08/03/27 13:36:02
>>511
ではこう尋ねよう。
日本人には、いかほどか、殉死や自死を美徳とするような心情が、
ひょっとして伝統的に、ありはしないだろうか。
中近世史を読むと主君に殉じる武士の姿が濃厚にちらつく。
いや、明治以降、近代人も、少なからず殉死しているのではないか。
古代ではどうだったのだろう。
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参考までにこのページをリンクしておく。三浦佑之(千葉大学教授) 「殉死と埴輪」
URLリンク(homepage1.nifty.com)
==以下引用==
忠誠はどのように行為化されるか、王の権威はどのように示されるか、その一つの具現化として、殉死はごく自然に存在しえたのではないかというふうに考えてみることが必要なのである。
そして、このように説話群を読み解いてくると、殉死(殉葬、殉殺)という行為が、たんに伝承の問題としてではなく、現実の行為としても行われていたということは疑う余地がないように思われる。
そこに残酷さや野蛮さをみることは可能だが、古代的な主従関係のなかで、従う者たちの選ぶべき道として、殉死は選ばされていたにちがいないし、ある種の美意識といったものが、死ぬほうにも、それを強いる側にもあったのは間違いなさそうである。
引用した三浦佑之サイトのトップページはこちら。
URLリンク(homepage1.nifty.com)