08/09/15 01:11:47
>>45
東福門院が産んだ皇女たちはだれ一人寺にやられなかったからね。
明正天皇の同母妹たちは摂家へ嫁ぐか独身で内親王として終わった。
ちなみに東福門院が産んだ7人の子のうち成人したのは明正天皇の他は
昭子内親王(近衛尚嗣室)、顕子内親王、賀子内親王(二条光平室)。
このうち明正天皇と顕子内親王は生涯独身、昭子内親王には子供がなかった。
徳川綱重(家光の子)の正室となった隆崇院は昭子内親王の娘であったらしい。
昭子内親王の子は他には知られず、隆崇院も嫁いで間もなく子もなく没したために
東福門院の血はここでついえたとみられる。