【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】at HISTORY
【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】 - 暇つぶし2ch900:日本@名無史さん
09/02/13 11:28:05
>>898
西軍は大垣城で篭城戦に持ち込みたかったんじゃね?
水攻め上等じゃん。
だいたい大垣城は地理的に水攻めにびびる土地じゃない。
500人くらい赤坂に送って挑発すればよかったんだよ。
徒歩1時間くらいの距離だし。

そもそも、東軍に揖斐川を渡らせたのがまず失敗だけど。
関ヶ原じゃなくて揖斐川で決戦して欲しかったな。


901:日本@名無史さん
09/02/13 13:36:51
大垣は低地の輪中だから水攻めされたらビビリまくりだよ。
本丸は二の丸はちょっと高いけど、大軍を収容するにはあまりにも狭い。
もっともまわり一帯低地過ぎて工事が大変というのもある。
西軍も戦力では遜色ないからむざむざ工事を完成されないだろうし。

902:日本@名無史さん
09/02/13 16:04:40
城まで水を流そうとしたら揖斐川の水を引いてこなきゃならん。

903:日本@名無史さん
09/02/13 16:05:44
そんなの数週間かかるぞ。

904:日本@名無史さん
09/02/13 17:33:36
あたりまえだろw

905:日本@名無史さん
09/02/13 18:05:08
一週間もあればできるよ。

906:日本@名無史さん
09/02/13 18:52:50
ここは家康の書状の大垣水攻めの内容すら知らない連中ばかり。

907:日本@名無史さん
09/02/13 19:23:54
家康の水攻め作戦は南宮山に西軍が布陣したことにより不可能になりました。


908:日本@名無史さん
09/02/13 23:14:24
水攻めが不可能になったというよりは、西軍が大垣城を放棄して逃げたから攻める必要が無くなったということだ。

909:日本@名無史さん
09/02/14 11:33:00
西軍は大垣放棄してないし、それ以前に家康は水攻めを実行すらしてない訳だが。

910:日本@名無史さん
09/02/14 18:05:11
江戸を出る時は水攻めしようと思ってたのに、
美濃に着いてみたら南宮山に西軍が布陣してて
後詰めの態勢ができてたから
あきらめておびき出し作戦に変えたんだろ。

911:日本@名無史さん
09/02/14 19:13:51
南宮山を水攻めにして後詰めに来る大垣勢をおびき出せば良かった。

912:日本@名無史さん
09/02/14 21:22:00
誘き出しの意味不明

913:日本@名無史さん
09/02/14 21:23:06
誰も家康書状の内容すら知らん無知だから、水攻めの話すら滅茶苦茶だな(笑

914:日本@名無史さん
09/02/14 21:44:08
でもお前は秀忠の書状の内容を知らないだろ(笑

915:日本@名無史さん
09/02/14 22:13:44
>>878
思うに・・・城とか要塞の防御機能には、
①防御施設や高所の利で、攻撃側に不利な交換比での損失を強いる機能
②隘路や堀などで、攻撃側の戦力発揮を妨げる機能
(なるべく戦闘を低調に済ませる機能)
の2種類があって、鉄砲の普及によって、
山城は②の機能を失ってしまったのではないか?

>>875の言うように、
山城には依然として①の優位があるのだろう。
しかしそれで攻撃側に3倍の損害を強要できたとしても、
20倍の敵に強襲されて3日で陥落しては意味がない(場合がある)。
それよりは小競り合いを続けて3ヶ月持ちこたえてくれた方がいい・・・
てことじゃない?


916:日本@名無史さん
09/02/14 23:21:33
>>915
山城の攻め口はたいていの場合まさに隘路なわけだが。
鉄砲が山肌をよじ登るのに便利な兵器だというのならば話は別だけど。

小豪族の城・・・もともと小規模で落ちやすい、守り重視で統治に不向き
大大名の城・・・地形に依存しなくても十分堅固な大城郭、統治に便利な交通の要衝

917:日本@名無史さん
09/02/14 23:52:31
山城は堀が狭くなる

918:日本@名無史さん
09/02/15 08:03:46
>>917
・もともと攻め口が狭い
・そもそも中世城郭は堀が狭い

919:日本@名無史さん
09/02/15 11:04:18
>>916の言うように「山城」が駄目なんじゃなくて「ショボイ山城」が駄目なんだろ。
というか、ショボイ平城や平山城ももちろん駄目なんだろうけど。
近世になっても山城や山城的な平山城は築かれてるよ。
仙台鳥取長州薩摩と言った雄藩でも山に城を作ってるくらいだ。

ちなみに山城の防御力が弱いと言うのならば「詰めの城」の意味がなくなってしまう。
詰めの城落とされて麓に逆落としに攻められたら洒落にならんからな。

920:日本@名無史さん
09/02/15 11:11:54
近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプが殆どで
従来の尾根利用型とは異なるというのが久保田氏の論だった様な

921:日本@名無史さん
09/02/15 11:49:48
川や海をなるべく利用しようとするのは中世山城も同じだし、
近世山城になっても山を隔絶しちゃうのは極めて困難。
平山城ならば珍しくないが。

922:日本@名無史さん
09/02/15 12:59:44
平山城と山城を混同してるなー

923:日本@名無史さん
09/02/15 16:42:36
城壁の防御力っちゅうのは、運用しだいなんだわな。
万里の長城を見れば一目瞭然。
城壁だけあっても、適切な運用が出来なければ結局は役に立たんわけよ。

924:日本@名無史さん
09/02/15 18:27:45
>近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプ

そんな近世山城あるか?

925:日本@名無史さん
09/02/15 19:11:10
敢えて言うなら萩城(の詰めの丸)くらい?
海に突き出した山で、陸とつながってる部分は水堀があるから。
でもあれは水で隔離された山城というより平城+詰めの城だわな。
もともと吉見氏の支城、すなわち中世山城だったと思うけど。

926:日本@名無史さん
09/02/15 21:43:11
>>920
水で周辺を隔絶できたのは平城、平山城だろう。
その久保田とかいう人が何者か知らんが、トンデモ説に騙されるなよ。
それから従来の尾根利用型ってなんだ?中世山城=尾根利用型山城ではないぞ。

927:日本@名無史さん
09/02/15 22:39:49
URLリンク(www.kinseisha.jp)
>926
東大戦史研究会第三代会長という経歴が微妙すぎ……

928:日本@名無史さん
09/02/15 22:47:21
射撃戦を考慮すると突出部が弱点になるから、
縄張りは円形とか多角形に近い方がいいんじゃないの?
(横矢用の突き出しとか西洋の突角堡とか、意図的にしたものを除いて)

でも、山城の場合、つきだした尾根の部分が孤立して
どうしても弱点になっちゃうとか。
もちろんそれを認識して防備を強化するんだろうけど。

929:日本@名無史さん
09/02/15 23:42:55
久保田 正志(くぼた まさし)

著者略歴
 昭和38年 東京生
 昭和63年 東京大学法学部卒業
       在学中東京大学戦史研究会所属、同会第三代会長
 平成9年  東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了
       法学修士
 現  在  特定非営利活動法人城塞史跡協会理事長

戦史だったら法学政治学じゃなくて史学とちゃう?
ひょっとして学部時代趣味でやってた戦史を院出た後もライフワークにしてる素人さん?

930:日本@名無史さん
09/02/15 23:59:41
>>929
> 戦史だったら法学政治学じゃなくて史学とちゃう?
> ひょっとして学部時代趣味でやってた戦史を院出た後もライフワークにしてる素人さん?

まあそうだね。歴史群像にもアマチュア研究家と書いてたよ。
でも軍事史学会に属して論文を寄稿して、
出版に際しては東大の史学教授にレビューを受けたとあるので、
素人という表現は違うと思うが。
あと、院には別に戦史研究のために入った訳じゃないはず。

しかしながら・・・主張の是非を肩書きで判断するというのは、ちょっと微妙ではないか?
ましてここは、そういう肩書きを外した匿名掲示板なのに。

931:日本@名無史さん
09/02/16 00:04:57
920 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 11:11:54
近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプが殆どで
従来の尾根利用型とは異なるというのが久保田氏の論だった様な

924 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 18:27:45
>近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプ

そんな近世山城あるか?

926 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 21:43:11
>>920
水で周辺を隔絶できたのは平城、平山城だろう。
その久保田とかいう人が何者か知らんが、トンデモ説に騙されるなよ。
それから従来の尾根利用型ってなんだ?中世山城=尾根利用型山城ではないぞ。

932:日本@名無史さん
09/02/16 00:16:05
>>929
史学科原理主義かよ。いかにも史学科の学生や院生みたいなな発想だな。
いい加減、史学科出てなけりゃ「素人」呼ばわりで一蹴するような発想はやめろや。
経済学部や法学部でも歴史的な勉強してる人はいるんだし。

933:日本@名無史さん
09/02/16 00:26:39
>>932
はい?肩書きだけでなく肝心な内容も駄目なわけだが・・・。


934:日本@名無史さん
09/02/16 00:30:29
>>933
だったらそんなに肩書きを気にすることもなかろうよ。
主張の間違いを指摘すれば足りる。

935:日本@名無史さん
09/02/16 00:35:34
>>934
>>931

というか、文句があるんなら盛んに久保田の名前出してる奴に言えよw

936:日本@名無史さん
09/02/16 03:33:17
もう久保田は井伊って・・・。

937:日本@名無史さん
09/02/16 11:00:08
とりあえず、買ったら…
伝聞だけで判断するのは、問題

938:日本@名無史さん
09/02/16 12:23:57
とにかく赤坂に総攻撃をかけるべきだった。
東軍も水攻めしかけるほど圧倒的な数じゃなかったんだろ?

939:日本@名無史さん
09/02/16 14:38:44
だから~
水攻めするような場所じゃないってば。

940:日本@名無史さん
09/02/16 19:20:31
>>936
同じく、久保田は秋田。

941:日本@名無史さん
09/02/16 20:13:17
うまいなw

942:日本@名無史さん
09/02/20 23:57:48
ところで上の方で名前が出てた織田信高だが、
彼が西軍で黄母衣衆と共に関ヶ原本戦に参加していたのは確定なの?

wikipediaの記述にはこうあるようだが
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>『寛政重修諸家譜』によれば、1600年の関ヶ原の戦いに際し、
>弟信貞と共に東軍を支持したものの、本戦に間に合わず、
>凱旋中の徳川家康に拝謁したという。
>しかし、『関原軍記大成』などでは、弟の信吉・信貞らとともに西軍に属し、
>戦後に謝罪、赦免されたという。おそらくは後者が正しく、
>弟信吉と同様に西軍に所属し、失領したものと思われる。
>もっとも、本戦に参加したという記録はない。

943:日本@名無史さん
09/02/21 00:15:40
wikiとかまるで話にならん
寛政重修諸家譜はもとよより自家の宣伝用だし関原軍記大成はその家譜などを参考にした講談本だしな

944:日本@名無史さん
09/02/21 00:28:45
だが、それより信憑性のある史料がないと、反論にすらならないよ

945:日本@名無史さん
09/02/21 00:35:37
戦後、失領していることからして西軍加担は疑いなし。

946:日本@名無史さん
09/02/21 10:35:03
>しかし、『関原軍記大成』などでは、弟の信吉・信貞らとともに西軍に属し、
>戦後に謝罪、赦免されたという。
取り敢えずこれの該当箇所探してるんだが、どこ?

947:日本@名無史さん
09/02/22 17:42:54
>>944
家譜に信憑性がないのは他の記述などから証明済み
だから家譜や関原軍記大成だけで史実認定はなされない

948:日本@名無史さん
09/03/10 06:57:52
あげ

949:日本@名無史さん
09/03/12 22:07:30
あげ

950:日本@名無史さん
09/03/13 08:46:32
南宮山の西軍2万8千って、桃配山の徳川含めた5万を可能な限り拘束しなきゃならないわけだけど
桃配山の西側に布陣した徳川隊を攻撃するには山を超えるか先に動いて迂回する必要があって、実は家康は脅威を感じてなかったんじゃないのだろうか?
実際徳川隊三万は気にした素振りも見せず期を見て前進してるように見える
やはり始めから毛利にはやる気が無かったのか
石田隊のいる正面では東軍主力を拘束しつつ戦線を絶対に維持する事が求められるので
理想は三成の後ろに予備を一万弱置いて万全の態勢で東軍主力を引き摺り込み(史実では兵力不足でこれが不十分かと思う)小早川以下を鉄床に叩き込む事なんだろうが
やはり総大将の家康と三成の差だろうかね

951:日本@名無史さん
09/03/13 09:31:57
朝から何を言っているんだ?

952:日本@名無史さん
09/03/13 23:53:51
>>950
どうかね。
西軍主力が関ヶ原に転進した時点で、石田三成には、
毛利と小早川がかなり怪しいというのは判ってたと思う。
松尾新城を勝手に占拠した小早川は特に怪しい。
(まあ怪しいと言えば、東西両軍とも全員怪しいわけだが。)

しかし、表だって東軍に参加しても居ないところを見ると、
東軍の調略も完全に成功したわけではない…とみえる。
そこで、足下で決戦することで、毛利小早川とも
無理矢理西軍に引きずり込もうという話じゃないの?

功名にはやる東軍部隊が暴発して毛利や小早川に攻め掛かれば、
強制的に両軍を西軍に再参加させることができる。

953:日本@名無史さん
09/03/15 01:20:37
>>952
>>(まあ怪しいと言えば、東西両軍とも全員怪しいわけだが。)
結局、これがすべてと思われる。

954:日本@名無史さん
09/03/15 06:11:27
関原軍記大成を書いた宮川尚古について詳しい書籍や論文はあります?

955:日本@名無史さん
09/03/16 14:53:26
宇喜多秀家が関ヶ原から落ち延びた時に
匿われたとされるとこに行ってきた。
スゲー立派な記念碑が建ってたよ。
建てた人の名が「浮田」になってた。
なんで字を変えたんだろ。
「宇喜多」の方がかっこいいのに。

956:日本@名無史さん
09/03/17 20:58:38
>>955
そりゃあ落ち武者狩りとかあったわけだから
匿った家が徳川からにらまれるのがこわかったんだろ

957:日本@名無史さん
09/03/17 22:43:22
>>955
緒田原という教授が自己紹介の時に
「先祖は後北条氏系だったが、負けて逃げるときに漢字を変えたらしい」
とか言ってたな。うろ覚えだが。

958:日本@名無史さん
09/03/18 09:58:31
>>955
宇喜多秀家は江戸幕府からすれば大罪人だから
子孫が字を変えたんだろね。

959:日本@名無史さん
09/05/06 16:27:14
後北条があるころから宇喜多があるわけだが・・・
二代・氏綱や三代・氏康の弟で備前まで逃げたという人物はいないはず
前北条なら有り得るのか、よくわからん


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