07/09/18 02:15:19
>>312
自殺した夫人をもつのは、男爵・鷲尾隆順(たかよし)。
彼は、あの隆聚(たかあつ)の次男で、分家した。
自殺した妻は、行儀見習いに上がっていた小間使いの「せき」。彼女は、都内の豪農の
娘で実家が資産家だったのだが、隆順の手がつき、鷲尾男爵家が困窮してたこともあり
入籍し、男子を産んだ。その後、働かない旦那の代わりにせきが働き、懸命に支えたが、
様々なストレスもあり、悩んだ末、鉄道自殺を図ってしまった。その最期の時の服装は
大変質素でまるで女工のようで、男爵夫人と判明したときは周囲が驚いたほどだそうだ。
・・以上は、千田稔著『明治・大正・昭和 華族事件録』(新潮文庫)より。
この本はよく取材されていて、内容も満載、おすすめです。
>>313
人吉藩は、確かに鷲尾家から養子を迎えたが、この子も19歳くらいであっけなく
死亡、子供は居なかったので、血脈は伝わっていない。
ちなみに、この鷲尾家からの養子は、幕府に秘密の身代わり養子。跡継ぎを
決めないまま、若い当主が死んでしまったので、お家断絶を避けるために、
鷲尾家の次男坊(母は正室)を死亡した当主になりかわらせのだ。