08/03/01 12:01:12
日本で最初にエンペラーを名乗ったと云われる、天武天皇の飛鳥浄御原宮が、見つかっていない事だけでも眉唾なのに、
そのエンぺラーがとっかかり作った、寺も神社も奈良の明日香村には無いみたい。
397:日本@名無史さん
08/03/01 12:12:33
墓だけ作って死ぬの待ってたのよw
398:日本@名無史さん
08/03/01 12:35:07
閑話休題
楚王熊章編鐘
これは楽器ですが良質な銅鐸に見えます
銅鐸は中国文化から外せません
399:日本@名無史さん
08/03/01 14:15:40
銅鐸の音色は戦後のビートルズ
日本が中国に破れてから流行る外国の音色
扶桑の国に金属音は似合わない
400:日本@名無史さん
08/03/01 17:37:17
>>396-397
あの墓も疑いがあるよね
401:日本@名無史さん
08/03/01 18:41:13
天武なんて奈良迄来てないよ
402:日本@名無史さん
08/03/01 20:53:50
天武の銅鐸の音色だね
403:日本@名無史さん
08/03/01 22:14:38
中国系のプロパガンダだと解かんないとねw
404:日本@名無史さん
08/03/02 02:18:46
>>401
>天武なんて奈良迄来てないよ
奈良にいたのは誰から?
持統から?それとも文武から?
405:日本@名無史さん
08/03/02 06:07:55
>>403
銅鐸で十分飼い馴らせる人達には銅鐸でいいね
406:日本@名無史さん
08/03/02 07:53:34
そうそう剣が必要な地域では剣がある訳だ
407:日本@名無史さん
08/03/02 11:08:40
明日香村の飛鳥坐神社とか加夜奈留美命神社を
関連つけた話をよくみるけどどっちの神社も悲しい経歴があるよ
飛鳥坐神社は江戸時代に神社など無く井戸の周辺の小山に神社を作った
加夜奈留美命神社は江戸時代まで別名八幡神社だった
江戸幕府の頑張りで現在の明日香村があるんだね
加夜奈留美だって九州にいたんだろ
408:日本@名無史さん
08/03/02 12:23:05
辻褄合わせるのも大変だ
409:日本@名無史さん
08/03/02 17:10:01
江戸幕府捏造チャンピオンだな
410:日本@名無史さん
08/03/02 18:01:16
河上邦彦氏曰く奈良飛鳥には「条坊の無い事は確実」と記載している
飛鳥浄御原宮以前には既に条坊のある出先機関があるのだから滅茶苦茶だ
411:日本@名無史さん
08/03/02 20:49:15
明日香に由緒を持ち込んだのはいいけれど、
それを裏付けるものが、後付けの短い期間の作品ですからね。
412:日本@名無史さん
08/03/02 21:29:45
河上さんは通説を疑ってるね
413:日本@名無史さん
08/03/02 21:40:22
正常な感覚だよなw
414:日本@名無史さん
08/03/02 22:49:33
飛鳥寺も一部の史料では江戸時代に無視されている
415:日本@名無史さん
08/03/03 06:15:18
戦国時代以前となりますと
寺社はかなり減るんだね
416:日本@名無史さん
08/03/03 06:50:14
通説の表と裏
本音と建前
余程のバカボンじゃなけりゃ
知ってるよw
417:日本@名無史さん
08/03/03 07:58:57
真実話を誰ともしたこと無いのなら
ちょっとお頭が弱いと自覚した方がいいよね
418:日本@名無史さん
08/03/03 10:05:48
小郡市の小郡官衛遺跡
大刀洗町の下高橋官衛遺跡
直ぐ最寄に大きな太宰府があるから
わざわざ此処に地方出先機関は要らないな
419:日本@名無史さん
08/03/03 10:42:42
九州の都だろうね
420:日本@名無史さん
08/03/03 11:29:58
下高橋の周辺は色々あるね
421:日本@名無史さん
08/03/03 13:36:00
有名な瓦が出土してんだね
422:日本@名無史さん
08/03/03 17:35:17
この辺あるね
423:日本@名無史さん
08/03/03 20:53:14
ここまじあるね
424:日本@名無史さん
08/03/04 06:57:43
確かに竈門神社がある
都に付き物だし
425:日本@名無史さん
08/03/04 10:41:46
奈良の山辺の道歩いたことある?
あれが機能していた道路だったとはとても思えない
それに奈良砂漠じゃ平地がぬかるみにくいから
わざわざ山歩く必要も無いし
426:日本@名無史さん
08/03/04 14:06:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)
427:日本@名無史さん
08/03/04 14:11:52
確かにあの山道を歩く意味がないよな
都周辺の官道なのに幅が狭く起伏が大きい事も嘘臭い
428:日本@名無史さん
08/03/04 14:52:31
あの盆地なら馬が容易に使えたから遷都したはずなのにw
429:日本@名無史さん
08/03/04 18:14:24
奈良時代の地方官道で幅8mあるんだよ
あんな山道が官道だと辻褄あわんよ
430:日本@名無史さん
08/03/04 20:47:39
そうだよね山辺の道なんて
そこらへんの山岳道と同じだよ
431:日本@名無史さん
08/03/04 21:33:36
確かにあの道は官道じゃないなw
432:日本@名無史さん
08/03/04 23:12:59
山辺道よりも高い所に歴代天皇陵を作るべきだよね
433:日本@名無史さん
08/03/05 06:42:37
あの古代天皇陵に
一つとして正解はないね
江戸幕府さんの想定だもん
434:日本@名無史さん
08/03/05 07:05:23
宮内庁の天皇陵管理費は凄いんだよ
435:日本@名無史さん
08/03/05 09:35:29
山辺道が古墳で迂回しているから
だいたいどの時代以降の移設作品かも解るよね
436:日本@名無史さん
08/03/05 10:31:34
古墳が先か道が先か
どっちが先でも可笑しいな
437:日本@名無史さん
08/03/05 10:58:20
奈良以前の官道の殆どは高速道路や重要国道のルートと重なる事が指摘されている
ただ奈良の山辺道だけ他とは違い際立つ個性の官道であることがハッキリしてる
本家山辺道の方は重要国道ルートだから説得力があるけれどw
438:日本@名無史さん
08/03/05 15:17:23
むりやり記紀の記述に合わせなくてもいいし
あわせた奴のセンスを疑う
439:日本@名無史さん
08/03/05 18:04:30
山辺山道
440:日本@名無史さん
08/03/05 20:26:39
悲しみの椿市
どうすればあそこが町になるのかな
441:日本@名無史さん
08/03/05 22:01:43
穴と石と土器編を
時代も解らず説得洗脳するだけ
考古学者は立派だよ
442:日本@名無史さん
08/03/06 06:59:52
奈良考古学の年代設定には妄想のスキルしかいらない
443:日本@名無史さん
08/03/06 08:04:26
大振りの玉石並べる構造物なんて
低コストで簡易的に体裁を整えたとしか見えないのに
都に使われたなんて妄想の極みだよ
その辺の庭先でよく見るような石っころ並べただけの庭見てるみたいだろw
444:日本@名無史さん
08/03/06 10:11:51
皇室はエンペラーだから
もう少し洗練されてないとねw
445:日本@名無史さん
08/03/06 13:07:56
簡易舗装って感じだな
446:日本@名無史さん
08/03/06 16:12:49
奈良の古寺?には礎石があって
飛鳥の都は堀ったて柱
寺だけ別格かと思いきや
当時の出先太宰府には礎石があるw
447:日本@名無史さん
08/03/06 16:46:18
大宰府が礎石を使って建てられるのは八世紀からなんだけど?
448:日本@名無史さん
08/03/06 16:52:36
奈良の歴史は多くの見落としで成り立っているwww
449:日本@名無史さん
08/03/06 16:55:20
>>447
14Cはそんな事言ってないよw
450:日本@名無史さん
08/03/06 17:08:05
明日香の都が14Cで8世紀なら聞いたことがある
ほったて柱なのにw
451:日本@名無史さん
08/03/06 18:16:55
寺の礎石かw
452:日本@名無史さん
08/03/06 18:39:25
九州じゃ山城にまで礎石が残っているのに
453:日本@名無史さん
08/03/06 21:34:25
確かに
奈良の藤原京平城京そして寺を除けば
まともな礎石が見当たらないなw
454:日本@名無史さん
08/03/07 07:01:18
穴だらけ天武の都w
URLリンク(www.asukanet.gr.jp)
455:日本@名無史さん
08/03/07 07:19:31
粗末な耐乏王朝だよねw
456:日本@名無史さん
08/03/07 07:55:39
なんの変哲もない田舎の写真にしか
俺には見えないんだけどw
457:日本@名無史さん
08/03/07 08:47:50
都から遠く遠く離れました
奈良国高市郡庁の遺跡ですw
458:日本@名無史さん
08/03/07 09:12:01
14cがどんな物か調べてみよう。
そして、地図で大宰府と明日香村を比較してみよう。
459:日本@名無史さん
08/03/07 10:50:31
14Cは科学的年代測定国際基準
編年は妄想的年代測定日本基準
460:日本@名無史さん
08/03/07 11:25:01
小学生達が14Cについて考古学者に質問メールを丁寧に送ったそうだ
考古学者の返事に対し不明な点について更に再質問を丁寧に送ったそうだ
すると考古学者は何故だか激怒の言葉も表わの拒否メールを返したそうだ
461:日本@名無史さん
08/03/07 11:31:52
>>454
まさか写真が間違ってんじゃねwwwww
462:日本@名無史さん
08/03/07 12:03:25
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)
463:日本@名無史さん
08/03/07 13:12:24
14cの数値そのままでは年代測定に使えないので、ある物で数値を補正してるんだよね。
464:日本@名無史さん
08/03/07 14:10:32
>>454
天武の都なら礎石の一つ位出てもいいだろw
465:日本@名無史さん
08/03/07 14:53:08
どの発掘資料をみても、
都らしい遺物なんて書かれていません。
ただ書記の記述から想定されるそうです。
書記が嘘八百ならどうなるのかしら。
466:日本@名無史さん
08/03/07 15:37:42
編年の標準書は永久に出来ないみたい
これをあやふやとする事が最後の砦なんだって
467:日本@名無史さん
08/03/07 15:52:30
>463
そのとおり
C12-> C14 への変化は主に太陽からの放射線によってもたらされるのと
大気循環の状態により、生成量が変化すると考えられている。
この変化を修正しなければならず、補正データがあり、それを見込んで
年代を決定する。
ただし、海中にある炭素は放射線の影響を受けにくく、C14の割合が小さい。
海洋由来の炭素が何らかの理由で、測定対象に多く含まれているとすれば
古く結果がでると考えられている。
もっとも、木材組織などに含まれるC14は炭酸同化作用による物と推定され、
海洋炭素の影響は誤差範囲を越えるものではない。
468:日本@名無史さん
08/03/07 17:27:09
それはよかったなw
469:日本@名無史さん
08/03/07 17:47:03
飛鳥板蓋宮 斉明の都が穴ぼこだらけだ
URLリンク(www.asukanet.gr.jp)
書紀の記述でも九州に殆どいたのにねwww
470:日本@名無史さん
08/03/07 18:32:11
都はチープなのに
墓と寺はかなりゴージャス
日本の古代は世界に類例を見ない様相を呈してるw
471:日本@名無史さん
08/03/07 20:09:44
寺があっても墓があっても
都がなければ地方都市
万国共通特例無し!
472:日本@名無史さん
08/03/07 20:50:23
穴ぼこの都にエンペラー天武が即位すると思うか?www
473:日本@名無史さん
08/03/07 23:00:45
せめて飛鳥歴史公園を作り終わってから
暴露してあげないと可愛そうだね
474:日本@名無史さん
08/03/08 05:43:02
なら明日香の見直しはそんなに難しくない
475:日本@名無史さん
08/03/08 06:25:16
新たな歴史への修正は
まず記紀の見直しから始める事になるだろう
476:日本@名無史さん
08/03/08 07:10:23
飛鳥を調べるにつれ捏造は動かせなくなったね
477:日本@名無史さん
08/03/08 08:20:33
近年考古学者はすっかり意識改革した
相次ぐ見込みとは違う発掘にも
ひたすら初志貫徹を貫くそうだw
478:日本@名無史さん
08/03/08 08:35:45
ゆっくりのんびり結論の先延ばししか
彼らの生きる統べは無いなwww
479:日本@名無史さん
08/03/08 10:18:59
明日香村周辺は、藤原京の附属施設として整備されたものを、それ以前だと書記が時代を捻曲げたもの。
480:日本@名無史さん
08/03/08 11:19:13
日本考古学の歴史
日本考古学発祥は明治10年モースが大森貝塚を発掘調査してから
当時考古学後進国日本はそれを学び学術として発展させた
しかし時間とともに教わった事は都合良く解釈され編年という日本独自の年代設定迄生まれた
近年世界では科学的年代測定が主流となったがいまだ日本では取り入れられず現在に至る
考古学は戦前並みの水準から全く進んでいない
481:日本@名無史さん
08/03/08 11:41:42
考古学捏造は近い将来
薬害エイズ並みの官民上げた組織犯罪として裁かれるよ
無駄に使われたお金は百億を上回る
見てみない振りした奴らも同罪だ
482:日本@名無史さん
08/03/08 12:00:06
世間を欺いた罪は大きいな
483:日本@名無史さん
08/03/08 14:01:48
明日香村周辺なんて
藤原京の死者の谷
484:日本@名無史さん
08/03/08 18:39:58
奈良明日香から、仮に三種の神器でも出てきても、
もう誰もここを都だと信じないよ。
今までの考古学ファンへの裏切りは、
とっくにピークを過ぎてる。
485:日本@名無史さん
08/03/08 18:45:53
よく見てみれば何も無い・・・
486:日本@名無史さん
08/03/08 20:41:46
当時奈良に居る人達は外国人が多いよねw
487:日本@名無史さん
08/03/08 21:20:32
明日香では掘立柱と石版築が主流なんだw
488:日本@名無史さん
08/03/08 22:24:47
掘立柱の建物が長持ちする訳無いからねw
飛鳥浄御原宮の正殿跡、ついに発見される!
URLリンク(www1.kcn.ne.jp)
489:日本@名無史さん
08/03/08 23:17:41
先行する九州の都じゃ方々で礎石が発見されてるし
その後の奈良の都でも礎石が発見されている
空白記とでもいうのかね
490:日本@名無史さん
08/03/09 01:37:15
掘っ立て柱じゃ立派な正殿も沈んじゃうYO
491:日本@名無史さん
08/03/09 05:28:51
堀立柱で思い出すのは雲太出雲大社
古代でもあとは思い当たらないよな
いかに時代錯誤の都なのかよく解るねw
492:日本@名無史さん
08/03/09 07:03:55
堀立て柱は今で言うとプレハブ程度 庶民の家位で報道しとかないとなw
493:日本@名無史さん
08/03/09 09:18:05
伊勢神宮は未だ掘立柱で作られている珍しい建物
云わば構造が傾き易いプレハブの為に
式年遷宮を常に行わなければならない
言い換えれば礎石の上に立つ他の寺社にはその必要が無いって事
494:日本@名無史さん
08/03/09 09:53:33
移設した持統達は、木造建築構造に疎かったのか、急場凌ぎだったのか、どちらにしても陳腐な風習が伝わったもんだ。
495:日本@名無史さん
08/03/09 11:35:28
ある一書によると
「・・・これは飛鳥の宮殿の特徴である石敷をともなって・・・」
確かに珍しい都の特徴だw
496:日本@名無史さん
08/03/09 14:00:08
年代も解らない石敷の堀立柱
どこにでもある田舎の特徴w
497:日本@名無史さん
08/03/09 18:16:14
掘立柱なのにすっかり踏ん反り返ってる。のさばらせていいのかね。w
498:日本@名無史さん
08/03/09 19:54:42
寺はその前からつくったのにね
499:日本@名無史さん
08/03/09 22:41:43
伊勢神宮も小石だけど石敷じゃんw
500:日本@名無史さん
08/03/10 00:43:14
そろそろ暴露したほうがいいよ
501:日本@名無史さん
08/03/10 02:27:39
>>494
逆に言うとあれくらいの遺構ならば日本全国どこ掘っても出るんじゃマイカ
後付で大騒ぎしてるという。実に滑稽だな
502:日本@名無史さん
08/03/10 06:37:54
奈良砂漠には石がよく似合う
503:日本@名無史さん
08/03/10 07:03:18
奈良明日香の石造物は
現代日本から理解できない物が多い
504:日本@名無史さん
08/03/10 09:52:42
甘樫と甘木
505:日本@名無史さん
08/03/10 10:36:05
移設前後で地名等が僅かに変わるって多いけど
あまり注目されてないね
506:日本@名無史さん
08/03/10 13:01:17
467さん、石灰岩のC14の数値への影響は無いでしょうか?
石灰質の多い水で育った植物のC14の誤差は出ないんでしょうか?
507:467ではないが
08/03/10 15:21:01
>>506
植物内のCは炭酸同化作用の大気中CO2ガスに由来するもので、
根から水と共に吸い上げた炭酸塩に由来するものでないよ。
と言うより、毛根から炭酸塩は吸収できない。
508:日本@名無史さん
08/03/10 16:05:19
なるほど。
ご教授、感謝。
509:日本@名無史さん
08/03/10 20:56:38
>>505
ほんとだね変わってるねwww
510:日本@名無史さん
08/03/10 21:10:07
砥上もにてるよ
511:日本@名無史さん
08/03/10 23:47:02
似たもの指摘は安本氏が早いけど
東遷があまりにも早すぎる
彼も年令からの思い込みに負けたな
512:日本@名無史さん
08/03/11 07:03:23
訓読みから音読み
移設後に移設元と移設先の改名
不自然な重箱読み
捏造工作は最近まで続いた
513:日本@名無史さん
08/03/11 10:44:36
明日香も移設で変化したね
514:日本@名無史さん
08/03/11 13:13:36
九州の飛鳥は広かったよね
515:日本@名無史さん
08/03/11 13:54:07
飛鳥の○○宮って云うだけに
飛鳥は広域名だよ
516:日本@名無史さん
08/03/11 18:28:50
先にくる名前が狭いのは
確かにおかしいよ
517:日本@名無史さん
08/03/11 20:08:51
日本語の順序は東京の新宿
渋谷の新宿とか並列地名称ありえ無い
古代だけあるから笑うよ
518:日本@名無史さん
08/03/12 07:10:00
そうね
九州の春日は広く
奈良の春日は狭い
九州の飛鳥は広く
奈良の飛鳥は狭い
519:筑後原住民
08/03/12 17:07:01
すまん、九州の飛鳥ってどのへんを指すの?
520:日本@名無史さん
08/03/12 20:26:03
>並列地名称ありえ無い
www
521:日本@名無史さん
08/03/12 21:22:03
奈良の飛鳥はやたら狭いな
522:日本@名無史さん
08/03/13 16:28:41
調べりゃいいw
523:日本@名無史さん
08/03/15 14:25:43
何処に住んでんだろw
524:日本@名無史さん
08/03/15 17:44:42
現地に居たら史料に事欠かない
525:日本@名無史さん
08/03/16 13:51:34
太宰府天満宮に伝わる翰苑には
魏志倭人伝の元となった魏略の逸文が含まれる
この内容だけで魏志倭人伝話は決まりですから
後に書かれた史書の記述をいくら検討してみても
意味の無い話ですよね
526:日本@名無史さん
08/03/16 15:25:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)
527:日本@名無史さん
08/03/16 16:57:33
>>525
新旧食い違うなら、常識的により古い史料に依るべきだよね。
魏略
中国三国時代の特に魏について書かれた歴史書。本文は失われ、現在は逸文のみが残る。
正史三国志にも陳寿がよく魏略から引用している。
三国志(魏志倭人伝)
中国の西晋代の人陳寿(233年 - 297年)により西暦280年~290年頃に編纂された紀伝体の歴史書。
現存している写本は、5世紀に裴松之により校訂・注釈を施されたもので、紹興本と紹煕本がある。
紹興本は、南宋の紹興年間(1131年~1162年)に筆写されたもので、
紹煕本は、紹煕年間(1190年~1194年)に筆写されたものをいう。
528:日本@名無史さん
08/03/16 17:26:30
邪馬台国妄想史学極まれり
529:日本@名無史さん
08/03/16 17:27:20
わりかし解かりやすい翰苑(魏略含む)の解説
翰苑の解読と分析 塚田敬章
URLリンク(boat.zero.ad.jp)
530:日本@名無史さん
08/03/16 17:39:06
塚田敬章さんの妄想は問題山積みだけどねwww
531:日本@名無史さん
08/03/16 18:15:26
失礼しました張り直しですw
古代史獺祭 魏略 逸文
URLリンク(www001.upp.so-net.ne.jp)
532:日本@名無史さん
08/03/16 19:50:29
翰苑の研究すすめるべきたなw
533:日本@名無史さん
08/03/16 20:58:00
翰苑は結局
九州が都だね
534:日本@名無史さん
08/03/16 21:13:12
当たり前の話ですが、古い史料から考えないと、何の為に議論するのか、解らなくなりますね。
535:日本@名無史さん
08/03/16 21:40:09
翰苑こそ魏志倭人伝
536:日本@名無史さん
08/03/16 23:07:46
漢書地理志 朱崖の条
537:日本@名無史さん
08/03/17 09:19:33
魏志倭人伝は明らかに間違った認識を後から入れたようですな
538:日本@名無史さん
08/03/17 09:34:12
後の秦王国が九州ですし、考古学的にその時代何も出てこない奈良に、まず勝ち目はないですよ。
539:日本@名無史さん
08/03/17 13:09:23
三国志は遅れて作られた
それにしか頼らざるおえない学説は辛いでしょうね
540:日本@名無史さん
08/03/17 15:09:52
×おえない
〇をえない
541:日本@名無史さん
08/03/17 15:19:14
想像を膨らますのは個人の勝手だが
矛盾だらけの説を強要するのだけは止めて欲しい
珍説でも合理的に矛盾もなければ
自説に沿わない事も耳を傾ける人が必ずいる
学究を深める事を優先してほしい
542:日本@名無史さん
08/03/17 17:31:14
三国志の魏志倭人伝は後から捏造してるわけかw
伊都国に続く国が邪馬台国なら
早良郡に三種の神器まで出てるから
辻褄ぴったり文句なしだw
543:日本@名無史さん
08/03/17 19:51:11
元祖日向ですねw
544:日本@名無史さん
08/03/17 20:19:13
元祖橿原もご近所にあるようですし、奈良の出る幕は藤原京迄無いですよね。
545:日本@名無史さん
08/03/17 21:37:20
反論出来る奴いないよなw
546:日本@名無史さん
08/03/17 21:43:20
所で前から気になってたんだけど九州からは
三種の神器は出てない、っていう学者先生がいるけど
あれは何なの?出てるよね・・・
547:日本@名無史さん
08/03/18 06:37:41
その学者は馬鹿なのよw
548:日本@名無史さん
08/03/18 07:03:23
今時ね通説を覆す説に対して理由も無くゴネるだけで
当局からおいしいご褒美が貰えるんだから
学者達に考える力なんて必要無いのよ
すっかり餌が無くても握り締めた物離さない猿ばかりw
549:日本@名無史さん
08/03/18 08:24:45
矛盾に気が付かないような
程度の低い学者程
ぎゃ-ぎゃ-うるさいよねw
550:日本@名無史さん
08/03/18 08:59:20
吉武高木が弥生時代?
まず時代設定の見直しだな
551:日本@名無史さん
08/03/18 10:04:28
新しいからこそ無視できる
無視をするにも理由が必要
552:日本@名無史さん
08/03/18 10:29:38
魏略を無視する理由なんて無いですねw
553:日本@名無史さん
08/03/18 10:45:37
痛いとこ突かれて、逃げたり、怒ったり、痴話喧嘩してんじゃねぇんだから、理論武装もできないお馬鹿さんの学位は、取り下げお願いします。
554:日本@名無史さん
08/03/18 11:14:55
昔松元成長とかいう下唇の分厚いおっちゃんが
にあわん真顔で「魏略で決まり」と言っとったな
555:日本@名無史さん
08/03/18 11:47:48
妄想が一人歩きしてますよね
556:日本@名無史さん
08/03/18 14:40:10
卑弥呼が元祖日向にいたのなら
その南の狗奴国は何処だろね
557:日本@名無史さん
08/03/18 17:35:49
吉武高木遺跡ありますね
558:日本@名無史さん
08/03/18 18:43:18
末羅国があったとされる、唐津の遺跡をみてみますと、吉武高木と非常によく似ています。
東へ向かい本州迄進むと、この系統の遺跡は全くありません。
しかし南の筑後川流域には、やや似たものがございます。
ですから北九州を外れますと、末羅国とは時代も様相も、全く違っている事に気がつきます。
やはり同時代の道程なら、同系統の遺跡でなければ、議論の余地が無いと存じます。
559:日本@名無史さん
08/03/18 19:19:05
同感
下唇は伊達じゃないねw
560:日本@名無史さん
08/03/18 20:29:06
>>558
糸国もにてるよな
561:日本@名無史さん
08/03/18 20:34:54
だいたい魏使の道すがら
女王国の支配地域でありながら
奈良と九州で墓が違っていい訳ないw
562:日本@名無史さん
08/03/18 21:09:27
通説は奈良に都合よく組み立てただけ
563:日本@名無史さん
08/03/18 22:48:17
ぐたぐたやる必要は確かにないな
564:日本@名無史さん
08/03/19 06:39:47
想像や妄想無しで理路整然と特定出来るますね
565:日本@名無史さん
08/03/19 06:58:20
奈良へいって突然前方後円墳になるのはね
女王国の範囲について都合よく無視してるだけ
甕棺の副葬品の方が格上なのも説明がつかない
数えきれない無視でなりたってますね
566:日本@名無史さん
08/03/19 07:55:48
URLリンク(inoues.net)
567:日本@名無史さん
08/03/19 10:05:18
末羅国から考えると時代が特定できて解りやすいですね
568:日本@名無史さん
08/03/19 11:34:34
末羅・伊都・早良
時代も様相も良く似通ってますね
これらと奈良は全く別もの
同じ時代の証拠を上げて欲しいですね
569:日本@名無史さん
08/03/19 11:43:20
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)
570:日本@名無史さん
08/03/19 17:52:39
下唇翼賛会に入会希望申請いたしまつ!
571:日本@名無史さん
08/03/19 22:38:46
邪馬台国で悩めるなんて
思考能力に欠陥があるのかもねw
572:日本@名無史さん
08/03/20 09:49:51
合わない条件消去すれば、直ぐに範囲は狭まるから、うだうだやる必要なんてないよね
573:日本@名無史さん
08/03/20 10:25:01
条件とか定義とかのそれぞれ適用が出来ない奴は
説明しても永遠に解んないだろうから
永遠に笑われ続けるんだろうねw
574:日本@名無史さん
08/03/20 12:36:28
基礎的な条件でアウトならもう醸す意味無いよな
それに付き合う天然記念物も万に一人だしさ
575:日本@名無史さん
08/03/20 18:39:57
末羅国の出土品をみてくれよw
576:日本@名無史さん
08/03/21 06:54:57
おなじ女王国だよね
577:日本@名無史さん
08/03/21 09:38:20
狭かったのね女王国の範囲
578:日本@名無史さん
08/03/21 15:37:42
奈良学派の人達には
寡黙な人が多いのにね
579:日本@名無史さん
08/03/21 18:39:23
奈良の邪馬台国は矛盾だらけ
とても京都大学が作った説だと思えないw
580:日本@名無史さん
08/03/21 20:22:15
大学の研究かw
581:日本@名無史さん
08/03/21 21:02:23
wiki 石舞台古墳
URLリンク(ja.wikipedia.org)
今まで納得する理由を聞いた事がありませんが、蘇我馬子の墓と考えられているそうです。
582:日本@名無史さん
08/03/22 06:03:16
畑の土に転用されたんだな
583:日本@名無史さん
08/03/22 08:32:30
この扱いは王権交替のなれの果て
馬子の墓じゃ無いの当たり前だけど
天武系の大物かな?
584:日本@名無史さん
08/03/22 13:53:15
馬子は明らかに九州の人。奈良の明日香に居た訳無い。証拠の無い妄想が何処迄も一人歩きするな。
585:日本@名無史さん
08/03/22 20:27:03
家庭系が収支系に聞こえて未然系が連用形に聞こえる人はほっとけよ
586:日本@名無史さん
08/03/22 20:46:43
勝手に来るから困るよな
587:日本@名無史さん
08/03/23 07:22:14
あやふやな発言から一人歩きした通説が多いのにですな
588:日本@名無史さん
08/03/23 12:25:47
古文書は個人で持つには高いよね
無いと研究にならないし
589:日本@名無史さん
08/03/23 14:21:51
んだね
590:日本@名無史さん
08/03/24 06:56:56
最近古本屋全盛の為値段も下がりにくいよね
専門書のニーズがけして増えた訳じゃ無いのに
強気の価格設定だよね
591:日本@名無史さん
08/03/24 18:32:13
邪馬台国で悩めるのは発展途上の知識不足の人だけだろw
592:日本@名無史さん
08/03/24 20:59:01
悩み多き人に終止符なんて打てないだろうねw
593:日本@名無史さん
08/03/25 07:01:18
史料の取捨選択を合理的に行なえばおのずと結論が見えるもの
594:日本@名無史さん
08/03/26 06:55:33
基本抜きの仮定ばかりじゃ頂けないな
595:日本@名無史さん
08/03/27 06:56:47
あれで真面目に悩んでいるなら
もう考えない方がみんなの為だ
596:日本@名無史さん
08/03/27 20:37:01
マキムクの遺跡から出てきたものよく見直して欲しいですね
597:日本@名無史さん
08/03/28 06:56:08
甘樫丘?の蘇我の邸宅跡?も
出てきたものをよく見回して欲しい
小さな建物跡の堀建柱で
想像ばかりが豊かで一人歩きが過ぎる
598:日本@名無史さん
08/03/28 08:30:54
最近のこの手の新聞記事には理由の欠片も無いよな
599:日本@名無史さん
08/03/28 09:21:38
法隆寺や飛鳥寺があるのに
九州王朝説をとる人ってなにもの?
600:日本@名無史さん
08/03/28 10:41:32
法隆寺が九州からの移設だったらどうする?
601:日本@名無史さん
08/03/28 11:22:50
>>598
書記の記述にそった場所にある事が
唯一の証拠なんだってさw
馬の骨遺跡にしか見えないのは
俺だけじゃ無いだろうなw
602:日本@名無史さん
08/03/28 14:57:36
当時最有力の蘇我氏の邸宅にしては、慎ましやかな遺跡だこと。
福岡では山の上にも礎石がある。権威を誇った豪族が住んでいたんだね。
603:日本@名無史さん
08/03/28 17:30:06
比べてみれば奈良の方が田舎だよねwww
604:日本@名無史さん
08/03/28 21:09:52
きっとうっかりだろうけど、
未だ掘立柱の伊勢神宮は、20年で作り変えつづけている。
それに対し礎石の法隆寺は、1000年以上も当時のままつづく。
この比較について、考古学者みなさんはすっかり忘れてるようだから、
早めに再認識を、お願いした方がいいよ、きっと。
605:日本@名無史さん
08/03/28 21:15:30
俺、高千穂の神産霊命が過去世。
今世は宮城県北部に住んでる。
606:日本@名無史さん
08/03/28 21:39:28
>>604
最近巷にうっかり者が妙に増えたなw
出雲大社宇豆柱の不自然な残り方も
見る人が見れば堀立柱が倒壊した証拠らしいぜwww
607:日本@名無史さん
08/03/29 06:51:17
礎石に比べ堀立柱の耐用年数が極端に短いのは建築では常識
言わばプレハブ仮設住宅と丸ノ内ビルの比較
明日香村の古代仮設住宅はなんの為に使われたのか
真面目に都だと思えるのは無知なのか無視なのか
608:日本@名無史さん
08/03/29 06:59:00
無知の人の発言はいらんよねwww
609:日本@名無史さん
08/03/29 07:26:08
大玉石敷きの簡易舗装に簡易排水路
さすが天武の王城は手が込んでるw
610:日本@名無史さん
08/03/29 08:20:20
明日香の掘立柱が腐りつつあるなw
611:日本@名無史さん
08/03/29 12:22:56
矛盾だらけの理由では
さすがに新聞に書けないだろ
612:日本@名無史さん
08/03/30 05:05:37
もう堀立柱で都なんて妄想するのは止めないとね
613:日本@名無史さん
08/03/30 09:02:16
ごもっともw
614:日本@名無史さん
08/03/30 09:49:07
飛鳥浄御原宮672-694(計22年)
伊勢神宮の式年遷宮(20年)とよく重なるねw
最後は傾むきかけた御所で政務を取って居たんだろうね
外国の賓客も驚いたろうにwww
615:日本@名無史さん
08/03/30 10:31:56
たしかに記紀によれば外国との交渉もかなりあるねw
記紀鈍感作者曰くプレハブエンペラー天武!
すべて中国式に変えたのに建物だけは田舎者
ちゃんとした建物に入っていたと思うよwww
616:日本@名無史さん
08/03/30 12:02:20
倭と供に破れた百済の王城扶餘山にも、当たり前の事ながら、礎石がきちんと残っています。
天武はその後の時代となりますから、従属国の都と比較して、堀立柱の浄御原宮では、時代錯誤が甚だしいようですね。(笑)
617:日本@名無史さん
08/03/30 13:13:52
百済を下回る後進地域奈良w
618:日本@名無史さん
08/03/30 13:19:00
太宰府には礎石があった
書紀は嘘ばっかり書いてるけど
ちゃんとした歴史を伝えたいですね
619:日本@名無史さん
08/03/30 18:05:46
百済と九州には礎石があるのに、肝心な奈良は堀立て柱。これじゃ騙しきれないだろ。
620:日本@名無史さん
08/03/30 21:04:29
いまの歴史教育は明らかに東洋流で騙す事を罪としてない
621:日本@名無史さん
08/03/30 21:25:55
書紀の都が転々としたのは、
奈良盆地に礎石すらない為、
辻褄合わせでこう書くしか無かったんだろうよ。
舎人親王も苦渋の選択ですね。きっと。
622:日本@名無史さん
08/03/31 06:26:47
舎人ってさすが天武の子供だよね
騙すを厭わない性格が読み取れるからね
623:日本@名無史さん
08/03/31 07:01:19
奈良の遺物は見直すべきだ
624:日本@名無史さん
08/03/31 09:34:58
その当時の王家はまるで毒入り餃子で開き直るような横柄な人達だよなw
625:日本@名無史さん
08/03/31 11:23:57
奈良の王家は未だ嫌われてるね
626:日本@名無史さん
08/03/31 17:13:38
奈良の王家w
627:日本@名無史さん
08/03/31 19:09:27
大和を地域名称とした書記と
倭を王権名とした中国史
矛盾だね
628:日本@名無史さん
08/03/31 20:32:35
ヤマトを移設した際に、地域名称としたのは、九州との差別化を狙った為だろうね。
今まで通り九州もヤマトの国の一部としたら、同じ名前が並立して、何の為に移設したんだか解からなくなるからね。
629:日本@名無史さん
08/03/31 21:58:10
確かにヤマトがあんなに狭い奈良だけで解釈されてないな
630:日本@名無史さん
08/04/01 07:04:59
倭と云う女王国は伊都国等とは違う扱いだね
631:日本@名無史さん
08/04/01 08:28:23
米が作れない奈良盆地には国すら無かった筈
632:日本@名無史さん
08/04/01 13:34:29
箸墓が卑弥呼の墓だせw
633:日本@名無史さん
08/04/01 14:47:42
中国史から推定すればヤマトは九州が妥当ですね
634:日本@名無史さん
08/04/01 18:36:00
遠飛鳥が河内なのは、遺称地名以外に証拠は無いのですが、
国を隔てたあの位置に、同じ名前がある事が、まずかなり可笑しいですね。
635:日本@名無史さん
08/04/01 22:07:51
あすか「の」おかもとみや
格助詞「の」は、連体格を示し、前の語句の内容を後の体言に付け加え、その体言を限定する。
だから「の」の前が後より大きい、これは今も昔も変わらぬ定義です。
そして、国史に置ける広域名として考えるなら、国郡でもない飛鳥の狭さは、不適当だと云えます。
もう少し飛鳥も難波も石上も春日も、広さがあるのなら納得がいくのですが、
明らかに多くの地名で矛盾がみられるのです。
書記の狭い大字程度の地名が大手を振るようでは、格助詞の「格」の字に笑われているような気がします。
636:日本@名無史さん
08/04/01 22:33:33
河内迄飛鳥にしとけば格助詞には笑われなかっただろうな
それでもバレバレには変わり無いけどwww
637:日本@名無史さん
08/04/01 23:43:11
狭いよね
638:日本@名無史さん
08/04/02 06:56:09
奈良飛鳥は倭名抄に書かれていないから
大字としてしか評価されないよな
移設地名を一人立ちさせるのにも時間がかかるよね
639:日本@名無史さん
08/04/02 09:11:10
明日香がこれだけ狭いんだから
岡本宮はどんなに狭かったのか
640:日本@名無史さん
08/04/02 12:30:59
飛鳥の部落の領土を全部つかっても、外交を行なう国の、
首都機能を充足できたのか、甚だ疑問。
堀立柱で二階立てにでもしたのかな。
641:日本@名無史さん
08/04/02 21:50:14
古代奈良は堀立柱に誰か文句言えよ!
642:日本@名無史さん
08/04/02 22:16:36
奈良の貧弱な遺蹟を守り続けるらしいね
643:日本@名無史さん
08/04/03 07:00:10
貧弱だよねw
644:日本@名無史さん
08/04/03 10:37:02
考えてみれば
近江の字面は川であって
海や湖とは書かれていない
特に天智紀では総て江だよ
645:日本@名無史さん
08/04/03 13:34:07
なるほど、天智の遷都した都は近江の大津宮で、直訳なら、近い河の大きな港のある都。今の滋賀大津とば、ニュアンスが違う。小さな湖で大きな港も解せないし。
646:日本@名無史さん
08/04/03 13:44:02
近い河なら当時は飛鳥中心の遷都からして
まず大和川や飛鳥川としないと
何処が近いのか基準が分からないなw
647:日本@名無史さん
08/04/03 15:59:15
元ノマは一緒の難波=大津にしなかったから混乱するのよ
648:日本@名無史さん
08/04/03 17:22:32
稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。
なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。
ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならない。
それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられうる。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
649:日本@名無史さん
08/04/03 17:58:04
>>647
支配地域を広く見せたかったんだろうね
なんでもかんでも見栄っ張りだよな
650:日本@名無史さん
08/04/03 18:26:54
素直に大阪に大津を置けば漢字の矛盾だけは解消するけど
色々付属地名を周辺に置くのには苦労するよね
例えば逢坂峠とかねw
651:日本@名無史さん
08/04/03 21:21:05
移設丸見え地名は多いな
652:日本@名無史さん
08/04/03 23:12:32
逢坂に大阪
653:日本@名無史さん
08/04/04 00:20:33
逢坂に大坂だ。
大坂と小坂がある。
654:日本@名無史さん
08/04/04 06:59:22
福岡市内は早くから開発が進んだけど
小高い所じゃあまりにも当たり前に遺跡がでるから
慣れっこ過ぎて遺物の多くは無視されたそうです
残念です
655:日本@名無史さん
08/04/04 07:23:14
福岡城に使われた石垣の多くは、すぐ近所の裏山から運ばれた。名もなき大規模遺構があった証明です。
656:日本@名無史さん
08/04/04 09:49:10
あの辺に扶餘城並の施設があった噂は絶えない
657:日本@名無史さん
08/04/04 10:49:44
福岡市内で瓦礫に甕棺のかけらが転がっているのは
よくあること。それを拾って庭の隅に集めてた。それだけだが
数十個はあったよ。時々親父がどこかに捨ててたなあ
658:日本@名無史さん
08/04/04 14:46:11
本当の難波も大津もそのへんだろ
659:日本@名無史さん
08/04/04 21:47:47
大阪って呼んだ秀吉も史実は知ってて呼んだみたい
660:日本@名無史さん
08/04/05 07:16:22
大阪の難波京跡も堀立柱
大丈夫なのかよ
661:日本@名無史さん
08/04/05 07:52:10
どっかの集会所の間違いだろうよw
662:日本@名無史さん
08/04/05 11:50:03
毎度貧弱な都のお墨付きが多い事
663:日本@名無史さん
08/04/05 12:17:31
木製の電信柱の耐用年数に等しいよなw
664:日本@名無史さん
08/04/05 13:57:16
コールタールが無い時代のことだから、
掘っ立ての耐用年数は、木製電柱にはるかに及ばないよ。
発掘柱に木製コールタールが付着していた例があるのかな? 焼きでは無く。
665:日本@名無史さん
08/04/05 18:38:16
コールタールw
666:日本@名無史さん
08/04/05 19:51:59
稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。
なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が、既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。
ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならない。
それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられうる。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
667:日本@名無史さん
08/04/05 20:57:43
安物防水材として使われたコールタールがなんで出てくるんだろw
668:日本@名無史さん
08/04/05 21:41:08
耐用年数
簡易建物堀立柱 7年
木製枕木 8年
送電木塔及び木柱 15年
橋、塔、やぐら及びドック 15年
木製ガードレール 15年
木造住宅基礎あり 20年
669:日本@名無史さん
08/04/05 23:06:12
法隆寺の耐用年数も並べたいw
670:日本@名無史さん
08/04/05 23:16:40
1000年と15年
はるかに及ばないw
671:日本@名無史さん
08/04/06 07:45:25
法隆寺が堀立柱なら今に無いって事だよなw
672:日本@名無史さん
08/04/06 10:48:21
掘立柱建物 wiki
URLリンク(ja.wikipedia.org)
掘立柱建物の場合は災害によって倒壊しても、上記のような利点や木材調達の面から再建が礎石建物に比べてはるかに容易であったものと理解される。
涙の出るような苦心の説明にある意味感動すら覚えますw
こんな意味不明の恥ずかしい説明を未だ書ける人がいるんですねw
673:日本@名無史さん
08/04/06 12:20:34
土木建築音痴じゃ考古学やってても恥さらしているだけだよなw
この程度の専門外ならすぐ調べつくだろうし
674:日本@名無史さん
08/04/06 14:02:07
礎石基礎が残っていりゃ、穴掘って埋めて突き固める分、手間かからんぜ。
書記信仰してると、定義とか常識が変わるのかもな。
675:日本@名無史さん
08/04/06 14:21:01
災害の前に朽ち果てる堀立柱w
676:日本@名無史さん
08/04/06 16:43:52
災害の周期よりスパンが短い掘立柱なのに災害の話で説明する意味が無いだろw
677:日本@名無史さん
08/04/06 18:03:23
>>672 これwikiに書いた奴は、明らかに御馬鹿さんだね。
806年に作られ日本最古と推定される民家「箱木家住宅」を、掘立柱建物とも説明してる。
リンクで見れば内部の柱迄、石にちゃんと載ってるのに、余程モラルが低いか、頭程度が低いみたいね。
678:日本@名無史さん
08/04/06 18:18:32
!!!土中に埋めて礎石を用いない!!!これが掘立柱!!!
意図的なバレバレの混同ですね
子供でも解かるだろwww
679:日本@名無史さん
08/04/06 19:44:00
平城京朱雀門も掘立柱だってさw
それは掘っていない立柱だよなw
680:日本@名無史さん
08/04/06 20:38:26
堀立柱が石載ってていのかね
681:日本@名無史さん
08/04/06 21:04:20
奈良明日香のような純粋な掘立柱じゃ無いと掘立柱と呼んではならない
682:日本@名無史さん
08/04/07 06:15:35
拡大解釈が過ぎるねw
683:日本@名無史さん
08/04/07 06:49:38
飛鳥浄御原宮とはまったく違う堀立柱とでも説明すればいいのかな?
言い訳にすぎんな
684:日本@名無史さん
08/04/07 10:09:20
当時からクレオソートがあれば長持ちしただろう。
(線路の枕木の防腐剤、ついでに、人間の腸の殺菌剤)
685:日本@名無史さん
08/04/07 11:50:28
せいぜい伸びても10年の話にしつこいし
他の薬品で調べてくんないから
スレ違い甚だしいw
686:日本@名無史さん
08/04/07 12:43:34
稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。
なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。
ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならない。
それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられうる。
URLリンク(www.athome-academy.jp)
687:日本@名無史さん
08/04/07 15:33:44
7世紀に抗菌剤としての「木タール」や「木酢」があったかどうか不明なんだから、
くだらない議論だと思うね。
688:日本@名無史さん
08/04/07 16:28:36
堀立柱なのに礎石並に丈夫になるようなネタだけ持ってきてくれw