京都御苑内の公家町について語ろう!at HISTORY
京都御苑内の公家町について語ろう! - 暇つぶし2ch475:日本@名無史さん
07/09/20 00:20:24
>>470
歴史書とは言い難いが、梅原猛『京都発見 Ⅲ 洛北の夢』(新潮社)の151頁に、
関連した内容でてるよ。

門跡寺院としての起こりは、堀河天皇の皇子・最雲法親王が入寺してから。
東坂本にあった梶井御所が1232ねんに焼失した後、房は東小坂、西ノ京、東山白川、
東山三条高畑、東山中山、東山岡崎、北山紫野、を転々とした。
一方、大原において様々な念仏の行者がいて、いろいろ秩序を乱す行いが多く、最雲法親王の
入寺と同時に、それらを取り締まる機関として、政所が大原に設置された。
そして、応仁の乱で紫野の梶井本房が焼けたので、本房がこの大原にあった政所に移った。
で、江戸時代の綱吉のころ、慈胤法親王が天台座主に補せられるにあたり、御車路広小路の地が
寄進された為、本房がその地に移った。(この場所が、今の梶井町のことらしい。)で、
この梶井町の地が本房になったので、大原はまた元の政所に戻った。

要約するとこんな感じ。
すると江戸古地図のなかの「梶井門跡」は、本房ということになるのかな。


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