09/05/01 01:22:59
>>673
>ほとんど欽明紀の内容だ。
バレたかw
さすが分かる人には分かるんだね。
>>674
>行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
>ヤマトノミコトモチ」であった。
『日本書紀』で用いられる広義の「任那」は、加耶諸国のことであって、
その範囲はおおよそ慶尚南道ほぼ全域および慶尚北道の一部。
したがって、御説で倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は
「任那」には含まれない。全羅南道は馬韓諸国の故地のはずだ。
よって、元の地位が任那倭宰だったというのには疑問符が付く。
それに、御説に従えば、その倭人行政官は「日本府」の上級官人になった
と思われるが、任地が全羅南道から慶尚南道方面に変わったとはいえ、
それなりに現地の事情に通じているはずの彼らがなぜ易々と下僚の倭系
加耶人に主導権を握られてしまったのかという疑問もある。
すなわち、「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
現地の情勢に暗く、倭系加耶人の下僚に頼るしかなかったのではないかと。