任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】at HISTORY
任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】 - 暇つぶし2ch629:日本@名無史さん
09/04/28 11:26:02
>>626
でもそれなら任那大宰になるはずだろ
倭宰って表現だからそれと一緒にはできんよ

630:628
09/04/28 11:27:49
誤爆った・・・orz スマソ

631:日本@名無史さん
09/04/28 13:12:20
>>629
「大」がついてるかどうかなんてたいして関係ないと思うが・・・。
国司だって「くにのみこともち」なんだろ?


ところでこういう特殊な?読み方ってどこでしらべるの?


632:日本@名無史さん
09/04/28 13:18:55
教授の書いた本を授業で使うからといって買わされた

633:日本@名無史さん
09/04/28 13:23:33
>>631
地名の話をしてるんだが
筑紫に赴くから筑紫大宰、吉備に赴くから吉備大宰
任那に赴いてるのに倭宰

岩波あたりで日本書紀や続日本紀があって読みがわざとらしいくらい全部和語でふってあるし
角川の辞典でも○○とも読むって感じで古い読みをのせてたりするよ

634:日本@名無史さん
09/04/28 13:25:32
で、やたら高いんだよね。でも役に立ってるやん。(笑)

635:日本@名無史さん
09/04/28 13:40:48
倭という地名がもともと朝鮮半島南端を指す言葉だったりしてな

636:日本@名無史さん
09/04/28 14:09:01
>>618
宋書の夷蛮伝を読む限り、百済がこれに抗議した記述はないし、
百済側が、倭を含む称号を要求したとも記されていない。
ただ、倭国側も百済に朝貢を止めさせるほど強い影響を与えられていないから、
百済は独立国では有ったけど、倭国から軍事的支援を再三受けていたという状態かね?

637:日本@名無史さん
09/04/28 14:19:38
倭宰って鎌倉時代の造語だろ?

638:日本@名無史さん
09/04/28 14:37:46
倭王・武が宋に送った上表文には、
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた
海を渡って、平らげること九十五国」と書かれている。

年代的には、4世紀後半から5世紀初め頃か。
この頃、倭国の支配が朝鮮半島まで及んでいたのは、いろんな文献で
一致する。

639:日本@名無史さん
09/04/28 14:46:16
なんで百済の朝貢を止める必要があるんだ


640:日本@名無史さん
09/04/28 14:47:40

  「任那之倭宰」

641:日本@名無史さん
09/04/28 17:23:58
>>639
「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」
の称号を認めさせるには、百済が倭の傘下であることを南朝に認めさせるのが一番。
南朝からすれば、倭王の随員として百済王が朝貢に来るなら、この称号も認められるけど、
依然として単独で朝貢に来てるんだから、百済との冊封体制は継続していると判断されるでしょ。

642:日本@名無史さん
09/04/28 17:58:53
というか、朝貢国が他国の属国になるのは宋としても到底認められないだろう。
倭国としても百済が宋の朝貢国になってしまっている以上、ごり押しは出来まい。
では百済に朝貢やめさせたらどうなるかというと、それはすなわち皇帝の徳が
東夷の倭王に劣るということになるわけで。皇帝ぶち切れる罠。


643:日本@名無史さん
09/04/28 18:14:56
そこら辺いい加減なだけだったんじゃね
それに朝貢は儲かるから弟分の百済に朝貢やめろとか
言いにくいとか


644:日本@名無史さん
09/04/28 18:21:09
儲かるとかじゃなくて、あらゆる知的な文物は
南朝から百済を通して来てたから。

645:日本@名無史さん
09/04/28 19:13:13
隋書の、「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之」の
「多珍物」というのは、新羅や百済にとって珍しいものが多い、
つまり、日本独自のものが多かったというわけで、けっこう先進的なものを
発明していたという風に考えられる。

646:日本@名無史さん
09/04/28 19:46:01
>>642は藩属国と朝貢国を混同してる。
朝貢はどこの国の誰がしてもいいことで
どこかの属国であるかないかは関係ない。

647:日本@名無史さん
09/04/28 19:48:38
倭の珍物ってなんだろな。
山尾は玉、塩、生口を加耶に提供したとか言ってたが。
「魏志」にみえる青玉、真珠、丹ってとこだろうか。
これだと先進的というよりは天然の産物だな。

648:日本@名無史さん
09/04/28 19:59:35
>>647
「多珍物」のあとは、「並敬仰之」。並びに之を敬い仰ぐ。
すごい国だと尊敬している、というような感じだろう。

649:日本@名無史さん
09/04/28 21:14:15
唐になると席次で新羅の下になるんだよな
やっぱ白村江で負けたのが大きいな

650:日本@名無史さん
09/04/28 21:56:36
>>649
いや、負けた事よりも唐と戦ったことが全てだろ
同盟を組んだ国と、自分に刃向かってきた国では前者のほうが席次が良いのは当然

651:日本@名無史さん
09/04/28 22:02:10
吐蕃はしょっちゅう争ってるけど一位だぞ
意味合いが違うだろうけど

652:日本@名無史さん
09/04/28 22:10:57
唐は統一新羅とも争ってるけどな

653:日本@名無史さん
09/04/28 23:30:38
唐にとって日本は新羅や吐蕃に比べると遠いし
重要性落ちるからじゃない

654:日本@名無史さん
09/04/28 23:34:15
朝鮮南部には小さな国家群があり
それらをカヤと称した

任那はそのカヤのうちの一つで
そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ

日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった

これでオーケー?

655:日本@名無史さん
09/04/29 02:20:20
モンゴル系で海を渡る力を持ったものが日本列島に渡り日本人になった
そして渡れないものは半島にとどまり朝鮮人になった
サケの川登りと同じ理屈

656:日本@名無史さん
09/04/29 02:45:13
氷河期にマンモスを追って、シベリアに移動した人々がいた。
やがて、マンモスは絶滅。人々は南下を始めた。
樺太経由で日本列島に移動した人が日本人の祖先の一部となり、
大陸伝いに朝鮮半島に移動した人が朝鮮人となった。

という説もあるな。1万2千年ほど前の話ということだが。

657:日本@名無史さん
09/04/29 03:08:45
いずれにせよ サケの場合でいうと 川の上流まで上ったサケは強いが
滝の下でとどまってるサケは弱い ということ

658:日本@名無史さん
09/04/29 05:45:42
>>654
>任那はそのカヤのうちの一つで

好太王碑文や『宋書』でいう「任那」はそれ。
金官加耶って国(現在の金海市)で6世紀前半に新羅に併合される。
ところが、『日本書紀』に出てくる「任那」は加耶諸国全体をさす
場合がほとんど。『書紀』では、「内官家」(ウチツミヤケ)と呼ばれ、
「帝国日本に服従する諸蕃というかむしろ属領」という認識。
むろん、これは歴史的事実ではなく、無批判に受け取れるものではない。

>そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ

任那日本府が『日本書紀』に現れるのは、金官国が新羅に滅ぼされた
後のことで、加耶諸国の一つ、安羅国(今の咸安郡)におかれたこと
から、「安羅日本府」とも書かれ、倭王から派遣された使臣からなる
上級官人と、現地の倭系安羅人からなる下級官人で構成される。

任那復興すなわち新羅に滅ぼされた加耶諸国を再建することを目的に
設置されたはずなのだが、倭王はこれをほとんどコントロールできず、
権力は現地出身の下級官人に握られ、親新羅的行動に終始した。

>日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった

日本府は加耶諸国の官人とともに、任那復興をとなえる百済王のもと
に呼び集められる。しかし、新羅同様に加耶諸国に対して野望を
抱いていた百済が大義をうたっても、それを見透かしている加耶諸国や
親新羅派の日本府が付いていくはずもなく、百済の目論見は失敗に終わる。

659:日本@名無史さん
09/04/29 07:48:39
>>658
ありがとう
よくわかりました

660:日本@名無史さん
09/04/29 08:04:42
>>659
>>658はただの自説だから。

661:日本@名無史さん
09/04/29 12:39:21
URLリンク(japanese.joins.com)
■「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長

「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ


> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ

> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ


662:日本@名無史さん
09/04/29 13:39:51
いずれにせよ 今の韓国は 日本人の残りかすってことだろ

663:日本@名無史さん
09/04/29 14:28:32
学問板にはお呼びじゃないのに蛆のように湧いてくる嫌韓厨うざってぇ。


664:日本@名無史さん
09/04/29 14:52:55
この間の番組が話題に出ているけど
これってもっと違う形で番組を作れなかったものかね?
例えば、日本における通説と韓国の通説を紹介して
それぞれの共通点、違う点をだして
無理に一つの見解にしなくて良かったのにね


665:日本@名無史さん
09/04/29 18:08:00
NHKは前も歴史番組で古代に日本の朝鮮半島出兵はなかったと強調していたから
よほどこの事実は朝鮮人にとって嫌らしいな

666:日本@名無史さん
09/04/29 18:13:49
>>665
自分たちの三国史記にすら書いてある事実を否定するんだから、あの国の学者は何を根拠に学説を立ててるんだって話だよな

まったく、妄想で歴史を塗り固める事に関して朝鮮人に勝てる民族はないな

667:日本@名無史さん
09/04/29 18:31:39
>>662
残りカスと高句麗やその周辺の部族や民をバケツに入れて一色に混ざり合うまで
熟成させた奴ら。

668:日本@名無史さん
09/04/29 18:38:31
>>665
「日本軍」による古代の半島侵略は無かったと言ってるんだから
NHKは右翼だねw

669:日本@名無史さん
09/04/29 18:39:57
今朝鮮半島に住んでる人達を朝鮮人と呼ぶ事にする。

朝鮮人は百済人(被支配層と支配層も)、新羅人、高句麗人を自分達と同視してるが
現朝鮮人はそれらと高句麗北方&周辺の部族等とのブレンドだろーが。

日本人は縄文系の南からの人たちや北方の人達、百済新羅高句麗、バイカル湖周辺や
長江周辺等のブレンド。

670:日本@名無史さん
09/04/29 19:43:45
倭が傭兵だったとか見苦しいあがきで痛々しい。

671:日本@名無史さん
09/04/30 20:57:09
倭っていうのは江南あたりの海民っていわれてるよね。南方海民には他に東南アジア系もありますが。
この倭が大陸沿岸を開拓しつつ(港を開きつつ)容易に攻めてこられない列島に徐々に軸を移した。もともと文化水準も高かった。
で、この倭を橋渡しにしていろんな人たちが渡ってきた。百済や新羅や加羅もちろんですが、楽浪郡の漢人とか…
一方、日本列島にはすでに先住の人々がいた。

これでいい?

672:日本@名無史さん
09/04/30 21:46:53
時代も書いとけば良いかも

673:日本@名無史さん
09/04/30 21:48:58
>>660
>>658は「ただの自説」ではなく、ほとんど欽明紀の内容だ。
ただ、任那日本府が置かれたのが「任那の復興」が目的だったかというと、
それは欽明紀には書かれていない。

674:日本@名無史さん
09/04/30 22:03:20
それでは任那日本府はなんのために置かれたか。

ここから先が>>658ではない私の自説だが、任那日本府は全羅南道の倭領
を百済に譲渡した後の、倭人行政官たちの収容所だと思う。
収容所と言っても、安羅にしかるべき領地を提供させて、行政官たちを
領主の形で住まわせたものだ。
行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
ヤマトノミコトモチ」であった。それが失職して安羅で徒食していても、
便宜的にもとの職名で呼ばれていたのだ。
このような実態だから、欽明紀に表れるように、地位としては他の
任那諸国とたいして変わらないし、百済への反感から親新羅にもなるのだ。

675:日本@名無史さん
09/04/30 22:42:32
任那なんてちっぽけな存在はどうでもいい
朝鮮半島南部の新羅や百済が日本の勢力下にあったことははっきりとしているわけだから

676:日本@名無史さん
09/04/30 22:56:11
田母神乙
ネトウヨ乙

677:日本@名無史さん
09/04/30 23:16:42
嫌韓厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊


ひょっとして、もうこれ常識だった?w




678:日本@名無史さん
09/05/01 00:12:55
>>641
使持節都督
とはどんな役職なのでしょうか?

679:日本@名無史さん
09/05/01 01:15:05
イメージ的に節度使のちょっと弱い奴だな
節を与えられてそれに伴う権限も分与された奴、みたいな

680:日本@名無史さん
09/05/01 01:17:05
と思ったら違った
URLリンク(www.geocities.co.jp)

681:日本@名無史さん
09/05/01 01:22:59
>>673
>ほとんど欽明紀の内容だ。

バレたかw
さすが分かる人には分かるんだね。

>>674
>行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
>ヤマトノミコトモチ」であった。

『日本書紀』で用いられる広義の「任那」は、加耶諸国のことであって、
その範囲はおおよそ慶尚南道ほぼ全域および慶尚北道の一部。
したがって、御説で倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は
「任那」には含まれない。全羅南道は馬韓諸国の故地のはずだ。
よって、元の地位が任那倭宰だったというのには疑問符が付く。

それに、御説に従えば、その倭人行政官は「日本府」の上級官人になった
と思われるが、任地が全羅南道から慶尚南道方面に変わったとはいえ、
それなりに現地の事情に通じているはずの彼らがなぜ易々と下僚の倭系
加耶人に主導権を握られてしまったのかという疑問もある。

すなわち、「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
現地の情勢に暗く、倭系加耶人の下僚に頼るしかなかったのではないかと。

682:日本@名無史さん
09/05/01 01:24:23
>>678
「使持節」の「節」は元をたどれば割符の意で、将軍が皇帝から軍事に
関する専殺権を与えられていることの証。節刀や節鉞もこの類。
軍事専断権である節を持つ資格が、持節であり、権限の大きいものから、
使持節、持節、仮節とある。

都督諸軍事は、一定地域について皇帝の軍事大権を委任される官。
東晋や劉宋の時代には、州刺史や州将が都督某州諸軍事となって、
複数の州を管轄する場合があり、軍管区的支配を行ったという。

以上、山尾幸久氏の受け売り。

683:日本@名無史さん
09/05/01 10:18:03
もう一度日本が朝鮮を支配して調べればいろいろわかるかもね。


684:日本@名無史さん
09/05/01 10:24:39
奴らは日本側に有利となるような遺跡は埋めてしまうんだから
闇ですよ

685:日本@名無史さん
09/05/01 12:37:39
韓人   「我々に文化財がないのは日帝が全て燃やしてしまったからだ」
おまえら 「韓国に倭人の遺跡がないのは韓人が全て埋めてしまったからだ」

おまえら=韓人

686: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
09/05/01 13:18:36

   ∧_∧ ホルホル
  <丶`∀´>   ウリたち在日は韓国ネチズンやチョッパリ嫌韓厨よりも優秀な存在ニダ
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/     /
     ̄ ̄ ̄



687:日本@名無史さん
09/05/01 13:50:47
>>681
>バレたかw
>さすが分かる人には分かるんだね。

いや、欽明紀を解説してくれるのは大いに有り難い。
任那日本府が出て来るのはほとんど欽明紀に限られるのに、その欽明紀に
書かれた任那日本府の情けない姿が議論のベースになることがあまりにも
少ないから。

>倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は 「任那」には含まれない。

そんなことはない。継体紀6年12月の条に、百済が「表たてまつりて
任那国の上多利、下多利、娑陀、牟褸(ネなし)、四つの県を請う」とある。
同じ条のすこし後に「表に依りて任那の四県を賜う」とある。
もちろん、四県とは全羅南道にある倭の直轄領のことだ。

>「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、

元全羅南道の行政官だったのであれば任地では土着かつ世襲だったと思う。
なぜなら彼らは前方後円墳を築いたのだから。
安羅で現地人に実権を握られたのは、「居候」の立場だったからではないか。

688:日本@名無史さん
09/05/01 17:23:30
任那も新羅も百済も当時のヤマトから見ればちっこいちっこい
話にならんw

689:日本@名無史さん
09/05/01 18:04:17
>>683
35年間も支配しながら、大盛洞も前方後円墳も見つけなかったのに?

690:日本@名無史さん
09/05/01 18:51:23
>>689
古墳を調べる前に、原始的な朝鮮の社会インフラを整え、耕地を増やし、鉱工業を興し、
文盲の民に教育を施し、といった仕事がそれこそ山積みだったからね。

691:日本@名無史さん
09/05/01 18:59:56
韓国人って朝鮮総督府時代に分かった自分たちに都合の良くなかった事とか全部「日帝の捏造だ」とか言い張ってるよな

692:日本@名無史さん
09/05/01 19:52:22
>>690
ああ今のチベットで中国がしてることと同じだよね

693:日本@名無史さん
09/05/01 19:56:32
>>692
中共はインフラ整備はしてないと思うぞ

694:日本@名無史さん
09/05/01 20:08:24
>>692
ん? チベットが中国に併合を要請したとは聞いてないし、
ダライ・ラマを始めとする指導者層が、李王家や朝鮮貴族のように
特権階級として中国共産党に迎え入れられたとも聞いてないが。w

695:日本@名無史さん
09/05/01 22:51:42
>>693
チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?

696:日本@名無史さん
09/05/01 23:20:09
北京オリンピックにチベット人選手などいたか?


697:日本@名無史さん
09/05/01 23:28:34
証言の「断片」のみ放映―台湾の被取材者が怒る反日番組「NHKスペシャル/シリーズ・JAPANデビュー」
URLリンク(mamoretaiwan.blog100.fc2.com)
■心外だ!台湾人が排日と誤解される!
―NHKには利用された、騙されたという気もしている。日本に対するネガティブな印象のところだけ取り上げられた。
―台湾と日本との仲を引き裂こうとしているのだろうか。どうしてもそう見える。台湾へ来たことのない人が番組を見たらどう思うか。
―NHKのバックには中共がいるのだろうか。NHKは中共にブレーンウォッシュされているのだろうか。それとも遠慮しているのか。
■台湾の「親日」イメージ破壊としか思えない
■台湾人の心の蹂躙をも厭わない強烈な反日番組

NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』~今後の放送予定
・第2回「天皇と憲法」(仮) 5/3(日)PM9:00~
・第3回「貿易で立つ国家」(仮)
・第4回「軍事強国」(仮)

ETV特集 シリーズ『日本と朝鮮半島 2000年』(教育テレビ)~今後の放送予定
・第1回 太古 人々は海峡を越えた」(仮) 4/26(日)PM10:00~
・第2回「“任那日本府“の謎」(仮)
・第3回「仏教伝来 渡来人たちの旅路」(仮)
・第4回「白村江 敗戦ショックが生んだ‘日本’」(仮)
・第5回「環日本海 もう一つの道」(仮)
・第6回「モンゴルの衝撃」(仮)
・第7回「東シナ海 倭寇の真実」(仮)
・第8回「秀吉の侵攻はこうして行われた」(仮)
・第9回「朝鮮通信使 和解のために」(仮)
・第10回「江華島条約 韓国併合への道」(仮)


NHKおよび放送番組についてのご意見・お問い合わせ  ●URLリンク(www.nhk.or.jp)
NHKスペシャル「感想・問い合わせ」             ●URLリンク(www.nhk.or.jp)
放送倫理・番組向上機構(通称BPO)ご意見送信フォーム ●URLリンク(www.bpo.gr.jp)
総務省・ご意見ご提案の受付                  ●URLリンク(www.soumu.go.jp)
首相官邸ホームページご意見募集              ●URLリンク(www.kantei.go.jp)

698:日本@名無史さん
09/05/02 04:15:03
>>689
原始時代の国を開発したんだからその労力は計り知れない。
何千年もタームワープしたんだぜ。

699:日本@名無史さん
09/05/02 08:43:01
>>695
>チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?

漢人を運び漢化しやすくするため。
チベット人にとっては迷惑な話。

朝鮮のように自ら「日本化を願った」のと訳が違う。

700:日本@名無史さん
09/05/02 10:49:10
好太王碑の改竄説は完全に否定されたのに未だに歴史の本じゃ「王碑の内容は疑問視されている」とか
「倭が朝鮮半島を支配した事実は無い」とか書いて訂正する気配はなし。どんだけ朝鮮に媚びてるんだか

701:日本@名無史さん
09/05/02 17:05:50
>>699
ほう、チベット人が願ったものでなければ鉄道もインフラじゃないのか。

702:日本@名無史さん
09/05/02 17:21:12
>>700
具体的にどこの歴史の本なの?

703:日本@名無史さん
09/05/02 20:42:54
>>701
インフラだよ。
しかし迷惑だと言ってる。
言っておくが俺は>693ではない。

704:日本@名無史さん
09/05/02 20:58:07
中共による「チベット開放」が1950年。経済支援が1980年代から。チベット鉄道全線開通が2006年。
日本は当時国家予算の20%を投入し続けてインフラ整備。人口は倍に。統治のためにそれこそ考古学の調査どころではなかったでしょ。
もちろん状況が違うから、単純な比較は厳しいし、ましてや「チベットで中国がしてることと同じ」と簡単に言えることではないですね。


705:日本@名無史さん
09/05/02 21:17:53
とうとうチョンがプライドのために
古代の日本の歴史まで手を付けはじめたという事ですか?

放送大学もNHKも普通に朝鮮から文化をもらったとなってるんですが。

706:日本@名無史さん
09/05/02 22:13:37
統治は政治家の仕事、考古学は学者の仕事で、交差することはないのだが。

707:日本@名無史さん
09/05/03 05:52:24
>>703
朝鮮の鉄道だって、当時の朝鮮人は「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
中国の義和団の乱も、民衆による、外国人が敷設した鉄道の破壊で始まった。

708:日本@名無史さん
09/05/03 07:29:56
>「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。

かもしらんよではダメだ。
朝鮮人が日本化を希望し、
第三者から日本人に見られることを希望したのは事実。
実際、名前も日本風に変え、
中国大陸では日本人に化け、
中国人を積年のあだ討ちとばかりにいじめた。
その最低の朝鮮と、
希望もしないのに漢化を進められてるチベットを同じにするな。


709:日本@名無史さん
09/05/03 08:08:58
そのチベット人も、何十年かすれば名前を中国風に変え、外国では
中国人とみられることを希望するようになるさ。
大国による支配というものの、どうしようもない事実だ。

710:日本@名無史さん
09/05/03 08:42:24
>>709
アホか。
おまえは世界各地に亡命してるチベット人に対しても、
それと同じ事が言えるのか?
死んだって中国人と同じに見られたくないと思ってるはずだ。

711:日本@名無史さん
09/05/03 09:13:13
朝鮮には関わらない方がいい

712:日本@名無史さん
09/05/03 09:17:40
キチガイウヨが暴れて居マース
恐いでちゅねー

713:日本@名無史さん
09/05/03 10:04:33
>>709
中共のチベット併合から既に数十年たってますが

714:日本@名無史さん
09/05/03 13:33:10
>>713
インフラができてからの数十年だ。
インフラのおかげですでに中国人がなだれ込み始めている。

715:日本@名無史さん
09/05/03 13:42:27
>>710
朝鮮人にだって亡命者はいたさ。金日成もその一人だ。

716:日本@名無史さん
09/05/03 16:11:52
>>715
日露戦争後の名誉に憧れ、ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と、
ほとんどが死んでも漢人などになりたくないチベット人を一緒にするなドアホ。

717:日本@名無史さん
09/05/03 16:50:36

>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と

キチガイウヨ降臨w

718:日本@名無史さん
09/05/03 17:04:10
【韓国ブログ】百済王族の日本人子孫、1400年ぶりの墓参
URLリンク(news.searchina.ne.jp)

韓国日報が4月、ある日本人夫妻が韓国の益山市にある「武王陵」を訪れ、参拝したと紹介した。
千葉県在住の大内公夫さん夫妻は百済の聖王(ソンワン)の三男の琳聖(イムソン)太子の 45代目の
子孫にあたり「1400年ぶりに先祖の墓参りが叶ってとても嬉しい」と喜びを伝えた。


719:日本@名無史さん
09/05/03 17:35:22
■沖縄文明は韓国人が築いた

URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上)

URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中)

URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下)

1273年に済州島から敗走した一部の勢力が沖縄へ
三別抄が沖縄でその瓦を使って建物を建てたのなら、今でも古代史の大部分が空白のままとなっている
沖縄の歴史において、かなり重要な意味を持つことになる可能性がある。
三別抄が韓国史の記録から消えた13世紀から、沖縄ではようやく農耕が本格化して人口が急速に増え、地域勢力が
成長し始めたからだ。あちこちに大きな城も築造された。一体どこから、そんな技術が突然流入したのだろうか。



720:日本@名無史さん
09/05/03 18:23:14
>>717
韓国名のまま出世した人もいたということは、
日本名を名乗ったほとんどの朝鮮人は、
自分達で望んで日本名をつけたという事だからね。
君の祖先の恥ずかしい歴史を直視しなさいw

721:日本@名無史さん
09/05/03 18:37:31
朝鮮人は源義経はチンギスハーンと同レベルな事を真顔で言っちゃうからタチが悪い

722:日本@名無史さん
09/05/03 23:53:12
>>720
内心、忸怩たる所はあったろうけどね。

しかし、特亜のやつらがアメリカに行くと、
ボブとかエリザベスとかセカンドネーム付けるのが普通らしいし。
自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。

723:日本@名無史さん
09/05/04 00:13:35
>>722
>自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。

そりゃそうさ、今の名前だって中国人の名前をパクったんだし。
中国人より中国らしいしなw


724:日本@名無史さん
09/05/04 01:01:08
>>714
中国人がチベットになだれ込み始めて、その結果ますますチベット人の反中感情は高まってるようですけどね
言うこと支離滅裂ですな

725:日本@名無史さん
09/05/04 11:01:42
>>722
ああ台湾人が典型だよな

726:日本@名無史さん
09/05/04 16:56:29
正直、話を一度まとめて欲しいんだけど

南朝鮮における「大和王権の支配の痕跡」ってどうなの?
最近の教科書には「任那日本府はなかった」という記述があるけど...
奇説のまえに、日本学界の主流というのを聞かせてよ

727:日本@名無史さん
09/05/04 17:39:59
>>726
ほんとにそうなってんの?どこの教科書?中学高校?

728:日本@名無史さん
09/05/04 17:46:51
>>727
いやそもそもあった、なんてかいてる教科書なんてどこにあんの?

729:日本@名無史さん
09/05/04 19:37:38
スルーされてるのが現状と言う気がするんだけど実際のとこはどうなん?

730:日本@名無史さん
09/05/04 20:06:37
加羅地方が日本の影響下にあったのみならず
日本人が直接統治していたとなれば
朝鮮の金さんが悲鳴を挙げる
といってもペクチョンが殆ど勝手に子孫だと偽ってるだけなんだけどな

731:日本@名無史さん
09/05/04 20:08:08
日本人は別にあ~対馬の海を渡っていろいろやってたんだなってぐらいの認識なんだが
「金」さんからすれば絶対に譲れない問題

732:日本@名無史さん
09/05/05 00:00:05
数々の記述を無視し半島の反発を招かないように書いてある歴史教科書は
もはや歴史読本、歴史群像以下の価値しかない

733:日本@名無史さん
09/05/05 08:26:46
その他国の感情とやらが嘘と見栄を基にしてるんだから尚更始末が悪い
嘘と見栄に歴史がねじ曲げられてるってわけだ

734:日本@名無史さん
09/05/05 11:21:57
任那なんてなかったんだよ。

任那日本府なんてなかったんだよ。

735:日本@名無史さん
09/05/05 11:52:43
捏造日朝関係史はハン板でやれ。

朝鮮人は来るな!

736:日本@名無史さん
09/05/05 13:12:03
あのころの朝鮮半島は小国分立で戦乱状態。
かたや日本は安定かつ強大な政権があって超巨大古墳を造りまくり。
これを素直に見れば日本が朝鮮半島に勢力を拡大できても
その逆はありえないと用意に納得できるはずなのに
馬鹿チョンはそう考えられない。
半島から日本を追い出すことが出来たのは新羅の半島における勢力が
圧倒的になってから


737:日本@名無史さん
09/05/05 16:36:39
正史三国志に記述された三韓及び倭の戸数
馬韓(合計50余国)……10万戸  弁韓+辰韓(合計24カ国)……4~5万戸
倭(合計8国)……15万戸以上
倭の場合、邪馬台国は30ヶ国あまりの国を支配下に置いていたが、戸数が記されているのは大陸から邪馬台国の
道程にあった国だけである。他の20ヶ国以上は記されていない。全てを合計すると、邪馬台国だけで戸数は蜀を
上回っているだろう。倭はそれだけの人口を抱えていたのである。これだけでも、半島が日本に勢力を伸ばす
事など夢物語であろう。因みに当時の三国の戸数も記しておく。魏…64万戸 呉…52万3000戸 蜀…28万戸

738:日本@名無史さん
09/05/05 17:14:12
他の20カ国以上、てのの戸数が載ってる文献って何?

739:日本@名無史さん
09/05/05 18:10:55
>>101
まあお前がチョンならそれは困るんだろうけど
立ち退いてもらえるならそれでいいじゃん
土地は貰っておこう、人はいらないから
全部北朝鮮に移住してもらって、
ついでに在日と明治以降の帰化人も引き取ってもらおう


740:日本@名無史さん
09/05/05 18:32:51
>>739
おまえの発想はチョンそのままだなw

741:日本@名無史さん
09/05/06 09:34:59
>>738
737の数字は、魏志倭人伝だよ。三国志魏書東夷伝倭人条が正式かな。

742:日本@名無史さん
09/05/06 10:05:55
>>737 そのころの日本の人口は200万人くらいだから無理無理
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)

743:日本@名無史さん
09/05/06 10:08:27
あっ、60万の間違い

それから、>>734は学界の定説
古事記になくて後出しの日本書紀にある事が全てだ

744:日本@名無史さん
09/05/06 11:17:08
半島史料になくて後出しの日本書紀に書いてあることが、
ウリナラが日本に文化を伝えてやったニダ説の全てだ。

745:日本@名無史さん
09/05/06 12:07:14
>>742
200万人というのは、40万戸~60万戸くらい?

蜀の人口が28万戸で100万人弱、動員兵力10万強だっけ。

倭の統治機構は蜀漢ほど整備されてなかったろうが。

746:日本@名無史さん
09/05/06 14:25:37
>>743
そもそも古事記の後半は内容スカスカなわけだが。

747:日本@名無史さん
09/05/06 14:37:25
>>745
>>742は肝心な数字を書き間違えてすぐ下で60万に訂正してるうっかり者
だしな。w

>>742のリンク先の59万というのは小山修三説に拠っているんだろうけど、
現在は小山氏当人が弥生末にはすでに100万を超えただろうと訂正しているので、
倭国は少なくとも蜀(94万)以上の国力はあったことになるよね。

748:日本@名無史さん
09/05/06 15:50:25
>>747
なるほどインドはイギリスよりも国力があるわけだ

749:日本@名無史さん
09/05/06 16:24:33
>>748
産業革命以前は、人口イコール国力だと思って良い。
主要産業である農業生産に必要な労働力に、人間が欠かせなかったから。

750:日本@名無史さん
09/05/06 16:47:13
イギリスがインドのGDPを抜くのは20世紀初頭だっけな。とにかくインドの利益はあまりに
大きかったから統治に固執したんだよなイギリス

751:日本@名無史さん
09/05/06 18:25:03
小山や埴原なんて50年前の説だろ?



752:日本@名無史さん
09/05/06 21:47:13
蜀漢は塩や鉄を専売にしてたからさすがに倭より国力が低かったなんてことはねーよ

753:日本@名無史さん
09/05/07 17:10:25
>>705
5月から放映してる放送大学の「日本の古代」(2005年製作)を見たけど、
極端に朝鮮を持ち上げたりはしてなかったけど?
広開土王碑の解釈も、日本の軍事支配の時期はあったという方向だったし。
七支刀やら鉄剣やらも、百済が日本への軍事支援要請の贈り物というように紹介していたし。

ただし、「日本美術史」の先生の方は、従来的な、
朝鮮から文化が、というような事ばっかり言ってたね。
ただ、古墳壁画の源流の具体例は全部中国の物だったけど。

754:日本@名無史さん
09/05/08 03:03:42
倭国という凶暴な蛮族を、秦韓人の技術や律令、百済の仏教文化によって刺青も無くなり
民度が上がったのは確かかな。ただ未だに韓国は所詮新羅なんだなって思う今日この頃だ。

755:日本@名無史さん
09/05/08 04:47:03
百済から来ようと新羅から来ようと、日本人・百済人・新羅人の全てが中華の文明を求めていたのは事実。
名前まで中国風に変更する半島においては顕著だろ。

日本人の欲しかったのは中国の「先進」文化文明。
半島からの希釈されて味の無くなった文化文明では飽き足ら無かったのは事実。
実際、遣隋使・遣唐使によって日本の中華文化文明は形作られた。
仏教だって、鑑真・空海・最澄がリセットしてるし。
半島から伝わった仏教なんて、上書きされて影も形も無いんじゃねーの。
残っててもドマイナーだよ。


756:日本@名無史さん
09/05/08 08:38:54
>>754
アホ言え。日本は元から高いんじゃ。未だに新羅程度ってことは鮮人は元から低いってわけだ

757:日本@名無史さん
09/05/08 08:39:08
日本古代書は中国文化の陰陽と漢字表記だが、古神道や風土逸話などからもみれて、九州日向属と大和に出雲属 肝心の出雲は出雲属でなく渡来鉄属と箸文化持つ大山昨系で、後に大陸奥地から朝鮮半島流入王家と別者みたい。古代から亡命朝鮮からの秦はいて粗密入れる。

758:日本@名無史さん
09/05/08 10:07:06
自分とこの名前、地名を漢字で表記して
伝統的な動物名などからから好字二字名にかえたり
日本が中国風になってないとでも思ってるのか?

759: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
09/05/08 10:25:20
       日本が中国風になってないとでも思ってるニカ!!
  ∧_∧ 
 ∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
 ( ミつ_// LG /   バン
  {二二} 三三}
    ̄ ̄ ̄ ̄"



朝鮮は”中国風”じゃなくて、まんま中国名だよね。w

760:日本@名無史さん
09/05/08 15:41:25
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 古代 人々は海峡を越えた
URLリンク(www.nhk.or.jp)

この番組もひどかったぞ。北朝鮮シンパの極左の巣窟・立命館大学の山尾幸久名誉教授が、
高句麗広開土王碑文に見られる倭の半島出兵や任那日本府問題について、倭は伽耶の
鉄資源欲しさに、労働力として生口(=奴隷)を伽耶に差し出していた、彼らが現地で武器を
与えられて傭兵として戦わされた、という驚くべき仮説を出していた。当然、任那日本府を否定。
一緒にゲスト出演していた韓国人学者と同じような立場。どこまで卑屈な日本人学者なんだ。
そして、どこまで卑屈な放送局なんだ、NHK!
さらに、番組の最後の方で、石澤典夫キャスターに「日朝交流史を考えるうえで一番大事な
ことはなんでしょうか?」と問われた山尾名誉教授は、「両国の歴史認識の溝を埋めることです。
そのためには日本側が外部から、韓国側から日本史を見るという見方が必要です」という感じの
回答をしていた。週刊新潮が指摘したように、このシリーズの未来は見えた。「韓国から見た
日朝交流史」ということだろう。しかも、それが真実であるという放送。第2回「“任那日本府“
の謎」(仮)の内容も見えてきた。

週刊新潮 [ 2009年04月23日号]
歴史歪曲と「台湾人」も激怒したNHK「超偏向」番組

 4月5日の冒頭番組で、NHKは<未来を見通す鍵は歴史の中にある>と高らかに宣言している。
とすれば、このシリーズの<未来>にも直近の<歴史>である第1回放送で露呈した「超偏向」の
姿勢が見え隠れするのである。
 眉に唾しつつ「シリーズ・JAPANデビュー」の今後を見守ろう。
URLリンク(s02.megalodon.jp)
スレリンク(news4plus板)
URLリンク(s02.megalodon.jp)

761:日本@名無史さん
09/05/08 15:53:59
>>760
ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」

朝鮮から日本に輸入した鉄の対価に日本から「生口」つまり奴隷が輸出されて、輸出された
日本人が傭兵として戦場で消費されたという立命館大学の山尾幸久名誉教授の説明は、
初耳だった。
URLリンク(bugswebblog.at.webry.info)
山尾幸久名誉教授の創作だとしたら、そういう歴史の語り口は乏しい資料から古代朝鮮に
日本の植民地を創作した戦前の歴史家と同類だということだ。
URLリンク(bugswebblog.at.webry.info)

朝鮮史研究会論文集 第15集  山尾幸久 「百済三書と日本書紀」
URLリンク(www.zinbun.kyoto-u.ac.jp)
朝鮮史研究会  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)

制作統括:塩田純

ゲストは、NHK番組制作局の塩田純氏。南京大虐殺の史実にも踏み込んだNHKスペシャル
「日中戦争~なぜ戦争は拡大したか~」で文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞するなど活躍している。
URLリンク(www.geocities.jp)

ブログテーマ[嘘つき朝鮮人]|朝鮮歴史館
NHK ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 第1回 古代 人々は海峡を越えた

最後のクレジットで番組制作を指示するディレクターの名前を見たら、「田容承」、案の定在日だった。
学問を装っているが、実際には一方の仮説を証明する証拠だけを取捨選択している。つまり、
朝鮮民族の自慰史観に沿う仮説だけを放送している。
URLリンク(ameblo.jp)

762:日本@名無史さん
09/05/08 17:18:16
■天皇家の起源は韓国 朝鮮が本家で日本は分家


海音寺  「魏志倭人伝」の記述を真正直に読めば、倭の境は朝鮮半島にありますね。
つまり、三国志の頃の中国人は南朝鮮から日本列島にかけての地域全体を倭・日本と考えていたのですね。
ですからおそらく南朝鮮の人間と日本人とは同種族でしょう。

司馬 同じだと思いますね。 「古事記」だったか「日本書紀」だったかにも、スサノオ尊は朝鮮南部とさかんに
ゆききして、晩年はソシモリというところに隠棲したということになっておりますね。
その子のなんとかの命も、日韓を往復し、朝鮮の植物をうんと持って来て日本に植えた、ということになっていますね。

海音寺 辞林の著者の金沢庄三郎博士・あの人は言語学上から日韓同祖説を唱えていますね。
同祖説の最初の人ですね。
今日の日本の学者の中にもそういう人がいないではない。
騎馬民族説の江上博士なぞは、向うの方から、征服民族ですが、渡って来ているといってるんですね。
古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇家をとりまいている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言ってますね。
最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。

URLリンク(www1.megaegg.ne.jp)

つまり朝鮮半島南部の百済人や新羅人が日本列島に移住して大和朝廷を作ったということで決まりだね
実は天皇家も百済王家の分家だったということで子孫は韓国人だったわけだ



763:日本@名無史さん
09/05/08 18:15:49




ま、任那なんてなかったんだけどね。





764:日本@名無史さん
09/05/08 18:45:47
海音寺潮五郎、司馬遼太郎、松本清張、黒岩 重吾などの小説家が歴史を語っても何も意味がないのだが。

765:日本@名無史さん
09/05/08 18:48:18
自分たちの先祖が作った歴史書にも同時代の中国の書籍にも
「日本の属国」
って書いてるのに、どうしてこうねじ曲がった考えするのかね。

766:日本@名無史さん
09/05/08 18:58:29

どこに、そのような内容があるのでしょうか。

URLリンク(ja.wikipedia.org)




767:日本@名無史さん
09/05/08 23:20:13
>>761
山尾はそんなことは言っていなかったが。
もしかして、貴方は日本語が母国語ではないのかな

768:日本@名無史さん
09/05/09 01:19:10
>>767
傭兵の話は韓国人学者の方だと?
両者全体としてそういう話だったよ。

769:日本@名無史さん
09/05/09 01:58:49
>>760
立命館に破防法を適用しよう。
スレリンク(kyousan板)

救う会兵庫副代表 岡田和典
 「広田さんの出身校が立命館大学(京都)であることにも触れなければ
 ならない。同大学卒業生には七人という他大学を圧する多数の特定失踪者が
 存在する。私事で恐縮であるが、私もまた社会人学生として昨年法学部を
 卒業した立命館大学卒業生である。出身校を悪く言うのは心苦しいが、
 今なお同大学の教授陣は左翼人脈のオンパレードであり、履修したい講義が
 なく履修届の際に苦労したものである。もちろん大学内に拉致に関与した者が
 いたかどうかは今後の真相解明を待つところであるが、」
 URLリンク(www.sankei.co.jp)
 「更に、立命館大学の経済学部、経営学部出身者が数人、5年、10年の
 周期で失踪していることも判明した。
 URLリンク(www5f.biglobe.ne.jp)
特定失踪者問題協議会 荒木和博代表
 「大学でいうとですね立命館、この中にもひょっとしたら立命館のご出身の方が
 おられるかもしれませんが。立命館の卒業生が他の大学の卒業生に比べて、
 非常に多いんです。7人、非公開の方を入れて7人、そういうようなことがありまして、
 どうもですね、これは普通ではないというふうに思うようになりました。」
 URLリンク(imaxel.no-ip.com)

770:日本@名無史さん
09/05/09 02:07:59
◆拉致・特定失踪者、学校や学歴に共通性 「選定者」存在か
URLリンク(sakura4987.exblog.jp)

【拉致問題】特定失踪者問題調査会、立命館大に失踪者8人の調査協力を要請 [12/18]
スレリンク(news4plus板)
【拉致】 なぜ立命館大生が集中的に狙われた?~学校関係者や周辺に工作員や協力者がいた可能性が高い [01/23]
スレリンク(news4plus板)
★立命館大学に複数の失踪者 教職員が関与か?★
スレリンク(asia板)l50

【社会】1998年に三重で失踪の女性、北朝鮮に拉致か?【辻出紀子さん】
スレリンク(dqnplus板)
【拉致新疑惑】捜査当局が拉致事件で再捜査 10年前に失踪の辻出さん
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
辻出紀子
1993/04   立命館大学法学部(政治行政コース)入学
URLリンク(210.230.1.139)
『フライデー』 2008年9月26日号
18人目の拉致被害者なのか─「10年目の不安と希望」を両親が激白!
【三重】失踪美人記者《辻出紀子さん》 本誌が掴んでいた「北朝鮮との接点」全情報

771:日本@名無史さん
09/05/09 02:39:41
>>760-761
234 名無しさん@九周年 New! 2009/05/08(金) 16:42:34 ID:uC6UASyz0
>>232
これ録画で最初の部分だけ見たが、
水田稲作の伝来を、纒向遺跡で発見された紅花の花粉から、
無理矢理こじつけ、朝鮮半島、あるいは中国経由で日本に伝わったとしていたな。

遺跡で発見された稲穂の年代測定で、朝鮮半島経由はありえないことが、
定説になりつつあるのに、まったく紹介せず。

日本から朝鮮半島への米の伝播について・稲作の伝播のまとめ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

韓国人教授が、しきりに、「先進技術を学ぶために朝鮮半島に・・」と、
言っていたのにはワロタ

772:日本@名無史さん
09/05/09 03:55:38
>>769
立命の建物の裏階段は「民青新聞」「赤旗」「祖国と青年」「京都新報」が山積みだった記憶がある。
今は知らんよ。



773:日本@名無史さん
09/05/09 06:51:05
■ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」 日本と朝鮮半島2000年

この番組で立命館大学名誉教授 山尾幸久教授が認めたこと


1  稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島から日本に伝えられた

2  任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅が高句麗と戦うために倭が欲しがっていた鉄と
   引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
   朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと

3  仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
   日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
   日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた

4  7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
   大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけて先進文化を
   吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした

[感想]

まるで韓国人のお陰で日本が成立したと言わんばかりの番組だったね
稲作も仏教も半島南部に住んでいた倭人達も、そして古代日本国が形成されたのは滅亡した
百済・高句麗から渡来してきた貴族や高官達のおかげみたいな言い回し
しかも山尾教授が認めてたw
韓国の学者は一貫して先進文化は韓国から日本に伝わったと主張を最後まで変えなかったのに
日本の学者のへたれぶりに呆れるよwでも事実だから仕方ないかw
  


774:日本@名無史さん
09/05/09 07:40:28
>>771
たとえその教授の言う事が事実でも、先進文明があるからそれを手に入れるためには命をかける。
そういう気概が大事なんだけどな。
朝鮮人がよく言う、高いところから低いところに流れる様に文化が云々。
そんな受動的な態度で文化や文明は手に入らないよ。
19世紀の日本と中韓の対応の差に如実に現れている。
真剣にヨーロッパを学んだ日本と日本の成功を見てから動いた中国。
何もできなかった朝鮮。

日本人が先進文明を欲しがったら朝鮮半島にある文明なんてすぐに涸れ井戸状態。
底が浅いのは目に見えている。

775:日本@名無史さん
09/05/09 08:30:10
半島を倭が占領していた史料は相変わらず無視かw
日本由来の武具がたくさん出土することを誤魔化すために
日本人傭兵云々という詭弁をひねり出したわけだ

776:日本@名無史さん
09/05/09 08:34:08
高天原は朝鮮半島で、天孫降臨神話は半島から渡来した勢力による征服の神話化。
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長。

777:日本@名無史さん
09/05/09 08:53:40

どこに、そのような内容があるのでしょうか。

URLリンク(ja.wikipedia.org)




778:日本@名無史さん
09/05/09 09:07:25
>>773
1  稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島南部の倭人集団から日本の倭人集団に伝えられた

2  任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅(倭人国家)が高句麗と戦うために列島倭人が欲しがっていた鉄と
   引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
   朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと

3  仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
   日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
   日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた

   後に半島経由では仏教の真髄が得られないので遣隋使、遣唐使を留学させて直接、インド仏教をサンスクリット原典で学んだ。

4  7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
   大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけてシナ、インド、西域の先進文化を
   吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした



779:日本@名無史さん
09/05/09 12:38:05
>>775
ホントに連中は、狂気の沙汰だな。
百済は、傭兵隊長のところに太子を人質に出すのか。

780:日本@名無史さん
09/05/09 13:23:19
>>773
「労働力」という言葉も使ったが、それより「生口(=奴隷)」という言葉も出したことが重要。
「卑弥呼が魏帝に生口を献上した」というのと同じで、明らかに、朝鮮半島に対して日本を
貶める目的での発言だよ。

781:日本@名無史さん
09/05/09 13:26:54
今日の13時30分から、BS2で、
例のETV特集日本と朝鮮半島2000年(1)「古代 人々は海峡を越えた」の放送があるよ。
見られなかった人は、今すぐテレビつけて。

782:日本@名無史さん
09/05/09 13:43:26
NHKってなんであんな韓国びいきの(ねつ造)番組つくるんだ
奴隷や生口、もしくは倭軍の戦闘の上官に前方後円墳なんて作るだろうか

相当位の高い人が加羅に駐在してなければあんな古墳作らないだろ普通
でもそこはスルー

783:日本@名無史さん
09/05/09 14:35:44
駐在したからって駐在先に古墳つくらんわな。
古墳つくったと言うことは現地で個人的な動員力があった=現地を支配していた ということ。

784:日本@名無史さん
09/05/09 14:41:16
新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。

785:日本@名無史さん
09/05/09 14:58:43
鉄と交換できるような倭の産物と言ったら「翡翠」「貝輪」と「生口」くらいしか無いだろう。
生口と言えば、女は性奴隷兼家事労働、男だったら戦闘要員つーのはもっともな用途。
これは事実として認めなくては。
同じことは、世界中、何時の時代でも行われていること。

ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。
軍団単位で輸出されて、それが現地の勢力を凌いでしまい、半独立状態になり、
半島南端部に倭人集団が形成されたのだと思うよ。

786:日本@名無史さん
09/05/09 15:02:25
鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
エジプトにもマムルーク朝ってあるんだが



787:日本@名無史さん
09/05/09 15:02:28
>>784

> 新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
> 半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
> 内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。

人質を差し出すような国相手だからと言って、奴隷を輸出したはいけないのか?
現代のアメリカやロシアだって、日本に売春婦を「輸出」してくるじゃないか。

788:日本@名無史さん
09/05/09 15:04:23
>>786
> 鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
> 倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ

出来ればやりたいところだったろうが、そうは行かなかったみたいだね。
もっと強いところ(唐)が出張ってきてしまったので。

789:日本@名無史さん
09/05/09 15:06:26
>>785
交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
もらったのは、むしろあっちの方だろ。

790:日本@名無史さん
09/05/09 15:15:51
>>788
広開土王碑が建てられたのは414年
唐の建国は618年
脳に蛆でも湧いてるの?

791:日本@名無史さん
09/05/09 15:24:23
>>789
韓と倭の接点

  韓伝の最後に辰韓・弁辰の二十四国の中に弁辰涜廬(とくろ)国という国があり倭
と界を接している、と記されています。「東西海をもって限りとなし、南は倭と接す」か
ら始まって最後の段で、「弁辰涜廬国、倭と界を接す」となっているので、三韓(馬
韓、辰韓、弁韓=弁辰)とは別のものとして倭があり、その倭と接しているのは弁辰
涜廬国である、という理解になると思います。

  一方、倭人伝では行程上最初に出てくる倭地が狗邪韓国です。ということを素直
に読めば弁辰涜廬国と狗邪韓国が界を接しているということになると思います。この
両国がどの辺りであったかということですが、涜廬は韓国読みではトンノとなるよう
で、釜山の少し北方にある東莱(トンネー)が発音も近く、有力候補と考えられます。
一方、釜山からは縄文土器が沢山見つかっており、縄文時代から日本列島の人々
と交流があったことを示しております。また、その中心部には「カヤドン」と呼ばれて
いる場所があります。以上はわずかな痕跡ですが、狗邪韓国は洛東江の左岸(東
側)の釜山付近が最有力と考えられます。
URLリンク(home.b06.itscom.net)

また、半島南部の海岸地帯の中央部付近には浦上八国と言われた倭人の国々
があったと考えられます。位置的には弁辰の西南になると思われます。卑弥呼が魏
に使者を遣わした時代の少し前になりますが、三国史記の新羅本紀によれば、奈解
王14年(209)に浦上八国が伽耶を攻めるので伽耶が新羅(辰韓)に助けを求め、新
羅が兵を派遣して浦上八国の軍勢を破ったという記録があります。このことから考え
て半島南部の倭人の国々はかなりの勢力を持っていたと考えられます。
URLリンク(home.b06.itscom.net)

第232回 魏志倭人伝を読む その3
URLリンク(yamatai.cside.com)

792:日本@名無史さん
09/05/09 15:25:51
>>791
魏志倭人伝の距離に関する記述からして、「其の北岸狗邪韓国」を倭国領としなければ
計算が合わない。これが後の広開土王碑文に出てくる任那加羅や任那日本府と
直結しているのだろう。

793:日本@名無史さん
09/05/09 15:27:33
犬猫寄生虫ジャマイカw

論理的に物事を筋道たてて考えられるようなら
韓国人なんてやってられないわさ。

794:日本@名無史さん
09/05/09 15:29:17
>>790
> >>788
> 広開土王碑が建てられたのは414年
> 唐の建国は618年
> 脳に蛆でも湧いてるの?

200年かかって、結局挫折したんだよ。

795:日本@名無史さん
09/05/09 15:31:43
>>792
578 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 02/03/25 23:19
狗邪韓国が邪馬台国連合を形成していた一国であるかどうか諸説があるが、私は魏使が
そのように認識していたことは確実だと思う。倭国に向けて出航し狗邪韓国に到着した
表現が「其の北岸…」とあり、また魏志「韓伝」には「韓は帯方郡の南にあり、東西は
海を持って限りとし、南は倭に接す」とある。また魏志「弁辰伝」にも「徳盧国は倭に
接す」とある。また魏と通交している倭人の国は30ヵ国あるとしているが、狗邪韓国
から邪馬台国までで9ヵ国、その余の旁国とされた国々が21ヵ国であるからちょうど
合うわけである。 ●弁辰涜盧国(大邱=倭と界を接す)
URLリンク(www.uzumap.com)

URLリンク(mentai.2ch.net)

796:日本@名無史さん
09/05/09 15:36:01
>>789
> >>785
> 交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
> 騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
> もらったのは、むしろあっちの方だろ。

鉄が出るの弁辰域だが・・・・そこを倭人が支配していたとも思えないが。
魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと書かれているが別物だよ。
半島南端部に倭人国が在ったとか言う説もあるにはあるが、
九州側の倭人は鉄を得る為には奴隷貿易が必要なことに違いは無い。

797:日本@名無史さん
09/05/09 15:42:17
>>794
なぜ200年かかって挫折したの?
軍事力を他国に頼ってる状態でなぜ200年乗っ取られずに済んだの?
1次史料に基づき理由を述べてね、脳軟化症患者くん


798:日本@名無史さん
09/05/09 15:46:03
「広開土王碑」には倭を誇張して書かれているとか言ってたな
韓国の学者は戦闘要員として送り込まれた倭人達があまりにたくさん増えて
高句麗と戦ったので倭人と戦ったと勘違いしたんでしょうとか言ってたw

つまり「広開土王碑」に記載されてるような高句麗と激戦を繰り広げていたのは
金管加羅の軍隊でありその中に派遣されてきた倭人を高句麗軍は倭と戦っていたと
勘違いし広開土王碑に書き込んだと・・w

んなわけないだろwww

799:日本@名無史さん
09/05/09 16:00:26
>>785
韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?

朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。

木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末~
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。

国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。

木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。

照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。

魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。

分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。

ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事

800:日本@名無史さん
09/05/09 16:19:26
>>796
>魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?

801:日本@名無史さん
09/05/09 16:39:18
>>797

現地の将軍たちがヘタレだったからだろう。
ヘタレぶりは日本書紀に書いてあるとおりだ。
所詮、出稼ぎ軍団だ。
目先の小さな利益に拘って大利を逸したのだ。
実際、チャンスがあったかどうかは知らんが。

それとね。
キミの煽りは実にツマラナイ。
オレの脳みその心配なんかしてるヒマがあったら、
自分の将来のことでも考えた方が善いと思うよ。



802:日本@名無史さん
09/05/09 16:42:18
>>800
> >>796
> >魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
> 弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?

>今辰韓人皆褊頭。男女近倭、亦文身(魏志韓伝)

803:日本@名無史さん
09/05/09 16:42:32
>>798
ほんと都合の良い推論だなぁ

804:日本@名無史さん
09/05/09 16:52:11
>>785

>ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。

どこに、そのような内容があるのでしょうか。

URLリンク(ja.wikipedia.org)


805:日本@名無史さん
09/05/09 16:52:49
>>799

台与の朝貢品に「丹木」と言うのもあります。
どういうものなのかわかりませんが、これも輸出できた木材でしょうね。

806:日本@名無史さん
09/05/09 18:11:02
>>801
そんなヘタレな出稼ぎ軍団なら傭兵にする意味ないじゃん
加羅諸国の鉄って、そんなへタレ傭兵と交換できるほど安っぽいものだったの?
なんで、悉くつじつまの合わない事ほざけるの?
やっぱり脳に障害があるとしか思えないんだな~

それからキミの心配なんかしてないよ
バカにして笑ってるだけ
気づかなかった?


807:日本@名無史さん
09/05/09 19:07:33
新羅に調を求めていたから、税として納めさせてたんじゃないの?
むしろ、任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。
学者や技術者や奴隷を

808:日本@名無史さん
09/05/09 19:11:38
好太王碑で倭族の半島における進出が史実になってしまったってのもあるけど
もともと加羅地方の人は一般の朝鮮とは異なっているっていうのは
昔から朝鮮人自身が認めるところだったんだよ
彼らはそのルーツをインド人とか呉の難民だとか想定していたんだが
あまりに倭の影響を受けた遺物がその地方で出土
どうも倭が大勢来ていて加羅地方の人たちのルーツは倭人らしいってことになってきた
それで、彼らが捻りだした解釈が奴隷説

ちなみに加羅地方の人は色が浅黒く目が大きいとされている
もう、だれだかわかるよね?
隼人族ですよ

809:日本@名無史さん
09/05/09 19:20:39
加羅地方が小国分立状態だったのは有名
っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない

810:日本@名無史さん
09/05/09 19:49:26
だいたい朝鮮の国力が日本より上だった時期あるの?


811:日本@名無史さん
09/05/09 20:00:16
>>808
瓦がどうのこうので、逆論理展開を既に始めてるw

812:日本@名無史さん
09/05/09 20:19:59
この問題は、倭と朝鮮の2者関係で解釈してはいけません。
中国も含めた3者関係で解釈しないといけない。

まず、倭国であろうが、百済であろうが、
この時代の北東アジア情勢においては、中国王朝の権威が絶大で、
中国の臣下に認められることによって、その立場が保障されるわけです。

そのことを理解しないといけない。

だから、倭国が宋(中国)に対して半島南部の軍事的支配権を求める前に、
まず、倭国王が中国の臣下であることを受け入れることを前提に成立している。
じゃないと、中国から、中国の版図である朝鮮半島を侵略した、
侵略者というふうに認定される。

これは、百済も同じで、百済王の国際的地位も、
中国皇帝の臣下という地位によって成立している。

813:日本@名無史さん
09/05/09 20:22:07
日本や朝鮮半島の国の中で、
当時、もっとも中国王朝の忠実な臣下は、百済なわけです。
百済という国家は、西暦4世紀に楽浪郡が崩壊した直後に、
馬韓の中から成立し、馬韓をほぼ統一した国であり、
この国は楽浪郡で働いていた中国人が多く亡命して国家でした。
だから、中国と関係が深く、また、中国皇帝の直接の臣下でした。

しかし、西暦5世紀、5人の倭国王が、
何度も中国皇帝に安東将軍の官位をもとめている。
倭国王は、百済に対する軍事的支配権も求めていすが、
これは、中国皇帝は絶対に認められないわけです。
これを認めてしまうと、百済王は、
中国皇帝の直接的な臣下(直臣)ではなく、
間接的な臣下(陪臣)ということになる。
国際違反ですし、中国の信用問題になる。

814:日本@名無史さん
09/05/09 20:23:05
だから、最初の4人の倭国王については、中国皇帝は、
その要求を却下しました。

そうしたら、5人目の倭国王である武(雄略天皇)が、
半島南部への軍事的支配権を認めないのなら、
自分は中国との臣下の関係を止めるかもしれないと脅迫してきた。
それが倭王武の上奏文にある「治天下大王」という発言なわけです。
倭国の世界は、中国の世界とは別だと宣言した。

だから、中国王朝は、倭国王に対して、百済という国名は出さずに、
馬韓という、あのあたりの旧名を出すことで、お茶を濁しました。
つまり、中国王朝は、倭国に対して、
朝鮮半島南部の軍事的支配権を認めたが、
倭国が百済王朝を直接的に支配することは認めないという、
かなり矛盾した苦肉の策をとった。
中国王朝の建前と倭国王の要求の中間を取ったわけです。

ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。

そのあと、任那倭府の組織ですが、長官、副官あたりは、
倭国からの豪族がついていましたが、それ以下は現地の伽耶人がついていた。
あくまでも、倭国の目的は、伽耶の鉄資源を独占することであり、
伽耶の軍事的に統制するのが目的だった。
伽耶の内政は伽耶人がやるわけです。現在の在韓米軍みたいなものです。

しかし、この組織も、西暦6世紀前半になると、
伽耶の隣国の百済系の人物を採用しだすようになる。
それから、時期がたたずに、倭国は伽耶を百済に割譲したと、
日本書紀には記載されている。

815:日本@名無史さん
09/05/09 21:27:56
>>807
>任那がヤマトの勢力圏なら、百済や新羅が鉄を求めてヤマトに人を差し出していたかも。

王子を人質に差し出してるじゃんw

816:日本@名無史さん
09/05/09 21:41:47
>>814
そういう問題じゃないんですよ
今問題になっているのは日本の行政機関云々じゃない
加羅にいた倭人が問題になってる

817:日本@名無史さん
09/05/09 22:01:35
>>814

>ちょうど、この頃、半島南部に前方後円墳が出現します。
>倭国王としては、半島南部を軍事的に統制することを、
>中国皇帝から信任を得たので、堂々としだしたのでしょう。

確かにそうなのだが、前方後円墳が出現したのは、いわゆる伽耶地域では少なく無く、
大半は馬韓南部(今の全羅道)地域なんだよね。

そして、その地域の土器様式と北部の百済様式は四世紀後半ごろまで差異が認められ、
つまり、そのころまで、百済による馬韓の統合は達成されておらず、小さな在地勢力が割拠
するような状態だったように見える。

前方後円墳の分布からは、実際に倭人の出稼ぎ集団が根拠地としていたのはこの領域で、
本国とは政治的に別個の存在だったのではないか?

5世紀になると百済の南下により、その根拠地は奪われ、倭へ戻ったり、
逆に百済北部、新羅・伽耶へ移動したりし、一時的には高句麗とも接触する半ゲリラ活動を
続けながらも衰退消滅、一部は倭寇化して生き残ったかもしれない。

また、いわゆる任那の日本府と言うのは、この馬韓南部の倭人集団とは別の存在で、
こちらは、本国の正規の出先機関ではあるが、初めは金官加羅に、金官衰退後は新羅に依存して
いた存在だと思う。


818:日本@名無史さん
09/05/09 22:12:36
>>782-783
半島南部に、倭国より新しい前方後円墳が多数発見された時点で、
もう倭と伽耶の力関係は明らかだろ。何が「生口」だ、山尾チャン!

>>785
■【隋書】より
新羅百濟皆以倭為大國多珍物並敬仰之恒通使往來
<訳> 新羅・百濟は、みな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬い仰ぎて、
恒に使いを通わせ往来す。
URLリンク(bbs16.meiwasuisan.com)
『隋書』倭国伝
URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)

>>798
立命館の山尾チャンがほざいていたようように、「広開土王碑が倭軍を誇張して書いていた、
倭人は傭兵だった」なんて、成り立たないんだよ。倭王武の上表文でも、倭国が主体的に
高句麗と激戦を繰り広げていたのは明らか。そんなこという奴は学者として疑問符がつく。

>>789
倭軍が高句麗の騎馬軍団に対して劣勢になったために、任那に渡来した小規模の騎馬軍団
が傭兵として倭国に重宝されたということだろう。ちょうど、日中戦争時に国民党軍を支援した
ドイツ軍事顧問団のような存在。もし、任那の騎馬民族が主体となるほど大規模かつ強力だった
なら、中国や半島の史料において、任那ないし伽耶は、高句麗・百済・新羅のような扱いを
受けたはず。

>>802
「男女近倭」というのは、倭人そのものと解釈するべき。

819:日本@名無史さん
09/05/09 22:22:38
しかし、山尾は著書では生口だの傭兵だのは全然語ってないんだけどな。
番組の雰囲気に流されたのだろうか…

820:日本@名無史さん
09/05/09 22:50:44
そういう人間だから犬HKが出演以来したんだろう

821:日本@名無史さん
09/05/09 22:56:33
>>817
前方後円墳は百済よりだけど加羅は加羅だろ

822:日本@名無史さん
09/05/09 23:01:34
>>821

土器相からみると旧弁辰(伽耶・加羅)とは別の領域。
馬韓の南部が正しい表現です。
もしかして、加羅の領域は馬韓南部まで含むとお考えですか?

823:日本@名無史さん
09/05/09 23:05:08
>>821
日本書紀ではあのあたりまで任那と言っちゃってるが、
馬韓というべき。加羅ではない。

824:日本@名無史さん
09/05/09 23:07:24
6世紀あたりでも?

825:日本@名無史さん
09/05/09 23:13:38
5世紀末まで慕韓(馬韓)の称があるからね。
馬韓の故地といったほうがいいのかな。

826:日本@名無史さん
09/05/10 00:37:08
>>818
>任那に渡来した小規模の騎馬軍団が傭兵として
>倭国に重宝されたということだろう

そうだろうね。
で、それとは別に鉄テイと呼ばれる、
鉄の延べ板のようなものが彼らの地下式墳墓から見つかるのは、
彼らがそれまでにない新しい製鉄技術を持ってたという側面もあるようだね。
そういう意味では、どうも秦氏の影がちらつくのだ。

827:日本@名無史さん
09/05/10 00:44:04
鹿児島にはからくにだけと読む韓国岳がある
からとは勿論加羅から来てる

面白いページ見つけた
URLリンク(www.mmjp.or.jp)

828:日本@名無史さん
09/05/10 11:43:06
>>809
> 加羅地方が小国分立状態だったのは有名
> っていうことは奴隷における人口流入があるのならそういう小国分立状態であるはずが無いのと
> また、単なる中継だったというなら何処と加羅は貿易をしていたのか?っていう話なる
> そういう貿易が成立するのであれば半島を統一してもいいような財力は持てるわけで、歴史的にそういう雰囲気は加羅には微塵もない

なんでさー。
現代のペルシャ湾岸だって石油で金と人は集まってはいるが、「小国分立」状態だし、
集まった金は世界中に再投資されている。
人や金が流入すれば「統一」するなんて理屈はない。


829:日本@名無史さん
09/05/10 11:49:28
金海大成洞古墳群の王墓級の出土物を鑑みれば、鉄交易の成果の一端が覗えます。
最終的に金官が半島の覇者になれなかったのは、地勢的条件だと思う。
楽浪や高句麗との接触により、軍事力の整備に力をいれていた新羅、百済と較べて、
やや緊張感の欠ける政治情勢だった半島南端部は楽浪滅亡後の動乱期に対する対応が遅れたのでしょう。

また、鉄産地も魏志によれば弁辰についてのみ記載されているかのように見えますが、
砂鉄鉱は、弁辰以外でも採掘開始年代は定かではありませんが、楽浪郡域や太白山脈でも産出しており、
4世紀以降の金官が権益を独占していたわけでも無いと思います。
また馬韓南部(前方後円墳地帯)にも砂鉄産地が認められており、ここは倭人の出稼ぎ先としては最適です。



830:日本@名無史さん
09/05/10 12:29:48
鮮人って屁理屈のプロだよな。正直を美徳とする日本人には受け入れられない民族

831:日本@名無史さん
09/05/10 13:28:58
【大阪・枚方】日本に先進文明を伝えた百済人渡来の再現フェスティバル、市長が「日本文化の基礎は半島由来」と挨拶 ★2 [05/09]
スレリンク(news4plus板)l50


832:日本@名無史さん
09/05/10 13:29:01
正直とは違うな
日本式謙虚みたいな、そんなもの

833:日本@名無史さん
09/05/10 13:37:41
第208回 新春講演会
「騎馬民族は来なかった」
URLリンク(yamatai.cside.com)

第260回
日本語の起源1
アジアの諸言語と日本語
URLリンク(yamatai.cside.com)

邪馬台国の会
URLリンク(yamatai.cside.com)

このサイトは面白いし、役に立つ。

834:日本@名無史さん
09/05/10 13:58:42
せっかくなら山尾氏に質問状でも送ってみたら?
生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国だったことを認めるのかって
まあ、お前らそんな気概も無いだろうなw


835:日本@名無史さん
09/05/10 14:44:21
>>834

> 生口だの傭兵だとか当時の倭は半島の属国

 生口(人身貿易)や傭兵(出稼ぎ)を出すと属国なのか?
 その論理がわからん。
 人の替わりなんて、いくらでも居たから相手の求めるものを提供したんだろう。
 いわば単なる経済活動だ。
 それと、人の代わりに翡翠だったら、貴方的には属国扱いにならないのかな?

836:日本@名無史さん
09/05/10 14:48:04
>>835
日本に何か求めれるほど伽耶は強くないって。
王墓さえないではないか。
あそこはずっと日本の管轄地。

837:日本@名無史さん
09/05/10 14:58:05
>>836
首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ。
日本国内で鉄の採鉱が始まるまでは鉄資材は貴重な輸出品だ。
鉄以降でも伽耶系陶器や馬具は売り物にはなるでしょう。
相手を必要以上に過少評価するのもアレだと思いますよ。
まあ、そのアレ以外に興味も無いのかもしれませんがw

838:日本@名無史さん
09/05/10 15:01:21
>>836

フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?


839:日本@名無史さん
09/05/10 16:03:22
>>827
馬鹿乙
からくにだけは江戸時代からそういう名で呼ばれるようになったんだよ
その山から半島が見えたって俳句で読まれたことでな

840:日本@名無史さん
09/05/10 18:26:06
■世界は任那日本府を容認

ただ世界的には「任那日本府」は認められてるんだよな
アメリカ、イギリス、メキシコ、カナダなんかの東アジア史では
4世紀、日本の大和政権が朝鮮半島南部まで支配下に置いたって記述されてる
で、韓国が激怒して訂正するよう求めるとか必死になってるw

オーストラリアでは韓国語は日本語のパクリだみたいなこと書かれてるし
韓国はポルトガルの植民地だったって書かれてる国もあるw

それどころか日韓併合は日本の好意で正しかったみたいに書いてくれてる
国もあるぐらいだから韓国は可哀そうとしかいいようがないw

ま、韓国がいくら騒いでも世界は日本の主張を受け入れてるということ



841:日本@名無史さん
09/05/10 18:29:11
世界は認めてても、倭奴が大韓国の奴隷国家だったのは事実。
奴隷も輸出してるし、史実にも大韓国の奴隷だったことが書いてある。

そもそも奈良百済が小日本になったわけだし。
真実が世界に広まるのも時間の問題だよ。

842:日本@名無史さん
09/05/10 18:42:49
>>837
>首露王陵が誰の墓だかはわからないが、
>金海には王墓クラスの墓は幾つもあるよ

それらはは5世紀以降。
4世紀なら地下式墳墓のなかから王墓を探すしかない。
その5世紀の高塚墳墓も日本のどこにでもある円墳並み。
力の程が分かるよね。

>>838
>フツーに対等の交易活動って結論じゃ、つまらなさ過ぎて受け入れられないのか?

国力を考えれば対等じゃねぇし。


843:日本@名無史さん
09/05/10 20:18:33
で、結局は弁韓の人たちって何人?
扶余ではないんだよね?
日本語に似た言葉を話したって本当?
どうか教えてください

844:日本@名無史さん
09/05/10 20:58:10
弁韓って言うくらいだから韓国人にきまってんだろ。


845:日本@名無史さん
09/05/10 21:16:06

真実は、ここにあり。

URLリンク(ja.wikipedia.org)



846:日本@名無史さん
09/05/10 21:42:51
そう、これが日本と朝鮮の力関係。

397年 夏五月 王は倭国と友好関係を結び、太子の腆支を人質として倭に送った。
402年 五月 使者を倭国につかわして、大きな珠を求めた。
403年 春二月 倭国の使者が来たので、王は彼を迎えて慰労し、特に厚く遇した。
405年 腆支太子は倭国において訃報を聞き、哭泣しながら帰国する事を請うた。倭王は、兵士百名を伴わせて、護送した。
418年 夏 使者を倭国につかわし、白綿を十反を送った。
428年 倭国からの使者が来たが、随行者が五十名であった。
608年 隋が文林郎裴清を倭国へ使者として送ったが、わが国の南路を経由した。
653年 秋八月、王は倭国と修交した。
662年 七月 扶余豊は、高句麗と倭国に使者を派遣して援兵を乞う。唐新羅連合軍は救援の倭軍の軍船400艘を白江に焼く。
百済軍と倭軍は唐に降伏し、扶餘豊は行方不明となる。


まあ、ウィキの記述を100パーセント信用して「真実」と言い張るのはどうかと思うが。

847:日本@名無史さん
09/05/10 23:09:21
生口を献じて鉄をもらっていた、高句麗軍と戦ったのは倭の傭兵に過ぎなかったとか
いうのなら、白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?
それこそ騎馬民族説という、学会で否定されている学説にでも依拠しないと
説明がつかないだろ。

848:日本@名無史さん
09/05/11 02:19:10
魏志東夷伝 邑婁    >>朝鮮人の先祖発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年~226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。


849:日本@名無史さん
09/05/11 02:38:04
>>847

> 生口を献じて鉄をもらっていた

朝貢貿易?
普通の交易だろう

> 白村江の戦の頃には、伽耶の非倭人支配者はどこに消えたんだよ?

金官王家は白村江以前、6世紀前半に新羅へ帰順。
高霊王家も6世紀後半には新羅へ帰順しているよ。
それ以外は、例えば秦氏などと一緒に日本に帰化したのもいたんじゃないか?

> それこそ騎馬民族説という、

ハァ?何故今更そんな話が・・・

> 学会で否定されている学説にでも依拠しないと説明がつかないだろ。

何でさー
他国へ帰順、亡命しましたと考えちゃいかんのか?

850:日本@名無史さん
09/05/11 02:41:03
ここは、嫌韓厨が近親憎悪に悶えまくるスレなのか?

851:日本@名無史さん
09/05/11 03:59:55
奴隷部隊に最新の武装をさせて、その数が圧倒的に多いんですね。
その状況を維持するってすごいな。感心感心。

普通なら鉄の独占を狙って、日本から遠征軍が少数でやってきても内応されてジエンド。
ゲルマンに乗っ取られたローマ帝国を思い出した。

852:日本@名無史さん
09/05/11 10:30:31
>>844

扶余=古代韓国の支配階級
濊族族=土着朝鮮人(現在の朝鮮人のルーツ)
沃沮=土着朝鮮人(濊族族の別名?)
韓人(加羅人)=日本人

853:日本@名無史さん
09/05/11 12:11:57
>>852

古代韓民族成りすまし邑婁人+濊人(現在韓国人)!!!!!!


854:日本@名無史さん
09/05/11 12:40:21
URLリンク(photo.jijisama.org)

ここにある幾つかの写真を見れば東夷伝で伝えられたような
清潔さの欠片も無いな
やはり邑婁人のそれと殆どイメージが重なる

855:日本@名無史さん
09/05/11 12:58:02
>>854 ユーチューブ チャングムの真実

URLリンク(www.youtube.com)
こんな生活してたら、例え大昔に韓国発祥のものが日本に来たって・・・
・・・そら、日本に見下されるわ。


856:日本@名無史さん
09/05/11 22:57:31
★韓国は永遠の属国情けない? しかし韓国人は・・・

【韓国ブログ】韓国人男性の自画像―海外で韓国男子として自負できる理由

ブロガーのsofco12もその一人で、韓国にいた時は不満だらけだったが、実際に海外にいると自然に韓国への
愛着が湧いてくるという。彼は、そのような自身の海外での経験から、韓国の男子でよかったと思える理由として次の3つを上げている。

その一、軍人の経験をもつ韓国人男性は強いと評判。「韓国国内では仕方なく兵役に服務する人も多いが、海外では
誇りであると受け止められているようだ。国のために2年間貢献するということに新鮮さを覚えるかも知れない」と分析する。

その二、韓国人男性は親切であるというイメージ。「韓流の影響が大きいかも知れないが、愛想が悪くロマンの足りない日本人男性と、
小心者で不衛生なイメージの中国人男性に比べ、韓国人男性はわりとロマンチックで親切であるとのイメージがある。
好意的で魅力があると言われるのは喜ばしいことである」と感想を語る。

その三、韓国人女性は魅力的と評判。「日本人女性のように、内向的でもなく、中国人女性に比べたら気も強いと言えない。
それに韓国人女性はお洒落で、自分磨きに手間を惜しまない。それが人気の秘密である」と主張。
その上、「韓国の女性が人気ということは、当然韓国男子としてもうれしい」と綴った。

最後に彼は「韓国に生まれたことに感謝する。国内にいれば実感できないが、海外に出たら韓国人男性ということだけでも誇りに思える」と締めくくっている。
(編集担当:金志秀)
URLリンク(news.searchina.ne.jp)

>韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する
>韓国に生まれたことに感謝する


857:日本@名無史さん
09/05/11 23:05:59
アメリカ・オーストラリアでは韓国女性は大人気「のようですね






























売春宿で

858:日本@名無史さん
09/05/11 23:20:11
URLリンク(koreawatcher.at.infoseek.co.jp)
・・・

859:日本@名無史さん
09/05/12 03:18:23
URLリンク(file.chosunonline.com)
日本より韓国のほうが民族着も甲冑もカッコいいね
相当文明が進んでいた証拠だね


860:日本@名無史さん
09/05/12 04:06:04
>>858
抜粋した
■ 大朝鮮帝国史

・我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

・我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。

・高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初の国、多婆羅国を日本地域に建てた。

・伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争ってその地域に進出したのだが、
 伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統であるコム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある
 地名は、皆この時期に開拓された所だ。

・ 沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てたのが、まさに天皇国家の始まりである。
 この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。

・ 神武天皇は、現地妻を取っていたソン・ソンジョ皇子の代わりに百済から送られた新しい天皇で、倭列島の東部征伐の任務を忠実に遂行した。

・ 新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したのだが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに
 飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解決するために百済は景行王を派遣した。

・三国遺事の延烏郎・細烏女の説話は、新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、この細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。
 海上帝国を成していた沸流百済は、高句麗の広開土大王の侵攻によって本国の熊津(コムナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、この人が応神天皇である。
 応神は奈良百済を建て、そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。

・古莫那羅百済の混乱に乗じて、新羅は倭列島における勢力挽回を試みた。
 この時、新羅の主導でなされた日本の改革がいわゆる大化の改新である。

・朝鮮(チュシン)の伝統を継承していた高句麗は、この時に我が民族関連の記録を民族保護次元で全て焼却したのだが、このためにその後の国史が歪曲された。
URLリンク(koreawatcher.at.infoseek.co.jp)


861:日本@名無史さん
09/05/12 04:11:25
【韓国】伽耶時代の古墳から木棺を搬出。木材は日本産の可能性大(SBSニュース)05/06/22

【1500年前の木棺発掘…古墳時代、朝鮮半島を支配していた日本の皇族の墓の可能性も。】

■アンカー
古代韓日交流史を明らかにしてくれる木棺が千五百年ぶりに日の目を見ました。
現場の権ヨンイン記者です。
■記者
去年木棺が発見された慶尚南道昌寧の松硯洞第7号古墳です。
木棺を取り出すのに先立ち、発掘団が作業が無事に終わるように祈って礼をしています。
いよいよ木棺が千五百年ぶりに日の目を見る瞬間です。300キログラムの木棺が用心深く移されます。
搬出作業には特殊製作した無振動車まで動員されました。
木棺はこれから約5年間、分析と保存処理作業を経った後、一般に公開される予定です。

現場で作業をしていた研究員の1人が、「古墳時代も植民地支配してたなら、日本は謝罪と賠償をすべきだ。」
と、声を荒げて答えてたのが印象的だった。(以下略)

▽ソース:SBSニュース(韓国語)(2005/06/22 09:57)
URLリンク(news.sbs.co.kr)

862:日本@名無史さん
09/05/12 04:12:19
【韓国】ソウルで日本式の前方後円墳発見 KBSが報道(聯合ニュース)05/10/31
スレリンク(news4plus板)

2日後 ↓↓ ↓↓ 

【韓国】KBS報道の「江東前方後円墳発見」なかった事にしましょう(聨合ニュース)05/11/02
スレリンク(news4plus板)

【韓国】自国の文化さえ破壊する韓国人達 ~古墳を埋め戻して歴史を隠蔽
URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)
【韓国】ソンジン精工、掘削機で古墳を破壊 /忠南・唐津(朝鮮日報)08/05/01
URLリンク(www.chosunonline.com)

【日韓】 「韓国の前方後円墳は倭人の墳墓」 朴天秀(パク・チョンス)著(朝鮮日報)07/11/18
URLリンク(www.chosunonline.com)
【日韓】 「韓国の前方後円墳は倭人の墳墓」 [11/18]
スレリンク(news4plus板)

863:日本@名無史さん
09/05/12 05:11:52
◆◆◆ネオ騎馬民族説◆◆◆

【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】
スレリンク(history板)
URLリンク(mimizun.com)
res.532-533 560-562 564

スレリンク(history板:436-440番)


864:日本@名無史さん
09/05/12 07:47:01
>>1
いまの半島人につながる民族は当時はドコに住みなんて国を建国してたんですか?

865:九州王朝大好き
09/05/12 09:56:27
>>864
挹婁。(粛慎)
半島北東部、沿海州及びその内陸部。
現在の中国、ロシア及び北朝鮮にまたがる地域。
その地域には、現在も朝鮮人が居住している。
7世紀に半島全体を支配するにいたった。
7世紀までほぼ半島全体にいた人々(日本語に近い言葉を話していた人々)は、
一部は難民として日本に移住、
残りの人々は民族として消滅した。

なお挹婁人が建国した国は新羅であり、その新羅が現代の半島国家になった。
「朝鮮」と「高麗」は、元挹婁人の扶余・高句麗系民族からのパクり。

消滅した民族
濊、扶余、沃祖、高句麗、馬韓、弁韓、辰韓、百濟、伽耶、しらき。


挹婁記事
>>URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)
粛慎記事
>>URLリンク(members3.jcom.home.ne.jp)

866:日本@名無史さん
09/05/13 02:13:39
       晋書  『粛慎、挹婁伝』
井戸も釜戸もない、甗(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
{{足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。}} 凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、髪を編み、{{布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る}}、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。



867:日本@名無史さん
09/05/13 10:07:08
韓国って古来から周辺諸国の属国で中国の名前、中国の年号、中国の文化
美女の献上、モンゴルの支配下にはモンゴルの髪型や風習、言語(後のハングル)
日本の植民地には領土、中国から貰った名前、王室(李氏朝鮮)国まで奪われ
大日本帝国の一部にされた

なのに「韓国人は誇らしい!!」ってどういうこと?
ね、ね、何で誇らしいの?w
誰か教えてw

868:九州王朝大好き
09/05/13 12:13:02
>>866
>木を焼いて灰を作り、その灰汁を注いで、これを食す(意味不明)。

①ミネラル摂取。
「土無鹽鐵」とあるように、食塩やミネラルを含んだ水や土が無いので、
ミネラルの栄養補給が困難だったと思われる。
これは、粛慎が森林地帯に居住していたことを示している。
粛慎時代後の挹婁は海岸部まで進出しているので海水からミネラル補給が可能。


②食用植物の種類が少ないので、食物(ドングリ等のアクの多いもの)のアク取りにも使ったか?

869:日本@名無史さん
09/05/14 06:14:42
任那日本府の話題で、中国(宋)の話が
いっさい出てこないから、どうしようもないわなwww

実は、この任那日本府の問題は、
対中国関係が影響しているんだよ。
日本と韓国の二国間関係ではないんだわな。

広開土王碑文でも分かるとおり、日本が半島へ軍事侵攻したことに対して
高句麗が、「半島南部は我々の属国だから
それを倭国が犯すのは不当行為だ!」って批判しているわけで。

では、倭国がその後、何をしたのかというと
中国に朝貢して、倭国が半島南部の軍事を管理する権利をくれと言っている。
この時代、中国の権威が絶大なんだよ。

で、中国は、最初のほうは倭国の要求を無視しつづけているのだが
雄略天皇の要求に根負けして、一応、認めている。
ただ、その場合、中国は百済とは直接的に主従関係を結んでいたから
倭国が半島南部を軍事的に制御する権利は認めても
百済王朝自体を管轄する権利は認めなかったわけで。

つまり、任那論争は、日韓関係ではなく
日中韓満の4者の関係で見ないといけない。

870:日本@名無史さん
09/05/14 06:35:14
西暦313年、中国の楽浪郡が崩壊、朝鮮半島が中国の管理下から離れる。

西暦369年ころ、倭国が半島へ軍事介入しだし、倭国と高句麗が激しく戦う。
倭国の軍事介入の目的は、楽浪郡消滅後の
半島南部を高句麗との間の緩衝地帯にすること、
そして、伽耶諸国の鉄利権を奪うこと。
倭国は、高句麗から百済を分離し、百済を軍事的に援助。
高句麗が激怒し、倭国と高句麗を中心とした乱世の幕開け。

ちょうど、このころ、倭国は百済にいた楽浪郡の中国移民をまねき、
彼らの漢文で外交文書を作成、対中国外交を活発化させる。
なぜなら、中国との外交には、当時の最新式の漢文が必要だから。
(卑弥呼(モモソ媛命)時代の漢文は旧式になっていて、中国交渉に不備になっていた)

そして、西暦400年代に、倭国が中国外交を活発化させ、
西暦438年に初めて、倭国は中国に朝貢して、朝鮮半島南部の軍事指揮権を要求する。
しかし、中国は倭国の要求をなかなか認めなかった。
何故なら、当時、中国は百済を直接の臣下としていたので、
倭国に百済の軍事監督権まで認めると、中華秩序の破綻を意味したから。

それに対して、倭王武(雄略天皇)が、中国に対して勝手に半島南部の軍事指揮権を宣言。
結局、中国は倭国の要求を認め、それを追認する。
ただし、中国は、
倭国が、伽耶や新羅を軍事的に監督することを認めたが
倭国が、中国と直接的な主従関係があった百済を軍事的に監督することは認めず、
百済の支配領域の旧名である馬韓への軍事指揮権容認という形で
お茶を濁したのであった。

871:日本@名無史さん
09/05/14 06:48:11
半島南部に前方後円墳が出没するのは、西暦5世紀後半~西暦6世紀前半だ。

広開土王碑文によると
西暦4世紀中頃から、倭国は、半島へ軍事介入していたと見られるが
その時代には、まだ前方後円墳は、半島には見られない。

しかし、西暦5世紀後半になると、
中国皇帝が、倭国が朝鮮半島南部諸国への軍事指揮権を認めるようになる。
それと時期を同じにして、半島南部に前方後円墳が出没する。

そして、日本書紀によると、倭国が伽耶から撤退したのは、西暦6世紀前半。
この6世紀前半に、半島南部から前方後円墳が消えるのである。

よって、この任那論争においても、日韓2者関係ではなく、
中国を交えた3者関係でみないと、事の本質は見えてこない。

872:日本@名無史さん
09/05/14 08:25:35
世界史板と日本史板の両方に投下しないといけないから忙しいな
てかなんで別々の板で同じ話題やってるのかね

873:日本@名無史さん
09/05/14 10:05:04
>>869-861
いまさら何をいってるのって感じなんだけど
当たり前のことを長々と

874:日本@名無史さん
09/05/14 15:51:07
■「韓国は日本人がつくった」 黄文雄著 より

先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、
水が原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)
付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。

コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は1918年~20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、
金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、
李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。
賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、
中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。
飢饉による餓死と、疫病に よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。
ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。
「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって 朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。





次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch