07/08/07 19:20:51
牟田口と昭和天皇はソックリです
インパール作戦が敗色濃厚となり部下に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した時、
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません
司令官としての責任を、真実感じておられるなら、 黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。
今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります。」と言われたが、結局自決することはなかった。
前線では補給不足で苦戦が続くなかで司令部に清明荘という料亭と芸者を随伴させ、遊興に耽っていた。
しかも、作戦中も毎日5時を過ぎると自宅へ帰り、そこで浴衣に着替えて料亭へ出向く生活ぶりは英軍に筒抜けであった。
英軍はこれを前線でスピーカーを通じて流したため日本軍将兵の士気を著しく下げた。
敗色濃厚と見るや司令部の裏手に祭壇を築き、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願の祝詞をあげていた。
「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした。
インパール作戦失敗の結果ビルマを失うこととなったが、これに対し「攻勢に出たからビルマを失うだけで済んだ、インパール作戦が無かったら東南アジア全部を失っていた筈だ」と自己弁護に終始した。
自分の葬儀で、実の息子に自分に非が無い旨のビラを参列者に配布させた。