謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17 - 暇つぶし2ch300:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 13:36:13
ヤマトなんて漢字表記は
和漢籍、万葉集を探せばけっこうな数


山跡 も、ヤマト

301:日本@名無史さん
08/03/29 14:06:19
大和は「矢」「的」
矢は男性器、的は女性器の象徴。
千代に八千代に子孫を繁栄させるには、
子どもとどんどん産ませなければいけなかった。
ちなみに鳥居は、戌(いぬ)から来ている。
犬は多産の象徴。
国生みの儀式を行うときは、鳥居=又をくぐってから
女のところに通う。そういう決まりだった。
いわゆる通い婚の風習です。

302:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 14:14:47
>>301

>大和は「矢」「的」

だったら
最初から矢的と固定すればいい事
後世に誰かがこじつけたんじゃないの?

303:唐松山
08/03/29 14:48:12
畿内ヤマトは山後

304:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 14:50:28
>>303

>畿内のヤマトは山後


畿内のヤマトは、今も大和ですよ

305:ローガン
08/03/29 15:33:46
狭義のヤマトは「三輪山の戸口」ではないですか?


306:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 15:47:28
>>305

>狭義


いや~
そんな事言ったら、何でもヤマトになっちゃうよ
日本中に広がるヤマトやスワは、みんな狭義?

因みに
家の近所の犬の名前もヤマト

307:ローガン
08/03/29 16:18:39
>>306
ご近所のヤマトちゃんの名前は「広義」とはなっていかないでしょうね。(可能性が皆無とはいいませんが)

狭義のヤマト(三輪山麓のデルタ地帯)→大和(奈良)→大和(日本)でしょうね。



308:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 16:59:53
>>307

言葉の語源の場合、自然界の名詞を使用するのは
ギリギリセーフでしょうが、「戸」等の人工的な名称を使用してしまうと
「ヤマト」と言う言葉と「戸」と言う言葉の時間の後先確定要因になってしまう。
「山門」も同じ

(入口)と言う意味で戸を使用しても同じです。


語源は危険と背中合わせ(^O^)/

309:日本@名無史さん
08/03/29 17:04:44
そもそも倭人伝で使用されている「國」はどういう意味なんですかね?
それによって連合国なのかどうか違ってくると思うんです。
現在のEUのよう独立国家の連合なのか(連合の名称としての邪馬台国)、
植民地のような属国扱いなのか(大英帝国みたいな性格としての邪馬台国)、
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地なのか(王朝としての邪馬台国)。

310:ローガン
08/03/29 17:05:58
>>308
固有名詞ですが。
おかしいですか?

又後程。

311:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 17:33:38
>>310

古地名の語源の大部分は、歴史的(人為的)要因からくるもの、或は
地形的(自然環境)要因からくるもので大部分はカバー出来るだろう。

312:唐松山
08/03/29 18:32:10
ホツマによると 神武 は山後川を遡り
ナガスネと第1回目の戦いを行う。

ホ29070 ナもナミハヤの ミナトより ヤマアトカワを
さかのぼり カウチクサカの アウヱモロ

313:唐松山
08/03/29 19:42:54
倭人伝で使用されている「國」は
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地でしょう。


314:日本@名無史さん
08/03/29 21:14:50
韓に馬韓、辰韓、弁辰があったように倭にも投馬國、邪馬壹國、狗奴国があった。
馬韓、辰韓、弁辰は邑落(都市国家)の集合体の領域国家。
投馬國、邪馬壹國、狗奴国も領域国家。
邪馬壹國を形成している邑落(都市国家)は對馬國~不彌國、斯馬國~奴國など計26國。
戸数は、千戸~4千戸(奴國は二万余戸)。
  魏使は、奴國以外の國は、1國平均2千戸と想定し、邪馬壹國の戸数を算出した。
    2,000戸×25國+20,000戸(奴國)=70,000戸


315:aratame_himiko♪
08/03/29 21:19:21
卑弥呼の墓はどこか?

卑弥呼の墓の候補はいくつかあるが、その中でも有名なのが、
「箸墓」、「平原1号墳」、「宇佐にある亀山、前方後円墳」ではなかろうか。
平原1号墳についてはわたしの考えを>>120-124で言ったんだが、
他の人のはどのように思ってるのでしょうか?

卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人

徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。

316:日本@名無史さん
08/03/29 21:21:09

キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!


317:日本@名無史さん
08/03/29 21:37:30
>>315
亀山それ自体は自然の丘陵でつ、古墳とちゃうよ
もちろん前方後円墳なんかじゃないよ


318:日本@名無史さん
08/03/29 21:43:04
明日香村にある蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅跡の年代を特定する
確かな証拠は見つかったようですね。卑弥呼の墓も間もなく特定
されると思います。

319:日本@名無史さん
08/03/29 21:44:23
>>315
神奈川県民

キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!

ネットカフェからの書き込みご苦労さんですwww


320:aratame_himiko♪
08/03/29 21:53:20
そうなんでスよ

自宅のPCは規制ばかりで今、サーバー換えてるところ。
工事が1週間~2週間ぐらいかかると思うので一時はネカフェからです。

てかよくみなさん~規制かからないね?
携帯から来てるのかな?わたしの携帯はインターネットつながってないのでw

321:aratame_himiko♪
08/03/29 22:00:38
「卑」と「俾」の違い

『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』東夷傳)、
『隋書』の通称倭国伝(『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國)、
『梁書』諸夷伝、『三国史記』新羅本紀では表記は「卑彌呼」、
『三国志』魏書 帝紀では「俾彌呼」と表記されている。

この違いわかる人いないんですか?
なぜ書き分けて「卑」弥呼の字が違うんでしょう。
誰か説明してくれ。

「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」

「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」


322:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 22:02:36
>>315

>徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。

そりゃあ
一般家庭の墓地よりは大きな

因みに、百余歩って  1/3里じゃないからね

323:サガミハラハラ
08/03/29 22:10:32
>>315そのなかで有名なのがーーー
小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
ここが最有力です。

324:aratame_himiko♪
08/03/29 22:20:23
「共立について」
明鏡 国語辞典
共立・・・一つのものを共同で設立すること。[-校]

旺文社
共立・・・いっしょに肩を並べて立つ。
  ・・・共同で設立する。

共和・・・周のレイオウ時代、周公・召公が協議のうえ行った政治。
  ・・・合議制による政治形態。
共同・・・二人以上のものが力をあわせて仕事をしたり、同じ資格で物事に関ること。
共犯・・・二人以上の者が・・・略す
共謀・・・二人以上の者が・・・略す

325:aratame_himiko♪
08/03/29 22:26:11
>>323 サガミハラハラさん
>小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
>ここが最有力です。

どこが最有力なんですか?
具体的にみなさんが納得できるような 「卑弥呼の墓=小城の桜ヶ岡説」を
説明してはどうですか?
ちゃんとここで説明できたらあなたの本を購入してくれる人いると思いますよ。

まずはなぜそこが最有力地なのか説明してください!

326:aratame_himiko♪
08/03/29 22:32:39
サガミハラハラさんへ
貴方の「卑弥呼の墓は小城の桜ヶ岡」という考え

みんなはそこが卑弥呼の墓かどうか考えた時、サガミハラハラさんの普段の考え、
普段の行動、サガミさんの判断力を照らし合わせて見たとき~とても
そこが卑弥呼の墓とは思えなく無視されつづけてるのです。

そこ(サガミハラハラ氏の小城の桜ヶ岡説)はインコのピーちゃんの墓でないの?

となるわけです。
卑弥呼の墓の可能性があるのか?インコのピーちゃんの墓か?
ここでのサガミハラハラ先生の書き込みを見てから判断してみましょう!!

327:サガミハラハラ
08/03/29 22:38:05
まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。
そこが邪馬台国の都でした。
そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。
これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。

328:aratame_himiko♪
08/03/29 22:41:23
>>322
>>徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。
>そりゃあ
>一般家庭の墓地よりは大きな
>因みに、百余歩って  1/3里じゃないからね

貴方は卑弥呼の墓は何処とお考えでした?平原1号墳だったような・・・。

卑弥呼の墓=平原1号墳説について説明してくださいよ。
なぜそこが卑弥呼の墓なの?
私は>>120-121でのべたとおりそこは違うと思います・

ていうか誰か踏んで!


329:aratame_himiko♪
08/03/29 23:01:32
>>327 サガミハラハラさん
>まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。

私と河童氏が以前やった~「至」と「到」の違いを見てなかったんですか?
貴方の考えだと「倭人伝の行路記事」は地図をそのまま見て「東南陸行 到伊都國」ですよね?
違いますよ。
私と河童氏が描いた「東南陸行 到伊都國」が正解です。

>そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
>天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。

殉葬者奴婢百餘人

そこから百余もの人骨は出土されたのですか?
それに河童氏との「じゅんそう」をめぐる説明もちゃんと出来てないし、
卑弥呼の墓=佐賀県小城市甘木説を信用しろという方が無理では?
火葬、水葬、風葬、鳥葬 等いろんな埋葬方法があるが、
本当にそこは殉葬だったのでしょうか?

330:サガミハラハラ
08/03/29 23:01:45
 私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。

331:aratame_himiko♪
08/03/29 23:07:24
>>327
>大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。

土器と鉄刀なんて何処からでも出土されてますよ?
その出土された土器が「卑弥呼や邪馬台国」と関係しているのかを説明してくださいよ。
ただ単に出土されたから何でも卑弥呼の墓にすれば良いという風に思えてしまう。

>これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。

残念ながらいまだに発見されてないんでスよ。
「幻の邪馬台国」。まさに幻!

332:サガミハラハラ
08/03/29 23:08:49
 ここまでの説明以上の納得のいく説明のできる丘があったらご紹介ください。
なけれが、桜ヶ岡が最有力候補です。

333:aratame_himiko♪
08/03/29 23:12:36
>>330
>私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。

上のほうで私が言ったように「倭人伝の卑弥呼の墓」とはつながらないんですよ。
「墳だけではなくその周りの囲いも入れてという意見」もあるが、
正気じゃないというか、普通の考え方ではないというか・・・。
そこは当たり前の解釈でよいと思うんです。
かなり『大きな墓』というふうに。

よって私も 「卑弥呼の墓は平原1号墳説」には賛成できません。

それにそこは本当に女性のお墓なんでしょうかね・・・。

334:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:15:21
そうですね

末盧の港の東南に目的とする伊都があるのなら
『東南至伊都国陸行五百里』

で、十分説明できますから

335:aratame_himiko♪
08/03/29 23:16:54
いやいや 「納得のいく説明」もなにも貴方は説明出来てませんよw

墓だけを見れば「箸墓」のがふさわしいのでは?

サガミハラハラさんは箸墓についてどのように感じてるのでしょうか?
サガミさんは自分が考える卑弥呼の墓のがふさわしく思えるらしいです。
ハッキリいいましょう!それは貴方だけですww

336:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:18:45
>>333

>かなり『大きな墓』というふうに。

大きな墓なら
『作大墓』『作大冢』ですよ

337:aratame_himiko♪
08/03/29 23:22:21
>>336 河童さん
倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?

貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。


338:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:24:29
それに、一般的に言われている140mあるのなら
普通

『600尺、60丈、6引』のどれかで書かれていますよ
墓は長さですから

339:aratame_himiko♪
08/03/29 23:30:38
サガミハラハラさん

貴方が言う「これ以上に有力な証拠」

というのはただ単に貴方が「学生時代に地図をみてに沿った都」と考える処。
とか倭人伝の『殉葬者奴婢百餘人』にも合わない「人骨」。
殉葬ではない丘。何処からでも出土されてる「土器と鉄刀」だけなのです!

それでよく「これ以上に有力な証拠」なんて言いますよね?

340:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:33:11
>>337

>倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?

『家』? どんな史料を見ているのですか?
私はいつも 二つの刊本の影印を見ながらの書き込みですよ
影印では『冢』


>貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。

これは一般的な読み方です

「大」の後に動詞が来る場合は(おおいに)

「大」の後に名詞が(大きい)



341:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:42:42
因みに

ここで百余歩と「歩」で表記したのは

距離を計測する機械も、長さを測るモノサシもないので「歩幅」をモノサシの代用として
計測したから「長さ(歩)」

342:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:48:01
>箸墓

ま、取り敢えず掘った後にでも判断すればいいこと
それまでは
文献記載内容にて判断するより、歴史は分からないのです。
中身が確認されてないうちから騒いでもしかたのないことです。

343:aratame_himiko♪
08/03/29 23:52:51
おっと~これは失礼!
ウィキペディア(Wikipedia)のレベルが・・・低ぅw

<訂正します>
大作家⇒大作冢
<旺文社 漢字典より>
「大」・・・(読みは:ダイ・タイ・おお・おおきい・おおいに)
意味は・・・おおきい、おおいに、大きくする、とうとう(尊)、第一の順位、おごる。

「作」・・・(読みは:サク・サ・つくる)
意味は・・・つくる、建造する、こしらえる、なす、おこす、おこる、たつ、いつわる、はたらき。

「冢」・・・(読みはチョウ)
意味は・・・大きな墓、丘陵、やしろ、おさ。

344:aratame_himiko♪
08/03/30 00:04:41
箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。

それ以外のところでぜんぜん説明できてないんです。
掘ったとしてもそこには何もないですね。
大和朝廷の重要な女性ということが分かるだけで。

345:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:08:04
>>343

私はあまり用例を用いるのは好きじゃないけど
ここに 同じ魏書内で「大」の(大きい)と(おおいに)の活用例がありますから


(おおきい)
處山林之間常穴居(大)家深九梯以多為好・・・魏書挹婁伝

(おおいに)
以殷正月祭天國中(大)會連日飲食歌舞・・・魏書扶余伝

346:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:09:43
>>344

>箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。

だから、大きさなんて全然該当しないって

347:aratame_himiko♪
08/03/30 00:14:19
貴方の考える『大作冢』とはどのようなんですかね?

日本人の我々に分かり易く説明するとすればどのようになるんですか?

大作冢・・・おおいに冢を作る  ではマズイ?

348:サガミハラハラ
08/03/30 00:16:04
墓だけを見ればではだめなのです。
まずその
場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。
「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3~4年してから諸説を読んでですよ。

箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。
合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。
土器はかなりでているようですが。
以上から見て、箸墓より桜ヶ岡のほうが有力となります。

349:改めドツボ神奈川県民は氏ね
08/03/30 00:24:55
で桜ヶ岡って年代は合うの?

できればC14とか年輪年代法とか・・・
少なくとも出土の土器からの編年は?

350:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:26:36
>>347

ただ(おおいに)と言っても「大い」「多い」がありますので

多いの場合、同じようなモノが沢山

大いにの場合、色々のモノが沢山

ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山

そして「大作冢」=大仕事だった・・・・と

そりゃそうですよ 卑弥呼の墓+百余人ですから(一種の古墳群みたいな感じ)



351:サガミハラハラ
08/03/30 00:29:56
 桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、
4~5世紀とみられています。


352:aratame_himiko♪
08/03/30 00:30:50
>>348 サガミさん
>場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。

では、貴方が考える「女王の都」という「倭人伝の行路記事」でもここへ書き込んでみては?
その『「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3~4年してから諸説』
とやらを私と河童さんが聞いてますからw

>箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。

「あの形」でマジカで見たことはありますよね?あると思うが。
遠くからみて、または空から見て、初めて前方後円墳というのが分かる。
箸墓の周りをグルッと歩くと「凸凹してる丘が分かるだけ」というか、
形に関しては考えないほうがよいかと思います。

>合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
>どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。

本格的な調査はまだと聞いてるので詳しくは分からない。

353:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:32:07
ねっ。

「東南至伊都国陸行五百里」の書き込みには、誰も手を触れようとはしないでしょ


そうそう
>多いの場合、同じようなモノが沢山

大いにの場合、色々のモノが沢山

ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山

これは
先ほど提示した用例の
『處山林之間常穴居(大)家深九梯以(多)為好』

これで判断できるでしょう。

354:aratame_himiko♪
08/03/30 00:33:34
>>349 は変なハンドルネームは止めなさい!
学生もみてるかもしれないのに。

他の人はスルーで対応しましょうw

355:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:37:40
>>347

>大作冢・・・おおいに冢を作る  ではマズイ?

いいんだよ

356:aratame_himiko♪
08/03/30 00:39:51
サガミハラハラさん
「東南至伊都国陸行五百里」説明してくださいよ!

なんたら町でしたっけ?w

357:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:43:01
誰がどう見たって

『東南陸行五百里到伊都國』と

『東南至伊都國陸行五百里』は

同じではありませんから

358:サガミハラハラ
08/03/30 00:45:45
東アジアの古代文化を考える会のHPの討論室に、邪馬台国行程論の書き込みを始めました。そちらをご覧ください。

359:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:48:05
あっ

これも有かな?

『伊都國在末盧東南陸行五百里』  それともこれはちょっと強引かな?

360:日本@名無史さん
08/03/30 00:54:59
河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?

361:aratame_himiko♪
08/03/30 00:55:07
>>357 河童さん 
方向 距離 国名 ⇒ 方向 国名 距離
伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?

始度一海  千餘里   至對馬國
又南渡一海 千餘里   至一大國
又渡一海  千餘里   至末盧國
東南陸行  五百里   到伊都國
東南    至奴國   百里 
東行    至不彌國  百里
南     至投馬國  水行二十日
南     至邪馬壹國 水行十日 陸行一月

362:サガミハラハラ
08/03/30 00:55:40
漢文としてなりたちますかね?

363:ローガン
08/03/30 00:55:48
>>348
サガミ先生、未だ発掘してないのに骨も何もないでしょう?
前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね。
もし、郡使が作塚中を目にした事を考えてよいなら、後円部分が部分が、塚ですね。
径百余歩…150mくらいですか。箸墓の他に考えるとすれば、西殿塚?行灯山?渋谷向山?
古そうなのは箸墓ですね。

364:日本@名無史さん
08/03/30 00:58:53
>>362
どれがですか?

365:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:59:29
>>360

>河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?

全然ダメ
漢文なんて大嫌い

366:サガミハラハラ
08/03/30 00:59:57
箸墓が一番古いはずです。
方形部がすこしまがっているでしょう。初めてつくったのでうまくつくれなかったのですよ。

367:日本@名無史さん
08/03/30 01:00:25
>>365
またまた御謙遜を

368:aratame_himiko♪
08/03/30 01:02:30
みんな書き込みが少なすぎる!
「ご参考です」さんみたいにもう少しまとめて書いたらどう?

というか私も短いがww

369:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:03:50
>>363ローガンさん


>前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね


一度聞きたかったんですが
>『作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね』

じゃあ円墳は重量物等とは無縁?それとも作業終了後に前方部を撤去しましたか?
かなり巨大な円墳も存在しますよね? 


370:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:07:33
>>367

>またまた御謙遜を


いや、事実
プラムは漢文を『読めない書けない』は、誰でも知ってるここの常識ですから
ただ、そういわれても
平気なんですよ・・・・・・・事実ですから

371:日本@名無史さん
08/03/30 01:09:58
>>370
えっ そうなの?
みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな

372:aratame_himiko♪
08/03/30 01:11:22
卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命説

意富夜麻登久邇阿礼比売命とは?
孝霊天皇は四人目の妻として意富夜麻登久邇阿礼比売命の妹である蠅伊呂杼を迎えた。
つまり姉妹で孝霊天皇の后となっている。 らしい。。。。

ここにも書いてる
URLリンク(tokyo.atso-net.jp)



373:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:12:11
>>361

>伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?

だいたいわかるよ

以前から言ってるように、倭人伝の地理雉に書いてある順次式の記載は
伊都までが
郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)

374:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:16:08
>>371

>みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな

多分。


375:日本@名無史さん
08/03/30 01:17:44
>>327
>天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
>大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>>351
>桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、4~5世紀とみられています。

まったく手つかず、ということではなさそうですね。
人骨、土器、鉄刀が出ているわけですから。

土器、鉄刀は記念碑の工事のところから出ているわけですね。
その出土場所がもし4~5世紀ごろ茶筅塚古墳のために土盛りされた墳丘内であれば、土器、鉄刀は茶筅塚古墳の副葬品ですね。
卑弥呼の墓とは無縁な遺物と見なくてはなりませんが、いかかでしょうか。

人骨も同様に、つまり、4~5世紀とされる茶筅塚古墳が出来たあとに埋葬されたもの(古墳期~古代・中世も)とは考えられませんか。
その可能性がキッパリ否定できないのでしたら、桜ヶ岡が3世紀の王墓であるとの確たる証拠は何ら示し得ていないわけです。
それでも桜ヶ岡を女王卑弥呼の墓と主張なさるのであれば、それは強弁・詭弁・妄想の類いでありますでしょう。

376:aratame_himiko♪
08/03/30 01:21:31
>伊都までが
>郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
>それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)

河童さんの同じ考えです。
魏の使いが、女王の都まで訪れたことがあるかどうかは知りませんが、
基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。

>>205
>『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立した
>な~んて方が
>よっぽど現実離れしているよ

ここは河童さんと違うところです。
私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。

377:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:24:32
>>361

伊都國までの文章は『里数(距離)』に対する(起点と着点)の確定

それ以降は(起点)の確認確定

378:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:28:31
>>376

>基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。

郡使と魏使を同義と考えるなら、通常は伊都まで
しかし、『郡使往来常所駐』(常)と書かれていますから、(臨)はその限りではありません。

379:aratame_himiko♪
08/03/30 01:34:41
>>212 唐松山さん
>天照大御神が 筑紫に入ってから

天照大御神と筑紫とか関係している書き込みを詳しくお願いしますよ。
以前聞いたが、よく分かりませんでした。
地方の風土記ですか?分かり易く、なおかつ、詳しくお願い出来ればと思います。

>>218
>『共立』と合議は関係ないですよ

関係あるんですよ。
「共」とは二つ以上のものが~というような意味がある。
確かに貴方の言ってることもわかるんですが、それは「両手を~」の意味から
きてる考えでしょう。両手を~とは「共」の「解字」のこと。
辞書に書いてることは、 
会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。

380:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:41:58
>>376

>私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。


それなら私は『協規』を選択します。

・・・・與豫州協規同力破操軍必矣  (三国史蜀書巻三十五蜀書五諸葛亮伝)


381:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:45:45
>>379

>会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。

両手と言っといて

>二つ以上のものが

ですか?  千手観音?


382:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:48:35
久しぶりに『漢字の講義』でもやりますか~?(笑)


でも、もう眠いからやらない

383:aratame_himiko♪
08/03/30 01:50:01
協規などかかれてませんよ?
ていうか協規て意味なんでしようかね。調べるのがめんどくさいw

あくまでもそこに書いてるのは「共立」ですから。

それに誰も大勢で女王を決めたなどいってないんですよ。
首長クラス・・・二人なのか三人なのかそこに書かれてないから分かりません。

私の考えだと「二人以上のものが」なんです。
あまり言いたくないが、二人から~せいぜい多くても二十九人ぐらいか?
大勢ではないと考えてるんですが。
ていうかそろそろ寝ます。 では明日~zzz・・・・・。

384:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 02:04:20
>>383

「協」と「共」の活用の違いでも調べてみたら


お互い、動詞活用で(ともに)


改めさんが考える(ともに)は「協」

385:ローガン
08/03/30 02:28:46
>>369
河童虫さん。
ご指摘の通り大きな円墳はありますね。
たとえば、冨雄丸山(径86m 高さ10m)奈良にあります。
矢田丘陵と接していますので、そちら側がなだらかなスロープに…
朝来の茶すり山(径90m 高さ18m)これが最大かな?宝珠峠の尾根伝いです。
どちらも墳頂への搬入路を確保出来る立地ですね。
平地に造られた「箸墓」後円部の高さ30mです。前方部(高さ17m)は搬入路及び作業通路として必要だったと思います。
概ね、前方部の両角は同じ傾斜ではありません。向かって左が右より傾斜が緩やかだったと思います。
きっとそちらが通路だったのでしょうね。
河内大塚を検索してみて下さい。
古墳築造の状況についてhitすると思います。
現在PCが使えないのでURLが貼れません。


386:日本@名無史さん
08/03/30 03:32:15
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)こそ邪馬台国だ。
5世紀頃(西暦406年頃)に造られた大きな前方後円墳で、一説に第26代継体天皇陵であるともいわれています。
現在も古墳の周囲の濠には魚が泳ぎ、墳丘には緑が生い茂っています。
URLリンク(www.city.ibaraki.osaka.jp)

387:サガミハラハラ
08/03/30 10:00:16
この場合の手つかずとは学術的なという意味です。記念碑や像や神社等かなり人手がはいっています。
鉄刀は茶筅塚古墳の3~40m南の地点からの出土です。
出土物の年代については、学術的調査によるものではないので、物そのものがうしなわれており、
文書によるいいつたえでしかないわけですので可能性があるとしかいえません。
その点邪馬台国そのものもそうでしょう。
わたしが桜ヶ岡を卑弥呼の墓とかんがえているのは、何度もいうように、倭人伝の行路記事の考察により
佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都であると確信し、そこにある倭人伝の記述と同じ岡があればそこが卑弥呼の墓であるという
結論にたっするのは極自然なことです。
ですから桜ヶ岡卑弥呼墓説をくつがえすというなら、邪馬台国小城天城説をくつがえさないと
いけないわけです。小城甘木説がくつがえると桜ヶ岡卑弥呼墓説も自動的にくつがえるわけです。

388:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:00:39
前方部は搬入運搬スロープねぇ???
なんか違和感あるな~。
前方部が後円部とさほど変わらぬ高さの古墳
結構存在するし、それだと前方部に搬入するためのスロープも必要になる。
スロープなら
後円部に向かって徐々に高くなるのが普通の発想であり、しかも前方部は同じ幅で後円部と接続するはずで、あの括れは異様。

389:日本@名無史さん
08/03/30 10:15:28
>>387サガミハラハラ山
魏志倭人伝の行程文を根拠にするなら、昨夜河童さんがレスしていた「東南至伊都国陸行五百里」を否定し、「東南陸行五百里到伊都国」を肯定しなければいけないのでは?

390:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:25:27
>>389

無理だよ
夕べも反応無しだから

誰でも痛いところは触れたくないし『佐賀』に用事がある人には生命線だからね(^O^)/

391:横から失礼
08/03/30 10:41:18
>>384
つまり、二人でなければならず、二人「以上」ではない、ということですね?

392:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:55:50
>>391

『共』の基本的な字意は

★異質の二種が同じ範囲内に

それを後押しするかのように、『一女子』
辞書に記述してある(両手にて……)の会意は
右と左と言う異質な手が、同じ行動をするという意味です。

393:愛知県民
08/03/30 11:14:42
>>372
aratame_himiko♪さん(何故音符付き?春だから?)

私は、意富夜麻登久邇阿礼比売命と蠅伊呂泥は別人ではないかと考えています。
意富夜麻登久邇阿礼比売命はその名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号でありましょう。
本来、この称号は安寧天皇の第一子・常根津日子伊呂泥命に与えられたもので、後に蠅伊呂泥と間違われたのでは?
何故かというと、蠅伊呂泥は夜麻登登母々曾毘売命(=台与?)の母であり、
先代の女王と間違えやすいうえに、
師木(しき)県主波延(はえ)の孫・常根津日子伊呂泥(いろね)
師木(しき)津日子の孫・蠅伊呂泥(はへいろね)
という事情もありました。

安寧天皇の第二子が大倭日子鉏友命=懿徳天皇ですが、「すきとも」は王者でなく従者の名前です。
(倭建命の従者・御鉏友耳建日子が思い出されます)
おそらく、卑弥呼の男弟ではないでしょうか。

394:ローガン
08/03/30 11:29:31
>>388
前方後円墳の主体は、円墳ですからね。
括れて当然です。それを異様とみるかどうかは主観でしょうね。

395:愛知県民
08/03/30 11:35:59
河童虫さん
「共立」ですが、高句麗伝の例は違うのですか?
伯固死,有二子,長子拔奇,小子伊夷模。拔奇不肖,國人便共立伊夷模為王。(中略)拔奇怨為兄而不得立
拔奇は即位できなかったんですよね?

396:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:38:53
昨日も書いたが、その国は共立前まで
ずっと『男子爲王』
だから相攻抜の後も『男子爲王』が常識であり、それが歴史的の継承でもある。しかし、その男子王に対しもう一人
異質の女子を王とし、その国を安定させようとしたわけ
たから
『共立』『一女子爲王』
★異質の二人の王が立ち、その一方が女子
彼女は男子王とは違い 、宗教的な性質を秘めていた。それが卑弥呼
★(雛飾りの基になる)
雛飾りの上位は向かって右側の、お雛様
持統天皇時の成立と言われる(内裏雛は後付け)飾りも、それをモデルとする原型は、古代から存在。


それが『共立一女子爲王』

★この共立の仕掛け人は誰?

397:愛知県民
08/03/30 11:42:01
>>135
ローガンさん、ありがとうございます。
壬申の乱で「箸陵」が出てくるのは確かに気になります。
神武天皇陵の記事も壬申の乱で出てきますが、もっと前から頻出しないのが奇妙な印象があります。

398:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:45:40
>>395県民さん

高句麗と倭の歴史環境は同じ顔をしていますか?
『共立』
その顔は同じでも
中身は全然違いますよ

意味は文章全体の顔で判断します。

399:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:49:21
>>394ローガンさん

今までの全国の発掘調査によって、前方部から後円部に
重量物を搬入した痕跡が見つかっているのですか?

400:愛知県民
08/03/30 12:32:05
>>398
なるほど・・・確かに高句麗の場合は「國人」という主語があり、倭とは違いますね。
後漢書では「歴年無主」とあるが、魏志ではこの文がなく、男王が退位したとも書いてないし。
旧体制の倭奴国王が生き残ったということでしょうか。
それなら納得できそうです。

401:日本@名無史さん
08/03/30 12:43:59
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

これは雰囲気づくりみたいなものなので無視しちゃって結構です。

402:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 13:05:03
>>400

倭人伝は魏書だから、後漢時の事情を詳しくこだわる必要性がない。
共立された一方である男子爲王の制度は、この後魏時になっても絶える事はない。
しかし
特別的な意味合いが強い
女子爲王は
絶えたり復活したりと
後の持統天皇まで続く。
これが『大王、大君、彌、額田』などなど


だから
魏時、女王卑弥呼の影には何時も、男子王の影がちらつく
邪馬台国は二大派閥(男子王派、女王派)による両輪政策

403:改め~壹與ちぁん
08/03/30 13:06:17
>>387 サガミハラハラさん
>わたしが桜ヶ岡を卑弥呼の墓とかんがえているのは、何度もいうように、倭人伝の行路記事の考察により
>佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都であると確信し、そこにある倭人伝の記述と同じ岡があればそこが卑弥呼の墓
>小城甘木説がくつがえると桜ヶ岡卑弥呼墓説も自動的にくつがえるわけです。

女王の都は小城甘木とするサガミさん~ご本人も桜ヶ岡説(卑弥呼の墓)は
河童氏に論破されてしまったことに気付いてきたようですw
しかし、小城甘木説(女王の都ネ)がまだ生きてるので桜ヶ岡説(卑弥呼の墓)が
論破されても大丈夫!というような考えなのでしょうかww
邪馬台国行程論とやらをこの「謎の女王~終止符スレ」にて書き込んでくださいよ。

貴方が学生の頃に地図に沿って女王の都を探ったのはいいが、貴方何才ですか?
いまだに「小中学生レベルの邪馬台国」でしかないのです。

それに貴方が出した本は少し拝見させてもらいましたよ。
邪馬台国を語るまで7,8年かかったらしいが、何故そんなにかかったんですか?ww

404:改め~壹與ちぁん
08/03/30 13:41:11
>>384
>改めさんが考える(ともに)は「協」

「共」・読みはキョウ・とも
   ・解字は会意形声 両手でささげると物を表すとで、物を捧げる意。転じて「ともに」の意を用いる。
   ・意味はともに(みなそろって・一緒にする・うやうやしい・向かう・ども(複数を表す接尾語)。
「協」・読みはキョウ。
   ・解字は会意形声 キョウ(力をあわせる意)に十(ひとまとめをする意)を加えて、多くの人が力をあわせる意を表す。
   ・意味は・・・あわせる(力をあわせる・ともにする)、かなう(多くのものが一致する)、助ける。

共立に関しては>>271>>324>>379 を見て!
『協規』て何か違う感じがするんですが?w

405:改め~壹與ちぁん
08/03/30 14:02:00
魏志倭人伝に「王」の字が見えるのはこれらではなかろうか。
伊都國・・・世有「王」
邪馬壹國・・・女「王」之所都
狗奴國・・・男子為「王」 

『共立』を考えたとき、河童氏は「二つ」にこだわっているが正確に言うと「二つ以上~」である。
河童氏は伊都國と邪馬壹國で共立させたというお考えなんですか?

それもありうると思うが、私の場合は「二つ以上~の首長クラス」ということで、
伊都國と邪馬壹國または伊都國、邪馬壹國、狗奴國の首長クラス。
もしくは、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國
など陳壽が特別扱いしてる国々(以前、筆法の話で言ったと思うが)の首長クラス。
二十九国の首長クラスなど幅広い考えでいる。
二つと決め付けるべきではないかと思うんだがどうでしょうか?

406:日本@名無史さん
08/03/30 14:15:48
①複数の国によって立てられた
②複数の王が立てられた

文脈から言って、倭国の中の国同士が争った挙句、それらの国によって
1人の女性が王として立てられただとばかり思っていた。
俺ってなんてバカだったんだろう・・・

407:日本@名無史さん
08/03/30 14:17:47
魏志倭人伝の「魏」という字を見ていただけばわかると思いますが、
「魏」は、「委」と「鬼」の合体した文字です。
「委」に人偏をつければ「倭」になります。委とは李族。朝鮮半島に
いた李族と倭族は人種的にも宗教的にも近い関係にありました。
では「鬼」とは何を意味するかと言うと失われたユダヤ十支族の1つ
ダン族の「神」のことです。
「倭」は「魏」に使える人民。その一部が日本に住み着いている
ということをあらわすことばが「倭人」という名称を使ったものと思わ
れます。
つまり卑弥呼の国が大きいか小さいかではなくて、倭人の国がある
ことを書きとめたていきたかったものと考えられます。

408:改め~壹與ちぁん
08/03/30 14:23:35
>>406
>倭国の中の国同士が争った挙句、それらの国によって
>1人の女性が王として立てられただとばかり思っていた。
>俺ってなんてバカだったんだろう・・・

いやいや そのとおりなんだけど・・・。
その「倭国の乱」で争ったのが>>405にある国々。

409:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 14:25:48
>>404

小国の王達が協議し力を合わせ、一人の女王を擁立すれば
それは『協議、協同、協力、協規』だよ

『共』に
力を合わせるなんて意味はない

410:改め~壹與ちぁん
08/03/30 14:39:41
ではお尋ねしますが、貴方の言う「共に」とは何処と何処の国なんでスか?

倭人伝に「天皇家の祖」とか「大国主一族」など登場してきませんが?

それに私が>>324で言った~「二人以上の~」の意味についてはどう考えているのでしょうか?
「二つ」というだけの意味ではないんですよ!「二つ以上の~」という意味なんですよ。

411:改め~壹與ちぁん
08/03/30 14:53:30
貴方~ハッキリしなさいよ!!河童さん
みんな見てますよ?

共立とは「二つ」という意味でしかないんですよね?
じゃあ何処と何処の国同士が「一人の女子」を共立させたのでしょうか?

この共立の問題が分かると「倭国の乱」で争った国々が見えてくると思うんですが。

412:日本@名無史さん
08/03/30 15:18:45
共和国は2人だけの国?

413:愛知県民
08/03/30 15:22:30
河童さんは、旧来の伊都国男王と「共に」邪馬台国女王を立てたという説でしょう?
私もそういう史実はあったと考えますが、「共」の意味については普通の解釈でもよいと思う。
高句麗伝の「共立」は「協」の意味と思いますので。

蝿ついでに(汚いですが失礼)もう一人、気になる人物がいます。
師木県主波延(記)磯城県主葉江(紀)です。
日本書紀は、懿徳天皇の后について

一云磯城県主葉江男弟猪手女泉媛

と記していますが、葉江が男ならば「男弟」と書く必要はないはずで、
葉江さんは女性と考えられます。
意富夜麻登久邇阿礼比売命はこの人かもしれません。

414:改め~壹與ちぁん
08/03/30 15:30:57
私は、>>393
>意富夜麻登久邇阿礼比売命と蠅伊呂泥は別人ではないかと考えています。
>意富夜麻登久邇阿礼比売命はその名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号でありましょう。

「名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号」とか面白いこと考えると思うんだが、
実は意富夜麻登久邇阿礼比売命なる人物~あまりよく知らないんですよ><

「ほつま」には何て書いてるんでしょうかね。

唐松山さん~
上の愛知県民さんが言ってることについてどう思いますか?
何か知ってることがあれば書き込んでくださいな。

415:改め~壹與ちぁん
08/03/30 15:43:03
>>413
>旧来の伊都国男王と「共に」邪馬台国女王を立てたという説

それは私も考えたが、
世有王 皆統屬女王國
(よよ(※1)王有り、皆、女王国に統属する)
※1:皆の自我見えるので代々という見方ができよよとは書いてないが分かり易くよよを使う

だから、伊都国より格上の女王国とが共立?!それよりも他の考えのが自然に思えませんか。
伊都国と女王国とが共立なんて、何か違和感を感じるのは私だけでしょうか。

416:愛知県民
08/03/30 15:47:49
日本書紀を読むと、磯城県主葉江はよく出てきますね。
物語が何もない分、何か異様な感じさえします。
今週は明日まで来れそうなので読み直してみます。

417:改め~壹與ちぁん
08/03/30 15:48:33
愛知県民さん~貴方が考える「意富夜麻登久邇阿礼比売命説」を
今度、詳しく調べてみますよ。

批判するならするで私のほうにまだ材料が揃ってないというか。

出来れば知ってる限り書き込んでてくださいよ。
それを参考に調べてみます。他の人は愛知県民さんの
卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命説~どのようにみてるんでしょうね。

太国さんとか古代さんとか日本書紀に詳しい人いっぱいいるのに~。

418:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 15:50:40
>>411

>何処と何処の国


意味がわかりません?
例えば
何処の国が何と言う王が居るなんて分からないでしょ
国じゃなく
一人の男子王と一人のカリスマ女王がミスターXの陰謀によって共立

419:改め~壹與ちぁん
08/03/30 16:10:32
>一人の男子王と一人のカリスマ女王

「双」ではなく「共」です。
「共立」とは共に立てたとかの意味ですよ。

もう~ここまできたら~もう笑うしかないねw
それにミスターXって何なんですかwwまたマンガですか?www河童さん

そんなこと何処に書いてるんでスか?ww


420:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 16:27:55
>『双』ですよ
>後は笑うしかない


では
笑っていては話しになりませんから
笑いが止まるまでこの話しは止しましょう。

貴方には貴方の共立があるでしょうから、私は邪魔をしません。

421:改め~壹與ちぁん
08/03/30 16:32:58
卑弥呼の墓はどこか?

徑百餘歩についてでも書き込んでおきましょう!
>>120で「百歩は百四十四メートル」と書き込んだが、

一歩は六尺、魏代の一尺は約二十四センチ 、百歩は百四十四メートルという説と

大人の一歩を約七十センチとして百餘歩を約七十メートルという説があるらしい。

七十メートルなのか百四十四メートルなのか私は学者ではないのでよく分からないが、
七十~百四十四メートルとかなり大きな墓?としておこう。



422:日本@名無史さん
08/03/30 16:38:44
>協規

この言葉自体、一ヶ所にしか記述が無くては、証拠とするには弱いね。

しかも卑弥呼『共立』がミスターX主導で、男王と女王を共に立てたって?

トンデモ説ですか?


423:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 16:39:26
>>414県民さん

>男弟


細かい事ですが
いい視点です。
弟自体が既に男ですから、ここは実の弟ではなく「舎弟」では、どうでしょうか。

424:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 16:48:11
>>422

>共にたてた


誰がそんな事言いました?


>トンデモ説

それは
貴方の考える許容範囲を越えたから、貴方はそれをトンデモと判断しただけです。
貴方も知識を広め
勉強していけば、トンデモと判断しなくなります。

それから
言ってもいない事をネタにトンデモ扱いとは…イヤハヤ

425:改め~壹與ちぁん
08/03/30 16:52:22
平原1号墳ですが、何故皆ここの墓にこだわるのか?
この墓の築造を西暦200年前後(他の説もある)と考え、列島内最大の鏡が
ここ平原から出土された。そして出土された鏡の数が列島最多。
また、三世紀の鏡保有数が権力を象徴する大きさを示すものと考えられてきたからであろう。

何故、伊都國最後の「女王」の墓といわれるのか?
列島最多の四十面もの鏡と耳飾り等、女性的なものが多く出土されたからかな。

弥生の人々は男性より、現在みたいに「女性のが多く飾り物を身に付けてた」のか?
わたしは逆と聞いたことがあるんだけど・・・。
それに平原1号墳は「方墳」です。
倭人伝の「『徑』百餘歩」が円墳を指してるのかどうかは分からないが、
「徇葬者奴婢百餘人」がここからは発見んされてないんですよ。
他の人は~この「平原1号墳」どう思います?

426:愛知県民
08/03/30 16:53:51
>>423
河童虫さん
>>414 でなくて >>413へのレスですね?
漢籍は無知ですが、記紀では女性でも「兄」(いろえ、いろね)「弟」(いろど)という文字を使いますね。
「姉」(いろね)「妹」(いろも)は男性には使わないようですが。

427:日本@名無史さん
08/03/30 16:55:38
しかし、必要に昼間っから邪馬台国論争ですか?
ずいぶんお暇なんですね。

428:日本@名無史さん
08/03/30 16:58:45
コテハン同士の論争とか
おバカで見てて楽しいなwww

429:ローガン
08/03/30 17:00:42
>>399
河童虫さん。今帰ってきました!
遅くなりました。発掘調査で明らかになったかどうかは寡聞にして知りません。私の推測です。
ただ、前方後円墳には後円部分と前方部を繋ぐ括れ部分に「隆起斜道」と呼ばれる傾斜の少ない部分が有ります。
この部分葺き石もされてなく、前方部からの通路だったのでしょうね。
撥に開く前方部先端左側から前方部を登り、頂きを真っ直ぐ墳頂迄行くのが最も傾斜の緩やか通路です。
当然、それは墓道でもあったでしょう。


430:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 17:02:14
>>426

だからこそ
ここは実弟か舎弟かの違いに注目してみたのです。


>>427

貴方も暇人確定ですね

431:日本@名無史さん
08/03/30 17:05:03
>>418
「卑彌呼」と一人の男子王?男子王の名前は?

狗奴国の男王「卑彌弓呼」や「壹與」の名前が書かれているんだから、別に男子王がいたら名前ぐらいは書くよな。
名前が書いてないって事は男子王なんて居なかったてことじゃないか。

432:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 17:06:39
どうやら

『そろそろ埴輪談義をしたいのだが』
と、>>428が言い始めたようだから、この辺りでオヒラキとしますか?

433:日本@名無史さん
08/03/30 17:09:03
>一人の男子王と一人のカリスマ女王がミスターXの陰謀によって共立

河童氏の論は
・男子王は伊都国王
・カリスマ女王が卑弥呼
そして『ミスターXの陰謀によって共立』だと(笑)

では、ミスターXは魏の方ですかね?
それとも別の誰かですかね?

『共立』は皆さんが考えている方が、一番しっくりくると思うんだけど。

でも河童氏によれば、それは『協規』なんだよね?


434:ローガン
08/03/30 17:09:28
>>397
愛知県民さん、神武陵に紀が後世迄触れていないこと、確かにきになりますね!
どのようにお考えになりますか?

435:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 17:11:26
>>431


>名前

そんもの当時あったの?

436:日本@名無史さん
08/03/30 17:14:47
>>435
名前の無い王はいない。

437:改め~壹與ちぁん
08/03/30 17:15:00
原田大六氏と伊都國最後の巫女王の墓「平原1号墳」

氏は被葬者を、実名「玉依姫」として神格化名を「大日孁貴、天照大御神」と称した
人物だとと述べてたらしい。
この巫女王が活躍したのは、原田氏によると二世紀前半以前だったかな?
卑弥呼の時代よりかなり前となるんだが。

438:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 17:15:46
>>433

>男子王は伊都国王


誰がそんな事言ったの?


その前に、伊都国王って何?

439:愛知県民
08/03/30 17:17:37
>>417
改めさん
記紀では系図以外の物語は何も伝わっていないようです。
勘注系図には七世孫建諸隅の妹「大倭久邇阿禮姫命」がいますが、出自は古事記と異なります。
また蝿伊呂泥や蝿伊呂杼は出てきません。

日本書紀では安寧・懿徳・孝昭・孝安の各代にわたって「磯城県主葉江」が登場します。
まるで武内宿禰?
古事記では安寧代に「師木県主波延」その四世孫が蝿伊呂泥・蝿伊呂杼。

440:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 17:17:58
>>436

誰かお知り合いでも?

441:日本@名無史さん
08/03/30 17:22:11
>>438
男王と女王を共に立てたとの解釈は面白いけど違うと思う。


442:日本@名無史さん
08/03/30 17:22:39
河童氏は漢字に強く、意味を良く理解されている方と思っていたが、ガッカリですね。

策士、策に溺れる。

細かい語句に拘り過ぎて、大局を見失ってますね。

>ミスターX
具体的に誰を想定してるのかな?


443:改め~壹與ちぁん
08/03/30 17:23:15
河童さん~細かいところを突っ込まれグロッキーなのか。
レスがふにゃけてるんですが・・・w

私、改めはちと出かけないといけないのでここら辺で席を立ちます。
では、みなさん~またの日を~!

444:改め~壹與ちぁん
08/03/30 17:25:32
みなさん~愛知県民さんの説を考えてみて!
結構、自身ありげに話してるので詳しく調べてみたいんだが、今は手元に材料がないw

では・・・・w

445:愛知県民
08/03/30 17:30:27
>>434
そうですね、少なくとも神武陵は天武天皇の造営ではないでしょうか。
その後またしても忘れられて、明治天皇によって再び造営される。
箸墓の息の長さと対照的だと思います。

446:ローガン
08/03/30 17:45:07
>>413
同意します。北史に「国人共立為王」と有ります。卑弥呼の事ですね。
魏志を読んだ李延壽は文面から、国人が卑弥呼を「共立」したと著したのでしょうね。

447:日本@名無史さん
08/03/30 18:04:11
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

448:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 18:31:53
>>442

>ガッカリ

ガッカリと判断できる貴方の知識は私以上ですから、私にガッカリする事もないでしょう。
私は最初から漢字になんか強く無いし、

449:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 18:46:14
>>446ローガンさん

>北史に「国人共立為王」と有ります。卑弥呼の事ですね


えっ?  国人が倭の国人なら(男王)  自国人なら(卑弥呼)ですよ
これって中国の史書ですよ 基点はいつも自国或いは皇帝

それに北史と後漢書の文は構成がまるで違うでしょ
それを単純比較判断してしまいますか

『後漢書倭伝』

桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。有一女子名曰卑彌呼

『北史倭国伝』

靈帝光和中、其國亂、遞相攻伐、歴年無王。有女子名卑彌呼、能以鬼道惑衆、國人共立爲王

450:愛知県民
08/03/30 18:54:06
河童虫さん
ミスターX=「国人」=道教を信ずる華僑たち
こういう解釈でよいですか?

451:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 18:54:51
>>449補足

自国=当該対象帝国

452:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 19:10:35
>>450県民さん

冊封されてる国を操るのは何時も宗主国
異国の内乱記事を単純に
自国史書に掲載しません。共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。

つまり
共立は、自称王達が今までの慣習に従いリーダーを選んだか、その男子王リーダーに添えるかのように
宗教的な一女子を、帝国の後押しにて立てた

倭の王(リーダー)を二人立てる(立つ)です。

実質乗っ取り
ミスターX=帝国

453:ローガン
08/03/30 19:43:23
>>449
すごく新鮮ですし、且つよく練れているお話なのでしょうね。
河童虫さんの姿勢には頭が下がります。(連日お疲れ様です!)

さておき、魏志と北史について、愛知県民さんのレスに対する同意の論拠としました。
貴方との見解とは確かに違いますね。
見解は違っているとはいえ、貴説の可否とは関係ないですね。
先ほど書き込まれた「後漢書」については意味がよく解りません

454:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 19:46:35
>>412

>共和国は2人だけの国?


これってマジに質問している?
貴方の名誉のために 回答は控えるね(痛い)

455:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 20:06:13
>>453ローガンさん

後世の文章との微妙なニュアンスを言いたかったのです。

後漢書は『桓、靈間、倭國大亂』
北史は 『靈帝光和中、其國亂』

もう最初から記載文に変化が見られ、一方では国人とは触れず もう一方では国人と
そういう微妙な変化には触れずに 比較するのはどうかと言いたかったのです。
共立は『後漢時』の出来事ですので、当然後漢書が当該史書となりますから



456:愛知県民
08/03/30 20:44:33
>>452
はっきりと言われますねえ。
私の表現は曖昧すぎましたね。
「一大率」も帝国からの派遣で、伊都国に常駐しているのでしょう?


457:唐松山
08/03/30 21:01:35
「一大率」も帝国からの派遣で、伊都国に常駐している
もし この様な事実があれば 伊都国比定地に 異文化空間が存在した。
と成り それ相応の 遺物が無くては成らない。


458:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 21:02:13
>>456

一大率は国内防衛ですので、直接帝国とは関係ありませんよ

一大率=一大事

★少ない数で最大の力を(特殊部隊)均一に配備

459:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 21:11:59
そして
一大率には伊都より命令を出す。

だから伊都で『治』

460:愛知県民
08/03/30 21:43:21
>>458
「一大率」という言葉は倭語ではなく、漢語ですよね。
対馬国の官・卑狗、卑奴母離。
邪馬台国の官・伊支馬、弥馬升は倭語ですね。
一大率は女王国の官? 「女王」自体が漢語。
大倭(=都市?)、大夫も漢語で、女王国の官ということですか。

461:九州王朝大好き
08/03/30 21:59:11
>>458
昨日から河童虫さんと意見が一致する?
でも、一大率は国内防衛ではなく国内治安でしょ。

で、この見解はいかがですか?
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 28 >>116より
素直に、東南方向の目的地に向かって唐津(末盧國)を出発しましょう。
国道323号沿いに観音峠を越えて進めば、
唐津から500里で佐賀市大和町(伊都國)に着きますよ。
大和町(伊都國)は肥前國庁も置かれた交通の要衝。
「郡使往來常所駐」及び「特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」
にピッタリの場所です。
隋使が上陸した筑紫國が唐津とすれば、
邪馬臺國(邪靡堆)へのルートは魏使も隋使も同じですよ。

>>460
>「一大率」という言葉は倭語ではなく、漢語ですよね。
「一大國」→「一大率」
「壱支國」→「壱支率」
和語

462:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 22:06:29
>>460県民さん


うん。
倭人伝は倭語と漢語の見極め作業が
第一作業。
それが出来てはじめて前が見えてきます。

463:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 22:26:29
>>461王朝さん

>でも、一大率は国内防衛ではなく国内治安でしょ。

帝国が主となる書物に、国内治安(警察組織)を記載しても意味無いでしょう。
一大率が向いてる方向は『大倭/本州』 列島の中心に位置する巨大地域

464:愛知県民
08/03/30 22:27:05
>>461 九州王朝大好きさん
一大国は一支国だから、一大率も一支率ではないかという説はあります。
けれど、それなら一支国に置くのではないでしょうか?

465:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 22:31:54
>>461王朝さん

>素直に、東南方向の目的地に向かって唐津(末盧國)を出発しましょう。
国道323号沿いに観音峠を越えて進めば、
唐津から500里で佐賀市大和町(伊都國)に着きますよ


佐賀に進みたいなら
先ずはこれをクリアーしてから進んでください。

末盧國の港の東南方向に、伊都があるなら普通

『東南至伊都國陸行五百里』と、記載されますよね

でも、実際に書かれているのは『東南陸行五百里到伊都國』
これでは東南に伊都なんて存在しませんよ

466:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 22:44:21
>>460

一大國=漢語表示の代名詞  壱岐=倭語  一支=倭語音漢語表記

大倭=漢語表示の代名詞

467:愛知県民
08/03/30 23:09:30
>>437
改めさん
二世紀前半以前といえば、倭国王帥升の時代に当たりますね。
平原がオホヒルメノムチの墓とすれば、帥升=スサノヲ説も捨てたものではないでしょう。
卑弥呼とは時代が違うことになります。


468:日本@名無史さん
08/03/30 23:11:46
>「一大率」も帝国からの派遣で、

松本清張も、なんかこんなこと言ってたような気が。

469:九州王朝大好き
08/03/31 00:47:28
>>466
>>461は書き間違い

「一大國」本→「一大率」
「一支國」本→「一支國」
「大」は「支」の写し間違い。

「特置一大率(一支率)・・・・・於國中有如刺史」
「刺史」は漢語

ゆえに
一大率(一支率)は倭語の漢音表記

>>465
意味が異なります。
『東南陸行五百里到伊都國』行路説明
『東南至伊都國陸行五百里』位置説明

『自郡至女王國萬二千餘里』と最後に位置説明でまとめているので、
途中経過の行路説明の文であるのが適切だと思います。

古田氏と同じ結論となりますが。


470:改め
08/03/31 01:02:49
久々に自宅のPCから書き込み~治ったららしい♪

>>467
>帥升=スサノヲ説

私も昔~考えたけど、

帥升=スイショウ、スイシホとか呼ばれてるが、似てるのは「ス」だけだよね。
名が一致しないと思います。

471:愛知県民
08/03/31 01:24:31
>>470
改めさん、おめでとうございます。

帥升という名は中国人っぽいですね。
中国人か、中国名を自称する倭人か韓人のような気がします。

472:日本@名無史さん
08/03/31 01:25:56
>河童氏
>冊封されてる国を操るのは何時も宗主国
>異国の内乱記事を単純に自国史書に掲載しません。>共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。
>つまり
>共立は、自称王達が今までの慣習に従いリーダーを選んだか、

これが普通の見解ではないでしょうか?

>その男子王リーダーに添えるかのように
>宗教的な一女子を、帝国の後押しにて立てた
>倭の王(リーダー)を二人立てる(立つ)です。

あなたはこう言ってますよね?
>共立には帝国の息がかかっているからこそ記事にし、後世の史書も引き継ぐのです。
でも、帝国主導で二人のリーダーを立てたのであれば、『我が国の指導の下、政治・祭事の権限を二人のリーダーに与えた』というような、書き方をするのではないですか?
それが無いのは何故ですかね?

其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。
事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。
この部分は、邪馬台国の成立過程と、卑弥呼の共立を客観的に記載したものと思います。

卑弥呼共立の影に、あなたの言うような
>実質乗っ取り
>ミスターX=帝国
これは無いでしょう。

あったとするなら、証拠を提示して欲しいですね。


473:改め
08/03/31 01:35:28
>>471
>帥升という名は中国人っぽいですね。
>中国人か、中国名を自称する倭人か韓人のような気がします。

帥升=中国人 とか考えてるんですか?それはいけません。

三國志 魏書 東夷傳 倭人伝

倭人と記されてるのなら、倭人とそのまま解釈すればいいのです。
中国人とはどこにも書かれてません。
よってそうゆう考えは出来ないし、深く考えすぎですよ~愛知県民さん

474:愛知県民
08/03/31 01:52:12
>>473
後漢書ですけどね。
中国人は説明不足でした。倭の五王の「倭讃」のような、中国風の姓名とは考えられないかと思ったのです。
吉田孝氏「日本の誕生」によると、漢代には「帥」という姓は少ないですが、「師」という姓は多く、「升」という名も多かった。
「帥升」でなく「師升」と書いた史料もありますから、可能性はあると思います。


475:改め
08/03/31 02:02:48
>>474
後漢書 東夷列傳 倭人伝

後漢書も一緒。

>中国人は説明不足でした。倭の五王の「倭讃」のような、中国風の姓名とは考えられないかと思ったのです。

中国風の名は 「讃」などの一字と聞いてます。

可能性はゼロ! 倭人です。
では又の日を~zzz。。。。



476:日本@名無史さん
08/03/31 02:03:18
「帥升」「師升」いずれにしても卑字でないことから、
他とは違う事情があったと考えるのは鋭いな

477:愛知県民
08/03/31 02:12:00
蝿がらみで、もう少し。
日本書紀本文では、闕史八代の綏靖・安寧天皇の后妃は事代主神の子孫とされていますが、
一書では磯城県主葉江、古事記では師木県主波延の一族としています。
事代主神は「八重事代主神」ともいい、八重はハエに通じる。
葉江には猪手という男弟がおり、女性のようだが、事代主神は女神とはされていない
まとまらないが、眠いのでzzzz・・・

478:日本@名無史さん
08/03/31 02:43:39
「帥升」の藤堂の漢和辞典(上古音、中古音が載っている)で調べてみた。
発音記号が書けないのでカタカナで書くと。

「帥」は、上古音は、シィゥに近い。  中古音はシュィに近い。  
「升」は、上古音は、チィァンに近い。中古音は、シャァンに近い。 

よって、「帥升」は、上古音だと、シィゥチィァン。中古音だと、シュィシャァン。

479:改めドツボ神奈川県民は氏ね
08/03/31 02:56:58
>>476
「邪馬台国」とか「卑弥呼」とかの卑字については誰でも直ぐ気がつくけどなw

ある作家は伊都国に当時の中国語を解する人間がいたんだろうと書いていたw


480:日本@名無史さん
08/03/31 05:23:41
無双オロチの炉利卑弥呼www
いいね

481:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 07:42:25
>>472


>帝国主導で二人のリーダーを


いやっ
帝国主導で動かしたのは『一女子爲王』
もう一方の男子王は
従来通りの国内禅譲。帝国は関係ありません。
だから
以降の記事は卑弥呼中心に描かれる。

482:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 09:06:12
>>469
王朝さん、ちょっと考えて見てください。
別に行路説明と位置説明にわけてる 事には反論ありませんが、


行路方向延長線上に目的地があれば、いちいち分ける必要性がないのです
行路説明を主とする場合、その進路方向に進まないと、目的地に到達出来ない為に要求される説明方法です。
通常、進路方向と目的地方向が異なるが故に起こる使い分け区分ですね。
これは、位置説明も同じです。

位置説明と行路説明とに分けた記載の裏には、このような事情が絡むのです。


目的地方向が、行路方向と同一の場合
分けて説明する必要性はないのです。

483:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 09:39:40
宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。

だから
景初二年六月に『求朝獻』して、明帝病→崩御のドサクサにもかかわらず假金印紫綬
過去に自分等で描いた絵図(共立)故に可能な事

484:愛知県民
08/03/31 09:39:59
>>477 続き。春の妄想。
事代主神はシャーマンであり、その性格は卑弥呼と重なる部分があります。
古事記では大国主神と神屋楯比売の子。
先代旧事本紀では大巳貴神と宗像・辺津宮の高津姫神の子。
八重事代主神=磯城県主葉江であり意富夜麻登久邇阿礼比売命であったが、
事代主は後に男神とされ、意富夜麻登久邇阿礼比売命は蝿伊呂泥の別名とされた。
何故なら蝿伊呂泥は夜麻登登母々曾毘売命の母であったから?

大国主の子・建御名方神は記紀では母は不明ですが、沼河比売という伝承が各地にあります。
ヌナカハ=ムナカタ=ミナカタ?
神沼河耳命(綏靖天皇)とも関係ありそう。

485:愛知県民
08/03/31 10:18:02
>>483
>宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。

河童虫さん、曹氏はないんじゃないですか?
漢から遼東で自立して帯方郡を置いた燕の公孫氏なら分かりますが。
景初二年には司馬懿の公孫氏征伐のドサクサもあり、ここで倭国は燕から魏に乗り換えたんですよね?

司馬懿の名は難しい字だけど、懿徳天皇の懿ですね。
まあ、偶然でしょうが。

486:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 10:44:03
>>485県民さん


だからこそ
邪馬台国は二大派閥政策だと
公孫氏が台頭しようがしまいが、邪馬台国は後漢朝(例え弱体しようが)の庇護下、

男子王派閥が公孫氏にゴマ擦りしようが、帝国の作った卑弥呼制度が存続している限り
帝国との縁は切れずに、禅譲された魏朝に引き継げます。

男子王だって
一応卑弥呼とは国内では同格の王ですから

公孫氏に靡いた卑弥呼なんかに、直ぐ金印なんて渡しますか?
せいぜい印綬止まりでは

487:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 11:29:56
遼東でのさばっていた公孫氏を討伐したのは
確かに司馬懿の功績。
だから後の世までも、その功績は語られた。
しかし
卑弥呼の使を朝獻させ、假金印紫綬にまでに致らしめたのは司馬懿の功績ではない
懿の功績であるならば
真っ先に、晋書宣帝紀にその功績を記し、宣帝の功績を讃えます。
異国に対しての假金印紫綬なんて、重大ニュースの一つですから


でも、触れていない。

488:愛知県民
08/03/31 11:54:27
>>486
>公孫氏に靡いた卑弥呼なんかに、直ぐ金印なんて渡しますか?

なるほど、金印どころか、ついでに征伐されるかもしれませんね。
白村江後の倭国の混乱が連想されます。
私の想像など超える権謀術数があったのでしょうね。

489:日本@名無史さん
08/03/31 12:00:59
そこまで日本列島の中のことに深入りするかな。
現在ほど、交通の便も情報通信手段も発達していない時代であり、
その後の中国歴代王朝と日本との疎遠な関係を考えると、
倭人の世界のことに深く関与したりはしないような。

490:古代
08/03/31 12:18:52
484
事代主神=言代主神は名前にあるとおり神託を司るのでシャーマンというのは当てはまるとして
八重=ハエで 八重事代主神=磯城県主葉江はどうなんでしょうか?
そういえば事代主神の本名めいた別名は伝わってませんね

「日本書紀」の神武紀には、弟磯城、名は黒連を、磯城県主とす・・・とあり
「旧事本紀」には、志貴県主の兄磯城を誅ふ。弟磯城を以て志貴県主と為す・・とあります
この弟の名前が磯城「黒速」、ハヤ→ハエ=葉江でしょうか・・
さて4代懿徳の代に男弟、猪手女泉媛とありますが、わざわざ男弟と書いているという事は磯城県主は
女系相続の一族だったのでしょうか・・・

それはさておき安寧天皇の名前はシキツヒコタマテミノスメラミコト
(磯城津彦玉手看天皇)ですから日本書紀本文の 事代主女五十鈴依媛の子
とするよりは一書の磯城県主女川派媛の子とした方が自然ですね。

ところが安寧天皇の皇后は本文ではヌナソコナカツヒメノミコト(渟名底仲媛命)、
一書では磯城県主女川津媛ですが、その子 神渟名川耳尊(綏靖天皇)の名前は渟名底仲媛命から来ていると思われます。
そうすると、本文が正しかったり、一書が正しかったり・・・
事代主神を祀る鴨氏の方が磯城氏より新しく、鴨氏が力を持ったため本文に挿入させたとか・・・

沼河比売≒渟名底仲媛、渟名底仲媛は沼河比売の一族でしょうか。
沼河比売はどの氏族の神なんでしょうね

建御名方神は別名が南方刀美神といい、製鉄の神さま金子屋神を祀る時
南方に祀る事から建御名方神=金子屋神ではないかと思います
生贄を捧げる共通点も似ています
そうすると沼河比売は製鉄をもたらした氏族?

まとまりがつかなくなってきたのでこの辺で・・

491:九州王朝大好き
08/03/31 12:33:05
>>482河童虫さん
①『東南陸行五百里到伊都國』行路説明
②『東南至伊都國陸行五百里』位置説明

語順が変われば意味も変わります。ニュアンス上の意味が変わるだけのこともありますが。
①は伊都國に行くの意で、実際に行っている
②は伊都國はそこにあるの意で、実際には行っていない

古田氏が30年ほど前に「邪馬臺國はなかった」書いていたことと同じです。
古田論を否定される立場なら意見がかみ合いませんね。
①方向+動詞+至(到)+目的地
②方向+至(到)+目的地+目的地の説明

492:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 12:41:09
>>491王朝さん

実際に行ったとか行かないの話しではないでしょう。
行ってなければ
そこに記された数値の意味がなくなります。

493:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 12:50:19
編纂者である陳壽は何処にも行っていないし、陳壽が調査隊を派遣した話しもしりません。
編纂者からの視点では
資料に書かれた数値が全て平等の資料ですよ
一々測量担当者の名前までは把握してないでしょうから

494:愛知県民
08/03/31 13:25:21
>>490
古代さん、お久しぶりです。
黒速のハヤ→ハエは私も関係あると思います。
綏靖天皇の名は、「ヌナ」と「カハ」があるのでどちらとも言えない感じがします。
建御名方神も謎の多い神ですね。
神代や闕史八代については、永久にまとまらないかもしれませんが、
自由に発言したいものです。

495:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 13:50:40
>>494

黒速=葉江
は別として

ハヤ=ハエ(はゑ)
の、言葉としての関係は


はゑ⇒はや
と、 「はゑ」 があるから「はや」がある という関係です。


さけ があるから さか
あめ があるから あま
ふね があるから ふな

496:愛知県民
08/03/31 14:14:47
>>495
河童虫さんは言語がご専門でしたっけ?
おかしなこと書けませんね(笑)ありがとうございます。

>>478
>よって、「帥升」は、上古音だと、シィゥチィァン。中古音だと、シュィシャァン。

「スサノヲ」に似ていなくもないような・・・?
河童虫さん、言語学的にはどうなのでしょう。
スサノヲは強烈な個性を思わせるし、外国との関係も語られているので
外国史料に残っていてもおかしくはないと思いますが。

司馬懿と懿徳天皇、無関係に決まってるけど気になるなあ。
ついでに司馬懿と邪馬壹國も似ている。
おもしろい偶然ですね。
また週末です。zzzz・・・

497:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 14:52:18
倭の五王


中国の史書に「武」と表記されれば
合言葉のように、その該当政権の「始祖(初代)」

日本書紀は
初代に関して、実に千年以上さばを読んだ形。

498:日本@名無史さん
08/03/31 15:20:41
>中国の史書に「武」と表記されれば
合言葉のように、その該当政権の「始祖(初代)」

「武帝」は確かにそうだが、倭の五王は4代と5代で王朝が変わったのかな?

499:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 15:59:00
>>498

>変わったのかなぁ?

じゃなく
帝国ではそう判断したから『武』と表記した。
滅多やたらに使用出来ないですよ
適当に当て字してたら、誤解されますし、他の武帝をかるんじる事にも繋がります。

500:サガミハラハラ
08/03/31 16:24:23
ちょっと出かけている間にレスがバンバンすぎさっていきましたね。
>>389どちらも同じ意味では?
>>403 えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。

邪馬台国を語るまでに7~8年  ながすぎますか。一々検証しながら研究を進めたものですから。
私の邪馬台国行程論は「東アジアの古代文化を考える」のHPの討論室に書き込みをはじめていますのでそちらをご覧ください。
このスレにかきこんでのレスの数が多すぎてあっというまに流されてしまいますから。

501:日本@名無史さん
08/03/31 16:27:31
『武』は倭の五王側の自己申告によるものでしょ?
倭の五王時代には中国では王朝が次々に替わったので宋、斉、梁に「武帝」がいる。
斉、梁の「武帝」は『武』と同時代人だ。
倭の王は「武帝」は中国王朝の始祖の名称だと知って使ったものでしょ。

>滅多やたらに使用出来ないですよ

倭王が厚遇されていたから、中国皇帝と同じ名前『武』の使用を許したのでしょう。


502:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 16:55:53
>>501

>申告


宋書にある上表文に『武』なんて申告は無かったですよ
それに、申告にて『武』が認められるなら『皇帝武』でもOKでしたね

503:日本@名無史さん
08/03/31 20:40:12
コテハンの巣窟ワロタwwwwww

504:横槍
08/03/31 20:50:45
ご無沙汰です。
亀ですが
>>476
>帥升」「師升」いずれにしても卑字でないことから、
>他とは違う事情があったと考えるのは鋭いな

川勝義雄著『魏晋南北朝』を読むと次のような文章が出てきました

『やがて山西省を制圧した曹操は、内部崩壊した匈奴諸部族を、地域ごとに、左・右・南・北・中の五部に分割して統治した。
 各部はそれぞれ数千から一万ばかりの「落」からなり、その中から「帥」を選んでこれを統率させた。』

つまり帥升の帥は名前ではなくて役職の可能性が高いと思われます。。。。。


505:aratame_himiko♪
08/03/31 21:21:18
>>500 サガミハラハラさん
>えっ、河童氏に論破されてしまったんですか?驚きました。

チト簡単に調べてみたんだが、河童氏の言ってることがおかしいというか。
倭人伝に記されてるのは、「殉葬」ではなく「彳旬葬」ですよね。

「彳旬」葬者奴婢百餘人
URLリンク(www.netlaputa.ne.jp)

「彳旬葬」・・・不明。  (巡)葬?ぽいんだがどうでしょう?
「殉葬」・・・主人の後を追って死ぬ「-死」、大事なものの為に死ぬ。

卑弥呼の死にともない、生き埋めされたと思ってた「奴婢百餘人」。
この奴婢百餘人は卑弥呼の葬儀で各地を巡ったということ。(服従の意味もある)。

こんな感じでどうでしょう?みなさんの意見は?

506:aratame_himiko♪
08/03/31 21:29:55
ちなみに辞書で調べると。

<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン 
    ・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
    ・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。

「殉」 ・読み:ジュン 
    ・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
    ・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、むさぶる、追い求める)、
        いとなむ、めぐる。
みなさんの意見は?

507:サガミハラハラ
08/03/31 21:30:10
殉葬は生き埋めではないですよ。
各地を巡るのと手厚い葬儀となんの関係が。
これはやはり、最高の手厚い葬儀では殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよいと思います。

508:aratame_himiko♪
08/03/31 21:32:02
ちなみに辞書で調べると。

<旺文社 漢字典>
「彳旬」・読み:シュン、ジュン 
    ・解字:「彳」と「旬」巡り歩く意。転じて「となえる」借りて「したがう」の意。
    ・意味:めぐる(巡る)、となえる(広く告げる)、したがう(服従させる)。

「殉」 ・読み:ジュン 
    ・解字:死の意味の「歹」と音を表す「旬」とで死者にしたがって死ぬ意。
    ・意味:したがう(主人などのあとを追って死ぬ、生命を投げ出しつくす、
        むさぶる、追い求める)、 いとなむ、めぐる。

みなさんの意見は?


509:aratame_himiko♪
08/03/31 21:34:02
>>507
>殉葬は生き埋めではないですよ。

ん~よく知らないんですが、生き埋めの場合はどうなるんでしょうか?

510:aratame_himiko♪
08/03/31 21:41:43
サガミハラハラさん

魏志倭人伝に記されてる『「彳旬」葬者奴婢百餘人』の
「彳旬」の字は「死」の意味が含まれてませんよ。

それをどうして「殉死者をともに埋葬すると判断したほうがよい」となったんですか?
わたしはこの辞書で調べた結果、とてもそうとは思えないんですが。

貴方が言ってるのは「殉死」じゃないんですか?
こっちは「死者に従って死ぬ」という意味が含まれます。

511:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 21:53:30
紹煕本影印も紹興本影印も、ともに『徇葬者』

それでも『殉』と
言うなら、オラ知らね。

512:aratame_himiko♪
08/03/31 21:56:19
死の意味の「歹」

ちなみに、
殉葬:死者とともに埋葬する。
殉教:信仰のために命をささげる。
殉国:国家の危難を救うために働いて死ぬ。
殉死:死んだ主君のあとを追ってその妻や臣下が死。

貴方達が言ってるのは『殉葬:死者とともに埋葬する』。

これです! 倭人伝にはどこにも記されてません。

513:日本@名無史さん
08/03/31 22:02:17
おいらの辞書には
「彳旬」 したがう あることのために一身を投げ出す 同:殉
ってなってるな。


514:aratame_himiko♪
08/03/31 22:02:34
おっと~河童さんの登場ですが、わたし改めは食事をまだとっておらず、
これからです。

又、後で出来ますがサガミハラハラさん~ちゃんと説明してくださいネ!
いつもボタンを掛け間違えてるというか、意味が分かんないんですよ。サガミさん


515:日本@名無史さん
08/03/31 22:21:53
殉葬と言えば、古代シュメール文明に由来するものですね。
そういう悪習を断ち切っただけでも秦の始皇帝は文明人です。
しかし、ツングース系の騎馬民族は、討つ取った敵のシャレコウベ
と盃にする文化が残っていて、信長なども好んで頭蓋骨で杯に使って
いました。出雲が国譲りをしたのも、そんな恐ろしい習慣を残すニニ魏の
子孫とは一緒に暮らせないと思ったからに違いありません。

516:健吾教№教祖 ◆nxCnFY2L2.
08/03/31 22:23:46
卑弥呼は障害者であった。
2Mの高さから落ち、頭を打ってパニック死。

その障害がゆえ、人々にネ申と崇められて、弥生人の崇拝の的になった。

517:サガミハラハラ
08/03/31 22:27:05
角川漢和中辞典「ギョウニンベンに旬」は身をもって物事にしたがう、とあります。
ジュン国とは身をもって国家のために尽くす。とあります。
そうすると、身をもって葬式にまたは主人に尽くすとなります。
しなずに一生懸命葬式の準備をしただけなら、魏使は記述しなかったでしょう。
となるとこれは殉死したということになります。
つまり、身をつくす最高の形ということになります。

518:aratame_himiko♪
08/03/31 23:07:47
>>517
>殉死したということになります

倭人伝に記されてるのは『殉死』ではなく『徇葬』だって何度もいってるんですが?
貴方が言ってるのは『殉死』です。

『殉死』とは「殉葬:死者とともに埋葬する」。
よって死者とともに埋葬されてないということになります。

河童さん~こんな感じですよね?

519:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:15:27
>>518

「死」の主役は 死人
「葬」の主役は 死人の対岸


と、言うのはどうですか?

520:日本@名無史さん
08/03/31 23:20:00
昭和天皇がなくなった後も何人もの人が自殺しましたよね。
古き良き時代の日本の伝統です。


521:aratame_himiko♪
08/03/31 23:23:26
>>519 河童さん
>「死」の主役は 死人
>「葬」の主役は 死人の対岸

それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?

サガミさん
513さんも言ってるように、
『殉死』、『徇葬』共に・・・ したがう あることのために一身を投げ出す

で同じ意味の「従う」、私もさっき辞書を見たが、そんな感じでしたよ。

「殉」に関しては「死者以外にも死人がいる」わけです。
「徇」は「まわる」とか「巡り歩く」とかの意味と感じる。

百人が卑弥呼の遺体を担ぎ歩いたのかも。
そんなイメージです。


522:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:39:03
>>521

>それは当たり前でしょ。そんなの聞いてるんじゃないんですよ!
以前、貴方はこれのことをサガミさんに言ってたんですよね?


当たり前だからこそ見失うものがあるんですよ

徇葬者奴婢百餘人
(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?



523:aratame_himiko♪
08/03/31 23:41:58
>>452 河童さん
>実質乗っ取り
>ミスターX=帝国

何を言ってるんだこの人は(笑)

>>483
>宗教色の濃い卑弥呼制度(共立一女子爲王)という離れ業の絵図を描いたのは帝国(実質、曹氏)。

「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。

そんな状態で離れ業ですか?ウルトラCというわけですね。
それは貴方の職場の腹黒い上司の話では?
同じ場所にいれば可能ですが、列島と大陸です。
わたしはそのような「黒幕は帝国」みたいなイメージはもってませんので!


524:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/31 23:44:15
>>523

>「離れ業の絵図を描いたのは帝国」といってますが、当時は「一海渡るのも命がけ」と聞いております。

親戚の方にでも?

525:aratame_himiko♪
08/03/31 23:52:22
>>522
>徇葬者奴婢百餘人
>(葬る者奴婢百餘人)ですか?(葬られる者奴婢百餘人)ですか?

わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?

んで「葬られる者奴婢百餘人」なら、どのような漢字になるんでしょう?

>>524
共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の~を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。

526:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:02:15
>>525

>わたしは今、徇葬者奴婢百餘人というのは「葬る者奴婢百餘人」といってるわけですよ。
貴方はどう考えてるのですか?私と同じですか?

(葬られる者奴婢百餘人)

卑弥呼以死徇葬者奴婢百餘人 と、考えていますし
その葬られる者奴婢百餘人を葬った奴の事も考えています。

527:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:08:49
>>525

>共立とかいてるから「共に立てた」と普通に解釈すればいいわけですよ。
どこにも「帝国の~を受けて一女子が立つ」など書いてナインだから。


そう考えられない人はそれでいいんじゃないのでしょうか?
こちらも、無理にそうしろとも言えませんし、それを説得しようとも考えていません。

528:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 00:16:17
私は

卑彌呼以死(徇葬者奴婢百餘人)そして  大作冢徑百餘歩

卑彌呼以死(更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人)


と、考えています。



529:aratame_himiko♪
08/04/01 00:17:24
卑弥呼以死「殉」葬者奴婢百餘人

なら、「葬られる者奴婢百餘人」でスンナリ決まりだが、
「死者以外にも死」の意味を持つ「歹」の「殉」ではなく、
「まわる」とか「巡り歩く」などの意味もつ「彳」の「徇」が使われてる。

卑弥呼以死「徇」葬者奴婢百餘人

この「殉」、「徇」の違いについてみなさんの判定は?

わたし~そろそろ眠いのでこの辺で席を外します・・・zzz

530:日本@名無史さん
08/04/01 17:18:07
>>523
その通り!

531:九州王朝大好き
08/04/01 18:10:24
>>河童虫 ◆EY2wfgakAQさん
遅れ遅れの亀レスですが。

『其國本亦以男子爲王・・・乃共立一女子爲王』

男王と女王の2王が共立したんだね。
男王が伊都國にいる王、即ち倭王。
女王は卑弥呼、即ち巫女。

俀國と同じ二元統治、
兄王にあたるのが宗教王の卑弥呼・壹與、
弟王が世俗王の伊都國にいる『世有王』。

倭の二元統治は歴史的な体制、琉球と同じ。



532:九州王朝大好き
08/04/01 18:12:41
>>531の間違い修正
×歴史的な体制
○伝統的な体制

533:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 19:03:45
>>531王朝さん


簡単に言えば二元政治です。
二元で考えないと
共立や一女子の解釈が出来ないでしょ
しかし
普通の二元ではなかった
伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を
卑弥呼は本国にて宗教的に

534:九州王朝大好き
08/04/01 20:00:02
>>533
×二元統治
○二元政治
統治は一大率

>伊都には一男子王だけではなく、各王達が寄り集まりグループの政治を・・・
各王達ではないですよ。
伊都國と狗奴國を除くと、各国にいるのは官だけですから。

官は王(兄王・弟王)になり損ねた人物かな?(各国では兄王であり弟王の立場?)
時代が変われば王となり得る人物。
耶馬壹國には「有男弟佐治國」なる弟王にあたる人物がいるからです。
以上はあまりにも推定事項。

狗奴國男王卑彌弓呼は兄王であるか弟王であるかは不明。

535:電車男
08/04/01 20:05:38
卑彌呼。。。巫神時代

536:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 20:34:49
>>534王朝さん

>各国にいるのは官だけですから。

そうですよ
王たちは『皆』伊都國勤務ですから(江戸期の常府制と同じ、或いは現在の国会議員と同じ)
各国の政務は狗奴國を除いて『官狗古智卑狗不属女王』皆女王支配の官たちが

その官の大部分(全部)が女性官


537:九州王朝大好き
08/04/01 21:14:30
>>536 河童虫さん
各国の王たちは『皆』伊都國勤務であることがわかる理由は、
『世有王』だからですか?

538:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 21:34:20
>>537王朝さん

>『世有王』だからですか?

『世有王皆統屬女王國』

後漢書にて
『使驛通於漢者三十許國國皆稱王世世傳統』


からです。

539:aratame_himiko♪
08/04/01 21:58:36
『殉葬』、『徇葬』の違い

昨日の私のレス~やっぱりおかしいよね。

どう考えてもそこには「生き埋め?」的な意味が入るのがふつう。
しかし、『徇葬』を辞書で調べても「生き埋め」的なものはそこにはなかった。

他所のスレからだが、こうゆう考えもある。
>殉死=後を追って死ぬ。その者を葬るのを殉葬。
>徇葬=主墓の廻りを取り巻き守って葬る。
>従って、生き埋めではなく、主人の墓の廻りに、死後埋葬されたのでは?。



540:日本@名無史さん
08/04/01 22:11:29
しかし、なぜ卑弥呼の時代の朝鮮半島情勢や、中国の王朝について
検証しようとしないのか不思議です。勉強不足なのか、それとも意図
的に無視しているのかわからないけれど、魏に朝献したということは、
卑弥呼の国は中国の王朝のしきたりを心得ていたということだし、渡
来人の王朝だったか、もしくは渡来人の進言により使者を送ったとい
うことになります。

邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。


541:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 22:21:15
>>540

>邪馬台国が魏に使者を送ったのは、敵対する句奴国が呉と同盟関
係にあったと解釈することもできます。

それに関連する文献が出て来れば
そう解釈してもいいんじゃない   
皆がそれを口にしないのは、そのような史料事実がないからだよ

頭の中でそういうストーリーを描いている人はいると思う。
ただ、その裏づけがないから皆黙っているんだよ

542:aratame_himiko♪
08/04/01 22:23:45
河童虫 ◆さん、九州王朝大好きさん

お二人は二元統治の解釈が間違ってますよ。

「其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子為王」

「其國」=「倭」。
『「男子為王」、「女子為王」を共に立てる』?どこに書いてるんですか?

同じ「其國=倭」王だが、七八十年も時間が経過してるのです。
『時』が全然違うのです。
「七八十年」について、貴方達はどのように考えてるんですか?

543:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 22:30:24
>>542

>何処に書いてあるんですか?


「一女子」

544:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/04/01 22:49:40
>>542
帥升生口献上の107年を基点としたときに、倍暦計算を考えながら

 107+70=177年 孝靈天皇吉備行幸の翌年(日野郡誌)
 107+80=187年 孝靈天皇崩御

を得ています。孝靈は倭国大乱の関係で吉備へ行ったのではあるまい
かとの考えが浮上して来ます。
梁書によれば倭国大乱は 178年~183年で すから、孝靈の時代に
あわせると good に思います。

日御崎神社社伝によれば 孝靈61年=182年(倍暦) に月支国王らが
船団で出雲攻撃を行ったものの神風らしきものが吹いて退散したとの
由緒書きですから、これも倭国大乱終結年の前年のことから、大乱に
乗じて月支が攻めに来たのであろうとの考えのところです。

545:aratame_himiko♪
08/04/01 22:55:29
「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?

一女子=一人の女子

男系(男子)⇒女系(女子)に変わったわけではなく、「一人の女子」が立てられたのです。
それに「倭國亂」てあるでしょ。
卑弥呼は救世主なんですよ。今で言えばヒロイン?

ていうか二人とも~こんな初級レベルの説明をしなければ分からないレベルだっけ?!

546:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:03:08
この辺で一言言っておくけど

『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞。』


この記事が邪馬台国(或いは倭)の事を書いた記事と考えているのなら
この話題をこれ以上続けても
まるで私の視点と違うので、たぶん話は永久に平行線になると考えるから
私は降りるよ


私は邪馬台国グループの中の一部である中枢本国(卑弥呼の居する国)の記事と考えて話を進めているから

547:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:11:03
>>545

>「一女子一男子」何てどこにも書いてませんが?

そう一から十まで書いていないと読めないようじゃ、とても倭人伝(いや、古漢文)は無理だよ


人は基本的に『女子』の他には『男子』しかいない (道里)
『一女子』の対岸には『複数の女子』
この場合、複数の女子を王とする慣習が存在しないとなれば、当然その対象はもう一方の『男子』となる

よって『一女子』の対岸は『一男子』  (理の理)

しかも「共立」

548:aratame_himiko♪
08/04/01 23:23:00
乃共立一女子為王

これが「乃共立女子為王」なら男系から女系に変わったという解釈も出来るだろう。
たった~の「一」一字だけ入るだけでその内容も意味も違うのです。

さすがは「陳壽」ということか。

では~寝ますzzzz・・・・・・・・・。

549:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:31:11
>>548

>さすがは「陳壽」ということか。


こんなのはほんの序の口(小学生レベル)
それが中学生レベルになると

『魏志倭人伝』

其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子爲王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國自爲王以來少有見者以婢千人自侍唯有男子一人給飮食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞


『後漢書倭伝』

桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飮食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衞法俗嚴峻


この両方の記事が、全く別物に読める人は中学生レベルクリアー



と、いうことで

550:九州王朝大好き
08/04/01 23:44:48
>>545 明日にも読んでね

「乃」の意味が抜けていますよ。

『其國 本亦 以男子為王・・・・・乃 共立 一女子為王』

倭國にはもともとの男子王がいる。そしてそこに(並立)一人の女子を王として共に(ダブって)立てた。
二王体制です。
男王は世俗的弟王 昼に政務をとる昼の王(俀國伝参照)
女王は宗教的兄王 夜に政務をとる夜の王(俀國伝参照)
世俗政治は伊都國にいる男王がし、世俗統治は一大率がする。

551:aratame_himiko♪
08/04/01 23:51:52
>>550
>「乃」の意味が抜けていますよ。

乃=すなわち

二人とも初心者さんから笑われてるよ では~!

552:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:53:06
先日も少し話題にのぼった(県民さんから?)

後漢書倭伝

『相攻伐歴年無主』

魏志倭人伝

『相攻伐歴年』


確かに倭人伝には『無主』の文字はない


ここってものすごく大事な部分(ここの意味が分からなければ、永久に倭人伝は把握出来ない)

553:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/01 23:56:18
>>550王朝さん

後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
ここには書かれていませんよ

554:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/04/02 00:02:47
>>551


>二人とも初心者さんから笑われてるよ では~!


王朝さん
初心者に笑われているようだから、もうここには書き込まないほうがいいかも知れませんね
私はこれ以上笑われるのは嫌だから、そうするつもりです。



では、残り400強のレス頑張ってください

555:九州王朝大好き
08/04/02 00:17:05
>>553
>後世に書かれた書物を見ないと分からない(判断できない)内容なんて
>ここには書かれていませんよ

理解し易い様に蛇足的解説を付けただけです。
ちょっと脱線し過ぎたかな?

556:日本@名無史さん
08/04/02 01:38:21
僕は現代中国語ならわかりますが、「~乃共立一女子~」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
「乃」は、それで、程度の意味だし
「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。
「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。

まあ皆さんの方が古漢文には詳しいでしょうから、あくまで今の中国人が読んだら、という前提では
参考にもならないと思いますが、通りすがりのスレ汚しです。失礼しました。

557:九州王朝大好き
08/04/02 11:19:56
>>556
>「~乃共立一女子~」っていえば、やはりダブル王様じゃないですね。
>「共」はダブル王様を意味するなら、「併」とかを使いますね。

河童虫さんが他スレにも書いていることですが、
「併立」なら同質の王になります。
役割分担が異なる異質の王だから「共立」にしているのです。


>「乃」は、それで、程度の意味だし

そうです。「乃」の前後の文(句)が並立関係であることを示しているだけです。


>「一」は、累代複数の男王に対して、初めて、あるいは久々に、といった意味にとらえてしまいます。

その通りです。既存の男王に対ししてダブルになることをも強調しています。
ちょっと蛇足:この場合の男王達は従来邪馬壹國から輩出していた卑弥呼と同質な王(宗教王)であって、
伊都國にいるような異質な王(世俗王)のことではありません。


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