08/05/05 01:06:30
では、久しぶりに倭人伝解析でも 『東行』
『・・東南至奴國百里官曰ji[冠凹脚儿]馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戸(東行)至不彌國百里官曰多模副曰卑奴母離有千餘家
南至投馬國水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那可五萬餘戸南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月・・』
つまりここに記載されている「東行」の起点(発点)は【奴國】
東行は当然東に移動して初めて「東行」
・(東行)至不彌國
⇒ ここでは移動に必要な移動方法が記されていないので、単純に(奴國の東に行くと不彌國)という紹介文であり、「東行」が執行されていない。
・南至投馬國水行二十日
⇒ さきほど不彌國の部分で「東行」が執行されていないので、この文章の起点もやはり【奴國】そして「東行」も継続され
(東行)南至投馬國水行二十日という文章に
奴國の南には投馬の範囲、(東行)という目標をもち水行二十日
奴國の南にある投馬には水行で二十日ほどの距離(時間)
しかし、まだここでも奴國の南の投馬に移動したに過ぎないので、まだ「東行」という従来の目標は執行されていない。
・南至邪馬壹國 この文章も執行されない「東行」が継続中のため、(東行)南至邪馬壹國 という文になる
⇒ ここでも移動に必要な移動方法が記載されていないので、【投馬國】を視点に
投馬の南には邪馬壹の範囲という位置説明にしかすぎない。