09/02/20 09:02:12
>>99
>先祖の土地の返還と、コリア人の朝鮮半島立ち退きを要求することができることになります。
いらねぇよ、そんなの。
立ち退きを要求をやりたかったら1人でやれ。
102:日本@名無史さん
09/02/20 17:01:54
スサノオの神話や、蘇我満智の伝説など見れば、その時代の両岸諸国の支配層
を朝鮮だ日本だと仕切ることがあほらしくなる。
同じ一つの文化圏の歴史であり、戦争は内戦だと考えればよいのだ。
103:日本@名無史さん
09/02/20 19:32:53
同意。両岸とも権力者は韓国人と理解すればすっきりする。
104:日本@名無史さん
09/02/20 19:42:06
>>103
それがすでに「仕切って」いる。
何人とも未分化、未形成の人たちなのだ。
105:日本@名無史さん
09/02/20 19:50:50
半島の莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だし
もともと半島南部には北九州の倭人が定住してたんだろ。
ヤマト(邪馬台)が北九州の倭人社会もまとめ、半島倭人は後の任那に繋がると。
106:日本@名無史さん
09/02/20 20:24:32
三国志東夷伝には、
夫餘・高句麗・穢・沃沮は「言葉が似ている」、弁辰韓は中国語の方言だと
わざわざ書いてるのに倭と馬韓にはなにもない。
種族が異なるんだから言葉も違うのは当たり前、当たり前のことはわざわざ書かないんだろう。
>>102に対して>>103のように
>同意。両岸とも権力者は韓国人と理解すればすっきりする。
といえば朝鮮電波となり、
「同意。両岸とも権力者は日本人と理解すればすっきりする」
といえば戦前の「日鮮同祖論」となる。
しかし、そもそも>>102や>>104が正しいのか?
>>102は珍しい記録を針小棒大にとりあげて一般化しようとしているように思えるが?
ゲルマン人とローマ人は古くから密接な交流があった、
中国人と北方遊牧民もまたしかり。
イラン人とアラブ人でも、なんなら英国人とドイツ人でもいいし
ベトナム人とカンボジア人でも、なんでもいい。
だからってそれらの両者が未分化の同一民族って話にはならない。
三世紀の段階ですでに倭と韓は別の種族と考えられていた。
たとえば鮮卑と烏丸は別の種族だが
中国人は元は同系の種族だったと記録されている。
しかし倭と韓を見比べて中国人が似てると考えたような痕跡は記録にない。
107:日本@名無史さん
09/02/20 20:37:31
>>105
そもそも弥生人は韓国系なわけだが。
108:日本@名無史さん
09/02/20 20:47:01
弥生人が韓国系なら、なぜ日本と韓国で言語が異なるのだろう?
中国の歴史書などで「倭」と「韓」と別の種族として記されているのだろう?
答えてみんしゃい。
109:日本@名無史さん
09/02/20 21:17:04
>>107
そんな説はナイから。
ムリヤリ煽ってスレを盛り上げようとしなくていいし。
110:日本@名無史さん
09/02/20 21:46:28
>>106
だから、それは民衆についてだ。
私が言っているのは支配者。
111:日本@名無史さん
09/02/21 02:06:45
韓国人?はて?韓国人?
世界古代史にそんな人種、民族はいませんよ?
どこのファンタジー小説?
112:日本@名無史さん
09/02/21 02:33:47
>>101
朝鮮人にはどこか遠くへ移転していただいて、
返還された朝鮮半島は無人の更地の荒野、
もしくは地球温暖化対策の無人の大森林地帯化。動物の楽園でもいいかな。
こんな感じで、とても幸せになりますよ。
南部の任那地域くらいは、米でも作りましょうか。
113:日本@名無史さん
09/02/21 03:36:55
>>107
電波飛ばすなチョン
114:日本@名無史さん
09/02/21 08:54:05
>>102
蘇我満智は渡来した百済の高官
しかしそれ以前に新羅の血が入ってる
韓子、高麗なんて名前見ても韓国系であることは明白
古代日本の王朝は韓国系が築いたは正論
115:日本@名無史さん
09/02/21 09:23:24
>>114
蘇我蝦夷は名前の通り、まさに蝦夷。
古代日本の王朝は蝦夷が築いたは正論。
116:日本@名無史さん
09/02/21 09:28:41
現代の韓流にも劣らぬ人気で日本画家に影響を与えた"朝鮮絵画"の人気・・・「朝鮮王朝の絵画と日本」展[02/20]
朝鮮絵画に対する日本の片思いは昨日今日の事ではない。
朝鮮通信使が日本を訪問すれば作品を求めるため人々は並び、 朝鮮の文化人より受けた
推薦で名品を保証するなど、朝鮮絵画は今日の '韓流' の人気に劣っていなかった。
'朝鮮王朝の絵画と日本'展が開かれた19日の静岡県立美術館でもそれを確認することが
できた。
今度の展示の最大の意味は、これまで中国もしくは日本絵として誤って知られていた朝鮮
絵画が'国籍'を取り戻したということだ。山水画の独自的画風を開いた、中国南宋の画家
馬遠の物として伝わっていた15世紀後半の作品'山水図'が、実は朝鮮絵画だったということ
が今度の展示を通じて明らかにされた。
また明の影響を受けたことで知られる日本水墨画の大家、雪舟(1420~1506)が、韓国の
文化人から撰文(一種の推薦書)を受けた作品が紹介され、朝鮮絵画がどのような位置づけ
であったかをうかがい知れる。
珍景山水画の日本への定着を成した池野 大雅(1723~1776)は、朝鮮画家の金有声
(1725~?))に憧れていた。もっとも日本的な絵を描いたと評価を受けている俵屋宗達は
動物画で有名な、16世紀朝鮮画家の李巌(1499~?)に影響を受けたという事実が今度の
展示で紹介されている。
李教授は「日本の所蔵者は'日本作品'と '非日本作品'(唐物)とに分けるだけで、海外作品の
国籍や作家はまともに調べたりしない」と言う。「これは韓国美術に対する無知の所産だが
今度の展示で日本で朝鮮絵画が新しく発見される可能性は大きい」と明らかにした。
「なにより日本がこれまでの閉鎖的な態度を捨て、主体的に朝鮮絵画が日本画壇へと
及んだ影響を分析するということは大きな意味があります」と語った。
日本列島が朝鮮絵画の韓流で熱い中、韓国に展示が繋がらなかったのは惜しいと指摘され
ている。
URLリンク(news.naver.com)
117:日本@名無史さん
09/02/21 09:33:27
URLリンク(www.chosunonline.com)
韓国はポルトガルの植民地だった!?
【新刊】李吉相(イ・ギルサン)著『世界の教科書・韓国を語る』(青い森)
「4-5世紀に日本人は韓半島(朝鮮半島)南海岸に小さな植民地を所有していた」「1640年代に韓国は中国・清王朝の属国になった」
米国の「世界史」の教科書に堂々と記載されている韓国の歴史だ。われわれは「教科書の歪曲(わいきょく)」といえばすぐさま
日本を思い浮かべるが、これは日本だけの問題ではない。あらゆる大陸と文化圏で、多くの国家が韓国について誤った情報を
教科書で学んでいる。本書は、韓国学中央研究院の李吉相(イ・ギルサン)教授が2003年から40カ国余りの教科書500種類以
上を一つ一つ分析し、見つけ出した歪曲と誤りの事例を取り上げている。
それには首を傾げるほどにとんでもない内容が多い。イタリアの『1900年代の世界史』は、「韓国はヤミ市場を通じ材料と技術
を導入しさえすれば、核爆弾を作ることができる国」と紹介している。アルゼンチンの『一般地理』では、韓国がマラリア感染地域
に分類されており、パラグアイの『歴史と地理』では、韓国をかつてポルトガルの植民地だったと表示している。
米国の教科書のあちらこちらには、オリエンタリズムと日本の植民史観が反映されている。プレンティスホール社が2004年に
出版した『世界文化』には、「西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、韓国南部の地域を統治
するまでに至った」という、あきれるような文章がある。韓半島南部を植民地にしていたとする「任那日本府説」が、米国の教科書
では健在だというわけだ。
カナダやオーストラリアの教科書もまた、日本の植民史観を盛り込んでいる。日本の教科書の中には、「高句麗や渤海といった
古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という、中国の東北工程(高句麗・渤海の歴史を中国の歴史に編入
しようとする企図)を後押しするような内容もある。
118:日本@名無史さん
09/02/21 10:35:40
韓国人はワイ族です。
カラ族に成り済まさないで下さい。
日本人は韓国人ではありません。
YAP+とYAP-を持っているのが日本人です。
スキタイのサカ王家では、三種の秘宝の継承が代々行われていましたが、それは現在でも日本皇室に受け継がれていますよ。
119:日本@名無史さん
09/02/21 10:50:34
古代イスラエルの失われた十支族にも、一族ごとに代々秘宝を受け継ぐ伝統があったようですが、それは十種の神宝として日本に残ってますよ。
で、韓国にはないのですか?古代から脈々と受け継がれた伝統とか秘宝とか??
120:日本@名無史さん
09/02/21 11:50:01
>>114
蘇我満智は、新羅と戦争した百済の将軍と新羅の女との間に生まれ、加羅で
育ち、長じて日本に渡った。
両岸の要素はすべて入っている。
121:日本@名無史さん
09/02/21 12:04:18
>>119
それってエジプトの死者の書からパクった十戒のことだろ?
とぐさのかんだからの起源はエジプト、死者の書(一発変換できた)。
122:日本@名無史さん
09/02/21 12:05:27
>>120
鬼室福信はどうですか?
123:日本@名無史さん
09/02/21 12:06:24
>>120
>114はおまえだろ。自演乙。
両岸の要素が入ってる蘇我満智の墓ってどこか教えてくれ。
124:日本@名無史さん
09/02/21 13:31:21
>>116
朝鮮絵画なんて日本では全然知られてないよな。
それより浮世絵が欧州の美術に大きな影響を与えたジャポニズムについて
韓国では教科書でどう教えてるのだろう?
まさか韓国絵画が欧州美術に影響を与えたなんて言ってるんじゃないだろうなw
125:日本@名無史さん
09/02/21 13:41:29
>>120
蘇我満智ではなく木満致はな。
126:スサ
09/02/21 13:45:38
シュメールやスキタイや古代ヘブライ王家の遺伝子は、YAP+とYAP-で確実に日本人に受け継がれてる。
これは倭人や現代日本人特有遺伝子のため、ワイ族韓国人は絶対に持っていないし、日本人との混血でも持つことは出来ない。
よって、朝鮮半島起源の全ては詐欺捏造の類だからもうやめなさい。
127:日本@名無史さん
09/02/21 14:35:02
>>123
私は114 のように「韓国系」という言葉は絶対に使わない。
私は故意に木満致と蘇我満智を混同しているが、蘇我満智は歴史上の
人物だ。それなら墓がどこにあるかは君のほうが詳しいだろう。
128:日本@名無史さん
09/02/21 14:55:01
コピペ1
■■神道とキリスト教のつながりについて
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
173 :名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:57:47 ID:p7mjrdgY
日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。
■倭人とは何か
シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称。
稲作も行っていた。
129:日本@名無史さん
09/02/21 14:56:28
これらの主張について、識者の見解を聞きたい。
>>128の続き
コピペ2
■■神道とキリスト教のつながりについて
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
173 :名無しのひつじさん:2008/07/28(月) 10:57:47 ID:p7mjrdgY
■ワイ族とは何か
古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖である。『東ワイ』とも呼ばれる。
『ワイ』、『東ワイ』というのは、半島北部を支配していた漢人が付けた名称である。
日本書紀=崇神天皇紀および垂仁天皇紀の「ソナカ・シチ=都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)の条」には、
シラキ人の敵=『ケリン族』(鶏林)という民族名で登場する。
『鶏林』という字は、民族名・『ケリン』に漢字を当てたものであり、特別な意味はない。
ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人(後世のミマナ人)、クタラ人などとは
敵対関係にあり、倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
ワイ族は、3世紀(崇神天皇の時代)に、まず最初にシラキを侵略し、4世紀前半頃には完全に乗っ取った。
その後、シラキ領に『新羅(シンラ)』を建国し、シンラ人、シラ人と自称するようになった。
シラ人とはシラキ人という意味である。
シラキ領(カラ半島東南部)を奪われた結果、本物のシラキ人は敵と身内を区別するために、
自国の号を『シラキ』から『ミマナ』へと改めざるを得なくなった。
新羅は、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)への侵略を何度も繰り返し、
6世紀前半には、ついにミマナを滅ぼして、新羅(シンラ)に併合した。
7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を支配下においた。
130:日本@名無史さん
09/02/21 15:59:12
>>127
>私は故意に木満致と蘇我満智を混同しているが、蘇我満智は歴史上の
人物だ。
なぜ故意に混同するのだ。
わけわからんw
131:日本@名無史さん
09/02/21 16:16:48
>>130
同一人説があり、私はそれを信じるからだ。
ところで蘇我満智の墓は?
132:日本@名無史さん
09/02/21 16:22:36
中部以東の倭人のほとんどは平安時代になっても竪穴式住居に居住していたんだろ
133:日本@名無史さん
09/02/21 16:48:32
>>131
同一人物説のお前が答えろ。
134:日本@名無史さん
09/02/21 18:26:43
蘇我を渡来系と言ってる馬鹿チョンに聞くが、
なぜ新撰姓氏録に諸蕃(渡来系)と書かれてないのか、
その合理的理由を言ってくれ。
もういい加減ウザい。
135:日本@名無史さん
09/02/21 21:17:00
>>134
それは新撰姓氏録を信じればの話だ。
136:日本@名無史さん
09/02/21 22:04:00
>>135
また屁理屈か。
もし渡来系なら、
没落したのにも関わらず、
何故皇別と書かれてるのかの理由を言わなければ。
本当は皇別なのに諸蕃に格下げされたというのならまだ話は分かる。
勝ち組の藤原でさえ神別なのだから、
とどのつまり家柄を偽装なんて出来なかったということだ。
137:日本@名無史さん
09/02/21 22:19:23
>>69
分かりにくいんだけど、ヤマトが伽耶や百済地域まで
軍事的支配下に置いてたってこと?
138:日本@名無史さん
09/02/21 23:01:41
>>137
伽耶はもちろん百済地域にまで
大和朝廷と同じ軍装が出るのでそういう事だろう。
好太王碑や日本書紀などの文献史とも一致する。
日本に騎馬民族の軍装なんて1つも出ないのに、
長年、騎馬民族説なんてのがまかり通ってた事を考えれば、
どれほど信憑性が高い事か。
139:日本@名無史さん
09/02/21 23:40:16
馬や馬具を模した造形物が古墳から出土されるのは
その時点で、馬を操る軍事力が存在したからなのかな。
140:日本@名無史さん
09/02/21 23:41:39
>>138
同じ軍装というと具体的には何があったっけ?
141:日本@名無史さん
09/02/22 00:21:55
>>139
馬具だけなら乗馬習慣があったというだけで、
騎馬戦術が有ったという事にはならない。
騎馬用甲冑が出れば騎馬戦術があったという事だろう。
>>140
大和軍の武装は冑が衝角付冑か眉庇付冑。
甲冑は帯金短甲。
142:日本@名無史さん
09/02/22 00:25:01
日本が百済、伽耶方面の軍装を取り入れたんではないの?
騎馬戦術とともに。
143:日本@名無史さん
09/02/22 00:43:28
>>142
帯金短甲は日本だ。
韓国に出ない種類が日本に有るという事は、
日本発祥の証拠になるし、実際、質も量も上回ってる。
騎馬戦術は馬が5世紀前後に日本に来てから、
約1世紀かかって誕生したようだ。
継体天皇の頃には完全な騎馬軍があったと思われる。
この頃に出土する埴輪から類推できる。
144:日本@名無史さん
09/02/22 01:14:34
>韓国に出ない種類が日本に有るという事は、
>日本発祥の証拠になるし、実際、質も量も上回ってる。
日本のほうが短甲のバリエーションが多いという意味でしょうか。
バリエーションが多い方が発祥地だというのは解せないが。
いづれにせよヤマトの軍隊が伽耶はおろか百済さえ
押さえていたなら、新羅にまんまと安羅や大伽耶を
掻っ攫われることはなかったと思うけど。
145:日本@名無史さん
09/02/22 03:46:37
>>144
質も量も種類も日本のほうが多いってことは明らかに発祥地を示している
新羅に、ってか中国軍な
146:日本@名無史さん
09/02/22 05:03:05
日本人 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
↑これの”Y染色体による系統分析”によると九州人は”朝鮮人”と遺伝子が非常に近いらしい。
これはどういうことか。文型には理解できないのか。
147:日本@名無史さん
09/02/22 05:07:05
古代の半島は日本の植民地だったからな
148:日本@名無史さん
09/02/22 05:14:53
>>147
いや、今の朝鮮人と九州人のDNAが非常に近いって言ってるんだけど。
そのワイ族=現朝鮮人と九州人のDNAがだいたい同じってことは九州人=ワイ族ってことでしょ?
149:日本@名無史さん
09/02/22 05:18:05
もっと厳密に言えば九州・山口地方かな。
150:日本@名無史さん
09/02/22 06:08:17
だから日本の植民地だったからだろ
今のチョンはそのあとにツングース系に征服されたあとの子孫
151:日本@名無史さん
09/02/22 06:09:44
>>150
その今のチョンと今の九州人のDNAがほぼ同じなんだよ。
152:日本@名無史さん
09/02/22 06:12:13
>>151
植民地だったから当時の九州人の遺伝子があるんだろチョンには
馬鹿だな
153:日本@名無史さん
09/02/22 06:13:21
>>152
7割程度まで同じなんだぞ?九州人=チョン。
154:日本@名無史さん
09/02/22 06:14:54
>>153
頭悪いなーおい
九州人がチョンなんじゃなくてもともとチョン半島に倭人が住んでたから
九州人に似た遺伝子をチョンが残してんだろっての
155:日本@名無史さん
09/02/22 06:15:24
なんでもあべこべにするよなチョンは
156:日本@名無史さん
09/02/22 07:01:44
>>144
>いづれにせよヤマトの軍隊が伽耶はおろか百済さえ
>押さえていたなら、新羅にまんまと安羅や大伽耶を
>掻っ攫われることはなかったと思うけど。
大和が半島でプレゼンスを示したのは5世紀後半あたりがピーク。
日本で製鉄が行われるようになってから、
また磐井の乱の後は、急に弱まった感じだね。
157:日本@名無史さん
09/02/22 08:58:29
>>146
???
どこにもそんなこと書いてないが?ヴァカ?
アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67
朝鮮 12 0 3 0 51 38
158:日本@名無史さん
09/02/22 09:23:22
全然近くねぇじゃんw
159:日本@名無史さん
09/02/22 09:27:20
チョンはワイ族だってのは揺るぎない事実。
おまけに、いくら日本人と混血してもYAP+とYAP-がワイ族韓国人に残ることは皆無。
悔しさのあまり火病起こすなよ(笑)。
160:日本@名無史さん
09/02/22 09:31:59
「日本人特有の遺伝子とは?」
島国であり人の出入りが少なかった日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種である。
日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、他の世界のどこにもほとんど存在しない。
さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立って見える。
またこのD系統はYAP型とも言われ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。
東アジアの地域全体にはアジア系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。
D2系統はアイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42~56%(参考までチベット33%)で、韓国ほぼ0%である。
アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統であり、本土日本人と沖縄人にはO系統が混ざっている。
それでも本土日本人のD系統は半数以上である。
つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、アイヌにアジア主流のO系統を足したのが本土日本人となる。
結論として日本人は基本的に共通して、アイヌ人~本土日本人~沖縄人までD系統(北方古モンゴロイド)がベースになっており、
日本人3集団が持つD系統を持たない韓国人は赤の他人と結論できる。
161:日本@名無史さん
09/02/22 09:51:36
新羅と安羅の挟撃で任那は滅びたのなら、安羅の邪馬壱国と九州王朝分国の任那は敵対関係にあったのか?
すると、邪馬壱国は九州南部にあり、九州北部と朝鮮南端に九州王朝倭国があったわけだ??
162:日本@名無史さん
09/02/22 15:17:01
>>145
>質も量も種類も日本のほうが多いってことは明らかに発祥地を示している
納得できないなあ。
発祥地よりも質、量、種類を発展させるなんてのは
むしろ日本のお家芸じゃない。
なにかこういう本を読めばわかるぞってのはあります?
>新羅に、ってか中国軍な
ちょっとまって。
伽耶諸国を併呑したのは新羅だよ。
中国軍は介在しない。勘違いしてない?
>>156
雄略、継体の後は国内でごたごたしてたからね。
163:日本@名無史さん
09/02/22 18:40:37
>>162
>納得できないなあ。
何でだよw
簡単な話。
例えば前方後円墳の総数も作られた期間も日本が圧倒してるだろ。
韓国のごくわずかな前方後円墳は日本の前方後円墳文化が
波及したものであると、まぁ誰でも思うだろ。
極端に言えばそれと同じ。
韓国のまともな学者も帯金短甲は日本だと認めてるよ。
まぁ韓国の糞メディアは認めないけどね。
164:日本@名無史さん
09/02/22 18:47:28
>>162
>なにかこういう本を読めばわかるぞってのはあります?
URLリンク(www.ops.dti.ne.jp)
ここの、2) 韓国出土の帯金式短甲が分かりやすい。
>以上の帯金鋲留式短甲は鋲が目立ち,>韓国の短甲の伝統には見られない特徴である。
>これは,帯金式甲冑が日本製であることの傍証となる。
とかあるよ。
165:日本@名無史さん
09/02/22 21:50:26
>>163-164
拝見しました。紹介してくれてありがとう。
なるほどそれをみる限り、たしかに帯金式甲冑というのは
倭国製か倭の影響が濃いものらしい。
出土例は伽耶諸国のあった慶尚南道が多いね。
少数ながら大伽耶や百済・馬韓諸国の境界付近、
百済・新羅の境界付近にもみられるようだ。
年代も5世紀後半から6世紀前半あたりというのは興味深い。
帯金式甲冑に代表される武具が、倭国内でそうであったように、
倭の王権によって配布供与された可能性は高いね。
ただし、上記の地域の勢力が「大和軍」といえるほど
倭の掣肘のもとにあったかどうかはこれだけじゃ分からない。
新羅の干渉に対して日本府がそれらの勢力を糾合して牽制したり
迎撃したってことはあるの?
166:日本@名無史さん
09/02/22 22:25:51
>>165
5世紀なら新羅は何もできなかったろうね。
磐井の乱の後はわからないが。
167:日本@名無史さん
09/02/22 22:41:24
5世紀の新羅は高句麗に従属していた弱小国家に過ぎないからね。
6世紀に入ってようやく百済と伍し、脅威を与える存在になった。
168:日本@名無史さん
09/02/23 01:45:06
>>160
で、九州人と朝鮮人のそれの近似はどう説明するの?
九州・山口地方ってのは何なの?
169:日本@名無史さん
09/02/23 01:57:14
?
170:日本@名無史さん
09/02/23 04:00:43
>>168
全然近似なんてしてないが
171:日本@名無史さん
09/02/23 07:52:42
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
朝鮮 12 0 3 0 51 38
↑FRO3、FRO2b、FRO1、CC3で近似であると言える。これは一体どういうことか?日本国籍保有者の中で九州人が一番朝鮮人に近い。
172:日本@名無史さん
09/02/23 08:02:38
>>171
全然近くないんだが
173:日本@名無史さん
09/02/23 08:14:45
>>172
具体的に指摘して似ていないということを証明して見せろ。
174:日本@名無史さん
09/02/23 08:26:06
どこまでを似ていると言うのかその概念を言え。
175:日本@名無史さん
09/02/23 08:32:39
>>174
お前の辞書には載ってないのか?
176:日本@名無史さん
09/02/23 08:46:43
157 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2009/02/22(日) 08:58:29
>>146
???
どこにもそんなこと書いてないが?ヴァカ?
アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67
朝鮮 12 0 3 0 51 38
177:日本@名無史さん
09/02/23 09:04:21
漢(華南) 5 0 15 30 0 33
漢(台湾) 0 11 7 0 60
178:日本@名無史さん
09/02/23 09:04:30
>>175
おまえの辞書に書いてある「似てる」の概念を言え。
日本人に共通してるD2が朝鮮では0である。
これでどこが似てると言えるのだ?
179:日本@名無史さん
09/02/23 09:37:26
>>177
アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67
朝鮮 12 0 3 0 51 38
華南 5 0 15 30 0 33
台湾 0 11 7 0 60
180:日本@名無史さん
09/02/23 18:17:37
>>178
朝鮮のD2は表記がないだけで0ではない。
表記がないからといって0ではないとwikipediaには書いてあるだろう?よく読め。
181:日本@名無史さん
09/02/23 18:23:17
>>180
朝鮮のD2は0になってるだろうが。
おまえこそよく読め、ハゲ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
182:日本@名無史さん
09/02/23 18:35:14
イタいなwわざとやってんのかw
183:日本@名無史さん
09/02/23 22:42:07
URLリンク(www.yoshinogari.jp)
[近年の発掘調査により、衣服以外の弥生人のファッションについてもわかってきました。
男性の髪型は吉野ヶ里遺跡の甕棺墓からミズラという埴輪に見られる耳の上で髪を巻いてまとめた形の毛髪が出土したことから、
既に弥生時代からミズラがあったことがわかりました。
また、倭人伝には人々ははだしであると記述されていましたが、
吉野ヶ里遺跡や福岡県の那珂久平遺跡で板を浅くえぐった
木製の履物と考えられる遺物が出土しており、
沓が存在していたことも明らかになっています。]
あ~ぁ。
騎馬民族説にとってまた不利な材料がw
184:日本@名無史さん
09/02/23 23:01:47
つまり再現絵や漫画の
あの弥生人がミズラの髪型だったりするのは正しかったわけか。
185:日本@名無史さん
09/02/24 02:22:48
スレリンク(news4plus板)l50
【日韓】 六十代の日本人、「韓国史」で高麗大の学位取得~「日本文化の根である韓国文化と歴史、学びたかった」
URLリンク(www.chosunonline.com)
【歴史】東大寺と正倉院の華厳経から新羅の角筆加点を発見
日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」という小林教授の主張は、
大きな根拠を得ることになるとみられる
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
>日本の仮名の源流は古代の韓国の口訣にある」
186:日本@名無史さん
09/02/24 03:01:53
結局チョンと似てるなんて馬鹿チョン電波だったなw
>>185
角筆加点なんてのは漢文を読むための訓点であって、かな文字ではないw
しかも中国でも角筆加点やってたので朝鮮のものってわけでもない
チョンの馬鹿新聞のいつものウリナラ起源認定電波だよw
187:日本@名無史さん
09/02/24 05:22:47
「日本は古来から外国の文化を受け入れてきたじゃないですか?
仏教もそうだし、キリスト教も上手に受け入れてきたじゃないですか
皇室だって韓半島の血が入っているし、外国の文化を受け入れそれを上手く
日本型に改良して発展させてきたのが日本の凄さですよ」
By櫻井よしこ(2/22サンデープロジェクトより)
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
櫻井さんって正直な人だねw
188:日本@名無史さん
09/02/24 05:50:00
無知な人だね
出戻り倭人の血までチョン認定するなんてなw
189:日本@名無史さん
09/02/24 08:34:02
日本文字は新羅文字、日本王族は韓国人だったのか・・・orz
我々日本人は韓国人の奴隷だ・・・orz
190:日本@名無史さん
09/02/24 09:03:02
なるほど、みずらは朝鮮半島から来た弥生人の風俗だったわけか。
弥生時代はオール朝鮮だな。
191:日本@名無史さん
09/02/24 14:28:51
>>190
弥生時代には牛も馬もいないので大陸とは関係ないのだよね、これが。
残念だねw
192:日本@名無史さん
09/02/24 14:46:30
弥生時代は大陸とは関係ない!
なるほど、そこまで言わないと純日本を主張できないわけだ。
ご窮屈さま。
193:日本@名無史さん
09/02/24 15:27:24
え? 弥生人て中国の江南から来た人たちのことでしょ?
194:日本@名無史さん
09/02/24 15:48:30
半島南部の前方後円墳に関係する人達は、
当時の日本人とどのような関係なんだろうか。
195:日本@名無史さん
09/02/24 16:46:01
>>187
サヨクがとかく強調したがるだけで
普通は血が混じってようが混じってなかろうが気にしないよ。
史実だし。
196:日本@名無史さん
09/02/24 17:52:45
>>193
中国の江南に源があることはその通りだろうが、まっすぐ来たのもいれば、
朝鮮南部を経て来たのもいたと思う。
朝鮮南部を経たグループはワイ人などの影響を受けただろう。
197:日本@名無史さん
09/02/24 18:49:45
家畜を連れてこない不思議…
198:日本@名無史さん
09/02/24 19:55:42
米作中心だからね。
今は南に移って中国の少数民族となっている人たちをテレビで見るが、
米への依存度はすごい。
家畜と言ったって豚ぐらいのものだし、豚なら弥生時代は猪をつかまえる
ほうが早かっただろう。
199:日本@名無史さん
09/02/24 20:32:22
猪と豚ってどう違うの?
200:日本@名無史さん
09/02/24 20:44:39
沖縄は大和言葉だね。
沖縄は畿内から見て、
朝鮮より遥かに遠いのに、
黒潮で繋がってるんだね。
201:日本@名無史さん
09/02/24 20:47:55
>>190
>弥生時代はオール朝鮮だな。
言葉が全然違うから無理だな。
202:日本@名無史さん
09/02/24 20:57:59
>>194
日本列島にある文化が朝鮮半島にまで単に伸びていたというよりも
日本人の国があったということの証明ですね。
203:日本@名無史さん
09/02/24 22:13:03
沖縄へ修学旅行で行った時、若いバスガイドさんが
「大和と支那と交流があった琉球王国は~」
って説明してたな。
204:日本@名無史さん
09/02/24 22:31:58
>>200
>沖縄は大和言葉だね。
沖縄の大和言葉は二次的なものだ。
めんそーれ(いらっしゃいませ)
みじらしゃん(美しい)
にへーでーびる(有難う)
これらの語源を分析して見よ。
沖縄と本土がつながっているのは縄文の基層だ。
205:日本@名無史さん
09/02/24 22:34:43
>>201
>言葉が全然違うから無理だな。
人も言葉もすべて列島で自然発生したと言いたいのか?
206:日本@名無史さん
09/02/24 22:52:50
>>204
沖縄とはD2でも一致してるな。
君がいくら言ってもD2が0の朝鮮とは関係ないけどね。w
207:日本@名無史さん
09/02/24 22:57:45
>>205
>人も言葉もすべて列島で自然発生したと言いたいのか?
アホか?
日本人というほぼ均一的な民族が大陸からやってきたという事。
根井説を指示してる。
208:日本@名無史さん
09/02/24 22:59:26
↓これをわかりやすく例えると
URLリンク(www.amazon.co.jp)
Y染色体 アダム 天忍穂耳命
A系統 天穂日命(出雲国造) コイサン
B系統 天火明命(物部) 黒人
D2系統 天皇家 日本人
D1系統 伏見宮系(旧皇族) チベット人
D3系統 伏見宮系(旧皇族) チベット人
E系統 南朝 白人(稀)、アフリカ(稀)
C系統 平家 モンゴル・シベリア・北アメリカ
F~R系統 源氏 白人・中国人・韓国人・東南アジア・オーストラリア・北アメリカ・南アメリカ
O2a系統 田安家 タイ人
O2b系統 清水家 韓国人
O3系統 一橋家 中国人・ベトナム人
スレリンク(archeology板:212-216番)n
209:日本@名無史さん
09/02/24 23:03:03
180 :日本@名無史さん:2009/02/23(月) 18:17:37
>>178
朝鮮のD2は表記がないだけで0ではない。
表記がないからといって0ではないとwikipediaには書いてあるだろう?よく読め。
_| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
|_ _|| | ̄ | | | | ̄ | |  ̄|
r┘└へ| |二コ ┌'| |二コ ┌| |二コ ┌'| |二コ ┌┘
〈 〈] ゜,、〈| | o ヽ| | o ヽ| | o ヽ| | o └「 ̄\
ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
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, -‐ (_) |r┬-| |, -‐ (_) |r┬-| |, -‐ (_). |r┬-| |
l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | / l_j_j_j と) | | | /
210:日本@名無史さん
09/02/24 23:09:36
>>206
>沖縄とはD2でも一致してるな。
私が「朝鮮半島と関係があるが沖縄とは関係がない」と言ったのか?
「沖縄とは縄文の基層でつながっている」と言っているではないか。
その上に、大和言葉を二次的に植え付けるだけの人の移動もあった
のだ。おそらく平安時代末期にね。
211:日本@名無史さん
09/02/24 23:24:30
その大和言葉を二次的に植え付けるだけの平安時代末期の人の移動って何?
212:日本@名無史さん
09/02/24 23:53:21
>>210
>私が「朝鮮半島と関係があるが沖縄とは関係がない」と言ったのか?
という事は「朝鮮半島と関係がないが沖縄とは関係がある」という事だね。
同じ意見だ。w
213:日本@名無史さん
09/02/24 23:54:57
URLリンク(www.news.janjan.jp)
歴史を振り返りなさい……在日コリアンの人にも歴史を振り返って欲しい。
日本の文化が朝鮮から来たのは歴然としている。奈良の大仏しかり。
他の遺跡をみても日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている……
日本もそのことをちゃんと認めないのが不思議でならない。
風下に立つと何か言われるんじゃないか、そんなことは引け目を感じることではありません。
●人間は知識の分だけ優しくなれる
……私たちは文化を輸入しました……しかし、私たちが誇りたいのは、日本に渡来文化が
来た時に、その中から日本独自の文化を築き上げた、日本社会を築き上げたということ。
日本人は朝鮮半島から教えてもらったけれども引け目は感じない。
By 櫻井よしこ
214:日本@名無史さん
09/02/25 00:06:43
>日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている
日本の基礎は縄文時代からあるわけだが。
仏教もその基礎に加味されただけなんだが。
櫻井よしこでさえその程度だ。
団塊の世代って引退して欲しいね。
215:日本@名無史さん
09/02/25 01:53:18
>>211
平氏落人
216:日本@名無史さん
09/02/25 03:01:43
>>213
知識は有っても、知恵なさそうw
217:日本@名無史さん
09/02/25 03:52:16
>>189-190>>192
ぷっw
チョンは哀れだなあ
>>204
ほかは知らんが、めんそーれは「参り候え」だそうだ
沖縄の方言は平安~室町時代頃の日本語も多い
218:日本@名無史さん
09/02/25 04:04:11
「日本は古来から外国の文化を受け入れてきたじゃないですか?
仏教もそうだし、キリスト教も上手に受け入れてきたじゃないですか
皇室だって韓半島の血が入っているし、外国の文化を受け入れそれを上手く
日本型に改良して発展させてきたのが日本の凄さですよ」
By櫻井よしこ(2/22サンデープロジェクトより)
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
>皇室だって韓半島の血が入っているし
櫻井さんって正直な人だねw
これ見てたけど司会の田原総一郎も西部もカン・サンジュンも
櫻井よしこの皇室にも韓半島の血が入ってる発言に誰も異論さえ言わなかった
つまり否定しなかったんだな誰もw
西部はなんか言うと思ったけど・・・
219:日本@名無史さん
09/02/25 04:09:28
>>218
あまりに馬鹿すぎる発言は適当に流されるだけだぞチョンw
王族丸ごと倭人だった朝鮮は無視するのなw
220:日本@名無史さん
09/02/25 07:07:28
>>46
稲(ジャポニカ種)の伝播ルートと一致しないな。
原産地や南支那あたりから伝わった稲は、日本から、水稲の稲作が、朝鮮に伝播したようだが。
支那北部や、寒冷の満洲では、水稲は栽培されなかったから当然だが。
どうして南支那から、満洲をすっ飛ばして朝鮮に稲が渡るのだろう?
221:日本@名無史さん
09/02/25 07:42:46
>>220
そらバイアス君筆頭に、チョンシンパが馬鹿で穴開きっぱな論しか持たないからだろなw
222:日本@名無史さん
09/02/25 07:56:51
>>215
平氏落人って…
マジでそんな事思ってるのかよw
223:日本@名無史さん
09/02/25 09:14:33
>>217
「参り候らえ」は俗解だ。正解は「参り召しおはれ」。
これが「みんみそーれ」→「めんそーれ」となった。
「参り候らえ」より古いのだ。
「にへーでーびる」は「二拝で侍る」
「みじらしゃん」は「珍しゅうある」
要するに平安末期と言う一定の時期の言葉、というより言葉使いが
集中して存在する。これはこの時期の人の移動無くしてはあり得ない。
224:日本@名無史さん
09/02/25 09:20:26
>>222
>平氏落人って…
>マジでそんな事思ってるのかよw
私は釣りの>>215ではないことを断った上で:
君は知らないだろうが、俊寛が流された鬼界が島は絶海の無人島なの
ではない。大宰府の一大出張所があったことが発掘でわかっている。
ここを起点にしていくらでも人の移動は起こり得たのだ。
もちろん平家落人や源氏の追討軍も含めてね。
225:日本@名無史さん
09/02/25 09:35:00
>>224
鬼界が島がどこなのか諸説あって分からないのに、
大宰府の一大出張所があったことが発掘で分かったなら大笑いだw
喜界島のことを言ってるのだろうが所詮いい加減な話だw
226:日本@名無史さん
09/02/25 11:41:41
>>218
て言うか、属国の貢妃が天皇家の祖先の一人にいただけでそんなに嬉しいの?
227:日本@名無史さん
09/02/25 12:30:13
>>226
「何より、百済王族の血が入っていると言うことは
天皇陛下が半島に君臨するのは正当な行為と言うことだな。
なにせ、元々半島の王の血が入っていて現在も皇位にあられるわけだから
しかも、百済の王室なんだから今残っている李某の血よりも
遙かに正当な支配権付きの血というわけだ
これにて、半島を日本が支配する正当性の証明終わり」
と、チョンに言ってやったらマジでファビョったぞwww
228:日本@名無史さん
09/02/25 14:39:33
>>225
>大宰府の一大出張所があったことが発掘で分かったなら大笑いだ
「大笑い」がみずからの無知を暴露している。
鬼界が島=喜界島は定説だが、100歩譲って俊寛の流された島ではないに
せよ、現在の喜界島という場所に大和王権の出先機関とみなされる遺跡が
出たことは事実だ。王権の出先機関ならば、平家政権の時代にはすなわち
平家の出先機関だ。
いくらでも資料はあるが例えば:
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
229:日本@名無史さん
09/02/25 14:46:20
>>227
>百済王族の血が入っていると言うことは
>天皇陛下が半島に君臨するのは正当な行為と言うことだ
全くその通りだ。天皇家には百済王族の血が入っているから、
日本の朝鮮支配は、英仏百年戦争と同様な「逆進出」だったのだ。
今後その立場を忘れないように。
230:日本@名無史さん
09/02/25 18:01:34
>>228
笑わせてくれるな。
こんなしょぼい遺跡が何だって?w
ここから沖縄にまで人が流れて沖縄の言語にまで影響与えたなんて考えてるなら、悪い事言わない。
医者に行け。
ブログ書いてる本人があいまいじゃねぇかw
231:日本@名無史さん
09/02/25 19:32:22
しかしあれだな、古代に日本が朝鮮半島の南を支配していた
なんて歴史はちっとも嬉しくないよな。
何のために朝鮮半島に進出したんだろう?
当時、シナにはいろいろな文化・文明が集積してからそこに接点
を求めたんだろうな。むしろ不思議なのはどうやってワイ族が沸いたか
ということだよな。北はシナ、南は日本だからいるところないじゃん。
232:日本@名無史さん
09/02/25 19:54:06
しかしあれだな、古代に韓国が日本列島の全てを支配していた
なんて歴史はちっとも嬉しくないよな。
何のために日本列島に進出したんだろう?
当時、倭にはいろいろな生口が集積してからそこに接点
を求めたんだろうな。むしろ不思議なのはどうやって鮮卑族が沸いたか
ということだよな。東は韓国、南はシナだからいるところないじゃん。
233:日本@名無史さん
09/02/25 20:18:21
>>232
ネタにさえなってない。
ダセぇw
234:日本@名無史さん
09/02/25 21:08:28
古代は、国なんて関係ない。国境なんてのも、あってないようなもの。
となると、九州地方からすれば、近畿地方や関東地方に行くよりも、
朝鮮半島の方が近い。
大陸への足場にもなるし、たいした国があるわけでもないし、資源も
あったろうから欲しいといえば、欲しかったんだろうな。
現代と違って、古代は、国とか民族の意識は希薄だっただろう。
ただ、損か得か、あるいは強いか弱いかだけの世界だっただろうと思う。
235:日本@名無史さん
09/02/25 22:13:33
>>230
やはり知らなかったな。勉強になったろう。
古代~中世日本の国境が南に広がるという、ニッポンマンセー諸君を
喜ばせてくれる遺跡なのだから、くさしてはいかんな。
236:日本@名無史さん
09/02/25 22:22:48
明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
先史時代で決まっていたはずのもの。
言葉は文字よりずっと先に生まれていなければならないのだから。
237:日本@名無史さん
09/02/25 22:50:20
ちょっと前に、あちこちのスレで、
「沖縄の大和化は中世以降の表層的なもので、
それ以前に『朝鮮半島から高麗人が南下渡来して「文明」を伝えたのだ』などと
「ムー」もびっくりのワケワカラン電波を飛ばして荒らしまくっていた、在沖朝鮮人じゃね?
まともに相手するのはやめとけw
マジレスすれば、沖縄の大和文化の南下は3期に分けられる。
「間が途切れる」というのが、大和と沖縄を分ける分水嶺だ。
大和以外は(不思議なことではあるが)中華帝国の表層的影響しか受けていない。
台湾から南西諸島へというルートも実はほぼ皆無。
まともに海に漕ぎ出せない朝鮮など論外。
その3期の最初は、弥生後期に、九州から、人と文化がパッケージになって一気に南下した。
これが、「ハ行P音」などに残っている。
その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
これが、アクセントなどに残る(沖縄方言アクセントは鹿児島や長崎のアクセントと完全に同系)
これにより、沖縄は急速に国家形成期を迎える。
最後は、中世末から近世にかけて、薩摩が南下したことでもたらされたもの。
238:日本@名無史さん
09/02/25 22:55:28
網野善彦とかは東西で文化が違うとか東国国家論とかで日本人を否定して
リベラル気取ってるけど、
だったら有史以来民族ってものは世界に一つも存在しなくなるだと。と。
239:日本@名無史さん
09/02/25 22:58:43
>>228
>捕らえられた俊寛が配流された島が鬼界ヶ島(この島が現喜界島かどうかについては異説があるらしい。
でも、今回の訪問で確信を持ちました。
これに対して一言。
240:日本@名無史さん
09/02/25 23:20:15
そういえば弥生時代~古墳時代まで本土で見つかる貝製腕輪って、
沖縄・奄美でしか採れない種類も多いんだよね。
沖縄人が本土と交易していた証拠だろうね。
241:日本@名無史さん
09/02/25 23:26:07
>>204
>沖縄の大和言葉は二次的なものだ。
>めんそーれ(いらっしゃいませ)
>みじらしゃん(美しい)
>にへーでーびる(有難う)
>これらの語源を分析して見よ。
これらは方言だ。
方言の例で日本語でないとなれば、
日本中の日本語が日本語ではなくなる。
242:日本@名無史さん
09/02/26 04:08:04
>>223
つまり沖縄は日本だな
243:日本@名無史さん
09/02/26 07:05:00
>>226>>227
櫻井さんが言ってたのは百済の武寧王の血筋のことではなく古墳時代、もしくは
さらに溯る弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響のこと
皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし天皇も自身で認めた発言してる
それ以前にも新羅王族の血や高句麗の血が入ってると言いたかったんだろう
王室だけでなく蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw
244:日本@名無史さん
09/02/26 07:23:39
>弥生時代前半に百済、高句麗、新羅からの渡来人がもたらした影響
そんな時代にそんな国あるかよw
荒らしは消えてくれねぇか?
245:日本@名無史さん
09/02/26 10:44:02
>>236
>明確な国境線は無くても何語を話して意思疎通をしている集団かというのは
>先史時代で決まっていたはずのもの。
それは、アイヌも先史時代から日本人だというのと同じ。
>>237
>その後一旦とだえたあと、古代末に再び九州南部から人と言語が南下した。
>これが、アクセントなどに残る
もうひとつある。沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
沖縄にあることを考えなければならない。
>>241
私は沖縄語が日本語の方言であるともないとも言っていない。
ただ、沖縄語と平安末期の日本語との関係を示しただけ。
ある言葉がある国の国語(あるいはその方言)であるかどうかは言語学上の
問題ではなく、政治的な問題だ。
だから沖縄の言葉を「沖縄語」ではなく「日本語の沖縄方言」と国が決めれば
その通りになるし、
仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
ではなくなるのだ。
246:日本@名無史さん
09/02/26 10:46:14
>皇室に百済王族の血が入ってるなんてみんな知ってるし
入ってるね。
属国から献上された女がいるしねww
>蘇我、藤原などの貴族も韓半島系なんだけどねw
またその話?
語呂あわせは聞きあきた。
247:日本@名無史さん
09/02/26 10:49:07
>仮に沖縄が独立して自らの言語を「沖縄語」と制定すれば、それは日本語
ではなくなるのだ。
スイスはどう説明するんだ?
248:日本@名無史さん
09/02/26 10:52:32
>>245
>沖縄語の言い廻しというか、言葉遣いは、九州方言とも
>異なる、いわば平安末期の「都言葉」なのだ。これが九州を飛び越して
>沖縄にあることを考えなければならない。
そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw
249:日本@名無史さん
09/02/26 10:56:39
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう
250:日本@名無史さん
09/02/26 13:31:31
>>247
>スイスはどう説明するんだ?
スイスはフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語を国語として
国が決めたから、他国の国語がスイスの国語でもある。
すべては「政治的」だ。
>>249
九州で滅亡した言葉がより辺境の沖縄で残ったのだろう
そうかも知れないが、京都弁で「してはる」などとして残る丁寧語尾
「おはる」が九州方言に存在した時期があったとは思えない。
(前記のように沖縄語では「めんそーれ」に痕跡がある)
251:日本@名無史さん
09/02/26 13:38:17
>>250
そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
沖縄だけを統治したという事になるなw
252:日本@名無史さん
09/02/26 13:45:03
>>248
>そうすると当時の朝廷は九州を統治せずに通り越して、
>沖縄だけを統治したという事になるなw
統治だけでは言葉が変わらない証拠に、沖縄は200年にわたって
島津藩の「統治」を受けながら、鹿児島弁は沖縄に普及しなかった。
だから江戸時代も沖縄人と鹿児島人は互いに「共通語」で意思疎通した。
前にアクセントの話があったが、それと併せてオがウになるなどの
発音の傾向は、たしかに鹿児島弁と共通するが、これはまた九州方言
ぜんたいの傾向でもあるから、南日本に共通の「基層」だと思う。
253:日本@名無史さん
09/02/26 13:48:34
>>250
そんなレベルで方言史を語っているのかよorz
SがHに変化することはあるが、
SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ?ヴォケ。
沖縄人と朝鮮人は、どんな宇宙人の口の構造をしているんだw
京都弁の「はる」は、「なさる」→「さる」→「はる」だ。
「食べはせん」が「食べへん」、「お花さま」が「おはなはん」になったのと同じ。
254:日本@名無史さん
09/02/26 15:50:54
>>253
>SがF(Φ)やW、下手すりゃPに変化するかよ
これがわからん。なんのことを言ってるのか?
255:日本@名無史さん
09/02/26 16:33:56
沖縄と本土の言語や文化の類似を言うなら、
縄文、弥生、古墳時代からの交流を言うべきであり、
平安時代の大宰府の出張所ごときで本土の影響を受けたなんてアホすぎ。
しかもその出張所とやらは沖縄で見つかったわけじゃないし。
沖縄をなめてるんじゃねぇか?
256:日本@名無史さん
09/02/26 18:44:16
話をブッた切りで悪いが
新羅の昔氏は倭人って事で見解は一致してるんだよな?
257:日本@名無史さん
09/02/26 19:37:02
昔脱解と瓠公は倭人でしょ。
朴赫居世も瓠公と一緒に渡来したんじゃないかな。
258:日本@名無史さん
09/02/26 20:03:59
>>255
>沖縄は大和言葉だね。 沖縄は畿内から見て、
>朝鮮より遥かに遠いのに、 黒潮で繋がってるんだね。
君は>>200でこれを書いた本人だろう。
これは「沖縄はむかしから日本だ」と言いたいのではないか?
沖縄は沖縄だ。
沖縄語が日本語方言のように見えるのは特定の時代/地方の
日本語の表層をかぶっているからだ。
沖縄をだしにして朝鮮論議をやるな!
沖縄をなめるんじゃねえ!
259:日本@名無史さん
09/02/26 22:31:18
URLリンク(ja.wikipedia.org)
[琉球列島(旧琉球王国領域)の言葉は、日本語の一方言(琉球方言)とする場合と、日本語と系統を同じくする別言語(琉球語)とし、日本語とまとめて日本語族とする意見があるが、研究者や機関によって見解が分かれる]
一方言ならもちろん、別言語だとしても「系統が同じ」ならそれでいい。
>>258
ドアホ。
お前の言うように「日本語の表層をかぶっている」のではない。
260:日本@名無史さん
09/02/27 02:56:28
>>257
㌧。
261:日本@名無史さん
09/02/27 03:13:26
任那日本府ってのは日本書紀の用語であって
リアルタイムでは「倭宰(やまとのみこともち)」であり
「みこともち」っていうのは在地の世襲首長ではなく派遣官。
しかし弁韓=加羅諸国には在地の首長がいた。
つまり、もともと倭宰が治めていたのは四県二郡といわれる馬韓地域。
全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう。
:馬韓地域は社会階層の分化形成が弁韓辰韓に比べて遅く
:国家形成が未熟な段階にあったことが魏志東夷伝から窺えるし
:(首長ランキングの違い、城郭の有無、文化など)
:日本書紀でも弁韓辰韓の勢力には「国」の字を使い旱岐という君主がいたことを伝えるが
:馬韓地域には「邑」の字を使い政治勢力の存在を記さない。
ところが四県二郡は継体朝になってから百済に下賜されてしまった。
既存の役人は事実上失職したが建前上は地位を保って
百済の統治についての監督権を保持したが
百済は倭王から下賜されたので自分の領土のつもりだから
当然彼らを慇懃無礼に追い出した。
日本府の役人は田舎の親戚に対しては朝鮮で羽振りを効かせてるってことになってて
仕送りもしてるしたまに帰れば威張ってるわけで今さら故郷に帰れない、
だから朝廷政府としては名目上の役職も地位も与えたつもり。
結局彼らは加羅諸国の中心である安羅国に寄寓して「やっかいもの」になったわけだ。
彼らの頭には天皇への忠誠も倭国の国益も、微塵もない。
ただ百済への怨念があるだけ。それで新羅派になってるだけ。
262:日本@名無史さん
09/02/27 03:41:18
>>243
チョン電波乙
263:日本@名無史さん
09/02/27 08:51:05
>>261
>全羅道に残る倭式の古墳は彼らが残したものだろう
それについては、雄略天皇が倭から東城王(末多王)を護送する際に
付けた筑紫の軍士500人や同時期に高句麗を迎撃したという筑紫安致臣
・馬飼臣と関係するという説もあるね。
百済王を護送して、はいさよならというわけにはいかなかったろうから。
264:日本@名無史さん
09/02/27 08:59:02
倭式の古墳は全羅道だけではない。
265:日本@名無史さん
09/02/27 09:36:20
全裸道?まさに倭人の居住地にふさわしいなw
266:日本@名無史さん
09/02/28 00:14:21
日本と朝鮮半島を分け隔てなく行き来する勢力があったが統一された王権ではなかった。
そのうち新羅が統一されて、朝鮮半島では他の勢力を駆逐。
日本のみに残った勢力が統一された王権を築いて大和朝廷成立。
こういう流れだろ。
267:日本@名無史さん
09/02/28 00:52:03
>>266
意味不明だ。
新羅が統一(成立)するより早く、
3世紀には大和朝廷が成立してるのだが。
268:日本@名無史さん
09/02/28 00:57:44
大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?
3世紀の大和朝廷の話を全部信じてんの?
269:日本@名無史さん
09/02/28 01:21:41
URLリンク(www.geocities.jp)
新羅の語源は案外これかも。
全部、海や川の「水」に関ってるし。
270:日本@名無史さん
09/02/28 01:24:34
>>268
>大和朝廷なんて継体天皇以後しか正確にはわからないだろ?
継体天皇陵を今城塚と見るなら、
前方後円墳体制は大和朝廷と見るのが自然だろ?
ならば3世紀となる。
271:269
09/02/28 01:28:16
訂正。
水に関ってるでなく「岩」ね。
272:日本@名無史さん
09/02/28 01:28:20
前方後円墳を造る勢力が大和朝廷になったと見ればいいだろう。
朝鮮半島にも在るんだし。
273:日本@名無史さん
09/03/01 23:55:26
>>272
朝鮮人の詭弁歪曲の典型みたいな論法だな。
日本の方が古くからあり、数多くある。
全羅道に飛び地があったら
日本からいったと考えるのが普通だろうに。
274:日本@名無史さん
09/03/02 00:08:56
272はそう言ってるんだと思うよ。
275:日本@名無史さん
09/03/02 10:15:20
>>272
前方後円墳って「まんが日本史」では渡来系の技術指導者に日本人が
コキ使われて作ってるんだなw
276:日本@名無史さん
09/03/02 10:21:08
>>275
実際当時の韓国人と倭人の力関係なんてそんなもんだろ。
277:日本@名無史さん
09/03/02 10:54:05
>>275
明治のお雇い外国人と同じでしょ。
まんがでも現場の責任者は倭人だったよ。
278:日本@名無史さん
09/03/02 11:25:16
URLリンク(www.youtube.com)
「まんが日本史」新羅に敗北した
え、百済と新羅を属国にしうたんじゃないの?w
279:日本@名無史さん
09/03/02 11:58:32
>>275
5世紀以降は優れた土木技術を持っていた秦氏が指導した可能性が高い。
しかし何度も言うが秦氏は韓国人ではない。
秦氏や東漢氏のような優秀な民族が日本に来てからは、
韓国には残りカスのような人間しかいなくなった。
韓国のぶざまな歴史がそれを証明してる。
280:日本@名無史さん
09/03/02 12:36:19
>>278
新羅はやればできる子。
削除されて見られないよ。
281:日本@名無史さん
09/03/02 13:55:32
>>250
「はる」は九州方言にもある。沖縄の「めんそーれ」は
「ご免候らえ」(ごめんそーらえ)からきてるんじゃなかったっけ。
282:日本@名無史さん
09/03/03 00:59:58
>>274
272は江上波夫タイプの騎馬民族説だろ?
>>275-276
70年代の階級史観だろ?
>>279
秦氏や漢氏は半島を経由しただけで、
もともと朝鮮系ではないでしょう。
283:日本@名無史さん
09/03/03 03:33:14
>>275
漫画日本史てw
一次史料はどうした
>>278
そ、属国にしたんだよ
その後中国に負けてしまったがな
284:日本@名無史さん
09/03/03 14:57:32
>>279
そう思いたい気持ちは分るが秦氏は新羅系だよ
広隆寺や平安京、伊勢神宮の創建などにも関り聖徳太子のブレーンにまでなっている
偉大な韓国系渡来人
猿楽、能楽、観阿弥、世阿弥も秦氏が日本に広めたもの
後に土佐の長宗我部氏となり、徳川の幕臣川勝氏なども秦氏の末裔達
古代日本の渡来系最大勢力の秦氏は日本を文明国に導いた先生でもあった
285:日本@名無史さん
09/03/03 15:38:00
しまず(なぜか変換できない)も秦氏だね。
近代日本は韓国人によって作られたわけだ。
286:日本@名無史さん
09/03/03 16:47:20
>>284
そう思いたい気持ちは分かるが、
秦氏は来日を新羅に邪魔されたのだが。
つまり「秦氏」と「新羅」は別物なんだよね。
残念だったね。
287:284
09/03/03 17:27:57
>>286
言われてみればその通りだな
御指摘サンクス
288:日本@名無史さん
09/03/03 18:51:06
>>286
新羅に邪魔されたと言うソースは?
ウィキにもそんなこと書いてし秦氏は新羅系なのは否定しようがない
ユダヤ系とか言われてるけど根拠はないね
289:日本@名無史さん
09/03/03 18:52:17
>>285
つ「しまづ」
290:日本@名無史さん
09/03/03 19:02:34
>>288
調べろボケ
日本書紀誉田天皇 十四年 百済の弓月君(ゆつきのきみ)が誉田天皇に対し、
百済の民人を連れて帰化したいけれども新羅が邪魔をして
加羅から海を渡ってくることができないことを告げる。
天皇は襲津彦を加羅に遣わして百済の民を連れ帰るように命令するが、
三年なんの音沙汰もなくなった。
誉田天皇 十六年八月、天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)に
「襲津彦が帰ってこないのはきっと新羅が邪魔をしているのに違いない、
加羅に赴いて襲津彦を助けろ」といって、加羅に兵を派遣した。
新羅の王はその軍勢に怖じけづいて逃げ帰った。
そして襲津彦はやっと弓月氏の民を連れて帰国した。
291:61
09/03/03 20:01:51
>>266
朝廷成立の部分は限定しなくてもいいと思いますが
要点は、血統、言語、基底文化(中国の技術とかではなく、習俗。)などが同じ集団が半島にあり、日本にもあった。
日本、朝鮮半島の他集団の政治体制が整えられていくなか、
出遅れた馬韓地域の集団は上の理由で交流の深い大和政権への依存度を強めていった。
と思えます。
292:日本@名無史さん
09/03/04 03:16:50
チョンの妄言は止め処ないな
293:日本@名無史さん
09/03/04 20:10:44
伊達政宗の先祖も五大摂家の鷹司家と共通の藤原氏だそうだよ
つまり伊達家は奥州藤原氏で百済系の血筋
また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね
294:日本@名無史さん
09/03/04 20:31:02
>また日本の歴史の人物に韓国系が誕生したね
朝鮮人は次々と「韓国系」を作っていくな。
295:日本@名無史さん
09/03/05 03:47:57
まず藤原氏がチョン系なんてのからして愚鈍なチョンの妄想だからな
妄想しかないのがチョン
296:日本@名無史さん
09/03/05 10:06:37
弥生後期 質素な木製よろい 奈良・大福遺跡
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
>後ろ板の破片(高さ37センチ、幅19センチ)は、
>背中の形に合わせて湾曲させるなど精巧に作られていた
これらが後の金属製よろいにつながるのは言うまでもない。
297:日本@名無史さん
09/03/05 10:36:07
>弥生後期 粗末な木製よろい
さすが倭人、未開の蛮族w
298:日本@名無史さん
09/03/05 12:01:02
>>297
木製短甲まで日本に教えてもらった情けないチョンw
299:日本@名無史さん
09/03/05 21:39:01
秦氏は中国系帰化人。
一応秦の始皇帝の子孫と称している。
日本帰化したいが、
中国から来朝する途中百済に留め置かれているので、
連れに来てください、と大和朝廷に申し出て、
日本(倭)から人を出して迎えにいっている。
かなりの人数の職能集団だったので、
百済や新羅も国から出したくなかったに違いない。
弓月から秦という名の変更は、秦の始皇帝の子孫と称するためと、
養蚕、絹織物の技能を持った集団だったので、
ハタ織りのハタからきているともいう。
なお、朝鮮半島から来た帰化人も百済系だとか新羅系だとか高句麗系だとか、
はっきりそう称している。
ならば、秦氏がそう称しても問題はないはずなのに、
秦の子孫だというのはそれなりの根拠がなければ称せられない。
余談だが、
かつて日本に羽田首相が誕生した時に、
中国ではこれで日本に中国の血を引く指導者が誕生した、
という報道もあった。
300:日本@名無史さん
09/03/06 00:06:08
ハタと秦、どっちが先にあったのやら。
301:日本@名無史さん
09/03/06 03:37:33
チョン半島には鎧がなかったからな
302:日本@名無史さん
09/03/06 07:49:31
「はた」を朝鮮語の「パダ(海)」だという説がアカデミズムにあるらしい。
海を越えてきたから「海氏」だと。
なら渡来人はみんな海を越えてきたのだから、みんな秦(海)氏にならないと変だよな。
東漢や西文がいる意味がなくなる。
アカデミズムったってこんな程度さw
303:日本@名無史さん
09/03/06 08:33:09
チョンの妄想は尽きないなw
304:日本@名無史さん
09/03/06 08:52:18
新羅に波珍飡(海干)とうい官位もあるな
この官位は初期の新羅で倭国と関係のある人物に与えられている
305:日本@名無史さん
09/03/06 17:54:22
>>296>>298
URLリンク(blog-imgs-41.fc2.com)
弥生後期 質素な木製よろいだった頃韓国では・・・
カッコイイ~
306:日本@名無史さん
09/03/06 18:21:53
我々日本人は列島だ・・・orz
307:日本@名無史さん
09/03/06 19:24:27
>>305
見えねぇぞ、しっかりリンクしる!
308:日本@名無史さん
09/03/06 19:39:12
>>307
韓流ドラマの「朱蒙」のページのようでつ
309:日本@名無史さん
09/03/06 20:38:29
チョンは千数百年前のことでしか日本に勝てないわけだなwwwwwwwwww
310:日本@名無史さん
09/03/06 20:43:46
よし、まず千数百年前惨敗であったことを倭人が認めたぞ。
一歩前進だな。
311:日本@名無史さん
09/03/06 22:32:02
↑
コイツ日本語読めてねぇw
いや、読めてるけど論理的思考ができねえのか?ww
312:日本@名無史さん
09/03/06 23:20:11
「チュモン」の甲冑ってカッコよすぎ
チュモンは高句麗の祖だから紀元前50~60年頃か
日本はまだ裸足で稲作やってた時代
313:日本@名無史さん
09/03/06 23:53:19
そんな時代にそんな甲冑ねぇよ
314:日本@名無史さん
09/03/06 23:54:34
俺考古学やってて、中国やら韓国の高句麗関係の日本語訳の書籍見ることあるが…
こいつはあまりに脚色しすぎだろ。
315:日本@名無史さん
09/03/06 23:58:29
こんなこと言ってるから
朝鮮人は差別されんだよ
316:日本@名無史さん
09/03/07 00:06:33
韓国の考古学会も可哀そうだよな。
実際、一部を除いて向こうは任那とか倭製青銅器とか前方後円墳とか
ヤマト王権の活動を認めてんのに、周りがガイキチだから思うように
動きが取れない。
317:日本@名無史さん
09/03/07 00:33:50
つかまじめな考古学者はどうしてるんだろう?
韓国とは言え学会はまともだろうと思いたいが
調査してけば世上に流布してるのとは違うものが幾らでも出てきちゃうだろうし
318:日本@名無史さん
09/03/07 01:32:23
自然科学の分野でも捏造論文を出すような風土だから大変だろうね。
319:日本@名無史さん
09/03/07 01:46:00
>>313
紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代にもう日本で言う
戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある
大将クラスでない一般兵の甲冑なんか秦の歩兵団の甲冑と非常に似ている
武将クラス(信長や信玄)の甲冑は秦の時代の方が皮製品で模様も複雑でカッコイイ
高句麗のチュモンに出てくるやつもたぶん始皇帝や副官達の甲冑をモデルにしたと思われる
マントも付いてるしねw
日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので兜以外は
見栄えがよくなく肩当も秦や高句麗のものと比べれると小さくてダサイ
日本でカッコイイのは兜だけかな
320:日本@名無史さん
09/03/07 04:00:50
>>319
お前のソースは最近の創作ウリナラファンタジーだろがw
321:日本@名無史さん
09/03/07 10:02:32
>>319
>紀元前200年頃(2200年前)の秦の始皇帝の時代に
>もう日本で言う戦国時代(1550年頃)と同じような甲冑がすでにある
高句麗にか?
高句麗という国が紀元前37年頃からなのに何で紀元前200年頃の話になるのだ?
もしあるのなら画像貼ってくれないか。
>日本の武将達の甲冑は中国や韓国見たいな皮製を取り入れてないので
韓国などと言うな。
古墳時代の衝角付冑は弥生時代の革製が進化したからあぁいう独特の形になったと言われてる。
322:日本@名無史さん
09/03/07 10:11:00
>>312
>チュモンは高句麗の祖だから紀元前50~60年頃か
>日本はまだ裸足で稲作やってた時代
その高句麗のあった地域は、
今では稲作をしても国民が飢えてるねw
323:日本@名無史さん
09/03/07 11:33:09
>その高句麗のあった地域は、
>今では稲作をしても国民が飢えてるねw
高句麗の偉大さがよく分かるね。
324:日本@名無史さん
09/03/07 11:36:26
偉大な高句麗がとっくの昔になくなって残念だね。w
325:日本@名無史さん
09/03/07 18:50:08
>>310
チョンは一度勝つと永久に自分の方が優位に立てると思っているのが笑える
326:日本@名無史さん
09/03/07 21:59:12
>>321
違う、紀元前180年頃の秦の時代に優れた皮製の甲冑があったってこと
だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない
と言いたかっただけ
つまりドラマ「チュモン」の甲冑は不思議でも何でも無いということ
日本の戦国時代(1550年頃)より700年も前に秦が、そして高句麗が
カッコイイ甲冑や戦闘着を制作していたと言う事実を知るべきだな
327:日本@名無史さん
09/03/08 00:32:22
>だから紀元前37年頃にはもう高句麗が同じような甲冑を作っていても不思議はない
無理。
甲冑の製作技術は非常に高度なものを必要とするし、そもそも高句麗が中国文明に
本格的に接し始めたのは楽浪郡を滅ぼしてから。
考古学的根拠も無しに妄想垂れ流すんじゃない。
328:日本@名無史さん
09/03/08 03:33:20
>>322
品種改良のまだ進んでいない時代に朝鮮経由で稲作が伝わったなんていうのが
電波だとはっきりとわかる事例だなw
>>326
ただの願望の垂れ流しw
329:日本@名無史さん
09/03/08 18:49:46
任那が滅亡した原因は楽浪帯方が滅亡した原因と同じで
駐留軍が本国に撤退したからなんだよね
330:日本@名無史さん
09/03/09 04:14:29
秀吉軍が負けたと言われる理由も撤退だからね。
331:日本@名無史さん
09/03/09 04:33:28
秀吉の死で撤退しただけだし
半島に建設された日本式の城は戦闘でひとつも陥落しなかったし
中国軍の将軍の報告書がどっかに上がってたが、かなりボロボロの状態だったみたいで、
もうちょっと長引いたら北京まで日本軍をさえぎるものは何もなかったって書いてあったな
332:日本@名無史さん
09/03/09 04:55:00
日本の武将で戦死した人がいないらしいしね。
一人、のん気に鷹狩かなにかしてる最中に、
土民に殺された例があるだけと聞いた。
北京まで押さえるのも可能であったろうが、
いかんせん日本の武将たちにその気がなかったみたいだねw
333:日本@名無史さん
09/03/09 05:12:31
何で秀吉は朝鮮経由にこだわったんだろうな?
半島南部は押さえてたんだから、そこ経由で海路で大陸にも上陸して
補給路を絶っていたらよかったのにと思うが
中国軍の海軍は侮れなかったのか
334:日本@名無史さん
09/03/09 07:18:42
事実上、朝鮮は10万を超える明の援軍によってかろうじて生き残ったようなもん
明の軍隊の戦死者は3万人ちかいと記録されてるし、朝鮮に至っては8~9万人
の死者がでた、加藤清正率いる侍軍団に恐れ、日本に攻めれないように通信使まで
送ってるのに韓国の教科書には
「我が優秀な韓民族が海を渡って攻めてきた倭人を打ち破った」
「朝鮮通信使が日本に優れた文化をもたらした」
だからねww
335:日本@名無史さん
09/03/09 15:42:11
古代、朝鮮半島南部にあった秦韓はユダヤ人の国で、そこを拠点に弥生人を侵略して日本という国を作ったんですよ
336:名も無き大阪人 ◆c68ywQ2shI
09/03/09 20:33:26
>>335
それなんて言う、テレビ東京??
337:日本@名無史さん
09/03/10 03:20:17
>>296
後一枚、前は左右二枚造りで後の鉄製短甲と類似してるな。
338:日本@名無史さん
09/03/12 12:44:30
>>299-300,>>302
「はた」と清音になったのは後世の訛りで
古くは「はだ」と濁音。
「はだ」と「秦」はもともと由来がことなる別系統の言葉。
始皇帝の秦は西方からきた異民族が当時の中国文明に同化したものであることは
よくいわれる。が、西戎系とする意見が多いのは問題。
それなら秦を侮蔑する時には「秦戎」とでもいえばいいのに
実際には秦の侮蔑語は「秦狄」。そして秦は西戎とは長いこと敵対関係にあった。
戎も狄も後世には混淆して方角の差にすぎないような用法が主流になるが、もともとは
戎が山岳牧畜山岳民(主にチベット系)をさすのに対し狄は草原の遊牧民をさした。
草原の遊牧民にはモンゴル系・トルコ系・イラン系があるが、古い時代には
北はトルコ系、西はイラン系が主流であり、モンゴル系は少数派だった。
「はだ」は中央アジアにいた「月氏」というイラン系の種族。
月氏という字は当て字で、他にもいろいろな漢字で書くが
この名は今のウイグルにあるホータンに由来し、
ホータン(今は「和田」と書いてる)の古い書き方は
「于填」で古い発音では[yu-tu]に近い音に当て字したものらしい。
「月氏」も上古音では[yu-tu]に近い。
ホータンは機織りが盛んで英語もコットンの語源にもなってる。
「秦」という漢字はシナの語源とされるが、正しくない。
古い発音はシンとは似ても似つかぬもので「趙」と発音が似ていた。
そもそも秦と趙は同じ「贏」という部族名が
北方訛りと西方訛りに分かれただけのようである。
(贏エイ・趙チョウ・秦シン、は現代日本の読みで
先秦時代の古い発音ではどれも[diong]に近かった)
秦氏は諸侯として自立前は、西周時代以来
趙氏に仕えていた時期が長くその分流と自称したので
漢代以前には公式には
姓は「贏」姓、氏は「趙」氏ということになっていた。
339:日本@名無史さん
09/03/12 12:47:47
>>302
日本の学者は韓国での発掘に参加させてもらいたい一心で
日頃から朝鮮人様に媚びまくってるくせに
国際学会で中国人学者様から
「実際には半島系の帰化人の方が優遇されてるのに
わざわざ偽ってまで大陸系と自称するはずがない」
とつっこまれると一言も反論できずニヤニヤ愛想笑いしてるだけ。
こんなキモい連中に志も信念もあるわけないだろ。
340:日本@名無史さん
09/03/12 12:49:43
>>322-323
遼東郡や楽浪郡などを併合する前の高句麗は
農地に適さない痩せた土地しかない険阻な山岳地帯
(中朝国境)を国土にしていた。
三万戸しかないのにそれすら食糧自給できないほどだった。
341:日本@名無史さん
09/03/12 12:59:58
>>304
『日韓上古史の裏面』みたの?
それとも2chの過去ログで漏れの昔のレスみたのかなw
342:日本@名無史さん
09/03/12 13:03:26
>>305-326
韓流ドラマ『朱蒙(チュモン)』はまったくの創作ファンタジーで歴史考証はゼロ。
343:日本@名無史さん
09/03/12 13:15:09
>>331-334
スレ違い。
344:日本@名無史さん
09/03/12 16:52:53
朝鮮人は、高句麗を祖と考えてるのか?
それとも、南部の韓?を祖と考えてるのか?
両方ってことは男としてありえないよな。
ヤマトとエミシ両方が祖です、と言うようなもんだろ。
そもそも、高句麗ってのは固有の民族名っぽいが
韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
中国人の植民地っぽくみえるのよな。
韓国人はその点をどう考えてるのかね。
345:日本@名無史さん
09/03/12 20:31:24
高句麗も扶余も新羅も百済も伽耶も、
都合よくみんな祖と考えてるらしいよ。
346:日本@名無史さん
09/03/12 20:32:58
植民地っぽくじゃなくてそもそも朝鮮は中国人の植民地から始まったろ。
奴らは檀君を建国者と考えてるようだが、実際に考古遺物や史料で確認できる朝鮮半島最古の
国家は中国人の衛氏朝鮮だし。
南部の韓はそもそも国家の体を成して無かったし。
347:日本@名無史さん
09/03/12 23:53:01
ウム。「韓」では、中華の一部分以上になることは無理。
日本人は倭を自己のヤマトの当て字として、また呼ばれてきたが
このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。
そこで、まず、なぜ「韓」が半島にあるのか。
これを考えなければならんと思う。
自分で韓を名乗る・・・これは中華民族だな。
漢や唐、倭が韓と呼んでた・・・・当て字で韓を当てただけと言う可能性もある。
この場合は、では彼らの自称はなんだったのか、と言う問題が生ずる。
日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから大倭(大和)を当て字とした。
半島はなんなのか?
もともと韓=中華民族なのか
それとも自称の発音名「???」があり、他の国から韓を当て字として呼ばれていたのか。
348:日本@名無史さん
09/03/13 01:22:10
>>344
>高句麗ってのは固有の民族名っぽい
いや、戦前には「高句麗」を純粋に漢語とする説もあった。
ちょっと詳細は忘れてしまって覚えてないのだが、漠然とした記憶で書けば、
:「高」は山岳地帯、高地であることを示す。
:「句」はギクシャクと曲がった様子。
:「麗」は山々が並び続いていること、ただしこの地の特産の「果下馬」を念頭においてあえて「驪」とした。
:つまり険しく曲がりくねった道を登っていった山中の高地。
中朝国境山岳地帯の最も中心部であるところの地名としてぴったり。
この説の是非にかかわらず、そもそも高句麗って単語は
固有の民族名じゃなくてもともとは漢帝国が設置した県の名。
中国語の地名、「玄菟郡の管轄下の高句驪県」という名の、
中国人が建設した植民都市であるという事実に変わりはない。
だから、反中意識が高まってくると「高句麗」という国名を嫌って
五世紀中頃(450年頃?)にわざわざ「高麗」と改名したんだよ。
中国はそれをよくわかってるから半世紀も改名を認めなかった(520年公認)
:ところで、高句麗王国の領内には「~忽」という地名がいくつかあり、
:この「忽」は「コル」と読んで城(=城郭都市)の意味らしい。
:そこで、高句麗の「句麗」も城を意味する固有語だという説があるが
:そもそもの高句麗県は県(地方行政の単位である城郭都市)で
:県は建設物としては「県城」というぐらい。だから他の県も
:すべて「~句麗」だらけ、にならないとおかしくないか?
:単に「高県」でいいのになんでここに限って高句驪県なのだ?
要するに「高句麗」が固有語だなんていうのは
「奈良はウリナラのナラだ」というのと同じで
なんでも朝鮮語にしようとする電波説。
349:日本@名無史さん
09/03/13 01:27:58
>>344
>韓だと、中国の人の名や地名にも多く見られ
>中国人の植民地っぽくみえるのよな。
>韓国人はその点をどう考えてるのか
「韓」 はただの当て字で、原語の「ハン」は民族固有語。
ハンという古朝鮮語に溯る言葉は、
「天」「大」「人」「光」「白」など、22の意味をもち、
宇宙の根本原理を表わす言葉である。
…ということだそうです、ハイ。
350:日本@名無史さん
09/03/13 01:53:36
>>345
その通り。
もう少し詳しくいえば、露骨なナショナリズムが憚られるような場面では
「穢(わい)」「貊(はく)」「韓(かん)」の三系統の混血で
朝鮮民族が形成されたみたいなことをいう。
(注・この段階ですでに電波)
しかし本音が吐露できる場合には
穢・貊・韓はいずれも渤海湾を囲むように分布した
「東夷」族が分かれたものであり(注・これも電波)、
その源流は「古朝鮮」(注・また電波)だ、などという。
ツングース系の「粛慎」と「朝鮮」は発音が似ていて
もとは同じもの(注・これも電波)。
よって古朝鮮はツングース系(注・また電波)。
朝鮮語は日本語と同じく近隣に同系の言語のない「独立語」だが
なぜか朝鮮人自身は「アルタイ語ニダ」「ツングース語ニダ」と
やたらにいいたがる理由はこれでわかったろう。
ちなみに李朝時代にも
「半島の諸民族はすべて檀君の子孫で同胞だ」
と主張した人物がいたが、これは例外中の例外。
当時、半島の東北部(今の慈江・両江・咸鏡)は半島国家にとっての新しい領土。
このは女真族の居住地だったところで、住民の和合をはかる上で
北方系の神話が混淆した檀君は都合よかったんだろう。
実際に古代の諸民族あげて「みな檀君の裔」と
いってるその中に邑婁や沃沮が出てくる。
邑婁は女真族の祖。沃沮は今の咸鏡道。
351:日本@名無史さん
09/03/13 02:08:27
>>347
三韓の”韓”と戦国の七雄の”韓”はルーツが同じだが、どっちかが起源ということではない。
西周の初期に今のペキンのすぐ南(現在の地名では「固安」)に「韓」という都市国家があって、
それが「ふたつの韓」の共通の起源にあたる。(周の武王の弟が侯爵として封建されたもの)
周の成王の時、今のペキンには燕が建国されて入れ替わりに韓侯は山西省の西南(韓原)に
国替えになった。
その時に都市国家の市民は移動せず取り残され「韓」を姓として河北省方面に
散らばった。
だから後世まで河北省には韓という姓が多かった。
項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物もこの韓氏の一人。
戦国時代の「韓」というのは。
この西周時代の韓は、山西省の西南(韓原)に移転した後、前757/756年には晋に滅ぼされてしまう。
その跡地は、晋の公室のひとり、「萬」なる者に封領として与えられた。
これが戦国時代の「韓」のはじまりです。この人が韓武子(韓萬)で、
戦国の七雄の”韓”の初代にあたる。(韓萬=韓武子)
続く
352:日本@名無史さん
09/03/13 02:12:22
>>351の続き
韓之先與周同姓、[一]姓姫氏。其後苗裔事晉、得封於韓原、[二]曰韓武子。
武子後三世[三]有韓厥,從封姓為韓氏。
[一]索隱按:左氏傳云「[干β]・晉・應・韓、武之穆」、是武王之子、故詩稱
「韓侯出祖」、是有韓而先滅。今據此文、云「其後裔事晉、封于韓原、曰
韓武子」、則武子本是韓侯之後、晉又封之於韓原、今之馮翊韓城是也。
然按系本及左傳舊説、皆謂韓萬是曲沃桓叔之子、即是晉之支庶。又國語
叔向謂韓宣子能修武子之?、起再拜謝曰「自桓叔已下、嘉吾子之賜」、
亦言桓叔是韓之祖也。今以韓侯之後別有桓叔、非關曲沃之桓叔、如此
則與太史公之意亦有違。
[二] 正義括地志云:「韓原在同州韓城縣西南八里。又韓城在縣南十八
里、故古韓國也。古今地名云韓武子食菜於韓原故城也。」
[三] 索隱系本云:「萬生[貝求]伯、[貝求]伯生定伯簡、簡生輿、輿生獻
子厥。
(『史記』韓世家より)
続く
353:日本@名無史さん
09/03/13 02:22:02
>>352の続き
【「韓」という名称をめぐる諸問題について】
一方、前漢代になって楽浪郡に移民した中国人は。
楽浪郡の遺跡研究は戦前にすでにかなりのレベルに達しており、楽浪郡の住民は
ほとんど王氏と韓氏の2氏で大部分を占められていたことがわかっている。
このうち王氏というのは山東半島の名族で、王氏を称したのは山東系の移民と思われ、
後漢時代に謀叛をおこし6年間にわたって楽浪郡で独立政権を維持した「王調」、
日本に漢字(と儒教思想)を伝えた「王仁」はともに山東系楽浪王氏と考えられます。
王氏についで多いのが「韓氏」で、韓氏はすでに説明したように今の河北省に多く、
これは西周初期に
ペキンのすぐ南、今の固安に建国された「韓」が、後に河南省に移転した時に
とり残された住民が称した姓だとされ、項羽と劉邦の時代に燕王を称した「韓広」なる人物も
この韓氏と思われます。
つまり王氏は山東系、韓氏は河北系の移民ということですね。
で、このことからしたがって、楽浪郡のみならずそのさらに南の真番郡でも類似の事態、つまり移民の多くは王氏か韓氏だったろう。
真番郡は前82年に廃止され、住民と土地は漢帝国から放置されてしまった。
はやければ王莽の頃(紀元前後のあたり)遅くても西暦44年には半島に「韓」を名乗る勢力がいた。
(三国志東夷伝みると馬韓は先住民のようだが、辰韓・弁韓の言語は秦の言葉と似た
中国語だったようだ。秦語というのは長安(秦)に都があった時代(前漢)の標準語)
住民はその頃までに自立して王を立て国名を称したと思われる。
その王の姓は十中八九「韓」であろうから、国名を韓と称したのであろう。
続く
354:日本@名無史さん
09/03/13 02:24:25
>>353の続き
魏略が拾ってきた伝承では箕準(箕子の子孫)が馬韓に入ってきて王になるわけですが
なぜか子姓でも箕氏でもなく(すでにそこは韓だったから)韓氏を称したということになっています。
(箕子到来伝説には史実性はまったくありません)これは中国系の人々が箕子にこじつけた頃には
すでに「韓」の名は自明で韓の由来を説明できなくなっていたということでしょう。
箕準とされた人物は実はもとから韓氏をなのる中国系の人物で、真番郡廃止後、
一時的にせよ現地をとりまとめて王となったのでしょう。
でなければいくら中国系の人々が有力でも韓が真番にかわって地名になりことは考えにくいし
一方、魏略所載の伝承から箕子伝説をさしひくときわめて整合的であるように考えられます。
「韓」は半島の南半分だけをさす言葉としてはAD44年から。
(魏略所載の説話伝承まで認める場合にはAD21±1年だが、正式には後漢書記載のAD44年から)
【「韓」という名称/その他の諸説】
1)君号転化説
旱岐・加・汗みな語源が同じ、王・首長の意味。もと王をさしていたのが転じて国をいった。
2)加羅語源説
加羅[kala]→[kal]→[kan]→[han]韓 ※これだと辰韓や馬韓が説明しにくい。
3)農耕社会由来説
水田の畦を意味する韓国語カンナラ→韓 ※当時の韓国語の実態が不明なので弱い。
4)電波説
ハンは檀君以来の韓国固有語。
白、光、大、人、天、王、など全部で22個の意味をもち宇宙の根本原理を表す。
※以上1~3、すべてハン(かん)という音は説明できても
「韓」という当て字が選ばれたことは説明できない。 4は問題外。
355:日本@名無史さん
09/03/13 11:34:18
加羅ってのがもともとの名だと思ってたけど
↑の説明だと、中華の韓氏系統の人間が半島に住みついたのが
韓の元になってると言うことか。
とすると、韓国人が漢字(韓字?)を創ったとか言ってるのも
ありえるということになるのだろうか。
もし、今の半島に、古代中国に住んでいたという伝承があるなら
そうなるのかもしれんが、半島で生まれた民族だと自称してるからねえ。
356:日本@名無史さん
09/03/13 12:42:23
蘇我満智ー蘇我韓子ー蘇我高麗
こんな名前つけるから1400年経った今でも物議を醸してるんだよなw
韓子の高麗じゃ渡来人だと思うだろ
357:日本@名無史さん
09/03/13 14:55:27
>>347
>倭を自己のヤマトの当て字として、
>このヤマトと言うのが、とにかく独立した民族には必要な呼称。
>日本は発音は「ヤマト」で、倭と呼ばれていたから当て字とした。
>半島はなんなのか? 自称の発音名「???」があり、
高句麗コウコウレイ・コウクリ、百済ハクセイ・ヒャクサイ、倭ワ、はみな元は中国語。だから
それぞれに「こま」、「くだら」、「やまと」という固有語での本名がある。
半島民族の場合、「韓」も「朝鮮」も「Korea(高麗)」もすべて元は中国語。
固有語の名ではない。
では半島民族には固有名がなかったのかというと、そういう訳ではなく
衛氏朝鮮の官職に朝鮮相と尼谿相という官職があり、
朝鮮相というのは「朝鮮」とよばれる半島北部の漢人系植民者の多い地方を管轄し、
尼谿相というのは歴谿卿ともいい
「真番」とよばれる半島南部の原住民の多い地方を管轄したらしい。
「尼谿」というのは三国時代の辰韓十二国のうちの「那奚国」に該当し、
楽浪帯方の二郡と馬韓諸国がその帰属をめぐって戦争したこともある重要地点だった。
場所は慶尚北道義城郡玉山面に「日谿」という地名が残ってるあたり。
「真番」というのは、司馬遷が半島南部をさすのに困って、
衛氏が滅ぼされた後になって(BC108)できた「真番郡」の名を前に溯らせて使ったもの。
司馬遷は「尼谿」が地名だということも気付かずに書いてるのだが、
あるいは実際にも半島南部を管轄する役所があった地名というだけで半島南部をさす地名では
なかったのかも知れない。その場合、朝鮮というのはもともと今の平壌だったのが拡大されて
半島北部をさしたが、尼谿は意味が拡大する前に真番郡が設置されてしまったということになる。
「真番郡」という郡名は「真(後世の辰韓)」と「番(後世の弁韓)」という二地名を並べたもの。
辰韓は「斯蘆国」を中心とする韓、弁韓は「半跛国」を中心とする韓の意味だから
真番は結局「シラ・ハヘ」という固有名の音写ということになる。
斯蘆国は最初の半島統一王朝である「新羅」になった。
半跛国は加羅諸国連合体の盟主となったものの新羅に滅ぼされた。
こうしてあれこれ考えてみると、彼ら半島民族の固有名は
韓でも朝鮮でもKoreaでもなく「しらぎ」でいいんじゃないかと思う。
358:日本@名無史さん
09/03/13 15:05:28
>>355
「加羅」は半島の東南部だけ。日本側では日本からみて近いから
半島全部「から」と呼んで韓も「から」と読んだけど、
中国の漢・唐も「から」と読むように単に外国の意味に近い用法。
これは日本側が勝手にそう呼んでるだけで、いわば日本語内部の問題。
半島民族にしてみれば「加羅」は一地方名にすぎないので
民族全体を代表するような感覚はないと思う。
359:日本@名無史さん
09/03/13 15:21:32
>>356
その逆。
1400年経って後世からみて事情がわかりにくいからこそ
紛らわしくなったんであって、当時はなんの混乱もない。
360:日本@名無史さん
09/03/13 15:30:33
>>358
「加羅」と「伽耶」「狗耶韓国」の関係は?
361:日本@名無史さん
09/03/13 16:06:31
>>359
名前が韓子、高麗だけでなくやたら朝鮮半島びいきで政治を推し進めた事からも
百済系だの新羅系だのと疑惑はつきない
362:日本@名無史さん
09/03/13 16:09:54
>>356
韓子(伽耶人の女との間に生まれた子の意)の子が高麗じゃ
渡来人としても何系なのかさっぱり分からない。
それに、蘇我の支族がほぼ稲目からの分かれとなっていることからして
蘇我氏ってのはやはり稲目からを実在として扱うしかないんじゃないの。
363:日本@名無史さん
09/03/13 20:42:47
蘇我氏については今はまともな論考がでている。
蘇我氏は古代豪族の葛城氏の支流。
雄略天皇に滅ぼされた円大臣は南部葛城。
残った北部葛城氏の出。
帰化系を支配下におき、再び歴史の表舞台に登場。
推古天皇に馬子(だったと思う)が蘇我氏の本貫だから
葛城の地をもらえないかと頼んでる。(日本書記)
364:日本@名無史さん
09/03/13 21:00:42
本居うんぬんていうのは、馬子の母方が葛城氏だということじゃなかったっけ。
日本書紀による限り葛城氏とは武内宿禰のところでしか繋がってないし。
365:日本@名無史さん
09/03/13 21:21:48
>>338
秦氏、または弓月氏は実は
大月氏国をつくった民の出自で、秦の始皇帝というとわかりやすいし、
通りがいいのでそう称したのではないか。
366:日本@名無史さん
09/03/14 07:03:26
>>361-364
蘇我電波で引っ張るのやめない?
渡来人説にこだわる人がいるのは仕方ないけど
いちいち反論してたらスレ違いな展開になる。
蘇我氏スレに誘導すればいい。
ここで議論するのはスレがもったいない。
367:日本@名無史さん
09/03/14 10:19:56
9世紀に編纂された新撰姓氏録で、
勝ち組の藤原が神別で、
負け組の蘇我がそれより上の皇別とされてる事実は、
社会通念上、家柄を偽装できなかったという事であり、
蘇我が渡来系などという妄言はいい加減にしてもらいたい。
368:日本@名無史さん
09/03/14 11:20:00
本当に竹内宿禰の流れなのかね蘇我氏は
だとすると渡来系の女に産ませた子供が蘇我氏の祖と言うことになるのかね
369:日本@名無史さん
09/03/14 15:32:35
皇別が神別より上かどうかはわからない。
だいたい名前からして神は皇より上だ。
それに配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていたというんじゃないか?
370:日本@名無史さん
09/03/14 15:37:17
皇別の方が神別より上だよ、そんなの当たりまえ。
「配列順序も、もともとは神別のほうが皇別より上に
なっていた」なんていうのはいったいどこから推測した話なんだ?
371:日本@名無史さん
09/03/15 17:23:31
>>367
その藤原氏も渡来してきた百済王族が家名を建てたそうだよ
藤原の祖である中臣鎌足は百済人
372:日本@名無史さん
09/03/15 17:27:33
蘇我氏がだめなら藤原氏。
劣等感まるだしのチョンだな。
373:日本@名無史さん
09/03/16 01:04:12
百済人は朝鮮人ではないよな。百済という王国の人間で、
支配民族はフヨ族。倭人、漢人も多かったと。
百済滅亡を防ごうとして、白村江で戦った主力は大和民族だしな。
それに・・・
朝鮮人というのは、シナに「朝鮮」と名付けてもらって以後の人間を言うのではないか?
たとえば、高麗ですら朝鮮人を名乗ったりはしなかったのでは?
韓を名乗り始めたのは中華民族、朝鮮を名付けたのも中華民族。
とすれば、朝鮮人というものは単なる中華の一部の手先だよ。
百済は独自の自称名があったわけで、今の半島人と同一視するのは失礼だろう。
374:日本@名無史さん
09/03/16 18:59:46
百済人や新羅人、高句麗人は日本で言うと薩摩人や長州人みたいなもん
つまり百済人は韓国人の先祖
375:日本@名無史さん
09/03/16 19:06:05
>>373
論拠に無理大杉。
376:日本@名無史さん
09/03/16 23:24:33
【歴史】聖徳太子は聖王の生まれ変わりなので百済系王族
百済第27代王・威徳王の息子、阿佐太子が西暦593年にもたらしたという救世観音像と
百済系渡来人が作った百済観音像だ。 救世観音像は「威徳王が新羅(シルラ)との
戦闘で亡くなった父の聖王の姿を作ったもので、法隆寺を建立した聖徳太子は聖王の
生まれ変わり」という過去の記録が伝えられる。
このため韓国テレビの歴史ドキュメンタリー番組が百済の聖王の姿を3次元(3D)で
再現しながら、観音像の顔を使用したこともある。
聖徳太子も日本古代王家で百済系の王族に分類される。
奈良公園内にある東大寺も百済と関係が深い。
この巨大な仏像を作る造仏師として百済滅亡後に日本に渡ってきた百済の流民が
多数参加したというのが、東大寺の僧侶の説明だ。 大仏造成の責任者だった
僧・行基も百済系という。
URLリンク(japanese.joins.com)§code=A10
蘇我氏、藤原氏だけでなく聖徳太子も百済系、大仏造成の責任者も百済系
おいおい、倭人は一体何やってたんだよwww
全部、百済人のお陰じゃんwww
377:日本@名無史さん
09/03/17 00:08:14
我々日本人は列島だ・・・ orz
378:日本@名無史さん
09/03/17 00:20:48
「ヤマトの半島征伐」
391年にヤマトが半島に遠征して、百済新羅を従属国にした(広開土王碑)より
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これは隋の記録の、百済や新羅はヤマトを宗主と崇めていると言う記録とも一致。
碑文の写しも中華で発見されており、4世紀には半島南部は完全に日本の属国であった証拠と言える。
「白村江の戦い (663年)」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
白村江の戦いで敗北した倭国軍は、各地で転戦中の倭国軍及び倭国への亡命を
希望する百済の遺民を結集して帰国を果たした。
敗北したとはいえ、7世紀に5万の兵を渡海させてシナと決戦している。
この決戦と百済亡命から考えると、百済の正当な所有者は日本であると言える。
古代から中国の記録にもあるように、特に半島南部は日本の属国で
半島南部を中華から守るため唐と決戦したのも日本の男。
つまり、今居る半島の男はその後の異民族の侵入で入れ替わってなくとも、単なる中華のしもべ。
379:日本@名無史さん
09/03/17 00:26:48
百済人の末裔の自覚がある男なら
日本に教えてやったとか上から目線で語るのはおかしい。
百済の男の末裔なら、こう言うはずだ。
「百済が滅亡するのを防ぐために、唐を相手に共に戦いましたね
残念ながら敗北して滅亡しましたが、百済の王族は日本に亡命して神社まで建てることができました
有難うございます。」
とな。
朝鮮には百済を祭る宗教施設も無く、白村江の戦を必死で戦ったと言う伝承も文献も無い。
こんな場所に住み続けている男が、百済人の男の子孫のはずが無く
もし血のつながりがあったとしても、「唐に寝返った裏切り者」でしかないはずだ。
戦いの歴史を知らないで末裔面するほどおろかなことは無い。