09/04/27 07:30:04
NHKは、公平で客観的と思っていたが、ぜんぜん違うな。
日本のマスコミに信用できるところがなくなった。
好太王の碑文、三国史記、あるいは中国の文献を見ても、古代の日本の優位は
明らかだと思うのだが。
たとえば、隋書には、
新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來
宋書には、
武立、自稱使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、加羅、秦韓、
慕韓七國諸軍事、安東大將軍、倭國王
なんて書かれているし。
543:日本@名無史さん
09/04/27 07:49:25
ま、NHKには永遠に受信料払わないぞと確信した。w
こんな内容垂れ流されて、
おまけに金まで取られたらたまったもんじゃねぇ。
544:日本@名無史さん
09/04/27 07:52:07
キンカン伽羅国はどう解釈する?
韓国のプサン大学の教授は鉄の出土品から日本をキンカン伽羅が押さえていたと主張。
日本の教授は鉄と何かを交換するような関係で対等だったと主張。
あの番組は別に親韓の学者だけじゃないだろ。
545:日本@名無史さん
09/04/27 08:41:39
日本に多くの石油製品があるがアラブに支配されてない。
546:日本@名無史さん
09/04/27 09:04:58
>>544
日本に伽耶の鉄の出土品があるから伽耶が日本を押さえていたなんて全くアホな話で、
むしろ日本に好き勝手に鉄を採られてたのは伽耶が日本に押さえられてた証拠。
547:日本@名無史さん
09/04/27 09:46:00
単純に国力や位置取り比較してみれば、
日本の軍事的(兵力的)優位が判りそうなもんだがな。
自国に多数の他国の兵士を引き入れて、
「俺様の方が優位だ」ってそんなアホな。
春秋戦国でも三国志でも、
援軍がそのまま居座って侵略軍になることが多いから、
自国に他国の軍隊を入れることにはみんなナーバスになってたけど、
朝鮮半島ではそんな恐れはなかったのかね?
548:日本@名無史さん
09/04/27 10:18:26
百済や場合によっては新羅ですら日本を兄貴分として認めてたのに
それよりはるかに弱小な伽耶と対等なわけがない
親分子分関係だよな
しかし自分の都合悪い史料はことごとく無視
朝鮮側の碑文や三国史記からでも大和政権が朝鮮南部で
恒常的な軍事活動してたのは明らかだろう
考古学でも裏付けられるし
だいたい傭兵はあの当時存在しない
あの当時は氏族単位で軍を動かしてるだろ
自分の都合のいい様に無理して歴史作ってるところが多すぎる
549:日本@名無史さん
09/04/27 10:28:34
2ちゃんのクズが何吠えても全く無駄w
専門家>>>(越えられない壁)>>>>おまえらw
550:日本@名無史さん
09/04/27 10:34:05
朝鮮人は三国史記でも読もうか
551:日本@名無史さん
09/04/27 11:08:11
共同歴史研究の賜物
552:日本@名無史さん
09/04/27 11:15:35
>>549
専門家で任那日本府を否定するやつは少ないはず。
あったといえば韓国側が煩いので極力言わないようにしてるだけ。
553:日本@名無史さん
09/04/27 11:32:15
韓国の学者もあの地域の研究を避けてたと言ってたから、韓国側も日本府があったと言う認識だったんだろ。
554:日本@名無史さん
09/04/27 11:44:45
伽耶は隼人族です。
色黒く目がギョロっとしてる。
顔つきが一般の朝鮮人と違うから、
朝鮮人達自身もも昔からインド人か呉の流民だと思ってたんです。
有名な話ですよ。
555:日本@名無史さん
09/04/27 11:48:01
任那は日本への奴隷の集積と搬出積み出し基地だった。
紀元前4世紀くらいから始まった江南からの大量の難民は朝鮮半島の南東部や九州に流れ着いた。ちょうど
その頃は温暖期で、彼らの水耕田での生産性の高い米の生産は余剰を産み、蓄積が朝鮮半島と九州に小国を
作り出したが、当然、より高温多湿で雨が多い日本の生産性が高かっただろう。
さらに、水田耕作に適した土地の多い日本では、多くの強力な国を生み出し、国々間の競争を生み出した。
水耕田の高い生産性は人口の増加を生み出したが、人口の自然増では新たな耕地の開拓が追いつかず、
武力での労働力の確保が始まった。
当初は近隣の村々を襲っていたのだろうが、それはお互いの戦いを呼び、折角の労働力の消耗にも繋がって
しまう。そこで戦いを呼ばずに一方的略奪で労働力を確保する方法が考え出された。それは当然、外国からの
労働力つまり異国からの奴隷の確保だっただろう。
それらはローマ帝国やアメリカの歴史を見ても明らかだろ。ローマ帝国は奴隷の上に成り立っていたが、
外征の主目的は奴隷の確保だった。
ローマ帝国での奴隷の扱いは過酷だったが、多分日本の場合はそれほどではなかっただろう。ローマ帝国の
周辺には奴隷にする民族はふんだんにあったから奴隷を過酷に扱って消耗しても問題はなかったが、日本の
場合は海を渡る手間が必要だった。
ローマ帝国末期には新たな奴隷の確保が難しくなったため、奴隷はお互いの結婚を許され奴隷の再生産が
目論まれ農奴的なものになっていったが、日本の場合は奴隷は最初から農奴的な立場でその再生産も
当然奨励されただろう。
朝鮮半島での奴隷の確保は、当初は日本の国々がバラバラに行っていたが、そのうちにそれが組織立った
ものになっていくのは自然の成り行きだろ。だから初期の日本の朝鮮半島での橋頭堡は奴隷の確保の
ためだっただろう。そして、日本での人口の自然増が生産とバランスするようになって、任那は奴隷の
確保のための基地から鉄の確保のための出先機関へと変身していった。
556:日本@名無史さん
09/04/27 11:48:49
朝鮮の有名な民謡でも彼らのことを唄ったものがあると聞いたことがある。
詳しい人いませんかね?
557:日本@名無史さん
09/04/27 13:24:19
>>542
優位にあったのは確かだろうけど
広開土王碑は百済新羅を打ち破ったそんな強い倭を倒した高句麗マンセーって内容なわけだから
誇張はあるだろう
それに再三の百済軍事支配権要求に関らず最後までもらえなかったのと
将軍号が百済や新羅よりつねに下だったのはどう説明するの?
558:日本@名無史さん
09/04/27 13:28:26
ごめん
新羅は将軍号なかったか
559:日本@名無史さん
09/04/27 13:34:10
誇張って何を基準にしての誇張なのか?
それさえも提示せずに相手の返答を期待する姿勢に疑問を感じる。
560:日本@名無史さん
09/04/27 13:40:01
誇張どころかなんもなかったことにしてるから怖いわ
倭が伽耶の傭兵って
伽耶っていつのまにそんな軍事大国になってたんだ
561:日本@名無史さん
09/04/27 13:43:55
こういうのは議論でも何でもなくて、日本では俗に「言い掛かり」とか「ケチをつける」と言います。
562:日本@名無史さん
09/04/27 13:44:06
異論を唱えるときの証明をせずして、妄想を垂れ流す、学者が二人。
こいつらの頭の中に何がつまってて、こういう具合に説明できるんだろう。
563:日本@名無史さん
09/04/27 13:45:02
VTRだけの出演の研究者も、文句言わないのかね。この構成。歴史観。
564:日本@名無史さん
09/04/27 13:50:16
こんなのが歴史学かって感じだ
前々からひどいとは聞いてたが
NHKでもそのままなのには驚いた
韓国サイド抜きで番組作って欲しいね
565:日本@名無史さん
09/04/27 13:51:25
三国史記の新羅本記を見ると、
倭兵が攻めてきた。嫁を要求されたので差し出した。人質を差し出した。
というような記録ばかりが残っている。
一度だけ、わが国も倭を攻めてみましょうか、というのが出てくるが、
結局、止めときましょうということになっている。
566:日本@名無史さん
09/04/27 13:54:42
広開土王碑文 (414年(碑文によれば甲寅年九月廿九日乙酉、9月29日 (旧暦))建立)
391年(辛卯(耒卯)年)「百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民」
そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に■を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。
399年、百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平譲にでむいた。
ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので
高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、大王は救援することにした。
400年、5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、
これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。
404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
訳;井上秀雄『古代朝鮮』<講談社学術文庫>2004 ISBN 4-06-159678-0
567:日本@名無史さん
09/04/27 16:06:24
最近、偏向捏造報道で何かと話題の
NHKが制作し、教育で放送された
ETV特集『シリーズ 日本と朝鮮半島2000年 第1回』
以下内容)
・1970年代の日本の民間教科書と
韓国の国定教科書を比較して
任那日本府完全否定。
・1970年代の教科書と2009年現在の
日本の歴史教科書を比較して
「ほら、今はもう任那日本府なんて書いてないでしょ?」
・広開土王碑の碑文を一部抜粋して
ここに書かれている「倭」とは倭からやってきた傭兵の事で
倭国の事では無いニダと断定。
・勿論、広開土王碑の倭が百済、新羅を臣下に加えた
の記述はカット。
・倭はカヤの鉄を欲していた。
その対価として傭兵などの労働力を送った。
・半島から日本に渡ったのは技術者で、
日本から半島に渡ったのは奴隷。
・前方後円墳?何それおいしいの?
・前方後円墳に眠るのは奴隷。
・日本の事は「倭」と呼び、
半島の百済や新羅や高句麗の事は「韓国」と呼ぶ。
・日本書紀の記述は正しくないから十分な検証が必要by立命館教授。
・神功皇后の名前カット。
・宋書の「倭人が頗る多い」の記述はカット。
・と言うかそもそも中国の存在無視。
・四神は韓国起源。
568:日本@名無史さん
09/04/27 16:08:07
・中国の資料や中国の実態や
半島南部の前方後円墳や勾玉には一切触れず、
日本側が受けた文化的影響全てが韓国からやってきた。
・勾玉、翡翠も朝鮮から頂いたというのがこの番組。
・日本には文字が無かったので、
音読み訓読みをつくってくれた百済人には
本当~に感謝しなければなりませんねぇby立命館教授
・百済は独立した文明圏なんです!
・朝鮮人の教授曰く
百済は単なる通過点ではないんです!
百済には百済の仏教があったんです!
百済の仏教を日本は選択したんです!
だから日本の仏教は中国のものとは違うんです!
・武寧王他、百済、新羅から日本へ連れてきた人質は無視。
・新羅の王位についた倭人無視。
・日本はもっと韓国側から歴史を見て、
韓国側の意見を取り入れて学ぶべきby立命館教授。
・司会進行役は従軍慰安婦に土下座した女優。
・そしてやっぱりDが朝鮮人。
569:日本@名無史さん
09/04/27 16:09:42
この番組のディレクター 田容承
URLリンク(www.cr-nexus.co.jp)
初めまして。
入社4年目のチョンと申します。
皆さんはあまり聞いたことのない名前だと思いますが、
「田 容承」と書いて「チョン ヨンスン」と読みます。
(本当は少し発音が違いますが・・・)
実は、私の出身は韓国のソウルです。
日本に来てもうすぐ8年。今は仕事にも東京の生活にもすっかり慣れて、
私のことをチョンタロウとかチョンタとか呼ぶ人
(この人は恐らく韓国でこういう教育受けてます。)
韓国国定教科書和訳まとめ
URLリンク(members.tripod.com)
ここには百済が九州を支配したとか書いてあります。
特にⅢ→5は見物です。
日本では民間が教科書をつくります。
よって種類がとても豊富です。
が、韓国では国が教科書をつくります。
韓国には国が検閲し、認定した国定教科書、一つしかありません。
570:日本@名無史さん
09/04/27 16:11:05
出だしは、さすがに今となっては稲作が朝鮮半島から伝わったとは
主張しにくかったらしく、”大陸と半島から”と、微妙な言い回しだったねぇ。
で、新羅・百濟皆倭を大国と為して通使往来すとか六国諸軍事とかは
華麗にスルーして、生口とか傭兵とか、まぁ、この辺は予想通りだけど、
広開土王碑捏造説を持ち出すのはさすがにムリだったと。
最後に韓国の史観で日本書紀を解釈シルでまとめて、エンディングが
天王寺ワッソなのには思わず苦笑。w
第2回 任那日本府の謎
~略
「広開土王碑文」が発見され、「倭」の半島侵入の記述が見つかった。そ
こで、4世紀後半からおよそ200年の間、日本が朝鮮半島へ軍事的に進
出し、大陸の先進文物を「任那日本府」から吸収したと、長らく考えられ
てきた。
しかし、1970年代以降、日韓の様々な研究や発掘調査によって、「任那
日本府」の実態や 朝鮮半島南部と倭をめぐる関係性が見直されている。
~略
=====
広開土王碑と任那の否定か?
次も期待できそうニダ
571:日本@名無史さん
09/04/27 16:13:59
ヒストリーチャンネルの「任那日本府」は、国をあげて抗議して潰したのにな>韓国
欧米人に韓国の異常さを一発でわからせるコピペ拾った
コレを英訳すればいい
【国定教科書採用国】
北朝鮮
ミャンマー
キューバ
イラン
リビア
タリバン政権下のアフガニスタン
フセイン政権下のイラク
トルクメニスタン
「韓国」
以上です・・・
国家主導で洗脳教育している国の一覧です
なお、韓国の教科書選定委員は全員が匿名になっており、
以前、名前が公表されたとたん、全員辞職して逃亡した過去があります。
5000年の歴史とか、百済は日本は支配したなどとファンタジーを捏造する
歴史教科書は世界を見渡しても、韓国だけです
URLリンク(www.enjoykorea.jp)
572:日本@名無史さん
09/04/27 16:17:49
でもまあここで任那日本府がどうとかいってる連中は70年代の研究レベルで云々いってるわけだ
国会図書館で最新の論文読んでこいよw
573:日本@名無史さん
09/04/27 16:19:58
>>557
好太王碑文では、誇張というか、倭は高句麗を引き立たせる道化役って感じだな。
ただ、本当は百済あたりが倭や任那加羅を従えて高句麗と戦ったのならば
素直にそう書けばよかったように思う。でも、実際は倭が高句麗の主たる敵
にみえるほど顕著な戦いぶりをしたから、そのように記述されたんじゃないかな。
倭の百済に対する軍事権が認められなかったのは、百済が南朝にとっての
れっきとした冊封国だからだろう。そして、倭の将軍号が百済に比べて
下位なのは、南朝にとっての地政学的価値が百済より低かったことに
よるのだと思う。南朝の目的は北朝に対する牽制だからね。
574:日本@名無史さん
09/04/27 17:16:36
そんなもん安土桃山時代に足利氏と織田信長がどちらが日本を動かしてたか?
と同じぐらい馬鹿げた話でしょ
好太王碑の件でも、取るに足らない(傭兵だしたり、鉄の貿易相手国)相手を引き合いにだして広告になるのか?って話
強いからデカデカと石に刻んでるわけで、アホだから結果的に日本の広告みたいなモンになってるがw
それよりさ、加羅地方は異民族なんでしょ?
百済も高句麗も新羅も異民族だったんでしょ?
自分たちの直接の祖先じゃないって自ら言ってるでしょ、すくなくとも韓国内の資料館などでは
575:日本@名無史さん
09/04/27 17:35:28
ていうか傭兵ってどこから出て来たんだ
証拠はあんのか
576:日本@名無史さん
09/04/27 17:38:42
>>573
じゃお前がその最新の論文を具体的に挙げろよ
それも一人じゃなく複数の人の論文な
学者でもいろんな説があるからな
そしてできれば内容も要約しろ
577:日本@名無史さん
09/04/27 17:51:50
傭兵なんて概念はどう考えても韓国側の方便
高句麗は倭と戦ったのだよ
当時の情勢では半島南部で大規模な軍を動かせるのは実質倭であったのだろう
578:日本@名無史さん
09/04/27 17:58:28
>>576
い☆や☆だ☆ね(・∀・)
つか、鈴木靖民とか山尾幸久とか田中史生とか川本芳昭とか
そのへんの概説書読んで思ったことだ。
そんなに大したこと言ってるつもりはないが。
579:日本@名無史さん
09/04/27 18:10:29
その山尾幸久って人は日本府は軍事機関として認めてるんだろ
お前都合のいいところだけ抜き出してるんじゃね
580:日本@名無史さん
09/04/27 18:17:31
だいたい三国史記であんだけ軍事活動してるんだから
軍事機関なきゃおかしいんだよな
日本と朝鮮の距離はドーバー海峡の5倍
海流も激しいときてる気軽にいける距離じゃない
常駐の軍隊がいたと考えるのが自然だな
581:日本@名無史さん
09/04/27 18:32:38
キャスター石沢典夫 立命館大学名誉教授山尾幸久 ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
582:日本@名無史さん
09/04/27 18:33:19
ナ 福永さんは倭が鉄を得るために金官加耶へ軍事支援をおこない高句麗と戦ったと考えています。
ナ 五世紀以降大阪南部の古墳では鉄製の武具が大量に埋葬されていきます。倭の王権が鉄を中心とする武力で地方の豪族
を服属させていった事を示していると考えられています。
ナ 金官加耶から得た鉄によって倭の王権は大王を中心に権力を拡大していきました。
金 中国の文献などを調べてみると古代の日本からかなりの労働力がこの地域(加耶)に入ってきたと考えられます。当時、
日本人が朝鮮半島南部に住んでいた痕跡が各地で発見されています。彼らは支配層ではなく労働力を提供していたのです。
加耶は鉄を輸出する対価としてこうした労働力を受け入れていたと推測われています。その後、4世紀から5世紀になると
加耶を含む朝鮮半島南部は戦乱に巻き込まれます。こうした危機の時代になると、加耶は労働力として導入した日本人を
軍事力に利用しようと考えたのでしょう。
583:日本@名無史さん
09/04/27 18:37:05
>>579
ん?>>573では任那日本府のことなんていってないぞ。
眠たかったから文章は多少変だが。
山尾幸久は「任那日本府」という名称は後世的なものだが、
それが指す実体はあったろうという立場だな。
で、軍事的というよりは政治的な活動が主といってる。
たしかに、『日本書紀』をみるかぎり、日本府はほとんど
軍事活動してないし、倭が軍隊を送り込むときは、
日本府とは別のチャンネルで行っているようにみえる。
584:日本@名無史さん
09/04/27 18:47:59
じゃ別のチャンネルが軍事拠点だったんだな
そしてそれは倭を主体とするものだったと
585:日本@名無史さん
09/04/27 18:54:17
別に体して驚くほどの内容じゃないな
ただの解釈だろ?
いつもの朝鮮人って感じ
それにNHKもこのぐらいのデタラメはするよ
っていうかテレビってのは注目に値することなら何でも放送する
そういうこと
586:日本@名無史さん
09/04/27 18:56:13
任那をめぐって百済と新羅が軍事衝突する段になって
やっとこさ百済に援兵を出してる。倭が主体的に半島情勢
に関わったというより、その場その場の状況に対応していた
という感じ。『日本書紀』に拠るかぎりは。
587:日本@名無史さん
09/04/27 18:59:14
ETVは好太王碑の改ざん説取り上げてたし
その改ざんが否定されたことも取り上げてた
そんなに神経質にならないほうがいい
588:日本@名無史さん
09/04/27 18:59:44
>>585
まああの枠はガス抜き枠だからな。朝鮮ネタ以外だと、マイクホンダが出ていた。
問題は10回シリーズという点。少々くどい。
589:日本@名無史さん
09/04/27 19:09:10
本来、東晋あたりまで視野に入ってきてもおかしくない
対高句麗戦争の話が加耶と倭国だけの問題に矮小化
されていたのが残念だなあ…
山尾があまり突っ込んだ話をしなかったのは
番組が戦前の歴史観を修正するところから入ったから
話を専門的に展開できなかったということなのかな…
ああいう番組で議論を期待する方が間違いなのか。
590:日本@名無史さん
09/04/27 19:11:33
つまり列島からやってきた倭人はほとんど独立した状態で活動して
軍事的活動を盛んにおこなっていて
南朝鮮で優勢であったという感じだな
それは南朝鮮での最近の考古学や三国史記で裏付けられると
マムルークみたいな感じだったかもね
591:日本@名無史さん
09/04/27 19:13:05
広開土王碑文の時の改竄問題でどんだけ韓国人学者がトンでもない説で
日本を非難してたか、リアリタイムで見てたたから
あのNHK番組には反吐が出るわ
新聞でも大々的に扱ってたしな
これだけ偏向してたら、もっと凄まじいNHK批判が飛び出すぞ
日本以外の国から
592:日本@名無史さん
09/04/27 19:56:03
>>574
同意、広開土王碑って、写真で人間が横にいるモノがあったけど、尋常じゃないでかさだぞ。
あれに書かれた敵が、大したこと無い敵のはずがない。
大体、朝鮮人は書いてある内容ばかり気にしているけど、
あの石どこから持ってきて、どうやって縦にしたのか、がものすごく気になるんだが。
すぐ近くで採れる石なのかね?
593:日本@名無史さん
09/04/27 20:49:20
>>590
っつーか、半島南端は元々ごくフツーに北部九州と一体になった
倭人の居住圏でしょ。
594:日本@名無史さん
09/04/27 21:00:17
そういう説もあるが冒険しすぎだと思うんだよね
595:日本@名無史さん
09/04/27 21:29:25
魏志倭人伝での倭国が半島南部あたりからスタートしてるしな
とはいえじゃあなんでその倭人はいなくなったのよって話になるな
カヤ滅亡、百済滅亡時にいっせいに九州に引き揚げたとでもいうのだろうか
596:日本@名無史さん
09/04/27 21:47:28
>>595
ノルマン人(少なくともその文化や言語を伝える人々)が
シチリアやノルマンディ・ブルターニュに居ないのと同じだろ。
周囲と同化しちゃったんじゃない?
597:日本@名無史さん
09/04/27 21:59:26
>>595
半島南部から倭人が減ったのって、経済的な旨味が減ったからじゃないかな。
農業生産的に見て、日本の方が大きいし、鉄が国内でも量産され始めるし。
任那が維持できなくなったのも、利益の減少が倭人の人口減を招いて
維持できなくなったんじゃないのかね?
598:日本@名無史さん
09/04/27 22:00:42
伽耶の鉄鎧兵だってw。あほらしい。
大体、鉄鎧歩兵なんてものは存在しない。そんなもの着て長距離なんか歩けない。鉄鎧で遠征するとすれば
それは馬に乗った上級軍人だけだろ。その時代に騎兵軍団でもあれば別だがね。
勿論日本人も古代から鉄鎧くらい知ってたが、なんで武士が鉄鎧着てなかったと思う?。それは重くて
使い物にならなかったから。だから、軽くしたのが日本の鎧。それでさえ、馬に乗った武士しか着れない。
一般の雑兵など戦国時代でも鎧なんか当然着ない。
これはなにも日本だけのことじゃない。もしそんな重装備の歩兵軍団が長距離遠征に役立つならどの国も
そう言う軍団をつくってるよ。
ついでに、鉄製の武器を持てば圧倒的に強いなんて考えてるなら、それも間違い。当時の鉄剣なんかは炭素
含有量が多くて直ぐに折れただろうね。槍だって、例えば三人の竹槍に囲まれれば負けるんじゃない?。
2人相手だって勝てるか怪しい。更に倒されればその武器は敵の手に渡る。
当然、大きいのは兵力差だろ。つまり国力は人口に比例する。人口はそれを養える食料生産力に比例する。
さて伽耶にそんなに国力があったのかな?。傭兵だとかお笑いだね。
日本がそんな鉄の素材の供給先を黙って放っておくわけ無いだろ。しかも、百済も新羅も隙あらばと狙って
るのに。常に軍隊を常駐させるのは当たり前だろ。例え伽耶が独立国だって向こうから頼んできただろうね。
傭兵なんてお笑いだよ。ついでに騎馬民族説なんてのは大笑いだね。
599:日本@名無史さん
09/04/27 22:06:34
>>595
これだな。
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國
(帯方)郡から倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、南し、東
しながら、その北岸である狗邪韓国に至る。
となる。そのあと、対馬、壱岐を経て九州に至るわけである。
邪馬台国論争でもいろいろ議論のあるところだが、倭の北岸である狗邪韓国と
取れなくもない。つまり、卑弥呼の時代、3世紀前半には、すでに朝鮮半島の
南部は、倭(倭王・卑弥呼)の支配下にあったとも考えられる。
600:日本@名無史さん
09/04/27 22:09:42
弥生時代の急激な人口膨張の勢いをかって
朝鮮南部に北九州人が進出したんだろうな
601:日本@名無史さん
09/04/27 22:10:45
>>598
鉄の鎧は威厳を示す威信財で実戦には役に立たないものだっただろうね。
面白いのは、伽耶には木製短甲がなかったのに、
4世紀になって突然、鉄製短甲が出現するのだ。
こういう現象は、外来の何者かによって鉄製短甲が伽耶にもたらされたと考えるのが自然だろうね。
それが何者かといえば当然、倭人だろうね。
602:日本@名無史さん
09/04/27 22:13:54
>>597
それもあるかもな
なんにしろ遠いし
費用対効果が悪いよね
603:日本@名無史さん
09/04/27 22:17:27
>>601
なるほど、倭人ならそういう物も考え出すだろうね。勿論権力の象徴として使う。
銅鐸、銅鉾、銅鏡と同じく、実用性が無くても権力の象徴という意味でね。
604:日本@名無史さん
09/04/27 22:22:34
魏志倭人伝の前にある韓伝には
「韓は帯方郡の南にあり、東西は海で限られ、南は倭と境を接す」
「弁辰のうちのトクロ国は倭と境界を接している」
朝鮮半島に倭の勢力があったことは明らかといえよう
605:素人ですいませんが・・・
09/04/27 22:29:59
>>599
すると、狗邪韓国とは、任那日本府みたいな言い方でしょうかね。
この狗邪は、蔑称でもじられてるので倭国のつけた名前か?
狗邪=伽耶?
よううるに、伽耶の韓国領国か??
この韓国とは、おそらく中国系の両国で、百済の前身か。
そして保護国だろう。
606:素人ですいませんが・・・
09/04/27 22:34:38
>>604
やはり韓は朝鮮半島のことらしいな・・・。
韓伝~魏志倭人伝のあいだに、倭が半島南部を落としたのか。
607:日本@名無史さん
09/04/27 22:38:55
>>605
そういえば、狗邪と伽耶は名前が似ている。
実際、同じなのかもしれない。
となると、任那との関係がどうなるのやら。
宋書などでは、加羅というのが出てくるのだが、これは伽耶なのかな。
608:素人ですいませんが・・・
09/04/27 22:52:28
今回のNHKでの放送は完全に対日プロパガンダ番組だといえます。
ETVはいつから反日連中に乗っ取られたんだろうか?
NHKは他にもいつからか怪しく偏向的になった番組や番組帯があったりする・・・。
今月初め終了したそのとき歴史が動いたとか、ETV前の統合で9時からの時間帯とか・・・・。
そのとき歴史がなんて、民主党の宣伝番組かよと思うぐらいだよ。
NHK,ほんとよくやるわとおもうわ。
609:日本@名無史さん
09/04/27 22:54:23
>>600
私はやはり奴隷の集積・積み込み基地だったと思う。
紀元前2~1世紀の環壕は、水耕田の生産力で小国ができて、土地の開墾競争が起こった。そのための
労働力を近辺の国から調達していたのだが、お互いの戦争になった時機のものだと思う。
しかし、労働力を得るために戦争して労働力を消耗する愚かさに気が付き、韓国の南部から奴隷を連れてくる
ようになった。そうすれば、お互いに戦争せずに労働力を得られる。
当初はバラバラに奴隷を確保しに行ってたが、当然効率化され、韓国に奴隷集配・積み込みの基地が作られる
のは自然の成り行き。
自国にまだ開墾地のあるうちに他国に植民地は作らないだろ。自国の力を強めるのが先だからね。そして、
奴隷人口を含め、人口の増加と開墾地のバランスが取れ、奴隷を確保する必要がなくなれば自然消滅する。
610:日本@名無史さん
09/04/27 22:56:54
倭の五王の南朝への朝貢ルートって、判ってるのかな?
大陸への直接ルートが開拓されていたなら、このころから
半島経由ルートの重要性が低下し始めるんじゃないかね。
魏志の時代は、倭人も大陸からの使者も半島経由を使っているけど。
611:素人ですいませんが・・・
09/04/27 23:00:27
>>607
それから、任那は、「ミマナ」と読みますが、なんか出てきた当時のの古書での
振りガナには「アニナ」とかいてあった・・・。
もしかして、当時の「二」は「ミ」の音に近くて、アニナがいつしかニアナになって、
いいずらいからアがマに変化して、あるいは昔の「ア」は今の「マ」に近くて・・・
当時の音でただしくは「マミナ」と呼んだりするのが近いんじゃないとか、色々考えてしてしまうs・・・
612:素人ですいませんが・・・
09/04/27 23:03:44
>>610
少なくとも、奈良時代になると半島と交流がさらに盛んになります。
シルクロードの影響で・・・。
南朝へは沖縄台湾ルートとか・・・
613:日本@名無史さん
09/04/27 23:16:35
>>610
大陸への直接ルートは、風を潮に勝たさなければいけない。
つまり、潮は常に大陸から日本へ向かっているから、風が逆風の時に、帆で船を潮に
逆らわせなければいけない。当時、それほどの帆があったかどうかは疑問だと思う。
ただ、対馬海流に引きずられた小海流が朝鮮半島から左回りに黄海を回ってる。
それに乗れば、大分遠回りだが、朝鮮半島沿いに船で行けるかもしれない。
614:日本@名無史さん
09/04/28 00:01:35
>>612-613
帰りはともかく、行きは海流、風ともに条件が厳しいですね。
直行よりは、沖縄経由もしくは半島経由の方が現実的か。
しかしいつも不思議なのは、南朝に百済も含めた称号を申請しているんだけど、
本当に百済が倭より国力が上なら、倭に対して抗議すると思うんだが
何か言ってきた記録って有るのかな。
615:日本@名無史さん
09/04/28 01:55:32
テソンドン古墳は、倭人のものだろ。
616:日本@名無史さん
09/04/28 02:14:02
「日本」という国号ができる前の、朝鮮半島に日本府という名称があるずもないんだから、
そこを伽耶とだけ呼んで、倭人が占拠してたんでしょ。鉄ほしいから。
617:日本@名無史さん
09/04/28 02:36:05
1973年教科書
「朝廷は朝鮮南部の任那を足場にして、4世紀の末に朝鮮へ兵を送り、百済や新羅を従え、高句麗と戦った」
「562年、新羅、任那日本府をほろぼす」
2008年教科書
「大和政権は百済や、小国が分立していた加羅(任那)地方の国々と結んで、高句麗や新羅と戦いました。
618:素人ですいませんが・・・
09/04/28 03:05:52
>>614
それ俺も気になった。
称号を申請できる関係なら、普通に倭の子分的存在だろうし。
619:素人ですいませんが・・・
09/04/28 03:06:57
>>616
ミマナでは?
620:日本@名無史さん
09/04/28 03:25:49
>>616
8世紀に”日本府”という字を当てただけで、『釈日本紀』では”倭宰(ヤマトノミコトモチ)”とされておる。
621:素人ですいませんが・・・
09/04/28 03:27:07
>>620
すると、大和の尊(天皇)の領土的なかんじか・・・?
622:日本@名無史さん
09/04/28 03:32:18
百済王興寺(577)の付属建物を飛鳥寺の伽藍配置と結びつけるのはむちゃじゃないのか?
URLリンク(www.bell.jp)
その王興寺の仏舎利から、「勾玉」が出てくるのはなにゆえだ?
623:日本@名無史さん
09/04/28 03:42:26
>>621
上のほうの議論にもあるけど、「ヤマトノミコトモチ」は
ヤマトの大王のミコト(命令)を持つ者、つまりは
倭王の使者ないし使臣という意味だ。
624:日本@名無史さん
09/04/28 03:50:50
日本人「『日本書紀』に391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「『三国史記 新羅本記』にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『魏志倭人伝』には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の『随書』にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「『三国史記』に“670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る所に近いから、これをもって日本国としたとの事である”とあるが?」
韓国人「捏造だ!」
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大したと公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配したと書いている。それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・韓国に対する愛はないのか!!ー!!」
625:日本@名無史さん
09/04/28 05:25:47
韓国人は「文化が高い国(朝鮮)」=「大国(支配者」と思ってるみたいだが、「武力が強い国(倭)」=「大国(支配者)」だということがわからないのか?モンゴル帝国みてもあんな頭の悪そうなやつらが世界を支配してたぞ。南朝鮮を倭が植民地にしてたのは間違いなし。
626:日本@名無史さん
09/04/28 07:42:55
>>623
大宰府(おおみこともちのつかさ)旧筑紫大宰
吉備大宰
国司(くにのみこともち)
古代の「宰」の用法から言っても、「みこともち」の用法から言っても、
宰=ミコト(命令)を持つ者はただの使臣ではない。
627:日本@名無史さん
09/04/28 09:25:57
命を奉じて何かをやる役職ってことか?
628:日本@名無史さん
09/04/28 11:22:46
>>441
さわりの方だけだけど、書き起こしてくれた有志がいるので参考までにコピペ。
581 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/04/27(月) 18:32:38
キャスター石沢典夫 立命館大学名誉教授山尾幸久 ホンイク大学教授キムテシク ナレーター?
石 この所のドラマや映画での韓流ブームで、日本と朝鮮半島の交流がずいぶんと進んだという風に言われています。
ナ 弥生時代中期には北部九州の人口の実に八割以上が渡来系で占められたと推定されます。
金 当時の日本人が積極的に先進文物を受け入れようとしてヌクトへ住み着いていたのです。
金 一世紀から三世紀にかけて日本列島に階級が生まれ、それを基盤にして小さな国、小国がたくさん生まれました。
そうした国々は勢力を拡大するために大陸や朝鮮半島に先進的な文物を求めました。しかし、小さな国ではより多くの
優れた文物を手に入れることは困難でした。そこで、他の国よりも優位に立つ為に小国の連合体が整えられていきます。
その過程で三世紀ごろ、日本列島に大和政権が形成されたと思われます。
ナ 古墳からは農具や工具など様々な鉄製品が見つかっています。豊富な鉄は武具にもなりました。金官加耶は鉄製の鎧や
兜で身を固めながら北の高句麗と対抗しました。こうした発掘調査によって加耶地域が金官加耶国を中心に独立した文化圏を
築いたことがわかってきたのです。
ナ シンギョンチョルさんは高句麗に圧迫された金官加耶が、倭に支援を求めたと考えています。加耶軍とともに戦った
倭人の存在が広開土王碑文に記されたのではないかとみています。
シン 古くから親密な加耶からの要請なので倭が来たのは間違いないと思います。しかし、当時の倭には加耶のような重装備
の軍隊は無かったので、同盟のような対等な関係での支援だったとは思えません。倭人は、加耶の鎧と兜で武装したので
現代の感覚でいう救援軍とは言えません。加耶軍の中に倭の傭兵が多く加わったので広開土王碑文に「倭」として現れたの
でしょう。
629:日本@名無史さん
09/04/28 11:26:02
>>626
でもそれなら任那大宰になるはずだろ
倭宰って表現だからそれと一緒にはできんよ
630:628
09/04/28 11:27:49
誤爆った・・・orz スマソ
631:日本@名無史さん
09/04/28 13:12:20
>>629
「大」がついてるかどうかなんてたいして関係ないと思うが・・・。
国司だって「くにのみこともち」なんだろ?
ところでこういう特殊な?読み方ってどこでしらべるの?
632:日本@名無史さん
09/04/28 13:18:55
教授の書いた本を授業で使うからといって買わされた
633:日本@名無史さん
09/04/28 13:23:33
>>631
地名の話をしてるんだが
筑紫に赴くから筑紫大宰、吉備に赴くから吉備大宰
任那に赴いてるのに倭宰
岩波あたりで日本書紀や続日本紀があって読みがわざとらしいくらい全部和語でふってあるし
角川の辞典でも○○とも読むって感じで古い読みをのせてたりするよ
634:日本@名無史さん
09/04/28 13:25:32
で、やたら高いんだよね。でも役に立ってるやん。(笑)
635:日本@名無史さん
09/04/28 13:40:48
倭という地名がもともと朝鮮半島南端を指す言葉だったりしてな
636:日本@名無史さん
09/04/28 14:09:01
>>618
宋書の夷蛮伝を読む限り、百済がこれに抗議した記述はないし、
百済側が、倭を含む称号を要求したとも記されていない。
ただ、倭国側も百済に朝貢を止めさせるほど強い影響を与えられていないから、
百済は独立国では有ったけど、倭国から軍事的支援を再三受けていたという状態かね?
637:日本@名無史さん
09/04/28 14:19:38
倭宰って鎌倉時代の造語だろ?
638:日本@名無史さん
09/04/28 14:37:46
倭王・武が宋に送った上表文には、
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた
海を渡って、平らげること九十五国」と書かれている。
年代的には、4世紀後半から5世紀初め頃か。
この頃、倭国の支配が朝鮮半島まで及んでいたのは、いろんな文献で
一致する。
639:日本@名無史さん
09/04/28 14:46:16
なんで百済の朝貢を止める必要があるんだ
640:日本@名無史さん
09/04/28 14:47:40
「任那之倭宰」
641:日本@名無史さん
09/04/28 17:23:58
>>639
「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」
の称号を認めさせるには、百済が倭の傘下であることを南朝に認めさせるのが一番。
南朝からすれば、倭王の随員として百済王が朝貢に来るなら、この称号も認められるけど、
依然として単独で朝貢に来てるんだから、百済との冊封体制は継続していると判断されるでしょ。
642:日本@名無史さん
09/04/28 17:58:53
というか、朝貢国が他国の属国になるのは宋としても到底認められないだろう。
倭国としても百済が宋の朝貢国になってしまっている以上、ごり押しは出来まい。
では百済に朝貢やめさせたらどうなるかというと、それはすなわち皇帝の徳が
東夷の倭王に劣るということになるわけで。皇帝ぶち切れる罠。
643:日本@名無史さん
09/04/28 18:14:56
そこら辺いい加減なだけだったんじゃね
それに朝貢は儲かるから弟分の百済に朝貢やめろとか
言いにくいとか
644:日本@名無史さん
09/04/28 18:21:09
儲かるとかじゃなくて、あらゆる知的な文物は
南朝から百済を通して来てたから。
645:日本@名無史さん
09/04/28 19:13:13
隋書の、「新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之」の
「多珍物」というのは、新羅や百済にとって珍しいものが多い、
つまり、日本独自のものが多かったというわけで、けっこう先進的なものを
発明していたという風に考えられる。
646:日本@名無史さん
09/04/28 19:46:01
>>642は藩属国と朝貢国を混同してる。
朝貢はどこの国の誰がしてもいいことで
どこかの属国であるかないかは関係ない。
647:日本@名無史さん
09/04/28 19:48:38
倭の珍物ってなんだろな。
山尾は玉、塩、生口を加耶に提供したとか言ってたが。
「魏志」にみえる青玉、真珠、丹ってとこだろうか。
これだと先進的というよりは天然の産物だな。
648:日本@名無史さん
09/04/28 19:59:35
>>647
「多珍物」のあとは、「並敬仰之」。並びに之を敬い仰ぐ。
すごい国だと尊敬している、というような感じだろう。
649:日本@名無史さん
09/04/28 21:14:15
唐になると席次で新羅の下になるんだよな
やっぱ白村江で負けたのが大きいな
650:日本@名無史さん
09/04/28 21:56:36
>>649
いや、負けた事よりも唐と戦ったことが全てだろ
同盟を組んだ国と、自分に刃向かってきた国では前者のほうが席次が良いのは当然
651:日本@名無史さん
09/04/28 22:02:10
吐蕃はしょっちゅう争ってるけど一位だぞ
意味合いが違うだろうけど
652:日本@名無史さん
09/04/28 22:10:57
唐は統一新羅とも争ってるけどな
653:日本@名無史さん
09/04/28 23:30:38
唐にとって日本は新羅や吐蕃に比べると遠いし
重要性落ちるからじゃない
654:日本@名無史さん
09/04/28 23:34:15
朝鮮南部には小さな国家群があり
それらをカヤと称した
任那はそのカヤのうちの一つで
そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ
日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった
これでオーケー?
655:日本@名無史さん
09/04/29 02:20:20
モンゴル系で海を渡る力を持ったものが日本列島に渡り日本人になった
そして渡れないものは半島にとどまり朝鮮人になった
サケの川登りと同じ理屈
656:日本@名無史さん
09/04/29 02:45:13
氷河期にマンモスを追って、シベリアに移動した人々がいた。
やがて、マンモスは絶滅。人々は南下を始めた。
樺太経由で日本列島に移動した人が日本人の祖先の一部となり、
大陸伝いに朝鮮半島に移動した人が朝鮮人となった。
という説もあるな。1万2千年ほど前の話ということだが。
657:日本@名無史さん
09/04/29 03:08:45
いずれにせよ サケの場合でいうと 川の上流まで上ったサケは強いが
滝の下でとどまってるサケは弱い ということ
658:日本@名無史さん
09/04/29 05:45:42
>>654
>任那はそのカヤのうちの一つで
好太王碑文や『宋書』でいう「任那」はそれ。
金官加耶って国(現在の金海市)で6世紀前半に新羅に併合される。
ところが、『日本書紀』に出てくる「任那」は加耶諸国全体をさす
場合がほとんど。『書紀』では、「内官家」(ウチツミヤケ)と呼ばれ、
「帝国日本に服従する諸蕃というかむしろ属領」という認識。
むろん、これは歴史的事実ではなく、無批判に受け取れるものではない。
>そこにあった日本大使館を日本府と呼んだ
任那日本府が『日本書紀』に現れるのは、金官国が新羅に滅ぼされた
後のことで、加耶諸国の一つ、安羅国(今の咸安郡)におかれたこと
から、「安羅日本府」とも書かれ、倭王から派遣された使臣からなる
上級官人と、現地の倭系安羅人からなる下級官人で構成される。
任那復興すなわち新羅に滅ぼされた加耶諸国を再建することを目的に
設置されたはずなのだが、倭王はこれをほとんどコントロールできず、
権力は現地出身の下級官人に握られ、親新羅的行動に終始した。
>日本府はニンナや他のカヤ諸国との外交窓口だった
日本府は加耶諸国の官人とともに、任那復興をとなえる百済王のもと
に呼び集められる。しかし、新羅同様に加耶諸国に対して野望を
抱いていた百済が大義をうたっても、それを見透かしている加耶諸国や
親新羅派の日本府が付いていくはずもなく、百済の目論見は失敗に終わる。
659:日本@名無史さん
09/04/29 07:48:39
>>658
ありがとう
よくわかりました
660:日本@名無史さん
09/04/29 08:04:42
>>659
>>658はただの自説だから。
661:日本@名無史さん
09/04/29 12:39:21
URLリンク(japanese.joins.com)
■「韓国修学旅行35年…宿題終える気持ち」 智辯学園の藤田理事長
「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ
> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ
> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ
> 「当初の韓国旅行は日本文化の根源を見るためだった。 飛鳥文化の中心である奈良の文化が
> 韓国から伝来したことを生徒に見てほしかったからだ
662:日本@名無史さん
09/04/29 13:39:51
いずれにせよ 今の韓国は 日本人の残りかすってことだろ
663:日本@名無史さん
09/04/29 14:28:32
学問板にはお呼びじゃないのに蛆のように湧いてくる嫌韓厨うざってぇ。
664:日本@名無史さん
09/04/29 14:52:55
この間の番組が話題に出ているけど
これってもっと違う形で番組を作れなかったものかね?
例えば、日本における通説と韓国の通説を紹介して
それぞれの共通点、違う点をだして
無理に一つの見解にしなくて良かったのにね
665:日本@名無史さん
09/04/29 18:08:00
NHKは前も歴史番組で古代に日本の朝鮮半島出兵はなかったと強調していたから
よほどこの事実は朝鮮人にとって嫌らしいな
666:日本@名無史さん
09/04/29 18:13:49
>>665
自分たちの三国史記にすら書いてある事実を否定するんだから、あの国の学者は何を根拠に学説を立ててるんだって話だよな
まったく、妄想で歴史を塗り固める事に関して朝鮮人に勝てる民族はないな
667:日本@名無史さん
09/04/29 18:31:39
>>662
残りカスと高句麗やその周辺の部族や民をバケツに入れて一色に混ざり合うまで
熟成させた奴ら。
668:日本@名無史さん
09/04/29 18:38:31
>>665
「日本軍」による古代の半島侵略は無かったと言ってるんだから
NHKは右翼だねw
669:日本@名無史さん
09/04/29 18:39:57
今朝鮮半島に住んでる人達を朝鮮人と呼ぶ事にする。
朝鮮人は百済人(被支配層と支配層も)、新羅人、高句麗人を自分達と同視してるが
現朝鮮人はそれらと高句麗北方&周辺の部族等とのブレンドだろーが。
日本人は縄文系の南からの人たちや北方の人達、百済新羅高句麗、バイカル湖周辺や
長江周辺等のブレンド。
670:日本@名無史さん
09/04/29 19:43:45
倭が傭兵だったとか見苦しいあがきで痛々しい。
671:日本@名無史さん
09/04/30 20:57:09
倭っていうのは江南あたりの海民っていわれてるよね。南方海民には他に東南アジア系もありますが。
この倭が大陸沿岸を開拓しつつ(港を開きつつ)容易に攻めてこられない列島に徐々に軸を移した。もともと文化水準も高かった。
で、この倭を橋渡しにしていろんな人たちが渡ってきた。百済や新羅や加羅もちろんですが、楽浪郡の漢人とか…
一方、日本列島にはすでに先住の人々がいた。
これでいい?
672:日本@名無史さん
09/04/30 21:46:53
時代も書いとけば良いかも
673:日本@名無史さん
09/04/30 21:48:58
>>660
>>658は「ただの自説」ではなく、ほとんど欽明紀の内容だ。
ただ、任那日本府が置かれたのが「任那の復興」が目的だったかというと、
それは欽明紀には書かれていない。
674:日本@名無史さん
09/04/30 22:03:20
それでは任那日本府はなんのために置かれたか。
ここから先が>>658ではない私の自説だが、任那日本府は全羅南道の倭領
を百済に譲渡した後の、倭人行政官たちの収容所だと思う。
収容所と言っても、安羅にしかるべき領地を提供させて、行政官たちを
領主の形で住まわせたものだ。
行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
ヤマトノミコトモチ」であった。それが失職して安羅で徒食していても、
便宜的にもとの職名で呼ばれていたのだ。
このような実態だから、欽明紀に表れるように、地位としては他の
任那諸国とたいして変わらないし、百済への反感から親新羅にもなるのだ。
675:日本@名無史さん
09/04/30 22:42:32
任那なんてちっぽけな存在はどうでもいい
朝鮮半島南部の新羅や百済が日本の勢力下にあったことははっきりとしているわけだから
676:日本@名無史さん
09/04/30 22:56:11
田母神乙
ネトウヨ乙
677:日本@名無史さん
09/04/30 23:16:42
嫌韓厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊
ひょっとして、もうこれ常識だった?w
678:日本@名無史さん
09/05/01 00:12:55
>>641
使持節都督
とはどんな役職なのでしょうか?
679:日本@名無史さん
09/05/01 01:15:05
イメージ的に節度使のちょっと弱い奴だな
節を与えられてそれに伴う権限も分与された奴、みたいな
680:日本@名無史さん
09/05/01 01:17:05
と思ったら違った
URLリンク(www.geocities.co.jp)
681:日本@名無史さん
09/05/01 01:22:59
>>673
>ほとんど欽明紀の内容だ。
バレたかw
さすが分かる人には分かるんだね。
>>674
>行政官たちは、元の地位にあってはまさに任那倭宰、すなわち「ミマナノ
>ヤマトノミコトモチ」であった。
『日本書紀』で用いられる広義の「任那」は、加耶諸国のことであって、
その範囲はおおよそ慶尚南道ほぼ全域および慶尚北道の一部。
したがって、御説で倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は
「任那」には含まれない。全羅南道は馬韓諸国の故地のはずだ。
よって、元の地位が任那倭宰だったというのには疑問符が付く。
それに、御説に従えば、その倭人行政官は「日本府」の上級官人になった
と思われるが、任地が全羅南道から慶尚南道方面に変わったとはいえ、
それなりに現地の事情に通じているはずの彼らがなぜ易々と下僚の倭系
加耶人に主導権を握られてしまったのかという疑問もある。
すなわち、「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
現地の情勢に暗く、倭系加耶人の下僚に頼るしかなかったのではないかと。
682:日本@名無史さん
09/05/01 01:24:23
>>678
「使持節」の「節」は元をたどれば割符の意で、将軍が皇帝から軍事に
関する専殺権を与えられていることの証。節刀や節鉞もこの類。
軍事専断権である節を持つ資格が、持節であり、権限の大きいものから、
使持節、持節、仮節とある。
都督諸軍事は、一定地域について皇帝の軍事大権を委任される官。
東晋や劉宋の時代には、州刺史や州将が都督某州諸軍事となって、
複数の州を管轄する場合があり、軍管区的支配を行ったという。
以上、山尾幸久氏の受け売り。
683:日本@名無史さん
09/05/01 10:18:03
もう一度日本が朝鮮を支配して調べればいろいろわかるかもね。
684:日本@名無史さん
09/05/01 10:24:39
奴らは日本側に有利となるような遺跡は埋めてしまうんだから
闇ですよ
685:日本@名無史さん
09/05/01 12:37:39
韓人 「我々に文化財がないのは日帝が全て燃やしてしまったからだ」
おまえら 「韓国に倭人の遺跡がないのは韓人が全て埋めてしまったからだ」
おまえら=韓人
686: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
09/05/01 13:18:36
∧_∧ ホルホル
<丶`∀´> ウリたち在日は韓国ネチズンやチョッパリ嫌韓厨よりも優秀な存在ニダ
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
687:日本@名無史さん
09/05/01 13:50:47
>>681
>バレたかw
>さすが分かる人には分かるんだね。
いや、欽明紀を解説してくれるのは大いに有り難い。
任那日本府が出て来るのはほとんど欽明紀に限られるのに、その欽明紀に
書かれた任那日本府の情けない姿が議論のベースになることがあまりにも
少ないから。
>倭人行政官たちがいたといわれる全羅南道は 「任那」には含まれない。
そんなことはない。継体紀6年12月の条に、百済が「表たてまつりて
任那国の上多利、下多利、娑陀、牟褸(ネなし)、四つの県を請う」とある。
同じ条のすこし後に「表に依りて任那の四県を賜う」とある。
もちろん、四県とは全羅南道にある倭の直轄領のことだ。
>「日本府」の上官は倭王の派遣した、おそらく交代制の使臣で、
元全羅南道の行政官だったのであれば任地では土着かつ世襲だったと思う。
なぜなら彼らは前方後円墳を築いたのだから。
安羅で現地人に実権を握られたのは、「居候」の立場だったからではないか。
688:日本@名無史さん
09/05/01 17:23:30
任那も新羅も百済も当時のヤマトから見ればちっこいちっこい
話にならんw
689:日本@名無史さん
09/05/01 18:04:17
>>683
35年間も支配しながら、大盛洞も前方後円墳も見つけなかったのに?
690:日本@名無史さん
09/05/01 18:51:23
>>689
古墳を調べる前に、原始的な朝鮮の社会インフラを整え、耕地を増やし、鉱工業を興し、
文盲の民に教育を施し、といった仕事がそれこそ山積みだったからね。
691:日本@名無史さん
09/05/01 18:59:56
韓国人って朝鮮総督府時代に分かった自分たちに都合の良くなかった事とか全部「日帝の捏造だ」とか言い張ってるよな
692:日本@名無史さん
09/05/01 19:52:22
>>690
ああ今のチベットで中国がしてることと同じだよね
693:日本@名無史さん
09/05/01 19:56:32
>>692
中共はインフラ整備はしてないと思うぞ
694:日本@名無史さん
09/05/01 20:08:24
>>692
ん? チベットが中国に併合を要請したとは聞いてないし、
ダライ・ラマを始めとする指導者層が、李王家や朝鮮貴族のように
特権階級として中国共産党に迎え入れられたとも聞いてないが。w
695:日本@名無史さん
09/05/01 22:51:42
>>693
チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?
696:日本@名無史さん
09/05/01 23:20:09
北京オリンピックにチベット人選手などいたか?
697:日本@名無史さん
09/05/01 23:28:34
証言の「断片」のみ放映―台湾の被取材者が怒る反日番組「NHKスペシャル/シリーズ・JAPANデビュー」
URLリンク(mamoretaiwan.blog100.fc2.com)
■心外だ!台湾人が排日と誤解される!
―NHKには利用された、騙されたという気もしている。日本に対するネガティブな印象のところだけ取り上げられた。
―台湾と日本との仲を引き裂こうとしているのだろうか。どうしてもそう見える。台湾へ来たことのない人が番組を見たらどう思うか。
―NHKのバックには中共がいるのだろうか。NHKは中共にブレーンウォッシュされているのだろうか。それとも遠慮しているのか。
■台湾の「親日」イメージ破壊としか思えない
■台湾人の心の蹂躙をも厭わない強烈な反日番組
NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』~今後の放送予定
・第2回「天皇と憲法」(仮) 5/3(日)PM9:00~
・第3回「貿易で立つ国家」(仮)
・第4回「軍事強国」(仮)
ETV特集 シリーズ『日本と朝鮮半島 2000年』(教育テレビ)~今後の放送予定
・第1回 太古 人々は海峡を越えた」(仮) 4/26(日)PM10:00~
・第2回「“任那日本府“の謎」(仮)
・第3回「仏教伝来 渡来人たちの旅路」(仮)
・第4回「白村江 敗戦ショックが生んだ‘日本’」(仮)
・第5回「環日本海 もう一つの道」(仮)
・第6回「モンゴルの衝撃」(仮)
・第7回「東シナ海 倭寇の真実」(仮)
・第8回「秀吉の侵攻はこうして行われた」(仮)
・第9回「朝鮮通信使 和解のために」(仮)
・第10回「江華島条約 韓国併合への道」(仮)
NHKおよび放送番組についてのご意見・お問い合わせ ●URLリンク(www.nhk.or.jp)
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総務省・ご意見ご提案の受付 ●URLリンク(www.soumu.go.jp)
首相官邸ホームページご意見募集 ●URLリンク(www.kantei.go.jp)
698:日本@名無史さん
09/05/02 04:15:03
>>689
原始時代の国を開発したんだからその労力は計り知れない。
何千年もタームワープしたんだぜ。
699:日本@名無史さん
09/05/02 08:43:01
>>695
>チベットまで鉄道を敷いたのはインフラ整備じゃないのか?
漢人を運び漢化しやすくするため。
チベット人にとっては迷惑な話。
朝鮮のように自ら「日本化を願った」のと訳が違う。
700:日本@名無史さん
09/05/02 10:49:10
好太王碑の改竄説は完全に否定されたのに未だに歴史の本じゃ「王碑の内容は疑問視されている」とか
「倭が朝鮮半島を支配した事実は無い」とか書いて訂正する気配はなし。どんだけ朝鮮に媚びてるんだか
701:日本@名無史さん
09/05/02 17:05:50
>>699
ほう、チベット人が願ったものでなければ鉄道もインフラじゃないのか。
702:日本@名無史さん
09/05/02 17:21:12
>>700
具体的にどこの歴史の本なの?
703:日本@名無史さん
09/05/02 20:42:54
>>701
インフラだよ。
しかし迷惑だと言ってる。
言っておくが俺は>693ではない。
704:日本@名無史さん
09/05/02 20:58:07
中共による「チベット開放」が1950年。経済支援が1980年代から。チベット鉄道全線開通が2006年。
日本は当時国家予算の20%を投入し続けてインフラ整備。人口は倍に。統治のためにそれこそ考古学の調査どころではなかったでしょ。
もちろん状況が違うから、単純な比較は厳しいし、ましてや「チベットで中国がしてることと同じ」と簡単に言えることではないですね。
705:日本@名無史さん
09/05/02 21:17:53
とうとうチョンがプライドのために
古代の日本の歴史まで手を付けはじめたという事ですか?
放送大学もNHKも普通に朝鮮から文化をもらったとなってるんですが。
706:日本@名無史さん
09/05/02 22:13:37
統治は政治家の仕事、考古学は学者の仕事で、交差することはないのだが。
707:日本@名無史さん
09/05/03 05:52:24
>>703
朝鮮の鉄道だって、当時の朝鮮人は「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
中国の義和団の乱も、民衆による、外国人が敷設した鉄道の破壊で始まった。
708:日本@名無史さん
09/05/03 07:29:56
>「迷惑だ」と言ったかもしらんよ。
かもしらんよではダメだ。
朝鮮人が日本化を希望し、
第三者から日本人に見られることを希望したのは事実。
実際、名前も日本風に変え、
中国大陸では日本人に化け、
中国人を積年のあだ討ちとばかりにいじめた。
その最低の朝鮮と、
希望もしないのに漢化を進められてるチベットを同じにするな。
709:日本@名無史さん
09/05/03 08:08:58
そのチベット人も、何十年かすれば名前を中国風に変え、外国では
中国人とみられることを希望するようになるさ。
大国による支配というものの、どうしようもない事実だ。
710:日本@名無史さん
09/05/03 08:42:24
>>709
アホか。
おまえは世界各地に亡命してるチベット人に対しても、
それと同じ事が言えるのか?
死んだって中国人と同じに見られたくないと思ってるはずだ。
711:日本@名無史さん
09/05/03 09:13:13
朝鮮には関わらない方がいい
712:日本@名無史さん
09/05/03 09:17:40
キチガイウヨが暴れて居マース
恐いでちゅねー
713:日本@名無史さん
09/05/03 10:04:33
>>709
中共のチベット併合から既に数十年たってますが
714:日本@名無史さん
09/05/03 13:33:10
>>713
インフラができてからの数十年だ。
インフラのおかげですでに中国人がなだれ込み始めている。
715:日本@名無史さん
09/05/03 13:42:27
>>710
朝鮮人にだって亡命者はいたさ。金日成もその一人だ。
716:日本@名無史さん
09/05/03 16:11:52
>>715
日露戦争後の名誉に憧れ、ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と、
ほとんどが死んでも漢人などになりたくないチベット人を一緒にするなドアホ。
717:日本@名無史さん
09/05/03 16:50:36
↑
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
>ほとんどが日本人になろうとした朝鮮人と
キチガイウヨ降臨w
718:日本@名無史さん
09/05/03 17:04:10
【韓国ブログ】百済王族の日本人子孫、1400年ぶりの墓参
URLリンク(news.searchina.ne.jp)
韓国日報が4月、ある日本人夫妻が韓国の益山市にある「武王陵」を訪れ、参拝したと紹介した。
千葉県在住の大内公夫さん夫妻は百済の聖王(ソンワン)の三男の琳聖(イムソン)太子の 45代目の
子孫にあたり「1400年ぶりに先祖の墓参りが叶ってとても嬉しい」と喜びを伝えた。
719:日本@名無史さん
09/05/03 17:35:22
■沖縄文明は韓国人が築いた
URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(上)
URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(中)
URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】消えた三別抄、実は琉球に逃れていた!?(下)
1273年に済州島から敗走した一部の勢力が沖縄へ
三別抄が沖縄でその瓦を使って建物を建てたのなら、今でも古代史の大部分が空白のままとなっている
沖縄の歴史において、かなり重要な意味を持つことになる可能性がある。
三別抄が韓国史の記録から消えた13世紀から、沖縄ではようやく農耕が本格化して人口が急速に増え、地域勢力が
成長し始めたからだ。あちこちに大きな城も築造された。一体どこから、そんな技術が突然流入したのだろうか。
720:日本@名無史さん
09/05/03 18:23:14
>>717
韓国名のまま出世した人もいたということは、
日本名を名乗ったほとんどの朝鮮人は、
自分達で望んで日本名をつけたという事だからね。
君の祖先の恥ずかしい歴史を直視しなさいw
721:日本@名無史さん
09/05/03 18:37:31
朝鮮人は源義経はチンギスハーンと同レベルな事を真顔で言っちゃうからタチが悪い
722:日本@名無史さん
09/05/03 23:53:12
>>720
内心、忸怩たる所はあったろうけどね。
しかし、特亜のやつらがアメリカに行くと、
ボブとかエリザベスとかセカンドネーム付けるのが普通らしいし。
自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。
723:日本@名無史さん
09/05/04 00:13:35
>>722
>自分の名前にプライドとか無いのかもしれん。
そりゃそうさ、今の名前だって中国人の名前をパクったんだし。
中国人より中国らしいしなw
724:日本@名無史さん
09/05/04 01:01:08
>>714
中国人がチベットになだれ込み始めて、その結果ますますチベット人の反中感情は高まってるようですけどね
言うこと支離滅裂ですな
725:日本@名無史さん
09/05/04 11:01:42
>>722
ああ台湾人が典型だよな
726:日本@名無史さん
09/05/04 16:56:29
正直、話を一度まとめて欲しいんだけど
南朝鮮における「大和王権の支配の痕跡」ってどうなの?
最近の教科書には「任那日本府はなかった」という記述があるけど...
奇説のまえに、日本学界の主流というのを聞かせてよ
727:日本@名無史さん
09/05/04 17:39:59
>>726
ほんとにそうなってんの?どこの教科書?中学高校?
728:日本@名無史さん
09/05/04 17:46:51
>>727
いやそもそもあった、なんてかいてる教科書なんてどこにあんの?
729:日本@名無史さん
09/05/04 19:37:38
スルーされてるのが現状と言う気がするんだけど実際のとこはどうなん?
730:日本@名無史さん
09/05/04 20:06:37
加羅地方が日本の影響下にあったのみならず
日本人が直接統治していたとなれば
朝鮮の金さんが悲鳴を挙げる
といってもペクチョンが殆ど勝手に子孫だと偽ってるだけなんだけどな
731:日本@名無史さん
09/05/04 20:08:08
日本人は別にあ~対馬の海を渡っていろいろやってたんだなってぐらいの認識なんだが
「金」さんからすれば絶対に譲れない問題
732:日本@名無史さん
09/05/05 00:00:05
数々の記述を無視し半島の反発を招かないように書いてある歴史教科書は
もはや歴史読本、歴史群像以下の価値しかない
733:日本@名無史さん
09/05/05 08:26:46
その他国の感情とやらが嘘と見栄を基にしてるんだから尚更始末が悪い
嘘と見栄に歴史がねじ曲げられてるってわけだ
734:日本@名無史さん
09/05/05 11:21:57
任那なんてなかったんだよ。
任那日本府なんてなかったんだよ。
735:日本@名無史さん
09/05/05 11:52:43
捏造日朝関係史はハン板でやれ。
朝鮮人は来るな!
736:日本@名無史さん
09/05/05 13:12:03
あのころの朝鮮半島は小国分立で戦乱状態。
かたや日本は安定かつ強大な政権があって超巨大古墳を造りまくり。
これを素直に見れば日本が朝鮮半島に勢力を拡大できても
その逆はありえないと用意に納得できるはずなのに
馬鹿チョンはそう考えられない。
半島から日本を追い出すことが出来たのは新羅の半島における勢力が
圧倒的になってから
737:日本@名無史さん
09/05/05 16:36:39
正史三国志に記述された三韓及び倭の戸数
馬韓(合計50余国)……10万戸 弁韓+辰韓(合計24カ国)……4~5万戸
倭(合計8国)……15万戸以上
倭の場合、邪馬台国は30ヶ国あまりの国を支配下に置いていたが、戸数が記されているのは大陸から邪馬台国の
道程にあった国だけである。他の20ヶ国以上は記されていない。全てを合計すると、邪馬台国だけで戸数は蜀を
上回っているだろう。倭はそれだけの人口を抱えていたのである。これだけでも、半島が日本に勢力を伸ばす
事など夢物語であろう。因みに当時の三国の戸数も記しておく。魏…64万戸 呉…52万3000戸 蜀…28万戸
738:日本@名無史さん
09/05/05 17:14:12
他の20カ国以上、てのの戸数が載ってる文献って何?
739:日本@名無史さん
09/05/05 18:10:55
>>101
まあお前がチョンならそれは困るんだろうけど
立ち退いてもらえるならそれでいいじゃん
土地は貰っておこう、人はいらないから
全部北朝鮮に移住してもらって、
ついでに在日と明治以降の帰化人も引き取ってもらおう
740:日本@名無史さん
09/05/05 18:32:51
>>739
おまえの発想はチョンそのままだなw
741:日本@名無史さん
09/05/06 09:34:59
>>738
737の数字は、魏志倭人伝だよ。三国志魏書東夷伝倭人条が正式かな。
742:日本@名無史さん
09/05/06 10:05:55
>>737 そのころの日本の人口は200万人くらいだから無理無理
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)
743:日本@名無史さん
09/05/06 10:08:27
あっ、60万の間違い
それから、>>734は学界の定説
古事記になくて後出しの日本書紀にある事が全てだ
744:日本@名無史さん
09/05/06 11:17:08
半島史料になくて後出しの日本書紀に書いてあることが、
ウリナラが日本に文化を伝えてやったニダ説の全てだ。
745:日本@名無史さん
09/05/06 12:07:14
>>742
200万人というのは、40万戸~60万戸くらい?
蜀の人口が28万戸で100万人弱、動員兵力10万強だっけ。
倭の統治機構は蜀漢ほど整備されてなかったろうが。
746:日本@名無史さん
09/05/06 14:25:37
>>743
そもそも古事記の後半は内容スカスカなわけだが。
747:日本@名無史さん
09/05/06 14:37:25
>>745
>>742は肝心な数字を書き間違えてすぐ下で60万に訂正してるうっかり者
だしな。w
>>742のリンク先の59万というのは小山修三説に拠っているんだろうけど、
現在は小山氏当人が弥生末にはすでに100万を超えただろうと訂正しているので、
倭国は少なくとも蜀(94万)以上の国力はあったことになるよね。
748:日本@名無史さん
09/05/06 15:50:25
>>747
なるほどインドはイギリスよりも国力があるわけだ
749:日本@名無史さん
09/05/06 16:24:33
>>748
産業革命以前は、人口イコール国力だと思って良い。
主要産業である農業生産に必要な労働力に、人間が欠かせなかったから。
750:日本@名無史さん
09/05/06 16:47:13
イギリスがインドのGDPを抜くのは20世紀初頭だっけな。とにかくインドの利益はあまりに
大きかったから統治に固執したんだよなイギリス
751:日本@名無史さん
09/05/06 18:25:03
小山や埴原なんて50年前の説だろ?
752:日本@名無史さん
09/05/06 21:47:13
蜀漢は塩や鉄を専売にしてたからさすがに倭より国力が低かったなんてことはねーよ
753:日本@名無史さん
09/05/07 17:10:25
>>705
5月から放映してる放送大学の「日本の古代」(2005年製作)を見たけど、
極端に朝鮮を持ち上げたりはしてなかったけど?
広開土王碑の解釈も、日本の軍事支配の時期はあったという方向だったし。
七支刀やら鉄剣やらも、百済が日本への軍事支援要請の贈り物というように紹介していたし。
ただし、「日本美術史」の先生の方は、従来的な、
朝鮮から文化が、というような事ばっかり言ってたね。
ただ、古墳壁画の源流の具体例は全部中国の物だったけど。
754:日本@名無史さん
09/05/08 03:03:42
倭国という凶暴な蛮族を、秦韓人の技術や律令、百済の仏教文化によって刺青も無くなり
民度が上がったのは確かかな。ただ未だに韓国は所詮新羅なんだなって思う今日この頃だ。
755:日本@名無史さん
09/05/08 04:47:03
百済から来ようと新羅から来ようと、日本人・百済人・新羅人の全てが中華の文明を求めていたのは事実。
名前まで中国風に変更する半島においては顕著だろ。
日本人の欲しかったのは中国の「先進」文化文明。
半島からの希釈されて味の無くなった文化文明では飽き足ら無かったのは事実。
実際、遣隋使・遣唐使によって日本の中華文化文明は形作られた。
仏教だって、鑑真・空海・最澄がリセットしてるし。
半島から伝わった仏教なんて、上書きされて影も形も無いんじゃねーの。
残っててもドマイナーだよ。
756:日本@名無史さん
09/05/08 08:38:54
>>754
アホ言え。日本は元から高いんじゃ。未だに新羅程度ってことは鮮人は元から低いってわけだ
757:日本@名無史さん
09/05/08 08:39:08
日本古代書は中国文化の陰陽と漢字表記だが、古神道や風土逸話などからもみれて、九州日向属と大和に出雲属 肝心の出雲は出雲属でなく渡来鉄属と箸文化持つ大山昨系で、後に大陸奥地から朝鮮半島流入王家と別者みたい。古代から亡命朝鮮からの秦はいて粗密入れる。
758:日本@名無史さん
09/05/08 10:07:06
自分とこの名前、地名を漢字で表記して
伝統的な動物名などからから好字二字名にかえたり
日本が中国風になってないとでも思ってるのか?
759: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
09/05/08 10:25:20
日本が中国風になってないとでも思ってるニカ!!
∧_∧
∩#`Д´>/ ̄ ̄/ バン
( ミつ_// LG / バン
{二二} 三三}
 ̄ ̄ ̄ ̄"
朝鮮は”中国風”じゃなくて、まんま中国名だよね。w
760:日本@名無史さん
09/05/08 15:41:25
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 古代 人々は海峡を越えた
URLリンク(www.nhk.or.jp)
この番組もひどかったぞ。北朝鮮シンパの極左の巣窟・立命館大学の山尾幸久名誉教授が、
高句麗広開土王碑文に見られる倭の半島出兵や任那日本府問題について、倭は伽耶の
鉄資源欲しさに、労働力として生口(=奴隷)を伽耶に差し出していた、彼らが現地で武器を
与えられて傭兵として戦わされた、という驚くべき仮説を出していた。当然、任那日本府を否定。
一緒にゲスト出演していた韓国人学者と同じような立場。どこまで卑屈な日本人学者なんだ。
そして、どこまで卑屈な放送局なんだ、NHK!
さらに、番組の最後の方で、石澤典夫キャスターに「日朝交流史を考えるうえで一番大事な
ことはなんでしょうか?」と問われた山尾名誉教授は、「両国の歴史認識の溝を埋めることです。
そのためには日本側が外部から、韓国側から日本史を見るという見方が必要です」という感じの
回答をしていた。週刊新潮が指摘したように、このシリーズの未来は見えた。「韓国から見た
日朝交流史」ということだろう。しかも、それが真実であるという放送。第2回「“任那日本府“
の謎」(仮)の内容も見えてきた。
週刊新潮 [ 2009年04月23日号]
歴史歪曲と「台湾人」も激怒したNHK「超偏向」番組
4月5日の冒頭番組で、NHKは<未来を見通す鍵は歴史の中にある>と高らかに宣言している。
とすれば、このシリーズの<未来>にも直近の<歴史>である第1回放送で露呈した「超偏向」の
姿勢が見え隠れするのである。
眉に唾しつつ「シリーズ・JAPANデビュー」の今後を見守ろう。
URLリンク(s02.megalodon.jp)
スレリンク(news4plus板)
URLリンク(s02.megalodon.jp)
761:日本@名無史さん
09/05/08 15:53:59
>>760
ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」
朝鮮から日本に輸入した鉄の対価に日本から「生口」つまり奴隷が輸出されて、輸出された
日本人が傭兵として戦場で消費されたという立命館大学の山尾幸久名誉教授の説明は、
初耳だった。
URLリンク(bugswebblog.at.webry.info)
山尾幸久名誉教授の創作だとしたら、そういう歴史の語り口は乏しい資料から古代朝鮮に
日本の植民地を創作した戦前の歴史家と同類だということだ。
URLリンク(bugswebblog.at.webry.info)
朝鮮史研究会論文集 第15集 山尾幸久 「百済三書と日本書紀」
URLリンク(www.zinbun.kyoto-u.ac.jp)
朝鮮史研究会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URLリンク(ja.wikipedia.org)
制作統括:塩田純
ゲストは、NHK番組制作局の塩田純氏。南京大虐殺の史実にも踏み込んだNHKスペシャル
「日中戦争~なぜ戦争は拡大したか~」で文化庁芸術祭テレビ部門大賞を受賞するなど活躍している。
URLリンク(www.geocities.jp)
ブログテーマ[嘘つき朝鮮人]|朝鮮歴史館
NHK ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 第1回 古代 人々は海峡を越えた
最後のクレジットで番組制作を指示するディレクターの名前を見たら、「田容承」、案の定在日だった。
学問を装っているが、実際には一方の仮説を証明する証拠だけを取捨選択している。つまり、
朝鮮民族の自慰史観に沿う仮説だけを放送している。
URLリンク(ameblo.jp)
762:日本@名無史さん
09/05/08 17:18:16
■天皇家の起源は韓国 朝鮮が本家で日本は分家
海音寺 「魏志倭人伝」の記述を真正直に読めば、倭の境は朝鮮半島にありますね。
つまり、三国志の頃の中国人は南朝鮮から日本列島にかけての地域全体を倭・日本と考えていたのですね。
ですからおそらく南朝鮮の人間と日本人とは同種族でしょう。
司馬 同じだと思いますね。 「古事記」だったか「日本書紀」だったかにも、スサノオ尊は朝鮮南部とさかんに
ゆききして、晩年はソシモリというところに隠棲したということになっておりますね。
その子のなんとかの命も、日韓を往復し、朝鮮の植物をうんと持って来て日本に植えた、ということになっていますね。
海音寺 辞林の著者の金沢庄三郎博士・あの人は言語学上から日韓同祖説を唱えていますね。
同祖説の最初の人ですね。
今日の日本の学者の中にもそういう人がいないではない。
騎馬民族説の江上博士なぞは、向うの方から、征服民族ですが、渡って来ているといってるんですね。
古代の一時期、朝鮮南端は日本の天皇家及び天皇家をとりまいている貴族らの根拠地であったという風に、江上博士は言ってますね。
最近の朝鮮の学者たちにもその説の人が多く、こっちが本家で、日本が分家だという説なんですね。
URLリンク(www1.megaegg.ne.jp)
つまり朝鮮半島南部の百済人や新羅人が日本列島に移住して大和朝廷を作ったということで決まりだね
実は天皇家も百済王家の分家だったということで子孫は韓国人だったわけだ
763:日本@名無史さん
09/05/08 18:15:49
ま、任那なんてなかったんだけどね。
764:日本@名無史さん
09/05/08 18:45:47
海音寺潮五郎、司馬遼太郎、松本清張、黒岩 重吾などの小説家が歴史を語っても何も意味がないのだが。
765:日本@名無史さん
09/05/08 18:48:18
自分たちの先祖が作った歴史書にも同時代の中国の書籍にも
「日本の属国」
って書いてるのに、どうしてこうねじ曲がった考えするのかね。
766:日本@名無史さん
09/05/08 18:58:29
どこに、そのような内容があるのでしょうか。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
767:日本@名無史さん
09/05/08 23:20:13
>>761
山尾はそんなことは言っていなかったが。
もしかして、貴方は日本語が母国語ではないのかな
768:日本@名無史さん
09/05/09 01:19:10
>>767
傭兵の話は韓国人学者の方だと?
両者全体としてそういう話だったよ。
769:日本@名無史さん
09/05/09 01:58:49
>>760
立命館に破防法を適用しよう。
スレリンク(kyousan板)
救う会兵庫副代表 岡田和典
「広田さんの出身校が立命館大学(京都)であることにも触れなければ
ならない。同大学卒業生には七人という他大学を圧する多数の特定失踪者が
存在する。私事で恐縮であるが、私もまた社会人学生として昨年法学部を
卒業した立命館大学卒業生である。出身校を悪く言うのは心苦しいが、
今なお同大学の教授陣は左翼人脈のオンパレードであり、履修したい講義が
なく履修届の際に苦労したものである。もちろん大学内に拉致に関与した者が
いたかどうかは今後の真相解明を待つところであるが、」
URLリンク(www.sankei.co.jp)
「更に、立命館大学の経済学部、経営学部出身者が数人、5年、10年の
周期で失踪していることも判明した。
URLリンク(www5f.biglobe.ne.jp)
特定失踪者問題協議会 荒木和博代表
「大学でいうとですね立命館、この中にもひょっとしたら立命館のご出身の方が
おられるかもしれませんが。立命館の卒業生が他の大学の卒業生に比べて、
非常に多いんです。7人、非公開の方を入れて7人、そういうようなことがありまして、
どうもですね、これは普通ではないというふうに思うようになりました。」
URLリンク(imaxel.no-ip.com)
770:日本@名無史さん
09/05/09 02:07:59
◆拉致・特定失踪者、学校や学歴に共通性 「選定者」存在か
URLリンク(sakura4987.exblog.jp)
【拉致問題】特定失踪者問題調査会、立命館大に失踪者8人の調査協力を要請 [12/18]
スレリンク(news4plus板)
【拉致】 なぜ立命館大生が集中的に狙われた?~学校関係者や周辺に工作員や協力者がいた可能性が高い [01/23]
スレリンク(news4plus板)
★立命館大学に複数の失踪者 教職員が関与か?★
スレリンク(asia板)l50
【社会】1998年に三重で失踪の女性、北朝鮮に拉致か?【辻出紀子さん】
スレリンク(dqnplus板)
【拉致新疑惑】捜査当局が拉致事件で再捜査 10年前に失踪の辻出さん
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
辻出紀子
1993/04 立命館大学法学部(政治行政コース)入学
URLリンク(210.230.1.139)
『フライデー』 2008年9月26日号
18人目の拉致被害者なのか─「10年目の不安と希望」を両親が激白!
【三重】失踪美人記者《辻出紀子さん》 本誌が掴んでいた「北朝鮮との接点」全情報
771:日本@名無史さん
09/05/09 02:39:41
>>760-761
234 名無しさん@九周年 New! 2009/05/08(金) 16:42:34 ID:uC6UASyz0
>>232
これ録画で最初の部分だけ見たが、
水田稲作の伝来を、纒向遺跡で発見された紅花の花粉から、
無理矢理こじつけ、朝鮮半島、あるいは中国経由で日本に伝わったとしていたな。
遺跡で発見された稲穂の年代測定で、朝鮮半島経由はありえないことが、
定説になりつつあるのに、まったく紹介せず。
日本から朝鮮半島への米の伝播について・稲作の伝播のまとめ
URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)
韓国人教授が、しきりに、「先進技術を学ぶために朝鮮半島に・・」と、
言っていたのにはワロタ
772:日本@名無史さん
09/05/09 03:55:38
>>769
立命の建物の裏階段は「民青新聞」「赤旗」「祖国と青年」「京都新報」が山積みだった記憶がある。
今は知らんよ。
773:日本@名無史さん
09/05/09 06:51:05
■ETV特集「第1回 古代 人々は海峡を越えた」 日本と朝鮮半島2000年
この番組で立命館大学名誉教授 山尾幸久教授が認めたこと
1 稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島から日本に伝えられた
2 任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅が高句麗と戦うために倭が欲しがっていた鉄と
引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと
3 仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた
4 7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけて先進文化を
吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした
[感想]
まるで韓国人のお陰で日本が成立したと言わんばかりの番組だったね
稲作も仏教も半島南部に住んでいた倭人達も、そして古代日本国が形成されたのは滅亡した
百済・高句麗から渡来してきた貴族や高官達のおかげみたいな言い回し
しかも山尾教授が認めてたw
韓国の学者は一貫して先進文化は韓国から日本に伝わったと主張を最後まで変えなかったのに
日本の学者のへたれぶりに呆れるよwでも事実だから仕方ないかw
774:日本@名無史さん
09/05/09 07:40:28
>>771
たとえその教授の言う事が事実でも、先進文明があるからそれを手に入れるためには命をかける。
そういう気概が大事なんだけどな。
朝鮮人がよく言う、高いところから低いところに流れる様に文化が云々。
そんな受動的な態度で文化や文明は手に入らないよ。
19世紀の日本と中韓の対応の差に如実に現れている。
真剣にヨーロッパを学んだ日本と日本の成功を見てから動いた中国。
何もできなかった朝鮮。
日本人が先進文明を欲しがったら朝鮮半島にある文明なんてすぐに涸れ井戸状態。
底が浅いのは目に見えている。
775:日本@名無史さん
09/05/09 08:30:10
半島を倭が占領していた史料は相変わらず無視かw
日本由来の武具がたくさん出土することを誤魔化すために
日本人傭兵云々という詭弁をひねり出したわけだ
776:日本@名無史さん
09/05/09 08:34:08
高天原は朝鮮半島で、天孫降臨神話は半島から渡来した勢力による征服の神話化。
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長。
777:日本@名無史さん
09/05/09 08:53:40
どこに、そのような内容があるのでしょうか。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
778:日本@名無史さん
09/05/09 09:07:25
>>773
1 稲作は最新文化や技術を持った朝鮮半島南部の倭人集団から日本の倭人集団に伝えられた
2 任那日本府とは鉄製の技術を持っていた加羅(倭人国家)が高句麗と戦うために列島倭人が欲しがっていた鉄と
引き換えに倭国人を労働力として雇いついには戦争に戦闘要員として利用したりした
朝鮮半島南部にたくさん移り住んでいた倭人の集落群のこと
3 仏教は中国から百済を経由して日本に伝わったが、百済は単なる仏教の中継地点ではなく
日本はあくまで百済仏教を輸入した、中国仏教ではない百済人が選んだ百済の仏教を
日本は受け入れた、それによって飛鳥文化が誕生し言語(音読み・訓読み)が生まれた
後に半島経由では仏教の真髄が得られないので遣隋使、遣唐使を留学させて直接、インド仏教をサンスクリット原典で学んだ。
4 7世紀末、百済と高句麗が滅亡し多くの百済人や高句麗人達が日本に移民した
大半が貴族や高い知識を持った高官達で大和政権は彼らを高い役職につけてシナ、インド、西域の先進文化を
吸収し日本の古代国家の形成に大きな改革をもたらし日本を成熟した国家にした
779:日本@名無史さん
09/05/09 12:38:05
>>775
ホントに連中は、狂気の沙汰だな。
百済は、傭兵隊長のところに太子を人質に出すのか。
780:日本@名無史さん
09/05/09 13:23:19
>>773
「労働力」という言葉も使ったが、それより「生口(=奴隷)」という言葉も出したことが重要。
「卑弥呼が魏帝に生口を献上した」というのと同じで、明らかに、朝鮮半島に対して日本を
貶める目的での発言だよ。
781:日本@名無史さん
09/05/09 13:26:54
今日の13時30分から、BS2で、
例のETV特集日本と朝鮮半島2000年(1)「古代 人々は海峡を越えた」の放送があるよ。
見られなかった人は、今すぐテレビつけて。
782:日本@名無史さん
09/05/09 13:43:26
NHKってなんであんな韓国びいきの(ねつ造)番組つくるんだ
奴隷や生口、もしくは倭軍の戦闘の上官に前方後円墳なんて作るだろうか
相当位の高い人が加羅に駐在してなければあんな古墳作らないだろ普通
でもそこはスルー
783:日本@名無史さん
09/05/09 14:35:44
駐在したからって駐在先に古墳つくらんわな。
古墳つくったと言うことは現地で個人的な動員力があった=現地を支配していた ということ。
784:日本@名無史さん
09/05/09 14:41:16
新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。
785:日本@名無史さん
09/05/09 14:58:43
鉄と交換できるような倭の産物と言ったら「翡翠」「貝輪」と「生口」くらいしか無いだろう。
生口と言えば、女は性奴隷兼家事労働、男だったら戦闘要員つーのはもっともな用途。
これは事実として認めなくては。
同じことは、世界中、何時の時代でも行われていること。
ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。
軍団単位で輸出されて、それが現地の勢力を凌いでしまい、半独立状態になり、
半島南端部に倭人集団が形成されたのだと思うよ。
786:日本@名無史さん
09/05/09 15:02:25
鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
エジプトにもマムルーク朝ってあるんだが
787:日本@名無史さん
09/05/09 15:02:28
>>784
> 新羅が奴隷や傭兵の母国に人質まで差し出すかよ?
> 半島の歴史書にまで書いてあるんだからさ。
> 内外の史料が一致しているのに認めないなら、歴史学なんて成り立たないだろう。
人質を差し出すような国相手だからと言って、奴隷を輸出したはいけないのか?
現代のアメリカやロシアだって、日本に売春婦を「輸出」してくるじゃないか。
788:日本@名無史さん
09/05/09 15:04:23
>>786
> 鉄と交換で傭兵輸出するんだったら、その傭兵で国ごと乗っ取っちゃえばいいじゃん
> 倭に傭兵頼まなきゃならんほど軍事力が劣ってるんだから、乗っ取りも簡単でしょ
出来ればやりたいところだったろうが、そうは行かなかったみたいだね。
もっと強いところ(唐)が出張ってきてしまったので。
789:日本@名無史さん
09/05/09 15:06:26
>>785
交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
もらったのは、むしろあっちの方だろ。
790:日本@名無史さん
09/05/09 15:15:51
>>788
広開土王碑が建てられたのは414年
唐の建国は618年
脳に蛆でも湧いてるの?
791:日本@名無史さん
09/05/09 15:24:23
>>789
韓と倭の接点
韓伝の最後に辰韓・弁辰の二十四国の中に弁辰涜廬(とくろ)国という国があり倭
と界を接している、と記されています。「東西海をもって限りとなし、南は倭と接す」か
ら始まって最後の段で、「弁辰涜廬国、倭と界を接す」となっているので、三韓(馬
韓、辰韓、弁韓=弁辰)とは別のものとして倭があり、その倭と接しているのは弁辰
涜廬国である、という理解になると思います。
一方、倭人伝では行程上最初に出てくる倭地が狗邪韓国です。ということを素直
に読めば弁辰涜廬国と狗邪韓国が界を接しているということになると思います。この
両国がどの辺りであったかということですが、涜廬は韓国読みではトンノとなるよう
で、釜山の少し北方にある東莱(トンネー)が発音も近く、有力候補と考えられます。
一方、釜山からは縄文土器が沢山見つかっており、縄文時代から日本列島の人々
と交流があったことを示しております。また、その中心部には「カヤドン」と呼ばれて
いる場所があります。以上はわずかな痕跡ですが、狗邪韓国は洛東江の左岸(東
側)の釜山付近が最有力と考えられます。
URLリンク(home.b06.itscom.net)
また、半島南部の海岸地帯の中央部付近には浦上八国と言われた倭人の国々
があったと考えられます。位置的には弁辰の西南になると思われます。卑弥呼が魏
に使者を遣わした時代の少し前になりますが、三国史記の新羅本紀によれば、奈解
王14年(209)に浦上八国が伽耶を攻めるので伽耶が新羅(辰韓)に助けを求め、新
羅が兵を派遣して浦上八国の軍勢を破ったという記録があります。このことから考え
て半島南部の倭人の国々はかなりの勢力を持っていたと考えられます。
URLリンク(home.b06.itscom.net)
第232回 魏志倭人伝を読む その3
URLリンク(yamatai.cside.com)
792:日本@名無史さん
09/05/09 15:25:51
>>791
魏志倭人伝の距離に関する記述からして、「其の北岸狗邪韓国」を倭国領としなければ
計算が合わない。これが後の広開土王碑文に出てくる任那加羅や任那日本府と
直結しているのだろう。
793:日本@名無史さん
09/05/09 15:27:33
犬猫寄生虫ジャマイカw
論理的に物事を筋道たてて考えられるようなら
韓国人なんてやってられないわさ。
794:日本@名無史さん
09/05/09 15:29:17
>>790
> >>788
> 広開土王碑が建てられたのは414年
> 唐の建国は618年
> 脳に蛆でも湧いてるの?
200年かかって、結局挫折したんだよ。
795:日本@名無史さん
09/05/09 15:31:43
>>792
578 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 02/03/25 23:19
狗邪韓国が邪馬台国連合を形成していた一国であるかどうか諸説があるが、私は魏使が
そのように認識していたことは確実だと思う。倭国に向けて出航し狗邪韓国に到着した
表現が「其の北岸…」とあり、また魏志「韓伝」には「韓は帯方郡の南にあり、東西は
海を持って限りとし、南は倭に接す」とある。また魏志「弁辰伝」にも「徳盧国は倭に
接す」とある。また魏と通交している倭人の国は30ヵ国あるとしているが、狗邪韓国
から邪馬台国までで9ヵ国、その余の旁国とされた国々が21ヵ国であるからちょうど
合うわけである。 ●弁辰涜盧国(大邱=倭と界を接す)
URLリンク(www.uzumap.com)
URLリンク(mentai.2ch.net)
796:日本@名無史さん
09/05/09 15:36:01
>>789
> >>785
> 交換してもらうどころか、もともと半島南部は古代から倭人の勢力範囲だったろ。
> 騎馬民族かなんかが来たみたいだけど、倭国に傭兵にしてもらって住まわせて
> もらったのは、むしろあっちの方だろ。
鉄が出るの弁辰域だが・・・・そこを倭人が支配していたとも思えないが。
魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと書かれているが別物だよ。
半島南端部に倭人国が在ったとか言う説もあるにはあるが、
九州側の倭人は鉄を得る為には奴隷貿易が必要なことに違いは無い。
797:日本@名無史さん
09/05/09 15:42:17
>>794
なぜ200年かかって挫折したの?
軍事力を他国に頼ってる状態でなぜ200年乗っ取られずに済んだの?
1次史料に基づき理由を述べてね、脳軟化症患者くん
798:日本@名無史さん
09/05/09 15:46:03
「広開土王碑」には倭を誇張して書かれているとか言ってたな
韓国の学者は戦闘要員として送り込まれた倭人達があまりにたくさん増えて
高句麗と戦ったので倭人と戦ったと勘違いしたんでしょうとか言ってたw
つまり「広開土王碑」に記載されてるような高句麗と激戦を繰り広げていたのは
金管加羅の軍隊でありその中に派遣されてきた倭人を高句麗軍は倭と戦っていたと
勘違いし広開土王碑に書き込んだと・・w
んなわけないだろwww
799:日本@名無史さん
09/05/09 16:00:26
>>785
韓国の古墳にクスノキの棺 鉄の見返り、日本から運ぶ?
朝鮮半島からもたらされた鉄の見返りに、日本から何が運ばれたのか。古代史最大級の
謎に、新たな仮説が登場した。木材だ。韓国南部の古墳で昨年、朝鮮半島では自生しない
クスノキの棺が発見されたからだ。中国を含む東アジアに特定の樹木を貴ぶ文化があった
という新しい歴史像も浮上している。
木棺が見つかったのは、慶尚南道昌寧郡の松●洞古墳群(全23基)の7号墳(5世紀末~
6世紀初頭)。当時一帯は加耶(かや)と呼ばれ、小さな国がいくつもあり、7号墳は、そうし
た国の支配者のものとみられる。
国立昌原文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長が1月に早稲田大で開かれた研究会
に参加し、調査の概要を日本で初めて報告した。
木棺は長さ3.3メートル、幅0.8メートル、高さ40センチほどで重さは258キロ。科学的分
析の結果、昨年秋クスノキと判明した。
照葉樹のクスノキは朝鮮半島には自生しない。済州島にはあるが、大きく育たない。古墳の
構造や土器の様式から、昌寧一帯は新羅の強い影響下にあったとみられるが、済州島は
新羅と敵対する百済の領地だった。台湾や中国南部にはあるが、これも遠隔地。こうした点
から、「近い日本から運ばれた可能性が高い」と池所長は考える。
魏志倭人伝にも倭国の産物としてクスノキが記されている。虫がつきにくく長持ちするのが
特徴で、特産品として知られていた可能性が高い。
分析結果を受け、早稲田大の李成市教授(朝鮮史)は、過去に韓国の古墳で発見された木
材類を改めて調査。すると、百済や新羅の多くの古墳でクスノキやコウヤマキの木片があっ
た。コウヤマキは日本にしかない木だ。
ソース:朝日新聞2006年2月20日付け記事
800:日本@名無史さん
09/05/09 16:19:26
>>796
>魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?
801:日本@名無史さん
09/05/09 16:39:18
>>797
現地の将軍たちがヘタレだったからだろう。
ヘタレぶりは日本書紀に書いてあるとおりだ。
所詮、出稼ぎ軍団だ。
目先の小さな利益に拘って大利を逸したのだ。
実際、チャンスがあったかどうかは知らんが。
それとね。
キミの煽りは実にツマラナイ。
オレの脳みその心配なんかしてるヒマがあったら、
自分の将来のことでも考えた方が善いと思うよ。
802:日本@名無史さん
09/05/09 16:42:18
>>800
> >>796
> >魏志韓伝に書かれている弁辰は倭に風俗は近いと・・・・
> 弁辰住民も鯨面文身習俗と書いてあるというの?
>今辰韓人皆褊頭。男女近倭、亦文身(魏志韓伝)
803:日本@名無史さん
09/05/09 16:42:32
>>798
ほんと都合の良い推論だなぁ
804:日本@名無史さん
09/05/09 16:52:11
>>785
>ただ、あまりに大量に倭人が輸出されたので、その存在が大きくなりすぎてしまったのだ。
どこに、そのような内容があるのでしょうか。
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