07/08/23 07:12:30
>>197
魏略逸文では、伊都国は1万余戸です。
魏志と魏略のどちらが正しいかは分かりませんが
現在の地形から考察したら、魏略のほうが正しいのではないでしょうか?
あと、奴国と伊都国を比べた場合、
奴国のほうは上古音で記されているのに対して
伊都国のほうは中古音で記されている。
これは、中国側が伊都国を知ったのは中古音の時代だった可能性が高い。
伊都国に一大率が置かれていたということですが、
この国が邪馬台国(大和国?)のよって作られたような国だったような可能性が強い。
奴国は九州現地の国の意味合いが強かったのに対して
伊都国は畿内人の九州支配という目的によって作られた国という意味合いが強い。
209:日本@名無史さん
07/08/23 07:13:30
>>164
投馬=ツマ
210:1 ◆.L.MXSPOgc
07/08/23 08:58:11
>>208
>現在の地形から考察したら、魏略のほうが正しいのではないでしょうか?
不思議ですね、現在の地形から私は千余戸が正しいと判断しています。
糸島半島は当時は島で、その間(現在の平野部の多く)は海の底でしたから。
それとも伊都国の比定地(の認識)にずれがあるのでしょうか?
>奴国のほうは上古音 >伊都国のほうは中古音
奴国も伊都国も、梯儁・張政の報告が初出ではないでしょうか?
それまで知られていた国名は倭奴国(と委奴国)で、奴国ではありません。
古音についてはあまり詳しく知りませんが、奴国の発音だけ古い(あるいは伊都国だけ中古音?)
という話には、素直には賛同しかねます。
それから畿内説は方位がずれる、自郡至女王國萬二千餘里という距離から外れる。
つまり方位も距離もでたらめの説だと私は捉えています。
もちろん当時に畿内に同程度の国や文化が存在してただろうことは否定しません。
211:日本@名無史さん
07/08/23 09:07:31
九州の伊都国に一大率を置いて諸国を監察せしむ。
これはのちの時代の太宰府のようなものか?
であれば邪馬台国=大和=畿内という図式も成り立つ。