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雍州府志 巻四 阿弥陀寺
浄土宗にして、開山、生誉清玉と号す。織田信長公生害の時、本能寺焼け終てて後、
清玉、その場に赴き、骨灰を聚む。この寺に葬る。灰中、信長公の常に著るところの衣服の余燼あり。
これをもって徴とし、別に葬埋し奉る。堂に、信長公ならびに信忠公の彫像及び戦死百二十人の連牌あり。
柳本織田家記録 阿弥陀寺
御肌ニ被召候御帷子 血付有之候
とあり、寺宝だったことが分かるが、延宝元年十一月廿五日の大火で焼けてしまったという。
そして例の寺伝が創られたとさ。