日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実!at HISTORY
日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真実! - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
07/11/06 10:30:29
豚走しやがった。


3:日本@名無史さん
07/11/06 10:31:03


4:日本@名無史さん
07/11/06 10:32:04


5:日本@名無史さん
07/11/06 10:33:03


6:日本@名無史さん
07/11/06 10:34:17
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」

7:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/06 10:37:58
本能寺の変のその枝葉、「松平信康切腹事件の真相」について。
>>850●君が常識無いのは、史料偏重しているせい。
●「後継者」秀忠、おぎ丸[のちの結城秀康]がいただろ。それに総合的に考えて、
信長のいうことを聞いた方が家のためと家康周囲の重臣らもいえば殺すよ。
●君はまるで一回の使者しか立ててないみたいに書いている。それならその前の使者、
その口上、書状、内容、信長の反応、言葉、信長の返事、全て書かないとね。
しかし書けないんだろ?
>>851●私の前に述べた規範話の方が尊敬されるだろ。それに天下をとったあと、そんなに都合が
悪ければ病死、事故死、発狂死手の切腹など、いくらも書き換えられるはずだろう?
天下の徳川の歴史にけちをつけれる人間はいないのでは?
●名無しの権兵衛の権力者なんて、世間は信用しない。
しかも家康の行動も命令できるなんて?
●結局、証明できない仮説で終わるじゃないか?
●ちゃんとスレッドを建てろよ「松平信康、疑惑の切腹事件の真相とか」
そうすれば専門の学者が見て、書き込んでくれるさ。



8:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/06 10:51:11
つまらん盗作か、コピーか、偽造で儲けている犯罪者の口車、圧力に乗せられないようにね。
彼らの言うことを聞いていると、最後にはペテン、詐欺、偽物に引っかかって泣くのが関の山。
本能寺の変においては、私のみが本物の「真実の口」である。

本能寺の変、天正十年六月二日、京都本能寺における当時の天下人織田信長襲殺事件、
明智光秀一万三千の軍によるクーデターとされる事件、
それなくしては、豊臣秀吉、徳川幕府、明治維新さえ存在しなかったのではないかとされる歴史の大転換点、
それについて、様々に言われていた容疑者、動機、その他の疑惑の謎は、全て解明された。
その答えは「朝廷説」、明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家だった。

そして、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」、、、
真相「京都秘密文書」は実在する!!

後の柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、偶然ではなかったのである!



9:日本@名無史さん
07/11/06 10:52:03
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


10:日本@名無史さん
07/11/06 13:53:44
◎何逃げてるんだ?散々あっちのスレで矛盾した書き込みをしてしまったから引用出来ないようにか?
◎『秀康、秀忠がいたことで信康が死んでも後継者には事欠かない』?
秀康は家康に遠ざけられていたろ。築山に遠慮していたとしても、築山の死後も結局養子に出されている。
前にも書いたがこの時秀忠は生まれたばかりで、当時の幼児の死亡率を考えれば直ちに秀忠を次の後継者にとは決められない。
君の説には常識が無い。
◎『信長の言うことを聞いた方が家のためと重臣が言えば殺す』?
だから君の言ってることは矛盾してるんだって。
「これほどの殿はまた出来難し」とまで言われた優秀な後継者を殺せという命令に従うことが『家のため』か?
第一君自身があっちのスレで『家臣達の反発があった』て書いてるだろ。反発したり従えと言ったり、どっちなんだよ?

11:日本@名無史さん
07/11/06 14:22:00
>>7
◎『口上、書状、内容全て書け』?
書いたところで君の特殊な解釈で片付けられちゃうからな。
しかし『真実』というのに何故都合の悪い記述がされた史料は読まないんだ?読んでないから『内容を書け』なんて言ってるんだろ。

◎「松平記」「前田本安土日記」「当代記」には信長の命令だったという説とは違う記述がなされてるよ。
◎「家忠日記」
天正六年九月
家康から岡崎家臣団に各々の在所への引き揚げ命令が発せられ、信康との連絡を一切禁じられる。
天正七年六月
家康が「信康御×××の中なをし」の為に岡崎を訪れる。
天正七年八月
信康が岡崎を追放される。

◎更に天正七年八月に家康が信長近習であった堀秀政に宛てた書状には
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処」
という記述があり、これは信長に十二ヶ条を突きつけられる以前に家康の方から何事かを信長に伝えようとしているのがわかる。
◎さらに信康の切腹と前後し何人かの徳川家臣が処罰を受けた又は脱走した形跡もある。
◎これらの内容から家康が信長に信康処刑の命令を受けた、というより以前に何か徳川内部で不穏な動きがあったことが容易に伺い知れる。

12:日本@名無史さん
07/11/06 14:32:47
>>7
◎『規範話の方が尊敬されるだろ』?
だからさ、君が『正直者』と言った大久保彦佐衛門が「三河物語」の中で「これほどの殿はまた出来難し」と評してるわな?
信康が『悪逆非道』なら彦佐衛門が『正直』じゃなくなるんだよ?矛盾してるだろ?
◎『名無しの権兵衛』?
何故あそこまでヒントを出してわからないのか、その方が不思議だよ。
証明できなくていいよ。私の単なる『仮説』なんだから。
第一現在世に出ている史料では証明できないよ。だからいろんな説があるんだろ。
◎それは「本能寺」もそうだ。
君は『本能寺コード』やら『京都秘密文書』という奇っ怪な根拠を振りかざしているがな。

13:日本@名無史さん
07/11/06 15:50:49
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


14:日本@名無史さん
07/11/06 17:56:46
ちゃんと前スレ使い切ってから新スレたてましょうね。
スレリンク(history板)l50

都合の悪い指摘受けると、放置して、新スレ立てて逃走?
糞スレの乱立は迷惑なのでやめろよ。

15:日本@名無史さん
07/11/06 18:14:50
銀山光秋『聖戦マハーカーラの女 本能寺の変の真因』
発行/日本図書刊行会、発売/近代文芸社 1997年2月20日 第一刷

銀山光秋(本名 大庭 博(おおば・ひろし))
昭和33年6月4日生
自称歴史研究家、自称フリーライター
2chでのHNは○

自費出版後のあまりの反響の無さに、2chでの販売促進活動中。
ただし著名な研究者との直接討論を避け2chへの呼び込みを図るも、当然の如く反応は無く、
一方的に勝利を宣言し続ける香具師。
過去に精○科への通院履歴あり。
URLリンク(c-others1.2ch.net)

16:日本@名無史さん
07/11/06 18:50:58
>>1>>7>>8 卑怯者!!!

17:日本@名無史さん
07/11/06 18:56:18
タイトル:日本史二千年最大の謎、本能寺の変の真相!(前スレ)

【糞スレランク:S】
直接的な誹謗中傷:55/865 (6.36%)
間接的な誹謗中傷:53/865 (6.13%)
卑猥な表現:35/865 (4.05%)
差別的表現:58/865 (6.71%)
無駄な改行:25/865 (2.89%)
巨大なAAなど:10/865 (1.16%)
同一文章の反復:4/865 (0.46%)
by 糞スレチェッカー Ver1.12 URLリンク(kabu.tm.land.to)

Sランクキタ━━━(゜∀゜)━━━!!!!


18:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/07 10:09:16
>>10●君がいろいろ書いて、前スレに書きこめなくしたんだろ?
●何矛盾したこと書いてるんだね?
「家康が派閥抗争からみで独断で信康を殺した」
が君の説だろ。しかし君は後継者に不安があったと書いてるな。後継者に不安があったら、
どんな我儘息子でも殺せないだろ。
私の言うとおり「後継者に不安が無いから、信長のいうとおり殺した」んだよ。
●あんたがおかしいんだよ。信康と信長とどっちをとった方が得か、家康は決めた。
おそらく家臣にも相談し参考にした。信康への褒め言葉が残っているのは、泣く泣く家康が殺したから同情されてだよ。

19:日本@名無史さん
07/11/07 10:11:36
前スレで散々に問題点をつかれ、何も答えれず逃げ出した博くん。
新スレ立てれば、前の問題は全てリセットされると思ってるのかなw

一応、前スレでの課題をおさえておこう。

「京都秘密文書」は何ページ?
なぜ内容どころか、ページ数さえ答えられない?

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?
参考文献を明示できないなら、博くんの著作は盗作です。
存在しない参考文献を根拠とすりなら、詐欺行為です。

あと、読んでもない高柳氏の著作に対し
事実無根の誹謗中傷を行なったことに謝罪しましょう。

20:日本@名無史さん
07/11/07 10:14:26
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


21:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/07 10:20:45
>>11●誰がこんな事書けといった。知りたいのは信長と家康の間、何回連絡、書状、口上があったかだろ?
君は一回の使者で信長が「すきにやれ」といったと書いたな。ところがそれがおかしいというと、前にもあったようだと書いた。
なら、その前の安土の信長への使者、その口上文書、そしてそのときの信長の反応、言葉だよ。
それが書けないんだろ?
●一年も前の「家臣への連絡を取るなの命令」? 君は「お家争いで騒動」だよね。息子を殺すほど緊迫してるのに、
その腹切り、処分は一年後かね。
あまりにも間延びで、全く別問題としか思えない。
●「信長への酒井忠次への口上」その内容は全くはっきりしていない。
徳姫とのトラブルのこととも考えられる。
●家臣処分の形跡、その名前も挙げられないし、公式な記録は無いんだろ?
●信康が中心となった謀叛、あるいはその側の重臣が中心になった謀叛なら、
必ずともに殺されるか、その名前が残っているはず。
築山殿まで殺される大事になったんだからな。


22:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/07 10:28:35
>>12●何を言っている、そんな信康を褒めてる言葉が残せたのは
私の説「信長の命令で、家康が泣く泣く殺したから」、同情されてだよ。
でなければ天下を取った後、どうとでも書き直されたはず。徳川内部の問題にけちをつけれる人間は居ないし。
家康に傷を付けたくなければ、ただの長男の病死、事故死、原因不明の切腹でも良い筈。
●名無しの権兵衛で、家康も頭を下げる権力者?世間は納得しないさ。
●嘘を言っても始まらないね。実在するし。もう皆、気づいてるよ。
高名な学者が、研究かが何もここに書き込まないのがもその証拠。

23:日本@名無史さん
07/11/07 10:32:22
●嘘を言っても始まらないね。実在するし。もう皆、気づいてるよ。
高名な学者が、研究かが何もここに書き込まないのがもその証拠。
   ↑
「皆」とは誰を指すのだろう?レスで言えば、○以外の書き込みは「皆」、○の嘘に気付いてるが
そして高名な学者・研究家が書き込んでいないとなぜ言い切るのかも不思議

24:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/07 10:38:54
「金は貰うが、ろくな知識も無いために、しょうもない悪口を繰り返すプロパガンダ工作員」
>>6>>9>>13●全く、ろくな基礎知識も無く、議論一つ出来ない人間の書くことを見てくれ。
>>15●しようもない出鱈目だな。
残念ながら大庭博君は精神科病院などに、通院、入院したことなどは一度もありません。
そういえばヒッチコックの映画にあったな。
財産とるのに、相続人の女を精神病にでっち上げて、財産横取りするのが。
>>20●「何度もくりかえしていれば、どんな出鱈目でも本当になる」ヒトラー。
ナチスドイツのヒトラーの崇拝者なのがはっきりしたね。
>>19●つまり君には全く基礎知識が無いということだ。博士といえど答えられぬ謎というのはあるのにね。
それに答えられるのが「真実の口」、本物「京都秘密文書」なんだが、、。

25:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/07 10:54:11
>>23
歴史をよく知り、名のある学者なら、書き込めるわけがあるまい。
歴史の真実とは唯一無二、
二番目の真実というものは世に無いのだから。

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実は揺るぎもしない、、、。

26:日本@名無史さん
07/11/07 10:56:07
って事は、歴史をよく知らない名もない三流の○は必死に書き込めるわけだね

27:日本@名無史さん
07/11/07 13:16:20
>>18
◎君は歴史云々を語る前に読解力を身につけた方がいいな。
◎『後継者に不安があるのに家康の意志で信康を殺すのは矛盾している』?
確かに秀康は遠ざけられ、秀忠は幼少だ。
だが家康が「信康の側近達が信康を擁して謀叛を起こし家康追放を画策している」という讒言をうけ疑心暗鬼に陥ったならもはや後継者の不安どころではないだろ。自身が息子に追い出されるとなれば跡継ぎの懸念など考えずに処分するでしょ?
◎『おそらく家臣にも相談して決めた』?
君は妄想で話をするのか?

28:日本@名無史さん
07/11/07 13:37:01
>>21
◎『何回連絡、書状、口上』?
…君はあっちのスレで自分がしたレスを覚えないのか、よく読み返してこいよ。
私が挙げた天正七年八月の「今度左衛門尉…」よりも前に忠次が安土を訪れたことを君自身が書いてるだろ。
しかし何で君はここ2chで自分が読んでない史料の内容を得ようとするの?
『信康処刑は信長の命令に間違いない』と言う以上は、それとは逆の内容の史料も精査するのが常識だろ?
横着してんじゃねーよ。だからここ以外で誰にも相手にされないんだよ。まぁあっちのスレで『前田本安土日記?どうせ前田家の風説を集めた史料だろ。』なんて名言残しちゃうくらいだからな。相手にされなくて当然か。
という訳で内容については「自分で読め」とだけ言わせてもらう。史料名は挙げてるんだ、簡単だろ?君のためだよ。

29:日本@名無史さん
07/11/07 13:49:01
>>21
◎『連絡を禁ずる命令が出されてから処刑は一年後。長すぎる』?
家康は慎重な男みたいなことを書いたのも君自身じゃなかったかなぁ??ことは自分の息子にも及んでいる。慎重な男だからよくよく考えたんでしょうな。
◎『お家争いで騒動』?
何それ?日本語で書いてくれていいよ。
私が挙げたのは『家臣達の派閥争い』で信康の謀叛はその過程で造り上げられた嘘だったのでは…と言ったんだが。本当に読んでないんだね。
◎『信長への酒井忠次への口上』?
何だ?へのへのって。絵描き唄か?どっちへの口上のことだ?
『五徳とのトラブル』って五徳と誰のトラブルだ?

30:日本@名無史さん
07/11/07 13:50:26
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


31:日本@名無史さん
07/11/07 13:54:20
>>21
◎『家臣処分の公式記録は無いんだろ』?
「自分で史料を読め」としか言えないな。この程度のことなら君の得意の『大wiki辞典』にも出てるんじゃね?

32:日本@名無史さん
07/11/07 14:06:10
>>22
◎『信長の命令で泣く泣く信康を切腹させた。だから同情して褒め言葉を書いた』?
意味が分かりません。『無理矢理殺させられた息子は優秀でしたなぁ、あんな息子はなかなか出来ませんよ』が褒め言葉になるの?嫌味にもとれますが。

◎『名無しの権兵衛で、家康も頭を下げる権力者?世間は納得しないさ』?
納得してないのは君のみでしょうが(笑)
そもそも『権力者』とはちょっと違うよ。
わからないならわからないままでいいって。どうせ関係ないんだから。しつこいね。

33:日本@名無史さん
07/11/07 19:05:19
つまらん盗作か、コピーか、偽造で儲けている犯罪者の口車、圧力に乗せられないようにね。
彼らの言うことを聞いていると、最後にはペテン、詐欺、偽物に引っかかって泣くのが関の山。
本能寺の変においては、私のみが本物の「真実の口」である。

本能寺の変、天正十年六月二日、京都本能寺における当時の天下人織田信長襲殺事件、
明智光秀一万三千の軍によるクーデターとされる事件、
それなくしては、豊臣秀吉、徳川幕府、明治維新さえ存在しなかったのではないかとされる歴史の大転換点、
それについて、様々に言われていた容疑者、動機、その他の疑惑の謎は、全て解明された。
その答えは「朝廷説」、明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家だった。

そして、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」、、、
真相「京都秘密文書」は実在する!!

後の柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、偶然ではなかったのである!




34:日本@名無史さん
07/11/07 19:17:04
>>33
「京都秘密文書」って最近書かれたものですか?
「京都」という地名が出来たのは明治維新後で、
当時は都のことを「京」といいますよね?
「秘密」という用例も最近のものですね。
「自由」とか「秘密」とか明治維新後に新しくできた言葉ですよ。


35:日本@名無史さん
07/11/07 20:14:44
京都の人間は光秀に感謝して神社まで建てて祀ってたと誇らしげに語ってたなw
○が言う神社とは御霊神社で場所は丹波福知山なんだけどねw

○曰く、丹波福知山まで京都らしいw

36:日本@名無史さん
07/11/07 20:18:18
前スレで大庭博先生が解明した、驚愕の歴史の真実

>「前田安土日記」前田家の記録だろ。風説を書きとめているだけ。
『安土日記』の著者に対する新説を発表。

>天下のご意見番大久保彦左衛門が、
>徳川実紀や三河物語など、その他の正式な記録を読んでいないとでも言うのか。
大久保忠教の没年と、徳川実紀の成立年代に注目。彦左は不老不死か?
三河物語が正式な記録という新説も見逃せません。
そもそも、三河物語の作者は彦左ではないのか!?
驚くべき新説が凝縮された一文です。

37:日本@名無史さん
07/11/07 20:28:51
●「ほら、大久保彦左衛門の言葉をくれてやろう」
自分はこれを読んだがも信頼できるのは三分の一、似たものが三分の一、三分の一は事実無根。
太田牛一は贔屓のものを良く書いているとひどく低く評価。

大久保忠教が太田牛一の信長公記をこう評価したというのも追加なw
これ甫庵信長記への評価なんだけどさw

38:日本@名無史さん
07/11/07 20:30:21
前スレで大庭博先生が解明した、驚愕の歴史の真実

>馬鹿いえ。小瀬甫庵がどうして誰も知らない登場人物を贔屓して書ける?
>周囲の武将を金など貰って贔屓してよく書けるのは、彼らを知ってる太田牛一だけ
一般的に史料価値を疑問視されがちな、甫庵の信長記を
「特定の人物への贔屓などない」と史料価値を一転させる一言。
一方牛一は、金貰って贔屓して書いてるそうです。

>信長の最初の戒名は「天徳院」、さて朝廷に「天徳」なる元号がある。
>なぜ、三年で終わったか、その理由を述べてもらおうか?
天徳は三年で終わったという新説。
是非理由を教えていただきたいものである。

39:日本@名無史さん
07/11/07 23:36:30
>>33 「京都秘密文書」去年の9月頃、○博が突如言い出したスローガンのひとつ
以前は、「細川家への明智光秀自筆の手紙」云々を騙ってましたね

「本能寺・コード」これもスローガンのひとつ
今年1月29日にTBSで放映された「バチカンに眠る織田信長の夢」の
「信長の死にまつわるキーワード=信長コード」からのパクリ

「明智光秀の軍事同盟者は柴田勝家」っていうのも、今年になって
突然言い出したスローガン


よって、10年前に自費出版した『聖戦マハーカーラの女 本能寺の変の真相』
という三文小説の中では一切触れられていません。その本の中では、傍証の
全く無い御託を並べて、語呂合わせの暗号解読に終始しているシロモノ。


40:日本@名無史さん
07/11/08 01:49:25
>>38 「天徳」うんぬんについて

○のブログで以下のように記している
『織田信長の最初の戒名、記録や絵の裏にある「天徳院」を思い出すだろう。
天徳年間は災いが相次ぎ、三年で終わった。理由は「天徳は火雷天神の号に
して忌むべし」であること』

▽天徳期は天徳元年(西暦957年10月27日)天暦から改元から天徳五年(西暦
961年2月16日)応和に改元の間を指すが、3年では終わっていない。
ちなみに天徳期の災害で確認できるのは、天徳四年(西暦960年9月23日)に
内裏が火災で全焼したとの記述が『扶桑略記』に見られる程度である。

▽改元理由も天徳五年が60年に1回の辛酉(かのととり、しんゆう)にあたる
ことによるのであり、『災いが相次』いだことでも、『「火雷天神の号にして
忌むべし」であること』などで改元されたわけではない。

ましてや死んだあとで付けられる戒名を信長自身が生前から決めていたと
いう証拠もないので、元号「天徳」と『信長の最初の戒名は「天徳院」』
との間には全く関係性は見出せない。

41:日本@名無史さん
07/11/08 09:47:37
そもそも、日本史の基礎が分かってない博くんは
辛酉の年の意味とか知らないだろうな。

今日慌ててwikiを調べて知ったかするに一票。

42:日本@名無史さん
07/11/08 10:07:16
「京都秘密文書」は何ページ?

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?

なんでこんな簡単な質問にも答えられないの?
この程度も答えられないようじゃあ、議論以前の問題。
今日もこたえられないのかな?

43:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/08 10:14:24
>>●「後継者に不安があったら、家康は派閥争いくらいで信康を殺せないだろ?」の答えになってないな。
それなら「後継者に不安があったが、信長の命令だからやむなく殺した」の私の説の方がはるかに成り立つ。
●君の説は派閥争いが原因だろ。派閥争いは家康一人でやるのか?周囲に人はいないのか?
>>28●「家康から安土の信長への信康問題の使者は何回? その口上、文書は?」
文書は無いんだろ? 無いならはっきり書けよ。
ただの仮説で証明は無理とかね。



44:日本@名無史さん
07/11/08 10:16:42
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


45:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/08 10:29:58
>>29●家康の命に係わるお家騒動、派閥問題で、
その処分が一年後というのは明らかに間があきすぎる。
>>31●「家臣処罰の記録無し」
君の説の基本は松平記、安土記の「信康の謀叛の雑説」とか言ってなかったか?
いずれにせよ、派閥抗争で、家康の長男、妻が殺される大事になったのに、中心となった重臣、
中心人物の処刑、切腹が続いて無いのはおかしい。家康の身内まで殺した以上、
この際、膿は出しつくすとやるのが普通だからね。
>>32●「使者」だから、家康から安土の信長まで、信康問題で何回使者が行き来したか?
残っているそのときの書状、口上、信長の様子、言葉だよ。
●家臣の処分、記録、命令書なし。当然だな。信長の要求だもの。
●もし本当に家康が信康を謀叛、派閥抗争で殺したのなら、神君への侮辱、その判断への疑惑になるから、
信康への褒め言葉など大久保彦左衛門は一行も残さないね。泣く泣く殺した神君への同情だから残せたのである。
●「名前も無い権力者」
どう考えても疑惑の「御●●●」との「仲直し」は
「五徳姫との仲直り」としか思えないね。信長の娘を侮辱するような言葉が一言でも出たら
家康は追放するしかなくなるだろう。



46:日本@名無史さん
07/11/08 10:33:05
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


47:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/08 10:46:44
>>40●本当に愚かだな。しかも「扶桑略記に載ってる別話」は無視。
しっかりココログのブログを読まないんだろ。
●「天徳年間、内裏の全焼は朝廷を震撼させました」
ちなみに天徳→火神、火雷天神の号というのは常識です。
菅原道真公の号は「太政威徳天」なのです。従ってこのことは朝廷を震撼させ、
内裏火災という前代未聞の災難と、菅原道真公の関係がささやからました。このとき焼け跡の柱から、
有名な「句」が見つかっています。「つくるともまた、、、」という句で、
扶桑略記にも話があります。
朝廷はつぎの「応和」の元号を菅原文時につくらせました、
そして様々な法事をしたのです。
●信長の自らを神とした総見寺本尊、十一面観音は菅原道真公の本地物。
そして「天主」をつくり、中に住み、自らを神と豪語した信長。
その男は牛頭天王を氏神としていた。
「天王」そして彼が許したキリストの神は「天帝」でした。
●そして「天徳院」は、すぐに「泰巌安公」と変えられました。

48:日本@名無史さん
07/11/08 10:52:46
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」


49:惟神塾へようこそ
07/11/08 10:57:19
 重力の謎から本能寺の変の謎まで解明した私にとって解けない謎は唯一つ、神の一
厘の仕組みである。
 日本は世界文明の発祥地で世界一優秀な民族国家
 日本で発見されたペトログラフの中に独自の神代文字、甲骨文字、アルファベット
以前のオガム文字等が含まれており、彦島のペトログラフの人物文様はインカ文明の
人類滅亡を暗示する石版の人物文様と酷似している。しかし、何者かによって傷つけ
られた。この文様が捏造された物なら無視すれば良い。真実の隠蔽を図るメーソン支
配の考古学会の仕業である。上高森の旧石器遺跡も捏造にされた。
 日本の上古には文字が無かったとするには無理がある。なぜ、漢字に音訓読みがあ
るのか。日本語なら訓読みだけで良い。日本は中国や朝鮮に支配されていたから、漢
字使用と音読みを強制されたのである。その反発から神代文字から平仮名が作られた。
日本の国体を破壊して魔道に落す為に、神道に蓋をして悪魔の仏教を普及させた。日
本は世界文明の発祥地であり、日本の天皇が世界を統治して天の浮船で巡回していた。
天皇が各国の言葉と文字を制定して教えた。日月神示の石がものを言うとはこの事を
指す。釈迦、キリスト、モーゼ、孔子等が日本へ留学していた。竹内文書が言ってい
る。中国の文化が日本に伝わったと言うのは嘘で、中国が日本の文化を盗んだのであ
る。胡散臭いの胡は中国を指す。メーソンや中国等が日本を攻撃するのは日本の復活
を恐れているからだ。日本人が大和魂を発揮させたら悪は眩しくて目が開けられない。
 日本人が良くならなければ世界の人民は良くならない。今の様に腐ったままでは肥
料にもならない。
 霊界は現界の隣に存在し、霊界で起きた事が鏡に写る様に現界に現れる。空中から
物質が現れる現象は霊界から霊体が物質に変化するのである。反物質は霊体である。
幽霊は霊界にあるべき物が現界に留まっているのである。

50:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/08 11:03:15
>>39「本能寺・コード」
ダビンチコードに勝るとも劣らぬ、実在の暗号・「本能寺・コード」でこちらが先。
ちなみに「ノブナガ・コード」は何も番組で出なかったぞ。
「柴田勝家」
「聖戦・マハーカーラの女」がキーだよ。
で、ココログのブログには、その柴田の同盟の理由が載せてある。

●全く天徳に「扶桑略記」を出しながら、それに載る「有名な逸話」は載せてない。
プロパガンダをしてもすぐにぼろが出るぞ。

 ひとつの歴史の真実の解明は、もうひとつの巨大な迷宮も解明する。
そして、実はその方が重要であることが多い。
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

国家の真実は揺るぎもしない、、、







51:日本@名無史さん
07/11/08 11:15:33
ダビンチコードはフィクションだから、○自ら三文小説認めたんだw

52:日本@名無史さん
07/11/08 12:10:41
>>47
これまた、ひどい知ったかに出鱈目だなw

>ちなみに天徳→火神、火雷天神の号というのは常識です。
>菅原道真公の号は「太政威徳天」なのです。

「太政威徳天」の最後をひっくり返して「天徳」ってこと?
いつものお得意の言葉遊びを、勝手に常識といわれてもねえ。
君の脳内の常識と、世間の常識を混同しないように。

百歩譲って「天徳=太政威徳天」を連想するとしよう。
しかし「太政威徳天」と呼ばれるようになったのは、天徳年間よりずっと後のこと。
まともな人なら「太政」の字からも分かるはず。
「天徳は火雷天神の号に して忌むべし」
なんて、天徳年間に言う人など、まずいるわけがない。

「つくるともまたもやけなむ~」の句は『大鏡』に見える有名な話。
「円融院の御時」の話と言われている。
さあ、「円融院の御時」がいつのことか、博くんにわかるかな?
ちなみに「焼け跡の柱」ではなく、内裏の天井の裏板ね。
随分俺の読んだ『大鏡』の話と違うが?『扶桑略記』にはそうした話が載ってたのか?
だったら『扶桑略記』のどこにあったのか教えてくれ。

とまあ、博くんの話は、あいもかわらず歴史の知識がないことがバレバレ。
で「天徳が三年で改元された」理由はなんなんだっけ?

53:日本@名無史さん
07/11/08 12:15:01
>>43
◎『答えになってない』?
??
家康が「信康によって追放されるかもしれない」という猜疑心にかられたら後継者のことなんか考えられないでしょ?
「後継者に不安があったが自分の身を守る為やむなく信康を処分した」でもおかしくない。
◎『派閥争いは家康一人でやるのか』?
あのさ、もう一度あっちのスレ読み返してきてよ本当に。
私が派閥争いをしてたのではないかと書いたのは家臣達で、家康ではありません。
◎『使者の回数、口上、文書は?』?
本当にわからない人だな君は。
君が前のスレで酒井忠次が安土を訪れたと書いたのはお忘れですか?
これは仮説ではなく史料に残されていることだ。書状、口上、知りたければ史料読んで下さいね。
きっとここで私が全文を書いたところで君は納得しないだろう。自分の目で確認しなよ。

54:日本@名無史さん
07/11/08 12:29:31
>>45
◎『一年後は長すぎる』?
ことは重大であるだけに時間をかけた、でおかしくないと思うけど。
◎『家臣処罰の記録無し』?
前のスレ読み返してこい。
◎『謀叛、派閥争いで信康を殺したなら大久保彦左衛門は褒め言葉を書かない』?
妄想で話をしないで下さい。

55:日本@名無史さん
07/11/08 12:46:28
>>45
◎『御●●●は五徳に間違いない』?
確かに一般的には尾張『御新造』、五徳ではないかと言われている。
だがこの『中なをし』の時、家康は軍勢を率いて岡崎に入ったとも言われている。
若い息子夫婦の喧嘩の仲裁に軍勢?二人の中はそこまで険悪だったのか?
ならば信康の切腹が申し渡されたときに五徳が助命嘆願をしたという事実もおかしくなる。
ということは『御●●●』は五徳ではなく別の誰かでは?という推理もできる。

56:日本@名無史さん
07/11/08 12:54:32
>>45
◎よく考えてみろ。家忠が日記に『御』をつけて書く人物は他にも数人いるぞ?
そして前に出したヒントに当てはまる人物…となればかなり絞られるはず。
◎それでは質問だ。
「どうして自分と逆の説を書いた史料は読みもしないのに『自分の説は真実、間違いない』と言い切ってしまうんだ?」

57:日本@名無史さん
07/11/08 13:35:12
>>50 『ココログのブログには、その柴田の同盟の理由が載せてある。』って
今年の5月から7月までに書き込んだ与太話じゃないか

10年前に自費出版した三文小説には「柴田勝家」はないよね

58:日本@名無史さん
07/11/08 14:17:39
○は◎に対して状況証拠しかないとか言ってたが確たる証拠がないから現代でも真相は謎とされてるわけで。
しかも○は◎が出したその状況証拠に対して自分の想像でしか反論出来てない。
幕府の正史に信康処刑が信長の命令だったという記述があるってだけでは証拠にもならんし、それ以外の証拠はあるのか?
○は◎と違い『信長の命令で間違いない』と決めつけてるんだからきっと何か証拠を持っているんだろうよ。

59:日本@名無史さん
07/11/08 16:18:15
『京都秘密文書』には全てが記されています。

でもそれは門外不出なので公開できませんし、その所蔵先もお教えすることは出来ません。

by○大庭博●




60:日本@名無史さん
07/11/08 20:00:14
>57
>10年前に自費出版した三文小説には「柴田勝家」はないよね

ない。全然ない。

61:日本@名無史さん
07/11/08 21:14:58
確かに初版には無いが、第二版にはあるんだよ。
ただし、前回出版時の費用が回収できず借金が返済できていないから出せないだけ。





62:日本@名無史さん
07/11/09 09:51:56
今日も

『津島牛頭天王と信長』の著者、出版元は?
「京都秘密文書」は何ページ?

という質問には答えないの?
なぜこんな簡単で、議論の基礎の問題を答えないの?
それでほんとに議論挑む気あるの?

63:日本@名無史さん
07/11/09 10:20:38
光秀に纏わる伝承って、実は「小栗判官伝説」に擬えらたものなんだよね。

権力闘争の煽りで生まれた城を追われたというのもそうだし、
光秀の妻の名前の「照子」が「照手姫」からとったものであることは、
円徳寺の伝承からも明らか。
その終焉の地名が奇しくも「<小栗>栖」であったことが一因かもしれない。

『明智軍記』に記されている辞世の句も、<小栗>つながりで「越後騒動」の
小栗美作のそれを盗作した考えられる。

64:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/09 10:23:42
>>53●馬鹿言うな。当時の権力者は後継者に不安があったら長男を殺すか。
すぐに跡目争いが起こるからな。しかも疑心暗鬼? 家康がそんな甘い人間でないのは、
明らか。一方的で、何も下調べしないような人間でないのは常識。
●君が一回の使者で信長が信康殺しを快諾したように書いたのである。
するとそれが前にも使者がいたという。
●結局、何も信長への使者の口上、文書、手紙は出せない。
ただの状況証拠のみ。では仮説は成り立たない。

65:日本@名無史さん
07/11/09 10:27:02
>>62
>なぜこんな簡単で、議論の基礎の問題を答えないの?
 それでほんとに議論挑む気あるの?

全ては借金を返済し『マハー』の第二版を出版した上でじゃないと
始まらないんだよ。
だから誰か300万出してあげてよ。


66:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/09 10:35:53
>>54●原因は派閥争いで、ついに家康は信康を殺したと書いたのは君。
ところが、家康の妻、長男を殺しているのに、対立する派閥の重臣、家臣は殺されてない。
考えてみろ、そこまで犠牲を出したのに、原因を処罰しない、切腹させないということがあるか?
●あるいは家臣で信康を庇って切腹したものもいない。次の跡目の信康の命を助ければ、家の繁栄は確実なのにな。
●それにまかり間違えれば自分らも粛清されるおそれがあるのに、一年も対立する派閥が何もしない、謀叛の軍をあげない?
派閥争い,つまり権力争いがそんなにのんびりしてるか?常識無いぞ。
●家康の独断で信康を殺したのなら、大久保は絶対に神君への侮辱になる信康への褒め言葉とか残さない。常識。
残せたのは信長の命令で泣く泣く殺したから。君こそ都合の悪い文献を無視するな。
>>55●仲直りに軍隊? 自分、徳川家の威光を徳姫に見せ、夫をよく頼らせようとしたかもしれんだろ。
後に徳川家は将軍位就任時だったか、威光見せつけのために、
無用の大軍を京都に連れて行ったりしている。

67:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/09 10:46:18
>>52「天徳」について。
ひどい知ったかぶりをするな!

ちゃんと当時、火災ー火神ー「火雷天神」というのは認識されていたよ。
ちなみに菅原道真公の生まれ変わりと豪語した平将門の旗は「火雷天神」。
●「太政」 ははっ、知ったかぶりをしたな。当時「太政官」というのがちゃんとあって、
右大将に天文など進言したのが記録にある。
「天徳」火神、菅原道真公と関係あるとおもわれていたから、菅原道真公の孫菅原文時が起用され、
「応和」の号が選ばれたんだよ。
円融院のときも火災があつたが、火災のショック、規模が朝廷に一番大きかったのは天徳で、
「扶桑略記」の記載が適当であろうとされている。

信長の時にはとっくに菅原道真公「太政威徳天」だったのだがね。
しかも牛を大事にされ、愛されたことから天満宮は「牛天神」とも呼ばれた。

68:日本@名無史さん
07/11/09 10:51:39
前世の記憶が蘇った男が語る本能寺の変の真実

【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
スレリンク(occult板)

69:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/09 11:01:27

「天徳は、火神、火雷天神の号にして忌むべし」
そう思われていなければ、どうして元号を変える等の大事をすぐするだろうか?

「聖戦、マハーカーラの女、本能寺の変の真因」博君著。

歴史の真実は唯一無二で、二番目というものがない。

70:日本@名無史さん
07/11/09 11:17:12
>>67
相変わらず、文章理解能力と、歴史知識が皆無だなw

>ちゃんと当時、火災ー火神ー「火雷天神」というのは認識されていたよ。
>信長の時にはとっくに菅原道真公「太政威徳天」だったのだがね。
お前の主張は、天徳年間に道真が「太政威徳天」と呼ばれているという前提だろ。
だから、天徳年間に「太政威徳天」とはまだ呼ばれていなかった。
と、その誤りを指摘した。「火雷天神」について言及した覚えはない。
何論点そらしてるんだ?

>●「太政」 ははっ、知ったかぶりをしたな。当時「太政官」というのがちゃんとあって、
いや、太政官の存在なんて、中学生でも知ってる常識だけど、何そんな自慢気に語ってるのwww
俺の指摘の意味が全く理解できてないみたいだね。
道真死後の件をしっかり勉強してればわかるはずなんだけどなあ。

相変わらず論点ずらして、相手の指摘と関係無いことを偉そうに語り、さも論破したような顔をする。
全く呆れた卑怯者だな。

で、『扶桑略記』のどこに「つくるともまたもやけなむ~」の話が載ってたの?

71:日本@名無史さん
07/11/09 11:29:30
>>69
>「天徳は、火神、火雷天神の号にして忌むべし」
>そう思われていなければ、どうして元号を変える等の大事をすぐするだろうか?

日本史上の改元の例と、
天徳がいつまでつづいたか(君は3年までだと言い張ってるがwww)
>>40の指摘する「辛酉」の意味
以上をよく勉強してから出直しておいで。
>>70で指摘した件もちゃんと勉強しなおしてくるんだよ。

基本的な知識が欠如しているから、的外れな妄想ばかり語り、
テレビや小説で聞きかじった知識なので、具体的な史料の説明・引用が出来ず
時系列、常識完全無視の、言葉遊びに暗号ごっこで、歴史学をやってる気分になってる。
そんな愚昧な三流作家、大庭博。

72:日本@名無史さん
07/11/09 11:34:26
そうそう
>円融院のときも火災があつたが、火災のショック、規模が朝廷に一番大きかったのは天徳で、
>「扶桑略記」の記載が適当であろうとされている。

というのは、誰によって「適当である」とみなされてるの?
その研究者と著作もちゃんと提示してね。

73:日本@名無史さん
07/11/09 13:48:41
>>64
◎『当時の権力者が後継者の不安があったら長男を殺すか』?
「後継者の不安」と「自分がその後継者に追放されるかもしれない恐怖」、未来の不安より自分の身を守ろうとするのが当然でしょ?
自分が追放されるかもしれないのに後継者の不安なんか問題じゃないだろうがw
◎『信長が一回の使者で納得』?
もう一度言うぞ?私は一回きりとは書いてないし、君自身が家康が堀秀政に忠次を行かせるという手紙をやった以前に忠次が安土に行ったことを書いてるよ?そして私はそれを否定してないけど。
それからもし一回の使者で信長が信康処刑を承諾したら何がいけないの?
娘婿とはいえ結局は徳川の嫡男。その徳川の当主家康が生害を相談してきたら、信長は「好きなようにしなさい」と言ってもおかしくはないはずだが。

74:日本@名無史さん
07/11/09 13:48:49
>>67 『菅原道真公と関係あるとおもわれていたから、菅原道真公の孫菅原文時が起用され』

どうも平安時代以降の改元の手順の基礎を知らないようですね
①天皇の勅命で新元号の選定作業開始
②勅命を受けた大臣は文章博士らの元号案を勧申
③文章博士らが中国の古典に基づいて二文字からなる佳字を選定し、典拠を付して録上
④大臣以下参議等はその案文について審議
⑤候補を絞り込んで上奏
⑥裁可を得て詔書を以って交付

昌泰四年(西暦901年)辛酉革命の為、延喜に改元
延喜三年(西暦903年)菅原道真死去
延喜ニ三年(西暦913年)延長に改元 道真右大臣に復し贈正二位
延長八年(西暦930年)清涼殿落雷事件、菅公の怨霊の仕業と噂
天暦元年(西暦947年)北野天満宮を創建
天暦十年(西暦956年)菅原文時、文章博士
天徳五年(西暦961年)応和への改元


75:日本@名無史さん
07/11/09 14:23:29
>>66
◎『派閥争いで信康が死んだのに、他の家臣は処罰されない』?
参ったなぁ…どう話せばいいんだ。
私の仮説は、派閥争いしてたのは家臣達。そして酒井忠次の讒言から信康へ対する疑惑が浮かび上がった、ということだ。
いいかい?派閥争いはあくまでも信康の『逆心の雑説』の裏にあったってことだよ。
◎『庇って切腹した家臣がいない』?
そりゃそうだろう。家康から岡崎家臣団に対して引き揚げ命令が出される。この後に信康に下手に接触したり、信康を庇ったりして信康の担ぎ手とされれば処罰を受けるからな。
そういや信康は自分が信頼する家臣以外に対しては非常に冷たかった、なんて話も聞く。他の家臣は信康を庇う気なんて無かったかもなぁ。

76:日本@名無史さん
07/11/09 14:35:19
>>66
◎『家康の独断で信康を殺したなら大久保は家康を侮辱する言葉、信康を褒める言葉は書かない、常識』?
君が勝手に妄想で作り上げた大久保の人格を根拠にしてるので別に答えなくていいですね?
◎『軍勢を率いての岡崎入り=徳川の威光を五徳に示すデモンストレーション』?
徳川に嫁に来てて何故今さら徳川の威光なんてものを示す必要があるんだw
むしろ家康が岡崎へ軍勢を率いて行かなければならないほど家康と信康は緊張関係にあったともとれるよ。

77:日本@名無史さん
07/11/09 15:24:19
○は「本能寺の変」を騙ってるつもりなんでしょうが、
信長のことも家康のことも、勝家のこともな~んも知らないようで・・・
秀吉や光秀のこととなると、全く触れてこないのは何故?

アマゾンの商品説明にある内容書き(「BOOK」データベースより)
『謎の女に手渡されたある作家の創作メモ。そこには、本能寺の変の真相を
解き明かす、新しい衝撃的な解釈が隠されていた…。明智光秀は果たして
本当に裏切り者だったのか、それとも忠臣だったのか…?そして秀吉、
信長の金印に秘められた謎とは…?新説・本能寺の変―今、定説は覆される。
新証拠により、四百年に渡る英雄信長・光秀・本能寺の変の謎を解き明かす
最大の衝撃作。』

『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』
これに関しては、一度も触れてこないね
ひょっとして、ひつこく騙ってる「牛」のこと?


78:日本@名無史さん
07/11/09 16:04:17
◎はっきり言ってしまえば○よ、ここで言い争ったところで『信康切腹は信長の命令か否か』の結論は出ない。決定的な証拠がないからだ。
◎徳川正史には『築山、信康の武田内通を疑った信長の命令』とある。
しかし『信長の命令ではなく家康からの上申』だったという史料も複数あり、『信長の命令』にしては不自然な点がいくつも指摘されている。
・信長は同盟関係だった徳川に対し何故遺恨が残る命令を出したのか?
・同盟関係だった信長に後継者を殺せという命令を受け、何故家康は助命嘆願をしないのか?
・信長がこのような命令を出せば当然徳川の離反ということを考えた筈だが、それに対する備えをした形跡がないのは何故か?
・当時衰退していた武田に内通するメリットがあったのか?
・正史によればことの発端が五徳なのに何故その五徳が助命嘆願をしたのか?
…等々。

79:日本@名無史さん
07/11/09 16:20:44
◎そしてそれらの疑問を払拭できるだけの証拠もなく、○独自の特異な解釈による『妄想』での反論のみ。
◎かといって前に挙げた疑問も状況証拠でしかなく、『家康からの上申』を裏付けるものでもない。
◎一番の問題は『前田本安土日記』の存在すら知らなかった○が、何故『信長の命令に間違いない』と言い切れてしまうか、なのだ。


80:日本@名無史さん
07/11/09 16:47:18
>>77
大庭博先生によると、アマゾンで売ってるのは偽物らしいwww
だから、真実を知りたければ、自分に直接300万円振り込んで買えと仰ります。

81:日本@名無史さん
07/11/09 23:05:32
>77
>『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』
>これに関しては、一度も触れてこないね
>ひょっとして、ひつこく騙ってる「牛」のこと?

「見てください。決して『天下布武』との文字に印鑑は見えない。
『天』は『元』の字に見え、『下』の字は三線を並べたように見える。
一番上の線は両端が上がって角の形、二線目は下顎の形、三線目は鼻の形に似る。
つまり『牛の顔の絵』です。
さらに『布』は二本の三股の鉾を置いたように書かれ、
一番目の鉾の刃先の一刃に根元のついた二本目の鉾が下に向かって伸びている。
これは『三神一体の神から分かれた三面一体の神』を意味しているのでは?
つまりシヴァの分霊マハーカーラの意味です。
最後の『武』の字はどう見ても人の顔に二本の角が生えた絵、つまり『鬼神』。
印鑑は本当はこう読むのが正解なのではと。
『元の牛。三神一体の神から分かれた三面一体の神にして鬼神』。
これはマハーカーラ、或いは聖天・茶吉天・弁財天の三顔の摩多羅神、
つまりはその原点牛崇拝と暴風雨神ルドラの重なった三神一体のシヴァ神をも
意味するのではないですか。
『元』も三神一体を意味できるように、上下に三線が合わさっていますね」(p284)

「ええ。豊臣という字と比べるとかなり変わった形をしているのが分かるでしょう。
これは『豊』の上の『曲』の部分が角ある顔、その下の『線』が片手を上げている形、
『豆』の部分が人の胴体、つまり『牛頭人身』を示し、
『臣』の字は頭に二本の角のある横顔、鬼を表しているんですよ」(p408)

…博くんの解釈には夢が溢れている。

82:日本@名無史さん
07/11/10 01:42:54
>>77「秀吉、信長の金印」???

秀吉の蚯蚓印は鋳銅製だろうし、信長の「天下布武印」も本物ってないから
○は、なんで金印って判ったんだろうね

83:日本@名無史さん
07/11/10 05:55:15
全ては『マハー』第二版に書いてあります。





84:日本@名無史さん
07/11/10 16:21:28
○「本能寺の変、425年目の真実」 :2007/02/06(火) 10:39:12
○そろそろ人大杉、人多すぎ状態をなんとかしてくれ。
自由に書き込めないぞ。
○信長は剣術とか、兵法を誰に習ったのか?

85:日本@名無史さん
07/11/10 16:23:25
スレリンク(history板:312番)
スレリンク(history板:315番)
スレリンク(history板:319番)

86:日本@名無史さん
07/11/10 18:08:39
博くんは馬でも鹿でも牛に見えるんだなw


87:日本@名無史さん
07/11/10 22:43:31
そもそも大久保彦左衛門が書いた「三河物語」は、
信康切腹は信長の命令のためとしているんだから、
そこで信康を褒め、その死を悼んでも神君家康を侮辱すること
にはならないだろ。
家康は被害者とされてるんだから。
この事件は家康が信康の処分を決め、信長はそれに承諾を
与えただけだと考えるが、その事実を徳川家の正史では
加害者だった家康を被害者に、信長を加害者にすりかえて
いるのだと思う。
何しろ神君が加害者、つまり妻子殺しなどとは口が裂けても
言えないからな。

88:日本@名無史さん
07/11/10 22:53:26
信長の命令ということにすれば徳川家に屈辱的だと○は
言うが、江戸時代の民衆はそうではなく「そういう理不尽な
命令を出した横暴な信長を憎んだ」ようだ。
信長は秀吉とは対照的に、江戸時代には武士にも庶民にも人気が
なかった。
信康を信長が殺させた件は新井白石も信長を非難するネタの一つに
している。

89:日本@名無史さん
07/11/10 23:12:08
徳川家の正史では家康と信康の間には何の問題もなかった
ところへ、信長が半ばいちゃもんのような難癖をつけて
信康を殺させたことになっている。
ところが一次史料の「松平家忠日記」では、この父子の
間が決して安穏ではなかったことが窺われる。
死後神となった家康に、親子間の争い、お家騒動があった
ことが後世に伝えられるのは望ましいことではあるまい。
一次史料の「家忠日記」と、
家康美化が目的の徳川正史。
どちらに信が置けるかは言うまでもなかろう。

90:日本@名無史さん
07/11/11 02:01:32
>>66 『派閥争いで信康が死んだのに、他の家臣は処罰されない』

▽信康の自刃後に蟄居又は出奔した家臣(西三河衆)
平■■吉、長沢■忠、■多■富、■■直勝、伊■忠■など
(資料の読めない○だけに解らないように伏字にしてみました)


91:日本@名無史さん
07/11/11 07:29:04
信長の命令ということにしたら屈辱?
そんなことより権現様が息子に謀反を起こされ
結果妻子を殺したとありのままに認めることの方が
幕府の御用学者には出来なかったろう。
だから信長の命令ということに捏造した。
屈辱などという発想は彼らにはなかったはず。
同盟とは言え家康は当時、信長の軍事指揮権に従って
姉川ほかに軍勢を出していた。

92:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/11 07:29:05
>>90
>伊■忠■
伊能忠敬だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。

93:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/11 08:03:19
>■■直勝
山口直勝だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。


94:本能寺の変、四百二十五年目の新装
07/11/11 08:45:14
>>90
>伊■忠■

伊藤忠商事だろ?
1文字足りないのはひっかけだな


95:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/11 08:55:43
>>90
> 平■■吉
平安橘吉だろ。
そのようなこと伏字にしても、唯一無二の真実の資料をもつ私の前には、何の意味も無い。

96:∞
07/11/11 09:09:37
日本史ネタの自費モノは
中身が最悪な勘違い系
地域の市立図書館で
知らずに借りて怒った
こと思い出した

97:惟神塾へようこそ
07/11/11 10:28:49
 30万人の死者を出したスマトラ沖地震は神の最後通牒
 日月神示は言う。これだけに、世界に荒事をさして見せて、神示通りに出て
来ても、まだ、目醒めんのか。まだまだ改心中々じゃなあ。悔い改めよ。恥じ
畏れよ。
 一日に十万人、人死に出したら神の世が愈々近づいたのざから、よく世界の
事を見て皆に知らして呉れよ。北(ロシア)から来るぞ。神は気も無い時から知
らして置くから、よくこの神示心にしめて呉れよ。一日一握りの米に泣く時あ
るぞ。幾ら買い溜めしても神の許さん物一つも身にはつかんぞ。
 悪の総大将(メーソン)は奥に隠れて御座るぞ。一の大将(米)と二の大将(露)
とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組み、もう九分通り出来て
いるのじゃ。今ではテロ撲滅国とテロ支持国。悪も改心すれば助けてやるぞ。
神の国を千切りにして膾にする悪の仕組みは判りておる。悪神も元神の仕組み
を九分九厘まで知っていて、天地ひっくり返る、神力と学力との大戦となるの
ぞ。この世は神が掃除してさらつの世にするぞ。
 親と子であるから臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよ
くもここまで落ちぶれてしもうたな。鼠でも三日先の事を知るのに、臣民は一
寸先さえ判らぬ程に曇りなされたな。
 今の科学は科学の事は判るがそれより上の事は判らん。今の科学はあるもの
があると言う事だけしか判らんのじゃ。
 神の意志はこの世の動き見れば判る様にしてあるぞ。
 殺人事件や戦争は殺生の警告。狂牛病、口啼疫、鳥インフルエンザは肉食の
警告。鯉ヘルペスは魚食の警告。エイズは享楽的姦淫の警告。エボラ出血熱等
の奇病は遺伝子操作の警告。広島等の原爆被害は核開発の警告。
 科学文明による便利で贅沢な生活は世を潰す本である。地震等の天変地異は
これら人間の悪業に対する、神の怒りの極まりによって起きるのである。
 人間は苦しみによって成長し、苦しみが深いほど神の愛情が深いのである。
今、幸福な極楽トンボには地獄の苦しみが待っているのである。


98:日本@名無史さん
07/11/11 11:42:23
 大庭博は日本の歴史をもう一度勉強し直せ
 後述の理由から、朝廷黒幕説など有り得ないのである。
 百歩譲って、信長の支配が気に入らないから、光秀に討たせたのなら、なぜ、
光秀に綸旨を出すなどの協力をしなかったのか。光秀が綸旨を手にすれば天下
を取っていたのである。信長を殺しても第2の信長が出て来る可能性は高い。
綸旨を出しても天皇は重責を問われない。重くても島流しになるくらいである。
戦乱がまた繰り返される事は天皇にとって不利益である。武家が戦費調達のた
めに疲弊して、天皇に対しての貢物が無くなってしまう。それこそ、死活問題
になるのである。
 天皇が主体若しくは黒幕で政権を獲得しようとしたのは、後醍醐天皇の建武
の新政である。それも結局、足利尊氏によって政権を奪われてしまった。すな
わち、武力で支配できない天皇では政権を維持できない。だから、天皇は武家
の支配に甘んじてきたのである。後白河法皇のように源頼朝と源義経に勢力を
お互いに争わせて、片方を強力にさせないように操縦したのである。義経を討
たしたのはこの法皇である。明治維新は偽の明治天皇(大室寅之祐)を立てて
倒幕に利用したのであり、天皇が実権を握ったのでない。黒幕岩倉具視が牛耳
っていたのである。

99:日本@名無史さん
07/11/11 22:04:21
親が子を殺すはずがないと○は単純に考えてるようだが、
武田信玄の長男・義信の謀反、自害事件を知らないようだな。
この時代には親子の対立など珍しくないし、本人たちにその気が
なくても回りがそうしてしまうこともあった。
この事件も岡崎衆が信康を担いでクーデターを起こそうとしたものを
家康が察知して先手を打ったのだろう。そのためには核となる
信康を始末するしかなかった。

100:日本@名無史さん
07/11/11 22:13:11
担ぎ手も担ぐものが無ければ担ぎようがないからな

101:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 03:34:08
博くんの主張は、史料や実例をあげるのではなく
「~のはず」という、勝手な自分の思い込みばかりだからなあ。
その思い込みの「~のはず」が、
自分の中だけで勝手に常識にすりかえられてるから、
全くまともな議論ができないw

詭弁というほど上等なものではなく、
ただの頭の弱い子の妄想だな。

102:日本@名無史さん
07/11/12 03:36:52
すまん、名前欄に昨日のネタが残ったままだった。
&糞スレあげちゃってごめんね。

103:日本@名無史さん
07/11/12 04:24:08
家康黒幕説が正しい
わざわざあの時期に信長を接触したこと自体が変だし
伊賀越えも事前準備がされてたから比較的スムーズにいった
穴山は証拠隠滅で殺したのだろう
帰国後すかさず同盟国の甲斐信濃へ侵攻、川尻秀隆を殺している
それに明智家臣の斎藤利三の娘は3代将軍の家光の乳母の春日の局
明智光秀は南光坊天海として徳川家に仕えたとも言われている


104:日本@名無史さん
07/11/12 04:36:48
まだやってんのか飽きないな。

105:日本@名無史さん
07/11/12 05:27:01
妄想癖のある老人相手のボランティアなのさ。





106:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 10:19:52
>>70>>71>>72●「天徳」について。●
笑止、また知ったかぶりをしたな。でっち上げの中傷がばれたね。
「太政威徳天」というのは、道賢という僧侶が、
冥途めぐりをしたという「冥途記」にすでに出てくる。菅原道真公の別名だ。
その道賢は延喜年間に実在した人物。天徳はそれより五十年ほどあとの元号。
句は扶桑略記をよく読め。学者はこのときの内裏火災で火防ぎのあらゆる祈祷など、方法が行われた。
これほどの常識も知らないとは。

>>73文章博士は菅原文時だけではないだろう。
「応和」はわざわざ菅原文時のものを特別に上にあげたのだ。
「天徳」のようなたたりがないように。

107:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 10:28:54
>>77>>81>>82「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
諸君、何を寝ぼけているのかね。
こちらは専門書をそろえている。
●信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。
●秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。
それに「聖戦 マハーカーラの女」の都合のいい抜粋はやめてもらおうか。
著作権侵害にもなるし、他の傍証もあわせて読まないと読者は誤解する。
それに、理解するには、きちんと一冊読まないと誤解を生むしね。
諸氏は、しっかり専門書の印鑑を見るんだね。

二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
虚偽だけの世の中で、この一冊だけには嘘がない、、、
本物を知ったものに、嘘をつく必要は何もない。
なぜなら矛盾が出ないからだ。

108:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 10:45:42
>>85->>99「証明できないというのなら最初から書くな。いくら言われても私の説は次の通りだからね」
●松平信康、後の天下人徳川家康の長男である。家柄も良い。
母築山殿は今川義元の妹の娘、父も今川の名家である。
しかも、信長最愛の娘徳姫を正妻に貰っている。この徳姫は信長最愛の側室生駒御前の娘であり、
同腹には織田家後継ぎ信忠、次男信雄がいる。
●言わば、天下人信長の保護、援助、後ろ盾が約束されたも同じである。
家康にしても凄い人質を得、織田の援軍が約束されてるようなものだ。
●信康には武勇があり、彼を次の国主と慕う家臣、親衛隊も多く居ただろう。
●徳姫に子供でも生まれれば間違いなく、家康後は、次の国主、その地位も安泰である。
ところがこれが生母とともに切腹させられた。
これが派閥争い、謀叛のためという説を唱える人がいるのだ。
●もし不行跡なら、彼を庇って切腹する家臣、派閥争いでも彼を庇って死ぬ家臣が出たろう。
ところがそれもない。家康の長男、正妻が殺されたのに、騒動の元となった重臣、信康側近の家臣
が殺されないわけがあろうか? いや、なぜ次の国主を庇って死んだ家臣がいないのか?
●また、対立する家康の周辺でも信長の後ろ盾のある信康に刃向かうものがいるか?
●理由は徳姫との不和、[おそらく築山殿もからんでいる]としか思えない。
それが信長を激怒させ、危険視させたのである。信長には武田と長年争っている徳川がいまさら裏切れまいとの計算もあったろう。
●それ故、家臣にカバーして死んだものが無いのである。


109:日本@名無史さん
07/11/12 10:55:04
>信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。

誰の小説かな。

110:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 10:59:44
>>87>>88>>89>>91>>99
●まさに笑止だな。天下とった徳川家、しかも内紛話だろ。
どうとでも都合が悪ければ書き換えられるのに、なぜ正史を家康の屈辱話にする必要があるのか?
「まえにも述べたが、ひどく武勇があったが、悪逆非道だったので、神君は人民、家臣のため断固処分された。
と模範、規範話にして残すことも可能だったはずだ。その方が泣いて愛臣を斬った孔明の話のごとく尊敬される。
どうしても残したくなければ信康の病死、事故死、発狂死、どうとでもできる。
誰が天下の徳川の歴史に文句をつけれる?
その信長からの命令という話が残っているのは、それが知れ渡った真実で隠しようが無かった。
もうひとつは子孫への教訓話として、このようなときにはこう行動されたと貴重だったから。
貴族などの記録は子孫へ教訓として残されるのだ。


111:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 11:06:01
二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
妄想だらけの小説で、この一冊には真実がない、、、
妄想を語ったったものを、相手にする必要は何もない。
なぜなら時間が無駄だからだ。


112:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/12 11:23:50
「天徳院」

中世史、戦国史最大の歴史発見は一九九七年二月に行われた。
それは、戦国史最大の迷宮とされた本能寺の変、
天正十年[西暦一五八二年]六月二日、京都本能寺における織田信長襲殺事件の謎、
家臣明智光秀軍勢のクーデターとされる謎である。

「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

上の書物は、戦国史最大の暗号「本能寺・コード」
「京都秘密文書」へのキー、序曲に過ぎない。

だが、それは最大のキーのひとつである。

天正十年、六月二日、、、
第六の月、二日の変、、、朝日の昇るとき、、、、





113:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の母
07/11/12 11:36:57
馬鹿の繰り返しですいません。
息子は精神を病んでいます。

どうぞ大目に見てやってください。

114:惟神塾へようこそ
07/11/12 12:05:05
 日本の古代文明は現在の科学より遥かに進んでいた
 楢崎皐月氏が紹介したカタカムナ文字は片仮名の意味を図象したもので、宇
宙、言霊の成り立ちが示されている。ミトロカエシは原子変換の方法で、鉛か
ら金に変換できた。いわゆる錬金術である。気の作用で原子変換する方法で、
現代科学のように力づくで原子を壊して分裂させるものでないから、有害な放
射性物質は出ない。人間の体内でも原子変換が行われている。体内で薬を作る
事も出来る。気を操作する事で身体が反重力装置になる。
 タシロカキは土壌を活性化する方法で土を練る事によって稲の生育が良くな
る。人間の言霊と神の相互作用によって、言葉通りの現象が実現できる。ピラ
ミッドは粘土を一段づつ成型しながら石に変化させて作った。だから、今の科
学技術で以ってしても作る事は難しい。オーパーツはこの様な技術で作られた。
 日本人から分かれて、地球の空洞の地底に住むアルザス人が日本文明を悪用
して、UFO、遺伝子操作、超LSI集積回路、プラズマ兵器等を開発した。
メーソンはこの事を隠蔽し、これを独占したいために、偽科学と宇宙人のプロ
パガンダを行っているのである。


115:日本@名無史さん
07/11/12 12:14:02
さあ、今日もボランティアで、馬鹿の相手をするか

>>106
>「太政威徳天」というのは、道賢という僧侶が、
>冥途めぐりをしたという「冥途記」にすでに出てくる。
「道賢上人冥土記」はいつの文献かな?その成立は?
文献を使う上での大前提って知ってるかな?
ちゃんと当時の記録から実例を拾いましょうね。

>その道賢は延喜年間に実在した人物。天徳はそれより五十年ほどあとの元号。
「道賢上人冥土記」の舞台は天慶四年だけど。
そんな事も知らずに「冥土記」のこと語ってるの?

>句は扶桑略記をよく読め。
だから『扶桑略記』のどこに書いてあるか教えてよ。
出典を明確にするのは学問の基本だけど。
孫引きで書いてるからわかんないのかな?

>文章博士は菅原文時だけではないだろう。
文章博士の定員は一人ですが?
これほどの常識も知らないとは。

116:日本@名無史さん
07/11/12 12:44:38
>>108
◎『なぜ重臣に処罰された者がいないのか』?
わからない人だな。信康切腹に前後して処罰された、逃亡したと思われる家臣が数人いるんですよ。ご丁寧に伏せ字で挙げてくれた人がいたろ。
◎『なぜ次の国主を庇って死んだ家臣がいないのか』?
そうすれば次代で重用されるとでも言いたいの?
次の国主はあくまで次の国主だから今の国主に地位を奪われては次の国主にはなれないよ。わかる?
もしくは『悪逆非道』であった為、家臣達も見殺しにしたのかもねw

117:日本@名無史さん
07/11/12 12:51:28
◎『理由は徳姫との不和』?
他家の婿を切腹させよという命令を出すほどの信康五徳の夫婦喧嘩とは?
それが原因なら五徳の助命嘆願の事実をどう説明する?
君はこれが『事実』だと言うんだから、何かしら証拠があって言っているんだろうな?
前に挙げたような『家臣の不満を逸らす為だろ』みたいな君の創造による回答は勘弁してくれよ。

118:日本@名無史さん
07/11/12 13:21:44
>>110
◎『信長の命令だった』としたときに不自然な点がいくつもあり、「信長の命令ではない」という史料もある。
だから徳川正史に残された『信長の命令』だったという記述が幕府の手による改竄ではないかと言われているんだよ。
君は不自然な点については想像での回答しか示してないし、「信長の命令ではない」と書かれた史料は読んでない。
一方の史料しか読まずに真実と決めつける、そして自らをいっぱしの研究者だと自称するとは片腹痛いな。

119:本能寺の変、四百二十五年目の真相。の母
07/11/12 13:54:30
妄言の繰り返しですいません。
息子は精神を病んでいます。

どうぞ大目に見てやってください。

120:日本@名無史さん
07/11/12 14:25:32
>>107
『「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
諸君、何を寝ぼけているのかね。こちらは専門書をそろえている。』
 
揃えているという専門書やらの名前教えてくれるかな?


『信長の天下布武の双龍印は金印だったが、朱肉ののりが悪いので馬蹄形、
元に戻した。』

印章の違いがあるのは知ってるよ。で、現存しない「天下布武印」が金印って
どうやって知ったの?


『秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。』

今はどこにあるのかな?

121:日本@名無史さん
07/11/12 14:32:49
光秀は朝鮮人だった!

122:日本@名無史さん
07/11/12 18:50:07
秀吉謀反 異説本能寺の変 土岐信吉著
というのを読んだ。
秀吉黒幕説の小説なのだが、一番得した奴が犯人という法則からすると有りなのかなとも思う。


123:日本@名無史さん
07/11/12 19:15:12
土岐信吉…
銀山光秋に並ぶくらい怪しげな名前…


124:日本@名無史さん
07/11/12 19:22:42
>>106 
「学者はこのときの内裏火災で火防ぎのあらゆる祈祷など、方法が行われた。」

 学者って、誰? いつ?天徳何年何月? 火防ぎのあらゆる祈祷って何?

「文章博士は菅原文時だけではないだろう。」
 文章博士は、式部省配下大学寮の紀伝・詩文を担当して教授する令外の官職
 定員は1名

そもそも何をネタ元にして、何でもかんでもそう断言できるの?



125:日本@名無史さん
07/11/12 19:48:05
西洋かぶれした信長をよく思わない攘夷主義の商人や民衆は幕末のように多くいた
そこで朝鮮かぶれの家康が黒幕になって光秀と韓流主義の民衆にクーデターをやらせた
恐れ多くも寺に火を放つなど朝鮮人の得意技だからな
これで日本における親朝鮮政権ができるはずだったが
秀吉が何とか韓流の家康を丸め込んで国粋政権を立てた
だが家康はまた朝鮮に頼んで秀吉の力を弱めてもらい天下を取ってしまう
親欧米か親朝鮮(中国)か、日本という国は400年も前からこの問題で揺れているのだなあ

126:日本@名無史さん
07/11/13 07:18:52
信長の命令ということでは屈辱だと○はまだ言うが、
ではなぜそれが徳川家の正史に残ってるのか?
それこそ改めればいいだけの話だろうに。
自分でも病死、事故死、何とでもできると言ってただろ。
それが正史にあるということは屈辱だとも何とも思ってなかった
ということだろうが。
それより彼らには神君の傷を隠すことの方が大事だったのだよ。

127:日本@名無史さん
07/11/13 09:48:09
>>126
どうせ「事実として知れ渡っていたから」とか言うんだよ彼は。
今川家の人質時代や、河尻秀隆の件、知れ渡っていたであろうことも捏造してるんだけどね。

128:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 10:20:15
>>115●笑止、またひどい知ったかぶりをしたな。
「冥途記」はその前に原型があったものを、新しい解釈もいれて書かれたというのは常識。
道賢も実在している。
そして道賢の「冥途記」の舞台は「天慶」は「天徳」の前にある元号。
これは常識。解るかね? 
その天慶の舞台に「太政威徳天、道真公」という名前が出ている。
●「天徳」はその後の元号。まさに常識が無い。
●扶桑略記をよく読めよ。読んでないんだろ?
●「文章博士」おいおい前職が何人もいるだろ。
一人の意見だけではなく彼らの前職、周囲の意見も聞くはずだろ。
それに菅原道真公のたたりがささやかれるようになってから地位についてるのだ。


129:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 10:24:09
>>113>>119●ひどい偽者、出鱈目だな。確認しました。
皆さん、私の母に成りすまし、
平気でこんなことを書くやからです。
これは、、、他人に成りすますのは立派な犯罪だ。
警察へ通報しょうかな?


130:日本@名無史さん
07/11/13 10:34:29
>>128 『一人の意見だけではなく彼らの前職、周囲の意見も聞くはずだろ。』

>>74 「改元の手順の基礎」のレス読め
『彼らの前職、周囲』って誰?

『それに菅原道真公のたたりがささやかれるようになってから
地位についてるのだ。』

何に基づいてそう言い切る?文時のこと知らないな
笑止、またひどい知ったかぶりをしたな。


131:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 10:37:52
>>116●笑止、何馬鹿なこと書いてるんだね?「もし君の言うとおり派閥争い、権力闘争ならだよ」。
家康が自分の息子、正妻を殺してるのに、派閥を扇動した重臣、中心人物が処罰くらいですむかね。
徹底した粛清が行われるはずだよ。信長の支持も得たのならね。怖いものはもう無い。
そういうところが常識が無い。
●今の国主の家康が、なぜ後継ぎに不安があるのに次の国主候補を殺す?
しかも愛する長男である。少し我儘でも手なづけ、味方にした方がはるかに良い。
しかも信康は母を愛してる。母を人質にする手もある。
>>117●信康家臣の恨みをそらすために、助命嘆願でも書かせる。
よくあることと言ったろ。
>>118だからその史料が織田家が繁栄して、皆がその機嫌を伺っていたころ、
その威勢に脅えて、史実をはっきり書けなかったこともあると言ってるだろ。
時が過ぎ、織田家が力を無くして、真実がやっと書けるようになった、、、
で、後から出た史料の方がずっと正しいということもある。
今も第二次大戦記録などで良くあることだ。

132:日本@名無史さん
07/11/13 10:46:22
>>128
>「冥途記」はその前に原型があったものを、新しい解釈もいれて書かれたというのは常識。
相変わらず頭があまりよろしくないようでw
その原型というのは何?新しい解釈とは?書かれたのはいつ?
曖昧な説明ばかりで具体例が全くないのだが。
常識というが、そういう説明をしてる研究論文を教えてくれ。
そして、その原型とやらに「太政威徳天、道真公」と書いてある証拠は?

>●扶桑略記をよく読めよ。読んでないんだろ?
はいはい、毎度の逃げ台詞www
それでは
私は『扶桑略記』を未読ですので
どの部分に書かれているか教えていただけませんでしょうか?
これでちゃんと説明できるよね?

133:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 10:48:44
>>120●常識。金印鑑についてはそこらの専門書を読めよ。別に嘘はない。
豊臣金印も有名だしね。
>>124●よく知られた史実だろ。「冥途記」をよくしってるくせに、その天徳の内裏大火災の後の
ことを知らぬとは言わせないぞ。
>>126●馬鹿いえ、家康の天下とりの道筋は周囲にもよく研究されたに違いない。
貴重だからな。だからできるだけ正確に子孫のために残す教訓にするはずだ。
だから正確に残されたんだよ。こんなとき、こんなふうに行動されましたとね。
それに天下を取った大勝ち馬の道筋。
仮に息子の謀叛でも恥にはならんさ。またそのように歴史を書くさ。


134:日本@名無史さん
07/11/13 10:49:57
>>131
◎『派閥争いが原因なら重臣を処罰しただけで済ませるか』?
何?未だに俺の『仮説』に対する反論を述べてるの?『仮説』だから何とでも言えますけど?
私の『仮説』でいえば謀叛の計画は初めっから存在しなかったもので忠次が西三河衆を追い落とすための口実。
ところが家康は築山、信康が首謀者と勘違い。担ぎ手が担ぐ前に御輿を壊したって寸法さ。
◎『何故跡継ぎに不安があるのに殺す』?
だからさ、自分が跡継ぎに殺されるかもしれない、追放されるかもしれないという疑心暗鬼に陥ったら跡継ぎもクソもありませんでしょうよww?

135:日本@名無史さん
07/11/13 10:53:06
最近の博くんは「常識」という語を使うのがお気に入りみたいだね。

得意気に使ってるが、何事も自分の中の「常識」で片付け
根拠となる史料も、当時の具体例も挙げれない。
研究者として「私は無能です」と宣伝してるようなものだがwww

しかし、博くんから「常識がない」と言われると、非常に笑えるな。

136:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 11:02:41
>>132●笑止だな。何言ってるんだね? 議論を挑んで読んでないなどとは?
「扶桑略記」くらい読めば。ほとんど常識だよ。
●議論ネタ●「冥途記」の道賢が冥途で太政威徳天と会った。
それは天慶年間の話である。ところで天徳はその話の後の元号。
で災難が内裏にあり「天徳」は火神、火雷天神、つまり「太政威徳天」
の号であるからだと怖がられ、「応和」に改元になった。
このことが別に無理なく証明されたということだ。
>>130●何言ってる。菅原文時ひとりで元号は決めるのか?
上の賛成意見が出ないとならないはずだぞ。


137:日本@名無史さん
07/11/13 11:03:00
>>107
>「織田信長の天下布武、豊臣、金印について」
>諸君、何を寝ぼけているのかね。
>こちらは専門書をそろえている。

>>120
>揃えているという専門書やらの名前教えてくれるかな?

>>133
>常識。金印鑑についてはそこらの専門書を読めよ。別に嘘はない。

○に対話能力が全く無いことが明瞭な一例www
まあ、具体的に書名が出せないから、
かみ合わないレスで必死に誤魔化してるんだろうけど

138:日本@名無史さん
07/11/13 11:03:09
>>131
◎『信康家臣の不満を逸らすため』?
言ってることわかってる?
信康の弾劾状を送ったのが五徳なんだよ?正史によれば忠次がそれを知っている、つまり徳川家臣は五徳が信長に訴え出たことは承知している訳だ。
その状況で五徳が助命嘆願したと言ったところで誰が納得する?誰の不満が晴れる?
◎『威勢を恐れて史実が書けなかった、後から出た史料が正しいこともある』?
だからといって君が都合のいい史料だけを読んで真実と決め込んでいい理由にはならないでしょ?ガキか君は?
とりあえず「信長の命令だったとした時の疑問点」に君の『妄想』抜きで答えてくれよ。
「状況証拠」の方が『妄想』よりはいくらかマシだぜ?

139:日本@名無史さん
07/11/13 11:07:23
このスレの内容を要約すれば

大庭博「本能寺の変の黒幕は朝廷なんだよ。ボクのこの新発見が真実なんだよ
特別に300万円くれたら教えてやるぜ」
「へー。じゃあ、その根拠はなに?まず、証拠みせてよ」
博「え…、いや…、証拠はあるけど…、それは秘密。お前たちには見せられないね。
世界でただ一人、ボクだけが真実をしってるのさ。」
「なんだ、証拠もない妄想か、馬鹿馬鹿しい。」
博「うるさい!うるさい!ボクだけの秘密だけど、ホントにあるんだよ!
そんなこともわからないお前等が馬鹿なんだよ。ばーか」
「はいはい、勝手に一人で妄想してろ」
博「おまえら…なんで、ボクの大発見を認めないんだ……(涙)、
そうだ!おまえらみんなボクを陥れようとする、悪の秘密結社なんだ!
ボクの悪口言うやつは、みんなけいむしょ行きだ!」

まさに、このとおりのやりとりを展開してくれる、
みんなの期待を裏切らない大庭博先生。

140:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 11:12:32
>>134●まさに笑止、あんた歴史家に笑われるぞ。
家康がそんな、人の讒言に乗るような甘い人間でないのは
歴史事実が証明している。下調べ、正確な情報収集の妙味は設楽が原、
とくに関が原とか、大阪の陣を見ろよ。
●何で疑心暗鬼になるの?
軍勢つれて信康に会って、しかも話をし、力を無くさせているんだろ?
そしたら、常に側において監視させてれば良いだろ。そしてお前は大事な息子、後継ぎだからと、
家臣らに説得させ続ければいいだろう。
>>135●家康などの真実にそれほど特別な真偽不明の史料はいらんよ。
よく知られた確実な史料だけで充分ということもあるしね。


141:日本@名無史さん
07/11/13 11:15:26
>>107 
>秀吉には「豊臣」という大きな金印が存在する。

>>120 
>今はどこにあるのかな?

>>133 
>豊臣金印も有名だしね。

○に対話能力が全く無いことが明瞭な二例目www


142:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/13 11:21:28
>>137●印鑑知識なんて、ごく初歩だろ。
君に常識とされる知識が無いだけ。
>>138●多くの家臣は何が原因か、今みたいに詳しく知らされるか?
風評だろう。だから徳姫の助命嘆願が出されていると聞いて、
家臣らの多くは、別に徳姫様のことだけが死の原因ではないのだ、
別にも大きなことがあるのだ、
例えば武田との密通か?などとと思うに違いない。
そこが織田の狙いだよ。
●後から出た史料が、当時恐れてかけなかったこと、
新証人のことばも書かれていて正確。良くあること。
>>139●まさに笑止。
子供の脳みその書く間抜けなプロパガンダ工作の文章を見てくれ。


143:日本@名無史さん
07/11/13 11:30:43
>>140
◎『家康は讒言に乗る人間ではない』?
だから妄想で話をするなと言っている。
そもそも関ヶ原、大坂の役共に家康がそれなりの経験を積んでからの話だろ?
それに『讒言に乗る人間ではない』という家康像が後になって造られた可能性も否めない訳だからな。
◎『信康を監視下に置いて説得し続ければいいだろ』?
謀叛の嫌疑がかかったが息子だから命は助けるとなっては家臣に示しがつかないと思ったんだろ?
誰であろうと逆心を抱けばこうなる、と示すことは大事なことだからね。
『仮説』だから何とでも書けるよ。
◎それより俺の質問に答えてくれよ。『信康の切腹が信長の命令だったとしたときの疑問点』に君の『妄想』抜きで答えてくれよ。
『真実』だと言い張るんだ、きっと証拠はあるんだろう?

144:日本@名無史さん
07/11/13 11:31:31
>>141
>●印鑑知識なんて、ごく初歩だろ。君に常識とされる知識が無いだけ。

○は「豊臣」印は現存しない、っていうことも知らないんだね
なぜかは教えないよ

145:日本@名無史さん
07/11/13 11:41:42
大庭博流論破術の奥義を特別に君達に教えよう。

まさに笑止。
君に常識とされる知識が無いだけ。

これで、大抵の質問は論破できます。
このように答えれば、根拠や具体例をあげる必要は一切ありません。
これで、どんなに自分が無知無学でも議論に勝利できる必勝のテクニックです。

146:日本@名無史さん
07/11/13 11:43:15
>>142
◎『多くの家臣は詳しく知らない』?
信長が嫡男を処刑しろという命令で家臣達から反発があったと書いたのは君だぞ??多くの家臣が知らなくて誰が反発したんだ?
いいか?主君の嫡男が他家からの命令で殺されれば、家臣が『よくわからない』で納得するはずがないだろ?常識で考えろよ。
そもそもことの顛末が忠次から漏れることだってあっただろう。そうなったら形ばかりの五徳の助命嘆願は意味を成さなくなるんだぞ?

147:日本@名無史さん
07/11/13 15:31:29
通りすがり、新たに覗いた方々へ

二千年でただ一冊、「聖戦、マハーカーラの女」
虚偽だらけのこの一冊には嘘ばかり、、、
本物、本物と連呼するが、嘘・出鱈目をスレ住人に悉く論破される。
なぜなら矛盾と妄想の域を出ないからだ。

現在も「笑止」千万、「ひどい知ったかぶり」のオンパレード炸裂中!

148:通りすがり
07/11/13 15:46:35
信長が美濃を取る以前に朝廷から京に上るようにと朝廷から勅諭が来たのは皆さんご存知かと思う。
足利義秋がまだ坊主だった時の話である。
ではなぜ、朝廷は尾張を統一したばかりの信長のような弱小大名に朝廷が勅諭を出したのかという謎が残る。


この信長に勅諭を出させた勢力が本能寺に絡んでいると見るのが自然な推理だと思うのだが
どうでしょう。

149:日本@名無史さん
07/11/13 17:38:24
取り合えず○は徳川家の正史にあることは全て正しいと
思ってるわけだ。
まさに笑止だな。
徳川家、幕府の支配を正当化するために書かれたものが
全て真実とはおめでたい。
家康の事績とされるものにウソや誇張が多いことは
多くの研究者が指摘してる。
○はそういった最近の論文、本などを全然読んでないことが
丸分かり。
信康の件は、以前通説の通りに描かれたドラマを見た時、
「残酷な信長、可哀相な家康、信康」と思った。
それが江戸時代以来普通の受け止め方だろう。
「家康の屈辱」などと感じるのは○だけ。

150:日本@名無史さん
07/11/13 17:44:03
>>148 
>弱小大名に朝廷が勅諭を出したのかという謎
1. 勅諭× 綸旨○ 
2.永禄二年の上洛は足利義輝への謁見が目的
  永禄元年(1558)11月27日 将軍足利義輝、三好長慶と和睦して上洛
  永禄2年(1559) 2月 2日 織田信長、足利義輝に謁見
           4月27日 長尾景虎、正親町天皇や足利義輝に謁見
3.上洛綸旨は美濃平定後、発給
  永禄10年(1567)     信長、美濃平定
    同年     11月頃  立入宗継勅使として岐阜下向
               信長に対し綸旨と権大納言万里小路惟房の添え状下賜
  永禄11年(1568) 9月26日 信長、足利義昭を奉じ上洛 

○結論○ 
「信長が美濃を取る以前に朝廷から京に上るようにと朝廷から勅諭が来た」=事実でない

従って、「信長に勅諭を出させた勢力が本能寺に絡んでいると見るの」は不適当

151:日本@名無史さん
07/11/13 19:24:36
後継者がどうと○は言うが、信康が死んだその年に、
後に2代将軍となる秀忠が誕生している。
その母は家康が最も愛したと言われるお愛の方。
家康としても、不仲の築山殿所生の信康より、
最愛の女性が産んだ子を跡継ぎにしたいと考えても
不思議はない。
従って信康を消したら後継者がいなくなる云々は
的外れ。

152:日本@名無史さん
07/11/13 19:54:02
○に何を言ってもムダなのでその他の人向けに書くが、
天正7年8月に家康は信長側近の堀秀政に宛てて書状を書いている。
そこには「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候・・・」で
始まり、信康不覚悟により岡崎を追い出したとある。
これは酒井が信長から五徳の12ヶ条の書状を見せられそれを肯定してしまった
というのとは明らかに反し、家康の方から信康について信長に相談したことを
示している。
通説では酒井が申し上げではなく、信長と酒井のやり取りなど家康の予期せぬ
ことのはず。
これによって信長が「家康存分次第」と言ったという「当代記」の記述が
裏付けられる。

153:日本@名無史さん
07/11/13 20:55:22
分かっていないのは○大庭博だけだよ。ムキになりなさんなって。






154:日本@名無史さん
07/11/14 01:30:55
>>133
>●よく知られた史実だろ。「冥途記」をよくしってるくせに、その天徳の内裏大火災の後の
ことを知らぬとは言わせないぞ。

扶桑略記に引用されている「道賢上人冥途記」の内容と天徳の内裏火災は全く関係ないから、
○の言う『よく知られた史実』っていうのは知らんよ
「古今著聞集」に書かれている事なら知ってるけどね

○は、よく知ってるようなので説明してくれ


155:日本@名無史さん
07/11/14 02:12:54
カエサル暗殺の黒幕は共和派元老院だから
信長暗殺の黒幕は朝廷じゃない?

156:日本@名無史さん
07/11/14 02:16:37
クソ本「聖戦、マハーカーラの女」を持ってしまってる方々へ

巻末にもし、参考文献など載っていたら列挙していただけませんか?
(三文小説なので、ないとは思うけど・・・)

157:日本@名無史さん
07/11/14 07:05:28
>156

参考文献
『ノブナガは誰か?』細川広次 新人物往来社
『二人の天魔王』明石散人 講談社
『鬼の日本史』沢史生 彩流社
『第六天魔王と信長』藤巻一保 悠飛社
『仮面をぬいだ家康』小林久三 光文社
『織田信長と安土城』秋田裕勝 創元社
『完全検証 信長襲殺』新人物往来社
『日本探偵小説全集6』小栗虫太郎集 創元推理文庫
『明智光秀』徳永真一郎 PHP研究所
『本能寺の変の黒幕は足利義昭か』染谷光廣 新人物往来社 別冊歴史読本、一九八九年十一月号所収 (光秀組織説)
『戦国武将』小和田哲雄 中央公論社 (源平交替説)
『広辞苑』岩波書店
『信長と天皇』今谷明 講談社
『新選漢和辞典』小学館
『信長の安土維新』(武田鏡村)日本文芸社
『大辞林』三省堂
『古語辞典』旺文社
野望!! 本能寺の変。 新人物往来社

※参考文献の誤字は原文ママ

158:日本@名無史さん
07/11/14 07:51:27
やっぱり孫引きw

159:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/14 10:18:47
>>143●すでに天正七年だぞ。同じことばかり何回も書かないで欲しいね。三方が原で信玄に敗れて家康が慎重居士になったのは有名。
その後も石橋を叩いて渡るような行動になった。
●信康は最後は二俣城に監禁されたも同じじゃないか? じっくりと家康周囲の重臣らにお前は大事な長男と
説得させる時間も余裕もあった。もう軍から切り離されていたからね。しかし切腹させられた。
●馬鹿馬鹿しい。長男、正妻まで家康は殺したのだ。派閥争いなら、このさい膿は出せと徹底した粛清が
信康派、信康を担ごうとした家臣らに行われたはず。信長の承諾、援護まで得ているのだからね。
しかし、それはない。切腹とか処刑された信康派というのがね。そういうことだよ。


160:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/14 10:32:27
>>146●意味不明なことを書くな。
徳姫からの訴状で信長が激怒して信康を殺せと命令した。
で信康側近らが反発したかもしれない。その恨みの方向を徳姫からそらすため形ばかり助命嘆願をさせたのだよ。
それに真実が知れても、家康が信長との関係を支持した以上、何も多くの家臣にはいえないね。
織田は隆盛してるし。
>>141●笑止だな。豊臣金印が存在したと知らない人間がいたとは。
>>151●馬鹿馬鹿しい、家康が後継者に不安がある、なのに派閥争いで殺したと書いたのは君。
「私は後継者に不安があるなら、どんな我儘息子でも家康は信康を殺せないな。
家康に何かあると、すぐ跡目争いが始まるから」と書いたのだ。
ごまかすな。

161:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/14 10:42:12
「天徳」
笑止、ちゃんとある学者が関連付けているのさ。
>>154●道賢上人がすでに天慶四年に、冥途記の中で、これはあの世を旅したという記録なのだが、
「太政威徳天」となられている菅原道真公[火雷天神とも]に会われている。
で、天徳年間に内裏大火災があり、災いに朝廷が驚いた。そして「つくるとも」有名な句が焼け跡から出た。
それ故、これもたたりか? 「天徳は火神、火雷天神の号にして忌むべし」とされ
「応和」と改元された。
その応和を出したのは菅原道真公の孫菅原文時である。

●で、本能寺の変で死んだ織田信長の最初の戒名は「天徳院」である。
これが常識なのは知ってるね。

162:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/14 10:50:35

>>156>>157●世界で最大のダイヤモンドの原石は、そんな巨大なダイヤがあるはずがないと
捨てられて、くず山の中で労働者に発見されたのである。


この書物の前と後では、全てが違う!!
そして、国家の真実は、揺るぎもしない。
「聖戦、マハーカーラの女」博君著。

戦国史最大の暗号、本能寺・コードは実在する。
しかも「朝廷説」で、、、


163:本能寺の変、四百二十五年目の真相。
07/11/14 10:58:46
●そして、国家の至宝「京都秘密文書」、、、
柴田勝家と羽柴秀吉の決戦は、決められた運命だったのか?

>>161●「承平天慶の乱」、、、新皇と豪語した平将門、
彼の旗印はあまりにも有名だった、、、、

そして、、、そのあとに「天徳」の元号はくる。

164:日本@名無史さん
07/11/14 12:12:30
>>160
>豊臣金印が存在したと知らない人間がいたとは。 

「豊臣」印は『「現存しない」=今はない』って言ってるだけなんだけどなあ
ある明確な理由でね=印影が確認できない
また「天下布武」印も現存しないので、印章の材質はわからない
=金印とは確定できない

>>81の暗号解読の中身の内容もさることながら、そもそも
『秀吉、信長の金印に秘められた謎とは』という命題自体が
成立しないんだよ

次レスするなら、ちゃんと文書読んで理解してからにしてね


165:日本@名無史さん
07/11/14 12:52:51
>>161
『ちゃんとある学者が関連付けているのさ。』『「つくるとも」有名な句が焼け跡から出た』

▽「つくるとも」の全文
つくるともまたも焼けなむすがはらやむねのいたまのあはぬかぎりは(大鏡)
▽この句は、円融天皇の在位時、七年のうちに三度も内裏が焼けた折の内裏造営
工事の時、大工が鉋をかけた紫宸殿の裏板に一夜のうちに虫が喰って文字の形をなし、
菅原道真の霊が「北野の社を修造せよ」と要求した歌といわれている。(大鏡)
▽『円融天皇の在位時』
安和二年(969)-永観二年(984)の期間
▽『七年のうちに三度も内裏が焼けた』
天延四年(976)5月11日、天元三年(980)11月22日、天元五年(982)11月17日の
内裏火災を指す。
▽『「北野の社を修造せよ」』
永延元年(987年)初めて勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」
の称が贈られている
▽天徳期は957年から960年までの期間を指す。
▽天徳から応和への改元は「辛酉革命」に当たるため。

ここでもまた時系列を無視しているということです。
従って、『「天徳は火神、火雷天神の号にして忌むべし」とされ「応和」と改元された』
という○の主張は嘘ということですよ。

>>147 『嘘・出鱈目をスレ住人に悉く論破される。なぜなら矛盾と妄想の域を出ないからだ。』

166:日本@名無史さん
07/11/14 13:11:13
>>159
◎『三方が原以降慎重居士になって石橋も叩いて渡るようになった』?
慎重になった結果が『信長に命令されたからあっさり嫡男を処刑した』ですか?大した慎重居士ですねw
慎重ならもっと調べるべきですね。そしてよくもまぁそういう事態になるまで放置しましたね。どこが慎重なんですかね?
また性懲りもなく『信長に言い逃れできない証拠を突き付けられた』と言うのなら具体的に挙げなさい。
◎『重臣に説得させればよい』?
史実は…
天正六年九月
岡崎家臣団に在所へ引き揚げ命令、信康との連絡を一切禁ずる。
天正七年六月
家康が軍勢を率いて岡崎に入り「信康御×××との中なをし」。
天正六年八月
信康追放。
…である。ちなみに家康が岡崎で信康と「御×××」の和解に訪れた際、かなり激しい口論になったとも史料にある。居城から追放するくらいだから修復不可能なくらい関係は悪化していたのだろう。
重臣の説得など最早不可能だったんだろ。家康が後年語ったように、
『讒言によって親子の仲平ならざりし』
となり、
『気儘に育て(中略)、後には親子の争ひの様になり候て、毎度申し入れても聞き入れず』
かえって親を恨むようになった、訳だ。

167:日本@名無史さん
07/11/14 13:29:31
>>159
『派閥争いなら担ごうとした家臣達も徹底的に処罰すべき』?
もう一度言いますよ?
私の『仮説』では家康自身は派閥争いと関係なくただ単に信康の謀叛を疑ったとした。だから家臣に処罰が無かった。
しかし一連の流れに心当たりのある西三河衆の一部が蟄居もしくは脱走をした。というものだ。
◎『信長の承諾を得ているから徹底的にやるべき』?
信長から言われたのは「いかようにも存分次第」つまり家康の思う通りにやりなさいというもの。
家康が「家臣に責任はない」と判断したなら別に信長も文句は言わないでしょう。
ちなみにこの件に関して『信長の援護』なんてなかったように思えるけど『信長の援護』て何?

168:日本@名無史さん
07/11/14 13:40:05
>>160
◎『意味不明なことを書くな』?
こっちのセリフだw
◎『反発を逸らすために讒訴した五徳に助命嘆願をやらせた』?
おい、言ってることわかってるのか?
五徳が信康の弾劾状を送り付けそれを信康側近は知っていた、五徳に当然反発する、『それを逸らすための助命嘆願』??
誰がどう考えても「何を今更」的に受け止めるだろうよ?
ちなみに>>151氏は私では無いぞ。頭おかしくなったのか?

169:日本@名無史さん
07/11/14 13:41:21
>>159->>163
「信康自刃事件」といい、「天徳」や「金印」といい、ちょっと専門的に
なった瞬間に、○の知識のなさがバレバレじゃん

また「マハー」の参考文献見て、ガッカリ
日本史板では通用しないね オカルト板でも行けば?

170:日本@名無史さん
07/11/14 13:44:24
◎おい○よ、いい加減にしろ。
早く「信康切腹が信長の命令だったとしたときの不可解な点」を君の『妄想』抜きで答えろ。
『真実』だと抜かしたんだ。君の『妄想』以外の有力な根拠があるんだろ?それを出せよ。

171:日本@名無史さん
07/11/14 14:59:24
>>161
>笑止、ちゃんとある学者が関連付けているのさ。

ある学者って誰だよ?
相変わらず、ちゃんと明確に書けないんだな。
まさか「ある学者=大庭博」じゃあないよな?
だとしたら、まさに笑止。

172:日本@名無史さん
07/11/14 16:04:43
>>157
やっぱり桑田忠親や高柳光寿の著作は読んでなかったんだなw

前スレだかで、信長・本能寺関係の論文・研究書はほとんど網羅してる
とか言いながら、参考文献はやはりこの程度かwww
どうりで具体的に文献を挙げれなかったわけだ。

もう少し専門書を読んで、「常識」を身につけてから出直してね。
日本史板で議論する気なら。

173:日本@名無史さん
07/11/14 18:39:39
議論中済まん、俺は信長だが今地獄から書いてる。鬼が休憩中なんで。で俺が殺された原因は解った?いや、俺もさ、あんまり話題にされるんで、のんびり死んでもいらんない訳よ、あ!鬼が戻って来たんで切るわ、じゃね、今度教えてくれ。

174:日本@名無史さん
07/11/14 19:14:37
「本能寺の変朝廷黒幕説を唱える研究者はいなくなった」
(桐野作人著「だれが信長を殺したのか」PHP新書より)
そして信康切腹も家康の意思という説が有力になりつつある。
○はそういった学界の現状も知らず、古臭い説を唱えてる
化石のようなものだな。

175:日本@名無史さん
07/11/15 00:56:26
>162
>この書物の前と後では、全てが違う!!

確かに朝廷黒幕説が有力な説の一つから、その他雑説の一つに落ちぶれたなwww

>そして、国家の真実は、揺るぎもしない。

視界に入ってないから触れようがない。だから揺るぎようが無いwww

>163
>そして、国家の至宝「京都秘密文書」、、、

>私もその明らかに紙質や言葉使いの違う、
>無愛想な書き方の薄っぺらな書物、
>巻物でもない、、、を本物と断言する勇気もない。
>ちょっと書かれてあることに裏を取ろうとしたのだが、
>信頼性はそこに見出せなかった。
>特に信長の経歴、性格、明智家の家族などにおいてはかなり違っていた。

はずのものが、いつの間にか至宝にまで成り上がるとはwww

176:日本@名無史さん
07/11/15 08:51:59
で、結局その国家の至宝は何ページなんだ

177:日本@名無史さん
07/11/15 09:50:00
『津島牛頭天王と信長』は、なんで>>157の参考文献リストに載ってないの?
で、著者と出版社は?

178:日本@名無史さん
07/11/15 10:02:23
そういや京都秘密文書も文献リストに載って無いじゃん



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