謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!17 - 暇つぶし2ch100:aratame_himiko♪
08/03/23 00:18:02
今~どこのスレも荒らされてるみたいだね...。

>>95
>「神」が二代続くというのは少し変とは思いませんか?
>江戸幕府で言えば、家康と秀忠がともに「神君」とされているような違和感があります。

少し変というか「特別」という考えです。

私の場合は「邪馬台国は邪馬台国」と考えてるので大和朝廷での特別な存在と考えてしまうが、
もっと愛知県民さんみたいに「邪馬台国は大和朝廷」という風な考えで解いていったほうがいいかも知れませんよね。
本当にそれが、日本建国と関係があるのかは謎である。




101:日本@名無史さん
08/03/23 00:20:54
>>87
>17より15の方が上に来ちゃうと腹立つよね!w
>せっかくの土日なのに~お客さん持ってかれちゃう...やんww
お客さん???
>ていうか、スレ主ってほとんど雑用係ってこと知らない人多いよね。
>ソース出したり~初心者さんの対応したり、雰囲気作ったり、
そんなこと誰も望んでないわ。むしろあなたのそういう行為が
雰囲気だいなしにしてるってのが、何故わからないはてな

>クレーム言いに行ったり。
クレーム? 他スレをつぶしにいってるだけじゃないか。荒らし行為そのもの




102:aratame_himiko♪
08/03/23 00:22:58
>>98
こうゆう子供にはまず言いたいことを全て言わせてスッキリさせましょ!

てか~わたしは君たちの保護者や精神科医担当者やないちゅーねん!

とりあえず荒らすな!!
まったく~14の時は荒されてたほうだよ。やり返したら荒されなくなったが。

103:aratame_dotubo♪
08/03/23 00:24:37
あぼーん

104:aratame_himiko♪
08/03/23 00:27:04
さて、愛知県民さん~こうゆう場合はスルーでいきましょうか。
んでは~妙なのが来たのでわたし改めは~寝ますか。

ではまた明日です~!Zzzz。。。。

105:日本@名無史さん
08/03/23 00:27:17
>>102
>>46-47にある昨夜の貴方の書き込み抜粋。
あれは荒らし行為ではないとでも?

106:aratame_himiko♪
08/03/23 00:28:02
すっぽんぽーん

107:愛知県民
08/03/23 00:30:26
「日本建国」は7世紀後半、白村江の敗戦と壬申の乱以後とすべきでしょう。
邪馬台国→大和朝廷はあくまで「倭国」で、日本国の前段階ととらえるべきと思います。

108:日本@名無史さん
08/03/23 00:34:06
>>107
愛知県民さんは、
>>46-47にある荒らし行為をどう思うの?



109:日本@名無史さん
08/03/23 00:36:32
どうみても、終止符スレの現状は異常だよ。
いちどぶっちゃけて話し合ったほうがいい。

110:aratame_himiko♪
08/03/23 00:37:18
>「日本建国」は7世紀後半、白村江の敗戦と壬申の乱以後とすべきでしょう。

そこは私も同じ考えです。

>邪馬台国→大和朝廷はあくまで「倭国」で、日本国の前段階ととらえるべきと思います。

わたしは邪馬台国(倭国)は7世紀に大和朝廷(倭種)により併合されたという考え。
併合される前の邪馬台国は規模が小さく大和朝廷みたいな立派な感じはしないが。

では・・・zzz

111:aratame_himiko♪
08/03/23 00:38:36
>愛知県民さん

変なレスにはスルーで!

112:aratame_dotubo♪
08/03/23 00:42:33
             _,..  -──-  、..
          ,. ‐ '"~´ / ̄ ̄`~`''‐ 、     `` 、       貴様!!
        , '´    /     /    `''‐、     \
      , '‐''"~´ ̄ ̄`~`ヽ、 /          \     ヽ   スレッドが氏んだんだぞ!
.   /             ̄``''‐.、     ∠>ヽ./\ ヽ  いっぱいスレッドが氏んだんだぞ!!
.  /             _____   \     /゚ /   ヽヽ
 〈       ,. ‐''"~´      l  ``''‐、 ヽ.    / [ [[[ ヽi 遊びでやってんじゃないんだよっ!!
.  ヽ.    /ヽ、_,. -┴─-== __=-'_、_, \、_/      _l
.   |   / 、.__/ ノ!ヽ、._ー-‐''⌒,r=-─ゝノ|| ∥  ̄ ̄ ̄  |  スレは…スレは力なんだ
   !  {   / ,イ{ ヽ ( 〈、_,.ィrヮー< _,リ_|| ∥         !  スレはこの2chを
   ヽ :ヽ _{. 〈.'`ァrッ‐、- - ,, ヽ-‐='..ゞ.{_.|| ∥        :l      支えているものなんだ!
.     `‐、\\ヽヽ-‐ツ ''´         `{_ |! ∥       !  それを…
      :   |{_ ヽ.i. 〔ー-            { !.  |!__       ,'   それをこうも簡単に失っていくのは
.       :  |{_ _)l   `,ィ-─_、    //  | 0| ___/   それは、
       :   |{_ ミ. !  ヽ ̄,.-‐) .//    /l ̄ __/    それはひどいことなんだよ!!
      :  |{ ,.`ヽ.   `ー '´.∠‐'´    /'´ ̄ノ,ノ/    何が楽しくて荒らしをやるんだよ!!
        ,l ‐''"~´ ̄ ̄ ̄l~´      /-─<´
       |  「 --┘    |___/  `!     |     貴様のような奴はクズだ!
          L.. -─ ''_""~ ̄‐''"~´l       |    |     生きていちゃいけない奴なんだっ!!
          ̄「 |  |      |   _,,.⊥_-‐ `


113:ローガン
08/03/23 00:49:17
記紀等に邪馬臺国が見えない以上、大和朝廷と邪馬臺国は直結しないでしょうね。
大和王権として纏まり始めた頃、後の大和朝廷への布石だと考えれば何方にも理解しやすいでしょう。

114:愛知県民
08/03/23 01:05:19
>>113
ローガンさん
>記紀等に邪馬臺国が見えない以上、大和朝廷と邪馬臺国は直結しないでしょうね。

日本書紀にあるでしょう?神功皇后紀に引用されていますよ。
ただし「邪馬臺国」「卑弥呼」という文字は避けていますが。

115:日本@名無史さん
08/03/23 01:13:38
>>114
愛知県民氏。
>>108はスルーですか? 
今の混乱についてあなたなりの意見があってもよいような気がするのですが。

116:愛知県民
08/03/23 01:27:35
>>115
そこだけ見れば、神奈川県民さんが悪いように見えますが、どっちもどっちではないですか?
2ちゃんねるのルールもあるが、神奈川県民さんがずっと立ててきた経緯もあり、
管理側も判断しかねているのでしょう。
判断が出ればそれに従うしかないわけで、またその時点で考えましょう。

117:ローガン
08/03/23 01:50:45
>>114
愛知県民さん。
空想ですが…
箸墓の被葬者について紀は知らなかった。ただあの地域に大きな墓が造られはじめたのはかなり昔である認識はあった。
中国文献を知るに及んで我が国に昔、女性王がいた事を知った。
「神功」と考えたかったが手持ちの資料と符号しない。
子を成さない神婚譚の百襲姫と、夫婿無し巫女王を重ね合わせ、
箸墓の被葬者を百襲姫としたのではないかなあ?なんて考えます。


118:ローガン
08/03/23 02:08:03
神功紀の39年、40年、66年は本文無し。分注のみですね。
「後人の挿入」説も考えれるかも、です。

119:ローガン・ファン
08/03/23 02:28:47
>>117-118ローガン氏へ こんばんわ~   ・・・ローガン・ファンより

二つのレスのうち>>117は「???」なんだけど、>>118には我が意を得たり!だったよ。ww

2ちゃんだけでなく、ほとんどすべての邪馬台国関連ホムペでも
「後人の挿入」説を全く扱ってなく、誰も意に介してないのが不満だったんだ。

やっと「後人の挿入」説に言及する人がでた!www
応援するよ、がんがれ!

120:改め
08/03/23 03:55:00
「平原1号墳」
よく卑弥呼の墓を平原1号墳と考える人は多いだろう。
はたして本当に平原1号墳は卑弥呼の墓か?

九州 福岡県前原市にある平原遺跡、その1号墳からは大量の豪華な副葬品や、
直径45.6センチメートルに及ぶ日本一の大鏡(内行花文鏡)と
多数の鏡等が出土さてたという。
この1号墳を卑弥呼の墓とみた場合、倭人伝の記述との整合性はどうなのか。

<魏志倭人伝より>
卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。

「徇葬者奴婢百餘人」の「徇葬」を同じ墓に葬ったと理解すると、
平原1号墳にはそのような多数が徇葬されたような形跡はないと聞いてる。
つまり倭人伝の記述には合わないとする。

平原1号を卑弥呼の墓と考える人は「徇葬されたような形跡」についてどう説明するのでしょうか?
私は日本一の大鏡(内行花文鏡)が出土されたというからそれなりの王の墓と考えるが、
やはりここではないとしている。それに本当に女王?

121:改め
08/03/23 04:03:39
「徑百餘歩」について一歩は六尺、魏代の一尺は約二十四センチ
ようは、百歩は百四十四メートルと聞いている。
約百五十メートルという見方もできる。
平原1号墳は東西十四メートル、南北十・五メートルの墓でとうてい及ばない。
墳だけではなくその周りの囲いも入れてという意見も出てきそうだが
本当にそう解釈していいのだろうか?疑問が残る。

これでも平原1号墳を卑弥呼の墓だと言うのでしょうか?
いろんな人の意見や考えを聞いてみたいです。

122:改め
08/03/23 04:19:36
漢委奴國王(なのわのこくおう) 金印
現在、「委」は「倭」の変化する前の字とみて「委」わ、「奴」なの「國」
と一つずつ区切って読み、魏志倭人伝で伊都國の東南,百里に位置する
「奴國」にあてるのが定説となっている。
また奴國(イト・イド)王と読んで伊都國に当てる学者もいるときく。

魏志倭人伝に記される「東南至奴國百里」、「次有奴國」これらは
同じ「奴國」としてみるのか、又別々と考えるのか意見が分かれるところだろう。

私は別々に捉え、何かしらの関係を持った国同士的な考えでいる。
みなさんの考えはどのようでしょう?

123:改め
08/03/23 04:21:44
訂正
訂正前:漢委奴國王(なのわのこくおう) 金印
訂正後:漢委奴國王(かんわのなのこくおう) 金印

眠いかも・・・w

124:改め
08/03/23 04:32:00
五七年に遣使し金印(印綬だが、金印とここでは書く)を下賜された
「倭奴國」はこの魏志倭人伝の「奴國」なのだろうか?

後漢書倭人伝
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

125:裕香
08/03/23 06:20:45
重複です。移動して下さい。

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!15
スレリンク(history板)

126:日本@名無史さん
08/03/23 11:06:41
乱立させるならどっちかに削除以来出しとけ

127:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/23 11:19:21
>>121

度量衡の整理しっかりやらないと
馬鹿学者と同じになっちゃうよ

128:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 12:00:26
>>118 ローガンさん
挿入したという根拠はあるんですか? 想像でしょう? そうならば紀は
九州に女王国があったという文があって、それを誰かが削除したんだと主張して
もこの論法も言い分ができますよ。

129:愛知県民
08/03/23 12:02:16
ローガンさん
>>117
箸墓伝説のうち、大坂山の石を運んだという部分は、現代の調査で裏づけられているようですね。
被葬者は分かりませんが。
一方「神武天皇陵」は埋葬以後、壬申の乱まで書紀に登場しないという不自然さがあります。
延長された紀年(倍暦かもしれませんが)に縛られて、百襲姫を魏の時代とはできなかったか?

>>118
「後人挿入説」はどうかな?
神功皇后の摂政期が漢末・魏・晋初になっているのは偶然とは考えにくいと思います。


130:日本@名無史さん
08/03/23 13:05:08
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

131:日本@名無史さん
08/03/23 14:19:13
>>126
とっくの昔に出しとる出しとる…

132:愛知県民
08/03/23 14:47:16
其地大較在會稽東冶之東,與朱崖、儋耳相近
後漢書倭伝の倭国は、むしろ夷州(台湾)に近いようです。
隋書倭国伝でも、秦王国は夷州ではないかと疑っている。
倭と夷州で、情報の錯綜があったようですが・・・

また来週です。zzz・・・

133:日本@名無史さん
08/03/23 14:56:19
邪馬台国の所在地について、イマイチ決定打が無いよね。


134:日本@名無史さん
08/03/23 15:00:20
決定打がないからこその考古学

135:ローガン
08/03/23 17:43:29
>>119さん ありがとう。
ただ、昔からある説の事の触れただけで、自身でも正直?です。
この機会に爼上に上がれば…
良ければお説を聴かせてください。
>>128 太国さん
と、すれば紀のどの部分に削除が想像出来るような箇所があるのでしょうか?
>>129愛知県民さん、そうですね。墳丘から大池への転落石が柏原市芝山産の玄武岩だそうですね。
二上山火山群ととらえれば、大坂山の石と考えて良さそうですね。
壬申の乱の所では、鯨との戦いでこの墓に触れてますね。
「箸陵」とあります。「陵」と「墓」当時から使い分けがあったのでしょうか?(皇室典範は当てはまらないでしょうけど)
それとも前半と後半で筆者が違う事により生じた字の異同だけかな?
>延長された紀年(倍暦かもしれませんが)
確信はありませんが、倍暦はなかったと思います。

136:日本@名無史さん
08/03/23 17:56:44
 そもも邪馬台国が倭人伝に記載されているのは,日本で一番有力なクニだからでわなく,魏に朝貢したから。それで考えるとその年代の地層から中国製品の多い筑紫が有力だと思う。その中でも,その年代の遺跡がある朝倉市(平塚川添遺跡)が有力なのでは。

137:日本@名無史さん
08/03/23 17:59:02
  | >>1ってうざいよね~
  \  _______
   V
  ∧_∧∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)´∀` )< だよね~、誰か頃してくれないかな?
 (    )    )  \_______________  ∧ ,∧
 | | || | |                           (・д・,,)ペッ!!
 (__)_)__(_)            ∧__∧?          、'(_@
                     (´⊇`)
                     ( 1 )
                     || |
  ∧ ∧ムカムカ           (((_)_)
  (#゚Д゚) ̄ ̄ `~                   ∧ ∧
    U U ̄ ̄UU                     (   ) イッテヨシ!!
  へ                            |  ヽ
/    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ったく、サルみてーに糞スレ乱立させてんじゃねーよゴルァ!!

138:唐松山
08/03/23 18:06:30
神功39年の記事は 年の干支に合わせた 差込

書記の編纂者は 卑弥呼を知らない。と言うことになります。



139:日本@名無史さん
08/03/23 18:07:53
考古学的にも、邪馬台国に繋がる発見は得られず、未だに、畿内だ!九州だ!四国だ!富士だ!
…と騒いでる始末。

同時代の遺跡、古墳が発見されても、邪馬台国に繋がる発見も無し。

結果、邪馬台国は日本(倭国)には無かった。

これが正解だな。


140:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 19:49:37
>>135 ローガンさん
あなただって似た質問をしてくるでしょうが。だから挿入したなど
という根拠もなさそうな結論だけ書きこんで、ハイおしまいでは
そういう話はやるべきでないでしょう。

141:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 19:51:55
>>138
知らないということは隠匿ではないね。

142:ローガン
08/03/23 19:57:54
唐松山さん。
では国内には卑弥呼についての伝承の記録、記憶がなく、中国文献で初めて知ったといういう認識でよろしいのでしょうか?

143:ローガン
08/03/23 20:01:28
>>140
太国さん、ごめんなさい。仰る通りですね。

又後程。

144:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 20:05:21
ローガンさん
あなたは卑弥呼が神武以前の人物などという安本先生式(九州は否定
の)畿内説をまともに信じているんですか?

成立はしないと思いますがねえ。神功39年が神武以前の時代では、
当時の天皇の在位は満員電車のごとくで、成立しないことは自明
に近いと想いますがね? あなたも早く目を覚まして九州説に鞍替え
することをお奨めします。

145:唐松山
08/03/23 20:17:06
卑弥呼の伝承は、ほつま伝で伝えられていた が
書記編纂者は 卑弥呼の口伝を耳にしたことが無く 誤った漢字を当ててしまった。

神功39年からの挿入文は 年の干支を合わせてある、女王に比定出来る、 つまり

 ①書記編纂者が 実際の年数を引き延ばしたわけではない。(伝承どうりである。)
 ②神功39年以降少なくとも 神功時代は 引き延ばされていない。
 ③対外文章を 挿入するために 設けられた。
この様なことが考えられますが 私は ①だと思います。



146:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 20:43:50
伝承どおりとは、卑弥呼が神功の時代に生存していたという主張
ですか?

147:唐松山
08/03/23 21:02:59
崇神元年 この前後に タケハニヤスの乱
崇神5年 凶作
崇神6年 春から夏にかけて 天候不順 為 餓死者や離農者の続出 
 特に 日本海沿岸で被害が大きい
崇神6年秋 大国魂等の 出雲連合王国崩壊 崇神に後を託す
崇神7年? 大彦を越の主とし 福井辺りに派遣
流動化した 離農者等の畿内への流入を阻止するため
崇神10年 出雲連合王国の治世と畿内の農業人口減を補うため 軍を組織し、各地に派遣
 異族多帰、畿内安寧
崇神11年秋 5年頃からの疫の終息を祝う祭りを 箸塚で行う
崇神12年 崇神の子作りが始まる(年齢推定の基本)
崇神18年 初めて船を造る 主目的は米の徴集のため。
垂仁30年頃 武器の備蓄と常備軍の創設
景行12年 請われて九州遠征 卑弥呼死亡
景行20年? 五百野皇女を筑紫に派遣
西暦188年 崇神元年  西暦248年 景行12年 この間7,80年が“倭国乱”



148:日本@名無史さん
08/03/23 21:23:43
馬鹿め

149:ローガン
08/03/23 21:26:14
>>144
すみません。今ごろは眠くて、中々目が覚めません。

満員電車ですか?
開化迄創作ではないかなあ?と考えています。
9人分座席が空きませんか?

150:唐松山
08/03/23 21:37:07
馬鹿め などの褒め言葉より 記事にカメ

桜の花も 何もないところには咲きません 開化は 前段階が在ってこそ。


151:日本@名無史さん
08/03/23 21:39:32
>>147まるで見てきたようなウソを書き並べましたね。
    大した想像力です。それともどなたかの受け売り?

152:唐松山
08/03/23 21:48:44
売っていたら買いますか?
書記の記事をほんの少し潤色して 西暦を付けただけですが。


153:日本@名無史さん
08/03/23 21:50:47
買いますよ。関先生のようにシリーズものでも出してみては?>>152

154:唐松山
08/03/23 21:59:07
本当に買うの?困った 売り物じゃ無いんだ 無料配布

前掲のおかしいところを突っ込んでいただければ 出しますよ。醤油みたいなの



155:裕香
08/03/23 22:06:58
重複誘導。
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!15
スレリンク(history板)

156:ローガン
08/03/23 22:08:12
>>150
するとbefore afterの境が開化ですか。
開化(花)して崇神で結実かな?
もしそうなら初代大王の礎ですか。

157:唐松山
08/03/23 22:23:09
before afterの境は それよりずっと以前 神武 より57年前(多分間延びした57年)
初代大王は崇神で良いと思います。
崇神6年秋 大国魂の”宮”移し 
宮とは生きた神の住まいです。
死んだ神なら 社に祀る  孝昭が祀った大物主は神武 と同年代を生きた人で
孝昭時代にはもう死亡していましたから 社に祀る。



158:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/23 22:29:34
Pupu!w

159:ローガン
08/03/23 22:48:14
>>157
大国魂の宮を移す?
穴磯邑ですか?とすれば、垂仁25年ですが。
倭大神は崇神6年は大殿之内を出ていないのでは?
違うのかなあ。


160:日本@名無史さん
08/03/23 23:27:37
日本史板を代表する糞コテ
スレリンク(history板)l50


161:唐松山
08/03/24 19:18:20
ほつま には 崇神6年の 項に 下記のように書かれています。

ホ33051 フタミヤを さらにつくらせ ムトセアキ ヲヲクニタマノカミうつし 
ナツキソムカヨ アスのヨハ アマテルカミの ミヤうつし トヨノアカリの
イロもよし いざトモカミは くだります 

書記の書かれた頃には 生きている神と呼べるのは天皇のみの時代
宮と社違いも 分けて呼ぶ時代では 無くなっていた。 と言うことですかネ。


162:神奈川県民
08/03/24 22:40:26
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

163:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/24 23:11:15
>>162

『記・紀』&『万葉集』ネタなら参加しないよ

164:日本@名無史さん
08/03/25 08:32:49
八女津比女

165:日本@名無史さん
08/03/25 23:37:06
八羅瀬女

166:ローガン
08/03/25 23:40:22
>>161
唐松山さん、ご教示ありがとう。
秀真伝は全く解りません。とりあえずお礼迄…

167:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 09:24:23
『卑彌呼』
これをテーマにしたいのなら、先ず

「共立」からやりますか?

相攻伐状態で暫く主不在だったにもかかわらず、話し合いにて
リーダーを決めるなんて解釈があるが、まるでお伽話の世界。現実味のない話が、まことしやかに語られ、独り歩きしている。
ここから調整せねば、先に進まない。

普通、共立運営と言えば
二人の者が立て、互いに組織を運営するもの
その時、従来から存在する組織の流れを継承し、運営するのであれば、
従来から引継リーダーを決め、そこに従来とは異質のリーダーを入れ
新旧の両輪にて運営するのが『共』だよ

『共立』後、新旧二人のリーダーの地位は同じでも、実質的権力を握るのは必ず「新」側。ボロボロの旧体制を実質的に救ったんだから当然の結果。

そして
『共立』するには必ず影の仕掛け人がいるのも常識

168:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 10:07:57
『及共立一女子爲王』

ここで注目しなければならないのが(一女子)
ここは普通“及共立女子爲王”と「一」等必要ない文章
複数の女子を「爲王」事が通例なら「一」は必要な文字となるが
そんな習慣何処にも書いていない。

つまり
この「一女子」の“一”とは、先程も述べた共立に掛かり、旧体制から続く“男子王”と『共』する新体制側(もう一方)と言う意味が

『一女子』

169:日本@名無史さん
08/03/28 10:15:53
>>162
卑彌呼や壹與が誰かは分からないが、邪馬壹國は「東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。」で説明されている通り
1.今の世、伊都國には王がいる。(伊都國は首都)
2.伊都國の王は女王である(卑彌呼、壹與)。
3.倭の三十國は女王國(伊都國)に統屬されている。
で伊都國だ。


170:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 10:34:28
>>169

>説明されてる通り


何も説明されてませんよ

171:日本@名無史さん
08/03/28 11:03:46
「世」を代々と複数形に誤訳。
誤訳した「代々」を使ってが「皆」が「世有王」を指すと更に誤訳。
「世有王」は単数形で「皆」が指す語ではない。
「皆」が指しているのは
「倭人在帶方東南大海之中、依山島為國邑。舊百餘國、者漢時有朝見者、今使譯所通三十國。」
の「今使譯所通三十國。」のことだ。

文章理解力が無いのか、ワザとか「世有王、皆統屬女王國」を
「代々王がおり、皆、女王国の統治下に属し」と誤訳したのが問題の始まりだ。

本当の意味は「今の世、(伊都國には)王がいる、(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。

172:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 11:30:33
>>171

元々『世』は
数詞としての、単数複数としての意味ではなく

『世』とする“範囲”の意味で文章に用いられる文字。だから
ここに書かれている『皆』は、『世』と言う範囲に存在する“王”に掛かる。

173:日本@名無史さん
08/03/28 11:33:46
河童虫 ◆EY2wfgakAQさんは、時々すばらしい着眼点を持ちますね。

で、一女子王は卑弥呼と壹與ですが、
もう一方の王は伊都國王となるのですね?
更立男王は國中の伊都國王擁護派から支持されなかった?



174:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 11:52:34
>>173

>伊都国王

いいえ

伊都国と限定してしまったら建前上同格の『共立』とはなりませんから
ここは“伊都”と限定してはいけないとかんがえます。
ただ、(伊都に居た)と(伊都を治める)は
また違いますから。

175:日本@名無史さん
08/03/28 11:56:00
>>172
『世』が「代々」意味なら『世々』と表記される。
『世』をある範囲に存在する“王”とした場合でも『世々』に比べると短い期間を指す。
「○○の世」のように表現され『世』の“範囲”は通常は一人の王の期間を指す、複数を指す『皆』には不適当。
『世』を「代々」と訳したのは『皆』を『世』に掛けたい為に考案されたトリックだ。

「伊都國の王が女王国の統治下に属する」のも中華的秩序から言えば在り得ないことだ。
中華的秩序では王の上に君臨するのは皇帝だ。
「伊都國の王が女王国の統治下に属する」では女王は伊都國の王の上に君臨し皇帝と同格の扱いとなってしまう。

176:九州王朝大好き
08/03/28 11:59:21
>>171
>(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。

伊都國は女王國に含まれない。
帯方郡~伊都國間は11900余里だから。
帯方郡~女王國間は12000余里。

177:九州王朝大好き
08/03/28 12:08:19
>>174
書き間違いました。
「世有王」だから伊都國にいる国王の意味で、
伊都國王だと伊都國を治める王の意味になりますからね。

178:日本@名無史さん
08/03/28 12:08:29
>>176
誤差の範囲かな?

179:日本@名無史さん
08/03/28 12:11:38
>>175
『世』のある範囲に存在する“王”は「卑彌呼~壹與」

180:九州王朝大好き
08/03/28 12:12:23
×「世有王」だから伊都國にいる国王の意味で、
○「世有王」だから伊都國にいる王の意味で、

181:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 12:13:09
>>175

それは違うよ

陳壽は『今』(魏時約四十年)と、限定してるだろう。
だから“世”が使えるんだよ

陳壽は文頭にて『今』と限定しているからこそ、後漢末と、別時代である共立を別の欄にて紹介し、他の文と区別している

182:九州王朝大好き
08/03/28 12:16:26
>>178
誤差で片付けないで。
陳寿は厳密に作文する人ですから。

183: サガミハラハラ
08/03/28 12:20:49
今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。
今の王、女王国を統属す、となるべきでしょう。いや、女王国を統制す、ですか。やはり、統属という
言葉を使用している点から、今の王、女王国に統属す、でしょう。
伊都国の王は女王に頭があがらないのです。

184:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 12:23:23
えっ!


方可四百餘里や方可三百里も、加えちゃうの?

止してよ
今更

185:日本@名無史さん
08/03/28 12:27:01
>>182
自郡至女王國萬二千餘里とか、やたら餘里が使われていますから、厳密な距離ではないのでは。

186:日本@名無史さん
08/03/28 12:34:49
>>183
「今の王、女王国に統属す」では『皆』が消えてしまう。


187:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 12:40:39
女王共立を正しく理解出来れば、伊都に書かれた事情なんて問題にもならないよ

>王の上に王は居ない


王の上に王が居るなんて
何処にも書いてないし、共立された『男子王と女王』は、建前上同格(共立だから)
しかし、実質的権限は
新体制女王。

だから女王が治める国(女王国)に他は統べる。

これが
『理の理』

188:九州王朝大好き
08/03/28 12:53:19
>>184
方可四百餘里や方可三百里も加えますよ。
古田説のこの部分は今でも正しい。修正不要。

>>185
餘里も含めて厳密です。
○○餘里+△△餘里+□□里=◎◎餘里
になっている。

>>186
>「今の王、女王国に統属す」では『皆』が消えてしまう。

「今」の瞬間ではない。「今」のある範囲の時間ですよ。

189:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 12:54:38
簡単に言えば
『共立』がされし以降のこの邪馬台国は、二つの派閥によって経営されていた。
一つが(旧体、男子王派)
もう一つが(新体、女王派)


こう考えれば
後に出て来る“不属女王”の意味も理解出来るだろう。

190:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 12:57:05
>>188

古田さんの説には『理』がない。

距離と長さを全く区別していないし

191:九州王朝大好き
08/03/28 13:00:23
伊都國と邪馬壹國に各々王がいて、
2人の王が共立していること。
邪馬壹國にいる王が優位にたっている。
邪馬壹國にいる王が女王國の王でもある。

192:九州王朝大好き
08/03/28 13:07:57
>>190
古田氏は道程と距離の区別をしている。
距離400餘里は道程800餘里に、距離300里は道程600里に変換している。

193:日本@名無史さん
08/03/28 13:18:44
共立された『男子王と女王』・・・どの部分からの解釈でしょうか?
「世有王、皆統屬女王國」の王と女王を別の王と考えたのでしょうか。
「ある世、王様が居ました、倭の全ての国々は女王國に統属されていました。」
王と女王は同じ人物でしょ。

194:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 13:20:43
>>193

私の今日記載したレス見れば分かるよ。

195:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 13:24:23
>>192

それを官制にそって説明できますか?
そして、何故〇〇里〇〇歩と言う記載が無いか、説明出来ますか?

196:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 13:37:28
>>193


だから
そういう謎を持たないように、私が朝一番に
共立辺りから始めませんか?と
言っているのです。

初めが分からねば、当然途中なんて理解出来るわけがない。

197:九州王朝大好き
08/03/28 13:41:48
>>195
○○餘里や△△許里の表現の中で、□□歩の表現は不要。
それに、「歩」は土地の長さや面積の単位です。(ここでは土地の長さ)

>それを官制にそって説明できますか?
質問の意味が理解できない。


198:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 13:46:00
>>197

>不要

不要とするには不要と判断する要因があるでしょ


>歩は面積


意味がわかりません。

199:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 14:02:48
度量衡を十分把握してからの距離の考察なら、この〇〇里〇〇歩が
存在しない理由は、直ぐ分かるはずです。
距離の意味を理解せず、単純な足し算にて総数を調整する行為には

第一、
こう言っては古田氏には失礼ですが、古田氏唱える短里説って、ねぇ~~

200:九州王朝大好き
08/03/28 14:21:45
距離(ながさ)ではありません。
道程(みちのり)です。
道程には単位「歩」はありません。
「歩」は、距離(長さ)の単位です。

距離(ながさ)の単位:里、歩、尺、寸 等


201:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 14:39:07
>>200

『長さ』と『距離』は別物ですよ、それに
(道程)は古田さんの範囲だけで使用できる応用概念だから
(道程)対する単位は存在しません。

それに、古代中国度量衡“度”に、『里』はありません。
全て長さの単位だけ

202:日本@名無史さん
08/03/28 14:43:22
>>194
2人の王が共立していたら、中国人には珍しい事なので、もっと共立について明確に記載されているはず。
根拠に乏しい。

203:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 14:46:57
>>202

主観で反論されたら、返す言葉がありません。

204:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 14:49:00
ま、古田氏の説を題材にするのはスレ違いですから、この辺で
距離については、止めます。

205:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 15:01:28
それよりも、
『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立した

な~んて方が
よっぽど現実離れしているよ

206:ローガン
08/03/28 15:32:09
>>205
興味深いお話なので、お仲間に入れて貰いましょう。
魏志の夫餘のところで、「位居死諸加共立麻余」とあります。
この辺りの文面からは、諸加が麻余を「共立」した。と読めるのではないですか?

207:日本@名無史さん
08/03/28 15:34:14
『共立』とは長い倭國内の戦争後、勝った国の方針で卑彌呼が擁立され他の国々もこれに従った。
単に『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立したと見る人は少ないでしょう。


208:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 15:53:17
>>207

それじゃ『共立』じゃないよね


それが共立なら
家康は、共立にて?

209:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 15:56:12
>>208を訂正

家康……×

秀忠……〇

210:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 17:13:41
>>206ローガンさん

日本語もそうなんですが
同じ『共立』の文字の意味が全て同じになるとは限らないよね

その『共立』を構成する文章によって意味なんて様々に変化するよ、一番大事なことは
その文章に合った適切な意味解釈じゃないかな

>「位居死諸加共立麻余」とあります。

飽くまでも参考程度でよろしいかと
夫餘と倭がまるで同じ時代環境なら、十分な参考となるけどね
夫餘でも、『・・・・相攻伐歴年及共立一女子・・・』だったのかな?







211: サガミハラハラ
08/03/28 17:33:57
共立とは、北方系民族で行われるクリルタイのことですよ。
つまり、扶余と倭国の上層部は同じ北方民族であることをあらわしています。
邪馬台国人は弥生期に北方から半島を経由して北部九州に定着した人たちです。

212:唐松山
08/03/28 18:23:17
天照大御神が 筑紫に入ってから
代々男王が立てられ三十数ヶ国を治めていたが ある時期から
この三十数ヶ国の小王等は 大王から距離を置き 従わなくなった。
大王は、皆(小王)と協議し 卑弥呼を 王とした。
熊曾は、元々天照大御神(ワケイカヅチ)の傘下ではない。


213:日本@名無史さん
08/03/28 18:26:57
>>209
将軍職は天皇から与えられるもの。
合議による「共立」ではない。

214:日本@名無史さん
08/03/28 18:47:57
共立は

倭国大乱の時期、(邪馬台国周辺の)小国どうしが、約70年も殺戮を繰り返した結果、国力が疲弊した。

これにより、このまま小国どうしが潰し合いを繰り返していたら、人口減少や穀物・食料の確保もままならず、小国どうしが苦肉の策として、小国指導者どうしで話し合い(和平目的)をし、皆が従う(納得のいく)人物を立てた。

それが卑弥呼や壹與ではないだろうか?

…という妄想ですが、どうでしょうか?


215:日本@名無史さん
08/03/28 19:56:15

イヨタン・・・・・・・・・・・・


216: サガミハラハラ
08/03/28 20:20:02
>>214正解です。花丸をあげましょう。

217:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 20:26:53
>>214

それを
文献の何処で証明するか?
ですね

218:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 20:30:21
>>213

『共立』と合議は関係ないですよ

219:日本@名無史さん
08/03/28 20:30:48
共立の実態は不明だが
「皆統屬女王國」とあるように女王國は倭の三十国の連合国家だったわけだ。

220:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 20:44:04
>>219

>「皆統屬女王國」とあるように女王國は倭の三十国の連合国家だったわけだ。


違う

女王國は女王が治めているから女王國
女王が治めようが、男王が治めようが三十国に変化は無い
三十国の内に女王國がある

221:ローガン
08/03/28 21:00:08
>>210
河童虫さん。字や語句の意味は文脈によって異同があると云う事ですね。了解しました。
細かい事ですが…
「及共立一女子」ではなく、「乃共立一女子」だったと思います。

222:サガミハラハラ氏に花丸頂きますた!
08/03/28 21:06:16
>>215
花丸頂きますた!

>>217
文献から導き出すのは難しいでしょう。
魏志倭人伝の中で、唯一これが関連するかどうか?

『其國本亦以男子為王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。』
論拠には乏しいですが。


223:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 21:10:20
>>221

>「及共立一女子」ではなく、「乃共立一女子」だったと思います。

あっ ごめんなさい
ありがとうございます。

224:唐松山
08/03/28 21:17:05
乱の始まりは 193年等の凶作
この凶作で 農民の離農 流動化 
大王の発給する 農事暦に対する不信感 いわゆる古墳期の寒冷化
最終的に 暖かい九州に 流れ込んだ。
流れ込んだ人々が小王の元で 盗賊化。



225:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 21:23:26
>>214

貴方の主張によると
共立は小国指導者どうしの話し合いにて『共立』したということになり

つまり、女王を(共に立てた)ということになりますね

すると、視点は小国の王となり、この文は小国の王が主役(主語)ということですか?


これは帝国の書に、まるで記紀のような国内だけの事情説明ですか?

それだったら普通『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』で、十分では?

226:唐松山
08/03/28 21:24:28
カンカシ姫(神夏シ姫、神香椎姫)やクロマロは
大王の暦を使わずに 自分で暦を発給する。

農事暦を発給 ”種貸し”業の大王は立ちゆかなくなる。


227:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 21:31:16
>>222

貴方は『一女子』をどう解釈するのです?

228:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 21:42:15
それに
王たちが共同で王(リーダー)を立てたなら、それは「共立」ではなく「協規」じゃないのかな~?

229:日本@名無史さん
08/03/28 21:46:59
>>220
「皆統屬女王國」ですから、女王國は皆(三十国)の集合体。
三十国の上に女王が君臨したから女王國。
三十国の内に女王國があるのではありません。



230:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 21:57:16
>>229

>女王國は皆(三十国)の集合体

じゃあ女王が居なくなったらなにになるの?


それに、皆が(三十国)で女王國が三十国の上に女王が君臨じゃ

皆(三十国)統属(三十国の上に女王が君臨した国)となる訳?

231:日本@名無史さん
08/03/28 22:08:40
女王が居なければ女王國ではない。女王國とは卑彌呼から壹與までの期間だけの世の国。

皆(三十国)統属(女王が君臨した三十国の連合国)。

「一部   統属  全体」

232:日本@名無史さん
08/03/28 22:12:35
統属云々の一節は伊都国の記事にあるんだから伊都国に関するものだろう
「伊都国には代々王がいるが半ば女王国の支配下に置かれている」と解釈する
完全に支配下に置かれてるなら一大率によって検察する必要もないし
女王国の範疇に入るのは邪馬台国及びその周辺の小さな旁国21国と考える

233:日本@名無史さん
08/03/28 22:18:12
>>232
少し前を読んでね。
伊都國の王が女王で、世を代々と訳するのは誤り。

234:日本@名無史さん
08/03/28 22:18:21
「皆」というのは伊都国の歴代の王のことだろう

235:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:20:13
>>231

>「一部   統属  全体」

それって恣意的すぎない?

236:日本@名無史さん
08/03/28 22:20:37
>>234
少し前を読んでね。
「皆」というのは伊都国の歴代の王のことではありません。


237:日本@名無史さん
08/03/28 22:22:10
>>235
恣意的ではありません。
統属の使用例を調べてみてください。

238:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:23:17
>>234

>「皆」というのは伊都国の歴代の王のことだろう


たかだか40年ほどで歴代ですか?

239:日本@名無史さん
08/03/28 22:27:24
>>238
40年でも数代続けば歴代だと思うけど
てか40年ってどこから出たの

240:aratame_himiko♪
08/03/28 22:28:04
飲み会で遅くなってしまった!

>>167「共立」からやりますか?

>相攻伐状態で暫く主不在だったにもかかわらず、話し合いにて
>リーダーを決めるなんて解釈があるが、まるでお伽話の世界。現実味のない話が、まことしやかに語られ、独り歩きしている。
>ここから調整せねば、先に進まない。
>普通、共立運営と言えば
>二人の者が立て、互いに組織を運営するもの
>その時、従来から存在する組織の流れを継承し、運営するのであれば、
>従来から引継リーダーを決め、そこに従来とは異質のリーダーを入れ
>新旧の両輪にて運営するのが『共』だよ

「共立」とは『共に立てる』という意味で、この場合は部族によるなにかしらの
連合体国家が共に立てたと解釈すればいいだけ。
他にどのようなことが言えるのか河童氏は説明しなければいけない。

>『共立』後、新旧二人のリーダーの地位は同じでも、実質的権力を握るのは必ず「新」側。ボロボロの旧体制を実質的に救ったんだから当然の結果。
>そして
>『共立』するには必ず影の仕掛け人がいるのも常識

具体的にのべてほしいです。

241:日本@名無史さん
08/03/28 22:29:21
「世有王、皆統屬女王國」の意味は「ある世、(伊都國には)王がいた、(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬していた。」なのである。
女王國とは伊都國が中心となった三十國の連合国だったのである。

この短い文で筆者が言いたかった事は下記の3つのことだったのである。
1.ある世、伊都國には王がいた。(伊都國は首都)
2.伊都國の王は女王である(卑彌呼、壹與)。
3.倭の三十國は女王國(伊都國)に統屬されていた。


242:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:31:29
>>237

>恣意的ではありません。
統属の使用例を調べてみてください。

調べるもなにも

統属されるものは「皆」と書いてあるだろう
それに、一部ってなに?  区分けできますか?

243:aratame_himiko
08/03/28 22:33:57
>>168『一女子』
>この「一女子」の“一”とは、先程も述べた共立に掛かり、旧体制から続く“男子王”と『共』する新体制側(もう一方)と言う意味が
>『一女子』

一つの女子 と普通に解釈すればいいです。
そこに旧体制など書かれてないなら、それを取りこむのは間違ってると思います。


244:日本@名無史さん
08/03/28 22:34:55
>>241
だからその訳は間違いだって
邪馬台国や他国との関係性がさっぱり分からなくなる

245:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:34:57
>>240改めさん

約束通り、スレを活性化しておいたよ  今日だけで約100弱進んだ

246:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:39:14
>>243

>一つの女子 と普通に解釈すればいいです。

何それ?  オッパイが一つ?

>そこに旧体制など書かれてないなら

これは便宜上の表現
共立以前の(主が男王)時代の事

>それを取りこむのは間違ってると思います。

じゃあ 辻褄が合うように旨く説明して



247:aratame_himiko
08/03/28 22:39:47
>>181『世』
「そのよ」その時とか時間的な意味がある。

>>183
>今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。
>今の王、女王国を統属す、となるべきでしょう。いや、女王国を統制す、ですか。やはり、統属という
>言葉を使用している点から、今の王、女王国に統属す、でしょう。
>伊都国の王は女王に頭があがらないのです。

世を使うときは『過去』のはずです。
よって上の「今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。」
ということについてはそのとおりですよね。

248:aratame_himiko
08/03/28 22:41:31
>>245
>約束通り、スレを活性化しておいたよ  今日だけで約100弱進んだ

ありがとうございます。
さすがは河童さん 活性化されてます~あなたは実力者ですもんね。

249:日本@名無史さん
08/03/28 22:44:59
しょうもないレスがいくつついても、それで活発化したといえるだろうか?
九州にも多くの王朝が乱立したけれど、どれも日本を統一するだけの勢力
には育たなかった歴史的事実にも似ている。

250:aratame_himiko
08/03/28 22:45:00
>>176 九州王朝大好きさん
>(三十國は)皆女王國(伊都國を中心とした北部九州の連合国)に統屬している。」なのである。

いいえ 違います。 倭人伝のどこにそのようなことが書かれてますか?
書いてません!

>伊都國は女王國に含まれない。
>帯方郡~伊都國間は11900余里だから。
>帯方郡~女王國間は12000余里。

古田?ここは私も同じです。

251:日本@名無史さん
08/03/28 22:48:28
>>247
「今の世」は不適切だった、「ある世」に変えました。
>>244
具体的に何処が変?
>>242
他の漢籍での「統属」の使用例がそうなっているの。

252:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:49:44
>>247

>世を使うときは『過去』のはずです。
よって上の「今の世に王有り、等という表現おかしいでしょう。」
ということについてはそのとおりですよね。


おかしくない世

「世」に過去という意味はない

「世」は飽くまでも 範囲

魏書を書けるのは魏時が終了したから魏時の全てを書くことが出来るから
どうしても過去というイメージが付きまとうだけ

過去の意味は全て ○○世とした時 ○○が全て過去を表すから世に過去の意味はない


253:aratame_himiko
08/03/28 22:49:52
>>246
>>一つの女子 と普通に解釈すればいいです。
>何それ?  オッパイが一つ?

オッパイは二つでしょ。見たことないんですか?

>>そこに旧体制など書かれてないなら
>これは便宜上の表現
>共立以前の(主が男王)時代の事

まあ、ここは同じです。

>>それを取りこむのは間違ってると思います。
>じゃあ 辻褄が合うように旨く説明して

倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王とする
普通に考えたほうがよいんですよ。いろいろ考えすぎないこと!



254:日本@名無史さん
08/03/28 22:52:15
女王國(邪馬壹国)が伊都國を中心とした北部九州の連合国でなけれ邪馬壹国七萬戸は九州内に収まりません。

255:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 22:54:56
>>251

>他の漢籍での「統属」の使用例がそうなっているの。

で、その漢籍には「皆統属○○」となっていた?

256:aratame_himiko
08/03/28 22:55:28
「世有王」については日本語に代えたとき「代々、王有り」でいいんですよ。

そこでは「代々」なんて言葉は使ってませんが日本語に書き直した場合はそれが
適当だと思います。

>>188
はい そこだけは正しいですよね。他はいまいちだが。

257:日本@名無史さん
08/03/28 22:56:36
女王国とは伊都国などが統属していた国。したがって、伊都国などは女王国ではない。
倭の国々(狗奴国は除く)は、女王国(邪馬台国やそのまわりの国)とそれに従う国々(伊都国など)とに分かれていた。
伊都国などは倭国の乱で負けて女王国に服属するようになったと考えるべきだと思うが。

258:日本@名無史さん
08/03/28 22:58:18
「世有王」を日本語に代えたとき「代々、王有り」とした事が重大な誤りだったんだよ。
ダメだね。

259:aratame_himiko
08/03/28 23:00:18
>>252 河童さん
>おかしくない世
>「世」に過去という意味はない
>「世」は飽くまでも 範囲

あれ?「世」て過去の意味は含まれてないんでしたっけ?
ごめん 飲み会~女の子送ったばかりで辞書が手元にない。
自宅のPCではなくネカフェからです。誰か辞書にて書き込んで!

260:日本@名無史さん
08/03/28 23:02:01
>>257
「統属」と書かれているのですから伊都国(他の国も)は女王国の一部です。

261:日本@名無史さん
08/03/28 23:04:47
>>257
俺もその考えにほぼ同意
伊都国など九州北辺の国々は関が原で言えば外様みたいな位置づけだろう
そのために伊都国に駐在する一大率によって検察される

262:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 23:06:10
>>247

以前、この世に触れたときは話さなかったんだけど
「世」には

(よ、よよ)という意味はない

「世」が(よ、よよ)を必要とする文脈に組み込まれたときだけ(よ、よよ)という意味が発生するだけ

世界の世は違うだろう  



263:aratame_himiko
08/03/28 23:06:11
>>189
>『共立』がされし以降のこの邪馬台国は、二つの派閥によって経営されていた。
>一つが(旧体、男子王派)
>もう一つが(新体、女王派)

どこにも二つなんて書いてませんよ。
それはあなたがそう受け止めそう解釈してしまったからそうなったんでしょ?

共立=二つ以上の意味のはずです!
三つ、四つ以上のものでも共立が含まれるはずという意味。



264:日本@名無史さん
08/03/28 23:07:36
>>261
伊都国には王がいたのです。
王とは皇帝の部下です。
つまり女王のことです。



265:日本@名無史さん
08/03/28 23:09:24
>>264
マレーシアの州王もまた王だけどな
王だからといって常にトップとは限らない

266:aratame_himiko
08/03/28 23:10:56
>>262
>「世」には (よ、よよ)という意味はない

そのとおりです。

世は(よ)  (よよ)なんてどこにもありません!

ではわたしが何故、「代々でよい」と言ったのか?!
「皆」の字が見えるからですよ。

世有王 皆統屬女王國

ここは伊都國の王について触れてるわけです。

267:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 23:11:56
>>236

>どこにも二つなんて書いてませんよ。


「共立」「一女子」  
これだけで十分ですよ


「明日も雨」と言う文で、 

今日の天気は書かれていないから「今日は雨」とは言えないのですか? 


268:日本@名無史さん
08/03/28 23:12:19
>>264
具体的にあんたの考える邪馬台国・女王国・倭国の範囲はどこよ
女王国と倭国に関しては具体的にどの国を含むの

269:日本@名無史さん
08/03/28 23:13:24
>>265

中華での王とは時代と場所違い。
残念。

270:日本@名無史さん
08/03/28 23:14:18
野蛮で無能な民が増えたことは卑弥呼には耐えがたい苦痛だったろう。


271:aratame_himiko
08/03/28 23:14:44
>共立=二つ

これは間違いです。

共立=二つ以上 です。
ということで二つの派閥(天皇家、大国主)という解釈だといけないんです!


272:日本@名無史さん
08/03/28 23:16:11
>>269
俺が言ったトップってあえて中華皇帝の存在は抜きにして言ってるんだが

273:日本@名無史さん
08/03/28 23:16:57
>>268
女王國(邪馬壹國)とは伊都國が中心となった北部九州三十國の連合国

274:aratame_himiko
08/03/28 23:18:50
>>273
>女王國(邪馬壹國)とは伊都國が中心となった北部九州三十國の連合国

全然、違う!
あなたはもう一度、倭人伝を勉強したほうがよい。

275:日本@名無史さん
08/03/28 23:19:02
>>272
中国の史書を論じているのに中華皇帝の存在は抜きにしてどうする。

276:日本@名無史さん
08/03/28 23:19:35
>>273
それだと伊都国と邪馬台国と記事を並列させる意味がないだろ
邪馬台国との関係性が分からないと言ったのはそういうことだ
伊都国と邪馬台国は各々別の国だよ

277:日本@名無史さん
08/03/28 23:20:00
aratame_himiko さんはどう考えている?

278:日本@名無史さん
08/03/28 23:21:25
>>275
ここで問題にしてるのは伊都国と邪馬台国との関係性
わざわざ中華皇帝を持ち出さずとも王の支配レベルは語れる

279:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 23:22:18
>>267の訂正

>>236としたアンカーは >>263の誤りです。


改めサン   以前筆法という表現使いましたよね?
筆法という表現を使っている本人が、書かれている見えない部分を否定してどうするの?


それに、「皆統属女王國」と書かれた文で何かわかりませんか?
この「皆統属女王國」の文を書かなければならなかったかの事情が

古代漢文なんて、こんな文の連続ですよ
出来る限り最小限の文字数にて、膨大な情報を組み込もうとしていますから(でも妄想はいけませんが)

(昨日は雨、今日も雨)の文は(今日も雨)という文で済みますから

九文字から四文字に  五文字も節約出来ました。

280:日本@名無史さん
08/03/28 23:22:51
>>276
伊都國は都市国家、邪馬壹國は領域国家。

281:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 23:25:11
>>271

>これは間違いです。

共立=二つ以上 です。
ということで二つの派閥(天皇家、大国主)という解釈だといけないんです!


それは「協規」で間に合うでしょう
それに、共立には書物の視点の問題もからみますよ

282:aratame_himiko
08/03/28 23:25:12
不属女王

「女王に属さない」でいいんですよ。
これを違い解釈にすると何もかも間違えてしまう。

>>191
>伊都國と邪馬壹國に各々王がいて、
>2人の王が共立していること。
>邪馬壹國にいる王が優位にたっている。
>邪馬壹國にいる王が女王國の王でもある。

どこにもそんなこと書かれてない!
普通に解釈したほうがよいんですよ。

283:日本@名無史さん
08/03/28 23:25:45
>>278
中国人の目線や常識で書かれている事を忘れてはいけません。

284:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/28 23:28:40
そうそう

取り敢えず約束ははたしたので、私はこれにて失礼します世。
あとはヨロシク

285:aratame_himiko
08/03/28 23:31:11
>>276
>改めサン   以前筆法という表現使いましたよね?
>筆法という表現を使っている本人が、書かれている見えない部分を否定してどうするの?

ハイ 筆法です。

>それに、「皆統属女王國」と書かれた文で何かわかりませんか?
>この「皆統属女王國」の文を書かなければならなかったかの事情が

以前の伊都國王も女王國に従っていたようです。

他にどんな意味があるというのですか?

>古代漢文なんて、こんな文の連続ですよ
>出来る限り最小限の文字数にて、膨大な情報を組み込もうとしていますから(でも妄想はいけませんが)
>(昨日は雨、今日も雨)の文は(今日も雨)という文で済みますから
>九文字から四文字に  五文字も節約出来ました。

ハイ そうですね。それが何か?

286:aratame_himiko
08/03/28 23:32:43
では私も~この辺で。
河童さんどうもです!

ZZZZZZ・・・・・・。

287:日本@名無史さん
08/03/28 23:35:52
邪馬台国・・・卑弥呼の統治する本国
女王国・・・邪馬台国+旁国21国(卑弥呼の支配下に置かれている国家連合)
伊都国・・・末ラ国・奴国・不弥国などとともに女王国の一大率によって検察される半独立国
      かつての倭国大乱の敗戦国か?伊都国には代々王がいるが女王国に服している
狗奴国・・・卑弥呼に服さない敵国

288:ローガン
08/03/28 23:58:24
>>279
楽しくROMだったのですが。
「今日も雨」はいただけませんね。それだけでは昨日の天気は?ですよ。
それに史書は人に読ませる物でしょうね。
読み手と書き手が認識を共有するものだと考えます。
「暗号」ではないと思います。

289:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 00:18:34
>>288

>「今日も雨」はいただけませんね。それだけでは昨日の天気は?ですよ。

別に大まかに理解できればそれで良しとする内容ですから、


>それに史書は人に読ませる物でしょうね。
読み手と書き手が認識を共有するものだと考えます。
「暗号」ではないと思います。

いや
私は編纂者の芸術と考えています。


ではzzzzzzzzzzzzzzzzzz


290:サガミハラハラ氏に花丸頂きますた!
08/03/29 00:32:48
>>288
そうですね。
雨の件は蛇足でしかありませんね。

>河童氏

>貴方の主張によると
共立は小国指導者どうしの話し合いにて『共立』したということになり
>つまり、女王を(共に立てた)ということになりますね

はい、そうです。
小国どうしの殺戮劇で、疲弊しきった状態が続いたため、小国指導者どうしの苦肉の策として卑弥呼を『共立』したものと考えます。

>すると、視点は小国の王となり、この文は小国の王が主役(主語)ということですか?
>これは帝国の書に、まるで記紀のような国内だけの事情説明ですか?

魏にとっての同盟国、邪馬台国女王共立の、背景を述べた客観的なものです。

>それだったら普通『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』で、十分では?

不足です。
『卑弥呼立』或いは『女子卑弥呼為王』では、卑弥呼があくまで自身の力で王になった、という意味になりますよね?

それと『協規』という語句は、中国の古史のどこかに存在するんでしょうか?


291:ローガン
08/03/29 00:52:26
>>290
いいですね。サガミ先生からハナマルですか!
私などは、いくら書いても、お気に召さないようで。
スルーばかりで、コメントも頂戴できません。

292:日本@名無史さん
08/03/29 02:28:29
<世>という字は30って意味なんだよな

293:日本@名無史さん
08/03/29 05:09:57
記紀で何故「大倭」「大和」と表記して「やまと」と読むのか? って疑問持ちません?
普通の表記なら「山門」になるはず。

で、「倭人条」を素直に読めば言及されてる国は全て九州にあったとしか考えられない。
出発点からの距離を勘案するとね。


294:293
08/03/29 05:11:40
済まん。
本文があったんだが、長過ぎて投稿失敗した。

無視して。

295:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 07:50:06
>>291

>協規

古史にありますよ

296:唐松山
08/03/29 09:37:19

卑弥呼5世といえば 卑弥呼の5代目 と言うことになる。
”世”は時空を繋ぐ単位。


297:日本@名無史さん
08/03/29 10:06:27
倭=つくし
大倭=大和=やまと
という区分も成り立つ?

298:九州王朝大好き
08/03/29 11:37:20

邪馬壹國・・・卑弥呼がいる国
女王国・・・邪馬壹國・投馬國邪・不彌国・奴國の4ヶ国(卑弥呼が統治している国家群)
伊都国・・・倭國大乱期までの旧連合倭国の王がいる国。卑弥呼共立の相手国王がいる国。旧統治体制を引き継ぐ一大率を置く。
狗奴国・・・国王は卑彌弓呼。[卑弥呼(女王國)に対立する国家群(肥全域)の盟主国]狗奴國は呉と通交か?

299:日本@名無史さん
08/03/29 12:41:54
>>293
そうですよね。「大和」はもともと「和」で、それはもともと「倭」だったのでしょう。

300:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 13:36:13
ヤマトなんて漢字表記は
和漢籍、万葉集を探せばけっこうな数


山跡 も、ヤマト

301:日本@名無史さん
08/03/29 14:06:19
大和は「矢」「的」
矢は男性器、的は女性器の象徴。
千代に八千代に子孫を繁栄させるには、
子どもとどんどん産ませなければいけなかった。
ちなみに鳥居は、戌(いぬ)から来ている。
犬は多産の象徴。
国生みの儀式を行うときは、鳥居=又をくぐってから
女のところに通う。そういう決まりだった。
いわゆる通い婚の風習です。

302:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 14:14:47
>>301

>大和は「矢」「的」

だったら
最初から矢的と固定すればいい事
後世に誰かがこじつけたんじゃないの?

303:唐松山
08/03/29 14:48:12
畿内ヤマトは山後

304:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 14:50:28
>>303

>畿内のヤマトは山後


畿内のヤマトは、今も大和ですよ

305:ローガン
08/03/29 15:33:46
狭義のヤマトは「三輪山の戸口」ではないですか?


306:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 15:47:28
>>305

>狭義


いや~
そんな事言ったら、何でもヤマトになっちゃうよ
日本中に広がるヤマトやスワは、みんな狭義?

因みに
家の近所の犬の名前もヤマト

307:ローガン
08/03/29 16:18:39
>>306
ご近所のヤマトちゃんの名前は「広義」とはなっていかないでしょうね。(可能性が皆無とはいいませんが)

狭義のヤマト(三輪山麓のデルタ地帯)→大和(奈良)→大和(日本)でしょうね。



308:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 16:59:53
>>307

言葉の語源の場合、自然界の名詞を使用するのは
ギリギリセーフでしょうが、「戸」等の人工的な名称を使用してしまうと
「ヤマト」と言う言葉と「戸」と言う言葉の時間の後先確定要因になってしまう。
「山門」も同じ

(入口)と言う意味で戸を使用しても同じです。


語源は危険と背中合わせ(^O^)/

309:日本@名無史さん
08/03/29 17:04:44
そもそも倭人伝で使用されている「國」はどういう意味なんですかね?
それによって連合国なのかどうか違ってくると思うんです。
現在のEUのよう独立国家の連合なのか(連合の名称としての邪馬台国)、
植民地のような属国扱いなのか(大英帝国みたいな性格としての邪馬台国)、
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地なのか(王朝としての邪馬台国)。

310:ローガン
08/03/29 17:05:58
>>308
固有名詞ですが。
おかしいですか?

又後程。

311:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 17:33:38
>>310

古地名の語源の大部分は、歴史的(人為的)要因からくるもの、或は
地形的(自然環境)要因からくるもので大部分はカバー出来るだろう。

312:唐松山
08/03/29 18:32:10
ホツマによると 神武 は山後川を遡り
ナガスネと第1回目の戦いを行う。

ホ29070 ナもナミハヤの ミナトより ヤマアトカワを
さかのぼり カウチクサカの アウヱモロ

313:唐松山
08/03/29 19:42:54
倭人伝で使用されている「國」は
殷周のように王朝が一つあって他は諸侯の領地でしょう。


314:日本@名無史さん
08/03/29 21:14:50
韓に馬韓、辰韓、弁辰があったように倭にも投馬國、邪馬壹國、狗奴国があった。
馬韓、辰韓、弁辰は邑落(都市国家)の集合体の領域国家。
投馬國、邪馬壹國、狗奴国も領域国家。
邪馬壹國を形成している邑落(都市国家)は對馬國~不彌國、斯馬國~奴國など計26國。
戸数は、千戸~4千戸(奴國は二万余戸)。
  魏使は、奴國以外の國は、1國平均2千戸と想定し、邪馬壹國の戸数を算出した。
    2,000戸×25國+20,000戸(奴國)=70,000戸


315:aratame_himiko♪
08/03/29 21:19:21
卑弥呼の墓はどこか?

卑弥呼の墓の候補はいくつかあるが、その中でも有名なのが、
「箸墓」、「平原1号墳」、「宇佐にある亀山、前方後円墳」ではなかろうか。
平原1号墳についてはわたしの考えを>>120-124で言ったんだが、
他の人のはどのように思ってるのでしょうか?

卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人

徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。

316:日本@名無史さん
08/03/29 21:21:09

キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!


317:日本@名無史さん
08/03/29 21:37:30
>>315
亀山それ自体は自然の丘陵でつ、古墳とちゃうよ
もちろん前方後円墳なんかじゃないよ


318:日本@名無史さん
08/03/29 21:43:04
明日香村にある蘇我蝦夷、入鹿親子の邸宅跡の年代を特定する
確かな証拠は見つかったようですね。卑弥呼の墓も間もなく特定
されると思います。

319:日本@名無史さん
08/03/29 21:44:23
>>315
神奈川県民

キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!

ネットカフェからの書き込みご苦労さんですwww


320:aratame_himiko♪
08/03/29 21:53:20
そうなんでスよ

自宅のPCは規制ばかりで今、サーバー換えてるところ。
工事が1週間~2週間ぐらいかかると思うので一時はネカフェからです。

てかよくみなさん~規制かからないね?
携帯から来てるのかな?わたしの携帯はインターネットつながってないのでw

321:aratame_himiko♪
08/03/29 22:00:38
「卑」と「俾」の違い

『三国志』魏書東夷伝、『後漢書』の通称倭伝(『後漢書』東夷傳)、
『隋書』の通称倭国伝(『隋書』卷八十一 列傳第四十六 東夷 倭國)、
『梁書』諸夷伝、『三国史記』新羅本紀では表記は「卑彌呼」、
『三国志』魏書 帝紀では「俾彌呼」と表記されている。

この違いわかる人いないんですか?
なぜ書き分けて「卑」弥呼の字が違うんでしょう。
誰か説明してくれ。

「卑」・・・いやしい、いやしむ、いやしめる 読みは「ひ」

「俾」・・・しむ、しもべ、召使。したがう 読みは「ひ、へい」


322:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 22:02:36
>>315

>徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。

そりゃあ
一般家庭の墓地よりは大きな

因みに、百余歩って  1/3里じゃないからね

323:サガミハラハラ
08/03/29 22:10:32
>>315そのなかで有名なのがーーー
小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
ここが最有力です。

324:aratame_himiko♪
08/03/29 22:20:23
「共立について」
明鏡 国語辞典
共立・・・一つのものを共同で設立すること。[-校]

旺文社
共立・・・いっしょに肩を並べて立つ。
  ・・・共同で設立する。

共和・・・周のレイオウ時代、周公・召公が協議のうえ行った政治。
  ・・・合議制による政治形態。
共同・・・二人以上のものが力をあわせて仕事をしたり、同じ資格で物事に関ること。
共犯・・・二人以上の者が・・・略す
共謀・・・二人以上の者が・・・略す

325:aratame_himiko♪
08/03/29 22:26:11
>>323 サガミハラハラさん
>小城の桜ヶ岡をおとしていますよ。
>ここが最有力です。

どこが最有力なんですか?
具体的にみなさんが納得できるような 「卑弥呼の墓=小城の桜ヶ岡説」を
説明してはどうですか?
ちゃんとここで説明できたらあなたの本を購入してくれる人いると思いますよ。

まずはなぜそこが最有力地なのか説明してください!

326:aratame_himiko♪
08/03/29 22:32:39
サガミハラハラさんへ
貴方の「卑弥呼の墓は小城の桜ヶ岡」という考え

みんなはそこが卑弥呼の墓かどうか考えた時、サガミハラハラさんの普段の考え、
普段の行動、サガミさんの判断力を照らし合わせて見たとき~とても
そこが卑弥呼の墓とは思えなく無視されつづけてるのです。

そこ(サガミハラハラ氏の小城の桜ヶ岡説)はインコのピーちゃんの墓でないの?

となるわけです。
卑弥呼の墓の可能性があるのか?インコのピーちゃんの墓か?
ここでのサガミハラハラ先生の書き込みを見てから判断してみましょう!!

327:サガミハラハラ
08/03/29 22:38:05
まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。
そこが邪馬台国の都でした。
そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。
これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。

328:aratame_himiko♪
08/03/29 22:41:23
>>322
>>徑百餘歩ていうからかなり大きな墓とみてる。
>そりゃあ
>一般家庭の墓地よりは大きな
>因みに、百余歩って  1/3里じゃないからね

貴方は卑弥呼の墓は何処とお考えでした?平原1号墳だったような・・・。

卑弥呼の墓=平原1号墳説について説明してくださいよ。
なぜそこが卑弥呼の墓なの?
私は>>120-121でのべたとおりそこは違うと思います・

ていうか誰か踏んで!


329:aratame_himiko♪
08/03/29 23:01:32
>>327 サガミハラハラさん
>まず、倭人伝の行路記事をもってたどっていくと、佐賀県小城市甘木に到着します。

私と河童氏が以前やった~「至」と「到」の違いを見てなかったんですか?
貴方の考えだと「倭人伝の行路記事」は地図をそのまま見て「東南陸行 到伊都國」ですよね?
違いますよ。
私と河童氏が描いた「東南陸行 到伊都國」が正解です。

>そこに歩百余歩高さ16mの円丘があります。倭人伝の記述にぴったりです。
>天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。

殉葬者奴婢百餘人

そこから百余もの人骨は出土されたのですか?
それに河童氏との「じゅんそう」をめぐる説明もちゃんと出来てないし、
卑弥呼の墓=佐賀県小城市甘木説を信用しろという方が無理では?
火葬、水葬、風葬、鳥葬 等いろんな埋葬方法があるが、
本当にそこは殉葬だったのでしょうか?

330:サガミハラハラ
08/03/29 23:01:45
 私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。

331:aratame_himiko♪
08/03/29 23:07:24
>>327
>大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>これだけでも、ほかの候補地の丘よりも有力だと思いますが。

土器と鉄刀なんて何処からでも出土されてますよ?
その出土された土器が「卑弥呼や邪馬台国」と関係しているのかを説明してくださいよ。
ただ単に出土されたから何でも卑弥呼の墓にすれば良いという風に思えてしまう。

>これ以上に有力な証拠があげられる岡があったらご紹介ください。

残念ながらいまだに発見されてないんでスよ。
「幻の邪馬台国」。まさに幻!

332:サガミハラハラ
08/03/29 23:08:49
 ここまでの説明以上の納得のいく説明のできる丘があったらご紹介ください。
なけれが、桜ヶ岡が最有力候補です。

333:aratame_himiko♪
08/03/29 23:12:36
>>330
>私も平原1号墳は卑弥呼の墓ではないと確信しております。

上のほうで私が言ったように「倭人伝の卑弥呼の墓」とはつながらないんですよ。
「墳だけではなくその周りの囲いも入れてという意見」もあるが、
正気じゃないというか、普通の考え方ではないというか・・・。
そこは当たり前の解釈でよいと思うんです。
かなり『大きな墓』というふうに。

よって私も 「卑弥呼の墓は平原1号墳説」には賛成できません。

それにそこは本当に女性のお墓なんでしょうかね・・・。

334:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:15:21
そうですね

末盧の港の東南に目的とする伊都があるのなら
『東南至伊都国陸行五百里』

で、十分説明できますから

335:aratame_himiko♪
08/03/29 23:16:54
いやいや 「納得のいく説明」もなにも貴方は説明出来てませんよw

墓だけを見れば「箸墓」のがふさわしいのでは?

サガミハラハラさんは箸墓についてどのように感じてるのでしょうか?
サガミさんは自分が考える卑弥呼の墓のがふさわしく思えるらしいです。
ハッキリいいましょう!それは貴方だけですww

336:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:18:45
>>333

>かなり『大きな墓』というふうに。

大きな墓なら
『作大墓』『作大冢』ですよ

337:aratame_himiko♪
08/03/29 23:22:21
>>336 河童さん
倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?

貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。


338:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:24:29
それに、一般的に言われている140mあるのなら
普通

『600尺、60丈、6引』のどれかで書かれていますよ
墓は長さですから

339:aratame_himiko♪
08/03/29 23:30:38
サガミハラハラさん

貴方が言う「これ以上に有力な証拠」

というのはただ単に貴方が「学生時代に地図をみてに沿った都」と考える処。
とか倭人伝の『殉葬者奴婢百餘人』にも合わない「人骨」。
殉葬ではない丘。何処からでも出土されてる「土器と鉄刀」だけなのです!

それでよく「これ以上に有力な証拠」なんて言いますよね?

340:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:33:11
>>337

>倭人伝に記されてるのは『大作家』ですよ?

『家』? どんな史料を見ているのですか?
私はいつも 二つの刊本の影印を見ながらの書き込みですよ
影印では『冢』


>貴方が思う『大作家』と』『作大冢』の違いでも書き込んでください。

これは一般的な読み方です

「大」の後に動詞が来る場合は(おおいに)

「大」の後に名詞が(大きい)



341:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:42:42
因みに

ここで百余歩と「歩」で表記したのは

距離を計測する機械も、長さを測るモノサシもないので「歩幅」をモノサシの代用として
計測したから「長さ(歩)」

342:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/29 23:48:01
>箸墓

ま、取り敢えず掘った後にでも判断すればいいこと
それまでは
文献記載内容にて判断するより、歴史は分からないのです。
中身が確認されてないうちから騒いでもしかたのないことです。

343:aratame_himiko♪
08/03/29 23:52:51
おっと~これは失礼!
ウィキペディア(Wikipedia)のレベルが・・・低ぅw

<訂正します>
大作家⇒大作冢
<旺文社 漢字典より>
「大」・・・(読みは:ダイ・タイ・おお・おおきい・おおいに)
意味は・・・おおきい、おおいに、大きくする、とうとう(尊)、第一の順位、おごる。

「作」・・・(読みは:サク・サ・つくる)
意味は・・・つくる、建造する、こしらえる、なす、おこす、おこる、たつ、いつわる、はたらき。

「冢」・・・(読みはチョウ)
意味は・・・大きな墓、丘陵、やしろ、おさ。

344:aratame_himiko♪
08/03/30 00:04:41
箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。

それ以外のところでぜんぜん説明できてないんです。
掘ったとしてもそこには何もないですね。
大和朝廷の重要な女性ということが分かるだけで。

345:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:08:04
>>343

私はあまり用例を用いるのは好きじゃないけど
ここに 同じ魏書内で「大」の(大きい)と(おおいに)の活用例がありますから


(おおきい)
處山林之間常穴居(大)家深九梯以多為好・・・魏書挹婁伝

(おおいに)
以殷正月祭天國中(大)會連日飲食歌舞・・・魏書扶余伝

346:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:09:43
>>344

>箸墓については女性の墓と大きさだけが該当するというだけ。

だから、大きさなんて全然該当しないって

347:aratame_himiko♪
08/03/30 00:14:19
貴方の考える『大作冢』とはどのようなんですかね?

日本人の我々に分かり易く説明するとすればどのようになるんですか?

大作冢・・・おおいに冢を作る  ではマズイ?

348:サガミハラハラ
08/03/30 00:16:04
墓だけを見ればではだめなのです。
まずその
場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。
「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3~4年してから諸説を読んでですよ。

箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。
合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。
土器はかなりでているようですが。
以上から見て、箸墓より桜ヶ岡のほうが有力となります。

349:改めドツボ神奈川県民は氏ね
08/03/30 00:24:55
で桜ヶ岡って年代は合うの?

できればC14とか年輪年代法とか・・・
少なくとも出土の土器からの編年は?

350:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:26:36
>>347

ただ(おおいに)と言っても「大い」「多い」がありますので

多いの場合、同じようなモノが沢山

大いにの場合、色々のモノが沢山

ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山

そして「大作冢」=大仕事だった・・・・と

そりゃそうですよ 卑弥呼の墓+百余人ですから(一種の古墳群みたいな感じ)



351:サガミハラハラ
08/03/30 00:29:56
 桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、
4~5世紀とみられています。


352:aratame_himiko♪
08/03/30 00:30:50
>>348 サガミさん
>場所が邪馬台国にあたるのかどうかです。

では、貴方が考える「女王の都」という「倭人伝の行路記事」でもここへ書き込んでみては?
その『「学生時代に地図を見てに沿って都」→社会人になって3~4年してから諸説』
とやらを私と河童さんが聞いてますからw

>箸墓って歩百余歩といえるのですか、あの形で。

「あの形」でマジカで見たことはありますよね?あると思うが。
遠くからみて、または空から見て、初めて前方後円墳というのが分かる。
箸墓の周りをグルッと歩くと「凸凹してる丘が分かるだけ」というか、
形に関しては考えないほうがよいかと思います。

>合わない人骨どころか人骨のかけらすら出ていないのでは。
>どこからでも出土されいる土器と鉄刀は箸墓から出土しているのですか。

本格的な調査はまだと聞いてるので詳しくは分からない。

353:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:32:07
ねっ。

「東南至伊都国陸行五百里」の書き込みには、誰も手を触れようとはしないでしょ


そうそう
>多いの場合、同じようなモノが沢山

大いにの場合、色々のモノが沢山

ここでは対象が塚ですので、
「多いに」なら形のや大きさの同冢じが沢山
「大いに」なら形や大きさがまちまちな冢が沢山

これは
先ほど提示した用例の
『處山林之間常穴居(大)家深九梯以(多)為好』

これで判断できるでしょう。

354:aratame_himiko♪
08/03/30 00:33:34
>>349 は変なハンドルネームは止めなさい!
学生もみてるかもしれないのに。

他の人はスルーで対応しましょうw

355:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:37:40
>>347

>大作冢・・・おおいに冢を作る  ではマズイ?

いいんだよ

356:aratame_himiko♪
08/03/30 00:39:51
サガミハラハラさん
「東南至伊都国陸行五百里」説明してくださいよ!

なんたら町でしたっけ?w

357:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:43:01
誰がどう見たって

『東南陸行五百里到伊都國』と

『東南至伊都國陸行五百里』は

同じではありませんから

358:サガミハラハラ
08/03/30 00:45:45
東アジアの古代文化を考える会のHPの討論室に、邪馬台国行程論の書き込みを始めました。そちらをご覧ください。

359:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:48:05
あっ

これも有かな?

『伊都國在末盧東南陸行五百里』  それともこれはちょっと強引かな?

360:日本@名無史さん
08/03/30 00:54:59
河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?

361:aratame_himiko♪
08/03/30 00:55:07
>>357 河童さん 
方向 距離 国名 ⇒ 方向 国名 距離
伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?

始度一海  千餘里   至對馬國
又南渡一海 千餘里   至一大國
又渡一海  千餘里   至末盧國
東南陸行  五百里   到伊都國
東南    至奴國   百里 
東行    至不彌國  百里
南     至投馬國  水行二十日
南     至邪馬壹國 水行十日 陸行一月

362:サガミハラハラ
08/03/30 00:55:40
漢文としてなりたちますかね?

363:ローガン
08/03/30 00:55:48
>>348
サガミ先生、未だ発掘してないのに骨も何もないでしょう?
前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね。
もし、郡使が作塚中を目にした事を考えてよいなら、後円部分が部分が、塚ですね。
径百余歩…150mくらいですか。箸墓の他に考えるとすれば、西殿塚?行灯山?渋谷向山?
古そうなのは箸墓ですね。

364:日本@名無史さん
08/03/30 00:58:53
>>362
どれがですか?

365:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 00:59:29
>>360

>河童虫さんぐらいの人になると、
漢文で文章作れちゃったりするんですか?

全然ダメ
漢文なんて大嫌い

366:サガミハラハラ
08/03/30 00:59:57
箸墓が一番古いはずです。
方形部がすこしまがっているでしょう。初めてつくったのでうまくつくれなかったのですよ。

367:日本@名無史さん
08/03/30 01:00:25
>>365
またまた御謙遜を

368:aratame_himiko♪
08/03/30 01:02:30
みんな書き込みが少なすぎる!
「ご参考です」さんみたいにもう少しまとめて書いたらどう?

というか私も短いがww

369:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:03:50
>>363ローガンさん


>前方部分は「墓」を造る際の作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね


一度聞きたかったんですが
>『作業通路及び重量物等の搬入路でしょうね』

じゃあ円墳は重量物等とは無縁?それとも作業終了後に前方部を撤去しましたか?
かなり巨大な円墳も存在しますよね? 


370:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:07:33
>>367

>またまた御謙遜を


いや、事実
プラムは漢文を『読めない書けない』は、誰でも知ってるここの常識ですから
ただ、そういわれても
平気なんですよ・・・・・・・事実ですから

371:日本@名無史さん
08/03/30 01:09:58
>>370
えっ そうなの?
みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな

372:aratame_himiko♪
08/03/30 01:11:22
卑弥呼=意富夜麻登久邇阿礼比売命説

意富夜麻登久邇阿礼比売命とは?
孝霊天皇は四人目の妻として意富夜麻登久邇阿礼比売命の妹である蠅伊呂杼を迎えた。
つまり姉妹で孝霊天皇の后となっている。 らしい。。。。

ここにも書いてる
URLリンク(tokyo.atso-net.jp)



373:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:12:11
>>361

>伊都國を境に書き方が変わってる!これは何故か分かる?

だいたいわかるよ

以前から言ってるように、倭人伝の地理雉に書いてある順次式の記載は
伊都までが
郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)

374:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:16:08
>>371

>みんなが頼りにしているし、読んでもいるように思えたけど、別人だったのかな

多分。


375:日本@名無史さん
08/03/30 01:17:44
>>327
>天正時代の書物にこの丘が鯖岡とよばれたいきさつが書いてあり、人骨が出土したことから娑婆岡となり鯖岡と変化したということです。
>大正期に、記念碑をたてる」工事をした際、多量の土器と鉄刀が出土したそうです。
>>351
>桜ヶ岡は手つかずです。ただし丘の上部にある茶筅塚古墳(卑弥呼の墓の上につくられた古墳)は一部発掘されており、4~5世紀とみられています。

まったく手つかず、ということではなさそうですね。
人骨、土器、鉄刀が出ているわけですから。

土器、鉄刀は記念碑の工事のところから出ているわけですね。
その出土場所がもし4~5世紀ごろ茶筅塚古墳のために土盛りされた墳丘内であれば、土器、鉄刀は茶筅塚古墳の副葬品ですね。
卑弥呼の墓とは無縁な遺物と見なくてはなりませんが、いかかでしょうか。

人骨も同様に、つまり、4~5世紀とされる茶筅塚古墳が出来たあとに埋葬されたもの(古墳期~古代・中世も)とは考えられませんか。
その可能性がキッパリ否定できないのでしたら、桜ヶ岡が3世紀の王墓であるとの確たる証拠は何ら示し得ていないわけです。
それでも桜ヶ岡を女王卑弥呼の墓と主張なさるのであれば、それは強弁・詭弁・妄想の類いでありますでしょう。

376:aratame_himiko♪
08/03/30 01:21:31
>伊都までが
>郡使往来行程文と文章地図の両方を兼ねた記事
>それ以降は、正に文章による地図(規模の説明。行程文じゃないよ)

河童さんの同じ考えです。
魏の使いが、女王の都まで訪れたことがあるかどうかは知りませんが、
基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。

>>205
>『共立』を首長クラスの話し合いによって女王を擁立した
>な~んて方が
>よっぽど現実離れしているよ

ここは河童さんと違うところです。
私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。

377:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:24:32
>>361

伊都國までの文章は『里数(距離)』に対する(起点と着点)の確定

それ以降は(起点)の確認確定

378:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:28:31
>>376

>基本的に魏の使いは「伊都國まで」です。

郡使と魏使を同義と考えるなら、通常は伊都まで
しかし、『郡使往来常所駐』(常)と書かれていますから、(臨)はその限りではありません。

379:aratame_himiko♪
08/03/30 01:34:41
>>212 唐松山さん
>天照大御神が 筑紫に入ってから

天照大御神と筑紫とか関係している書き込みを詳しくお願いしますよ。
以前聞いたが、よく分かりませんでした。
地方の風土記ですか?分かり易く、なおかつ、詳しくお願い出来ればと思います。

>>218
>『共立』と合議は関係ないですよ

関係あるんですよ。
「共」とは二つ以上のものが~というような意味がある。
確かに貴方の言ってることもわかるんですが、それは「両手を~」の意味から
きてる考えでしょう。両手を~とは「共」の「解字」のこと。
辞書に書いてることは、 
会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。

380:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:41:58
>>376

>私は辞書で調べた内容から「共立」とは 、
首長クラスの話し合いによって女王 としています。


それなら私は『協規』を選択します。

・・・・與豫州協規同力破操軍必矣  (三国史蜀書巻三十五蜀書五諸葛亮伝)


381:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:45:45
>>379

>会意形声。両手でささげる。物を奉げる意。転じて「ともに」の意を用いる。

両手と言っといて

>二つ以上のものが

ですか?  千手観音?


382:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 01:48:35
久しぶりに『漢字の講義』でもやりますか~?(笑)


でも、もう眠いからやらない

383:aratame_himiko♪
08/03/30 01:50:01
協規などかかれてませんよ?
ていうか協規て意味なんでしようかね。調べるのがめんどくさいw

あくまでもそこに書いてるのは「共立」ですから。

それに誰も大勢で女王を決めたなどいってないんですよ。
首長クラス・・・二人なのか三人なのかそこに書かれてないから分かりません。

私の考えだと「二人以上のものが」なんです。
あまり言いたくないが、二人から~せいぜい多くても二十九人ぐらいか?
大勢ではないと考えてるんですが。
ていうかそろそろ寝ます。 では明日~zzz・・・・・。

384:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 02:04:20
>>383

「協」と「共」の活用の違いでも調べてみたら


お互い、動詞活用で(ともに)


改めさんが考える(ともに)は「協」

385:ローガン
08/03/30 02:28:46
>>369
河童虫さん。
ご指摘の通り大きな円墳はありますね。
たとえば、冨雄丸山(径86m 高さ10m)奈良にあります。
矢田丘陵と接していますので、そちら側がなだらかなスロープに…
朝来の茶すり山(径90m 高さ18m)これが最大かな?宝珠峠の尾根伝いです。
どちらも墳頂への搬入路を確保出来る立地ですね。
平地に造られた「箸墓」後円部の高さ30mです。前方部(高さ17m)は搬入路及び作業通路として必要だったと思います。
概ね、前方部の両角は同じ傾斜ではありません。向かって左が右より傾斜が緩やかだったと思います。
きっとそちらが通路だったのでしょうね。
河内大塚を検索してみて下さい。
古墳築造の状況についてhitすると思います。
現在PCが使えないのでURLが貼れません。


386:日本@名無史さん
08/03/30 03:32:15
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)こそ邪馬台国だ。
5世紀頃(西暦406年頃)に造られた大きな前方後円墳で、一説に第26代継体天皇陵であるともいわれています。
現在も古墳の周囲の濠には魚が泳ぎ、墳丘には緑が生い茂っています。
URLリンク(www.city.ibaraki.osaka.jp)

387:サガミハラハラ
08/03/30 10:00:16
この場合の手つかずとは学術的なという意味です。記念碑や像や神社等かなり人手がはいっています。
鉄刀は茶筅塚古墳の3~40m南の地点からの出土です。
出土物の年代については、学術的調査によるものではないので、物そのものがうしなわれており、
文書によるいいつたえでしかないわけですので可能性があるとしかいえません。
その点邪馬台国そのものもそうでしょう。
わたしが桜ヶ岡を卑弥呼の墓とかんがえているのは、何度もいうように、倭人伝の行路記事の考察により
佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都であると確信し、そこにある倭人伝の記述と同じ岡があればそこが卑弥呼の墓であるという
結論にたっするのは極自然なことです。
ですから桜ヶ岡卑弥呼墓説をくつがえすというなら、邪馬台国小城天城説をくつがえさないと
いけないわけです。小城甘木説がくつがえると桜ヶ岡卑弥呼墓説も自動的にくつがえるわけです。

388:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:00:39
前方部は搬入運搬スロープねぇ???
なんか違和感あるな~。
前方部が後円部とさほど変わらぬ高さの古墳
結構存在するし、それだと前方部に搬入するためのスロープも必要になる。
スロープなら
後円部に向かって徐々に高くなるのが普通の発想であり、しかも前方部は同じ幅で後円部と接続するはずで、あの括れは異様。

389:日本@名無史さん
08/03/30 10:15:28
>>387サガミハラハラ山
魏志倭人伝の行程文を根拠にするなら、昨夜河童さんがレスしていた「東南至伊都国陸行五百里」を否定し、「東南陸行五百里到伊都国」を肯定しなければいけないのでは?

390:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:25:27
>>389

無理だよ
夕べも反応無しだから

誰でも痛いところは触れたくないし『佐賀』に用事がある人には生命線だからね(^O^)/

391:横から失礼
08/03/30 10:41:18
>>384
つまり、二人でなければならず、二人「以上」ではない、ということですね?

392:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 10:55:50
>>391

『共』の基本的な字意は

★異質の二種が同じ範囲内に

それを後押しするかのように、『一女子』
辞書に記述してある(両手にて……)の会意は
右と左と言う異質な手が、同じ行動をするという意味です。

393:愛知県民
08/03/30 11:14:42
>>372
aratame_himiko♪さん(何故音符付き?春だから?)

私は、意富夜麻登久邇阿礼比売命と蠅伊呂泥は別人ではないかと考えています。
意富夜麻登久邇阿礼比売命はその名前・表記から見て、ヤマト最初の女王を指す称号でありましょう。
本来、この称号は安寧天皇の第一子・常根津日子伊呂泥命に与えられたもので、後に蠅伊呂泥と間違われたのでは?
何故かというと、蠅伊呂泥は夜麻登登母々曾毘売命(=台与?)の母であり、
先代の女王と間違えやすいうえに、
師木(しき)県主波延(はえ)の孫・常根津日子伊呂泥(いろね)
師木(しき)津日子の孫・蠅伊呂泥(はへいろね)
という事情もありました。

安寧天皇の第二子が大倭日子鉏友命=懿徳天皇ですが、「すきとも」は王者でなく従者の名前です。
(倭建命の従者・御鉏友耳建日子が思い出されます)
おそらく、卑弥呼の男弟ではないでしょうか。

394:ローガン
08/03/30 11:29:31
>>388
前方後円墳の主体は、円墳ですからね。
括れて当然です。それを異様とみるかどうかは主観でしょうね。

395:愛知県民
08/03/30 11:35:59
河童虫さん
「共立」ですが、高句麗伝の例は違うのですか?
伯固死,有二子,長子拔奇,小子伊夷模。拔奇不肖,國人便共立伊夷模為王。(中略)拔奇怨為兄而不得立
拔奇は即位できなかったんですよね?

396:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:38:53
昨日も書いたが、その国は共立前まで
ずっと『男子爲王』
だから相攻抜の後も『男子爲王』が常識であり、それが歴史的の継承でもある。しかし、その男子王に対しもう一人
異質の女子を王とし、その国を安定させようとしたわけ
たから
『共立』『一女子爲王』
★異質の二人の王が立ち、その一方が女子
彼女は男子王とは違い 、宗教的な性質を秘めていた。それが卑弥呼
★(雛飾りの基になる)
雛飾りの上位は向かって右側の、お雛様
持統天皇時の成立と言われる(内裏雛は後付け)飾りも、それをモデルとする原型は、古代から存在。


それが『共立一女子爲王』

★この共立の仕掛け人は誰?

397:愛知県民
08/03/30 11:42:01
>>135
ローガンさん、ありがとうございます。
壬申の乱で「箸陵」が出てくるのは確かに気になります。
神武天皇陵の記事も壬申の乱で出てきますが、もっと前から頻出しないのが奇妙な印象があります。

398:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:45:40
>>395県民さん

高句麗と倭の歴史環境は同じ顔をしていますか?
『共立』
その顔は同じでも
中身は全然違いますよ

意味は文章全体の顔で判断します。

399:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 11:49:21
>>394ローガンさん

今までの全国の発掘調査によって、前方部から後円部に
重量物を搬入した痕跡が見つかっているのですか?

400:愛知県民
08/03/30 12:32:05
>>398
なるほど・・・確かに高句麗の場合は「國人」という主語があり、倭とは違いますね。
後漢書では「歴年無主」とあるが、魏志ではこの文がなく、男王が退位したとも書いてないし。
旧体制の倭奴国王が生き残ったということでしょうか。
それなら納得できそうです。

401:日本@名無史さん
08/03/30 12:43:59
神功皇后説

熊襲の女酋説

筑紫君の祖、甕依姫(みかよりひめ)説

倭姫命(やまとひめのみこと)説

ヤマトトトヒモモソヒメノミコト説

卑弥呼=下照姫説

アマテラス=卑弥呼説

日女命(ひめみこと)説

卑弥呼=卑弥呼説

これは雰囲気づくりみたいなものなので無視しちゃって結構です。

402:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/03/30 13:05:03
>>400

倭人伝は魏書だから、後漢時の事情を詳しくこだわる必要性がない。
共立された一方である男子爲王の制度は、この後魏時になっても絶える事はない。
しかし
特別的な意味合いが強い
女子爲王は
絶えたり復活したりと
後の持統天皇まで続く。
これが『大王、大君、彌、額田』などなど


だから
魏時、女王卑弥呼の影には何時も、男子王の影がちらつく
邪馬台国は二大派閥(男子王派、女王派)による両輪政策


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