「魏志倭人伝」等を読む (New 1)at HISTORY
「魏志倭人伝」等を読む (New 1) - 暇つぶし2ch2:日本@名無史さん
07/04/05 23:38:10
1が見えない

3:日本@名無史さん
07/04/06 01:03:26
>>1
お 前 が い う な

4:日本@名無史さん
07/04/06 04:17:58
もう何処だっていいよ。
分からないものは分からないんだよ。

5:日本@名無史さん
07/04/06 10:26:13
『其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王』
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』

亦=狗奴國?

6:日本@名無史さん
07/04/06 20:53:02
1オツ

7:日本@名無史さん
07/04/07 13:47:53
定期age

8:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 20:13:15
【 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從】

(倭人)『在帶方東南大海之中』
(倭人)『依山島為國邑舊百餘國』
(倭人)『漢時有朝見者』
(倭人)『今使譯所通三十國從』

と、読むと解りやすいです



9:日本@名無史さん
07/04/08 20:15:56
>文法通りに読むと邪馬台国は何処になるの?  文法通りに収まるなら既に全て解っているんでしょう
>解っていながら皆とぼけているとしか考えられないんだけど

文法どおりでないと、読んだ人に伝わらないんだけど。
自分が比定した邪馬台国の場所に合うように、文法を無視して読んでいいよと言ってるわけ?
位置を比定しさえすれば良いの。
だったら、説を主張する人の数だけ読み方が存在するわな。
自説に合わせて文法を無視ししちゃいけないから、みな苦労してるんだろうに。

10:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 20:16:52
>>8の訂正

【 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從】

(倭人)『在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國』
(倭人)『漢時有朝見者』
(倭人)『今使譯所通三十國從』

と、読むと解りやすいです


失礼しました


11:日本@名無史さん
07/04/08 20:24:45
>>8
> (倭人)『今使譯所通三十國從』

これを逐語訳してみてください。
「使譯」は「倭人の使譯」でしょう。
その前にも「漢時有朝見者」とありますから。
「今、(倭人の)使譯が通じてる所のものは”三十國從”である」
「從」がどうしても浮いてしまいます。
「三十國從」はどう訳すのでしょう?


あと、前スレの>>998
個人的には「投馬國の南」だと思ってます。
不彌國から投馬國への行程は傍線であるかもしれませんが。
解釈は分かれるところでしょうが、文法的には間違っていません。
文法にはルールがあります。
しかし文法通りであっても解釈が分かれることはあります。
その辺を勘違いしないでください。

12:日本@名無史さん
07/04/08 20:25:16
前スレ>>978
「亦」が、その前に記述された事柄(省略されていることもある)と、
後に記述された事柄を対応させるということは、文の型として決まっていることなのです。
ですので「繰り返す物事」と言おうが「決定した関連が重なる」と言おうが
「存在する表面が重なる」と言おうが、文の型とは関わりがありません。
漢文の文型の議論なので、日本語をどんなにいじっても仕方の無いことです。
結局、「亦」がその前後の記述を対応させるという文型のルールを
貴方が認めるか否かの問題です。
「許」や「略載」についても同様です。「数字+許+名詞」のとき、「許」は「餘」の意味であるという
ルールを貴方が認めるか否か。「略載○○」と書かれた時、
「○○の概略を記載する」という意味であるというルールを貴方が認めるか否かの問題です。

>この『亦』は【其國本亦以男王為王住七八十年倭國乱相攻伐歴年】の文があるからこその
>(短期的なリーダー交代)と解釈出来るし、そもそも文章とはそういうものと考えています。

「リーダー」というのは、「以男子爲王」でしょう。「交代」とは「亦」から考えたのでしょう。
ならば、「亦」が前後を対応させるのではなく、「亦」の後の記述だけを「重ねた」ことになりますね。
それは「亦」のルールに反します。(問題点の1)

それから、「短期的な」と解釈するには「七八十年」が
「七年八年十年」でなければならないことは>>946で指摘しました。
例えば、壁に単独で「七八十年」と書かれていたら「70~80年」と解釈します。
それが習慣ですので、文脈に特殊事情がないかぎりそのように解釈されます。
それが、習慣どおりの解釈ではなく「七年八年長くとも十年」というふうに解釈しなければならないとしたら、
前後の文脈に、それを要求する特殊事情が存在することになります。
その事情は『以男子為王住七八十年』の部分には存在しません。
特殊事情は何処にありますか。(問題点の2)

13:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 20:27:02
>>9

>自説に合わせて文法を無視ししちゃいけないから、みな苦労してるんだろうに。

それは矛盾した意見です
文法が確定していれば自説の入り込む余地どころか 苦労する事もないのでは


14:日本@名無史さん
07/04/08 20:40:37
>>13
文法的には正しくても解釈に幅は生まれます。
それは法律などの条文を例にすれば簡単にわかることです。
だからといって文法を無視して良いことにはなりません。
そこのところを履き違えないように。

15:日本@名無史さん
07/04/08 20:41:51
>>13
それはおかしな話です。
文法が確定していない言語で、あれだけの大帝国を運営していたのですか?
命令を書いた人と読んだ人で、内容が異なれば、国家が運営できません。
文法が確定していない言語で、朱子や王陽明は宋明理学のような思想を形成したのですか?
書いた人の意図と読んだ人の理解が異なれば、思想も哲学も語れません。
確定した文法どおりに順路をたどると、これだという土地に行き着かないから
文法は確定していないというのですか?
倭人伝の文で邪馬台国の位置がわからないだけで、
数千年の間書かれてきた、膨大な漢文の全てに文法が無いと、そういうことになってしまいますね。
それって、ご自分でどう思いますか?

16:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 20:53:46
>>12

>結局、「亦」がその前後の記述を対応させるという文型のルールを
貴方が認めるか否かの問題です。

当然の事かと  私が反対しましたか?
『亦』の文字も文中の一部ですから必ずその文意に左右され意味が構成されます
文にルールがあるように『亦』にも和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)
という、絶対無視できないルールが存在します。

詰まり
文法ルールは文字の意より優位に効果するからこの場合『亦』の意のルールは無視されるという事ですか?

後漢書          倭伝 『三十許國』   
魏書 『小國三十許國』  倭人伝『三十國』
北史 『小國三十許國』  倭國伝『三十餘國』
通典 『小國三十餘國』

北史 『小國三十國許』  倭國伝『三十餘國』
許=餘として使われているなら なぜ同じ史書にて『許』或いは『餘』で統一しなかったのでしょう?

17:日本@名無史さん
07/04/08 20:56:10
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。

18:日本@名無史さん
07/04/08 20:58:09
>>16
「亦」が示すものは「複数のうちの一つであること」です。

> 文にルールがあるように『亦』にも和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)
> という、絶対無視できないルールが存在します。

そんなルールは存在してません。

19:日本@名無史さん
07/04/08 21:05:12
俺の持ってる漢和辞典だと「亦」の字源としてこう書いてあった。
> 指事、大(人の形)の両わきにしるしをつけて、わきの下を表わす。「腋」の原字。
そして
> またの意は、音の借用

「亦」の音は「エキ、ヤク」らしいけど借用元の字は何?

20:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 21:05:14
皆さんの意見を聞きたいのですが

先ほどから言われている『文法』ですが
その文法は
①『漢語を扱う漢人』が『漢文』を読む為の文法ですか?
それとも
②『漢文』を読む為の『和語』を使用する人の為の文法ですか?


21:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 21:09:04
>>18

>そんなルールは存在してません。

貴方が知らないだけでしょう 貴方の知ってる世界だけが全てではないでしょうから

22:日本@名無史さん
07/04/08 21:10:40
>>20
同じことです。
何を疑問に思われてるのかわかりません。

23:日本@名無史さん
07/04/08 21:14:22
>>21
> 官「亦」曰卑狗副曰卑奴母

> 「亦」南北市糴

のどこに和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)があるのでしょうか?
ところで、「存在する表面が重なる」ってどういうこと?

24:日本@名無史さん
07/04/08 21:15:54
>>20
22さんが仰るように、漢人と日本人で読むときに文法が変わるなんてありません。
同じ英語が、アメリカ人と日本人で文法が違うなんてありません。

25:日本@名無史さん
07/04/08 21:24:09
>>24
和訳意とはまた、新しい用語が出てきましたね。
和訳意とか意味解釈とか効果するとか、普通の日本語ではありませんよ。
自分たち身内だけに通じる言葉を使っても、世間には通用しません。
これまでは、何となくこんな意味だろうと推測して読んできましたが、
これを機に、普通の日本語を使うようにするか、置き換えが出来ないようなら、
定義をきっちり定めてテンプレに貼っておくようにしてください。

26:日本@名無史さん
07/04/08 21:25:25
>>25のアンカーまちがえた。>>24ではなく>>23でした。

27:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 21:38:21
>>25

>和訳意とはまた、新しい用語が出てきましたね。
和訳意とか意味解釈とか効果するとか、普通の日本語ではありませんよ。
自分たち身内だけに通じる言葉を使っても、世間には通用しません。
これまでは、何となくこんな意味だろうと推測して読んできましたが、
これを機に、普通の日本語を使うようにするか、置き換えが出来ないようなら、
定義をきっちり定めてテンプレに貼っておくようにしてください。

申し訳ありません
私は学がないので言葉を知りません 今すぐどうにかなる問題でもありませんので、少し不自由しますがそれでもよければお付き合いください

>普通の日本語を使うようにするか

それはどういう意味でしょう? 流石に私では考えもつかない表現ですので詳しく解説ください。
今までそのような事を日常生活を含め言われた事がないので
ここはどうでしょう?
私が日本人の最低レベルと考え、対話されては
すると私の普通でない日本語にもあきらめがつくというものです

28:日本@名無史さん
07/04/08 21:48:22
>>27
>>普通の日本語を使うようにするか
>それはどういう意味でしょう?

和訳意とか意味解釈とか効果するなどの、言語虫さんが考えた「虫言語理論」専用の用語を使わずに、
その内容を普通の日本語に置き換えて使うか、置き換えができないのなら、
「和訳意とは~である。意味解釈とは~である。効果するとは~である。」というふうに
言葉を定義してテンプレに貼ってくださいということです。

29:日本@名無史さん
07/04/08 21:58:41
>>28
× その内容を普通の日本語に置き換えて使うか
○ その内容を普通の日本語に置き換えるか

30:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 22:03:41
>>28

あいや~
これはとんだことを  そうですね私も以前苦労し理解するまでに一年以上の月日を要した事を
思い出しました。
今ではそれが日常的に身についてしまったので何気に使用してしまいます
なるべく気を付けますので

しかし
一対多数はかなり疲れますので これ以降はレスを控えさせていただきます

31:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/08 22:10:58
因みに
『我こそは』と思う方はYAHOOに出張し、本人と直接バトルしてみては如何でしょう?
そこを打破しない限り第二第三のプラムが現れます

今のところ私が『虫塾』の末席です。

yahoo掲示板日本史カテ『魏志倭人伝解析』トピにおられます

32:日本@名無史さん
07/04/09 01:19:13
台湾中央研究院のサイトで略載を検索した結果から。

3. /新校本後漢書/志/志第六 禮儀下/大喪
- 3144 -
漢舊儀【略載】前漢諸帝壽陵曰:「天子即位明年,將作大匠營陵地,用地七頃,方中用地一頃.
深十三丈,堂壇高三丈,墳高十二丈.武帝墳高二十丈,明中高一丈七尺,四周二丈,?梓棺柏?腸題湊,以次百官藏畢.
其設四通羨門,容大車六馬,皆藏之?方,外陟車石.外方立,先閉??,?設夜龍、莫邪?、伏弩,設伏火.
已營陵,餘地為西園后陵,餘地為?妤以下,次賜親屬功臣.」

※漢舊儀は前漢の諸帝の壽陵(生前に立てる陵)について略載してこう言っている。「天子の即位の明年、将作大匠 陵地を営む。・・・」
壽陵について、詳細を省いて概略を書いている。壽陵についての記述を省いて書いていないのではない。

23. /新校本舊唐書/志/卷三十三 志第十三/暦二
- 1217 -
中宗反正,太史丞南宮?奏:「麟德暦加時浸疏.又上元甲子之首,五星有入氣加時,非合璧連珠之正也.」
乃詔?與司暦徐保乂、南宮季友,更治乙巳元暦.至景龍中,暦成,詔令施用.俄而睿宗即位,景龍暦寢廢不行.
麟德暦經今【略載】其法大端.
母法一百.兩大衍之數為母法.
旬周六十.六甲之終數為旬周.
辰法八刻;分,三十三少半.以十二辰數除一百刻,得辰法.
期周三百六十五日;餘,二十四;奇,四十八.一期之總日及餘奇數為期周.
氣法十五日;餘,二十一;奇,八十五少半.以二十四氣分期周,得氣法.
候法五日;餘,七;奇,二十八;小分,四.以七十二候分期周,得候法.
月法二十九日;餘,十三;奇.為月法[一二四].
日法日舒月遠乃舒一合朔之及餘奇為日法[一二五].
望法十四日;餘,七十六;奇,五十三.因為陰後限.二分月法得望法.亦是月行陰暦,後與朔望會交限.
弦法七日;餘,三十八;奇,二十六半.四分月法,得弦法.

※「麟德暦經について、その法の大端を略載する」と言って「母法一百・・・」という記述がある。
  麟德暦經に載っている暦法の大まかなところを書いている。省いて書かないのではない。

33:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/09 07:17:05
>>32

ところで
『漢舊儀』ってなに?
教えてください。

34:日本@名無史さん
07/04/09 14:35:30
>>33
失礼しました。昨夜は日本語を使えと言いましたが、こちらも迂闊でしたね。
漢舊儀は書物の名前です。下記のように隋書經籍志に著録(書誌が記録)されています。
衛敬仲とは、後漢の人衛宏で、字が敬仲です。

隋書卷三十三 志第二十八 經籍
《漢舊儀》四卷衛敬仲撰。梁有衛敬仲《漢中興儀》一卷,亡。

台湾中央研究院(academia sinica)のサイトで隋書經籍志や舊唐書經籍志などを検索すると見つかります。
藝文志(げいもんし)とか經籍志(けいせきし)というのは、正史の中の書物の目録の部分です。
書名っぽいなと思ったら、そういう所で確認できます。
あとは、舊の字を旧にして検索してみるのも手です。

35:日本@名無史さん
07/04/09 14:44:36
>>34
調べればすぐわかる事を教えてやることはない。
ちょっと文章を読めば書物の名前だろうと当たりはつくんだし。
どういう意味でその語を使ってるのか?という質問とは根本的に違う。

36:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/09 15:04:13
>>34さん
お手数かけてすみません。
すると
祭祀儀礼を記述した書物で宜しいのでしょうか?
あと、一つ聞きたいのですが
この記録に、漢時以前の記録を記載された部分は有ますでしょうか?

37:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/09 15:09:54
>>35

私は教えて下さいと言っているんだ
教える気のない奴がでしゃばる場面ではないと言うこと! 多分私だけでは無く 知りたがっているROM者も必ずいるはず

だから
ここはデシャバルな!

38:日本@名無史さん
07/04/09 15:19:37
>>37
自分が知りたいだけなのにいちいち他者を引き合いに出さないように。

39:日本@名無史さん
07/04/09 19:00:54
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。

40:日本@名無史さん
07/04/10 12:42:00
>>37
>>35さんの言葉は乱暴だけど、一理あると思いますよ。
初心者の質問なら、懇切丁寧に答えてあげるべきでしょう。
しかし、いやしくも「伝統的な読みは誤りである。私の読みが正しい」と主張するほどの者なら、
史書の注で頻繁に引用される漢舊儀は知っていて欲しい。
知らなかったことは仕方ないとしても、この程度の文章なら、書名だと当たりをつけられて当然。
書名だとわかりさえすれば、電子漢籍で漢舊儀を読めるサイトもあります。
少なくとも、台湾中央研究院のサイトで二十五史を検索すれば101件出ます。
そういうことを調べずに、内容を人に聞いて済ませようとする。
それでどうして「伝統的な読みは誤りである。私の読みが正しい」と主張できるのかという事です。
うるさい事は言わずに質問にお答えしましたが、
世間一般では、主張に見合う実力が要求されるということです。
それとも、何か別の意図があっての質問なら、ストレートに書いた方が良いと思います。
今後、質問がしにくくなるといけないとは思いましたが、
「デシャバルな」の一言に敢えて苦言を呈しました。
内容についてですが、私自身、漢舊儀を精読したことが無いので、迂闊にお答えできません。
それほどの分量はありませんので、興味があるなら、ご自分で目を通されるのが良いと思います。
漢官六種
URLリンク(ef.cdpa.nsysu.edu.tw)
漢衛宏撰というのが漢舊儀です。提要や叙録を読めば、概要がわかると思います。
また、>>35さんに怒られそうなので、この程度にしておきます。

41:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/10 13:36:52
>>40

言葉足らずでした。

『漢舊儀』は知っていました。
先日の
>漢舊儀ってなんですか?
の質問は
漢舊儀の中身ではなく『漢舊儀』そのものが聞きたかったのです。
何故『漢舊儀』なのか?
何故『漢舊儀』と名付けられたのか?

それが
『漢舊儀』って何でしょうか?の 真意です。

改めてお詫び致します。

42:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/10 13:41:19
>>40さん

漢舊儀の内容確認はある意味、自分の捉らえ方が正しいかどうか?の確認です。内容が
祭祀典礼の記載で
良いのかどうか?


そう言う事です。

43:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/10 13:47:24
言葉足らずが招いた誤解
真に申し訳ありませんでした。
ここにお詫び申し上げます。

では。

44:日本@名無史さん
07/04/10 14:48:50
>>40
質問者の怠慢さを責めこそすれ、回答者を責めるつもりはありませんでした。
ただ注意喚起することは必要かな?と思ったのであのようなレスをしましたが、回答者を責めてるような文章になってしまったことはお詫びします。
すみません。

プラム氏へ
>>37のレスに対してもそう思われているのでしょうか?
私はあなたの御説の内容はともかく、汚い言葉使いをなさらないことに関しては一定の評価をしていました。
単に>>33のような質問の仕方であれば>>41,42の意図を汲み取ることはほとんど不可能といって良いでしょう。
そこの辺りもはっきりさせて欲しいものです。

45:日本@名無史さん
07/04/10 15:06:47
>>44
35さんに怒られると書いたのは、かるい冗談ですので、お気になさらずに~。
私も、まったく気にしておりません。

46:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/10 15:11:33
>>44さんへ

>>37さんに対するレスは時限的に>>37だけで済んでる事、>>38以降は忘れています。(流れ的なモノです)

>>33のレスは正に言葉足らず

正直に『漢舊儀』だけ知りたかったので あのような内容になったまでです。
以前から
何故、(漢昔儀)ではなく(漢舊儀)なのか疑問を抱いていましたので
つい、ストレートに…


馬鹿な悩みと笑って下さい。私の不思議は何処か他の方とピントがズレているようです。
これも基礎学力の無さから来るモノかと 何せ日本史は大の苦手科目、年号見ているだけで今でも睡魔が忍びよります。(笑)

47:日本@名無史さん
07/04/11 00:26:49
小杉のバ~カ

48:日本@名無史さん
07/04/11 18:12:07
>>46
漢舊儀は、一度散逸した書物なので、衛宏の自序は失われており、
なぜそういう名前を付けたのかは推測するしかありません。
舊儀の用例を見ると、「元帝即位,遵舊儀・・・」(漢書・郊祀志)
「宣卒,?贈葬禮,皆依后母舊儀.」(後漢書・桓帝鄧皇后)
「舊儀,三公領兵朝見,令虎賁執刃挾之.」(後漢書・獻帝伏皇后)
などであり、「しきたり」や「先例」というような意味で使われています。
舊だから昔のものかというと、そうではなく、むしろ、昔からのしきたりだから
今も従うべきものとして意識されたのが舊儀のようです。
昔儀ではなく舊儀である理由はそのあたりにありそうな気がします。
昔儀という言葉自体存在しないと思いますが。
まあ、私の守備範囲ではないので、想像に過ぎません。
そんなわけで、漢舊儀は、「漢のしきたり」くらいの意味でしょうか。
最初は、王莽の簒奪で漢が一旦滅び、光武帝によって再興されたので、
新旧の意味があるのかとも思いましたが、用例から判断するとそれは違うようです。
少々興味深いのは史記に舊儀の用例が無いことです。
前漢建国から極盛期の武帝の治世までの期間は、いわばベンチャー精神みたいなものがあって
人々に先例に倣うという意識は希薄だったのかもしれませんね。
「朕の新儀は未来の先例たるべし」という後醍醐天皇の言葉を思い出します。

49:日本@名無史さん
07/04/13 18:33:52
おや、プラムさん
自分の持ち場はホッタラカシかいな?
よそで遊んでると、またいつぞやみたいに荒らされますよ
早く戻ってらっしゃい

倭人伝には風俗記事、外交記事もありますから、
どんどんと先へ進めてくれませんかねえ

50:日本@名無史さん
07/04/14 18:59:01
15. /新校本三國志/魏書/卷二十一 魏書二十一/王粲/ 呉質 裴松之の注
※ 本伝で太子の手紙が省かれて書かれていないのではなく、簡略化して書かれている。
本文と注文の手紙の内容を見比べれば、よくわかる。

臣松之以本傳雖【略載】太子此書,美辭多被刪落,今故悉取魏略所述以備其文.
(訳)本伝で太子のこの手紙を【略載】しているけれど、美しい表現が多く削除されているので、
   魏略に載っているのを全部取ってきて掲載する。

22. /新校本宋書/列傳/卷六十七 列傳第二十七/謝靈運
※ これは、ちょっと読みに自信が無いですが、山や水辺での仕事の説明ですね。
「略載して悉(つく)す靡(な)し。」尽くしていないということは、全部は書いていないけれど、ある程度は書いてあるということ。
- 1766 -
山作水役,不以一牧.資待各徒,隨節競逐.陟嶺刊木,除榛伐竹.抽?自篁,??于谷.楊勝所拮,秋冬?獲.
野有蔓草,獵???.亦?山清,介爾景福.苦以?成,甘以?熟.慕椹高林,??巖椒.掘?陽崖,??陰?.
晝見搴茅,宵見索綯.芟菰翦蒲,以薦以?.既?既?,品收不一.其灰其炭,咸各有律.
六月採蜜,八月樸栗.備物為繁,【略載】靡悉.

26. /新校本舊唐書/列傳/卷七十九 列傳第二十九/呂才
※ 太宗が陰陽書を新たに編纂しなおさせた。今、その数篇を【略載】するといって、宅經・祿命・葬書の内容を記載している。
省いて書いていないのではない。
- 2720 -
太宗以陰陽書近代以來漸致訛偽,穿鑿既甚,拘忌亦多,遂命才與學者十餘人共加刊正,削其淺俗,存其可用者.
勒成五十三卷,并舊書四十七卷,十五年書成,詔頒行之.才多以典故質正其理,雖為術者所短,然頗合經義,今【略載】其數篇.
其敘宅經曰・・・敘祿命曰・・・敘葬書曰・・・

51:日本@名無史さん
07/04/14 19:24:48
27. /新校本舊唐書/列傳/卷九十八 列傳第四十八/盧懷慎
※ 盧懷慎という人の上奏文三篇を略載するとして、上奏文三篇の内容を簡略に記載している。省略して書かないのではない。
- 3064 -
盧懷慎,滑州靈昌人.~中略~景龍中,遷右御史臺中丞,上疏以陳時政得失.今【略載】其三篇.
其一曰: 臣聞孔子曰:「為邦百年,可以勝殘去殺.」又曰:「苟有用我者,期月而已,三年有
其二曰:臣聞尚書云:「唐、虞稽古,建官惟百;夏、商官倍,亦克用乂.」
其三曰:臣聞天吏逸德,烈於猛火;貪人敗類,取興大風.


注を含めた二十五史での略載の検索結果27件のうち、2と4~14は魏略か典略という書物の名。
16~18も書物名。19は倭人伝。20・21は書物名。24.25は分量が多いので、ご自分で確認してください。
結局、略載の用例と認められるのが10件、倭人伝は保留するとして、
残り9例全てが、「○○について簡単に記載する」という意味で使用されており、
「○○については、省略して記載しない」という意味には使用されていない。
同じサイトで東観漢紀を検索すると、注文で略載の用例が157件ヒットする。
例えば、東観漢紀の記述について、関連記事が後漢書なのどの他の史書に略載しているという内容である。
全てを確認する手間はかけなかったが、ランダムに幾つか見たところ、後漢書亦略載其事とあれば、
指摘された後漢書の部分に関連記事が記載されていた。
他の注文も同じスタイルなので、みな同じではないかと推定できる。

52:日本@名無史さん
07/04/17 19:34:24
age

53:日本@名無史さん
07/04/18 18:29:56
           /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
         _∠、 ---‐―――---- 、,__          _________
   ,,、-‐ '"    ________      `'‐-、_    / まあまあ先輩、 \
   i       r'´   ト, li ヽ  i    ` ' 、       ヽ < これでも食べて      |
    `'ー---.、|  |.ji l ', |', .ヽ、 l      |,, 、 ---―''´    \ 落ち着いて下さい♪ /
         |  i|,|_l|,  ',|ヽ,__ヽ |      l             ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         . l ト, |!f'ィi    iイ:l >i  i   ,'      ぶうっ
           ヽト,} ゞ' ,   ゞ' ,// / ./.-‐‐-.、,,、-‐―‐- 、  ぶりぶりっ
           ゝ、┌‐ァr‐〃∠/      ヽ、   u `' 、
               `'`‐' {   /     U  . ',        ヽ
                 \/   u          l   ⌒ヽ   ',
                       |         (:. ,'r'; ̄ヽ、      l
                        |       u   /''`'、;;;;;;_l  "゛)  |
                        |            /,/'/ ト;;;;;;;;|      |
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54:日本@名無史さん
07/04/21 00:46:46
age

55:日本@名無史さん
07/04/22 02:19:10
あげとくか

56:日本@名無史さん
07/04/23 01:35:59
プラム逃亡

57:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/23 17:48:42
>>56

>プラム逃亡

今多忙にて(2ちゃん)してる暇が無いのです。

58:日本@名無史さん
07/05/04 13:56:31
連休あげ

59:日本@名無史さん
07/05/05 11:55:26
休眠スレ、消費期待age!

60:日本@名無史さん
07/05/05 11:57:34
このままじゃDAT落ち確定だから使っちゃおうか?
ヌシ殿の許可が無いとダメかねえ?

61:ドン恋18より転載
07/05/05 12:16:38
******************************************************************

998 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/05/05(土) 11:36:51
>>995魏志倭人伝の方角に関しては信用できない

多少の誤差と、畿内説の言う南を西と読みかえる程の90度もの誤差とは根本的に話が違う。
同じではない。

******************************************************************

東南<>東北の方位差を90度だと認めない人間のセリフですたwwwwwww


62:日本@名無史さん
07/05/05 12:48:11
方位を測る場合、夜なら北極星、昼なら太陽の南中方向によって大まかな判断はできる。
同じ地点に数日間滞在していて、それなりに意識をして観測すれば特別な器具などいらないもの。
ただし、移動中の場合は上記のような「定点観測」と違い観測者自身の位置が絶えずズレるため、
正確さは甚だしく劣りますね。
熟練した現代の航海士でも、知らない海をアナログ羅針盤だけで真東に100キロ行けといわれても、
海流や海岸線の影響で真っ直ぐには進めないのであれば、100キロ先の到着地は真東からかなり
ズレた地点でしょうね。
逆に既知の場所へ航海する場合も同じです。
目視できる地点への航海であれば別ですが、それより遠くであれば、
例え経験で知り得た海岸線や海流と羅針盤の針先を頼りに目的地に到達し得ても、
二点間の方位関係は、海図が無ければ落とすことは出来ない。
A点とB点との位置関係は測量に基づいた経度・緯度があって初めて理解できるものなのです。


63:日本@名無史さん
07/05/05 13:04:20
あれ、どんこい19は?

64:日本@名無史さん
07/05/05 13:11:01
明日までには立つんじゃないのけ

65:ドン恋18より転載
07/05/05 13:14:06
これ、意味不明っすw
ご本人の解説キボンヌですが

>999 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/05/05(土) 11:38:24
>細かい方向の違いを以ってだから90度とが宇野だというのは畿内説の詭弁。

66:日本@名無史さん
07/05/05 13:20:28
>>63
>あれ、どんこい19は?

立てたよ!

67:日本@名無史さん
07/05/05 15:13:39
>>62
星の位置で自分のいる位置の緯度は一目瞭然。
東西南北をそんなに大きく外すはずは無い。

68:日本@名無史さん
07/05/06 01:12:26
星の位置なんてどうでもいいから、舞浜駅周辺の道路事情の改善をしろよ(オリエンタルランド)
今日の最終も首都高乗るまで45分

69:日本書紀紀年法研究家 ◆RyFCZPFpzA
07/05/07 11:54:54
”「魏志倭人伝」等を読む(New1)”スレッドの住民の方々にお役にたつかどうかは
わかりませんが、HP「倉西先生のご学問所(URLリンク(www3.plala.or.jp))」の歴史学コースの
日本書紀紀年法入門にて、神功紀は西暦201年から389年までを扱っていることを、
日本書紀の編年にはプラス・マイナス120年構想が設定されていることを示すことで、
わかりやすく説明しております。魏志倭人伝の時代は、神功紀において扱われておりますので、
ご興味のある方々は、ご覧になってみてください。


70:日本@名無史さん
07/05/19 12:19:53
上げ底

71:日本@名無史さん
07/05/21 20:05:55
>>51
>結局、略載の用例と認められるのが10件、倭人伝は保留するとして、
>残り9例全てが、「○○について簡単に記載する」という意味で使用されており、
>「○○については、省略して記載しない」という意味には使用されていない。

51氏はよく調べられたと思う。略載の意は「簡単に記載する」で間違いない。
プラム氏はここは自説に固執せず51氏の意見を受け入れた方がよかろう。
このままだと「逃亡」ととられかねない。現にそのようなレスもあった。

中断後ひと月以上が経つ。プラム氏復帰を希望する。
過去の解釈を再吟味されたうえ、自説への批判でも妥当なものは取り入れ、
さらによりよい倭人伝解釈を目指していただきたい。

72:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/05/22 22:37:25
>>51及び住人諸氏
お久しぶりで~す!

今民法の勉強中でとても古代史に時間割いてる余裕ないんです。
昔摘んだ(遊び資金)ある過払い債権が時効間近なモノで

解決したら早急に復帰します。


何せ半端な額じゃないもので


ではまた

73:日本@名無史さん
07/06/01 00:15:01
6月1日  明けましておめでとう
今日から衣替えで~す。

74:日本@名無史さん
07/06/09 22:40:59
たまにage

75:日本@名無史さん
07/06/10 14:28:25
中国人が日本列島が南に延びていたと考えてたことは
奴らの作った地図見りゃ一目瞭然。南瞻部州

76:日本@名無史さん
07/06/11 07:50:51
>>75
何時の地図見てんだよ!

77:日本@名無史さん
07/06/12 13:29:15
『漢官六種』なんて、俺が学生時代に最初に中国書の書店に注文した、
東洋史研究においてはイロハのイ的な基礎史料じゃねえか。
そんなものも知らん奴が‥‥

78:日本@名無史さん
07/06/12 23:03:34
>>77
ん~っ で?注文してどうしたの?
お金がなくて取りに行けなかったという オチですか?

79:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/07/04 22:20:21
久々にageときますか

80:77
07/07/05 07:44:40
マジレスしとくと、そんな高い物でもなく、当時はまだ普通に流通して
たので、すぐ手に入れることが出来た。今果たして容易に手に入れることが
出来るかどうかはしらん。何しろこの手の中国書はその時に買わないと、
二度と手に入らない場合が多い。図書館で借りてきてコピーすれば済む
話ではあるが。

81:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/08/31 23:23:13
久々にageとこう

82:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/09/25 23:02:27
書き込み

83:日本@名無史さん
07/10/01 21:28:09
age

84:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/04 18:42:39
『スレ巡検』


>水行十日陸行一月の起点

投馬國(現 玉名市)

85:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 01:29:03

>水行十日陸行一月の起点
>水行二十日の起点
帯方郡

>水行十日陸行一月の終点
邪馬壱国(古筑後川下流部)
>水行二十日の終点
投馬国(古有明海東岸)



86:日本@名無史さん
07/10/11 03:41:10

邪馬台国(大和国)

投馬国(出雲国)

使節が滞在した場所から地図を90度回転させてみよう。
そうすると陸行一月が解決する、瀬戸内海を船で行けば大和国まで二十日で着く。

87:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 07:15:01
>>85王朝さん

かなり無理矢理ですね
倭人伝の地理志は順次式に書かれていますから

水行二十日の起点は(奴の港)着点は(投馬の港)

そして
水行十日陸行一月の起点は(投馬の港)着点(女王の都)
と、なり
女王の都は奴國の東方です。
(倭人伝参照)

88:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 07:40:48
>>86

>地図を90度回転

船の船体も90度回転させますか?
発想の斬新さに陶酔してはいけません。
地図を90度回転させても、方位も同時に回転しますから意味ありません。
地図は弄れても、地球の地軸や地形まで変えることは出来ませんからね

89:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 08:00:37
『プラムのレス巡回』


>学界の定説

医学界の様に、専門家と素人の差が歴然とつかない
史学界
素人の一意見扱いで十分です。

90:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 14:31:11
>>87プラムさん

あなたの論の進め方に従い、
倭人伝の地理志は順次式に書かれているとすれば、

水行二十日の起点は(不彌の港)着点は(投馬の港)

そして
水行十日陸行一月の起点は(投馬の港)着点(女王の都の港)
と、なり
女王の都は不彌国の南方です。


然しながら、倭人伝の地理志は順次式に書かれているとは断言できません。
魏使のルート(帯方郡→→→末盧國→伊都國→不彌國)から奴國方向は伊都國で枝分かれしており、
奴國はまるで遠絶ではない餘旁國扱いです。
奴國同様に、投馬國と邪馬壹國も不彌國の南側に放射状に分かれて、二国が並んで存在できます。
又、帯方郡~不彌國は合算距離萬二千餘里で、自郡至女王國萬二千餘里と距離が一致することから、
不彌國は女王國に含まれる一国となります。
不彌國が最初に書かれた女王國内の一国なら、続いて出てくる投馬國と邪馬壹國も女王國内の国となるわけです。
不彌國、投馬國と邪馬壹國の3国は女王國内の国として互いに近接していると判断できます。

そこで、「南至投馬國水行二十日」と「南至邪馬壹國・・水行十日陸行一月」の距離の起点は何処になるかの問題が出てきます。
投馬國及び邪馬壹國より遥かに離れた距離の始点を倭人伝中にさがすと、
文頭の「從郡」に行き当たります。
つまり、「從郡」を始点とすると、終点は「至倭」、「至投馬國」と「至邪馬壹國」の3箇所になるのです。
「至倭」の倭は倭人の国を指し、狗邪韓國から不彌國までの7ヶ国です。

91:日本@名無史さん
07/10/11 15:09:49
そもそも「魏志倭人伝」っていう名前じゃない
っていう人もいるよね。

92:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 15:41:06
>>90王朝さん

貴方も『遠絶』の解釈にミスがあるようですね
これだけでも訂正されれば、きっと
たごまった糸も少しずつ解れてくるでしょう。

そして、
どうして各国の位置取りを、後から検算の様にするの? 順次と言った筈ですよ


郡使往来(常時)行程記事は伊都國でおしまい
ここから先は、本来の主題でもある文章による属国地図表現です。


では
なぜ陳壽は、本来必要としない行程記事を書いたのか?ここが面白いんです。
行程記事はこの魏書だけですから。



陳壽に脱帽。また范曄しかり


細かな所はおいおいと一つずつ

93:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 15:57:15
何故?地理志第一部の最後に、
『自郡至女王國萬二千餘里』と記載されたか?


誰か暇な人は考えて投稿してね

94:日本@名無史さん
07/10/11 15:58:33
>>93
どうしても書き残しておきたかったんだよ!

95:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 16:13:51
>>94

正解だけど
もう少し詳しく書いてよ

96:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 16:56:43
>>94
つまり、こう言う事


ある文章に『今日は蒸し暑い』と書いてあったとします。
すると、この『今日は蒸し暑い』という文だけで、『昨日は蒸し暑くなく、爽やかな日』であった事が解り、ワザワザ
『昨日は爽やかな一日だったが、今日は蒸し暑い』
などという、長ったらしい文章を書かずに済むわけです。

つまり、全文を書かなくても『今日は蒸し暑い』と書くだけで、全文を把握する事が可能なわけです。


文字を最小限に抑える為に、『自郡至女王國萬二千餘里』とだけ最後に書くことで、様々な事が解るようになっています。
一番簡単なのが
伊都國から女王の都迄1500里だという事が、書かなくても解りますよね

97:日本@名無史さん
07/10/11 17:02:35
ねえねえ、古代史ってこうやって
推論に推論を重ねて物語をつくっていく作業なの?

98:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 17:10:59
>>97
作業は推論の様だけど、裏付けが無ければただの妄想。
この技法は知っての通り、「筆法」という技法だよ
(ただし、先程の例が筆法の内に入るかどうかは別として)
古くは春秋左伝にあるから参考にしてください。

99:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 17:54:24
>>96
>伊都國から女王の都迄1500里だという事が、書かなくても解りますよね

伊都國から女王の都迄の距離はわかりませんよ。
郡より不彌国までが8ヵ所の距離の合算で万二千餘里。
伊都國不彌国間が100里。
不彌国女王之所都間は何処にも記載されていません。

100:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 18:18:13
>>92
>貴方も『遠絶』の解釈にミスがあるようですね

では『遠絶』の意味はどういう意味ですか?

『今使譯所通三十國』のなかで、『使譯所通』が『遠絶』であると解釈しています。
(この『三十國』は狗邪韓國からラストの奴國迄の30ヶ国です。狗奴國は含まれません。)



101:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 18:19:02
>>99王朝さん

そのうちわけ説明してください。

ましてや
伊都→不濔間の百里には興味を覚えました。

102:日本@名無史さん
07/10/11 18:35:32
学会では九州説なんて死んだ説キチガイ扱い
九州説なんて唱えてるのはトンデモ本を売っている人、金儲けのため

※「邪馬台国を解明したければどうして魏の使節が東を南と間違えたのかを語れ」

103:日本@名無史さん
07/10/11 18:48:28
瀬戸内海を船で行けば水行十日
山陽道を歩いていけば陸行一月
大和盆地以外にありえないね。

104:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 18:52:11
>>100 王朝さん
「遠絶」
これは先日(火曜日)にもレスしましたが もう一度
(・・・妄國遠絶・・)→(かたわらの国、遠く絶え)

「遠く絶え」るものは距離では無く『時間』 既に「かたわら」と距離を表しているので、自ずと「遠絶」は距離ではなくなります


反論どうぞ

105:日本@名無史さん
07/10/11 18:59:55
歴史学、その中でも古代史なんかもっとも意味のない学問だろ。
就職もないし。なんで皆こんなんに夢中になってるの?やばいよ

106:日本@名無史さん
07/10/11 19:03:46
>>105
素人が専門家面できるから

107:日本@名無史さん
07/10/11 19:16:28
それでも学会ではマキムクが邪馬台国の最有力候補地なり。

108:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 19:19:12
>>106

古代史ばかりではない、司法もかなり入り込めるぞ


個人で弁護士相手に勝訴するのは快感だぞ

109:日本@名無史さん
07/10/11 19:23:41
瀬戸内海を船で行けば水行十日
山陽道を歩いていけば陸行一月
大和盆地以外にありえないね。


110:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 19:27:29
>>104 プラムさん
>反論どうぞ

反論はありません。
同じ解釈ですから。
『使譯所通』が「遠絶」であることは、最近の交流がほとんど無い、もしくは交流が稀であることですから、
時間軸で考えると同じ意味ですね。



111:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 19:43:54
>>105
日本古代史は、現役を引退すればしたいと思っていた長年の夢と言うか趣味ですから。

>>106
プラムさんが司法なら、ぼくは株式や為替ですね。


112:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 19:46:59
>>110王朝さん

そうでしたか
これは失礼いたしました。

しかし、久しぶりに時間軸で解釈する人に遭遇しました。
『かたわらの国は昔に国交が絶え』と、陳壽は述べてます。つまり、魏時(今)にはその情報がない
しからば『後漢書』にその情報源を求めなければ
『遠絶』は当然范曄も覗いているからです。

113:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 20:01:59
>>111王朝さん


私も以前から株キチでして、本間宗久の相場観を必死に身につけようとしました。しかし、それが元で借金
返し終えた時には辛うじて家屋敷だけはなんとか残りましたが、そのほかはスッカラカン状態でした。
でも今、
払いすぎた利息はしっかり返していただきましたけどね
裁判所書記官に名前と顔を覚えてもらうほど裁判所には通いました((笑))
原告の椅子は気分良いですよ

114:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 20:46:41
>>113
本間宗久はちょっと古すぎですね。
ぼくのアドバイザーは、株式のデイトレードだけに関しては、
当時フリーターで現在20代後半の青年でした。
今は某国立大学の医学部の学生をしているそうです。

115:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 21:04:17
>>101 プラムさん
返事を忘れていました。
下記の一読を。
距離の積算に関しては古田説そのままです。

>>スレリンク(history板:333-337番)


116:九州王朝大好き
07/10/11 21:11:13
>>101
続き
距離の内訳に関してはwikipediaにも書いてあります。

>>URLリンク(ja.wikipedia.org)

117:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 21:56:13
>>115-116王朝さん


ダメですよ
裏付け検証もせず他説を信用しては


方可四百里は一辺の長さが四百里の方形ではありませんよ
もう一度、面積の定義確認を要求します。

118:日本@名無史さん
07/10/11 23:41:02
>>117 プラムさん
「方四百里」は一辺の長さが四百里の正方形の面積です。
裏付け検証は30~40年ほど前にし、確認したので、詳細は忘れました。
「方可四百里」では一辺の長さが四百里の正方形の面積に相当するの意。
であるから対馬国の形は一辺の長さが四百里の正方形と簡易的に見なして、
その2辺の和で国半周の距離計算したと見ます。

以上以外に、「方四百里」にはどんな定義付けがあるのでしょうか?


119:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/11 23:42:42
>>117 プラムさん
「方四百里」は一辺の長さが四百里の正方形の面積です。
裏付け検証は30~40年ほど前にし、確認したので、詳細は忘れました。
「方可四百里」では一辺の長さが四百里の正方形の面積に相当するの意。
であるから対馬国の形は一辺の長さが四百里の正方形と簡易的に見なして、
その2辺の和で国半周の距離計算したと見ます。

以上以外に、「方四百里」にはどんな定義付けがあるのでしょうか?

120:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/11 23:56:33
>>118

>どんな定義付け


地方里為井


つまり、王朝さんの説をそのまま採用すると
萬六千井?
何故、「井」でも「通」でも「成」でもない「里」なんでしょう?
萬六千井もあるのに?

121:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 00:08:44
王朝のさん

別に嫌がらせをしている訳ではありません
いきなり答を出しても理解されないのがオチだと考えるからです。

>国を半周

はい同意です。しかし、加算はしません
「方」に四角の意味はありませんから

122:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 10:14:14
王朝さん
もう少し話しを先に進めましょうか?

王朝さんが言われる様に、一辺が400里の正方形の場合その面積は
(方里為井)
萬六千井
(井十為通)
千六百通
(通十為成)
百六十成
(成方十里)
百六十成の中に方十里の正方形16に区分けできる

そう王朝さんは言っているんです。


それなら
ワザワザ方四百里などと書かずに(百六十成)と書くだけで、一辺が四百里の正方形であることも一目で解る

123:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/12 16:06:22
>>120-122 プラムさん

度量衡問題を論じているのではありません。
必要ないからです。
むしろ不適です。

魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳の中での話しに戻すべきです。
「方可○○里」の使用例
『夫餘・・・方可二千里』
『高句麗・・方可二千里』
『韓・・・・方可四千里』
『對馬國・・方可四百餘里』
『一大國・・方可三百里』
これら最大最小200倍の比の広さ比較をするにあたり、
「方可○○里」の使用が最適ではないでしょうか。


>加算はしません
>「方」に四角の意味はありませんから

「方」の概念は座標のようなものです。
ここでは二次元座標ですから、
「方400里」は、X=400里、Y=400里、X=0、Y=0に囲まれた広さになり、
正方形をイメージしますから、二辺の長さの和を加算しなければなりません。


124:日本@名無史さん
07/10/12 17:23:42
そんな話、当時の中国で面積をどう表していたかを調べれば済む問題じゃないの?

125:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 17:51:10
>>123王朝さん
>度量衡問題を論じているのではありません。 必要ないからです。 むしろ不適です。
その度量衡の共通認識を作ろうとする作業なんですがねぇ 扱ってるものが、正に度量衡そのものなんですが
>正方形をイメージしますから、二辺の長さの和を加算しなければなりません。
イメージするのは勝手ですが、それって王朝さん個人のイメージでしょ? その個人的なイメージを根拠として論じられても・・・・・・・ それとも何処かに記載されているんでしょうか?

面積(規模)を議論しているのに 定義されているものを無視した議論は出来かねます。 ゴメンナサイ >

126:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 18:22:06
ここで大事な事は、面積の定義があるにもかかわらず、何故「里」で表したか?なんです。
その理由が解らなければ、この「方〇〇里」の疑問は解決しません。
そして
まだこの先には「方可〇〇里」の難問が

127:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/12 21:39:48
>>125-126 プラムさん
>イメージするのは勝手ですが、それって王朝さん個人のイメージでしょ?

個人的イメージではありません。一般的なイメージです。
誰もが「方」からイメージできるから、
「平方」「立方」「方形」「方向」等の言葉があるのではないでしょうか。

>面積の定義があるにもかかわらず、何故「里」で表したか?
「方里」は、大きな広さを表わすのに便利だからじゃないのでしょうか。
(漢籍をひっくり返して類例を調べたわけではありません。)

>「方可〇〇里」の難問が
同様に類例を調べればよいでしょう

以上の問題は古田氏が既にどこか(『邪馬台国はなかった』?)に書いているのでは?
彼の解析のやりかたからして。

128:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 22:42:06
>>127王朝さん

>平方、立方、方形、方向
その中で形をイメージ出来るものはありましたか?
多分「方形」だけでしょう
「正方形」「長方形」
正方な「形」だから
長方な「形」だから
つまり、
四角をイメージしたのは「方」ではなく「形」

(正方形)は
「方」が「正/等しい」しい「形」
(長方形)は
「方」が「長/等しく」ない「形」

解りましたでしょうか?

129:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 23:23:32
王朝さん

古い記録でなくて申し訳ありませんが、「正方形の定義」が記されています。
「正方形」とは

『方積起於正方形』(正方形は方の積)

ようするに、
「方」から(正方形)をイメージするのは単純な思い込み
正方形は(方)*(方)からなる形なのです。

それに、方から正方形をイメージしそれが正しい場合、「方」の文字は「正方形」の
後にその意味が成立したということですよ?
それは全く矛盾した考えですよね
どう考えても「方」の文字のほうが早いはずですよね?「正方形」の中には既に「方」の文字が入り込んでいますから


古田氏は私でも解るようなこんな単純な検証もしないで著書を出しているのですか?


130:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/12 23:41:00
>>127王朝さん

>「方里」は、大きな広さを表わすのに便利だからじゃないのでしょうか。


例えば
「方千里」と書かれたものが、千里四方の正方形をイメージするものであったなら
なにも「方千里」などと三文字も使わず「一畿」の二文字で済みます。


131:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 07:56:02
「方」 
結論から述べると
「方」とは、 四辺のうちの一辺
※ただし条件として、この「方」の文字が面積(広さ)を表す時にだけ派生する解釈

だから「方〇〇里」だけで四角をイメージしてはいけないのです。


「方」には
無条件に共通する(意)が存在し、これらの範囲内で全て活用されるからです。

「方位、方向」の「方」の文字から形をイメージ出来ないのがその例です。


ではその全てに共通する(意)、誰か解る人いますか~?

132:日本@名無史さん
07/10/13 10:59:40
>>128

> つまり、> 四角をイメージしたのは「方」ではなく「形」
> (正方形)は 「方」が「正/等しい」しい「形」
> (長方形)は 「方」が「長/等しく」ない「形」
> 解りましたでしょうか?

相変らず「ぷ」のまんまだな。
正方形なら「正(真・等辺)」+「方(四方の略称)」+「形(かたち・外観)」だろ。
ぷ流解説だと「円形」は・・・

地裁の書記官もたいへんだったろうな・・・こんな人の相手をするんじゃ。
きっと、一度ですむような手続きに何日も費やしたんだろうな。
当然、顔は「覚えて」もらえるよw


133:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 11:04:10
「可/カ」(~べし・ばかり)

古代の日本人達はこの文字に(べし・ばかり)などの訓を付した。
この(べし・ばかり)の共通の意味は
⇒限られた

字意を検証してみると「可」は(口)+(¬)

(口)⇒限定された範囲
(¬)⇒把握する

口(範囲)を¬(横と縦で確認する)

★これを地理的扱いに用いると
口(地域/土地の規模)を¬(縦と横)で把握するとなり、
『カネ折り(二辺)で距離の測定』です。

134:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 11:45:54
>>132

>方は(四方の略称)


それは何処から持ち出した?

それに、原告は毎回出廷が原則(簡裁の場合、被告は出廷せず書面だけでOK)
案件も複数件抱えていたからね


>円形

プラム流であれなんであれ(円い形)ですが


方が四方の略称なら『上方』の「方」は?

135:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 11:52:33
>>132

もう一つ追加しとくね


じゃあ、方が四方の略称として認知されたのは何時から?
それとも貴方の頭の中だけ?


何時も俺に対する反論は、具体性にかけるなぁ~

136:日本@名無史さん
07/10/13 12:32:40
ここでも読んでみたら
URLリンク(www.agent-m.net)

137:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 12:44:18
>>136
家に帰ってからPCで見るよ

138:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/13 19:59:12
>>136

>ここでも読んでみたら

ありがと
暇なときたまに見てますよ

最初に出てくる八尺棒に五寸のズレ
あれって古田氏の周里根拠でしたよね 問題集が

139:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/13 23:07:17
>>133 プラムさん

自分で答えを出していますね。
『方可四百里』は一辺(一方向)400里の正方形であることを。
『方可四百里』は単に面積を示してるだけではないのですね。

以下は2行目までは同意
>★これを地理的扱いに用いると
>口(地域/土地の規模)を¬(縦と横)で把握するとなり、
>『カネ折り(二辺)で距離の測定』です。←この部分は手前勝手な解釈では?


140:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/13 23:13:42

四百方里<方(可)四百里=十六万方里


141:日本@名無史さん
07/10/13 23:43:43
>>138

> 暇なときたまに見てますよ
> 最初に出てくる八尺棒に五寸のズレ
> あれって古田氏の周里根拠でしたよね 問題集が

それって「周髀算経」でしょう。
>>136の引用先のは「九章算術」だよw

142:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/14 00:14:31
>>141

あっ!
これはウッカリミスです。
間違い指摘サンクス

最近物忘れと記憶力の衰え加速気味です。

143:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/14 00:22:52
王朝さん

今日は眠いのでまた明日にでもレスします。


ではzzz

144:日本@名無史さん
07/10/14 00:58:47
>>141-142
>最初に出てくる八尺棒に五寸のズレ・・・・痛いなぁ。
こりゃ「ウッカリ」とか「物忘れ」という問題じゃないだろうにw
要するに白文見ても何が書いてあるのか丸で見等がつかんレベルの漢文力だな。
こんな人でも臆せず講釈を垂れられるところが魏志倭人伝ネタのよいところではあるな。

145:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/14 01:10:58

400平方メートル≠400メートル平方=160,000平方メートル

400方里≠方(可)400里=160,000方里

146:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/14 09:13:50
>>144

>漢文力

そりゃあ私にそれを要求するのは無理だ
多分小学校レベルだしな(笑)
しかし、その小学校レベル相手に反論すら出来ないのが現状じゃないのかな?

せいぜい
その小学生レベルにヤリ入れられないように期待している。

147:日本@名無史さん
07/10/14 11:27:10
>>146

誤) しかし、その小学校レベル相手に反論すら出来ないのが現状じゃないのかな?
正) しかし、幼児レベルの相手なので教え諭すのはたいへん難しいのじゃないのかな?

反論できない≠相手のレスに的確な反応ができなので無視される

消防レベルじゃないでしょう(ぷ
幼児レベルですね。
他人に何を笑われているのか理解できない、
自分が何を書き散らしているのかも認識できない・・・

早くやふー!幼稚園にお帰りなさいな。



148:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/14 12:57:59
>>147

はい
さようなら
どうぞ他所にお移りください。

貴方の来る場所じゃありませんよ

149:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/15 15:52:34
>>145

それなら『十六萬方里』と書けば、正方形の面積も一辺の長さが四百里であることがわかるのに?
そうは書かなかった。

150:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/15 20:51:16

>>149
『十六萬方里』と書けば、一辺四百里の正方形である対馬国の輪郭が表わせない。
形状と面積が同時に簡潔に表現できる。

151:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/15 21:24:02
>『十六萬方里』と書けば、一辺四百里の正方形である対馬国の輪郭が表わせない。


ん~?
「十六萬方里」って一辺が四百里の正方形の面積じゃなかったの?


それに、対馬って正方形の島だったんだ

152:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/15 23:08:58
>>151
>「十六萬方里」って一辺が四百里の正方形の面積じゃなかったの?
「十六萬方里」では国の形がわかりません。

>対馬って正方形の島だったんだ
壱岐も一辺三百里の正方形の島と見なしているようですね。
ぼくには「径可三百里」の方が良いと思いますが。

153:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/15 23:51:10
>>152

>>「十六萬方里」って一辺が四百里の正方形の面積じゃなかったの?
「十六萬方里」では国の形がわかりません。

正方形なんでしょ?
正方形だから「十六萬方里」

154:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/16 00:15:10
「方可400里」は、面積「16万方里」の正方形の土地。(面積と形が同時に示せる。)
「400方里」は「1方里」が400個であるから、土地全体の形状は不明。

155:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/16 07:18:26
>>154王朝さん

>土地全体の形状は不明

正に東夷の各国々の形状はまちまちではないでしょうか?
そして
その疎らな形状を正方形に修正し、規模を記載することはナンセンスな行為そのものではないでしょうか?でも、四角に見立てその二辺を測りその数値を記載し、規模とし計上することは同意します。

ではどのような技法が?

156:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/16 07:48:56
『方』とは御存じの通り、(一方向に直線的)という共通意があります。

だから向を示すモノにも『方』が活用され、
視点(基点)から外に広がる直線を「方向/方位」といい、この直線が四方向集まり(基点に帰る)、規模を表す事も出来るのです。だから
「方〇〇里」と書くだけで、一辺が〇〇里の正方形であることも解ります。


しかし、ここは「方〇〇里」ではなく「方可〇〇里」ですね

157:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/16 23:02:51
>>155
>その疎らな形状を正方形に修正し、規模を記載することはナンセンスな行為そのものではないでしょうか?

東夷の正方形と三角形と見なせる国だけを記載したようですね。
単純な形状とみなせない国は記載の省略をしたようですね。

烏丸:記載無
鮮卑:記載無
夫餘:方可二千里(正方形)
高句麗:方可二千里(正方形)
東沃沮:東北狹西南長可千里(三角形)
挹婁:記載無
濊:記載無
韓:方可四千里(正方形)
對馬國:方可四百餘里(正方形)
一大國:方可三百里(正方形)
倭の他の国々:記載無

158:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/17 01:08:00
>>156 プラムさん
>しかし、ここは「方〇〇里」ではなく「方可〇〇里」ですね

プラムさんはその違いを既に説明していますね。

「一辺○○里とみなす」とか、転じて「一辺凡そ○○里である」の様な意味になるのでは。
はっきり○○里と断定しない表現として「可」を入れているのでは。


159:日本@名無史さん
07/10/17 12:20:49

稲作が中国から日本へ直接伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら最初に九州・西日本に伝わった稲作が弥生前期末には
既に伝わっていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から日本へ直接伝来した事の証拠にはならないのである。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられる。

URLリンク(www.athome-academy.jp)

160:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/17 12:40:22
>>158王朝さん

認可、許可、裁可、制可、不可


これら全て(断定としない)ですか?

161:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y
07/10/17 16:15:43
>>160 プラムさん
横レスの横レスになりますが、

それら全てに、断定的・絶対的意味は全くないと思いますが。

>(口)⇒限定された範囲
>(¬)⇒把握する
と書かれた通りではないですか?

162:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/10/17 21:25:54
>>116王朝さん

今までレスした相手(2ch)の中で、王朝さんが一番手ごたえあります。
多くの博識の方に巡り会う事が出来ましたが、王朝さんタイプの人は初めてです

マジで秀才を認めます(正直背筋がぞ~っとする事がしばしば)
今はまだ反論する余裕がありますが、多分王朝さんが視点を変えた時は私は完全に反論の
余地すらなくなり、頭を垂れ教えを請うことでしょう。

163:日本@名無史さん
07/11/24 17:48:52
対馬國=対馬
一大國=壱岐
末盧國=松浦(唐津)
伊都國=伊都(糸島)

斯馬国=糸島の志摩半島
好古都国=博多

対蘇国=鳥栖
蘇奴国=佐賀
呼邑国=小城
華奴蘇奴国=神崎(吉野ヶ里遺跡)



164:日本@名無史さん
07/11/29 15:46:07
>>159
そんなこと言ったら切がない。
植物学の世界では
それは、中国南部から日本へ直接渡ったということでOKなんだよ。
稲の伝播というのは、基本的に
気候や環境に依存するものだから。

165:日本@名無史さん
07/12/02 07:54:51
卑弥呼とは職掌名であるとの説がありますが、それなら何故壱与は個人名のみで卑弥呼と記されなかったのでしょうか。
どなたか明解なお答えをお願いいたします。

166:日本@名無史さん
07/12/02 08:48:07
>>165
このへんが、ややこしい。
中国人の印象もあるだろう。

たとえば、おそらく中国人が最初に知った媛命が
トトヒモモソヒメだったんだ。
その場合は、この長たらしい名前よりも、
職名の媛命のほうで、記録した。

が、次の台与が擁立された場合、前の媛命と区別しなければいけなかったから
職名じゃなくて、本名で記録したんじゃないのか?

よって、トトヒモモソヒメよりも先に、
別の媛命が中国人に知られたのなら
その媛命が、卑弥呼と記録されて
トトヒモモソヒメのほうは、トト(台台)みたいに記録されたかもしれないw

中国人の記録には一貫性がないもんだよ。
日本の南北朝時代の時だって、中国人は、
日本には持明と南朝があると記載している。
正確には、北朝と南朝 あるいは
持明(持明院統)と大覚(大覚寺統) なのにね。


167:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/02 09:00:05
>>165

>壹與は個人名

誰がそう判断したの?
倭人伝に登場する倭人側に、個人名で登場するヤシなんて誰もいない。
第一、個人名で登場させても意味ないし、無駄な文字数消費するだけ

「壹與」と記載するだけで、読み手の漢人達にその人物の背景が理解出来る様になっている。
音に対し、適切な漢字を当用するのです。

編纂者は漢字を操るプロ中のプロ
常人を越えているから史書編纂に携われるのです。
和語と漢語を組合せる作業なんて朝飯前
当然和語に関してもスペシャリストでしょう。

常に倭側から
何人もの生口が送られていますから、和語を生で体験できます。

168:日本@名無史さん
07/12/02 09:21:59
>>167
中国人の日本に対する記述のいい加減さは
文献資料が豊富な時代においても
頻発している。

169:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/02 09:49:07
>>168

で、その比較史料は
当該史料と同じ時代に同じレベルで書かれているの?統計資料もそうなんだけど、見方扱い方によっては全く別な判断ができるから

170:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/02 10:01:03
情報に対する信頼度は
決して、資料の量や時代には比例しないよ
最終的には
扱う人の個人レベルがモノを言う世界だから

これだけ情報が集まる現代でも、かなりな誤認識は生まれるし、上手に活用出来ない人も沢山いる
変な固定観念は取り除く可きです。

171:日本@名無史さん
07/12/02 11:11:57
>>169

>で、その比較史料は当該史料と同じ時代に同じレベルで書かれているの?

>>168の文章は、「中国資料の日本関係記事の”いい加減さ”は時代を超えて普遍的」と言う主張。

時系列を超えて比較しなきゃならない事例に「同時代」性を求めてどうするのw
相変らずプだねえーw

172:日本@名無史さん
07/12/02 16:56:44
>>165
>卑弥呼とは職掌名であるとの説がありますが、

「ヒ」巫女、又は「ヒ」ミカ説ね。
(ミカについては説明省略)


>それなら何故壱与は個人名のみで卑弥呼と記されなかったのでしょうか。

「壱」の「与」。
「壱(イ)」は倭(イ)又は邪馬壱(イ)国を示す。
「与」は個人名。
中国名風に「壱与」と表現する説。

以上>>164についての追加説明。
プラムさん、この説明外れているかな?


173:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/02 17:34:40
>>172

>壹與


「壹/イ」=ちっぽけな
「與/ョ」=あたえる


この選ばれし年十三の小娘に「イ(ヒ)/国」を与えたつまり
この(与えた)とするのが誰か?が面白いところです。

174:日本@名無史さん
07/12/03 17:17:40
 
 URLリンク(sakuratan.ddo.jp)

こいつの顔、サガミに似てんなw

175:日本@名無史さん
07/12/03 17:21:38
>>165

どっちも卑弥呼にしたらヤヤコシイだろが

176:サガミハラハラ
07/12/03 18:02:42
ですから、職掌ならふつうは吉田社長、伊藤社長と言う具合に個人名をつけますよね。
ですから卑弥呼壱与とかなっていないのは卑弥呼は職掌名ではないからなのです。

177:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/03 21:13:57
>>176

>ですから、職掌ならふつうは吉田社長、伊藤社長と言う具合に個人名をつけますよね。
ですから卑弥呼壱与とかなっていないのは卑弥呼は職掌名ではないからなのです


そりゃあ
現代みたいに名前に重要性があり、しかも個人名の確認が取れているならの話ですが
後世の漢人達に、異国の小国人物名にいかほどの価値があるのやら
先ず、そのあたりを語り反論としてください。
全てサガミさんの主観で固めた反論にいかほどの価値があるのか・・・・・?

178:日本@名無史さん
07/12/03 21:30:29
>>177
>当然和語に関してもスペシャリストでしょう。

烏丸・鮮卑・東夷伝
東夷の中でも夫餘・高句麗・東沃沮・?婁・?・韓・倭と、これだけあるけれど、
どれだけの言語があったとお考えですか。
陳寿は、それら全ての言語に関してスペシャリストだったんですか。

179:日本@名無史さん
07/12/03 21:47:19
>倭人伝に登場する倭人側に、個人名で登場するヤシなんて誰もいない。

ということだけど、難升米や牛利も個人名ではないの?官名?
率善中郞将や率善校尉に任命されて、銀印青綬を受け取るのは個人だと思うんだけど。
官が官に任命されるのは矛盾ですね。
和語のスペシャリストなら考えられませんから、官名ではないのでしょうね。
ならば、難升米や牛利は何なんでしょう。

180:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/03 21:49:22
>>178

>陳寿は、それら全ての言語に関してスペシャリストだったんですか。

陳寿クラスになれば当然のことでしょう
史書編纂の携わる為の最低条件では?

当時は洛陽に居ながらにして「生口」から属国の情報を手に入れられますから




181:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/03 21:59:06
>難升米や牛利は何なんでしょう。

調べてみると面白いよ(漢字で書いてあるから意味は分かるはず。漢人の立場になって考えてみて)


>官が官に任命されるのは矛盾ですね

全然
属国倭の官職者が宗主国の官職もらって何か都合悪いの?
卑弥呼だって「親魏倭王」だよ

>難升米や牛利も個人名ではないの?官名?

当然個人名ではないし、倭王の一人だよ


>率善中郞将や率善校尉に任命されて、銀印青綬を受け取るのは個人だと思うんだけど

当然個人だよ、しかし個人名かどうかは関係ないだろう

182:日本@名無史さん
07/12/04 00:08:23
>>181
どうも、プラムさん。おひさしぶりです。略載で議論した者です。

>陳寿クラスになれば当然のことでしょう
>史書編纂の携わる為の最低条件では?

そんな条件は寡聞にして存じませんね。
たとえば漢書では西域伝など、多数の伝がありますが、
班固が全ての言語に通暁していたとはとても考えられません。
中華書局の三国志1470頁。そのなかのたった15行の烏丸伝を書くのに、
その言語に通暁しなければならないのですかね?
倭人伝にしても4頁ちょっと。それなのに、和語に通暁していることが、
三国志の編纂者たる最低条件ですか?
陳寿の伝に、語学のスペシャリストだったとでもあるのでしょうか。
客観的証拠は何も無いですし、貴方の主観ではないですか。

183:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/12/04 09:55:53
>>182さん
お久しぶりです。


>主観

まぁ確かに客観的か?
と、言われても……ねぇ~題材が題材だけに
かと言ってそれを客観的に否定出来る材料もないわけで

それに、各地方から生口が集められていた事は史料事実だし、通訳の存在も否定できなく、環境はととのっているわけです。
逆に「知らない」とする証明の方がムズイですよ

184:日本@名無史さん
07/12/04 14:44:47
>>178
>東夷の中でも夫餘・高句麗・東沃沮・挹婁・濊・韓・倭と、これだけあるけれど、
>どれだけの言語があったとお考えですか。
>陳寿は、それら全ての言語に関してスペシャリストだったんですか。

いい加減なことを論拠にするな。
陳寿は多言語のスペシャリストである必要はない。
言語は最大4種類しかない。
韓を除外すれば、倭(Ⅳグループ言語)と夫餘(Ⅰグループ言語)の2種類だけだよ。

Ⅰグループ言語
夫餘・言語について記述無
高句麗・「言語諸事多與夫餘同」
東沃沮・「其言語戸句麗大同」
挹婁・「言語不與夫餘、句麗同」
濊・「言語法俗大抵與句麗同」

Ⅱグループ言語
韓(馬韓)・言語について記述無

Ⅲグループ言語
韓(弁韓 辰韓)・「言語法俗相似」

Ⅳグループ言語
倭・言語について記述無

185:184
07/12/04 14:57:07
>>184の追加
倭語と夫餘語には数詞の相似性が見られるように、互いに近い言語とも考えられる。
これは、夫餘から倭まで、韓を除いて、同一言語グループとも考えられる。
陳寿に夫餘語についての知識があれば、彼が倭語を理解するのはたやすいこと。

186:184
07/12/04 15:45:32
間違い訂正
半島より北の挹婁は夫餘系(Ⅰグループ)言語ではない。
挹婁・「言語不與夫餘句麗同」


187:182
07/12/18 18:27:53
182です。ずっと、書き込み規制に巻き込まれていて、レスできませんでした。携帯もはじかれるし。
ようやく、今日から書き込めるようになったんですが、2週間も間があくと、さすがにモチベーションさがりますね。
とはいえ、184さんの意見には賛成できないので、そのうち、暇を見つけてレスしようかと思っています。

188:182
08/01/19 07:58:49
久しぶりに気が向いたので、184さんにレスしてみます。
倭人伝編纂の資格が倭語のスペシャリストであることなら、
当然、烏丸鮮卑東夷伝を編纂する資格は、その諸語のスペシャリストでなければなりません。
そういう議論のときに、
>韓を除外すれば、倭(Ⅳグループ言語)と夫餘(Ⅰグループ言語)の2種類だけだよ。
というように、烏丸・鮮卑と韓のグループを最初から除外して議論しても意味がありません。
ということで、言語グループは6個です。

>倭語と夫餘語には数詞の相似性が見られるように
といっても、残存している高句麗語の数詞四つの発音が似ているという程度でしょう。
それも英語とドイツ語の数詞が似ている程度でしょう。英語が出来る人はドイツ語も出来ることにはなりません。だから、
>陳寿に夫餘語についての知識があれば、彼が倭語を理解するのはたやすいこと。
という根拠にはならないと思いますよ。
夫餘のグループにしても、方言程度の差はありそうです。
外国人の陳寿が、方言の差を理解しようとすれば、大変なことだったろうと思います。それなのに
>夫餘から倭まで、韓を除いて、同一言語グループとも考えられる。
というふうに、まるでこの地域には単一の言語しかなかったように言うのは、
意図的なミスリードのように思われます。
6個あった言語グループが、確たる論拠もなく、いつのまにか1個になっています。

189:日本@名無史さん
08/01/19 08:00:12
烏丸  記述なし
鮮卑  其言語習俗與烏丸同.

夫餘
高句麗  東夷舊語以為夫餘別種,言語諸事,多與夫餘同,其性氣衣服有異.
東沃沮  其言語與句麗大同,時時小異.
?    言語法俗大抵與句麗同,衣服有異.

?婁  言語不與夫餘句麗同.

馬韓  記述なし

辰韓  其言語不與馬韓同,名國為邦,弓為弧,賊為寇,行酒為行觴.
弁辰  衣服居處與辰韓同.言語法俗相似,

倭   記述なし

190:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/07 22:34:32
未だ落ちなかったんだ

191:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/07 23:01:49
『韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接…』


⇒(三種78国)域は帯方の南、(三種78国)の東西は海限定(三種78国)與す南も海で倭は隣


『韓』の定義⇒(三種78国)

192:日本@名無史さん
08/02/07 23:52:08
韓とはは韓王の支配領域

193:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 00:01:11
>>192

その韓王って何処に書いてあるの?

194:日本@名無史さん
08/02/08 00:04:13
何故知らないんだ?

195:日本@名無史さん
08/02/08 00:05:42
プラムだからなw

196:日本@名無史さん
08/02/08 00:08:31
>>193
> >>192
> その韓王って何処に書いてあるの?

ホントに知らないのか?

197:河童 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 00:14:36
>>192

もう一度聞くよ
魏書東夷伝の何処に『韓王』が書かれているのかな?

198:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 00:21:04
まさかとは思うが『…自號韓王』じゃないよね

199:日本@名無史さん
08/02/08 00:25:27
これは恥ずかしいw

200:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 00:29:34
>>199

恥ずかしいなら来るな

201:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 00:37:11
はい
皆さん今日は書き込みありがとね
また一月ほど沈めますから

ではまたの機会に

202:河童無知
08/02/08 00:39:26
晒し上げ


203:日本@名無史さん
08/02/08 00:44:21
夫餘語って、殆どモンゴル語だったという話じゃないか?
つまり、現在の韓国語とは殆ど別系統の言語。

比較言語学では、韓国語は孤立言語だから。

204:どくだみ
08/02/08 01:06:08
>>191
こっちに書き込んでるの?

>(三種78国)與す南も海で倭は隣

これ、変な日本語だよね。「與(くみ)す南」というのが、日本語として意味を成していないんだけど、
どういう意味で書いているのか、説明してください。
「與す」とは、具体的にどういう意味ですか。「南」とは方角のことで良いのですか。

ところで、

韓在帯方之南→(三種78国)域は帯方の南
東西以海爲限→(三種78国)の東西は海限定

ここまでは、まあ良いでしょう。

南與倭接→(三種78国)與す南も海で倭は隣

これは、だめですね。
漢文は、形容詞+名詞の語順ですから、「與す南」とするなら、「與南」にならなければなりません。
だから「與す南」とは読めません。ならば「與倭接」と読むしかありません。
「も海で」とありますが、「も」を表す漢字がありません。
「海」の漢字は「東西は海を以て限りと爲す」で一回使っています。
「も」を表す漢字があれば、もう一度「海」を補って訳すこともできますが、
そういう漢字は無いので、海を二回使ってはいけません。

205:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 07:54:38
『漢字の力』

>>204どくだみさん
「與す」とはどういう意味ですか?と、問うて
日本語が変とか、ならないとか、言ってること目茶苦茶ですよ

>與す南

違いますよ
“與す”は(韓、三種78国)で、三種78国が與す事により「韓」という新しい枠組みが生まれますから
(これは與党と同じ構図)
そして
この南は東西と同じ南側という事
つまり“南側も海”(ただし、東西とは違い爲限ではない)

だから『東西以海爲限南…』 南も海だということは『以海』で十分でしょう

東西→“以”海爲限
南 →(以)海
方可→(以)海

これが“以/区切り”による以降 海ステージですよ

206:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 08:12:42
『漢字の力』

(組すと與す)
これら共通する和訓は(くみ‐す)
その活用の違いは

枠組み
「組す」は、枠組みが先にありしでその中身は後

「與す」は、組して後に枠組みが生まれる

そして
「組す」は、集まりしモノの対象が個別、単体の集まり
「與す」は、集まりしモノが単体ではなく組したモノが集まり新しい枠組みをつくる

〇年〇組 〇〇組

与党

207:どくだみ
08/02/08 12:15:08
>>206
もしかして、「(三種78国)與す南も海で倭は隣」って、
「(三種78国)が與す。南も海。倭は隣。」という積りで書いたのですか?
私は、「與す南も海で、倭は隣。」と切って読みました。
(こう読むと、意味不明なんですが。)
河童さんも、句読点というものをご存知ですよね。
日本語も現代中国語も、句読点があるから、正確に意味が伝わるのですよ。
漢文は、句読点が無いから、読めないところが出てくるのですよ。
今後、ちゃんと句読点を使って書いてくださいね。
それでは、もう一度確認です。
「(三種78国)が與す。南も海。倭は隣。」
という理解で良いですか。
もし違うなら、句読点を使って、普通の日本人が理解できる訳をお願いします。

208:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 12:53:37
>>207どくだみさん

ここは韓域の位置関係を示した文
『韓』は
・帯方の南
・東西は海限定
・南も海(ただし限定ではない)
倭は間接的隣り

韓→三種78国


後は御自由に!!
これが古代漢文な実像です。


何を書いた所で
否定的な人は否定的だし、公定的な人は公定的
だから古代史の論争の種は尽きない。


プラムは相手に伝えようと頑張ってみましたが、河童虫は勝手気ままな自由投稿。

209:どくだみ
08/02/08 13:21:58
>>208
>河童虫は勝手気ままな自由投稿。

結局、もう議論はしないということですね。それでは、仕方ありません。
私も、自由投稿としましょう。

河童さんは、アナグラムというものを知っていますか。
つづりの順番を変えると、全然違う意味になるというものです。
ウィキペディアのアナグラムの項目や、他のHPから例を引っ張りますと、

eros → rose
Tom Marvolo Riddle → I am Lord Voldemort (ハリー・ポッターの登場人物)
one plus twelve → two plus eleven
wing birth → bright win
Lost nature → Ultra stone
聖徳太子 → 衣装得した
(ショウトクタイシ → イショウトクシタ)

それで、何が言いたいかというと、虫説の読み方って、
漢文のアナグラムなんですよね。語順を無視して、勝手に読んでる。
東西と南の間の與を、突然、「(三種78国)が與す」と読む。
南しか書いていないのに、東西以海爲限の以海を引っ張ってきて、
くっつけて、“南側も海”と読む。
以前の「世有王」も、「三十人の王有り」と読めば、「丗王有」と語順が変わっている。
おそらく、ご自分ではアナグラムをしている積りは無いのでしょう。
むしろ、語順を変えてしまっていることに気付かずに読んでるような感じを受けます。
漢文を学び始めた初心者が、良くやる間違いの見本みたいなものです。

210:日本@名無史さん
08/02/08 13:23:15
つづき
漢文は、語順によって意味を伝えるから、語順を変えれば意味は変わります。
だから、書いてある通りの語順で読まなければなりません。
それなのに、語順を変えて、本当の意味はこうだと言われてもね。
初歩のときに、しっかり指導してくれる人が周囲にいたら、
このような間違いを推し進めてしまうようなことは無かったでしょう。
兼好法師の「すこしの事にも先達はあらまほしきことなり」は至言ですね。

アナグラムは、ノストラダムスの大予言や聖書の暗号などで、
さんざん使い古された、たま出版系の本に良く出てくる手法だけど、
それが好きで、それを信じたいというのなら別にかまいません。
アナグラムによって、倭人伝に隠された意味が解読できるとかね。
ただ、そうと気付かずに信じているのなら、気の毒にと思います。
もう一つ言えば、倭語で倭人伝の漢文を解釈できるというのは、
「人麻呂の暗号」のように、韓国語で万葉集が解釈できるとしたものの
逆バージョンですね。
残念ですが、これが、貴方が古代漢文の実像と信じているものの実像なのです。

おわり

211:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 14:03:16
さあ
それはどうでしょう?


アナグラムかアナゴ丼かは知りませんが(私はアナゴ丼が好き)
ここは“2ちゃん”ですよ何を勘違いなされているかは知りませんが、ここで(ネット上)全てをさらけ出す筈がないでしょう。
虫さんにしてもそうです。ブラフを活用し、掲示板を楽しむのも一つの方法
本当の醍醐味は
直接本人と膝を交える事です。

多分、貴方と膝を交えての話しならこんな曖昧な話しはしないでしょう。

ここは誰が見ているか分からない掲示板、チャチャを入れお茶を濁すのも掲示板です。



ここまで
ありがとうございました。
……プラム……

212:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 14:26:29
そして
貴方が私の持ち手をアナグラムと見えるのは、貴方の知識が私の持ち手をアナグラムとしか見えない位置にいるからですよ
つまり
貴方の限界がそこなのです。

だから中断する事が最良なんです。

213:どくだみ
08/02/08 14:41:50
>>211
>ここまで
>ありがとうございました。
>……プラム……

いえいえ。こちらこそ、充分楽しませて頂きました。
それでは、また。

214:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 15:00:05
>>213どくだみさん

今まで付き合ってくれた御礼です。

『韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接…』
あれは完璧ですよ
騙されたつもりで自分の知を捨て、平で考えてみる事をすすめます。

何故書かれてもいない南も海なのか?
その答が“以海”ですよ


では!

215:神奈川県民
08/02/08 18:11:13
河童さん~こんばんわ
おお~それにしても懐かしいスレですね。
まだ存在してたとは驚きです(笑)

それと「謎の女王卑弥呼~終止符!」また勝手に出されちゃってます(笑)
何故、私が作った終止符!ばかり狙われるのか解りませんが。
(別の名にせい!思うんですがね・・・)
んで終止符は一時、お休みさせるか迷ってるんですが、河童さんどうします?

216:せいじ
08/02/08 18:15:04
河童虫さんと同士の皆さんこんにちは

河童虫さんは邪馬台国行橋説、
卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしょうか?

217:河童 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 18:17:51
>>215県民さん

>それと「謎の女王卑弥呼~終止符!」また勝手に出されちゃってます(笑)
何故、私が作った終止符!ばかり狙われるのか解りませんが。
(別の名にせい!思うんですがね・・・)
んで終止符は一時、お休みさせるか迷ってるんですが、河童さんどうします?


休ませることはないと思いますよ
どこかに受皿を用意しておかないと、先日のようになりますから



218:神奈川県民
08/02/08 18:34:28
おやおや、居ないと思ったら河童さん居たようです(笑)

ですよね?河童さんはよく話のわかる人です(笑)
んで先日、荒れてたようですね。ここへ来てみてビックリしてるところ。
この前まで半分は残ってたのに・・・。
ドンコイ系の日本@名無史さん~勘弁してほしんですけどね・・・。
コテハン有りの人は大歓迎なんですが。

それとどくだみさんって終止符の30さん?!
河童さん~どくだみさんの知識には面食らったのではないでしょうか?
わたしも単なる新人さんかと思ってたところです(笑)

219:神奈川県民
08/02/08 18:41:48
>>216 せいじさん
>河童虫さんは邪馬台国行橋説、
>卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしょうか?

あなたはどうゆうお考えなのでしょうか?

邪馬台国行橋説
面白いとは思うんですが、わたしは違うところを考えています。

「平原遺跡」ですが、そこが本当に女性の王の墓だったか、
怪しいと考えてるわたしです。

220:せいじ
08/02/08 18:54:47
私ですか、
3年前ぐらいに参加していました。ここでの議論は卒業しましたので
お手数ですが検索していただくか無視していただいて結構です。


221:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 20:02:56
>>216せいじさん
今晩は

>行橋

自分の目で確認するまでは特定しません。
だから豊前国周防灘沿岸としています。


>平原

はい。

222:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 20:15:29
>>218県民さん

>どくだみさん


でも、常識から逸れない人は、どんな博識の方でも意外と楽なんですよ
一番の強敵は
自分と同じタイプの人です。

223:日本@名無史さん
08/02/08 20:31:42
>一番の強敵は
>自分と同じタイプの人です。

つまり、論理性0の人ねw

224:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 20:55:22
>>223

で、君は今まで何か論理的な事でも言ったか?

あ~
チャチィ専門だったな
それだけの参加も虚しいな

225:日本@名無史さん
08/02/08 21:55:02
>で、君は今まで何か論理的な事でも言ったか?

もし、言ってたとして、それをキミが「論理的」と判断できないんじゃないかな?
何せ、論理性0の人なんだから「論理」なる概念自体理解できないことになる。

226:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/08 22:37:39
>>225

そりゃあいいや
論理性0

貴重な存在だな
この世の中に0が存在していたなんて。

227:ご参考まで
08/02/09 09:05:17
プラムさん、おはようございます。さっそくですが
卑弥呼は人名に非ずというスレを拝見しましたので反論させてもらいます。
帝紀には、正始四年の記事に「倭国女王卑弥呼」と記されています。
同じく、大和四年の記事には「大月氏国王波調」と記されています。
同じく、青龍四年の記事には「高句麗王位宮」 と記されています。
卑弥呼も波調も位宮も当然に固有名詞の人名と解するは、当然のことです。
壱与も同じく、固有名詞の人名と解して当然です。

228:河童 ◆EY2wfgakAQ
08/02/09 09:45:31
>>227さん

では
何故国内に記録が無いんですか?

229:ご参考まで
08/02/09 09:51:04
228氏の「国内」とは日本という意味ですか。
お尋ねの意味が不明です。

230:日本@名無史さん
08/02/09 10:03:53
出た!
論理性0の反応。

「何故国内に記録が無いんですか?」

倭人が残した記録が無ければ自論の否定材料とは認めないということか。
何で中国の記録じゃだめなんだろう。
あー、そうか都合が悪いからだね。


231:ご参考まで
08/02/09 10:15:37
やっぱり、そういうことですか。230さん、御世話を掛けました。でも
『日本書紀』には、魏志倭人伝が引用されておりますよ。神功皇后紀です。
「明帝景初三年六月、倭の女王、太夫難升米等を遣わし郡に詣り、
天子に詣りて朝献せんことを求む。」 と。

さて、ここでは景初三年となっていますな。
倭人伝は二年です。
ですから、倭人伝において誤写が無いと、断定はできないんですねえ。

232:日本@名無史さん
08/02/09 10:21:35
書紀註は所詮「中国人の記録」だから。
きっと、個人名として「卑弥呼」を使用していたと言う倭人自身の記録が無ければだめなんですよ。
証拠採用の可否はご本人がするわけだからしょうがないですね。

233:日本@名無史さん
08/02/09 10:36:30
中東の笛じゃなくてプラムの笛って訳だ。
それで勝っても世界選手権には進めないけどw

234:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/09 10:39:27
>>231さん

二年と三年の違いは、記載されし視点の違いですね
三年は完了時、二年は経過時


>>230
論理性0のレスにイチイチ脊髄反応するなよ

235:せいじ
08/02/09 12:35:34
河童虫さんこんにちは

>自分の目で確認するまでは特定しません。
だから豊前国周防灘沿岸としています。

確認というのは特定の場所を特定していないので、
この掲示板で今後も時間を掛けながら確認したいということですね。
>豊前国周防灘沿岸

行橋のことだと思っておりました。失礼しました。
豊前国周防灘沿岸だとしても卑弥呼の墓が平原遺跡だと遠いですね。
平原がある伊都国が「女王国」と考えたほうがわかりやすいですね。
という議論を有名な方が有名になる前、
したことがあります。

その方は私と同じ卑弥呼の墓を平原遺跡とお考えでしたが、
残念ながら行橋説でした。
「五尺刀」の出土については理解、納得していただけたと思っていたんですが。
河童虫さん一人で?がんばってこられましたから、皆さん既によく主張をご存知です。
そろそろこの日本史板卒業されてはいかがでしょうか。



236:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/09 12:56:25
はい
せいじさんこんにちは

>日本史板卒業

全て見透かされているようで(怖)
長年愛用したプラムのコテを封じたのもそれが根底にあるからです。
既に掲示板にて学ぶモノもないし(罵声と煽り雑言はまだ)
せいじさんの声をきっかけに、踏ん切りを付け、
出番を徐々に減らし、ここから消滅したいと思います。

>行橋

やはり
自分の目で見てからですね

これからは
自分の一番学びたい言語理論を主にするつもりです。だから
コテも“河童虫”で統一しました。

237:唐松山
08/02/09 14:10:56
日本書紀に卑弥呼は
景行12年 石っころに 化けてでている。


238:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/09 14:57:58
>>237唐松山さん


さざれ石?

239:日本@名無史さん
08/02/09 15:00:57
そうか、居なくなっちゃうのかあ。
いじくるオモチャがひとつ減るのは残念だが、
ご当人の意志じゃしょうがない。
気持ちよく送りだしてあげよう。
卒業おめでとう。

手向けにネタを一つ。
山(やま)、島(しま)、浜(はま)、
天(あま)の「ま」って同源なの知ってたか?

初耳なら、ちょっと考えてご覧。

じゃ、長い付き合いだったが元気でな。


ところで、今度で何度目の引退宣言だっけ?


240:河童 ◆EY2wfgakAQ
08/02/09 15:27:50
>>239

>引退

誰が?

卒業したらOBだから


>「ま」

言意は(多様に←→方向)
雨、天、尼…(アマ)
島、縞、洲…(シマ)

アマはアマという言意で同じ
シマはシマという言意で同じ

241:神奈川県民
08/02/09 17:29:50
>>236へ横レスします。
>やはり自分の目で見てからですね

そう!ご自分の目で確認することが大切なのです。
以前、わたしは倭迹迹日百襲姫の大市墓を観てきましたが、
想像とは違ってかなり大きかった記憶があります。
というか九州旅行を計画中ですか。
関東からだとけっこうな旅費になりますよね。次のGW?!

242:神奈川県民
08/02/09 17:35:35
河童さん~お友達が多くていいじゃないですか(笑)

引退ではなく「OB」だそうです(笑)
あなた~人から「笑われる」センスだけはありますよね(笑)

いつも笑わせて

243:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/21 08:36:29
どうやら
畿内の名無しが、自分達の環境作りに躍起になっているようなので
荒れる前に移動しましょう。

244:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/21 09:13:42
『夷人不知里數但計以日』

これをちょっと弄ってみますか。
あるサイトの和訳を見ると(東夷の人は里数(距離)を知らず、ただ日を以って計る)
このように和訳されていて、他を見るにも大して変わらない和訳になっているようです。

でも、これを見て誰も反論ないことが不思議です。・・・・・馬鹿じゃね

この文は「但」と言う文字が接続詞となり「夷人」(不知里數)「但」(計以日)を繋いでいるということです
すると
・距離を知らないからただ時間で計る ということになり
大変おかしな日本語になってしまいます。
普通、距離(里数)を知らないので(よって)時間にて計るとか、距離(里数)を知らない(ため)時間で計るという文になります。


つまり トンデモな和訳だということです。

「但」という接続詞の後の文の理由説明を前文にても補う文でなければいけないのです。

245:河童虫 ◆EY2wfgakAQ
08/02/21 09:45:37
では
細部を見てみましょう

『計以日』とは
ご存知のように「計」は(結果)であり(〆)です。 算じた後に発生する(計)ということ  和語で(はかーラ行)
「日」は(時間)
ここを和訳すれば  『結果時間にて』『時間にて〆る』となります。

『不知里数』とは
「里数」の(里)は度量衡の単位「里」です
ここは「不知里」ではない。度量衡の「里」を知らないのではなく、「里」は知っているけれども
「里」を(数えていくこと)を知らないということ
つまり、
度量衡「里」を数えていき、そのトータルを「里」に表し認識ことを知らないと言っているのです。

『夷人不知里數但計以日』は
(夷人は距離を数え表す事を知らない、ただし時間で結果を表す)  こういう和訳が適切でしょう。

似たような文章が魏略逸文にもありましたね
『其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀』


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