日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実!at HISTORY
日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実! - 暇つぶし2ch300:日本@名無史さん
07/11/20 20:38:03
連投だが、信長在世中の確かな史料に「信長が信康生害を命令した」
とあるなら、そう認めることにやぶさかではないよ。
だがそう記しているのは全て徳川家が天下を取ってからの史料(?)。
当然家康美化、顕彰のために事実が曲げられた可能性が考えられる。
そこへ信康切腹は家康の意思だとする、あるいは家康と信康の間が険悪で
あったとするそれよりも古い史料が存在するから通説が疑われているのだよ。
「当代記」は研究者の間でも信憑性が高い史料と評価されていることも
教えておいてやる。○のような解釈をしたら笑い者になるだけ。

301:日本@名無史さん
07/11/20 20:46:50
○が『信長の命令に間違いない』と言い切らないと困る理由

それは「マハー第六章 光秀天海説」の重要な根拠となっているからです。

「・・・・・・なぜ、信長の同盟者の家康が、光秀かも知れない男を重用するのかしら?」
「家康は嫡子、松平信康と妻築山殿に、信長から武田勝頼との謀反の疑いを掛けられて切腹を命じ
た恨みがある。また信長の天下の後は、所詮は外様だから消される運命にあった。さらに散々働い
たのに、与えられたのは駿河一国だけだった。で、光秀の謀反を非難する理由がない。むしろ天下
取りへの伏竜鳳雛を得たと重用したというんです。・・・・・・」(P207)

つまり、「信康自刃事件」が徳川家臣団の内紛だと認めてしまうと「マハー」の記述の矛盾を突かれる
ことを恐れているからです。


302:日本@名無史さん
07/11/20 22:23:18
何だ、つまり○の言うことは学問ではなく信仰だったわけか。
ならこちらがいくら筋道立てて説明しても無駄なわけだ。
○相手の議論はまったく無駄。
もう1人でやらせておこう。

303:日本@名無史さん
07/11/20 22:32:32
つまり○は自分の説に都合の悪い史料は一切読まない、
そしてその都合の悪い史料の内容を挙げての反論に対してはその史料自体を
「信憑性が低い」
「風説を集めたもの」
と否定してしまう訳か。
以前◎が○に史料の内容を書いてみろと迫っていたが、書いたらやはり同じように史料丸ごと否定してたんだろうな。

304:日本@名無史さん
07/11/20 22:33:58
>>303は逆だった。○が◎に、だった。

305:日本@名無史さん
07/11/21 01:00:29
>286
>虚偽、詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

『聖戦 マハーカーラの女』に「この物語はフィクションです」とあるが、
それが嘘ではないのだから、博くんはフィクションを持ち出して、
学問板で偉そうに語っている訳だ。なんというふざけた態度www

306:日本@名無史さん
07/11/21 10:20:48
学問板にwwwこそ必要ない

307:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/21 10:24:55
>>298全て本物「昔の人々にとって神は何より神聖であり、
そしてタタリを何より嫌った」そして様々な縁起かつぎもあった。
●明智光秀が近江坂本城、丹波亀山城を拠点にしていたのは有名な史実。
●少なくとも古参の柴田、羽柴より先に城と近江に領地を与えられてるな。
しかも京という重要地に。後世そういうのを城持ち大名という。
●陰陽師安倍清明の家がどこにあったかも知らないようですね。
比叡山延暦寺が何のために建てられたかも。
●明智光秀の四十前が不明なのは何人もの学者が書いている。
明智軍記の諸国武者修行はあてにならんとね。高柳光寿博士も。
●惟任、おもにん、おにもん、鬼門。
昔の人にとって氏神は重要な要素であった。そしてその意を伝える
文字、言葉もまた神であった。
●牛頭天王は鬼門の主。常識。したがって、重要なる神の方位を守るものは、
それにちなんでいなくてはならない。
●安土城は京都、おそらく内裏から見て丑寅方位、鬼門。
しっかり地図を見てね。
●城を攻めるには鬼門などから、昔の常識。鬼門に向くのも縁起悪いと嫌った。
●京都市民が鬼門を恐れる。
常識。しっかり調べろ。



308:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/21 10:34:56
>>288->>306●他は論ずるにも足らんだろ。
服部家が忍者なのは有名だし、服部正成→二代目服部正就、
どちらも服部半蔵と呼ばれたし。
●「当代記」の記録が一方的なのは確かだし、我儘だった、それだけで母まで殺されるかね?
家康や信長を軽んじた、家臣に呆れられた、非道をした、何故そうなったか、
なぜ、損得抜きで父や権力者にたてついたか、その動機付けが全く無い。
現在を見ろ、「有名俳優の息子Aが麻薬をした、我儘だった」
何故そうなったのか?徹底的にその動機付け、教育方法など、週刊誌でも調べるだろ?

●我儘だった、それだけで家康が母子もろとも殺すというのか?
しかも後継者秀忠は幼いというのに? 

309:日本@名無史さん
07/11/21 10:41:47
>>308
◎史料を週刊誌と同列に並べる君もどうかと思うよ?
◎なら徳川正史には信康が武田に内通した動機は書いてあるの?
◎何で都合悪い史料は読まずに全否定してしまうの?

310:日本@名無史さん
07/11/21 10:43:09
◎あと>>297にも答えてあげなよ?

311:日本@名無史さん
07/11/21 10:45:59
>>284は全て君の憶測でしかないように見えるけど、それらの記述がなされた史料名は?

312:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/21 10:51:10
>>305○○○しかし、偽物にはどうしょうもない矛盾が出る。○○○
本物には、矛盾が出ない。

一冊の本「聖戦、マハーカーラの女」、、、
国家の真実、、、、

天正十年六月二日、京都本能寺の変、、、
第六の月、二日の変、

自らを第六天の魔王と豪語した男、、、

そして二日の変、
「天に二日無し、土に二王無し」中国「礼記」、、、

全ては、選ばれた、、、、!!

313:日本@名無史さん
07/11/21 10:54:35
>>312
◎それより>>297へレスしてあげなって、逃げてないでさ?
◎何で都合悪い史料は読まずに全否定してしまうの?
何で都合悪い史料は読まずに自分の説が『間違いない』て言い切れてしまうの?
逃げるにはまだ早いよな?

314:日本@名無史さん
07/11/21 10:59:54
僕は近衛前久~♪♪
私はイエスズ会の代表~♪♪
俺は羽柴秀吉~♪♪
おいらは細川藤孝~♪♪


信長が糞だから、ボンボンの光秀をダシ(捨駒)にして本能寺で
殺っちゃいました~♪♪「信長公記」の不都合な部分も削除~♪♪

315:日本@名無史さん
07/11/21 11:07:39
延暦寺が京の丑寅方向にあるのはいいとして
安土が丑寅ってのは、かなり無理があるなww
で「おそらく丑寅」「おそらく寅」?w


316:日本@名無史さん
07/11/21 11:26:50
◎やれやれ、結局今日も逃げられたか…
まぁ顔を突き合わせての論戦ができないくらいだからな。

317:日本@名無史さん
07/11/21 14:13:21
○さん、真実なんて本物の超能力者じゃない限り誰にもわかりませんよ・・


○さん、公の場には何故出てこないのですか?いい歳してみっともないですよ。
○さん、此処は便所の落書きと同等の2ちゃんねるですよ。


318:日本@名無史さん
07/11/21 14:31:10
>>307  「時系列の矛盾ばかり しっかり調べろ」

■元亀二年(1571)9月比叡山焼討ち後、没収した近江の延暦寺領・日吉神社領を以下の6将に知行宛行及び旧六角氏家臣の所領安堵がなされた
坂田郡(横山城)木下秀吉 犬上郡(佐和山城)丹羽長秀 蒲生郡・神埼郡・愛知郡の一部(安土城)中川重政 蒲生郡(長光寺城)柴田勝家 
野洲郡・栗太郡(永原城)佐久間信盛 志賀郡(宇佐山城)明智光秀

■高島郡(新庄城)の磯野員昌は浅井氏の佐和山城主であったが、元亀二年(1571)2月織田氏に降伏開城し、高島郡新庄へ移送されたのち、
高島郡の領有支配を任された。
元亀二年(1571)7月5日付朽木元綱宛信長朱印状(朽木文書)で礒野員昌から直接朽木の新知行地の宛行があることを述べており、
明智光秀の志賀郡の領有支配の開始時期よりも早く支配権を与えられていたことが裏付けられる。 

■坂本城の築城は元亀三年(1572)閏正月の「兼見卿記」が初見。同12月でも「城中天主作事」中であった。天正元年(1573)6月に兼見が
「天主の下に立つ小座敷」で光秀と対面している

319:日本@名無史さん
07/11/21 14:59:19
○はどんどんボロを出しますね

320:日本@名無史さん
07/11/21 18:44:53
>>308 「○はどうも漢字だけでなく、数字も弱いね」

>「服部家が忍者なのは有名だし、服部正成→二代目服部正就、どちらも服部半蔵と呼ばれたし」

お前の大好きな『大ウィキ辞書』に書いてあることぐらい読んでからレスしな
「服部半蔵は、戦国時代から江戸時代初期にかけて松平氏〜徳川氏の麾下で活躍した武士で、
代々「半蔵」を通称の名乗りとした服部半蔵家の歴代当主たちである。(中略)
忍者のイメージがあるが、本当に忍者だったのは初代だけであり(ただし詳細は不明)、
2代目以降は忍者でない。」

>「服部正成→二代目服部正就」
2代目は服部半蔵正成で、3代目が服部半蔵正就ね 
正成=「信康自刃事件」のときの半蔵
正就=「関ヶ原の戦い」のときの半蔵 

321:惟神塾へようこそ
07/11/22 00:49:45
 人間は地球にとって一番の害虫である
 蚊の言葉 わしは人間の言霊から生まれ、人間の真似をしているのにどうし
て殺されなくっちゃならないのか。人間同志生き血をすすり合い、牛は乳を搾
り取られ、鶏は卵を搾取されて精力をうばわれている。
 牛の言葉 僕の一族は人間の食べ物になって、2歳で死刑となる。それまで
は狭い監獄に入れられて何の楽しみをない。虫や動物達は人間の自然破壊によ
って生きる糧を奪われて死ぬよりほかない。
 宅間守の言葉 俺は学歴社会から弾き出され、競争社会から虐待されて生き
る希望を失った。金持ちやエリートは我々の生き血を吸って益々太るばかりで
ある。奴らの子供が蚊になる前に殺さなければならない。
 子供が殺害される事件は動物達の苦しみの一部を人間が体験させられている
のである。
 人間は他の動物の食糧まで奪って過食し、動物達を犠牲にして、贅沢三昧の
生活を享受している。それによって、地球の環境破壊が進行し、ごみの山とど
ぶ川に汚染されている。このままでは生きている地球が壊死して行く。度重な
る地震等の天変地異は地球の浄化作用でもある。神の建替え時には最大限の浄
化作用が発揮される。害虫は魂と共に絶滅する。
 今日までの御教は悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると言う。これが悪魔
の御教ぞ。この御教に人民はすっかり騙され、悪殺す事が正しき事なりと信ぜ
し事の愚かさよ。三千年の昔から幾千万の人々が悪を殺して人類の、平和を求
め願いしも、それは儚き水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶ
っても、悪は益々増えるのみ。悪殺すと言うその事が悪そのものと知らざるや。
神の心は弥栄ぞ。本来悪も善もなし、只み光の栄ゆのみ。


322:日本@名無史さん
07/11/22 02:31:00
>>249
>○おいおい「天徳院」と書いてある史料はあの有名な絵以外にもあるよ。
有名な史料が、知らないのは君だけ。

自身のブログに『有名な長興寺の肖像画も裏には「天徳院」とある。』と言いきってるくせにぬけぬけと
嘘をつくもんだね

万事がこれか

323:日本@名無史さん
07/11/22 04:46:45
博くんは生活がかかっているので、
どんなに出鱈目や嘘を指摘しようと、絶対に認めません。
詭弁を駆使し、他人を騙してでも、自著を売らなければいけないのです。
モラルとかプライドとか常識とか学問への真摯な姿勢とか、
そんなくだらないことよりも、彼には金の方が大事なんです。
必死なんです。

ここは、そんな詐欺師大庭博の宣伝スレであり、
その詐欺を徹底的に叩くのが主旨となっております。
学問的な議論など、大庭博自身がはなからやる気はないのでご了承ください。

324:日本@名無史さん
07/11/22 05:56:22
前スレ突然落ちたが再び立ってたんだなw

で、マハーカーラの女~って題名からも角川ノベルズの軽いノリみたいなの感じるんだけどw

読む価値あるの?

325:日本@名無史さん
07/11/22 06:23:36
学問的には全く無価値。時間と金の無駄。
暇人さんならば、トンデモ本として読めば、ネタになるかも?
直接買ってあげれば博くん大喜び。
ただし振り込み詐欺の可能性大。

326:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/22 10:18:40
>>318○○○光秀と坂本城の事実はかくのこどし○○○
●「原本信長記」元亀二年九月の叡山焼き討ちの後、
信長は滋賀郡を光秀に与え、光秀は坂本に在地したとある。
●「年代記抄節」十二月光秀は坂本に城をかまえ、山門領を知行した。
●「兼見卿記」元亀三年閏正月六日、光秀の坂本築城の見舞いに行き、
酒肴を贈る。このとき「坂本而普請」の文字あり。
○「しかも、光秀は主に丹波攻略を任され、亀山城を大拠点としているのに、
坂本城を天正十年までも任されていたのである。これは奇妙である」

327:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/22 10:30:46
○○○「寅薬師」薬師如来は寅・虎の日が縁日である○○○

>>320○何言ってる。徳川家康に仕えたのは服部半蔵正成が最初だろ。
なら彼が初代と言ってもいい。二代目服部正就も情報収集網を管理、率いていたはずだぞ。
そういうのは身分が武士でも忍者頭目と同じだろ。間違いではない。
>>315○ちゃんと占い師、陰陽師、神官などがよく使う方位の図でも見たら?
全体を十二支で分割。一支それぞれ三十度。丑寅は北東の六十度だよ。
安土は間違いなく北東。

>>322○まさか君は信長「天徳院」と書いてある他の有名な史料が
解らないというのではないだろうね?


328:日本@名無史さん
07/11/22 10:35:54
>>326
何が奇妙なの?
君の根拠の無い感想ではなく、理論的に説明しなさい。

329:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/22 10:53:02
本能寺の「真実の口」は間違いなくひとつだけある。

>>323○馬鹿馬鹿しい。金が大好きなら株取引、先物取引、他の投資でもしてるよ。
分厚い史料、参考書なんか最初から読むわけが無い。
君がそうだろ? だからろくな議論も出来ないのだ。
>>325○この手の詐欺師連中がよく言う
「人生、学歴、出世だけじゃないよ。夢がある」なんて、
言葉にうまく騙された被害者が僕。世の善男善女は騙されるなよ。

>>325○いやあ、世のひとは君が詐欺師か、スパイ、工作員
出なければ、ただのあきめくらと間違いなく知るだけだろうがね。

○一冊の書物
「聖戦、マハーカーラの女・本能寺の変の真因」博君著。
この本が出た前と後では全てが違う。

金とヒマのある好事家は一度調べてみることだ。


330:日本@名無史さん
07/11/22 11:01:20
>>327
>なら彼が初代と言っていい。

ギャグかな?


331:日本@名無史さん
07/11/22 11:39:24
まあ、博くんの言うことは、全般的にギャグのようなものだ。

332:日本@名無史さん
07/11/22 12:51:23
>>327 「全くもって文章・漢字の読み方が分らんようで」

「坂本に在地」坂本に居住しているとしか読めませんが・・・
「坂本に城をかまえ」「年代記抄節」の原文見ないとねぇ・・・
「坂本而普請」『而』を読み飛ばしてはいけませんねぇ「坂本そして普請」
「普請」は築城の際の土木工事のこと

「部分の抜き出しばかりじゃなく、時代全体を見ないとね」
>○「しかも、光秀は主に丹波攻略を任され、亀山城を大拠点としているのに、
坂本城を天正十年までも任されていたのである。これは奇妙である」
「秀吉は主に播磨・但馬攻略を任され、姫路城を大拠点としているのに、
長浜城を天正十年までも任されていたのである。」
滝川一益の長島城・細川藤孝の勝龍寺城もしかり。
別に奇妙でも何でもない。 

333:日本@名無史さん
07/11/22 13:14:06
>>327 『おそらく寅に』『安土は間違いなく北東』
お前ひとりが方角をどう読めばいいのか混乱してるだけで、
んなこと、どうでもいいんだよ。

それよりも秀吉の長浜城の位置が京から見て北東に向けて
坂本城の延長線上にあることをあえて無視するのは何故?

これを「木を見て森を見ず」の典型という。


334:日本@名無史さん
07/11/22 13:28:32
>>324>>325 
出版後10年経っても、この程度の知識と文章作成能力
学習能力が全く見られないことから推測すれば・・・

読む価値全くなし
どうしても読みたいスキモノはアマゾンでまだ805円で売ってます


335:日本@名無史さん
07/11/22 13:37:40
>>327
◎『服部正成が最初に家康に仕えたから初代と言える』?
言えません。無茶苦茶な理屈です。間違えたなら間違えたと言えば済む話、それが出来なくて屁理屈で自分を守ろうとするからみんなに叩かれるんだよ。
◎信康が我儘で家康や信長を蔑ろにしていた、その旨の記述は寛政重修諸家譜にも見られるよ。
◎○が『後から出た史料だから正しい』という徳川正史には信長から信康切腹の命令が出され、
更にそれを補強する為に侍女を斬り手で口を裂く、僧侶を馬で引き摺って殺す、踊りの下手な踊り手を弓で射る等の残虐行為も行っていたと書かれている。
◎その一方、これまた○が『正直者』と評する大久保彦左衛門は三河物語の中で信康を「これほどの殿はまた出来難し」と讃え、その死についても「上下万民、声を引て、悲しまざるはなし」と書いている。
◎どちらの記述も○から見れば正しいはずだが、残虐行為を働いていれば『正直者』彦左衛門の「これほどの…」の記述が嘘になる。逆に彦左衛門の評価が真実なら『後から出た正しい史料』であるはずの徳川正史の残虐行為の記述が捏造である可能性が出てきてしまうのだ。
◎徳川正史には他の史料と矛盾した記述が多々ある。○は何を根拠に『正しい史料』だと言うのか?

336:日本@名無史さん
07/11/22 14:17:22
○の正しい史料とは

○にとって都合のいい記述がある史料を指します
ちなみに散々コキおろした信長公記でさえ都合よい解釈できると思えばすぐに論拠に使います

でも○の解釈は無理ありすぎか読めてない場合が殆どなんですがw

337:日本@名無史さん
07/11/22 14:55:35
>>329
>「人生、学歴、出世だけじゃないよ。夢がある」なんて、
言葉にうまく騙された被害者が僕。

何ポロッとカミングアウトしてるんだよ 今度は同情引こうとしている?

「本出版した⇒売れなかった⇒10年経ってもまだ80冊ある」=「うまく騙された」って?

実際は
「小栗虫太郎集(1987)を文庫で読んだ⇒桐野作人『信長謀殺の謎』(1992)を読んだ
⇒『完全検証信長襲殺』を読んだ⇒『本能寺の変』を自分流に推理した⇒ハガキで編集部に応募した
⇒返事がなかった⇒原稿を書いた⇒近代文芸社に原稿を持ち込んだ⇒自費出版なら出せると教えてもらった
⇒代金を払った⇒売れなかった」
で、現在に至るだけでしょう?

338:日本@名無史さん
07/11/22 15:05:30
>>335 ○と◎さんとでは文章力・論理性・言葉使いなど、全てが大違いだなぁ


339:日本@名無史さん
07/11/22 16:19:03
◎ついでに○の『仮説』についても疑問点がある。
◎服部半蔵の話になったのは○が>>256辺りで
『半蔵が涙を流し信康の介錯が出来なかったのは、忍者の情報網を駆使して信康の無実を知っていたから』
と書いたからだ。
◎ところがかつて私が
「何故酒井忠次は信長が出した五徳の弾劾状の内容を否定しなかったのか?そして何故家康も要求をすんなり受け入れたのか?」
と聞いたところ、○は
『言い逃れ出来ない証拠を突き付けられたから』
と言った。
◎『言い逃れ出来ない証拠』、私は文脈から「信康が弾劾状にある罪を犯していたという証拠」のことだと判断したが、
ここに至って○は『信康は無実だった』という『仮説』を作り出したのだ。
◎前から言う通り『仮説』の内容についての反論はするつもりはない。
しかし何故全く逆の『仮説』を作り出してまで○は自分の言い分を押し通そうとするのか?

340:日本@名無史さん
07/11/22 18:41:29
延暦7年(788年)最澄が延暦寺創建

延暦13年(794年) 平安遷都


341:日本@名無史さん
07/11/23 02:02:39
光秀は備中戦線に出向いて秀吉の組下に入るのが嫌で嫌で仕方が無かったんじゃねーの。
秀吉も天正五年の対上杉北陸戦線にて、柴田勝家と仲たがいして無断帰国しているほどだからな。
織田家の重臣達は皆プライドが高く、お互いに手柄と出世を競い合っている政敵だから、
そんなヤツの為に助勢して手柄を立てさせる手伝いをするなんて屈辱だったに違いない。
加えて、長宗我部討伐に関する不満もくすぶっていただろうしな。

といっても、信長が京にて殆ど丸腰で滞在していることを知らなければ、軍勢を東に向けたりはしない。
もし信長がまだ安土城にいたならば、光秀とて渋々西下せざるを得ない。
信長が自身の在京をわざわざ光秀に知らせたとも思えない。
全く意味がないからだ。

現代でも、社員は勤務中、一々社長が今どこで何をしてるかなんて気になんてしていない。
会社の重役がどこかに出張している時、もしくはこれから出張しようとしている時、
社長の当座の動向など一々気に留めたりしない。

つまり、これから備中へ出向こうとする光秀に、
信長がわざわざ自分の当座のスケジュールを教えること自体何の意味もないってことだ。

ということは、誰かが光秀に信長の居場所とその防備の手薄さを教えたってことになる。
そいつこそ、信長暗殺の黒幕。





342:日本@名無史さん
07/11/23 02:45:47
>後から出た史料が正しい
すると、太田牛一の「信長公記」より「甫庵信長記」の方が
正しいわけだな。
そんなこと言ったら笑い者になるだけだぞ○よ。

343:日本@名無史さん
07/11/23 02:53:15
>>341
>長宗我部討伐に関する不満がくすぶっていた
と自分で認めながら、
>社長がどこで何をしてるなんて気にしていない
って何だそれ。
光秀が信長に不満があった、それで隙あらば謀反を
起こそうと考えていたなら信長の動向を自分で
調べることはおかしくもなんともないが?
鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
(洋泉社)でも読んで出直してこい。

344:日本@名無史さん
07/11/23 03:09:33
ところで、鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社)では、謀反の真相は何だと説いているんだ?



345:日本@名無史さん
07/11/23 05:23:13
>>342
知ったかして調子こいてた三国志オタが
「それ演義だろ」と一蹴されたとき
「正史の内容が必ず正しいとは限らない。
演義の中に埋もれた真実が眠ってる可能性もあるんだよ」
と必死で言い訳してる様子によく似てるなあw

まあ、後から出た史料が正しい可能性もゼロではないが、
○の理論は何が根本的にダメか説明しようと思ったが、
○以外はみんな分かってることだろうし、
頭の悪い○に懇切丁寧に教えてやるのも面倒だしやめた。
○が受講料200万振り込んでくれたら教えてやろうw

346:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/23 07:15:17
孫の博は、今だ自費出版での借金が膨らんで金策に追われています。
私も借家住まいの年金暮らしなので援助はできません。
皆さん、一冊でも多く『マハー』をご購入いただき孫を助けてください。

347:日本@名無史さん
07/11/23 10:45:58
>>344
この本は当時流行していた黒幕説を否定するのが主旨で、
謀反の真相には踏みこんでいない。
それについては桐野作人著「だれが信長を殺したのか」
(PHP新書)を読むといい。

348:日本@名無史さん
07/11/23 10:53:07
>>345
そもそも「徳川正史」と言われるものが史料と呼べるのかどうか。
幕府の支配を正当化し、開設者の権現様を美化・顕彰する目的が明白。
そのためには事実を書く必要なんてないだろう。むしろ事実を曲げて
いて当然。
徳川正史が「正しい歴史」というのは古代史で言えば古事記・日本書紀が
全て正しいと言ってるのと同じだろう。

349:日本@名無史さん
07/11/23 15:09:54
史料と呼べるかどうかと言われれば、常識的には史料とみなされる。
そもそも、史書にその手の意図が含まれるのはよくあること。
それで史料と呼べないというのは暴論。
良質な史料と、問題の多い史料という差はあるが。
そうした問題を他史料と比較しながら検証していくのが史料批判。

あと、そもそも「正史=正しい歴史」ではないよ。
勘違いしてる人多いけど。

350:日本@名無史さん
07/11/23 21:24:45
>>333
きっと秀吉も僧侶で陰陽師なんじゃない?w


351:惟神塾へようこそ
07/11/24 09:54:11
 宇宙の全ては神が創られたものである
 仇敵悪人と言えども、皆神様の霊が宿っている。人は神である。否人ばかり
ではない。一切の動物も植物も皆我々の為には必要な力であり、頼みの杖であ
り、神の断片である。人はどうしても一人で世に立つ事は出来ぬものだ。四恩
と言う事を忘れては人の道が立たぬ。人は持ちつ持たれつ相互いに助け合うて
行きべきである。人と名が付けばたとえ、その心は鬼でも蛇でも構わぬ。大切
にしなければならぬ。それに人は少しの感情や利害の打算上から、互いに憎み
嫉み争うとは何たる矛盾であろう、不真面目であろう。人間は神様である。人
間をおいて力になってくれる神様が何処にあるであろうか。
 神界には神様が第1の力であり、頼りであるが、現界では人間こそ、我らを
助くる誠の生きたる尊い神様であると、こう心の底から考えてくると、人間が
尊く有難くなって、粗末に取り扱う事は天地の神明に対し奉り、畏れ多い事と
悟ったのである。
 江戸時代、百姓は犬猫の扱いを受けていたのを、明治維新によって地位向上
がなされた。坂本竜馬らにどれだけ感謝しても追い付かない。竜馬も庶民の協
力があってこそ大業を成し遂げたのである。土佐藩主・山内容堂と言う敵役が
いたお陰で、同志は殺されたがそれが教訓となって、幕府との血みどろの戦を
避ける事で、メーソンの侵略を防ぐ事が出来た。大政奉還とはその意味でも絶
妙手であった。
 人間は体験しなければ判らない。動物の痛み苦しみを。幾ら人間の方が霊格
が上だと言っても動物の命は大切である。虫けらにも五分の魂が宿る。
 生まれ赤子の清らかな身魂を以ってしても霊は見えない。人間には霊界は見
えず、霊人には現界は見えない仕組みになっている。だから、別の世界を見る
為には仲介者が必要となる。腹の底に神が鎮まって始めて神通力が発揮出来る
のである。
 私は日月神示、霊界物語等を参考にして考察し、どうしても判らない時は神
からのインスピレーションに頼って解決しようと心掛けている。


352:日本@名無史さん
07/11/24 13:29:06
つーか、まだやってたのかw

353:日本@名無史さん
07/11/24 14:59:50
○は宣伝に必死ですから

354:日本@名無史さん
07/11/24 17:18:22
在庫が完売するまで終わりません。

355:日本@名無史さん
07/11/24 17:25:54
400年くらい埋めておけば、珍本の資料になるかも

356:日本@名無史さん
07/11/24 17:45:37
足利義昭が張本人だってNHKスペシャルで見たよ。
実際に信長を倒せって言ってたのもぶっちゃけ義昭だけ。

幕府再興なら大義名分たつから。理論的にもつじつまが合う。

357:日本@名無史さん
07/11/24 22:18:38
だが実際には再興などしなかったわけだが?
光秀も変後に仲間を募るに当たって幕府だの義昭だのとは
まったく言っていない。
これはどうして?

358:日本@名無史さん
07/11/24 22:45:18
>>356
本能寺の変に黒幕などいなかったことは
>>343の本を読めばよく分かる。
読んで損はなし。お勧め。

359:日本@名無史さん
07/11/25 00:26:11
>>356 
NHKスペシャル× NHK「その時歴史が動いた」○

「その時歴史が動いた」第174回「信長暗殺を命じた男~新説・本能寺の変 
浮上した黒幕~」は2004年4月21日放送。ゲストは藤田達生。

この「義昭黒幕説」は>>358指摘の鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で
殺されたのか」(洋泉社)だけでなく、谷口克広著「検証本能寺の変」
(吉川弘文館)でも明確に否定されていますね。

黒幕説の共通点は「結論ありき」で自分の都合に合わせた筋書きを作ること
にあります。
例えば、>>249の『信長の意志、「天主」→「空中階段」→「下の清涼殿に
似た建物」で充分』などと騙る人を指します。
安土城本丸に天皇の御幸用の建物跡らしい遺跡が見つかったのを受けて、
朝廷黒幕説に結び付けたい人たちの中には『信長が天主から天皇を見下ろ
そうとした=天皇を超えた存在になりたかったはず』と何ら具体的な論証を
することもなく結論付けてしまいます。「義昭黒幕説」「秀吉黒幕説」
「家康黒幕説」「イエズス会黒幕説」「朝廷黒幕説」等など、どれも
「無理やりかな」っていう論拠が見えます。

○のように基本的な歴史の知識不足を棚に上げて、出鱈目や嘘を垂れ
流している人が騙っている内容は、さておき・・・

「明智単独犯行説(私は変の企画・実行犯が斉藤利三と考えるので
「光秀単独犯説」とは言い切れませんが)」で十分じゃないでしょうか。

360:日本@名無史さん
07/11/25 01:14:14
本能寺の変をまじめに考えたい人は>>359の2冊に加え>>347
「だれが信長を殺したのか」を読めば十分。
ちなみにこの本でも義昭黒幕説の否定はしている。
鈴木・藤本の両氏は変の原因には触れていない(検討に値するとは
言っているが)が、桐野・谷口の両氏は共に、四国政策が光秀謀反の
原因であるとしている。違うのは桐野氏が斉藤利三がむしろ主犯とする
のに対し、谷口氏は「当代記」の記事により光秀の年齢を67歳とし、
それが大きく関係したとしているところか。

361:日本@名無史さん
07/11/25 04:07:06
せっかくだから、その3冊についてちょっとまとめてみる。

鈴木眞哉・藤本正行『信長は謀略で殺されたのか 本能寺の変・謀略説を嗤う』
(洋泉社新書、2006)
タイトル通り、謀略説叩きに主眼を置いた著作。
まず本能寺の変の一連の概要を押さえた上で、個々の謀略説批判が行なわれる。
その中でも、特に力を入れて批判しているのが、いずれも近年話題になった
藤田達生『謎とき本能寺の変』(講談社現代新書、2003)
立花京子『信長と十字架』(集英社新書、2004)
の2冊。まずこの2冊を読み、内容を頭に入れてから読むと理解しやすい。
両著の問題点を自分で考えた上で、これを読み、自分の感想と比較してみるのも一興。

362:361
07/11/25 04:18:01
谷口克広『検証本能寺の変』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー、2007)

こちらは、単なる謀略説叩きでなく、本能寺研究のまとめという趣き。
まず、本能寺の変に関連する史料を、その史料的価値についての説明とともに紹介し
それらの史料に基づき、本能寺の変の流れを分析していく。
つづいて、本能寺の変の研究史をまとめ、それら諸説に対する検証を行う。
そして、最後に氏自身の見解が述べられる。
他の2冊と比べると、やや専門的な内容であり、読み物としての面白みには欠けるかもしれない。
しかし、本能寺研究動向のまとめや、主要な文献の紹介などは、研究入門としては有用である。

363:361
07/11/25 04:24:48
桐野作人『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』(PHP新書2007)

上記2冊と異なり、著者自身の論を述べることに主眼が置かれた著作。
個人的には、本能寺の研究自体の考察よりも、
織田政権の対四国政策に関する考察の部分のほうがより興味深い。
なお、桐野氏はかつて朝廷黒幕説を主張していたが、
後にそれを誤りであったと認め、撤回している。

364:361
07/11/25 04:37:10
ついでに、これら上記三冊で様々な批判を受けた藤田達生氏の新著も紹介
『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書、2007)

全体の約3分の1を費やし、本能寺の変にふれている。
上記の著作に代表される藤田説への批判に対する反論の色が強いので、
あわせて読むとよいかもしれない。
一連の黒幕説批判を読み、納得するのはよいが、
それを無批判に盲信するのは思考の停止であり、大庭博となんら変りがない。
こうした反論にも目を通した上で、どちらがより妥当で説得力のある説か
自分自身で考えることが重要である。

くだらん内容で長々と連投してごめんね。

365:日本@名無史さん
07/11/25 07:34:04
>>361-364
乙です!分かりやすくまとまってますね

366:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/25 09:58:12
>>354
孫の博は、今だ自費出版での借金が膨らんで金策に追われています。
私も借家住まいの年金暮らしなので援助はできません。
皆さん、一冊でも多く『マハー』をご購入いただき孫を助けてください。

367:日本@名無史さん
07/11/25 16:19:51
黒幕説が何故成立しないか。
それは「信長が6月1~2日に無防備な状態で
本能寺にいること」など前もって予測しようがないから
だと思う。
例えば藤田などは、光秀が謀反を決意したのが5月17日
頃とするが、6月初めに信長がそんな状況になることを
どうして予測できたのか。超能力者とでもいうのか。
義昭黒幕説の最大の弱点は再三指摘されてるが、
「毛利氏が何故変を知らず、秀吉の中国大返しを黙認した
のか」ということだ。義昭が黒幕なら居候していた毛利氏が
何も知らないはずがない。
6月初めにチャンスが来ることを予測できないとすれば、
前もって謀議し、謀反の約束をしていたことになるが、
ならば情報漏れをどうやって防いだのか、これも
説明はない。

368:日本@名無史さん
07/11/25 16:51:11
信忠が急に堺に行くのを止めてるから、身内にも予定は伝えてなかったのかな?
そうすっと島田宗室に京に来るように言ったのはいつなんだろう?


369:日本@名無史さん
07/11/25 18:53:35
>>364
藤田氏は光秀が変前に色々な人(変後に光秀に与党した者など)
に連絡を取っていたとしているが、情報を伝えた相手が信長に
通報する可能性に、鈴木・藤本両氏に指摘されるまでまったく
気付かなかったようだ。
特に雑賀衆。石山合戦終結までは確かに信長とは敵対関係にあった
が、その後は一転して信長に接近した鈴木孫一のような領袖もいる。
また彼らは変の翌日始まる予定の四国攻めに船を百も提供することに
なってた。そんな連中に信長暗殺計画など知らせるはずがない。
密告する者が出ることは必至だからだ。
研究者としてはあまりに無思慮というか考えが足りないと思う。

370:日本@名無史さん
07/11/25 20:21:25
>>368 
信忠は5月26日には「信長の近々上洛する」との情報を得ていたようです。

『家康者 明日大坂堺被罷下候 中国表近々可被出御馬由候条 我々堺見物之儀
先致遠慮候』(「天正五月二十七日付 森乱宛 織田信忠書状」)


371:日本@名無史さん
07/11/25 23:56:34
>>343
>光秀が信長に不満があった、それで隙あらば謀反を
 起こそうと考えていたなら信長の動向を自分で
 調べることはおかしくもなんともないが?

どうやって?
言うは易し行うは難しだ。
それが可能なら、光秀以前に信長に謀反した連中が既にやっているさ。
浅井長政や荒木村重は無理としても、向背定かでない松永久秀ならその程度の事は考え付く。
信長個人の直近のスケジュールが分からないからこそ、
彼らは本拠の城にいる時に叛意を表したのだ。
織田家が方面軍司令官制度を採用している頃には、
信長の身近には側近吏僚衆が形成されていて、
重臣クラスでも信長に拝謁するのは以前のように簡単ではなくなっている。
信長の個人的動向を探ろうとすれば、当然側近衆に問い尋ねなければならない。
当然側近衆からその理由を詰問されるだろうし、勿論それは信長の耳にも入る。
つまり、猜疑心の強い信長に疑惑をもたれるって事だ。
それがいかに恐ろしい事かは、荒木村重の事例や、
北陸戦線から無断帰国した羽柴秀吉の酒宴三昧の保身術からも明白。
現代でも、大会社の社長のスケジュールを社員が把握するのは難しい事でも理解できるだろう。
社員が社長の動向を探っている事が会社上層部に分かれば、その社員がどうなるかは容易に推察できる。
つまり、信長が少数だけ引き連れて数日在京する事を知りうる誰かから教えてもらわなければ、
光秀は信長の動向を掴むことはできなかったわけだ。

鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
(洋泉社)でも読んで出直してこい。

372:日本@名無史さん
07/11/26 01:28:56
亀山の人間が備中出発前に京に行っていた可能性は?

373:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:14:10
>>359>>372○○○「聖戦、マハーカーラの女」が全て○○○
いかなる博士、学者の研究書も次の点を答えられなかった。

一 実直なる性格の光秀が、なぜ突然裏切ったのか?
二 光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?
三 なぜあの時点で、信長、信忠が京都にいたのか?
四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?
しかも市街に宿泊していた信忠の馬廻りに気づかれず。
五 重要なのは、その後主君の敵討と押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか?
未来の全く無い謀叛ではないか?

○二千年でただ一冊、、、「聖戦、マハーカーラの女」のみが答えた。
その答えは朝廷説。信長、信忠を京都に呼び寄せられるのは朝廷のみ。その行事。
六月一日、多くの貴族が来訪、信長を本能寺に釘付け。
京都木戸は貴族の命令で開放。
そして、光秀の動機は日本文化の護持や仏教の保護で、
軍事同盟者は、織田北陸方面軍司令官柴田勝家、、。

柴田勝家は、過去の謀叛の罪や手取り川の敗北、滝川一益の大出世で追い詰められ、
佐久間信盛、林通勝のように折檻状一枚で追放されるのではと信長を恐れていた。

374:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:25:21
>>335>>337「服部半蔵の涙の話は仮説、推理の一環として述べられていると、書いているぞ」
つまらんことばかり書くな。
「松平信康、家康の長男、武勇あり、家柄良し、信長の愛娘を正室にもらい、後ろ盾の確約も得た。
次の国主と崇拝する家臣、側近も多く居ただろう。前途洋々である。
何か不行跡があっても家臣が庇うだろうし、謀叛などの疑いを掛けられても
諫死する家臣も居たかもしれない。
何しろ、次の天下は信康なのだ。
しかし、それが母築山殿と共に殺された。
しかも家臣のカバーが全く無かった。何故、家臣は庇ってないのか?
或いは庇えなかったのか?
その理由は、信長の命令だったから。おそらく徳姫との不和に信長が信康ー築山ラインを危険視したのだろう。
と何回いえばわかる? 徳川正史、大久保彦左衛門の著書、どつらが真実に近いかは今更調べようがない、
しかし、この家臣のカバー、諫死などが無かった、できなかったという史実は、かなり大きな要素を占めよう。


375:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:36:06
○悪いな、レス374は>>339の返事だった。

>>346>>366○レス346、レス366は全くの出鱈目じゃないか。
大庭博氏には借金は全くないし、祖父も貸家住まいではないし、メールなど書いてないぞ。
偽名、本人になり済まし、人を陥れる出鱈目を書いた。
これは間違いなく犯罪、刑務所、あまりの悪辣さに見せしめになるな。
そろそろ警察に電話しようと思うのだが、、、

376:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/26 10:48:28
すいません。また今日も孫の妄想にお付き合い下さい。
そして少しでも借金を減らせるよう、孫の本を買ってください。

377:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/26 10:56:14
「天徳院」

○日本史、二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

この本の出る前と後では全てが違う、、、、
それが歴史の本物、真実の証拠品の持つ凄さだ、、、、
嘘だと思うなら、偽造ではない本物を見つけ、手にとって読むが良い。

四百年前の本物の暗号の持つ凄さがよく解る。

「安土城天主」-「空中階段」-「下の清涼殿に似た建物」





378:日本@名無史さん
07/11/26 10:58:07
>四 京都の盗賊よけの木戸などがあるのに、なぜ大軍がスムーズに本能寺に到達したのか?

本能寺が下京の総構えの外にあったのに対し、村井貞勝の居た所司代屋敷はその内に在った
ことで当初は難を逃れたんだろうね。

379:日本@名無史さん
07/11/26 11:00:19
>「空中階段」-「下の清涼殿に似た建物」

「妄想」-「清涼殿に似せて復元した建物」 だね。

380:日本@名無史さん
07/11/26 11:20:02
>>374
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。
>何しろ、次の天下は信康なのだ。


381:日本@名無史さん
07/11/26 13:27:32
>>347
◎つまらん事を書いてるのは君ですよ。
◎『服部半蔵の涙は仮説と述べられている、と書いてるぞ』?
そんな事は聞いてない。かつて『信長に逃れようがない証拠を突き付けられた』と言いながら今度は『服部半蔵は信康の無実を知っていた』と全く逆の説を作ったのは何故かと聞いているんだよ。
◎『次の天下は信康。だから家臣が庇うはず』?
切腹に至る前に、家康が信康の岡崎城に軍勢を率いて入城したという事実から考えれば、二人の間は相当険悪だったことがわかる。
そして和解のはずが激しい口論によって物別れに終わっている。
この時家康の意志による「信康処断」が明確になっていたとすれば『次の天下は信康』ではない、無駄に庇えば害が我が身に及ぶだけと家臣が判断したなら庇わないだろう。
というか君は以前『秀忠がいたから跡継ぎの心配は無かった』と言ってただろ?『次の天下は信康』発言は矛盾しているとは思わんか?

382:日本@名無史さん
07/11/26 13:28:43
◎ごめんなさい>>381>>374へのレスです。

383:日本@名無史さん
07/11/26 13:58:16
>>374
◎『徳姫と信康の不和に信長が信康-築山ラインを危険視した、と何回いえばわかる』?
言いたいことはわかるが「他の史料を読まないで都合のいい一方のみを『真実』と決めつけてしまうのは何故?」という質問には一体いつ答えてくれる?
『真実』であるという以上は君の『妄想』ではない根拠が存在するからであろうが、それはいつになったら提示してくれる?
『信長の命令』であったと考えたとき不自然な部分が多々ある、それらの説明(もちろん君の妄想抜きで、きちんと根拠を挙げて)はいつしてくれる?
これらが説明できないなら何回いわれようと私は理解しません。
◎『徳川正史と三河物語どちらが真実に近いかは今更調べようがない』?
何急に弱気になってんの?『後から出た史料が正しかった例はいくつもある』と言ったのは君だぞ。
互いに矛盾した記述が残されている時点でまず信憑性を疑うべきなんじゃないの?
これらの『どちらが真実か今更調べようがない』史料を丸呑みして『事実である』と豪語してるのは君なんだよ?
◎それから庇ったかどうかは知らんが、信康の切腹と前後して脱走、蟄居した家臣がいる。これらをどう説明する?

384:日本@名無史さん
07/11/26 16:06:55
あのね~◎さんよー。○大庭博は、ただ売れ残りの自著を早く売って借金を返済したい
だけなんだよ。
だから、いかに間違いを指摘されようが認めるつもりはないし、納得いかないから説明
しろって言ったって、本を読めば分かるの一点張りなんだよ。

そんなの相手にムキなってるなんて余程の暇人なんだね。

385:日本@名無史さん
07/11/26 16:38:49
>>383
まあ、僕は374じゃないけれど、定説としては信長の命令説なので
それに対しては、一定の敬意を払うべきだとは思う。

三河物語にしても、信長の命令説だし、信康を誉めているのも、
趣味は乗馬と鷹狩、戦の話ばかりしかしない、オタクだから立派だと言っているので
残虐行為ともそれほどは矛盾しないし。

以下、個々の点については触れないけど、
信長命令説で極端な矛盾は無いように思うけど。

386:日本@名無史さん
07/11/26 16:47:00
ハイハイ頑張ってネ。

387:日本@名無史さん
07/11/26 17:18:46
極端な矛盾てか、信長の動機がイマイチな気がす

388:日本@名無史さん
07/11/26 17:36:37
>>373 「何ら不思議でもなんでもない。○の知識不足」
『いかなる博士、学者』
故人の桑田忠親(1902-1987)や高柳光寿(1892-1969)を指してます?
まさか武田鏡村、細川広次、明石散人じゃないですよね?

『実直なる性格の光秀』
桑田の光秀評ぽい表現ですが、フロイスの光秀評は無視ですか?

『なぜ突然裏切ったのか』
「信長父子の悪逆は天下の妨げ 討ち果たし候 其の表の儀御馳走候て 
大垣の城相済ますべく候」(6月2日付 西尾光教宛光秀書状「武家事紀」)
公言できる理由として「天下の妨げ」だったとしていますが。

『光秀の家臣、兵士は何故、本能寺の変、その後も逃亡、四散せず従ったのか?』
『京都の盗賊よけの木戸』
「本城惣右衛門覚書」を読めば、疑問に答えてくれてると思います。

『大軍がスムーズに本能寺に到達したのか』
変当時の明智の軍制形態(兵13,000人の根拠、指揮者・所属兵士の出身母体や役割など)や
行軍道程(「3手に分けた」とされる軍団の歩行ルート・時間帯)などを精査してみれば?

『押し寄せる織田遺臣団、子供の大軍をどうするつもりだったのか』
明智軍団を含む信長直轄の地域(近江・山城・大和・摂津・和泉・丹波・丹後・
越前・若狭・西美濃)を制圧することで300万石を超える地域を押えることになり、
仮に1万石当り400人の動員体制が整えば、12万人前後の軍団となります。
実際に明智軍は10日ほどで山城・近江・西美濃を押さえて、ほぼ半分近くを制圧
しています。結果的には大和(筒井)・丹後(細川)・摂津(池田・高山・中川)
は味方することはありませんでしたけど。

389:日本@名無史さん
07/11/26 18:25:07
>>384
「売れ残りの自著を早く売って」
手持ちの80冊を古本屋に売っても2万円にもならないけどね

390:日本@名無史さん
07/11/26 19:13:40
>>383 
○のいう「柴田勝家同盟説」は銀山光秋「聖戦、マハーカーラの女」(1997 近代文芸社)では
一切触れられていません  念のため

391:日本@名無史さん
07/11/26 22:10:45
>>385
定説てどこの話だ?極端な矛盾つうか「信康切腹は家康からの上申であり、信長は好きなようにしろと答えただけ」という史料が実際にあるんだよ。

392:日本@名無史さん
07/11/26 22:17:40
毎日毎日よくやるねw

393:日本@名無史さん
07/11/26 23:44:35
>>391
当代記かもしれないけど、それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
である以上、相当の異説ではないのかな。


394:日本@名無史さん
07/11/26 23:58:51
>>393
>それ以外のその当時の資料は基本的には信長命令説を採っている。
例えば?

395:日本@名無史さん
07/11/27 02:07:00
>>393>>385かい?
◎は別に「信長の命令ではない」と断言はしてないんじゃね(敬意を払っているかは知らんが)?
だが○は「信長の命令で間違いない」と断言している。それに対して◎が「根拠あるの?」ときいてるだけの話。
まぁ○は答える訳ないんだがな。

396:361
07/11/27 03:16:59
>>389
大庭博先生の計算では、
1冊200万円で売れるので、合計1億6千万の売上となるはずです。
そのために、毎日ここで必死に宣伝しているのです。
金持ちを騙して売りつけるのが目的なので
貧乏な研究者がなんと反論しようが、全く眼中にはありません。

397:日本@名無史さん
07/11/27 04:52:19
>>393のように史料名を書かないヤツって基本的に雑魚だよな。○も書かない、いや書けないのだがw

398:日本@名無史さん
07/11/27 04:53:27
つか三河物語は信長の指示とか命令とか一切書いてないけどねw

399:日本@名無史さん
07/11/27 04:55:47
あ、>>398と書くとアホみたいに食いついてきそうだが、原文読んだらいいぞw

400:日本@名無史さん
07/11/27 08:08:36
>>396 
アマゾンで802円で手に入れたが、与太話満載のトンデモ本
古本屋も持込みお断りかもw


401:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:14:18
>>381●●「家康は家臣の讒言に騙され、猜疑心から独断で信康を殺した」という君の説に、仮説をとっても
矛盾するからだよ。それなら服部半蔵は喜んで信康を殺していなくてはならない。主命だから。
ところが涙で首を斬れなかった。にもかかわらず、あとから重用、信頼されているんだからな。
●家康の猜疑心から信康との間が険悪になった。そこをとりなしたり、諫死するのが信康の家臣
のとるべき道だろう。次の国主に信康がなったら、家はピンチを救ってくれたと繁栄する。
しかし、そういうカバーがない。
●「秀忠は生まれたばかりで徳川家は後継ぎに不安があった」
しかし「家康は猜疑心から、後継ぎの信康を喜んで独断で殺した」
と矛盾したことを書いたのは君。
>>383●君が「信康は家康が独断で殺した」と
通説の「信長の命令で、家康は信康を殺した」異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は信康問題の専門家ではないのでね。
●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。


402:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:27:59
>>388●●●「天下の妨げ」●●●
「天下」は、アメガシタとか、アメノシタと書くこともあるが、
昔は「朝廷・国家」を意味したのだよ。古典などではね。

●本当に常識が無いな。
一万三千、五千くらいで、三百万石の領地をあっさり征服できる?
そして、その征服地があっさりと兵や兵糧を出すとでも思ってるのか?
それに一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ。
しかも主殺しと悪名を立てて、勝つかどうかもまだわからない明智軍に?
●暫くは様子見だろうし、敵討の織田遺臣団が大軍ならそちらに味方したがるだろう。
光秀が、そんなこと考えてなかったのは、配下の与力大名に人質を強要していないし、
京都から主軍を大きく移動させてないのを見ても明らか。

403:日本@名無史さん
07/11/27 10:35:23
>>401
そっくり君の言葉をお返ししよう

君が「本能寺の変の黒幕は朝廷である」と
通説の「光秀は単独で謀叛を起こした」に異説を唱えているんだろう?
だったら万民を納得させる「真実を証明する文書、手紙」を出さなくてはならないのは君。
私は本能寺問題の専門家ではないのでね。

さっさと「真実を証明する文書、手紙」やらをここでだしてみろよ。
2ちゃんで研究者と「議論」をしたいんだろ?

404:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:38:55
>>388●●●「明智の兵はいくらも逃亡できたし、織田軍に味方もできた。がしていない」
●フロイスの明智光秀の評価は一方的にして、伝聞であるのは明らか。
●明智の将兵は、いくらでも本能寺の変の後、主殺しと知り、逃亡、四散して逃げるチャンスはあった。
にもかかわらず、大半が天王山まで光秀に付いていっている。
●当時の京都は火付け盗賊などを警戒し、木戸などがあり、警戒厳重だった。
とても短時間の大軍通過は無理。
そもそも、明智がスムーズに到達したのは、案内役が来たから。
でなければ、なんで京都、西国への別れ道、老いの坂あたりで
真夜中に大軍が休息しているのかわからない。

405:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:47:53
>>340●とんでもない無知が書いてます●

延暦七年[788]最澄が、比叡山に一乗止観院なる草庵を作る。
「延暦寺」なる寺号が許されたのは「弘仁14年」824年。

●この寺が鬼門封じに関係していてのは、後に天海が
江戸城鬼門封じとして東叡山寛永寺を創建している。

406:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/27 10:56:26

●日本史二千年でただ一冊、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、本物は揺るぎもしない。
虚偽と詐欺師だらけの世の中で、この一冊のみには嘘がない。

>>400>>403●この世で最も本能寺の変の真実に近い書物、その証拠品を捨てて何を得るつもりなのか?
味方は君のでっちあげとこじつけの書物を喜んでも、
君の敵はこんなでっちあげと、
大嘘で金儲けしていると喜んで叩きまくるだろう。

なぜなら、真実を知るものから観ると様々な矛盾が生じるから、、、


407:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/27 11:08:23
今日も孫の博の妄想にお付き合いいただきありがとうございます。

>>400
是非とも直接、孫からお買い上げ下さい。一冊300万円(税別)でございます。


408:日本@名無史さん
07/11/27 13:07:01
>>405
最澄が比叡山を修行の場に選んだ事は無視か

まあ鬼門をまるきり気にしてなかったとは言わないが

URLリンク(imepita.jp)
で、内裏の北東に誰が住んでたって?
晴明神社の事を言ってるんだろうけど、どこにあったって?


409:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:47:55
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。


410:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:52:25
 正神からの頼み事
 一番尊い所(日本)一番落としてあるのじゃ。この事判りて来て天晴れ世界唸
るのじゃ。落した上に落してもう落す所無い様にして上下引っ繰り返るのじゃ。
この道難しい道でないぞ。欲離れて、命離れてなる様にしておりて下されたら
それでよいのじゃ。またまた俘虜になる者沢山あるなれど(太平洋戦争)、元に
帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ。次に又捕へられる者出
て来るのざぞ(ハルマゲドン)。次は酷いのざぞ。神の国は誰が見ても、どう考
えても、二度と立ち上れん。人民皆外国につく様になってこの方の申した事、
神示に書かした事、皆嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて神力現
れるのざぞ。
 世界中総掛りで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山が動くまでにはどんな事も耐えねばなら
んぞ。上辛いぞ。どんな事あっても死に急ぐでないぞ。
 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍してくれとどんな臣民も申すぞ。人民
には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な
いし神も閉口ぞ。酷い所程身魂に借銭あるのじゃぞ。身魂の悪き事している国
程厳しき戒め致すのであるぞ。毒にも薬にもならん人民草木に替えてしまうぞ。
 この行は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない行である。
この行が出来ねば灰にするより外ないぞ。
 向うの国幾ら物ありても、人ありても、生神が表に出て働くのざから、神無
き国は何れは往生ざぞ。この神の申す事よく肚に入れて、もうかなわんと申す
所堪えて、またかなわんと申す所堪えて、愈々どうにもならんと言う所堪えて
頑張りて下されよ。神には何もかもよく判りて帳面に書き留めてあるから、ど
こまでも死んでも頑張りて下されよ。その処まで見届けねば、この方の役目果
たせんのざ。可哀そうなれど神の臣民殿、こらえこらえて誠どこまでも貫きて
下されよ。誠の生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手
柄たてさして、神から厚く御礼申して良き世に致すのであるぞ。万劫末代まで
名の残る様にして、この世の神とするぞよ。神々は楽隠居するなり。


411:日本@名無史さん
07/11/27 13:57:54
>>401
◎何なんだろう、この人は。
◎『◎の仮説なら半蔵は喜んで信康を殺さなくてはならない』?
半蔵が涙を流したと本気で信じてるの?別に私はそれが嘘とまでは言わないが、何か出来すぎた話だと思わない?
◎『信康のピンチを救えば信康が跡を継げば家は繁栄するが、そうした家臣がいない』?
次代のことを君は言うが「今があっての未来」だと思わないかね?
『家忠日記』によれば天正七年八月十日に家康が岡崎を訪れ三河の国衆が岡崎城へ呼び出される。そして三河の国衆に信康に従わないという起請文を書かせた。次の当主の前に今の当主に従わず家を失うハメになったら未来もクソもないと思わないか?
◎『跡継ぎに不安があるのに家康が信康を殺すという矛盾を言ってるのは◎』?
…あのさ、確かに信康の方が立派に成長していたし幼少の秀忠より跡継ぎに相応しいだろう。
その跡継ぎ信康に追放されるかもしれないとなった時家康が、『でも信康は立派な跡継ぎだから俺が信康に追放されても徳川は安泰だ~』なんてことになると思うの?
自身が追放されるかもしれないとなれば跡継ぎどうのこうのなんて考えてる場合ではないだろう?

412:惟神塾へ最終章
07/11/27 13:59:14
 天地のことわり
 天地の理書き記すぞ。現界は物の液体、物の固体、物の気体、物の気から出
来ているぞ。霊界は霊の液体、霊の固体、霊の気体、霊の気から出来ているぞ。
 死ぬか生きるかは人民ばかりでないぞ。神々様も森羅万象のことごとくが同
様であるぞ。暫くの生みの苦しみ、八の世界から十の世界になるのであるから、
今までの八方的な考え方、八方的な想念や肉体では生きていかれんのであるぞ。
十方的想念と肉体でなくてはならんぞ。
 太陽は10の星を従えるぞ。原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。
人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ。二二と申すのは天照
大神殿の十種の神宝に魂を入れる事であるぞ。これが富士の仕組み、七から八
から鳴り鳴りて十となる仕組み、なりなりてあまる鳴門の仕組み。
 何もかも前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから言葉の含みが
判らんから取り違いばかり、国土の上は国土の神が治らすのじゃ。世界の山も
川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に数で創ったのじゃ。愈々が来た
ぞ。国常立が国尋立となるぞ。
 地は黄であるぞ。真中であるぞ。天は青であるぞ。黄と青と和合して緑、赤
と和して橙となり、青と赤と和して紫となる。天上、天下、地下となりて、六
色となり六変となり六合となるのじゃ。更に七となり八となり白黒を加えて十
となる仕組み。
 横の十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、縦の十の動きがウマシアシカ
ビヒコジであるぞ。十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も
未来も霊界にはない。今があるのみ、これを中今と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、
日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗劔殿、地震の神
殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、救世神は素盞鳴大神なり。
このこと判りてくだされよ。教はなくなるぞ。元の道が光り輝くぞ。これを惟
神の道と申すぞ。


413:日本@名無史さん
07/11/27 14:08:35
>>401
◎『万民を納得させる証拠を出せ』?
そもそも信長の関与が疑わしいということは昔から指摘されていることで信康切腹について信長の命令があったか否かは未だ真相は明らかではありません。
私は「そういう説があるけど?」と書いまでだが、君は『信長の命令で間違いない』と言い切った。言い切ったからには根拠を挙げてと言っても挙げてくれませんね?
専門家でもないのに何で『間違いない』なんて言うんですか?
◎『信康謀叛で担ごうとした家臣の処分がその程度なのは非常識』?
私の『仮説』なんで何とでもどうぞ。しかし『信長の命令』であった場合、何故これらの家臣達>>90が処分され逃げ出したのか説明できますか?

414:日本@名無史さん
07/11/27 14:09:08
>●家康が謀叛の疑いかけ、長男信康と正妻を殺しているのに、信康を担いで大騒ぎにした謀叛分子、
>重臣らが、それくらいの処罰ですむなど、君は非常識。

さて有名な武田義信の謀反疑惑で、処罰されたのは誰でしたでしょうか?
放逐なんかはかなり重い罪なんですがw


415:日本@名無史さん
07/11/27 16:03:56
>>401
>>411に付け足す。
◎…と言えば君は『ならば信康を時間をかけて説得するはず』と言うんだろう。
家忠日記にあるように家康と信康の関係が険悪であり、更に謀叛の嫌疑がかかったとなれば説得などという温情をかけるとは考えにくいと思うが?

416:日本@名無史さん
07/11/27 16:26:42
>>406
「聖戦、マハーカーラの女」バカ博著

出鱈目、でっち上げ、こじつけ、孫引き、基本的な知識不足、嘘満載の本の宣伝に
必死なのはわかるが、>>390で指摘されている通り、書いてないものを書いていると
言ったりするのかなあ

417:日本@名無史さん
07/11/27 17:24:03
>>402
「一万石は二百五十から三百人くらいしか動員できんぞ」の根拠は?
孫引きの際には出典を明記してね




418:日本@名無史さん
07/11/27 17:25:07
だから『マハー』第二版には書いてあるんだよ。

ただ、それを出版するにはまず借金を返済しなきゃならないから、本人も必死なんだよ。
それと、変質的とも言える執拗な書き込みは、何処からか出版の話しが来ないかと淡い
期待をしているのかも知れないね。


419:日本@名無史さん
07/11/27 17:41:07
>>417
「光秀は近江・丹波三十四万石、大体一万石で動員できる兵力は余裕をもって二百五十人、切り詰
めて三百人前後。配下の組下を集めて、やっと一万三千前後。」(『マハー』第一版p198)



420:日本@名無史さん
07/11/27 19:36:45
本能寺ガル夫がどうしたって?

421:日本@名無史さん
07/11/27 19:38:51
『近江・丹波三十四万石』は、近江志賀郡5万石+丹波29万石ってこと?
○説 13000人の計算根拠
340,000×300÷10,000=10,200人+配下の組下α≒13,000人

ここでも「通説」を鵜呑みしているだけで頭悪そうだなあ

422:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:25:15
>>411○「じゃあ聞くが、なぜ半蔵が信康を斬れなかったなどという話が残る」
下っ端の半蔵の態度ごとき、別にあってもなくてもどうでも良い話だろ? なぜそんな話がわざわざ残されてる?

●しかも信康が家康を追放しょうとしたという証拠、手紙、陣ぶれ書は何も無い。
●家康の猜疑心が信康を殺したというが、猜疑心の強い人間なら謀叛の根は
自分が有利なときに徹底して摘むはず。
●信康後見人「石川数正」何の咎めなし。その子は関が原で東軍について所領安堵。
「平岩親吉」のちに十二万三千石の大名。
●信康家臣岡崎三奉行「本田重次」「高力清長」「天野康景」
いずれも処分されず後に大出世。
家康を殺すほど、担いだ神輿が殺されるほどの謀反を企んだ、
謀叛を疑われた重臣が処分どころか大出世。
○後継ぎに不安があるのに、優秀な後継ぎ信康を猜疑心から喜んで殺すという家康。
馬鹿らしい。軍を捨てて信康はおとなしく恭順したのだ。どこぞの城で軟禁し、後継ぎはお前だけと時間をかけ、
重臣、家康本人が説得し、心を掴むのが本筋だろう?

423:日本@名無史さん
07/11/28 10:26:25
◎とりあえず手始めに信康切腹に前後して数人の家臣>>90が蟄居、出奔した事実について説明してもらおうか?

424:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:36:16
>>413○「ちゃんとその専門家の桑田忠親博士が
信長の命令で信康は殺されたと書いてるだろ」

○私は信康問題の専門家ではないので、彼の通説に従ってるだけだよ。
君は桑田博士の論に文句を付けれる程偉いのか?。決定的な証拠を出さねばならないのは、
文書なり手紙なりだが、異説を唱えた君の役目。
○長男信康は家康の命を狙うほどの謀叛を企んだと、家康に疑われた訳だよね。
しかし、家康を追放するほどの謀叛は一人では出来ないな。
信康と正妻を殺すほど家康が恐れた謀叛。疑い深い主君に徹底した粛清がされると思わないか。
しかし、信康の後見人、側の家臣は後に大出世。
信康の首を斬れなかった半蔵ものちに重んじられる。
主君の命を殺す、追放を企んだ主のもっとも側に居た有力者どもがね?


425:日本@名無史さん
07/11/28 10:46:05
>>422
◎『何故半蔵の逸話が残る』?
徳川方が泣く泣く信長の暴挙に屈しなければならなかったという美談にはなるな。
◎『家康が信康を追放しようとした証拠が無い』?
実際に追放、いくつかの城を転々とさせられてますが。
◎『石川数正→何の咎めなし』?
彼が突如として一族を引き連れて家康の元を去った原因はどう考えます?
◎『本多重次→大出世』?
彼の晩年は成功したと言える?
◎『跡継ぎに不安』?
その不安と「跡継ぎに追放されるかもしれない不安」どっちが恐ろしい?
◎『信康が恭順』?
最終に家康と口論となりその後に追放ですが『おとなしく』とはいってない気が…。
三河の国衆の岡崎詰めは信康の指示だったと言われている。それを家康が口を差し挟み「在所へ帰れ」という命令を出した。
これは松平家忠が深溝に引き揚げたという彼の日記にも記述がある。
家康が三河国衆に対して信康の意と反する命令を出すこと自体、この時すでに二人の間が険悪だったのでは?という推測にも繋がる。

426:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 10:51:53
>>407>>416○○○本能寺の変、天正十年六月二日○○○

当時の天下人織田信長が、京都本能寺で襲殺された事件。
それなくしては豊臣秀吉、徳川幕府、ひいては明治維新すら存在しなかったのではないかといわれる、
日本史の大転換点、、、
しかし、なぜ、織田信長が殺されたのか、明知光秀はなぜ突然裏切ったのか?
その動機に対しては、じつに四百数十年に渡り、様々にいわれてきた。
戦国史最大の迷宮、、、
しかし、その真実は、「朝廷説」「明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家」だったのだ。
それを解明したのは、四百年前に絶対権力者の眼を逃れて残された証拠品だった。
それを解明した最初の書物
「聖戦、マハーカーラの女」

そして、本物の世紀の暗号「本能寺・コード」、、
「京都秘密文書」、、

日本の戦国史最大の本物。
日本人は自国の歴史を大転換させた事件の本物の証拠品に、
それほど安い値段しか付けないのか、と笑われよう。

427:日本@名無史さん
07/11/28 10:57:42
>>424
◎『桑田博士が言っている、その説に従っているだけ』?
何故「前田本安土日記」など信長の命令ではなかったという記述がなされた史料を読まずして『信長の命令で間違いない』と決めつけてしまう?
私ごときが指摘する前からいろんな学者が『信長の命令説』について異論を出してるよ?
◎『証拠を出せ』?
現在真相はわかっていない。証拠があればとっくに解決してるよ。だが君は間違いないと断言した。君がその根拠を出すべきだろ?
◎『家康の命を狙うほどの…』?
私の『仮説』、『フィクション』です。
石川数正、伊奈忠次は何故出奔しなければならなかったのだろうね?

428:日本@名無史さん
07/11/28 11:01:27
◎こりゃいかん、>>425の『家康が信康を追放云々』は逆になってたな。すまんな○よ。

429:日本@名無史さん
07/11/28 11:04:21
◎どうした?>>90について説明がないな?
伏せ字でわからないってオチ?
一人だけうっかり明かしてしまったが。

430:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/28 11:06:45
>>425○馬鹿馬鹿しい。
「軍を離れ、無力化した信康を、わざわざ恐怖心から殺す」のか?
家康がそんな臆病者、よく調査しない男でないのは後の歴史から明らか。
○後継ぎに不安のある家康。
信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
なんでそういう余裕を見せられなかった?
大事な跡取り、わが子なのに。


○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?


431:日本@名無史さん
07/11/28 11:16:32
>>430
◎まだ私ごときの『仮説』にぐだぐだ言ってるの?
◎『家康が慎重』?
だから妄想憶測を根拠にするなっつの。慎重なら何故信長の命令を受けた時点で調べない?半蔵の『忍者の情報網』で無実が明らかならそれを信長に提示すれば万事済む話だろ?
◎『石川数正、本多重次、伊奈忠次』
石川数正、伊奈忠次はどうして出奔したんだろうね?説明してくれる?

432:日本@名無史さん
07/11/28 11:19:02
◎というか『桑田博士の説を採っているだけ』ってことは君自身は徳川正史なども読んでないの?
それで『信長の命令で間違いない』と言ってるの?

433:日本@名無史さん
07/11/28 11:41:19
その桑田博士が、本能寺の変は怨恨説の立場をとっておられることは、
何度も指摘されてるのに今日もスルーですか?

434:日本@名無史さん
07/11/28 11:58:57
>信康を殺すより、一時軍を離れさせ、出家でもさせて恭順の様子を見る手もある。
>で、疑い晴れれば、また側において後継ぎ教育するとか。
>なんでそういう余裕を見せられなかった?
>大事な跡取り、わが子なのに。
へ?こんな事例は多々あるんだけどw
武田義信は大事な跡取りなのに、どーして自害したも?w

>○そんなに家康との関係が悪化していれば、信康を担いでいる側近どもが側、城から軍を
>簡単に手放すものか。粛清される可能性があるからな。
>状況が緊迫してないから軍をおとなしく帰したんだろ。
粛清されたじゃんw
当主と跡継ぎでは権力も支持数も違うからだろw

>○石川数正、本田重次のちに大領を得ているぞ。
>しかも信康側近の後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。
>謀叛を企むのに信康は有力な後見人に相談しなかったのか?
石川数正と本多重次が大領を詳しく説明してみてくれw
後見人平岩親吉は?十二万石も領地を貰っている。←これも詳しくな

史料を使って説明してくれw

435:日本@名無史さん
07/11/28 12:16:54
統合失調症の症状

現実と想像を区別する現実検討能力に障害をきたし、その区別がつかなくなったり曖昧になったりする状態となる。
その結果、幻覚や妄想等の症状が出て、普通の人との意思疎通が困難となったり、誰もが現実であると認識している
事柄を現実として受け入れることが出来なくなったりする。


436:日本@名無史さん
07/11/28 12:34:45
統合失調症の症状(つづき)

「妄想」
現実的でない間違った考えを正しいと信じ込み、その確信が強い為に間違いを訂正する事が
出来ない症状
「幻覚」
実際には存在しない声が聴こえたり、その声に命令されたりする幻聴や現実にはないものが
見える幻視などが代表的。
「思考奪取」
自分の考えている内容が他人から抜き取られたり、覗き見られていると思い込んでしまう症状
「思考の吹入」
自分の考えている内容が、他人から無理矢理吹き込まれたものだと思い込んでしまう症状
「妄想気分・妄想知覚」
明らかに現実的な恐怖がないのに、何か恐ろしいことが起こるに違いないと確信して不安な
気分になる症状
外界の事物に対して自分だけにしか分からない意味を与えて知覚したり、雨の日には不幸が
起こるなど、本来、関係のないものを結びつけて迷信的に信じたりする症状
「連合弛緩」
今まで学習してきた観念の連合(言葉とモノの結びつき・意味の関係性)がバラバラになり、
話していてもあるテーマから、突然、何の脈絡もなく別のテーマに飛躍したりする。
この症状が進行すると、話している内容が支離滅裂となり、通常のコミュニケーションが
困難となる。

437:日本@名無史さん
07/11/28 13:41:10
>>405 「また大ウィキ辞書からの引用」
『「延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。
開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年
(824年)のことであった。』

弘仁14年=西暦823年

438:日本@名無史さん
07/11/28 21:22:12
>>433でも言われてるが桑田氏の言うことなら正しいとしながら
氏の本能寺の変怨恨説を採らないのはなぜかいい加減に答えろよ。
もう一度言っておくが氏は20年前に亡くなってる。
君の説は20年前のレベルだということだ。
その間の学問の進歩というものを考えろ。

439:日本@名無史さん
07/11/29 05:59:48
◎仕事が今終わったので寝る前に何となく書き込ませてもらう。時間も時間なんでsageておこう。
◎何故このスレで信康の件のやり取りがされているのか。○の『本能寺朝廷黒幕説』には『光秀=天海説』も含まれている。
◎ある時私が「何故家康はお尋ね者となった光秀を匿い重用したのか?」と質問したところ、○は『信長は徳川家の取り潰しを画策しており、結果的にそれを未然に防いでくれた光秀の恩義に報いる為だった』と言った。
私はその取り潰し計画の根拠を問うと『信長が信康の切腹を命じた、これが根拠だ』と回答してきたのだ。
そこで私は「信長の命令ではないという史料もあり、信長の命令では不自然な点、当時の徳川家内部の不穏な動きも指摘され信長の命令だったとする説は疑問視されつつあるが…」と書いた。
そこから議論が続いている。

440:日本@名無史さん
07/11/29 07:50:15
◎そしていろいろ言い合っているうちに○は『信長が信康切腹を命じたのは織田家に対する忠誠心を試すため』と言い出した。当初語っていた『徳川家取り潰し』がすり替わってしまったのだ。
◎まぁ結果的に信康が消されれば徳川家は弱体化するので筋は通っているように思っていた。
◎そして更に「家の存続を一大事とした当時、嫡男の処刑を命令したとなれば忠誠心を試すどころか徳川の離反を招く恐れもあったのでは?」と質問した。
すると○は『家康と側室との間に秀忠も産まれていたので信長は家康が後継者について悩むことなく信康を切腹させるであろうと調べあげていた』と言った。
◎何かおかしい。秀忠がいて後継者の不安がないのなら徳川家弱体化には繋がらないし、処刑されてもいい嫡男を殺させたところで忠誠心を示すことにはならないのではなかろうか?


441:日本@名無史さん
07/11/29 07:51:59
ところで、信康切腹に関しては、発端が徳姫の不満→信長の叱責
→家康の夫婦仲仲裁(失敗)→不穏化

という流れで、資料の整合性がかなり取れると思うのだけどね。
徳姫が何らかの不満を実家に訴えたらしい事は”松平記””創業記””実記”等に
見られる。
信長が何らかの叱責をしたらしい事も上記資料に見られる。
夫婦仲が険悪であり、家康が岡崎まで仲裁に来た事は、一級資料である
”松平家忠日記”に記載されている。(岡崎追放の少し前)

三河物語もそれ以前成立の松平記程具体的ではないが、上記流れを踏襲している。


442:日本@名無史さん
07/11/29 08:02:52
1970年代あたりから、上記説を疑問視するものとして取り上げられる
”当代記”(酒井忠次が信長に、信康謀反の疑いと伝え、信長が家康の
好きにせい、といったとの記述)は時期的にも家康の夫婦仲仲裁失敗後
のことであり、おおきな矛盾はないと思う。
(原因としてではなく、結果としての、ある種の”謀反”
を大きく取り上げすぎていると思う。)

443:日本@名無史さん
07/11/29 08:11:56
疑問説に使われる、他の記述
徳姫が信長に助命嘆願をしようとしたとの記述も、家康の説得により、
信康が譲歩する形での、仲裁の成立を望んでいたとすれば当然。
日記という一級資料に仲裁の事実は記載されている。
岡崎追放(二俣幽閉)の少し前まで、家康が夫婦仲の仲裁を
しようとしていたという事の意味を考えるべき。

444:日本@名無史さん
07/11/29 08:22:52
逆に、織田家の関与を否定する説を取ると
①松平記、創業記、実記やそれ以外でこの事件の原因等に触れた資料が
全くの出鱈目を書いていることになる
(編集者や著者の、少々の誇張、若干の事実誤認、等ではすまない類)

②その後の家康の信康を悼む発言(酒井に対する皮肉も含め)も奇妙な
発言になる


445:日本@名無史さん
07/11/29 08:26:30
このスレ、大庭博を無視した進行になると、
たまに勉強になる話があるからあなどれないw
博くんの書き込めない土日、連休とか、
まれに「ここ良スレ?」て思うような時あるしなw

結局、史料や根拠をもとに筋道立てて議論するということができない
妄想ばかりを語り、知ったかばかりで、他人の指摘・批判は一切聞く耳持たない
約一名の頭の悪い子のせいで、いつも糞スレに戻るんだけどね。

446:日本@名無史さん
07/11/29 08:35:52
あと、疑問説論者が>>444のような捏造が行われた原因に関し
後世の家康美化と言うものがあるが、

謀反を起こした疑いのある自分の息子を殺すとイメージが悪化し、
織田家の意向に震え上がって、自分の奥さんと子供を殺したとすると
美化になるというのは、現代的な感覚過ぎる気がする。


447:日本@名無史さん
07/11/29 09:36:30
家康は儒教好きだからなぁ。親子関係が悪かったってのは汚点かもよ?

448:日本@名無史さん
07/11/29 10:03:19
家康つーか、江戸時代になると儒教的価値観が幅きかすようになるよな。

>>446
内輪揉めがあったと言うこと自体、徳川家の恥というのも考えられるよ。
三河武士は家康を中心に鉄の如き団結だったという神話を作るためにも。

俺的には、どちらの説に分があるか決めかねるという状態だが、
内紛があり、かつ信長も関与したという、
折衷案的なものは考えられんのかな?
原因を一つに絞る必要は無いんじゃないかと思ったりもする。

449:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:15:21
>>539●●●「光秀天海説の仮説に文句を付けている。文章をよく読め」●●●
○○○何を勘違いしているんだ。「光秀天海説」は明智光秀が後に徳川幕府の黒幕南光坊天海になったという説で、
面白いので、何人も昔から支持者が居る。
「家康が長男信康を信長に切腹されられ、恨みに思っていたので謀反人光秀を採用した」
「光秀が家康に取り入るとき、安土では実は家康暗殺計画があって、命を助けるために変を起こした。と嘘を言えば
重役として採用されたかも」
というのは、光秀天海説支持者らの唱えた論である。
私も面白い説と取り上げ、
「明智光秀の背後に朝廷勢力、貴族があれば再び僧侶として復活は可能」と書いた。
ところが◎は何を勘違いしたのか「信康は家康が独断で殺した。根拠もあるので、光秀天海説など成り立たないかのごとき
異論を唱えたのである」。私は信康問題の専門家では無いので、信長の命令という俗説で、光秀天海説の仮説展開には、
充分ではないかというのに、◎は古い資料を持ち出し、
「本能寺の変議論スレッドに延々と書き続けている。
「松平信康は家康が謀叛の疑いをかけ、独断で殺した。そして、信長の命令などなかった」と。




450:日本@名無史さん
07/11/29 10:26:39
>光秀天海説支持者

誰?


451:日本@名無史さん
07/11/29 10:29:00
それより>>438は今日もスルーか?
都合の悪いことから逃げてばかりいるなよ。

452:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:31:53
>>439>>440そこで私は◎の熱意に対し、なかなかの専門家のようだが、幾つかの基本的疑惑、状況に矛盾はないかと問うたのである。
●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
中には大名になったものも居る。
●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
●信康の側近家臣に不行跡の後をかぶって切腹したり、家康の疑いに諫死したものがない。
次の国主信康は確実なのにである。
●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、
根拠とする。



453:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の祖父
07/11/29 10:36:38
本日も孫の博のお守を宜しくお願いいたします。

そして、出来れば孫の愚著をお買い上げお願い申し上げます。

454:日本@名無史さん
07/11/29 10:40:58
>◎は古い資料を持ち出し、

>◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、根拠とする。

大庭博先生には正史が全て。古い史料には何の史料価値もないようでwww



文献学の基礎からやって出直してこい。

455:日本@名無史さん
07/11/29 10:48:41
>>449
「家康が独断で?」
誰がそんなこと言った?
「当代記」には家康が信長の意向を聞いた上でとあると
書いてあると言っている。
勝手に人の説を改ざんするな。

456:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 10:55:34
>>439>>440●●●●「いくら一級資料でも織田家、信長が隆盛のころ、恐れられていたときの史料と、
その力を無くして、徳川家が権力を持って、好きにかけるようになった時代の史料とでは違うだろうと思われるのにである。

●●●すると◎は「家康は、酒井忠次の讒言を信じて、信康に謀叛の疑いをかけ、恐れて殺した」
といい始めた。
しかし、後から讒言とわかったなら酒井を処分すると思われるのだがそれもない。
信康謀叛を恐れ、正妻築山も殺したのなら、禍根の根を絶つべく、信康を神輿にし、担いだと思われる
有力家臣も粛清、切腹するはずだがそれもない。
「家康は猜疑心が強く、自分の命に係わる謀叛が内部に起こったと考えている君主の筈」
なのにである。
それどころが、信康の後見人らは後に大名に、三奉行も出世している。
信康を担ぎ、謀叛を企んだとされる、あるいは疑われた家臣らが?

この奇妙な後の状況に対してはやはり「信長の命令により、やむなく家康は信康を殺した」
とするのが妥当であると思われる。だから謀叛を企んだ側近、後見人が粛清されてないのである。
信長は愛娘を与えたのに夫婦仲がうまく行かず、さらに信康母築山殿が今川義元の妹の娘であると
いうことに不安を抱き、危険視したと思われる。武田と長年血戦してきた徳川が、
今更謀叛も出来まいという計算もあったと思われる。
桑田忠親博士の説によればすでに織田は徳川を相手にしても、
どうということはない勢力であったとする。
信康切腹問題は、やはり信長の家康への忠誠を試す試金石であったとする説の方が
が妥当、無理なしと思われる。





457:日本@名無史さん
07/11/29 11:00:56
で、その桑田博士が本能寺の変怨恨説を採っているのに
君は何故従わないのかな?
そろそろ答えてくれないか。

458:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:08:03
>>451>>457●●●桑田忠親博士の怨恨論に対しての疑惑だろ●●●

●「時は今、あめが下知る五月かな」光秀という、本能寺の変前の句。
怨恨説への反論者は、
これを天下を土岐氏出身の光秀がしろしめる、統治する
天下をとるという意思表示であると反論する。
思いつき、ただの怨恨なら、変前にこんな句を詠むかと。

459:日本@名無史さん
07/11/29 11:09:30
○は信康の死が家康自らの意思であると認めると
自分の著書と矛盾が出るので必死になって否定してるだけ。
その否定もやたら長文で説得力があるように見せているが
まったくそうではなく独り善がりの論理ばかり。
まあ呆れるとしか言いようがない。
都合の悪い質問には答えないのもフェアじゃない。


460:日本@名無史さん
07/11/29 11:12:41
>>458
そういうことを聞いてるんじゃない。
本能寺の変についての桑田氏の見解が間違ってるとしながら
信康の死については氏を金科玉条のように扱うのはなぜかと
聞いてるのだ。
矛盾してるだろ。

461:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:20:02
>>460●あんたは馬鹿か? 
桑田氏の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。

●しかし信康問題は全て桑田氏は大正解かもしれない。
これは私は信康問題の専門家ではないし、
決定的な証拠品を誰も提出していないので、
間違いとはいえないのだ。

462:日本@名無史さん
07/11/29 11:23:32
>私は信康問題の専門家ではないし
それにもかかわらず「信長の命令で間違いない」と
言い切ってるね。
どうして?

463:日本@名無史さん
07/11/29 11:24:16
>>461
あんたは馬鹿か? 
大庭博の論は本能寺の変に対しては確実に間違っている。
私はいろいろやってきたから、これは断言できる。

464:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/29 11:33:19
>>453○○○警告一○○○

○本物の中の本物のダイヤを、本物と見抜くこと
も出来なかった鑑定士、人間の店など、誰も行かなくなるだろう、、、

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実、、、、

そして、四百年前、絶対権力者らの目を逃れて残された
「本能寺・コード」
「京都秘密文書」

真実は、生きている、、

>>453○○○他人を装って出鱈目を書きこんだな。
確かに警告したぞ。


465:日本@名無史さん
07/11/29 11:40:38
>>453ではないが自ら出鱈目ばかり書いてる博クンに
そんなこと言われてもねえ。
痛くも痒くもない。


466:日本@名無史さん
07/11/29 11:44:13
>>456
◎『◎は酒井忠次の陰謀だと語り始めた』?
前のスレで私が初めてその『仮説』を書いた時にその最後に「これは私の想像であり仮説であります」と事実ではない旨を書いておいた筈。
○は延々とその架空の話にケチをつけ続け『信長の命令で間違いない』と断言しておきながらその根拠を示そうとしない。
◎更には私が「信長の命令ではなかった」旨の記述があるものとして紹介した前田本安土日記については『前田家の風説を集めた物だろ』という驚愕の発言をし、史料丸ごとを否定するという暴挙に出たのだ。

467:日本@名無史さん
07/11/29 11:51:57
>●謀叛を疑われた信康がすぐに軍から離れて無力化しているのに殺されている。
存在自体が危険なんですがw

>●織田信長の愛娘徳姫を嫁に貰い、その後ろ盾、援助は確実である。
>また徳姫は織田との同盟に対し最高の人質である。家康から信康を殺すのは利害に合わない。
織田とは同盟でなく従属なんですがw

>●信康は最期は二俣城に軟禁され、矯正、再教育の余裕、時間は多くあった。しかし、すぐ殺された。
そんなのを行った例を挙げてw この当時こういう一族争いで、成功した例皆無なんですがw

>●信康を担ぎ、謀叛を企んだという側近家臣、後見人が後にさしたる処分もなく、出世している。
>中には大名になったものも居る。
そんなの当たり前ですがw 許されて帰順してるのだからw

>●家康の後継ぎ秀忠は生まれたばかりで、後継ぎに不安があった。
>にもかかわらず、家康は信康を喜んで独断で殺したと◎は書く。
>戦国時代に、後継ぎに不安があればいくら我儘でも信康を殺すだろうか?
秀康もいますがw 秀忠が後継者と選ばれた時期も知らない無知ですなw

>●さらに信康の最期が具体的に残っている。服部半蔵が首を斬れなかった。
>「信康は父に刃向かうなど考えたことがないの言葉。
これのネタ元書けば?

>●具体的な信康が謀叛を企んだとする文書、手紙が皆無。
>家康が「信康に謀叛を企んだので処分する」という命令書など無い。
信長が指示した文書、手紙もないねw

>私は◎に対し、これらの疑問を述べたが、◎は正史ではない昔の史料を持ち出すのみであり、 根拠とする。
徳川の正史には信長の指示とはないけどw
正史のどこにあるの?原文抜粋してくれよw


468:日本@名無史さん
07/11/29 11:52:06
>>466
ここでも○の無知ぶりが表れてるな。
「安土日記」とは「信長公記」の一種であり、
書いたのは太田牛一。
前田家は所蔵元に過ぎない。よって前田家の風説を
集めたなどということがあろうはずがない。


469:日本@名無史さん
07/11/29 12:05:11
◎もう一度○に伺います。
◎信康切腹について徳川正史は『信長の命令であった』としている。ところが前田本安土日記や>>269の当代記には『信長は家康側から信康生害の相談を受け好きなようになさいと言った』と書かれている。
◎現在その二つの説を裏付ける根拠は出ていないが、『信長の命令』であった時の不自然な点がいくつか指摘され、
更には松平家忠日記などの史料から当時の徳川家、家康と信康の間に不穏な動きがあったことがわかってきた。
◎これらのことから信長の命令ではなかったのでは?という説の方が支持されるようになった。
◎しかし○は頑なに『信長の命令があったに違いない』と言う。

470:日本@名無史さん
07/11/29 12:09:42
●「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。
                    ↓
いきなり池田安土日記とか、まさにひっかけじゃないか。

何に引っ掛けられたのか今だに謎w

○そこまで信康の死を家康の近くでよく知っていた、天下のご意見番大久保彦左衛門が、
徳川実紀や三河物語など、その他の正式な記録を読んでいないとでも言うのか。
                     ↓
○大久保彦左衛門が出鱈目ばかり書いているというのかね?
その前身となった記録も体験もあるはずだがね。
                     ↓
○正式な徳川の記録、徳川実紀とか前にも書いたぞ。
                     ↓
○徳川実紀、三河物語の元となった記録、そういうものがあるはずだがな、
それについて述べたのに、そういうものが無いかのような口調だね。
徳川に公式な記録はないといってますね?

その肝心な徳川正史について一切触れられておらずw

●「ほら、大久保彦左衛門の言葉をくれてやろう」
自分はこれを読んだがも信頼できるのは三分の一、似たものが三分の一、三分の一は事実無根。
太田牛一は贔屓のものを良く書いているとひどく低く評価。
                     ↓
○残念ながら太田牛一の「信長記」は前半など年代の間違いが多く、出来事も裏づけのとれないのがあり、
贔屓の書き方もあると藤本正行氏や、その他の研究家が要っているのは事実。
大久保彦左衛門の言葉にピッタリなのさ。

摩り替えw

471:日本@名無史さん
07/11/29 12:18:24
>>469続き
◎岡崎三奉行は出世した云々と言いますが、それ以外の>>90に書かれた家臣達の蟄居、出奔は何だったんでしょうか?
◎家忠日記からは家康と信康の不仲が読み取れるのですがこれをどう説明されますか?
◎家康が信長側近の堀秀政に書き送った書状の中にある「今度忠次をやって詳しく説明させる」とは何を説明させるつもりだったのでしょうか?
◎得意の『妄想』は根拠にしないで下さい。それから『間違いない』と断言した以上は『専門家ではないから』と言う逃げ口上も認めません。

472:日本@名無史さん
07/11/29 12:25:08
またまた○の無知ぶりが露呈w
大久保彦左衛門が「偽り多し」と言っているのは
小瀬甫庵の「信長記」であり太田牛一の「信長公記」ではない。
○のボロがどんどん出てくるな。
しかも>>470に引用された○の文章によると、「三河物語」を
書いたのは大久保彦左衛門自身であることも知らない様子。
もう一度指摘しておく。
「正式な記録」=「正しい歴史」とは限らない。

473:日本@名無史さん
07/11/29 12:46:22
多分、一連の書き込みを見るに
博くんは「正史」という言葉の意味をわかってないんだろうな。

474:日本@名無史さん
07/11/29 12:51:39
>>470
『三河物語』が「正式な記録」というのも新説ですな。

大庭博先生によりますと「正直者」で「天下のご意見番」
大久保彦左衛門の書く内容は全て真実だそうです。

475:日本@名無史さん
07/11/29 13:37:22
○は「信康は謀反など企んでいない」と必死に主張しているが、
通説の信長命令説でも「信康母子が武田氏に内通した謀反の疑い」で
死を命じられたということになっていなかったか?
これを否定するということは○は信康の死の原因は何だというのだろう?
「三河物語」では信康の不行状ほかで信長が信康の死を命じたとするが、
どんな不行状があったのかは書かないチグハグぶり。
何しろ「是程の殿は又出がたし」だものな。
このおかしさを見ても徳川正史が語る「信長の命令説」がどんなに
怪しいかが分かる。

476:日本@名無史さん
07/11/29 13:57:45
数ある信長公記の中でも最も古態をとどめている尊経閣文庫所蔵の
「安土日記」の記載。
「さるほどに、三州岡崎三郎殿(信康)、逆心の雑説申し候(後略)」
「当代記」はわきに置くとしても、一級史料「信長公記」の記載により、
信康が謀反を企てたことは間違いない。
○が必死になって否定しても無駄というもの。
問題はこの「逆心」が誰に対してのものかということだが、信長に対して
なら通説の「信長命令説」も成り立つが、家康に対してなら信康の処置は
家康自らの意思ということになる。
「家忠日記」に家康と信康の間が険悪だったと読める記事があるので、
後者を採るべきであろう。

477:日本@名無史さん
07/11/29 14:18:20
あらゆる黒幕説を徹底的に否定した「信長は謀略で殺されたのか」
の共著者・藤本正行氏。
同書では当然朝廷黒幕説も否定されている。
朝廷説の○にとっては「そんな研究者は信用できない!」となるん
じゃないのかね?
ところが桑田氏と同じように引いている。
○は研究者の言うことの内、都合の良いところだけつまみ食いする
とんでもない奴だな。

478:日本@名無史さん
07/11/29 16:03:56
>>451-452
◎私が聞きたいのはもはや物事の内容のことではないよ。
「何故コロコロと主張が変わってしまうのか?」
と言うことです。

479:日本@名無史さん
07/11/29 21:14:23
レス番指定ももう面倒(○の文読みたくない)なので
省略するが、愛宕百韻が怨恨説否定の証拠になるなんて
意見は初めて見た。
それが通るなら怨恨説なんかとっくに消滅してるだろ。
○の感性が世間と違ってるいい例だな。

480:日本@名無史さん
07/11/29 21:25:23
都合の悪い・知らないことはとにかくスルーする博クン。
武田信玄の長男・義信の自害事件を知ってるかと問われても
無視。
この時代、親子の争いなど珍しくなかったことはこれでも
分かる。
博クンはそれを認めたくないばかりに知らないフリをしてるのか、
あるいは本当に知らないのか。
知らないとしたらただの不勉強。
偉そうに講釈など垂れるな。

481:日本@名無史さん
07/11/30 00:04:33
最近の博くんしか知らない方向けへ、過去スレをまとめてみた。
URLリンク(www.csync.net)

博くんが『聖戦 マハーカーラの女』の存在を初めて匂わせたのが2005年10月19日。
スレ住人のひとりが『聖戦 マハーカーラの女』ではなかろうかと言及したのが2006年5月19日。
(もちろん現物を読んだのではなく、ネットでの検索結果によるもの)

…二年以上もよく続くよなぁ。
それにしても『聖戦 マハーカーラの女』の知名度の無さといったらもう。

482:日本@名無史さん
07/11/30 01:11:07
>>481 
すごいねー!過去スレ一覧
「本能寺の真相を語る その2」の
>518 [2005/09/15(木) 10:11:44]にバカ博の登場の初見が垣間見える。
>540 [2005/09/19(月) 10:20:33]から○を使い始めている
>581 [2005/09/29(木) 10:24:31]で既に『聖戦 マハーカーラの女』の存在を匂わせていますよ
『とっくに十年前に、そんなこと書いた本が出てませんでしたか?』って。
>664 [2005/10/13(木) 10:10:31]で桑田「怨恨説」の擁護をしています
>748 [2005/10/19(水) 10:40:49]で具体的に「マハー」への誘導が始まっています
『一九九七年前半にとつくに「本能寺の変の新発見」
「やりました、証拠品らしきもの見つけたよ」とか豪語して書いてる人がいたよ。
もっとも、こっちは推理小説仕立てだったが。』

483:日本@名無史さん
07/11/30 07:06:37
推理小説仕立て…推理w

484:日本@名無史さん
07/11/30 09:29:00
余りにもおバカな返答とスルーばかりで面白くなくなってきたから
そろそろこのスレでも○の書き込みお断りかな



485:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 10:21:12
>>467>>469○○まさに笑止、いくら書いても「信康の謀叛を疑い、家康は猜疑心、独断で殺した」
は、つじつまの合わない部分が多いのだよ。
●信康はすぐに軍を離れ、恭順したが、殺されている。
君より十倍は偉い桑田博士の著書に、「信康は父に刃向かうなど考えたことがない」
と書いてるよ。博士が出鱈目書くとでも。
●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
●後継ぎに不安がある家康、しかし、独断で信康を喜んで殺した。
家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信康嫁の徳姫はより重要な人質だ。自分から失うような命令、行動を家康がするかな?


486:日本@名無史さん
07/11/30 10:30:00
徳姫は事件の後、岡崎を出てますが?


487:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/30 10:36:30
>>469>>471>>475○少し間違えた。◎が、まず後継ぎ秀忠は生まれたばかりで後継ぎに不安がある。
としながら、独断で家康は信康を喜んで殺した、と書いたんだよな。
○「武田内通の疑いあり」、だから信長が信康ー築山殿ラインを危険だから殺せ、
と家康に命令したんだろ。
○家康、徳川家が一度でも謀叛を企んだ家臣を放っておくほど甘いか?
後にどれほどの大名、家臣が改易されたよ。

>>475>>476○馬鹿馬鹿しい、それらのどうとでも取れる文書を証拠にしても
納得はされないぞ。「謀叛の雑説」、どうとでもとれる言葉じゃないか。
何で「信康の家康公への謀叛について」とかはっきり書かれてない?
ただの疑い、あるいは内容をよく知らなかったからではないのか?




488:日本@名無史さん
07/11/30 10:42:44
>>485
>博士が出鱈目書くとでも。
間違いはあるけど?何せ史学研究が本格化し始めた時の人だったのだから
それなら○より十倍は偉桑田氏が怨恨説唱えてるのは、桑田氏が出鱈目書いてるとでも?wwww

>●謀叛を企んだとされる家臣、重臣が後に出世している。
誰が「謀叛を企んだとされる家臣、重臣」なのか詳細に答えろよw
出奔したり放逐されたりしたら「謀反を企んだ家臣」なのか?

>●最期は二俣城に監禁された信康を矯正、再教育する時間と余裕はあったのに、殺されている。
再教育する余裕あったという証拠は?家康自身がそう述懐してるの?
余裕あったとする根拠なければ○の妄想w

>家康は、秀康を自分の子ではないと嫌っていたらしい。
へぇー、はいソースだしてね、原文でw

>●何よりも家康が「信康が自分に謀叛した」と書いた文書、命令書も無い。
>君は「徳川は織田に従属していた」と書いてるな。だったら徳川は織田の命令に逆らえないし、
信長が殺せと命令した文書も命令書もありませんが何か?wwwww
命令を出したと言う証拠だしてねーw

で、武田義信の事知ってる?


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