任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】at HISTORY
任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】 - 暇つぶし2ch232:日本@名無史さん
09/02/25 19:54:06
しかしあれだな、古代に韓国が日本列島の全てを支配していた
なんて歴史はちっとも嬉しくないよな。
何のために日本列島に進出したんだろう?
当時、倭にはいろいろな生口が集積してからそこに接点
を求めたんだろうな。むしろ不思議なのはどうやって鮮卑族が沸いたか
ということだよな。東は韓国、南はシナだからいるところないじゃん。

233:日本@名無史さん
09/02/25 20:18:21
>>232
ネタにさえなってない。
ダセぇw

234:日本@名無史さん
09/02/25 21:08:28
古代は、国なんて関係ない。国境なんてのも、あってないようなもの。
となると、九州地方からすれば、近畿地方や関東地方に行くよりも、
朝鮮半島の方が近い。
大陸への足場にもなるし、たいした国があるわけでもないし、資源も
あったろうから欲しいといえば、欲しかったんだろうな。

現代と違って、古代は、国とか民族の意識は希薄だっただろう。
ただ、損か得か、あるいは強いか弱いかだけの世界だっただろうと思う。

235:日本@名無史さん
09/02/25 22:13:33
>>230
やはり知らなかったな。勉強になったろう。
古代~中世日本の国境が南に広がるという、ニッポンマンセー諸君を
喜ばせてくれる遺跡なのだから、くさしてはいかんな。

236:日本@名無史さん
09/02/25 22:22:48
明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
先史時代で決まっていたはずのもの。
言葉は文字よりずっと先に生まれていなければならないのだから。



237:日本@名無史さん
09/02/25 22:50:20
ちょっと前に、あちこちのスレで、
「沖縄の大和化は中世以降の表層的なもので、
それ以前に『朝鮮半島から高麗人が南下渡来して「文明」を伝えたのだ』などと
「ムー」もびっくりのワケワカラン電波を飛ばして荒らしまくっていた、在沖朝鮮人じゃね?
まともに相手するのはやめとけw


マジレスすれば、沖縄の大和文化の南下は3期に分けられる。
「間が途切れる」というのが、大和と沖縄を分ける分水嶺だ。
大和以外は(不思議なことではあるが)中華帝国の表層的影響しか受けていない。
台湾から南西諸島へというルートも実はほぼ皆無。
まともに海に漕ぎ出せない朝鮮など論外。
その3期の最初は、弥生後期に、九州から、人と文化がパッケージになって一気に南下した。
これが、「ハ行P音」などに残っている。
その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
これが、アクセントなどに残る(沖縄方言アクセントは鹿児島や長崎のアクセントと完全に同系)
これにより、沖縄は急速に国家形成期を迎える。
最後は、中世末から近世にかけて、薩摩が南下したことでもたらされたもの。


238:日本@名無史さん
09/02/25 22:55:28
網野善彦とかは東西で文化が違うとか東国国家論とかで日本人を否定して
リベラル気取ってるけど、

だったら有史以来民族ってものは世界に一つも存在しなくなるだと。と。

239:日本@名無史さん
09/02/25 22:58:43
>>228

>捕らえられた俊寛が配流された島が鬼界ヶ島(この島が現喜界島かどうかについては異説があるらしい。
 でも、今回の訪問で確信を持ちました。

これに対して一言。

240:日本@名無史さん
09/02/25 23:20:15
そういえば弥生時代~古墳時代まで本土で見つかる貝製腕輪って、
沖縄・奄美でしか採れない種類も多いんだよね。
沖縄人が本土と交易していた証拠だろうね。

241:日本@名無史さん
09/02/25 23:26:07
>>204
>沖縄の大和言葉は二次的なものだ。
>めんそーれ(いらっしゃいませ)
>みじらしゃん(美しい)
>にへーでーびる(有難う)
>これらの語源を分析して見よ。

これらは方言だ。
方言の例で日本語でないとなれば、
日本中の日本語が日本語ではなくなる。

242:日本@名無史さん
09/02/26 04:08:04
>>223
つまり沖縄は日本だな

243:日本@名無史さん
09/02/26 07:05:00
>>226>>227

櫻井さんが言ってたのは百済の武寧王の血筋のことではなく古墳時代、もしくは
さらに溯る弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響のこと

皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし天皇も自身で認めた発言してる
それ以前にも新羅王族の血や高句麗の血が入ってると言いたかったんだろう

王室だけでなく蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw


244:日本@名無史さん
09/02/26 07:23:39
>弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響

そんな時代にそんな国あるかよw

荒らしは消えてくれねぇか?

245:日本@名無史さん
09/02/26 10:44:02
>>236
>明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
>先史時代で決まっていたはずのもの。

それは、アイヌも先史時代から日本人だというのと同じ。

>>237
>その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
>これが、アクセントなどに残る

もうひとつある。沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
沖縄にあることを考えなければならない。

>>241
私は沖縄語が日本語の方言であるともないとも言っていない。
ただ、沖縄語と平安末期の日本語との関係を示しただけ。
ある言葉がある国の国語(あるいはその方言)であるかどうかは言語学上の
問題ではなく、政治的な問題だ。
だから沖縄の言葉を「沖縄語」ではなく「日本語の沖縄方言」と国が決めれば
その通りになるし、
仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
ではなくなるのだ。




246:日本@名無史さん
09/02/26 10:46:14
>皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし

入ってるね。
属国から献上された女がいるしねww

>蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw

またその話?
語呂あわせは聞きあきた。

247:日本@名無史さん
09/02/26 10:49:07
>仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
 ではなくなるのだ。

スイスはどう説明するんだ?

248:日本@名無史さん
09/02/26 10:52:32
>>245
>沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
>異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
>沖縄にあることを考えなければならない。

そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw

249:日本@名無史さん
09/02/26 10:56:39
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう

250:日本@名無史さん
09/02/26 13:31:31
>>247
>スイスはどう説明するんだ?

スイスはフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語を国語として
国が決めたから、他国の国語がスイスの国語でもある。
すべては「政治的」だ。

>>249
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう

そうかも知れないが、京都弁で「してはる」などとして残る丁寧語尾
「おはる」が九州方言に存在した時期があったとは思えない。
(前記のように沖縄語では「めんそーれ」に痕跡がある)

251:日本@名無史さん
09/02/26 13:38:17
>>250

そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw



252:日本@名無史さん
09/02/26 13:45:03
>>248
>そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
>沖縄だけを統治したという事になるなw

統治だけでは言葉が変わらない証拠に、沖縄は200年にわたって
島津藩の「統治」を受けながら、鹿児島弁は沖縄に普及しなかった。
だから江戸時代も沖縄人と鹿児島人は互いに「共通語」で意思疎通した。

前にアクセントの話があったが、それと併せてオがウになるなどの
発音の傾向は、たしかに鹿児島弁と共通するが、これはまた九州方言
ぜんたいの傾向でもあるから、南日本に共通の「基層」だと思う。

253:日本@名無史さん
09/02/26 13:48:34
>>250
そんなレベルで方言史を語っているのかよorz

SがHに変化することはあるが、
SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ?ヴォケ。
沖縄人と朝鮮人は、どんな宇宙人の口の構造をしているんだw

京都弁の「はる」は、「なさる」→「さる」→「はる」だ。
「食べはせん」が「食べへん」、「お花さま」が「おはなはん」になったのと同じ。

254:日本@名無史さん
09/02/26 15:50:54
>>253
>SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ

これがわからん。なんのことを言ってるのか?

255:日本@名無史さん
09/02/26 16:33:56
沖縄と本土の言語や文化の類似を言うなら、
縄文、弥生、古墳時代からの交流を言うべきであり、
平安時代の大宰府の出張所ごときで本土の影響を受けたなんてアホすぎ。
しかもその出張所とやらは沖縄で見つかったわけじゃないし。

沖縄をなめてるんじゃねぇか?

256:日本@名無史さん
09/02/26 18:44:16
話をブッた切りで悪いが

新羅の昔氏は倭人って事で見解は一致してるんだよな?


257:日本@名無史さん
09/02/26 19:37:02
昔脱解と瓠公は倭人でしょ。
朴赫居世も瓠公と一緒に渡来したんじゃないかな。

258:日本@名無史さん
09/02/26 20:03:59
>>255
>沖縄は大和言葉だね。 沖縄は畿内から見て、
>朝鮮より遥かに遠いのに、 黒潮で繋がってるんだね。

君は>>200でこれを書いた本人だろう。
これは「沖縄はむかしから日本だ」と言いたいのではないか?
沖縄は沖縄だ。
沖縄語が日本語方言のように見えるのは特定の時代/地方の
日本語の表層をかぶっているからだ。
沖縄をだしにして朝鮮論議をやるな!

沖縄をなめるんじゃねえ!

259:日本@名無史さん
09/02/26 22:31:18
URLリンク(ja.wikipedia.org)

[琉球列島(旧琉球王国領域)の言葉は、日本語の一方言(琉球方言)とする場合と、日本語と系統を同じくする別言語(琉球語)とし、日本語とまとめて日本語族とする意見があるが、研究者や機関によって見解が分かれる]

一方言ならもちろん、別言語だとしても「系統が同じ」ならそれでいい。

>>258
ドアホ。
お前の言うように「日本語の表層をかぶっている」のではない。

260:日本@名無史さん
09/02/27 02:56:28
>>257
㌧。


261:日本@名無史さん
09/02/27 03:13:26
任那日本府ってのは日本書紀の用語であって
リアルタイムでは「倭宰(やまとのみこともち)」であり
「みこともち」っていうのは在地の世襲首長ではなく派遣官。
しかし弁韓=加羅諸国には在地の首長がいた。
つまり、もともと倭宰が治めていたのは四県二郡といわれる馬韓地域。
全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう。

:馬韓地域は社会階層の分化形成が弁韓辰韓に比べて遅く
:国家形成が未熟な段階にあったことが魏志東夷伝から窺えるし
:(首長ランキングの違い、城郭の有無、文化など)
:日本書紀でも弁韓辰韓の勢力には「国」の字を使い旱岐という君主がいたことを伝えるが
:馬韓地域には「邑」の字を使い政治勢力の存在を記さない。

ところが四県二郡は継体朝になってから百済に下賜されてしまった。
既存の役人は事実上失職したが建前上は地位を保って
百済の統治についての監督権を保持したが
百済は倭王から下賜されたので自分の領土のつもりだから
当然彼らを慇懃無礼に追い出した。
日本府の役人は田舎の親戚に対しては朝鮮で羽振りを効かせてるってことになってて
仕送りもしてるしたまに帰れば威張ってるわけで今さら故郷に帰れない、
だから朝廷政府としては名目上の役職も地位も与えたつもり。
結局彼らは加羅諸国の中心である安羅国に寄寓して「やっかいもの」になったわけだ。
彼らの頭には天皇への忠誠も倭国の国益も、微塵もない。
ただ百済への怨念があるだけ。それで新羅派になってるだけ。

262:日本@名無史さん
09/02/27 03:41:18
>>243
チョン電波乙

263:日本@名無史さん
09/02/27 08:51:05
>>261
>全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう

それについては、雄略天皇が倭から東城王(末多王)を護送する際に
付けた筑紫の軍士500人や同時期に高句麗を迎撃したという筑紫安致臣
・馬飼臣と関係するという説もあるね。
百済王を護送して、はいさよならというわけにはいかなかったろうから。

264:日本@名無史さん
09/02/27 08:59:02
倭式の古墳は全羅道だけではない。

265:日本@名無史さん
09/02/27 09:36:20
全裸道?まさに倭人の居住地にふさわしいなw

266:日本@名無史さん
09/02/28 00:14:21
日本と朝鮮半島を分け隔てなく行き来する勢力があったが統一された王権ではなかった。
そのうち新羅が統一されて、朝鮮半島では他の勢力を駆逐。
日本のみに残った勢力が統一された王権を築いて大和朝廷成立。

こういう流れだろ。


267:日本@名無史さん
09/02/28 00:52:03
>>266
意味不明だ。

新羅が統一(成立)するより早く、
3世紀には大和朝廷が成立してるのだが。

268:日本@名無史さん
09/02/28 00:57:44
大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?
3世紀の大和朝廷の話を全部信じてんの?

269:日本@名無史さん
09/02/28 01:21:41
URLリンク(www.geocities.jp)

新羅の語源は案外これかも。
全部、海や川の「水」に関ってるし。

270:日本@名無史さん
09/02/28 01:24:34
>>268
>大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?

継体天皇陵を今城塚と見るなら、
前方後円墳体制は大和朝廷と見るのが自然だろ?
ならば3世紀となる。

271:269
09/02/28 01:28:16
訂正。
水に関ってるでなく「岩」ね。

272:日本@名無史さん
09/02/28 01:28:20
前方後円墳を造る勢力が大和朝廷になったと見ればいいだろう。
朝鮮半島にも在るんだし。

273:日本@名無史さん
09/03/01 23:55:26
>>272
朝鮮人の詭弁歪曲の典型みたいな論法だな。
日本の方が古くからあり、数多くある。
全羅道に飛び地があったら
日本からいったと考えるのが普通だろうに。

274:日本@名無史さん
09/03/02 00:08:56
272はそう言ってるんだと思うよ。

275:日本@名無史さん
09/03/02 10:15:20
>>272
前方後円墳って「まんが日本史」では渡来系の技術指導者に日本人が
コキ使われて作ってるんだなw



276:日本@名無史さん
09/03/02 10:21:08
>>275
実際当時の韓国人と倭人の力関係なんてそんなもんだろ。

277:日本@名無史さん
09/03/02 10:54:05
>>275
明治のお雇い外国人と同じでしょ。
まんがでも現場の責任者は倭人だったよ。

278:日本@名無史さん
09/03/02 11:25:16
URLリンク(www.youtube.com)
「まんが日本史」新羅に敗北した

え、百済と新羅を属国にしうたんじゃないの?w


279:日本@名無史さん
09/03/02 11:58:32
>>275
5世紀以降は優れた土木技術を持っていた秦氏が指導した可能性が高い。
しかし何度も言うが秦氏は韓国人ではない。
秦氏や東漢氏のような優秀な民族が日本に来てからは、
韓国には残りカスのような人間しかいなくなった。
韓国のぶざまな歴史がそれを証明してる。


280:日本@名無史さん
09/03/02 12:36:19
>>278
新羅はやればできる子。
削除されて見られないよ。


281:日本@名無史さん
09/03/02 13:55:32
>>250
「はる」は九州方言にもある。沖縄の「めんそーれ」は
「ご免候らえ」(ごめんそーらえ)からきてるんじゃなかったっけ。

282:日本@名無史さん
09/03/03 00:59:58
>>274
272は江上波夫タイプの騎馬民族説だろ?

>>275-276
70年代の階級史観だろ?

>>279
秦氏や漢氏は半島を経由しただけで、
もともと朝鮮系ではないでしょう。

283:日本@名無史さん
09/03/03 03:33:14
>>275
漫画日本史てw
一次史料はどうした

>>278
そ、属国にしたんだよ
その後中国に負けてしまったがな

284:日本@名無史さん
09/03/03 14:57:32
>>279
そう思いたい気持ちは分るが秦氏は新羅系だよ
広隆寺や平安京、伊勢神宮の創建などにも関り聖徳太子のブレーンにまでなっている
偉大な韓国系渡来人

猿楽、能楽、観阿弥、世阿弥も秦氏が日本に広めたもの
後に土佐の長宗我部氏となり、徳川の幕臣川勝氏なども秦氏の末裔達
古代日本の渡来系最大勢力の秦氏は日本を文明国に導いた先生でもあった




285:日本@名無史さん
09/03/03 15:38:00
しまず(なぜか変換できない)も秦氏だね。
近代日本は韓国人によって作られたわけだ。


286:日本@名無史さん
09/03/03 16:47:20
>>284
そう思いたい気持ちは分かるが、
秦氏は来日を新羅に邪魔されたのだが。
つまり「秦氏」と「新羅」は別物なんだよね。
残念だったね。

287:284
09/03/03 17:27:57
>>286
言われてみればその通りだな
御指摘サンクス

288:日本@名無史さん
09/03/03 18:51:06
>>286
新羅に邪魔されたと言うソースは?
ウィキにもそんなこと書いてし秦氏は新羅系なのは否定しようがない
ユダヤ系とか言われてるけど根拠はないね

289:日本@名無史さん
09/03/03 18:52:17
>>285
つ「しまづ」

290:日本@名無史さん
09/03/03 19:02:34
>>288
調べろボケ

日本書紀誉田天皇 十四年 百済の弓月君(ゆつきのきみ)が誉田天皇に対し、
百済の民人を連れて帰化したいけれども新羅が邪魔をして
加羅から海を渡ってくることができないことを告げる。
天皇は襲津彦を加羅に遣わして百済の民を連れ帰るように命令するが、
三年なんの音沙汰もなくなった。
誉田天皇 十六年八月、天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)に
「襲津彦が帰ってこないのはきっと新羅が邪魔をしているのに違いない、
加羅に赴いて襲津彦を助けろ」といって、加羅に兵を派遣した。
新羅の王はその軍勢に怖じけづいて逃げ帰った。
そして襲津彦はやっと弓月氏の民を連れて帰国した。

291:61
09/03/03 20:01:51
>>266
朝廷成立の部分は限定しなくてもいいと思いますが

要点は、血統、言語、基底文化(中国の技術とかではなく、習俗。)などが同じ集団が半島にあり、日本にもあった。
日本、朝鮮半島の他集団の政治体制が整えられていくなか、

出遅れた馬韓地域の集団は上の理由で交流の深い大和政権への依存度を強めていった。

と思えます。

292:日本@名無史さん
09/03/04 03:16:50
チョンの妄言は止め処ないな

293:日本@名無史さん
09/03/04 20:10:44
伊達政宗の先祖も五大摂家の鷹司家と共通の藤原氏だそうだよ
つまり伊達家は奥州藤原氏で百済系の血筋

また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね

294:日本@名無史さん
09/03/04 20:31:02
>また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね

朝鮮人は次々と「韓国系」を作っていくな。


295:日本@名無史さん
09/03/05 03:47:57
まず藤原氏がチョン系なんてのからして愚鈍なチョンの妄想だからな
妄想しかないのがチョン

296:日本@名無史さん
09/03/05 10:06:37

弥生後期 質素な木製よろい 奈良・大福遺跡
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

>後ろ板の破片(高さ37センチ、幅19センチ)は、
>背中の形に合わせて湾曲させるなど精巧に作られていた

これらが後の金属製よろいにつながるのは言うまでもない。

297:日本@名無史さん
09/03/05 10:36:07
>弥生後期 粗末な木製よろい

さすが倭人、未開の蛮族w

298:日本@名無史さん
09/03/05 12:01:02
>>297
木製短甲まで日本に教えてもらった情けないチョンw

299:日本@名無史さん
09/03/05 21:39:01
秦氏は中国系帰化人。
一応秦の始皇帝の子孫と称している。
日本帰化したいが、
中国から来朝する途中百済に留め置かれているので、
連れに来てください、と大和朝廷に申し出て、
日本(倭)から人を出して迎えにいっている。
かなりの人数の職能集団だったので、
百済や新羅も国から出したくなかったに違いない。
弓月から秦という名の変更は、秦の始皇帝の子孫と称するためと、
養蚕、絹織物の技能を持った集団だったので、
ハタ織りのハタからきているともいう。
なお、朝鮮半島から来た帰化人も百済系だとか新羅系だとか高句麗系だとか、
はっきりそう称している。
ならば、秦氏がそう称しても問題はないはずなのに、
秦の子孫だというのはそれなりの根拠がなければ称せられない。
余談だが、
かつて日本に羽田首相が誕生した時に、
中国ではこれで日本に中国の血を引く指導者が誕生した、
という報道もあった。


300:日本@名無史さん
09/03/06 00:06:08
ハタと秦、どっちが先にあったのやら。

301:日本@名無史さん
09/03/06 03:37:33
チョン半島には鎧がなかったからな

302:日本@名無史さん
09/03/06 07:49:31
「はた」を朝鮮語の「パダ(海)」だという説がアカデミズムにあるらしい。
海を越えてきたから「海氏」だと。
なら渡来人はみんな海を越えてきたのだから、みんな秦(海)氏にならないと変だよな。
東漢や西文がいる意味がなくなる。
アカデミズムったってこんな程度さw

303:日本@名無史さん
09/03/06 08:33:09
チョンの妄想は尽きないなw


304:日本@名無史さん
09/03/06 08:52:18
新羅に波珍飡(海干)とうい官位もあるな
この官位は初期の新羅で倭国と関係のある人物に与えられている

305:日本@名無史さん
09/03/06 17:54:22
>>296>>298
URLリンク(blog-imgs-41.fc2.com)
弥生後期 質素な木製よろいだった頃韓国では・・・
カッコイイ~

306:日本@名無史さん
09/03/06 18:21:53
我々日本人は列島だ・・・orz

307:日本@名無史さん
09/03/06 19:24:27
>>305

見えねぇぞ、しっかりリンクしる!



308:日本@名無史さん
09/03/06 19:39:12
>>307
韓流ドラマの「朱蒙」のページのようでつ

309:日本@名無史さん
09/03/06 20:38:29
チョンは千数百年前のことでしか日本に勝てないわけだなwwwwwwwwww

310:日本@名無史さん
09/03/06 20:43:46
よし、まず千数百年前惨敗であったことを倭人が認めたぞ。
一歩前進だな。

311:日本@名無史さん
09/03/06 22:32:02

コイツ日本語読めてねぇw
いや、読めてるけど論理的思考ができねえのか?ww

312:日本@名無史さん
09/03/06 23:20:11
「チュモン」の甲冑ってカッコよすぎ
チュモンは高句麗の祖だから紀元前50~60年頃か
日本はまだ裸足で稲作やってた時代

313:日本@名無史さん
09/03/06 23:53:19
そんな時代にそんな甲冑ねぇよ

314:日本@名無史さん
09/03/06 23:54:34
俺考古学やってて、中国やら韓国の高句麗関係の日本語訳の書籍見ることあるが…
こいつはあまりに脚色しすぎだろ。

315:日本@名無史さん
09/03/06 23:58:29
こんなこと言ってるから
朝鮮人は差別されんだよ

316:日本@名無史さん
09/03/07 00:06:33
韓国の考古学会も可哀そうだよな。
実際、一部を除いて向こうは任那とか倭製青銅器とか前方後円墳とか
ヤマト王権の活動を認めてんのに、周りがガイキチだから思うように
動きが取れない。

317:日本@名無史さん
09/03/07 00:33:50
つかまじめな考古学者はどうしてるんだろう?
韓国とは言え学会はまともだろうと思いたいが
調査してけば世上に流布してるのとは違うものが幾らでも出てきちゃうだろうし

318:日本@名無史さん
09/03/07 01:32:23
自然科学の分野でも捏造論文を出すような風土だから大変だろうね。

319:日本@名無史さん
09/03/07 01:46:00
>>313
紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代にもう日本で言う
戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある
大将クラスでない一般兵の甲冑なんか秦の歩兵団の甲冑と非常に似ている
武将クラス(信長や信玄)の甲冑は秦の時代の方が皮製品で模様も複雑でカッコイイ
高句麗のチュモンに出てくるやつもたぶん始皇帝や副官達の甲冑をモデルにしたと思われる
マントも付いてるしねw

日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので兜以外は
見栄えがよくなく肩当も秦や高句麗のものと比べれると小さくてダサイ
日本でカッコイイのは兜だけかな


320:日本@名無史さん
09/03/07 04:00:50
>>319
お前のソースは最近の創作ウリナラファンタジーだろがw

321:日本@名無史さん
09/03/07 10:02:32
>>319
>紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代に
>もう日本で言う戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある

高句麗にか?
高句麗という国が紀元前37年頃からなのに何で紀元前200年頃の話になるのだ?

もしあるのなら画像貼ってくれないか。

>日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので

韓国などと言うな。
古墳時代の衝角付冑は弥生時代の革製が進化したからあぁいう独特の形になったと言われてる。

322:日本@名無史さん
09/03/07 10:11:00
>>312
>チュモンは高句麗の祖だから紀元前50~60年頃か
>日本はまだ裸足で稲作やってた時代

その高句麗のあった地域は、
今では稲作をしても国民が飢えてるねw

323:日本@名無史さん
09/03/07 11:33:09
>その高句麗のあった地域は、
>今では稲作をしても国民が飢えてるねw

高句麗の偉大さがよく分かるね。

324:日本@名無史さん
09/03/07 11:36:26


偉大な高句麗がとっくの昔になくなって残念だね。w





325:日本@名無史さん
09/03/07 18:50:08
>>310
チョンは一度勝つと永久に自分の方が優位に立てると思っているのが笑える


326:日本@名無史さん
09/03/07 21:59:12
>>321
違う、紀元前180年頃の秦の時代に優れた皮製の甲冑があったってこと
だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない
と言いたかっただけ

つまりドラマ「チュモン」の甲冑は不思議でも何でも無いということ
日本の戦国時代(1550年頃)より700年も前に秦が、そして高句麗が
カッコイイ甲冑や戦闘着を制作していたと言う事実を知るべきだな

327:日本@名無史さん
09/03/08 00:32:22
>だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない

無理。
甲冑の製作技術は非常に高度なものを必要とするし、そもそも高句麗が中国文明に
本格的に接し始めたのは楽浪郡を滅ぼしてから。

考古学的根拠も無しに妄想垂れ流すんじゃない。

328:日本@名無史さん
09/03/08 03:33:20
>>322
品種改良のまだ進んでいない時代に朝鮮経由で稲作が伝わったなんていうのが
電波だとはっきりとわかる事例だなw

>>326
ただの願望の垂れ流しw

329:日本@名無史さん
09/03/08 18:49:46
任那が滅亡した原因は楽浪帯方が滅亡した原因と同じで
駐留軍が本国に撤退したからなんだよね

330:日本@名無史さん
09/03/09 04:14:29
秀吉軍が負けたと言われる理由も撤退だからね。


331:日本@名無史さん
09/03/09 04:33:28
秀吉の死で撤退しただけだし
半島に建設された日本式の城は戦闘でひとつも陥落しなかったし
中国軍の将軍の報告書がどっかに上がってたが、かなりボロボロの状態だったみたいで、
もうちょっと長引いたら北京まで日本軍をさえぎるものは何もなかったって書いてあったな

332:日本@名無史さん
09/03/09 04:55:00
日本の武将で戦死した人がいないらしいしね。
一人、のん気に鷹狩かなにかしてる最中に、
土民に殺された例があるだけと聞いた。
北京まで押さえるのも可能であったろうが、
いかんせん日本の武将たちにその気がなかったみたいだねw


333:日本@名無史さん
09/03/09 05:12:31
何で秀吉は朝鮮経由にこだわったんだろうな?
半島南部は押さえてたんだから、そこ経由で海路で大陸にも上陸して
補給路を絶っていたらよかったのにと思うが
中国軍の海軍は侮れなかったのか

334:日本@名無史さん
09/03/09 07:18:42
事実上、朝鮮は10万を超える明の援軍によってかろうじて生き残ったようなもん
明の軍隊の戦死者は3万人ちかいと記録されてるし、朝鮮に至っては8~9万人
の死者がでた、加藤清正率いる侍軍団に恐れ、日本に攻めれないように通信使まで
送ってるのに韓国の教科書には

「我が優秀な韓民族が海を渡って攻めてきた倭人を打ち破った」

「朝鮮通信使が日本に優れた文化をもたらした」

だからねww

335:日本@名無史さん
09/03/09 15:42:11
古代、朝鮮半島南部にあった秦韓はユダヤ人の国で、そこを拠点に弥生人を侵略して日本という国を作ったんですよ

336:名も無き大阪人 ◆c68ywQ2shI
09/03/09 20:33:26
>>335
それなんて言う、テレビ東京??

337:日本@名無史さん
09/03/10 03:20:17
>>296
後一枚、前は左右二枚造りで後の鉄製短甲と類似してるな。

338:日本@名無史さん
09/03/12 12:44:30
>>299-300,>>302
「はた」と清音になったのは後世の訛りで
古くは「はだ」と濁音。
「はだ」と「秦」はもともと由来がことなる別系統の言葉。

始皇帝の秦は西方からきた異民族が当時の中国文明に同化したものであることは
よくいわれる。が、西戎系とする意見が多いのは問題。
それなら秦を侮蔑する時には「秦戎」とでもいえばいいのに
実際には秦の侮蔑語は「秦狄」。そして秦は西戎とは長いこと敵対関係にあった。
戎も狄も後世には混淆して方角の差にすぎないような用法が主流になるが、もともとは
戎が山岳牧畜山岳民(主にチベット系)をさすのに対し狄は草原の遊牧民をさした。
草原の遊牧民にはモンゴル系・トルコ系・イラン系があるが、古い時代には
北はトルコ系、西はイラン系が主流であり、モンゴル系は少数派だった。
「はだ」は中央アジアにいた「月氏」というイラン系の種族。
月氏という字は当て字で、他にもいろいろな漢字で書くが
この名は今のウイグルにあるホータンに由来し、
ホータン(今は「和田」と書いてる)の古い書き方は
「于填」で古い発音では[yu-tu]に近い音に当て字したものらしい。
「月氏」も上古音では[yu-tu]に近い。
ホータンは機織りが盛んで英語もコットンの語源にもなってる。

「秦」という漢字はシナの語源とされるが、正しくない。
古い発音はシンとは似ても似つかぬもので「趙」と発音が似ていた。
そもそも秦と趙は同じ「贏」という部族名が
北方訛りと西方訛りに分かれただけのようである。
(贏エイ・趙チョウ・秦シン、は現代日本の読みで
先秦時代の古い発音ではどれも[diong]に近かった)
秦氏は諸侯として自立前は、西周時代以来
趙氏に仕えていた時期が長くその分流と自称したので
漢代以前には公式には
姓は「贏」姓、氏は「趙」氏ということになっていた。

339:日本@名無史さん
09/03/12 12:47:47
>>302
日本の学者は韓国での発掘に参加させてもらいたい一心で
日頃から朝鮮人様に媚びまくってるくせに
国際学会で中国人学者様から
「実際には半島系の帰化人の方が優遇されてるのに
わざわざ偽ってまで大陸系と自称するはずがない」
とつっこまれると一言も反論できずニヤニヤ愛想笑いしてるだけ。
こんなキモい連中に志も信念もあるわけないだろ。

340:日本@名無史さん
09/03/12 12:49:43
>>322-323
遼東郡や楽浪郡などを併合する前の高句麗は
農地に適さない痩せた土地しかない険阻な山岳地帯
(中朝国境)を国土にしていた。
三万戸しかないのにそれすら食糧自給できないほどだった。

341:日本@名無史さん
09/03/12 12:59:58
>>304
『日韓上古史の裏面』みたの?
それとも2chの過去ログで漏れの昔のレスみたのかなw

342:日本@名無史さん
09/03/12 13:03:26
>>305-326
韓流ドラマ『朱蒙(チュモン)』はまったくの創作ファンタジーで歴史考証はゼロ。

343:日本@名無史さん
09/03/12 13:15:09
>>331-334
スレ違い。

344:日本@名無史さん
09/03/12 16:52:53
朝鮮人は、高句麗を祖と考えてるのか?
それとも、南部の韓?を祖と考えてるのか?

両方ってことは男としてありえないよな。
ヤマトとエミシ両方が祖です、と言うようなもんだろ。

そもそも、高句麗ってのは固有の民族名っぽいが
韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
中国人の植民地っぽくみえるのよな。
韓国人はその点をどう考えてるのかね。


345:日本@名無史さん
09/03/12 20:31:24
高句麗も扶余も新羅も百済も伽耶も、
都合よくみんな祖と考えてるらしいよ。


346:日本@名無史さん
09/03/12 20:32:58
植民地っぽくじゃなくてそもそも朝鮮は中国人の植民地から始まったろ。
奴らは檀君を建国者と考えてるようだが、実際に考古遺物や史料で確認できる朝鮮半島最古の
国家は中国人の衛氏朝鮮だし。

南部の韓はそもそも国家の体を成して無かったし。

347:日本@名無史さん
09/03/12 23:53:01
ウム。「韓」では、中華の一部分以上になることは無理。
日本人は倭を自己のヤマトの当て字として、また呼ばれてきたが
このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。

そこで、まず、なぜ「韓」が半島にあるのか。
これを考えなければならんと思う。

自分で韓を名乗る・・・これは中華民族だな。
漢や唐、倭が韓と呼んでた・・・・当て字で韓を当てただけと言う可能性もある。
この場合は、では彼らの自称はなんだったのか、と言う問題が生ずる。

日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから大倭(大和)を当て字とした。
半島はなんなのか?
もともと韓=中華民族なのか
それとも自称の発音名「???」があり、他の国から韓を当て字として呼ばれていたのか。


348:日本@名無史さん
09/03/13 01:22:10
>>344
>高句麗ってのは固有の民族名っぽい

いや、戦前には「高句麗」を純粋に漢語とする説もあった。
ちょっと詳細は忘れてしまって覚えてないのだが、漠然とした記憶で書けば、
:「高」は山岳地帯、高地であることを示す。
:「句」はギクシャクと曲がった様子。
:「麗」は山々が並び続いていること、ただしこの地の特産の「果下馬」を念頭においてあえて「驪」とした。
:つまり険しく曲がりくねった道を登っていった山中の高地。
中朝国境山岳地帯の最も中心部であるところの地名としてぴったり。
この説の是非にかかわらず、そもそも高句麗って単語は
固有の民族名じゃなくてもともとは漢帝国が設置した県の名。
中国語の地名、「玄菟郡の管轄下の高句驪県」という名の、
中国人が建設した植民都市であるという事実に変わりはない。
だから、反中意識が高まってくると「高句麗」という国名を嫌って
五世紀中頃(450年頃?)にわざわざ「高麗」と改名したんだよ。
中国はそれをよくわかってるから半世紀も改名を認めなかった(520年公認)
:ところで、高句麗王国の領内には「~忽」という地名がいくつかあり、
:この「忽」は「コル」と読んで城(=城郭都市)の意味らしい。
:そこで、高句麗の「句麗」も城を意味する固有語だという説があるが
:そもそもの高句麗県は県(地方行政の単位である城郭都市)で
:県は建設物としては「県城」というぐらい。だから他の県も
:すべて「~句麗」だらけ、にならないとおかしくないか?
:単に「高県」でいいのになんでここに限って高句驪県なのだ?
要するに「高句麗」が固有語だなんていうのは
「奈良はウリナラのナラだ」というのと同じで
なんでも朝鮮語にしようとする電波説。

349:日本@名無史さん
09/03/13 01:27:58
>>344
>韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
>中国人の植民地っぽくみえるのよな。
>韓国人はその点をどう考えてるのか

「韓」 はただの当て字で、原語の「ハン」は民族固有語。
ハンという古朝鮮語に溯る言葉は、
「天」「大」「人」「光」「白」など、22の意味をもち、
宇宙の根本原理を表わす言葉である。

…ということだそうです、ハイ。

350:日本@名無史さん
09/03/13 01:53:36
>>345
その通り。
もう少し詳しくいえば、露骨なナショナリズムが憚られるような場面では
「穢(わい)」「貊(はく)」「韓(かん)」の三系統の混血で
朝鮮民族が形成されたみたいなことをいう。
(注・この段階ですでに電波)

しかし本音が吐露できる場合には
穢・貊・韓はいずれも渤海湾を囲むように分布した
「東夷」族が分かれたものであり(注・これも電波)、
その源流は「古朝鮮」(注・また電波)だ、などという。
ツングース系の「粛慎」と「朝鮮」は発音が似ていて
もとは同じもの(注・これも電波)。
よって古朝鮮はツングース系(注・また電波)。

朝鮮語は日本語と同じく近隣に同系の言語のない「独立語」だが
なぜか朝鮮人自身は「アルタイ語ニダ」「ツングース語ニダ」と
やたらにいいたがる理由はこれでわかったろう。

ちなみに李朝時代にも
「半島の諸民族はすべて檀君の子孫で同胞だ」
と主張した人物がいたが、これは例外中の例外。
当時、半島の東北部(今の慈江・両江・咸鏡)は半島国家にとっての新しい領土。
このは女真族の居住地だったところで、住民の和合をはかる上で
北方系の神話が混淆した檀君は都合よかったんだろう。
実際に古代の諸民族あげて「みな檀君の裔」と
いってるその中に邑婁や沃沮が出てくる。
邑婁は女真族の祖。沃沮は今の咸鏡道。

351:日本@名無史さん
09/03/13 02:08:27
>>347
三韓の”韓”と戦国の七雄の”韓”はルーツが同じだが、どっちかが起源ということではない。

西周の初期に今のペキンのすぐ南(現在の地名では「固安」)に「韓」という都市国家があって、
それが「ふたつの韓」の共通の起源にあたる。(周の武王の弟が侯爵として封建されたもの)
周の成王の時、今のペキンには燕が建国されて入れ替わりに韓侯は山西省の西南(韓原)に
国替えになった。
その時に都市国家の市民は移動せず取り残され「韓」を姓として河北省方面に
散らばった。
だから後世まで河北省には韓という姓が多かった。
項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物もこの韓氏の一人。

戦国時代の「韓」というのは。
この西周時代の韓は、山西省の西南(韓原)に移転した後、前757/756年には晋に滅ぼされてしまう。
その跡地は、晋の公室のひとり、「萬」なる者に封領として与えられた。
これが戦国時代の「韓」のはじまりです。この人が韓武子(韓萬)で、
戦国の七雄の”韓”の初代にあたる。(韓萬=韓武子)

続く

352:日本@名無史さん
09/03/13 02:12:22
>>351の続き

韓之先與周同姓、[一]姓姫氏。其後苗裔事晉、得封於韓原、[二]曰韓武子。
武子後三世[三]有韓厥,從封姓為韓氏。
  [一]索隱按:左氏傳云「[干β]・晉・應・韓、武之穆」、是武王之子、故詩稱
  「韓侯出祖」、是有韓而先滅。今據此文、云「其後裔事晉、封于韓原、曰
  韓武子」、則武子本是韓侯之後、晉又封之於韓原、今之馮翊韓城是也。
  然按系本及左傳舊説、皆謂韓萬是曲沃桓叔之子、即是晉之支庶。又國語
  叔向謂韓宣子能修武子之?、起再拜謝曰「自桓叔已下、嘉吾子之賜」、
亦言桓叔是韓之祖也。今以韓侯之後別有桓叔、非關曲沃之桓叔、如此
則與太史公之意亦有違。
[二] 正義括地志云:「韓原在同州韓城縣西南八里。又韓城在縣南十八
里、故古韓國也。古今地名云韓武子食菜於韓原故城也。」
[三] 索隱系本云:「萬生[貝求]伯、[貝求]伯生定伯簡、簡生輿、輿生獻
子厥。
(『史記』韓世家より)

続く

353:日本@名無史さん
09/03/13 02:22:02
>>352の続き
【「韓」という名称をめぐる諸問題について】

一方、前漢代になって楽浪郡に移民した中国人は。
楽浪郡の遺跡研究は戦前にすでにかなりのレベルに達しており、楽浪郡の住民は
ほとんど王氏と韓氏の2氏で大部分を占められていたことがわかっている。
このうち王氏というのは山東半島の名族で、王氏を称したのは山東系の移民と思われ、
後漢時代に謀叛をおこし6年間にわたって楽浪郡で独立政権を維持した「王調」、
日本に漢字(と儒教思想)を伝えた「王仁」はともに山東系楽浪王氏と考えられます。
王氏についで多いのが「韓氏」で、韓氏はすでに説明したように今の河北省に多く、
これは西周初期に
ペキンのすぐ南、今の固安に建国された「韓」が、後に河南省に移転した時に
とり残された住民が称した姓だとされ、項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物も
この韓氏と思われます。
つまり王氏は山東系、韓氏は河北系の移民ということですね。
で、このことからしたがって、楽浪郡のみならずそのさらに南の真番郡でも類似の事態、つまり移民の多くは王氏か韓氏だったろう。

真番郡は前82年に廃止され、住民と土地は漢帝国から放置されてしまった。
はやければ王莽の頃(紀元前後のあたり)遅くても西暦44年には半島に「韓」を名乗る勢力がいた。

(三国志東夷伝みると馬韓は先住民のようだが、辰韓・弁韓の言語は秦の言葉と似た
中国語だったようだ。秦語というのは長安(秦)に都があった時代(前漢)の標準語)

住民はその頃までに自立して王を立て国名を称したと思われる。
その王の姓は十中八九「韓」であろうから、国名を韓と称したのであろう。

続く

354:日本@名無史さん
09/03/13 02:24:25
>>353の続き

魏略が拾ってきた伝承では箕準(箕子の子孫)が馬韓に入ってきて王になるわけですが
なぜか子姓でも箕氏でもなく(すでにそこは韓だったから)韓氏を称したということになっています。
(箕子到来伝説には史実性はまったくありません)これは中国系の人々が箕子にこじつけた頃には
すでに「韓」の名は自明で韓の由来を説明できなくなっていたということでしょう。
箕準とされた人物は実はもとから韓氏をなのる中国系の人物で、真番郡廃止後、
一時的にせよ現地をとりまとめて王となったのでしょう。
でなければいくら中国系の人々が有力でも韓が真番にかわって地名になりことは考えにくいし
一方、魏略所載の伝承から箕子伝説をさしひくときわめて整合的であるように考えられます。

「韓」は半島の南半分だけをさす言葉としてはAD44年から。
(魏略所載の説話伝承まで認める場合にはAD21±1年だが、正式には後漢書記載のAD44年から)

 【「韓」という名称/その他の諸説】

1)君号転化説
旱岐・加・汗みな語源が同じ、王・首長の意味。もと王をさしていたのが転じて国をいった。
2)加羅語源説
加羅[kala]→[kal]→[kan]→[han]韓 ※これだと辰韓や馬韓が説明しにくい。
3)農耕社会由来説
水田の畦を意味する韓国語カンナラ→韓 ※当時の韓国語の実態が不明なので弱い。
4)電波説
ハンは檀君以来の韓国固有語。
白、光、大、人、天、王、など全部で22個の意味をもち宇宙の根本原理を表す。

※以上1~3、すべてハン(かん)という音は説明できても
「韓」という当て字が選ばれたことは説明できない。 4は問題外。

355:日本@名無史さん
09/03/13 11:34:18
加羅ってのがもともとの名だと思ってたけど
↑の説明だと、中華の韓氏系統の人間が半島に住みついたのが
韓の元になってると言うことか。

とすると、韓国人が漢字(韓字?)を創ったとか言ってるのも
ありえるということになるのだろうか。
もし、今の半島に、古代中国に住んでいたという伝承があるなら
そうなるのかもしれんが、半島で生まれた民族だと自称してるからねえ。

356:日本@名無史さん
09/03/13 12:42:23
蘇我満智ー蘇我韓子ー蘇我高麗

こんな名前つけるから1400年経った今でも物議を醸してるんだよなw
韓子の高麗じゃ渡来人だと思うだろ

357:日本@名無史さん
09/03/13 14:55:27
>>347
>倭を自己のヤマトの当て字として、
>このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。
>日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから当て字とした。
>半島はなんなのか? 自称の発音名「???」があり、

高句麗コウコウレイ・コウクリ、百済ハクセイ・ヒャクサイ、倭ワ、はみな元は中国語。だから
それぞれに「こま」、「くだら」、「やまと」という固有語での本名がある。
半島民族の場合、「韓」も「朝鮮」も「Korea(高麗)」もすべて元は中国語。
固有語の名ではない。
では半島民族には固有名がなかったのかというと、そういう訳ではなく
衛氏朝鮮の官職に朝鮮相と尼谿相という官職があり、
朝鮮相というのは「朝鮮」とよばれる半島北部の漢人系植民者の多い地方を管轄し、
尼谿相というのは歴谿卿ともいい
「真番」とよばれる半島南部の原住民の多い地方を管轄したらしい。
「尼谿」というのは三国時代の辰韓十二国のうちの「那奚国」に該当し、
楽浪帯方の二郡と馬韓諸国がその帰属をめぐって戦争したこともある重要地点だった。
場所は慶尚北道義城郡玉山面に「日谿」という地名が残ってるあたり。
「真番」というのは、司馬遷が半島南部をさすのに困って、
衛氏が滅ぼされた後になって(BC108)できた「真番郡」の名を前に溯らせて使ったもの。
司馬遷は「尼谿」が地名だということも気付かずに書いてるのだが、
あるいは実際にも半島南部を管轄する役所があった地名というだけで半島南部をさす地名では
なかったのかも知れない。その場合、朝鮮というのはもともと今の平壌だったのが拡大されて
半島北部をさしたが、尼谿は意味が拡大する前に真番郡が設置されてしまったということになる。
「真番郡」という郡名は「真(後世の辰韓)」と「番(後世の弁韓)」という二地名を並べたもの。
辰韓は「斯蘆国」を中心とする韓、弁韓は「半跛国」を中心とする韓の意味だから
真番は結局「シラ・ハヘ」という固有名の音写ということになる。
斯蘆国は最初の半島統一王朝である「新羅」になった。
半跛国は加羅諸国連合体の盟主となったものの新羅に滅ぼされた。
こうしてあれこれ考えてみると、彼ら半島民族の固有名は
韓でも朝鮮でもKoreaでもなく「しらぎ」でいいんじゃないかと思う。

358:日本@名無史さん
09/03/13 15:05:28
>>355
「加羅」は半島の東南部だけ。日本側では日本からみて近いから
半島全部「から」と呼んで韓も「から」と読んだけど、
中国の漢・唐も「から」と読むように単に外国の意味に近い用法。
これは日本側が勝手にそう呼んでるだけで、いわば日本語内部の問題。
半島民族にしてみれば「加羅」は一地方名にすぎないので
民族全体を代表するような感覚はないと思う。

359:日本@名無史さん
09/03/13 15:21:32
>>356
その逆。
1400年経って後世からみて事情がわかりにくいからこそ
紛らわしくなったんであって、当時はなんの混乱もない。

360:日本@名無史さん
09/03/13 15:30:33
>>358
「加羅」と「伽耶」「狗耶韓国」の関係は?

361:日本@名無史さん
09/03/13 16:06:31
>>359
名前が韓子、高麗だけでなくやたら朝鮮半島びいきで政治を推し進めた事からも
百済系だの新羅系だのと疑惑はつきない


362:日本@名無史さん
09/03/13 16:09:54
>>356
韓子(伽耶人の女との間に生まれた子の意)の子が高麗じゃ
渡来人としても何系なのかさっぱり分からない。
それに、蘇我の支族がほぼ稲目からの分かれとなっていることからして
蘇我氏ってのはやはり稲目からを実在として扱うしかないんじゃないの。


363:日本@名無史さん
09/03/13 20:42:47
蘇我氏については今はまともな論考がでている。
蘇我氏は古代豪族の葛城氏の支流。
雄略天皇に滅ぼされた円大臣は南部葛城。
残った北部葛城氏の出。
帰化系を支配下におき、再び歴史の表舞台に登場。
推古天皇に馬子(だったと思う)が蘇我氏の本貫だから
葛城の地をもらえないかと頼んでる。(日本書記)

364:日本@名無史さん
09/03/13 21:00:42
本居うんぬんていうのは、馬子の母方が葛城氏だということじゃなかったっけ。
日本書紀による限り葛城氏とは武内宿禰のところでしか繋がってないし。

365:日本@名無史さん
09/03/13 21:21:48
>>338

秦氏、または弓月氏は実は
大月氏国をつくった民の出自で、秦の始皇帝というとわかりやすいし、
通りがいいのでそう称したのではないか。

366:日本@名無史さん
09/03/14 07:03:26
>>361-364
蘇我電波で引っ張るのやめない?
渡来人説にこだわる人がいるのは仕方ないけど
いちいち反論してたらスレ違いな展開になる。
蘇我氏スレに誘導すればいい。
ここで議論するのはスレがもったいない。

367:日本@名無史さん
09/03/14 10:19:56
9世紀に編纂された新撰姓氏録で、
勝ち組の藤原が神別で、
負け組の蘇我がそれより上の皇別とされてる事実は、
社会通念上、家柄を偽装できなかったという事であり、
蘇我が渡来系などという妄言はいい加減にしてもらいたい。

368:日本@名無史さん
09/03/14 11:20:00
本当に竹内宿禰の流れなのかね蘇我氏は
だとすると渡来系の女に産ませた子供が蘇我氏の祖と言うことになるのかね

369:日本@名無史さん
09/03/14 15:32:35
皇別が神別より上かどうかはわからない。
だいたい名前からして神は皇より上だ。
それに配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていたというんじゃないか?

370:日本@名無史さん
09/03/14 15:37:17
皇別の方が神別より上だよ、そんなの当たりまえ。
「配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていた」なんていうのはいったいどこから推測した話なんだ?

371:日本@名無史さん
09/03/15 17:23:31
>>367
その藤原氏も渡来してきた百済王族が家名を建てたそうだよ
藤原の祖である中臣鎌足は百済人

372:日本@名無史さん
09/03/15 17:27:33
蘇我氏がだめなら藤原氏。
劣等感まるだしのチョンだな。

373:日本@名無史さん
09/03/16 01:04:12
百済人は朝鮮人ではないよな。百済という王国の人間で、
支配民族はフヨ族。倭人、漢人も多かったと。
百済滅亡を防ごうとして、白村江で戦った主力は大和民族だしな。

それに・・・
朝鮮人というのは、シナに「朝鮮」と名付けてもらって以後の人間を言うのではないか?
たとえば、高麗ですら朝鮮人を名乗ったりはしなかったのでは?

韓を名乗り始めたのは中華民族、朝鮮を名付けたのも中華民族。
とすれば、朝鮮人というものは単なる中華の一部の手先だよ。
百済は独自の自称名があったわけで、今の半島人と同一視するのは失礼だろう。


374:日本@名無史さん
09/03/16 18:59:46
百済人や新羅人、高句麗人は日本で言うと薩摩人や長州人みたいなもん
つまり百済人は韓国人の先祖

375:日本@名無史さん
09/03/16 19:06:05
>>373

論拠に無理大杉。

376:日本@名無史さん
09/03/16 23:24:33
【歴史】聖徳太子は聖王の生まれ変わりなので百済系王族

百済第27代王・威徳王の息子、阿佐太子が西暦593年にもたらしたという救世観音像と
百済系渡来人が作った百済観音像だ。 救世観音像は「威徳王が新羅(シルラ)との
戦闘で亡くなった父の聖王の姿を作ったもので、法隆寺を建立した聖徳太子は聖王の
生まれ変わり」という過去の記録が伝えられる。

このため韓国テレビの歴史ドキュメンタリー番組が百済の聖王の姿を3次元(3D)で
再現しながら、観音像の顔を使用したこともある。
聖徳太子も日本古代王家で百済系の王族に分類される。

奈良公園内にある東大寺も百済と関係が深い。
この巨大な仏像を作る造仏師として百済滅亡後に日本に渡ってきた百済の流民が
多数参加したというのが、東大寺の僧侶の説明だ。 大仏造成の責任者だった
僧・行基も百済系という。
URLリンク(japanese.joins.com)§code=A10

蘇我氏、藤原氏だけでなく聖徳太子も百済系、大仏造成の責任者も百済系
おいおい、倭人は一体何やってたんだよwww
全部、百済人のお陰じゃんwww

377:日本@名無史さん
09/03/17 00:08:14
我々日本人は列島だ・・・ orz

378:日本@名無史さん
09/03/17 00:20:48

「ヤマトの半島征伐」
391年にヤマトが半島に遠征して、百済新羅を従属国にした(広開土王碑)より
URLリンク(ja.wikipedia.org)

これは隋の記録の、百済や新羅はヤマトを宗主と崇めていると言う記録とも一致。
碑文の写しも中華で発見されており、4世紀には半島南部は完全に日本の属国であった証拠と言える。

「白村江の戦い (663年)」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
白村江の戦いで敗北した倭国軍は、各地で転戦中の倭国軍及び倭国への亡命を
希望する百済の遺民を結集して帰国を果たした。

敗北したとはいえ、7世紀に5万の兵を渡海させてシナと決戦している。
この決戦と百済亡命から考えると、百済の正当な所有者は日本であると言える。
古代から中国の記録にもあるように、特に半島南部は日本の属国で
半島南部を中華から守るため唐と決戦したのも日本の男。
つまり、今居る半島の男はその後の異民族の侵入で入れ替わってなくとも、単なる中華のしもべ。


379:日本@名無史さん
09/03/17 00:26:48
百済人の末裔の自覚がある男なら
日本に教えてやったとか上から目線で語るのはおかしい。

百済の男の末裔なら、こう言うはずだ。
「百済が滅亡するのを防ぐために、唐を相手に共に戦いましたね
残念ながら敗北して滅亡しましたが、百済の王族は日本に亡命して神社まで建てることができました
有難うございます。」
とな。

朝鮮には百済を祭る宗教施設も無く、白村江の戦を必死で戦ったと言う伝承も文献も無い。
こんな場所に住み続けている男が、百済人の男の子孫のはずが無く
もし血のつながりがあったとしても、「唐に寝返った裏切り者」でしかないはずだ。
戦いの歴史を知らないで末裔面するほどおろかなことは無い。

380:日本@名無史さん
09/03/17 00:43:17
いや~とうとう聖徳太子も百済人になったねw
どんどん真実がわかってくるよ
日本を作った偉人さえも韓国系だったなんてね


381:日本@名無史さん
09/03/17 00:48:45
韓国人は全て古代中国人の末裔ですからっ!!
残念っ!!

382:日本@名無史さん
09/03/17 01:21:51
百済には三八四年に西域僧摩羅難陀により仏教が伝来した。
百済の寺大工の名前を調べると、
寺工・太良未(だらみた)、鑪盤博士・将徳白昧淳(しょうとくはくまいじゅん)、
瓦博士・麻奈文奴(まなもんぬ)、陽貴文(ようきもん)などなど、
それぞれ、「だらみた」=中世ペルシャ語で「寺工」、「しょうとくはくまいじゅん」=露盤受け、
「まなもんぬ」=屋根葺き、「ようきもん」=丸瓦になる。

おいおい、百済人は一体何やってたんだよwww
全部、ペルシャ人のお陰じゃんwww

383:日本@名無史さん
09/03/17 07:02:46
>>376>>377
しかし朝鮮が関わるスレはどこも煽りだらけで
論議の邪魔になってるな。
つまらないから止めてくれ。

384:日本@名無史さん
09/03/17 08:16:05
皇別と言うのは、建前上は、天皇家から別れて臣席降下した氏族なのだから、
歴代の天皇から一定の割合で生じるはずだ。
それなのに倭の五王時代の天皇からの別れはゼロだというのはなぜ?

385:日本@名無史さん
09/03/17 10:27:42
>>384
越前系継体天皇の家系と、
倭の五王(九州系)の家系の確執ではないか。


386:日本@名無史さん
09/03/17 12:33:24
これ見るといるようだけど。
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)

387:日本@名無史さん
09/03/17 20:30:27
>>384
仁徳の兄弟の子孫はいるから雄略と武烈に全部殺されたと考えるしかない

388:日本@名無史さん
09/03/18 12:51:01
youtubeで天皇、空海、源義光、合気道、日本刀、武士、剣道、忍者が
韓国起源と真顔で言った韓国人。
驚くべきことに、この韓国人には30万近いチャンネル登録者がいる。
組織的に活動してる模様。

やる夫で学ぶ朝鮮忍者
URLリンク(www.youtube.com)
URLリンク(www.youtube.com)

朝鮮忍者がアジアの歴史を教えてやる(日本語字幕)
URLリンク(www.youtube.com)

朝鮮忍者の嘘を見破ってる知日派外人スコットさん
URLリンク(www.youtube.com)

朝鮮忍者の詐欺行為から目が覚めた人(内部告発編)
URLリンク(www.youtube.com)

朝鮮忍者のいかがわしさを語る白人少年
URLリンク(www.youtube.com)

[パクリ]朝鮮偽忍者が大人気[ようつべ]PART7
スレリンク(korea板)


389:日本@名無史さん
09/03/18 15:43:34
URLリンク(tvde.web.infoseek.co.jp)

390:日本@名無史さん
09/03/18 20:28:40
■WBC韓国4-1日本の結果について

「韓国が勝った、当然でしょ」                 ソニン

「WBCは原爆ね」                      黒田福美

「韓国人と結婚してよかったわ」                SHIHO

「在日韓国人に勇気を与えたわ」                中村ゆり

「韓国人はハンサムね」                    キャメロンディアス

「これでAV男優は韓国人がいいわ」              蒼井そら

「ウチの旦那も韓国が勝って喜んでいます」           ミムラ

「これで竹島は韓国領ね、日本人は卑劣」            キムテヒ
  
「野球でも韓国に抜かれましたね」                阿部美穂子

「韓国人と付き合って正解だったわ」              浜崎あゆみ

「素晴らしい体格をしてるわ、どんだけぇ~」          IKOO

「やっぱ韓国人男性のほうが魅力的だわ」            笛木優子

「日本人男性と結婚したら負け組みね」             ユンソナ

「韓国人男性のほうが優秀なんだね」              南 明奈

「これで任那日本府説は終わった」               歴史学者


391:日本@名無史さん
09/03/18 21:29:36
浜崎あゆみの話はウソw

392:日本@名無史さん
09/03/18 22:06:28
>>391
ハワイの韓国系米国人と付き合ってた
フェラさせたらしいぞw

393:日本@名無史さん
09/03/18 22:09:50
>ハワイの韓国系米国人と付き合ってた

だから何?って話なんだが…
朝鮮人は論理がわからんのかね?

394:日本@名無史さん
09/03/18 23:32:14
>>392
浜崎のコンサートスタッフのアメーバブログによると、
全く正反対で、チョン男が浜崎に一目ぼれして、
しつこくメルアドとか聞いてきて、
浜崎はウザいのでスル~してたら週刊誌にあんな事書かれたらしい。
ま常識的に考えて浜崎が一目ぼれするような男ではないよなw


395:日本@名無史さん
09/03/19 00:30:45
日本人「日本書紀に『391年に神宮皇后が百済と新羅を征服したと書いてある。』」
韓国人「捏造だ。」
日本人「三国史記「新羅本記」にも慶州を倭兵に包囲されたと言う記録がある。」
     新羅は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「満州にある碑文にも倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の宋書にも倭国が朝鮮半島南部を支配した記録がある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の魏志倭人伝には既に3世紀から倭国では鉄の鏃を使ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
中国人「中国の歴史書の随書にも倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。
     百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。」
韓国人「捏造だ。」
日本人「日本や中国の歴史書や発掘品は全て捏造なのか?」
韓国人「そうだ!韓国に都合の悪い歴史書は全て捏造だ。」
中国人「中国の歴史書まで捏造か?」
韓国人「捏造だ!」
日本人「三国史記に「670年の十二月に、倭国が国号を日本と改名した。日の出る
     所に近いから、これをもって「日本国」としたとの事である。」とあるが?」
韓国人「捏造だ!
中国人「中国政府も外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)で「5世紀はじめ、
     大和国が隆盛した時期に、日本の支配が朝鮮半島の南部にまで拡大した。」
     と公式に認めている。」
韓国人「中国人の捏造だ!!」
英国人「イギリスのオックスフォード大学の出版社(www.oup.com/ca)の教科書が、
        「5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した。」 書いている。
        それを世界50か国の学校に発行している。」
韓国人「オックスフォード大学の捏造だ!!」
韓国人以外の一同「ではそれらの捏造を裏付ける証拠は?」
韓国人「・・・・・・。」
全て捏造と言うがそれを裏付ける証拠は全く出せないバ韓国人w

396:日本@名無史さん
09/03/24 01:26:54
>>374

論拠に無理大杉

397:日本@名無史さん
09/03/25 10:10:36
>>395
韓国人「WBCの日本のV2も捏造ニダ。」

398:日本@名無史さん
09/03/25 13:32:55
>>397
数十年後に本当に言い出しそうで困る

399:日本@名無史さん
09/03/25 16:45:23
>>398
実際、ベルリン・オリンピックのマラソンに日本選手として出場し優勝した孫基禎も
カリフォルニア州にある五輪歴代マラソン優勝者記念碑や五輪記録集などはKoreaと記載されているらしい
こっちの方がよほど捏造なのだが



400:日本@名無史さん
09/03/29 23:16:10
URLリンク(www.chosunonline.com)
URLリンク(www.chosunonline.com)
近代化を目指した東アジア3国の「分かれ道」

「何ゆえに韓国は滅び、アヘン戦争後に大国の中国が没落したのに反し、3国の中で最も遅れていた
日本が明治維新を成し遂げ、今日のような強い国になれたのか」

>3国の中で最も遅れていた
>3国の中で最も遅れていた
>3国の中で最も遅れていた

一番遅れてたのは朝鮮だろw
1500年代後半にに加藤清正にボコられたこと忘れたのかw


401:日本@名無史さん
09/03/29 23:33:41
>>400

彼らの言っている「進んでいる」ってのは、中国文化にどっぷり浸かっている事だから。

402:日本@名無史さん
09/03/30 00:30:09
>日本は成功したのに中国と韓国は失敗した、という解釈は19世紀のパラダイムに過ぎない、というわけだ。

19世紀の出来事なんだから19世紀の価値観で見るのに何の問題があるというのでしょう?
後付でいやそんな事は無かったと考え方を歪めてホルホルするだけだからこういう結果になったというのに

403:日本@名無史さん
09/03/31 02:08:58
URLリンク(news.searchina.ne.jp)
【中国のブログ】中国が韓国国旗を盗用した?とその反論

国旗の起源までねつ造してる韓国って・・・


404:日本@名無史さん
09/04/06 19:46:03
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」
第1回 太古 人々は海峡を越えた(仮)

韓流ブーム以後、民間交流が進んだ日本と韓国だが、いまなお歴史認識は大きな溝となっている。
その溝を埋めようと、2002年以来、日韓両政府が主体となり、歴史共同研究プロジェクトが進めら
れている。また、民間レベルでも歴史共通教材が次々と発表され、歴史を共有しようという努力が
続けられている。朝鮮半島と日本はどのような関係を築いてきたのか。最新の学術的成果をもとに、
古代から現代まで2000年の交流史を2年がかりで通覧する大型シリーズ。第1回は、その源流を
たどる。
      (中略)
時空を超え、2009年の日本。国宝・高松塚古墳壁画の修復作業が国を挙げて進められている。
7世紀に描かれたと考えられている極彩色の女性像、飛鳥美人。その絵の側にもまた、「四神」が
描かれている。描いた絵師は、朝鮮半島を経てやって来た人と見られている。その一方で、日本
列島から海を渡った人々もいた。彼らが、風俗や文化だけでなく、双方の古代国家形成にも深く
関わっていたことは、意外と知られていない。しかも、その関わり方を巡って、今様々(さまざま)な
議論が日韓双方で繰り広げられている。日本が朝鮮南部に置いたとされる“任那日本府”とは、
いったい何だったのか。仏教伝来の真相とは。「四神」の絵を道しるべに、海を越えた人々の旅路
をたどりながら、日本と朝鮮半島の交流の実相に迫る。
URLリンク(www.nhk.or.jp)

プロジェクトJAPAN
放送予定の番組
4月以降10本 ETV特集「シリーズ 日本と朝鮮半島 2000年」
URLリンク(ja.wikipedia.org)

反日 NHKを叩きまくるスレ 第4集
スレリンク(mass板)
反日 NHKを叩きまくるスレ 第5集
スレリンク(mass板)

405:日本@名無史さん
09/04/07 04:00:06
チョンは植民地

406:日本@名無史さん
09/04/07 18:14:48
日本→半島へ渡った人は支配者
半島→日本へ渡った人は技術者

407:日本@名無史さん
09/04/08 03:14:31
●韓国人の日本劣等感

韓国は日本の八分の一の経済力しか無い(ちなみに日本はドイツとフランス二カ国分の経済力を有す)
李朝時代に宗主国清国にも搾取され続け、何千年とアジア一の最貧国であった
自称歴史ドラマ「チャングムの誓い」は歴史を知る者からすれば噴飯歴史捏造幻想物語にすぎない
更には建造物や庶民文化も皆無だった(現存の韓国文化経済は、殆どが日韓併合時代に日本より与えられたもの)


●ハングルを韓国人に教えたのは日本

ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日本植民地になってからの
ことである。
当時の韓国人のほとんどは文盲であった
日韓併合の翌年1911年から総督府によって朝鮮教育令が施行され
初中高等1894学校でハングルを必修科目とすることが決められた。


408:日本@名無史さん
09/04/08 03:16:46
★朝鮮人の劣等感・事情 『惨めな隷属国だった歴史を隠したい、忘れたい!』
▼17世紀--朝鮮
清と交戦しあっけなく敗れる。この時の清との講和条件は次のような悲惨なものだった。

  1 明国と断交して、清国に服従すること!
  2 朝鮮王子を人質として送ること!
  3 莫大な賠償金を支払うことと、毎年清に対し貢物を贈ること!
  4 朝鮮国王自らが清の使節団を土下座して迎えること!

▼しかもこの敗戦の証拠としてソウル近郊に建立された三田渡碑には、『 愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆ったが、
清国皇帝はこの大罪を許してやった。朝鮮国王は、自らの愚かさを反省し、清国皇帝の臣下になることを誓った。』 と刻まれ、
この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。
▼この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。

▼この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放してやるまで立てられていた。

▼朝鮮というのは、中国の隷属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった!
▼朝鮮国王は清の皇帝によって任命される!
▼朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない!
▼朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下!
▼朝鮮は清国に細かく定められた朝貢品を出すこと!
▼毎年、牛、馬、各地の美女(実際はエラの張ったブサイク)3000頭を朝貢!



409:日本@名無史さん
09/04/08 08:03:53
>各地の美女(実際はエラの張ったブサイク)3000頭を朝貢!

これが「女子挺身隊」の起源である。


410:日本@名無史さん
09/04/08 20:36:50
台湾:アンケートの結果、台湾人の73%が韓国人が一番嫌いな民族と答える
URLリンク(tw.quiz.polls.yahoo.com)

URLリンク(www.youtube.com)
「韓国人?」って聞かれて全力否定する台湾人w


411:日本@名無史さん
09/04/11 01:39:28
【歴史】韓国が日本に抗議!!自由社版「歪曲教科書」、日本政府の検定で合格

今回の自由社版の教科書は、4世紀後半に日本のヤマト王権が韓半島(朝鮮半島)南部を支配し、伽耶(かや)
地方に「任那(みまな)日本府」を設置したという説をそのまま認めるなど、古代史分野の歪曲した内容を
そのまま掲載した。

「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。また、この教科書は日本の韓国併合は
「日本の安全と満州の権益を守るためだった」と記述しており、植民地政策の焦点も「近代化」にあった、と記述している。

さらに旧日本軍の従軍慰安婦についての内容はまったくなかった。
韓国政府はこの日、外交通商部の文太暎(ムン・テヨン)報道官による声明を通じ、
「過去の過ちを正当化・美化する誤った歴史認識に基づく歴史教科書が、日本政府の検定で合格したことに対し
強く抗議し、根本的な是正を求める」と発表した。

URLリンク(www.chosunonline.com)



>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。
>「任那日本府」説は韓日両国の学界で公式に否定されている。

否定されてるそうだよw

412:ビリー・ザ・マッド
09/04/11 02:53:15
ここも荒れてるなあ。
過去にこだわりすぎだよ。

ID表示制にしたほうがよくね?

413:日本@名無史さん
09/04/11 04:39:43
チョンの沸くスレは必ずこうなる

414:日本@名無史さん
09/04/11 10:21:42
チョンが沸くとウヨもつられてやってくるしな
逆にウヨが沸くとチョンがつられてやってくるし
ウヨとチョンで戦って相打ちになって両方滅びればいいのに

415:日本@名無史さん
09/04/12 04:25:40
そもそも「ウヨ」なる存在もチョンの電波を浴びたことで生まれたもんだよな

416:日本@名無史さん
09/04/12 04:26:32
だから根源はチョンの電波だと思う

417:日本@名無史さん
09/04/12 16:54:03
チョンと言う木から伸びた枝がウヨか。納得。

418:日本@名無史さん
09/04/13 01:02:02
【韓国・朝鮮】北朝鮮ミサイル反対を演説する日本人を韓国人青年が襲う「動画に収められた一部始終」

北朝鮮のミサイル発射に対して名古屋の街頭で抗議をする人物に対して、関西弁の韓国人と
思われる青年が激怒。ついには暴力ざたになり、警察に連行されるという騒動が発生した。
青年は熱心に発言を聞いていたものの、途中で我慢できなくなり発言者に詰め寄り、ついに
は取っ組み合いとなった。

青年は発言者の「大っ嫌いなんだよ。日本から締め出してやる朝鮮人」という発言を面と向
かって言われてブチギレしたようで、「おのれ! 韓国人をなめとったら殺すぞ!」などの
発言とともに発言者を地面に倒しつつ、怒号していた。そのようすは動画で撮影されてお
り、『ニコニコ動画』や『YouTube』に掲載されている。

当編集部の考えとしては、何事も物事は伝えようであり、自分の意思をどのように伝える
かが重要であると考える。韓国がどんなことをしようが、北朝鮮がどんなことをしようが、
一個人としての国民には何の罪もない。この青年に対して「大っ嫌いなんだよ。日本から
締め出してやる朝鮮人」と発言するのはいかがなものか。たとえ祖国が周囲の国々からど
んなことを言われようと、祖国を愛する気持ちは世界共通なのだから。

ソースと動画
URLリンク(getnews.jp)
URLリンク(news.livedoor.com)






419:日本@名無史さん
09/04/13 04:30:20
>>417
街宣右翼なんかはそうだな。あれは中の人が三国人だから
ネットウヨはアンチチョンだから根からして違う

420:日本@名無史さん
09/04/13 08:41:07
ニートにチョンと言う肥料を撒くとネウヨと言う花が咲くんだよ

421:日本@名無史さん
09/04/14 04:28:58
つまりチョンが諸悪の根源なんだ

422:日本@名無史さん
09/04/14 14:05:16
好太王碑にも任那って出てきますよね。
倭が撤退した地として。

423:日本@名無史さん
09/04/17 05:58:14
>>376
相変わらずのバカだなチョンは

424:日本@名無史さん
09/04/17 23:13:12
日本府なんてねーよハゲ

425:日本@名無史さん
09/04/17 23:55:19
「任那日本府という歴史用語で議論が起こる感覚で」日本が半島南部を属国としていたかどうかはともかく、
広開土王碑の文面や、
倭王が「渡りて海北を平ぐること九十五国……」と申し上げれば中華皇帝が(新羅や百済の独立を否定することになるのに)六国(七国)の安東大将軍に任命していることから考えれば、
「当時の日本が半島南部に一定の優勢な影響を及ぼしていたこと」は疑う余地のない事実ですよね?

ここからが質問です。
果たして、なぜ当時の日本はそれほどまでに優位性を確保できたのでしょうか。
当時の日本はまだ豪族の寄せ集め政権で、のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが、そんな海を渡っているような余裕(そして地政学的感覚!)があったのでしょうか……。
(逆に「任那が日本の故地だった」のなら問題は解決ですが)

426:日本@名無史さん
09/04/18 05:06:21
>>424
チョン乙

>>425
>のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが

そりゃ当時の日本との地の日本を比べりゃ当然そうなるが、
当時の日本でさえ半島よかずっと優越してただけのこと

427:日本@名無史さん
09/04/18 11:05:25
>>425
同じ豪族連合体である、戦国時代の秀吉の例を見ると
強力なリーダー(大和)さえいれば中央集権化していなくても遠征は可能なんじゃないかな。

428:日本@名無史さん
09/04/18 16:26:22
支配ではなく、従属的ないし対等な同盟勢力であった可能性はあるんじゃないかね。
継続的支配は、海が隔たりになって難しいが。
ある程度自律した相手を援助するぐらいなら昔でもできただろう。
結局喪失しているが。

429:日本@名無史さん
09/04/18 16:30:34
>>425
倭国が豪族の寄り合い所帯であるのはそのとおりだけど、
それは他国についても少なからず言えること。
百済、高句麗の五部然り、新羅の六部もまた然り。

とはいえ、他国に比べて豪族らに対する倭王の統制は緩く、
権力の集中の度合いも全くもって低かったから、
各地の豪族(倭王も含む)は列島内だけでなく、伽耶諸国あたりまで
好き勝手にに出かけて、北欧のヴァイキングの如く、
交易やら交流(略奪や押し買い、貢租収奪に近いこともあったかも)
を行っていたらしい。

伽耶地域は可耕地が極めて少なかったそうだから、
倭国からコメを持っていけば良い取引になったんじゃなかろうか。
ともあれ、豪族らは威信財や武具を手に入れ、職工集団を囲い、
各々勝手に「文明化」してた。

ところが、4世紀以降、高句麗が本格的に南侵を開始したのを契機に、
それを脅威とした百済と倭国の利害が一致し、同盟に至った。
倭国は百済から組織的かつ恒常的な軍事力の提供を求められ、
いきおい倭王を中核とした軍事体制を作らざるを得なくなった。
一方、倭王の側にも豪族らをどうにか統御したいという意思があったから、
これに積極的に応え、百済をとおして南朝の府官制や統治にかかわる
知識(人)を取り入れ、急速に「文明化」していったというところだろう。

430:日本@名無史さん
09/04/18 16:40:03
>>当時の日本はまだ豪族の寄せ集め政権で、のちのどの時代よりも国力が低かったと思うのですが、

これに関しては日本だけではなく、
朝鮮半島も百済・新羅・加羅諸国があり日本と同じように後の時代よりも国力が低い。
百済も5世紀末に高句麗に一旦滅ぼされ南下してくるまで
前方後円墳が見つかる南部の勢力などは百済に対し政治的な自立性を保っていたそうです。

431:日本@名無史さん
09/04/18 20:43:32
倭は邪馬台国の頃から地方に総督を派遣してるぞ。
ただの豪族の連合体ではない。

432:日本@名無史さん
09/04/18 22:13:21
日本では3世紀ごろには畿内を中心とした関東~九州までの連合体が出来てるようなので、
かなり大きな力があったろう。


433:日本@名無史さん
09/04/18 22:48:54
朝鮮半島は日本に比べて寒冷なためか
近代になるまで生産力が相当低かったからね


434:日本@名無史さん
09/04/19 08:07:24
>>429
ほぼ納得できるが、欽明紀がほとんど任那政策からなるほどの、任那への
執着と、7世紀に国を傾けてまで百済に肩入れした、百済への執着を
どう説明する?

435:日本@名無史さん
09/04/19 11:51:35
でも国を挙げての戦争ってほとんどハクソンコウくらいだし、
騒いでる割には実施した実力行使がいい加減なんだよね。
あんなんじゃあ任那の諸国はついてこないよ。
っていうか実際ついてこなかったし。

436:日本@名無史さん
09/04/19 16:22:46
政治のグダグダっぷりは昔からか。

437:日本@名無史さん
09/04/19 16:38:13
うむ。任那復興会議とかやってても、「じゃあ倭はどう貢献してくれるんだ?」って感じだもんな。

438:日本@名無史さん
09/04/19 20:29:50
>>434
6世紀当時における、倭国の主たる関心は任那の産物が安定的に
供給されることだったろうから、新羅によって、主要輸出港であった
南加羅(金官国)や卓淳などが占領されている状況は、倭国にとって
当然歓迎すべきことじゃない。
したがって、百済の聖明王が新羅に滅ぼされた国々を復興しようぜ、
新羅に騙されるなよと呼びかけたら、百済の意図が奈辺にあろうと
倭国としてはそれを支持するほかなかったはず。

この過程で登場するいわゆる任那日本府は、倭から派遣された使臣
と倭系安羅人のスタッフで構成されたようだが、親新羅のスタッフ
に主導権を握られ、新羅に通い、新羅の服を着る始末。
日本府は言を左右し、日本府の連中さえいなければ任那は復興
するのに、とまで言われるが、欽明はこの状況に何一つ有効な手を
打てず、やがて百済と新羅は衝突し、安羅も大加耶も新羅に
併呑されてしまう。
とはいえ、欽明にしてみたら、半島への重要な回路が磐井との戦争
で寸断攪乱されてしまい、事態を収拾し国内の専権を確立するのに
手一杯だったせいで、半島の情勢が十分につかめず、直接指揮も
執れず、ということだったのかもしれない。

『欽明紀』がほとんど任那関係記事で埋め尽くされているのは、
新羅に対する任那の調の要求の前提になるものだからだろう。

439:日本@名無史さん
09/04/19 20:37:37
>>434
倭国の百済への執着ないし傾倒ぶりは、まず、百済からの
五経博士上番や仏法公伝に代表される、高度な知識技術体系の
導入を重視したことが挙げられると思う。
五経博士は王の諮問にあづかり、政治思想の教化にあたる立場
であり、彼らの説く君臣の倫理や礼制は国家形成に不可欠のもの
であったはず。

また、仏法公伝は原子力技術の供与にも喩えられる(そういう
論文をみたことがある)きわめて政治的な事件であり、単なる
文化的ないちエピソードではない。当時の仏法は護国宗教の
範疇に収まらず、書記術、呪術、軍学、医学、建築、絵画等々
を含んだ総合的な学術体系であり、後に飛鳥寺が学問知識の
殿堂となったことはいまさら詳しく述べるまでもない。
加えて、蕭梁から百済への公伝と百済から倭への公伝との間が
それほど空いていないことから、倭国へは南朝における最新の仏法
が招来されたことが窺える。

440:日本@名無史さん
09/04/19 20:42:25
>>434
より外交的な観点でいえば、上述のような任那をめぐる経緯、
さらには雄略朝に遡るイザコザもあり、倭王としてはとても
新羅と通好する気にはなれなかったと思う。
新羅は6世紀半ば南北両朝と通じ、領土を急激に拡張し、
支配地に軍団を置くなど、とくに軍事面において飛躍的な成長
がみられるが、とうてい倭王の求めるような知識体系の蓄積
は期待できず、この面では百済に依存するほかすべはなかった。

やがて隋による統一、つづいて唐が成立して、唐─新羅に対する
高句麗─百済のラインができあがると、倭国は後者につくが、
相当逡巡したであろうことは、唐との国交も完全に断っていない
ことからも想像できる。ただし、王子と唐使が礼を争ったことや
後の百済王に対する冊封などからすると、「諸蕃を従える帝国」
スタイルへの志向が倭国をしてそういう方向へ舵を切らせた
のではないかと思う。

自分で書いておきながらだけど、あまり面白いこと言えてないな。
あと連投すまんね。

441:日本@名無史さん
09/04/20 07:32:35
大中華と小中華の衝突という見方だな。
しかし、百済はいいとして、高句麗もまた小中華だった。
その意味では、漢族対扶余連合の衝突とも見られる。
日本も扶余か、ということになるが、少なくとも百済に対する
親類意識はあっただろう。

442:日本@名無史さん
09/04/20 08:28:36
百済の官人に倭人が混ざっている。
もともと倭人は百済の臣民だったようだ。

443:日本@名無史さん
09/04/20 15:11:58
そもそも当時、自分達は国家であるという概念があったかどうかも怪しいからな。
普通に流動的だったのかも。

444:日本@名無史さん
09/04/20 15:17:55
>>442
アホか氏ね。

445:日本@名無史さん
09/04/20 16:50:46
>>442
残念な事ですが石碑や史書では逆なんです。
半島の学者さん何とか否定しようと躍起になっておられますが。

446:日本@名無史さん
09/04/20 17:18:13
>>443
その通りだと思う。古代の国家と言うのは支配者の「家」だ。
だから百済との関係も案外、「親戚の家だから仕方ない」と言うことかも
知れないのだ。

447:日本@名無史さん
09/04/20 17:24:27
その説をいってるのは別に半島の学者さんたちじゃなくて、日本の学者もだけどね。
ぶっちゃけ、力関係の変動が頻繁にあって、どっちも一面正しいというオチだろうけども。

448:日本@名無史さん
09/04/20 19:07:53
>>441
メインストリームは隋(唐)対高句麗だよね。
百済の場合、両方にいい顔してたそうで、反覆定まらぬ国といわれてた。
ただ、「扶余連合」はどうなんだろ。そういう民族的紐帯の意識が
どこまで実際の外交政治に反映されたか。国家というか王権の構成員も
春秋戦国時代なみに流動的だったしね。
王同士が殺し合う死闘を演じてた百済と高句麗が手を結んだのは、
統一国家隋の出現と新羅の予想外の勢力伸張に脅威を覚えたから
じゃないのかな。

449:日本@名無史さん
09/04/20 22:46:15
民族意識はどうかわからないが、支配者同士で言葉が通じるという親近感が、
対唐同盟に無関係だったとは思えない。結果的に「扶余連合」になったと
いうことだと思う。
これは、年中戦争していたアテネとスパルタがペルシャの脅威の前に手を
結んだのに非常に似ていて面白い。この場合もギリシャ語が大きな役割を
果たしただろう。

450:日本@名無史さん
09/04/21 06:15:10
さらに言えば、このとき高句麗は日本にも対唐同盟を打診しているが、その
高句麗が滅びたあとの後継国家である渤海が日本と修好したときの国書が
有名だ。
「本枝百世」は単なる吉祥句だと思うが、じぶんのことを「扶余の俗を有す」
と言っているのが面白い。これは日本もまた扶余とみなして、「同じ扶余
同士ではありませんか」と呼び掛けていると思われる。
たとえその実態はなくても、渤海側にそのような伝説があったのではないか。
つまり「百済と親しかった日本も扶余だ」という伝説が。
そうだとすればこれもまた「結果的な扶余連合」だ。

451:日本@名無史さん
09/04/21 08:12:35
1~4代目の王に仕えた瓢公、4代目の脱解王が倭人な新羅のほうが関わりが深そうなのに不思議だよな

452:日本@名無史さん
09/04/21 08:46:34
脱解王が倭人だという根拠は、王が卵として「倭国東北一千里」のタバナ国から
流れ着いたという伝説だと思うが、上記のように東北一千里であって倭国そのもの
ではない。
新羅に流れ着く途中で思わせぶりに「金官国」に寄っているのもあやしい。
むしろ金官から来たと見ることもできる。
また「倭国東北一千里」は後世の加筆だという説もある(ウィキ)。

同類の伝説は斉州島にもあって、こちらは三つの卵がナントカ国から流れ着く
が、この伝説が三国史記に入れられた時にナントカ国が「倭国」に改められた
ことがわかっている。
脱解王伝説の「倭国」もこのようにして入ったかもしれない。

453:日本@名無史さん
09/04/21 09:18:59
>>452
>後世の加筆だという説もある

なんで後世に加筆されたのだろうね?
理由が分からない。

454:日本@名無史さん
09/04/21 09:24:57
>>449
>>450

何が「扶余連合」なんだよバカw
扶余なんて日本と関係ないので以後発言を慎むように。

455:日本@名無史さん
09/04/21 10:08:18
>>452
脱解王はアイヌか

456:日本@名無史さん
09/04/21 11:43:15
タバナは丹波という説があるな
ナとは平地だか整地、国という意味で、すなわちタバ国となる。


457:日本@名無史さん
09/04/21 12:26:55
倭国東北一千里って短里?

458:日本@名無史さん
09/04/21 12:55:48
短里なら77km、長里なら440kmくらい
てかそもそもこの場合の倭国はどこになるのよ

459:日本@名無史さん
09/04/21 13:01:48
脱解王=ヘブル
イスラエル人

朝鮮=鮮=羊
遊牧民族

言語の違い
日本語=アラム語+シューメール語

現代朝鮮人=穢人=カナンパリサイ人

460:日本@名無史さん
09/04/21 13:03:37
倭人=委=ユダヤ人

461:日本@名無史さん
09/04/21 13:19:45
>>453
最初は、しょせん神話だから「どこでもない国」つまり「シャングリラ」
だった。後世、それにいくらかでも具体性を与えようとしたのではないか。
その具体的な国も、どこでもよいのだが、三国史記が書かれた時代において、
すでに日本が「あこがれの国」だった。(ちょうど今日、韓国人が本心では
日本にあこがれているように)
それで日本を持ってきた。

新羅と斉州島の「日本伝説」の正体はこんなところだろう。

462:日本@名無史さん
09/04/21 13:52:54
さすがにそれは日本を美化しすぎだろ
憧れの国っつーなら中国の方だろうし

463:日本@名無史さん
09/04/21 16:10:56
あこがれ、が実体の日本を対象にしたものではなく。
「蓬莱島」のように宗教的な背景もつ幻想を重ねたのなら可能性はありそうだがな。

464:日本@名無史さん
09/04/21 16:17:21
騎馬民族征服説ってやつだね。
日本人の感情にそぐわない話だけども。
日本書紀にある国譲りは、土着の日本人が外来の勢力に支配権を奪われたことの神話化だ、とかいわれるけど。
どーも抽象的なんだよな。

465:日本@名無史さん
09/04/21 16:22:08
第三者の中国の史書には新羅や百済は倭を大国とし仰ぎ敬っているとある

466:日本@名無史さん
09/04/21 16:58:12
後漢書倭伝だと倭には百歳を超えたものが沢山いる、とか好き勝手書いてるからな。仙境幻想とごっちゃにしてね?

467:日本@名無史さん
09/04/21 17:43:03
ご寛恕等遺伝だと奴国が倭の南端と言うことになってるな。
すなわち倭とは半島南部から福岡以北な訳だ。
半島に住んでいた倭人(=韓国人の一派)が
次第に倭列島に勢力を広げていったと言うことがよく分かる。

468:日本@名無史さん
09/04/21 18:06:09

  『韓』
「中国の地方名、地名、人名、王朝名、の一つ」

であるから、韓国人という独自の民族が古代から居たわけが無い。
倭を「ヤマト」という固有の発音で呼ぶのは古代からの日本人だが
韓を固有の発音で呼ぶことは朝鮮人も無い。

韓国人などという中国人の一部ではない人間が居たとすると
倭をヤマトと呼ぶ日本人のように
韓を朝鮮人固有の発音で呼ぶ「民族名」がなければおかしい。

韓国人が前方後円墳を破壊したのは事実であるし
東アジアの古墳時代以後に半島に入った民族が韓国人なのだと思われる。
以前から居たのなら、とにかく固有の発音の民族名が必要。
無いのだから、韓国人は中国人である。
倭人ではない。


469:日本@名無史さん
09/04/21 18:48:22
>>461
>三国史記が書かれた時代において、
>すでに日本が「あこがれの国」だった。

すでに朝鮮は小中華だったと思うが。
そういう彼らが新羅4代目の王が倭人と書かなければいけないなんて大変な屈辱だったと思うが?


470:日本@名無史さん
09/04/21 19:35:55
「脱解本多婆那國所生也、其國在倭國東北一千里」なんだから
多婆那國は倭国とは別の国(空想上?)ってことでしょ。

471:日本@名無史さん
09/04/21 19:37:28
好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致 読売新聞2006-04-14
「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」
--------------------------------------------------------------------------------
古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され
、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、
中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、
旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。
好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、
それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。
その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。補足:
好太王碑 
広開土王碑ともいう。現在の中国東北部から朝鮮半島北部を統治した高句麗(紀元前後~668年)
の好太王を顕彰するため、没後2年の414年、吉林省集安市に建立された。高さ6.2㍍で東アジア
最大の墓碑。
王の戦績など約1800字が刻まれている。1880年に中国(清)の役人が発見した。近くにある古墳群
とともに世界遺産に登録されている。
ソース:読売新聞2006/04/14 朝刊19面

472:日本@名無史さん
09/04/21 19:52:19
政治的意図で誇張したってことは?
「百済とかがあこがれるほどの国も、我が(南朝の)宋に朝貢して属国の礼を取ったぜ」
とか
「百済とかを支配するほど暴れた倭を、我が王が撃破したぜ」
とかの偉大さを誇示するために。
どうもつじつまが合わんし。

473:日本@名無史さん
09/04/21 19:56:54
普通に考えて高天原は高句麗だろ。

天孫降臨は、高句麗あたりから征服者がパーッとやってきてパーッと征服した事実の神話化だな。

474:日本@名無史さん
09/04/21 19:57:01
>>468
>  『韓』
>「中国の地方名、地名、人名、王朝名、の一つ」

その「韓」は中国の戦国時代の一国のことじゃないのか?
山東半島から河南省あたりを領域としたという。

一方で、同じ字で半島南部の地域を指す。
字が同じだからと言って、半島南部の住民が中国人とは言えない。


475:日本@名無史さん
09/04/21 20:50:44
>>474
読みが現地固有の発音に、何かしらの漢字を当てはめたのなら
中国人ではない。
しかし、現地の発音が無く、そのまま漢字だけが使われている場合は
中国人の入植者が先祖と言うことになる。

韓国人は固有の民族名が無い。
高句麗、百済は「フヨ」族を自称していた。
自分たち自身の民族名があったわけだ。
韓国人は韓民族を名乗る。発音もハン。これは中国人の漢民族の発音ハンと同じだ。

日本の場合、倭、日本、大和どう書こうと、民族の発音としては「ヤマト」と読む。
漢字は重要ではない。
民族の名があるかどうか、だ。
日本には固有の神も数え切れないほど名がある。

韓国人は無い。
これは、もともと固まった民族が無く、中国人の支配者の下で民族になったからであろう。


476:日本@名無史さん
09/04/21 22:02:50
>>470
国って概念の問題だな。
江戸時代には沢山の「国々」があったしね。
人種的には倭人という事だな。

477:日本@名無史さん
09/04/21 22:31:07
>>475
古代に朝鮮南部を「韓」と名付けたのは帯方郡などの中国人が属国管理上
やったことであって、辰韓、馬韓、弁韓などそれぞれの地域に住んでいた
原住民の意向とは関係ない。それぞれの原住民は中国人のつけた名称とは
関係なくじぶんたちの自称を持っていただろう。

それは例えば加羅諸国の漢字表記(漢字を音であてはめた)の国名に現れて
いるが、ほんとうのところ彼らがどのように民族名を自称したかは、「わからない」
のだ。「わからない」からと言って「ない」とは断定できない。

それと上記の「韓」と現在の韓民族、韓国などの「韓」をごっちゃにしては
いけない。現在の「韓」は古代の「韓」とは無関係に、中国化した朝鮮人
自身がじぶんで選んだ漢字だ。そしてその表すところの民族は、何度となく
繰り返された混血や文化受容を経て、はるか後世になって形成されたものだ。
古代の韓地域の住民とはつながってはいても、民族的には全く異なる。

ついでに言っておけば、韓と漢とは同じ音だが声調が違う。漢は4声、
韓は2声だ。

478:日本@名無史さん
09/04/21 22:55:16
そもそも民族の自称なんてのもなあ…

ヤマトにしたって、奈良県の一地域名だったものが
王権の伸張とともに拡大して、倭という他称とイコールに
なったということ。
九州人は半島人からヤマトの人って呼ばれたかもしれないけど、
それはもともと自称ではない。


479:サガミハラハラ
09/04/21 23:44:20
ヤマトは初めは福岡市の山門の地名が、神武が奈良に移住した結果、彼の故郷であるヤマトをもって
新天地をよんだのです。その後は上記のごとくです。

480:日本@名無史さん
09/04/22 00:11:05
山門の「と」と大和の「と」は音が違うという説はどうなったんだろう?

481:日本@名無史さん
09/04/22 00:22:20
まあそうなんだ。
韓にこだわり、蘇我韓子が居たから蘇我氏は韓国人であるとか
自分は言いたい放題言っておいて
お前は韓だから中国の一部じゃないのか?というと
中国の韓と半島の韓は違うなどと言う。
2ちゃんの議論でも昔からだ。

しかし、やはり韓が中国読み以外の発音の名称が無いのなら
その大元の初期は中国人の植民地が始まりであるとするのが普通だろう。

482:日本@名無史さん
09/04/22 04:18:24
当時に植民地なんて概念、あったのか?
学問板ならとりあえず蔑視感情とか捨てておけよ。

483:日本@名無史さん
09/04/22 05:47:29
DNA見ても
漢民族と韓民族はそっくりだしね
多少韓民族のほうが混血してる度合いが大きいけど
ほとんど同じ種族

日本民族は漢民族と韓民族にはほとんど見られない
D系統のミトコンドリアのパーセンテージが4割もある
明らかに漢民族や韓民族とは違う種族

484:日本@名無史さん
09/04/22 06:44:33
D系統のミトコンドリアのパーセンテージが4割もあるのは
他にはご存知のようにチベット族
言語(文法等)を見てもチベットと日本とは同系統の種族

厳密に言うとHaplogroup M7(D2系統)は日本にしかないが
これが縄文人のDNAと言える
『DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?』
崎谷満(2008)によれば、
1万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人。
D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42~56%で、
朝鮮半島では0%。近縁のD1,D3がチベットで見られる。
D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。



485:サガミハラハラ
09/04/22 09:38:02
>>480勿論、時代を経るうちにどちらかが変化したのですよ。

486:日本@名無史さん
09/04/22 12:08:14
韓って中華の韓かもしれんが
加羅のカラが韓の語源なのかもしれん。
では加羅はなんなのか。

漢は、劉邦が中原統一の時の集団名。
倭は、神武天皇のヤマトの名。
では、韓は誰が中心なのか。
檀クンとか言うやつか。

487:日本@名無史さん
09/04/22 16:49:58
日本の倭、という字だって、発音が似ている中国の語を当てはめたものだろ。
そんな深い意味はないだろう。>韓

488:日本@名無史さん
09/04/22 21:57:55
■新羅王家・『朴氏』は存在しなかった。
                                         
 高麗時代に編纂された朝鮮の歴史書・『三国史記=新羅本紀』の中に、新羅を建国した王家として
『朴氏』という王家が登場する。だが、『朴氏』などという王家は存在しないのである。
 この『朴氏』という王家は、『三国史記』の編纂者・金富軾(きん・ふしょく)が、
任那日本府に伝わる古文書を読んで、その記録の内容を誤解して創作した王家なのだ。
 おそらく金富軾は、任那日本府の『シラキ史』の記録に出てくるシラキ王の称号・『日子』(ボコ)を、
王族の「氏」であると誤解し、 ボコに『朴』の字を当てたのであろう。
 古代日本の皇族男子の名前の頭には、『日子』(ボコ)が付くことが多い。
『日子』はアマテラス大神の子孫である皇族男子を 意味する称号である。
(例:日子ホノニニギ、日子ホホデミ、日子イマス王など)  しかし、
朝鮮人(ワイ族)である金富軾が、そのような事実を知るわけがないので、彼は『日子』を氏だと勘違いしたのだ。



489:日本@名無史さん
09/04/22 22:00:04
第四代以降の王家だとされている『昔氏』(セキ氏)というのも、金富軾が誤解に基づいて創作した王家である。 これは
金富軾が、カラ半島東南部に位置した旧シラキの別名・『南加羅』(ありし日のカラ)の号を誤解した結果、創作された氏であろう。
『南加羅』の日本式の読み方である『ありし日のカラ』の「ありし日」とは、昔という意味なのである。
 おそらく、高麗に残っていた任那日本府の歴史文書には、『南加羅』(ありし日のカラ)のことを『昔加羅』、
もしくは『昔新羅』と表記していたのだろう。
 それを読んだ金富軾は、『昔加羅』を「昔氏の加羅という意味なのだろう。昔氏という王家が存在したのだろう」と、
誤解したのである。
 『南加羅』『昔加羅』というのは、古代カラ半島東南部にあった頃の『シラキ』(知ら城)であり、『三国史記』が「昔氏」と
呼んでいる『シラキ王』は、ヤマト朝廷が『シラキ日本府』へ派遣した長官(ミコト持ち)であろう。だからこそ
、『三国史記=新羅本紀』は、 「昔氏は倭から来た」と記しているのである。

 そして、『昔氏』の後を継ぐ王家として登場する『金氏』だけが、実在した『新羅王家』であり、
『金氏』はケリン族(鶏林)の王家 なのである。つまり、新羅(ケリン)を建国したのは『金氏』であって 、
『朴氏』や『昔氏』などという王家は、新羅には存在しなかった。『三国史記』において、
『朴氏』、『昔氏』という名で呼ばれている王は、実は新羅以前に存在した『志羅紀』(シラキ)を統治していた
倭人王、つまり、日本皇族のことなのだ。


490:日本@名無史さん
09/04/22 22:21:58
南加羅を「ありひしの加羅」というのは「あるしたり、おこしたり」(上多利、
下多利)の「あるし」と関係ありそうだな。
まあ「ありし日」は語呂合わせだろうが。

491:日本@名無史さん
09/04/23 02:37:08
語呂合わせ、というかただの言葉遊びだな。

492:日本@名無史さん
09/04/23 06:03:22
URLリンク(japanese.joins.com)
「ありがとう、韓流」 自信を抱いた在日同胞たち(1)

URLリンク(japanese.joins.com)
「ありがとう、韓流」 自信を抱いた在日同胞たち(2)


493:日本@名無史さん
09/04/24 01:20:54
百済神社とかもそうだが、半島の古代に存在した国家を祭ってるのは
日本しか無いんだよな。
ということは、百済などの国のために戦い、裏切りも無かった男の子孫は
日本にしか居ないということになる。

ということは任那などもそうだろう。
謝罪すべきは半島の人間ではないか。



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