07/07/17 21:33:45
帝国議会での新憲法審議で中心的役割を果たした一人である芦田均は、
自らの内閣を組織した際、思い切って皇居へ内奏に行く回数を減らした。
これは天皇がもはや元首でも統治権者でもなくなったからである。
しかし、まだ自分が元首であると思っていた天皇はご不満だったとか。
その後、元戦犯の重光が外相兼副総理になると、かつて彼が外相であった
戦時中なみの頻度で内奏した。
これには天皇もいたくご満足であったとか。
しかし、時代が下るにつれ、内奏の回数は減り、天皇が「彼の」大臣に
「ご下問」する機会も減っていった。