07/04/20 23:07:34
>>370
いやいや、そうなったとしても、いずれ臥海のドン連中はこの世から
消える。そうなるとその下の学輩は九州説を黙っていたところ、出世の
妨害をされるおそれが薄くなるから、のびのびと真の主張ができて、畿内説は葬り去られる。
だいたい畿内近隣に女王国があるんなら、記紀はその記述を遠い遠い大陸の倭人伝以上に詳細に書くことができ、とうの昔に論争はないはずだ。それに卑弥呼のことが書いてあるわけだからねぇ・・・ つまり、女王国は九州にあったことは動かないのだ。
374:日本@名無史さん
07/04/20 23:13:25
>>372
応神と神功は九州と無関係ではない。
375:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/20 23:18:59
>>373 フムフム。
376:日本@名無史さん
07/04/20 23:30:19
>>374
九州を征圧したというだけで、
応神と神功は九州とは親戚関係は無い。
377:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/20 23:33:06
遠い遠い大陸の魏志倭人伝に女王国の記述が多大に書かれている。
近い近い日本の古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない。
女王国は日本にあるんだから、本来はこれが逆でなくてはならないのに
皮肉にも反対になっているのである。
これは何を物語っているのか?
全国の皆さん、よく深考されたい。
つまりだ、女王国は畿内に無かったからだ。九州にあったからだよ。
378:日本@名無史さん
07/04/20 23:47:47
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。
応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。
神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
ここまではOKだよね?
379:日本@名無史さん
07/04/21 00:17:59
>>377
>これは何を物語っているのか?
>全国の皆さん、よく深考されたい。
女王国のころの日本列島では、中国みたいに文字でものごとをきちんと記録する習慣はなかった。
日本列島ではどこでもそうだった。九州でも畿内でも。
それで何百年か時が経つと、女王国のことはだいぶん忘れ去られてしまい、
断片的なエピソードはともかく、きちんと正確に事跡を伝えることができる人はすっかりいなくなってしまっていた。
しかし「史書をまとめよ」と命じられたので、なんとかかんとか、やっとこさの思いで記紀がが編纂された。
それゆえ
>古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない
のは、決しておかしなことではないのである。
380:日本@名無史さん
07/04/21 00:24:11
>>367
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説
違うね。ローカルなら普通に出てくるわけだし、元伊勢祭りなんかないはず。
ローカルじゃないのを広めようとしたんでしょ。
381:日本@名無史さん
07/04/21 00:36:03
それより、>>372・・・・ただ単に勉強不足なのかしらないけど
結局、嘘を書いたら駄目だよ。それを前提にして説をつくるとすべてが嘘になる。
応神と神功は怖いほど九州に関係してるよ。まず神功は生まれが不詳。
経歴を考えたら初めから九州出身の可能性もある。
それから応神。欽明天皇の枕もとに出たんだっけ?w 宇佐と非常に関わりが深い。
なんでわざわざ宇佐なの?そばに何でも建てたり伊勢にでも加えりゃいいものを。
神功と応神。この2人は当然八幡で本元宇佐とつながってるし。
しかも畿内の朝廷は何もかも宇佐の神託に右往左往。東大寺もな。
あと、神輿の発祥も宇佐だということを忘れずに。というか知らないんだろうが・・
382:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:37:30
僕が一番おかしいと思うのは南方向を西に読み替える事もさながら
倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
確か畿内説はこのように捉えるのだとか。
これじゃあ幼稚園だって「最後までもっと詳しく書きましょうね」と先生からお小言を頂戴する。
もしも大人でこんな文章を書く人がいたら、何らかの精神疾患を疑ってしまう。
383:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:41:51
>>382間違いの訂正です。
南方向を西に読み替える でなく 南方向を東に読み替える
でした。
384:日本@名無史さん
07/04/21 00:46:27
>>381
宇佐の社伝を読むとさ、神功は生まれた場所不詳としながらも
すぐ後でさ、祖母山の大神の新婚神話とか現在の宮崎の都農とか
出してるんだよね。ここには口伝集も残っているというし、
なんか仄めかしたいのかなと思うんだね。
385:日本@名無史さん
07/04/21 00:50:48
>神功は生まれが不詳。
父は息長宿祢王、母は葛城高額姫ですが、何か?
386:日本@名無史さん
07/04/21 00:55:53
>>382
>倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
>30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
さぱーり意味不明。
「30カ国名だけをを並べ始め」、・・・なんだそりゃ?
「水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃう」、・・・誰がだよ?
387:日本@名無史さん
07/04/21 00:59:34
「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。修行なの。
いっしょうけんめい修行して身を清めないと邪馬台国に
入れてもらえないの。
388:日本@名無史さん
07/04/21 01:04:07
九州の東海岸は入組んだうえ島だらけで、水行には相当時間が費やされた
とみるが当然。
389:日本@名無史さん
07/04/21 01:07:25
少なくとも朝廷を初めとする皇族には それなりに家伝とか社伝とか
何でもあるだろ。九州と関わりがなければ
日本中に宇佐八幡を4万も広めたり、神輿や信託出させたりはさせないはず。
390:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 01:12:05
>>386
へえー畿内説でもこの部分に異説があるんだ。
知らなかったー。で、どのように捉えるわけ?
391:日本@名無史さん
07/04/21 01:30:32
>>378
>応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
>神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
>ここまではOKだよね?
OKではない。
つぎの3天皇は、九州から妃を迎えていると思われる。いずれも南九州の豪族の娘のようだ。
【景行天皇】
妃:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)
妃:襲武媛(そのたけひめ)
妃:御刀媛(日向美波迦斯毘売)(ひむかのみはかしびめ)
【応神天皇】
妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
【仁徳天皇】
妃:日向髪長媛(ひむかのかみながひめ。諸県君牛諸井の女)
392:日本@名無史さん
07/04/21 01:52:27
>>381
宇佐の信託と関係があるのは
初代の神武からそう。
393:日本@名無史さん
07/04/21 02:56:14
>>380
九州には元伊勢が無いことは、認めるわけだな?
394:日本@名無史さん
07/04/21 02:58:57
>>391
九州から妃を迎えたとしても、その子が次の天皇になれたわけじゃない。
395:日本@名無史さん
07/04/21 03:03:58
■■ 江原啓之に解明させたい歴史ミステリー ■■
スレリンク(history板)
396:日本@名無史さん
07/04/21 03:27:56
>>393
元々来たところにはいらない。オリジナルの土地にわざわざ畿内から立てるか?
しかし天皇の勅令で宇佐の代々の古社が順々に建てられているね。
しかし、何、>>393 や>>394, ここで無理やり天皇の神代記を
断ち切ろうとしているわけ?つまり祟神は出生をごまかしたという説に
でもしたいのかな。。。
しかし天皇は史書を読んで自分の出生を知ったわけではないのを
頭に入れたほうがいいよWW 誰が編纂を監修したのか脳みそ使おう。
397:日本@名無史さん
07/04/21 03:44:32
神武=祟神?
あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
まだ王ではなかったとか?
考古学上だと、畿内からは王冠や三種の神器が出てくる時期が
他より遅いってあったね。別スレか考古学板で読んだけど。
398:日本@名無史さん
07/04/21 04:40:11
>>393
伊野天照皇大神宮があるから
元伊勢はいらなかったのでは
399:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 06:30:29
>>386>>387
>>386はお答えが無いようですが?
おたくより「「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。」の人のほうがよほど信憑性があるような気が。
せいぜい修験道にでもはげんでちょうだいね。
おたくじゃないの、この前「水行はすいこうじゃないの。みずぎょうざなの。って言ってた人は。
400:日本@名無史さん
07/04/21 07:39:16
>>382
次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、
次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、
次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、
国名だけを並べているのはこの21国だね。どう数えても「30カ国」じゃないよね。
「水行十日陸行一月」はもちろん邪馬台国に至る日数の記述で、これら傍国21国よりも前のところに書いてあるね。
邪馬台国については「水行十日陸行一月」の行程とともに官名や戸数も丁寧に書いてあるよね。
だから>>386氏の疑問は当然だと思うよ。
>>382が何を主張しようとしているのか、ぼくも全く分からないね。
まさかと思うけど、肝心カナメの魏志倭人伝さえ読んでない・・・・・ことだって、あるのかもね。
401:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 07:52:51
>>379
記録する習慣はあったよ。紀はその原書群をもとにして書かれているんだから。
それに、数歩ゆずって記録の習慣がないとしても、稗田阿礼の記のように、彼の
脳内の記憶から記が書かれたんだから、卑弥呼の君臨と女王国の位置、習俗、
交易のおおざっぱでも知ってるはずで、この位なら忘れるはずはない。
記をあのくらい語れるんだから、かようなおおざっぱは、畿内のわきにあって
女王がいて天皇と交流したとかの彼の記憶からの記事が必ず残る。
それが無く、遥か遠い異国の倭人伝に記載があり、近国の情報を採り易い記紀
に0に近い記録内容を考えれば、畿内に女王国がなかったことは、全国の
皆さん、自明に近いことだ。
402:日本@名無史さん
07/04/21 08:43:50
巻向って本当に邪馬台国の卑弥呼の時代と同時期だったのか?年代が実はまるきり違うのでは。
ここが非常にひっかかる。
なぜならいきなりそんなものが現れた。
つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
邪馬台国の東遷だとしたらバッチリ合う or 神武の東征(実は神武=祟神、欠代は九州に居た)
なんせ天皇家が自分から祖は九州からやってきたと言いふらかしまわっている。
巻向を建てた集団の長〓天皇家は、天皇らが自ら編纂しまくる通り筑紫・日向(昔の九州の呼び名)
からやってきたのは史実≒事実。
そして巨大古墳の建設開始に秦氏が加わった。伊勢のユダヤと間違われる
奇妙な記号や魚も秦氏の影響でしょう、やはり。秦氏といえば宇佐。なので、
宇佐+吉備 ⇒ 畿内
そしてもし宇佐や吉備が邪馬台国と関連するなら、邪馬台国の東遷がはこの時期だ。
などと風呂にゆったり20分ほど浸りながら至った軽い一説。リオハのワインはいつも旨い。
あと20分長く浸かっておけば年号の不一致も論破できたと思う。
403:日本@名無史さん
07/04/21 09:31:59
>>402
>つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
それは正解だよ。
でも、九州から東遷してきたとしか想像できないようだね。
君の頭の中には、「3世紀の倭国=邪馬台国=九州」という図式しかないのは理解できる。
君が無知で、3世紀の日本列島全体の様相について何も知らないし、
何も知ろうとしないのが原因だからな。
もし、少しでも「3世紀の日本列島全体の様相」について知ろうとしていたなら、
奈良盆地にきた大集団が、九州からきたと考えるよりも、
吉備や紀伊や丹波や東海から来たと考えたほうが、
考古学上の物証からも明らかだと理解できるだろう。
まあ、理解できなくても責めないよ。
最初は、誰でも知らないことはある。知らないことは恥じゃない。
知ろうとしないことが問題なだけでな。
404:日本@名無史さん
07/04/21 09:42:40
九州ですが ◆IhXqm1bg5c にも、ちょっと問いただしておくか。
君は、当然、邪馬台国は九州にあったと考えるわけだね?
それならそれでいいよ。
じゃ、それを前提としてもいいから、ひとつ君の考えを聞かせてくれ。
過去レス・スレにもあるとおり、
弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
それとも遺跡の年代が捏造なのか?
どう思うね?
405:SOY
07/04/21 10:13:19
>>404
>弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
>この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
>これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
>または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
私も少しだけ横レスいたします。
邪馬台国=北九州とするなら、山陰と邪馬台国は無関係ではないと私は考えます。
山陰が中国と交易するにしても、北九州や朝鮮半島を経由せずには交易できませんから。
北九州から品物を入手するだけでなく、北九州を通過させてもらうことも
あったと思います。これらについては朝鮮半島から山陰の土器がどの程度
出土するか等によって判断するしかないかと思われます。
私個人の意見としては、必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
全て担っていたとする必要はないと考えます。
406:日本@名無史さん
07/04/21 10:36:36
>必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
>全て担っていたとする必要はないと考えます。
その通り出雲が頭から抜けてるねw
407:日本@名無史さん
07/04/21 10:50:18
>>403
すっげー狭い奈良盆地並の思考回路W
読めばわかるとおり、想像ではなく
天皇家が自称九州から東征してきたといっていることと、巨大古墳群が現れることに
吉備・宇佐の秦氏の関係が切り離せないことから筋道建てて説いているわけだが。
紀伊や丹波や東海、つまり畿内と東海、もともと近いところから(当然掘ってでるのも関連してるなw)
なぜか奈良盆地に集まってきて、そこの天皇が九州から来たと言い始める理由は?
そりゃ、近いところだと考古学で出るのも関連するのはアフォでもわかる。
巨大古墳群ができはじめることを吉備の秦氏と繋げると、一番関わりの深い宇佐が出てくるのは
当然で。想像でも思い込みでもなく理論的。
史書完全無視で、考古学だけしか話せないならさ、考古学スレにどーぞーw
最近 覗いたときは畿内説破壊されまくってたみたいだけどなぁw
しかも
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408:日本@名無史さん
07/04/21 11:04:22
>>407
>天皇が九州から来たと言い始める理由は?
神武は、1世紀の人物だろ。
409:日本@名無史さん
07/04/21 11:52:31
若狭湾には、ツヌガアラヒト(天日槍)が渡来している。
但馬を開拓した、タジマモリという人もいる。
この人たちは神功皇后に繋がる。
応神は、高志前の角鹿の伊奢沙和気大神と名前を換えたという不思議な記述もある。
神功皇后と応神のゆかりは、九州よりも山陰の方が濃いのである。
410:日本@名無史さん
07/04/21 13:45:05
「神武東征」って言っても実質的に戦争っぽいのは「白肩津」以降。
要は、大和と河内の地域戦争ですね。
瀬戸内と東海の間にあって交通の要所である大和を河内が東海と連合して
奪ったってだけのこと、と言うストーリー。
これなら3世紀の話しとして成立し得る。
後は河内勢力自体の遠祖が弥生文化の伝来とともに九州の方からやってきた、
と言う伝承を組み合わせれば「神武東征」譚の出来上がり。
事実かどうかは知らんが。
411:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:11:37
>>400こちらもそっちがどこに疑問を感じているのかよく解らない。
じゃおたくは「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、」などに細かい記述が無いのはどうしてだと思うわけ?
また水行十日陸行一月はどう捉えてるわけ?
412:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:29:18
>>404僕としては
「奈具岡の鉄器生産は、同じくこの遺跡で盛んに行われていた水晶玉製作に使う鉄錐などを作るためのものであった」というのが正直な意見で
同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。
413:日本@名無史さん
07/04/21 16:34:37
UP! ロンドンハーツ !!!
古瀬絵理 スイカップ アンオフィシャルホームページ
URLリンク(suikup.free.fr)
414:日本@名無史さん
07/04/21 17:12:29
>>397 :日本@名無史さん :2007/04/21(土) 03:44:32
>神武=祟神?
>あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
>まだ王ではなかったとか?
神武と崇神が同じわけはない。
代数から言ったら、神武というのは、崇神よりも
150年ほど前の人だろうと言われている。
神社伝承なんかには、神武のことは九州の日向や宇佐にも残っているが
そこからバタリト天皇の伝承が消え、次に出てくるのが、熊本のあたりで
孝霊天皇(卑弥呼の親父という説がある)の代まで出てこない。
よって、その間は畿内王権はローカル王権になっていたとしか思えない。
また、神武東征についてだが、あの記述が正しければ
神武は河内にたどり着くまで全く戦闘をしていない。
それまでは平和そのものの巡幸なわけで。
また、その河内での戦争は負けているんだよ、神武は。
その後、熊野から入って、畿内の事代主神の婿養子に入っている。
ちなみに、神武と事代主神は数代前で繋がっている遠い親戚。
415:日本@名無史さん
07/04/21 18:23:20
>>412
>同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
北部九州で、どれくらいの鉄器を武器にしてたかも知らないバカ。
というか、鉄器は武器にしか利用されないものと思ってるバカ。
>邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。
根拠も無く、「思う」だけ。
416:日本@名無史さん
07/04/21 19:03:05
>>412
丹後の奈具岡遺跡は弥生中期の遺跡ではなかったでしょうか。
しかしあなたは、「邪馬台国時代より多少時代が下るのでは」とお書きで、
そうしますと奈具岡遺跡は後期後半ないしは古墳時代に入った遺跡となってしまいますが、
そのようなソースがありましたでしょうか。あればぜひお示しください。
417:日本@名無史さん
07/04/21 20:27:32
>>410
> 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
そうやね。
出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。
争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
集権化が進み始めた兆候だと思えるね。
418:日本@名無史さん
07/04/21 20:37:56
大国主って、国を譲るんだから、なかなかの人物だな
419:愛知県民
07/04/21 20:46:44
記紀を読む限り、大和朝廷の九州支配は遅いです。
景行紀に南九州(熊県(くまのあがた)が出て来る)、仲哀・神功紀に北九州を支配し、
伊都国・奴国・末盧国に当たる県と並んで「山門県(やまとのあがた)」が出て来ます。
九州説で邪馬台国=山門県、狗奴国=熊県とすれば簡単なのでしょうが、
邪馬台国は遠絶ということなので、やはり畿内にあったと思います。
そうすると難升米=長髄彦説になります。
神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
帥升=須佐之男か? 九州出身氏が言ってましたね。
420:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 20:54:41
>>415>>416
まいったなー。この問題はつい先日お題にのぼってだいぶ喧々諤々やり合ったんだけど。
又蒸し返すにはちょっと期間が短すぎるんじゃない?>>415バカとか言う前に
ちょっと前スレくらい読んでよって感じ。あんまり短い期間で同じことやるとうんざりする。
>>416の言うようにソースからいちいち示さないといけないしねえ。
このスレか姉妹スレのドン来いスレそしてその一つ前のスレくらい読んで調べてもらえない?
そして疑問があったらそこで初めて聞いてきてちょうだいな。
421:日本@名無史さん
07/04/21 20:56:19
>>414
神武・崇神がローカル?
神武の都、磐余と言うところは瀬戸内から遡上してきた大和川の最上流部。
宇陀、伊賀を通じて伊勢と繋がる要衝の地。
鎖国政策でこじんまりと過ごせるような立場じゃないですよ。
422:日本@名無史さん
07/04/21 21:05:11
>>419
> 神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
> 倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
160人は多いように見えるが、大した輸出産品が無ければ奴隷貿易しかないですよ。
鉄塊1㎏が人1人ぐらいの交換レートだったのかもしれません。
423:日本@名無史さん
07/04/21 21:09:00
>>417
> >>410
> > 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
> そうやね。
> 出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
> 友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。
これは間違いの事実。
> 争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
> 弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
> 北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
> 集権化が進み始めた兆候だと思えるね。
これは一概に言い切れないこと。
地域統合の進んだ地域が後進地域に攻め込んで輸出商品の「生口」を
獲得していたのかもしれない。
424:日本@名無史さん
07/04/21 21:18:52
素朴な疑問なのですが、邪馬台国畿内説の皆さんは、
「高千穂への天孫降臨、そしてその子孫である神武天皇が日向より東遷したという記紀の記載」
をどのように説明されるのでしょうか?
425:日本@名無史さん
07/04/21 21:23:24
>>424
邪馬台国畿内説の人でも色々いるが
彼らの大部分は、神武東征の出来事は
たとえ事実だったとしても、それは
3世紀中ごろの卑弥呼の時代よりもずっと前の出来事だろう?
と考えているわけです。
426:日本@名無史さん
07/04/21 21:28:17
ずっと前って2世紀より前ですか?
427:日本@名無史さん
07/04/21 21:31:14
>>425
なるほど。
魏志倭人伝では、「卑弥呼のあとトヨが起つ。」とありますよね。
私はこのトヨは、記紀にでてくる宇佐の豊玉姫だと思っているのですが、
畿内説の人たちはそれについてはいかがでしょうか?
428:日本@名無史さん
07/04/21 21:33:10
卑弥呼を誰に比定するかでちがってくるよ
429:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:33:45
神武天皇即位 紀元元年
崇神天皇即位 紀元237年
430:日本@名無史さん
07/04/21 21:37:17
>>426
いや、だから、邪馬台国畿内説の中でも人によって意見が違うから...
たとえば、あの3世紀中ごろの出来事を
日本書紀や古事記に記載されている いつぐらいの出来事なのか
解釈によって、当然、神武の東征の時期の解釈も異なってくるし。
で、今一番有力なのは、魏志に出てくる西暦247年の出来事を
日本書紀の崇神天皇10年の出来事と同一視する見方。
それによって、その前の天皇の年代も計算していく。
一般的に日本書紀は、神武の即位年を革命年の辛酉年に合わせようとした
ことが分かっているので、古事記の天皇の寿命や
上古代の二倍年暦も考慮して計算して考えないといけない。
ちなみに、おれが考えたのでは
神武が生まれたのは西暦50年代で
神武東征は西暦70年代~80年代くらいで
神武が死去したのは西暦120年前後。
431:日本@名無史さん
07/04/21 21:45:05
2世紀より前なんだね。
あり
432:日本@名無史さん
07/04/21 21:46:59
狗奴国との戦い~卑弥呼の急死
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)
日本書紀 巻五第三話 武埴安彦の反乱
URLリンク(www.loops.jp)
日本書紀巻第五 の崇神天皇10年に注目
URLリンク(www.j-texts.com)
433:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:47:13
紀の崇神天皇十年=皇紀573年=紀元240年=正始元年
434:日本@名無史さん
07/04/21 22:04:36
>>423
中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
海賊>狗奴國>後世の河野水軍
435:日本@名無史さん
07/04/21 22:24:49
>>434
いずれにしても、「海賊対策」と言うのは広域な安全保障体制を構築する動機の
一つだね。
こういった安全保障体制は弥生中期には九州・韓半島間にしか存在しなかったが、
物流網が拡大するにしたがって瀬戸内にも成立してゆく。
それが畿内説的には邪馬台国体制と言うものそのものだ。
436:日本@名無史さん
07/04/21 22:29:31
>>434
>中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
>海賊>狗奴國>後世の河野水軍
いい加減なことを言うな。
武家家伝_河野氏
URLリンク(www2.harimaya.com)
437:日本@名無史さん
07/04/21 22:30:24
>>434
神武は、その海賊の中の一集団だったろうね。
438:日本@名無史さん
07/04/21 22:43:15
>>436
何が言いたいんだね。
>>436提示のサイトの冒頭部
>河野氏は、ニギハヤヒ命の後裔越智氏から出ている。
>すなわち、文武天皇の時代に越智玉興が伊予大領となり、
>その弟玉澄が伊予国温泉郡(風早郡?)河野郷に住んで河野氏の祖になったという。
>『その真偽は詳らかではない』が、かなり古くから河野郷に根差した土着の氏族であったことは間違いない。
439:愛知県民
07/04/21 22:45:01
>>424
私はとんでも畿内説ですが、神武天皇が狗奴国の卑弥弓呼だったと思います。
>>427
台与は登美夜毘売(那賀須泥毘古の妹)と言ってきましたが、
壱与=伊須気余理比売のほうが良さそう。
440:日本@名無史さん
07/04/21 22:47:25
>>437
海賊行為も交易も紙一重の世界だったでしょうからそういう考えもあるでしょうけど、
「神武」は特定個人ではない、始祖集団の何人かの首長の功績をまとめた伝承だろう。
441:日本@名無史さん
07/04/21 22:55:22
>>435
そうそう。
「海賊に煩わされて、隣村との物品のやりとりが滞ることに困って、
ムラ同士が団結してなんとかしようや。」
ということで、まだ荒らされてない奈良盆地に指令本部を置いたのが、
ようするに大和連合のはじまり。
九州説の人は何を勘違いしてるのか、
「国を拡大すること=鉄器の武器で侵略すること」しか頭に無いから、
全然、話が噛み合わない。
まあ、九州勢力が鉄器の武器で隣村を蹂躙していたことはあったろうが、
そうした荒くれ集団に、団結して対抗したのが大和連合。
442:日本@名無史さん
07/04/21 23:03:22
>>441
いや、俺は瀬戸内と東海の間に有って「通せんぼ」状態だった大和を
周りの勢力が占領したのが畿内連合の始まりだと思う。
443:日本@名無史さん
07/04/21 23:04:56
大和連合から国を譲ってもらったのが、邪馬台国ですか?
444:日本@名無史さん
07/04/21 23:06:11
>>442
?
大和盆地に、「通せんぼ」をしていた勢力があったというわけ?
ニギハヤヒとか?
445:日本@名無史さん
07/04/21 23:09:57
>>442
たとえば、東海勢力なら、紀伊半島の南を舟で行けば、
河内に着けるわけだから、奈良盆地が、「通せんぼ」にはならないのでは?
それとも、東海から陸路で奈良盆地を通過して河内に行こうとしたということ?
446:日本@名無史さん
07/04/21 23:13:52
ヒント 新幹線
447:日本@名無史さん
07/04/21 23:14:09
>>445
東海は、関が原を抜けて近江へ行けば、大阪湾や若狭湾に行くルートがある。
大阪湾に行くには、奈良を抜ける必要がある。
伊勢から伊勢街道を通って奈良に抜けるルートもあったと思う。
448:日本@名無史さん
07/04/21 23:16:03
紀伊半島の南側は、海が荒くて舟が寄れる津も少ないから、危険だったのでは?
神武も熊野に迂回するのに苦労してたようだし。
449:日本@名無史さん
07/04/21 23:20:25
>>446
なるほど、関が原ルートですね。
古代では、海が内陸に迫ってたから、
今の美濃あたりから河内に行くには、関が原を通ったほうが早そうですね。
河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。
450:日本@名無史さん
07/04/21 23:21:00
凄く大変だったってさ
451:日本@名無史さん
07/04/21 23:26:33
丹波・越・東海・近江の勢力にとっては、
瀬戸内海に抜けるためには、奈良盆地はおいしい土地だったでしょう。
奈良盆地を早くからねらってたのは、丹波・越・東海・近江の勢力だとすると、
吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
近畿と手を組みたいと思ってたのかな?
一応、鉄器は吉備まで流れていたようですが。
452:SOY
07/04/21 23:29:51
>>446
>ヒント 新幹線
>>449
>なるほど、関が原ルートですね。
:
>河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。
新幹線は奈良盆地を走っていないのでは?
ある意味、奈良は素通り… 鉄器が少ないのもこのあたりと関係があるのでは?
寝る前にちょっと発言してみました。
453:日本@名無史さん
07/04/21 23:30:07
吉備は、鬼退治に夢中でした
454:日本@名無史さん
07/04/21 23:32:53
soyおやすみ
455:愛知県民
07/04/21 23:33:57
>>422
しかし、百六十人の生口を連れて行くためには千人ぐらいで行かないと
無理なのでは?
途中で逃げたり亡くなったりした生口も多かったかもしれない。
やはり大変な数と思いますが。
迎える漢王朝も警戒したでしょうね。
456:日本@名無史さん
07/04/21 23:36:26
>>451
>吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
播磨・河内・阿波・讃岐と東瀬戸内連合を形成していたんじゃないのか?
大和を手に入れれば東海・関東と直接交易ができる。
457:日本@名無史さん
07/04/21 23:37:11
さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。
鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?
458:日本@名無史さん
07/04/21 23:39:28
>>455
一度で海峡を横断するのは無理でしょうね。
とにかく楽浪までは自力で連れていかないとねえ。
459:日本@名無史さん
07/04/21 23:41:13
>>457
うん。実際に、奈良から鉄は多く出土してないのだから、
鉄を交易して備蓄していたとは考えられないし、考える必要も無いよ。
当時は鉄と同じくらい貴重なものもあったはず。
例えば「塩」だよね。
460:日本@名無史さん
07/04/21 23:42:46
>>457
> さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
> 鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
> そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。
「日本海ルート」勢のライバル、「瀬戸内海ルート」側から見れば大和の掌握は重要じゃないの?
> 鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?
「ハブ」であることは間違いないね。
461:日本@名無史さん
07/04/21 23:52:23
URLリンク(www.jti.co.jp)
この図にあるように、弥生時代末期で、塩を生産していたのは、瀬戸内海の一帯。
日本海ルートも側も、瀬戸内海の塩を欲しかったろう。
九州も瀬戸内海の塩を欲しかったはず。
吉備辺りは、塩の交易の利権を掌握していたかもしれない。
それならば、奈良を市場として開拓する意味がある。
462:日本@名無史さん
07/04/21 23:54:57
蝦夷をつかまえて、「奴隷市場」として栄えていたこともありうる。
463:日本@名無史さん
07/04/22 04:07:44
神功が熊襲を退治するとき 大和軍に宇佐の神軍も一緒だったこと忘れんな。
つまり神功は九州制圧などではなく、北部九州の対熊襲を支援しに
来たんだね。だから隼人の魂を祭る神社が宇佐にある。
このことからも北・中部九州と畿内は戦争などしていないうえに
制圧されてもいない。
じゃ、どうやって畿内と九州が繋がったんだろうな。記紀の神武東征で
すでに指摘されているとおり、安芸や吉備は征圧などしていない。
つまり宇佐の圏内から吉備まで戦う必要などなかったんだろう。
ところが畿内で戦わないといけない。ここからもわかるとおり、吉備と畿内の
境が対立圏じゃなかったのかな。どちらにせよ東征という漢字は内容に合わないと
おもうがね。
464:日本@名無史さん
07/04/22 05:48:28
「東征」という漢字があまりにも大げさだったから
後世の歴史家が混乱してしまったんじゃないのか?
フランスが翻訳を素直に読んだら
「九州生まれの神武が、畿内の王家の娘と結婚して
後を継承しました」と素直に解釈しているのにはワロタ。
こういう素直な解釈って、日本人はしないよなw
465:日本@名無史さん
07/04/22 06:06:14
>>463
>ところが畿内で戦わないといけない。
>ここからもわかるとおり、
>吉備と畿内の 境が対立圏じゃなかったのかな
吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先でしょう。
ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し、
大瀬戸内連合が形成された。
これに北部九州玄海グループが加わった姿が、
初期のヤマト政権だね。
大和が中心になってしまったのは、渡来系の影響力だと思う。
大連合が成立して安定したため、
韓からの渡来者も増えたと思うが、
こういった集団は比較的後進な畿内内陸部に定住したものが多く、
逆に他の地域を文化的に凌駕してしまったとかね。
466:日本@名無史さん
07/04/22 06:26:23
>>465
馬鹿説発見。
渡来系が主役なら、外国に近い九州のほうが
主役になるだろうがw
もう、こんな阿呆説ばっかw 九州説はw
467:日本@名無史さん
07/04/22 06:38:17
>>464
「東征」自体が後世の歴史家のネーミング。
468:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:04
>>467
マジで、原文読まなきゃいかんの典型だな。
というのは、明治以降、原文読まずに
各々の解釈文が出回ったのが大きな要因だな。
469:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:56
>>466
日本語が読めないのね。
470:日本@名無史さん
07/04/22 08:33:25
>>468
原文の「東征」が成立したのは8世紀だろ。
ヤマトコトバで、「東征」を意味する言葉など無い。
471:愛知県民
07/04/22 10:37:40
>>439に基づいて自説修正。
邇芸速日命=天火明命は卑弥呼(天道日女命か?)の男弟で、伊声耆掖邪狗とは別人。
伊声耆掖邪狗は伊須気余理比売(壱与)と関係がありそうに思えますが、
彼が張政の帰還を送るところで魏志倭人伝が終わっているのも謎。
神武東征は「東遷」の方がよいのでは?
東征というとアレクサンダーみたいですが、ムハンマドの「聖遷」に近いと思う。
472:日本@名無史さん
07/04/22 11:08:05
>>470
原文【三月,辛酉朔丁卯,下令曰:「自我東征於茲六年矣・・・】
橿原建都の「勅語」であるが、文意としては「東を征して」程度のもの。
「生駒山の西からやって来て大和を平定した」ともとれる。
ノンビリ過ごした日向から難波までの時代を含めた言葉ではないと思う。
473:日本@名無史さん
07/04/22 11:55:37
>>465
ひどすぎる。
よくこんな出鱈目書けるな。どんな脳内してるんだw
>吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先
>ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し
地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。
しかも>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う
日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
思えるのか妄想以外で説明してみろ。
奈良に塩を集めたからなどと言い出すんじゃねーwwwwwwww
474:日本@名無史さん
07/04/22 12:18:18
神武は劉備みたいなもんだろ。
九州地方の王族に連なる血筋という家伝を持つ一族。
倭国大乱で王統が変わり神武の一族は中国地方の勢力を頼って東へ。
しかし盥回しにされどんどん東へ。
現状打破を目指して畿内へなだれ込むもリーダー戦死。
弟の神武が後をついでそのさらに東の勢力と結んで回り込んで侵入。
騙まし討ちなどして奈良周辺を占領する。
しかし、神武後は家系を地元勢力に乗っ取られる。鎌倉政権における源氏の如し。
ただし、名跡は残り、何代か後の子孫が版図を広げやがて日本を統一した。
こんな感じでしょ。
475:日本@名無史さん
07/04/22 12:31:01
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...おまいらおっぱいすきなんだなw
476:日本@名無史さん
07/04/22 12:59:45
>>473
> >ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し
> 地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
> しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。
時代相を考えなきゃ。
後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、九州でも瀬戸内色が強いよ。
地勢学的には北部九州と西四国・西中国の中継点として「西瀬戸内」の中心と言える。
後世の宇佐にもつながる・
> しかも>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
> などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う
「東瀬戸内」の結びつきだっていろいろ有るだろう。
○吉備甕と畿内甕の様式から庄内甕成立
○阿讃の積石塚と吉備・播磨・河内の墳丘墓から大型墳丘個人墓成立
○直弧文や鳥型、水銀朱への嗜好。
こう言った各ブロックがさらなる統合に向かうとして、西と東の瀬戸内同士が他地域よりも
優先するのは自然の流れでしょう。
三韓系土器が吉備や河内に出現するなど、流通の多角化が想定される。
後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。
> 日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
> こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
> 思えるのか妄想以外で説明してみろ。
「天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。
キミが呼びたくないなら、それはそれで勝手にすればよろしい。
477:日本@名無史さん
07/04/22 13:53:33
>>476
>後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、
違う。
478:日本@名無史さん
07/04/22 15:50:54
>>476
>後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。
違う。後期末ではない。
威信財ではない。大阪湾型銅戈は集団の祭器であって個人の所有には属さない。
大阪湾型銅戈は日本製である。工房も鋳型も発見されている。
479:日本@名無史さん
07/04/22 16:05:05
>>477
「属している」は少々言い過ぎ。
「結びつきがある」程度か。
一応、平型銅剣は大分でも出土する。
480:九州出身
07/04/22 16:30:40
>11 :日本@名無史さん :2007/03/25(日) 21:36:31
>卑弥呼人気投票!
>1、オリジナル卑弥呼
>2、神功皇后
>3、倭姫
>4、天照大神
>5、倭トト日百ソ姫
>他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。
これ皆さんはどう思います?
481:九州出身
07/04/22 16:34:11
>>471 愛知県民さんへ
こんどは伊須気余理比売が(壱与)なんだね?w
きみおもしろいなw
482:日本@名無史さん
07/04/22 16:54:25
イヨタン・・・・・・・・
483:九州出身
07/04/22 16:59:32
当時はいまみたいにTVとか無かったわけだし、村の人々も卑弥呼のミステリアスな
鬼道の術中にはまってたのかもしれん。
当時が現在の情報社会みたいになってたらどうなってただろうね
484:九州出身
07/04/22 17:01:45
こんどのゴールデンウィークを使ってどこかいかれますか?
ここの住民のみなさん予定があればお答えください。
あ!そういえばうちのPCでここのサイト書き込めなくなったんだけど
だれか詳しいかたいらっしゃいますか?
485:日本@名無史さん
07/04/22 20:01:44
>>484
アク禁。
486:日本@名無史さん
07/04/22 20:04:15
>>483
鬼道をあやしい術だと思ってるのか。
九州はみんなバカばっかりだな。
487:日本@名無史さん
07/04/22 20:18:11
>>486
御立派なもんでもないと思うぞ。
488:日本@名無史さん
07/04/22 22:37:47
連休は、田舎かえるよ
489:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/22 22:50:48
>>484
九州出身さんは真面目だし、感情的になったことさえ無い人だよ。面白い事はあるけど。
まだ酷い荒らしはいっぱい入って来たりするのに生真面目な九州出身さんがアク禁なんかなるわけ無いでしょう。
真面目すぎて冗談も通じないのに。僕には解んないけど誰か教えてあげてよ。
コテハンで頑張ってる人がいると、僕も励みになるしちょっとうれしい。
490:日本@名無史さん
07/04/22 23:07:35
/⌒ヽ.
( ^ω^ ) おっ♪おっ♪おっ♪
ピョン ( O┳O)
ピョン し-||-J
⊂§⊃
§
491:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/22 23:24:48
>>486九州はみんなバカばっかり
九州ですが鬼道をあやしい術などと思った事は一度もありませんけど。
492:日本@名無史さん
07/04/22 23:28:30
詳しくはないのですが、アクセス規制の巻き添え食ってるんじゃないですか。
どこかの荒らしのせいで、使ってるプロバイダがアクセス規制されると、巻き添え食って書き込めなくなります。
2ch規制情報板で自分の使ってるプロバイダの規制スレを見ると、何かわかるかもしれません。
URLリンク(qb5.2ch.net)
493:日本@名無史さん
07/04/22 23:41:12
鬼道は、現代の日本人感覚で言うと十分怪しいだろ。
『よく衆を惑はす』とかも怪しいし、骨で占うなんて十分あやしいな!
まぁ、宗教の儀式なんて、信じてない人がみたら怪しいもんですよ!
細木とか、マリックも怪しいだろ。
494:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 00:02:48
>>493
「鬼道とは道教なり」とあるように初期道教黄巾の事。
「この国の風俗は何かを命令したり、おこなったりする時はまず骨を焼いて、卦をたてる。
そして、吉凶を占って、その結果を告げる。この占いの方法は中国の亀卜に似ています。
焼いてできる裂け目を見て占いをたてるからである」というのと鬼道は別に書いてある事から中国の亀卜と、鬼道は別物だといえる。
ちなみに焼いてできる裂け目から甲骨文字が生まれたので古代中国では文字に霊力が宿るとされたのに対し
倭では言霊といって言葉に霊が宿るとされた。倭人は神聖なものを文字に表すのを嫌ったので
漢字が倭国で本格的に普及するのは仏教経典が伝来してからの事だといわれる。
495:日本@名無史さん
07/04/23 00:08:44
政教分離された、現代の日本人の大くは、普通にシャーマンの卑弥呼を怪しく感じると思うけど。
496:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 00:18:03
古代中国の為政者も黄巾を邪教扱いして迫害したんだろうから
鬼道などという怪しい名で付けたのではあるまいか。
497:日本@名無史さん
07/04/23 00:23:12
漢書郊祀志などを読むと、国家が公認した祭祀のことが書いてある。
そういう公認されたものが正統な祭祀で、それ以外が十把一絡げで鬼道だろう。
現代人から見れば、どちらもやってることに大した違いは無いが。
498:日本@名無史さん
07/04/23 00:24:08
現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし
499:日本@名無史さん
07/04/23 00:56:11
>>492
そう、一人が変な投稿を続けると、同じ地域の同じプロバイダの人みんなが、
巻き添えを食らって、アクセスできなくなる。
500:日本@名無史さん
07/04/23 02:54:45
宇佐の神託の出し方っていうのは 巫女をつかったシャーマン風なんだよな。
比売大神を祭る神宮で女つかって神託だすっつー・・・
これを朝廷が聞くんだから・・。
501:日本@名無史さん
07/04/23 03:26:36
道教のことだよ
502:日本@名無史さん
07/04/23 03:27:43
>>476
>天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
>私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。
いや、だからこれ以前のことを聞いているんだが。これ以前に
(日本国の)天皇といえるほどの「ヤマト」政権があったかどうかなんてわかりようがない。
しかもこの大型墳の出現時期こそ重要なんだが。
他から集団がきたのは間違いないね。
しかも思ったとおり、考古学で見たものだけで展開している。前から思っていたとおり、考古学というのは
ほんの、限られた部分の資料だけ。最重要地で宮内庁に封鎖されていたり、古代から栄え今は大都市で
掘りようもないところはわかりようもない。
つまり、ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。だから妙ちくりんで
思考力の狭い妄想だと思われてしまうんだ。考古学スレにいきゃーいいのに。
503:日本@名無史さん
07/04/23 03:38:03
>>501
そう、その女シャーマニズムの道教は宇佐の辛島氏が持ち込んだ。
そして辛島は祖が素盞嗚尊ということになっている、とりあえず。
で、宇佐の比売大神は素盞嗚の娘だからそこで繋がる。
卑弥呼も中国人には鬼道とよばれる亀焼き占いをしていたわけで
やはりシャーマンだったんだろ。このことからも、古代の、少なくとも
九州辺りはシャーマニズムをもった巫女が大きな権力をもって人々を
支配してたんだな。
504:日本@名無史さん
07/04/23 04:22:27
もう、邪馬台国大和説は揺るがないだろうと思う。
もう。そういう流れになってきている。
505:日本@名無史さん
07/04/23 06:59:01
>>504
説得力ゼロだが....そんなに精神的に追い詰められているのか?
あるいは以前指摘されたように、>>503 みたいな泣き言みたいに
惨めったらしい大和説者を装って、畿内説者陥れるための工作員でもいるんかいな?w
それならまだ理解できるが。
506:日本@名無史さん
07/04/23 06:59:45
流れに竿さす・・・
507:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 07:03:45
>>498現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし
そんな結論出してなにになるっちゅーのって。古代中国でどうかなんだから。
どうやら古代の為政者から見たら怪しかったようだが。
508:日本@名無史さん
07/04/23 07:14:36
前スレに
〉鬼道を怪しい術だと思う人は馬鹿ばかり
とあったので・・・
まぁ、一部の信者には怪しくなくてもいんだけど。
ちなみに、九州人じゃありません。
509:日本@名無史さん
07/04/23 07:27:15
>>502
じゃ、古墳は土蜘蛛の墓だと!
大和朝廷の大王たちは、その土蜘蛛どもの墓を真似て、
自らの墓を築きましたと!
そう言いたいわけですね。
510:日本@名無史さん
07/04/23 07:34:12
>>502
>ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。
>だから妙ちくりんで思考力の狭い妄想だと思われてしまう
それ、自分自身に言った方がよいよ。
511:日本@名無史さん
07/04/23 20:09:10
卑弥呼は姫子。
512:日本@名無史さん
07/04/23 20:13:49
その発想はなかったわー!
で・・・姫子って誰?
513:日本@名無史さん
07/04/23 20:38:27
ですが・・・ゆれてるよ・・・ですが
514:日本@名無史さん
07/04/23 20:39:11
日巫女・姫子は普通の説だよ。
515:日本@名無史さん
07/04/23 20:44:13
日御子でもいいですか?
516:日本@名無史さん
07/04/23 20:44:36
あのさー、素朴な疑問だけど、畿内説の人たちは、
道教事件の時に称徳天皇は何故遠く宇佐神宮まで御神託を
もらいに逝ったと考えてるの?
517:日本@名無史さん
07/04/23 20:47:26
卑弥弓呼は誰ですか?
518:日本@名無史さん
07/04/23 20:49:40
伊勢神宮は、当時改装工事中だったからなー
519:日本@名無史さん
07/04/23 20:52:25
>>518
嘘こくでねえ。
520:日本@名無史さん
07/04/23 20:53:15
邪馬台国と天皇家の関連性は、不明です
521:日本@名無史さん
07/04/23 20:56:30
オラがお参りにいった時の話なのに・・・
よくウソだとおみやぶりになったな!さすがです
522:日本@名無史さん
07/04/23 20:58:40
江戸期までの歴代天皇は誰一人として一度も伊勢に行った事が無いほど伊勢はどうもいい存在
一方古代の天皇は九州へはしょっちゅう遠征してた
523:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:02:56
>>513
ぶきみだっつーのに。
524:日本@名無史さん
07/04/23 21:05:02
伊勢神宮にしてもよ、江戸時代なんて、外宮のトヨ受の大神しか
参らなかったって言うでねえか?
トヨって、卑弥呼の次に立った女王でねえべか?
畿内説のお人はここんとこどうかんがえてんだべ?
525:日本@名無史さん
07/04/23 21:07:08
ですが・・・の背後で・・・なんか鬼がいるような気配が・・・ですが
526:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:09:04
でも卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、
などをもっと検証していくべきだとは思うが。
527:日本@名無史さん
07/04/23 21:10:07
宇佐は、伊勢につぐ第二の宗廟だかんね。
応神さん、神功さん、比売さんがおるしなー
528:日本@名無史さん
07/04/23 21:12:36
その検証は、ですがに任せた。
しっかりがんがれ
529:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:13:54
>>524
僕も歴史の経緯を無視すれば、トヨタマヒメがトヨのような気がするんだけど。
530:日本@名無史さん
07/04/23 21:16:34
天照より、須佐之男の娘や応神さんの方が、親近感あったんだろう。
531:日本@名無史さん
07/04/23 21:25:07
最近ですがの一人舞台だな。
・・・・不気味・・・・
ですがは、鬼道でよく衆を惑わすからな。
532:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:36:44
>>529
歴史の経緯を無視すれば、比売大神が卑弥呼のような気がするんだけど。
533:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:43:40
>>531「最近ですがの一人舞台だな」
まさかー。
名無しさんが多いのでコテが目立つだけ。
534:日本@名無史さん
07/04/23 21:49:54
比売って三姉妹だろ。
卑弥呼は三人の事だったのか。
535:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:56:08
>>534
三姉妹?
宗像の三姉妹と混同してない?
536:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/23 22:03:27
>>532 九州ですがさん
卑弥呼は崇神の時代の女性ですが、比売大神は神功の時代の女性だと拙者は
考察しております。
宇佐神宮の伝では比売大神はアマテラスとスサノオの子だとの話ですが、
それは嘘ではないですが、厳格に言えば別の父母がいる、女島出身の神功~
仁徳世のころの九州に生存した九州王朝の女性ですよ。
たとえば明智小五郎の生みの親は江戸川乱歩ですが、これはそのとおりと
観るべきで、物語の中では明智の彼の両親が設定で別にいるはずでしょう。
伝の云うのは乱歩のほうです。しかし血を分けた父母は格別にいたことに
なるのです。
537:日本@名無史さん
07/04/23 22:11:12
比売ってさ、多紀理毘売命と市寸嶋比売命・多岐都比売命の三姉妹じゃないの?
宇佐マニアの方よろぴく
538:日本@名無史さん
07/04/23 22:20:22
宗像の三姉妹って誰?
539:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:47:23
>>536太国さん
あくまで「歴史の経緯を無視すれば」の話です。
宇佐神宮の近所の何とか言ううらぶれた神社がその比売大神の元々祀られていた場所だそうで、
宮内庁に封印されているそうです。それとヒメという音が似ているということでしょうか。
そんなこんなでミステリアスな印象を持っているのは確かです。
540:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:51:49
>>538三姉妹あらため三女神でした。
541:日本@名無史さん
07/04/23 22:53:16
>>536
どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?
542:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:55:35
>>358
宗像の三姉妹改め、三女神でした。
543:日本@名無史さん
07/04/23 22:56:32
◇フリー百貨辞典にて
豊葦原中国とは、
日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界。転じて日本の国土の異称。葦原中国(あしはらのなかつくに)とも呼ばれ、単に中津国(中つ国)とも言う。
神々の住む天上世界である高天原と対比して、人間の住む地上世界を指すと考えられる。
日本の古代史として日本神話を読み解く際には、以下のように解釈されることもある。しかし、邪馬台国論争と同様に諸説がある。
1.出雲地方そのものを葦原中国とする説
2.ヤマト王権の東遷と成立を以て、高天原を旧勢力圏であった九州地方、葦原中国を畿内であるとする説。
3.広海、後の大和盆地の平野部、三輪山近辺を葦原瑞穂国と定め、現在の橿原あたりを葦原中国(あしわらのなかつくに)としたという解釈。
4.文字通り、中津=大分県中津市という説
544:日本@名無史さん
07/04/23 23:34:31
ですがが壊れてゆく・・・・
ぼろぼろやん。
545:日本@名無史さん
07/04/24 00:01:16
>>539
中津の鷹神社が宇佐の元宮のひとつだといわれているが?
しかも比売大神は確かに宗像神のなかの大神だが、すぐそばの
大許山で山頂の遺跡のある奥宮で祭られている地主神を
地元の豪族が持ち込んだものとされている。当然、今は御禁足地。
他の元宮も大許山の周りで点々としてるが、皆どこが何か知っているし
かえってご利益があるといって、神宮でなく元宮見たさにいく人間も多い。
うらぶれてはないと思う。
546:日本@名無史さん
07/04/24 00:06:58
>>536
絶対に違うと思う。なぜなら、宇佐で両脇に神功皇后と応神天皇を従えて
2人の天皇(皇后)より上座に配置されて比売「大」神として祭られている。
同時期に居た人間を天皇と皇后より上座に置くわけない。誰が天皇より上にこれるんだ。
皇祖神扱いされているとしか考えられない。
547:日本@名無史さん
07/04/24 00:46:33
置いてある位置はそうなんだけど・・・
一之御殿には応神、二之御殿には比売、三之御殿に神功ってなってて、主祭神は応神になってるみたいよ
548:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 05:38:58
>>545
僕が大分昔NHKで紹介されたとき見たその神社は荒れ果て放題でお化け屋敷みたいだったという印象がある。
山の中に古い鳥居が立っていて人の気配さえも無く枯葉も落ち放題で人が近づいた形跡さえないような。
なんでこんな場所が宮内庁によって封印されているんだろうと疑問に思ったほどだ。
宇佐神宮の宮司さんが今でも比売大神の事を「卑弥呼なんでしょう?」といって訪ねてくる人も多いです」と言っていたから
HNK放送後に尋ねてくる人多さにその神社も地元で整備したのかも知れない。
宇佐神宮には現在比売大神の像{結構ちっちゃい}は無く、どこか近くにあるような物言いだったけど詳しくは聞けなかった。
宇佐近辺の出だと言う事以外詳しい事は解らないということで四拍手で祀られている事が怨霊とも言われるその理由についても
ただ昔からそうしているとの事でよく解らないとの事だった。
もっと詳しく知ってる人がいたら情報おそえてね。
549:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 07:59:03
九州ですがさん 参考情報有難う。
>>546
比売大神は九州王朝の女王的位置の人物であるが、卑弥呼とは別人であり、
同王朝は女性の重要人物がわりかし多くいたのだ。女王的地位の人物なら
真ん中に座することはおかしくはない。そこは九州だからなおさらだ。
演劇で銭形平次をやれば彼が主役であり、ずっとえらい将軍役がいても、
それは脇役になる。
550:日本@名無史さん
07/04/24 08:45:31
九州に姫子様をまつる土俗信仰があるというのは本当
ですか?
551:日本@名無史さん
07/04/24 08:51:56
>>549
どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?
552:日本@名無史さん
07/04/24 08:55:52
求めたんじゃなく宇佐の方から神託が下ったと言って来たの。
その時の宇佐の神職が道鏡の血縁者。
ブッシュとゴアの大統領選挙の時の様な胡散臭い話だよ。
553:日本@名無史さん
07/04/24 08:56:32
>>545
大許山ってどこにあるの?
検索しても場所がわからないです。
「大許山」の読み方もしりたいです。
554:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 09:29:10
>>551
訳許真路とは簡単だ。部外者は皇統に入らないから天皇にはなれない。
選挙じゃないんだから、なおさらだ。
いまはそっちの話じゃないが・・・。
555:日本@名無史さん
07/04/24 09:34:47
古事記、日本書記が編まれたのが7世紀
500、600年前のことなどわからんわな
今、戦国時代や江戸時代を語るようなものだし
卑弥呼は古事記に書かれてる神のどれかにあたるかもしれんが
556:日本@名無史さん
07/04/24 09:44:16
訳許真路って何ですか?
557:日本@名無史さん
07/04/24 09:47:21
邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか
やっぱり九州の小国のような気がするな
558:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 09:48:45
皇統の道筋がないということで、それが天皇になることが許されない真の
理由だよ。
559:日本@名無史さん
07/04/24 09:57:24
>>554
訳許真路って何ですか?
560:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 10:02:42
>>559
その『訳』は>>556だよ。
561:日本@名無史さん
07/04/24 10:50:20
>>554=560
訳許真路って何ですか?
562:日本@名無史さん
07/04/24 10:51:39
>>557 :日本@名無史さん :2007/04/24(火) 09:47:21
>邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか
うんなこた~ない。
もう、その説は何度も論破されている。
563:日本@名無史さん
07/04/24 10:59:46
>>551-552
弓削道鏡事件で見逃せないのは彼の出自だよ。
弓削道鏡は物部守屋の5世。
物部宗家は、守屋の兄弟の子孫である石上氏に受け継がれたが
本来の宗家(守屋の嫡流)は、弓削氏だったはず。
物部氏とは、ニギハヤの後胤。
URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)
564:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 11:03:35
>>561
失礼、間違えた。その訳は>>558だよ。視力が落ちてるので・・・。
565:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 12:40:01
>>549 そうですね。古代の九州は女王も多いんですよね。八女津媛だとかもそうだし。
記憶によると女王が木の枝に鏡をいくつもぶら下げて降伏して来たってのがあったような。
566:日本@名無史さん
07/04/24 14:01:40
>>563
宇佐の神職が、物部宗家と関係が?
弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とすると、そのサイトにありますが?
567:日本@名無史さん
07/04/24 15:14:39
魏志倭人伝には
卑弥呼の死後、壹与という少女が国を治めたとある。邪馬壹国といい二回も
誤表記するかという疑問がある
それと卑弥呼は夫を持たなかったというから天皇の系譜とは違う人物であろう。
つまり邪馬壹国とは統一王朝のことではないのである。
568:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 16:21:46
卑弥呼の女王国は九州王朝の始まりで、その親はその前段階の、王朝の下積み的
環境の者。比売大神は、それより後代の九州王朝の女王的存在。
569:日本@名無史さん
07/04/24 16:47:26
みんなは、宇佐の沖合いにある姫島のこと知ってるの?
比売大神は、姫島の姫のことだと思うが。
570:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 16:53:53
まずそうだろうな。
571:カナカナボウシ
07/04/24 19:04:49
うん、間違いない。ヒミコであることは絶対ない。
572:日本@名無史さん
07/04/24 20:06:05
よってたかって、ですが案を完全否定
どんまい ですが・・・
573:日本@名無史さん
07/04/24 21:01:32
「ですが」が、無知すぎるんだよ。
持論を展開するなら、もっと下調べしないと。
574:日本@名無史さん
07/04/24 21:26:34
太国は今夜はもう寝たほうがいい。
575:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 22:06:14
>>573「無知すぎるんだよ」
だったら比売大神についてこっちが質問してるんだから何か一つでも知ってる事実を言ってみたら?
宇佐神宮の宮司さんも知らない事を知ってるとは思えないけど。
下調べもなにも>>548以上のことは今のところ解らない筈だ。
こちらが聞いているのは事実としてはっきり解っているのは何か、という具体的な部分に踏み込んでいるのだから、
「だと思う」という想像からの意見ではない。
>>526で言ってるように「卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、 などをもっと検証していく」
為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。
確かに冒険だとは思うけれども。
576:日本@名無史さん
07/04/24 22:47:38
>>575
>為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。
本当に本当にどうしようもないくらいに不勉強のバカだな。
古代に、「卑弥呼」と中国人が聞いた倭人の発音が、
倭人の「巫女、日巫女 姫、姫巫女」を意味する「ヒミコ」の発音と、
どうして同じだと考えるわけ?
577:日本@名無史さん
07/04/24 22:57:36
宇佐の比売大神は、姫島のアカルヒメだろ。
もう、とっくの昔に結論は出てるんだよ。
578:SOY
07/04/24 22:58:37
比売大神。昔から興味をもっていますが、解釈が難しい神様だと思います。
私がざっと思いつく範囲でも以下の神様が関わっているように思えます。
・宗像三神(市杵島姫)
・万幡豐秋津姫命(天万栲幡千千比売命)
・織女神(天棚機比売大神)
・服織女
・阿迦留姫命
・下照比売命(高比売命)
・天美津玉照比売命
・玉依姫
・丹生都比売
・稚日女尊
・大日霊貴尊
・豐比賣命
でも、どう解釈して良いのか分からないというのが正直なところです。
後世、いろいろな神様と結びついた可能性もあります。
分からないことばかりなので、
ここでなされる検証については非常に興味があります。
579:日本@名無史さん
07/04/24 23:09:16
どうしても地理的に近い中国から影響されやすい九州は他を征圧しようとする
気質が生まれやすいと思う
神武東征も理にかなう
九州説の信憑性は高いのでは
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(cgi.din.or.jp)
580:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 23:44:25
>>578
SOYさんが言われる、「どう解釈して良いのか分からないというのが正直なところです。
後世、いろいろな神様と結びついた可能性もあります」という のが一番現実的だと思います。
以前TV番組で古代の帯方郡あたりの言葉で卑弥呼という言葉の再現が試みられていましたが、
それは「ペーメーハー」というものでした。日本では奈良時代以前は「はひふへほ」を
「ぱぴぷぺぽ」と発音してましたから実際には{へーメーハー}となります。
この{へーメー}というのがヒメという言葉とつながりがあるとすれば、
卑弥呼がヒメの語源となった可能性があるといえると思います。
581:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/25 00:29:17
又このような説もあります。
「「ヒコ」は通説では「日子」とされ、「日女」と対であるとされていますが、
「ヒ」は「霊(ひ)」をさし、「ヒト」「ヒコ」「ヒメ」の語源となっている」
これだとヒメは日女であり、「ヒルメ」という言葉と繋がっているように思えますが、
貴い神の名「ヒルメ」を、高貴な女人に対して「ひめ」と呼んだとも考えられます。
しかしこれだとアマテラスと卑弥呼に接点が出来てしまい、異論のある方も居られるでしょう。が、
あくまで語源の問題であり、両者に直接関わり合いが無くとも、成立する事なので問題は無いと考えます。
582:日本@名無史さん
07/04/25 00:29:26
>>566
>宇佐の神職が、物部宗家と関係が?
宇佐の神職というより、その血縁者を大宰府に置かせて
宇佐の神官も兼ねていたんだよ。
だからやはり道鏡による偽の神託だったと思われ。清麻呂の話の中で宇佐に着いて
宣言文を読もうとしたら宇佐の神が拒んで聞きたがらなかったという内容だから=偽もの。
神武の時代から神託といえば宇佐。だから利用されたんだろ。
ちなみに勅使街道祭り、今も数年に一度宮内庁と合同で行われてるんだよね。
それだけ皇室史において大変大きな事件だったわけだ。
万系一世が消えていたかもしれんのだし。
583:日本@名無史さん
07/04/25 00:33:18
>>553
大許山 × ・・・・
御許山 〇
584:日本@名無史さん
07/04/25 00:38:18
「ですが」の宇佐説が否定されたから、誤魔化すのに必死だな。
585:日本@名無史さん
07/04/25 00:45:58
宇佐で祭られてる山=御許山
宇佐の沖にある姫島の神社=比売語曽神社
「御許」は、「語曽」に通じる。
よって、宇佐で祭られてるヒメ大神は、アカルヒメ。
以上。
586:日本@名無史さん
07/04/25 00:48:55
姫島のアカルヒメ信仰は国東⇒大阪難波っていってるっしょ。
すっげー怪しい................
>>584
??数分前に2chに来たばかりだが?しかも甘木説だろ、ですが君は。
自分には他説者などどーでもいーんだが。
587:日本@名無史さん
07/04/25 00:50:42
>>581
過去レス読んでないので何が話題で何が問題になってるのかわからんが、
ヒルメはヒルコと対(つい)。この二人がキョウダイであることは記紀に明らか。
588:日本@名無史さん
07/04/25 00:51:45
おもとさん
589:日本@名無史さん
07/04/25 00:55:18
>>586
すると、アカルヒメ=邪馬台国の卑弥呼が、
九州から畿内に遷都したとでも?
590:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/25 00:58:52
ただいま>>526の続きをやってるんだから。焦点のズレたようなレスされても答えようが無い。
>584「 ですが」の宇佐説が否定されたから 「?」。
こちとら邪馬台国宇佐説などではないが。
>585ヒメ大神は、アカルヒメ、以上。 {?」。
そのアカルヒメなどで言うところの「ヒメ」の語源を探っているところだが。
591:日本@名無史さん
07/04/25 00:59:30
九州説で全部一緒くたにされるとかなわないね。
候補地が全く違うだけでなく、東遷・九州王朝の存在の否も
分かれてるというのに。
592:日本@名無史さん
07/04/25 01:02:40
宇佐説は、九州ですがにも相手にされずか。
宇佐厨かわいそうに。
必死に宇佐を盛り上げようとしてたもんな。
593:日本@名無史さん
07/04/25 01:08:40
↑必死なのは誰だよW
594:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/25 01:11:01
>>592煽らないように。
別に宇佐説を否定してるわけではないので。
大分には邪馬台国連合の比定地と思われる場所が多い。耶馬溪=邪馬国、
躬臣國=玖珠。巴利國=杷木町など。僕は邪馬台国連合=邪馬台国という説なので
当然これらは邪馬台国内である。卑弥呼の都は女王国として区別している。
595:日本@名無史さん
07/04/25 01:15:53
>>589
比売大神は皇祖神なのは史実だが、卑弥呼だと思わんね。
もし、宇佐が邪馬台国と関連していたとすると当然、豊だと思う。豊玉姫か?
何せあそこは今でも自称トヨの国。
しかし邪馬台国が大和朝廷に繋がったかどうかわかりようがない。
邪馬台国の王族が天皇と繋がるなら、宇佐も関連するとみるが
関係ない可能性も十分あるし(自分は東遷説ではない。)
なんせ邪馬台国も卑弥呼もトヨも中国の書物にしかでてこない。日本の書物だけ
よんだら邪馬台国やら卑弥呼やら出てこないしね。
ところで昔は宇佐より中津のほうが栄えていたそうだ。あの辺り、山国川もあるし
倭人伝の中の耶馬国じゃないかと思うんだが・・
596:日本@名無史さん
07/04/25 01:18:36
とりあえず、アカルヒメ信仰に関しては国東から大阪難波に
姫島神社が建てられたわけだから畿内にも持ち込まれたのは
間違いないでしょう。
597:日本@名無史さん
07/04/25 01:28:09
ちなみに邪馬台国=北部九州説は捨てた。
畿内説と同じく描写がいまいちあわない。距離や日数・日常生活の描写ほとんど。
中南部の九州だと思うね。日向説に移ったよ、自分は。
南下水行を東九州の海岸ととれるし、古代に人数が多かったのも間違いない。
大体、神話に関連する土地が非常に多いから王族(支配層)が大勢いたんだろww
その中のひとつ、非常に栄えた女王国があったんだと思うね。それが
後に皇祖神に繋がるかどうかは別として。
598:日本@名無史さん
07/04/25 02:16:20
▼考古学講座『邪馬台国の時代』.1 森岡秀人氏(芦屋市教委):「ツクシとヤマト ~三世紀の鏡~」
2007年4月28日(土)13:30:福岡市埋蔵文化財センター/福岡市博多区井相田2-1-94
※定員200人、無料。受講申込みは開催日の3日前までに(要必着!)
URLリンク(www.city.fukuoka.jp)
▼考古学セミナー 松木武彦氏(岡山大学);「中国・四国地方における弥生時代の戦いについて」
2007年4月29日(日)14:00:大阪府立弥生文化博物館1階ホール/大阪府和泉市池上町443
※定員170名(当日先着順)、セミナー参加費無料(ただし要博物館入館料)
これは同博物館の春季特別展 『稲作とともに伝わった武器』(4月28日(土)~7月1日(日))にともなう関連セミナーの第1回です。(全5回)
URLリンク(www.kanku-city.or.jp)
大阪府立弥生文化博物館のトップページはこちら。
URLリンク(www.kanku-city.or.jp)
599:日本@名無史さん
07/04/25 09:14:09
日向が邪馬台国で間違い無いだろ。
西都原の古墳群を見れば、九州のどこよりも王権に近く豊かで労働力を徴用できたことがわかる。
仮に、日向以外に邪馬台国があったとしよう。
すると、邪馬台国以外の弱小国家の土地に、古墳が大量に作られたことになる。
それはありえないことだ。
600:日本@名無史さん
07/04/25 14:56:27
魏書に書かれてる頃はもう日本の中心地は畿内にあったでしょ
601:日本@名無史さん
07/04/25 16:25:20
邪馬台国は九州のどこかで、日向はクナ国。
その頃、畿内王権も生まれており、
日向のクナ国は畿内王権の同盟国。
トヨの後、九州邪馬台国はクナ国によって滅ぼされる。
こう考えれば一番納得いくのだけども。
602:日本@名無史さん
07/04/25 20:21:30
倭国大乱と表現される紛争多発地域は福岡平野、筑後平野、熊本平野ではないかと
地図を見ながら考えています。
それらの地域は割りと行き来がしやすく、平野で生産力は大きいが、攻められやすく守りにくい
地域です。
それらに比べて、大分県宇佐、中津地域や宮崎県日向地域は陸の孤島のような状態であり、
それなりの平野があって兵力を温存又は蓄えるにはいい場所だと思います。
福岡、熊本地域へ向かう街道もあることはありますが、かなり険しい道になりますので、
比較的守りやすい地域です。
福岡、熊本地域が紛争で国の規模も大きく出来ず、疲弊しているところへ、力を蓄えた日向地域が
福岡、熊本地域を押さえる。後には宇佐、中津地域が取って代わるというようなシナリオは
ありえるでしょうか。
個人的には投馬国の5万戸に相当するのは筑後平野、7万戸に相当するのは熊本平野
と平野の面積から想定します。
邪馬台国発祥の地は日向地域で、後に中心的に支配する領域が熊本平野と考えています
同様に、台与の時代には発祥は宇佐、中津地域で、主力支配地域が筑後平野と見ています
日向-熊本ライン、宇佐-筑後ラインでそれぞれの遺跡のつながりの痕跡がないか
個人的に調べていますが、まだよくわかりません。関係ない可能性ももちろんあります。
603:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/25 21:32:57
しかし大分は凄い。地図を見て改めて思うが、耶馬溪の付近にやまくにがある。
誰かがこのやまくにが倭人伝の邪馬国だと思うと言っていたが、
このすぐ近くに躬臣國=玖珠。巴利國=杷木町の比定地もある。
これに、きい城のある基山町が支惟国(きい)。鳥栖が鳥奴国(うな)。フミ国は宇美町。
かんさきの国はかなそな国、吉野ヶ里。那の津は奴国で博多から内陸部へ入った地域。などが続く。
そして南の菊池がクコチヒコが長官であるクナ国。この狭い範囲内に比定地が集中している。
畿内説の言うクニの比定地は中国地方から近畿の広大な範囲の中にそれと思しき地名を無理に当て嵌めたに過ぎない。
これだけ広ければ全国どこにでも似たような地名はザラにあるものだ。
604:日本@名無史さん
07/04/25 21:42:33
魏志倭人伝は小説だったんじゃね?
605:日本@名無史さん
07/04/25 22:27:41
三国志は小説なのか?
606:日本@名無史さん
07/04/25 22:57:20
三国志は小説だろ。
607:日本@名無史さん
07/04/25 23:06:22
以前ニュー即で流れていたコピペ
つぎに斯馬国(しまこく)がある。 糸島の志摩半島?(昔は島だった)志免
つぎに已百支国(いわきこく)がある。 朝倉郡把木(はぎ)町?三養基郡は無理があるかな?
つぎに伊邪国(いやこく)がある。 うや?いや?朝倉郡弥永(いやなが)? 今津、今宿(いま)?
つぎに都支国(ときこく)がある。 たきこく?つし?筑紫野?
つぎに弥奴国(みなこく)がある。 水沼=三潴?三養基郡三根町?上峰(かみみね)町?「水縄(みのう)山地」?耳納(みのう)山?
つぎに好古都国(をかだこく)がある。 博多(ほこと)?
つぎに不呼国(ふここく)がある。 ふふあ?ふか?うか?福岡県浮羽郡?
つぎに姐奴国(さなこく)がある。 そね?そぬ?さな?さぬ?曾根?
つぎに対蘇国(とすこく)がある。 鳥栖市?
つぎに蘇奴国(さがなこく)がある。 佐賀?曽根田?
つぎに呼邑国(おぎこく)がある。 小城?
つぎに華奴蘇奴国(かなさきなこく)がある。 春日?糟谷?神崎?
つぎに鬼国(きこく)がある。 三養基郡基肄(きい?三養基郡基山(きやま)町
つぎに為吾国(いごこく)がある。 ?
つぎに鬼奴国(きなこく)がある。 ?
つぎに邪馬国(やまこく)がある。 八女 矢部?
つぎに躬臣国(くじこく)がある。 久留米?
つぎに巴利国(はりこく)がある。 はり?はら?
つぎに支惟国(きくこく)がある。 菊地 菊水 ?
つぎに烏奴国(あなこく)がある。 宇美?荒尾市 大野城市?
つぎに奴国(なこく)がある。 ?
まつろ=松浦
いと=糸島
つしま=対馬
いき=壱岐宇
不弥=うみ=宇美
奴国=なのつ那の津 奴国の港の意味
608:日本@名無史さん
07/04/25 23:09:02
魏志倭人伝演義w
609:日本@名無史さん
07/04/25 23:40:07
魏志倭人伝自演義w
610:日本@名無史さん
07/04/26 02:20:52
>>601
ふーん。すっげー滅茶苦茶な妄想に思えるんだが、どーやって
そーゆー結論に至ったか根拠くらい書けよw 説得力ないし。
そして熊襲は?
>>600 畿内はまだまだ日本の中心とは程遠かったよ。
611:日本@名無史さん
07/04/26 02:44:04
古瀬絵理 スイカップ アンオフィシャルホームページ
URLリンク(suikup.free.fr)
612:日本@名無史さん
07/04/26 02:47:18
>>607
それさ、狭いところに国を詰め込みすぎだよw
もう、なんというか、哀れというしか仕方がないような気がする。
613:日本@名無史さん
07/04/26 02:47:59
前から思ってたんだが・・既出だと思うけどさ。
不弥=うみ=宇美 ここ内陸部っしょ。
思い込みで実は宇美は不弥じゃないんじゃね?だってここのどこから水行するんだよ。
614:日本@名無史さん
07/04/26 02:48:19
>>607
音韻も無茶苦茶だ。
615:日本@名無史さん
07/04/26 02:52:23
宇美町のホームページ見てきたが、
不弥で完全決定らしいね、宇美町のホームページでは。
もっと海辺じゃないの?
616:日本@名無史さん
07/04/26 02:54:12
伊都は前原でいいと思う。決定でしょ。
しかし東九州も栄えてたんだからもっと書かれていていいと思うんだけどなあ。
たとえば佐賀とか長崎。
熊本。
617:日本@名無史さん
07/04/26 02:56:01
>>615
古代の海岸線は、もっと内に入っていたらしいし。
今の福岡空港あたりまで海岸線が入っていたという説を聞く。
グーグルアースで地形を見たら、
末盧国~不弥国まで、平地の地形ごとに国が分かれていたことが分かる。
618:日本@名無史さん
07/04/26 02:59:43
グーグルアースで地形を見たら、
末盧国~不弥国まで、平地の地形ごとに国が分かれていたことが分かる。
戸数比も、ほぼ魏志・魏略どおり。
(伊都国に関しては、魏書の千余戸よりも、魏略の万余戸のほうが正しいそう)
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)
619:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/26 06:54:50
クニが出来る少し前の段階はムラ。クニよりまだ小さい。
クニが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらいの範囲であって
畿内説が言うようにそんなにでかい訳が無い。そしてクニ同士が離れてる訳が無い。
吉野ヶ里や、前原遺跡などの規模を見てもヨーロッパの古代都市国家にも満たない人口規模一万未満のもの。
現在の村は合併を繰り返してかなりでかいが、昔はムラは小規模だった。
吉野ヶ里規模の集落が郡ほどの範囲で点在しているくらいのものがクニであったと考えられる。
壱岐国、対馬国、マツラ国、伊都国、奴国の比定地を見れば、当時のクニがどれ程の範囲で成り立っていたのか一目瞭然であろう。
少なくとも今でいう県ほどの大きさだったなんて事は絶対ありえない。
一大率が馬がいないので徒歩で歩き回り、諸国を監視できる範囲。
女王国の北には一大率を置く。伊都国だけではない。九州以内の邪馬台国連合国各地にいたであろう。
それでも山越え谷越え大変だったろう。それ以外の国はとても遠くにあるため詳しく述べる事が出来ない、とあるが、
当時は道路も整備されているわけでもなく、九州の邪馬台国人には九州以外のことは殆ど知られていなかったものと思われる。
620:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/26 06:58:37
>>619訂正
クニが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらい
は
ムラが幾つか集まってようやくクニと呼ばれるくらい
でした。
621:日本@名無史さん
07/04/26 07:48:16
>>602
投馬国と出雲は官吏の字が酷似しているそうだけど
622:日本@名無史さん
07/04/26 09:18:03
>>621
官吏の字ってなに?
623:日本@名無史さん
07/04/26 09:18:08
>>621
官吏の「字」が酷似って... で、地名の発音や漢字は酷似してないの?
同じ発音に同じ字を当てるんだから(順番が決まってる)、似たものばかりに
決まってるじゃん。もともと国の名前も酷似した漢字ばかりだし。
その論理でいくなら豊前は耶馬のつく地名が今でも6,7ヶ所残っているし
(山国除いてもね。)、すぐ北にはヤマト郡と発音する地域もあるから
当然、中国人は漢字を耶馬台と当てたでしょう。あ、邪馬台国だ、となるよ?w
624:日本@名無史さん
07/04/26 09:46:19
ちょっと興味をひいた:>>621
魏志倭人伝と同時期に、出雲の官吏の名前が書かれた書があるの?
なんと言う書?で、他には何がかかれているんだ?
あともっと気になるのは、そのときの出雲はなんという名前なのか。
周辺国は何という名前なのか?
初耳だぜよ。妄想の本じゃなくソースお願いね。
625:日本@名無史さん
07/04/26 09:47:10
投馬国の官はミミ、副はミミナリだが、そのことを言ってるのだろうか?
おれミミちゃんには大いに興味があるが、ともかく、
>>621
>投馬国と出雲は官吏の字が酷似しているそうだけど
だけでは何のことだかワケ分からない。
詳説キボンヌ。
626:日本@名無史さん
07/04/26 10:08:14
ミミタン・・・・・・・・
627:日本@名無史さん
07/04/26 11:41:29
投馬国が出雲なら
邪馬台国は大和だな。
投馬国は出雲?五万余戸・第二の大国
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)
628:日本@名無史さん
07/04/26 14:22:52
投馬と出雲の官名が似ているというのは
>>627のリンク先
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)
これですね
629:日本@名無史さん
07/04/26 14:49:56
>626
あのなあ、おまえときた日にゃ、可愛らしそうな名前だったら誰でもいいんか。ww
ミミは5万戸の雄国、投馬国を統治する大長官サマだ。
いッかめしいヒゲをたくわえたオッサンだぞ、きっと。
おまえはいつものようにイヨタンでロリっとればよろし。ww
630:日本@名無史さん
07/04/26 15:43:09
イ、イヨタン・・・・・・・・
631:日本@名無史さん
07/04/26 17:45:36
邪馬台国西都市説はどうなったのかな?
632:日本@名無史さん
07/04/26 20:16:59
>>612
邪馬台国連合のような不安定なものが西日本全体を抑えていたように思いたがるほうが不自然ではないかね?
633:日本@名無史さん
07/04/26 20:17:53
>>614
君、可能な範囲で妥当と思われる発音を当てはめなさい。
634:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/26 21:46:17
>>632
そうそう。伊都国の一大率を皆煙たがっていたのだ。監視機関があった事から
邪馬台国連合は連合はしているものの不安定で各国は謀反を起こしそうな気配もあったんではないだろうか。
九州から中国、畿内亘る広域な連合ではたとえ一大率といえども目が届かなかったに違いない。
>>628のリンク先に「北部九州は畿内の邪馬台国から見て辺境の地ではなかったか」とあるが
一大卒は伊都国にいるのであり、又、帯方郡からの使者が来るときには必ずここに立ち寄る。
と倭人伝にあり、近世の長崎がそうであったように古代の北部九州は中国の最先端の文化流入の窓口だったのである。
大分には耶馬、とつく名が5-6ヶ所あるという。本州で耶馬という地名がある場所があるのかどうか、知ってる人はおそえてね。
山田、大和とかはダメ。あくまで耶馬か邪馬。
635:日本@名無史さん
07/04/26 23:40:12
最近、出版された欧米の日本皇室研究では
邪馬台国=大和王権
卑弥呼=天皇家の女性
って記載されていたよ。
あと、蘇我氏は300年間、権力を保持していたと書いてあるから
武内宿禰からカウントしてということだな。
636:日本@名無史さん
07/04/27 01:02:59
↑マルチ乙 興奮するなよ。日本海は東海って書かれてる地図みても喜ぶのか、おまえは。
637:日本@名無史さん
07/04/27 01:05:37
>>628
どうやって見るの? リンク先切れてるけど。ですがさん、どうやって見たの?
638:日本@名無史さん
07/04/27 01:25:37
>>631
古墳がある場所=クニじゃないだろ? 伊都とか見てもあんな小さいとこで一国だぞ。
当時のクニの規模を考えてもさ、大切な稲作の田んぼを潰したり
町を潰して古墳群つくるとは思えないし。
つまり、広くてあまり混んでない平野とかを選んで「この広いとこに古墳つくろーや」
ってなったわけで、実際の中心地から離れていたと思うのが当然・・。
639:日本@名無史さん
07/04/27 01:28:36
>>638
ばか?
640:日本@名無史さん
07/04/27 01:36:01
>>639
ばかはお前。 せいぜい自分の家潰して墓でもつくってろww
641:日本@名無史さん
07/04/27 04:23:51
日本の考古学者さんのえらいさんは
科学的な調査方法を
わざわざ欧州や米国の研究者まで巻き込んで
やっているのが大きいな。
あと、中国の権威とかとも交流が激しい。
その結果、邪馬台国=大和国
卑弥呼=モモソ媛
が、急速に支持を集めつつある。
九州説論者が多い安本らの在野の歴史愛好家が
世間に本を売って騒いでいる間に
そんなのを無視して、考古学者の権威は
世界中で学会で発表しまくっているということか?
642:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/27 05:43:57
>>637
>>628をクリックすれば 普通に邪馬台国総論なるサイトが開くけどね。
643:日本@名無史さん
07/04/27 07:35:44
邪馬台国が畿内か九州かどうかは分からんが
少なくとも、こういう状況だと思う。
畿内説・・考古学会の大多数・・世界中の学会で発表
九州説・・在野の歴史愛好家・・世間で歴史読み物系の本を売ったり
観光行政とタイアップして世間に宣伝
644:日本@名無史さん
07/04/27 09:46:24
つまり、外国の学者は日本の古代についてはなにも研究しておらず、
日本のえらい先生方の説を鵜呑みにしているか、儀礼的に頷いているだけということなのでしょう。
645:日本@名無史さん
07/04/27 15:00:22
日向の国がなぜこうも無視されてるのか疑問なんですが
神武天皇がいて都をどこに移すか思索していた場所なのに
それと薩摩にも国はあったでしょうに
646:日本@名無史さん
07/04/27 15:20:56
>>645
神武いた日向に女王はいません。
647:日本@名無史さん
07/04/27 16:15:08
外国の日本ヲタのブログでも
マキムクと卑弥呼の話で盛り上がっていたな。
648:日本@名無史さん
07/04/27 22:01:45
卑弥呼ネタは、面白いからね!
649:日本@名無史さん
07/04/27 22:21:14
宮崎を考えるとき、そこの勢力がどのように誕生したかも考えなくては
ならないと思う。地理的にはかなり不利な立場にあるわけだから。西九州と
文化的に同じようなものだとすれば、西九州からの移動があったとも
考えられる。
神武東征のように九州から大和への権力の移動が考えられるとすれば、西九州
から日向への権力の移動を考えてもちっとも不思議ではない。
それが邇邇芸命の天孫降臨伝説として残ったとも言える。
650:日本@名無史さん
07/04/28 00:02:17
モモが卑弥呼なわけがない。少し考えればわかるものを。
これで学会がどうのこうのいうんだからすごい脳内だな。
651:日本@名無史さん
07/04/28 00:13:35
モモの話になると、必ず過剰に反応する人がいる件
652:日本@名無史さん
07/04/28 00:18:46
>>650
↑
モモ様親衛隊
653:日本@名無史さん
07/04/28 00:23:57
モモタン…
654:日本@名無史さん
07/04/28 00:28:59
間違っているのがわかっているからだよ
しかも中身がなく繰り返すばかり。
モモが卑弥呼なら天皇はどうしてたんだよ。アフォかっつーの
655:日本@名無史さん
07/04/28 00:33:20
アカルヒメの神社が国東から難波へ移されているのが非常に気になる。
そして難波の姫島神社の由緒など読んでも、国東が元だとはまったく書いてない。
656:日本@名無史さん
07/04/28 00:36:40
≪定義≫
○帯方郡~邪馬台国 12000里(約900km)
○帯方郡~狗邪韓国 7000里(約525km)
○帯方郡~末盧国 10000里(約750km)
○末盧国~伊都国 500里(約 38km)
○伊都国~邪馬台国 1500里(約112km)
ケース1
◇帯方郡~邪馬台国までを水行10日陸行1月とした場合、
帯方郡~末盧国の 10000里(約750km)=水行10日
末盧国~邪馬台国の 2000里(約150km)=陸行1月
ケース2
◇伊都国~邪馬台国までを水行10日陸行1月とした場合、
伊都国~邪馬台国の 1500里(約112km)=水行10日陸行1月
ケース3
◇伊都国~邪馬台国までを水行10日とした場合、
伊都国~邪馬台国の 1500里(約112km)=水行10日
ケース4
◇伊都国~邪馬台国までを陸行1月とした場合、
伊都国~邪馬台国の 1500里(約112km)=陸行1月
※可能性としては、ケース4でしょうか?
657:日本@名無史さん
07/04/28 00:37:20
何百年もあとに書かれた記紀や古事記を参照にしなければならないというのも変な話だな。
出雲や吉備など、畿内より漢字を早くから使っていそうな場所がいくらでもあるうえに
何より九州の地名をみてもどこより早くから漢字を使い始めたのがわかる。
中国式の音韻で当てているだろ。
大和政権ができてから、何か都合が悪いのを燃やしまくったんじゃねーのか?
何か統一した神話みたいなのをつくろうとしたか・・・
658:日本@名無史さん
07/04/28 00:45:22
いくら頑張って否定しても次から次へと、卑弥呼=モモ案の人はでてくるから、たぶん
まぁ、そう興奮することもあるまい。
度量を大きく、さまざまな説を伺ったうえで、穏やかに疑問をなげかけたらどうだね!
659:日本@名無史さん
07/04/28 04:30:49
よく、ネット・在野では九州説
学会とかでは畿内説
とか言われていたけど
最近は、ネットなんかでも徐々に畿内説が
勢いを増しつつある。
外国で売られている日本考古学の本でも
畿内説優勢で語られだしてきている。
マジで、歴史は動いているようだ。
660:日本@名無史さん
07/04/28 05:37:51
>>657 :日本@名無史さん :2007/04/28(土) 00:37:20
>何百年もあとに書かれた記紀や古事記を参照にしなければならないというのも変な話だな。
欧州の歴史なんかでもそうだ。ローマ史なんかでも。
それは日本だけじゃない。
661:日本@名無史さん
07/04/28 07:59:52
しかしな、畿内説でぐぐると一番先に畿内説論破!なんてサイトが出てくるんだがww
662:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/28 08:05:02
>>659
誤説を信じてるあわれな奴が増加してるだけ。九州説が真。
記紀に明確に卑弥呼の鬼道の活動記録がほとんど0では、畿内説は砂上の楼閣。
663:日本@名無史さん
07/04/28 08:27:36
つーかさ、安本らが
海外の考古学の学会みたいなところで
全くといって言いほど相手にされない存在だということを
考えてみればよいじゃん。
664:日本@名無史さん
07/04/28 08:30:07
>>661 :日本@名無史さん :2007/04/28(土) 07:59:52
>しかしな、畿内説でぐぐると一番先に畿内説論破!なんてサイトが出てくるんだがww
ああw あの安本のサイトだろう?ww
あの感情的な在野の安本くんのww
665:日本@名無史さん
07/04/28 09:53:21
魏書が書いてるのは九州のある国。それと同時期に大和にも巨大な国があった
それだけのことでしょ
邪馬台国近畿説 眉にツバ
URLリンク(www5.ocn.ne.jp)
666:日本@名無史さん
07/04/28 13:44:28
>>665
>松本清張、安本美典、古田武彦。めぼしいアマチュアはたいてい九州説。
古田も安本もアマチュア。この認識は正しいなwww
667:日本@名無史さん
07/04/28 13:53:17
下野氏の論説は明快だな
URLリンク(www5.ocn.ne.jp)
668:日本@名無史さん
07/04/28 13:57:35
というか、なんで九州説論者って
在野のアマチュアが殆どなんだ?
669:日本@名無史さん
07/04/28 14:00:28
>>663
> つーかさ、安本らが
> 海外の考古学の学会みたいなところで
> 全くといって言いほど相手にされない存在だということを
> 考えてみればよいじゃん。
安本はバカじゃないから、そんなところには関わらないよ。
だって、そんなとこ顔だしても本が売れるわけじゃなし、
講演してもギャランティが入るわけじゃない。
670:日本@名無史さん
07/04/28 14:06:41
アマだろうがプロだろうがおかしい論はおかしい
畿内説には無理がある
邪馬台国というのが畿内の国のことを言ってるわけじゃないのは明白だろう
671:日本@名無史さん
07/04/28 17:42:21
3世紀の九州に30カ国を従える巨大王国があったとは思えない。
邪馬台国は畿内だろ。
672:日本@名無史さん
07/04/28 19:12:42
朝鮮半島よりちっちゃい九州の一部だけを支配してる国に、
魏が金印を授けるわけないだろ。
世界地図を見てみろってんだ。
673:日本@名無史さん
07/04/28 19:27:41
>>667
近畿説か九州説かの話が、教科書問題とか靖国問題とかの話になってしらけた。
674:日本@名無史さん
07/04/28 19:42:50
>>667
というかさ、そのオッサン自体が
ほとんど亜流の歴史ヲタじゃんw
思想に縛られすぎているというかw
取るに足らないオッサンだわなww
675:日本@名無史さん
07/04/28 19:43:28
>>672
バカか?w
すでに漢の時代に奴国へ金印を授けた経緯があるだろう
676:日本@名無史さん
07/04/28 19:46:06
>>672
> 朝鮮半島よりちっちゃい九州の一部だけを支配してる国に、
> 魏が金印を授けるわけないだろ。
そうなんだよね。
クシャナ朝大月氏と同格の扱いだから「破格」だよ。
もっとも、親魏倭王になったのは、帯方郡の使者が大げさに報告し過ぎたためかもしれない。
実際、倭地にやってきて見れば「金印なんかあげるんじゃなかった」とか思ったかもよ。
677:日本@名無史さん
07/04/28 20:05:01
金印はそうでもないが
新魏倭王という称号が破格だろう?
57年の漢倭奴国王とは、明らかに核が違う。
また、魏の使者が倭に来たのは数回だね。
678:日本@名無史さん
07/04/28 20:11:21
>>677
そりゃ当然といえば当然だな
時代が下ってるから
679:サガミハラハラ
07/04/28 20:18:44
親魏倭王印が金印だったのは、漢が下賜したのが金印だったのでつりあいをとるためですよ。
漢のときのが銀印だったら、ヒミコの時も銀印だったでしょう。