日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実!at HISTORY
日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実! - 暇つぶし2ch350:日本@名無史さん
07/11/23 21:24:45
>>333
きっと秀吉も僧侶で陰陽師なんじゃない?w


351:惟神塾へようこそ
07/11/24 09:54:11
 宇宙の全ては神が創られたものである
 仇敵悪人と言えども、皆神様の霊が宿っている。人は神である。否人ばかり
ではない。一切の動物も植物も皆我々の為には必要な力であり、頼みの杖であ
り、神の断片である。人はどうしても一人で世に立つ事は出来ぬものだ。四恩
と言う事を忘れては人の道が立たぬ。人は持ちつ持たれつ相互いに助け合うて
行きべきである。人と名が付けばたとえ、その心は鬼でも蛇でも構わぬ。大切
にしなければならぬ。それに人は少しの感情や利害の打算上から、互いに憎み
嫉み争うとは何たる矛盾であろう、不真面目であろう。人間は神様である。人
間をおいて力になってくれる神様が何処にあるであろうか。
 神界には神様が第1の力であり、頼りであるが、現界では人間こそ、我らを
助くる誠の生きたる尊い神様であると、こう心の底から考えてくると、人間が
尊く有難くなって、粗末に取り扱う事は天地の神明に対し奉り、畏れ多い事と
悟ったのである。
 江戸時代、百姓は犬猫の扱いを受けていたのを、明治維新によって地位向上
がなされた。坂本竜馬らにどれだけ感謝しても追い付かない。竜馬も庶民の協
力があってこそ大業を成し遂げたのである。土佐藩主・山内容堂と言う敵役が
いたお陰で、同志は殺されたがそれが教訓となって、幕府との血みどろの戦を
避ける事で、メーソンの侵略を防ぐ事が出来た。大政奉還とはその意味でも絶
妙手であった。
 人間は体験しなければ判らない。動物の痛み苦しみを。幾ら人間の方が霊格
が上だと言っても動物の命は大切である。虫けらにも五分の魂が宿る。
 生まれ赤子の清らかな身魂を以ってしても霊は見えない。人間には霊界は見
えず、霊人には現界は見えない仕組みになっている。だから、別の世界を見る
為には仲介者が必要となる。腹の底に神が鎮まって始めて神通力が発揮出来る
のである。
 私は日月神示、霊界物語等を参考にして考察し、どうしても判らない時は神
からのインスピレーションに頼って解決しようと心掛けている。


352:日本@名無史さん
07/11/24 13:29:06
つーか、まだやってたのかw

353:日本@名無史さん
07/11/24 14:59:50
○は宣伝に必死ですから

354:日本@名無史さん
07/11/24 17:18:22
在庫が完売するまで終わりません。

355:日本@名無史さん
07/11/24 17:25:54
400年くらい埋めておけば、珍本の資料になるかも

356:日本@名無史さん
07/11/24 17:45:37
足利義昭が張本人だってNHKスペシャルで見たよ。
実際に信長を倒せって言ってたのもぶっちゃけ義昭だけ。

幕府再興なら大義名分たつから。理論的にもつじつまが合う。

357:日本@名無史さん
07/11/24 22:18:38
だが実際には再興などしなかったわけだが?
光秀も変後に仲間を募るに当たって幕府だの義昭だのとは
まったく言っていない。
これはどうして?

358:日本@名無史さん
07/11/24 22:45:18
>>356
本能寺の変に黒幕などいなかったことは
>>343の本を読めばよく分かる。
読んで損はなし。お勧め。

359:日本@名無史さん
07/11/25 00:26:11
>>356 
NHKスペシャル× NHK「その時歴史が動いた」○

「その時歴史が動いた」第174回「信長暗殺を命じた男~新説・本能寺の変 
浮上した黒幕~」は2004年4月21日放送。ゲストは藤田達生。

この「義昭黒幕説」は>>358指摘の鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で
殺されたのか」(洋泉社)だけでなく、谷口克広著「検証本能寺の変」
(吉川弘文館)でも明確に否定されていますね。

黒幕説の共通点は「結論ありき」で自分の都合に合わせた筋書きを作ること
にあります。
例えば、>>249の『信長の意志、「天主」→「空中階段」→「下の清涼殿に
似た建物」で充分』などと騙る人を指します。
安土城本丸に天皇の御幸用の建物跡らしい遺跡が見つかったのを受けて、
朝廷黒幕説に結び付けたい人たちの中には『信長が天主から天皇を見下ろ
そうとした=天皇を超えた存在になりたかったはず』と何ら具体的な論証を
することもなく結論付けてしまいます。「義昭黒幕説」「秀吉黒幕説」
「家康黒幕説」「イエズス会黒幕説」「朝廷黒幕説」等など、どれも
「無理やりかな」っていう論拠が見えます。

○のように基本的な歴史の知識不足を棚に上げて、出鱈目や嘘を垂れ
流している人が騙っている内容は、さておき・・・

「明智単独犯行説(私は変の企画・実行犯が斉藤利三と考えるので
「光秀単独犯説」とは言い切れませんが)」で十分じゃないでしょうか。

360:日本@名無史さん
07/11/25 01:14:14
本能寺の変をまじめに考えたい人は>>359の2冊に加え>>347
「だれが信長を殺したのか」を読めば十分。
ちなみにこの本でも義昭黒幕説の否定はしている。
鈴木・藤本の両氏は変の原因には触れていない(検討に値するとは
言っているが)が、桐野・谷口の両氏は共に、四国政策が光秀謀反の
原因であるとしている。違うのは桐野氏が斉藤利三がむしろ主犯とする
のに対し、谷口氏は「当代記」の記事により光秀の年齢を67歳とし、
それが大きく関係したとしているところか。

361:日本@名無史さん
07/11/25 04:07:06
せっかくだから、その3冊についてちょっとまとめてみる。

鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤う』
(洋泉社新書、2006)
タイトル通り、謀略説叩きに主眼を置いた著作。
まず本能寺の変の一連の概要を押さえた上で、個々の謀略説批判が行なわれる。
その中でも、特に力を入れて批判しているのが、いずれも近年話題になった
藤田達生『謎とき本能寺の変』(講談社現代新書、2003)
立花京子『信長と十字架』(集英社新書、2004)
の2冊。まずこの2冊を読み、内容を頭に入れてから読むと理解しやすい。
両著の問題点を自分で考えた上で、これを読み、自分の感想と比較してみるのも一興。

362:361
07/11/25 04:18:01
谷口克広『検証本能寺の変』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー、2007)

こちらは、単なる謀略説叩きでなく、本能寺研究のまとめという趣き。
まず、本能寺の変に関連する史料を、その史料的価値についての説明とともに紹介し
それらの史料に基づき、本能寺の変の流れを分析していく。
つづいて、本能寺の変の研究史をまとめ、それら諸説に対する検証を行う。
そして、最後に氏自身の見解が述べられる。
他の2冊と比べると、やや専門的な内容であり、読み物としての面白みには欠けるかもしれない。
しかし、本能寺研究動向のまとめや、主要な文献の紹介などは、研究入門としては有用である。

363:361
07/11/25 04:24:48
桐野作人『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』(PHP新書2007)

上記2冊と異なり、著者自身の論を述べることに主眼が置かれた著作。
個人的には、本能寺の研究自体の考察よりも、
織田政権の対四国政策に関する考察の部分のほうがより興味深い。
なお、桐野氏はかつて朝廷黒幕説を主張していたが、
後にそれを誤りであったと認め、撤回している。

364:361
07/11/25 04:37:10
ついでに、これら上記三冊で様々な批判を受けた藤田達生氏の新著も紹介
『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書、2007)

全体の約3分の1を費やし、本能寺の変にふれている。
上記の著作に代表される藤田説への批判に対する反論の色が強いので、
あわせて読むとよいかもしれない。
一連の黒幕説批判を読み、納得するのはよいが、
それを無批判に盲信するのは思考の停止であり、大庭博となんら変りがない。
こうした反論にも目を通した上で、どちらがより妥当で説得力のある説か
自分自身で考えることが重要である。

くだらん内容で長々と連投してごめんね。

365:日本@名無史さん
07/11/25 07:34:04
>>361-364
乙です!分かりやすくまとまってますね

366:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/25 09:58:12
>>354
孫の博は、今だ自費出版での借金が膨らんで金策に追われています。
私も借家住まいの年金暮らしなので援助はできません。
皆さん、一冊でも多く『マハー』をご購入いただき孫を助けてください。

367:日本@名無史さん
07/11/25 16:19:51
黒幕説が何故成立しないか。
それは「信長が6月1~2日に無防備な状態で
本能寺にいること」など前もって予測しようがないから
だと思う。
例えば藤田などは、光秀が謀反を決意したのが5月17日
頃とするが、6月初めに信長がそんな状況になることを
どうして予測できたのか。超能力者とでもいうのか。
義昭黒幕説の最大の弱点は再三指摘されてるが、
「毛利氏が何故変を知らず、秀吉の中国大返しを黙認した
のか」ということだ。義昭が黒幕なら居候していた毛利氏が
何も知らないはずがない。
6月初めにチャンスが来ることを予測できないとすれば、
前もって謀議し、謀反の約束をしていたことになるが、
ならば情報漏れをどうやって防いだのか、これも
説明はない。

368:日本@名無史さん
07/11/25 16:51:11
信忠が急に堺に行くのを止めてるから、身内にも予定は伝えてなかったのかな?
そうすっと島田宗室に京に来るように言ったのはいつなんだろう?


369:日本@名無史さん
07/11/25 18:53:35
>>364
藤田氏は光秀が変前に色々な人(変後に光秀に与党した者など)
に連絡を取っていたとしているが、情報を伝えた相手が信長に
通報する可能性に、鈴木・藤本両氏に指摘されるまでまったく
気付かなかったようだ。
特に雑賀衆。石山合戦終結までは確かに信長とは敵対関係にあった
が、その後は一転して信長に接近した鈴木孫一のような領袖もいる。
また彼らは変の翌日始まる予定の四国攻めに船を百も提供することに
なってた。そんな連中に信長暗殺計画など知らせるはずがない。
密告する者が出ることは必至だからだ。
研究者としてはあまりに無思慮というか考えが足りないと思う。

370:日本@名無史さん
07/11/25 20:21:25
>>368 
信忠は5月26日には「信長の近々上洛する」との情報を得ていたようです。

『家康者 明日大坂堺被罷下候 中国表近々可被出御馬由候条 我々堺見物之儀
先致遠慮候』(「天正五月二十七日付 森乱宛 織田信忠書状」)


371:日本@名無史さん
07/11/25 23:56:34
>>343
>光秀が信長に不満があった、それで隙あらば謀反を
 起こそうと考えていたなら信長の動向を自分で
 調べることはおかしくもなんともないが?

どうやって?
言うは易し行うは難しだ。
それが可能なら、光秀以前に信長に謀反した連中が既にやっているさ。
浅井長政や荒木村重は無理としても、向背定かでない松永久秀ならその程度の事は考え付く。
信長個人の直近のスケジュールが分からないからこそ、
彼らは本拠の城にいる時に叛意を表したのだ。
織田家が方面軍司令官制度を採用している頃には、
信長の身近には側近吏僚衆が形成されていて、
重臣クラスでも信長に拝謁するのは以前のように簡単ではなくなっている。
信長の個人的動向を探ろうとすれば、当然側近衆に問い尋ねなければならない。
当然側近衆からその理由を詰問されるだろうし、勿論それは信長の耳にも入る。
つまり、猜疑心の強い信長に疑惑をもたれるって事だ。
それがいかに恐ろしい事かは、荒木村重の事例や、
北陸戦線から無断帰国した羽柴秀吉の酒宴三昧の保身術からも明白。
現代でも、大会社の社長のスケジュールを社員が把握するのは難しい事でも理解できるだろう。
社員が社長の動向を探っている事が会社上層部に分かれば、その社員がどうなるかは容易に推察できる。
つまり、信長が少数だけ引き連れて数日在京する事を知りうる誰かから教えてもらわなければ、
光秀は信長の動向を掴むことはできなかったわけだ。

鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
(洋泉社)でも読んで出直してこい。

372:日本@名無史さん
07/11/26 01:28:56
亀山の人間が備中出発前に京に行っていた可能性は?

373:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:14:10
>>359>>372○○○「聖戦、マハーカーラの女」が全て○○○
いかなる博士、学者の研究書も次の点を答えられなかった。

一 実直なる性格の光秀が、なぜ突然裏切ったのか?
二 光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?
三 なぜあの時点で、信長、信忠が京都にいたのか?
四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?
しかも市街に宿泊していた信忠の馬廻りに気づかれず。
五 重要なのは、その後主君の敵討と押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか?
未来の全く無い謀叛ではないか?

○二千年でただ一冊、、、「聖戦、マハーカーラの女」のみが答えた。
その答えは朝廷説。信長、信忠を京都に呼び寄せられるのは朝廷のみ。その行事。
六月一日、多くの貴族が来訪、信長を本能寺に釘付け。
京都木戸は貴族の命令で開放。
そして、光秀の動機は日本文化の護持や仏教の保護で、
軍事同盟者は、織田北陸方面軍司令官柴田勝家、、。

柴田勝家は、過去の謀叛の罪や手取り川の敗北、滝川一益の大出世で追い詰められ、
佐久間信盛、林通勝のように折檻状一枚で追放されるのではと信長を恐れていた。

374:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:25:21
>>335>>337「服部半蔵の涙の話は仮説、推理の一環として述べられていると、書いているぞ」
つまらんことばかり書くな。
「松平信康、家康の長男、武勇あり、家柄良し、信長の愛娘を正室にもらい、後ろ盾の確約も得た。
次の国主と崇拝する家臣、側近も多く居ただろう。前途洋々である。
何か不行跡があっても家臣が庇うだろうし、謀叛などの疑いを掛けられても
諫死する家臣も居たかもしれない。
何しろ、次の天下は信康なのだ。
しかし、それが母築山殿と共に殺された。
しかも家臣のカバーが全く無かった。何故、家臣は庇ってないのか?
或いは庇えなかったのか?
その理由は、信長の命令だったから。おそらく徳姫との不和に信長が信康ー築山ラインを危険視したのだろう。
と何回いえばわかる? 徳川正史、大久保彦左衛門の著書、どつらが真実に近いかは今更調べようがない、
しかし、この家臣のカバー、諫死などが無かった、できなかったという史実は、かなり大きな要素を占めよう。


375:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:36:06
○悪いな、レス374は>>339の返事だった。

>>346>>366○レス346、レス366は全くの出鱈目じゃないか。
大庭博氏には借金は全くないし、祖父も貸家住まいではないし、メールなど書いてないぞ。
偽名、本人になり済まし、人を陥れる出鱈目を書いた。
これは間違いなく犯罪、刑務所、あまりの悪辣さに見せしめになるな。
そろそろ警察に電話しようと思うのだが、、、

376:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/26 10:48:28
すいません。また今日も孫の妄想にお付き合い下さい。
そして少しでも借金を減らせるよう、孫の本を買ってください。

377:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:56:14
「天徳院」

○日本史、二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

この本の出る前と後では全てが違う、、、、
それが歴史の本物、真実の証拠品の持つ凄さだ、、、、
嘘だと思うなら、偽造ではない本物を見つけ、手にとって読むが良い。

四百年前の本物の暗号の持つ凄さがよく解る。

「安土城天主」-「空中階段」-「下の清涼殿に似た建物」





378:日本@名無史さん
07/11/26 10:58:07
>四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?

本能寺が下京の総構えの外にあったのに対し、村井貞勝の居た所司代屋敷はその内に在った
ことで当初は難を逃れたんだろうね。

379:日本@名無史さん
07/11/26 11:00:19
>「空中階段」-「下の清涼殿に似た建物」

「妄想」-「清涼殿に似せて復元した建物」 だね。

380:日本@名無史さん
07/11/26 11:20:02
>>374
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。


381:日本@名無史さん
07/11/26 13:27:32
>>347
◎つまらん事を書いてるのは君ですよ。
◎『服部半蔵の涙は仮説と述べられている、と書いてるぞ』?
そんな事は聞いてない。かつて『信長に逃れようがない証拠を突き付けられた』と言いながら今度は『服部半蔵は信康の無実を知っていた』と全く逆の説を作ったのは何故かと聞いているんだよ。
◎『次の天下は信康。だから家臣が庇うはず』?
切腹に至る前に、家康が信康の岡崎城に軍勢を率いて入城したという事実から考えれば、二人の間は相当険悪だったことがわかる。
そして和解のはずが激しい口論によって物別れに終わっている。
この時家康の意志による「信康処断」が明確になっていたとすれば『次の天下は信康』ではない、無駄に庇えば害が我が身に及ぶだけと家臣が判断したなら庇わないだろう。
というか君は以前『秀忠がいたから跡継ぎの心配は無かった』と言ってただろ?『次の天下は信康』発言は矛盾しているとは思わんか?

382:日本@名無史さん
07/11/26 13:28:43
◎ごめんなさい>>381>>374へのレスです。

383:日本@名無史さん
07/11/26 13:58:16
>>374
◎『徳姫と信康の不和に信長が信康-築山ラインを危険視した、と何回いえばわかる』?
言いたいことはわかるが「他の史料を読まないで都合のいい一方のみを『真実』と決めつけてしまうのは何故?」という質問には一体いつ答えてくれる?
『真実』であるという以上は君の『妄想』ではない根拠が存在するからであろうが、それはいつになったら提示してくれる?
『信長の命令』であったと考えたとき不自然な部分が多々ある、それらの説明(もちろん君の妄想抜きで、きちんと根拠を挙げて)はいつしてくれる?
これらが説明できないなら何回いわれようと私は理解しません。
◎『徳川正史と三河物語どちらが真実に近いかは今更調べようがない』?
何急に弱気になってんの?『後から出た史料が正しかった例はいくつもある』と言ったのは君だぞ。
互いに矛盾した記述が残されている時点でまず信憑性を疑うべきなんじゃないの?
これらの『どちらが真実か今更調べようがない』史料を丸呑みして『事実である』と豪語してるのは君なんだよ?
◎それから庇ったかどうかは知らんが、信康の切腹と前後して脱走、蟄居した家臣がいる。これらをどう説明する?

384:日本@名無史さん
07/11/26 16:06:55
あのね~◎さんよー。○大庭博は、ただ売れ残りの自著を早く売って借金を返済したい
だけなんだよ。
だから、いかに間違いを指摘されようが認めるつもりはないし、納得いかないから説明
しろって言ったって、本を読めば分かるの一点張りなんだよ。

そんなの相手にムキなってるなんて余程の暇人なんだね。

385:日本@名無史さん
07/11/26 16:38:49
>>383
まあ、僕は374じゃないけれど、定説としては信長の命令説なので
それに対しては、一定の敬意を払うべきだとは思う。

三河物語にしても、信長の命令説だし、信康を誉めているのも、
趣味は乗馬と鷹狩、戦の話ばかりしかしない、オタクだから立派だと言っているので
残虐行為ともそれほどは矛盾しないし。

以下、個々の点については触れないけど、
信長命令説で極端な矛盾は無いように思うけど。

386:日本@名無史さん
07/11/26 16:47:00
ハイハイ頑張ってネ。

387:日本@名無史さん
07/11/26 17:18:46
極端な矛盾てか、信長の動機がイマイチな気がす

388:日本@名無史さん
07/11/26 17:36:37
>>373 「何ら不思議でもなんでもない。○の知識不足」
『いかなる博士、学者』
故人の桑田忠親(1902-1987)や高柳光寿(1892-1969)を指してます?
まさか武田鏡村、細川広次、明石散人じゃないですよね?

『実直なる性格の光秀』
桑田の光秀評ぽい表現ですが、フロイスの光秀評は無視ですか?

『なぜ突然裏切ったのか』
「信長父子の悪逆は天下の妨げ 討ち果たし候 其の表の儀御馳走候て 
大垣の城相済ますべく候」(6月2日付 西尾光教宛光秀書状「武家事紀」)
公言できる理由として「天下の妨げ」だったとしていますが。

『光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?』
『京都の盗賊よけの木戸』
「本城惣右衛門覚書」を読めば、疑問に答えてくれてると思います。

『大軍がスムーズに本能寺に到達したのか』
変当時の明智の軍制形態(兵13,000人の根拠、指揮者・所属兵士の出身母体や役割など)や
行軍道程(「3手に分けた」とされる軍団の歩行ルート・時間帯)などを精査してみれば?

『押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか』
明智軍団を含む信長直轄の地域(近江・山城・大和・摂津・和泉・丹波・丹後・
越前・若狭・西美濃)を制圧することで300万石を超える地域を押えることになり、
仮に1万石当り400人の動員体制が整えば、12万人前後の軍団となります。
実際に明智軍は10日ほどで山城・近江・西美濃を押さえて、ほぼ半分近くを制圧
しています。結果的には大和(筒井)・丹後(細川)・摂津(池田・高山・中川)
は味方することはありませんでしたけど。

389:日本@名無史さん
07/11/26 18:25:07
>>384
「売れ残りの自著を早く売って」
手持ちの80冊を古本屋に売っても2万円にもならないけどね

390:日本@名無史さん
07/11/26 19:13:40
>>383 
○のいう「柴田勝家同盟説」は銀山光秋「聖戦、マハーカーラの女」(1997 近代文芸社)では
一切触れられていません  念のため

391:日本@名無史さん
07/11/26 22:10:45
>>385
定説てどこの話だ?極端な矛盾つうか「信康切腹は家康からの上申であり、信長は好きなようにしろと答えただけ」という史料が実際にあるんだよ。

392:日本@名無史さん
07/11/26 22:17:40
毎日毎日よくやるねw

393:日本@名無史さん
07/11/26 23:44:35
>>391
当代記かもしれないけど、それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
である以上、相当の異説ではないのかな。


394:日本@名無史さん
07/11/26 23:58:51
>>393
>それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
例えば?

395:日本@名無史さん
07/11/27 02:07:00
>>393>>385かい?
◎は別に「信長の命令ではない」と断言はしてないんじゃね(敬意を払っているかは知らんが)?
だが○は「信長の命令で間違いない」と断言している。それに対して◎が「根拠あるの?」ときいてるだけの話。
まぁ○は答える訳ないんだがな。

396:361
07/11/27 03:16:59
>>389
大庭博先生の計算では、
1冊200万円で売れるので、合計1億6千万の売上となるはずです。
そのために、毎日ここで必死に宣伝しているのです。
金持ちを騙して売りつけるのが目的なので
貧乏な研究者がなんと反論しようが、全く眼中にはありません。

397:日本@名無史さん
07/11/27 04:52:19
>>393のように史料名を書かないヤツって基本的に雑魚だよな。○も書かない、いや書けないのだがw

398:日本@名無史さん
07/11/27 04:53:27
つか三河物語は信長の指示とか命令とか一切書いてないけどねw

399:日本@名無史さん
07/11/27 04:55:47
あ、>>398と書くとアホみたいに食いついてきそうだが、原文読んだらいいぞw

400:日本@名無史さん
07/11/27 08:08:36
>>396 
アマゾンで802円で手に入れたが、与太話満載のトンデモ本
古本屋も持込みお断りかもw


401:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:14:18
>>381●●「家康は家臣の讒言に騙され、猜疑心から独断で信康を殺した」という君の説に、仮説をとっても
矛盾するからだよ。それなら服部半蔵は喜んで信康を殺していなくてはならない。主命だから。
ところが涙で首を斬れなかった。にもかかわらず、あとから重用、信頼されているんだからな。
●家康の猜疑心から信康との間が険悪になった。そこをとりなしたり、諫死するのが信康の家臣
のとるべき道だろう。次の国主に信康がなったら、家はピンチを救ってくれたと繁栄する。
しかし、そういうカバーがない。
●「秀忠は生まれたばかりで徳川家は後継ぎに不安があった」
しかし「家康は猜疑心から、後継ぎの信康を喜んで独断で殺した」
と矛盾したことを書いたのは君。
>>383●君が「信康は家康が独断で殺した」と
通説の「信長の命令で、家康は信康を殺した」異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は信康問題の専門家ではないのでね。
●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。


402:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:27:59
>>388●●●「天下の妨げ」●●●
「天下」は、アメガシタとか、アメノシタと書くこともあるが、
昔は「朝廷・国家」を意味したのだよ。古典などではね。

●本当に常識が無いな。
一万三千、五千くらいで、三百万石の領地をあっさり征服できる?
そして、その征服地があっさりと兵や兵糧を出すとでも思ってるのか?
それに一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ。
しかも主殺しと悪名を立てて、勝つかどうかもまだわからない明智軍に?
●暫くは様子見だろうし、敵討の織田遺臣団が大軍ならそちらに味方したがるだろう。
光秀が、そんなこと考えてなかったのは、配下の与力大名に人質を強要していないし、
京都から主軍を大きく移動させてないのを見ても明らか。

403:日本@名無史さん
07/11/27 10:35:23
>>401
そっくり君の言葉をお返ししよう

君が「本能寺の変の黒幕は朝廷である」と
通説の「光秀は単独で謀叛を起こした」に異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は本能寺問題の専門家ではないのでね。

さっさと「真実を証明する文書、手紙」やらをここでだしてみろよ。
2ちゃんで研究者と「議論」をしたいんだろ?

404:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:38:55
>>388●●●「明智の兵はいくらも逃亡できたし、織田軍に味方もできた。がしていない」
●フロイスの明智光秀の評価は一方的にして、伝聞であるのは明らか。
●明智の将兵は、いくらでも本能寺の変の後、主殺しと知り、逃亡、四散して逃げるチャンスはあった。
にもかかわらず、大半が天王山まで光秀に付いていっている。
●当時の京都は火付け盗賊などを警戒し、木戸などがあり、警戒厳重だった。
とても短時間の大軍通過は無理。
そもそも、明智がスムーズに到達したのは、案内役が来たから。
でなければ、なんで京都、西国への別れ道、老いの坂あたりで
真夜中に大軍が休息しているのかわからない。

405:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:47:53
>>340●とんでもない無知が書いてます●

延暦七年[788]最澄が、比叡山に一乗止観院なる草庵を作る。
「延暦寺」なる寺号が許されたのは「弘仁14年」824年。

●この寺が鬼門封じに関係していてのは、後に天海が
江戸城鬼門封じとして東叡山寛永寺を創建している。

406:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:56:26

●日本史二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、本物は揺るぎもしない。
虚偽と詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

>>400>>403●この世で最も本能寺の変の真実に近い書物、その証拠品を捨てて何を得るつもりなのか?
味方は君のでっちあげとこじつけの書物を喜んでも、
君の敵はこんなでっちあげと、
大嘘で金儲けしていると喜んで叩きまくるだろう。

なぜなら、真実を知るものから観ると様々な矛盾が生じるから、、、


407:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/27 11:08:23
今日も孫の博の妄想にお付き合いいただきありがとうございます。

>>400
是非とも直接、孫からお買い上げ下さい。一冊300万円(税別)でございます。


408:日本@名無史さん
07/11/27 13:07:01
>>405
最澄が比叡山を修行の場に選んだ事は無視か

まあ鬼門をまるきり気にしてなかったとは言わないが

URLリンク(imepita.jp)
で、内裏の北東に誰が住んでたって?
晴明神社の事を言ってるんだろうけど、どこにあったって?


409:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:47:55
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。


410:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:52:25
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。


411:日本@名無史さん
07/11/27 13:57:54
>>401
◎何なんだろう、この人は。
◎『◎の仮説なら半蔵は喜んで信康を殺さなくてはならない』?
半蔵が涙を流したと本気で信じてるの?別に私はそれが嘘とまでは言わないが、何か出来すぎた話だと思わない?
◎『信康のピンチを救えば信康が跡を継げば家は繁栄するが、そうした家臣がいない』?
次代のことを君は言うが「今があっての未来」だと思わないかね?
『家忠日記』によれば天正七年八月十日に家康が岡崎を訪れ三河の国衆が岡崎城へ呼び出される。そして三河の国衆に信康に従わないという起請文を書かせた。次の当主の前に今の当主に従わず家を失うハメになったら未来もクソもないと思わないか?
◎『跡継ぎに不安があるのに家康が信康を殺すという矛盾を言ってるのは◎』?
…あのさ、確かに信康の方が立派に成長していたし幼少の秀忠より跡継ぎに相応しいだろう。
その跡継ぎ信康に追放されるかもしれないとなった時家康が、『でも信康は立派な跡継ぎだから俺が信康に追放されても徳川は安泰だ~』なんてことになると思うの?
自身が追放されるかもしれないとなれば跡継ぎどうのこうのなんて考えてる場合ではないだろう?

412:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:59:14
 天地のことわり
 天地の理書き記すぞ。現界は物の液体、物の固体、物の気体、物の気から出
来ているぞ。霊界は霊の液体、霊の固体、霊の気体、霊の気から出来ているぞ。
 死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ。神々様も森羅万象のことごとくが同
様であるぞ。暫くの生みの苦しみ、八の世界から十の世界になるのであるから、
今までの八方的な考え方、八方的な想念や肉体では生きていかれんのであるぞ。
十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
 太陽は10の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。
人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ。二二と申すのは天照
大神殿の十種の神宝に魂を入れる事であるぞ。これが富士の仕組み、七から八
から鳴り鳴りて十となる仕組み、なりなりてあまる鳴門の仕組み。
 何もかも前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから言葉の含みが
判らんから取り違いばかり、国土の上は国土の神が治らすのじゃ。世界の山も
川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に数で創ったのじゃ。愈々が来た
ぞ。国常立が国尋立となるぞ。
 地は黄であるぞ。真中であるぞ。天は青であるぞ。黄と青と和合して緑、赤
と和して橙となり、青と赤と和して紫となる。天上、天下、地下となりて、六
色となり六変となり六合となるのじゃ。更に七となり八となり白黒を加えて十
となる仕組み。
 横の十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、縦の十の動きがウマシアシカ
ビヒコジであるぞ。十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も
未来も霊界にはない。今があるのみ、これを中今と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、
日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗劔殿、地震の神
殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、救世神は素盞鳴大神なり。
このこと判りてくだされよ。教はなくなるぞ。元の道が光り輝くぞ。これを惟
神の道と申すぞ。


413:日本@名無史さん
07/11/27 14:08:35
>>401
◎『万民を納得させる証拠を出せ』?
そもそも信長の関与が疑わしいということは昔から指摘されていることで信康切腹について信長の命令があったか否かは未だ真相は明らかではありません。
私は「そういう説があるけど?」と書いまでだが、君は『信長の命令で間違いない』と言い切った。言い切ったからには根拠を挙げてと言っても挙げてくれませんね?
専門家でもないのに何で『間違いない』なんて言うんですか?
◎『信康謀叛で担ごうとした家臣の処分がその程度なのは非常識』?
私の『仮説』なんで何とでもどうぞ。しかし『信長の命令』であった場合、何故これらの家臣達>>90が処分され逃げ出したのか説明できますか?

414:日本@名無史さん
07/11/27 14:09:08
>●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
>重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。

さて有名な武田義信の謀反疑惑で、処罰されたのは誰でしたでしょうか?
放逐なんかはかなり重い罪なんですがw


415:日本@名無史さん
07/11/27 16:03:56
>>401
>>411に付け足す。
◎…と言えば君は『ならば信康を時間をかけて説得するはず』と言うんだろう。
家忠日記にあるように家康と信康の関係が険悪であり、更に謀叛の嫌疑がかかったとなれば説得などという温情をかけるとは考えにくいと思うが?

416:日本@名無史さん
07/11/27 16:26:42
>>406
「聖戦、マハーカーラの女」バカ博著

出鱈目、でっち上げ、こじつけ、孫引き、基本的な知識不足、嘘満載の本の宣伝に
必死なのはわかるが、>>390で指摘されている通り、書いてないものを書いていると
言ったりするのかなあ

417:日本@名無史さん
07/11/27 17:24:03
>>402
「一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ」の根拠は?
孫引きの際には出典を明記してね




418:日本@名無史さん
07/11/27 17:25:07
だから『マハー』第二版には書いてあるんだよ。

ただ、それを出版するにはまず借金を返済しなきゃならないから、本人も必死なんだよ。
それと、変質的とも言える執拗な書き込みは、何処からか出版の話しが来ないかと淡い
期待をしているのかも知れないね。


419:日本@名無史さん
07/11/27 17:41:07
>>417
「光秀は近江・丹波三十四万石、大体一万石で動員できる兵力は余裕をもって二百五十人、切り詰
めて三百人前後。配下の組下を集めて、やっと一万三千前後。」(『マハー』第一版p198)



420:日本@名無史さん
07/11/27 19:36:45
本能寺ガル夫がどうしたって?

421:日本@名無史さん
07/11/27 19:38:51
『近江・丹波三十四万石』は、近江志賀郡5万石+丹波29万石ってこと?
○説 13000人の計算根拠
340,000×300÷10,000=10,200人+配下の組下α≒13,000人

ここでも「通説」を鵜呑みしているだけで頭悪そうだなあ

422:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:25:15
>>411○「じゃあ聞くが、なぜ半蔵が信康を斬れなかったなどという話が残る」
下っ端の半蔵の態度ごとき、別にあってもなくてもどうでも良い話だろ? なぜそんな話がわざわざ残されてる?

●しかも信康が家康を追放しょうとしたという証拠、手紙、陣ぶれ書は何も無い。
●家康の猜疑心が信康を殺したというが、猜疑心の強い人間なら謀叛の根は
自分が有利なときに徹底して摘むはず。
●信康後見人「石川数正」何の咎めなし。その子は関が原で東軍について所領安堵。
「平岩親吉」のちに十二万三千石の大名。
●信康家臣岡崎三奉行「本田重次」「高力清長」「天野康景」
いずれも処分されず後に大出世。
家康を殺すほど、担いだ神輿が殺されるほどの謀反を企んだ、
謀叛を疑われた重臣が処分どころか大出世。
○後継ぎに不安があるのに、優秀な後継ぎ信康を猜疑心から喜んで殺すという家康。
馬鹿らしい。軍を捨てて信康はおとなしく恭順したのだ。どこぞの城で軟禁し、後継ぎはお前だけと時間をかけ、
重臣、家康本人が説得し、心を掴むのが本筋だろう?

423:日本@名無史さん
07/11/28 10:26:25
◎とりあえず手始めに信康切腹に前後して数人の家臣>>90が蟄居、出奔した事実について説明してもらおうか?

424:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:36:16
>>413○「ちゃんとその専門家の桑田忠親博士が
信長の命令で信康は殺されたと書いてるだろ」

○私は信康問題の専門家ではないので、彼の通説に従ってるだけだよ。
君は桑田博士の論に文句を付けれる程偉いのか?。決定的な証拠を出さねばならないのは、
文書なり手紙なりだが、異説を唱えた君の役目。
○長男信康は家康の命を狙うほどの謀叛を企んだと、家康に疑われた訳だよね。
しかし、家康を追放するほどの謀叛は一人では出来ないな。
信康と正妻を殺すほど家康が恐れた謀叛。疑い深い主君に徹底した粛清がされると思わないか。
しかし、信康の後見人、側の家臣は後に大出世。
信康の首を斬れなかった半蔵ものちに重んじられる。
主君の命を殺す、追放を企んだ主のもっとも側に居た有力者どもがね?


425:日本@名無史さん
07/11/28 10:46:05
>>422
◎『何故半蔵の逸話が残る』?
徳川方が泣く泣く信長の暴挙に屈しなければならなかったという美談にはなるな。
◎『家康が信康を追放しようとした証拠が無い』?
実際に追放、いくつかの城を転々とさせられてますが。
◎『石川数正→何の咎めなし』?
彼が突如として一族を引き連れて家康の元を去った原因はどう考えます?
◎『本多重次→大出世』?
彼の晩年は成功したと言える?
◎『跡継ぎに不安』?
その不安と「跡継ぎに追放されるかもしれない不安」どっちが恐ろしい?
◎『信康が恭順』?
最終に家康と口論となりその後に追放ですが『おとなしく』とはいってない気が…。
三河の国衆の岡崎詰めは信康の指示だったと言われている。それを家康が口を差し挟み「在所へ帰れ」という命令を出した。
これは松平家忠が深溝に引き揚げたという彼の日記にも記述がある。
家康が三河国衆に対して信康の意と反する命令を出すこと自体、この時すでに二人の間が険悪だったのでは?という推測にも繋がる。

426:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:51:53
>>407>>416○○○本能寺の変、天正十年六月二日○○○

当時の天下人織田信長が、京都本能寺で襲殺された事件。
それなくしては豊臣秀吉、徳川幕府、ひいては明治維新すら存在しなかったのではないかといわれる、
日本史の大転換点、、、
しかし、なぜ、織田信長が殺されたのか、明知光秀はなぜ突然裏切ったのか?
その動機に対しては、じつに四百数十年に渡り、様々にいわれてきた。
戦国史最大の迷宮、、、
しかし、その真実は、「朝廷説」「明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家」だったのだ。
それを解明したのは、四百年前に絶対権力者の眼を逃れて残された証拠品だった。
それを解明した最初の書物
「聖戦、マハーカーラの女」

そして、本物の世紀の暗号「本能寺・コード」、、
「京都秘密文書」、、

日本の戦国史最大の本物。
日本人は自国の歴史を大転換させた事件の本物の証拠品に、
それほど安い値段しか付けないのか、と笑われよう。

427:日本@名無史さん
07/11/28 10:57:42
>>424
◎『桑田博士が言っている、その説に従っているだけ』?
何故「前田本安土日記」など信長の命令ではなかったという記述がなされた史料を読まずして『信長の命令で間違いない』と決めつけてしまう?
私ごときが指摘する前からいろんな学者が『信長の命令説』について異論を出してるよ?
◎『証拠を出せ』?
現在真相はわかっていない。証拠があればとっくに解決してるよ。だが君は間違いないと断言した。君がその根拠を出すべきだろ?
◎『家康の命を狙うほどの…』?
私の『仮説』、『フィクション』です。
石川数正、伊奈忠次は何故出奔しなければならなかったのだろうね?

428:日本@名無史さん
07/11/28 11:01:27
◎こりゃいかん、>>425の『家康が信康を追放云々』は逆になってたな。すまんな○よ。

429:日本@名無史さん
07/11/28 11:04:21
◎どうした?>>90について説明がないな?
伏せ字でわからないってオチ?
一人だけうっかり明かしてしまったが。

430:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 11:06:45
>>425○馬鹿馬鹿しい。
「軍を離れ、無力化した信康を、わざわざ恐怖心から殺す」のか?
家康がそんな臆病者、よく調査しない男でないのは後の歴史から明らか。
○後継ぎに不安のある家康。
信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
なんでそういう余裕を見せられなかった?
大事な跡取り、わが子なのに。


○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?


431:日本@名無史さん
07/11/28 11:16:32
>>430
◎まだ私ごときの『仮説』にぐだぐだ言ってるの?
◎『家康が慎重』?
だから妄想憶測を根拠にするなっつの。慎重なら何故信長の命令を受けた時点で調べない?半蔵の『忍者の情報網』で無実が明らかならそれを信長に提示すれば万事済む話だろ?
◎『石川数正、本多重次、伊奈忠次』
石川数正、伊奈忠次はどうして出奔したんだろうね?説明してくれる?

432:日本@名無史さん
07/11/28 11:19:02
◎というか『桑田博士の説を採っているだけ』ってことは君自身は徳川正史なども読んでないの?
それで『信長の命令で間違いない』と言ってるの?

433:日本@名無史さん
07/11/28 11:41:19
その桑田博士が、本能寺の変は怨恨説の立場をとっておられることは、
何度も指摘されてるのに今日もスルーですか?

434:日本@名無史さん
07/11/28 11:58:57
>信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
>で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
>なんでそういう余裕を見せられなかった?
>大事な跡取り、わが子なのに。
へ?こんな事例は多々あるんだけどw
武田義信は大事な跡取りなのに、どーして自害したも?w

>○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
>簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
>状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
粛清されたじゃんw
当主と跡継ぎでは権力も支持数も違うからだろw

>○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
>しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
>謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?
石川数正と本多重次が大領を詳しく説明してみてくれw
後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。←これも詳しくな

史料を使って説明してくれw

435:日本@名無史さん
07/11/28 12:16:54
統合失調症の症状

現実と想像を区別する現実検討能力に障害をきたし、その区別がつかなくなったり曖昧になったりする状態となる。
その結果、幻覚や妄想等の症状が出て、普通の人との意思疎通が困難となったり、誰もが現実であると認識している
事柄を現実として受け入れることが出来なくなったりする。


436:日本@名無史さん
07/11/28 12:34:45
統合失調症の症状(つづき)

「妄想」
現実的でない間違った考えを正しいと信じ込み、その確信が強い為に間違いを訂正する事が
出来ない症状
「幻覚」
実際には存在しない声が聴こえたり、その声に命令されたりする幻聴や現実にはないものが
見える幻視などが代表的。
「思考奪取」
自分の考えている内容が他人から抜き取られたり、覗き見られていると思い込んでしまう症状
「思考の吹入」
自分の考えている内容が、他人から無理矢理吹き込まれたものだと思い込んでしまう症状
「妄想気分・妄想知覚」
明らかに現実的な恐怖がないのに、何か恐ろしいことが起こるに違いないと確信して不安な
気分になる症状
外界の事物に対して自分だけにしか分からない意味を与えて知覚したり、雨の日には不幸が
起こるなど、本来、関係のないものを結びつけて迷信的に信じたりする症状
「連合弛緩」
今まで学習してきた観念の連合(言葉とモノの結びつき・意味の関係性)がバラバラになり、
話していてもあるテーマから、突然、何の脈絡もなく別のテーマに飛躍したりする。
この症状が進行すると、話している内容が支離滅裂となり、通常のコミュニケーションが
困難となる。

437:日本@名無史さん
07/11/28 13:41:10
>>405 「また大ウィキ辞書からの引用」
『「延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。
開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年
(824年)のことであった。』

弘仁14年=西暦823年

438:日本@名無史さん
07/11/28 21:22:12
>>433でも言われてるが桑田氏の言うことなら正しいとしながら
氏の本能寺の変怨恨説を採らないのはなぜかいい加減に答えろよ。
もう一度言っておくが氏は20年前に亡くなってる。
君の説は20年前のレベルだということだ。
その間の学問の進歩というものを考えろ。

439:日本@名無史さん
07/11/29 05:59:48
◎仕事が今終わったので寝る前に何となく書き込ませてもらう。時間も時間なんでsageておこう。
◎何故このスレで信康の件のやり取りがされているのか。○の『本能寺朝廷黒幕説』には『光秀=天海説』も含まれている。
◎ある時私が「何故家康はお尋ね者となった光秀を匿い重用したのか?」と質問したところ、○は『信長は徳川家の取り潰しを画策しており、結果的にそれを未然に防いでくれた光秀の恩義に報いる為だった』と言った。
私はその取り潰し計画の根拠を問うと『信長が信康の切腹を命じた、これが根拠だ』と回答してきたのだ。
そこで私は「信長の命令ではないという史料もあり、信長の命令では不自然な点、当時の徳川家内部の不穏な動きも指摘され信長の命令だったとする説は疑問視されつつあるが…」と書いた。
そこから議論が続いている。

440:日本@名無史さん
07/11/29 07:50:15
◎そしていろいろ言い合っているうちに○は『信長が信康切腹を命じたのは織田家に対する忠誠心を試すため』と言い出した。当初語っていた『徳川家取り潰し』がすり替わってしまったのだ。
◎まぁ結果的に信康が消されれば徳川家は弱体化するので筋は通っているように思っていた。
◎そして更に「家の存続を一大事とした当時、嫡男の処刑を命令したとなれば忠誠心を試すどころか徳川の離反を招く恐れもあったのでは?」と質問した。
すると○は『家康と側室との間に秀忠も産まれていたので信長は家康が後継者について悩むことなく信康を切腹させるであろうと調べあげていた』と言った。
◎何かおかしい。秀忠がいて後継者の不安がないのなら徳川家弱体化には繋がらないし、処刑されてもいい嫡男を殺させたところで忠誠心を示すことにはならないのではなかろうか?


441:日本@名無史さん
07/11/29 07:51:59
ところで、信康切腹に関しては、発端が徳姫の不満→信長の叱責
→家康の夫婦仲仲裁(失敗)→不穏化

という流れで、資料の整合性がかなり取れると思うのだけどね。
徳姫が何らかの不満を実家に訴えたらしい事は”松平記””創業記””実記”等に
見られる。
信長が何らかの叱責をしたらしい事も上記資料に見られる。
夫婦仲が険悪であり、家康が岡崎まで仲裁に来た事は、一級資料である
”松平家忠日記”に記載されている。(岡崎追放の少し前)

三河物語もそれ以前成立の松平記程具体的ではないが、上記流れを踏襲している。


442:日本@名無史さん
07/11/29 08:02:52
1970年代あたりから、上記説を疑問視するものとして取り上げられる
”当代記”(酒井忠次が信長に、信康謀反の疑いと伝え、信長が家康の
好きにせい、といったとの記述)は時期的にも家康の夫婦仲仲裁失敗後
のことであり、おおきな矛盾はないと思う。
(原因としてではなく、結果としての、ある種の”謀反”
を大きく取り上げすぎていると思う。)

443:日本@名無史さん
07/11/29 08:11:56
疑問説に使われる、他の記述
徳姫が信長に助命嘆願をしようとしたとの記述も、家康の説得により、
信康が譲歩する形での、仲裁の成立を望んでいたとすれば当然。
日記という一級資料に仲裁の事実は記載されている。
岡崎追放(二俣幽閉)の少し前まで、家康が夫婦仲の仲裁を
しようとしていたという事の意味を考えるべき。

444:日本@名無史さん
07/11/29 08:22:52
逆に、織田家の関与を否定する説を取ると
①松平記、創業記、実記やそれ以外でこの事件の原因等に触れた資料が
全くの出鱈目を書いていることになる
(編集者や著者の、少々の誇張、若干の事実誤認、等ではすまない類)

②その後の家康の信康を悼む発言(酒井に対する皮肉も含め)も奇妙な
発言になる


445:日本@名無史さん
07/11/29 08:26:30
このスレ、大庭博を無視した進行になると、
たまに勉強になる話があるからあなどれないw
博くんの書き込めない土日、連休とか、
まれに「ここ良スレ?」て思うような時あるしなw

結局、史料や根拠をもとに筋道立てて議論するということができない
妄想ばかりを語り、知ったかばかりで、他人の指摘・批判は一切聞く耳持たない
約一名の頭の悪い子のせいで、いつも糞スレに戻るんだけどね。

446:日本@名無史さん
07/11/29 08:35:52
あと、疑問説論者が>>444のような捏造が行われた原因に関し
後世の家康美化と言うものがあるが、

謀反を起こした疑いのある自分の息子を殺すとイメージが悪化し、
織田家の意向に震え上がって、自分の奥さんと子供を殺したとすると
美化になるというのは、現代的な感覚過ぎる気がする。


447:日本@名無史さん
07/11/29 09:36:30
家康は儒教好きだからなぁ。親子関係が悪かったってのは汚点かもよ?

448:日本@名無史さん
07/11/29 10:03:19
家康つーか、江戸時代になると儒教的価値観が幅きかすようになるよな。

>>446
内輪揉めがあったと言うこと自体、徳川家の恥というのも考えられるよ。
三河武士は家康を中心に鉄の如き団結だったという神話を作るためにも。

俺的には、どちらの説に分があるか決めかねるという状態だが、
内紛があり、かつ信長も関与したという、
折衷案的なものは考えられんのかな?
原因を一つに絞る必要は無いんじゃないかと思ったりもする。

449:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:15:21
>>539●●●「光秀天海説の仮説に文句を付けている。文章をよく読め」●●●
○○○何を勘違いしているんだ。「光秀天海説」は明智光秀が後に徳川幕府の黒幕南光坊天海になったという説で、
面白いので、何人も昔から支持者が居る。
「家康が長男信康を信長に切腹されられ、恨みに思っていたので謀反人光秀を採用した」
「光秀が家康に取り入るとき、安土では実は家康暗殺計画があって、命を助けるために変を起こした。と嘘を言えば
重役として採用されたかも」
というのは、光秀天海説支持者らの唱えた論である。
私も面白い説と取り上げ、
「明智光秀の背後に朝廷勢力、貴族があれば再び僧侶として復活は可能」と書いた。
ところが◎は何を勘違いしたのか「信康は家康が独断で殺した。根拠もあるので、光秀天海説など成り立たないかのごとき
異論を唱えたのである」。私は信康問題の専門家では無いので、信長の命令という俗説で、光秀天海説の仮説展開には、
充分ではないかというのに、◎は古い資料を持ち出し、
「本能寺の変議論スレッドに延々と書き続けている。
「松平信康は家康が謀叛の疑いをかけ、独断で殺した。そして、信長の命令などなかった」と。




450:日本@名無史さん
07/11/29 10:26:39
>光秀天海説支持者

誰?


451:日本@名無史さん
07/11/29 10:29:00
それより>>438は今日もスルーか?
都合の悪いことから逃げてばかりいるなよ。

452:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:31:53
>>439>>440そこで私は◎の熱意に対し、なかなかの専門家のようだが、幾つかの基本的疑惑、状況に矛盾はないかと問うたのである。
●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
中には大名になったものも居る。
●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
●信康の側近家臣に不行跡の後をかぶって切腹したり、家康の疑いに諫死したものがない。
次の国主信康は確実なのにである。
●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、
根拠とする。



453:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/29 10:36:38
本日も孫の博のお守を宜しくお願いいたします。

そして、出来れば孫の愚著をお買い上げお願い申し上げます。

454:日本@名無史さん
07/11/29 10:40:58
>◎は古い資料を持ち出し、

>◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、根拠とする。

大庭博先生には正史が全て。古い史料には何の史料価値もないようでwww



文献学の基礎からやって出直してこい。

455:日本@名無史さん
07/11/29 10:48:41
>>449
「家康が独断で?」
誰がそんなこと言った?
「当代記」には家康が信長の意向を聞いた上でとあると
書いてあると言っている。
勝手に人の説を改ざんするな。

456:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:55:34
>>439>>440●●●●「いくら一級資料でも織田家、信長が隆盛のころ、恐れられていたときの史料と、
その力を無くして、徳川家が権力を持って、好きにかけるようになった時代の史料とでは違うだろうと思われるのにである。

●●●すると◎は「家康は、酒井忠次の讒言を信じて、信康に謀叛の疑いをかけ、恐れて殺した」
といい始めた。
しかし、後から讒言とわかったなら酒井を処分すると思われるのだがそれもない。
信康謀叛を恐れ、正妻築山も殺したのなら、禍根の根を絶つべく、信康を神輿にし、担いだと思われる
有力家臣も粛清、切腹するはずだがそれもない。
「家康は猜疑心が強く、自分の命に係わる謀叛が内部に起こったと考えている君主の筈」
なのにである。
それどころが、信康の後見人らは後に大名に、三奉行も出世している。
信康を担ぎ、謀叛を企んだとされる、あるいは疑われた家臣らが?

この奇妙な後の状況に対してはやはり「信長の命令により、やむなく家康は信康を殺した」
とするのが妥当であると思われる。だから謀叛を企んだ側近、後見人が粛清されてないのである。
信長は愛娘を与えたのに夫婦仲がうまく行かず、さらに信康母築山殿が今川義元の妹の娘であると
いうことに不安を抱き、危険視したと思われる。武田と長年血戦してきた徳川が、
今更謀叛も出来まいという計算もあったと思われる。
桑田忠親博士の説によればすでに織田は徳川を相手にしても、
どうということはない勢力であったとする。
信康切腹問題は、やはり信長の家康への忠誠を試す試金石であったとする説の方が
が妥当、無理なしと思われる。





457:日本@名無史さん
07/11/29 11:00:56
で、その桑田博士が本能寺の変怨恨説を採っているのに
君は何故従わないのかな?
そろそろ答えてくれないか。

458:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:08:03
>>451>>457●●●桑田忠親博士の怨恨論に対しての疑惑だろ●●●

●「時は今、あめが下知る五月かな」光秀という、本能寺の変前の句。
怨恨説への反論者は、
これを天下を土岐氏出身の光秀がしろしめる、統治する
天下をとるという意思表示であると反論する。
思いつき、ただの怨恨なら、変前にこんな句を詠むかと。

459:日本@名無史さん
07/11/29 11:09:30
○は信康の死が家康自らの意思であると認めると
自分の著書と矛盾が出るので必死になって否定してるだけ。
その否定もやたら長文で説得力があるように見せているが
まったくそうではなく独り善がりの論理ばかり。
まあ呆れるとしか言いようがない。
都合の悪い質問には答えないのもフェアじゃない。


460:日本@名無史さん
07/11/29 11:12:41
>>458
そういうことを聞いてるんじゃない。
本能寺の変についての桑田氏の見解が間違ってるとしながら
信康の死については氏を金科玉条のように扱うのはなぜかと
聞いてるのだ。
矛盾してるだろ。

461:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:20:02
>>460●あんたは馬鹿か? 
桑田氏の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。

●しかし信康問題は全て桑田氏は大正解かもしれない。
これは私は信康問題の専門家ではないし、
決定的な証拠品を誰も提出していないので、
間違いとはいえないのだ。

462:日本@名無史さん
07/11/29 11:23:32
>私は信康問題の専門家ではないし
それにもかかわらず「信長の命令で間違いない」と
言い切ってるね。
どうして?

463:日本@名無史さん
07/11/29 11:24:16
>>461
あんたは馬鹿か? 
大庭博の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。

464:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:33:19
>>453○○○警告一○○○

○本物の中の本物のダイヤを、本物と見抜くこと
も出来なかった鑑定士、人間の店など、誰も行かなくなるだろう、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、、

そして、四百年前、絶対権力者らの目を逃れて残された
「本能寺・コード」
「京都秘密文書」

真実は、生きている、、

>>453○○○他人を装って出鱈目を書きこんだな。
確かに警告したぞ。


465:日本@名無史さん
07/11/29 11:40:38
>>453ではないが自ら出鱈目ばかり書いてる博クンに
そんなこと言われてもねえ。
痛くも痒くもない。


466:日本@名無史さん
07/11/29 11:44:13
>>456
◎『◎は酒井忠次の陰謀だと語り始めた』?
前のスレで私が初めてその『仮説』を書いた時にその最後に「これは私の想像であり仮説であります」と事実ではない旨を書いておいた筈。
○は延々とその架空の話にケチをつけ続け『信長の命令で間違いない』と断言しておきながらその根拠を示そうとしない。
◎更には私が「信長の命令ではなかった」旨の記述があるものとして紹介した前田本安土日記については『前田家の風説を集めた物だろ』という驚愕の発言をし、史料丸ごとを否定するという暴挙に出たのだ。

467:日本@名無史さん
07/11/29 11:51:57
>●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
存在自体が危険なんですがw

>●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
>また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
織田とは同盟でなく従属なんですがw

>●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
そんなのを行った例を挙げてw この当時こういう一族争いで、成功した例皆無なんですがw

>●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
>中には大名になったものも居る。
そんなの当たり前ですがw 許されて帰順してるのだからw

>●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
>にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
>戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
秀康もいますがw 秀忠が後継者と選ばれた時期も知らない無知ですなw

>●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
>「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
これのネタ元書けば?

>●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
>家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
信長が指示した文書、手紙もないねw

>私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、 根拠とする。
徳川の正史には信長の指示とはないけどw
正史のどこにあるの?原文抜粋してくれよw


468:日本@名無史さん
07/11/29 11:52:06
>>466
ここでも○の無知ぶりが表れてるな。
「安土日記」とは「信長公記」の一種であり、
書いたのは太田牛一。
前田家は所蔵元に過ぎない。よって前田家の風説を
集めたなどということがあろうはずがない。


469:日本@名無史さん
07/11/29 12:05:11
◎もう一度○に伺います。
◎信康切腹について徳川正史は『信長の命令であった』としている。ところが前田本安土日記や>>269の当代記には『信長は家康側から信康生害の相談を受け好きなようになさいと言った』と書かれている。
◎現在その二つの説を裏付ける根拠は出ていないが、『信長の命令』であった時の不自然な点がいくつか指摘され、
更には松平家忠日記などの史料から当時の徳川家、家康と信康の間に不穏な動きがあったことがわかってきた。
◎これらのことから信長の命令ではなかったのでは?という説の方が支持されるようになった。
◎しかし○は頑なに『信長の命令があったに違いない』と言う。

470:日本@名無史さん
07/11/29 12:09:42
●「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。
                    ↓
いきなり池田安土日記とか、まさにひっかけじゃないか。

何に引っ掛けられたのか今だに謎w

○そこまで信康の死を家康の近くでよく知っていた、天下のご意見番大久保彦左衛門が、
徳川実紀や三河物語など、その他の正式な記録を読んでいないとでも言うのか。
                     ↓
○大久保彦左衛門が出鱈目ばかり書いているというのかね?
その前身となった記録も体験もあるはずだがね。
                     ↓
○正式な徳川の記録、徳川実紀とか前にも書いたぞ。
                     ↓
○徳川実紀、三河物語の元となった記録、そういうものがあるはずだがな、
それについて述べたのに、そういうものが無いかのような口調だね。
徳川に公式な記録はないといってますね?

その肝心な徳川正史について一切触れられておらずw

●「ほら、大久保彦左衛門の言葉をくれてやろう」
自分はこれを読んだがも信頼できるのは三分の一、似たものが三分の一、三分の一は事実無根。
太田牛一は贔屓のものを良く書いているとひどく低く評価。
                     ↓
○残念ながら太田牛一の「信長記」は前半など年代の間違いが多く、出来事も裏づけのとれないのがあり、
贔屓の書き方もあると藤本正行氏や、その他の研究家が要っているのは事実。
大久保彦左衛門の言葉にピッタリなのさ。

摩り替えw

471:日本@名無史さん
07/11/29 12:18:24
>>469続き
◎岡崎三奉行は出世した云々と言いますが、それ以外の>>90に書かれた家臣達の蟄居、出奔は何だったんでしょうか?
◎家忠日記からは家康と信康の不仲が読み取れるのですがこれをどう説明されますか?
◎家康が信長側近の堀秀政に書き送った書状の中にある「今度忠次をやって詳しく説明させる」とは何を説明させるつもりだったのでしょうか?
◎得意の『妄想』は根拠にしないで下さい。それから『間違いない』と断言した以上は『専門家ではないから』と言う逃げ口上も認めません。

472:日本@名無史さん
07/11/29 12:25:08
またまた○の無知ぶりが露呈w
大久保彦左衛門が「偽り多し」と言っているのは
小瀬甫庵の「信長記」であり太田牛一の「信長公記」ではない。
○のボロがどんどん出てくるな。
しかも>>470に引用された○の文章によると、「三河物語」を
書いたのは大久保彦左衛門自身であることも知らない様子。
もう一度指摘しておく。
「正式な記録」=「正しい歴史」とは限らない。

473:日本@名無史さん
07/11/29 12:46:22
多分、一連の書き込みを見るに
博くんは「正史」という言葉の意味をわかってないんだろうな。

474:日本@名無史さん
07/11/29 12:51:39
>>470
『三河物語』が「正式な記録」というのも新説ですな。

大庭博先生によりますと「正直者」で「天下のご意見番」
大久保彦左衛門の書く内容は全て真実だそうです。

475:日本@名無史さん
07/11/29 13:37:22
○は「信康は謀反など企んでいない」と必死に主張しているが、
通説の信長命令説でも「信康母子が武田氏に内通した謀反の疑い」で
死を命じられたということになっていなかったか?
これを否定するということは○は信康の死の原因は何だというのだろう?
「三河物語」では信康の不行状ほかで信長が信康の死を命じたとするが、
どんな不行状があったのかは書かないチグハグぶり。
何しろ「是程の殿は又出がたし」だものな。
このおかしさを見ても徳川正史が語る「信長の命令説」がどんなに
怪しいかが分かる。

476:日本@名無史さん
07/11/29 13:57:45
数ある信長公記の中でも最も古態をとどめている尊経閣文庫所蔵の
「安土日記」の記載。
「さるほどに、三州岡崎三郎殿(信康)、逆心の雑説申し候(後略)」
「当代記」はわきに置くとしても、一級史料「信長公記」の記載により、
信康が謀反を企てたことは間違いない。
○が必死になって否定しても無駄というもの。
問題はこの「逆心」が誰に対してのものかということだが、信長に対して
なら通説の「信長命令説」も成り立つが、家康に対してなら信康の処置は
家康自らの意思ということになる。
「家忠日記」に家康と信康の間が険悪だったと読める記事があるので、
後者を採るべきであろう。

477:日本@名無史さん
07/11/29 14:18:20
あらゆる黒幕説を徹底的に否定した「信長は謀略で殺されたのか」
の共著者・藤本正行氏。
同書では当然朝廷黒幕説も否定されている。
朝廷説の○にとっては「そんな研究者は信用できない!」となるん
じゃないのかね?
ところが桑田氏と同じように引いている。
○は研究者の言うことの内、都合の良いところだけつまみ食いする
とんでもない奴だな。

478:日本@名無史さん
07/11/29 16:03:56
>>451-452
◎私が聞きたいのはもはや物事の内容のことではないよ。
「何故コロコロと主張が変わってしまうのか?」
と言うことです。

479:日本@名無史さん
07/11/29 21:14:23
レス番指定ももう面倒(○の文読みたくない)なので
省略するが、愛宕百韻が怨恨説否定の証拠になるなんて
意見は初めて見た。
それが通るなら怨恨説なんかとっくに消滅してるだろ。
○の感性が世間と違ってるいい例だな。

480:日本@名無史さん
07/11/29 21:25:23
都合の悪い・知らないことはとにかくスルーする博クン。
武田信玄の長男・義信の自害事件を知ってるかと問われても
無視。
この時代、親子の争いなど珍しくなかったことはこれでも
分かる。
博クンはそれを認めたくないばかりに知らないフリをしてるのか、
あるいは本当に知らないのか。
知らないとしたらただの不勉強。
偉そうに講釈など垂れるな。

481:日本@名無史さん
07/11/30 00:04:33
最近の博くんしか知らない方向けへ、過去スレをまとめてみた。
URLリンク(www.csync.net)

博くんが『聖戦 マハーカーラの女』の存在を初めて匂わせたのが2005年10月19日。
スレ住人のひとりが『聖戦 マハーカーラの女』ではなかろうかと言及したのが2006年5月19日。
(もちろん現物を読んだのではなく、ネットでの検索結果によるもの)

…二年以上もよく続くよなぁ。
それにしても『聖戦 マハーカーラの女』の知名度の無さといったらもう。

482:日本@名無史さん
07/11/30 01:11:07
>>481 
すごいねー!過去スレ一覧
「本能寺の真相を語る その2」の
>518 [2005/09/15(木) 10:11:44]にバカ博の登場の初見が垣間見える。
>540 [2005/09/19(月) 10:20:33]から○を使い始めている
>581 [2005/09/29(木) 10:24:31]で既に『聖戦 マハーカーラの女』の存在を匂わせていますよ
『とっくに十年前に、そんなこと書いた本が出てませんでしたか?』って。
>664 [2005/10/13(木) 10:10:31]で桑田「怨恨説」の擁護をしています
>748 [2005/10/19(水) 10:40:49]で具体的に「マハー」への誘導が始まっています
『一九九七年前半にとつくに「本能寺の変の新発見」
「やりました、証拠品らしきもの見つけたよ」とか豪語して書いてる人がいたよ。
もっとも、こっちは推理小説仕立てだったが。』

483:日本@名無史さん
07/11/30 07:06:37
推理小説仕立て…推理w

484:日本@名無史さん
07/11/30 09:29:00
余りにもおバカな返答とスルーばかりで面白くなくなってきたから
そろそろこのスレでも○の書き込みお断りかな



485:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 10:21:12
>>467>>469○○まさに笑止、いくら書いても「信康の謀叛を疑い、家康は猜疑心、独断で殺した」
は、つじつまの合わない部分が多いのだよ。
●信康はすぐに軍を離れ、恭順したが、殺されている。
君より十倍は偉い桑田博士の著書に、「信康は父に刃向かうなど考えたことがない」
と書いてるよ。博士が出鱈目書くとでも。
●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
●後継ぎに不安がある家康、しかし、独断で信康を喜んで殺した。
家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信康嫁の徳姫はより重要な人質だ。自分から失うような命令、行動を家康がするかな?


486:日本@名無史さん
07/11/30 10:30:00
徳姫は事件の後、岡崎を出てますが?


487:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 10:36:30
>>469>>471>>475○少し間違えた。◎が、まず後継ぎ秀忠は生まれたばかりで後継ぎに不安がある。
としながら、独断で家康は信康を喜んで殺した、と書いたんだよな。
○「武田内通の疑いあり」、だから信長が信康ー築山殿ラインを危険だから殺せ、
と家康に命令したんだろ。
○家康、徳川家が一度でも謀叛を企んだ家臣を放っておくほど甘いか?
後にどれほどの大名、家臣が改易されたよ。

>>475>>476○馬鹿馬鹿しい、それらのどうとでも取れる文書を証拠にしても
納得はされないぞ。「謀叛の雑説」、どうとでもとれる言葉じゃないか。
何で「信康の家康公への謀叛について」とかはっきり書かれてない?
ただの疑い、あるいは内容をよく知らなかったからではないのか?




488:日本@名無史さん
07/11/30 10:42:44
>>485
>博士が出鱈目書くとでも。
間違いはあるけど?何せ史学研究が本格化し始めた時の人だったのだから
それなら○より十倍は偉桑田氏が怨恨説唱えてるのは、桑田氏が出鱈目書いてるとでも?wwww

>●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
誰が「謀叛を企んだとされる家臣、重臣」なのか詳細に答えろよw
出奔したり放逐されたりしたら「謀反を企んだ家臣」なのか?

>●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
再教育する余裕あったという証拠は?家康自身がそう述懐してるの?
余裕あったとする根拠なければ○の妄想w

>家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
へぇー、はいソースだしてね、原文でw

>●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
>君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信長が殺せと命令した文書も命令書もありませんが何か?wwwww
命令を出したと言う証拠だしてねーw

で、武田義信の事知ってる?

489:日本@名無史さん
07/11/30 10:45:19
>逆心の雑説
これ、○はどう読んで「どうとでも取れる言葉」になるの?
思いっきりはっきり書いてるのだけど?

噂じゃないんだぞw

490:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 10:50:44
>>479○○○まさに笑止!○○○
本能寺の変、光秀怨恨説に対して、野望説論者が必ず持ち出す
「時は今、あめが下知る五月かな」光秀の句の解釈を知らないとは、
基礎もないと言われるぞ。
>>477○○○藤本正行の「信長は謀略で殺されたのか?」に対し、私は一貫して「朝廷説の部分」
に間違いありと言ってるぞ。真相は朝廷説だからね。
>>478○○「私は一貫して、桑田忠親博士の「信康は信長の命令により、家康が殺した」説を支持してるぞ。
コロコロ態度を変えてるのは君らだろ。

○○仮説○○
家康は服部半蔵という忍びの者を採用していた、諜報係りである。
大事な後継ぎ信康の謀叛の疑い、讒言が出たとき、よく調べさせなかったのだろうか?
そして、その服部半蔵は信康を殺しに行きながら、
何故か涙で首を斬れなかったという話が残るのだ。
主命に背いたのに、彼は後に家康に重んじられ、出世しているのだ。

491:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 11:01:16
>>488○すると信康はたった一人で謀叛するのか?

家康が命の危険がある謀叛する、謀叛ありと恐れ、信康は殺されたんだよな。
当然、それなりの担いだ勢力、兵力ありと見られたはずだがね。
信康だけで、そんな大規模な、家康が恐れるぼどの謀叛ができるのか?
そしてその主将が殺されたのに、配下の将がただで済むとでも?
当然厳罰が「疑い深い、命が助かったと思う家康」からなされる筈だが?

○武田信玄の長子義信と徳川家康の長子信康ではケース、立場が違うだろ。
信玄には勝頼という後継ぎがいたし、信玄の今川侵略に義信が反対したとか、
家康、信康事件と同列には論じられん筈だ。


492:日本@名無史さん
07/11/30 11:01:55
>>490
一回『仮説の立て方』でググった方がいいぞ。
小学生でも解るように書いてあるから


493:日本@名無史さん
07/11/30 11:12:11
>>491
>○すると信康はたった一人で謀叛するのか?
そんな御託はいいから、誰が「謀叛を企んだとされる家臣、重臣」なのか詳細に答えろよw

>当然、それなりの担いだ勢力、兵力ありと見られたはずだがね。
「はず」とは?根拠がないぞw
どれだけの規模でどのような勢力が担いだのか答えろよw

>そしてその主将が殺されたのに、配下の将がただで済むとでも?
主将ってwwww
どちらも徳川家の家臣なんですがwwwww

>信玄には勝頼という後継ぎがいたし、信玄の今川侵略に義信が反対したとか、
>家康、信康事件と同列には論じられん筈だ。
勝頼は諏訪家を継いでいますがw
まだ徳川秀康のが後継という意味では武田勝頼より後継者足りえてるのだけれどw

つか信康も家康との対立という親子間の問題になってんですけどw

それで偉い桑田氏の本能寺の変の怨恨説は出鱈目なの?
お前が自分で書いたんだぞw答えろよwwwww

494:日本@名無史さん
07/11/30 12:59:40
◎私も今後はsageて書くようにします。
>>487
◎『◎は秀忠では跡継ぎに不安があると書いた』?
書いたが何か?君が『秀忠がいたから信康が死んでも家康は痛くなかった』って言ってたのに対してね。
でも信康を『喜んで殺した』とは書いてないな。勝手な『妄想』で事実を作らないで下さい。
◎当時信康に比べれば秀忠は跡継ぎとしては心許ない。しかし信康に「逆心の雑説」があって自分が追放されるかもしれないとなったら自分の身を守る為に信康を処分したとしても何も不思議はないだろ。


495:日本@名無史さん
07/11/30 13:22:33
>>485
◎『謀叛を企てたとする重臣が後に出世している』?
誰のこと?最近よく出す岡崎三奉行のこと?
私は一言も彼らが謀叛に関わったなんて言ってないけど。
◎『再教育する時間と余裕はあった』?
誰かも言ってるが君の『妄想』だよね。
そもそも再教育するならもっと前からしてるさ。
信康と奥平信昌の件は知ってるよな?これについて家康はおろか信長までが信康を注意したが、頑として言うことを聞かなかった。
信康はそういう性格。家康自身もお江与に信康は我儘だったと語っている。
再教育して変わる人間、変わらない人間がいるだろう。

496:日本@名無史さん
07/11/30 15:55:54
>>487
> ○家康、徳川家が一度でも謀叛を企んだ家臣を放っておくほど甘いか?
> 後にどれほどの大名、家臣が改易されたよ。

三河一向一揆など、家康と敵対しておきながら再び帰参した例はいくつもありますが?
改易されまくったのは関ヶ原以降でしょ?それ以前に誰がどういう理由で改易されたか挙げてみて?

497:日本@名無史さん
07/11/30 19:13:12
もう一度聞く。
通説の信長命令説でも「信康母子が武田氏に内通して謀反を
企んだ」ので信長が信康の死を命じたとしている。
ところが博クンは謀反などなかったと言う。
ではなぜ、信長は信康に死を命じたの?
その理由、嫌疑は?
博クンは「家康の意思」説を否定したいばっかりに
自分が主張する「信長命令説」をも否定してしまってる
んじゃないのかい?

498:日本@名無史さん
07/11/30 19:23:40
○は自分こそ本能寺問題の専門家と自負してるらしいが、
まさに笑止。
そんなこと認めてる者は世界に1人もいない。
いるのなら連れてきなさい。
本能寺の変について考えたい人は桐野作人、谷口克広などの
著書を読んでいる。大庭某など話題にも上らない。

499:日本@名無史さん
07/11/30 20:46:55
逆心の雑説が理解できず、また自分で史料に当たったり
引用もしない博クンのためにもう一度「安土日記」を
引用しよう。
「さるほどに、三州岡崎三郎殿(信康)、逆心の雑説申し候。
家康ならびに年寄衆、上様(信長)へ対しもつたいなく申し、
御心持ちしかるべからずの旨、異見候て、八月四日に三郎殿を
国端へ追い出し申し候」
信康が岡崎城から国端へ追い出されたとある。
さて、逆心が謀反でなければどうしてこんなことになったのかな?
納得いく説明を求める。

500:日本@名無史さん
07/11/30 20:59:29
>>498にある桐野作人氏は近著「だれが信長を殺したのか」に
おいてこう述べている。
「立花京子氏が事実上撤退してから、同説(朝廷説)を
唱える研究者はいなくなった。(中略)同説が成立しない
ことを明らかにしておきたい」
以後、何故朝廷黒幕説が成立しないのかが述べられている。
博クンもこの本を読んで少しは勉強しなさい。
それで反論なりがあるならここですればいい。
そもそも博クンは鈴木・藤本両氏の本にも
「間違っている」と言うだけで何ら具体的な反論を
していない。
われわれに分かるように論理的に反論してみなさい。


501:日本@名無史さん
07/11/30 21:10:00
その鈴木・藤本両氏の「信長は謀略で殺されたのか」には
こうある。
「朝廷黒幕説では、彼らと光秀が結託した理由にも満足な
説明がない」
さて博クン、君にその「満足な説明」をしてもらおう
じゃないか。

502:日本@名無史さん
07/11/30 21:24:50
>>495の再教育して変わる人間、変わらない人間がいる
ってまさに○クンのことじゃないか。
人がああ言えばこう言う。
その言ってることが過去の自分の発言と矛盾していても
全然気にしない。
これがおかしいと指摘されたことでも平気で繰り返す
(慎重な家康とか)。
再教育の余地はまったくないな。

503:日本@名無史さん
07/11/30 22:05:20
統合失調症の症状
「妄想」
現実的でない間違った考えを正しいと信じ込み、その確信が強い為に間違いを訂正する事が
出来ない症状

504:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/30 22:12:35
>さて博クン、君にその「満足な説明」をしてもらおうじゃないか。

是非、孫の本を買って読んでやってください。


505:日本@名無史さん
07/12/01 00:08:34
しかし光秀=天海説、無茶な暗号を採る本は苦しすぎ…最後まで読んだ人の苦労が偲ばれる


506:日本@名無史さん
07/12/01 01:03:57
○の書込み動機

①宣伝説…売残り本(80冊)の処理を図りたい
②病気説…統合失調症なので、書込みを執拗に繰り返す
③振込め詐欺説…2chウォッチャー向けに騙して金銭の振込みをさせようとしている
④自己顕示欲説…一度だけ自費出版したことを自慢したい
⑤総合説…①から④までの全て

①③④の目的は全て尽く裏目に出てはいますが...
但し、②の場合だけは病気なので、本人に他意はありません。

507:日本@名無史さん
07/12/01 13:53:02
>>506
このスレは本能寺の変の真相より
○の書きこみ動機を論議した方がよさそうだな。

508:日本@名無史さん
07/12/01 15:21:32
①宣伝説に1票! 
平日の午前中に定期的な書き込みをして最後に宣伝文句のコピぺをし続けているから。

509:日本@名無史さん
07/12/01 20:44:17
しかし、桑田氏に関することで博クンは自分の矛盾に
まだ気付かないのだろうか?
氏の言うことが出鱈目だと言うのか?と人に詰めよっておいて、
自らは氏の本能寺の変怨恨説は間違いだと言う。
氏の言うことが出鱈目だと言ってるのは博クン自身ではないか。
もう一度言う。
桑田氏の言うことなら正しいと言うんなら、御託を並べてないで
朝廷説など捨てて氏の怨恨説に賛同しなさい。

510:日本@名無史さん
07/12/01 20:55:24
>>487
あの信長も弟信勝(通称信行)の謀反の際、
林秀貞、柴田勝家など担いだ重臣を赦免してますが?
信勝自身は再度謀反を企んで殺されてるが。
信康事件でも核となる信康自身は処分しても、
担いだ家臣は赦免してもまったくおかしくない。
博クンは分かってないようだが信康は自刃に追いこまれても
担いだ家臣は赦免することは十分ありうる。
なぜなら信康さえ処分してしまえば担ぐべき者がいなくなる
からだ。そうすればクーデターなど起こしようがあるまい。



511:日本@名無史さん
07/12/01 22:30:38
このところの流れを見ても、反対派がきちんと史料名を
挙げたり引用しているのに対し、○は感情的かつ反論にも
ならない反論を繰り返すばかり。
○よ、自分の説を裏付けたかったら史料名を挙げたり
引用してみたらどう?
それすらできない○には史学研究の資格なし。
第一、「信長記」と「信長公記」の区別もできない
ヘタレだもんな。
せいぜい妄想でもしてな。

512:日本@名無史さん
07/12/01 22:40:46
以前にも指摘したことがあるが、「信長は謀略で殺されたのか」の
著者は鈴木眞哉・藤本正行両氏。
ところが○が挙げるのは藤本氏だけ。
この本を読めば分かるがこの本は章ごとに分担執筆したのでは
なく、2人の共同執筆となっている。
なのに鈴木氏を無視するのは氏に失礼ではないか。
こういう失礼なことを平気でする○の人間性を疑う。

513:日本@名無史さん
07/12/01 22:42:18
>>510
◎多分それはそれで○は『林は後に追放された』とか言うんでしょう。
本多重次も大政所を粗略に扱ったという理由で追われているが。

514:日本@名無史さん
07/12/01 23:10:27
博くんは家臣を赦免しない、後で信長が信勝の事言い出すと柴田が思った方が都合がいいんでしょうな。柴田が光秀の同盟とか言った手前


515:日本@名無史さん
07/12/02 03:57:47
>>501
>その鈴木・藤本両氏の「信長は謀略で殺されたのか」には
 こうある。
 「朝廷黒幕説では、彼らと光秀が結託した理由にも満足な
 説明がない」

では、どのような説なら光秀の唐突な謀反に説得力を付けられるのか、説明して戴こうか。
それができずして、他人の説を否定する資格はあるまい。


516:日本@名無史さん
07/12/02 04:41:53
>>515
>>500>>501が何にレスしたかを理解せずに書き込みするから
>では、どのような説なら光秀の唐突な謀反に説得力を付けられるのか、説明して戴こうか。
それができずして、他人の説を否定する資格はあるまい。

などと頓珍漢なコメントになる

517:日本@名無史さん
07/12/02 05:20:49
>>516
結局本筋とは関係の無い無意味な散文で誤魔化すしか無いわけかい
文句があんなら、光秀謀反の理由を明確にしろや
中身の無い言葉の羅列などゴミ同然


518:日本@名無史さん
07/12/02 06:02:20
>>517
その失礼な物言いは煽り? それとも何かの釣り?

519:日本@名無史さん
07/12/02 06:37:34
>>518
詭弁の根拠:根拠を示さず脈絡の無い話をダラダラ続ける

520:日本@名無史さん
07/12/02 06:58:24
>>500>>501
単に他人の表面的な動向を説明してるだけ。こんなのどーでもいい事。話の核心を故意に避け、自らの論拠の無さをはぐらかす姑息な手法には呆れ果てる。

521:日本@名無史さん
07/12/02 07:10:35
>>519
脈略がなくダラダラしてたら『詭弁』とは言えないなww


522:日本@名無史さん
07/12/02 07:42:50
>>521
脈略がなくダラダラしている『詭弁』以外の何者でもない
延々とこの手法を続けるしかない与太野郎

523:日本@名無史さん
07/12/02 07:50:16
いいからWiKiで『詭弁』を読んでこい。話はそれからだ

524:日本@名無史さん
07/12/02 08:11:49
結局、○博に付き合う奴も奴だよ。

一人の狂人を相手にしている時点で自分達も○だということを自覚すべし。

525:日本@名無史さん
07/12/02 08:12:12
>>523
単なる引き伸ばし工作なのはミエミエ
見苦しいヤツだ


526:日本@名無史さん
07/12/02 08:21:43
>>524>>525
それで何が言いたいの?

527:日本@名無史さん
07/12/02 08:23:06
なんだ。詭弁の証明してくれるのを期待してたのに。

528:日本@名無史さん
07/12/02 08:49:29
>>526
別スレ「本能寺の変は、あきらかに信長が悪い!」
スレリンク(history板:201-300番)

ここでも同じような口調で、人の意見に突っかかって煽っている奴がいるね
同一人物かな?

529:日本@名無史さん
07/12/02 08:50:05
>>527
話を全く違う方向に誘導して、論旨を曖昧にすることにより煙に巻こうとしている詭弁術師
相変わらず全く進歩していない阿呆

530:日本@名無史さん
07/12/02 08:53:32
>>528
>ここでも同じような口調で、人の意見に突っかかって煽っている奴がいるね

突っかかられたのがお前ってか?
別スレで泣き言など言わずに有効な反論でもしたらどうだ

531:日本@名無史さん
07/12/02 09:06:26
>>523
この文体、例の歴史歪曲に執心していたあのバカか。バカは死ななきゃ直らんな。

532:日本@名無史さん
07/12/02 09:09:04
スレ主よ擁護する訳じゃないけどさ、
信長公記の異本や当代記の短い記述を持って
松平記、三河物語(このスレで否定したカキコもあったが、信長説だよ!)
創業記、実紀の事件を主題にした長い記述を全くの捏造だと言うのはいかがなものか。

また、大久保彦左や松平記等の編者が、何故、家康にとって不名誉な捏造をするのか、
しかもそれが偶然にも同じようなアウトラインになるのか、理由もよく分からん。

533:日本@名無史さん
07/12/02 09:23:45
家康は、特に本能寺以降、基本的には戦において最強であるという所から
権力を掌握していった人物。
本人も野戦で勝てるものはいないと豪語している。

いわば、軍神という立場なんで、他家に脅されて、長男と正妻を殺した
なんて不名誉すぎるだろ。
この当時は、息子であれば、正当な理由があれば、殺しても非難されないだろ。
信玄にしても、息子を死に追いやった事は、結構スルーだが、
父親を追放した事は敵対勢力から、激しく非難されているわけだし。



534:日本@名無史さん
07/12/02 09:30:56
>他家に脅されて、長男と正妻を殺したなんて不名誉すぎるだろ

信長に全責任をなすり付けて、自分は一方的な被害者だとする方が家康にとって都合がいいだろ。


>この当時は、息子であれば、正当な理由があれば、殺しても非難されないだろ

信康は信長の娘を娶っていたから、家康としても信長に無断で信康を処断するわけにもいかんだろ。



535:日本@名無史さん
07/12/02 09:38:07
結局、特に戦後かなりの時間がたって、価値観が全く変わって
親が、自らの意志で子を殺すなんて、あってはならない、
人の所業ではない、という感じが無条件にするようになり、

そのような感覚、価値観を背景にして、”家康を美化するため、
家康の意志で殺したのではなくて、他家から脅迫された事にしたのだ”
という議論が出てきたような気がする。

当時の感覚では、他家から脅迫されて、自分の意志に反して息子、正妻を処分する事のほうが
謀反を企んだ正妻、息子を自分の意志で処分する事より遥かに不名誉な事だと思う。

536:日本@名無史さん
07/12/02 09:44:20
>>534
>信長に全責任をなすり付けて、
>自分は一方的な被害者だとする方が家康にとって都合がいいだろ。

というのは現代的な感覚だと思うんだけどね。
被害者は絶対マイナスだと思う。

松平記なんかは慶長年間には間違いなく成立しているわけで、
他家の意向に従って、自分達を守ってくれない主君というのは
戦国時代では相当にマイナスの評価を受けると思うよ。

537:日本@名無史さん
07/12/02 09:48:17
結局「好きにしろ」と曖昧でどうにも取れる返事をした信長が悪い

538:日本@名無史さん
07/12/02 15:20:55
>>532
松平記、創業記考異の成立年代と信憑性確認してこい
実記なんぞ問題外だしな、つか松平記や創業記考異出しながら実記だすのはどういう了見だ?

当代記や家忠日記のが全然信憑性も取れるぞ

>三河物語(このスレで否定したカキコもあったが、信長説だよ!)
だから原文抜粋して、信長説なのを説明してくれよ


539:日本@名無史さん
07/12/02 15:29:41
追加
>松平記なんかは慶長年間には間違いなく成立している
寛永期以降なんですが??????
もしかして明治時代の人ですか?明治には慶長時代編纂と思われていたから

540:日本@名無史さん
07/12/02 21:18:15
つうか>>532の言う信長公記の異本や当代記の短い記述を持って松平記や三河物語などの記述を捏造だと言ってるのって誰のことだ?
大概の人はそれプラス家忠日記などに書かれている当時の徳川家の不穏な動きも挙げて家康上申の可能性を説明していると思うんだが。

541:日本@名無史さん
07/12/02 22:03:14
スレ違いも甚だしいな。新しいスレを立ててそっちでやれよ。
ここは○博が独り妄想を語る場だ。

542:日本@名無史さん
07/12/02 22:40:24
いいんでねの?元々カテ違いだし。〇の絶妙のボケが、いい論争を産んでる


543:日本@名無史さん
07/12/02 23:15:06
だからこそトンチンカンな○博抜きでの議論を見たいんだけど。

544:日本@名無史さん
07/12/02 23:20:37
>>536
家康が死後「神」とされたことを忘れてないか?
江戸時代、家康への批判はいっさい許されなかった。
そんな中、権現様が妻子殺しだと認めたらどうなる?
子を殺した親として、格好の批判のネタだぞ。
だから幕府の御用学者は家康の責任だと認めることなど
口が裂けても言えなかった。

545:日本@名無史さん
07/12/02 23:39:08
付け加えると、あの神君が息子に謀反を起こされたというのも
誇れた話ではあるまい。
その程度の父親かということになる。
父子の争いが後世に伝えられるのは望ましいことではなかろう。
だから現に信長命令説では信康は家康への謀反など企んで
いなかったことになってる。
あと「徳川正史」の信憑性だ。神君を顕彰・美化し、
幕府の支配を正当化する、それが目的のものに
ありのままの真実が書かれてると思う?
その目的のためなら事実を曲げることも厭わないだろう。

546:日本@名無史さん
07/12/02 23:54:40
信康事件以外にも、家康の事績や経歴とされるものには
幕府の御用学者が作ったと思われるウソが多い。
一例を挙げると、「三河物語」には家康主従が今川の
人質時代、大変な苦労をしたと書かれている。
だが実際は家康は人質というより、今川の一門に準じる
扱いをされ、厚遇されていたというのが最近の見方。
義元の姪を娶らせたのも、今川の一門扱いをしたもので、
こんな人質があるものではない。
それがなぜこういう書かれ方をしたかと言うと、後に
家康が今川を裏切ってその領土を奪ったから。
家康の正当化の一つ。こういう例もあるから、
信康事件も家康正当化のためにある筋書きが作られた
のではと推測できる。

547:日本@名無史さん
07/12/03 00:08:48
>>540
史料上だけでなく、「信長の命令」説での疑問点がこのスレでも
いくつも挙げられてるからその説が疑われてるんだよな。
自分としては、次の2つを追加したい。
・信長はかつて、妹婿の浅井長政に裏切られている。嫡男を殺せなどと
家康に命令したなら、家康も同じように裏切ることを当然予想したはず。
だが当時信長は本願寺をはじめ、四方に敵を抱えていた。そんな時に
家康を敵に追いやるような愚かな真似をしたろうか?
・信長は武田信玄と対立した時、信玄がその子を殺したとして非難
している。そんな信長が家康に子を殺せなどと言うだろうか?

548:日本@名無史さん
07/12/03 01:11:33
>>543->>547
真剣にお話ししたい方は別スレへどうぞ
「☆ 家康は信長をどう思っていたのか ☆ 」
スレリンク(history板)
「家康の息子達 Part3」
スレリンク(history板)

549:日本@名無史さん
07/12/03 04:02:50
○博に餌をやるなってことだね。

550:日本@名無史さん
07/12/03 05:51:13
>>538
まず、徳姫が信康に対する12か条の弾劾を酒井に託し、酒井が信長に会い、
その話し合い中で、信長が信康の処罰の断をくだした。という内容のことが
三河物語にかかれているのは、さすがに常識だと思う。

現在、手元に三河物語が見当たらない(岩波文庫版のは持っていたはずなのだが)
し、正直、基本的なことなので探す気にもなれない。

もし、ある種の嫌がらせや、手間をかけさせようとして書いているのではなく、
三河物語にそのような記述があるのか真に疑問に思っているのなら、
三河物語、信康切腹とかでググッて見てください。

常識的なことなので、いくらでも当方の記述の証拠を見出せるはずだよ。

551:日本@名無史さん
07/12/03 06:15:30
あと史料の取り扱いに関してなのだけど、
松平記の成立年代に関し、寛永は定説に対する有力な新説だよね。
最近の本では、松平記に関し、慶長ごろ成立とか、17世紀前半成立とか、
ややぼかした書き方をする。(寛永と言い切るのはいかがなものか)

ただ1579年までの記述しかないので、記述内容はかなり早い段階で
書き残されていたものと考えられている。

552:日本@名無史さん
07/12/03 06:56:10
で、当方の知る限りでは、信長説を否定する場合
信長公記の異本と当代記の記述によるのがほとんどと思う。

家忠日記には、直接親子の不仲を伝える記述は無いと思う。
信康切腹事件の起こる一年以上前に、岡崎在住の家臣を
呼び寄せる、国人の岡崎への出仕を控えさせるよう命じた記述があり
これをもって不仲の証拠とし、その不仲が信康切腹の原因としているのだが、

事件の起こる相当に前であること、この当時家康が活発な軍事活動を
行っていることを考えると、なんともいえない部分もある。

上記日記には信康追放の直前(2ヶ月ほど前か)に険悪な夫婦仲仲裁のため
家康が直接岡崎に出向いている記述もある

常識的に考えて、事件の起こる1年以上前に家康が戦力の集中を
図ろうとしたことを、親子関係がうまくいっていない証拠と
捕らえるのにもある種の論理の飛躍があると思し、
事件のわずか2ヶ月前に夫婦仲の破綻という信長説を補強する記述がある
のを無視するのもいかがなものか。


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