謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!22at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!22 - 暇つぶし2ch2:神奈川県民
08/07/15 21:05:50
ここへはすれ終止符21が使い終わって使用して下さい


前スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!21
スレリンク(history板)


3:日本@名無史さん
08/07/15 23:25:45
>>1
おい!

神奈川県民=三重県民=改めドツボ

また次スレ、フライングで立てたのか?

これで19・21・22と同タイトルスレが3つだぞ?


そんなに自分が次スレを立てないと気が済まないのか?


いい加減にしろ、この糞馬鹿野郎!




4:改め ◆PWTcGEfp1s
08/07/16 00:58:18
「家」、「戸」の違いについても!

これ、以前に河童氏が書きこみしてて、
わたし見落としてるんだよね。面積だったかな......。
まあ、詳しく解析してみましょう!

對馬國 有千餘「戸」
一大國 有三千許「家」
末盧國 千餘「戸」
伊都國 有千餘「戸」
奴國 有二萬餘「戸」
不彌國 有千餘「家」
投馬國 可五萬餘「戸」
邪馬壹國 可七萬餘「戸」  誰かコメント宜しく!

5:日本@名無史さん
08/07/16 01:09:43
>>691

おい!

神奈川県民=三重県民=改めドツボ

また次スレ、フライングで立てたのか?

これで19・21・22と同タイトルスレが3つだぞ?


そんなに自分が次スレを立てないと気が済まないのか?


いい加減にしろ、この糞馬鹿野郎!







6:日本@名無史さん
08/07/16 01:31:30
>>1

早くここを片付けろ 三重県民 ◆jH3Q3bIrRM


スレ立てまくるなよ 迷惑

7:日本@名無史さん
08/07/16 01:32:39
462 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/07/16(水) 01:30:53
>>460 荒らし君

君はここでおとなしくしてろよ
他所のスレ荒らすな


8:日本@名無史さん
08/07/16 01:43:39
463 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/07/16(水) 01:37:12
>>460←みなさん こいつとココで一緒に仲良くしてね。
少し性格悪い荒らしだが、「簡潔ですが・・・」とか言って遊んでやって。

他のスレ荒らされてたまらん



9:日本@名無史さん
08/07/16 01:46:55
このスレを荒らしているのは
神奈川県民(トリップ無)=三重県民=改め=ドツボ。
意図せず結果的に荒れたという体をとっているが、悪意を持って荒らしているのは明白。
その手口はいくつかあるが、
1 他説に対する罵倒、人格の攻撃。
2 スレを私物化
の二種類に大別される。

特に後者は悪質で、2ちゃんのルールを大きく逸脱した俺様ルー%8

10:ゴミはゴミ箱に
08/07/16 02:01:11
464 :日本@名無史さん :sage :2008/07/16(水) 01:55:19

>>455>>456>>>>460 …って問題もあるw 君

おい 終止符スレ荒らすな
おまえはここのスレ主の「熊さん」こと「イヨたん・・・・・・・・」さんと

仲良くしてろよ。
おまえは神奈川県民から終止符スレ出入り禁止言われたんだろ?

それにお前のオ家はこっちだろw
まったく~変な奴ばかり住�

11:日本@名無史さん
08/07/20 23:13:20
age

12:日本@名無史さん
08/07/25 22:00:57
あげw

13:日本@名無史さん
08/07/30 22:13:57
・・・




14:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/07/30 22:46:44
論破されて『改め』逃亡!

15:日本@名無史さん
08/08/01 00:27:47
重複です。移動してください

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!19
スレリンク(history板)l50

16:日本@名無史さん
08/08/04 22:06:37
こっちは21が終了してからにしてね。

オチ防止上げ

17:日本@名無史さん
08/08/06 23:22:28
記念age

18:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/07 00:04:38
わたし、金・土・日専門。平日は来ないつもりだったが、
前スレ21が終了してそうも言ってられません。
まずは、ネタ投下しましょう。

ヤフーでの議論を観てた人も知ってると思うが「狗邪韓國」が、
『倭』に含まれる理由について書き込みましょうか。

わたしは三十國を狗邪韓國は外し「狗奴國」を含めてましたが、
どうやら違うようです。

理由は、倭人伝に『到其北岸狗邪韓國』。「北岸」とあること。
この「北岸」は倭の北岸ということです。

つまり、「倭人在帶方東南大海之中」と「北岸」とで、
大まかに倭人は東南大海ノ中にアリ、倭の境界するところは、狗邪韓國(含める)と
陳壽は書き込んでることとなる。

19:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/07 00:08:39
「後漢書」
去其西北界拘邪韓國七千餘里

「三国志弁辰伝」
其瀆盧國與倭接界  

「三国志馬韓伝」

韓在帶方之南,東西以海為限,南與倭接,方可四千里

これらを一緒に考えると気付く人もいるかもしれない。

[狗邪韓國ということに反論アル方がいましたら書きこみお願いします。

20:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/07 00:17:13
わたしが考えた三十國は、以下の通りです。

『今使譯所通三十國』
まずは、九カ国
狗邪韓國、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國

其の他の二十一カ国
斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、好古都國、不呼國、姐奴國、
對蘇國、蘇奴國、呼邑國、華奴蘇奴國、鬼國、為吾國、鬼奴國、邪馬國
躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國、奴國。 これで三十國となる。

なぜ、狗奴國を外したか?
「此女王境界所盡」 女王の『境界』と範囲が書かれてるからです。
逆に狗奴國を含めた「範囲」が書かれてないし。

反論ある方どうぞ!!

21:日本@名無史さん
08/08/07 00:48:17
狗邪韓国は朝鮮半島の国。倭の国ではない。それの代わりに、狗奴国が入る。
30国は倭国とは書いてない。倭人とあるだけ。倭国ではない狗奴国が入るからですね。
「其の北岸」は倭の北岸ということですが、倭は方角の基点を示しただけ。狗邪韓国は倭の北にあるというだけです。
岸はもちろん朝鮮半島の岸ということ。倭の岸ではありません。

22:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/07 00:53:30
「三国志について」
西晋の陳壽が著した三国志は正史の一つとされる。
んで、三国志は、魏書30巻・蜀書15巻・呉書20巻の計65巻。

しかし、陳壽が一人で全ての書を書いたわけではナイ。
魏書は王沈、魏略は魚豢、陳壽はソレを多く三国志に取り入れた。
そして、陳壽の原文が簡潔なため、「注」を裴松之が作ったと聞く。
よび方も「裴注」というらしい。
それと~後漢書の著者 「范曄」て謀反に関与した罪で処刑されたらしい。

ここらへん知らなかった人もいるんやない?
「范曄」が処刑なんて、わたしも最近読んだ本で初めて知ったし...。
まあ、わたしもこのへん詳しいワケではナイのでここで覚えていくべきか。

では、遅いのでここらへんで寝ます 後はお好きなように.....zzzz

23:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/07 00:55:59
>>21
もう少し勉強してからお願いします。

まあ、自分お考えを適当に書き込むのではなくジックリ調べてみたらいかが?
では~ほんと・・・・zzz

24:日本@名無史さん
08/08/07 17:34:48
21 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 00:48:17
狗邪韓国は朝鮮半島の国。倭の国ではない。それの代わりに、狗奴国が入る。
30国は倭国とは書いてない。倭人とあるだけ。倭国ではない狗奴国が入るからですね。
「其の北岸」は倭の北岸ということですが、倭は方角の基点を示しただけ。狗邪韓国は倭の北にあるというだけです。
岸はもちろん朝鮮半島の岸ということ。倭の岸ではありません。

23 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/08/07(木) 00:55:59
>>21
もう少し勉強してからお願いします。

まあ、自分お考えを適当に書き込むのではなくジックリ調べてみたらいかが?
では~ほんと・・・・zzz

醜い自演ですか?

25:神奈川県民
08/08/07 23:28:32
終止符スレはここですよ。

こちらへお願いします。


26:日本@名無史さん
08/08/08 19:17:20
「狗邪韓國とは沖縄の与那国島」。
だから、「計其道里當在会稽東治【冶】之東」の文を上げている。
この文は、「夏后少康の子」の時間軸に於いて、北緯24度線上に有る長江と与那国を対比したものである。


27:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/09 18:57:33
どくだみさん
前スレで、渤海国王の国書について詳細なレスをして下さり、ありがとうございました。
「本枝百世」は詩経の決まり文句ですか・・・
勉強になります。

しかし、まだスッキリしません。
「続日本紀・巻第十九」によると、天平勝宝五年(753年)孝謙女帝が渤海国王・大欽茂(文王)に次のような国書を送っています。

天皇敬問渤海國王。朕以寡徳虔奉寳圖。亭毒黎民。照臨八極。王僻居海外。遠使入朝。丹心至明。深可嘉尚。但省來啓。無稱臣名。
仍尋高麗舊記。國平之日。上表文云。族惟兄弟。義則君臣。或乞援兵。或賀踐祚。修朝聘之恒式。効忠款之懇誠。
故先朝善其貞節。待以殊恩。榮命之隆。日新無絶。想所知之。何假一二言也。由是。先廻之後。既賜勅書。
何其今歳之朝。重無上表。以礼進退。彼此共同。王熟思之。季夏甚熱。比無恙也。使人今還。指宣往意。并賜物如別。

孝謙女帝は727年の大武芸(武王)の国書に言及し、日本とは血族は兄弟、義では君臣の関係に当たると言っていたとしている。
これを見ると大武芸王の国書は全文ではなく抜粋であり、省略された部分に「族惟兄弟」という表現があったようです。
これについては如何でしょうか?

28:日本@名無史さん
08/08/10 10:17:41
誰かネタの書きこみ宜しく。

29:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/10 10:59:12
改めさん
週末に私にレスするとのことですが、扶余王依羅(在位285~?)=崇神天皇?の件でしょうか。
予想される疑問としては
同じ「大震國本紀」の「伊都國乃磐余彦古邑也」と時代的に矛盾するのではないか?
ということでしょうか。
しかし、磐余彦が卑彌呼以後とは限らないと思います。
伊都國は3世紀以前から存在していたかもしれないから。

30:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/10 11:08:08
>>22

范曄は面白い人だったようです。
ウィキペディアで見ると・・・

范曄は名門の生まれであったが、しかし本人は妾の生んだ庶子。
范曄の母は彼を便所の中で生んだ時に彼の額を打撲して、小さな「磚」の字の形の痣を作ったと伝えられている。

范曄は無神論者だった。『後漢書』の中で、彼は人に諂う仏を猛烈に非難した。
仏教をおかしいと思い、特に神が不滅であるという説と因果応報の説法を潔しとしなかった。
そして仏教を信じる後漢の桓帝 (漢)にきつく風刺を行った。

范曄の文章は、筆勢は奔放であり、言葉が美しく固まり精錬して、駢文の句法をよく備えており、
「博して経史にかかわり、よい文章で、隷書、音律を分かっている。」の贊がある。


31:どくだみ
08/08/10 13:11:38
>>27
大武芸の国書は、日本と渤海の祖先に関して何も言及していないのは、先に書いたとおりです。
何も書いていないので、日本と扶余や高句麗との民族関係は、大武芸の国書では否定も肯定もできません。
ただ、あれを根拠にして同族論を展開するのは間違いだというだけです。

さて、ご指摘の部分ですが、「仍ち高麗の舊記を尋ぬるに、國平らぐの日、上表文に云う」として引用されています。
朝鮮や日本の歴史は全然知らないのですが、「高麗の舊記」とあるので、渤海国の大武芸の国書ではないように思われます。
あるいは、当時、渤海国のことを高麗と呼ぶこともあったんでしょうか。
詳しく読んでいないので、所々読めないのですが、
この天皇の璽書は、渤海王の国書に「臣某」と書いていなかったことを非難して、
先朝はちゃんと礼節を弁えていたじゃないかというような内容だと思います。(間違ってたらスミマセン)
ですので、「高麗の舊記」とは
「故先朝善其貞節。待以殊恩。榮命之隆。日新無絶。」の部分に「先朝」として言及されている高麗王朝に関する記録で、
渤海国のことではないだろうと思うんですが、どうでしょうか。
これを渤海国のことと考えるなら、「先朝」を祖父の世代の朝廷という意味に解釈しなければなりませんが、
「先朝」にそういう意味があるかどうか、調べていないので解りません。

閑話休題。大武芸の国書ではないとしても、確かに「族は惟れ兄弟。義は則ち君臣。」と書かれています。
だから、当時「両族は兄弟だ」と観念されていたのでしょう。これは文献から読み取れる事実です。
ただし、二点、注意が必要だと思います。
まず、「義は則ち君臣」とは「日本の天皇が君、高麗の王が臣下」といっているわけです。
これを額面通りに受け取らないとすれば、「族は惟れ兄弟」の方も、額面どおりに受け取って良いのかという疑問が起こります。
それから、「兄弟」という言葉を、現代の我々が考えるような同じ祖先から別れた民族と解釈して良いのかという点です。
朝鮮史や日本史、民族系統に知識がないもので、私には何とも断言できませんが、
慎重に判断されることをお勧めします。

32:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/10 14:22:19
>>31
どくだみさん登場!
いつもながら鋭いご指摘、感謝いたします。

せん‐ちょう〔‐テウ〕【先朝】先帝の朝廷。また、先帝。(Yahoo!辞書・大辞泉)

「先朝」は大武芸の国書を受け取った聖武天皇ではないでしょうか。
「先帝(聖武天皇)は武王(の使者)の貞節を善しとし、特別な恩恵をもってもてなした」の意味。

「渤海」という国名についてですが、続日本紀・巻二十二・天平宝字三年(759年)、大欽茂王が自ら「高麗国王」と名乗り、
以後は「渤海」「高麗」が併用されています。

私もあの辺りの民族は詳しくないですが、高句麗や渤海の歴史は中国史か?朝鮮史か?どちらにも属さないか?という問題があり、
中国・北朝鮮・韓国・ロシアなどで論争が続いているようです。

高句麗と百済(の王族)が扶余系であることは、多くの史料から明らかですが、倭国はどうなんでしょうね?


33:どくだみ
08/08/10 15:06:46
>>32
>「先朝」は大武芸の国書を受け取った聖武天皇ではないでしょうか。
>「先帝(聖武天皇)は武王(の使者)の貞節を善しとし、特別な恩恵をもってもてなした」の意味。

ああ、それはそうかもしれませんね。
私は、善を「高麗が貞節をおさめる」の意味に読んだのですが、
「先帝がその貞節をよみする」の方が後の「待以殊恩」の解釈も自然かもしれません。
それに、渤海を高麗と呼んだ例があるなら、「高麗の舊記」も、大武芸の国書である可能性は否定できませんね。
やはり物を知らないと、文章は正しく読めないなあと思います。
ついで申し訳ないですが、「想所知之。何假一二言也。」ここの意味が解りません。
ご存じでしたらお教え下さい。

34:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/10 15:50:38
>>33
>想所知之。何假一二言也。

私もよく分かりません。宇治谷孟さんの訳では
「思うにこの上表文のことを、承知しておられるであろうが、こまかに説明するまでもないであろう」
となっています。

35:どくだみ
08/08/10 15:57:34
>>34
わざわざ調べていただいてありがとうございます。
参考にして考えてみます。

36:日本@名無史さん
08/08/10 20:39:00
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

37:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/11 07:40:18
旅行出発前にネタ投下。

邪馬臺國と狗奴國は本当に戦争していたのか?
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

「狗奴國」は「不屬女王」とも書いてある。「卑彌呼」が「狗奴國男王」と「不和」とも書かれている。
しかし注意して欲しい。以上の二つは地の文だが、「交戦した」とは、地の文には書いてないのである。
交戦に関しては「遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状」とあるが、これは倭國人からの伝聞である。
すなわちこの状況は、着任した新太守のもとに載斯烏越らが駆けつけて、前太守弓遵と彼なきあとの帶方に
助太刀の兵を送らなかったことを、新太守に弁明しているのである。
「説相攻撃状」は○○の状を説いて、あくまで事情説明をしているではないか。
どこにも卑彌呼がSOSを発したなどとは書かれてはいない。言い訳をしているに過ぎない。
ならば、弁明の内容が事実とは限らないのである。

「狗奴國との戦争」は、馬韓の反乱・弓遵の戦死で魏から要請された海外派兵を断る口実だったというのですが?

では・・・
ZZZ・・・・

38:日本@名無史さん
08/08/11 22:26:37
>前太守弓遵と彼なきあとの帶方に助太刀の兵を送らなかったことを、新太守に弁明しているのである。
別に助太刀を求められていた形跡もないし、少しうがちすぎかと。
しかし、邪馬台国と狗奴国が大戦争みたいにいわれてるのはまちがいでしょうね。
魏は檄文をつくって告諭しただけですませています。そのことから考えれば、狗奴国も魏への朝貢国。
朝貢国同士で戦うことは本来は禁物。そこで、邪馬台国は経緯を説明し、ことが進んだときに備えた。
そんなところでしょう。

39:日本@名無史さん
08/08/11 23:11:54
>魏は檄文をつくって告諭し

卑弥呼に。ゴラ~ッ死ね

40:日本@名無史さん
08/08/12 09:56:25
卑弥呼も難升米にゴラ~っ!言われれば
死をもってその責を負わねばならない。

41:ローガン
08/08/12 17:24:26
六年の「黄幢」と八年の「黄幢」。同じものとすれば、新太守に対する訴え以前に「黄幢」についての詔が出ている事。
又、「檄」の意味を考えれば、魏の、倭に対する半島への出兵要請ではないかなあと考えます。


42:日本@名無史さん
08/08/12 17:27:58

播磨国風土記・宍禾郡の条
「葦原志拳乎と天日槍が谷間の領有権を争った」

出雲王=大国主と志羅紀の王子=天日矛が谷間(タンバ)の土地の
支配権をめぐって争ったという。

谷間(タンバ)とは、丹波国のことであろう。





43:日本@名無史さん
08/08/12 20:09:13
                              
 7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。

 最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
 朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。

 7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の
戦争であった。


44:日本@名無史さん
08/08/12 23:22:42
>>41

>六年の「黄幢」と八年の「黄幢」。同じものとすれば、新太守に対する訴え以前に「黄幢」についての詔が出ている事。
又、「檄」の意味を考えれば、魏の、倭に対する半島への出兵要請ではないかなあと考えます。

個人的な考えは、何時までたっても個人的なものから脱出できませんし、歴史ではありません。
まずは、出兵要請であったことを裏付ける史料を探し出すことです。

45:日本@名無史さん
08/08/13 15:49:11
>「檄」の意味を考えれば、魏の、倭に対する半島への出兵要請ではないかなあと考えます。
「檄」とは何が正しいのかを大勢の人に知らせる文書です。廻し文ともいわれます。
倭人伝の前後の文章から考えれば、戦うことは正しくないと双方に教え諭す内容だったと考えられます。
半島への出兵要請と考えるのは無理というものでしょう。




46:ローガン
08/08/13 16:44:17
>>45
そうですか、無理がありますか。…


> 「檄」とは何が正しいのかを大勢の人に知らせる文書です。廻し文ともいわれます。

晋書恵帝紀永興二年にある劉喬の檄は出兵要請とは読めないでしょうか?


又後程。

47:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/13 20:23:12
>>45
>倭人伝の前後の文章から考えれば、戦うことは正しくないと双方に教え諭す内容だったと考えられます。

「告喩」されたのは難升米と壹與ですね?
卑彌弓呼も狗古智卑狗も「告喩」されてはいませんが?
そして、卑彌呼も「告喩」されていない。
この辺り、難しそう・・・

48:日本@名無史さん
08/08/13 22:06:45
>>47
>「告喩」されたのは難升米と壹與ですね?
卑彌弓呼も狗古智卑狗も「告喩」されてはいませんが?

難升米は魏朝から卑弥呼を処分しろと命じられ、それを卑弥呼に伝えそして死

49:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/13 22:46:20
>>48
>難升米は魏朝から卑弥呼を処分しろと命じられ、それを卑弥呼に伝えそして死

遣塞曹掾史張政等因齎詔書・黄幢、拜假難升米、爲檄告喩之。卑彌呼以死。
ふーむ・・・
そして難升米はどうなったのか?

50:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/13 23:17:17
更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。
男王=難升米?
しかし難升米は殺され、卑彌呼宗女壹與が即位。
張政は壹與を「告喩」

51:日本@名無史さん
08/08/14 00:25:21
>>49
>そして難升米はどうなったのか?

坂本竜馬と改名し真珠湾攻撃に参加し。先日100m平泳ぎで金メダルだったそうな
これを大化の改新という。

52:日本@名無史さん
08/08/14 06:01:28
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

53:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/14 16:43:38
魏に帰る張政を送ったのは難升米でなく掖邪狗でありました。
断言はできないが、この掖邪狗が梁書倭伝にいう「其後復立男王、並受中國爵命。」
であったと思われます。
そして「晋安帝時、有倭王賛。」まで、謎の150年となります。

54:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/15 09:38:02
この謎の150年を埋める史料として「広開土王碑文」「七支刀銘文」がありますが、
最初の100年は全くお手上げ状態。
「大震國本紀」で、扶余王依羅(在位285~?)が倭に渡ったという話は信頼できるか?
「晋書扶余伝」によると、扶余を何度も襲った鮮卑の慕容廆に対し、晋の武帝は最初だけは援軍を送って撃退したが、
その後は鮮卑に拉致された扶余人を買い戻したり、扶余の生口の売買を禁じただけであったという。
依羅王が何か別の手を打った可能性はあるが・・・


55:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/15 16:36:49
三国史記・新羅本紀
訖解三(312)年 倭國王遣使為子求婚、以阿飡急利女送之
訖解三五(344)年 倭國遣使請婚、辞以女既出嫁
訖解三六(345)年 倭王移書絶交
訖解三七(346)年 倭兵進囲金城、急攻

記紀にはこれに対応する記事が見当たらないが、謎の4世紀は埋まるのか?

56:サガミハラハラ
08/08/15 22:43:30
312年は垂仁天皇の末期です。344年は景行天皇の没年です。
三国史記に1年のずれがあり、この項もそうだとすれば、倭国遣使請婚はセイム天皇が即位して女をもとめたことになります。
312年のほうは、垂仁天皇が息子のために女を求めたことになります。

57:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/15 23:23:36
>>56
記紀に対応しそうな記事がありませんが?
「1年のずれ」とは高句麗・広開土王の在位年代のことでしょうが、新羅本紀はもっとずれているかもしれません。
「倭王移書絶交」からも、漢字が伝わった應神天皇以後でしょう。
下記のサイトでは、阿飡(新羅の官位)の急利の娘=髪長媛(仁徳天皇の妃)と推測しています。
URLリンク(www9.plala.or.jp)

58:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/16 07:29:48
>>55
倍暦計上で

 訖解三(312年)仲哀天皇 誕生
 訖解三五(344年)仲哀天皇即位元年
 訖解三六(345年)神功皇后立后 應神立太子
 訖解三七(346年)仲哀三年

参考にされたい。合えば記紀の記事。合わないなら九州関係の王等の記事。
「為子」っていうのは、生まれた仲哀かな? 絶交時は仲哀崩御の翌年。

59:改め in 九州
08/08/16 08:08:26
盆休み~古代史旅行出かけた人はいる?

わたしもだが、愛知県民さんも九州へいって来たみたいです。

60:改め in 九州
08/08/16 08:32:30
「古代史旅行について」
帰ってから~書き込みしましょうかね。
場所は、高千穂・阿蘇・別府・湯布院 行ってきました。
わたしはこれから帰るところなので、詳しくはのちほど。

61:日本@名無史さん
08/08/16 08:54:19
>>60



  こ こ は お 前 の 日 記 じ ゃ な い









 

62:日本@名無史さん
08/08/16 08:54:49
盆、先祖に線香すらあげれん奴が「古代史」とは、片腹痛いわw

63:改め対策班
08/08/16 08:59:38
以後 改め監視

64:サガミハラハラ
08/08/16 10:02:25
>>58あわなければ九州関係の王って、仲哀天皇と闘っている熊襲のことですか。

65:日本@名無史さん
08/08/16 13:14:48
>>63
監視なんて幼稚な事いつまでもしていないで、何等かの問題が有るのなら
警察にでも通報しろボケが!

66: ↑
08/08/16 13:26:16
改めの野郎だろww

67:日本@名無史さん
08/08/16 14:05:01
>>66
ほら改めが現れた。警察に通報しろ!w ほら早く!w

68:日本@名無史さん
08/08/16 14:45:56
昨今2ちゃんから逮捕者が出る世の中、
監視するなどの悠長な事は言ってられない。
未然に防ぐには、何はともあれ、最寄の警察に通報だろう。

69:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/16 15:28:52
>>59
九州というか、私は宇佐神宮に行っただけで、お盆前に帰りました。
上宮・下宮、それぞれ三殿に参拝し、大尾山の大尾神社も参拝。(二拝四拍手一拝)
できれば大元山まで行きたかったが、暑くて遠いので諦めました。
ちょうどハスの花が見ごろでした。

70:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/16 15:43:31
>>58
太国さん、ありがとうございます。
しかし、新羅本紀の年代に疑問があるので、ちょっと判断しかねるところです。
三国史記は12世紀の編纂である上に、殆どが月までの表記しかありません。
諸県君は渡来系の匂いが強いので、該当者がいるなら髪長媛かな?と思いますが。

71:日本@名無史さん
08/08/16 15:44:44
>>18

>『倭』に含まれる理由について書き込みましょうか。

必要なし。聞きたくないし、知りたくない。

72:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/16 16:02:08
愛知県民さん
参考にして下さい。今後もまた、アジのある古文献の提示を期待してます。

73:日本@名無史さん
08/08/16 16:38:35
>>72
>愛知県民さん
参考にして下さい。今後もまた、アジのある古文献の提示を期待してます。

矛盾しているな
期待しているとレスを送りながら改めを排除するとは
改めが消えれば、愛知県民も消えるし、その他名無しや顔文字も消える。

74:日本@名無史さん
08/08/16 18:23:21
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

75:日本@名無史さん
08/08/16 21:26:37
                           
■カラ半島の諸民族
                                       
 7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。

 最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
 朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。

 7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の
戦争であった。




76:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/17 01:41:34
>>62
盆はお墓参るに決まってるでしょ。

>>66-67
今、帰ってきたところだよ。
そいつは俺じゃない!

77:↑ 
08/08/17 01:56:02
__
タヒ 木艮

78:日本@名無史さん
08/08/17 02:51:28
>>77

死ね とか頭いかれてるのか?

79:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/17 06:47:22
>>73
矛盾してる? 愛知県民氏は改めかどうかまで知らんので?
そうじゃないと思うが、不明?????

80:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/17 08:46:52
>>79
私は「愛知県民」以外のコテ(無しも含めて)で書き込んだことはありません。

81:日本@名無史さん
08/08/17 09:18:14
三重県民某と愛知県民氏は
別の人ですよ。

82:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/17 14:33:14
>>81
そうです。
では、ZZZ・・・・

83:日本@名無史さん
08/08/17 16:38:24
>>78
「死ね」と言われたら
先ずは警察に通報する。
それが今時のネット予告犯罪を未然に防ぐ方法です。
とにかく一度は警察に通報し、後は警察の処置に任せましょう。
もし貴殿にその勇気がなければ、私が通報しても良いですよ。

84:日本@名無史さん
08/08/17 17:34:47
                         
【考古学板】『倭国(猿の国)→百済の属国』
スレリンク(archeology板)l35-150

>巨視的に朝鮮人はあまり扁平な顔をしておらず、
>眼裂もあまり狭くない。
>シベリアの顔をしていない方が多い。

こらこら、ウソはいかんぞ(w

たしかに、半島南部の朝鮮人には倭人顔が多いが、
それは古代の半島南部が倭人の居住地だったから。
つまり、倭人の遺伝子のおかげで、シベリア顔から解放されたわけだ。
朝鮮人本来の顔は、倭人顔とは似ても似つかぬシベリア顔だよ(w

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

>>140
>果たして朝鮮半島がシベリア顔になれるような気候条件なのかどうか
>朝鮮半島の気候を調べたまえよ。

まず、シベリアで生活して、そこで顔面が変形してシベリア顔になり、
それから半島東北部に移住したんだろ、馬鹿(嘲笑


85:日本@名無史さん
08/08/17 17:40:36
                        
スレリンク(history板:821番)n-



86:日本@名無史さん
08/08/17 17:46:18
愛知県民さん。宇佐神宮いかがでしたか?
「皇族下乗」ご覧になられましたよね。
弐の御殿に祀られている「姫大神」どなただと思われましたか?
私は神武天皇の祖母で、魏志倭人伝にあるトヨだと思います。

87:日本@名無史さん
08/08/17 20:51:59
応神 姫大神 神功

半年前に姫大神は卑弥呼か台与では?
と終止符に書き込んだんだけど

改めさんとプラムに宗像三神だと押し切られましたw

88:日本@名無史さん
08/08/20 16:59:21
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

89:日本@名無史さん
08/08/20 18:24:11
『邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学』学研
情報の出所はともかく、新説として読むだけでも面白い。思わず唸ってしまった。




90:
08/08/20 23:26:08
あまり古い時代の話だと、霊視しようとしてもでないそうですよ。
もう霊気も消失しているのでしょう。

91:日本@名無史さん
08/08/21 00:27:20
>>89
私も読みました。なかなか面白かったですよね。
ただ、多少、疑問を持ちました。
マクモニーグルさんの遠隔透視能力はたぶん素晴らしいのだと思いますが
著者は、遠隔透視のやり方を最初に説明してました。
P106を読むと「彼女」とか「シャーマン?」とか書いてありました。
ん?これではターゲットが女性であることがバレてるしシャーマンであることも伝えてます。
著者の最初の説明と違うんじゃない?
「人は情報を与えるとその情報をもとに推理や主観が働くので透視能力を発揮出来ないらしい」
と著者は書いてましたが・・・。
しかし、マクモニーグルさんには何の落ち度もありません。
マクモニーグルさんの今後の展開に期待します。

その前に陵墓参考地を全て調査した上で遠隔透視をしたほうが良い気がするのですが
残念ながら陵墓参考地は現在調査できません。
我が国日本の起こり、成り立ち、日本の統一国家はいつ起こったのか?
当時の最高権力者は誰だったのか?
「我が国の神聖なる歴史研究」を宮内庁が国を挙げて全力で阻止しております。
考古学界や歴史学の賢明な研究者の先生たちは、腹わたが煮えくり返る思いをされてると思います。
”天皇家が天孫降臨の一族でない!”ことが証明されてもべつに良いではありませんか。
いまどき、天から降りてきた一族と信じている人は一人もいませんよ。
おそらく天皇家の出自は お百姓さん です。

個人的な考えですが、もし邪馬台国と卑弥呼が実在していたのなら、天皇家とは関係がない
と思います。マクモニーグルさんが透視で卑弥呼の絵を描いてましたが、南方系の聡明な女性の
イメージでオーラもあるように見えます。
このような、オーラもあり品格もあり魅力的な女性が、今の天皇家にいたとはとても
考えられません。

憲法の基本的人権の新しい人権のところ<知る権利>があります。
国民は、本当の日本の起こり、歴史の真実を知る権利があります。

92:日本@名無史さん
08/08/21 08:21:57
>>91
取り合えず「超能力番組を10倍楽しむ本」読め。

93:日本@名無史さん
08/08/21 12:23:59
106ページ読み直したら、今回は前回の透視で出てきた女性のリーダーに的を絞ると書いてあるよ?
シャーマンは適切な表現ではなかったと認めてるし、問題ないんじゃないかな?
…しかし、卑弥呼の顔は気に入った!

94:日本@名無史さん
08/08/21 13:37:05
>>93
大変すみませんでした。ご指摘のとおりでした。
読み返してみると、p76に場所(山口県長門市)と女性リーダーと書いてます。
思い違いでした。訂正できませんが、お詫びします。

p33の
"Japanese ruler, Himiko's, tomb location=日本の指導者、卑弥呼の墓の場所"
という封筒の中身の内容ですが
当時の倭国の人たちの発音は Himiko だったのでしょうか?
なにかの本で読んだのですが、現代人と平安時代の人とは言葉が通じないらしいです。
ひょっとしたら当時の魏の国の卑弥呼(なんと発音するか判りませんが)の発音が、
当時の倭国の人の発音かもしれません?

私も卑弥呼の顔は気に入りました!
絶対、天皇家のDNAには無い顔だと思いました。
天皇家に全く1ミリもオーラを感じないのは私だけでしょうか?


95:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/21 14:48:05
ムー誌の最新号の卑弥呼の続編記事はマクモニーグル氏の超能力の
件の、二つの鳥見山の思い違いからの話の延長だが、前編からして
畿内説への強い誘導の感じがあるのではないのかとの懸念があり、
こういうんでは真の女王国へは間違い、失敗に終わる。今回の続編
でも九州説への解釈、論点があまりなく、失望と言えば失望だな。

あんな所に女王国はない。卑弥呼の似顔絵はこれも真の卑弥呼では
ないと観ている。この似顔絵は本物の卑弥呼よりもいい女であり、
本物はもう少し丸顔で両目尻があれより少しだが下がっている。真物
は人を見据えたようなシカメッ面の感じの女であり、おとなしそうな
女だよ。

96:日本@名無史さん
08/08/21 21:39:34
↑顔見たのかと。

もしマクモニーグルが九州だよっていったら
マンセーするんだろ?

97:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/22 07:13:04
顔を見てるから言ってるんだよ。なにも超能力はマクモニーグルだけじゃない。
ただそれがしに超能力があるという意味でもない。
あれはムー記者の彼に対する畿内への誘導があったようだから、彼の間違いの
起因となったんだろうとの見解だね。

98:日本@名無史さん
08/08/22 07:22:05
へぇ~、卑弥呼の顔見たんだ~へぇ~www


99:日本@名無史さん
08/08/22 12:44:19
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

100:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/22 14:50:16
>>98
今日の新聞のスポニチ、ニチスポ、スポ報知、サンスポ等、超美麗な吉永小百合
の卑弥呼の化粧姿が載っていて、映画会社側は最高の出来のような記事だった。
鉢巻に、いつもよりやせた吉永の卑弥呼扮する上品な顔立ちに勾玉の首飾りで、
何でもクレオパトラ等のメーキャップを彼女が参考にして化粧したということの
ようだ。最高は同社等の収入等の出来においては確かに最高クラスに行くよう
だが、真の卑弥呼はあぁなのかと問われれば、会社側も想像をいろいろしての
最高だとかの説明に終始するだろうが、真の卑弥呼はあんな美麗ではない。
卑弥呼は人を見据えたような落ち着いた感じの、眼力もいささか強めの丸顔で
シカメッ面の女よ。本物姿でやれば、映画会社は高収入ができにくくなろうから
やむを得んなぁ。w

101: サガミハラハラ
08/08/22 16:49:19
卑弥呼メーキャップの吉永小百合さんの記念切手が9月16日から発売されるようですね。
100シートぐらいかっておこうかな。

102:日本@名無史さん
08/08/22 19:58:23
太国よ、嘘を付くなら最後まで突き通せよ

103: サガミハラハラ
08/08/23 01:10:13
>>101  9月16日は発売日ではなく予約受付開始日だそうです。
つつしんでおわび訂正いたします。

104:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/23 14:56:49
>>87
確かに宇佐神宮では宗像三神としていますし、日本書紀の記事もありますから。
しかし、宇佐神宮もホームページで
「とにかく神代よりまします比売大神は、かくと断定され得ないのである」
と言っています。
URLリンク(www.usajinguu.com)
比売大神は「姫太伯」かもしれないです。

105:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/23 15:04:52
宗像三神ではないと考えたい。神功の時代、九州にいた女性の神格化されたもの。
卑弥呼ではない。

106:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/23 15:32:14
今回の旅では行けなかったが、大分県の離島・姫島も面白い。

大帯八幡社
南浦地区と松原地区の境にある。祭神は帯中日子命(仲哀天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)。
宇佐神宮の分霊と言われているが、宇佐神宮には仲哀天皇は祀られておらず、祭神が異なっている。

比売語曽社
金地区にある。祭神は(1)朝鮮南部、意思加羅国の皇子 都怒我何羅斯等が追いかけた少女(日本書紀)、(2)新羅王の子 天之日矛の妻、
(3)新羅王 波沙寝錦の妃、(4)大己貴命の女 下照姫命、(5)辛国息長大姫大目命、(6)真野の長者の娘 玉依姫(般若姫)など諸説ある。
(ウィキペディア「姫島村」)

107:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 19:16:45
『水行』をKmにすれば 大体、280~285Kmぐらいで、
九州を左回り右回り問わず、投馬国・邪馬壹國への「水行」だけでも
九州よりの南、鹿児島付近の海上となるのがふつう。

さらに、そこから陸行で一月?となるのが「邪馬台国行程問題」

「南」を「東」に書き換えて邪馬台国を奈良とするのが、畿内説。
距離は560~570kmなのでそこでピッタリかもしれないが、
「南」を「東」にするというのはおかしいわけで笑う以外ない(笑)

よって、『倭人伝に記されてる邪馬壹國とは熊本ということが分かる』

108:日本@名無史さん
08/08/23 20:08:57
ドツボはよく自説をころころ変えるわ、
梅毒は 論破されたら開き直るわ
ファットマンは卑弥呼の顔を見たとか言うわ

ここのコテハンは糞揃いだなw

109:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/23 20:38:47
それはマクモニーグル氏より確かだ。~改めが背伸びしても、余には
勝てない理由はこういうところにあるのだ。まぁ序の口と横綱の差
だろうな・・・?ww ただ改めの九州説はかなりいい線行っている。

110:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 22:04:04
>>109
太国さん久しぶり

阿蘇周辺なのは間違いなさそうですが、
もっと細かく何処なのか絞り込んではいかがでしょう?



111:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 22:06:33
河童さん見てる?

この上の考えはどうでしょうか?


112:日本@名無史さん
08/08/23 22:06:51
>>107
>『水行』をKmにすれば 大体、280~285Kmぐらいで

勝手に決めるなよ

113:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 22:27:38
>>112
じゃあおぬしの「水行をKmにすれば 」何メートルになるんだい?

114:日本@名無史さん
08/08/23 22:37:19
>>113
>じゃあおぬしの「水行をKmにすれば 」何メートルになるんだい?

そんなこと関係ない。
最初に発言した貴方に説明の義務があるんだよ

115:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:08:40
>>114
>そんなこと関係ない。
>最初に発言した貴方に説明の義務があるんだよ

答えることが出来ません だろ?w

んで、説明して下さいでしょ?
しょーがないな 
おぬしが宅急便屋としてとして客からの依頼として確実に
船で水行二十日&水行十日かん走れば何キロぐらいで進むことが出来るのか?
ということ。
私を含めて
大体、280~285Kmぐらいでがふつうなんだよ


116:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:17:31
一日に進む距離は「9.3km~9.5m」。

手漕ぎのボートで一日に進める距離は9.3~9.5kmぐらいでは?
湖とかならまだ波はないが、波も天気も良くない
海を進むならこれ以上進むとなるとキツイぞ?



117:日本@名無史さん
08/08/23 23:17:37
>>115

>んで、説明して下さいでしょ?
しょーがないな 
おぬしが宅急便屋としてとして客からの依頼として確実に
船で水行二十日&水行十日かん走れば何キロぐらいで進むことが出来るのか?
ということ。
私を含めて
大体、280~285Kmぐらいでがふつうなんだよ


そんな説明でいいのなら、おれは時速80kmの船を利用するから約3万5000kmだ

118:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:18:39
河童氏はどうした?

議論するならヤフーよりここの2ちゃんのがし易い。
河童さーんみてたらおいで。

119:日本@名無史さん
08/08/23 23:18:55
>>115
出鱈目な説明の割りには誤差5km

結論から逆算したとしか思えない。
結論決めてから根拠を作ってはいけませんよ

120:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:21:48
>>117
オメー魏志倭人伝やる前に小学生の勉強からし直したほうが良いんじゃね?
どこに弥生時代後期に時速80kmの船が利用出来るんだよ!
なめてるのか? 荷物で重い船を天候悪い荒波の海を
手で漕ぐんだよ~甘えるな!


121:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:23:51
>>119

バカッすか?
倭人伝にそう書いてるから言ってるんだよ。

万二千里。水行十日 陸行一月 結果から求めなくてどうする?

122:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:27:31
>>117
ほい~おれは説明したぞ 次はいおまえの番だ!!

なぜ、水行が大体、280~285Kmぐらいでないのか説明宜しく!
逃げるなよ?


123:日本@名無史さん
08/08/23 23:30:11
>>120

オメーこそなめてるのか? 母ちゃんの腹の中からやり直せ
これは中国の文献に書かれた記事、中国では古くから一日に進む距離を
種別ごと、重量の違いにまで細部にわたり書き残しているんだよ
例えば船の場合、(空船・荷船)その場所が(河・江・水)と

馬鹿者が

124:日本@名無史さん
08/08/23 23:31:43
>>116
普通に何キロ進めるかのほかに、使者が進むときにはどのような段取りだったのか、を考える必要がある。
言葉も通じない国に来て、いきなり進んで、宿泊場所もなければ食料もないということになったどうしようもない。
宿泊施設はあったのか?野宿か?自分たちで狩りや釣りをして食料を調達するのか?まさかそんなことは。
先に伝令を走らせ先方の豪族に受け入れ準備をさせつつ、一大率がつけた案内人が案内していくのではないか?
普通の倍や三倍の日時がかかったかも知れないね。

125:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:32:44
>>123
水行←これのどこに(河・江・水)とか書かれてるの?

関係ないことを書き込まないでくれ!
倭人伝をよく読みなさい!

わたしに絡む前に勉強不足っス。



126:日本@名無史さん
08/08/23 23:33:47
>>124

>普通に何キロ進めるかのほかに、使者が進むときにはどのような段取りだったのか、を考える必要がある。
言葉も通じない国に来て、いきなり進んで、宿泊場所もなければ食料もないということになったどうしようもない。
宿泊施設はあったのか?野宿か?自分たちで狩りや釣りをして食料を調達するのか?まさかそんなことは。
先に伝令を走らせ先方の豪族に受け入れ準備をさせつつ、一大率がつけた案内人が案内していくのではないか?
普通の倍や三倍の日時がかかったかも知れないね。

そのような設定、何処に書いてあるのですか?
結局想像の賜物でしょう

127:日本@名無史さん
08/08/23 23:38:34
>>125

オメー、マジで文献知らねーのか?wwwwwwwwwwww
おれ、馬鹿相手してるほど暇じゃないから

128:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:38:52
>>123氏と>>124氏はもっと勉強しろよ!

水行一日ていうのはだな~.......はあ疲れる・・・。

手漕ぎのボートで一日に進める距離は9.3~9.5kmぐらいだろ?

んで南ていうのをだな消しゴムで消して、東に書き換えると
丁度、邪馬台国はになる。

しかし、わたしは九州説派。
そんな消しゴムで消すなんて有りえないしマンガだよ。

よって、 「奈良」ではなく九州の熊本に存在したということになるんだよ。
まあ、わたしとあなた達のレベルの差が有りすぎて私の言ってることが理解できないみたいダネ。
所詮、初心者くんに言っても無駄かもしれん(笑)


129:
08/08/23 23:39:27
そうですね、しかしきわめて常識的にして実存性のある想像の賜物ですね。

130:改めドツボ監視委員会
08/08/23 23:39:42
まあどうでもいいが・・・

つうかドツボのアホは水行がどうたらぬかす前に
邪馬台国の時代の船がどのような物であったのか知っているんだろうか?


131:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:39:55
>>127
わたしと貴方ではラベルが違うんですよ。

邪馬台国のラベルw

132:日本@名無史さん
08/08/23 23:40:41
>>121
>万二千里。水行十日 陸行一月 結果から求めなくてどうする?

で? 水行十日 陸行一月あたりを何里と計算?

133:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:42:08
>>130
>つうかドツボのアホは水行がどうたらぬかす前に
>邪馬台国の時代の船がどのような物であったのか知っているんだろうか?

おんぼろ船だよ。
まあ、古墳時代以降の船は立派みたいだな。
博物館かどっかであったような。。。


134:日本@名無史さん
08/08/23 23:46:14
>>129

>そうですね、しかしきわめて常識的にして実存性のある想像の賜物ですね。

どんなに素晴らしい想像でも、想像であるかぎり歴史じゃない

135:日本@名無史さん
08/08/23 23:49:08
>>131

>わたしと貴方ではラベルが違うんですよ。

邪馬台国のラベルw

そうだね、そうとうレベルの差があるみたいだ

136:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:50:17
>>132
>水行十日 陸行一月あたりを何里と計算?

~ったく!しょうーがないな・・・・・・・。
教えてやるからノートと鉛筆用意してよく聞いてやがれ!!!
一度しか言わないぞ!俺の言葉をありがたく思って聞けな。

水行十日というのは、93~95km
陸行一月というのは、279~285km

控えたノートを仏壇に供えて置いた方がいいんじゃね?w

>>135
おたくのラベルが低いんだよww

137:改めドツボ監視委員会
08/08/23 23:52:47
>>133  改め ◆PWTcGEfp1s

知らないのなら知らないって言った方が良いぞw

いつぞやのように

 「箸墓は過去に発掘調査されている、 コーコガクの本で読んだ!」

なんてアホな事を言って大恥かく前になwwwwwww




138:日本@名無史さん
08/08/23 23:54:22
>>136
何里と聞いたが? 字読める?

139:日本@名無史さん
08/08/23 23:54:45
>>136
オメー 同じような書き込みヤフーにも書いたようだから、ヤフーで河童にでも
聞いてこい。

馬鹿者が

140:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/23 23:59:12
>>137

距離だけで言えば丁度、箸墓が卑弥呼の居たところとなる。
そうだよ。距離だけで言えば邪馬台国は奈良だね。

しかし、倭人伝にはそんなことは書いてない!!
しかも「南」へ邪馬壹國とある。(南至邪馬壹國)

よって、距離で言えば丁度、奈良だが・・・そこは倭人伝の「邪馬壹國」ではナイ
ということになる。

しかし、お前は人の批判はするが自説というのを持ってないのか?
なんならおぬしが説明してみろよ!!

水行十日 陸行十日 ←これ語れるほどラベル高くないっしょ?WW



141:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 00:01:11
>>138

あっそ~!
わたしは距離(KM)で答えたが、里数にするにはご自分でやってくだされ!
なんでも質問すれば答えが貰えるという甘ったれた考えはよしてくれ。
自力でいけぃや!!

142:日本@名無史さん
08/08/24 00:06:57
>>141
貴方自身が自分の主張のそんな基本的な部分の説明さえできないということが分かりました

では、寝ます Zzzzz


143:日本@名無史さん
08/08/24 00:11:57
>>141

>わたしは距離(KM)で答えたが、里数にするにはご自分でやってくだされ!
なんでも質問すれば答えが貰えるという甘ったれた考えはよしてくれ。
自力でいけぃや!!

今日ここで言ったオメーの台詞はみんなが見て、頭に焼き付けたはずだ。
これからオメーの書き込みには必ずこの台詞が添付されるだろう

「なんでも質問すれば答えが貰えるという甘ったれた考えはよしてくれ。
自力でいけぃや!! 」

という台詞が
オメーの質問には誰一人として答える者はいない


144:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 00:13:38
>>142
あら逃げますか?W そうでしょうね.....たぶん貴方達のラベルでは
この改めの言ってることが分かりません。

それにしても太国氏はすぐに私の言ってる事が分かったのを見ると

あなた達よりラベルは高いようです。
↓こちらを見てくだされ
>>107-109

145:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 00:15:48
>>143
>オメーの質問には誰一人として答える者はいない

ラベル高すぎて答えることが出来ませんだろ?w


146:日本@名無史さん
08/08/24 00:43:26
>>145
オメーの高いラベルに合わせる事の出来る奴なんて、ここにはイネーから、もうここにはくるな

147:日本@名無史さん
08/08/24 01:00:26
>>134
水行十日陸行一月が実際にはどの程度の距離か。しょせんは推測するしかないのですよ。
どれだけ、具体的、現実的な推測ができるか、それが真実を知る要諦なのです。

148:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 01:16:44
>>146
>オメーの高いラベルに合わせる事の出来る奴なんて、
>ここにはイネーから、もうここにはくるな

うん 確かにあっちのがレベルが高いネ。
詳しいのがゴロゴロいるよ。
しかし、わたしはここの2ちゃんねる出身。
野球の巨人じゃないが「生え抜き」の人らを君等はもっと大事にしてはどうか?
余所サイト出身の人には厳しくして良い思うが。。。

>>147
>水行十日陸行一月が実際にはどの程度の距離か。しょせんは推測するしかないのですよ。

じゃなくて倭人伝が読めません でしょ?

149:日本@名無史さん
08/08/24 01:52:31
>>148
>じゃなくて倭人伝が読めません でしょ?
はっはっは。「熊本にあった」などと言ってる人に、言ってもらいたくないね。


150:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 04:03:45
5年前新品で購入したシャープPCから
SONY PCへ替えました。

Vistaはなかなか良い!
いままでセットアップに時間かかってしまった。。。
これから寝ないといけない!


151:日本@名無史さん
08/08/24 07:40:43
>>147
>しょせんは推測するしかない。


推測するくらいなら換算せず放置し、分からないとするが良し。
史実に推測、想像はない。

152:日本@名無史さん
08/08/24 07:50:01
>>151
あなたの言う換算もしょせん推測にすぎない。

153:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/24 12:50:23
ブランド魚で有名な、関アジ・関サバが獲れる大分県佐賀関(おおいたけんさがのせき)。
「関」とは、大分県佐賀関町のことで、漁港として栄えてきたこの町の沖合いに、豊後水道と呼ばれる潮流の速い海域がある。ここで一本釣りされたアジ・サバのみが、ブランド「関アジ」・「関サバ」として重宝される。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

わたしも今年のお盆、九州へ帰った時にこのブランド魚が食べたく
魚介類を扱っているお店に行き「関サバ」食べてきたところ。
身が引き締まっている感じで、普通のサバよりも歯ごたえが有りコリコリしてて美味かった。
ちなみに関アジはというと、お盆休みということもあり
そのお店では「売り切れ」。

魚の話はもういいとしてこの「佐賀関」は魏志倭人伝に登場する女王国とスルのがわたしの考えるところ。

女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種

復有國というのは「四国」を指してあり、四国の相手側とは
上で述べた「佐賀関」ということ。

ちなみにわたしは大分県に住んでたことが有り
天気のいい日だったら佐賀関付近から四国の佐田岬が綺麗に見える。
住んでた人なら分かるが佐賀関以外という考えは「地図を見ながら」だからそうゆう考えになるとしか思えない。
地元の人が言うのだから間違いないところ。

大分県佐賀関を女王国とする考えに反する人はいるのかな?
ハッキリ言っておこう!佐賀関は、女王国だよ。

154:沖縄ロミオ
08/08/24 13:05:12
                           
 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。


■倭人とは何か

 シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称である。
漁業を生業とし、また内陸部の倭人は稲作を中心に農業も行っていた。


■ワイ族とは何か

 古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀後半には領土が西方に移動し、国号をミマナに改めた。
その後、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)に対して
侵略を何度も仕掛け、6世紀前半に、ついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。


155:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/24 13:09:26
>>153
賛成です。
ただし「佐賀関は、女王国だよ。」は「佐賀関=女王国」ではなく「佐賀関⊂女王国」と考えてです。

向こうのトピは荒れてますねえ。
ちょっと今週は入りづらかった。

156:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/24 13:28:11
自帯方至女國萬二千餘里、其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂太伯之後

翰苑の魏略逸文に書かれています。

このことから、卑彌呼は南方系の女性であったと思われる。
今の天皇家は、扶余系かどうかはともかく、北方系と考えられるので
卑彌呼の系統ではないでしょう。

157:愛知県民 ◆/aQLbFNNDU
08/08/24 15:00:54
オリンピックも終わり。ソフトボールチームに拍手。
また来週。
ZZZ・・・・

158:日本@名無史さん
08/08/24 15:15:10
                   
 新羅(ケリン)は、やはり原始的な国だったな。
建国王=キム・アルジの誕生伝説の中に、ケリンがシラキを侵略した証拠がある。
なぜ、新羅の役人たちは、全員が倭人だったのか?
ケリン族は漢字の読み書きができなかったから、征服後も倭人の役人を
そのまま使うしかなかったわけだ。

新羅の古い記録には捏造が多いが、それでも、所々に日本語の証跡が見える。
貴族階級を意味する『真骨』の読み方は、「ジンピョ」ではなく、「マホネ」だろう。
マホネは日本語だよね?

                

159:日本@名無史さん
08/08/24 17:14:39
>>136

改めって馬鹿だね。

>水行十日というのは、93~95km
>陸行一月というのは、279~285km

一日9kmくらいしか進めなかったら、朝鮮海峡・対馬海峡は渡れない。
海流が早いから日本海のほうに流されてしまう。
朝鮮海峡は時速4kmくらいで流れている。
この速さを上まるスピードでなければ海峡は渡れないのだよ。
時速5キロ程度で10時間。
一日50km進めるんだな。

休みなく漕いで朝鮮海峡の距離50kmを漸く渡りきれるのだ。
休んだら流されてしまうから。
夜は暗礁などあって岸に近づく事はできない。
二つの海峡以外は多少のんびり漕いだかもしれないがね。
このスピードで瀬戸内海を渡れば九州から大阪まで10日でいける。
ゆったり漕いでも15日だろう。

160:日本@名無史さん
08/08/24 20:06:13
>>159
末盧国で船を下りた後、使者の一行はどんな船を使ったのかな?

161:日本@名無史さん
08/08/24 21:12:35
魏志倭人伝では、「対馬国→末ら国-(東南)→伊都国-(東南)→奴国-(東行)→不や国」
となっています。ちなみに距離の表記はここまでが「里」です。
このうち、対馬国=対馬、末ら=松浦半島、伊都国=糸島半島、奴国=福岡平野
までは、ほぼコンセンサスが得られていると言って良いのではないでしょうか。
(東南は東北の間違い『魏使は東南と考えた』と考えるべきでしょう。
ちなみに私は、不や国は、津屋崎ではないかと考えています。 )

次に、不や国-(南へ水行20日)→投馬国-(南へ水行10日&陸行1月)→邪馬台国 ときます。
ここから、地名、距離ともいっぺんに怪しくなります。 魏使はおそらく、不や国までしか行かなかったのでしょう。
何故魏使はそこから先へ進まなかった(進めなかった)のでしょうか?

それはそこからは北部九州を南北に流れる遠賀川へと入ったからでしょう。その為、
外洋を航行するための魏の船は遠賀川を遡上することができず、(また身の安全も考えたかもしれません。)
倭人にそこからの行程を尋ねたためそのようなそれまでに比べて随分アバウトな記載となったのでしょう。

162:日本@名無史さん
08/08/25 00:03:38
>>161
遠賀川で三十日も水行できますか?最初から普通に陸行すれば、遠賀川上流には数日で着くはずでは?

163:日本@名無史さん
08/08/25 00:37:56
>>161
>外洋を航行するための魏の船は遠賀川を遡上することができず、(また身の安全も考えたかもしれません。)

普通に乗り換えたらええやんw

川の遡上が海より危険?
激流下りでもする訳じゃないだろうにwwwww


164:日本@名無史さん
08/08/25 00:43:13
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

165:日本@名無史さん
08/08/25 00:44:03

>>164  馬鹿の一つ覚えみたいに同じ文章コピペすな。

166:日本@名無史さん
08/08/25 19:50:45
>遠賀川で三十日も水行できますか?最初から普通に陸行すれば、遠賀川上流には数日で着くはずでは?
 激しく概出なのですが、「水行三十日」というのは、倭人達のいわば「言い値」なわけで、魏使が実際に
 航行して出したデータとは思えません。その為それまでは「里」という客観性のある表記から、「行」と
 いうそれの無い表記に変わっています。したがって、当時の交通事情は現代のそれとはちがっていたうえ、
 倭人が誇大に日数を申告した可能性が高いと思います。
 

>普通に乗り換えたらええやんw
 おまえ、糞馬鹿だろ?w 遠賀川河口まで来たら、「邪馬台国逝き」の船が定刻どおりに出発しま~すってか?
 
>川の遡上が海より危険?  激流下りでもする訳じゃないだろうにwwwww
 おまえ、やっぱり糞馬鹿だろ?wwwww 海では視界が開けていて、盗賊に襲われる事はない。
 魏使としては未開の土地にやってきて、何がでてくるかわからない陸上に踏み込んで逝くわけだから
 海上より危険と考えるべきだろ? 馬鹿はアンパンマンでも見て糞して寝ろ。

167:日本@名無史さん
08/08/25 20:33:02
あと五万年ぐらい経つと、吉野ヶ里遺跡が遺跡になって、やまたいこく論争が一層複雑になるんだろうな…。

168:日本@名無史さん
08/08/25 23:26:51
5万年先に人類がいるのか?

169:日本@名無史さん
08/08/25 23:34:56
>>166
>「水行三十日」というのは、倭人達のいわば「言い値」
せいぜい数日しか遡上できない遠賀川で、そんなでたらめを教えたとも思えませんが・・
それに、不弥国から先が信用できないと言うのは、邪馬台国をどこにでも設定できることになりませんか?
何で倭人伝どおりに進まないんでしょうか?



170:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/26 00:44:44
>>169
水行一日ていうのは
手漕ぎのボートで一日に進める距離 9.3~9.5kmぐらい。

水行十日というのは、約93~95km
水行十日というのは、約186~190km


ハイ~ほぼ確定です。
それとここはあくまでも”水行 ”の話。

倭人伝の水行を語ってるワケではない。
ここのところ勘違いしないでおくれよ。

それより~河童さん(κ) ここにもたまにはレスしておくれ。
(κ)←? 河童さんらしいよww


171:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/26 00:55:45
倭人在帶方東南大海之中 依山島為國邑
舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國
從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

「今使譯所通三十國 從郡至倭」又は「今使譯所通三十國從 郡至倭」。

「從」←これの位置はどっちが正解?

河童さんの師匠が「今使譯所通三十國從 郡至倭」と言っていたので
わたしは前の「今使譯所通三十國 從郡至倭」にしとこう(笑)

「從(従の旧字)」これは~より読み文章的には、「今使譯所通三十國 從郡至倭」で
良いんだが、何かひかかるんだよね。
中国の文献なのに「従」の字を当てはめるのもどうかと....。

これみてる方々どう思う?

172:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/26 01:01:40
以朱丹塗其身體

こんな風習~古代日本にあったかな?

葬式のときに「赤い土」を塗りたぐってどうするんでしょね。。。

173:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/26 01:06:19
>>156
>自帯方至女國萬二千餘里、其俗男子皆點而文、聞其舊語、自謂太伯之後
>翰苑の魏略逸文に書かれています。
>このことから、卑彌呼は南方系の女性であったと思われる。

どこを見て「南方系の女性」としたのでしょうか?

土日にでも愛知県民さんに聞いてみましょうかね...。

では、時間遅いので....zzz。

174:日本@名無史さん
08/08/26 02:05:43
卑弥呼が美人だとイヤなんですね。わかるニダ。

175:日本@名無史さん
08/08/26 03:19:02
>>166
>海では視界が開けていて、盗賊に襲われる事はない。

お前馬鹿だろう?w

21世紀の今でも海賊と言うものがいて日本の商船が襲われているのを知らんのか?

ドアホウwwww


そもそも川を遡上する為の船なんか邪馬台国側が魏使に用意するだろうって話でw


一大卒を置いて北部九州に睨みをきかせた邪馬台国が
魏使が自国に来るまでその道先案内もせず安全も保証しなかった。
自国へ繋がる川の流域すら治安維持できなかった邪馬台国w

・・・なんて話し小学生でも考えんわwwww



寝言は寝て言えカスwwwwwwwwwwwwwwww








176:日本@名無史さん
08/08/26 06:42:05
>>170
で、どうなるんです。何で倭人伝どおりに進まないんです?

177:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/08/26 07:42:12
>>171
「從郡至倭」か「郡至倭」で考えるのではなく、「…三十國」か「…三十國從」かで、考える。

考える視点がまるでズレてるよ。

178:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/08/26 07:47:36
>>170

一日に進む距離は、文献に纏められているから
それを参照すればいいだけ。
自分の主観は一切いらない。

179:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/08/26 07:50:36
>>172

昔話に登場する「赤鬼」ホニのモデル。

180:日本@名無史さん
08/08/26 10:47:47
>>171
「今使譯所通三十國 從郡至倭」で問題なし。従=自。

181:日本@名無史さん
08/08/26 13:14:06
梅毒キターーー!!!!

182:日本@名無史さん
08/08/26 13:32:45
>21世紀の今でも海賊と言うものがいて日本の商船が襲われているのを知らんのか?

 またまた出ましたこのゴキブリくん!www
 海賊が当時の玄海灘にいたのなら、あれだけ事こまかに倭の様子を書いてる倭人伝に
 何故一言の記載もないんだ?「倭の海には盗賊が多く航行困難」とかな。
 実際に玄海灘を自分たちが航行しているわけだから。このボケカスアホ!www
 まあ、馬鹿には無理だろうが。www

>一大卒を置いて北部九州に睨みをきかせた邪馬台国が
>魏使が自国に来るまでその道先案内もせず安全も保証しなかった。
>自国へ繋がる川の流域すら治安維持できなかった邪馬台国w

またまた出ましたオバマ、いやオバカさん。w
 当時の邪馬台国に至るまでに「奴国」「投馬国」などがあると書いてあるだろ?
 一大率はしょせん出先の機関で強力な警察力軍事力をもっていたとは思えないし、
 邪馬台国が当時の北部九州に睨みをきかせていたとも思えない。
 なぜなら、その後倭国大乱が起こっており、邪馬台国が武力で周辺国を制圧したなどと
 いう記録は一切ないからである。そんな邪馬台国が保障できるのはせいぜい玄界灘の
 上までだったのだろう。「水行三十日」云々も、倭人側が「魏のお役人さん。邪馬台国は
 まだまだ遠いですよ。この辺までにしといたらいかがです?」という意味合いもあったのかも
 しれない。(邪馬台国、倭人側が保障できたのは海上まで)


 まあ、当時と今が同じだと思っているお馬鹿なゴキブリくんは
 アンパンマンでも読んで「顔が交換できるわけないだろ。www」とか逝ってろ。www
 わかったか?wwwww

183:日本@名無史さん
08/08/26 13:55:08
>>175
邪馬台国時代の玄界灘で海賊はビジネスとして成立するか?
金銀財宝を積んだ船が定期的に行き来する世界じゃないぞ。
せいぜい浮かんでるのは海岸にへばりつくようにして住んで
る漁民達の小舟だろ?

184:日本@名無史さん
08/08/26 14:23:54
>>175
「そもそも川を遡上する為の船なんか邪馬台国側が魏使に用意するだろうって話でw」

倭人伝では大陸からの行程を記載してるわけだから、魏使は魏で造られた船で北部九州を航行してるわけだろ?
仮に野蛮な倭人が「我々の造った船で川を遡上しましょう!」といったところで「OK! Let,go!」となるだろうか?

185:日本@名無史さん
08/08/26 15:22:25
倭人伝によれば、使者は末路国で上陸したことが明らか。なぜ、船を捨てたのか?
玄界灘を移動するならば、184氏がいうように自分たちの船を使うはず。
伊都国を怡土に比定しているのが問題ですな。伊都国は有明海沿岸にあったのです。

186:日本@名無史さん
08/08/26 18:19:19
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

187:↑↑↑↑↑↑
08/08/26 19:32:52
見よ!

これが馬鹿の一つ覚えコピペだ。

188:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/27 00:32:04
高千穂神社の御祭神
神武天皇の御兄 三毛入野命て余り馴染み無い名だな...。

高千穂宮御由緒                             
当宮は初め高千穂皇神と申しあげてこの地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊
以下三代の神々をお祀りし千百余年前の承和十年に従五位下、天安二年には
従四位上の位を授けられたことが六国史にはっきり記されており、日向国で一番位の高い神社。
 神武天皇の御兄三毛入野命が高千穂に帰られ神籬をたてて神代御三代をお祭りされたのが初めで、
その子孫が長く奉仕されたので後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを配祀して十社大明神としたらしい。

高千穂皇神
  天津彦火瓊々杵尊    木花開耶姫命
  彦火火出見尊      豐玉姫命
  彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊  玉依姫命  
  
 十社大明神
  三毛入野命       鵜目姫命
   御子 太郎命     照野命
      二郎命     大戸命
      三郎命     霊社命
      畝見命     浅良部命

189:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/27 00:37:55
>>176
>で、どうなるんです。何で倭人伝どおりに進まないんです?

倭人伝どおりに進むべきです。

>>177
>「從郡至倭」か「郡至倭」で考えるのではなく、「…三十國」か「…三十國從」かで、考える。

んで、なぜ「…三十國從」なのか河童さんの主張を聞かせてください。

>>178
>一日に進む距離は、文献に纏められているから
>それを参照すればいいだけ。
>自分の主観は一切いらない。

自分の主観ではなく倭人伝の記されてるとおりに解釈するべしです。

>昔話に登場する「赤鬼」ホニのモデル。

その理由は?ただ単に赤いから?

190:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/27 00:46:26
今倭水人好沈沒捕魚蛤 文身亦以厭大魚水禽 後稍以為飾

「今」倭水人好沈沒捕魚蛤 とかの記事がみえるので、
倭人伝に記されてる時期は「夏」というのが分かる。
まあ、春、秋の可能性も全然ないわけではないが、普通に考えたら
夏だろう。まさか「冬」ていう人は居ないだろうね....。

他の人の意見も聞いてみたいです。


191:改め ◆PWTcGEfp1s
08/08/27 00:54:56
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之
常治伊都國 於國中有如刺史

「常治伊都國」・・・常に伊都國を治す

まあ、伊都國周辺に主要国家が集まってたのは確か。

そして、女王國~伊都國は離れて有るということが分かる。
倭の中心地(人が集まってるところ)はここら辺。

では、遅い時間なのでソロソロ...意見ある人は書き込みお願いします。
ZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・・・

192:日本@名無史さん
08/08/27 01:12:12
>>182
大事な魏使サマにガイドも付けず護衛も付けずと言うのが
およそリアリティの無い話だなw


船の乗り換えで言えば、副島和明と言う人が
壱岐の原の辻遺跡で島の内海湾から小船に乗り換えて
環濠集落の外にある船着場に至ると言う事を書いていたな。

当時の海洋航行用の準構造船が全長25mとも書いていた。

その船が乗り付けるにはその遺跡の船着場はどう見ても小さいw

(船着場跡の復元模型の画像でもネット上にあれば話が早いんだが)


外洋航行用の船で川を遡上できないから
乗り換えと言う選択使を考えず
わざわざ徒歩にしたとでも?w

馬鹿丸出しwwww


もう少しマシな言い訳を考えろカスwwwwwww








193:日本@名無史さん
08/08/27 03:15:28
>>184
じゃあ野蛮な倭人の作った船を断って
野蛮な倭人が徘徊する陸上を歩いて行くかい?w






194:日本@名無史さん
08/08/27 05:44:23
とにかく、水行二十日、水行十日を遠賀川の遡上と読もうとするのは到底無理。
魏使は末盧国で自分たちが乗ってきた船から下りた。したがって、水行は倭の船を使ったはず。
定期船などあるはずはないから、船は一大率が準備したものでしょう。小舟かな?

195:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/08/27 07:57:33
>>189

>どうして三十國從なの


どうして君は三十國從ではないの?
三十國從と考えていない人に、三十國從である事を説明するのはしんどいから“しない”
邪馬台国(女王と男王)は三十國を従えて、帝国と交易してたからだろう。


>倭人伝どおりに


倭人伝ではない水行と言ったのは君だよ
それをいまさら、倭人伝なんて言い出して
「変」
一番理解していないのは、君じゃないか?


>単に赤いから


体中が炎うの様に赤い事が「鬼/火以」の語源。

196:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/08/27 17:41:57
「改め君」 ネタ投下しておくよ

『又有州胡在馬韓之西海中大島上其人差短小言語不與韓同皆kon[冠髟脚兀]頭如鮮卑但衣韋好養牛及豬其衣有上無下略如裸勢乘船往來市買韓中』

これは以前にも少しふれた韓伝の中の州胡の一文で、ネタとして投下したいのは
この中の「乘船往來市買韓中」
ここに記載されている乘船往來は、州胡と韓の間を船にて往来し、市買していることを記載したことではない。
そう主張しておくよ

君はどのように解釈するかな?


197:日本@名無史さん
08/08/27 17:56:42
>大事な魏使サマにガイドも付けず護衛も付けずと言うのが およそリアリティの無い話だなw

またまた出ました!ウンコ野郎! 臭っております馬鹿っぷり!
アホかおまえは。魏使一行は大陸側から一気に玄界灘を渡って不弥国まで行っている。
と言う事はウンコくんの理論だと倭人が自ら船を押し立てて魏まで迎えにいったとしなければそれは
成り立たない。まあ、馬鹿なので成り立たない事にも気がつかないだろうが。www

>外洋航行用の船で川を遡上できないから 乗り換えと言う選択使を考えず わざわざ徒歩にしたとでも?w
>じゃあ野蛮な倭人の作った船を断って 野蛮な倭人が徘徊する陸上を歩いて行くかい?w
もう、あまりの馬鹿っぷりに私も恥ずかしさでいっぱいです。www
魏志倭人伝には最後の行程が「陸行30日」とあるだろう?この馬鹿。それとも何か?お前の田舎では船かついで
陸を逝くのか?www 陸を行ったとちゃんとかいてある。ひょっとしてお前文盲か???

>魏使は末盧国で自分たちが乗ってきた船から下りた。したがって、水行は倭の船を使ったはず。
>定期船などあるはずはないから、船は一大率が準備したものでしょう。小舟かな?
そんな事があれば「我々は一大率が用意した船に乗り換えた。船の具合は◯◯だった」という記載は
あるだろう。まさにそれは倭人達の技術力を証明するものだから。

だいたいウンコマンはいったい邪馬台国はどこにあったと思っているのだ?

198:日本@名無史さん
08/08/27 18:11:28
陸行30日のうち20日は宴会だろうな。

199:日本@名無史さん
08/08/27 19:48:51
とうとう邪馬台国の所在が近畿だと決定する時がきましたね。

卑弥呼?それとも後継者? 大規模周濠の一部を初確認 奈良・箸墓古墳
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
卑弥呼の墓?奈良の箸墓古墳 前方部正面に幅60メートルの外濠
URLリンク(www.nikkei.co.jp)
浮かぶ権力者の威光、被葬者論争にも一石 箸墓古墳周濠初確認
URLリンク(sankei.jp.msn.com)

200:日本@名無史さん
08/08/27 22:13:26
邪馬台国九州説は廃止されました。

201:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/27 22:33:23
こんな周濠なんかがあるとなおさら卑弥呼の墓ではないと感じるな。

202:日本@名無史さん
08/08/27 22:41:42
卑弥呼が死んだ時はまだ戦争中で、しかも男王が立ったがまとまらず混乱し、
ようやく臺与でまとまったという時期に、ここまで立派な陵墓がつくれたか疑問。

臺与の陵墓というならわかるが、卑弥呼じゃないだろうなぁ。

203:日本@名無史さん
08/08/27 23:40:03
周濠があったらなんで卑弥呼の墓の裏付けになるのかが甚だ疑問

倭人伝のどこかに卑弥呼の墓はそうであると書かれていたのかな

記憶では大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人だったような


204:日本@名無史さん
08/08/28 00:47:31
>>197
結局、この馬鹿は川の遡上に船を乗り換えるなんて事すら考えないw
遠賀川を横目で見ながらわざわざ徒歩で邪馬台国目指したとwww

危険云々言うのなら後の時代の整備された街道じゃあるまいし
そこらへんの茂みから何が出てくるのやらw

で魏使が邪馬台国に自力で着くまでフォローなしとwww


まあこのアホ(ひょっとして九州王朝説のサイキバ君かな?www)はすくいようが無いが
船の乗り換えによる川の遡上は畿内説にとっても諸刃の剣w


瀬戸内からのルートを想定すれば
「なんで大和川を船で遡上すると言う楽な方法を選ばなかったのか?
 後の隋使裴世清も大和川を通って海石榴市に来たんじゃねえのか?」

・・・と言うツッコミが当然来るwww








205:日本@名無史さん
08/08/28 06:50:34
奈良の初瀬川の上流に市場があったと三輪山の案内にもあったな。

多分、昔は川を舟で移動する手段はあったと思う。


206:日本@名無史さん
08/08/28 12:58:12
・・・ん? 何か臭うぞ これは馬鹿の臭い・・・! またまた出ましたウンコマン!
いつものように馬鹿ぶちかましてます!www
>結局、この馬鹿は川の遡上に船を乗り換えるなんて事すら考えないw
>遠賀川を横目で見ながらわざわざ徒歩で邪馬台国目指したとwww
まあ、馬鹿なのは知ってるけど、人の書いたものは良く読もう。
「遠賀川には入らず、不弥国から先については倭人の申告(水行云々)をそのまま記載した」
とかいてあるだろうが。この馬鹿!

それからウンコマンは
>わざわざ徒歩で邪馬台国目指したとwww
とかいてあるが、「陸行30日」というのは徒歩で邪馬台国を目指したと言う事だろうが。
スンゲー馬鹿。陸行30日と書いてあるのに「>わざわざ徒歩で邪馬台国目指したとwww」
だって。www 馬鹿ここに極まれり。

>魏使が邪馬台国に自力で着くまでフォローなしとwww
この馬鹿は字が読めないのかねえ。だから上にも書いたが、魏使が行ったのは自らが乗って来た船
が使える不弥国まで。その先は自らは進んでおらず、倭人の申告をそのまま記載したと書いてあるだろ?

>なんで大和川を船で遡上すると言う楽な方法を選ばなかったのか?
そう。大和川は大和に向かうから「やまと」川。

(以下はウンコマン以外の皆様宛)
福岡県甘木市朝倉に大貴己神社という神社がありますが、この神社は「おんが様」と呼ばれています。
(ちなみにもともと「大神様」と書いておんがさまと読んでいたのだとか。)
おんが様に向かう川が「おんが」川なのではないでしょうか。

ポイントは倭人伝の記載によれば、邪馬台国への最終行程で(不弥国からの移動で)陸上の移動が出てくる事。
倭人達は、不弥国(津屋崎あたりか?)から九州を南北に流れる遠賀川を南へ水行し、
田川か、それよりやや上流に上陸し、陸路南へ峠をこえて福岡県甘木市へと入ったのではないでしょうか。

207:日本@名無史さん
08/08/28 13:06:18
>>206
>倭人の申告をそのまま記載したと書いてあるだろう。


何処にそんな間抜けな事書いてあるんだよ?

208:日本@名無史さん
08/08/28 13:56:58
夏厨は逃げ足も速いなw

209:日本@名無史さん
08/08/28 14:53:37
>>206
>魏使が行ったのは自らが乗って来た船が使える不弥国まで。
魏使は末盧国で下船しています。そこから伊都国へは陸行、当然不弥国へも陸行と考えられます。

210:日本@名無史さん
08/08/28 16:07:23
間抜けな>>207ことウンコマンへ。
>>166を嫁。馬鹿。

>>209
だからウンコマン
>魏使は末盧国で下船しています。そこから伊都国へは陸行、当然不弥国へも陸行と考えられます。
なのなら、不弥国はどこで投馬国はどこで、どこを水行してどこを陸行して、邪馬台国はどこなんだよ。
それをかかなきゃ話にならんぞ。

211:日本@名無史さん
08/08/28 16:10:47
ウンコマンは逃げてないで自分の考えをいちど
対馬あたりから邪馬台国までちゃんと書いたらどうだ?
ついでにウンコマンでコテってくれ。

212:日本@名無史さん
08/08/28 18:04:53
>>210

>>166引用
>遠賀川で三十日も水行できますか?最初から普通に陸行すれば、遠賀川上流には数日で着くはずでは?
 激しく概出なのですが、「水行三十日」というのは、倭人達のいわば「言い値」なわけで、魏使が実際に
 航行して出したデータとは思えません。その為それまでは「里」という客観性のある表記から、「行」と
 いうそれの無い表記に変わっています。したがって、当時の交通事情は現代のそれとはちがっていたうえ、
 倭人が誇大に日数を申告した可能性が高いと思います。


馬鹿か?
誰がオメーの下らねぇヨタ話を根拠にしろと言ったんだよ。
史料からの証文を提示しろと言ってんだよ(アナタニホンゴワカリマスカ?)

213:日本@名無史さん
08/08/28 18:10:10
>>211
ほらほらリア厨君。逃げるなよ

214:日本@名無史さん
08/08/28 18:50:06
>>212
夏休みだ!大目に見てやれよ。
震えてるじゃないか。

215:日本@名無史さん
08/08/28 18:58:16
>>210
倭人伝を正しく読むことが先決ですな。不弥国まで船で来たなどと言っている方に、
各国をどのように比定するのが合理的かを説明したところで理解できるはずはない。

216:日本@名無史さん
08/08/28 19:06:36
ニュースで「卑弥呼の墓確定か?」という記事を見て
このスレにきたんですが・・・

考古学の討論では相手にずいぶん失礼な言葉を使うんですね。


違う意味で勉強になりました^^;


217:日本@名無史さん
08/08/28 20:26:03
>>213 >>214 >>215
おおっと。またまた出ましたウンコマン! ウンコマンならではの臭い自作自演ご苦労。www
ウンコマンは何故「邪馬台国論争」というものがあるのか馬鹿だから解ってないようだ。www
魏志倭人伝という今日の科学に照らしてみたときいくつも矛盾がある資料しか無いが為に、それを
満たす行程、場所というものをまともな方達は模索しているわけだ。このスレの馬鹿ウンコマン
以外のレスをみればそれはわかる。まあ、こんな有難い話は豚に真珠、猫に小判と言うんだぞ。
馬鹿なウンコマンくん。覚えておきたまえ。

さて、馬鹿なだけではなく、卑怯者のウンコマンくん。ウンコマンは邪馬台国はどこにあって
どういう行程で魏使はそこへ至ったかという事を早く書けよ。www この馬鹿!www

218:日本@名無史さん
08/08/28 20:27:44
>>212
ほらほらリア厨君。逃げるなよ 。
早く書けよ。www

219:日本@名無史さん
08/08/28 20:29:24
>>217
夏休みだ!大目に見てやれよ。
ウンコマン震えて脱糞してるじゃないか。www

220:日本@名無史さん
08/08/28 20:32:57
>>217
オメーの言い訳や糞能書きはどうでもいいから、早く証文出せや!
またグチグチ言い訳するのか?ドアホウ!ドバカの糞ドツボがあ
早く出せや証文を。www

221:日本@名無史さん
08/08/28 20:38:27
>>212
倭人伝を正しく読むことが先決ですな。「魏使は末盧国で下船しています」
とか、「船は一大率が準備したものでしょう。小舟かな?」 と言っている馬鹿に、
各国をどのように比定するのが合理的かを説明したところで理解できるはずはない。

その前にウンコマン、魏志倭人伝のどこにそんな事が書いてあるんだ?
てめえは馬鹿か? ああ、馬鹿だったな。www
ウンコマンの下らねぇヨタ話じゃない根拠を示してみろよ。 ペッ!バーカ!
史料からの証文を提示しろよ。ウンコマンが史料からの証文を提示するというのは
ウンコマンが言い出した事だからな。(アナタノウミソアリマスカ?)

222:日本@名無史さん
08/08/28 20:42:08
>>220
ウンコマンくん。>>221にも書いたようにそれならウンコマンの妄想
の証文を出してみなさい。君は本当に馬鹿で、常識が無くて、古代史などに
かかわる素養がない。さっさと逝きなさい。

223:日本@名無史さん
08/08/28 20:46:10
>>220
ウンコマンくん。早く君の魏使一行の邪馬台国へ至る行程を書けよ。卑怯者。
言っておくが、その根拠となるものはウンコマンの妄想やヨタ話ではだめだぞ。
必ず証文をだすようにな。お前が言い出した事だぞ。www

224:日本@名無史さん
08/08/28 20:47:02
>>220
ほらほらリア厨君。逃げるなよ 。
早く書けよ。www

225:ドツボ警戒警報発令中
08/08/28 20:49:01
危険ですから退避してください。

226:日本@名無史さん
08/08/28 20:51:28
>>223
オメっオウム君だろう

227:日本@名無史さん
08/08/28 20:52:41
ウンコマンは逃亡してドツボ警戒警報発令中になりましたとさ。w

228:日本@名無史さん
08/08/28 20:54:18
>>226
情けないな、ウンコマン。
こんどは猿のマネか?w

229:日本@名無史さん
08/08/28 21:33:17
これはヒドイ

230:日本@名無史さん
08/08/28 22:51:12
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。

遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。

「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)

この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。

日本書記の編者らの隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。

これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。


231:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/28 23:32:01
そのころは朝廷の連中もヤマトは紀無いとの考えが浸透していて、
連中もまさかもっと古代に九州に卑弥呼の国があり邪馬壹国が
あったなどということは思いもよらないから、大陸の連中に畿内
ヤマトが邪馬台国であると誤認を断定的に教えたものだよ。だから
それをアテにしないほうが賢明。周濠が出たことから箸墓は卑弥呼の
墓ではないことがなおさら感じる。

232:日本@名無史さん
08/08/28 23:42:59
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(infoimages.nmgnews.com)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
URLリンク(www.ccnt.com.cn)
URLリンク(www.sx.xinhua.org)
URLリンク(trade.socang.com)

233:日本@名無史さん
08/08/29 00:03:09
大和朝廷は邪馬台国を知っていたと考えて、
魏志に云うところの邪馬臺といった情報が正しいと主張する人がいれば、

大和朝廷は邪馬台国を知らなかったと考え、
神功皇后が卑弥呼というのは正しくなかったと主張する人もいる

中には両方を使い分ける人がいる

因みに、畿内説の人たちは、卑弥呼が神功皇后だと本当に信じているのかな

234:日本@名無史さん
08/08/29 00:08:52
どうでも良いがガキって

「うんこ」とか「ちんちん」とか好きだよなw

もうこのスレも末期wwwwww











235:日本@名無史さん
08/08/29 00:16:15
>>231
隋の使者が本当に大和に来たと思ってるんですか?それが完全な間違い。
隋使は九州の倭国王朝へ来たのですよ。だから、男王と会ったのです。
そして、だから「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」なのです。



236:204
08/08/29 00:38:37
>>235

まあ>204に隋使裴世清の件を書き込んだ時点で

九州王朝説に基づくそのツッコミが来るとは思っていたよwwwwwww






237:日本@名無史さん
08/08/29 00:51:05
まあ、 うんこ大好っ子 のアホが何をほざこうが
(ひょっとしてスカトロ趣味のおっさんかもしれんがwwwwwww)


原の辻遺跡なんかに乗り換えて川を上ってきた船を迎える船着場もあり
外洋船から小船に乗換えるのは当たり前過ぎるほどの話でw

だとすれば船で遡上できる川の流域にあるクニは
邪馬台国の候補地から一歩後退せざるを得ないなwww





238:日本@名無史さん
08/08/29 01:41:16
邪馬台国は蛮族の住む九州になどなかった。
人食い人種の熊襲が住んでいる九州にあるわけがない!

239:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/29 06:53:00
>>235
九州へ行ったんだという主張は合っている可能性は相当ある。それでもいい。
ま、畿内に行ってないなら中途半端で、なおさら畿内説だと断言できまいね。
魏志に云うところは邪馬壹だな。裴世清も字を取り替えていて誤認してるか。

240:日本@名無史さん
08/08/29 07:19:51
>畿内に行ってないなら中途半端で、なおさら畿内説だと断言できまいね。
意味が良く分かりませんが。
>魏志に云うところは邪馬壹だな。裴世清も字を取り替えていて誤認してるか。
隋書が書かれた当時は、魏志倭人伝には邪馬臺とあったのでしょう。
その後に倭人伝を伝写する過程で、邪馬壹と誤記されたのであろうと思います。



241:日本@名無史さん
08/08/29 07:36:33
>>238
熊襲=蛮族という見方は、多くの人が陥る見方ですが、まちがいでしょう。
仮にそうだとしたら、記紀を編纂する当時、既に支配下に入っていた熊襲の民を
侮辱するようなことを書くはずはありません。反乱を招きかねませんからね。
熊襲=蛮族と描いたのには、別の意味があると考えるべきです。
南九州に邪馬台国があったのならば?それを熊襲と描けば、大和の独立性を強調
した形になります。その描き方を、皆、おもしろがったかもね。


242:日本@名無史さん
08/08/29 07:42:52
倭人伝には倭人へのいろいろインタビュー記事が載ってるけど
魏の使者と倭人ってどうやって話したの?
当時の日本人は文字知らないから筆談も無理だよね。

243:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/08/29 11:09:10
>>240
当時は国名の冠に「邪馬」という字をつけてる国が少ないながら
複数あったのだ。いい例が伝にある「邪馬国」で、これにも「邪馬」
の名がある。人名も同様の慣行があったようで、弥弥とか弥弥那利
とか、弥馬獲支、弥馬升、あるいは卑弥呼と卑弥弓呼とか、このよう
に名の冠の二字が同字であることからも二冠字が同じなる名前の人が
複数いたということがわかる。だから邪馬臺国がヤマトだとしても、
邪馬壹国という、冠二字が同名の国名が複数あったというのが相当
なのである。だから「邪馬壹国」は誤字ではない。

だいたい邪馬臺国というのはヤマトならば、タイの「臺」よりも
「ト」と読める漢字が他にあるはずだから、例えばトと「都」が
当時の大陸の語で読めるならばそういうハッキリ「ト」と読める漢字
を採用したはずで、「邪馬都国」とか「戸」もそうなら「邪馬戸国」
とかの書き方にするだろう。そうなっておらず「臺」としたのは、
この書きこみをした当時の中国古文献の編者らが女王国がヤマト
だろうと、すでに知悉していたヤマトの国名からそう考えたが、
倭人伝のほうは「邪馬壹国」と書かれてあったので、ヤマトと思いこ
んではいたが、倭人伝のほうが正解やも知れぬと困惑したために、
双方の折衷説的中間語的の「臺」という、獣とも鳥とも取れる字で
誤魔化したと観るのが相当であるのだ。つまり「臺」字は分からん
彼らの逃げ口上から醸成された両者に跨れる蝙蝠的漢字なのである。


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