07/12/22 21:29:31
チョンの哀れな妄想は、以下で完全論破されてるよw
【百済系渡来人の真実】
4世紀末から5世紀初頭、腆支王(てんしおう。日本書紀では直支王)は、王子のときに日本の人質であったが、応神天皇の命令で百済へ返されて百済王になった。(日本書紀応神十六年)
武寧王(在位:502~523)、日本の人質になっていた百済王子の子。日本生まれで日本育ち。(『日本書紀』雄略五年六月など参照)
棺は日本産の高野槙製。日本人説あり。
7世紀半ば、余豊璋(よ・ほうしょう)は、王子のときに日本の人質であったが、中大兄皇子から織冠を授けられ、つまり日本の皇子の臣下となった上で、王になるべく百済に送り込まれた。(斉明七年(661))
遅くとも661年以降、【百済の王家は日本の皇子の臣下】の扱いになった。(百済王家=天皇の臣下より1段低い皇子の臣下)
【結論】
百済王家とは、代々日本に人質を出し続けて百数十年、さらに亡国後、天皇の臣下以下の下僕として百数十年経過した後、女を差し出すことが許された家柄である。
何の資料提示もせず反論もしないってことは、妄想と断定していいんだね?
朝鮮人クン?www