聖徳太子 総合スレッドat HISTORY
聖徳太子 総合スレッド - 暇つぶし2ch66:日本@名無史さん
08/04/23 18:03:59
URLリンク(ytrytryrty.boldlygoingnowhere.org)
これ最高!!

67:日本@名無史さん
08/05/09 11:40:55
推古天皇は敏達天皇との間に2男5女を儲けたとされている。竹田皇子を
寵愛し、後継者として考えていたが竹田皇子は早世した。ところが気になるのが
尾張皇子、尾張皇子には位奈部橘郎女がおり、彼女は聖徳太子との間に
一男一女を儲けている。尾張皇子って本当は推古天皇の実子じゃなく他の
女性が産んだ子を推古天皇が養子にしただけじゃないだろうか。

尾張皇子について詳しい人教えてください。

68:日本@名無史さん
08/05/09 14:25:39
記紀による限り尾張皇子は推古天皇の実子。
崇峻天皇没後、次の帝位を竹田皇子と厩戸皇子が争った時期、
尾張皇子はまだ幼く(尾張皇子は推古天皇が産んだ6人目の子)、
実兄竹田皇子の存在もあったために、
皇位継承争いには加わらなかったと思われる。
また、母の推古天皇が当時としては69歳まで生きたため、
推古天皇より先に没し、推古没後の皇位継承争いに加わることもなかったと思われる。
尚、推古の長女菟道貝蛸皇女も厩戸皇子の妻になっており、
皇女の嫁ぎ先は当時皇族にしか求められなかったことから、
尾張皇子の娘が厩戸皇子の妃になったことは特に珍しいことではない。
天寿国曼荼羅繍帳を作ったとされる尾張皇子の娘橘大郎女は
厩戸に比べて相当若い妃であったであろうとは考えられる。

(推古天皇即位時点での皇位継承有力者の年齢)
推古天皇(敏達天皇大后) 40歳
厩戸皇子(用明天皇嫡子) 20歳  
竹田皇子(推古天皇長男) 推定18歳
尾張皇子(推古天皇次男) 推定11歳


69:日本@名無史さん
08/05/10 05:18:40
>>68
皇極・斉明天皇が譲位するまで生前譲位はありませんでした。推古天皇の時代には
天皇(大王)が亡くなるまで次期太子を決めることができなかったんですね。
すると尾張皇子も娘を儲けたのは良いとして、竹田皇子と同様母の推古天皇の
生前に死亡したのですね。そして孫娘が産んだ一男はまだ幼く天皇の後継者には
なりえる資格がなかったと解釈してよいのでしょうか。また、宜しく御教授ください。

70:日本@名無史さん
08/05/11 04:16:11
聖徳太子って存在をもし作ったとしたなら
一体何を隠したかったのかな?

誰が創作したのか本当にいたのかよくわからんけど

71:日本@名無史さん
08/05/12 14:34:02
天武朝に、天皇を称える国史を編纂しようという気運が高まった→
天武の兄天智は若いころ中臣鎌足らとともに蘇我氏を討った。
天皇家や藤原氏を称えるため、蘇我氏は悪者にしなければならない。→
しかし、推古朝を編纂する際、偉大な功績を残した大臣蘇我馬子の存在が気になる。
馬子は中大兄らが討った入鹿の祖父、蝦夷の父で偉大であってはどうしても困る。→
厩戸皇子の子山背王は舒明天皇との皇位継承争いに敗れ、蘇我氏に滅ぼされた。
厩戸皇子は蘇我馬子が生きた時代と時代的にも一致する。
厩戸皇子は本当はこの時代にはなかった皇太子だった、
それも聖主であったことを表すために聖徳太子という尊号を与え、
大臣蘇我馬子の功績はすべて「聖徳太子」の功績ということにした。

72:日本@名無史さん
08/05/12 16:38:45
>>71
文章荒いけど、言ってることはよくわかる。
おそらく、偉大な「聖徳太子」誕生の事情はこれでガチだろう。
「聖徳太子」に対する異常な賞賛の理由もさらっと説明できるし。
ま、ほとんど定説と言っちゃってもいいだろ。

73:日本@名無史さん
08/05/12 21:40:39
「立派なじいさんの孫が極悪人」
それがじいさんの功績を消さなければいけないほどのこととは思えないのだが。


74:日本@名無史さん
08/05/12 22:30:39
>>73
チミには歴史や人間を語るセンスがないとおも。
入鹿が「極悪人」かどうかは知らんが、暴力を用いて権力を奪取した者にしてみれば、その正当性を訴えるために「極悪人」としなければならなかったし、たとえ祖父であろうとも、その家の功績は目障りだったはず。
ま、平民にはわからない感覚なのかも知れんが。

75:日本@名無史さん
08/05/12 22:38:54
>>71-74
妄想乙。

76:日本@名無史さん
08/05/12 23:03:31
要するに、蘇我馬子は医大だったということでオケ!?

77:日本@名無史さん
08/05/13 01:32:07
おそらく、後付けで粉飾された部分を除いた聖徳太子の治績の多くも、馬子の手によるものと考えてよかろう。

78:日本@名無史さん
08/05/14 21:09:01
>>77
妄想乙。

79:日本@名無史さん
08/05/14 22:25:36
いやむしろ「聖徳太子」こそ妄想の産物だろ!www
俺も一応、厩戸皇子の実在までは否定するつもりはないけどねw

80:日本@名無史さん
08/05/15 22:29:31
>>79
それはお前の妄想

81:日本@名無史さん
08/05/15 22:56:10
>>80
君は聖徳太子の『未来記』でも信じてるのがお似合いだよ!www

82:真皮の太子
08/05/17 01:05:40
なかなかレベルが高いね。だ、もんで参入。
大山氏が聖徳太子はいなかったというロジックは、太子をキリストに言い換えてみればよく分かる。
イエスはいた。でも、人間に水をワインに変えたり、いざりの足を立たせることなんかできるはずはない。
だから、キリストはいなかった。ということになる。大山が言ってることはこれと同じ。
キリストの神秘化がいつの時代に行なわれたかは、もうすっかり解析されている。でも、キリストはキリスト。
大山の話をキリスト教国の歴史学者や神学者に聞かせたら、笑い出すだろう。
水戸黄門が漫遊できたはずはない。だから光圀はいたけど黄門はいなかった?
聖徳太子の事績から、神秘的なものを取り除いたら厩戸になるという発想そのものがヘン。
真皮を除いたら名前が変わるのか(包茎手術したら変わるけど)。
大山のデータ処理は作為的過ぎるんだ。

83:日本@名無史さん
08/05/18 01:08:49
わしも参入おけ?

作為的に見える、ということは逆に論理的には間違ってない、ということじゃないのかな。
ある論理があって、それが作為的かどうか、はまた別の話でもあるだろうし、82さんの
言ってる事は大山の論と同じに思う。

ところで聖徳太子がいなくてもあんまり困らないけど、キリストが明日にでも復活して
「全部ウソぴょ~ん」って言ったら困る人多いだろな~。
ほんでさ実際、神秘化というウソ、はつかれてるわけだから、なかなかややこしくないかな。
いかん、話がずれた。

84:日本@名無史さん
08/05/18 11:35:57
>>82
前半の論旨は至極尤も、てかそんなことは言わずと知れた自明のことだが、後半言ってることがよくわからん。
同一人物でも別人格、ということがあるうるのは心理学でも認められてることで、ましてや轢死の人物ならなおさらジャマイカ!?
東照大権現様と徳川家康は同一人物だが、別人格ジャマイカ?
マグダラのマリアと聖母マリアが同一人物かどうかは俺にはわからないけどね。

85:日本@名無史さん
08/05/19 02:12:31
>>77の言うようなことを記した史料は存在しない。
>>77の言うようなことを証明するものは何も無い。

つまり空想に過ぎない話ということ。

86:日本@名無史さん
08/05/19 21:37:08
>>85
ところで、『未来記』だと地球が滅亡するのはあと何年後ってことになってんの?

87:日本@名無史さん
08/05/19 23:09:49
残念ながら、轢死というのは史料に残ってないことが山ほどある。
それに、その残ってる史料というヤツも誤謬や偏見を多分に含んでるんだよ。
実証史学が史料から一歩も離れられないというなら、轢死学者に轢死の実相を明らかにすることは不可能。
そんな轢死学に期待するよりは、君も平民なら平民らしく、常識を使って自分のアタマで考えてみるんだな。

88:日本@名無史さん
08/05/20 05:37:25
>>77みたいな話は
全く実証性のない空想。

89:日本@名無史さん
08/05/20 23:13:13
今更だが、『日本書紀』の記述でも「是歳、皇太子(聖徳太子)・嶋大臣(蘇我馬子)、共に議りて、天皇記及び国記、臣連伴造国百八十部并て公民等の本記を録す」とあり、少なくとも歴史書編纂事業は太子と馬子の共同事業とされている。
馬子の名前を後で付け足す理由はないから、馬子の関与大なるは確実。対する太子の方は……さすがに俺も、太子の名前が後で付け加えられたなんて主張するつもりは毛頭ないけどね(笑)
また、こういう場合、上席者は単なる名義貸しであることが定石、とは言わないが、得てしてそういうことがよくあるということも、頭の片隅くらいにはいれとこうね(笑)

90:日本@名無史さん
08/05/20 23:18:51
ま、平民と話しても詰まらないだけなんで、これくらいにしておくが、もう一言だけ言っておけばだな、聖徳太子の超能力は『日本書紀』の保証付きだからなwww
そこんとこ、くれぐれも誤解のないようにw

91:日本@名無史さん
08/05/21 01:14:59
>>89
まあ、>>77みたいな空想には結びつくものじゃないがな。

>>90
えーと、『日本書紀』は当てにならないと言いたいようだな。
『日本書紀』が当てにならないならば>>89の話も当てにならないし、
そもそも蘇我氏そのものが存在しなかったことになるw

92:日本@名無史さん
08/05/21 01:33:57
>>91
君は味噌も糞もカレーも一緒に呑み込むような人間か?
もしその区別がつくのなら、『書紀』の太子周辺の記述が、とりわけ粉飾の色が強いということくらいは理解できように┐(´ー`)┌

93:日本@名無史さん
08/05/21 18:57:18
>>91
おまいはそうやってイチかゼロでしかモノを考えられないのか?
そんな単純な話なら楽でいいけどよw
ま、オツムの弱い奴って、すぐそうやって楽をしたがるもんだけどなw


ゆとり、おそるべし(((゜д゜;)))

94:日本@名無史さん
08/05/21 20:12:06
日本書紀の自説に都合の悪い所があれば粉飾捏造とする。
日本書紀の自説に都合の良い所があれば真実とする。

ご都合主義の典型的事例ですな。

95:日本@名無史さん
08/05/21 22:22:56
>>94
勿論ご都合主義であるかどうかの判断はあろうが、批判的に史料考証をするのは当然、歴史学のいろはの‘い’だぜ。

だいたい『日本書紀』自体がご都合主義的記述に満ちているのだから、それを取捨選択しないでどうする!?

矢張り君は糞とカレーを混ぜて食うのがお好みらしいなw

マジで詰まんねーよおめえヾ( ´ー`)

96:日本@名無史さん
08/05/21 22:36:03
まあいい、それなら具体的いこう。
君もさすがに『書紀』の叙述を丸ごと信じてはいまい。
君の言うご都合主義的かどうかは知らぬが、少なくとも事項ごとにその当否を判断するだろ?
例えばこれはどうだ?
「生れましながら能く言ふ。聖の智有り。壮に及びて、一に十人の訴を聞きたまひて、失ちたまはずして能く弁へたまふ。兼ねて未然を知ろしめす」
君はこの記述を歴史的事実だと思うのか?
この部分を否定したら、丸ごと『書紀』を否定しなければならないのか?
つまらないのでいい加減うんざりだが、一応訊いてやる。答えよ。

97:日本@名無史さん
08/05/22 01:37:05
>>95
『日本書紀』を自説の都合のいいように恣意的に取捨選択をしているから
ご都合主義と言ってるんだよ。

>>96
常識の問題だよ君
日本書紀に限らず、中国史書なんかでも
帝王の出生伝説とか眉唾な話は多々あるわけでね。
ある中華皇帝が眉唾な話で潤色されてるからといって
その事跡まで潤色扱いして否定するなんで馬鹿げた話だ。

98:日本@名無史さん
08/05/22 22:56:49
>>97
君が糞とカレーの分別がつくようなのでよかったよwww
そのとおり、君にも『日本書紀』がいかに“ご都合主義”的で作為に満ちた叙述をしているかわかっただろう?
そのことが確認できればそれで充分なんではあるが、敢えて一言付言すれば、君はそのご都合主義の生じた理由を中国の史書になぞらえて推定し、私はそれとは違う推定をする、それだけだ。
事績にまで敷衍するのは怪訝しいという指摘だが、例えば冠位十二階の制定はどうだ?
『書紀』には太子の事績であるとは書かれてないようだが、いつのまにやらそれが太子の事績であると当然のように了解されてはいないか?
ま、ソースはこの板の最初の方だがなwww

99:日本@名無史さん
08/05/24 00:32:21
>>31
という事はキリスト教日本伝来は早かったのね。

100:日本@名無史さん
08/05/24 06:57:00
>>99
景教な

101:日本@名無史さん
08/05/24 12:58:05
>>99
知らぬならググってみればホトトギス

102:日本@名無史さん
08/05/25 13:00:30
胡散臭い・・・
聖徳太子の末裔とかいっちゃってるよ!
URLリンク(www.robinhouse.co.jp)

103:日本@名無史さん
08/05/28 00:37:38
建築方面では、太子講、というのが今でもあるけど、聖徳太子を語るときにあまりそっち方面からのアクセスはないね。
宗教&政治的聖人、以外にも職人さんの信仰の対象にもなってるんだよね。
そういう職人さんたちは書紀的な太子の奇跡みたいなのではなくて、あくまで職能的な
ものを対象としてるのだけど、実際に太子がそういう曲がり尺を考案したとかそういうことをしていたかどうか、
これはどうなんでしょうね。
地方のお寺にもいきなり、太子堂、みたいなのがあって別に法隆寺とはなんの関係もないのでしょうけどね。
スレチでごめん。

104:世界@名無史さん
08/06/01 22:57:27
聖徳太子とキリストは何の関係もない。馬小屋で生れたとすら書いてない。原典欲嫁。
皇后(間人皇女)は馬官の屋敷で出産しただけであって、その時に厩の戸に触ったから安産だったって書いてある。
馬は生まれるとすぐに立って走り出すから安産のシンボル。つまり、犬の帯をしたから安産だったって程度の意味しかない。
それを無理やりキリストにこじつけたのは久米邦武。あいつは、神道を道教に引っ付けたり、とにかく引っ付けるのが大好き。
当時出産は血の穢れだったから宮中では産めず、宿下がりした。産屋で産んで、産屋は使用後焼却したらしい。
これはかなり後世でもそうで、太子の場合その生んだ場所が馬官の屋敷だったに過ぎない。

105:魔 歴史地理
08/06/03 20:07:00
推古天皇は居るよ

106:日本@名無史さん
08/06/05 08:04:15
官位制と官職制を制定したのは聖徳太子だよな?



科挙の試験に合格すれば官職に就けた。
本来の官位制を忘れ、家柄が優先されたのが平安時代だな。

107:日本@名無史さん
08/06/05 08:21:54
科挙の試験で合格し、宮廷職や武官に就くのが奈良時代の官位制。
いつからか、家柄の良い貴族(藤原氏)しか官位がもらえなくなった。
その概念を壊したのが武家の平清盛で、その後をついてきたのが源頼朝。
また武家政権から平民政権に変えたのが豊臣秀吉や石田三成で、家康が平民政権を恐れ士族政権に戻した。
だが士族封建政治に限界が来たので、坂本龍馬や伊藤博文が近代財閥政治を作った。
だが財閥政治にも限界が来たので、軍人が台頭してきたというのが大まかな流れである。



108:日本@名無史さん
08/06/05 09:29:44
>官位制と官職制
それでは、概念が重複してる。官職+位階=官位
まあ、たぶん冠位と書きたかったんだろうが。

>家柄の良い貴族(藤原氏)しか官位がもらえなくなった
そんなことはない。6位以下なら中下級氏族も叙されている。

あんまりいい加減なこと書いてると、また夜にブヨがわめき出すぞ。

109:日本@名無史さん
08/06/05 18:08:42
平安時代は宮中で位階を受ける儀式に参加するのは本姓の藤原氏が主流。
オケーい?





110:日本@名無史さん
08/06/05 18:13:58
藤原氏以外も受けていたのだろうが。
中流や下流も受けれたのも理解できる。


111:日本@名無史さん
08/06/06 13:07:01
>70
日本書紀の成立過程をみるとよく分かる。
669年白村江で倭軍敗退。その後、北九州に唐軍に進駐されていた。
唐新羅との戦争に敗れた倭は、正史で半島大陸に野心がなかったことを訴えなければならなかった。
東京裁判みたいなもんだな。
そのためには、隋の皇帝に迫って、倭の「天子」の地位を認めさせた太子の業績は、歴史から抹殺する必要があった。
だから、当時天皇であった厩戸は、皇太子にされた。皇太子なら、私人であり、隋への無礼も国がらみでなくなる。
で、皇太子に格下げされ、そのままでは祟りが怖いので、その代償として偉大な聖人とされた。
というところジャマイカ。

112:世界@名無史さん
08/06/20 23:28:16
>111
ありゃ、久しぶりに来て見れば・・・過疎スレ?

113:日本@名無史さん
08/09/01 15:28:02
山川の詳説日本史研究が10年ぶりに改訂されました。
案の定というか、古代史を矮小化する記述が増えてます。

・「魏志倭人伝」は存在しない
・「任那日本府」は存在しなかった
・世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない
・「聖徳太子」は架空の人物
・「大化の改新」は存在しなかった
・天武天皇以前に「天皇」はいなかった

114:日本@名無史さん
08/09/02 06:08:00
「あった、いた」 という記録も確かにあるのだから決定なんてできないだろ
いなかったのかも、ならわかるが。
まあ色々な論が出てくるのは面白いけどね

115:日本@名無史さん
08/09/15 04:31:00
聖徳太子否定論者は、自分の能力を基準にして偉人を否定する者である。
もっと素直になれと言いたい。

116:日本@名無史さん
08/09/16 00:05:47
田中英さんとかの反論があまり出てこないけど、どうしてなのかな?
結局最近では、法隆寺再建問題はどうなったの?
年輪年代法が信用できない、なんてのもよそのトピではみたことあるんだけど。

117:日本@名無史さん
08/10/14 17:52:40
この漫画どうよ?
URLリンク(ja.wikipedia.org)

118:日本@名無史さん
08/10/14 19:43:53
めちゃくちゃおもろいよ。
当時クレームがついたぐらい影響もあったし。
ま、捏造だったらしいが。

今でもたまによみかえすよん。

119:日本@名無史さん
08/10/14 20:20:40
>>118
同性愛、妹との近親相姦。超能力。タイトルとは関係ない漫画だけどね。

120:48
08/10/15 01:17:05
>>111
そういえば隋の煬帝への親書は書紀に載ってないんだったっけ。
筋が通ったご意見に感心。
丸ごと信じるわけじゃないけど、無視できない意見だと思いました。

十七条憲法、冠位十二階、三教ギ書が太子の業績ではないというのには反対。
時に天才が生まれるのは認めたい(空海もそう)。というか反対(認めない)理由がない。
書紀の礼賛にはさすがに作為を感じるが・・・。日本の基礎の基礎?を馬子とともにつくった
皇子(天皇か?)はいたんじゃないのかな。その人が聖徳太子と呼ばれた。
ことさら存在を否定する必要はないと思います。

121:48
08/10/15 01:24:02
あの漫画は面白かった。
女性作家ならではのストーリー展開だったね。

122:日本@名無史さん
08/10/15 19:38:05
聖徳太子の母親がペルシャ人説ほんとかな?
ホントだと嬉しいな。

123:日本@名無史さん
08/10/15 20:51:08
>>122
それは無い
出自がはっきりしてないと皇族と結婚できないのは今も変わらない

124:日本@名無史さん
08/10/15 20:54:47
>>117
主人公が、聖徳太子である理由が欠片も存在しないのを許容できれば、おもしろい漫画。

125:siraki
08/10/15 21:00:21
豊總耳聖德上宮法王 百済 貴首王 戦死
URLリンク(enjoykorea.jp)

126:日本@名無史さん
08/10/15 21:14:02
蘇我  馬子
蘇我入鹿
    ↑
こんな馬鹿げた父と息子がいたとしたら、蝦夷も笑ってしまう。
蘇我氏自体が架空の氏族で、葛城氏の存在を隠ぺいする目
的で、でっちあげられたのではなかろうか?
聖徳太子?キリスト生誕をモチーフに作られた寓話。

127:日本@名無史さん
08/10/15 23:37:36
一応、爺と孫だけどな。
最近は関なんかが立派なシリーズになっててビビルけど
太子は入鹿だったとか馬子だったとか、何で今更ってとこだ。

128:日本@名無史さん
08/10/16 15:27:28
>>123
お母さんは孔部間人皇后(あなほべのはしひと)と呼ばれていましたね。
記憶がハッキリしていませんが、ペルシャ語でアナは「私」、ホベは「良い」だったと
思いますが、これをつなげると、「私は良いハシ国人の皇后」となるのでしょうか!!

始皇帝は目が青かったと言われていますが、聖徳太子も目が・・・ペルシャ人は黒かったかな?

129:日本@名無史さん
08/10/16 17:01:39
波斯(パーシ、ハシ)人と云えばペルシャ人だが。

じゃ聖徳太子はダルビッシュ見たいな感じか。

130:日本@名無史さん
08/10/16 20:38:31
もしかしたらじいちゃんがブラジル人の小島よしおのようなキャラだったのではないの?

131:日本@名無史さん
08/10/16 22:38:53
聖徳太子の両親は兄妹結婚(異母だが)
ペルシャ人とかそんなに先進的じゃなかった模様
国際結婚どころか思いっきり身内(それも兄妹で・・・)結婚

132:48
08/10/18 08:16:26
>>131
あのあたりから天智朝、天武朝の皇族は近親婚が多いね。
天皇に近い血ほど高貴だとされてたから、不自然だとは思わなかったんでしょ。
あるいは「天皇家の血をつくる」こと自体が目的だったとも妄想できる。
古代国家では別に珍しいことじゃないんでしょ(勉強不足でスマンが)。

133:日本@名無史さん
08/10/18 23:36:30
>>132
平安時代までの貴族は身分の高い人にあこがれていたため近親婚ヤりまくりだった。 

聖徳太子が生きた飛鳥時代だともっとトンデモなくて皇后や妃には血統を重視して同一家系から選ばれました。
勿論、豪族の娘を娶る事も多々ありはしましたが、正妻に迎えるケースは稀でした。 
殊に皇后ほどの身分となると、やはり同じ皇族から迎えるのが無難とされた様子です。 
兄弟にして夫婦とか伯父と姪の結婚とかそんなのが当たり前の世界・・・。これが飛鳥・奈良時代の天皇家。 
有名な例としては天智天皇(中大兄皇子)と妹の間人皇女(孝徳天皇皇后)との同父同母間の関係です。 
当時は、異父母系の関係は許されていましたが、彼等の関係はその掟を破るものであり、 
そのため天智天皇は間人皇女が死ぬまで天皇になれなかったという説があります。
その結果として体が弱い人や知能が明らかに劣っている人や異様に短命な人が多かったらしい。
日本書記にも生まれつき白髪だったとかとか,生まれつき声が出なかった皇子が記載されています。 
しかし,平安時代以降は藤原氏との度重なる婚姻により劣性遺伝の可能性は否定できませんが、
異常性について正史には残っていません。 おそらく、歴史に記載されなかった劣性遺伝の皇子が存在したでしょう。
無論医学的に血のつながりの濃い近親婚を禁じる理由なんていくらでもある。 
ただし、近親婚をすると不良品ができる可能性が高くなるけど、生まれつきの天才ができる場合も高くなる。その典型的な例が競走馬や家畜。 
実際、聖徳太子ような生まれつきの天才は近親婚の産物だから近親婚=悪い遺伝を持った子ばかり、ということもない。 



でも、家畜と違って人間の場合は「身体・知的能力が劣る奴は4ね!!」というわけにはなかなかいかないからなぁ~。 

134:日本@名無史さん
08/10/19 07:53:03
血のつながりを重視して同族同士の結婚を繰り返したことが蘇我氏滅亡の原因。
腐った羊水の女が奇形児やダウン症、脳性麻痺、学習障害児を次々に産み落とし、
滅亡に追いやったんだよ。
聖徳太子は、そんな呪われた血の池に咲いたあだ花。

135:日本@名無史さん
08/10/19 08:07:51
>>134
この板で既出だが、
お前のあげた奇形児やダウン症、脳性麻痺、学習障害児は
いずれも近親結婚とは一切関係がない。
近親結婚も通常の結婚も奇形児の生まれる確率は全く変わらない。

それに、蘇我氏内部に奇形児なんていたっけ?
とにかく近親婚の影響ではないから。

136:日本@名無史さん
08/10/19 08:15:29
内々に処分されてきたのです。
流産も多かったと思われます。


137:日本@名無史さん
08/10/19 15:57:27
日本人て何でこうだめなんだろうね。
自国最高の偉人の一人をまともに顕彰もできないなんて。

138:日本@名無史さん
08/10/19 22:19:15
>>134
蘇我氏とかどうのこうのは関係ありません。
重要なのは近親婚をやると遺伝子疾患に罹る確率が高いという事実だけです。

近親婚をやると常染色体劣性遺伝疾患の頻度が増加することが知られています。
常染色体劣性遺伝は、 問題のある遺伝子を二親ともから遺伝されることによって引き起こされる病気なので、
保因者のいる家系同士で子供を作ると、劣性遺伝子を両方持つ可能性が高いのですね、
およそ普通婚の12倍程度だといわれています。

常染色体劣性遺伝疾患の代表的な例として知られるるのは、
全身白子、先天性魚鱗癬、テイ. サックス病、嚢胞性線維症、フェニルケトン尿症、
ガラクトース血症、糖原病Ⅰ型、ウイルソン病などがあります。
詳細は↓で・・・。
URLリンク(genetopia.md.shinshu-u.ac.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(merckmanual.banyu.co.jp)
URLリンク(www.h2.dion.ne.jp)
URLリンク(membrane.jugem.jp)
URLリンク(www.mh.nagasaki-u.ac.jp)
URLリンク(www.primate.or.jp)

139:日本@名無史さん
08/10/19 22:50:12
近親婚によって劣性遺伝子が発現しやすくなる。
としか書かれていないな。


140:日本@名無史さん
08/10/20 19:29:39
>>139
確か、人間の遺伝子にはかなり高い確率で損傷があるとか。
でも遺伝子(=ここでは染色体の意味)は一対なので、異常な部分があっても優性遺伝で無い限り
もう片方の遺伝子が補っていて、表面には顕れません。でも父母が近縁者だとすると、
父親由来の遺伝子と母親由来の遺伝子が同一になる可能性が高くなります。 
結果、異常な遺伝子が一対揃ってしまい、病気や奇形などになる確率が高くなります。 

シミュレーション:劣性遺伝の場合
 Aa : 父親の遺伝子。aが変異した異常な遺伝子。aは発現せず正常な人。
 Ba : 母親の遺伝子。父親と血縁で、aは遺伝した異常な遺伝子。同じくaは発現せず正常な人。

 生まれた子供の遺伝子: 
 AB : 正常な遺伝子を持った子供。
 Aa : 父のAと母のaを受け継いだ子供。父と同じ、aは発現せず正常な人。
 Ba : 母のBと父のaを受け継いだ子供。母と同じ、aは発現せず正常な人。
 aa : 両親の異常なaを受け継いだ子供。aの以上が発現し、病気や奇形が発症。

なんと、25%の高確率で異常が出てしまいます・・・。

141:日本@名無史さん
08/10/20 19:42:19
近親婚による天才=聖徳太子
   〃    異常=冷泉天皇他

142:日本@名無史さん
08/10/20 20:17:46
よもや今時優性遺伝劣性遺伝の意味を理解してないやつが居るとはw

143:日本@名無史さん
08/10/20 21:02:26
蘇我氏に限らず、近親婚が原因で滅んだ氏族は数知れずいるのに、
今の日本では従兄同士でも結婚できるというのはどういう良賢なの
でしょうね?

144:日本@名無史さん
08/10/20 21:27:02
>>143
桓武天皇も異母妹の酒人内親王を妃にしてる。
脇腹の皇子が即位して、后腹の内親王が皇后になれないというある意味すごいことだけど。
更にその桓武の息子の平城天皇は、酒人内親王の娘である
朝原内親王を妃にしている。従妹で異母妹という血の濃さ。

平安は中期以降は異母兄弟の近親婚はないよ。

そして近親婚の優れた例で引用されるのは常に聖徳太子で、他は殆どいないということも考慮した方がいい。
濃すぎる血の弊害での奇矯な例なら、天皇家だけでも陽成天皇や冷泉天皇、花山天皇などが出てくるのにね。 

145:日本@名無史さん
08/10/20 21:31:50
大正天皇、愛子・・この辺も考慮すべし。

146:日本@名無史さん
08/10/20 21:42:12
藤原氏とかの血も入ってるから完全に近親婚てわけでもないよ。

147:日本@名無史さん
08/10/20 21:58:45
柳原白蓮が大正天皇妃になってれば面白かったのに。

148:日本@名無史さん
08/10/21 19:22:31
>>140
おいおい・・・
近親婚で「奇形」は出ないよ。
具体的にどんな病気が「優性遺伝」か調べてごらん。
この板の連中が声高に連呼している「奇形」「精神病」は
近親婚の影響が出る「優性遺伝」の病気ではないから。
残念だろうが。

149:日本@名無史さん
08/10/21 19:42:48
>>141、143
両親が兄妹婚でまともだった例

聖徳太子、来目皇子、長屋王、藤原麻呂(京家の祖)、孝謙天皇等々

そこにあげられてある陽成天皇、冷泉天皇、花山天皇は
いずれも両親がいとこ同士でそれほど血縁は近くないんだよ。
いとこ婚まで探すなら、優秀な天皇の例はいくらでもあがる。

おば×甥婚でまともだった天皇の例
元正天皇、後冷泉天皇、花園天皇等々

両親がいとこ同士でまともだった天皇の例
円融天皇、一条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、
後冷泉天皇、後三条天皇、鳥羽天皇、後白河天皇
後宇多天皇等々

貴族でも藤原道長とその妻源明子はいとこ婚。
摂関家でも近親婚は多い。
そもそも陽成天皇や冷泉天皇、花山天皇のような精神病は
近親婚は全く影響なし。
そもそも天皇家に遺伝病が伝わっていなければ近親婚でも病気にならないし、
優勢遺伝する遺伝子が入り込めば兄弟姉妹みなが発病するので
一人だけが突然変異で発病することはありえない。

150:149
08/10/21 20:01:14
孝謙天皇
両親が兄弟婚→おば×甥婚に訂正。

151:日本@名無史さん
08/10/21 20:49:07
人類進化の歴史を理解していない人が多いみたいですね。
ミトコンドリアアダムとイブの集団も100人程度の小さな集団内で近親
相姦を繰り返したことで現在の人類の祖先となる集団を形成した。
でなければ、短い時間でネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドといった
人類の進化を遂げることはなかった。
近親相姦こそ、進化の原動力です。

152:日本@名無史さん
08/10/21 21:29:09
F島とD東でさえ生き残っているわけだし、
100円割れしたからダメというわけでもない。
まだまだ安心ですね。

153:日本@名無史さん
08/10/22 19:39:09
>>144
陽成帝や冷泉帝の異常が近親婚によるものだという説明はされてないと思うが。

154:日本@名無史さん
08/10/22 21:11:06
>>151
人間以外の生物でも、血縁の近いもの同士の間に子孫を残すことを避けるよう進化しており、例えば植物では自家受粉を忌避するしくみを持っていますし、
人間を含む動物では、体臭などを手がかりにして、近い親族への性欲が生じないようになっていることが多いのです。

近親相姦は自然状態では「できるだけ避けること」であり、絶滅に瀕した際の緊急避難的措置です。

進化の淘汰圧に、劣性遺伝子が大きく関与していることは事実でしょう。「人間以外の哺乳類の近親相姦はよくあること」というのは、人為的な育種(品種改良)のことでしょうか。
わざと近親婚をさせて劣性遺伝子を発現させることで排除し、ある特定の遺伝子のみをピックアップしているのです。沢山の「要らない子孫たち」をぶっ殺すことで初めて可能な操作です。
多様性をなくすことで、遺伝子を均質化しているとも言えます。多様性を無くした種は、環境の変化に対して極めて脆弱です。
古代エジプトのファラオの家系や、上代日本の皇族についても、ごく稀に発現する“遺伝的スーパーマン”のために、多くの闇に葬られた命があることはよく知られています。
御幣があることを承知で言うなら、やんごとなき血統を奉る周囲の勢力によって、“品種改良”されていたのです。

決して近親相姦を好んだからではありません。


155:日本@名無史さん
08/10/22 21:27:00
>>154
好きで近親相姦を繰り返したわけではなく、
ほかに相手がいなかった。そういう理由では?


156:日本@名無史さん
08/10/22 21:36:54
>>154
天皇家や藤原氏などは貴種だから人為的に近親相姦したのは事実だが
近親相姦は自然状態ではできるだけ避けることであったかというと人間の場合そうではない。
新幹線やインターネットの出会い系もなかった時代、
交通手段を持たない人類の移動手段は限られていて、
狭い「村」で生涯を終えることがほとんどだった一般庶民は意外と近親婚だった。
若い男女が出会う手段は「村」の中でしかなく、
あるいは親が親戚から年齢の似た異性を探し出して娶せたりしたため。
戦前における日本の一般庶民の婚姻は意外に近親婚なのだ。
一夫一妻である庶民は兄弟姉妹婚すらなかったけれども、
いとこ婚やら兄嫁の一族に妹が嫁ぐとか、
血縁のあるところにしか娘をやらないという
閉鎖性がどこの社会でもみられていたのだ。
一般庶民ですらそんな具合で命をつないできたのだ。

157:日本@名無史さん
08/10/22 21:57:33
ここは聖徳太子スレでつ。近親相姦の話がしたいなら専用スレ立ててそちらでやってください。

158:日本@名無史さん
08/10/22 22:12:07
近親相姦で生まれたあだ花=聖徳太子。という論旨なんですが・・・

159:日本@名無史さん
08/10/22 22:59:51
証明できてないし

160:日本@名無史さん
08/10/22 23:07:04
>>155
相手がいないというか、
欽明王統があえて閉鎖的な血統を創り出そうとしてたってことでは。
男系世襲を確かなものにするために。
閉鎖的な婚姻をしてれば
継体みたいに入婿で王位継承することは防げるから。

161:日本@名無史さん
08/10/22 23:10:41
>>160
古代日本は双系主義
母方でも父方でも天皇の子孫であることが望ましい
持統天皇あたりからおかしくなったんだよな
孫の文武天皇に皇族の皇后をめとらせなくなった
早世の天皇が出たりすると
一気に天皇にめあわせるべき内親王がいなくなるっていう事態になったり

162:日本@名無史さん
08/10/22 23:51:04
遺伝疾患の診断やその遺伝予後を判定するためには,詳細な家系図を作ることが必要である.家
族歴を聴取する意義としては,以下のことが挙げられる.

1)正確な診断の助けとなる.
2)正確な予後を推定することができる.
3)遺伝疾患の発症前診断や発症予防が可能となる.

家系図は必ず古い世代を上に新しい世代を下に記す.日本ではしばしば左から右に向かって書いてある家系図を見かけるが、
上から下というのは国際的に決められていることなので,左から右というのは好ましくない.
家系図をとるにあたってのコツとしては次のようなことがある.

1)血縁者およびその配偶者,特に遠縁の血縁関係の聞き出しには,まず固有名詞と住所を聞いておく.そうすれば,次にそのまた血縁者を聞くときに,クライエントはすぐ思い出すことができるであろう.
2)いま問題になっている遺伝性疾患に関係ある事項のみならず,関係ないと思われてもできるだけ情報を詳細に集める.
3)流産,死産,新生児期あるいは乳児期などに死亡したものの情報は非常に重要である.
4)最初からきれいな家系図を描こうと思わないこと.最初はラフなものでよい.すべての情報を得た後,清書する

163:日本@名無史さん
08/10/22 23:52:41
家系図から情報を読みとる際,最も重要なことはどの人とどの人がどれだけ遺伝子を共有しているかを知ることである.親・子・兄弟はそれぞれ遺伝子を1/2ずつ共有しており,
第1度近親と呼ばれる.我国では伝統的に「親等」という言葉があり一般にひろく用いられている.しかしこれは法律用語であり,1親等は親と子の関係を表し,兄弟は2親等になってしまう.
したがって親等という言葉を医学用語として用いてはならない.兄弟も親・子と同じく,1/2の遺伝子を共有していることに注意が必要である.
祖父母,孫,オジ・オバ,オイ・メイは第2度近親であり,1/4の遺伝子を共有している.いとこは第3度近親で,1/8の遺伝子を共有している.
常染色体優性遺伝病の場合は第1度近親者の情報がとくに重要である.患者の両親が正常と思われる場合でも軽微な症状がないかどうか詳細に検討する必要がある.
表現度の差の大きな疾患もあるからである.また患者が生まれたときの両親の年齢を聞いておくことも重要である.父親年齢が高くなると常染色体優性遺伝疾患の突然変異率が高くなるからである.
常染色体劣性遺伝病が疑われる場合は,夫婦間に血縁関係がないかどうかを記載する.夫婦間に血縁関係があると常染色体劣性遺伝による疾患である可能性が高くなる.
最近では核家族が多くなり,先代にさかのぼって家族歴を聴取するのが困難になりつつあるが,両親の出身地を聞いておくとある程度類推できることがある.
X連鎖劣性遺伝病を対象とするときはとくに母方の家系の男性について詳しい情報を集める必要がある.
家系内に同じような病態の患者が複数発生すると,短絡的にメンデル遺伝病を考えがちであるが,親に均衡型相互転座があり,
それに由来する染色体異常の場合や,母が抗てんかん薬を服用していて,その催奇形作用により発症したものなどもあるので,
詳細に家族歴を聴取する必要がある.

164:日本@名無史さん
08/10/23 00:03:44
>>162-163でいろいろ書いたが・・・。

だいたい、近親婚は非常にリスキーです。

で、近親婚についてのタブーが強い地域と比較的弱い地域があります。例えば、アジアでは中国大陸と朝鮮半島はタブーが強いのです。
この背景を見ると、中国では牧畜が大昔は盛んだったのです。で、家畜のようなつくりの単純な生き物でも、近親交配を続けると、やっぱりヘンテコリンなのが生まれるんですね。
それを身近にみた人々は、近親交配を忌み嫌うようになります。中東アラブでできた、砂漠地方発の宗教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)も同じです。
近親交配から、変な家畜が生まれるのを経験的に知り、それが宗教的罪と融合して、宗教的に禁止されるんですね。

で、日本、東南アジア、エジプトのように、牧畜が盛んではなかった地域では、近親婚は比較的多かったのです。
これは、皇族や高級貴族に特にみられ、財産の安定と血の純潔さという観点から、近親婚がなされていました。

ただ、近親婚を徹底した結果、変わった事例も出てきました。
それは、近親婚はリスキーな反面、それを続けると、たまに、異様に優秀な人が現れたりするのです。
聖徳太子がそうです。彼の家計図をみるとわかりますが、まさに究極の近親婚の連続で生まれた人です。
これは、動物実験でも報告されていまして、まれに優秀な種が生まれるそうです。

165:48
08/10/23 17:38:24
ひゃあ、みなさん凄いな。
かなりハイレベルな書き込みなんじゃないの。
読めば理解はできるけど、自分じゃとても書けないないようだから、
何だか悔しい気もするぞw
164さんの結論からしても「太子はいた」と理解しておきたい。
ただ、近親婚だから天才が生まれたとは、まだ言い切れないわけだよね。
これはどっちでもいいけど。

166:日本@名無史さん
08/10/23 19:07:17
>>164
中国大陸と朝鮮半島では近親婚のタブーが強いというのは間違いだな。
中国人が同じ苗字の男女の結婚を古来禁じていたことは有名なことだが、
これだけでは近親婚を免れえない。
なぜなら、子供が父方の苗字を名乗れば、父方の同姓の者とは結婚できないが
苗字の違う母方の近親者とは結婚できてしまうから。
中国の「同じ苗字の者は結婚するな」は別段近親婚禁止のための政策ではなく、
父方の近親にしか影響が及ばないという点でその主張は認められない。

167:日本@名無史さん
08/10/23 20:03:12
>>161
別スレでも似たような「双系主義」って表現が問題になってたけど、
あくまで男系が天皇家であることが大前提で、その範囲内での双系なので、
大ざっぱに言ったら、やはり男系主義だろう。

女系要素を加味した男系主義といった方が正しい。
なぜなら継体以降の継承で、女系だけを根拠に即位した天皇はいないから。

168:日本@名無史さん
08/10/23 20:13:07
皇室は神武天皇以来男系が崩れたことはない。女系、つまり女帝の子孫が皇位についたことは一度もない。
それにしても近親婚の影響は聖徳太子を語る上では瑣末なことだ。

169:日本@名無史さん
08/10/23 20:17:46
>>167
君はあちこちに同じようなレスを張り付けて煽りたてている
女系天皇反対論者なわけだけど、論旨を読んでレスしてる?
古代日本ではなぜ近親婚が行われていたかという議論でしょ。

古代天皇家で血縁の近い女性が天皇の配偶者として選ばれたのは
双系主義(母方でも天皇の血を引いていることが望ましい)からに相異ない。

君があちこちで張り付けている
日本は男系主義だ!男系主義だ!の主張では
なぜ天皇の配偶者(大后や皇后)が皇族から選ばれていたのか説明できないよ。

170:日本@名無史さん
08/10/23 21:02:03
>>169
むしろ、ことさら「双系」を強調して、女系を強調しすぎるほうが
事実を歪曲してると思うけどね。

例のスレでも、女系派の事実歪曲が指摘されてたと思うが。

単純に、天皇家の系図が確実な継体天皇以降の皇位継承の例を見ればわかること。
すべて男系で皇統に属する人物が皇位についている。
「女系要素を加味した男系主義」といった方が、「双系主義」なんた誤解をまねく言い方より、
系図や史実の即した言い方だろうに。
その大后や皇后自身も男系で皇統に属する皇族である以上、天皇家という大枠が前提だろうに。

おたくはやけに「女系」にこだわってるけど、天皇家という男系の中の女系にすぎないのだから、
継体天皇の男系子孫による皇位継承であることは間違いない。
それを単純化して言えば「男系継承」、細かく言えば「女系加味の男系継承」で、どこが問題?

女系、双系を連呼するほうが史実に反する。

171:日本@名無史さん
08/10/23 21:06:01
>>170
ここは聖徳太子のスレですが?
スレ違いの内容は他スレへ行ってください。
聖徳太子の父は欽明天皇の皇子。
聖徳太子の母は欽明天皇の皇女。
ここをもって双系主義だと言っているのですが。

おたくが声高に女系反対を訴えているのは
聖徳太子の母方が天皇家だと不都合だからですか?

完全にスレ違いですよ?

172:日本@名無史さん
08/10/23 21:13:05
つ女系加味の男系継承

173:日本@名無史さん
08/10/23 23:19:58
男系女系で問題になるのは父系のみ。母系はどうでもいい。

174:日本@名無史さん
08/10/24 19:59:12
>>166
中国・韓国の場合は「インセストタブー」として禁止されていただけ。儒教では近親婚は”悪”だからな。 

古来より、牧畜などをしていた人類は、近親での交配の蓄積が何をもたらすのか経験上知り過ぎるほど知っていたはずです。 
日本のインセスト・タブーはかなり緩い方みたいです。現在の3等親ってルールも国際的にはかなり狭いほうみたい。
インセストタブーの文化人類学的な意味付けを理解したかったらレヴィ・ストロースとかその関連書籍を読むことを薦めとくよ。
世界中には多種多様なインセストタブーがあって、それらが統一的な原理で理解できることに感銘を受けるかもよ。 

175:48
08/10/25 00:53:47
凄い人たちがいるスレだとは分かったけど、
一般参加もできるように、そろそろ聖徳太子に戻ってくれるといいな。
太子は何者か? そもそも存在したのか?
日本の基礎をつくったと評価して良いのか?
そういった本筋というか、より太子に近い話題を希望。

176:日本@名無史さん
08/10/25 20:46:31
何者かというなら、用明天皇の皇子、厩戸の皇子である。厩戸は太子の生れた土地の名であり、読み方は「うまやと」と濁らない。
言うまでもなく、実在の偉人である。太子の業績をつらつらながむるに、後に聖徳太子と称えられる皇子がいたと結論せざるを得ない。
まず十七条憲法、特に第十条の「我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚かにあらず」、
つまり人間が「自分は聖者で相手は愚者だ」と思っている実態を喝破できる人物など、同時代はおろか、書紀編纂時にも他に存在しない。
また外交政策、馬子や入鹿では、あのような対等外交は考えもつかないだろう。冠位十二階もまた然り。

177:日本@名無史さん
08/10/25 21:11:12
遣隋使を送ったのは蘇我馬子だよ
崇仏論で辛苦をなめた馬子がついに姪の推古天皇の即位を見て
日本を先進国に追いつかせようとして送ったものだ

物部氏や中臣氏と長年争ってきた政界の長老蘇我馬子や
夫の没後天皇指名権を掌握し、天皇家の尊母として遇されていた推古天皇を退けて
厩戸ごとき青二才の若者が政治に口出しさせていただけるはずもない。

178:日本@名無史さん
08/10/25 21:24:25
>>177
問題は遣隋使ではなく、国書の方。
遣使自体は誰でも思いつく。
天皇の大喪という大切な席で、ライバルと皮肉を言いあうような小物に
「日出処の天子」なんて書けると思うかい?

179:日本@名無史さん
08/10/25 21:43:42
>>178
崇仏論者で渡来人の知識を持って日本初の飛鳥寺を建てた
国際情勢に詳しい蘇我馬子ならばそうしただろうね。
蘇我氏は渡来人と深い関わりがあり、
隋の置かれた情勢、日本のおかれた情勢はよく理解していた。

物部合戦には馬子配下の皇族として参戦、
馬子の真似して飛鳥寺そっくりの寺を建てることに没頭していた
厩戸には無理。

天皇の大喪で皮肉って、後の時代に蘇我氏に不利なように
作られた話でしょ。

180:日本@名無史さん
08/10/25 21:56:54
>>179
いくら国際情勢に詳しくても、時代の価値観を大転換させることはできないよ。
海千山千の政治家ならなおさらだ。
一人の天才をもって初めてできること。
物部合戦て・・・少年時代の話だろwwwww

181:日本@名無史さん
08/10/25 22:31:55
蘇我稲目、馬子に比べて、
蘇我蝦夷、入鹿があまりにも凡庸だったために蘇我氏は排除された
というのが真相だろう?

182:日本@名無史さん
08/10/25 22:33:06
>>180
隋との対等外交要求は国際情勢を知り尽くして初めて可能なこと。
条件さえ整えば案外簡単に誰でも思いつくことで天才でなくても十分だ。
そもそも、君は聖徳太子が十人の話を同時に聞くことができたとか信じてるの?
聖徳太子の神格化は平安末期~鎌倉時代。
貴族しか読めなかった日本書紀が庶民にも広まりだして、
大昔十人の話をいっぺんに聞くことができる偉い人がいたらしいということで
あっちこっちで庶民が聖徳太子像を作って祀りだした。
聖徳太子が神様だの偉い人だの言われだしたのはそれから。
生きてた時にはただの人。

183:48
08/10/25 22:59:03
>>182
ただの人が書紀であれだけ賞賛される(異常なほどでしょ)とは思えないが・・・。
オレは天才児・厩戸、後の聖徳太子はいたと思うけどな。
見てきたわけじゃないから、絶対にとは言わないけどさw

184:48
08/10/25 23:16:34
十七条憲法、冠位十二階、三教ギ書は太子の仕事か、否か。
これも太子の仕事だと思ってます。
もちろん根拠なしw
でも否定する根拠もないんじゃないのかな。

185:日本@名無史さん
08/10/25 23:33:22
>>179
渡来人と親好のある、空気の読める蘇我馬子。
それならなおのこと、中華帝国に向かって「俺とお前は同格だよな、仲良くしような」なんて文書くらないと思う。


186:日本@名無史さん
08/10/25 23:35:41
>>182
当時の中華王朝は絶対的な存在だっんだが?
少なくとも面と向かって「天子」と名乗るのは老練な政治家の発想じゃないよ。

>君は聖徳太子が十人の話を同時に聞くことができたとか信じてるの?
そんな伝説は学問とは関係ないだろ。何でそんな話になるの?

>聖徳太子の神格化は平安末期~鎌倉時代。
そりゃ神格化であって、賞賛とは違う。賞賛自体は書紀からある。

187:日本@名無史さん
08/10/26 00:07:34
>>184
十七条憲法が後世の創作だとすると、その配列の説明がつかない。
何で第一条が「和をもって貴しとなす」なのか?
仏僧の手になるなら第二条「篤く三宝を敬え」が来るはずだし、
官吏の作文なら第三条「詔を承りては必ずつつしめ」が冒頭に来るはず。
つまり太子以外には発想し得ないということですね。

188:187
08/10/26 00:15:33
それと、憲法と三教義疏は、文章の特徴が似ていると、坂本太郎博士の本に書いてあります。

189:日本@名無史さん
08/10/26 08:55:46
>>185
国際情勢を読めないお前の頭ではそうなる。
当時の隋のおかれた国際情勢を見てごらん。
東西南北敵だらけで、自分の同盟国を求めていたんだよ。
隋が日の出の勢いのときに小国日本が生意気な文面を送りつけていれば
下手すりゃ隋に攻め込まれてた。
日本が国際情勢無視で対等貿易を求めたと思い込んでるお前がバカ。

190:日本@名無史さん
08/10/26 09:08:17
ずいぶん隋を擁護するじゃないか。
しかし、天命で選ばれた天子にすぎない隋の皇帝と、
存在そのものが神である天皇と、どちらが偉い
かといえば、それは答えるまでもないじゃないか。

191:日本@名無史さん
08/10/26 09:34:29
>>190
天皇は神である、崇めよ、と命じたのは天武天皇。
歌人らに天皇は神であるという歌を詠ませ、
国民に唱和させたりしていた。
(なんか戦前の日本みたい)
この頃の大王は神格化はしていないよ。
そんな思想はもっと後の時代の天皇家が自分で言い出したこと。

192:日本@名無史さん
08/10/26 10:07:39
>>189
問題は誰がそれを考えたかってこと。
いくら国際情勢を読んだところで、価値観の大転換ができなければ、対等外交など思いもよらないもの。

193:日本@名無史さん
08/10/26 11:49:13
>>189
中華帝国が東西南北敵だらけなんていつもの事というか標準状態だし。
だからといって和親政策を超えて同盟を求めるなんて夷荻に対する態度じゃありえないし。
なにより、下手すれば攻められていたような文書を国際情勢を理解している有能な、しかし立場は大臣にすぎない蘇我馬子が送るわけ無いだろ。

194:日本@名無史さん
08/10/26 13:26:46
>>193
お前の説なら、遣隋使を送ると発案したのは推古天皇。
ほかにはありえないということになる。
そもそもこの時代、皇太子は存在せず、
天皇が存在するのに他の皇族が政治に介入するなんてありえないこと。
大臣である蘇我馬子が推古天皇に助言することはできるが、
何の権限もない甥は政治の蚊帳の外。

195:日本@名無史さん
08/10/26 13:57:32
>>194
なぜ?
発言力くらいはあっただろ、ただし最終的に遣隋使を送る事を決めたのは推古天皇に違いない。

196:日本@名無史さん
08/10/26 14:02:23
>>194
(゚Д゚)ハァ? 上宮王は摂政ですが?

197:日本@名無史さん
08/10/26 14:52:07
摂政っていっても、平安時代のとは随分違うだろうけど。
推古は聖徳太子よりはるかに政治のベテランだし。

198:日本@名無史さん
08/10/26 15:00:48
じゃその「随分違う」っていう具体的な内容と根拠は?「だろう」じゃなくてさ。

199:日本@名無史さん
08/10/26 15:12:05
>>196
この時代「摂政」などという地位はない。
むしろ、清和天皇を9歳で即位させた良房が、
適当な先例を求めて日本書紀のこの記述に着目し、
「摂政」という地位を確立させただけ。

摂政は政を摂るというそのままの意味で
それ自体は役職でもなんでもない。
実際、同時代の女帝は自分で政治を行っており、
男性に政治を委ねて遊んでいるというような悠長さはない。
持統天皇しかり、斉明天皇しかり。
当然、推古天皇も自分で政治を行っていた。

200:日本@名無史さん
08/10/26 15:23:48
だから聖徳太子が「政をつかさどる」地位にいたから、後の時代に摂政という役職が発生したんだろ。


201:日本@名無史さん
08/10/26 15:28:54
>>199
つまり聖徳太子が「政を摂った」わけだろ?

202:日本@名無史さん
08/10/26 15:29:15
橘豊日大王の王子である厩戸王が、おばの額田部大王のもとで政務に参与し、
大臣蘇我馬子と共同で執政の座にあったということでいいだろ。

203:日本@名無史さん
08/10/26 15:33:51
蘇我入鹿は、すでにこの当時、天皇と並ぶ大王であり、
実質的に摂政に近い政治支配をおこなっていたことは
日本書紀からも読み取れます。

204:日本@名無史さん
08/10/26 15:35:36
>>200-203
だから、それは日本書紀の作り話。
そもそも、天武天皇の皇太子草壁皇子まで日本に皇太子は存在しなかったのに、
日本書紀では聖徳太子を皇太子としている。
山背大兄皇子と舒明天皇が争ったのも推古天皇の没後だし、
用明天皇の没後もクーデターがあったっけ。
いずれもこの時代に皇太子制度がなかったことの証拠。
もちろん、皇太子がいないのだから皇太子が政治に参加したというのも嘘。
聖徳太子が摂政したというのも嘘。

205:日本@名無史さん
08/10/26 15:38:37
>>204
そんなこと言ったら「天皇」自体「嘘」だろうがよwwwww
「嘘」なのではなく、後世の用語を使ってるだけ。

206:日本@名無史さん
08/10/26 16:07:09
皇帝や天皇が没後後継争いでもめないようにあらかじめ指名しておくなんて、春秋時代にはすでにあったわけでいくら東夷の蛮国とはいえそういう考えが伝わるまで千年以上もかかるわけがない。

まして「渡来人との親交もあり、国際情勢が理解できていた蘇我馬子」が居る大和朝廷ならなおのことだ。

207:日本@名無史さん
08/10/26 16:45:34
「皇太子」とか「ヒツギノミコ」という名称はなかったにせよ、
ヌカタベ女王様の後継者候補、万一の場合の代理くらいの認識はあったろうな。

208:日本@名無史さん
08/10/26 16:56:44
隋書には「太子を名づけて利歌弥多弗利となす」とある

後の皇太子みたいな身分が存在したことを示唆してると思う

209:48
08/10/26 17:16:18
途中で頭が良い人が多いスレだと感心したんだが、
いくらなんでも、太子の時代のことを「あれは嘘だ」と言い切る
ほどの自信を見せられると、「何だかなあ・・・」って感じだよw
1000数百年前のことが手に取るように分かるって、
いくらなんでもそこまで頭がいいヤツっていないだろ。
せめて「こう言われている」程度にとどめておけよな。
でないと、頭がいいヤツどころか、頭がいいつもりのドキュン! になっちゃうぞw

210:日本@名無史さん
08/10/26 18:48:52
摂政と皇太子がごっちゃになってないか?

211:日本@名無史さん
08/10/26 23:15:04
>>204の考えだと、どちらも国政に参与できるみたい。


212:日本@名無史さん
08/10/27 00:21:37
「摂政」とか「皇太子」とかいう漢語表現の言葉がなかっただけで、
大王の後継者として、大臣とともに執政するポジションだったんだろ。

それを後付で皇太子とか摂政と呼んでるだけ。
それに書紀だと、「摂政」そのものの表記はなくて、動詞的な表現だけだろ。

213:日本@名無史さん
08/10/27 07:13:39
推古の下で、太子は次期天皇としての勉強をかねて一部権限を持たされて、馬子がサポートしてるってとこか。

214:日本@名無史さん
08/10/27 19:20:45
日本書紀・推古元年条より
「厩戸豊聡耳皇子を立てて、皇太子とす。仍りて録摂政らしむ。萬機を以て悉に委ぬ。」
(厩戸皇子を皇太子として政治全般を司らせた)

確かに「摂政」という言葉は名詞・官職名としては使われておらず、動詞的表現として、
「録摂政らしむ(まつりごとふさねつかさどらしむ)」と出ているのみである。
「皇太子」については「天皇」号同様、書紀編纂時の用語を遡らせて使っているにすぎない。

要するに厩戸王が大王の後継者に指名され、次期大王の有力候補として政務全般を任せられた
ということを表現している。

215:日本@名無史さん
08/10/27 19:34:34
>>214
なぜ推古天皇はそれに同意したの?
息子の竹田皇子のほうが血筋もいいし、
最有力候補だったろうに。
竹田皇子が長命だったら推古天皇は我が息子を政治に参加させて
厩戸皇子なんかどっかやっちゃってただろう。

216:日本@名無史さん
08/10/27 19:52:47
竹田皇子は母・推古からしか蘇我の血をひいていないが、
厩戸皇子は父系母系双方から濃厚に蘇我の血をひいているので、
蘇我馬子にとっても相棒として都合がよかったんじゃないの?

217:日本@名無史さん
08/10/27 20:04:08
>>216
蘇我氏の判断ならば、
姪の推古天皇のほうが甥の子の厩戸皇子より血筋が近い。
厩戸皇子なんかより推古天皇と2人で政治をやったほうがいいよね。
で、なんで若輩者で血縁もそれほど近くない厩戸がでてくんの?

218:日本@名無史さん
08/10/27 20:04:15
>>215
竹田の皇子よりさらに上の彦人大兄王子がいたからじゃね?
彦人が即位しちゃうとどう考えても竹田の出番ないし。
彦人の方が兄貴で血統上も良いとなると竹田の出番がない。
自分が即位してしまえば竹田は天皇と天皇の間の子供になるから、その上で聖徳太子の方が自分と竹田より先に死ねばめでたく竹田皇子が即位できるじゃないか。


219:日本@名無史さん
08/10/27 20:04:32
竹田皇子が死んだから厩戸皇子が皇太子(みたいなもの)になったんじゃないのか?
馬子は、押坂彦人大兄皇子ならともかく竹田を忌避することはないだろう。

220:日本@名無史さん
08/10/27 20:27:51
>>218
彦人大兄皇子の母親は息長氏。
記紀は息長広姫が敏達天皇のもともとの皇后で、
推古天皇は後妻という扱いをしているのだけれども、
近江の地方豪族息長氏の娘が皇后になるというのは疑問が多く、
実際には欽明天皇の皇女である推古天皇が大后、
広姫は側室の扱いだったのを広姫の孫である舒明・皇極天皇が即位、
曾孫である天智・天武天皇時代に広姫を皇后に祭り上げたという説がある。
つまり、息長氏を母とする彦人大兄皇子はたとえ長子であっても庶子にすぎず、
推古天皇を母とする竹田皇子がどう考えても敏達天皇の嫡子。
最初から彦人大兄皇子の出る幕はなかったという説もある。

221:日本@名無史さん
08/10/27 20:29:38
>>219
その説だと、推古天皇の即位と同時に「摂政」し、
女帝に代わって聖徳太子が政治を全部行ったという
日本書紀の記述と矛盾するよね?
竹田皇子が没するまで聖徳太子は政治に携われず、
それまでは推古天皇もしくは竹田皇子が政治を行っていた
ということになる。

222:日本@名無史さん
08/10/27 20:45:09
じゃあ竹田は推古の即位前に死亡。

223:日本@名無史さん
08/10/27 21:05:09
>>220
広姫は皇族の娘のはずだが?

224:日本@名無史さん
08/10/27 21:07:48
>>222
竹田皇子は物部合戦のときには生きていて
蘇我氏に味方する皇族として担がれたりしてるから
推古天皇即位時には生きているよ
いつ没したかは不明
推古天皇は自分が死ぬ時に愛息竹田皇子と合葬するように遺言しているから
推古天皇よりは先に死んだことしか分からない
推古天皇はこの時代としては大変長命で(日本書紀では75歳)
厩戸皇子も当然推古天皇より先に死んだんだけどね

225:日本@名無史さん
08/10/27 21:10:27
>>223
広姫の父は息長真手王。
一般的に息長氏と呼ばれる。
息長氏は一応応神天皇の子孫ということになってはいるが、
この頃の皇族とは相当血縁が離れている。
欽明天皇の実の皇女である推古天皇に比べ、
広姫の出自が見劣りするのはどうしようもない。


226:日本@名無史さん
08/10/27 21:20:14
日本書紀に「姿色端麗・進止軌制」と記されるように、
推古天皇は、才色兼備の女帝だったのですね。
その娘、、小墾田皇女の血をひく小和田雅子妃の御子
愛子様が即位される日が今から楽しみです。


227:日本@名無史さん
08/10/27 21:33:37
>>224
物部合戦と推古即位の数年の間に死去

228:日本@名無史さん
08/10/27 21:43:59
>>226激同です。ウルウル

229:日本@名無史さん
08/10/27 21:44:24
>>227
推古天皇には竹田皇子だけじゃなくて
尾張皇子という息子も居たっけ。

それはともかく、推古天皇は厩戸皇子が死んだあと
誰を摂政にしていたんだろうね。
女帝だから摂政をおいて自分で政治を取らなかったというのならば、
すぐに次の摂政を置かなければ政治を摂る者がいなかっただろうに。
って、何のための天皇?


230:日本@名無史さん
08/10/27 22:25:59
大臣馬子がいるからなんとかなったんじゃないの?
馬子亡き後は王族群臣の集団指導体制になってたかもしれんし。

231:日本@名無史さん
08/10/27 22:30:03
馬子は太子の没後4年しか生きてない。推古天皇の崩御はさらにその2年後。
つまり結構矢継ぎ早に死んでる。

232:48
08/10/27 22:38:35
>>229
天皇は皇帝と違って、
現実世界のマツリゴトと、
神事=マツリの両方を司っている。
当時は太子が現実政治、推古が神事の分業制だったと思われ。

233:48
08/10/27 22:39:48
神事→宗教行事としたほうが分かりやすそうだ。

234:日本@名無史さん
08/10/27 22:45:43
馬子が推古に領地をねだって「自分が愚か者と言われるのは我慢できるが、
おじ上が不忠者といわれるのは我慢できない」って言われたのは、太子死後の話か。

235:日本@名無史さん
08/10/27 23:31:30
推古って亡くなったとき70代だったはずだが、
そのおじの馬子って死んだとき何歳くらいだったんだろう?

当時としてはかなりの長寿じゃないか?

236:日本@名無史さん
08/10/28 00:30:56
この時代、生年がはっきりわかってるのは天皇とごく一部の皇族だけだからな。

237:日本@名無史さん
08/10/28 16:57:28
>>217
そりゃ「切れる」からだろう
仏教の理解が偉い切れる男だったのはまず間違いなかろうし、
相当賢くて自分の血筋でもあり天皇の血筋の若いいいのが居るわけだ。
そんな仏教傾倒して理解も凄い皇族なんて他におらんかったろう。

しかし使えるが男子であり、天皇になりうるわけで、自立しては危険。
だからこその女帝があくまで天皇というシステムなのだろう。

摂政なんてシステムはそれまでなかったし、聖徳太子の成功で以後確立されたシステムで
女帝もはじめてのことで馬子が強引に女帝という前例の無いことをやって傀儡を作ったのだろう。
でお飾り天皇で臣下が実質動かすというシステムを狙った。
その体制でなら聖徳太子は危険性が無く非常に使える人材だから最良の形。


238:日本@名無史さん
08/10/28 17:02:59
>>199
だが、孝謙天皇は道鏡を取り立てる最に
仏教を重視して、聖徳太子の御世を目指していたようなことをいうてるから
やはり摂政的な位置付けで聖徳太子は政治を行ったというコンセンサスはあったと思うよ
女帝が摂政型システムの政治を行うかどうかは各自判断あるにせよ
聖徳太子は従来の説どおり、やはりそういう形態だったと考えてもいいと思う

239:日本@名無史さん
08/10/28 19:21:06
梅干し博士だったか、聖徳太子が活躍しだしてから薨去までは、さしものやりたい放題の馬子もなりを潜めていた、
太子には頭が上がらなかったのだろう、という指摘を呼んだことがある。
馬子としては自分が仕切るつもりで、あくまでも自分の手足となる有能なパートナーとして太子を選んだんだろうが、
あまりに次元が違い過ぎてそうは問屋が卸さなかったってとこだろう。


240:日本@名無史さん
08/10/28 19:32:39
聖徳太子死去後に葛城県を欲しいといったら、推古に拒否されたわけだが。
そんな要望を出すだけでも横暴ってことか。

241:日本@名無史さん
08/10/28 21:09:48
推古天皇は、日本書紀に「姿色端麗・進止軌制」と記されるように、
才色兼備の女帝だった。その娘、小墾田皇女の血をひくのが小和田家、
雅子妃の御子愛子さまが即位される日が待ちどしいですね。

242:48
08/10/31 13:08:31
愛子さまが天皇になったら、
いままでの慣例では結婚できないんでしょ。
愛子さまを天皇にするなら、皇室御章典(?)を改訂して、
結婚できるようにしてあげて欲しいが・・・。

243:日本@名無史さん
08/10/31 21:09:02
愛子様が結婚できないって?
卑弥呼も未婚で子供がいたというから、
三輪山からの通い夫がいてもおかしくないですね。
愛子天皇が、体調を崩されたとか言って半年くらい公務を休まれたら、
・・だと思っていいでしょう。

244:日本@名無史さん
08/11/01 10:38:26
現在の皇室典範では天皇になれないから、結婚できないなんて事はない。

245:日本@名無史さん
08/11/01 11:10:23
愛子妃は紀宮妃のように、一般人のショボイ中年男と結婚して、
皇籍離脱して自活しますので、皇位継承には関係ないよね。

246:48
08/11/02 13:05:10
>>244
ああ、皇室典範だったね。
ありがと(恥ずかし)。
だから、改訂するとき、つまり天皇にするなら、
結婚できると明記してやってほしい。

247:日本@名無史さん
08/11/02 13:37:32
ユージンがいるからアイコの出る幕はないよ。

248:48
08/11/02 14:07:18
>>247
それもそうだな。
いまどき皇位継承争いもないし、
すんなりユージンだな。
皇太子は痛恨なのかもしれんが、
騒動はないだろ。

249:日本@名無史さん
08/11/02 22:47:52
>>248再び日本を二分する南北朝時代に入る。

250:日本@名無史さん
08/11/03 00:01:19
聖徳太子はどうなった?

251:日本@名無史さん
08/11/03 21:19:59
>>250はぁ?それってだれ?

252:日本@名無史さん
08/11/04 21:32:37
スレ全体を否定するなwwwww

253:日本@名無史さん
08/11/05 19:44:26
今年は裴世淸来日&第2回遣隋使派遣1,400周年記念。

254:日本@名無史さん
08/11/06 23:50:40
聖徳太子二王子像って、太子像かどうか証明されてないそうだけど、太子じゃなきゃ誰なの?

255:48
08/11/08 09:38:52
>>254
誰かってのは想像するしかないけど、
どうも本物の太子像ではなさそうだよね。
オレは夢殿の救世観音の顔が太子の顔だという
梅原説を信じてるけどさ。
二王子像の太子は描いた人の想像じゃないかな。
描いた人も特定できんのだから、それこそ想像の域をでないが・・・。

256:日本@名無史さん
08/11/08 21:31:20
ん? それだと太子像には違いないことになるが。

257:日本@名無史さん
08/11/08 22:27:25
>>254
その画に描かれてある3人が高松塚などの絵とは異なり、
いずれも中国の衣装を身につけていること。
このことから中国で制作された絵が日本に伝わったものという
説があるらしい(当然描かれた人物は日本人ではない)。
制作時期が8世紀の奈良時代のものと査定されていることからも
中国や朝鮮系の渡来人が来日して書いたものだとしても
8世紀には生きていなかった厩戸皇子を書写したものではないと言われる。


258:日本@名無史さん
08/11/09 00:24:23
成程。日本人かどうかもわからないわけね。
ただこれはどうかと思う。

>8世紀には生きていなかった厩戸皇子を書写したものではないと言われる。
太子だろうが誰だろうが、彫刻だろうが絵画だろうが、後世に製作された偉人像なんてざらにあるんだが。

259:日本@名無史さん
08/11/09 00:40:16
二王子の髪型はみづらだろ?

260:48
08/11/09 09:22:04
やはり、あれは何者かが「想像で描いた太子像」で、
その意味では太子像だと思うが。
実物と似てない(らしい)のは、教養・人格ともに理想的な
人物というところから想像して描いたからじゃない?
服装が中国式らしいから中国で描かれたのかな。
ただ、太子の時代は「中国かぶれ」だったろうから、
本当にああいう服を着ていたってこともありそうだよね。

261:日本@名無史さん
08/11/09 17:34:53
二王子像はもともと、誰を描いたかわからないものを誰かが太子像と言いだしたんじゃなかったっけ?

262:48
08/11/11 14:15:18
やや苦しいが、
周りがみんな「なるほど、これこそ太子様だ」と思ったんなら、
それでいいんじゃないのかな。
多くの人が太子に抱いていたイメージと二王子像の太子(と思われる人)とが
ピッタリだったら、それを太子像として崇めればいいんじゃないの。
その意味で、まったく別物だとは言えないところがある。
現代の我われは「でも、ホントは違うんだよな」と知っておかないとマズイけどさ。


263:日本@名無史さん
08/11/11 21:18:36
>>253
その第二回遣隋使の時の国書が、書紀の記す「東天皇、敬みて西皇帝に白す」で、素直に読めばこの時に天皇号が成立したことになる。
多くの研究者は否定しているが、しかし前年の国書との整合性、天寿国繍帳銘等の金石文に鑑みて、この時に成立したとみても不自然ではなかろう。
つまり今年は、天皇号成立1,400年。
その60年後に、新羅僧道行によって熱田神宮の神剣が盗まれ、更にその1,200年後に明治維新、そのまた140年後、初の黒人大統領が誕生したのである。

264:日本@名無史さん
08/11/11 23:38:40
黒人大統領がそんなに嬉しいか?
俺は気に入らないけどな。

265:48
08/11/12 04:35:16
黒人大統領ねえ。
アメリカはこれからドン底だから、
その間だけ任せてみようってことかなあ。
ホントの自由平等な国になったってのなら祝福するが・・・。
アメリカがそんな簡単な国とは思えないのも確かだ。

266:263
08/11/12 19:44:09
いや、俺の言いたいのは、「天皇号成立は608年」てことだ。

267:日本@名無史さん
08/11/12 20:55:35
>>263
日本書紀をもって正しいというなら天皇号の成立は
神武天皇のときだ
紀元前に成立したというのか
そもそもその文章は隋書の文面と違う
日本書紀にしか書かれてない

268:日本@名無史さん
08/11/12 21:37:23
違うも何も、第2回遣隋使の時の国書の内容は、隋書には記載されていない。

269:日本@名無史さん
08/11/13 00:23:04
補足。
俺は書紀の内容と他の資料を比較分析して仮説を立てたのであって、書紀の記載自体を根拠にした覚えはない。

270:日本@名無史さん
08/11/13 02:06:01
いやあ、すまんすまん。第2回じゃなくて第3回だったわ。

271:48
08/11/13 10:18:29
>>270
ん? 第2回でいいんじゃなかった?
1回目が600年。
その前か、間にもう1回あったの?

272:日本@名無史さん
08/11/13 17:54:37
>>271
それは607年の遣使だよね? 「日出処天子」の。
「東天皇」はその翌年、裴世淸来日を受けて、同年に行われた第3回の遣使。

273:日本@名無史さん
08/11/13 20:37:13
>>269
根拠にした書記以外の資料って何?
史料じゃなくて資料ってw
それを明らかにしてくれないと。
研究者たちの間では推古朝での天皇号の成立には否定的だからね。
推古朝における遣隋使では倭の国王の名をたずねて
「姓はアメ、名はタリシヒコ」と答えるのが精いっぱいだった。
天武朝の遣唐使のときに「はじめて倭国が我が国の号は日本である、
国王のことは天皇と呼ぶと言ってきた」という記述が見える。
これをもって天皇号、日本という国号の成立とみなしているからさ。

274:日本@名無史さん
08/11/13 21:53:57
>>273
天寿国繍帳銘を挙げた筈だが?w
法隆寺薬師三尊像光背銘にも天皇とあり、
同釈迦三尊像には「法皇」の語がある。
また、「善隣国宝記」「野中寺弥勒像銘」にも天皇号の使用が見られる。
隋書にある前年の国書「日出処天子」も有力な傍証となり得る。

>天武朝の遣唐使のときに「はじめて倭国が我が国の号は日本である、
>国王のことは天皇と呼ぶと言ってきた」という記述が見える。
そりゃ向こうが正式に認めたって記事だろ

275:48
08/11/14 01:16:37
>>272
ああ、ありがとう。
混同していました。

276:日本@名無史さん
08/11/14 20:40:13
>>274
「天寿国曼荼羅繍帳 銘」は実物の文字が残っているのではなく
「上宮聖徳法王帝説」に載っているもののはず。
「上宮聖徳法王帝説」は紀記のもととなった史料を使っているといわれるが
その成立は推古朝ではなく記紀と時期を前後する。

薬師如来像については7世紀後半より早い時期の鋳造ではないことが
確認されている(推古朝の政策ではない)。

また、「法皇」は仏教用語で「釈迦」を表す。
仏教に熱心だった尊い人の意味で
のちに日本で使われるようないわゆる
「法皇(出家した上皇)」の意味はない。

よって、君の説は否定されるのだが。

277:日本@名無史さん
08/11/14 21:55:21
いくら見えない相手だからって、上から目線で「君」というのは気になるな。

278:日本@名無史さん
08/11/15 20:08:37
>>276
「天寿国繍帳銘」は、「帝説」以外にも複数の史料がそれぞれ独自に伝えており、内容にも若干異動がある。
「天皇」の部分は各史料が一致して記しており、その周辺にも異動が無いので、信用していいと思われる。
なお、参照した史料が推古朝でないから、内容自体も推古朝でないという考えは、論理的ではない。

279:48
08/11/18 18:22:11
天皇の名称は聖徳太子の発想かな。
違うにしても、中国にもらう「王」「国王」じゃなく、
しかも「皇帝」とも違う天皇なんだから、気宇壮大、嬉しいね。
律令体制後からの名称なのか、正式な認知はいつからかよく分からんが、
太子の時代に天皇という概念はあったと思うがね。
中国の史書は、めったに否定できないよな。

280:日本@名無史さん
08/11/18 20:13:41
はっきり言って
お札から聖徳太子がいなくなってから
日本経済にいいことは
一度もない

281:日本@名無史さん
08/11/18 20:18:42
>>256
その通り

282:日本@名無史さん
08/11/18 20:23:34
>>279
「天皇」という言葉自体は、三皇五帝の「天皇」「地皇」「人皇」のうちの「天皇(てんこう)」として、前漢司馬遷の『史記』に出てくる。

283:日本@名無史さん
08/11/18 20:28:42
厩戸皇子が実在したなら
聖徳太子は実在だろ

284:日本@名無史さん
08/11/18 20:29:57
聖徳太子はフィクションだってさwwww

このスレ終了でいいだろもうw

285:日本@名無史さん
08/11/18 20:30:50
いいれす

286:日本@名無史さん
08/11/18 20:35:07
捏造説はこじつけ的な解釈が多い。

287:日本@名無史さん
08/11/18 20:37:32
権力者が捏造したとか
という発想自体が
今の価値観を基準にしすぎ。

古代人を冒涜している。

288:日本@名無史さん
08/11/18 20:37:46
聖徳太子が捏造だったなんて・・・ (´・ω・`)

289:48
08/11/18 20:39:56
>>282
ああ、言ってもらって、そういえばって思い出した。
ありがと。
聖徳太子は史記も読んだろうし、もし発案者なら史記からとったかな。
歴史上に天才児はいるんだと思うよ。
オレは太子、空海、信長の3人をいつも挙げるんだが。

290:日本@名無史さん
08/11/18 20:40:16
さぁーて、歴史、特に最近多い歴史の新説番組、日本の歴史が間違いだらけだと
国民の心理に刷り込んで1番特をするのは誰だろうね
所詮は娯楽番組だからと笑っていても、歴史なんて本当の事は
誰にも解らないなんて思っているとこに、外から日本の歴史は間違っていると言われたら、
否定出来ない世論の形成が目的のように思われる。

291:日本@名無史さん
08/11/18 21:21:01
>>284
まったく最近のTV番組は・・・

292:日本@名無史さん
08/11/19 00:35:58
関連スレ
△聖徳太子はフリーメーソンだった△
スレリンク(history板)


293:イエスキリストも捏造
08/11/19 05:56:32
欧米社会で現在起きていること、及び今まで起きてきたことは宗教と大いに関係がある。
昔から人を管理する道具として、宗教、金融、マスコミ、暴力がある。その中で宗教
は、古代から人を操るための常套手段として用いられてきた。宗教心を利用すると非常
に多くの人を操ることができる。(ベンジャミン・古歩道)

George Carlin on Religion - The Greatest BS Story Ever Told
URLリンク(jp.youtube.com)

George Carlin - Religion is bullshit.
URLリンク(jp.youtube.com)

ジョージ・カーリンはアメリカの超ぶっ飛んだ素晴らしいコメディアン。
キリスト教国家アメリカでよくこんな宗教批判を出来たものです、男の中の男です。

Zeitgeist (時代の精神)
URLリンク(video.google.com)
*キリストというキャラクターは文学と占星学の掛け合わせで、エジプトの太陽神ホルス
を完全に盗用したものである。
*聖書とは天文学と神学の融合したもの以外なにものでもなく、他の神話と何も変わらない。
*キリスト教とは太陽崇拝でキリストという男を太陽に仕立て敬意を払うパロディである。
*キリスト教は実話ではありません。実はキリスト教とはローマ帝国時代の作り話であり
政治的理由で創られたのです。イエスとは聖書の中の太陽の神で他の宗教の神と同様に
神話上の人物だった。彼は政治的理由で社会操作する為の創造上の人物である。
*キリスト教及びその他全ての神の信仰制度は、””時代詐欺””である。

The God Who Wasn't There (動画)
URLリンク(www.onlinedocumentaries4u.com)
URLリンク(www.megavideo.com)

294:日本@名無史さん
08/11/19 06:23:12
>>288
結構昔から言われてたよ
馬鹿げたモノもある中「新説日本ミステリー」の中でも比較的まとまな解釈に入ると思う

今では聖徳太子は教科書でも厩戸皇子として教えられているが、我々が教わった
聖徳太子の偉業とは全く違うんだな

「隋書」には斑鳩寺を建立した書かれているだけで、政治的な権力もそれほどなかったらしい
聖徳太子は国名を「日本」と改めた頃に厩戸皇子をモデルにして後世に作り出されたヒーロー
であって実際の厩戸皇子とは似ても似つかない存在なんだよ

強大な隋に対抗する意味でも架空のヒーローが我が国に欲しかったのではないかな
政治的にも蘇我氏の功績を抹殺したい藤原氏が聖徳太子がすべてやったことにしたほうが
都合がよかったとかね




295:48
08/11/19 10:11:24
聖徳太子が捏造だとすると、
入鹿グループが山背一族を殺して、
大化の改新でその入鹿が誅されてという一連の流れも
一貫性が失われてしまうと思うが、
そのへんはどう説明してるんだろう。

296:日本@名無史さん
08/11/19 12:01:30
>>294
今の聖徳太子捏造説は現実の今の政治と関係して起きてるものだからたちが悪いんだよ。

297:日本@名無史さん
08/11/19 20:27:08
>>294
>「隋書」には斑鳩寺を建立した書かれているだけで、政治的な権力もそれほどなかったらしい
「隋書」には冠位十二階が間違って書かれてるだけで、そんな我が国の内部事情など殆ど書かれてないよ。

>強大な隋に対抗する意味でも架空のヒーローが我が国に欲しかったのではないかな
その隋は607年の遣使から10年後には滅んでいる。太子伝が書かれた頃には存在していないよ。

298:イエスキリストも捏造
08/11/19 23:22:34
捏造w


299:日本@名無史さん
08/11/20 00:11:42
>>296
どーゆーことやねん

300:日本@名無史さん
08/11/20 11:38:52
昔の捏造説は冠位十二階と遣隋使のことは認めていた。今の捏造説はそれすらも認めていない。
遣隋使の国書で有名な「日いずるところの天子~」が左翼系の学者にとっては目障りなものみたいだ

301:日本@名無史さん
08/11/20 20:53:25
これまでは大山誠一とか、ごく一部が一般書籍を出す程度で、一般の目にはほとんど触れなかった。
しかし最近は、歴史ムックとか廉価版書籍とかテレビとか、手軽なメディアで捏造説を垂れ流してるから悪質だ。

302:日本@名無史さん
08/11/20 21:35:23
十七条憲法に当時存在しなかった役職が載っているとの話だが、国司に相当する役職って聖徳太子の頃になかったの?
旧名を改めただけという可能性はない?
あと「厩の皇子は存在した、推古天皇の摂政だった」というのを認めながら、十七条憲法が嘘だから功績すべて虚構ってのはどういう理屈?

後一番謎なのは、「聖徳太子が言ったんだから十七条憲法守りましょうね」という理屈は日本書紀の頃に聖徳太子信仰のはしりみたいな状況がなければ成立し無くないですか?
頭のいい人解説して。


303:日本@名無史さん
08/11/20 21:49:24
>>302
推古朝当時に国司がいたことは今では、というよりとっくの昔に明らかになってるよ。
むしろ国司と国造を併記する方が、後世の創作ではあり得ないと、坂本太郎博士は書いてる。

304:日本@名無史さん
08/11/20 23:09:19
あの時代に荒削りとはいえ律令制の重要性を理解して導入できるだけの知性と教育を受けていたのは
蘇我氏のサラブレッドとして期待され英才教育を受けていたことであろう聖徳太子しかいないのではないか

305:48
08/11/21 10:45:06
日本書紀は全面的には信じられないが、
骨格は信じられる。公式の国史なんだしね。
そこに太子の業績だと明記してあれば、
よほどの疑問、矛盾、反論(証拠)がない限り
捏造などと言ってはいけない。
興味本位のTV番組はまだしも、学者、教育者(特にこっち)が
軽々に捏造説など言うのは、その資格を疑われる愚挙だよ。

306:日本@名無史さん
08/11/21 11:11:32
もし太子が居なかったとしたら、日本は皆で一致して「日本は中国と対等である」と
文書を送ったのか。凄い気概だな。

307:日本@名無史さん
08/11/21 20:15:08
最近の子供は聖徳太子をどう習ってるかと思って、本屋で中学生の参考書を立ち読みしてみた。
流石に太子の存在も業績も否定はしていないが、すべて馬子と連名になってるのには驚いた。

308:日本@名無史さん
08/11/21 20:34:19
>>303
この時代は土地と人民は豪族が支配し、豪族の棟梁が大王だった。
それが大化の改新(日本書紀に従えば)によって初めて公地公民、
豪族は土地と人民の支配をやめ、天皇(大王)が支配するようになった。
そして地方を統治するために中央から国司が派遣されるようになった。
その記述は日本書紀にすら見られないんだが。
坂本太郎ってずいぶん昔の学者だよね?

309:日本@名無史さん
08/11/21 20:46:06

聖徳太子 = オナ吉 ってことか。



310:日本@名無史さん
08/11/21 21:03:19

夢殿にこもってオナってた訳だな。引きこもりでオナニー...。
【ヒキ一族】じゃん、聖徳太子。夢殿って言うぐらいだから夢精してたのかなあ。
ああ、そうだ、夢精だなあ。 
ってことは...ナチュラルな射精ってことだな。渡来人がそれをゴックンしていたわけだな。
渡来人か...。そうするとチャンコロが聖徳太子のザーメンをゴックンしていたわけだな。
【ヒキ一族】はオナっても誰もゴックンしてくれないよな。ああ、臭くてキモイからな。
風俗のオネエチャンにオプションで払ってやってもらうのが関の山だろう。
だろうな。嫌がるだろうなあ、オネエチャン...。吐き戻して2時間以上は歯磨きするだろうな。
歯茎がなくなるかもなあ。なんてったって糞チャンコロ【ヒキ一族】のだからなあ。
逆にチェンジされるのが順当だろうなあ。ああ、金貰っても嫌だろうな。

311:日本@名無史さん
08/11/21 21:03:44
>>308
もちろん同じ制度があったわけではなく、同名の役職が存在したということだ。
雄略紀に「任那の国司」、清寧紀には「播磨の国に遣はせる司(みこともち)」とある。

312:日本@名無史さん
08/11/21 23:16:09
>>307
天皇だった推古も入れたらいいのにな。

313:48
08/11/22 03:46:34
天皇家に天才児が出たっていいじゃないか。
遣隋使、冠位十二階、十七条憲法、三教義ショ、国史編纂事業と、
当時は最先端の仏教国家だった中国を参考に律令国家をめざす意思が
太子の業績には一貫して流れている。
これらの仕事は幼少期から英才教育を受けてきた太子に帰されるべきで、
氏姓制度の域をでられなかった馬子は、とまどいながらもできる限り協力した。
こう考えるのが自然だと思うよ。

314:日本@名無史さん
08/11/22 20:47:05
>>313
この時代そこまでの権限を行使できるのは天皇をおいてほかにない
厩戸皇子は推古天皇をないがしろにして政治を思うがままに行ったのならば、
なぜ推古天皇は退位しなかったんだ?
皇太子が政治を行ったというのはのちの中大兄皇子を連想させるが、
こちらは執政者たる天皇である孝徳天皇と当然不仲となり
ついには孝徳天皇をおいて飛鳥へ帰り孝徳政権は短命なものとなった。
推古天皇は厩戸皇子より長生きしているんだよね。
それなのに他の皇族たちも豪族たちも政治をしない推古天皇になぜ従っていたんだい?
厩戸皇子の死後、その子山背王はなんら政治に関与した形跡はないし。

315:48
08/11/22 21:23:01
>>314
というか、日本の女帝で政治を執ったのは持統天皇だけでしょ。
彼女は同時代の武則天を意識していたらしい。
ああ、孝謙天皇も定説とは違って真面目に政務を果たしたようだね。
推古天皇は太子を摂政に任命して、大臣・馬子と2人で政治を執ってくれって、
確か詔を出してたはずだよ。
山背は推古の死の床で天皇を望んだけど確約は得られなかった。
で、結局は田村皇子(舒明天皇)に天皇位が行った。
太子の遺志を継いだ政治をしなかったというより、できなかったんだと思うよ。

316:48
08/11/22 21:28:08
太子の死後は、当然ながら馬子が政務を担当したんでしょ。
山背は摂政でも皇太子でもなかったはず。

317:日本@名無史さん
08/11/22 21:29:10
>>315
平城京遷都を成し遂げた元明天皇、
日本書紀献上のときの元正天皇、
白村江の戦いに自ら出兵、朝軍を率いて筑紫にまで行った斉明天皇。
彼女らは皆自分で政治をとっているよ。
日本では男しか政治をとってはいけなかったのならば
そもそも女帝を立てる意味などなし。
特に天武以降は天皇神格化により一層
天皇の地位が向上した時期。
幼児だろうが臣下だろうが誰でもいいから
男を天皇にするだろうが。

318:日本@名無史さん
08/11/22 21:35:13
>>316
馬子も推古天皇より先に死んでいます。
まずは史料を読もう。
残念。

319:48
08/11/22 21:38:53
元明・元正の時代は、もう藤原氏(不比等)がいたでしょ。
斉明のときは実質、天智称制だし。
それに、天武以降は大王を天皇に祀り上げて、権限を縮小した時代。
これは養老律令に明らかに示されている。
天皇位は血の論理。臣下は天皇にはなれない。
幼児なら必ず摂政か太政官が代わって政務を執る。

320:48
08/11/22 21:43:25
>>318
それは失礼。恥じ入るばかり。
てか、馬子が太子より長生きだったらいいのさ。
馬子=氏姓制度支持派と考えれば矛盾はしない。
蝦夷、入鹿と後継者がいたからね。

321:日本@名無史さん
08/11/22 21:57:51
>>319
不比等が政権をとるのは外孫の男性天皇聖武天皇の誕生を見てから。
何ら姻戚関係にない元明・元正の時代に不比等が政治を牛耳った事実はないし、
女帝を立てれば臣下が自由に政治をとれるのであれば
もっと早い時代に天皇は女系継承で女帝のみになっていたはず。

元明天皇は長屋王に嫁いだ娘の子に親王宣下を与えたり、
不比等が即位を心待ちにしている聖武の座を脅かすようなことも平気でしており、
不比等が2人の女帝に代わって政治を行っていたというような事実はない。
むしろ、男性の草壁皇子称制のときのはその母(のちの持統天皇)が、
そして男性天皇である文武天皇の時代にはその母(のちの元明天皇)が
政治を行っていたということはあるだろう。

322:48
08/11/22 22:10:21
>>321
不比等をどう考えるかの問題だと思うけど、
不比等が政治を執った「事実はない」というのは言いすぎでは?
元明の時代にはすでに右大臣で、左大臣も太政大臣もいず、
実質は臣下NO1だったはず(要確認ね)。
養老律令に不比等の名前はないが、大宝律令は不比等が主役でつくった。
女帝は通常の形ではない。元明や元正は天智の不改常典(実在は?)を根拠に、
むしろ遠慮しながら即位したんじゃないの(聖武への「つなぎ」として)。

323:48
08/11/22 22:24:32
元明は元正に譲位するとき、
はっきり「聖武へのつなぎ」と宣言してるよ。

324:48
08/11/22 22:44:52
元正帝の最後の詔は、
何かの花を髪に刺さないと政庁に入れません、
だったとか。こういう話は好きだなあ。
純な心というか、深窓の令嬢がそのまま成長した感じ。
歴代女帝では元正帝がいちばん好きです。

325:日本@名無史さん
08/11/22 22:59:53
推古は敏達の皇后で、聖徳太子よりはるかに政治のベテラン。

326:48
08/11/22 23:10:21
>>325
そうだったでしょうね。
そういう推古帝だからこそ、
太子に政務を任せた。
新しい政治は厩戸に任すなんてのは、
政治を良く知っていないとできない発想だよ。

327:日本@名無史さん
08/11/23 00:23:22
それなら、さっさと天皇を譲ってたよ

328:日本@名無史さん
08/11/23 00:27:03
>>314
そもそも生前退位は次の次の代までないわけで。


329:48
08/11/23 00:55:40
>>327
そういう問題じゃないでしょ。
推古、太子、馬子のトロイカ体制は
理由は不明だが、最初から決められてスタートしたもの。
何か太子否定の意図が先走ってませんか?

330:48
08/11/23 01:36:43
何で聖徳太子を否定したがるんだろうね。
その意図が分からない。
もし、オレが相手をした一連のレスがその理由なら、
あんまりに空虚(ドキュン)だしなあ。

331:日本@名無史さん
08/11/23 02:15:22
聖徳太子に限らず、イエスやブッダの非実在説とか、宮本武蔵弱かった説など、自分に理解できない巨人を殊更に否定したがるやからは昔からいるわけで。

332:48
08/11/23 02:23:11
それが本質の答かもしれないね。
でも、そういう人間は教育者にだけはなってほしくない。
いま現在、教育者でいるなら、すぐに辞表を書いてほしいな。

333:日本@名無史さん
08/11/23 09:03:49
>>329
最高権力者である推古が太子や馬子に全部任せたってのが疑問なだけ。
権限の一部委譲はあったと思うけど。

334:日本@名無史さん
08/11/23 10:36:56
天皇の天皇たる根本は神事の執り行いだろうに。
それまで太子に任せていたというならともかく。

335:日本@名無史さん
08/11/23 10:50:53
>>333
政治の実権は推古帝即位以前から馬子が握ってたろ。
そもそも推古帝を立てたのが馬子なわけだし。
それじゃ馬子の好き放題だってんで、太子を抜擢したわけだろ。

336:48
08/11/24 04:39:44
>>335
そうだろうね。
摂政を置くかどうかは皇室の「内輪の問題」だと言えば、
さすがの馬子も反対はできなかったろうしさ。
このへん、確認しておくほうがいいな。

337:日本@名無史さん
08/11/24 05:06:35
聖徳太子は居たと思うよ。でも「初めての中国へのお遣い」とか
やってることが、それまでの「倭国」の歴史に合ってないし、聖書や仏典から
パチッた生い立ちの記述や名前の付け方も将軍様化させているところが異常。

つまり、こいつは記紀がおかしな元の元なんだよ。

思うに実はこいつは大和朝廷が日本を統一した初めての立役者...
彼の親・系図の祖先はまだ「天皇」ではない地元の王ぐらいに
しか過ぎなかったぐらいのことはあるんじゃねえの?


338:48
08/11/24 10:07:33
>>337
ほんとにね、あの記紀の記述は何なんだろう。
オレはいちおう国史だってことに敬意を表して、
過剰なホメ言葉は退けつつ、太子は皇室(大王家)の一員だと思っている。
思い切った政策は、家庭教師(高句麗の僧に仏教、百済の博士に儒教)の影響じゃないの。
いずれにせよ、記紀にある太子一連の仕事は、個人の手になる(つまり太子ね)と考えたほうが
整合性があると素直に思えるんだよな。

339:日本@名無史さん
08/11/24 19:39:18
>>337
前にも書いたが、厩戸という名前は、厩戸という土地で生まれたから。
その名前から厩で生まれたという伝承が生じたもの。
まあ片岡の飢人の話もあるし、聖書の影響はあるかもだが。

>>338
そうだね。そう考える方が自然だよな。

340:日本@名無史さん
08/11/25 22:06:54
×聖書の影響
○聖書の断片的な影響

341:日本@名無史さん
08/11/25 22:18:08

蘇我で唯一否定出来なかった人物!



342:48
08/11/26 12:44:12
聖徳太子は日本国の節目に現われる天才たちの魁。
空海は置いて、あとは信長、明治維新では竜馬(ちょっと疑ってる)を挙げようかな。
時代を転換させて、おそらくはみんな不幸(悔しい)な死に方をしている。
時代を変える天才は、日本に限らず世界中で短命だよね(具体例多し。みんなチェックよろしく)。
当時の49歳は短命じゃないなんて、下らないこといわないでね。
政治生命のことだから。


343:48
08/11/26 12:44:56
聖徳太子は日本国の節目に現われる天才たちの魁。
空海は置いて、あとは信長、明治維新では竜馬(ちょっと疑ってる)を挙げようかな。
時代を転換させて、おそらくはみんな不幸(悔しい)な死に方をしている。
時代を変える天才は、日本に限らず世界中で短命だよね(具体例多し。みんなチェックよろしく)。
当時の49歳は短命じゃないなんて、下らないこといわないでね。
政治生命のことだから。


344:48
08/11/26 12:46:06
なんでダブったんだ。
すまんね。

345:日本@名無史さん
08/11/26 12:47:17
大化改新での施策は既に、馬子と太子によって準備されていた!
しかし復古的な藤原と唆された中大兄皇子によって中断するも…


346:48
08/11/26 12:58:15
後の鎌足、続く藤原歴代の施政は蘇我・太子のパクリ。
しかし、それが悪いとは言わない。
時代の流れがそうだったんだと思うな。

347:日本@名無史さん
08/11/26 13:02:10
>>340
影響じゃなく、パクリ。聖書だけじゃなく
中国・朝鮮の伝承のパクリ(三足烏とか)や仏典のパクリもある。

348:日本@名無史さん
08/11/26 13:02:59
これも入れちゃえ、あれも入れちゃえ。
このレベルだよ。

349:48
08/11/26 13:13:36
>>348
まさにそんなレベルだねw
でも、それなりに意味はあったと思うよ。

350:48
08/11/26 14:27:44
日本史進化論wは太子から始まった。
否定できる人はしてみなさい!
って、こういう挑戦的なのはいかんかなw

351:日本@名無史さん
08/11/26 17:47:49
>>342
20で摂政になって49で死んだ太子の政治生命が何で短いんだ?

352:48
08/11/26 18:22:19
>>351
三経義ショあたりは、もう政治から離れてるんじゃないのかな。
新しいことやりすぎて馬子(ほか有力豪族)と対立したような気配がある。
想像抜きでも、最後は明らかに政治には関わってない。
なんせ「世間虚仮、唯仏是真」だからさw

353:日本@名無史さん
08/11/26 19:03:41

武士が、力を持つまでの日本の在り方を基本的に決めた!
といっても過言で無い。





354:48
08/11/26 19:07:40
聖徳太子も武人(武士ではないな)だった。
その意味では353は正しい。

355:日本@名無史さん
08/11/26 19:55:25
>>347
おいおいw
人がせっかくトンデモになりかねない「聖書からの拝借」を慎重に扱ってんのに、台無しにするなよw

>>352
「世間虚仮、唯仏是真」とは、要するにプラトンのイデア論と同じことを言ってるんだよ。
つまり太子は悟りを開いたってこと。
「世間虚仮」この世は幻影(イドラ)である。
「唯仏是真」イデアの世界こそが真実である。

356:48
08/11/26 20:18:20
>>355
へえ、そうなんだ。面白い。
オレはまったくの畑違いから
梅原さん(西洋哲学)の本を読んで
日本の歴史、特に古代史に興味を持った。
ギリシャ哲学と仏教を同じレベルで語るのには違和感ありだが、
真理ってのは単純で、地理的、時間的にも共通なんだね。

357:355
08/11/26 20:29:55
いや、俺の考えだからね。

358:日本@名無史さん
08/11/26 21:02:33
>>355
確かに、晩年の太子は政治を離れていたという人は多いね。
政治の舞台から場所を失った厩戸皇子が隠居地で仏教に傾倒した。
たしかに厩戸皇子が丹精こめて次々と作り上げた法隆寺などがある場所は飛鳥から遠く
毎日朝廷に出仕している人間が住む場所ではないよ。
厩戸皇子は母親の穴穂部皇女を中宮寺に住まわせたりしているからね。
蘇我馬子が天皇の宮殿の傍に飛鳥寺を建てたのとは大違いだ。


359:48
08/11/26 21:18:19
中宮寺の弥勒菩薩は最高!
行くと数時間はみとれてる。
早く死んだお袋の代わりw

360:日本@名無史さん
08/11/26 22:09:17
>>358
太子は政務の傍ら講経したりしてるから、政治から遠ざかって仏教に傾倒したというのは時系列的に正しくない。
むしろ太子が本当にやりたかったことが、仏法を日本に定着させることだったとは言えまいか?
また、斑鳩の宮は海外との交通の要衝、情報の拠点であって、飛鳥からただ遠ざかったわけではないよ。

361:48
08/11/26 22:18:43
オレも、斑鳩に宮をつくったのが、即、隠棲とは思わない。
ただ、斑鳩に移ってしばらくしてから、太子の政治パワーが薄れた感はぬぐえない。
それでいいと思っているが。

362:日本@名無史さん
08/11/26 23:00:50
でも「日出処天子」は斑鳩の宮に遷った後だよ。
斑鳩に遷ったこと自体と言うより、やることやったからじゃね?

363:48
08/11/27 04:11:38
>>362
否定しません。
そうかもしれない。
そうであってほしいしね。

364:日本@名無史さん
08/11/27 06:11:41

ある意味、日本のアイデンティティを当時の国際的な政治・文化状況下で確立しようとした初めての人物だったんだよ!
だからあれほど蘇我の血が流れていても、神道より仏教を重きを置いていても…天皇で無くとも影響力が消えなかった。




365:日本@名無史さん
08/11/27 16:48:41
聖徳太子は日本主義の租だから、サヨク学者が消したくてしゃあないんですよ
でも三経義書見ても明らかなように、異常に仏教に傾倒して政治に活かしてた人が居たのは間違い無い。

隋書倭国伝にはこうある
>使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、
>天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。

これの倭王って誰よ?結跏趺坐までするする王て。つったら聖徳太子以外ありえないでしょ。
聖徳の名だって木簡などにはほんの50年もすれば散見されだす上に
のちには仏教に傾倒した孝謙天皇が聖徳太子時代の治世を目指して銅鏡を重用したりもしてるし
フィクションとする根拠のほうがむしろ無理がある。

有名な聖徳太子の絵だって、あれ法隆寺の中でも聖徳太子の廟の建物から出てきた絵で
あの装束の絵で聖徳太子図という絵は他にも沢山あって明らかに聖徳太子ですよ。
札から消したり教科書から消したり、ちょっと異常すぎるよ。

366:日本@名無史さん
08/11/27 20:06:19
跏趺ってあぐらのことで、結跏趺坐じゃないよ。

367:日本@名無史さん
08/11/27 21:05:26
>>360
当時は斑鳩にいくまで相当な日を要した。
しかも厩戸はここに実母までを移住させている。
それで自分は飛鳥からほとんど動かなかったのならばとんだ親不幸だ。
厩戸は用明天皇とその大后の長子で
父親から上宮をもらうなど経済的には恵まれその金で寺を建てたのは事実だろう。
しかし政務は見てないだろうな。
当時あれだけの大寺を次々と建てればかなり父親からの遺産も浪費しただろうし、
聖王どころか賦役を負わされた庶民からは相当恨まれていただろうし。

368:日本@名無史さん
08/11/27 21:26:59
>>366
「跏趺して座す」という表現には諸説あると思うけど、
この表現は各種仏教経典にお釈迦様の姿としてよく出てくる表現そのままで
(漢文だとお経の表現そのまま)
わざわざそれを記すというのは、単にあぐらと言う意味でなく
仏教に帰依を言ってると読むのが自然だと思うよ



369:日本@名無史さん
08/11/27 21:33:47
>>368
蘇我系の天皇はみな仏教に帰依していたんだよ
用明天皇、推古天皇、みな崇仏派の天皇だった
仏教に帰依したのは厩戸一人のみなんてとんでもない

370:日本@名無史さん
08/11/27 21:59:12
>>367
> 当時は斑鳩にいくまで相当な日を要した。
そんなことはない。馬に乗れば約2時間で着く。
まさか直線道路が通ってたことを知らないんじゃなかろうね?

> しかし政務は見てないだろうな。
根拠を示せよ。

> 当時あれだけの大寺を次々と建てればかなり父親からの遺産も浪費しただろうし、
当時は寺の建立は国家事業。それに寺なら馬子だって建ててる。

> 聖王どころか賦役を負わされた庶民からは相当恨まれていただろうし。
じゃあ何で太子信仰が庶民にまで広まったんだ?
あと証拠は?


>>368
だとするとえらく持って回った表現だね。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch