謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!13at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!13 - 暇つぶし2ch143:日本@名無史さん
08/02/14 02:19:17
ここは素人も参加okみたいですね
僕も何か考えてみたいっす

144:日本@名無史さん
08/02/14 12:57:23
そういえば、美濃もんさん最近見ませんね~。
どうしたんでしょう?
しかし、連休が終わるを昼間のレスが少なく
なりましたね。

145:日本@名無史さん
08/02/14 15:44:20
>>142
地元では高天原の狩猟民族の葛城氏が
鴨氏を併合して一大勢力になり、何人も王を輩出したという風に語られています。
僕も近くの寺の和尚さんから聞きました。

三輪と湖の利権を巡って対立したとか も言ってましたね

146:日本@名無史さん
08/02/14 17:22:44
140、145
高天彦神社の由緒に説明がありました。
葛城王朝の祖神、高皇産霊尊を奉斎する名社であります。
~「高天原」も、実は御祭神の 鎮まるこの高天の台地であります。
~葛城族は弥生時代中期に、現在の御所市柏原の地に移って水稲農耕を始めました。
そして葛城川流域の鴨族と手を結んで部族国家を形成しました。
神武天皇が橿原宮で帝位につかれたというのも、この柏原の地であります~
~葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る、九代で滅びますが、
竹内宿祢によって復興 し大臣は葛城一族が独占して
平群・巨勢・蘇我氏へと世襲されました。

神武の後の賀茂系皇妃は葛城氏と同一ということなのかな?

147:古代
08/02/14 17:45:50
奈良県御所市には多太神社があり、大田田根子を祀っています。
大田田根子は鴨氏、三輪氏などの祖とされている人物です。
さて、大和には出雲とか太田とかいう地名が散在しています。
太田は出雲の意宇(おう)郡が語源と言われていて、
大田氏も元は意宇田氏ではないかと考えられます。
また太田遺跡(巻向の旧名じゃないよ)からは出雲系土器が多く出土していて
大田氏は出雲系の氏族であると考えられます。
鴨氏が大田氏の子孫かどうかは疑問の残るところですが、
鴨氏の神である事代主も出雲系であるのでやはり出雲系でしょう。
葛城氏の一言主神と事代主は同一視されますが、一言主神は新しい神であり、
祖神が高天彦(高皇産霊尊)ならやはり別系統と言えそうですが
146のように鴨氏と手を組んだということならしばしば混同されるのも納得・・かな

148:日本@名無史さん
08/02/14 17:51:29
>>146
>葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る、九代で滅びますが、

ということは、開化天皇までは崇神天皇とは血縁関係は無いと言う事ですか?
だとすれば、素朴な疑問なのですが、素直に崇神を初代として物語をはじめれば
よかったのではないでしょうか?滅んでしまったものをわざわざご先祖様として
くっつけて何のメリットがあったのでしょうか?

149:古代
08/02/14 19:54:47
148
まあ神社の由緒書きですから必ず正しいとは限らないけれども
応神天皇の次の仁徳天皇の皇后が、葛城襲津彦(武内宿禰の子)の娘で
履中・反正・允恭の三天皇を生み、その後も仁賢に至る9天皇のうちの8天皇は葛城の母か妃です。
この時代は天皇家と葛城氏の両頭政権と見られています
それゆえに崇神の前に葛城王朝を作ったのかもしれません。

しかし一方で、王朝交代説で崇神(三輪王朝)、応神(河内王朝)、継体(近江王朝)で
王朝の交代があったと見られている中で、葛城王朝説もあるわけです。

一応邪馬台国との関連もあるので書きますと、葛城王朝が邪馬台国で崇神王朝が狗奴国で
崇神王朝に滅ぼされたなどの説があります。自分は支持してないので、あしからず

150:横槍
08/02/14 20:40:19
>>139
昔書いたはずだけどなー

書紀と百済紀では、神功の時代に120年のずれが有る。
仁徳、成務、景行、垂仁の在位年数から60年を引くと古事記の崩御年の記事
に近い年代になるのでR~

151:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/02/14 20:54:56
>>150
それは何故繰り入れたかの答えではないです。繰り入れた状況のみ
の説明です。

152:日本@名無史さん
08/02/14 20:55:04
太国はどうした?出張か?

153:横槍
08/02/14 21:03:59
>>151
何故繰り入れたのかは、書紀を編纂した本人でないので分からんが、
推測すると、

繰り入れのある天皇は、退位=崩御でないという事
退位後の記事は、60年年代を入れてそこに記事を入れたと思われる。
年代のデータが干支でしか残っていなかったので成せることでR~

154:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/02/14 22:39:02
>>153
繰り入れの意味を説明してるようで、具体性がなくまるで意味不明??・??

155:日本@名無史さん
08/02/15 02:13:00
>葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る、九代で滅びますが

そもそも「神武」と「欠史八代」は別なんじゃないのか?

理由は簡単。
現実的に考えてだ、九州だか何処からか、神武が他所から大和に入ってきて
その後を継いだ二代目三代目はやる事はいっぱいあるだろう?
未だ服従しない勢力の掃討・懐柔、宮の建設増築、組織人事、都市のインフラ整備etc…
それにしては記紀の記述あっさりしすぎw

神武があれだけ詳細が書かれているのに、その後の王がかくの如きと言うのは
その二つが連続したもので無く別々のものだったからではないのか?

「欠史八代」が実在していなかったのでは?と言うのは、何も長大な寿命からだけではないw

156:日本@名無史さん
08/02/15 02:24:59
一言主神は、霊異記などでは役小角に懲らしめられて
さんざんな扱われ方ですが、これはどういうふうに理解したらいいのだろう?

157:日本@名無史さん
08/02/15 07:20:11
>>156
合意の上でのちょっとしたプレーだから気にするな

158:古代
08/02/15 10:28:32
一言主は神代には出てこない神様で存在感が薄いですね
まあ一言主を祀っていた葛城(賀茂)氏の地位が低下したということですか
事代主でさえ、京都に上京する際には葛城に置き去りにされて賀茂神社では氏神を祀ります

159:日本@名無史さん
08/02/16 01:14:32
>>111
高天原については深く検証する必要はないが。
もともと九州の山間部にある天孫降臨の地元に伝わる伝承だよ。
それを、そのまま記紀が書いてるだけ。記紀の編纂者が取り入れた、といった
ほうが近い。

ちなみにその辺りには幣立神宮というのがある。
伊勢神宮と同じように中央構造線上に建てられている、九州では特別な
場所なんだが。通称は日の宮。


160:日本@名無史さん
08/02/16 02:20:42
神武以下の九代に関しては
すでに記紀の編者たちも正確なん前も墓の場所も解っていなかったじゃない。
彼らがもう解らなかったことを、彼らが書いた文献から探るってのが無理ありすぎ。

161:日本@名無史さん
08/02/16 02:50:36
>>160
残された古墳についても、たとえば森浩一は
「古代人は墓と人物を結びつけて後世に伝えようとする意識は希薄だった」
などと言っているようですね。
箸墓なども、あれだけの画期的墳墓にもかかわらず、
造成後はほとんど維持管理の痕跡がなく、草木の生い茂るままに放置されたとか…。


162:日本@名無史さん
08/02/16 11:56:29
なんか一種のタブーとして敢えて墓誌銘を残さなかったのかねえ?




163:日本@名無史さん
08/02/16 21:49:58
>>161
>草木の生い茂るままに放置されたとか

むしろ草木が覆い茂り見た目小さな山とか丘になるのを目指したとか?
言わば人工的な「かんなび」みたいな?





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