なぜ邪馬台国を大和と認めないの?at HISTORY
なぜ邪馬台国を大和と認めないの? - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
08/01/08 14:10:58
テレビ局やインチキ作家が喜ぶだけだろ。

2:日本@名無史さん
08/01/08 16:38:52
邪馬台国が大和盆地であるはずがない。

3:日本@名無史さん
08/01/08 16:42:13
邪馬台国が大和盆地であるはずがない。

4:日本@名無史さん
08/01/08 17:25:03
根拠が無いから

5:日本@名無史さん
08/01/08 17:31:36
大和は邪馬台国の場所として有力な候補地のひとつなのに
九州説派が連投で必死だね。

6:日本@名無史さん
08/01/09 15:09:00
沖縄説が有力

何故なら邪馬台国の服装は薄着だからね


7:日本@名無史さん
08/01/11 15:33:52
布に穴をあけて縫わずに身にまとっているとあるだけで
薄着だとは書いてない

8:日本@名無史さん
08/01/13 04:29:02
北九州も奈良も
ストーブがないと寒くてたまらん!

9:日本@名無史さん
08/01/13 10:54:30
奈良盆地は夏はくそ暑くてフラフラする。。。

10:卑弥呼の子
08/01/14 12:43:43
6>
かなりありうる。
3世紀は今よりはるかに寒かったらしいから。


11:日本@名無史さん
08/01/14 13:03:36
あれは日本じゃなくて南方のどこかだと思うぞ。

12:日本@名無史さん
08/01/14 13:05:30
卑弥呼・・・
比屋根・・・

13:日本@名無史さん
08/01/27 23:35:40
>11
日本であるのは確か。倭人伝に、黒雉ありと言う記載が有る。日本雉は日本固有の種で、
胸が黒く、大陸の赤い胸の雉とは別。で、大和だろうが九州だろうが、日本国内なのは確か。

14:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
08/02/01 11:32:48
>>10
1世紀~3世紀は今より暖かだった。
今より寒かったのは4~5世紀。

15:日本@名無史さん
08/02/08 02:47:21
揚げ

16:日本@名無史さん
08/02/08 16:34:36
福岡の山門こそ邪馬台国。
ソースは俺。

17:筑後原住民
08/02/08 18:49:35
山門郡も候補のひとつではあるが、正直きめ切れない。
あのへんなら、瀬高とか筑後市あたりに集落の痕跡があるので、その辺かねえ。
そもそも、小国連合なら、突出して巨大な国は無いんじゃなかろうか。

ほかにも、佐賀、朝倉、甘木、八女、もちろん吉野ヶ里付近
小国がいっぱいあってよくわからん。
距離をとると、宮崎、宇佐、日田、
そもそも突出した大国があれば共立しなくてもいいしね



18:日本@名無史さん
08/02/08 20:19:29
アカデミズムでは、たぶん大和だろうという結論でもうコンセンサスができてる。
考古学的知見が進むにつれこれからますます大和説が正しいことが確かめられるというのが正直な見通しである。
まあ実際、吸収説叫んでるやつって、この板含めデンパがかったアマチュアばっかりじゃんw


19:日本@名無史さん
08/02/08 20:29:21
学会がどーのこーの言うのがまたでたか。
ちったあ根拠出したら?


20:日本@名無史さん
08/02/08 20:45:00
>>19
まともな学術書としての日本通史読んでみろよ。
すでに3世紀に大和王権の原型が形成されたというのがほぼ通説として記述されてるからw
根拠はいくらでものってるさ。アマチュアが全く反論できない強力な根拠でねw
あ。デンパ九州説は学術書なんて読まないのか。ゴメンゴメン。

21:日本@名無史さん
08/02/08 21:06:18
根拠は日本通史だな。了解した。
戦前に記紀をベースに書かれて、ほとんど変化が無い古代の部分
にどんな根拠が書かれているかわからないが、読んでみることにしよう
図書館でぱらぱらっと信長のところしか見たことが無いので
書かれているという根拠についてはさすがに反論できん。

出来ればどの章の部分が根拠なのか教えてくれ。


22:日本@名無史さん
08/02/09 09:00:22
大和か九州かはともかくとしても、
「邪馬台」の読みは普通に「やまと」だよな。
何で「やまたい」って読ませたがるのか。

23:日本@名無史さん
08/02/09 10:37:30
>>22「 邪馬台」を素直によめばヤマダとしか読めないが。


24:日本@名無史さん
08/02/09 10:52:49
九州説は作家、郷土史家、アマチュアに多い。
しかも自分の地元に引き寄せる、村おこし観光史観だったりする。

25:日本@名無史さん
08/02/09 11:10:07
>>14
ちょうど中世暗黒時代の始まりと重なるんだね

26:日本@名無史さん
08/02/09 17:23:14
根本的な話として、今の奈良県地域が
「大和の国」と呼ばれ始めたのはいつぐらいなんだろう
まさか卑弥呼の時代じゃぁ古すぎるでしょう
良くて風土記編纂の時期あたりじゃないのかな?

27:日本@名無史さん
08/02/09 17:34:55
>>26
七世紀頃。

それまでは三輪の麓辺りを指していて
「飛鳥」「斑鳩」と言った地域名称の一つだった。

だからマキムクはピンポイントで「ヤマト」の地から出ている。
皆忘れがちだけどこれも蓋然性を担保する材料の一つ。


28:日本@名無史さん
08/02/11 18:51:34
つーか、マキムク=邪馬台国で決まりっしょ。

従来の邪馬台国大和説の最大の弱点は、
果たして3世紀前半に近畿~北九州にまたがる勢力圏なんてあったのかと言うこと。チト早くねと言うわけ。
でも最近の考古学の成果により弥生・縄文時代は意外に進んでいた事が明らかになった。
箸墓の築造年代も今では3世紀後半が定説。トヨの墓の可能性も充分ある。

大体邪馬台国九州説と一口で言うが、九州のどこかテンでバラバラ。烏合の衆の観がある。
ホントに邪馬台国があったとしたら、そこまでバラバラなるかね。無かったからどうとでも言えるんでないの?

29:日本@名無史さん
08/02/12 12:05:50
邪馬台国の時代は烏合の衆だったんじゃねえの
30カ国共立の女王だし、クナ国にはやられるし、
卑弥呼が死んだ後はまたばらばらになるし。
ぶっちゃけ、信仰による連合は許せても、政権を他人に取られるのは
いやだという、緊張感の無い連中の集合だったわけだ。

卑弥呼の時代は個人商店の集まった、商工会程度のつながりだろう。
それぞれ独立して、何かあったら話し合う程度じゃなかろうか
それが、日の出商店街程度に発展し、それが統一されて、
株式会社日本(ひのもと)ショッピングセンターとなる。

生活と防衛に困らなければ個人商店の集まりでも良かったんだろうが、
クナ国にやられてから、クニとしての強化統一が必要になっていく。
やられたことで危機感を持って、やっと中央集権国家の構築を始めたという
流れが見えるような気がする。卑弥呼が死んだときに中国の使者を受け入れているから
そのころに中国の政治形態を勉強したのではなかろうか。



30:日本@名無史さん
08/02/12 12:29:28
倭国及び倭国の首都邪馬台国は双方中円墳があるところだよ

31:日本@名無史さん
08/02/12 12:41:29
ヤマト説だと「クナ国」の同定が難しいのではないか?

32:日本@名無史さん
08/02/12 16:10:34
ヤマト説の場合「クナ国」はどこになるのですか。

33:日本@名無史さん
08/02/13 04:25:20
>>32
今のところ一番人気は東海地方かな?

方角は南を東とし
ヤマトと渡り合えるだけの国力
近畿式銅鐸に対し三遠式銅鐸、前方後円墳に対し前方後方墳、と言う独自文化圏を持つ
…等の理由だったかな?

でもそのニ地域が争ったと言う物証も無ければ、蓋然性を持った理由も聞いた事が無い。

まあクナ国は畿内説の最大のネックかな?w

34:日本@名無史さん
08/02/13 15:00:20
>>33 32です。お答、ありがとうございました。

35:日本@名無史さん
08/02/17 01:09:25
今月号のムーで、超能力者が透視した結果、邪馬台国は奈良盆地にあったそうだw
トヨの墓は巣山古墳で、卑弥呼の墓は現・安徳天皇陵だという。

36:日本@名無史さん
08/02/17 01:17:23
クナ国が毛野国の可能性はないですか?遠すぎる?

37:日本@名無史さん
08/02/17 01:20:41
「漢倭奴国王」を「漢のイト国王」と読む説も結構有力らしいけど、だとすると
これって伊都国だよね?
伊都国が金印のあった北九州にあったとするなら、当時邪馬台国の勢力は近畿から
北九州にまで至る広い範囲に及んでいたと考えてよいの?

38:日本@名無史さん
08/02/17 10:51:22
伊都国が金印のあった北九州にあった・・・これはほぼ確実
当時邪馬台国の勢力は近畿から北九州にまで至る広い範囲に及んでいた
・・・邪馬台国は北九州を中心にその周辺。近畿は含まない、と考える。




39:日本@名無史さん
08/03/01 22:12:17
伊都国が前原付近で奴国が福岡市付近、末ロ国が唐津付近だとすれば
当時の一国の領域は旧郡のひとつかふたつ分でしょう
だとすれば邪馬台連合の領域が奈良盆地にまで広がっていたと考えるのは難しいですね
やはり九州島内に収まるのではないでしょうか
奈良盆地には奈良盆地であるいは邪馬台連合より進んだ文化を持つ別の小国家連合があったのではないかとも思います
高度な文明社会がより野蛮な種族によって滅ぼされるのは世界史を紐解いても珍しくありません
魏と修好したのが大陸に近かった邪馬台連合だったということなのではないでしょうか

40:日本@名無史さん
08/03/02 18:44:48
>>38
金印が江戸時代の偽造だというのは、昨年出版された本で明らかになったじゃないか。

41:日本@名無史さん
08/03/02 22:09:21
なんでこのスレだけ伸びないの?

42:日本@名無史さん
08/03/02 22:44:45
「金印が江戸時代の偽造だというのは、昨年出版された本で明らかになった」
というのは本当か?そのような説があるときいたことはあるが、
学会や識者の間で定説の地位を占めるに至ったのか?
という疑問を持ちました。

43:日本@名無史さん
08/03/04 02:27:01
>>40
これだな…
URLリンク(www.asahi.com)

ただ上記のリンク中にもあるようにそもそも「蛇鈕(取っ手部分が蛇)」が漢代の金印に無く、それが故、最初偽印と言われていた。
それが雲南省で「蛇鈕」が出てきて、広陵王劉ケイの印と同一工房で作られた可能性が高い等から真印とされた経緯がある。

もし江戸時代に偽造されたなら、作った奴はそれらを全部知った上で作った事になり、どう考えても不自然極まりないw

流石にセンセーショナリズムに走ったとしか思えないのだが?w

44:日本@名無史さん
08/03/04 22:46:48
金印偽造事件「漢委奴國王」のまぼろし (新書)
三浦 佑之 (著)
URLリンク(www.amazon.co.jp)

読者レビューを読むと、価値無しの本のようだ。

45:日本@名無史さん
08/03/06 16:23:31
>>36
菊池がクコチヒコの根拠地でしょ。

46:日本@名無史さん
08/03/06 22:25:33
狗奴国は、中古音でコノ国といった可能性が高い。

で、これは許乃国(コノ国)の可能性が高い。
ここの王は、武埴安彦命。
狗奴国王の卑弥弓呼とは、許乃国王の彦命・

47:日本@名無史さん
08/03/08 20:53:37
普通に鹿児島とか宮崎だろ?
大和は無理があるなw

48:日本@名無史さん
08/03/10 16:51:26
大和なる地名自体が7世紀ころに魏史を読んだ当時の人が邪馬台国にあやかって大和と命名しただけ


49:日本@名無史さん
08/03/12 01:43:46
>>48
それはない。
もしそうならヤマトという地名だけでなく
歴史全般を魏志倭人伝と整合性のある内容にしたはずだ。
たとえば日本書紀や古事記にヒミコが登場していただろう。
だが、そうはなっていない。

50:日本@名無史さん
08/03/15 19:52:23
日本の政治経済の中心は北九州だったんだけど、
新興勢力のヤマトに滅ぼされたんじゃないのか?
卑弥呼の立場を考えれば邪馬台国は大和と思ったほうがリアル。

51:日本@名無史さん
08/03/16 22:13:07
邪馬台国は大和+狗奴国は熊本県(球磨~菊池)
これでも問題ないよ。
畿内説だからって狗奴国を東海や毛野や熊野にもってく必要はない。

52:日本@名無史さん
08/03/16 22:20:41
まー飛鳥っちゅーか奈良盆地なんてマトモな都市遺跡が出てないからね
だからマキムクで必死なんでしょw
そこもとてもじゃないけど国際都市には見えんのだけどねぇ
既成事実にするのに必死なんです。さっさと科学的資料をつけるようにしろよ

53:日本@名無史さん
08/03/17 02:07:16
邪馬台国は大和、狗奴国は熊本で戦ってた? 3世紀にそんな遠い国どおしが戦うわけはないと思うけど。

54:日本@名無史さん
08/03/18 09:57:15
邪馬台国が狗奴国と戦っていたワケじゃない。「倭国」が戦ってたんだ。
邪馬台国は倭国の「首都」にしか過ぎん。

55:灰神楽
08/03/19 23:16:30
初めてレスいたします。今後ともよろしく。

邪馬台国を大和と考えるから、狗奴国は熊本では遠いとなるのです。
邪馬台国は九州の北半で狗奴国は熊本とかんがえれば、両国は国境を接し相争うことでも極自然です。

56:日本@名無史さん
08/03/20 01:47:14
与那国島の海底に眠る古代巨石文明
こそ邪馬台国

57:日本@名無史さん
08/03/20 07:46:35
邪馬台はヤマトと読むし、位置は畿内だよ。
シナ人がヤマトの音をとりあえず漢字表記したんだね。
一大率は畿内の出先機関で九州を監察せしむつーこと。
ただ神武東征はマジであった。
ヤマトの連中はまず北九州に基盤を作ってそこから畿内まで東征したんだろう。
邪馬台はヤマトで、のちに倭(大倭)と書いてヤマトとも読ませた。
倭がなんか字がいかんということで大和になったんだな。


ソースは俺の脳内だよw


58:日本@名無史さん
08/03/20 09:12:44
も一回言うな。狗奴国が戦ってた相手は「倭国」。
倭国の範囲は「北九州~近畿」だから狗奴国が南九州にあったとしても、両国は国境を接し相争うことでも極自然です。
そっから解ってると思うが、卑弥呼も「倭国」の女王だ。邪馬台国は王宮所在地。

奈良時代に朝廷はクマソと激しい戦いを繰り広げるが、朝廷って北九州にあったんか?

59:日本@名無史さん
08/03/20 12:37:59
狗奴国が戦っていた相手は倭国?倭人伝を読んでいませんね。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素より和せず。狗奴国の男王は、大きな倭国とではなく、卑弥呼と仲が悪かったという書き方ですよ。やはり狗奴国と邪馬台国は近いとみるべきですね。

60:虹歩命 
08/03/20 16:21:35
倭と倭国と倭人、分けて書くところをみるとそれぞれことなるのでしょう。
問題はその領域ですね。狗奴国人は倭人でしょう。そして倭の中に存在しています。
では倭国内なのかについては、倭国の範疇をどうとらえるかにあるでしょう。
たとえば、現在の中国において、中華人民共和国は中華民国の存在は認めておりません。
台湾は中華人民共和国の一部とみています。

61:日本@名無史さん
08/03/20 21:08:22
>>59
「倭の女王卑弥呼」って自分でも書いてんじゃん。君自分で矛盾したこと言ってるぞ。
>>60
倭人伝に出てくる「倭」というのは邪馬台国を中心とした国家(連合)を指している。
単なる地域名だと思ってる人大杉。
①「倭の奴の国王」→②「倭国王帥升」→③「倭王卑弥呼」
①の段階では倭は地域名。
②の倭国は伊都国を中心とした北九州の国家(連合)
③の倭は邪馬台国を中心とした「北九州~近畿」の国家(連合)。
これ昨今の主流。つーかフツーに肩書き読めばそうなるじゃん。

62:日本@名無史さん
08/03/20 22:01:55
>>61
「倭奴国王」を「イト国王」と読んだら論理がいっぺんに破綻するね。
現在の学会ではこの説はどういう扱いなの?

63:日本@名無史さん
08/03/20 22:35:07
倭は邪馬台国を中心とした国家連合?狗奴国も倭の国では?

64:日本@名無史さん
08/03/21 06:42:24
>>62 勿論タブーですよ。

65:日本@名無史さん
08/03/21 12:00:35
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!

66:日本@名無史さん
08/03/22 11:42:49
そもそも,大和朝廷統一>>邪馬台国の場所,のはず。しかし世間も学会も,邪馬台国の場所>>大和朝廷の統一で議論してるのが根本的に誤りなのでは。

67:日本@名無史さん
08/03/22 17:14:34
安心汁!
今では史学会は畿内説が主流。考古学会に置いてはほぼ定説。
AD100年頃の「伊都国中心の北九州倭国」がどうやって「邪馬台国中心の西日本倭国」になったか、
その過程の議論もかなりされるようになってきた。

「対抗馬」としての邪馬台国九州説は、その役目を十二分に果たしたと思う。
九州説があったからこそ邪馬台国論争はここまで広くかつ深くなった。
あとは安らかに眠ってくれ。

68:日本@名無史さん
08/03/22 17:31:46
けどテレ東によると徳島らしいよw

69:日本@名無史さん
08/03/22 19:32:23
>>67
>あとは安らかに眠ってくれ。

この板では九州説がゾンビの如く墓穴から這い出て徘徊していますが・・・

70:日本@名無史さん
08/03/23 09:52:45
2ちゃんはほぼ九州派に乗っ取られてるよな

71:日本@名無史さん
08/03/23 11:56:44
専門の学者の先生方(九州大除く)が言ってくれないから、自分達で言うしかないんだろ。

72:日本@名無史さん
08/03/23 15:02:21
>>70
2ちゃんのほうが柔軟性があって、スルドイナ~と思う今日この頃・・

73:日本@名無史さん
08/03/23 16:44:59
記紀の作った日本国像を維持するために、
古代史学者、古代文学研究者は、通説護持に必死だろう。
そんな学会で生き残れるような学者のみが再生産されるのだろう。

74:日本@名無史さん
08/03/23 17:08:41
邪馬台国所在地論にほぼ決着が付いたのは、考古学(者)の成果によるところが大きいんだが・・・
文献と違い、遺跡はウソつかない(掘る人がウソつくときもあるがな)。

75:日本@名無史さん
08/03/23 17:14:08
遺跡は嘘つかないけど遺跡を解釈する人間は嘘や誇張やごまかし何でもやるよw
それ以前に過去にいったん失われた事物は遺跡として残らないからね

76:日本@名無史さん
08/03/23 18:10:01
その点は解ってる。文献に比べ、物言わぬ遺跡は考察の幅が大きい。
が、相次ぐ発掘と、年輪年代法に代表される年代測定の進歩がソレを十分補ってる。

今は「九州の考古学者で、邪馬台国が九州にあったと思っている人は一人もいない」(柳田 九州歴史資料館副館長)。
考古学者の援護を失った九州説。言うなればドイツ降伏後の日本・・・

77:日本@名無史さん
08/03/23 18:48:39
そりゃ考古学では考古学最優先だからどこの地方の学者だってそう言うわな
忘れちゃいけないのは邪馬台国の存在を一次的に示すのは倭人伝だけだということだ
それを超えて考古学が先走って倭人伝がその裏づけに使われるのは本末転倒だよ

78:日本@名無史さん
08/03/23 21:08:44
倭人伝だけだから、もはや文献的には手詰まり状態となって久しい。
だから、この状態を打開できるのは考古学にゆだねられることになる。
仁徳天皇陵が大阪にあるからってんで、史料を無視して河内政権とかを構想するのとはワケが違う。

それから前出の柳田氏は「伊都国東遷説」を唱えてる。
「伊都国を中心とする北九州倭国」がAD200年頃東遷して「邪馬台国を中心とする西日本倭国」になったという考えだ。
従来の邪馬台国東遷説を100年ほど早めたような説だ。ちょうど>>57が似た様なこと言ってる。
少数派だがこれならまだ脈がある。乗り換えた方がいいぞ。

79:日本@名無史さん
08/03/23 21:51:41
3世紀末の邪馬台国東遷前、2世紀前半に先遣隊的な一部勢力が邪馬台国から東遷して
それが先に畿内邪馬台国とでもいうべき分派国を作ってたという立場だけどね俺は
だから九州説と言ってもあくまで元々九州に存在していたという意味で
3世紀の大半の時期は九州と畿内の両方に邪馬台国が存在したと考えている

神話では3世紀末の東遷を象徴するのが神武東遷で
2世紀前半の東遷を象徴するのがニギハヤヒの畿内降臨ということになるだろうな
だから考古学的に畿内にさまざまな遺物が出ていても当然なんだよ
なお一大率(俺は一人の大率と読むが)は九州邪馬台国が九州北辺の諸国を監察するためのもので
畿内邪馬台国は直接は関係ないと考える

80:日本@名無史さん
08/03/23 21:53:52
おっと、>>79の1行目と6行目の2世紀前半は3世紀前半の間違いな

81:日本@名無史さん
08/03/23 22:46:49
女王国の北に一大率。
南に水行。
南に狗奴国。

82:日本@名無史さん
08/03/24 01:54:47
>>72
そう思えるのは最初だけ。
そのうちソースのない推論や幼稚な煽り合いにうんざりしてきて見ていられなくなる
ぶっちゃけ邪馬台国系スレは消化していく度にレベルが下がってる
学問板は実はあまりためにならないと悟った今日この頃・・・

83:日本@名無史さん
08/03/24 04:23:03
未知なる過去は現在の発掘研究が決定する。

まだまだこれから過去は変わってくるよ

84:
08/03/24 09:56:41
そういやあサガミハラハラさんちかごろあまりみかけないなあ。
彼の独創的な解釈はけっこうおもしろかったのだが。

85:日本@名無史さん
08/03/24 19:36:05
ジエンデスカw

86:日本@名無史さん
08/03/24 21:29:06
サガミ↓新作を引っさげて登場

87:日本@名無史さん
08/03/25 06:22:22
>なお一大率(俺は一人の大率と読むが)は九州邪馬台国が九州北辺の諸国を監察するためのもので
>畿内邪馬台国は直接は関係ないと考える

これがなければ、けっこう面白い説なんだけどね。

88:日本@名無史さん
08/03/25 14:08:31
あくまで倭人伝に書かれた邪馬台国が九州邪馬台国というのが前提だからね
女王国以北に一大率を置くという記述からそう考えられる
畿内邪馬台国は女王国の海を隔てた東にある倭人の国の一つと見る

89:日本@名無史さん
08/03/25 23:15:44
位置比定はともかく、もうヤマタイというのはやめようぜ。
ヤマトに決まってるんだから。
東遷があったもいいな?
問題はそれがいつごろなのか?
倭人伝の卑弥呼の女王国(ヤマトのみやこ)はまだ九州にあったのか?

俺は別に3世紀ごろはすでに畿内の生産力や人口が北九州を上回っていたとしても、
女王国は北九州でもいいと思うが。
くにの重要な神事はまだ北九州でやってたが、ある時期より畿内に移ったと。


90:日本@名無史さん
08/03/25 23:25:29
そもそも倭人伝にいう邪馬台国が
当時の日本において最大勢力でなきゃいけない理由がないからね

91:日本@名無史さん
08/03/27 00:57:17
邪馬台国の血を引く天武が起こした壬申の乱で滅亡したのがヤマト。
邪馬台国は九州。

92:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/27 07:51:16
ヤマトに決まってはいない。古代では冒頭にヤマ~が付く国名の国が複数
あったもので、、女王国は邪馬壹国であ~る。

93:日本@名無史さん
08/03/27 08:35:32
今時古田トンデモ学説かよあいつはもう終わったの

94:日本@名無史さん
08/03/27 09:34:04
>>89
東遷は倭人伝の半世紀後で3世紀の末
政治的な実権は分派国である南九州の投馬国に移り
北九州の九州邪馬台国は宗教的な性格が濃くなっていたと考える
この両国が合流する形で東遷して先に東遷していた畿内邪馬台国と融合したと
神話での神武とニギハヤヒとのやり取りは融合の際の主導権争い

95: サガミハラハラ
08/03/27 09:42:37
確かに彼の学者生命はおわりました。
しかし、かれの初期の学説には見るべきものもあります。
全否定せず、ひろいあげうるものはひろいあげて評価すべきと思います。

96:にんとく
08/03/27 11:14:43
私は「つがる外なんとか」についてはフォローしていないので、
学者生命が終わったかどうかは即断できません(怪しげではあるが)。
しかし、その初期の学説(中国資料の解釈)に見るべきものがあり、
拾うべきものは拾って評価すべきである、との意見に同意します。

97:日本@名無史さん
08/03/27 11:33:06
古田学説が終わったかどうか知らないが、完全に死んだ畿内説を論じている学者の生命は終わっています。

「世有王、皆統屬女王國」
伊都國には世(今の世)王がいる、皆(倭の三十國)は女王國(伊都國を中心した連合国)に統屬されている。

世を代々と訳したヤツはだれだ!
代々は世々だろ。世の一文字だけなら今の世だ。
皆は伊都國の王を指さない。「今使譯所通三十國」の國々のことだ。
女王國とは伊都國を中心した北部九州連合国のことだ。


98:日本@名無史さん
08/03/27 11:50:32
九州説の皆さんに質もーん。邪馬台国って九州のどこにあるん?
1カ所に決めてくれたら、まだ相手してあげてもいいかな?
まあ考古学者に見放され、今さら倭人伝をひねくり回してるだけじゃ勝ち目はないけどね。(マキムク談)

99:日本@名無史さん
08/03/27 11:56:26
>>98
邪馬台国は佐賀平野を中心とする筑後川流域一帯だよ
マキムクは倭人伝と関わりがあるとすれば卑弥呼よりむしろ東遷後の台与だろ
考古学者なんて借りるべき虎の威にもならんよ自分の説で戦え

100:日本@名無史さん
08/03/27 12:10:11

トヨタン・・・・・・・・・・・・


101:太国 ◆yVAs7uaYlY
08/03/27 12:23:08
>>93
年号が出てるからもう揺るがないよ。
あとはお前さんらの、根拠も出さずに捏造だとか創作だとかマユツバだとかの
単発発言の繰り返しで信用度を故意に落す行動しか出来ないことだけさ。w


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