謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17 - 暇つぶし2ch500:サガミハラハラ
08/03/31 16:24:23
ちょっと出かけている間にレスがバンバンすぎさっていきましたね。
>>389どちらも同じ意味では?
>>403 えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。

邪馬台国を語るまでに7~8年  ながすぎますか。一々検証しながら研究を進めたものですから。
私の邪馬台国行程論は「東アジアの古代文化を考える」のHPの討論室に書き込みをはじめていますのでそちらをご覧ください。
このスレにかきこんでのレスの数が多すぎてあっというまに流されてしまいますから。

501:日本@名無史さん
08/03/31 16:27:31
『武』は倭の五王側の自己申告によるものでしょ?
倭の五王時代には中国では王朝が次々に替わったので宋、斉、梁に「武帝」がいる。
斉、梁の「武帝」は『武』と同時代人だ。
倭の王は「武帝」は中国王朝の始祖の名称だと知って使ったものでしょ。

>滅多やたらに使用出来ないですよ

倭王が厚遇されていたから、中国皇帝と同じ名前『武』の使用を許したのでしょう。


502:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 16:55:53
>>501

>申告


宋書にある上表文に『武』なんて申告は無かったですよ
それに、申告にて『武』が認められるなら『皇帝武』でもOKでしたね

503:日本@名無史さん
08/03/31 20:40:12
コテハンの巣窟ワロタwwwwww

504:横槍
08/03/31 20:50:45
ご無沙汰です。
亀ですが
>>476
>帥升」「師升」いずれにしても卑字でないことから、
>他とは違う事情があったと考えるのは鋭いな

川勝義雄著『魏晋南北朝』を読むと次のような文章が出てきました

『やがて山西省を制圧した曹操は、内部崩壊した匈奴諸部族を、地域ごとに、左・右・南・北・中の五部に分割して統治した。
 各部はそれぞれ数千から一万ばかりの「落」からなり、その中から「帥」を選んでこれを統率させた。』

つまり帥升の帥は名前ではなくて役職の可能性が高いと思われます。。。。。


505:aratame_himiko♪
08/03/31 21:21:18
>>500 サガミハラハラさん
>えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。

チト簡単に調べてみたんだが、河童氏の言ってることがおかしいというか。
倭人伝に記されてるのは、「殉葬」ではなく「彳旬葬」ですよね。

「彳旬」葬者奴婢百餘人
URLリンク(www.netlaputa.ne.jp)

「彳旬葬」・・・不明。  (巡)葬?ぽいんだがどうでしょう?
「殉葬」・・・主人の後を追って死ぬ「-死」、大事なものの為に死ぬ。

卑弥呼の死にともない、生き埋めされたと思ってた「奴婢百餘人」。
この奴婢百餘人は卑弥呼の葬儀で各地を巡ったということ。(服従の意味もある)。

こんな感じでどうでしょう?みなさんの意見は?

506:aratame_himiko♪
08/03/31 21:29:55
ちなみに辞書で調べると。

<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン 
    ・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
    ・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。

「殉」 ・読み:ジュン 
    ・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
    ・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、むさぶる、追い求める)、
        いとなむ、めぐる。
みなさんの意見は?

507:サガミハラハラ
08/03/31 21:30:10
殉葬は生き埋めではないですよ。
各地を巡るのと手厚い葬儀となんの関係が。
これはやはり、最高の手厚い葬儀では殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよいと思います。

508:aratame_himiko♪
08/03/31 21:32:02
ちなみに辞書で調べると。

<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン 
    ・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
    ・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。

「殉」 ・読み:ジュン 
    ・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
    ・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、
        むさぶる、追い求める)、 いとなむ、めぐる。

みなさんの意見は?


509:aratame_himiko♪
08/03/31 21:34:02
>>507
>殉葬は生き埋めではないですよ。

ん~よく知らないんですが、生き埋めの場合はどうなるんでしょうか?

510:aratame_himiko♪
08/03/31 21:41:43
サガミハラハラさん

魏志倭人伝に記されてる『「彳旬」葬者奴婢百餘人』の
「彳旬」の字は「死」の意味が含まれてませんよ。

それをどうして「殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよい」となったんですか?
わたしはこの辞書で調べた結果、とてもそうとは思えないんですが。

貴方が言ってるのは「殉死」じゃないんですか?
こっちは「死者に従って死ぬ」という意味が含まれます。

511:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 21:53:30
紹煕本影印も紹興本影印も、ともに『徇葬者』

それでも『殉』と
言うなら、オラ知らね。

512:aratame_himiko♪
08/03/31 21:56:19
死の意味の「歹」

ちなみに、
殉葬:死者とともに埋葬する。
殉教:信仰のために命をささげる。
殉国:国家の危難を救うために働いて死ぬ。
殉死:死んだ主君のあとを追ってその妻や臣下が死。

貴方達が言ってるのは『殉葬:死者とともに埋葬する』。

これです! 倭人伝にはどこにも記されてません。

513:日本@名無史さん
08/03/31 22:02:17
おいらの辞書には
「彳旬」 したがう あることのために一身を投げ出す 同:殉
ってなってるな。


514:aratame_himiko♪
08/03/31 22:02:34
おっと~河童さんの登場ですが、わたし改めは食事をまだとっておらず、
これからです。

又、後で出来ますがサガミハラハラさん~ちゃんと説明してくださいネ!
いつもボタンを掛け間違えてるというか、意味が分かんないんですよ。サガミさん


515:日本@名無史さん
08/03/31 22:21:53
殉葬と言えば、古代シュメール文明に由来するものですね。
そういう悪習を断ち切っただけでも秦の始皇帝は文明人です。
しかし、ツングース系の騎馬民族は、討つ取った敵のシャレコウベ
と盃にする文化が残っていて、信長なども好んで頭蓋骨で杯に使って
いました。出雲が国譲りをしたのも、そんな恐ろしい習慣を残すニニ魏の
子孫とは一緒に暮らせないと思ったからに違いありません。

516:健吾教№教祖 ◆nxCnFY2L2.
08/03/31 22:23:46
卑弥呼は障害者であった。
2Mの高さから落ち、頭を打ってパニック死。

その障害がゆえ、人々にネ申と崇められて、弥生人の崇拝の的になった。

517:サガミハラハラ
08/03/31 22:27:05
角川漢和中辞典「ギョウニンベンに旬」は身をもって物事にしたがう、とあります。
ジュン国とは身をもって国家のために尽くす。とあります。
そうすると、身をもって葬式にまたは主人に尽くすとなります。
しなずに一生懸命葬式の準備をしただけなら、魏使は記述しなかったでしょう。
となるとこれは殉死したということになります。
つまり、身をつくす最高の形ということになります。

518:aratame_himiko♪
08/03/31 23:07:47
>>517
>殉死したということになります

倭人伝に記されてるのは『殉死』ではなく『徇葬』だって何度もいってるんですが?
貴方が言ってるのは『殉死』です。

『殉死』とは「殉葬:死者とともに埋葬する」。
よって死者とともに埋葬されてないということになります。

河童さん~こんな感じですよね?

519:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:15:27
>>518

「死」の主役は 死人
「葬」の主役は 死人の対岸


と、言うのはどうですか?

520:日本@名無史さん
08/03/31 23:20:00
昭和天皇がなくなった後も何人もの人が自殺しましたよね。
古き良き時代の日本の伝統です。


521:aratame_himiko♪
08/03/31 23:23:26
>>519 河童さん
>「死」の主役は 死人
>「葬」の主役は 死人の対岸

それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?

サガミさん
513さんも言ってるように、
『殉死』、『徇葬』共に・・・ したがう あることのために一身を投げ出す

で同じ意味の「従う」、私もさっき辞書を見たが、そんな感じでしたよ。

「殉」に関しては「死者以外にも死人がいる」わけです。
「徇」は「まわる」とか「巡り歩く」とかの意味と感じる。

百人が卑弥呼の遺体を担ぎ歩いたのかも。
そんなイメージです。


522:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:39:03
>>521

>それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?


当たり前だからこそ見失うものがあるんですよ

徇葬者奴婢百餘人
(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?



523:aratame_himiko♪
08/03/31 23:41:58
>>452 河童さん
>実質乗っ取り
>ミスターX=帝国

何を言ってるんだこの人は(笑)

>>483
>宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。

「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。

そんな状態で離れ業ですか?ウルトラCというわけですね。
それは貴方の職場の腹黒い上司の話では?
同じ場所にいれば可能ですが、列島と大陸です。
わたしはそのような「黒幕は帝国」みたいなイメージはもってませんので!


524:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:44:15
>>523

>「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。

親戚の方にでも?

525:aratame_himiko♪
08/03/31 23:52:22
>>522
>徇葬者奴婢百餘人
>(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?

わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?

んで「葬られる者奴婢百餘人」なら、どのような漢字になるんでしょう?

>>524
共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の~を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。

526:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:02:15
>>525

>わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?

(葬られる者奴婢百餘人)

卑弥呼以死徇葬者奴婢百餘人 と、考えていますし
その葬られる者奴婢百餘人を葬った奴の事も考えています。

527:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:08:49
>>525

>共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の~を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。


そう考えられない人はそれでいいんじゃないのでしょうか?
こちらも、無理にそうしろとも言えませんし、それを説得しようとも考えていません。

528:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:16:17
私は

卑彌呼以死(徇葬者奴婢百餘人)そして  大作冢徑百餘歩

卑彌呼以死(更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人)


と、考えています。



529:aratame_himiko♪
08/04/01 00:17:24
卑弥呼以死「殉」葬者奴婢百餘人

なら、「葬られる者奴婢百餘人」でスンナリ決まりだが、
「死者以外にも死」の意味を持つ「歹」の「殉」ではなく、
「まわる」とか「巡り歩く」などの意味もつ「彳」の「徇」が使われてる。

卑弥呼以死「徇」葬者奴婢百餘人

この「殉」、「徇」の違いについてみなさんの判定は?

わたし~そろそろ眠いのでこの辺で席を外します・・・zzz

530:日本@名無史さん
08/04/01 17:18:07
>>523
その通り!

531:九州王朝大好き
08/04/01 18:10:24
>>河童虫 ◆EY2wfgakAQさん
遅れ遅れの亀レスですが。

『其國本亦以男子爲王・・・乃共立一女子爲王』

男王と女王の2王が共立したんだね。
男王が伊都國にいる王、即ち倭王。
女王は卑弥呼、即ち巫女。

俀國と同じ二元統治、
兄王にあたるのが宗教王の卑弥呼・壹與、
弟王が世俗王の伊都國にいる『世有王』。

倭の二元統治は歴史的な体制、琉球と同じ。



532:九州王朝大好き
08/04/01 18:12:41
>>531の間違い修正
×歴史的な体制
○伝統的な体制

533:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 19:03:45
>>531王朝さん


簡単に言えば二元政治です。
二元で考えないと
共立や一女子の解釈が出来ないでしょ
しかし
普通の二元ではなかった
伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を
卑弥呼は本国にて宗教的に

534:九州王朝大好き
08/04/01 20:00:02
>>533
×二元統治
○二元政治
統治は一大率

>伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を・・・
各王達ではないですよ。
伊都國と狗奴國を除くと、各国にいるのは官だけですから。

官は王(兄王・弟王)になり損ねた人物かな?(各国では兄王であり弟王の立場?)
時代が変われば王となり得る人物。
耶馬壹國には「有男弟佐治國」なる弟王にあたる人物がいるからです。
以上はあまりにも推定事項。

狗奴國男王卑彌弓呼は兄王であるか弟王であるかは不明。

535:電車男
08/04/01 20:05:38
卑彌呼。。。巫神時代

536:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 20:34:49
>>534王朝さん

>各国にいるのは官だけですから。

そうですよ
王たちは『皆』伊都國勤務ですから(江戸期の常府制と同じ、或いは現在の国会議員と同じ)
各国の政務は狗奴國を除いて『官狗古智卑狗不属女王』皆女王支配の官たちが

その官の大部分(全部)が女性官


537:九州王朝大好き
08/04/01 21:14:30
>>536 河童虫さん
各国の王たちは『皆』伊都國勤務であることがわかる理由は、
『世有王』だからですか?

538:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 21:34:20
>>537王朝さん

>『世有王』だからですか?

『世有王皆統屬女王國』

後漢書にて
『使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統』


からです。

539:aratame_himiko♪
08/04/01 21:58:36
『殉葬』、『徇葬』の違い

昨日の私のレス~やっぱりおかしいよね。

どう考えてもそこには「生き埋め?」的な意味が入るのがふつう。
しかし、『徇葬』を辞書で調べても「生き埋め」的なものはそこにはなかった。

他所のスレからだが、こうゆう考えもある。
>殉死=後を追って死ぬ。その者を葬るのを殉葬。
>徇葬=主墓の廻りを取り巻き守って葬る。
>従って、生き埋めではなく、主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?。



540:日本@名無史さん
08/04/01 22:11:29
しかし、なぜ卑弥呼の時代の朝鮮半島情勢や、中国の王朝について
検証しようとしないのか不思議です。勉強不足なのか、それとも意図
的に無視しているのかわからないけれど、魏に朝献したということは、
卑弥呼の国は中国の王朝のしきたりを心得ていたということだし、渡
来人の王朝だったか、もしくは渡来人の進言により使者を送ったとい
うことになります。

邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。


541:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 22:21:15
>>540

>邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。

それに関連する文献が出て来れば
そう解釈してもいいんじゃない   
皆がそれを口にしないのは、そのような史料事実がないからだよ

頭の中でそういうストーリーを描いている人はいると思う。
ただ、その裏づけがないから皆黙っているんだよ

542:aratame_himiko♪
08/04/01 22:23:45
河童虫 ◆さん、九州王朝大好きさん

お二人は二元統治の解釈が間違ってますよ。

「其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王」

「其國」=「倭」。
『「男子為王」、「女子為王」を共に立てる』?どこに書いてるんですか?

同じ「其國=倭」王だが、七八十年も時間が経過してるのです。
『時』が全然違うのです。
「七八十年」について、貴方達はどのように考えてるんですか?

543:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 22:30:24
>>542

>何処に書いてあるんですか?


「一女子」

544:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/01 22:49:40
>>542
帥升生口献上の107年を基点としたときに、倍暦計算を考えながら

 107+70=177年 孝靈天皇吉備行幸の翌年(日野郡誌)
 107+80=187年 孝靈天皇崩御

を得ています。孝靈は倭国大乱の関係で吉備へ行ったのではあるまい
かとの考えが浮上して来ます。
梁書によれば倭国大乱は 178年~183年で すから、孝靈の時代に
あわせると good に思います。

日御崎神社社伝によれば 孝靈61年=182年(倍暦) に月支国王らが
船団で出雲攻撃を行ったものの神風らしきものが吹いて退散したとの
由緒書きですから、これも倭国大乱終結年の前年のことから、大乱に
乗じて月支が攻めに来たのであろうとの考えのところです。

545:aratame_himiko♪
08/04/01 22:55:29
「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?

一女子=一人の女子

男系(男子)⇒女系(女子)に変わったわけではなく、「一人の女子」が立てられたのです。
それに「倭國亂」てあるでしょ。
卑弥呼は救世主なんですよ。今で言えばヒロイン?

ていうか二人とも~こんな初級レベルの説明をしなければ分からないレベルだっけ?!

546:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:03:08
この辺で一言言っておくけど

『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞。』


この記事が邪馬台国(或いは倭)の事を書いた記事と考えているのなら
この話題をこれ以上続けても
まるで私の視点と違うので、たぶん話は永久に平行線になると考えるから
私は降りるよ


私は邪馬台国グループの中の一部である中枢本国(卑弥呼の居する国)の記事と考えて話を進めているから

547:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:11:03
>>545

>「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?

そう一から十まで書いていないと読めないようじゃ、とても倭人伝(いや、古漢文)は無理だよ


人は基本的に『女子』の他には『男子』しかいない (道里)
『一女子』の対岸には『複数の女子』
この場合、複数の女子を王とする慣習が存在しないとなれば、当然その対象はもう一方の『男子』となる

よって『一女子』の対岸は『一男子』  (理の理)

しかも「共立」

548:aratame_himiko♪
08/04/01 23:23:00
乃共立一女子為王

これが「乃共立女子為王」なら男系から女系に変わったという解釈も出来るだろう。
たった~の「一」一字だけ入るだけでその内容も意味も違うのです。

さすがは「陳壽」ということか。

では~寝ますzzzz・・・・・・・・・。

549:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:31:11
>>548

>さすがは「陳壽」ということか。


こんなのはほんの序の口(小学生レベル)
それが中学生レベルになると

『魏志倭人伝』

其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞


『後漢書倭伝』

桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飮食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衞法俗嚴峻


この両方の記事が、全く別物に読める人は中学生レベルクリアー



と、いうことで

550:九州王朝大好き
08/04/01 23:44:48
>>545 明日にも読んでね

「乃」の意味が抜けていますよ。

『其國 本亦 以男子為王・・・・・乃 共立 一女子為王』

倭國にはもともとの男子王がいる。そしてそこに(並立)一人の女子を王として共に(ダブって)立てた。
二王体制です。
男王は世俗的弟王 昼に政務をとる昼の王(俀國伝参照)
女王は宗教的兄王 夜に政務をとる夜の王(俀國伝参照)
世俗政治は伊都國にいる男王がし、世俗統治は一大率がする。

551:aratame_himiko♪
08/04/01 23:51:52
>>550
>「乃」の意味が抜けていますよ。

乃=すなわち

二人とも初心者さんから笑われてるよ では~!

552:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:53:06
先日も少し話題にのぼった(県民さんから?)

後漢書倭伝

『相攻伐歴年無主』

魏志倭人伝

『相攻伐歴年』


確かに倭人伝には『無主』の文字はない


ここってものすごく大事な部分(ここの意味が分からなければ、永久に倭人伝は把握出来ない)

553:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:56:18
>>550王朝さん

後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
ここには書かれていませんよ

554:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/02 00:02:47
>>551


>二人とも初心者さんから笑われてるよ では~!


王朝さん
初心者に笑われているようだから、もうここには書き込まないほうがいいかも知れませんね
私はこれ以上笑われるのは嫌だから、そうするつもりです。



では、残り400強のレス頑張ってください

555:九州王朝大好き
08/04/02 00:17:05
>>553
>後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
>ここには書かれていませんよ

理解し易い様に蛇足的解説を付けただけです。
ちょっと脱線し過ぎたかな?

556:日本@名無史さん
08/04/02 01:38:21
僕は現代中国語ならわかりますが、「~乃共立一女子~」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
「乃」は、それで、程度の意味だし
「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。
「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。

まあ皆さんの方が古漢文には詳しいでしょうから、あくまで今の中国人が読んだら、という前提では
参考にもならないと思いますが、通りすがりのスレ汚しです。失礼しました。

557:九州王朝大好き
08/04/02 11:19:56
>>556
>「~乃共立一女子~」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
>「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。

河童虫さんが他スレにも書いていることですが、
「併立」なら同質の王になります。
役割分担が異なる異質の王だから「共立」にしているのです。


>「乃」は、それで、程度の意味だし

そうです。「乃」の前後の文(句)が並立関係であることを示しているだけです。


>「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。

その通りです。既存の男王に対ししてダブルになることをも強調しています。
ちょっと蛇足:この場合の男王達は従来邪馬壹國から輩出していた卑弥呼と同質な王(宗教王)であって、
伊都國にいるような異質な王(世俗王)のことではありません。

558:日本@名無史さん
08/04/03 02:09:04
コピペで申し訳ないが、卑弥呼=天照大神説はどのようにお考えですか?

太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)のひとつとされる。
『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、
『日本書紀』においては天照大神と表記される。
別名・大日孁貴神 (おおひるめのむちのかみ)。
『日本書紀』においては複数の神名が記載されているのに対し、
『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されている。
女神であるが、実は男神だったという異説も存在する。
天照大神という神名が、『皇太神宮儀式帳』など政治的な部分で用いられていることから、
三品彰英や西條勉が論じているように、本来は高御産巣日神(高皇産霊尊)が皇祖神であり、
ヒルメが皇祖神化して天照大神になったとする説もある。

↓ここで書かれてる。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


559:日本@名無史さん
08/04/03 03:23:33
>>558
天照大神=卑弥呼はずっと前から言い続けているんだけど、これは東遷説
そのものと言っていいんだよね。
記紀に登場する人物の中で、倭人伝の卑弥呼にもっともふさわしいのは、
まぎれもなく天照大神だし、そうすることによって、高皇産霊尊の存在も
明らかになってくる。

でも、天照大神が卑弥呼の反映だとすれば、そのあとには天孫降臨があり、
神武東征がある。すなわち、卑弥呼の邪馬台国の勢力を継いだものが、
大和で政権を打ち立てることになる。
もちろん、邪馬台国は九州ということになる。

天照大神=卑弥呼は、東遷説だからこそ、畿内説もあるいは九州王朝説も
これを認めるわけにはいかないということになるんだなあ。

560:日本@名無史さん
08/04/03 07:42:20
>>559

>天照大神=卑弥呼は、東遷説だからこそ、畿内説もあるいは九州王朝説も
>これを認めるわけにはいかないということになるんだなあ。

そうとも言い切れないのでは?畿内説でも九州説でも成り立つような。
さすがに九州王朝説は認めてませんけどね。

天照大神といえば伊勢というイメージがあるが(伊勢神宮に祀られる)、
九州の筑紫とも関係しているようで、全国各地で活躍しているといえる。
>>212>>379でもそれらしき内容が書かれてる。

561:ご参考までに
08/04/03 16:08:08
大和政権西進説もお忘れなきように。
根拠は『旧唐書倭國伝』の以下の一文。
「日本国は倭国の別種なり。日本はもと小国、倭国の地を併せたり。」

562:日本@名無史さん
08/04/03 17:23:49

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならない。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられうる。

URLリンク(www.athome-academy.jp)

563:唐松山
08/04/03 21:38:04
朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在
半島の遺跡から RM1-b遺伝子を持ったプラントオパールが出土したら
認められるが 出土しないかぎり 
米は日本から 半島へ渡った。

無いことの証明は 在った事の証明より難しい。


564:日本@名無史さん
08/04/03 22:03:03
歴史とは裁判ではありません。
歴史を解明するということは、真実を追い求めることです。
従って、物的な証拠がなくても、状況証拠から、より確から
しい事実が推測できるのであれば、そうすべきです。
証拠がないからと言って嘘だ決めつけることはあまりにも
短略的で、真実のみを追い求める歴史家の態度としてはい
かがなものかと思います。

565:日本@名無史さん
08/04/03 22:09:41
          ,.-'''" ̄ ̄"'''ヽ  
         /::::::::::::::::::::::::::::::"ヽ
        /::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ',
       ,'::::::::.i::::::|_!_,.ハ:::::i 、!,_.| |  
       !:ヽ.|::::::|__,.!/ Vレ,、!__!| |  
       |::::::|:::::: rr=-,  r=;ァ'i | 
       i::::::|::::::!'"       "! |  
       ,':::::::|::::i|   'ー=-'  ノ| |
       /::::::ヽ、!>,、 _____, ,.イ | | | 

566:aratame_himiko
08/04/03 23:11:43
>>565
変なレスやめろなさい!貴方はどうゆう性格してんだ!!


>>504 横槍さん
yさん~久しぶり!

>つまり帥升の帥は名前ではなくて役職の可能性が高いと思われます。。。。。

帥升の「帥」の字をよく役職とのことですが、本当のところどうなんでしょうね。

それにyさんが言った「帥」の字、川勝義雄著『魏晋南北朝』を読んで言ってるわけだが、
三国志は著者が違うわけでその点はどのように考えてるのでしょうか?

まあ、「帥」は役職と考えるのは人多いと聞く。
私は普通どおり「帥升」とつなげて読んでるんだが実際のところは分からない。

567:aratame_himiko
08/04/03 23:21:06
『殉死』、『徇葬』について

倭人伝に記されてるのは、「徇葬者奴婢百餘人」。
>殉死=後を追って死ぬ。その者を葬るのを殉葬。
>徇葬=主墓の廻りを取り巻き守って葬る。
>従って、生き埋めではなく、主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?。

わたしは倭人伝に記されてる「徇葬」とは「生き埋め」とかの意味と思ってたが、
辞書で調べてる内、違うことに気がつく。
上に書かれた「主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?」が相応しいように思えるが
意見のある人いますか?
いや、生き埋めでしょうとか聞こえてきそうだが、それならご自分で調べてみなさいよ。

サガミハラハラさん~貴方はどう考えてるのですか?
これでよいと思いません?

568:唐松山
08/04/03 23:35:10
URLリンク(www.interq.or.jp)
豊前風土記 
天照大御神が載ってる

寒い半島で米作が出来たのは 暖かい九州から。


569:aratame_himiko
08/04/03 23:57:37
唐松山さん どうも~ありがとうです。

卑弥呼=天照大神と考えてる方達へ
『天照大神と九州をつなげるもの』
豊前風土記
「京處郡 いにしえ 天孫(あめみま)ここより發ちて、日向の舊都に天降りましき。
けだし、天照大神の神京なり。」

日向:「大御神社」、安心院:「妻垣神社」、「三女神社」など調べれば
何か分かるかもしれない。


>>561 ご参考まで さん

>大和政権西進説もお忘れなきように。

久しぶりです。
貴方は邪馬台国西進説ですか?
西進説といえば、卑弥呼を大和朝廷のものと考えてるんですよね?
卑弥呼は誰にしてるのかと「西進」について詳しく書き込んでくださいよ。

貴方の考え、邪馬台国のイメージが分かりやすく書いてあれば読んでる人も
レスし易いことと思います。

570:日本@名無史さん
08/04/04 00:12:13
河童さんが15上げて来ましたよ

571:aratame_himiko
08/04/04 00:26:01
みなさん~河童さんが「共立」をめぐる議論の果て、すねちゃってるよ(笑)
参考:>>546>>549>>554

河童さんへ
こうゆうところは「言い争い」する場なので、私達が納得する論を唱えればいいだけ。
頭冷やしたら帰ってきなよ(なるべく土日までに)。少し疲れてんだよ~貴方は。

それと私と河童氏はレスが多いので少し周りの人に「迷惑がかからないよう」に
つめて書いたほうが良いかも。

終止符スレへ書き込みたい人~わたしは河童氏に遠慮せず書き込んで下さいね。
では・・・zzz。

572:aratame_himiko
08/04/04 00:32:35
>>570
河童さんはすねてるんだよ。w

河童さんて「共立」をめぐる議論の果てすねたりする人やないんだけど、
ここ毎日~書き込みしての疲れからきてると思う。
最近のレスふにゃけてたしね~。

気分が晴れるまでそっとしておこう。
少し休んでどけ~河童さん

573:ご参考までに
08/04/04 06:50:53
私は、邪馬台国西進説、ではありません。
私は、邪馬台国畿内説、ではありません。
私は、邪馬台国九州説、であります。
私は、九州邪馬台国連合もしくは倭国連合は三世紀末に滅び、四世紀初頭に大和の
勢力が西進し、併合したと考えております。
根拠は、四世紀初頭に北部九州の生活風習や鉄器が東漸した考古学知見及び
旧唐書伝の一節他であります。

574:aratame_himiko
08/04/04 18:31:27
>>544
>孝靈は倭国大乱の関係で吉備へ行ったのではあるまい
>かとの考えが浮上して来ます。
>梁書によれば倭国大乱は 178年~183年で すから、孝靈の時代に
>あわせると good に思います。

倭国の乱について
大体は178年~183年ぐらいと考えてる人は多いはず。
しかし、上の書き込みでは「この乱が孝靈天皇時代」とのこと。
本当にそうか?

倍暦で計算した結果、その乱の時代は孝靈天皇時代という考えみたいですが。
貴方の計算方法でのみ語ってるんですよね?

私はいまいち倍暦なるものを信用してないし、それだけの考えでならスルーしても
よかったんだが、何かあるんですかね?

倍暦以外にも靈天皇時代だという根拠みたいなものがあればお願いします。

575:唐松山
08/04/04 18:31:43
熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカ
縄文時代 日本に入った米は 熱帯ジャポニカ
弥生時代に入った米は 温帯ジャポニカ
特徴 熱帯ジャポニカは 育成期間が長い が寒冷地に強い。
施肥をしても 枝葉が伸び 籾の実収にむすびつかない。 
温帯ジャポニカは 育成期間が短い。
施肥をすると それに伴って 籾の実収が増える。
だが 日本に於いて この2種類は 長く 同一の田で栽培されていました。 多分明治頃まで、
何故 混栽されていたのか?
不思議なことに 温帯ジャポニカ単体で栽培されるより 寒冷地に於いて 混栽された方が
収量が増える という不思議 な状態があったからです。

江戸時代、田の周りに熱帯ジャポニカを植え当然出来の悪い熱帯ジャポニカの穂を役人に見せて
不作であると主張した、と言う説もありますが 本当は上記のように収量が増える 
というのが 本根です。

極端に言えば、半島では 故意に収量を減らした。
こんな“説”は通りません。
江戸時代の 特に東北の米作りを 調べて下さい。


576:唐松山
08/04/04 18:39:49
aratame_himikoさん 貴方にとって 大乱とは どういう意味ですか?

戦の本場 中国人が見た 大乱の意味ですよ。
5,6年間戦が有った で大乱ですか?


577:aratame_himiko
08/04/04 19:18:25
<倭國亂>

『魏志倭人伝』・・・國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年

『後漢書』・・・桓、靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主

『梁書』・・・漢霊帝光和中 倭國亂 相攻伐歴年

『北史』・・・靈帝光和中 其國亂 遞相攻伐 歴年無主

『隋書』・・・桓、靈之間 其國大亂 遞相攻伐 歴年無主

578:aratame_himiko
08/04/04 19:25:16
チト犬の散歩へ行ってました~!w

>>576 唐松山さん
>aratame_himikoさん 貴方にとって 大乱とは どういう意味ですか?

「大乱」とは小さな乱れではなく大きな乱れ。
倭人伝に記されてるくらいだから、倭の国々が「総乱れになった」ぐらいのイメージをもってます。

>戦の本場 中国人が見た 大乱の意味ですよ。
>5,6年間戦が有った で大乱ですか?

それは太国さんがいったこと。>>544みてくださいよ。

579:唐松山
08/04/04 19:28:54
私の考える 倭国大乱
西暦193年 新羅本紀 倭人が大飢饉となり避難民到来 =崇神6年辺りから
その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年
西暦250年頃 壱与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。
景行40年頃まで

乱の内容
崇神初期 タケハニヤスの乱
崇神6年 出雲連合国の崩壊
崇神末近く 任那建国に 崇神関与
この時代の九州では 九州大王の統制が取れない状態と思われる。
景行12年 請われて景行 九州遠征
この時の九州の状態
神夏磯媛。其徒衆甚多。一國之魁帥也。 神香椎姫は天皇気取りです。
一曰打 saru[扁犬旁爰]。二曰八田。三曰國摩侶。是五人、並其爲人強力、亦衆類多之。皆曰『不從皇命!』。
國摩侶 名前からして 本来大王の側近でしょう。
打猿(内猿)=大王の臣下、蜘蛛=農奴階級、熊曾=まだ大王に感化されていない民族
後は省略

この一連の 上下の乱れを 大乱と呼ぶ。



580:aratame_himiko
08/04/04 19:46:19
唐松山さん

桓、靈閒とは桓帝の在位:146~167年
      霊帝の在位:167~189年 というから146~189年。
靈帝光和中とは178~184年 と聞いてます。

太国さん的に『梁書』、『北史』等の記述をみての発言と思います。

「その國、本また男子を以て王となし、住まること七、八十年。倭國乱れ、相攻伐すること歴年」

私の「倭國亂」についての考えは「七、八十年 倭國乱れ」なので七、八十年間はその前兆はあったものの
乱とまでいかず、その後に倭國亂なる大きな乱れがあったのでしょう。

つまり、太国さんが言ったとおり178年~184年の6,7年間ぐらい続いたのではなかろうか?
年代(西暦)に関しては氏と同じ考えです。

581: サガミハラハラ
08/04/04 20:05:04
倭国乱の年代について
倭国乱は157年ごろ王位継承をめぐって北部九州を中心に卑弥呼即位の183年ごろまでの期間でした。
大和(奈良県)の天皇の2代スイゼイ天皇から5代孝昭天皇の26年から29年(2倍年暦×2 つまり、通常の1年分が4年分にあたる)
までです。(ただし卑弥呼の即位が183年のいつかによって乱の収束は22年から29年の幅が出てくる。それに、卑弥呼即位が決定する前夜まで激戦が
続いていたわけではなく、即位の前年あたりは諸国とも繊戦意を喪失していたのではないだろうか。)

582:aratame_himiko
08/04/04 20:26:09
>>579
>私の考える 倭国大乱 ~ この一連の 上下の乱れを 大乱と呼ぶ。

倭人伝の「倭國乱」を日本書紀と照らし合わせたようですが、
唐松山さんの考えだと、これも倭国大乱?となるわけです。(下記参照)

644年?中臣鎌足らと謀り、クーデターを起こして蘇我入鹿を殺害。
646年 大化の改新
660年 百済が唐・新羅に滅ぼされる。
661年 斉明天皇が崩御。
663年 白村江の戦いで大敗。
672年 壬申の乱

倭とは=九州のことです。
乱の内容 については朝廷内で起こったこと。
まずはどこで「倭」と「朝廷」がつながるかを記載しないと単なる妄想になるわけです。

583:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/04 20:55:44
>>574
欠支八代は記録が少なく、なかなかそういう根拠というものはないようです。
まぁ先の日野郡誌、他にどこかで聴きこんだが、
富士古文書に、孝安80年に大乱が起こった とあるそうな。富士古文書というと
神皇紀のことだろう。ただ分厚いのでどのへんに書かかれてあるのか探すのが
大変。知ってる方は同書のどのへんか、具体的位置を知らせられたい。
孝安80年といえば孝靈世に近接するため、参考になりそう。

584:唐松山
08/04/04 20:57:39
では、卑弥呼死亡から
イヨ即位までの 1000人ほどの死亡は?

景行時代なら あてはまる 状態ですが。


585:
08/04/04 21:18:56
孝霊世って徐福がきたとかいう年代じゃねえ。

586:aratame_himiko
08/04/04 21:21:39
>>583
>欠支八代は記録が少なく、なかなかそういう根拠というものはないようです。

欠支八代のことはホツマツタエのが詳しく記されてまスよ。
まあ、女王のことが載っているかは別ですが・・・。

>>584
>では、卑弥呼死亡から
>イヨ即位までの 1000人ほどの死亡は?
>景行時代なら あてはまる 状態ですが。

倭=九州 倭とは親魏倭王を得た卑弥呼の倭。
倭種は倭ではないとここでは言っておきます。

残念ながら、「九州 倭紀」なるものはない。
「景行時代なら あてはまる」とのことですが、 それも単に繋げただけ。
やはり「倭」と「景行天皇」を繋げてからでないと説得力が欠けるかと思います。

587:日本@名無史さん
08/04/04 21:23:07

イヨタン・・・・・・・・・・・・・・・


588:唐松山
08/04/04 21:30:05
富士古文書とは 明治時代 郡内(甲州、鶴、吉田方面)の
古富士神社?とか そんな名前の神社がありまして
明治の初め 政府は各神社に社格を与えた時 申請を忘れて
後から 社格を得るために 作られた 偽書。
その古文書の真贋を確かめる席には提出されなかった。


589:唐松山
08/04/04 22:11:33
書記には 景行天皇 遣五百野皇女 としか出ていませんが
aratame_himikoさんの ほつま伝に どのように書かれていますか?


590:日本@名無史さん
08/04/04 22:16:55
大和朝廷の命令に反して提出されなかった古文書は
すべて偽書だと決めつける。
そして記紀との矛盾点を徹底的にたたく。
普通そこまでやるか?と思えるほど徹底的に叩き潰す。
痕跡すら残させない。
人としての情を持たない部族。それが天皇の祖先。


591:改め~桜咲け
08/04/04 22:18:19
ちなみに、倭人伝には「歴年」とあり倭国乱が数十年続いたとは
どこにも記されてなく考えるべきではない。
「毎年」、「連年」と解釈するべし!1~9の数年単位だということが分かる。

<明鏡辞典>
歴年年月を経ること。
毎年。連年。「ー十月に行われる大祭」

ロムらーへ
桜咲け!てことで邪馬台国と関係ないがこの~曲でも(物語?)
URLリンク(www.genjimonogatari.net)

592:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/04 22:27:03
>>588
秀真伝も偽書だと言われてますが? そっちは大丈夫なの?
>>590
天皇家の祖先というより天皇の取り巻きかなんかだろう?

593:唐松山
08/04/04 22:34:49
太国さん 貴方にとって ほつまは 偽書にして於いた方が良いですよ
何故なら 30日に死亡した天皇も居ますから。


594:改め~桜咲け
08/04/04 22:44:25
>>589
欠支八代のことは日本書紀よりホツマツタエ。

ほつまについて分かりやすくした本は二人の著者が有名かと思うが、どっちも持ってます。
(原文と読み易くしたのが書かれてる) まだ本をあまり読んでないがチラッとみたw

いろいろ書き込んでもいいが、唐松山さんがお持ちの本とほぼ一緒では?
今から少し出掛けるので時間あるときにでも書き込みますが。

595:日本@名無史さん
08/04/04 23:06:48
>>594
>今から少し出掛けるので
下着ドロ?

596:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/04 23:12:13
>>574
富士噴火の文証が役立つかも知れません。

富士山本宮浅間大社社伝(富士本宮浅間社記)によれば、
 孝靈の代に富士山大噴火した。  とあるそうです。

富士山南口案内絵図(富士市立博物館学芸員 荻野裕子)によれば、尾張藩士
高力猿猴庵は 東街便覧図略 の中で彼は、元吉原の富士見屋に 富士山禅定図 
があり、それに
 孝安九十二年 富士山湧出  の記載がある。

古縁起という古書によれば、
 孝安九十二年庚申の6月、大音響での富士山湧出  の記録がある。

富士山歴史噴火総解説(小山真人)によれば
 孝安3年、44年、92年  孝靈5年  噴火をリストアップ

そして物証は
富士山南麓大淵丸火公園北駐車場東に、外径120cm 内径60cm の溶岩樹型が
あり、約1800年前の富士山噴火で出来た樹型である。

 2008-1800=208年

倍暦計算では  207年 孝靈天皇誕生 の結果を得ている。これは孝安53年
だから、約何年の計算だから孝安、孝靈の時代に合致する。

597:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/04 23:38:23
>>574 >>596 訂正 間違いで失礼しました。 訂正は倍暦計算で

 207年=開化元年  です。孝靈崩御=187年

であり、20年ばかりのズレこみです。倍暦にて

孝靈年間は 162年~187年 です。光和年間の 178年~183年 と比べ
られたい。

598:日本@名無史さん
08/04/05 08:30:34
卑弥呼の時代が古墳時代か弥生時代かの議論がある。
古墳時代と言う定義は明快なのであろうか?
1.方形周溝墓、2.墳丘墓、3.大型墳丘墓、4.古墳?、5.巨大古墳と経緯する。
箸墓以前の墓の境界はかなり連続している。3の形状は色々。
円・方・四隅突出・前方後方・前方後円などなど。
卑弥呼の場合「大作冢径百余歩」でどの段階であろうか?

599:日本@名無史さん
08/04/05 08:40:56
古墳時代と言う時代区分は大いに問題があると思うが。

600:唐松山
08/04/05 08:56:41
卑弥呼の塚は、古墳時代の始まり。。
大和に大きな古墳が作られ出したのは、垂仁の末。
畿内にも 鉄器が入り始めた。と言うことです。

aratameさんへ
600年代の大和の状態の見解を述べますと、
まずAratameさんは、大和の地でこれらの事件を見てお出でのようですが
それじゃあ 大事件の連続の如く見えますが、中国に体を置いて眺めて下さい。
そうすれば一政権内のゴタゴタ にしか見えません。 乱のうちにもはいらない。

私の揚げた事件を中国に体を置いて眺めてみると、 タケハニヤスは兄弟げんか
つまらない事件ですが、 出雲王国の崩壊 大王が属国の小王に取って変わられる
これは彼方で見ても事件です、任那の件も注意が必要、
九州は、此までの窓口、大王の弱体化 窓口が卑弥呼に移るも小王達は一つに纏まらない
折衝する側にとっては頭の痛い問題。
一度に全体を傘下に収められない。軍を送り込むには大金がかかる、
せめて“激”をとばしてハッパをかける、大和の大王をもって収拾にあたらせる。
大乱ですな。


601:唐松山
08/04/05 09:05:19
孝靈の代に富士山大噴火した。
ほつまでは この時の噴火は、溶岩流型
西湖方面に溶岩流が流れ込み湖を分けた。と出ています。
焼け残った大木が出土すれば、解るだろうが、有るのは空洞ばかり。



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