09/08/25 23:14:25
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。
桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」
縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
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