【初心者】スレッド立てる前に質問をPart20【歓迎】at HISTORY
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart20【歓迎】 - 暇つぶし2ch750:日本@名無史さん
07/11/09 00:13:37
>>749
幣原喜重郎も吉田茂も外交官畑の人間だから英語面では問題なかったんだろう。
特に幣原は『英語の大家を以て自他ともにこれを認めている(吉田茂・談)』くらいだし。

751:日本@名無史さん
07/11/09 00:50:26
>>750

レスどうも。「私の名前の由来は、父がジョージワシントンを尊敬してたので」と松本蒸治(津川雅彦)や近衛文麿役(江守だったか?)もたどたどしく英語を喋ってるの見ても
おおっと思ったんで。やはり今の政治家よりは結構喋れる人多かったんですな。

752:日本@名無史さん
07/11/09 01:02:24
>>751
英語圏への留学経験があったりする人も多いんじゃないか?
そのクラスの政治家だと。

軍人の場合は、英語よりも独語のほうが話せる人が多かったようだけど。

753:日本@名無史さん
07/11/09 01:40:32
どっちかというと、GHQ対策で英語が出来る人間が重宝されたのが近い。
戦前だと、今みたいにまず英語、その次に~という感じではなく、
英語、フランス語、ドイツ語あたりがメジャーな欧州語として併存していた。
(昭和天皇も英語よりフランス語の方が得意だったとか)

だから、まぁエリート層は”外国語”は今よりも出来たと思うけど、
それが英語であるかどうかはその人次第だった。
あとは、当時の幣原首相は語学ができる人が好みだったせいもあるかもしれない。
(幣原は語学が出来る人を重宝した。だから私はあまり覚えが良くなかった~
 と吉田茂は書いている。あくまで吉田の印象であって実際どうだったかは分からない)

754:日本@名無史さん
07/11/09 01:43:19
>>752

なんか旧制高校に入ればあとは、よほど成績が悪くない限りどこかの帝大には
ほぼ確実に行けるからその余裕から語学に打ち込んだもの多数とも聞きます。また実
際あの当時の旧制高校の人は会話はともかく外国語読解力は凄いみたいだし。もっとも
一方ではマルクスに傾斜するヤツもいましたが。そういう「下地」があるから語学でも
まあ出来る人が多かったのかも。

>軍人の場合は、英語よりも独語のほうが話せる人が多かったようだけど。

陸軍はドイツ語、海軍は英語という傾向があったようです。

755:日本@名無史さん
07/11/09 01:48:41
>>753
政友会→自由党系の吉田と、民政党→進歩党系の幣原は、単に政治家としての
系統が違うだけなんじゃ?

ってゆうか、この板で近代の話をあまりやると板違いになるな・・・。

756:日本@名無史さん
07/11/09 03:19:21
>>753
あと、吉田の伝記・小説系で良く出てくるのは、幣原が書道の達人で下から上がった文書を必ず構成してからサインするので、吉田が拗ねて「先に大臣から決裁を貰ってきてくれ」と皮肉を言ったら幣原に伝わったという話。

757:日本@名無史さん
07/11/09 03:21:44
構成×→校正○

あと、幣原外相・吉田次官の話ね。
なお、吉田は田中義一政友会内閣の次官だったんだけど、民政党浜口内閣に交替して幣原が大臣になった後も在任期間が短いということで次官留任となった。


758:日本@名無史さん
07/11/09 04:43:54
近代は板違い

759:日本@名無史さん
07/11/09 08:28:56
五世紀の倭国は朝鮮に進出していましたが、このとき百済の辺りの言語と
九州の言語は同じだったんですか?また、当時の倭の首都(?)はどこにあるんですか

760:日本@名無史さん
07/11/09 12:31:12
こ、これは荒らしを呼び込む為の釣り質問か!

761:日本@名無史さん
07/11/09 14:04:29
変なのが来ないことを祈りつつ…

・現代朝鮮語と現代日本語は、文法は似ているが基礎語彙の違いが大きいので、
 少なくとも同系統の言語ではない。
・現代朝鮮語の源流となったのは、古代新羅語である
・古代、新羅と百済は異なる言語を話していたらしい。
・古代百済語がどのような物であったかは、史料が少ないため分からない部分が多い

言えることはこれくらいだろうか

762:日本@名無史さん
07/11/09 17:40:18
相対済まし令とはどういう内容のものなのでしょうか??


763:日本@名無史さん
07/11/10 02:47:00
>>762
一言で言えば借金踏み倒し令

764:日本@名無史さん
07/11/10 03:10:00
>>761
百済は、支配者階級と庶民の言語が異なっていた可能性もあるらしいね。
前者は高句麗語に近く、後者は新羅語に近いとか。

そもそも百済って、王家の祖先が高句麗と同系ともいわれているらしいし。

765:日本@名無史さん
07/11/10 03:11:02
>>762
訴訟を当事者主義に任せるってことじゃね?
まあ中世には当たり前のことだったわけだけど。

766:日本@名無史さん
07/11/10 04:00:52
日米通称修好条約と安政の五カ国条約って何が違うのですか?

767:日本@名無史さん
07/11/10 06:00:03
残り4か国

768:日本@名無史さん
07/11/10 20:29:54
じゃあ和親条約のときは嘉永の4ヶ国条約っていうの?

769:日本@名無史さん
07/11/10 20:37:38
嘉永のときにフランスが入っていないのは、二月革命の直後で本国が混乱していたから?

770:日本@名無史さん
07/11/10 22:03:13
>>761
古代高句麗語は断片的に分かるんだよね?

771:日本@名無史さん
07/11/11 04:31:17
>>741>>746
それ以前に前近代の戦争は、近現代の戦争と違って全ての国民を巻き込んだ
総力戦ということには、まずならない。
だから戦争といいつつ一般国民はそれほど大きな損害を蒙らない。

逆にいえば、近現代の戦争は全ての国民を巻き込む。
だから近現代の独裁政権は、前近代の独裁政権よりも遙かに罪深い存在といえる。

772:日本@名無史さん
07/11/11 05:02:03
>逆にいえば、近現代の戦争は全ての国民を巻き込む。
>だから近現代の独裁政権は、前近代の独裁政権よりも遙かに罪深い存在といえる。

独裁政権=戦争 と理解すればいいのか

773:日本@名無史さん
07/11/11 05:19:13
徳川慶喜が処刑されて、江戸城無血開城がなかったら、
明治維新ではなく、明治革命と言われたんですか?

774:日本@名無史さん
07/11/11 10:57:21
>771

>>741の最後の一行はWWⅡのみを念頭に置いているのでは?

そもそも総力戦という用語は近代の戦争を表現するためのものなのだから771の言っていることは自明のこと
独裁政権云々に至っては意味不明。
ここは質問に回答するスレであって素人の思い込みを表明するスレでは無い

>前近代の戦争は、近現代の戦争と違って全ての国民を巻き込んだ総力戦ということには、まずならない
つ(第二次)第三次ポエニ戦争。キンブリ・テウトニ戦争
祖国防衛戦争や民族を引き連れての戦争では、最終段階にて全ての国民(市民)を巻き込むことになると思うが・・・


775:日本@名無史さん
07/11/11 11:15:48
>>前近代の戦争は、近現代の戦争と違って全ての国民を巻き込んだ総力戦ということには、まずならない
>つ(第二次)第三次ポエニ戦争。キンブリ・テウトニ戦争
>祖国防衛戦争や民族を引き連れての戦争では、最終段階にて全ての国民(市民)を巻き込むことになると思うが・・・

判っているけど、あえて批判しているように思えますが、何事にも例外はあるから。
そもそも近代以前は国家とか民族というものがあいまいだから。



776:日本@名無史さん
07/11/11 12:38:54
>775
>何事にも例外はあるから
古代では戦争の最終局面にて国民全員を巻き込むことの方が多いと思うが?

>判っているけど、あえて批判しているように思えます
他のスレなら三戦厨が愚かな書き込みをはじめた時点でこちらが身を引くが
質問スレだけは誤りを正そうとする気力がまだ残っているのでね(苦笑

もう一つ私見を追加しとくと、現代(二十世紀末以降)では総力戦は先進国では起こりえない
>771はダニガンの『戦争のテクノロジー』を読んでくれ理由が書いてあるから

777:日本@名無史さん
07/11/11 12:55:32
>>774
前近代の戦争でその地域の住民が皆殺しにされたとかままあるよね。

778:日本@名無史さん
07/11/11 14:15:16
>>762
そもそも明治以前は公法優先の社会だから。
だから、刑法にあたる「律」や行政法にあたる「令」はあっても民法にあたる法律はない。

779:日本@名無史さん
07/11/11 16:11:03
>>773
Meiji Restoration です。

780:日本@名無史さん
07/11/11 16:33:31
>>778
中世の式目なんて、条文の大部分が民法か民事訴訟法のような内容だが。

781:日本@名無史さん
07/11/11 19:17:17
>>771だけど、半日でこんなに釣れるとは思わなかったよw

782:日本@名無史さん
07/11/11 20:36:01
>>780
全ての民衆が対象なんじゃないことくらい知ってて言ってるよな?


783:日本@名無史さん
07/11/11 20:53:50
>>782
鎌倉段階ならね。

784:日本@名無史さん
07/11/11 22:49:05
法律があるから民衆が裁判で救済されると考えているとすればゆとり。
室町時代の民事訴訟→奉行人に礼銭(賄賂)を渡さないと次の裁判の日程すら決めて貰えない。
江戸時代の民事訴訟→刑事裁判を処理するために民事は後回しかスルー。その法制化が「相対済令」。

785:日本@名無史さん
07/11/11 22:55:38
>>783
中世ならどの時代でもそうだよ
後期で対象が増えたとしても


786:日本@名無史さん
07/11/12 00:52:39
はじめまして。
非常にマイナーな人物について質問したいんですが、どちらのスレで質問すればよいでしょうか?

787:日本@名無史さん
07/11/12 01:52:24
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたい時は、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

■インターネット検索
 Google  URLリンク(www.google.co.jp)
 Yahoo!  URLリンク(www.yahoo.co.jp)
 Goo   URLリンク(www.goo.ne.jp)

788:741
07/11/12 08:56:55
短く書けるものでもないのにいろいろ書いて混乱させた見たい。陳謝。

渡辺昇一の「ドイツ参謀本部」って新書があった。あれとメッケルだかの「戦争論」
などにもいろいろあった。自分は海軍出の人に持論を聞いたことがある。

厭戦気分については、ヴェトナムのときも死傷者50万で米国民のだれもが身の回り
に関係者が生じてからと聞いたことがある。人口2億で50万なら、5/2000で
400人に1人。町内に誰か犠牲者がいるって感じか。

「他人の不幸は蜜の味」って謂いがあるが、蜜の味で済まなくなるレベルじゃないか。

同じ交叉点で10人死ぬと信号機が付くとかもある。

弓矢の話なのに戦争の話へずれたが、戦いと致命傷とはちょっと距離がある話かなと
言うのを言いたかった。
については、日本語の戦争とか戦いという関係の用語は曖昧なところがある。
英語では、war, battle, fight, combat, issue, ... などいろいろある。

考えて見たら、受験戦争なんて恐ろしい用語だ。確かに敗れて致命傷になる人もいる
かも知れないが。

789:日本@名無史さん
07/11/12 11:18:18
何この支離滅裂な散文↑

790:日本@名無史さん
07/11/12 12:16:29
古い本からご先祖がはさんだと思しきチラシらしきものが出てきました
なんとなくお菓子の由来書きみたいなんですが
読める人がいたら教えてください
URLリンク(www.uploda.org)

791:日本@名無史さん
07/11/12 17:58:53
白い恋人だ

792:日本@名無史さん
07/11/12 19:55:03
>>790
ここは専門的な学問板です
ネタ質問は他を当たってください

793:日本@名無史さん
07/11/12 21:29:22
>>789
渡辺昇一の本を読んでいるのは
こういう馬鹿ですつーネガキャンだろ
相手にするな

794:日本@名無史さん
07/11/12 21:56:35
渡部昇一の本は完訳版「紫禁城の黄昏」以外は学問的に意味はないな。

795:日本@名無史さん
07/11/12 22:14:55
>>784
室町期の裁判における奉行人は、現代でいうところの弁護人のような存在だろ。
だから訴人方(原告側)と論人方(被告側)の双方にそれぞれ奉行人が付けられる。

訴訟の当事者が自分の弁護人(奉行人)に弁護報酬(礼銭)を支払うのは現代の裁判でも当たり前。

796:日本@名無史さん
07/11/13 00:32:43
>>792
お前の目は節穴らしいってことは分ったw
この和漉と木版変体仮名みて本当にそう思ったのか?

>>790
人丸山は江戸中期以降、現在の明石市にあった名所だ。


797:日本@名無史さん
07/11/13 04:22:48
>>787
ネットで調べても一件しかヒットしないからここで聞きたかったのに…(´・ω・`)

798:日本@名無史さん
07/11/13 05:03:29
>>797
とりあえず、質問しろ。
話はそれからだ。

799:741
07/11/13 06:39:18
また出てきましたですよ。

弓矢の話題で、致命傷にならなくてもそれなりに意味はあるという程度に思って
いたんだが、通りかかった本屋で、講談社学術文庫の「合戦の文化史」(二木謙
一著)を見ていたら、「保元物語」に鎮西八郎為朝は、五人張の弓を使い、一矢
で2~3人を射通し、伊豆大島の合戦では敵の船を一矢で沈めたとあるという。

面白そうなので買って読んでいたら、奈良時代の防人は一日置きの勤務で非番の
日の半日は訓練で、中に「投石」があったという。

800:日本@名無史さん
07/11/13 10:10:07
>>795
奉行人は裁判官だろうが。


801:日本@名無史さん
07/11/13 18:40:34
なんかの規約の適用を避けるために宣戦布告しなかった戦争は何でしたっけ?

802:日本@名無史さん
07/11/13 22:45:58
馬韓・辰韓・弁韓の時代から新羅の統一までの朝鮮半島の歴史が全く理解できないのですが
どうすればいいんですか?なんか日本もかなり噛んでたらしいし…。

803:日本@名無史さん
07/11/13 23:30:29
>>801
支那事変。

804:日本@名無史さん
07/11/13 23:48:45
馬韓を構成していた国の中の百済国が強勢となり、馬韓を統一。
同様に辰韓は新羅が統一。弁韓は統一されず、加羅国などの小国の
分立状態。半島の北方には高句麗。この国が一番強勢だったが、
中国に接していたため何度も戦争をしかけられ、ついに滅亡。
弁韓(日本名は任那)は百済と新羅によって裂き取られ併合され滅亡。
日本は近攻遠親策から新羅と敵対し、百済と同盟していたので、
唐・新羅連合軍が百済を攻めたときに百済救援のため出兵して戦ったが
惨敗(白村江の戦)。百済は滅亡し半島は新羅が統一した。

805:日本@名無史さん
07/11/14 00:08:37
>>800
当時の裁判における奉行人のやっていることは、どう考えても現代でいう
ところの弁護人に該当するようなことだと思うが。
当事者の依頼によって訴人方・論人方の双方にそれぞれ付き、その依頼人が
有利になるような証拠を集めたり、裁判での弁論を代行したりするのが仕事。
やっていることはどう考えても法律の専門家としての弁護業務。
逆に最終的な裁判の判決を決定するような権限は奉行人にはない。

806:日本@名無史さん
07/11/14 00:40:54
800は江戸時代のお奉行様と勘違いしてるんだよw

807:日本@名無史さん
07/11/14 00:52:10
>>778
「令」は民法と行政法が混在している。民法に当たる法律が全くないわけではない。

なお古代の中国では、刑法に当たる「律」のほうが「令」よりも古くから存在したといわれるが、
日本では「令」のほうが先に整備されたという特色がある。

808:日本@名無史さん
07/11/14 00:58:47
令に民の権利云々の規定はない。現代民法と比較するのは無意味。
六法よりも、むしろ戸籍法などの手続法のほうが近い。

809:日本@名無史さん
07/11/15 06:39:38
大塩平八郎の乱は幕府崩壊の原因の一つと言えるでしょうか。

810:日本@名無史さん
07/11/15 16:56:10
原因の一つというよりは現象のひとつ
商工業資本に農業資本が負けたわけだ。
コップからあふれた水が大塩とか博徒横行で、コップが割れたのがその後の倒幕運動。
タガがゆるめば色んな事件事象がでてくるよね

それはそれとして
古い文献にルビになるのか?よく判らんが、(ママ)というのがよく付いてくるが
コレは一体何の意味があるのでしょう?

811:日本@名無史さん
07/11/15 17:12:46
直接引用した文献で明らかに誤った表記が認められるが
引用者はそれを知っていても引用文献には手を加えられないから
読み手に対する情報として「これは私が間違って写したわけではなくて
文献その『ママ』に引用してあるんだよ」と与えるもの。

812:日本@名無しさん
07/11/15 17:23:20
>>810
今の書籍では『原文ママ』と書かれることもある。

>>私は811ではないが、敷衍しておく

813:日本@名無史さん
07/11/15 17:54:42
旧武田家臣についてですが
徳川家臣団に多いそうですが信憑性は高いのですか?
東北諸藩にも多いそうですが、こちらの信憑性は?

武田家臣団って言うと農のイメージが大きくて山梨や長野の庄屋あたりなら
旧武田家臣っと名乗っても納得できるのですが兵農分離された純粋の士であろう
あちこちの諸藩で散見されるものについての信憑性はいかに?

814:日本@名無史さん
07/11/15 18:43:10
810です。
>>811>>812お二方、早速のレス有難うございます。
疑問も氷解し今後は気持ちよく文献に向かえます。

815:日本@名無史さん
07/11/15 19:25:53
>>808
てか民法って、民の権利に関する法律というわけでは必ずしもないのだが。
そうした戸籍などの民事的な案件についての大枠のルールを定めたものだぞ。
無論、細かな手続法や施行細則なんかは別途定められることもあるが。

816:日本@名無史さん
07/11/15 20:37:31
>>815
そもそも戸籍は法学的に公法分野であって行政法系統じゃないか?

817:日本@名無史さん
07/11/15 20:39:36
そもそも前近代の法律において民法と行政法の区別は不明確。

818:日本@名無史さん
07/11/15 20:43:19
>>810>>812
「まま」と書くとルビと誤解される可能性があるので、「ママ」と表記しているんだよ。

819:日本@名無史さん
07/11/15 20:59:09
括弧を付けて

(ママ)

とかけばルビと誤解されることはない。

820:日本@名無史さん
07/11/15 22:49:02
>>.813
武田が滅んだあと、その領地は徳川家が大部分を支配した。
(織田氏の部将たちは本能寺の後、殺されたり逃げたので)

のちに羽柴氏と徳川氏が争ったときに、家康の重臣だった石川数正が羽柴氏に出奔、
軍事機密が流出したということで徳川氏の軍法を武田氏の方式に変更した。ってことは経験者は仕官に有利。

家康が、自分が負けたことで武田氏のことを評価していて、遺臣を積極的に登用した。

これらのことが重なって、徳川氏には武田氏から流れた武士が多いのではないかと。

東北は良く知りませんが、越後の上杉氏(江戸時代は米沢)は武田が滅亡する直前同盟関係(信玄の娘が上杉景勝の正室)になっていたことや
織田氏と敵対していたので、こっちに逃げた人も結構います。
そのことを指しているのかな?





821:797
07/11/15 23:01:03
URLリンク(www.geocities.jp)
ここに載ってる万行又五郎胤成という人物について調べられる物っていうと何になりますかね?

822:日本@名無史さん
07/11/16 07:57:57
>>820
まあ徳川氏が甲斐・信濃に進出するに当たって、その地域の旧来からの
慣習などを熟知している武田氏の遺臣は、徳川氏側としても是非スカウトしたい
人材だったということだな。
元々その土地にいた者を採用するということは、現地の民衆の人心を
動揺させないという点でも効果的。

それに徳川氏は駿河を勢力下に収めた時点で、岡部正綱などいったん武田氏に
下っていた元今川氏の遺臣層の多くを吸収しているから、こうした者達を通じて
甲斐や信濃にいた武田氏の遺臣達に対しても徳川氏への仕官を呼びかけていた
側面もある。

>>813
米沢以外の東北だと、戦国期の甲斐武田氏とは直接的に関係はないけれど、
南部氏や松前氏のように祖先が甲斐源氏だというような家系伝承を持つ大名家が
あるので、そうしたところにいる人達が武田氏との縁を主張しているような
面もあるんじゃないかな。

823:日本@名無史さん
07/11/16 08:45:20
会津藩も初代藩主が保科を名乗っていたりして、(保科家の未亡人に育てられたんだっけ?)
武田旧臣にゆかりがあるな。

824:日本@名無史さん
07/11/16 11:24:00
保科家の養子

825:日本@名無史さん
07/11/16 12:35:50
仙台伊達家の家臣に、真田家の縁者がいなかったけか。

826:日本@名無しさん
07/11/16 19:02:29
>>825
仙台真田家のこと?
それとも幸村の娘婿だった片倉小十郎のこと?

827:日本@名無史さん
07/11/16 19:52:42
本能寺後の甲斐国人一揆に参加した武田旧臣の名前とか
あと、一揆が鎮圧されるまでの過程とかがわかるサイトって無いですかね?
あんまりぐぐっても出てこないんだよね・・・・

河尻を討った、三井弥一郎くらいしか出てこない。

あと、この一揆の規模ってどんなもんだったんでしょう?一揆側の動員兵数とか。

828:日本@名無史さん
07/11/17 01:45:33
>>797
そもそも何について調べたいんだ?

分子相続の禁止について?
着到状の筆跡について?
鎌倉への忠誠心?

829:日本@名無史さん
07/11/18 08:46:12
>>827
大日本史料や山梨県史は見たかい?

830:日本@名無史さん
07/11/18 09:16:26
今さらだが、>>800のレスがドキュソ過ぎて笑えるw

831:日本@名無史さん
07/11/18 15:11:01
今川氏真ってどうして将軍から偏諱を貰っていないんだろ?

832:日本@名無史さん
07/11/18 16:00:20
結局徳川譜代って、三河時代以来の者を除くと、基本的に今川・武田・北条の旧臣で構成されているんだね。

833:日本@名無史さん
07/11/18 22:25:52
前、某鑑定番組で幕臣の子孫が武田信玄からもらったとされる書状を鑑定してもらったが
偽物。なんでも江戸後期に自分たちの出自に関する事に興味がいき偽文書が大量に作られたらしい
 幕臣でさえこの有様では市井にある武田関係文書なんて・・・

834:日本@名無史さん
07/11/19 04:58:02
>>833
いや、あの書状って素人目に見ても、明らかに偽文書だろうって感じがしたぞ。
あんなものを何の疑いもせずにテレビの前に出した子孫こそアホ。
先祖が偽文書つくってました、なんてわざわざ全国の視聴者の前で晒さなくても
いいだろうw
てかあんなものを見せられると、そもそもあそこに出てきた人が本当に
武田旧臣の子孫なのかという、そっちのほうにも疑いを向けたくなるよ。

835:日本@名無史さん
07/11/19 12:15:24
>>831
偏諱を貰っていれば、名前は「義真」になるのかな?

836:日本@名無史さん
07/11/19 13:57:41
>>834
江戸時代初期に多くの大名家が家系図の偽造を行なったことを思えば
よくある話なんでは?

837:日本@名無史さん
07/11/19 14:38:33
>>836
だとしても、何の疑いもなくそれを出してくる子孫がアフォなのに変わりない。

838:日本@名無史さん
07/11/19 14:39:51
江戸時代の町道場の先生って、身分上はなんだったんですか?
町人とかだったりしたら、勝手に名字帯刀していいんですか?

839:日本@名無史さん
07/11/19 15:41:48
>>837
まあ、この書状は信玄公から我が先祖が賜った家宝、子々孫々大事にせよってことだろうから。
偽造しましたなんて家伝は残ってないだろうし。w


840:日本@名無史さん
07/11/19 20:01:06
>>834
確かに武蔵国でなぜ武田?と思った。
むしろ甲斐側の小山田が武田・北条両天秤をかけていたのに。

841:日本@名無史さん
07/11/19 20:12:31
>>829
そんなの調べるのめんどくせーから
ここで聞いてるんだろ。何も詳細を求めているんじゃない。
「だいたいこんな感じ」ってのがわかればいいんだが

842:日本@名無史さん
07/11/19 20:33:36
>>841
お前は死ね

843:日本@名無史さん
07/11/19 21:07:38
>>841
842の言う通りだ。しになさい。

844:日本@名無史さん
07/11/19 21:15:43
あ   はい・・・   すいませんでした

845:日本@名無史さん
07/11/19 21:19:16
某公共放送で江戸城は世界一の巨城っと言っておりましたが
何が世界一なのでしょうか?

846:日本@名無史さん
07/11/19 22:19:31
規模

847:日本@名無史さん
07/11/19 23:13:48
>>846
何の規模よ?
城郭の総延長距離?
場内への収容可能人口?
それとも経済圏?

848:日本@名無史さん
07/11/19 23:59:33
>>847
>>846じゃないけど、市街地面積が一番だったみたいね。
URLリンク(www.iijnet.or.jp)

849:日本@名無史さん
07/11/20 00:02:38
江戸の人口って世界一だっけ?イスファハーンとかバグダットのほうが多い?

850:日本@名無史さん
07/11/20 00:10:28
ageわすれたorz
連レスでもうしわけない・・・

851:日本@名無史さん
07/11/20 07:56:13
>>842-843
うっせーバーカ

852:日本@名無史さん
07/11/20 10:29:03
>>849
漢城のほうが多い。

853:日本@名無史さん
07/11/20 10:39:48
한성のほうが多い。

854:日本@名無史さん
07/11/20 12:14:56
釣り目的の馬鹿はスルー汁

855:日本@名無史さん
07/11/20 12:19:03
우리 나라 만세!

856:日本@名無史さん
07/11/20 15:54:27
初期の大奥と徳川家光の正室・側室について知りたいのですが
難しい史料じゃなくて図書館や本屋で手に入りそうなもので
お勧めの本ってないですか?

857:日本@名無史さん
07/11/20 17:34:41
江戸時代に各藩(藩は明治以降らしいですが・・・)が
どうやって町や村を治めていたか教えて下さい。

住民を取りまとめる機関が役場なんですか?役場以外に施設はあったんでしょうか?
あと、その施設の偉い人の役職名ってなんでしょうか?

858:日本@名無しさん
07/11/20 19:04:23
>>857
思い切り大雑把に言うと、都市は町奉行、農村は勘定奉行、それ以外(後述)は寺社奉行の管轄でした。
従いまして、最終的に取りまとめる官庁は奉行所や代官所です。
この枠組みは幕府直轄領でも各藩でも大差ありません。

町奉行が監督するのは、町名主(年寄)、元締や町代・手代という人々で、まとめて町役人(町方三役)と呼ばれます。
役人とついていますが、彼らは町人です。
落語や時代劇によく出てくる大家さんや親分さんといった人々です。

勘定奉行が監督するのは、名主(庄屋、肝煎)、組頭、百姓代という人々で、彼らは村役人(村方三役)呼ばれます。
彼らは農民です。

彼らの権限は広く、徴税や治安など、今の我々が想像しうる一般行政サービス全てを行っていたといっていいでしょう。

寺社奉行は本来、寺請制度(檀家制度)によって各人の宗門(宗教)を管理するものですが、
同時に門徒(によって作られた門前町)、教団全体の管理も行いました。
また寺や神職のみならず、歌人・修験者・陰陽師などの芸能民も寺社奉行の管轄でした。
香具師や行商人もここに入るのでしょうか、ちょっと判りませんが…

ともあれ、この「三奉行」が政治サービスの柱だったのです。

859:日本@名無しさん
07/11/20 19:19:26
>>838
出自・身分は様々ですが、敢えて言うなら「浪人のようなもの」でしょう。
もし藩に師範として雇用されたら武士になっちゃいます。
勝手に名字といいますが、アレはあくまで「芸名」なのでして。



860:日本@名無史さん
07/11/21 09:39:13
>>856
難しい史料じゃないってことは、活字に翻刻されている史料かな?
そういうものなら一般的なの図書館とか本屋にも普通にあるよ。

861:日本@名無史さん
07/11/21 10:21:20
aeg

862:日本@名無史さん
07/11/21 14:00:51
江戸時代、病弱や早世したわけではないのに正室腹の男子が
いながら側室腹の子が後を継いだ大名っていますか?
それともそんなに珍しいことでもないですか?

863:日本@名無史さん
07/11/21 20:38:56
分からないんだが

何故、日本は真珠湾では航空編隊による次世代の戦闘をしたのに戦争後半は大艦巨砲主義に固執したんだ?
軍部内での相違?

864:日本@名無しさん
07/11/21 22:14:39
>>863
「奇襲」をするがゆえの、機動部隊の選択。
正攻法なら長門突撃しかないでしょーが。
それに、後半において大艦巨砲主義に固執していたわけではない。
マリアナ→台湾→フィリピンで航空艦隊が壊滅したから。

865:日本@名無史さん
07/11/22 00:55:40
>>863-864
近代は板違い。

866:日本@名無史さん
07/11/22 01:04:11
>>865
お前、ウザイから死ね

867:日本@名無史さん
07/11/22 03:13:02
>>859

浅利叉八郎とかアサリを売ってた町人だったらしいな。

868:日本@名無史さん
07/11/22 07:52:08
なんで、一色や吉良は足利に近い血縁なのに
管領家に入れなかったんですか?

869:日本@名無史さん
07/11/22 08:13:03
>>868
吉良は直義派だったから、一色は幕府創世期に一度失脚した(九州探題で成果を上げられず更迭された)からでは。
まあ斯波も直義派だったし畠山も関東で失脚した後、中央で復活しているけど。

就任する機会がないうちに、管領家という家格が成立しちゃっただけってことかも。

870:日本@名無史さん
07/11/22 11:32:49
斯波は、南北朝初期から京都に近い越前に根を下ろして、当時の守護としては
かなり強固な支配基盤をつくってしまっていたから、幕府側としても懐柔して
取り込まざるを得なかった。
一色は、もともと九州探題になりたくなくて、早く解任してくれと尊氏に
泣きついていたような状態だった。
吉良は、観応の擾乱が原因となって家が分裂(西条と東条に分裂)している。

871:日本@名無史さん
07/11/22 19:44:36
関ヶ原敗戦の責で直接処刑された大名は、石田・小西・安国寺ですが
首謀の石田三成はともかく、なんで改易・流罪にされた大名は数多いのに死刑に処せられたのは
これだけなんですか?

872:日本@名無史さん
07/11/22 20:06:40
徳川氏による支配を早期に安定化させるためには、あまり過酷な処罰は
できない。
過酷な処罰をしようとすれば、処罰される側も徹底抗戦の構えを見せるで
あろうが、そうした勢力を一つ一つ潰していったら何年かかるか分からない。
石田・小西・安国寺に関しては、いずれも豊臣政権による取り立て大名で、
日も浅くそれほど強固なバックグランドもないので、首謀者の処罰という体裁を
整えるために、この3人を処刑した。
また処刑はされなくとも改易された大名に関しても、基本的に中規模以上の
勢力で改易処分になっているのは、大部分が織豊期に急成長した大名。
歴史が古い大大名は、明確に敵対していても、せいぜい減封程度のケースが多い。

873:日本@名無史さん
07/11/23 11:58:03
なんで幕末では、藩の下士が台頭して活躍できたんですか?
明治維新の指導者って、郷士だの足軽だの馬廻り等の出身ばかりですよね。
島津や長州の大藩ですら、藩主や家老は目だった活躍もなく大久保だの桂にいいとこ取り
されてるし…

874:日本@名無史さん
07/11/23 12:14:08
>>873
土佐の板垣とか後藤は、けっこう上層部の出身、長州の桂も低い身分じゃないです。

伊藤博文とか山県有朋は下層身分ですが。
彼らに関しては、維新のころは対して大物でもない、上が死んじゃったおかげで出世した、
維新後に政治的な手腕を認められて出世したという側面はあると思います。
長州征伐や禁門の変で戦死したり切腹した人も多いですし。



875:日本@名無史さん
07/11/23 13:16:58
長州・薩摩とも藩政改革と内部抗争を経過しているし。
改革派の中では、長州では周布政之助、薩摩では小松帯刀なんかが
上級の家柄出身で執政・家老などの役職に就いていたんじゃなかったっけ。
そういう人物がいてこそ、下級武士の革命プロパーが自在に活動できたわけで。
維新後彼らが中央で活躍しなかったのは、旧藩の主の運命に付き従った、という感じ?

876:日本@名無史さん
07/11/23 13:20:50
>>874
桂って、毛利一族の桂氏じゃないの?

877:日本@名無史さん
07/11/23 14:45:03
桂は大江朝臣を名乗っているから、毛利一族という意識なんだろうな。

878:日本@名無史さん
07/11/23 16:37:41
>>875
長州の場合蛤御門の変と第一次長州征伐で執政クラスは戦死したり切腹させられたりして全滅。
生き残った勤皇派の中で最も身分が高かったのが桂(高杉晋作は家格は高いが身分は部屋住み)

小松帯刀は維新政府に参加するがすぐに(明治3年)病死。

879:日本@名無史さん
07/11/23 20:27:11
島津幕府じゃないけど、なんで自分達の伝統を無視した政策を取り続けた
新政府に、雄藩藩主は文句言わなかったんだろ?
そもそも官軍の兵装諸々の輸入だって殿様の金で賄ってたじゃないか。

880:日本@名無史さん
07/11/23 23:14:13
>>878
井上馨も藩主毛利敬親の小姓だかをしていたんだっけ?

>>879
島津久光は不満タラタラだったらしいけどね。


881:日本@名無史さん
07/11/24 01:27:28
不満タラタラでも、何か事を起こすような行動力はない。
それに廃藩置県のときに藩の借金を帳消しにして貰っているから、新政府に対して負い目もある。

882:日本@名無史さん
07/11/24 03:47:16
歴代執権は五位、四位止まりなのが多いのは何故なんですか?

883:日本@名無史さん
07/11/24 09:24:43
侵攻(新興)勢力に対する差別&区別。
その後は寄り切られて黒星続き。



884:日本@名無史さん
07/11/24 11:46:48
>>882
室町幕府の管領、江戸幕府の大老も似たようなものだろ。

885:日本@名無史さん
07/11/24 11:52:01
>>881
もう明治の時点では、藩主のいう事なんか誰も聞かなかったの?
士族反乱も、藩主を拉致してくれば違った結果になったかな?

886:日本@名無史さん
07/11/24 12:11:45
日本の歴史を知る漫画でオススメなのありますか?

887:日本@名無史さん
07/11/24 12:51:47
大宝律令は刑部親王や藤原鎌足により編纂され…
この記述は藤原鎌足ではなく藤原不比等ですよね?

888:日本@名無しさん
07/11/24 13:28:11
>>885
士族反乱は藩政復古を目論んだ反乱というわけではなく、
思想で固めた何とかいう党が県令らを襲うという一揆でしたから。




889:日本@名無史さん
07/11/24 13:49:43
>>888
神風連だけが士族反乱か?

890:日本@名無史さん
07/11/24 17:10:41
>>882
北条氏が幕府の実権を握っていても、立場上は一御家人でしかないから。
なので、執権でも相模守程度の官位でしかない。


891:日本@名無史さん
07/11/24 18:46:54
律令制度に関して祭祀をつかさどるのが神祇官、宮城などを警護にあたる太政官。
では、官吏の観察を行う( ? )、一般の政府をつかさどる( ? )
この2つが分かりません、分かる方いますか?

892:日本@名無史さん
07/11/24 19:41:31
>>885
旧藩主から見れば、家臣同士の争いみたいなものだから、そんなものに自分が巻き込まれるのはゴメンだということ。

893:高校生
07/11/24 19:44:03
10世紀頃から荘園や公領の中で、耕作請負人の名をつけた田地をなんとよんだか?
の問題の答えが名田なんですけど、負名ではないのでしょうか???


あと奥州藤原三代の栄華の基をつくったのは藤原(清原)清ひらですが、藤原(清原)ってゆーのは何故でしょうか???結婚でもしましたかね???

894:日本@名無史さん
07/11/24 19:49:06
>>882
将軍とその親族以外の武家が三位以上に上ることはかなりのレアケース。
但し平氏政権と豊臣政権の時期を除く。

895:日本@名無史さん
07/11/24 19:52:48
>>891>>893
ここは学問文系のカテゴリーにある学問としての日本史を語るスレ。
厨房工房の受験勉強としての日本史は板違い。

896:日本@名無史さん
07/11/24 20:01:36
キトラ古墳の「キトラ」とは何のことなのでしょうか?
ご存知の方、お教えください。

897:日本@名無史さん
07/11/24 20:20:17
>>895
承知しました、移動します

898:日本@名無史さん
07/11/24 20:52:48
>>894
三位と四位・五位の間には大きな差がありますからね。三位以上だと公卿。


899:日本@名無史さん
07/11/24 22:10:56
>>893
負名は田堵のことな

清衡のお父さんは藤原
実父は清原に殺されて母と清衡が清原氏の庇護下になった
だから清原清衡になったんだけど,後三年役後に藤原に戻した

900:日本@名無史さん
07/11/24 23:06:08
>>898
「参議は?」という突っ込み待ちですか?

901:日本@名無史さん
07/11/25 00:04:09
律令期なら境界は4位と5位の間じゃね

902:日本@名無史さん
07/11/25 00:25:36
>>901
煽りではなく、普通に質問なんですが、
4位と5位でどのような大きな違いがあったんですか?

903:日本@名無史さん
07/11/25 00:39:59
「~朝臣」付きで呼ばれるか、呼び捨てになるか、の違いとか?

904:日本@名無史さん
07/11/25 00:49:45
>>903
それは、3位以上+参議と4位以下の非参議で分かれるみたい

905:日本@名無史さん
07/11/25 03:17:30
>>904
それは公卿か否かだろ。
四位は参議・非参議を問わず朝臣付きが普通じゃないの?

906:日本@名無史さん
07/11/25 03:51:30
>>905
ああ ちょっと勘違いしていた。
公卿だと ○○朝臣●●公で、
4位非参議だと○○●●朝臣なのね。

907:906
07/11/25 03:55:26
また違ってた。
公卿だと○○朝臣●●公または○○朝臣●●卿か。

908:日本@名無史さん
07/11/25 12:59:25
さあどうかな?

909:日本@名無史さん
07/11/25 14:12:40
自由民権運動の理論的指導者の植木枝盛が翻訳したのってルソーの「民約論」?

910:日本@名無史さん
07/11/25 17:03:50
幕末以降の話題は近代史板へどうぞ。

911:日本@名無史さん
07/11/25 19:40:41
大阪湾が埋め立てられたのって、いつ頃から?

912:日本@名無史さん
07/11/25 19:40:52
>>907
朝臣の前に入るのが、いみなでOK?

913:日本@名無史さん
07/11/25 20:37:12
>>902
律令がちゃんと機能していた時期に限定されると思うが

4位以上は門閥というかほぼ固定された氏からしかなれない
5位から「貴族」の一員なんだけど,5位の門戸は結構開かれてる
有力じゃない氏族の限界出世が5位

914:日本@名無史さん
07/11/25 20:53:12
海野平の戦い(天文10年 1541年)における原美濃守虎胤の役職ってわかりますでしょうか??

915:日本@名無史さん
07/11/25 22:59:30
>>910
そんな板あったんですか、そっちに移動します

916:日本@名無史さん
07/11/25 23:12:00
「憤死」した日本史上の人物を教えてください。

917:日本@名無史さん
07/11/25 23:36:19
どうしてみんなそんなに頭がいいの?
いい参考書とかあるの?

918:日本@名無史さん
07/11/26 00:26:38
>>913
階級が違ったということですか。ありがとうございます。

919:日本@名無史さん
07/11/26 00:28:22
>>912
●●がいみな。
朝臣の前がいみななのは>>906で4位非参議

920:日本@名無史さん
07/11/26 09:53:56
>>896
キトラは地名(小字)

921:896
07/11/26 21:26:53
>>920
どうもありがとうございました!
カタカナなので不思議に思い
「キトラ 小字」でぐぐったら、「北浦」がなまったものだそうですね。

922:日本@名無史さん
07/11/27 00:11:58
いえいえどう致しまして

ちなみに飛鳥の近所の高野山は本来は「たかの」。
「たかの」「よしの」「くまの」・・・異界の言葉かもね。

異界との出入り口に飛鳥京。異界を押さえる為か、交易交流の為か?
後の後醍醐が「よしの」を拠点にするのもなにやらありそうです。

923:日本@名無史さん
07/11/27 13:36:15
何で室町には一騎討ちが衰退したの?

924:日本@名無史さん
07/11/27 14:36:47
室町以前から、一騎打ちは盛んではありません。
盛んでないから、衰退もしてません。

925:日本@名無史さん
07/11/27 16:00:46
戦国時代の守護代についてですが、武田氏、今川氏、島津氏など
守護が戦国大名化したようなところは、守護代の影が薄い感があり
ますが、誰が守護代を勤めていたのでしょうか?
大内氏の場合は、杉氏や陶氏が義隆の時代の守護代ですが・・・

926:日本@名無史さん
07/11/27 16:19:55
>>925
甲斐守護代は跡部氏。(禅秀の乱の後始末で信濃から入国)
武田氏の当主が早死にしたりして基盤が安定していなかったので、一時は武田氏と互角に勢力争いをしていた。


927:日本@名無史さん
07/11/27 21:11:11
鉄砲三段撃ちが戦術革命なら何故その後組織的鉄砲戦術が主流にならなかったの?

928:日本@名無史さん
07/11/27 21:30:15
鉄砲三段撃ちが眉唾ってことかな。

929:日本@名無史さん
07/11/27 21:34:14
教科書では鉄砲三段撃ちは認定されている。

つまり通説。

930:日本@名無史さん
07/11/27 22:07:55
>>929
スレリンク(history板:192-198番)

931:日本@名無史さん
07/11/27 22:15:17
同じ鉄砲の質問なのですが当時の鉄砲ではとても狙撃など
できないと聞きました。ですが一方で狙撃されて死傷した武将がいるとも聞きました。
一体どちらが本当なんでしょう?狙撃手がよほど腕がよかったのでしょうか。
それとも狙撃と言える距離ではなかったのでしょうか。

932:日本@名無しさん
07/11/27 22:53:43
>>931
では訊くが

火縄銃は猟銃としても使われた

…このことを、君はどう考えるかな?

まぁ種を明かせば、緩発式・瞬発式という、火縄銃の形式のことも絡んでくる。
ここから先は、ググるなどして調べてみてくれ。


933:日本@名無史さん
07/11/28 00:04:54
>>929
教科書なんて、嘘ばかりじゃないか。

934:日本@名無史さん
07/11/28 00:12:52
>>933
確かに教科書は都合のいいことだけ書いてる。
遣隋使小野妹子が隋の国書を紛失したことは
教科書では伏せてある。

935:日本@名無史さん
07/11/28 00:19:28
>>934
そういうことじゃなくて……。
例えば、三光作戦なんて掲載しているけど、あんなの全くのでたらめじゃないか。

936:日本@名無史さん
07/11/28 00:40:55
黒田節で有名な槍・日本号は、今は現物は福岡市博物館所蔵だそうです。
そこまでは分かるのですが、文化財としての扱いは何になってますか?
国宝や重要文化財では無いようなのですが…。

937:日本@名無しさん
07/11/28 00:54:44
>>936
国宝でも(国指定)重要文化財でもなければ、県指定の文化財なのでは?


938:日本@名無史さん
07/11/28 02:07:33
源・平・藤・橘の四姓で順位をつけると
順位はどうなるのでしょうか?

939:日本@名無史さん
07/11/28 02:21:42
源>藤>>平>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>橘

940:日本@名無史さん
07/11/28 10:21:40
>>933
教科書の嘘は目に余ることはあっても、嘘ばかりじゃないだろう。

嘘ばかりとは、本当が全くない状態を言う。そんな教科書を売ったり
買ったり使ったりしているとは、ちょっと思えない。最近見たことは
ないが。

941:日本@名無史さん
07/11/28 11:05:44
教科書って読んだこと無かったんだけれど、
そんなに出鱈目ばっかなのか?
江戸時代の講談や戦前のアホ史観で出来上がった
「通説」はなかなか払拭されないな

942:日本@名無史さん
07/11/28 12:24:29
>>940
>嘘ばかりとは、本当が全くない状態を言う
違う。嘘が比較的多い状態のことを言う。

by国立国語研究所

943:日本@名無史さん
07/11/28 16:20:30
教科書、資料集は最新の研究の成果よりも10年単位で遅れると言われる。
まあ教科書の記述は10年くらい前は通説だった、くらいに捉えるのが無難。

944:日本@名無史さん
07/11/28 19:06:33
>>943
学術関係に関しては最新の研究成果であっても,後に誤りが判明することも
あるわけだから,教科書に早々と載せるわけにも行かないんだろう?

オレは理系だが,例えば毎年この時期に刊行される理科年表は,トピックス
として掲載するものの,データの更新は通常2-3年後になっている.


945:940
07/11/28 23:24:33
>>942
マ、ツリとは思うが、

h URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
を見ると、2つ意味があるが、(1)の方だと、お説のようにはならない。

更に、「比較的」とは何に比べてのことか。
「本当」に比べて嘘が多いというなら、もし塗りつぶすならかなり黒くなる。
そんな教科書が通用するんか。

それより以前の教科書に比べて多いとでもいうんか。

自分がこの程度の嘘はあるだろうと思っているのに比べて、嘘が多いと言う
なら、それは主観的で議論にならない。

946:日本@名無史さん
07/11/29 00:32:46
>>934
それは違うな
いわゆる通説を載せているのであってお前の偏った視点ではそう見えるだけ

947:日本@名無史さん
07/11/29 01:15:00
奥州で伊達政宗が福島へ侵攻し本庄繁長と戦った
松川合戦について知りたいんですが、結局どのような合戦だったのでしょうか?
2chではどっちが勝ったかで荒れていましたし、wikiでは伊達方優勢で
推移したというように編集されていました(ただ、伊達方の
資料の引用が殆どでしたが)。また、ネットでググる限りだと
本庄が勝利したという記事が多く出てきて、一致しません。

なにかこの合戦の推移、実像についての良書があれば
教えて頂きたい。

948:日本@名無史さん
07/11/29 02:08:55
>>944
まあそうだな。
史学ではないが歴史教科書に載る範囲だと「神の手」の発掘の成果が
翌年の教科書や資料集に載せられても困る。

949:日本@名無史さん
07/11/29 09:38:01
とりあえず、三光作戦は教科書から削除すべきだろ。
事件の存在を否定されているんだから。

950:日本@名無史さん
07/11/30 12:25:08
>>947
とりあえずウィキスレでも問題ある過ぎと言われた記事だな。

951:日本@名無史さん
07/11/30 22:27:28
戦時中「一億○○」という言葉(例:一億火の玉、一億玉砕)がありました。
その一億とは、内地人6000万、朝鮮人3000万、台湾人1000万の総計だそうで。
それならなぜ、「内鮮一体」などという言葉が作られたのでしょうか?
台湾人はどうでも良かったんでしょうか?

952:日本@名無史さん
07/11/30 23:56:42
低レベルですいません。
日米安全保証条約って
何なんですか?

953:日本@名無史さん
07/12/01 00:37:54
>>952
URLリンク(www.mofa.go.jp)'%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E6%9D%A1%E7%B4%84'

954:日本@名無史さん
07/12/01 01:31:05
>>953
わざわざありがたいんですが、携帯からなんで見れないみたいです…(:_;)

955:日本@名無史さん
07/12/01 09:59:48
>>954
携帯ウィキで検索しろ

956:日本@名無史さん
07/12/01 11:24:47
>>954
ネカフェに行け

957:日本@名無史さん
07/12/02 01:53:46
というかそもそも現在の教科書には三段撃の記述など載っていないのだが。
むしろ俺が使っていた副教材にはコラムとして三段撃は捏造の可能性が高いと書いてあった。
研究の進展により記述内容が変化するのはよくあるのに、どうして自分の世代の教科書に載っていたことを
引き合いに出して「教科書は嘘」などと批判するのかねえ

958:日本@名無史さん
07/12/02 03:47:24
三光作戦は、いまだに書いているな。

959:日本@名無史さん
07/12/02 09:23:07
戦国期の場合、城主は城から遠いとこに住んでる事は多いの?

960:日本@名無史さん
07/12/02 09:46:07
なんで幕末に治安維持を目的として結成された○○隊・組(新撰組とか)
はほとんど洋式化されなかったんでしょうか?ゲベール銃・ズボン装で連隊を基にした
洋式歩兵戦術は既に御家人の間では作られてましたよね?
治安維持の最前線で戦う彼らにこそ必要だったと思うんですが…

961:日本@名無史さん
07/12/02 10:07:26
>>959
城と住まいが遠くに離れているというか、
城は不便だけど防御力が高い山頂などに築いて、普段の住まいは麓の平地に近いところに館(防御力はあまり高くない)を建てていたってこと。
山頂だと、スペースが狭いのであまり大きな館は建てられないし、城勤めの武士がいちいち登城するにも不便なので。
城は非常時に立てこもるもので、普段住むわけではなかった。(無論例外はあります)

山城は鉄砲が普及すると、相対的に防御力が落ちたので、平地や低い丘に石垣造りの大きな城を築くことが多くなった。
そのほうが、多数の兵士を収容したり、交通や経済的に重要な地点に築城できるというメリットがあります。



962:日本@名無史さん
07/12/02 10:30:58
>>961ありがとうございます。
実家近くの山城の城主はかなり離れたところに住んでいたようで不思議に思いました。
ただ、郷土史によるとかなり遠くの今は市街地に住んでいたことになってるのですが
宗家といわれる家は何故か城跡近くに住んでる・・・・不思議だ。

963:日本@名無しさん
07/12/02 11:24:51
>>961がいう山城を詰城といいます。
典型的なのが甲斐武田氏の要害城。有事の際に立て籠もって戦うためのもので
平時の居館はご存知の躑躅ヶ崎館。

でもこれは本拠地の地勢や周辺事情の必要あって、こういう組み合わせにしただけにすぎません。
航路が開かれたら泊地に移ったほうがいいんじゃないとか、領地内でも主敵から守るポイントに
山城(砦)をおくのはいいけど、そこからだと総領としての勤めはやりにくい…とかね、
いろいろあると思いますよ。

964:日本@名無史さん
07/12/02 12:08:24
>>960
治安維持と戦争行為は重さが違うしね。
いくらオウム(坂本・大久保など)が反政府ゲリラとはいえ
そのアジトである貸しビル(寺田屋)に戦車砲を撃ち込む訳にはいかんだろう。
なんといっても現政府自らが破壊行為をするわけにはいかないのである。

「大雑把に言って」、政権は成立した瞬間から破壊(攻め)の組織から現状維持(守り)の組織になる。
倒幕側は破壊が目的、幕府は現状維持が目的。時代は白人の奴隷になるかどうかの瀬戸際。
いい知恵(戦略)は現状破壊側からしか出てこない、ボケッとしてる現状満喫側は
この先ダメとわかっていても動け(か)ないニートみたいなもんですね。

でも、コレじゃ答えになってないか・・・

結局は気分(意識)の問題だろう。

それまでの日本の形は社長(天皇)が経営を委任した社長代理(徳川)が運営している。
で、社長代理は誰でもOK。時代に対応できない現社長代理を引きずり降ろそうとした。
それは嫌だというので現社長代理とその側近(一流大卒)は、社長代理室に
最新の武装バリケードを築いたと言うお話。
では、エアコンも効かない社屋外のドタバタ(攘夷倒幕運動)の対策は平社員や
テキトーなエサで釣り上げた三流大卒~中卒の派遣・バイトにやらせておく。
渡した機械工具は時代遅れの中古。
最新のものでは内ゲバ・ライバル会社へ転職されるとコワイから渡さない。

人間、儲かってる時はバンバン金使ってそれでさらに拡大していくけど
落ち目になると一円でも始末するもんだ。
200年架けてここぞと言う時に知恵も力も出せないヤツに成ってしまったんだろう。
「無職・だめ板」の上の絵みたいに・・・・

965:日本@名無史さん
07/12/02 12:48:39
>>961
ということは,信長の岐阜城も普段はそこに生活していたわけではないのか?


966:951
07/12/02 15:28:54
ヨロピク

967:日本@名無史さん
07/12/02 17:30:57
すいません。日米安全保証条約の質問をした者です!ググっても出てこないんで…。ではこの条約の内容ってどれですかね…?

ア)日本が他国に攻め込む場合、日米共同して侵略戦争を行える。

イ)アメリカが他国に攻撃された場合、日本の自衛隊が出動する。

ウ)アメリカが核兵器を使用する場合、日本へ核攻撃はせず安全を保証する。

エ)他国が日本の領土を攻撃してきた場合、日米共同して対処する。

長々とすいません…(:_;)

968:日本@名無史さん
07/12/02 17:53:47
全くのシロート質問で恐縮ですが、遺跡発掘の際に古代の地表を掘り出すときには、
どうやってその時代の地表を掘り出すのでしょうか?

多分、土の色で見分けるのでしょうが、違う時代の地層とか柱の穴の中の土とかは、
雪かゴミを取り除くような感じでサクサク取り除けるのでしょうか?
上に堆積した土と、お目当ての時代の土を、きれいに区別できるのが不思議です。

また、歴史の本の写真を見ると、異なる時代の遺跡が重複してるものがありますが、
その場合、下の地層を掘り出すために上の遺跡を破壊することになるのでしょうか?

969:日本@名無史さん
07/12/02 18:24:55
>>968
その遺物が埋まっていた地層によって時代を判断するか、あとは炭素14なんかによる年代測定法を使う。

>その場合、下の地層を掘り出すために上の遺跡を破壊することになるのでしょうか?
どうしても下の遺跡を掘り出したい場合は、そうなる。
どの時代のものを一番残したいかによる。

てゆうか、これって日本史板より考古学板で聞くべき話題じゃないの?

970:日本@名無史さん
07/12/02 18:51:36
地層の年代の測定をしたとして、土を取り除くのってけっこう難しくない?
上にもあるように除雪やゴミを片付けるのと違って、土が堆積してるわけだから、
間違えて掘りすぎたり、肝心の地表を傷付けたりしないの?

971:日本@名無史さん
07/12/02 18:59:17
考古板で聞いたほうが詳しいレスが来ると思うぞ。板違いを指摘されてるのに、ここに書くなよw

972:日本@名無史さん
07/12/02 19:13:48
なんか歴史教育って最近はゆったりしてる感じ。
俺等が受験生の頃は日本史の最初の授業は炭素測定法からだった。
近現代史は大まかにしかやらなかった。

最近は近現代史を詳しくやってるのかやたらと戦争の記述を問題にしているのが不思議。
論争になるような正誤が付け難い問題は受験では出題されなかった。
そもそもほとんどの学校で近現代史まで授業は進まなかった。
詰め込み教育でカリキュラムをこなせないのがあたりまえだったからだ。

973:日本@名無史さん
07/12/02 19:37:21
江戸時代の人々の生活や風俗など、文化的なことを専門に学びたいのですが、これって歴史学・民俗学・社会学のどれに分類されますか?

974:日本@名無史さん
07/12/02 20:06:18
歴史学

975:日本@名無史さん
07/12/02 20:36:01
>>974
わかりました!
ありがとうございます!

976:日本@名無史さん
07/12/02 21:56:05
>>972
今の歴史教育だって、たぶん高校の日本史で近現代までしっかり消化できている
学校は少ないと思うぞ。しかしそのくせ近現代重視傾向が強くなっているため、
結果として予備校とかの受験産業が大流行。

あと受験勉強としての日本史の場合、例え論述問題であったとしても、
“教科書的にこれが正しい”ということが確定できないような問題は
出題されないはず。もちろん正解が複数あって、そのうち一つでも書ければ
正解というスタイルの場合は、その限りではないが。


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