は要らん、もう邪馬台国は九州でいい!

こらこら、理由は要るんだぞ。ww


384:日本@名無史さん
09/06/06 23:48:03
しかしこれで九州に邪馬台国が無かったとしたら、
幻の名曲として記憶されるなw

385:日本@名無史さん
09/06/07 00:19:21
石碑を探すことだ。火山灰に埋もれた石碑が必ずある。
それしか九州邪馬台国説を決定付ける方法はない。


386:日本@名無史さん
09/06/07 00:24:59
石碑(プ

387:日本@名無史さん
09/06/07 00:29:49
>>385

九州説ですが、そんなことない。

同じ九州説として恥ずかしいのでこれ以上しゃべるなw

388:縦目仮面
09/06/07 00:31:21
石碑ねえ、どんな文字が書かれてるんですかね。漢文ですか、それとも古代文字?

389:日本@名無史さん
09/06/07 01:07:45
邪馬台国って自称じゃないだろ


390:日本@名無史さん
09/06/07 01:08:58
>>388
多分ルーン文字

391:縦目仮面
09/06/07 01:17:28
ルーン文字すか。俺はそれ系はけっこう好きなんすが、フサルクの最初のFが「財産・家畜」
を表す時点で、すでにかなり厳しい感じがしますね。

392:日本@名無史さん
09/06/07 03:05:36
百襲姫=日女命(ヒメノミコト)=卑弥呼でいいんじゃないかい?
大市というのもイチの国=邪馬壱国という事でさ。

393:日本@名無史さん
09/06/07 11:47:18
箸墓は大市だからな。
何時から地名かはわからないが、モモソ=大市からの由来かも知れない。
邪馬壱国=ヤマト、イチの国なのかも?

394:日本@名無史さん
09/06/08 13:16:04
壱国は壱岐
対馬国は対馬
伊都国は糸島半島

なんですけど

395:日本@名無史さん
09/06/08 14:01:00
筋では東遷がいちばんしっくりくると思うんだけどなあ。
土器と鉄器の問題がなあ。

396:日本@名無史さん
09/06/08 15:48:16
箸墓から見つかった石碑には、藤村新一作と刻印があったから心配するな。

397:日本@名無史さん
09/06/08 15:50:12
三国志に「邪馬壹國」または「邪馬一國」という表現があるからな。
その場合ヤマイチ国とも読めるのでは?
そうなると箸墓のある場所が大市というのがね‥
>>395
やっぱり争いの最中でもあるからな。
単純には進まなかったという事でしょ。


398:日本@名無史さん
09/06/08 19:30:55
>>396
もう少し考古学的素養のあるジョークをどうぞ。


399:日本@名無史さん
09/06/08 20:08:51
>>392
百襲姫は処女じゃないぞ。
しかも、夫の正体を見たために箸で性器を突いて死んでしまうという
恥さらしな亡くなり方をしている。
なんでこれが長年邪馬台国を治めた卑弥呼なんだ。
邪馬台国は畿内でもどっちでもいいが
百襲姫のモデルが卑弥呼だというのはありえない。

400:日本@名無史さん
09/06/08 20:38:36
>>399
現代人が夕刊フジ読む感覚で神話を読むなよw

401:日本@名無史さん
09/06/08 20:46:23
>>400
古代には夕刊フジ記者みたいな語り部がいて
毎夕どっかのムラの集会場に呼ばれて
面白おかしくムラビトにしゃべっていたのでは?

402:日本@名無史さん
09/06/08 20:52:44
>>401
筒井康隆にそんな話あったな。でもこの話と関係ないけどな。

403:縦目仮面
09/06/08 21:02:03
>人類最古の職業といえば「売春婦」というものが、そのNO.1の栄誉に輝く。
  本当にそれより古い職業はないのか? あった!
  証明しろ! といわれたら「できません」と謝るけど、きっと古いぞッ!
  それは恐怖の物語を聞かせてくれる「語りべ」である。       by 荒木 飛呂彦


404:日本@名無史さん
09/06/08 21:23:28
>>399
卑弥呼の対抗勢力が政権をとって、後に辱しめる話を作っただけだろ。
日本書記に邪馬台国や卑弥呼の話が消されてる理由にもなる。

405:日本@名無史さん
09/06/08 21:24:56
>>401
民俗学者の宮本常一は日本中隅々まで民俗探訪をやった人だが、行商人のもつ情報収集と伝達も能力に注目している。同世代の赤松啓介もそうだ。

中世史家の網野善彦は、宮本常一から大きな影響を受けている。
棚田国男民俗学で「常民」と呼ばれる定着農民重視の視点ばかりでなく、「非常民」という生き方をする人々の働きも、社会的に無視できないとの立場だ。

各地を旅する下級の宗教者、乞食、船乗り、旅芸人、遊女(遊郭に固定されるまでの)…など、こうした非常民的人々は中世以前の古代においても、社会へ情報を伝達するきわめて大きな働きがあっただろう。

406:日本@名無史さん
09/06/08 21:29:06
箸で性器を突いて死んでしまう=恥さらしな亡くなり方

ってのが現代人のワイドショーレベルの理解だって話じゃないの?w

407:日本@名無史さん
09/06/08 21:47:45
>>406
でも「お前も恥をかかせてやる」といって
大物主命は三輪に帰ったという伝説だろ?
やっぱり後々辱めの為に創った気がしないでもない。



408:日本@名無史さん
09/06/08 21:48:20
『市民の古代』第8集 1986年 市民の古代研究会編
  ●研究論文 講演

多賀城碑について
古田武彦

 金石文について
 ご存知のように、七世紀から八世紀にかけて、日本における古い金石文、石碑ですね、
これが六つある。関東に四つ、群馬県に三(山之上碑、金井沢碑、多胡碑)、栃木県に
那須国造碑、京都に宇治橋碑(破損して一部しか残ってないようです)、それに、仙台に
ある多賀城碑がございます。これ等が日本の古い金石文の代表とされております。
 考えてみると面自い話です。東北、関東にかけて圧倒的に多い。わずかに近畿は一つ
だけ、九州はない。これは一体なぜだろうというのが面白い問題になるのですが、今日は
そういう問題にたちいりません。

------------------------以下略、引用終わり--------------------------------

 わたしは、九州や畿内では石碑が造られていなかったとは考えていません。多賀城は
国分寺がおかれると廃城となったために、比較的良い状態で残ったのだと考えます。
 邪馬台国碑が作られた可能性も十分あると思います。ただ、それは、埋もれてしまった
か、他の石碑や墓石、城の石垣などに転用されているのかもしれません。
 まずは掘ってみる。大きな石はひっくり返してみる。裏側を見る。あとは運ですね。

409:日本@名無史さん
09/06/08 21:57:43
>>407
その見方自体は仮に前提としてもいいとおれも思うけど、ただ、
「箸でまんこ突いて死ぬ」とか「情夫がヘビだった」って話が全然現実的じゃない以上、
なんらかの比喩と考えるのが普通でしょ?
首が8つある竜の実在をそのまま信じるやつはいないのと一緒。

410:日本@名無史さん
09/06/08 22:13:26
ふと思ったのだが、よく都市伝説にある
「かごめかごめ」の歌に卑弥呼(モモソ姫)の逸話に
ぴったりはまるのでは?

かごめかごめ(籠女‥籠神社の巫女)
かごのなかのとりは(モモソ姫)
いついつでやる(いつでてくる?)
よあけのばんに(日食の事?夜明けに蛇の姿を見た事?)
つるとかめがすべった(鶴=巫女、亀=占‥卑弥呼がこけた?)
うしろのしょうめんだあれ?(これは意味不明だw)

当然元歌は違うと思うが、案外卑弥呼の
ネガティブキャンペーンソング的に広められてたりして。

411:日本@名無史さん
09/06/08 22:23:13
>>410
無邪気な謎解きだけど、楽しいねw
その流れで最後の1行を解釈するなら、「で、誰がこの国治めるの?」で決まり!

412:日本@名無史さん
09/06/08 22:31:06
確かに背後の正面という事なら
次は誰が治めるのととれるなw

413:日本@名無史さん
09/06/08 22:36:49
カゴメはイスラエル国旗と同じ。
伊勢神宮の灯篭のカゴメ紋は、天皇がユダヤの失われた十支族の子孫だったことを示す証拠

414:日本@名無史さん
09/06/08 22:38:29
籠神社も元伊勢だからな。

415:日本@名無史さん
09/06/08 22:47:31
百済の人がペルシャ系住民で、
アラブ人の顔立ち。
この人達が失われた部族だったという説があるよ。
羊を飼う民族だったらしい。
当時の日本人より背も高い。

416:日本@名無史さん
09/06/09 17:46:48
>>410

ばかだなあ。その歌が古墳時代から伝わってると思ってるのか?
「しょうめん」って和語じゃないだろ。


417:日本@名無史さん
09/06/09 20:32:33
>>416
当然歌詞は変わってるだろ。
しかし公式には江戸時代からの童謡とは言われてるが、
実際いつ何処から広まったかは全く不明だよ。

籠の中に入ってた姫というと、かぐや姫もそうだし、
他でもない籠神社の伝承にもある。豊受大神がそうだ。

418:縦目仮面
09/06/09 21:15:32
「かごめ歌」も「通りゃんせ」も都市伝説的な不気味な解釈が多いが、実際はそんな古いもの
ではない気がするね。実際は「花いちもんめ」のほうが哀しい意味合いがあるとする説もある。
花ー女の子、一匁(いちもんめ)ー代金・・・つまり人買いの歌。まあ、よくわからんが。

籠目は竹を編んだ格子状の紋様で、部分を見れば正三角形を組み合わせた六芒星の形
になってる。これはダビデの星(ソロモンの封印)ともよばれ、日本ーユダヤ同祖説などの
トンデモ説の根拠の一つとなってる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)




419:縦目仮面
09/06/09 21:48:38
籠目には僻邪の意味合いがあるとする民俗学の研究もあるらしい。いわく、魔は目が多い
ものを嫌う、魔はついつい目の数を数えてしまいその間に逃げ切ることができる、など。
これは密教の九字護身法でもいわれてて、「退魔の早九字」(刀印)では、線で囲まれた目
は12できる。俺も妖怪に会ったらやってみようと思ってるんだが、いまだ機会がない。

URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

あと、カゴメ歌と庚申講、青面金剛などの関連をいろいろ調べてる人もいるようだが、俺には
HPを見てもよくわからんかった。




420:縦目仮面
09/06/09 22:12:01
伊勢神宮の灯籠については、参道ではなく国道にあるもので神宮側はノーコメントを通して
る。以前機会があっていろいろ調べたが、この説が本当っぽくて面白かった。

>あの灯篭は“伊勢三宮奉賛献灯会”によって昭和30年に建立されたものである。そして
  ダビデ紋の依頼主は、当時の日光東照宮宮司の二荒芳徳元伯爵と神宮奉賛会会長で.
大阪タクシー株式会社社長の森岡善輝の二人であり、 実際に彫刻したのは木藤昌宏が
社長をつとめる兵庫県西宮市の木藤石材工業であった。神宮自体はまったく関知してい
  ない。

なぜそのようなものをつくったのかは諸説あるが、二荒芳徳伯爵がボーイスカウト日本連
盟顧問で、フリーメーソン人脈に近かったことから、その組織から何らかの働きかけがあ
ったのではないか、と云う説が一番信憑性が高いように思う。

421:日本@名無史さん
09/06/09 22:16:24
>>420フリーメーソンて、
鳩山兄弟を使って自民党転覆を企てる組織のことですか?
あの二人は、お笑い兄弟みたいな感じがしますが・・
深読みすると、日本の品性を下げる、それが狙いなので
はないでしょうか?


422:日本@名無史さん
09/06/09 22:29:49
ボーイスカウトはフリーメーソンの下位組織だからな



423:日本@名無史さん
09/06/09 22:46:20
しかし変体仮面は何気にオカルトへの傾倒が垣間見えるなw

さてそろそろイルミナティとかローゼンクロイツとか出てくるのかな?wwwww



424:日本@名無史さん
09/06/09 22:46:35
円筒埴輪の丸や三角の穴も、魔除けの“目”だろうな
籠目を埴輪であらわした物だろう

425:日本@名無史さん
09/06/09 22:56:47
カゴメというのは、最小限の素材で効率よく強度を上げるための編み方。
イスラエルとは全く関係ない。こじつけもいいところだ。

426:日本@名無史さん
09/06/09 23:00:17
ボーイスカウトの宗教章は神社本庁が他の国内の宗教団体に先駆けて承認した

427:日本@名無史さん
09/06/09 23:01:10
御前等はフリーメーソンがなんなのか解ってない

只のオカルト愛好団体か?違うね

428:日本@名無史さん
09/06/09 23:11:46
>>427すまん。日本語で頼む。

429:日本@名無史さん
09/06/10 00:22:20
「伏見稲荷大社の稲荷をローマ字で書くと「INARI」、これより「A」を抜くと
「I・N・R・I」で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」となります。
伏見稲荷大社を造った秦氏は大秦(ローマ帝国)出身でネストリウス派キリスト教徒
でした。秦氏の造った広隆寺もキリスト教の聖堂です。また伏見稲荷大社の裏手は
栗栖(クルス)と言う地名です。」MR・BRAIN氏

430:日本@名無史さん
09/06/10 00:51:01
URLリンク(maesai.main.jp)
アカ族の村の門、鳥居状の柱に竹ヘギで編んだ格子をつけている
これが「鬼の目」、魔除けの意味がある

431:縦目仮面
09/06/10 06:36:38
>>423
オカルトへの傾倒?・・・ヨーロッパの錬金術、占星術、黒魔術は好きで昔から調べている。
まあ、趣味かな。学業とは別なんだが。

432:日本@名無史さん
09/06/10 09:59:02
今時陰謀史観かよ

現代版「ノアの方舟建設計画」
 2009年5月5日、ニューヨークはマンハッタンにあるロックフェラー大学の学長でノーベル化学賞の受賞者ポール・ナース博士の
邸宅に世界の大富豪とヘッジファンドの帝王たちが集まった。この会に名前はついていないが、
参加者たちは「グッドクラブ」(善意の集まり)と呼んでいる。
 主な顔触れはデービッド・ロックフェラーJr、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルムバーグ、
テッド・ターナー、オプラ・ウィンフレーと言った超豪華メンバー。この集まりを呼び掛けた人物はパソコンソフトの
標準化を通じて寡占状態を築き上げ、個人資産5兆円を超すビル・ゲイツである。
 これほどの大富豪たちが一堂に会し、密かに議論したテーマは何であったのか。実は世界の人口増大をいかに食止めるか、
そのために彼らが所有する巨万の富をいかに有効に活用すべきか、ということであった。

 議長役としてこの会を取り仕切ったビル・ゲイツによれば、「人類の未来に立ちふさがる課題は多いが、最も急を要する問題は
人口爆発である。現在67億人が住む地球であるが、今世紀半ばには100億人の可能性もありうる」

「このままの状況を放置すれば、環境・社会・産業への負荷が過大となり地球環境を圧迫することは目に見えている。なんとしても
人口爆発の流れを食い止め、83億人までにとどめる必要がある。各国政府の対応はあまりにスローで当てにはできない。
潤沢な資金を持ち寄り、我々が責任をもって地球の未来を救うために独自の対策を協力して推し進める必要がある」とのことであった。
続き
URLリンク(news.www.infoseek.co.jp)

433:日本@名無史さん
09/06/10 21:27:21
>>430俺の彼女発見。会った時にピンときた。
   徐福に連れられてここへ来たころの記憶がよみがえった。

URLリンク(maesai.main.jp)


434:縦目仮面
09/06/10 21:35:47
フリーメイソンは、友愛・慈善団体で世界的な陰謀を企む秘密結社ではないよ。念のため。ww
最近、坂本龍馬フリーメイソン説が話題になったが、その関連でいろいろ調べたけど、どうも
根拠はないようだった。まあ、スレ違いもいいとこなんでもうやめる。

435:日本@名無史さん
09/06/10 21:56:22
>>424
>円筒埴輪の丸や三角の穴も、魔除けの“目”だろうな

円筒埴輪の穴の形は、ほかに長方形や半円形や巴形もあるんだが。
三角形、半円形は、上向きも下向きも両方あるんだが。

436:日本@名無史さん
09/06/10 21:56:52
自ら政権を取るのではなく、陰で主要国を牛耳ることで世界を支配する。それがフリーメイソンの真の姿。




437:縦目仮面
09/06/10 23:05:28
籠目=魔除けの概念は、平安時代の陰陽道あるいは密教以降のものではないかな。柳田國男が
笊や目籠を魔除けに使う風習について書いてたから、近代にまで続いているようだ。有名な晴明桔
梗印は五芒星であるし。

フリーメイソンについては、カリオストロ伯爵の存在が、うさんくささを発生させる原因の一つかな?
この18世紀のイタリア人は、フランマソン(フリーメイソン)の一員で、不老長寿を称して幾多の
オカルト詐欺事件を展開した。「首飾り事件」により失脚、最期は獄死したとされるが・・・。この事件
をフランス革命の一因となったする見方もある。まあ、当時のヨーロッパ社会全体に神秘主義の
影響が強かったようだが。

いかんな、またこの手のことを書いてしまった。





438:日本@名無史さん
09/06/11 22:27:43
箸墓古墳を掘れば、石碑やペトログラフが大量に発見されることはほぼ間違いありません。
宮内庁がこの古墳を第7代孝霊天皇の皇女の墓として研究者や国民の墳丘への自由な
立ち入りが禁止されているのがその最たる証拠。
宮内庁は、それ以外にも重大な証拠を意図的に隠しているような気がする。天皇家の歴史、
日本の歴史どころか世界史を書き換える必要があるほど重大な秘密を宮内庁、天皇家は
握っていると思われる。だから、あのマッカーサーさえ手をつけることは不可能だった。

439:日本@名無史さん
09/06/11 23:39:28
いい加減本道に戻れよw

440:日本@名無史さん
09/06/12 18:38:52
>>438
宮内庁は陵墓が調査された結果いろいろ報道されるのがいやなだけでしょ
事なかれ主義なだけ 役人にありがちなこと
ただ実際調査されれば記紀のたしかさが証明されるとおもうけど

441:日本@名無史さん
09/06/12 19:57:24
明治維新以前には陵墓なんてあばき放題だったらしいよ
田んぼの真ん中の丘にしか見えなかった雑木林が
急に天子さまの御墓だということで明治時代以降
柵を張り巡らされて鳥居が建てられたりしたもんだ
陵墓の中には江戸時代に描かれた内部の絵が残っているものもある
しかし当時はどれだけ考古学的価値があるかなんて誰も考えなかったし
昔の天皇がどこに埋められようがどうでもよかったのだろう

442:日本@名無史さん
09/06/12 20:10:30
>>441そうとまでは言えない。
   田んぼの中の土饅頭のでかいのが千年以上も潰されずに
   残ったのは、古代から村人にとって禁忌の場所だったから
   であって、だれも畑にしたり家を建てたりしようとはしなかった
   からだと思いますがね。


443:日本@名無史さん
09/06/12 20:16:44
>>442
陵墓はたいてい、盛土されていますからね。
平地ではありませんので開墾されないんです。
まあ、陵墓もだいたいが削られてもとの形をとどめていませんがね。
現在はこんな形だが、もとは前方後円墳だったなんていうのが
いくらでもあります。
すぐそばまで民家や田んぼが迫っている。
禁忌の場所だったならば、当時のままの形で残っているはずですがね。
家の近所に古墳ないですか?
結構石棺むき出しになってたりしますよ。

444:日本@名無史さん
09/06/12 20:33:34
>>443元の村人が追い出されて新たな住民が住み着いた土地はいくらでもある。
   そういうところでは、禁忌には簡単に破られるものだ。
   畿内は、他の地域に比べ古代から長く住み続ける村が多かったということです。

445:縦目仮面
09/06/12 20:39:47
まあ、箸墓でも箸中の集落の人がショートカットに使ってた陵上の道があったな。

446:日本@名無史さん
09/06/12 20:44:31
最近見つかった推古天皇と竹田皇子の合葬陵なんて
陵墓比定から完全に外れた場所から見つかったもんだから
一般公開してたよね(見に行ったよ)。
普通に狭い山道上っていくといきなり発掘現場があって石室がある。
地元住民が禁忌をしいていたのならば、
近畿の陵墓は全部確実に見つかってるよね。
近畿圏内の誰も知らない意外なところから陵墓が見つかるのはなぜ?
現在の陵墓比定もいい加減なのも多いけどね。

447:日本@名無史さん
09/06/12 20:53:15
限界集落。
人が住まなくなった廃村は多いです。

448:日本@名無史さん
09/06/12 20:55:00

横穴式と竪穴式で、盗掘がやり易い、やりにくいの違いありそう。

横穴式は開口部が古墳の裾に近く、探り当てやすい。
入口の閉塞石さえどければ中に入れる。

それに比べ、竪穴式は上から盛り土をさんざん掘り出す必要がある。
桜井茶臼山、黒塚など、竪穴式の前期古墳は、未盗掘だった例が案外ある。

箸墓は、後円部のそばに歴史的メイン街道の上ツ道(長谷寺参詣やお伊勢参りの伊勢街道)が通り、
箸中村の集落もすぐそこあるので人通りが多く、人の目が絶えずある。

戦国時代以前はともかく、近世以降の盗掘は考えにくい・・・・・・と、勝手にいい方に期待。w

449:日本@名無史さん
09/06/12 21:20:13
>>446
そんな場所から見つかってるんじゃないんだが。
というか、陵墓がどこにあるか知りもしないでしょ。

京都なんか、民家が建てこんだ真ん中に急に鳥居と石碑があって
「なんとか天皇陵」。
専門家の話でもどっかこの辺というだけではっきりしないらしい。
思いっきり民家建ちまくり。

450:日本@名無史さん
09/06/12 21:21:34
>>448
まあ木槨の場合、築造後数百年の後にはグシャッと潰れて全て土の中って事で
一種のタイムカプセルみたいになるんじゃないの?
ホケノがそう言う条件だったと思うが…
それでも大概は掘り返されているんじゃないのか?

銅鏡の副葬があったとしても完全な形を残している物はもとより
大きな破片は持ち去られているんじゃないのかな?

地形図を見れば>>445の言う道が斜め横断しちゃっているのが分かるしwww



451:日本@名無史さん
09/06/12 21:23:14
平安時代の天皇陵も、実は真陵として確実なのものは4分の1も無いんだよね。

452:日本@名無史さん
09/06/12 21:24:22
>>449
京都なら「陵」と名があっても実際には仏式の墓が殆どなんじゃないのか?

453:日本@名無史さん
09/06/12 21:38:16
>>452
そりゃ院政期以降じゃね?

454:日本@名無史さん
09/06/12 21:45:28
>>452
ほぼ寺の中に陵が作られるようになったのは江戸時代以降
それまではばらばら
初期の例では醍醐寺管轄内に陵墓を持つ醍醐天皇がいるが
それ以降も寺内に陵を持たない天皇も多い

明治時代の神仏分離令により寺と陵墓は切り離され
現在寺が管理しているものはひとつもないけどね。


455:日本@名無史さん
09/06/12 22:11:13
>>446
いやむしろ植山古墳のあたりが「大野岡」であった蓋然性は高いんじゃない?

456:縦目仮面
09/06/12 22:18:19
URLリンク(www.kunaicho.go.jp) うわさの宮内庁作成。

457:日本@名無史さん
09/06/12 22:40:59
>>456宮内庁って、神武天皇まで実在していたことにしてたのですか?
なんだか笑った。

458:日本@名無史さん
09/06/12 22:49:06
>>457
それどころか、宮内庁は日向三代の陵墓も管理してるよ。
俺は別に笑わないけどね。

459:日本@名無史さん
09/06/12 22:57:35
そのへんはさっさと発掘してほしいな。
ガセネタのために土地を遊ばせておく必要はない。

460:縦目仮面
09/06/12 23:01:22
昔はこれらの御陵を参拝して回って、皇陵印を集めるのがはやってたらしい。
URLリンク(inoues.net)
こんなことを書くと、また年寄りと思われるか?

461:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/06/12 23:06:41
ハァ? 津田病の潜伏期が終わったのか~? bb

462:太国 ◆yVAs7uaYlY
09/06/12 23:12:09
>>461
これは縦目仮面氏へのことではない。よって中止。
なんだかPC画面に混線があったのか? 交錯があったみたいだ?
何故かねぇ? 変だな~?

463:日本@名無史さん
09/06/12 23:12:40
>>459
いや、近世史は近世史で大事にしないと。
明治政府がどんなむちゃくちゃやったかは歴史として認識しておかないとね。

464:日本@名無史さん
09/06/13 00:02:20
実は、水戸黄門がすでに発掘している。宇都宮藩もあやしいな。戸田氏だっけ?
水戸藩の所蔵品を探せ。

465:日本@名無史さん
09/06/13 02:37:24
畿内説の人に質問

・女王国の東、海を渡ること1,000里に国があり皆倭種。
・南に狗奴国。(女王国の境界尽きる奴国の南にある)
・南4,000里には朱儒国。
・東南に一年で、裸国・黒歯国。
・土地は温暖で、冬でも生野菜を食べる。生活環境は中国海南島と同じ。
・倭の地を参問するに~周旋5,000余里

  ↑
なんか奈良っぽくないんだけど・・・。
説明して下さい。

466:日本@名無史さん
09/06/13 02:39:25
琵琶湖

467:日本@名無史さん
09/06/13 02:44:56
八丈島

468:日本@名無史さん
09/06/13 02:53:39
確かに奈良の「北東」方向に琵琶湖があるけど、

「南は東の間違い」なんでしょ? だったら東=本当は北ってこと?

だったら東南に一年=裸国・黒歯国は、本当は北東になるわけ?
北東に一年行くと裸国・黒歯国があるってことは東北か北海道のこと?
ハダカじゃ寒くないの?

469:日本@名無史さん
09/06/13 02:58:24
近畿を中心に西日本一帯が邪馬台国だから別にいいんだよ。

470:日本@名無史さん
09/06/13 03:00:24
伊勢湾

471:日本@名無史さん
09/06/13 03:02:00
西日本一帯の東北に一年で、裸国・黒歯国があるんだよね。
(南は東の誤りだから)

東北や北海道で素っ裸じゃ寒くない?

472:日本@名無史さん
09/06/13 03:16:03
伊戸国で倭人から聞いた事柄なんだからそうなるんだろ。
実際の邪馬台国も畿内なんだけどね。

473:日本@名無史さん
09/06/13 03:16:56
ペルー、コロンビア

474:日本@名無史さん
09/06/13 03:19:20
船で1年なら太平洋横断してるかもな。

475:日本@名無史さん
09/06/13 03:22:54
でもさ、西日本一帯だったら周旋5,000余里じゃ足らないでしょ。
狗韓国→対馬、対馬→一大国、一大国→末盧国がそれぞれ1,000余里
なんだから。

476:日本@名無史さん
09/06/13 03:49:48
狗邪韓国の邪がぬけた

477:日本@名無史さん
09/06/13 04:51:18
>>465

悪魔で故人的な見怪だが・・・

極端に言えばそんな物考えるだけ時間の無駄
「ガリバー旅行記」と変わらない内容の物を真に受けて実際に地理に当て嵌めるなんてナンセンスつうかw

例えば「東南の裸国・黒歯国」と言うのは、それこそ海南島とゴッチャになっていて
海南島から東南と言うのは現在のフィリピンかインドネシアあたりの話じゃないのか?w

結局それらを読み解くと言うのは古代の中国人の脳内地図のイメージを読むと言う事で
畿内だ九州だとかいう以前の問題だろうとwwwww

ちなみに方角の問題にしても「南は東の間違い」と言う単純な話ではないだろうと思っている。
情報のソースとして
 ・九州に常駐あるいは頻繁に訪れていた中国人の実際の見聞に基づく物
 ・倭人からの情報
 ・大陸の中国人の脳内地図
 ・実際に卑弥呼の下に行った魏使の報告による物
これらがゴッチャになっていると思っているw

まあ流石にここまでやっちまったらこの板の畿内説の連中からも叩かれるだろうがwwwwwwww


478:日本@名無史さん
09/06/13 05:25:47
>>477
足掻きたければ、心ゆくまでどうぞ。

479:日本@名無史さん
09/06/13 11:24:36
>>477

ふ~ん、三国志ってガリバー旅行記みたいな童話なの?
それにしちゃ、行程の対馬→一大国→末盧国・・・云々とか、当時の風習とか、
卑弥呼の朝貢とか、戸数とか、、真に迫ってない?

結局畿内説では、魏志倭人伝の記述との食い違いの説明は出来ないってことなんでしょ。



480:日本@名無史さん
09/06/13 11:40:15
陳寿はそもそも始度一海千餘里などの里を魏里(約400m)と考えていた
だから水行二十日に水行十日陸行一月と書いても何の疑問も感じなかったし
計算するとまさに会稽東冶之東にあるべしだったのだろう

魏志倭人伝の信憑性なんてそんなもの

481:日本@名無史さん
09/06/13 11:58:58
>>479
朝貢記事や北部九州でガチな部分とかと海南島あたりの風俗・地理と混同してしまっているのか?と言う指摘もある部分と
情報精度を一緒くたにしてしまうのはねえ…

この板の九州説はそういった論調が多いよな。

「信用できないというのなら邪馬台国の存在そのものも信用できない」
と言う理屈でそれこそ倭人伝の隅から隅まで一言一句真としなければならないようなwww

まあ>>477はこの板では極端な意見だろうから
妄言と言うのなら言って貰ってもかまわないからwwwwwwww

482:日本@名無史さん
09/06/13 12:02:33
まー、「ここの記述はこうカン違いしたんじゃないか」なんて
恣意的な解釈がまかり通る世界だからなあ。学問じゃねえよなあ。

483:日本@名無史さん
09/06/13 12:10:24
この時代中国の書物で一萬二千里を越える距離表現ってあるの?

無いから一番遠い距離という表現なんだろう。

484:日本@名無史さん
09/06/13 14:23:00
東に1万2千里、南に1万2千里、地球の裏側で逢えるね。

485:縦目仮面
09/06/13 17:54:02
まあ、俺は中国国内記事(魏帝詔書等)以外は疑って・・・いやいや資料批判しながら読んでる
けど。まあ、読み方に関しては人それぞれでいいと思うが、むしろ自説を立てた後のバッキング
のしかたに問題が多い気がするな。


486:日本@名無史さん
09/06/13 18:16:20

食は万里を越える…by 餃子の王将

487:ローガン
09/06/13 18:26:02
行程の構文が変わっているのは、単純に複数の資料を参照したためではないかなあって思います。


488:日本@名無史さん
09/06/13 18:53:34
>>480
>陳寿はそもそも始度一海千餘里などの里を魏里(約400m)と考えていた
帯方郡は山東半島の東だ。陳寿は、当然そのことは知っていただろう。
山東半島から南へ万二千里、魏里(約400m)で計算すれば、赤道付近のはずだ。
なにしろ、中国の南北は六千里とか言われていたからね。陳寿が魏里の万二千里が
どのくらいか知らぬはずはない。何でその陳寿が、会稽東冶の東なんて言葉をその
まま書くんだ? 魏里と考えていたにしてはおかしいじゃないか?

489:日本@名無史さん
09/06/13 20:20:22
実際行った訳ではないので、日数も距離も遠いと表現しただけ。

490:縦目仮面
09/06/13 20:33:48
陳寿が倭国に関心があったという話は聞いたことがないんで、Wikiもない時代にわずかな
資料を頼りに、俺らがウルグアイやニカラグアの地誌を書くような感じだったんでないの?
(上記2国を出したことに他意はないです。俺は地理は不得意なんで、全然イメージがわか
ない国の例え)

491:日本@名無史さん
09/06/13 22:30:52
百襲媛が卑弥呼なら男弟が崇神?
応神天皇が四世紀末在位なら
応神は崇神五世の孫だから年代的には記紀の系譜は合ってるということなのかな?

492:縦目仮面
09/06/14 00:14:12
うーん、俺は畿内説(オカルト研究家でないよ)で、崇神没年は258年(程度)と考えてる。卑
弥呼ー台与 間の男王がそのモデルになった人物と見てる。このあたりの年代観は上レスの、
24~26に書いてる。

崇神~応神の記紀による年齢は非現実的なものだから、そのあたりをどう見るかだろうね。
URLリンク(www7a.biglobe.ne.jp)

さて、「トヨタン」フアンが早いか、倍暦が早いかwww


493:日本@名無史さん
09/06/14 00:27:31
>俺らがウルグアイやニカラグアの地誌を書くような感じだったんでないの?
会稽東冶は中国内の話だよ。頭は大丈夫か?


494:日本@名無史さん
09/06/15 02:49:12
モモソが卑弥呼だとしたら、年代的には日食を経験してる可能性大だよね。
つまり「天の岩戸」もモモソがモデルなのか?
天の香久山は勿論奈良にあるし、堅い石のとれる天の安川だって近くにある。
(南河内郡太子町の現飛鳥川が安川という)
おまけに飛鳥川の上流は二上山の石切場で岩屋峠!
更にすぐ近くに鉱山としては信貴山の山中に金山媛神社があって、
弥生時代から鉱工業が栄た場所でもある。
今の伝説候補地より状況としては相当一致すると思うのだが。


495:日本@名無史さん
09/06/15 10:51:00
日食なんてそんなに珍しい現象じゃないし、数分の出来事。
何日も台風だったとか、火山の噴火の方が余程に与える影響が大きい。
あれは、計算が出来るらしいから、予言者の術として有効なだけで、もちろん卑弥呼が天文学的知識で持って予言したとは思えない。

496:日本@名無史さん
09/06/15 11:19:36
卑弥呼は別に日食なんか予言してないと思うけど。
しかし日食後、その数年後に死去してるのだから
それをきっかけに政情不安になるのは充分有り得る話だ。

497:日本@名無史さん
09/06/15 11:54:45
>>496
だから、日食なんてのは予言するからビックリするだけの話。
曇り空でも日は隠れるんですよ。

498:日本@名無史さん
09/06/15 11:58:50
日食より、火山噴火で数カ月に渡って太陽が隠れる方が天変地異。

499:日本@名無史さん
09/06/15 11:59:18
いくらなんでも古代における信仰ってもんを軽視し過ぎだろう。
シャーマンが牛耳ってた古代国家の話によく首つっこめるな。

500:日本@名無史さん
09/06/15 12:10:43
崇神天皇
 3年 9月 三輪山西麓の瑞籬宮に遷都
 5年     疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた
 6年     疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。
 7年 2月 大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。
    11月 大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(三輪山を御神体とする現在の大神神社)、
         市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となる。
10年 9月 大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、
         従わないものを討伐させた(四道将軍)。
         しかし、大彦命だけは異変を察知して和珥坂(奈良県天理市)から引き返し、
         倭迹迹日百襲姫命の予言から武埴安彦(孝元天皇の皇子)の叛意を知ることとなる。
         武埴安彦は山背から、その妻吾田媛は大坂からともに都を襲撃しようとしたが、
         天皇は五十狭芹彦命(吉備津彦命)の軍を遣わして吾田媛勢を迎え討ち、一方の安彦勢には、
         大彦命と彦国葺(和珥氏の祖)を差し向かわせ、これを打ち破った。10月、畿内は平穏となり、四道将軍が再び出発。
倭迹迹日百襲媛命大物主神の妻となるが、大物主の本体が蛇であることを知って驚き、倒れこみ、箸が陰部に刺さって死んだ。
箸墓古墳は、彼女の墓と伝わる。
11年 4月 四道将軍が地方の賊軍を平定させて帰参、その様を奏上した。
12年 9月 戸口を調査し、課役を科す。天下平穏となり、天皇は御肇国天皇と褒め称えられる。
48年 1月 豊城命(豊城入彦命)と活目命(垂仁天皇)を呼び、どちらを皇太子にするかについて熟慮決断した。
     4月 弟の活目命を皇太子とし、豊城命に東国を治めさせた。
60年 7月 飯入根が出雲の神宝を献上。兄の出雲振根が飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺される。
65年 7月 任那国が蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わして朝貢した。
68年12月 120歳で崩御(『古事記』は、戊寅年12月崩御、168歳とする)。

501:日本@名無史さん
09/06/15 13:02:46
しかし天の岩戸伝説が大和の地で起きた、
日食騒動だとすると、舞台としてはぴったりだな。

モモソ媛=卑弥呼
天香具山=香具山
天の安河=飛鳥川=旧安川
天の安河原=安宿郡(あすかべ)周辺の河原
天の安河上流の石=二上山の石
天の金山=信貴山周辺の金山媛神社、周辺にいたとされる出雲系鉱工業集団
更にいうとこの一帯は物部氏の本拠地でもあるしな。

安川(現飛鳥川)の上流を上って行くと岩屋峠もあり、
そのまま葛城山麓を南へゆくとまさしく「高天原」だw


502:日本@名無史さん
09/06/15 14:28:43
まあ結論をいってしまうと、「天の岩戸」とは洞窟でもなんでもなく
箸墓そのものの事を指すと解釈しよう。

石の棺は二上山のものだし、鏡や鉄云々は様々な副葬品の記述だ。
その箸墓は現土師ノ里周辺に住んでいた者によって作られているので
土師の墓=箸墓。土師ノ里とは安川(飛鳥川)下流、大和川合流付近で
おそらくこの辺りが「天の安河原」でしょう。

そして「天の岩戸」前でのどんちゃん騒ぎというのは、墓の前での
卑弥呼復活の騒ぎだよ。そのために前方後円墳のカタチになった。

‥まあ仮にモモソ媛が卑弥呼だとすると、こんな感じで
話はまとまるんじゃないの?

503:日本@名無史さん
09/06/15 22:09:23
日食って見れたのかな

504:縦目仮面
09/06/15 22:18:55
日食自体は珍しいものではないようだが、金環、皆既日食は珍しいといえるかな。
URLリンク(star.gs)
理科系は不得意なんで、俺に質問・意見はなしにしてね。

505:日本@名無史さん
09/06/15 22:23:00
岩戸に隠れるというのは、貴人の死を意味すると岩波文庫の古事記に
書かれている。万葉集などにも、皇太子がなくなったとき、岩戸にお隠れに
なったという表現があるという。

506:日本@名無史さん
09/06/15 22:25:37
日食が朝方だとすると、
当然見れたんじゃないの。

というより卑弥呼はこの頃死んでたんじゃないか?

507:日本@名無史さん
09/06/15 22:26:19
イエスキリストも復活した事だし卑弥呼の一人や二人復活しても可笑しくない

508:日本@名無史さん
09/06/15 22:41:49
天の安川で飛鳥か。二上山西側(太子町)の飛鳥に
天皇陵が多いのもなんとなく納得。

そういえば天の岩戸伝説に名前のある鍛師、
天津麻羅は物部造等の祖でもあるからな。
おまけに陰部を傷つける所まで被ってる。

509:日本@名無史さん
09/06/16 09:33:28
>>505
確かに「お隠れになる」という表現が使われてます。
やはり天の岩戸は女王が崩御する時の描写じゃないかな。

それが皆既日食の時期とも合したため、
こういった表現で伝承されていたのだろう。

それが大和、河内を舞台に起きていたとなると、
モモソ媛=卑弥呼を裏付ける事にもなる。

510:日本@名無史さん
09/06/16 11:09:49
安本センセにも伝えなきゃな。

畿内にも「天の香具山」「天の安川」どころか
「天の安川上流の堅い石」「天の金山」まで揃ってるってw

511:日本@名無史さん
09/06/16 22:43:53
天の岩戸とは、単に日没
朝、太陽が東の山陰から生まれて、夜、西の山陰に消える
東には太陽の生まれる山があって、その麓が日の本
九州を基点とすれば畿内方面だし、奈良盆地で言えば三輪山とかその東に連なる山々
そして三輪山の真東に伊勢の神宮が置かれている

512:日本@名無史さん
09/06/16 23:51:31
>>511
「天の岩戸」は古代史の上では相当重要なエピソードだと思うが。

東の伊勢神宮より少し北の斎宮跡~三輪山、
奈良盆内では桧原神社~箸墓~須賀神社~菅原神社~日大御神社
そして二上山(穴虫峠)、淡路島の伊勢久留間神社~石上遺跡まで
見事に一直線に並ぶからな。
ここまで太陽にこだわる者達にとって
太陽が隠れる事は相当大事だと思うけど。

513:日本@名無史さん
09/06/17 00:53:28
>512
太陽が毎日生まれて日没には死ぬから、翌日も再び生まれます様にと魂振り神事をするわけだろ
それがアメノウズメの踊り、鏡など

512のそれらは、単に一直線に並べたのではなくて、西から東へと祭る場所を移した軌跡だろう
日が昇る東に太陽が生まれる場所を求めて、ある時期には「淡路島の伊勢久留間神社」付近がその場所と見なされ祭られた、
そして次の時期にはさらに東に本州に入って、二上山がそれとなり、さらに次の時期には石上と、
勢力地が拡大するにしたがって、東に祭る場所が移されたと見てはどう?

514:日本@名無史さん
09/06/17 01:01:05
>>513
ん?だから皆既日食なんて大事だったはずと言いたいだけだが。


515:日本@名無史さん
09/06/17 01:26:41
>514
日食なんて、人類は大昔から見て来て知ってるだろ
太陽が一瞬陰っても、人間の生活に何の影響も無い事は自ら知っている
まあ大事な太陽がなぜ陰るんだろう?という疑問は残るから、
いろいろ想像を逞しく理屈を考えるんだろうが
稲作民族にとって、大事なのは年間を通しての天候や天災であって、
日食みたいな一瞬で終わる事よりも、1年と言うスパンでの太陽や風や雨の安定性だろう

516:日本@名無史さん
09/06/17 01:41:48
古事記・日本書紀の最初の主人公は神武天皇であり神武東征がメインストーリー
その中で天照の子孫が東征先で天照によって追放されたスサノヲの子孫の助けによって大和で即位する、というストーリー上
天照サイドの話とスサノヲとその子大物主の話も語られているがあくまで天照の弟スサノヲの子孫が天照の子孫を助けることへの伏線であって
こっちがメインストーリーじゃないし天照はメインストーリーの主人公ではない

517:日本@名無史さん
09/06/17 01:53:24
>>515
卑弥呼の存在を根本から否定するなよw
後々使われる「お隠れになる」の意味を考えろ。

>>516
ここは誰についてのスレか知ってる?

518:日本@名無史さん
09/06/17 02:05:38
まあ「天の岩戸伝説」が実際の出来事を現してると
安本先生も言ってますからね。

それを詳しく調べれば調べるほど、モモソ媛の箸墓建設話に
状況としては一致してしまうのは事実です。

519:日本@名無史さん
09/06/17 02:18:09
では、邪馬台国のころに他に日食は無かったのだろうか?
日食があったなら、他にも「天の岩戸隠れ」に相当する事は書かれていますか?

520:日本@名無史さん
09/06/17 02:26:12
皆既日食は158年7月13日と248年9月5日
特に248年のは朝6時位と計算されていて、
この年に卑弥呼が死んだとされてるね。
この次が454年8月10日だな。

521:日本@名無史さん
09/06/17 09:21:37
朝6時の皆既日食となると、まさに夜明けの晩だな。

522:日本@名無史さん
09/06/17 10:06:55
皆既日食はやはり説得力に欠ける。
記紀が編纂されるまでに何回日本は皆既日食を経験してるのか?っていう問題もある。
しかも、数分で太陽が復活再生してるわけで、卑弥呼の影響力低下に繋がるとは全く思えない。
倭人伝にも、そんな奇妙な理由で誅殺されたのなら書かれてると思うし、後継者も男王が否定され卑弥呼の系流が王位についてるってことは卑弥呼が当時においても否定されてないという確かな証拠なんだ。

523:日本@名無史さん
09/06/17 10:56:33
>>522
シャーマンの存在理由を理解してないなw
気象予報士じゃないんだけど。
太陽が本来あるべき行動を取らないという事は
当然禍々しい事の前兆と捉えられけどな。

また貴人が亡くなる事が「お隠れになる」という意味を
どう解釈してるのか?

それに皆既日食自体は数分じゃないだろw
かけ始めからだと最大3時間位だぞ、勿論場所にもよるが。


524:日本@名無史さん
09/06/17 11:10:17
158年7月13日の皆既日食により
太陽神である天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊の権威が失墜し内乱へ

『後漢書』桓帝・霊帝の治世の間(146年~189年)、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も王がいなかった。
一人の女子が現れた、名を卑弥呼と言い、年長になっても嫁かず、鬼道を用いてよく衆を惑わしたので、ここに於いて王に共立した。

248年9月5日の皆既日食により卑弥呼が殺される

525:日本@名無史さん
09/06/17 12:43:34
>>522
高齢でもある卑弥呼が日食に驚いてショック死、もしくは
自殺してしまったとも考えられるでしょ?
それがモモソ媛の話では陰部に箸を突き刺した(転けて刺さった)
という伝承に変えらたのかもしれない。


526:日本@名無史さん
09/06/17 16:16:29
想像するだけならばいくらでも想像できるが、それに伴う証拠はまったくないと
いうことだな。

527:日本@名無史さん
09/06/17 17:37:25
まあ証拠を言い出したら、この年代の物には確たる物は何もないからな。
倭人伝、日本書記、古事記全て?だらけだ。

528:日本@名無史さん
09/06/17 17:40:29
安本先生はいまだ日食説を唱えておられるのでしょうか?
しばらく邪馬台国の会にいっていないのですが、いかがでしょうか?

529:日本@名無史さん
09/06/17 18:51:01
日食説だったら畿内説の方が有利になるしな。


530:日本@名無史さん
09/06/17 19:02:49
畿内で日食見れたの?

531:日本@名無史さん
09/06/17 19:08:23
248年のは仙台~能登を横断なので見れる。

532:日本@名無史さん
09/06/17 20:42:38
つまり奄美大島が邪馬台国なんですね

533:日本@名無史さん
09/06/17 22:09:33
あのねえ。日食なんてわりと結構見られる自然現象なんだよ。
月食も含めれば、普通に生きてても10年に一回は見られるはず。
自分はまだ見たこと無くても、古老に聞けばたいてい知ってるはず。
で、日食が起きたから、災いがおきたなんてこともないわけ。
世界中見ても、日食が不吉とされたことはない。彗星と違って。
神道の神事でも日食にまつわるものなんて無いよ。

日食で騒ぎすぎなんだよ。

534:日本@名無史さん
09/06/17 22:10:41
卑弥呼は太陽信仰のシャーマンじゃないんだけどw
道教のシャーマンで倭国を導いた
太陽信仰は天皇家の信仰(つまり倭国全部とはちがう)

535:日本@名無史さん
09/06/17 22:32:18
月食や部分日食と皆既日食は暗くなる度合いがぜんぜん別物
それに暦があれば日食なんて自然現象と理解できるが日本で暦が採用されたのは5世紀

536:日本@名無史さん
09/06/17 22:52:48
>>533
今の話は皆既日食の事についてだけど。

>>534
何言ってんのw

537:日本@名無史さん
09/06/17 23:18:47
>>534
ここでの日食説の前提は
アマテラス=卑弥呼(モモソ媛)だよ。
思いっきり太陽信仰だと思うがw

538:日本@名無史さん
09/06/17 23:27:16
なんか論点がずれてるんだよな
皆既日食と卑弥呼の死を結びつける根拠に乏しいと言ってるわけですよ
それが原因で誅殺されるんであれば、なぜに卑弥呼の一族であるトヨが再び王位に就くんだよw
しかも、生活に影響を及ぼすほどの災いを日食が及ぼしたのかよ
本当に皆既日食だったのかよ
畿内で日食が見られたのかよ
モモソ姫だったら何故に言い伝えが残ってないのかよ
その日が晴れだった可能性100%じゃねぇし
日食現象が飛び抜けて驚くような現象かよ
それより火山噴火とかのほうが農作物に影響与えるだろ

あまりにも突飛

つまりそういうこと

539:日本@名無史さん
09/06/17 23:40:57
百襲媛スレなのになんか天照スレになってるよww
百襲媛たんカワイソス
日食の話題はここじゃスレ違いだよ

540:日本@名無史さん
09/06/18 00:03:30
>535
皆既日食でも、夜みたいに暗くならないんだよ
せいぜい曇りの日程度、地平線付近は青空だし
暦がなくても農耕はやってるだろ



541:日本@名無史さん
09/06/18 01:08:06
>>538
ガキが「お前が見たのか?」と言ってるようなもんだな。
大物主が蛇になる方がよっぽど突飛だろw

>>539
吉本センセイが悪いw

542:日本@名無史さん
09/06/18 01:27:23
>>538
>日食現象が飛び抜けて驚くような現象かよ

当然だろ、卑弥呼の死が関係するかは兎も角、
「お隠れになる」の意味位いい加減に理解しろよな。


543:日本@名無史さん
09/06/18 02:18:31
>>542
だから何故、卑弥呼に結び付けるんだ、日食を
同じ年に起こったというだけでは
日食が起こったのをシャーマンのせいにされて殺されたなら、なぜ大塚を作るんだ?

544:日本@名無史さん
09/06/18 02:31:44
>>543
>>542は卑弥呼と結びつけて無いと思うけど。

545:日本@名無史さん
09/06/18 09:59:19
>>543
天災で王族が殺される例は百済にもあるけどな。
飢饉が発生してシャーマンである麻余王が殺され、
後に子が擁立されてる。
それに塚を造るのは別だろ、対立する敵を殺すのと訳が違う。

まあ偶然とはいえ卑弥呼が亡くなったとされる年に
皆既日食があったのは、計算できる事実にはかわりない。
日の巫女でもある者に関連つけるのはある意味当然なのだが。


546:日本@名無史さん
09/06/18 10:08:39
卑弥呼の死んだ日と日食が近いといっても、
不確定な前提が多すぎる。

1、卑弥呼が日巫女というのは事実なのか?
2、日食の日に空が晴れてたのか?
3、日食は、日本から観測されたのか?(NASAの計算ではぎりぎり不可だったはず)
4、日食が、日の巫女の死とどのような関連性を持たせ得るのか?それは事実か?
5、日食が大事件なら、どうしてその後の日食の記録が記紀に少ないのか?
6、日食が大事件なら、どうして日食を祀る神事が神社に残っていないのか?




547:日本@名無史さん
09/06/18 10:13:13
日食なんてトンデモのネタにすぎんだろ。

548:日本@名無史さん
09/06/18 10:49:24
>>546
大体この時代で確定してる前提なんてあるのw
1‥存在の詳細がわからないのにw
  まあ少なくとも卑弥呼=モモソ媛の仮定なら
  日女命、または日神という記述からそう判断できる。
2‥どう証明しろとw
3‥NASAの計算のソースある?
4‥太陽が予期しない行動する時点で、
  起こりうる様々な負な事柄の責任を
  負わされるでしょ。事実交戦中じゃなかった?
  逆に偶然卑弥呼が老齢による死去でも、
  日食のせいとされるんじゃないの?そのため死後に
  日巫女とされた可能性もある。
5‥少ないか?「お隠れになる」と後世語られる事象だと思うが。
6‥天の岩戸という伝承は?



549:日本@名無史さん
09/06/18 10:54:37
158年の皆既日食を利用して天皇家がニギハヤヒ(天照)の系統から権力を簒奪

248年の日食でニギハヤヒの系統が巻き返すもあえなく撃沈
卑弥呼個人に責任を取らせ、台与を擁立

550:日本@名無史さん
09/06/18 11:12:54
>>546
日食と天皇を関連つける記述なんて多いぞ。
日食自体だと日本書記だと11回だ。
一番最古の具体的記録だと628年の4月だが、
やはり日食を契機に推古天皇が亡くなったとされてるんだけどね。

551:日本@名無史さん
09/06/18 13:37:02
>>550
推古天皇の件は太陽=天皇という印象操作なのであり
日食があったから天皇を殺しても良いという発想とは真逆なんですよ
そんな思想が記紀に見られるのなら是非紹介してくれ
>>548
毎晩太陽は隠れるし、日中でも曇り空や雨の日は隠れる
天岩戸は風神が暴れまくって(すなわち台風)で太陽が隠れるのであって
そんなちゃんとした前後関係の基で語られてる
日食ではなく、台風が長く居座り甚大なる被害を及ぼした事件だと見る方が妥当

552:日本@名無史さん
09/06/18 15:13:34
>>551
日食についての記録がないから、なんていう質問に答えたまで。
(この質問がでる自体俺には理解不能ですが)
何処に天皇を殺してよいなんて発想がでるのか??
太陽の運行はそれだけ重要なんですよ、と単純に理解したら?


553:日本@名無史さん
09/06/18 15:26:02
日食で推古天皇の死んだと印象操作したというなら、
アマテラスは日食で死んだと
言ってるようなもんじゃないかw

554:日本@名無史さん
09/06/18 19:32:21
>>550
日本書紀に11回も日食記事があったっけ?

ソースよろしく。

555:日本@名無史さん
09/06/18 20:31:08
>>550じゃないけど、

628年3月戊申
636年正月壬辰
637年3月丙戌
680年11月壬申朔
681年10月丙寅朔
691年10月戊戌朔
693年3月庚寅朔
693年9月丁亥朔
694年3月甲申朔
694年9月壬午朔
696年7月辛丑朔

556:日本@名無史さん
09/06/18 21:14:05
全部、7世紀になってからじゃん。
日食が注目されたのって。

557:日本@名無史さん
09/06/18 21:23:23
>>556
お前よくこのスレにこれるな‥

558:日本@名無史さん
09/06/18 21:28:27
>>557
なにが?

日食の記録が7世紀以後に集中してるってことは、
それ以前は日食に関心が無かった証拠だろ。
少なくとも、5世紀くらいになったら日食の記録があっていい。
それが無いってことは、倭人は日食に関心が無かったってことだろ。

天岩戸神話が日食を意味するものなら、それこそ7世紀の創作ってことも十分ありうる。


559:ツクヨミ
09/06/18 21:30:57

日蝕日蝕って…月蝕も忘れないで欲しいとです。。



560:縦目仮面
09/06/18 21:49:51
>>556
遙かなるカダスに逝け。

561:日本@名無史さん
09/06/18 21:58:12
>>558
正直釣りとしか思えないのだが。
神話と史実が混じって、もっとも改変が多いとされてる時期だぞ。
王の名前すら特定出来てないのにw

それに編纂している時期の記述が多いのは当然だろ。


562:日本@名無史さん
09/06/18 23:28:37
>>552
太陽の運行が大事であるから何?
それが日食によって卑弥呼が殺されたという根拠?
何を言いたいのかよくわからない
しかも、畿内、九州で248年の日食が見られたか確定してないんですよ
天岩戸伝説もあれは台風による被害が前段にあるから日食のことを書いたとは到底思えない
つまりは何故太陽が隠れたかを前のスサノオの登場によって説明がなされている
議論の余地がないほど明快なストーリーです
漫画の様な連想ゲームみたいなもんです
卑弥呼=アマテラスなんてのは
しかも卑弥呼は誰にも会わずに夜に鬼道を行っていた
むしろ月読の神に近い

563:日本@名無史さん
09/06/18 23:32:39
少なくとも文明国の魏は、日食で王が殺されるような蕃民族と国交しない

564:日本@名無史さん
09/06/19 00:20:52
>>562
俺もあんたが何を言いたいのかよくわからん。

「天の岩戸」が日食を表してる伝説だとしたら困る事でもあるのか?
少なくとも一応世間には認めれてる説の一つだと思うけどね。

それにスサノウが風神で田畑を荒らしまわるという解釈は当然だが、
それなら特に岩戸に隠れる必要ないでしょ。
即座にスサノウに罰を与える話を加えリャすむだけよ。



565:日本@名無史さん
09/06/19 00:36:21
アマテラスが台風で死んだとでも言いたいのかなw


566:日本@名無史さん
09/06/19 00:46:15
台風のときは普通中心部意外は太陽出てないだろ

567:日本@名無史さん
09/06/19 01:13:29
で、何故岩戸なのか?ってことだけど
僕は宮崎の高千穂の天岩戸見たことあるけど
そのときピンと来たね
ここで祈祷をしたんだとね
大雨とか台風とかで祈祷するときに、この洞穴に籠って祈祷してたんだよ
その時、どうしようもなく足が震えてた思い出がある
霊力はあるよ、あそこは

568:日本@名無史さん
09/06/19 08:35:29
天の岩戸というのは墓の事だよ。

569:日本@名無史さん
09/06/19 11:28:07
で、天の岩戸伝説が7世紀の創作でないという根拠は何?



570:日本@名無史さん
09/06/19 11:29:32
>>567
大雨や台風の時に、あの場所で祈祷出来ると思うかい?


571:日本@名無史さん
09/06/19 12:00:44
>>569
色んな豪族の話をまとめた7世紀の創作伝説だと思うけど。


572:豊前説
09/07/22 21:45:51
今日は日食でしたね。
以前,日食の議論があったようなので。

247年の日食では,九州では,皆既日食になりつつ日没となったようですね。
一方,近畿では部分日食。
太陽がなくなりつつ沈んでいくということは,次の日に太陽が昇るかどうか
つまり,このまま夜が明けないのではないかと,当時の人々は,
不安でたまらなかったのではないかと思われます。
本気で,国を挙げての踊りを急遽舞ったのかもしれませんね。
天の岩戸伝説のように。

248年は日の出とともに見えたようで,かけた太陽がだんだん満ちつつ
昇るのでさほど恐怖感はなかったでしょう。
九州も近畿もこの時は部分日食だったそうですね。

実際は地球の自転速度や傾きが現在と異なることから微妙な誤差はあるとも
いわれているようですが,大きな差はなさそうですしね。

やはり247年の日食のインパクトは大きかったのでは。
更に248年に卑弥呼(日巫女)が死去がしたとすれば,それを予言する出来事
として二重のショックを与えたかもしれませんね。

573:日本@名無史さん
09/07/24 12:54:58
卑弥呼様、卑弥呼様!

574:日本@名無史さん
09/07/25 16:04:36
>>572
>九州では,皆既日食になりつつ日没となったようですね

皆既日食は九州のどこ?

575:日本@名無史さん
09/08/15 00:12:56
皆既日食なんて15分位だろ。
今日は日没早いなあという程度では?

576:日本@名無史さん
09/08/29 10:08:07
齋宮様でしょ。卑弥ちゃんは。
よって女王ではない。


577:日本@名無史さん
09/09/06 06:13:48
>>576
斎宮の前身でしょうね
魏側では倭の政治事情がよくわからないから女王と勘違いしたのかもね

578:日本@名無史さん
09/09/06 21:03:41
モモソ姫=神大市、日女命だからね。
卑弥呼と呼ばれてた可能性は大でしょ。

579:日本@名無史さん
09/09/08 00:09:12
鹿男あをによしで、綾瀬はるかが
ヤマトトトヒモモソヒメを連呼してたなw

580:日本@名無史さん
09/09/08 01:32:05
箸墓と伊勢斎宮跡、三輪山が殆んど同じ緯度に並ぶんだよね。

581:日本@名無史さん
09/09/15 21:27:44
安本の宝島社新書の新刊を読むと、箸墓=卑弥呼の墓説は、ガラガラと崩れ去る。
箸墓が3世紀という根拠は捏造に近いな。
読んでみ。

582:日本@名無史さん
09/09/16 09:58:50
一方、東遷説は、まったく成立する余地が無いけどな。


583:日本@名無史さん
09/09/16 10:00:32
>>581
安本という時点でダメ。

584:日本@名無史さん
09/09/16 17:59:32
>>581
じゃあ箸墓は何世紀なの?

585:日本@名無史さん
09/09/16 18:32:25
箸墓は4世紀。
つまり卑弥呼の墓ではない。

586:日本@名無史さん
09/09/16 19:52:27
でも、東遷したわけじゃない。

587:日本@名無史さん
09/09/16 20:18:13
てか卑弥呼じゃなくても箸墓は調査して欲しい。
百襲姫と大物主一族との関わりは重要でしょ。

588:日本@名無史さん
09/09/16 22:14:50
>>585
それは願望でしょ。

589:日本@名無史さん
09/09/23 01:08:26
このスレ、俺が立てたんだけど
意外に長く存在しているよな。

かりに、卑弥呼=百襲媛命ならば、
倭国大乱は、欠史八代の中ごろにあったことになるな。

590:日本@名無史さん
09/09/23 02:34:49
倭国大乱は三輪と葛城の連合国家の主導権争いだと思う。
三輪の背後には尾張、
葛城の背後は出雲・吉備

因みに相撲の発祥は
葛城領内出身の当麻ケハヤ、三輪方は尾張出身の野見スクネ。
結果は野見スクネが勝っている。

591:日本@名無史さん
09/09/23 05:12:46
>>590
三輪姓の3分の1が尾張~美濃に集中してます。
三輪の勢力は昔から尾張方面と関わりがあったようですね。

592:日本@名無史さん
09/09/23 18:41:42
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
URLリンク(www.athome-academy.jp)

593:サガミハラハラ
09/10/15 22:18:23
週刊文春みました?歴博の年代のことでてますね。

594:日本@名無史さん
09/10/15 23:12:34
考古学者を殺した文春は信用ならん

595:日本@名無史さん
09/10/15 23:42:58
文春記事のネタ元は安物心理学者
内容は失笑もの

596:日本@名無史さん
09/10/16 18:55:31
>>585
 箸墓古墳は3世紀後半。古墳の発生・発達時期は卑弥呼の時代と重なります。
箸墓古墳が卑弥呼または臺與の墓である可能性は高いと思われています。
 箸墓古墳も含め、天皇陵(もっとも天武・持統天皇陵以前の○○天皇陵と
宮内庁が指定しているものは天武・持統天皇陵を除いて、科学的根拠がなく
いいかげんである。)は宮内庁が管理していて、発掘はおろか立ち入りさえ
禁止されている。箸墓古墳が卑弥呼または臺與の墓であることの立証は、難
しいと思われる。

597:日本@名無史さん
09/10/16 19:03:55

イヨタン・・・・・・・・・・

598:日本@名無史さん
09/10/16 21:33:19
>>591
濃尾平野にクナ国があって征服されただけでしょ。九州に物部が多いのと一緒あれも磐井の乱
の後押さえ込むために入植したものだろ

599:日本@名無史さん
09/10/17 14:46:06
神の威光で地方を従わせる為に、あちこちに派遣されたのが物部氏と三輪氏。
九州に広がった大神(おおが)氏も三輪氏。

600:唐松山 ◆V0F34EbmQA
09/10/17 17:10:01
>あちこちに派遣されたのが物部氏と三輪氏。

そして各地に「屯倉」を賜る。


601:日本@名無史さん
09/11/11 18:49:45
古墳を開けまくって、文字資料を探せばいいのに。
盗掘されてても残ってるのもあるかもしれんし・・・
「国記」「天皇記」がでればなあ・・・

クナ国が「毛野」って可能性は考古学上ないの?

602:日本@名無史さん
09/11/11 23:49:51
完全皆既日食が当時の人々に影響を与えないというのはないんじゃ
外国でも皆既日食に驚いて戦争をやめたとかあるよね

603:日本@名無史さん
09/11/12 00:50:12
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

URLリンク(osaka.yomiuri.co.jp)
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

604:日本@名無史さん
09/11/12 18:09:07
>>602
皆既日食と百襲姫&卑弥呼なんて100%関係ないし



605:日本@名無史さん
09/11/13 15:15:19
皆既日食って、空の色がまず尋常じゃないんだよ。
空気も空も深い紫になるかんじ。
ものすご~い畏怖。ただ急に暗くなるってのとは違う!!

古代の人鋭い感覚の人なら、
何か大きな力だとピンときただろうね。

606:日本@名無史さん
09/11/13 18:32:56
>>605

そのわりに、記紀には「日食で驚いた」という記録はないよね。


607:日本@名無史さん
09/11/13 20:08:58
古事記のモモソ姫の箇所読め。どっかの名もない少女になってるから。

文献学なら成立の古い方を重視するのは常識だろ。

608:日本@名無史さん
09/11/13 21:11:37
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
URLリンク(www.local.co.jp)
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

609:日本@名無史さん
09/11/15 13:15:51
「骨太の方針」で学問が曲学阿世になっちまったからな。

610:日本@名無史さん
09/11/15 23:08:21
>>605
皆既日食なんぞ九州では見られなかったはず。
部分日食

611:日本@名無史さん
09/11/15 23:53:10
>>606
日食の記録は多いと思うけど。
大体天皇崩御の事を「お隠れになる」という位なのに。

612:日本@名無史さん
09/11/16 18:02:45


原田大六の「邪馬台国論争」と「卑弥呼の墓」読め

613:日本@名無史さん
09/11/16 22:37:44
別スレの中盤以降で倭人伝への審議が出てからの流れが楽しかった。
続きはここでいいですか?

614:日本@名無史さん
09/11/17 01:47:43
>>611
日食の記録がどれくらいあるか、
調べてもないくせに、想像で言うな。


615:日本@名無史さん
09/11/17 02:08:32
>>614
>>550で調べてるだろw

616:日本@名無史さん
09/11/17 02:56:23
>>550
>一番最古の具体的記録だと628年の4月だが

7世紀じゃないか。



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