08/10/04 14:18:20
旦那、そいつは釣り針が太すぎるぜ
素人の釣りはこれだからいけねぃや
120:日本@名無史さん
08/10/04 23:17:58
「在日生活保護問題」とは!
URLリンク(jp.youtube.com)
121:日本@名無史さん
08/10/04 23:55:23
>>119
どこかで拾って丸覚えにした文字列を鸚鵡返しにしているだけの能なしは引っ込んでいなさいね。
122:日本@名無史さん
08/10/05 07:53:58
「在日特権を許さない市民の会」とはどのような団体なのか?
活動目的などをご紹介します 。
「在日特権を許さない市民の会」とは!
URLリンク(jp.youtube.com)
「外国人参政権問題」とは!
URLリンク(jp.youtube.com)
「在日生活保護問題」とは!
URLリンク(jp.youtube.com)
123:日本@名無史さん
08/10/05 15:32:17
廃仏毀釈について質問。
廃仏毀釈運動が最も盛んだった地域は鹿児島、隠岐、富山などですが、
逆に最も廃仏毀釈運動の勢いがなかった地域はどの地域ですか?
124:日本@名無史さん
08/10/05 20:43:22
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
この文の、「 所々に書写●刻せし 」の●の漢字、
辞書ソフトの「手書き」でやっても出てこないのですが、
どんな現代漢字に相当するものなのか教えてください。
125:日本@名無史さん
08/10/05 21:03:01
「模」
126:日本@名無史さん
08/10/05 21:05:12
すまん、
手偏に莫だ。
でも、こういった質問は国語板でしような
127:日本@名無史さん
08/10/05 21:15:41
>>126
ありがとうございます。
しかし、辞書ソフトの手書きツールでその通り(手莫)に入力してみても、出てきませんでした。
古いものも大半の漢字はこれで出るので、これに相当する他の漢字があると思うのです。
ちなみに次のような文脈です。
経文の間に観音三十二相の図をましへ、所々に書写●刻せし人の姓名をも識せり。
128:日本@名無史さん
08/10/05 21:21:29
摸
↑
見つけた。
「も」で出た。
字義的に、は、(手書きで)書き写すという意味だな。
模写とほとんど同じ。
129:日本@名無史さん
08/10/05 23:22:14
>>128
感謝
本当にありがとうございました。
130:日本@名無史さん
08/10/05 23:25:11
熊野水軍についてですが
1本拠地にしてた場所は今の何市になるのでしょうか
2熊野水軍が本拠地に置いた地域は美人が多いといわれ
その理由が襲撃した地域から美女を連れ帰ったからだと言われてるそうですがホントでしょうか
131:日本@名無史さん
08/10/06 00:57:47
1)
平安期~鎌倉期は今の田辺市・新宮市。
室町期~戦国期は今の志摩市・鳥羽市。
2)
まぁ嘘でしょうね。
ネタ話としてなら有りとは思う。
132:日本@名無史さん
08/10/06 05:31:07
>>124 「ボ、モ」
サ
日
挙(上の点々なし)
ATOKの手書き文字入力 → 文字パレットで調べると
UNICODE:U+6479 面区点:1-84-88
UTF-8:E6 91 B9
133:日本@名無史さん
08/10/06 05:37:22
>>124
あ、Windows に標準装備のmsime では調べたのかな。
最近は相当に改善されているとはいえ、基本的に帰国子女レベルで、そういう点がタコなので、
ややこしい漢字とかを使う人なら、ATOKを入れておいたほうがいいです。
134:日本@名無史さん
08/10/06 10:50:31
あんま使わない字だしな。
水滸伝のマイナー脇役に「摸着天の杜遷」というキャラがいるが、
他にはこの字の使い途は知らんw
135:日本@名無しさん
08/10/06 11:40:02
自摸(ツモ)
136:日本@名無史さん
08/10/07 13:43:58
吉田松陰は何人兄弟ですか?
137:日本@名無史さん
08/10/07 21:59:37
てす
138:日本@名無史さん
08/10/08 18:43:52
戦国時代に関して質問。
城門をぶち破るために兵士達が丸太を抱えて突っ込みますよね。
あの丸太っていわゆる破城槌に該当するわけですが、当時の日本じゃなんて呼ばれていたんですか?
139:日本@名無史さん
08/10/08 21:52:41
.∧_∧
(´・з・)汁ドゾー旦旦旦
( つ旦O旦旦旦旦旦旦旦旦
と_)_)旦旦旦旦旦旦旦旦
140:日本@名無史さん
08/10/08 22:24:48
>>138
マルタ
141:日本@名無史さん
08/10/09 17:03:01
>>136
「吉田松陰の兄」、「吉田松陰の姉」、「吉田松陰の妹」、「吉田松陰の弟」
で、ぐぐる位はしてね。オイラは算数が苦手で人数は分かんね。
142:日本@名無史さん
08/10/09 22:13:14
江戸幕府の直轄の役職に大名や幕臣でなく、
各藩の家臣が抜擢されることはあったのでしょうか?
もしあったならそういう場合に家禄はそのまま藩から支給されたのですか?
143:日本@名無史さん
08/10/10 16:07:29
江戸にて参勤中のこと。
結構な地位にある(外様藩の家老?)人物が、職務先で重要書類の忘れ物があることに気付いた。
部下(家来?)に、江戸屋敷へ忘れ物を取りに行かせることにし、用件を言った。
そのとき肌寒くなっていることにも気付き、ついでに上着も持ってくるように付け足した。
が、江戸屋敷へ忘れ物を取りに行った部下は上着だけを大事そうに運んできて、
肝心の書類を持ってくるのを忘れてしまった。
用件を言いつけた人物は
「大事な用件に小事を足すべきではなかった。これは自分の失敗である」
といった主旨で反省し、部下に詫びたそうです。
↑
こんな逸話の主が誰であるか、教えてください。
失敗を部下のせいにしない、興味深い人物に思えて気になります。
144:日本@名無史さん
08/10/11 14:00:11
徳川将軍って、亡くなったら寛永寺か増上寺に埋葬されてるけど、
どっちに埋めるかってどういう法則で決まってるの?
145:日本@名無史さん
08/10/12 01:09:28
江戸時代の「帯刀権」に簡単に教えてください。
146:日本@名無史さん
08/10/12 10:53:30
刀を帯びる権利
147:日本@名無史さん
08/10/14 01:45:31
URLリンク(ja.wikipedia.org)
ここでは、江戸以前の武家では元服したか否かしかの区別しかなく
現代の若者や青年といった年齢上の区切りは無かった
ってあるけど、実際の所どうなの?
若い人間は~とか葉隠れでも書かれてるけど
今みたいに「20歳超えたらおっさんだよねー」とかそういうのが無かった程度?
148:日本@名無史さん
08/10/14 23:15:38
若者や青年だってきっちりとした年齢区分ではないわけで。
現在は20で成人10代は少年だけど、江戸以前は元服をすれば年齢に関係なく成人。そういう話。
149:ぴーす ◆TfYI6zaOr.
08/10/15 00:55:46
10歳が幼、20で弱、30で壮みたいな具合
150:日本@名無史さん
08/10/16 21:48:38
>>147
中学校で「立志式」というのがあるでしょ。
あれが数えで15歳(今だと中学2年生)。
昔でいえば成人。
昔は元服の時期に個人差はあったけれども
概ね数え15歳前後で元服が行われるとされ大人だと判断された。
たまに20歳すぎても元服しない者もいたが
「齢長けても童装」というわけで。
それはそれで「おっさんなのに子供の格好して」ってわけ。
151:日本@名無史さん
08/10/17 02:58:51
>>147
そこの説明がおかしいだけ。
「青年に関する厳密な年齢定義はない」にもかかわらず、統計を取る上で便宜的に仕切っただけのものを、牽
強付会的にこじつけて並べているだけ。
> 今みたいに「20歳超えたらおっさんだよねー」とかそういうのが無かった程度?
別に「20歳超えたらおっさんだよねー」なんてことはないけど、強いていうなら、男女ともに初婚の年齢が
上がってきていて、その面で、同じ年の人でも、一般的な認識に違いがあるのは確かだね。
といっても、江戸時代以前でもかなりの地域差があったから、単純一律にはいえないけど。
152:日本@名無史さん
08/10/17 11:16:31
日本語でok
153:日本@名無史さん
08/10/17 20:51:04
>>152
ナ ゝ / 十_" \/ |! |!
cト /^、_ノ | 、.__ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・
154:日本@名無史さん
08/10/18 02:15:31
系図纂要ですが明治時代の発行のようですが地方旧家周って系図写してきたの?
155:日本@名無史さん
08/10/18 18:16:34
質問です。
戦国時代では衆道が一般的に行われていたそうですが、
排泄する器官に生殖器を入れるとなると病気になると思います。
エイズなどはなかったかもしれませんが、
大腸菌など様々な菌が腸内にはいます。
どのように防いでいたのでしょうか?
それとも尿道炎などの病気に、罹りまくっていたのでしょうか?
156:日本@名無史さん
08/10/18 20:20:00
おまいは尿道炎ごときで医者いくのか?
157:日本@名無史さん
08/10/18 20:33:05
>>155
病原に対する抵抗力という言葉を知りませんか?
158:日本@名無史さん
08/10/18 20:57:17
>155
糞便や小便はそれ自体は有害では無い(まったくの無害でもないが)
排便後、空気に触れて腐敗することで有害になる。
質問についてなら、事後に汚れを洗えばそれで終わり。
洗わずに汚れたままにしときゃ病気くらいにはなるかもな。
そもそもおまえは、大腸菌がなんなのか、尿道炎がなんなのかを知らないだろ。
159:日本@名無史さん
08/10/18 23:30:38
そう云えば子供の頃、ミミズには絶対小便かけたらダメと云われたな。
ミミズにかけたらチ○コが腫れるって。尿道炎の意味だったんだろうか。
マジ信じていたわ。
160:日本@名無史さん
08/10/19 00:08:08
質問です。
橘氏ってどうなっちゃったんでしょう?
源平藤橘とまで言われたのに明治初期の華族令の頃には男爵になった家すらありません。
薄家(読み方すらわからない…「うすい」で良いのでしょうか?)というのが宗家だったみたい
ですけど途中で消えちゃってますし、他の橘氏とされる家も明治以後はまるで名前を聞きま
せんし…。
161:日本@名無史さん
08/10/19 01:40:06
橘氏は簡単に言うとあっさり廃れた。
姓を賜るってのはぶっちゃけ初代の功績が大きいという話にすぎず、その後を保証するようなものではない。
162:日本@名無史さん
08/10/19 01:42:11
歴史の中に埋没した。
平安中期には実質没落してる上に、武士化した一族も殆ど無かった為の結果でしょう。
薄家の絶家で、歴史的には橘氏の断絶と認識していいかと思います。
一応、河内の楠木一族他、伊予、壱岐、越前、信濃などの地方豪族で橘氏を名乗った家がありますが出自は曖昧です。
まぁ武家に関しては、源平藤を名乗っていても、殆どの場合いい加減なわけですが。
薄家はススキと読みます。
163:日本@名無史さん
08/10/19 02:02:57
>>155
少し前にオラバつーエロサイトでその話題がでていたな。
素人がゴム無しでいきなりそっちに突っ込むと、次の日は尿道炎の激痛で起き上がれなくなるらしい。
まー書いた奴がその道のベテランなのか、処女願望の強い童貞なのかは知らんがw
風俗に行ってオネーチャンに聞いてくるのが一番確実だと思う。
て、ここ何のスレ?
164:日本@名無史さん
08/10/19 02:33:21
>>160
明治になって南朝方の豪族を探したときにも
名和やら菊池は直系に近いと思われる子孫が見つかって
爵位もらったけど、橘氏を名乗る楠木の直系子孫は見つからなかった。
勿論楠木家の子孫を名乗る家は沢山あったんだけど、
歴史の表舞台から消えて久しかったからな。
やっぱり氏族としての絶えたといっていいと思う。
165:日本@名無史さん
08/10/19 02:38:14
そもそも南朝系の豪族は出自も怪しいけどな…
楠木家が橘氏だったかどうかは不明だし…まあ確かめる手段は無いから否定する必要も無いけど。
166:日本@名無史さん
08/10/19 02:44:56
>>165
まあ、普通に考えたら南朝系の豪族の出自は嘘だろうな。
確かめる手段もないから、
そう名乗っていたぐらいにするしかないけど。
167:160
08/10/19 02:54:33
皆さんありがとうございます。
薄は「すすき」と読むのですか! しかもちゃんと一発で変換できました!
昭和初期を舞台にした小説を書いていまして、そこで架空の華族家(堂上家で子爵)を
出そうとしたのですが、藤原氏や皇別氏族じゃ面白くないな…そういえば橘氏の家って
あんまり聞かないけどどうなんだろう、と思って質問した次第でした。
橘氏にしたのはちょうど暴れん坊少納言を読んだ後だったからです。
薄家の庶家か何かが半家あたりの家格で残っていて、明治維新のときに授爵された、
というような設定は大丈夫でしょうか?家業とかどうなるのか考えかねますが…。
168:日本@名無史さん
08/10/19 04:11:16
創作ってのは見てきたように嘘を言う物なんで、別に良いのではないかと。
あんま羽目はずした設定にすると突っ込まれるけどw
ただ下級貴族って経済的にかなり悲惨なんですよ。
爵位を返上したり、大正期になると財産を処分してしまう家もでたりしてます。
マンガの「はいからさんが通る」でも、伊集院伯爵家は貧乏で借金だらけの設定でしたよね。
薄家の傍流がお情けで爵位もらえてたとして、昭和期に果たしてどんな生活できてたやら。
明治以前からの財産でもあれば少しは楽だったようですが、それもありえないし。
169:160
08/10/19 13:16:28
存じております。
一応資料としてタキエ・スギヤマ氏の「近代日本の上流階級」は読みましたので。
とりあえず明治期の当主(というか家令)が有能で、起業して大成功したとかそんな設定を
考えてました。
どうでもいいですが、この本を読むかぎりだと、最近のサブカルチャーでイメージされている
主人(またはその子息)と使用人の関係って実在の華族のそれに近いものなんですね…。
170:日本@名無史さん
08/10/19 13:48:05
質問です。
縄文時代の竪穴式住居の復元物を見る機会がありますが、
屋根は千木、鰹木のある神社様の形で復元されています。
柱やかまど、溝の類は残るかもしれませんが、
屋根の構造はどうしてあの形に復元されたのでしょう。
空想なのか、根拠を持った推測なのか、明確な証拠があるのか・・・。
171:日本@名無史さん
08/10/19 15:15:20
>>162地方豪族に関しては調査自体して無いらしいよ
某氏が今度薄家と某家の系図を照らし合わせて見るとか言ってたけど
172:日本@名無史さん
08/10/19 16:53:52
捏造する方だって素人ではないからね
173:日本@名無史さん
08/10/19 23:45:40
江戸時代の商人に関してよく、丁稚奉公からはじめ数十年かけて手代、番頭
になるといいますが、そこまで出世できなかったものはどうしていたのでしょうか?
また、結婚も番頭になるまで出来ないのなら、独身で生涯を終えた商人もたくさんいたのですか?
174:日本@名無史さん
08/10/20 05:18:39
天正の時代に日本人が奴隷として海外に売られたらしいけど、その子孫っていないの?
もしくは売られた先で根づいた日本文化などがあれば教えて欲しいです
175:日本@名無史さん
08/10/20 09:44:02
「信仰における学問や儀式の重要性を主張して、座禅や
加持祈祷によって悟りを開くことができると説いた」
この説明は道元で会っているでしょうか?
176:日本@名無史さん
08/10/20 18:32:55
奥羽越列藩同盟は本来、米沢・会津に寛大な処分を求めるためだったはずなのに
新政府側がこれを敵対視したため軍事同盟に発展したどころか
皇族まで招いて独立政権構想になってしまいましたが本気で独立政権を作るつもりだたんですか?
177:日本@名無史さん
08/10/20 19:33:22
元々仙台藩主戦派は、奥羽越列藩同盟を反明治新政府の軍事同盟にすりかえるために
画策を続けていました。
他藩は仙台藩に騙されて、和平嘆願のつもりが他藩への軍事侵攻承認を行ってしまったのです。
では仙台藩は明治新政府を倒して何がしたかったかといえば、
薩長の替わりに藩閥政治を行いたかったのだろう、という他ありません。
178:日本@名無史さん
08/10/20 19:55:26
>173
奉公先を辞めれば済むことです。結婚もせず、一生奉公人として過ごした人もいたでしょうね。
>174
いるかもね。本人も知らないだろうけど。文化は当然残ってません。
>175
全部間違ってます。
>176
ご自身の質問で書かれてますが、成り行きで決まった独立方針が本気であるはずないでしょ。
皇族は西軍への対抗上、頭に頂く必要があっただけです。
179:日本@名無史さん
08/10/21 00:52:38
なんで幕末の諸藩の政治って、殿様や家老じゃなくて足軽といった下士や、馬廻り役といった中級武士が
担当してたんですか?西郷隆盛とか大久保利通は下級武士なのに薩摩の代表格になってるし…
180:日本@名無しさん
08/10/21 02:10:00
>>179
家老という職は藩政のかなりの部分を担わなくてはならないわけですが、
幕末前半に見られた尊皇攘夷の活動というのはどうでしょう。
藩の仕事としては外交、しかもいわゆる思想活動やテロ活動、
あるいは治安維持行動という類のものです。
怪しげな口調で語るなら
チンピラ同然の者たちに要人を襲わせたり、
逆に要人や野の有識者たちと密書のやりとりや討論をしたり、
裏金を工面したり、
幕府から禁止されている最新兵器を密輸したり、
(藩の正規軍の隷下に置かない)独立部隊っぽいものの監督司令官にさせたり
などなど…
これは家老の仕事ではありませんよね。
常識的に考えても、もっと下位の実力ある者の勤めでしょう。
181:日本@名無史さん
08/10/21 02:40:39
>>170
土器かなんかで絵がなかったっけ?
182:日本@名無史さん
08/10/21 02:45:55
>>173
すぐに逃げ出したのは別として、商店を任されるほどの才覚はないといっても、当時なら、
ある程度の読み書き算盤が出来て、商売のノウハウも持っているなら、それだけで
食えたんじゃないですかね?
183:日本@名無史さん
08/10/21 03:51:44
>>180
ちょっと語弊はあると思いますが、基本的にそういう具合ですよね。
184:日本@名無史さん
08/10/21 03:58:35
>>179
既存の上位スタッフには出来ないようなことが必要になったから、という表現でもいいかな。
かといって武力には無縁の商人とかでは、一番の脅威である外国の武力に対して無能だから、
リードすることなど不可能。
藩の保有している武力をバックにできる武士が中心になったのは必然。
185:日本@名無史さん
08/10/21 04:28:41
善兵衛は(ぜんべい)ですが江戸時代の読み方は?
186:日本@名無史さん
08/10/21 04:39:47
もういっこ、O兵衛尉ってのを時々見るのですが
善兵衛尉これで(ぜんべい)?
187:日本@名無史さん
08/10/21 11:53:39
>>186
善兵衛尉これで(ぜんべい)?
尉はじょうと読んで官位を表す。
戦国時代に○○守とか○○尉などと官位がついている者が多いが
本来天皇が授けるものだが勝手に名乗っている者も多かったらしい。
江戸期に入りこの傾向はなくなり、天皇からの受位された者だけとなった。
例として遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)
188:日本@名無史さん
08/10/21 17:55:35
日本史は高校教科書+信長の野望程度の知識です。
1
藤原氏の地位のはじめは大化の改新の武力クーデターだと思うんですが、そのイメージはいつごろ薄れたんでしょうか
中世や近世に「藤原の貴族も、もとは武人」と指摘する者はいなかったのですか。
逆に源氏等は何故500年経っても貴族化しなかったのですか。
2
保元の乱では源平はわかれなかったのに平治では源対平となったのは何故ですか
3
日本史の各時代(特に安定した治世の長い江戸期)において「文官」と「武官」の区別はどのようにあったのでしょうか
189:日本@名無史さん
08/10/21 18:29:10
>>187
>江戸期に入りこの傾向はなくなり、天皇からの受位された者だけとなった。
横レスですみません。
そんなことはありません。
江戸時代にも、ほとんどの武士は○○守や△△尉を勝手に名乗っています。
天皇から与えられたのは藩主レベルだけで、藩士などは藩主から私的に
貰ったりしていました。
190:日本@名無史さん
08/10/21 19:01:56
>>189
スマン! 間違っていた。
191:日本@名無史さん
08/10/21 20:12:11
>>188
3については、武士の間にも文武の区別はあった。
幕府を例にすると、町奉行・勘定奉行のような行政官僚は「役方」で
大番・書院番や先手組のような将軍の常備軍は「番方」と呼ばれた。
大名家の家中でも同様の区分はあった。
192:日本@名無史さん
08/10/21 20:26:30
>>187.189ありがとうございます。
公式な文書の場合はO兵衛とのという形になるの?
193:日本@名無しさん
08/10/21 20:41:30
>>188
2.
源氏と平氏が対立したから平治の乱が起きたのではないのですよ。
それぞれが、彼らの上役たちの政争(クーデター)に付き合わされただけです…
194:日本@名無史さん
08/10/21 20:45:55
>>192
重複していて恐縮ですが、整理しておくと、
「兵衛尉」というのは元来、「兵衛府」の「尉」を意味します。
「兵衛府」には左右2つがあり、天皇などの警備を行う役所でした。
「尉」はいわゆる四等官制の三番目で、督(かみ)・佐(すけ)に続く順位です。
そして本来は「左兵衛督」「右兵衛尉」などと呼ばれました。
これが律令官職としての「兵衛」です。
おおむね鎌倉時代くらいまでは朝廷から正式に任命されていましたが、
室町時代くらいから勝手に名乗る者も目立ち始めました。
江戸時代に見られる「兵衛」というのは、以上の呼称が略され、
定着して一般的に用いられるようになったものです。
したがって「○兵衛」さんなら公私ともに「○兵衛」さんです。
戦国時代くらいまでは「○兵衛」という簡略された呼称は目立たないように思います。
195:日本@名無史さん
08/10/21 20:48:35
江戸時代の武士は勝手に守名乗りはできない。
ほとんどの武士の通称は○之助とか○兵衛とか○右衛門の類で、
「安芸」とか「豊後」のような国名も家老クラスに限られた。
○○守や△△尉のような受領名や官途名を名乗れるのは諸大夫になっただけ。
大名を除けば、高級旗本や御三家など一部の大藩の家老。
守抜きの国名を通称にできたのは上記のように、大名家の家老クラス。
布衣以下の旗本は国名を通称に用いることはできなかった。
幕府や藩など、武家の公文書での署名は名字と通称。
諸大夫なら大岡越前守とか遠山左衛門尉、家老クラスなら伊達安芸、原田甲斐、
一般の武士なら勝麟太郎とか桂小五郎のまま。
196:日本@名無史さん
08/10/21 20:51:33
>>188
1.
源氏が公家化しなかった、というのは誤りです。
久我家や中院家など、公家化した源氏も多くいます。
幕末に有名な具視を輩出した岩倉家も、村上源氏の一流です。
197:日本@名無史さん
08/10/21 21:02:01
>>188
1について
古代日本においてはもともと豪族が自分で支配する土地と人民を持ち
その親玉が大王(のちの天皇)といった具合でした
豪族は人民を支配し他の豪族に攻め込まれれば土地を守るために
自分で軍隊を持ち自ら甲冑を身にまとって戦もしたわけです
蘇我馬子なども自ら出陣して物部守屋と戦っています
天皇も同様で白村江の戦いなどでは女帝である斉明天皇が
朝軍を率いて九州まで行っています
もっとも律令が施行されると(天智天皇の近江令が初?)
豪族は土地と人民を天皇に差し上げ
代わりに天皇から給料をもらう官僚になりました
甲冑を捨て文官になったわけです
貴族の誕生です
もっとも治安を守るために武官は必要でした
平安時代には貴族は血を嫌ったこともあり
甲冑を身に着け治安を守るのは身分の低い官僚の仕事になりました
源氏や平氏は天皇の子孫ですが
天皇になれなかった皇子たちは臣籍降下させられ
藤原氏らとの出世争いにも負けた皇子の子孫たちは
身分も低くなり地方へ下っていかざるを得なくなりました
武家の平氏や源氏はこうして生まれたのです
つまり平安末期に突如歴史の表舞台に登場した武家の平氏や源氏は
古代豪族がそのまま武具を身にまとって生き延びたのではなく
もともとは甲冑を身に着けていなかったけれども中央から出世争いに脱落した人々が
人が嫌がる殺傷の仕事を引き受けることによって生き延びたものです
現在にも警察というものがあるように治安を守るための武官は
優雅な平安貴族たちの時代にもいたわけです
源頼朝の先祖などは藤原氏に媚を売っていましたしね
198:日本@名無史さん
08/10/21 21:03:59
>>194-5ありがとうございます。実は先祖の戦国期の感状なのですが
最後の宛名が善兵(これは行書)い(ひらがな)との
と成ってるのですが郷土史だと近くの家はO兵衛尉かO右(左)衛門なんですが・・・
多少うちは格が落ちるのかなと?
199:170
08/10/21 21:05:37
>>181
そうなのですか。
私が知ってたのは銅鐸に描かれていた唐古・鍵の奇抜な櫓だけでした。
絵が残ってれば復元も可能ですよね。
200:日本@名無史さん
08/10/21 21:10:55
>>188
> 「藤原の貴族も、もとは武人」
・・・「指摘して、だからどうせよと主張する人がいた・いない」という話???
実力で実質的な支配権をはぎ取られたんだから、主張も何もないんじゃない?
> 源氏等は何故500年経っても貴族化しなかったのですか。
??? 平家は「おごって」貴族化して、すぐに潰されたっしょ。
貴族支配というのが直接的な武力によらないカリスマによる支配という風に把握するなら、
カリスマだけで通用する時代が続いたほうが異常だっただけじゃない。
そのカリスマというのが、要するに、祭り上げておくといいことがあるし、祭り上げておかないと
祟られて酷い目にあうとかいう、いってしまえば「無形の実力」があると思い込まれていた、
ということみたいだし。
201:日本@名無史さん
08/10/21 21:13:44
>>198
宛名そのものではありませんが、
一般的に敬称が「とのへ」とひらがなの場合は、「殿へ」より略式とされます。
202:日本@名無史さん
08/10/21 21:13:59
>>196
じゃなくて、天皇とか藤原とかに完全に取って代わって日本を統括するに到らなかったのは?という意味じゃないかな?
203:日本@名無史さん
08/10/21 21:14:17
>>188
平治の乱は源氏対平氏の戦いではありません。
後白河上皇と二条天皇の親子対立が原因です。
院政をとろうとする後白河上皇と、天皇親政を求める二条天皇はもともと対立しており、
それがそれぞれの近臣によって激化しついに激突したのが平治の乱です。
先の保元の乱では源氏と平氏がそれぞれ内部で争ったことにより、
平氏の棟梁は平清盛、源氏の棟梁は源義朝、ということがほぼ
決定していました。
平治の乱で勝利した清盛はこのとき源氏の棟梁義朝を斬って
権力をもつようになりますが、
平治の乱は清盛と義朝の戦いが主だったわけではありません。
204:196
08/10/21 21:20:50
>>188,202
それならば失礼しました。
色んな事が言われているとは思うのですが、
室町時代以後は天皇や公家はほとんど実権を失っていたので、
わざわざ奪うだけのものはなかった、のではないかと。
205:日本@名無史さん
08/10/21 21:34:16
鎌倉幕府も室町幕府も天皇の子孫であることを宣伝しすぎていたから
本家本元の天皇家を滅ぼせなかったんじゃないかな
源頼朝も足利尊氏も自分はほかの武士どもとは違うと思う根拠が
自分の先祖は天皇だったということだったとしたら
天皇家が滅んでしまったら自分の尊血をも否定することにもなる
徳川家が源氏の血を引いているというのはかなりあやしいが
そういえば他の連中を卓越していて当然という根拠になるのならば
偽の家系図でも作らせて天皇の子孫ということにしちゃうわけだ
結論としては鎌倉幕府も室町幕府も天皇の子孫だったから滅ぼしづらかった
徳川はもうそんな土台の上に面倒だから乗っかっちゃっただけ
206:日本@名無史さん
08/10/21 22:09:36
某大藩の着到帳を参考までに。
江戸初期の着到帳では家臣の95%が衛門、兵衛へ尉がある。
この時代までは戦国の肩書きを使用していたと思われる。
同様に1600年末期の着到帳に衛門、兵衛の名は多いが尉が附いた者は一人も見当たらない。
207:189
08/10/21 22:14:16
>>195,206
江戸初期(慶安とか)のことしか念頭にありませんでした。
勉強になりました、ありがとうございます。
208:日本@名無しさん
08/10/21 22:54:57
>>205
鎌倉には院政、室町には南朝という敵があ(ry
209:188
08/10/22 01:28:13
丁寧な回答有難うございました。ちょっと感動しました。
210:日本@名無史さん
08/10/22 04:53:20
その王「タリシヒコ」って、誰なんですか?
「ヒコ」は男だから、推古帝ではないですよね?
211:日本@名無史さん
08/10/22 20:32:32
大名が城を作り終えた際、大工を殺して秘密保持したという話はどこまで本当なんでしょうか?
212:日本@名無史さん
08/10/23 01:10:57
>>205
「滅ぼす」なんて話はどこにも出てないんじゃない?
213:日本@名無しさん
08/10/23 15:45:18
>>210
推古帝、その代理人の聖徳太子、後見人の蘇我馬子、先代の用明帝という説がありますが…
ここでのアメタリシヒコを特定の人物の呼称、すなわち固有名詞として捉えること自体が
不適切なことではないかと、私は考えます…
214:210
08/10/24 02:30:15
>>213
レス、さんくす。
特定の人物の呼称ではない、
というのは、斬新な考えですね。
古代史の謎がみんな解けちゃうような
4~6世紀の記録が、ごっそりと
どこからかでてこないですかねぇ・・・w
215:日本@名無史さん
08/10/24 07:02:13
4~6世紀って字が書ける人がどれ位いたんだろう。
216:日本@名無しさん
08/10/24 14:51:05
>>214
仰るほど斬新な考え方なのでしょうか。
浅学にして寡聞な私は、このような説が存在しているのかどうか知りませんが、
・(アマ)タリシヒコは、推古帝より前の帝たちに時々用いられている。
※それも和風諡号の一部として。
・記紀の一次文献は、少なくともこの推古帝より前に成立したものだろうといわれている。
・意味は「天垂りし彦」。つまり、「高天原から垂下した(地の統治者に相応しい)士」というものらしい。
※一説には「天子」を和訳したものではないかと言われている。
・そもそも、推古・用明・聖徳太子・馬子らはいづれもタリシヒコを諱としていないし、諡号にもない。
・だから、この単語自体は本来、天皇の尊称だろう。
などと思ったからです。
『隋書』のこの文以下、登場する阿輩〇彌(アホキミ)や利歌彌多弗利(リカミタフリ)も、
天皇や皇太子を示す一般名詞に過ぎません。全般的に蛮族の伝奇っぽく風俗を
タラタラ書き連ねているわけですが、そういった中、タリシヒコは固有名詞であり誰それ
のことであると論ずるのにどれほどの意味があるのでしょうか。
217:日本@名無しさん
08/10/24 16:03:36
>>216続き
また、この隋書の記載は、ハッタリとバカシアイのステージである外交の場。
それもシナ皇帝が(特に風紀の面で)指導する場でのことだという点にも
注意すべきではないかと思うのです。
当時は(朝鮮問題などで)日本は対等外交を目指している局面のことです。
「女の王なんてやはり蛮族」と軽んじられたら、日本は困るのではないでしょうか。
それに、遣使が安易に主君の諱を言うことができるのでしょうか。
そもそも知っているかどうかすら疑わしい。言えたとしても精々、称号でしょう。
シナへの親書にしても、諱を書くかどうか…
裴世清が謁見したのは(推古帝の代理人・後見人であった)太子や馬子かも
しれません。
218:日本@名無史さん
08/10/25 15:52:27
戦国時代、戦国大名とその正室は、一緒の部屋で寝ていたんでしょうか?
それとも別の部屋で寝ていて、大名がムラムラしたら
正室や側室の部屋に来ていたりしたんでしょうか。
また、その時代に現代で言う「寝室」は何と言っていたのかも
教えてください。
219:日本@名無史さん
08/10/25 21:52:26
奈良~平安時代の貴族の正装では飾り太刀を帯びるのが基本でしたが
あれって実際に太刀として使えた(刃があった)のでしょうか?
220:日本@名無史さん
08/10/25 22:14:42
>>219
刃はありました。
源氏物語で光源氏は物怪の前で刀を抜いたりしています。
下っ端は自分の主人の敵対する相手と道で会ったりすると
すぐに刀を抜いて刃傷沙汰を起こしたりしています。
221:日本@名無史さん
08/10/25 22:21:04
>>218
一般庶民は勿論妻と同じ部屋で寝ていたでしょうが
(そもそも部屋数もないし)
相応の身分の家では主人のいる「表」と婦人のいる「奥」は分けられ、
主人は普段は表で生活をし、夜は婦人たちの住む奥に渡ってきていました。
江戸時代の大奥などでは事前に将軍が今夜指名したい女性を
大奥の御年寄(という役職です)などに伝えておき、
指名された女性が寝所で大奥に渡ってきた将軍を待っていました。
戦国大名には大奥ほどの制度はありませんでしたが、
それなりに今日は奥に泊まるぞ、などと知らせておき、
正室なり側室なりに準備させておいたんじゃないでしょうか
222:日本@名無史さん
08/10/25 22:27:40
>>217
推古天皇はまだまだ女盛り。
夫の没後は天皇になりたい異母弟に犯されそうになったり、
いろいろ怖い目に逢っている。
異人にあって恐ろしい目にあったらどうしよう?
と思って男に代役を頼んだ可能性は十分あるよね。
女帝の国なんて野蛮だと思われたらどうしよう、という理由からではないでしょう。
隋書倭国伝にも実は卑弥呼のことが引用されてあって、
中国は日本は女王国だ、ということを周知していましたから。
(だからといって女王国の邪馬台国が蛮国で、
男王のいる対立する狗那国が立派だとは一言も言ってない)
日本書紀にも魏志倭人伝が引用されているのをご存じだと思いますが、
日本人も中国が卑弥呼のことを周知しているのは分かっていたので。
223:日本@名無史さん
08/10/26 18:00:44
1
秀吉は清州会議後、三法師の後見人となったハズなのに、いつのまに三法師の主君になったの?
当時「実力からみてそれが当たり前」ととらえられたとすれば、秀吉の世継も同じ目にあうって予想できただろうに
なんで秀吉は徳川を全力でつぶさないで、半島で遊んでたの?モウロクしてたの?
2
●●管領と●●探題ってどう違うの?
↑みたいなのと守護の関係はどうなってたの?
3
日本にも、いちおう「手盾」「持盾」というものはあったらしいけど
画像を探しても見つかりません。どこかにありますか?
4
江戸時代の出島の貿易ってどれくらいの規模だったの?
鉄砲伝来から普及まですごい早かったっていうけど、
江戸時代には需要のなくなった鉄砲鍛冶があぶれてたはずで、鉄砲輸出すれば儲かったはずじゃね?
224:日本@名無史さん
08/10/26 18:10:44
>>223
秀吉は三法師を擁立して柴田勝家を破った後、
今度は織田信雄(信長次男)を擁した徳川家康との争いになりました。
秀吉はこれを懐柔するために信雄に好条件を示して抱き込もうと考え、
このとき織田家の家督相続者を信雄とすることに同意、
三法師は織田家の家督相続者から外されました。
信雄は織田家の家督は継げたのですが、信雄を天下人として従おうという大名はおらず、
秀吉の世になりました。
成人した三法師は秀吉の養子となり、秀信と名乗り、秀吉の庇護を受けました。
秀吉が三法師の主君になったというより、三法師が成長する過程でいつのまにか
織田家の家督は別人のものとなり、いつしか秀吉が養父として庇護する立場になっていた
ということじゃないでしょうか。
225:日本@名無史さん
08/10/26 18:13:29
>>223
2.
●●管領は、室町幕府が置いた組織。
●●探題は、鎌倉幕府が置いた組織です。
いずれも重要な地域を総括する幕府の出張所などの位置づけで、
長官には将軍や執権の一族の者が就任するなどしました。
守護は原則一国の支配にとどまりますから、
広範囲の地域を統括する探題や管領の支配下に置かれていました。
226:日本@名無史さん
08/10/26 18:26:16
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
URLリンク(jp.youtube.com)
227:日本@名無史さん
08/10/26 18:45:06
(^O^)/韓国経済崩壊特別前夜祭参加者募集中♪
[会場はこちら]ENJOYKorea日韓翻訳掲示板HOT!討論板
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)
※祝賀会の参加者を集めてます♪コピペしてばら撒いてください
韓国支援反対運動も開始しています。
①
228:日本@名無史さん
08/10/26 19:07:42
>>223,225
室町幕府も奥州探題や九州探題を設置しています。
「管領」は将軍の下で政務を統括する役職と考えると良いと思います。
将軍-管領とか鎌倉公方-関東管領とか。
鎌倉時代の将軍-執権をイメージするとわかりやすいかもしれません。
「探題」は225さんの仰るとおり地方の出先機関で、
九州や東北など一定地域を広域的に管轄しました。
奥州探題の前身が奥州管領だったりと、すっきりとしない部分もあるのですが…。