謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!6at HISTORY
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!6 - 暇つぶし2ch281:日本@名無史さん
07/04/18 18:54:59
>>280

何をムキになってるわけ?
これ以上、恥の上塗りをしても、なんにもならないよ。

それより、天御中主が、藤原氏と系図でつながってることの説明でもしたら?


282:日本@名無史さん
07/04/18 19:20:10
>>271
蘇我氏云々もトンデモかもしれんが、藤原氏は天御中主まで系図がつながってるっていうのも、線で結んでるだけじゃん。
>>252のサイトは、『尊卑分脈』っていう14世紀の系図集をもとにしてると書いてあるね。
天八下尊という神様は先代旧事本紀にあるようだけど、記紀に出てくるの?
結局、『尊卑分脈』は、どんな根拠があって藤原氏の系図の最初に天御中主を置いて、線で結んだんだろうね。
記紀に書いてある通りとは思えんのだけど。>>281はどう思っているのかな。

283:日本@名無史さん
07/04/18 19:27:13
古事記の最初に出てくる天御中主に、
藤原氏が、系図上で線で結ばれるということを、大和朝廷が許してるという意味を、
もっとよく考えてみたまえ。


284:日本@名無史さん
07/04/18 19:30:57
>>280
>このヴァカは古事記なんか読んで無いだろ

おれもそう思う。
しかしそいつが、「記紀に書いてある」ってんだから、読んでみる。
まず古事記。
最古の写本である真福寺本の影印でいこう。
URLリンク(www.neonet.to)

3行目の下の方、墨が滲んで薄黒くなってるが、「故其天兒屋命者」とあり、
その次に分注で、【中臣連等之祖】と書いてある。
結局、古事記を読めば中臣氏の祖はアメノコヤネと書いてあるわけだ。

「読め」って言う奴が読まずに、天御中主が藤原氏の祖などと、タワケたことを書く。
マチガイを指摘すると逆ギレして開き直る。
病気だね。

285:日本@名無史さん
07/04/18 19:33:44
>>284

おや?
じゃ、おまえは、

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめとでも言うのかね?

おまえの言う、真実を表してる系図があるなら、検索してきなよ。





286:日本@名無史さん
07/04/18 19:49:16
>>283
14世紀といえば室町時代。藤原摂関政治を経たあとの時代に成立した『尊卑分脈』が、
系図上で藤原氏と天御中主を結んだとして、それにどれ程の意味があるのか。
記紀にそう書いてあった場合の、「朝廷が許している」という意味と、
『尊卑分脈』に書いてあるのを「朝廷が許している」という意味をもっとよく考えてみたまえ。

>おや?
>じゃ、おまえは、

URLリンク(www.geocities.jp)
>↑系図がでたらめとでも言うのかね?

14世紀に『尊卑分脈』を編纂した洞院公定がそう思っていたということではある。
でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。
その辺、どう考えてるの。

287:日本@名無史さん
07/04/18 20:10:18
>>286


>でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。

証拠にならないと言うなら、証拠にならない。

他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?
魏志倭人伝にも言えることだよ?


288:日本@名無史さん
07/04/18 20:12:29
>>285
その系図で、天児屋根命の親神としている「居々登魂命」とか、
そのまた親の「市千魂命」とか、いったい記紀のどこに書いてあるのだ?

しかしあんたは、「記紀に書いてある」(>>216)って言うんだから、
まずあんたが居々登魂命や市千魂命などの、天御中主~天児屋根の間をつなぐ神々を
記紀のどこに書いてあるかぜーんぶ示せよ! 示せるもんなら。ww

言っとくけど、「記紀」ってのは古事記と日本書紀のことだぜ。分かってるよな。
ゆめにも先代旧事本紀なんか持ち出すなよ!
逆ギレや開き直りはそのあとにしてくれ。

289:日本@名無史さん
07/04/18 20:16:34
>>288

本質のすり替えはみっともないからやめたまえ。

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめだというなら、
でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。




290:日本@名無史さん
07/04/18 20:16:44
古事記も日本書紀も読んでないアフォが先代旧事本紀なんか読んでる筈が無い

読んでたら「チェーン店」だの「フランチャイズ」だの言わないwww

291:日本@名無史さん
07/04/18 20:19:37
碌な知識もない癖に間違った論理を展開してるのはコイツなのに

論拠が崩されそうになったら摩り替えは止めろと摩り替える始末wwwwwwwwwww

292:日本@名無史さん
07/04/18 20:23:39
どうしたね?

負け犬がきゃんきゃん吼えてるみたいで、みっともないぞ。

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめだというなら、
でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。


293:日本@名無史さん
07/04/18 20:26:22
系図の正しさと中臣氏の祖神が誰であるかは別の事なのにそれすらも解ってないwww

294:日本@名無史さん
07/04/18 20:32:45
>>275

古代史を研究する人で、中臣の祖は天児屋根だから、天御中主とは無関係などと、
額面通り受け取る人はいないだろうね。


295:日本@名無史さん
07/04/18 20:41:47
藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。
そろそろ約一名さんは撤退したほうがいいと思われ。
ちなみに皇室の祖神であるアマテラスの親イザナギは書紀一書においてすでに
国常立の子孫天鏡尊(天合尊)の子孫とされている。


296:日本@名無史さん
07/04/18 20:42:03
↓藤原不比等が一言

297:日本@名無史さん
07/04/18 20:45:01
>>295

>藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。

いきません。



298:日本@名無史さん
07/04/18 20:45:52
つーか、原初神が一番偉いという素朴すぎる考えがどこから出てくるのか?

ギリシアのゼウス、北欧のオーディン、ケルトのヌァザ・アーケツラーブ、
エジプトのラー、バビロニアのマルドゥク・・・
原初神なんていねーじゃん。

299:日本@名無史さん
07/04/18 20:58:22
そろそろ、藤原氏が、天御中主に系図を繋ぐほど、由緒ある氏族だってことがわかったろ?

藤原氏は、蘇我氏や物部氏とは格が違うんだよ。


>>209みたいなトンデモ説に惑わされるのは、
藤原氏について、きちんと調べてないからだ。

藤原氏系図だけ調べても、ただものではない氏族だってことは推測できる。
それだけ、諸君が勉強すればそれでいい。

300:日本@名無史さん
07/04/18 21:04:21
勝利宣言キタwwwwww

301:日本@名無史さん
07/04/18 21:04:55
>>299

なんで藤原氏にそこまでこだわるの?
なんか理由があるのかな?




302:日本@名無史さん
07/04/18 21:07:31
ギャハハ! 春になると香ばしい香具師が湧いてくるんですね~。
>>210
>>219
>>241
>>247
>>252
お前の事だぞ。プッ!
>藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?
アホですか?
>自分で記紀の原文をきちんと読むことだ。
お前は山川出版の日本史の教科書をきちんと読んだほうがいいぞ。
中臣鎌足なんて、中大兄皇子にとりついたわけわからんオサーンだぞ?
>天御中主~天児屋根~中臣と系譜が続くことは、 系図をちょっと調べれば常識の範囲。
すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!

しかしさ、この馬鹿みてると、藤原不比等って偉大だな~って思うんだよね。
いまだにこんな馬鹿を生み出してるんだからさあ。

303:日本@名無史さん
07/04/18 21:11:48
>>287
>他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
>もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
>事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?

神様がご先祖様ですということに、事実という証拠があるわけないだろう。
記紀に記述があるということは、編纂当時に、そう考えられていたということ。
「考えられていた」ということが事実。
同じように、「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」ということが事実。
「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」という事実は、
記紀成立の時期に、人々が「天御中主が中臣氏の祖であると考えた」ということの証明にはならない。
だから、252の系図は「藤原家は天御中主が祖だから、天皇家より格上」ということの証明にはならない。

URLリンク(www.geocities.jp)
>↑系図がでたらめだというなら、
>でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。

252の系図がでたらめなのではなくて、この話にこの系図をもってくるのがでたらめなんだね。

304:日本@名無史さん
07/04/18 21:11:46
>>302

>すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!

氏族以外の人が作った系図ってあるの?

藤原氏の系図が捏造なら、天皇家の系図も捏造ってことでいいのだね?


305:日本@名無史さん
07/04/18 21:13:42
>>303

魏志倭人伝の記述も、「書いた人がそう思った」ということでいいんだね?

そう考えれば、多くの矛盾も解決するわけだが。

306:日本@名無史さん
07/04/18 21:17:41
>>304
>>305
浪人が決まったのか、留年が決まったのか、はたまたただのニートか知らないが、
引きこもって平日の昼間から2ちゃんばかりやってないでちゃんと学校へも逝くんだぞ。
そのうちいい事もあるからさあ。

307:日本@名無史さん
07/04/18 21:19:07
この議論の流れ。デジャビュ?倭人伝関係で何度も見たような。

308:日本@名無史さん
07/04/18 21:19:16
>>306

君も、今日ひとつ勉強になったろう?
藤原氏の系図についてな。
よかったじゃないか。

309:日本@名無史さん
07/04/18 21:22:15
>>308
プッ! ひとつ勉強になったゾー!
お前がスゲー馬鹿だと言う事がよく解った。あはははは。w

310:日本@名無史さん
07/04/18 21:27:15
倭人伝関係っつーか邪馬台国関係じゃねぇ?

311:日本@名無史さん
07/04/18 21:33:26
いまの天皇家に現存する天皇の系図って継体までしか遡れないってほんと?

312:日本@名無史さん
07/04/18 22:31:55
天御中主はほとんど全ての氏族の先祖でもある。
ことさら藤原氏の先祖といわれてもなあ。

313:日本@名無史さん
07/04/18 23:10:18
中臣氏祖神の天児屋根は、『古語拾遺』では諸本によって、タカミムスビの子に
なってたり、カミムスビの子になってたりする。要するによく分からなかったんだな。
で結局、後世にはツハヤムスビの後とすることに落ち着いた。
鎌子・勝海の流れが滅んで、黒田(継体朝)の流れに移った時点で別の氏族に
変わったため、よくわかんなくなっちゃったんだろうな。
そもそも中臣氏はムラジ姓氏族なのに、中「臣」だったりして、素性がよくわからない氏族。
意外に帰化系の可能性もあるかも知れない。

ちなみに六国史にツハヤムスビは1カ所に出てくる。スグリ姓、つまり本当は
帰化人である連中が、中臣氏を賜る記事に出てくるのが何とも興味深いw
『続日本後紀』承和10年(843)1月27日
美濃国山県郡少領外従八位上の均田勝浄長等九人に姓中臣美濃連を賜ふ。中臣氏の祖津速魂命の苗裔なり。

誰かさんが言ってるのは、足利氏の先祖は神武天皇であるというのと一緒で
あまり意味がない。氏祖はやはり義家か、義国・義康あたりを挙げるのが普通。
誰だって遡れば天御中主になっちゃううんだから。(純正日本人なら)


314:日本@名無史さん
07/04/18 23:34:10
>>313


話の流れをまったく理解しとらんね。

天御中主と系譜を結んでるのは藤原氏系図が世に出てるということは、
それだけ、藤原氏は、勢力を誇っていたということであり、
蘇我氏や物部氏とは格が違うということだよ。



315:日本@名無史さん
07/04/18 23:37:12
蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?

そんな系図は、みたことないね。
捏造しようと思えば出来るものを、出来なかったということだ。
藤原氏だけが、それを出来た。
天皇家さえも出来ない。

そういうことだよ。


316:日本@名無史さん
07/04/18 23:43:43
その系図がいつ作られたかが問題だね。

317:日本@名無史さん
07/04/18 23:48:02
とにかく、藤原氏が、他の氏族を恐れるとか、
素性が知れたら困るとか、そんな状況なんて無いんだよ。

藤原氏は、天皇を凌ぐほどの力を持っていたといってもいいくらいだ。
藤原氏をなめてるやつは、その認識不足から古代史を語る資格もないね。


318:日本@名無史さん
07/04/18 23:49:46
>243
枕詞 はしけやし

319:日本@名無史さん
07/04/19 00:02:52

 「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

藤原道長が寛仁2年(1018年)に詠んだ歌。(小右記)

来週から京都国立博物館で展覧会。
URLリンク(www.kyohaku.go.jp)

320:日本@名無史さん
07/04/19 00:05:33
>>314
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」
って道長が詠んだくらい、藤原氏は平安時代に勢力を誇っていたわけで、
それより後の室町時代にできた系図が、藤原氏の権勢を反映しているのは、むしろ当然なわけ。
それを持ってきて「蘇我氏や物部氏とは格が違う」っていうのは、あまりに時代感覚が希薄すぎるね。
蘇我氏や物部氏が力を持っていた時代は6~7世紀で、藤原氏の全盛期よりずっと前。
そんな時代に、系図を作る風習があったかどうかがまず疑問。
たとえあったとしても、蘇我氏や物部氏が一番偉い風に書かれた系図を
後から実権を握った藤原氏が、そのまま認めると思う?
藤原氏の後は武家社会だから、公家政権の最後に位置する藤原氏の書いた歴史が残るわな。

321:日本@名無史さん
07/04/19 00:35:36
>>311
>いまの天皇家に現存する天皇の系図って継体までしか遡れないってほんと?

「天皇家に現存する天皇の系図」のところが意味不明ですが、
現天皇家の祖先が継体までしか遡れないか、と質問を読み替えますと・・・・・

そんな説もありますが、反対する説もあります。
女系を考慮する説もあり、いろいろです。
また、古代の君主が世襲制であったかどうかも、議論される点です。
現存の文献だけではなかなか将来に決着できるような問題ではないようですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

322:日本@名無史さん
07/04/19 03:44:12
>>311
継体天皇は応神天皇の5世の傍系の皇族だったわけ。
今の滋賀県・福井県あたりに所領があって
皇室本家が断絶したことから、婿養子に迎えられた。

そういう経緯と、彼の即位が記紀が書かれる前だったから
今の皇室の直接の先祖の確実に遡れる最初が継体天皇といわれる。
そういうわけで、今の歴史学者はそれ以前には慎重になっている。

ただし、最近の調査から、継体天皇の即位は割りと平和に行われたことや
考古学的な変化もあまりなく、また
日本の記紀に書かれている人物名の木管などが発見されてきたことから
やはり、継体天皇は傍系から皇位を継承した天皇だと言われ始めている。

また、このスレタイの邪馬台国論争も、大いに
応神天皇や継体天皇に関する研究にも影響を与えると思う。

323:日本@名無史さん
07/04/19 08:16:35
系図が古代まで遡れないことがハッキリしたわけだから、
ここらで仕切りなおししましょう。

継体天皇以前の系譜は確証が無いこと、
祟神天皇までは慎重に検討すること、
それ以前の神武天皇の東征などの記述は検討に値しないこと。
天照大神と天皇家を結ぶ系譜も、記紀成立以前には遡れないこと。

これだけの約束事を踏まえれば、
卑弥呼と男弟の関係を、天照大神とスサノヲの関係にみなすことは出来ません。
神武東征も、事実とはいえないことと、考古学上の物証から、
邪馬台国東遷説も根拠を失います。


324:日本@名無史さん
07/04/19 10:04:09
継体天皇関連で、鴨稲荷山古墳というのがある。

325:日本@名無史さん
07/04/19 16:03:32
もう九州から近畿まで全部邪馬台国だったで良いじゃん。

326:日本@名無史さん
07/04/19 16:12:36
九州から近畿まで全部邪馬台国ですが?

首都が九州から畿内に移っただけで。

327:日本@名無史さん
07/04/19 16:16:35
>>323
神武東征は事実かどうかは、考古学の力だけでは限界があるというだけで
検証に値しないという意味ではない。
よって、神武東征は事実ではないという意味ではない。
現時点では、肯定でも否定でもないとしか言いようがないということ。
また、仮に神武東征が事実だとしたら、それは邪馬台国の出現の
前か後かでも見解が割れるということ。

328:日本@名無史さん
07/04/19 16:55:17
>>327

おまえは、どういう説なんだね?
もちろん、論拠あっての説なんだろうね?

329:日本@名無史さん
07/04/19 17:14:27
>>322  同意
戦後は「天皇は万世一系ではない」というイデオロギーが強かったが、
最近は王朝交代説を主張する若手・中堅の学者は皆無になった。
普通に考えて、王朝が後退したのに簒奪される以前の王朝と接合して
自分の歴史に組み込んだりする訳がない。

応神天皇の母は神功皇后で継体天皇とはオキナガ家でつながる。
応神の子供が母方(オキナガ)に行き、王族として世襲されていったと
考えられる。

330:日本@名無史さん
07/04/19 17:26:50
>>329

息長氏って、どういう氏族だと思ってるわけ?

天皇家に近い?わりに、消息不明で地名にも残ってないですが。



331:日本@名無史さん
07/04/19 18:38:41
>蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?

理解力のないやつだな。
例えば蘇我氏は孝元天皇から系図を始める。さらに遡れば神武・アマテラス・
イザナギ・ミナカヌシと遡れるが、そんなことは書かない。
清和源氏系図だって清和天皇から始めるのが一般的。遡れば清和・神武(以下略)
物部氏だってニニギ・オシホミミ・アマテラス(以下略)

諸氏と共通する部分はとばして、氏祖から始めるのは当たり前。
逆に言うと、中臣氏が氏祖コヤネからではなく、わざわざさらに遡ったところから
書かざるを得なかったのは、コヤネの出自が広く知られてなかったため。
(たぶん自分たちも知らなかったんだろうと思う)
それでツハヤムスビという記紀にはないカミを創造し、そこにつなげることとなった。
津速・市千・興登の位置付けが、親子だったり兄弟だったり混乱してるのも
なかなか説を確定することが出来なかった名残だろう。

332:日本@名無史さん
07/04/19 18:40:35
息長氏は九州とは何の関係も無い氏族ということは確か。
つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人。


333:日本@名無史さん
07/04/19 18:43:02
というわけで、応神が九州勢力で、畿内王権を剥奪したとかいう説は妄想ということになる。

334:日本@名無史さん
07/04/19 18:55:43
息長氏は、近江水系を支配していたのは、間違いないだろう。
それは、祟神天皇の前の代の頃から(3世紀)と言っていい。
考古学的にも、畿内と丹波の交流は否定されない。
四隅突出墓の関係から、そのまま、若狭湾や越、但馬まで交流があっただろう。


335:日本@名無史さん
07/04/19 18:57:33
近江水系を支配した息長氏の祖は、15代応神天皇の5世孫にあたる息長真手王だといわれる

とある。神功皇后以前から明らかに存在したとは言い切れないのでは?

336:日本@名無史さん
07/04/19 19:01:18
弥生時代中期後葉の弥栄町奈具岡遺跡において、
小さな谷に面した建物址から八㎏をこえる鉄片が出土したことである。
この時期の遺跡の中では日本でもっとも多い量だ。

弥生時代後期の林・藤島遺跡も、2千点を超える鉄製品が見つかっている。

337:日本@名無史さん
07/04/19 19:05:13
天目一箇神と同神とも、兄弟とも言われる天之御影命(あめのみかげのみこと)は、
開化天皇の子で、日子坐王(四世孫が神功皇后)の妃である息長水依比売の父。

つまり、息長氏は、開化天皇の頃から、製鉄とも関係が深かったと見ていいだろう。
これは、考古学の発見とも一致している。



338:日本@名無史さん
07/04/19 19:14:31
>>335

それ以前に、息長氏という氏族が実在したという証拠はあるの?

339:カナカナボウシ
07/04/19 19:19:37
更級日記にでてきます。ちょっと後世になりますが。

340:日本@名無史さん
07/04/19 19:21:36
息長氏は、和邇氏とも関係が深いことから、
渡来系技術者集団と考えることが妥当だろう。

早い話、継体天皇は、渡来系技術者集団を支持母体として権力を振るっていたということであり、
継体天皇本人も渡来人であった可能性は否めない。というか、そうであろうが。

341:日本@名無史さん
07/04/19 19:27:24
>>339

ずいぶん、落ちぶれたんだね。息長家は。

342:日本@名無史さん
07/04/19 19:49:15
>>335

君、なにか、反論無いの?

343:日本@名無史さん
07/04/19 19:55:00
天皇は天照の子孫しかなれないからなー!

344:日本@名無史さん
07/04/19 20:16:43
>>342
?
反論は無いよ。332に対する疑問を言っただけだし・・

345:日本@名無史さん
07/04/19 20:24:21
そっか 言っただけか・・・・

346:日本@名無史さん
07/04/19 20:50:51
>>345
ごめんなw

347:日本@名無史さん
07/04/19 20:59:37
許すよ

348:日本@名無史さん
07/04/19 21:02:27
ただ、息長帯比売(おきながたらしひめ)の読みが本当かな?と疑問は感じる。
足仲彦(たらしなかつひこ)と比べると「そくなが」と「そくなか」で夫婦そろいの
名前になるのにな・・と思ってたw


349:日本@名無史さん
07/04/19 21:30:36
所詮、その程度のレベルかよ。

350:日本@名無史さん
07/04/19 21:33:53
その程度ってどの程度?

351:日本@名無史さん
07/04/19 21:54:52
独り言を言っただけだ。

352:日本@名無史さん
07/04/19 21:57:50
独りごとか、了解

353:日本@名無史さん
07/04/19 23:02:43
>>332
>つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人

無学 

354:日本@名無史さん
07/04/19 23:12:05
>>323
天皇家と朝廷が わざわざ天照とスサノヲ、神武東遷説をつくり出した理由は。
関係ないはずの天照を伊勢神宮で祭ってるのは。

天皇が自ら出処を九州と繋げる理由は。
う~ん、自分で東遷説を言っているわけだから。

それがすべて大嘘で、出生不明の祟神が自ら天皇を名乗ってから後は
歴史があるみたいに神話を勝手につくったと?

まるで北の将軍様みたいだね。(金剛山に祖先が舞い降りたという神話が北朝鮮にありまつw)

355:カナカナボウシ
07/04/19 23:15:07
>>341更級日記のでてくるのは落ちぶれたとおっしゃるのですか。
では、土佐日記にでてきたら出世したとでも?

356:日本@名無史さん
07/04/20 01:10:19
継体の頃は、天皇になれるかどうか母方の勢力の大きさに左右された。
なにせ父方の勢力が存在しないんだから。
オキナガは弱小勢力だったが、神功皇后の活躍で一時の隆盛を得た。
その記憶が残っていたから、継承者が途絶えそうになったときに継体が
即位できた。まあ、そんなところではないか。
継体以降は「王」を名乗れるのは天皇の5世孫までというルールができた。


357:日本@名無史さん
07/04/20 03:01:00
息長氏は近江国坂田郡南部を本拠とする古代豪族。応神天皇の皇子稚渟毛二俣の子
意富富杼王を祖とする。姓は公(君)。敏達の后に広姫を入れ中央に進出。広姫が
天智・天武天皇の祖父押坂彦人大兄皇子を生んだことにより、684(天武13)に真人姓を
賜るなど、天皇家の外戚として重視された。

同じく稚渟毛の子孫とされる三国氏・坂田氏などは、その実それ以前より存在した
三国氏・坂田氏の後をついだものであり、息長氏もこれ以前より存在していたことは、
息長水依姫や神功、その弟息長彦王、彼等の父息長宿祢王、息長田別王などの存在から
明らか。稚渟毛の母が息長田別の孫であり、その関係から息長氏を嗣ぐこととなったのだろう。

息長水依姫の夫彦坐の子孫が息長宿祢王であり、この氏族は古くから皇室とのつながりが
深い。と同時に、坂田郡は渡来系の多いところでもあり、また宿祢王の姻族はアメノヒボコで
もあり、渡来系ともつながりが深い。自身が渡来系との説もある所以である。

358:日本@名無史さん
07/04/20 08:27:46
滋賀の鴨稲荷山古墳は九州色の強い古墳だとか、今城塚古墳の石棺も九州の石を使ってるとか、
継体天皇は九州とのつながりが強いみたいだね。

359:日本@名無史さん
07/04/20 08:42:56
>>354

昔、NHKで見たけど、
天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。

愛知県一宮の真清田神社の祭神・天火明命(ニギハヤヒ)は、天照大神と同一神という説がある。
事実、真清田神社でお札をもらうと、天火明命では無く天照大神と書かれてある。

総合して考えると、神武東征神話が事実ならば、
近畿の天照大神王権に、九州から来た神武が割り込んだことになる。
神武は、近畿勢力と同化するために、天照大神を祀ったというわけ。



360:日本@名無史さん
07/04/20 08:56:48
継体天皇もまた、東海勢力と無関係ではない。

継体天皇の妃は尾張の目子媛で、
この女人は日本書紀には尾張連草香の娘とされている。
尾張には継体の皇子である安閑・宣化両天皇の陵と目される古墳もある。

あまり知られていないが、
天皇家は、東海勢力との絆がけっこう深いのだ。

361:日本@名無史さん
07/04/20 09:02:44
6世紀前半ごろ、愛知県熱田区に造られた断夫山古墳は、
尾張最大の古墳として知られています。

全国的に古墳が小さくなっていく時期、尾張で最大の古墳が造られた理由として、
尾張氏の娘・目子媛(めのこひめ)が継体妃となり、
後に大王位を継ぐ「安閑(あんかん)・宣化(せんか)」の外せきになったことが考えられます。
つまり、断夫山古墳は尾張氏にかかわる墓である可能性が高く、
断夫山古墳と形が似た二子山古墳についても、
尾張氏の一族、特に目子媛の墓ではないかとする仮説が出されています。

継体天皇の頃、尾張は隆盛しているわけです。

362:日本@名無史さん
07/04/20 09:10:13
尾張最大じゃなくて東海地方最大。
同時期の築造に限れば、畿内以外で最大。

363:日本@名無史さん
07/04/20 09:19:49
継体天皇は史実で、九州とは関係ないことがはっきりしたね。

364:日本@名無史さん
07/04/20 18:58:45
なんかさ、憶測で歴史を語りすぎるきらいがある。
もう、あほかと。
ここは邪馬台国の時代云々を語るスレだし、
継体天皇のことも憶測をさも定説のように語る阿呆の多いこと。
戦後のマルクス主義史観・唯一史観の弊害だわな。

365:日本@名無史さん
07/04/20 19:02:14
>>354
おまえら、ちゃんと記紀を読んだか?原文で。
ここにいる奴は、記紀をちゃんと原文で読んでいない奴が多すぎる。
図書館で原文をかりるなり、ネットで原文を探すなり
本屋で一万円くらい出して買い揃えるぐらいしてから
歴史を語れや。

366:日本@名無史さん
07/04/20 19:11:41
>>329
応神天皇の出生に関しても諸説がある。
最近、言われているように、二倍年暦で計算したら
別に生物的に不思議なことはない。
ただ、日本書紀の編纂者は、神功皇后の活躍時期を無理に卑弥呼に合わせたように
上古代の日本が二倍年暦だったことを気がついていないような気がする。
そんな関係から、彼らは応神天皇の出生を疑ったのかもね。
仮に二倍年暦が事実なら、神功皇后は15歳で応神天皇を生んだ幼妻だったことになる。


367:日本@名無史さん
07/04/20 19:14:17
>>359 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 08:42:56
>>354
>昔、NHKで見たけど、
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
>壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。

自分は昔はその説を信じたけど、最近は疑っているね。
やはり、天照大神はずっと前に作り出されたんだと思う。
少なくとも、崇神天皇の前後(卑弥呼の前後)には。


368:日本@名無史さん
07/04/20 19:32:53
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。

前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤~6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。

日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。


653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)

韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。

認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。

369:日本@名無史さん
07/04/20 20:13:57
ここにも原文タンがいた!
原文無理ぽ!勘弁

370:日本@名無史さん
07/04/20 22:38:40
1000 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 22:36:18
みんな、熱くなっているなww

自分はここ最近、いろいろ考古学の講演とか
見に行くようになったんだけど、

全体的な印象として、あと数年たてば、おそらく
邪馬台国畿内で決着するような雰囲気みたいです。
というのは、学会のほうでは、もう100%近くが畿内で
中国人で邪馬台国を研究している学者も殆ど畿内に傾いていて
そういう雰囲気らしいです。これは日本全国的に見てもそう見たいです。

たまにテレビで九州説を主張している学者さんも居ますが
テレビでは、畿内と九州で対に出ますが、
実際は、ほとんど異端扱いになりつつあり、孤軍奮闘という感じらしいです。

371:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/20 22:49:34
ドン来い17 レス1000番さんへ
変なまとめ方しないでよ。その時代の風潮で歴史が決まるわけじゃないんだから。
根本的な問題が解決しない限りアバウトに畿内説で決まりだなどと言われても
疑問だらけ、不審だらけの歴史を日本の未来を担う子供達に教えても
きっとその中から歴史の真実を明らかにする人が出てくるに違いない。
いい加減なまま断じて幕引きをさせてはならない。
九州説はもっとがんばろう。言い続けよう。でないといいように誤魔化されてしまう。

372:日本@名無史さん
07/04/20 22:53:29
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。

応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。

もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。

神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。

ここまではOKだよね?

373:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/20 23:07:34
>>370
いやいや、そうなったとしても、いずれ臥海のドン連中はこの世から
消える。そうなるとその下の学輩は九州説を黙っていたところ、出世の
妨害をされるおそれが薄くなるから、のびのびと真の主張ができて、畿内説は葬り去られる。

だいたい畿内近隣に女王国があるんなら、記紀はその記述を遠い遠い大陸の倭人伝以上に詳細に書くことができ、とうの昔に論争はないはずだ。それに卑弥呼のことが書いてあるわけだからねぇ・・・ つまり、女王国は九州にあったことは動かないのだ。

374:日本@名無史さん
07/04/20 23:13:25
>>372
応神と神功は九州と無関係ではない。

375:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/20 23:18:59
>>373 フムフム。

376:日本@名無史さん
07/04/20 23:30:19
>>374

九州を征圧したというだけで、
応神と神功は九州とは親戚関係は無い。

377:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/20 23:33:06
遠い遠い大陸の魏志倭人伝に女王国の記述が多大に書かれている。

近い近い日本の古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない。

女王国は日本にあるんだから、本来はこれが逆でなくてはならないのに
皮肉にも反対になっているのである。

これは何を物語っているのか? 
全国の皆さん、よく深考されたい。

つまりだ、女王国は畿内に無かったからだ。九州にあったからだよ。

378:日本@名無史さん
07/04/20 23:47:47
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。

応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。

もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。

神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。

ここまではOKだよね?

379:日本@名無史さん
07/04/21 00:17:59
>>377
>これは何を物語っているのか? 
>全国の皆さん、よく深考されたい。

女王国のころの日本列島では、中国みたいに文字でものごとをきちんと記録する習慣はなかった。
日本列島ではどこでもそうだった。九州でも畿内でも。
それで何百年か時が経つと、女王国のことはだいぶん忘れ去られてしまい、
断片的なエピソードはともかく、きちんと正確に事跡を伝えることができる人はすっかりいなくなってしまっていた。
しかし「史書をまとめよ」と命じられたので、なんとかかんとか、やっとこさの思いで記紀がが編纂された。
それゆえ

>古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない

のは、決しておかしなことではないのである。

380:日本@名無史さん
07/04/21 00:24:11
>>367
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説

違うね。ローカルなら普通に出てくるわけだし、元伊勢祭りなんかないはず。
ローカルじゃないのを広めようとしたんでしょ。



381:日本@名無史さん
07/04/21 00:36:03
それより、>>372・・・・ただ単に勉強不足なのかしらないけど
結局、嘘を書いたら駄目だよ。それを前提にして説をつくるとすべてが嘘になる。

応神と神功は怖いほど九州に関係してるよ。まず神功は生まれが不詳。
経歴を考えたら初めから九州出身の可能性もある。

それから応神。欽明天皇の枕もとに出たんだっけ?w 宇佐と非常に関わりが深い。
なんでわざわざ宇佐なの?そばに何でも建てたり伊勢にでも加えりゃいいものを。

神功と応神。この2人は当然八幡で本元宇佐とつながってるし。
しかも畿内の朝廷は何もかも宇佐の神託に右往左往。東大寺もな。

あと、神輿の発祥も宇佐だということを忘れずに。というか知らないんだろうが・・

382:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:37:30
僕が一番おかしいと思うのは南方向を西に読み替える事もさながら
倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
確か畿内説はこのように捉えるのだとか。
これじゃあ幼稚園だって「最後までもっと詳しく書きましょうね」と先生からお小言を頂戴する。
もしも大人でこんな文章を書く人がいたら、何らかの精神疾患を疑ってしまう。

383:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:41:51
>>382間違いの訂正です。

南方向を西に読み替える  でなく 南方向を東に読み替える
でした。

384:日本@名無史さん
07/04/21 00:46:27
>>381
宇佐の社伝を読むとさ、神功は生まれた場所不詳としながらも
すぐ後でさ、祖母山の大神の新婚神話とか現在の宮崎の都農とか
出してるんだよね。ここには口伝集も残っているというし、
なんか仄めかしたいのかなと思うんだね。

385:日本@名無史さん
07/04/21 00:50:48
>神功は生まれが不詳。

父は息長宿祢王、母は葛城高額姫ですが、何か?

386:日本@名無史さん
07/04/21 00:55:53
>>382
>倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
>30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。

さぱーり意味不明。

「30カ国名だけをを並べ始め」、・・・なんだそりゃ?

「水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃう」、・・・誰がだよ?

387:日本@名無史さん
07/04/21 00:59:34
「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。修行なの。

いっしょうけんめい修行して身を清めないと邪馬台国に
入れてもらえないの。

388:日本@名無史さん
07/04/21 01:04:07
九州の東海岸は入組んだうえ島だらけで、水行には相当時間が費やされた
とみるが当然。

389:日本@名無史さん
07/04/21 01:07:25
少なくとも朝廷を初めとする皇族には それなりに家伝とか社伝とか
何でもあるだろ。九州と関わりがなければ
日本中に宇佐八幡を4万も広めたり、神輿や信託出させたりはさせないはず。


390:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 01:12:05
>>386
へえー畿内説でもこの部分に異説があるんだ。
知らなかったー。で、どのように捉えるわけ?

391:日本@名無史さん
07/04/21 01:30:32
>>378
>応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
>神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
>ここまではOKだよね?

OKではない。
つぎの3天皇は、九州から妃を迎えていると思われる。いずれも南九州の豪族の娘のようだ。

【景行天皇】
妃:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)
妃:襲武媛(そのたけひめ)
妃:御刀媛(日向美波迦斯毘売)(ひむかのみはかしびめ)

【応神天皇】
妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)

【仁徳天皇】
妃:日向髪長媛(ひむかのかみながひめ。諸県君牛諸井の女)

392:日本@名無史さん
07/04/21 01:52:27
>>381
宇佐の信託と関係があるのは
初代の神武からそう。

393:日本@名無史さん
07/04/21 02:56:14
>>380

九州には元伊勢が無いことは、認めるわけだな?

394:日本@名無史さん
07/04/21 02:58:57
>>391

九州から妃を迎えたとしても、その子が次の天皇になれたわけじゃない。


395:日本@名無史さん
07/04/21 03:03:58
■■ 江原啓之に解明させたい歴史ミステリー ■■
スレリンク(history板)

396:日本@名無史さん
07/04/21 03:27:56
>>393
元々来たところにはいらない。オリジナルの土地にわざわざ畿内から立てるか?
しかし天皇の勅令で宇佐の代々の古社が順々に建てられているね。

しかし、何、>>393>>394, ここで無理やり天皇の神代記を
断ち切ろうとしているわけ?つまり祟神は出生をごまかしたという説に
でもしたいのかな。。。

しかし天皇は史書を読んで自分の出生を知ったわけではないのを
頭に入れたほうがいいよWW 誰が編纂を監修したのか脳みそ使おう。

397:日本@名無史さん
07/04/21 03:44:32
神武=祟神?
あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
まだ王ではなかったとか?

考古学上だと、畿内からは王冠や三種の神器が出てくる時期が
他より遅いってあったね。別スレか考古学板で読んだけど。

398:日本@名無史さん
07/04/21 04:40:11
>>393
伊野天照皇大神宮があるから
元伊勢はいらなかったのでは


399:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 06:30:29
>>386>>387
>>386はお答えが無いようですが?
おたくより「「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。」の人のほうがよほど信憑性があるような気が。
せいぜい修験道にでもはげんでちょうだいね。
おたくじゃないの、この前「水行はすいこうじゃないの。みずぎょうざなの。って言ってた人は。

400:日本@名無史さん
07/04/21 07:39:16
>>382

次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、
次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、
次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、

国名だけを並べているのはこの21国だね。どう数えても「30カ国」じゃないよね。
「水行十日陸行一月」はもちろん邪馬台国に至る日数の記述で、これら傍国21国よりも前のところに書いてあるね。
邪馬台国については「水行十日陸行一月」の行程とともに官名や戸数も丁寧に書いてあるよね。

だから>>386氏の疑問は当然だと思うよ。
>>382が何を主張しようとしているのか、ぼくも全く分からないね。
まさかと思うけど、肝心カナメの魏志倭人伝さえ読んでない・・・・・ことだって、あるのかもね。

401:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 07:52:51
>>379
記録する習慣はあったよ。紀はその原書群をもとにして書かれているんだから。
それに、数歩ゆずって記録の習慣がないとしても、稗田阿礼の記のように、彼の
脳内の記憶から記が書かれたんだから、卑弥呼の君臨と女王国の位置、習俗、
交易のおおざっぱでも知ってるはずで、この位なら忘れるはずはない。

記をあのくらい語れるんだから、かようなおおざっぱは、畿内のわきにあって
女王がいて天皇と交流したとかの彼の記憶からの記事が必ず残る。
それが無く、遥か遠い異国の倭人伝に記載があり、近国の情報を採り易い記紀
に0に近い記録内容を考えれば、畿内に女王国がなかったことは、全国の
皆さん、自明に近いことだ。

402:日本@名無史さん
07/04/21 08:43:50
巻向って本当に邪馬台国の卑弥呼の時代と同時期だったのか?年代が実はまるきり違うのでは。
ここが非常にひっかかる。
なぜならいきなりそんなものが現れた。

つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
邪馬台国の東遷だとしたらバッチリ合う or 神武の東征(実は神武=祟神、欠代は九州に居た)

なんせ天皇家が自分から祖は九州からやってきたと言いふらかしまわっている。
巻向を建てた集団の長〓天皇家は、天皇らが自ら編纂しまくる通り筑紫・日向(昔の九州の呼び名)
からやってきたのは史実≒事実。

そして巨大古墳の建設開始に秦氏が加わった。伊勢のユダヤと間違われる
奇妙な記号や魚も秦氏の影響でしょう、やはり。秦氏といえば宇佐。なので、
宇佐+吉備 ⇒ 畿内
そしてもし宇佐や吉備が邪馬台国と関連するなら、邪馬台国の東遷がはこの時期だ。


などと風呂にゆったり20分ほど浸りながら至った軽い一説。リオハのワインはいつも旨い。
あと20分長く浸かっておけば年号の不一致も論破できたと思う。

403:日本@名無史さん
07/04/21 09:31:59
>>402

>つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。

それは正解だよ。
でも、九州から東遷してきたとしか想像できないようだね。

君の頭の中には、「3世紀の倭国=邪馬台国=九州」という図式しかないのは理解できる。
君が無知で、3世紀の日本列島全体の様相について何も知らないし、
何も知ろうとしないのが原因だからな。

もし、少しでも「3世紀の日本列島全体の様相」について知ろうとしていたなら、
奈良盆地にきた大集団が、九州からきたと考えるよりも、
吉備や紀伊や丹波や東海から来たと考えたほうが、
考古学上の物証からも明らかだと理解できるだろう。
まあ、理解できなくても責めないよ。
最初は、誰でも知らないことはある。知らないことは恥じゃない。
知ろうとしないことが問題なだけでな。


404:日本@名無史さん
07/04/21 09:42:40
九州ですが ◆IhXqm1bg5c にも、ちょっと問いただしておくか。

君は、当然、邪馬台国は九州にあったと考えるわけだね?
それならそれでいいよ。
じゃ、それを前提としてもいいから、ひとつ君の考えを聞かせてくれ。

過去レス・スレにもあるとおり、
弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
それとも遺跡の年代が捏造なのか?
どう思うね?

405:SOY
07/04/21 10:13:19
>>404
>弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
>この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
>これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
>または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?

私も少しだけ横レスいたします。

邪馬台国=北九州とするなら、山陰と邪馬台国は無関係ではないと私は考えます。
山陰が中国と交易するにしても、北九州や朝鮮半島を経由せずには交易できませんから。

北九州から品物を入手するだけでなく、北九州を通過させてもらうことも
あったと思います。これらについては朝鮮半島から山陰の土器がどの程度
出土するか等によって判断するしかないかと思われます。

私個人の意見としては、必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
全て担っていたとする必要はないと考えます。
 

406:日本@名無史さん
07/04/21 10:36:36
>必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
>全て担っていたとする必要はないと考えます。

その通り出雲が頭から抜けてるねw 

407:日本@名無史さん
07/04/21 10:50:18
>>403
すっげー狭い奈良盆地並の思考回路W

読めばわかるとおり、想像ではなく
天皇家が自称九州から東征してきたといっていることと、巨大古墳群が現れることに
吉備・宇佐の秦氏の関係が切り離せないことから筋道建てて説いているわけだが。

紀伊や丹波や東海、つまり畿内と東海、もともと近いところから(当然掘ってでるのも関連してるなw)
なぜか奈良盆地に集まってきて、そこの天皇が九州から来たと言い始める理由は?
そりゃ、近いところだと考古学で出るのも関連するのはアフォでもわかる。

巨大古墳群ができはじめることを吉備の秦氏と繋げると、一番関わりの深い宇佐が出てくるのは
当然で。想像でも思い込みでもなく理論的。

史書完全無視で、考古学だけしか話せないならさ、考古学スレにどーぞーw
最近 覗いたときは畿内説破壊されまくってたみたいだけどなぁw

しかも

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408:日本@名無史さん
07/04/21 11:04:22
>>407

>天皇が九州から来たと言い始める理由は?

神武は、1世紀の人物だろ。



409:日本@名無史さん
07/04/21 11:52:31
若狭湾には、ツヌガアラヒト(天日槍)が渡来している。
但馬を開拓した、タジマモリという人もいる。
この人たちは神功皇后に繋がる。
応神は、高志前の角鹿の伊奢沙和気大神と名前を換えたという不思議な記述もある。

神功皇后と応神のゆかりは、九州よりも山陰の方が濃いのである。

410:日本@名無史さん
07/04/21 13:45:05
「神武東征」って言っても実質的に戦争っぽいのは「白肩津」以降。
要は、大和と河内の地域戦争ですね。
瀬戸内と東海の間にあって交通の要所である大和を河内が東海と連合して
奪ったってだけのこと、と言うストーリー。
これなら3世紀の話しとして成立し得る。
後は河内勢力自体の遠祖が弥生文化の伝来とともに九州の方からやってきた、
と言う伝承を組み合わせれば「神武東征」譚の出来上がり。
事実かどうかは知らんが。

411:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:11:37
>>400こちらもそっちがどこに疑問を感じているのかよく解らない。
じゃおたくは「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、」などに細かい記述が無いのはどうしてだと思うわけ?
また水行十日陸行一月はどう捉えてるわけ?


412:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:29:18
>>404僕としては
「奈具岡の鉄器生産は、同じくこの遺跡で盛んに行われていた水晶玉製作に使う鉄錐などを作るためのものであった」というのが正直な意見で
同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。

413:日本@名無史さん
07/04/21 16:34:37
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古瀬絵理 スイカップ アンオフィシャルホームページ
URLリンク(suikup.free.fr)

414:日本@名無史さん
07/04/21 17:12:29
>>397 :日本@名無史さん :2007/04/21(土) 03:44:32
>神武=祟神?
>あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
>まだ王ではなかったとか?

神武と崇神が同じわけはない。
代数から言ったら、神武というのは、崇神よりも
150年ほど前の人だろうと言われている。

神社伝承なんかには、神武のことは九州の日向や宇佐にも残っているが
そこからバタリト天皇の伝承が消え、次に出てくるのが、熊本のあたりで
孝霊天皇(卑弥呼の親父という説がある)の代まで出てこない。

よって、その間は畿内王権はローカル王権になっていたとしか思えない。

また、神武東征についてだが、あの記述が正しければ
神武は河内にたどり着くまで全く戦闘をしていない。
それまでは平和そのものの巡幸なわけで。
また、その河内での戦争は負けているんだよ、神武は。
その後、熊野から入って、畿内の事代主神の婿養子に入っている。
ちなみに、神武と事代主神は数代前で繋がっている遠い親戚。

415:日本@名無史さん
07/04/21 18:23:20
>>412

>同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。

北部九州で、どれくらいの鉄器を武器にしてたかも知らないバカ。
というか、鉄器は武器にしか利用されないものと思ってるバカ。

>邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。

根拠も無く、「思う」だけ。

416:日本@名無史さん
07/04/21 19:03:05
>>412
丹後の奈具岡遺跡は弥生中期の遺跡ではなかったでしょうか。
しかしあなたは、「邪馬台国時代より多少時代が下るのでは」とお書きで、
そうしますと奈具岡遺跡は後期後半ないしは古墳時代に入った遺跡となってしまいますが、
そのようなソースがありましたでしょうか。あればぜひお示しください。

417:日本@名無史さん
07/04/21 20:27:32
>>410
> 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。

そうやね。
出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。

争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
集権化が進み始めた兆候だと思えるね。

418:日本@名無史さん
07/04/21 20:37:56
大国主って、国を譲るんだから、なかなかの人物だな

419:愛知県民
07/04/21 20:46:44
記紀を読む限り、大和朝廷の九州支配は遅いです。
景行紀に南九州(熊県(くまのあがた)が出て来る)、仲哀・神功紀に北九州を支配し、
伊都国・奴国・末盧国に当たる県と並んで「山門県(やまとのあがた)」が出て来ます。
九州説で邪馬台国=山門県、狗奴国=熊県とすれば簡単なのでしょうが、
邪馬台国は遠絶ということなので、やはり畿内にあったと思います。
そうすると難升米=長髄彦説になります。
神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
帥升=須佐之男か? 九州出身氏が言ってましたね。

420:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 20:54:41
>>415>>416
まいったなー。この問題はつい先日お題にのぼってだいぶ喧々諤々やり合ったんだけど。
又蒸し返すにはちょっと期間が短すぎるんじゃない?>>415バカとか言う前に
ちょっと前スレくらい読んでよって感じ。あんまり短い期間で同じことやるとうんざりする。
>>416の言うようにソースからいちいち示さないといけないしねえ。
このスレか姉妹スレのドン来いスレそしてその一つ前のスレくらい読んで調べてもらえない?
そして疑問があったらそこで初めて聞いてきてちょうだいな。

421:日本@名無史さん
07/04/21 20:56:19
>>414

神武・崇神がローカル?

神武の都、磐余と言うところは瀬戸内から遡上してきた大和川の最上流部。
宇陀、伊賀を通じて伊勢と繋がる要衝の地。
鎖国政策でこじんまりと過ごせるような立場じゃないですよ。



422:日本@名無史さん
07/04/21 21:05:11
>>419

> 神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
> 倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。

160人は多いように見えるが、大した輸出産品が無ければ奴隷貿易しかないですよ。
鉄塊1㎏が人1人ぐらいの交換レートだったのかもしれません。


423:日本@名無史さん
07/04/21 21:09:00
>>417
> >>410
> > 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
> そうやね。
> 出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
> 友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。

これは間違いの事実。

> 争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
> 弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
> 北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
> 集権化が進み始めた兆候だと思えるね。

これは一概に言い切れないこと。
地域統合の進んだ地域が後進地域に攻め込んで輸出商品の「生口」を
獲得していたのかもしれない。

424:日本@名無史さん
07/04/21 21:18:52
素朴な疑問なのですが、邪馬台国畿内説の皆さんは、
「高千穂への天孫降臨、そしてその子孫である神武天皇が日向より東遷したという記紀の記載」
をどのように説明されるのでしょうか?

425:日本@名無史さん
07/04/21 21:23:24
>>424
邪馬台国畿内説の人でも色々いるが
彼らの大部分は、神武東征の出来事は
たとえ事実だったとしても、それは
3世紀中ごろの卑弥呼の時代よりもずっと前の出来事だろう?
と考えているわけです。

426:日本@名無史さん
07/04/21 21:28:17
ずっと前って2世紀より前ですか?

427:日本@名無史さん
07/04/21 21:31:14
>>425
なるほど。
魏志倭人伝では、「卑弥呼のあとトヨが起つ。」とありますよね。
私はこのトヨは、記紀にでてくる宇佐の豊玉姫だと思っているのですが、
畿内説の人たちはそれについてはいかがでしょうか?

428:日本@名無史さん
07/04/21 21:33:10
卑弥呼を誰に比定するかでちがってくるよ

429:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:33:45
神武天皇即位 紀元元年

崇神天皇即位 紀元237年

430:日本@名無史さん
07/04/21 21:37:17
>>426
いや、だから、邪馬台国畿内説の中でも人によって意見が違うから...
たとえば、あの3世紀中ごろの出来事を
日本書紀や古事記に記載されている いつぐらいの出来事なのか
解釈によって、当然、神武の東征の時期の解釈も異なってくるし。

で、今一番有力なのは、魏志に出てくる西暦247年の出来事を
日本書紀の崇神天皇10年の出来事と同一視する見方。

それによって、その前の天皇の年代も計算していく。
一般的に日本書紀は、神武の即位年を革命年の辛酉年に合わせようとした
ことが分かっているので、古事記の天皇の寿命や
上古代の二倍年暦も考慮して計算して考えないといけない。

ちなみに、おれが考えたのでは
神武が生まれたのは西暦50年代で
神武東征は西暦70年代~80年代くらいで
神武が死去したのは西暦120年前後。

431:日本@名無史さん
07/04/21 21:45:05
2世紀より前なんだね。
あり

432:日本@名無史さん
07/04/21 21:46:59
狗奴国との戦い~卑弥呼の急死
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

日本書紀 巻五第三話 武埴安彦の反乱
URLリンク(www.loops.jp)

日本書紀巻第五 の崇神天皇10年に注目
URLリンク(www.j-texts.com)



433:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:47:13
紀の崇神天皇十年=皇紀573年=紀元240年=正始元年

434:日本@名無史さん
07/04/21 22:04:36
>>423

中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
海賊>狗奴國>後世の河野水軍

435:日本@名無史さん
07/04/21 22:24:49
>>434

いずれにしても、「海賊対策」と言うのは広域な安全保障体制を構築する動機の
一つだね。
こういった安全保障体制は弥生中期には九州・韓半島間にしか存在しなかったが、
物流網が拡大するにしたがって瀬戸内にも成立してゆく。
それが畿内説的には邪馬台国体制と言うものそのものだ。

436:日本@名無史さん
07/04/21 22:29:31
>>434
>中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
>海賊>狗奴國>後世の河野水軍

いい加減なことを言うな。

武家家伝_河野氏
URLリンク(www2.harimaya.com)

437:日本@名無史さん
07/04/21 22:30:24
>>434

神武は、その海賊の中の一集団だったろうね。

438:日本@名無史さん
07/04/21 22:43:15
>>436

何が言いたいんだね。

>>436提示のサイトの冒頭部

>河野氏は、ニギハヤヒ命の後裔越智氏から出ている。
>すなわち、文武天皇の時代に越智玉興が伊予大領となり、
>その弟玉澄が伊予国温泉郡(風早郡?)河野郷に住んで河野氏の祖になったという。
>『その真偽は詳らかではない』が、かなり古くから河野郷に根差した土着の氏族であったことは間違いない。


439:愛知県民
07/04/21 22:45:01
>>424
私はとんでも畿内説ですが、神武天皇が狗奴国の卑弥弓呼だったと思います。

>>427
台与は登美夜毘売(那賀須泥毘古の妹)と言ってきましたが、
壱与=伊須気余理比売のほうが良さそう。

440:日本@名無史さん
07/04/21 22:47:25
>>437

海賊行為も交易も紙一重の世界だったでしょうからそういう考えもあるでしょうけど、
「神武」は特定個人ではない、始祖集団の何人かの首長の功績をまとめた伝承だろう。

441:日本@名無史さん
07/04/21 22:55:22
>>435

そうそう。
「海賊に煩わされて、隣村との物品のやりとりが滞ることに困って、
ムラ同士が団結してなんとかしようや。」
ということで、まだ荒らされてない奈良盆地に指令本部を置いたのが、
ようするに大和連合のはじまり。

九州説の人は何を勘違いしてるのか、
「国を拡大すること=鉄器の武器で侵略すること」しか頭に無いから、
全然、話が噛み合わない。
まあ、九州勢力が鉄器の武器で隣村を蹂躙していたことはあったろうが、
そうした荒くれ集団に、団結して対抗したのが大和連合。


442:日本@名無史さん
07/04/21 23:03:22
>>441

いや、俺は瀬戸内と東海の間に有って「通せんぼ」状態だった大和を
周りの勢力が占領したのが畿内連合の始まりだと思う。

443:日本@名無史さん
07/04/21 23:04:56
大和連合から国を譲ってもらったのが、邪馬台国ですか?

444:日本@名無史さん
07/04/21 23:06:11
>>442



大和盆地に、「通せんぼ」をしていた勢力があったというわけ?
ニギハヤヒとか?

445:日本@名無史さん
07/04/21 23:09:57
>>442

たとえば、東海勢力なら、紀伊半島の南を舟で行けば、
河内に着けるわけだから、奈良盆地が、「通せんぼ」にはならないのでは?

それとも、東海から陸路で奈良盆地を通過して河内に行こうとしたということ?

446:日本@名無史さん
07/04/21 23:13:52
ヒント 新幹線

447:日本@名無史さん
07/04/21 23:14:09
>>445

東海は、関が原を抜けて近江へ行けば、大阪湾や若狭湾に行くルートがある。
大阪湾に行くには、奈良を抜ける必要がある。

伊勢から伊勢街道を通って奈良に抜けるルートもあったと思う。


448:日本@名無史さん
07/04/21 23:16:03
紀伊半島の南側は、海が荒くて舟が寄れる津も少ないから、危険だったのでは?

神武も熊野に迂回するのに苦労してたようだし。

449:日本@名無史さん
07/04/21 23:20:25
>>446

なるほど、関が原ルートですね。
古代では、海が内陸に迫ってたから、
今の美濃あたりから河内に行くには、関が原を通ったほうが早そうですね。

河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。




450:日本@名無史さん
07/04/21 23:21:00
凄く大変だったってさ

451:日本@名無史さん
07/04/21 23:26:33
丹波・越・東海・近江の勢力にとっては、
瀬戸内海に抜けるためには、奈良盆地はおいしい土地だったでしょう。

奈良盆地を早くからねらってたのは、丹波・越・東海・近江の勢力だとすると、
吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
近畿と手を組みたいと思ってたのかな?
一応、鉄器は吉備まで流れていたようですが。


452:SOY
07/04/21 23:29:51
>>446
>ヒント 新幹線

>>449
>なるほど、関が原ルートですね。

>河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。

新幹線は奈良盆地を走っていないのでは?
ある意味、奈良は素通り… 鉄器が少ないのもこのあたりと関係があるのでは?

寝る前にちょっと発言してみました。
 

453:日本@名無史さん
07/04/21 23:30:07
吉備は、鬼退治に夢中でした

454:日本@名無史さん
07/04/21 23:32:53
soyおやすみ

455:愛知県民
07/04/21 23:33:57
>>422
しかし、百六十人の生口を連れて行くためには千人ぐらいで行かないと
無理なのでは?
途中で逃げたり亡くなったりした生口も多かったかもしれない。
やはり大変な数と思いますが。
迎える漢王朝も警戒したでしょうね。

456:日本@名無史さん
07/04/21 23:36:26
>>451

>吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?

播磨・河内・阿波・讃岐と東瀬戸内連合を形成していたんじゃないのか?
大和を手に入れれば東海・関東と直接交易ができる。


457:日本@名無史さん
07/04/21 23:37:11
さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。

鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?





458:日本@名無史さん
07/04/21 23:39:28
>>455

一度で海峡を横断するのは無理でしょうね。
とにかく楽浪までは自力で連れていかないとねえ。

459:日本@名無史さん
07/04/21 23:41:13
>>457

うん。実際に、奈良から鉄は多く出土してないのだから、
鉄を交易して備蓄していたとは考えられないし、考える必要も無いよ。

当時は鉄と同じくらい貴重なものもあったはず。
例えば「塩」だよね。


460:日本@名無史さん
07/04/21 23:42:46
>>457
> さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
> 鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
> そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。

「日本海ルート」勢のライバル、「瀬戸内海ルート」側から見れば大和の掌握は重要じゃないの?

> 鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?

「ハブ」であることは間違いないね。

461:日本@名無史さん
07/04/21 23:52:23
URLリンク(www.jti.co.jp)

この図にあるように、弥生時代末期で、塩を生産していたのは、瀬戸内海の一帯。
日本海ルートも側も、瀬戸内海の塩を欲しかったろう。
九州も瀬戸内海の塩を欲しかったはず。
吉備辺りは、塩の交易の利権を掌握していたかもしれない。
それならば、奈良を市場として開拓する意味がある。

462:日本@名無史さん
07/04/21 23:54:57
蝦夷をつかまえて、「奴隷市場」として栄えていたこともありうる。

463:日本@名無史さん
07/04/22 04:07:44
神功が熊襲を退治するとき 大和軍に宇佐の神軍も一緒だったこと忘れんな。
つまり神功は九州制圧などではなく、北部九州の対熊襲を支援しに
来たんだね。だから隼人の魂を祭る神社が宇佐にある。

このことからも北・中部九州と畿内は戦争などしていないうえに
制圧されてもいない。

じゃ、どうやって畿内と九州が繋がったんだろうな。記紀の神武東征で
すでに指摘されているとおり、安芸や吉備は征圧などしていない。
つまり宇佐の圏内から吉備まで戦う必要などなかったんだろう。

ところが畿内で戦わないといけない。ここからもわかるとおり、吉備と畿内の
境が対立圏じゃなかったのかな。どちらにせよ東征という漢字は内容に合わないと
おもうがね。            


464:日本@名無史さん
07/04/22 05:48:28
「東征」という漢字があまりにも大げさだったから
後世の歴史家が混乱してしまったんじゃないのか?

フランスが翻訳を素直に読んだら
「九州生まれの神武が、畿内の王家の娘と結婚して
後を継承しました」と素直に解釈しているのにはワロタ。

こういう素直な解釈って、日本人はしないよなw

465:日本@名無史さん
07/04/22 06:06:14
>>463

>ところが畿内で戦わないといけない。
>ここからもわかるとおり、
>吉備と畿内の 境が対立圏じゃなかったのかな

吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先でしょう。

ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し、
大瀬戸内連合が形成された。
これに北部九州玄海グループが加わった姿が、
初期のヤマト政権だね。

大和が中心になってしまったのは、渡来系の影響力だと思う。
大連合が成立して安定したため、
韓からの渡来者も増えたと思うが、
こういった集団は比較的後進な畿内内陸部に定住したものが多く、
逆に他の地域を文化的に凌駕してしまったとかね。

466:日本@名無史さん
07/04/22 06:26:23
>>465
馬鹿説発見。
渡来系が主役なら、外国に近い九州のほうが
主役になるだろうがw

もう、こんな阿呆説ばっかw 九州説はw

467:日本@名無史さん
07/04/22 06:38:17
>>464

「東征」自体が後世の歴史家のネーミング。


468:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:04
>>467
マジで、原文読まなきゃいかんの典型だな。
というのは、明治以降、原文読まずに
各々の解釈文が出回ったのが大きな要因だな。

469:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:56
>>466

日本語が読めないのね。

470:日本@名無史さん
07/04/22 08:33:25
>>468

原文の「東征」が成立したのは8世紀だろ。

ヤマトコトバで、「東征」を意味する言葉など無い。

471:愛知県民
07/04/22 10:37:40
>>439に基づいて自説修正。
邇芸速日命=天火明命は卑弥呼(天道日女命か?)の男弟で、伊声耆掖邪狗とは別人。
伊声耆掖邪狗は伊須気余理比売(壱与)と関係がありそうに思えますが、
彼が張政の帰還を送るところで魏志倭人伝が終わっているのも謎。

神武東征は「東遷」の方がよいのでは?
東征というとアレクサンダーみたいですが、ムハンマドの「聖遷」に近いと思う。


472:日本@名無史さん
07/04/22 11:08:05
>>470

原文【三月,辛酉朔丁卯,下令曰:「自我東征於茲六年矣・・・】

橿原建都の「勅語」であるが、文意としては「東を征して」程度のもの。
「生駒山の西からやって来て大和を平定した」ともとれる。
ノンビリ過ごした日向から難波までの時代を含めた言葉ではないと思う。

473:日本@名無史さん
07/04/22 11:55:37
>>465
ひどすぎる。
よくこんな出鱈目書けるな。どんな脳内してるんだw

>吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先
>ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し

地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。

しかも>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う
日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
思えるのか妄想以外で説明してみろ。

奈良に塩を集めたからなどと言い出すんじゃねーwwwwwwww

474:日本@名無史さん
07/04/22 12:18:18
神武は劉備みたいなもんだろ。
九州地方の王族に連なる血筋という家伝を持つ一族。
倭国大乱で王統が変わり神武の一族は中国地方の勢力を頼って東へ。
しかし盥回しにされどんどん東へ。
現状打破を目指して畿内へなだれ込むもリーダー戦死。
弟の神武が後をついでそのさらに東の勢力と結んで回り込んで侵入。
騙まし討ちなどして奈良周辺を占領する。
しかし、神武後は家系を地元勢力に乗っ取られる。鎌倉政権における源氏の如し。
ただし、名跡は残り、何代か後の子孫が版図を広げやがて日本を統一した。
こんな感じでしょ。

475:日本@名無史さん
07/04/22 12:31:01
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...おまいらおっぱいすきなんだなw

476:日本@名無史さん
07/04/22 12:59:45
>>473

> >ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し
> 地図を見ろ、地図。筑紫飛ばして、豊を中心としたうえ東海まで統合とは凄い妄想
> しかも山陰欠如。しかも豊前の豪族は筑紫の王朝にはいってるんだが。

時代相を考えなきゃ。
後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、九州でも瀬戸内色が強いよ。
地勢学的には北部九州と西四国・西中国の中継点として「西瀬戸内」の中心と言える。
後世の宇佐にもつながる・

> しかも>>465は根拠も証拠も何もないうえ、いきなりその連合とやらを初期ヤマト政権
> などと呼び出す。 奈良盆地が中心な根拠は何もないうえ、天皇がいつから今で言う

「東瀬戸内」の結びつきだっていろいろ有るだろう。
○吉備甕と畿内甕の様式から庄内甕成立
○阿讃の積石塚と吉備・播磨・河内の墳丘墓から大型墳丘個人墓成立
○直弧文や鳥型、水銀朱への嗜好。

こう言った各ブロックがさらなる統合に向かうとして、西と東の瀬戸内同士が他地域よりも
優先するのは自然の流れでしょう。
三韓系土器が吉備や河内に出現するなど、流通の多角化が想定される。
後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。

> 日本国の天皇になったかその時代わかりようがない。
> こいつらが言っている「初期ヤマト政権」とやらの時代、なんでヤマト政権があったと
> 思えるのか妄想以外で説明してみろ。

「天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。
キミが呼びたくないなら、それはそれで勝手にすればよろしい。

477:日本@名無史さん
07/04/22 13:53:33
>>476
>後期の大分は平形銅剣文化圏に属しているし、

違う。

478:日本@名無史さん
07/04/22 15:50:54
>>476
>後期末には大阪湾型銅戈のように北部九州には見られない半島系威信財の流通もある。

違う。後期末ではない。

威信財ではない。大阪湾型銅戈は集団の祭器であって個人の所有には属さない。

大阪湾型銅戈は日本製である。工房も鋳型も発見されている。

479:日本@名無史さん
07/04/22 16:05:05
>>477

「属している」は少々言い過ぎ。
「結びつきがある」程度か。
一応、平型銅剣は大分でも出土する。

480:九州出身
07/04/22 16:30:40
>11 :日本@名無史さん :2007/03/25(日) 21:36:31
>卑弥呼人気投票!
>1、オリジナル卑弥呼
>2、神功皇后
>3、倭姫
>4、天照大神
>5、倭トト日百ソ姫
>他にもいると思うんでそんときはご自由にエントリーして下さい。

これ皆さんはどう思います?

481:九州出身
07/04/22 16:34:11
>>471 愛知県民さんへ
こんどは伊須気余理比売が(壱与)なんだね?w
きみおもしろいなw

482:日本@名無史さん
07/04/22 16:54:25

イヨタン・・・・・・・・


483:九州出身
07/04/22 16:59:32
当時はいまみたいにTVとか無かったわけだし、村の人々も卑弥呼のミステリアスな
鬼道の術中にはまってたのかもしれん。
当時が現在の情報社会みたいになってたらどうなってただろうね

484:九州出身
07/04/22 17:01:45
こんどのゴールデンウィークを使ってどこかいかれますか?
ここの住民のみなさん予定があればお答えください。
あ!そういえばうちのPCでここのサイト書き込めなくなったんだけど
だれか詳しいかたいらっしゃいますか?

485:日本@名無史さん
07/04/22 20:01:44
>>484

アク禁。

486:日本@名無史さん
07/04/22 20:04:15
>>483
鬼道をあやしい術だと思ってるのか。
九州はみんなバカばっかりだな。


487:日本@名無史さん
07/04/22 20:18:11
>>486

御立派なもんでもないと思うぞ。

488:日本@名無史さん
07/04/22 22:37:47
連休は、田舎かえるよ

489:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/22 22:50:48
>>484
九州出身さんは真面目だし、感情的になったことさえ無い人だよ。面白い事はあるけど。
まだ酷い荒らしはいっぱい入って来たりするのに生真面目な九州出身さんがアク禁なんかなるわけ無いでしょう。
真面目すぎて冗談も通じないのに。僕には解んないけど誰か教えてあげてよ。
コテハンで頑張ってる人がいると、僕も励みになるしちょっとうれしい。

490:日本@名無史さん
07/04/22 23:07:35
       /⌒ヽ.
      ( ^ω^ ) おっ♪おっ♪おっ♪
 ピョン   ( O┳O)
  ピョン   し-||-J
       ⊂§⊃
         §


491:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/22 23:24:48
>>486九州はみんなバカばっかり

九州ですが鬼道をあやしい術などと思った事は一度もありませんけど。

492:日本@名無史さん
07/04/22 23:28:30
詳しくはないのですが、アクセス規制の巻き添え食ってるんじゃないですか。
どこかの荒らしのせいで、使ってるプロバイダがアクセス規制されると、巻き添え食って書き込めなくなります。
2ch規制情報板で自分の使ってるプロバイダの規制スレを見ると、何かわかるかもしれません。
URLリンク(qb5.2ch.net)

493:日本@名無史さん
07/04/22 23:41:12
鬼道は、現代の日本人感覚で言うと十分怪しいだろ。
『よく衆を惑はす』とかも怪しいし、骨で占うなんて十分あやしいな!
まぁ、宗教の儀式なんて、信じてない人がみたら怪しいもんですよ!
細木とか、マリックも怪しいだろ。

494:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 00:02:48
>>493
「鬼道とは道教なり」とあるように初期道教黄巾の事。
「この国の風俗は何かを命令したり、おこなったりする時はまず骨を焼いて、卦をたてる。
そして、吉凶を占って、その結果を告げる。この占いの方法は中国の亀卜に似ています。
焼いてできる裂け目を見て占いをたてるからである」というのと鬼道は別に書いてある事から中国の亀卜と、鬼道は別物だといえる。
ちなみに焼いてできる裂け目から甲骨文字が生まれたので古代中国では文字に霊力が宿るとされたのに対し
倭では言霊といって言葉に霊が宿るとされた。倭人は神聖なものを文字に表すのを嫌ったので
漢字が倭国で本格的に普及するのは仏教経典が伝来してからの事だといわれる。

495:日本@名無史さん
07/04/23 00:08:44
政教分離された、現代の日本人の大くは、普通にシャーマンの卑弥呼を怪しく感じると思うけど。

496:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 00:18:03
古代中国の為政者も黄巾を邪教扱いして迫害したんだろうから
鬼道などという怪しい名で付けたのではあるまいか。

497:日本@名無史さん
07/04/23 00:23:12
漢書郊祀志などを読むと、国家が公認した祭祀のことが書いてある。
そういう公認されたものが正統な祭祀で、それ以外が十把一絡げで鬼道だろう。
現代人から見れば、どちらもやってることに大した違いは無いが。

498:日本@名無史さん
07/04/23 00:24:08
現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし

499:日本@名無史さん
07/04/23 00:56:11
>>492
そう、一人が変な投稿を続けると、同じ地域の同じプロバイダの人みんなが、
巻き添えを食らって、アクセスできなくなる。


500:日本@名無史さん
07/04/23 02:54:45
宇佐の神託の出し方っていうのは 巫女をつかったシャーマン風なんだよな。
比売大神を祭る神宮で女つかって神託だすっつー・・・
これを朝廷が聞くんだから・・。



501:日本@名無史さん
07/04/23 03:26:36
道教のことだよ

502:日本@名無史さん
07/04/23 03:27:43
>>476
>天皇」が何時出現したかは別にして、大和に他地域に卓越した大型墳が出現している以上、
>私は、それを建造した勢力を「政権」と呼ぶべきものだと思う。

いや、だからこれ以前のことを聞いているんだが。これ以前に
(日本国の)天皇といえるほどの「ヤマト」政権があったかどうかなんてわかりようがない。
しかもこの大型墳の出現時期こそ重要なんだが。
他から集団がきたのは間違いないね。

しかも思ったとおり、考古学で見たものだけで展開している。前から思っていたとおり、考古学というのは
ほんの、限られた部分の資料だけ。最重要地で宮内庁に封鎖されていたり、古代から栄え今は大都市で
掘りようもないところはわかりようもない。

つまり、ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。だから妙ちくりんで
思考力の狭い妄想だと思われてしまうんだ。考古学スレにいきゃーいいのに。

503:日本@名無史さん
07/04/23 03:38:03
>>501
そう、その女シャーマニズムの道教は宇佐の辛島氏が持ち込んだ。
そして辛島は祖が素盞嗚尊ということになっている、とりあえず。
で、宇佐の比売大神は素盞嗚の娘だからそこで繋がる。

卑弥呼も中国人には鬼道とよばれる亀焼き占いをしていたわけで
やはりシャーマンだったんだろ。このことからも、古代の、少なくとも
九州辺りはシャーマニズムをもった巫女が大きな権力をもって人々を
支配してたんだな。

504:日本@名無史さん
07/04/23 04:22:27
もう、邪馬台国大和説は揺るがないだろうと思う。
もう。そういう流れになってきている。


505:日本@名無史さん
07/04/23 06:59:01
>>504
説得力ゼロだが....そんなに精神的に追い詰められているのか?

あるいは以前指摘されたように、>>503 みたいな泣き言みたいに
惨めったらしい大和説者を装って、畿内説者陥れるための工作員でもいるんかいな?w
それならまだ理解できるが。



506:日本@名無史さん
07/04/23 06:59:45
流れに竿さす・・・

507:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 07:03:45
>>498現在の一般的な日本人にとって、鬼道=あやしい と言う結論がでました。
めでたし、めでたし

そんな結論出してなにになるっちゅーのって。古代中国でどうかなんだから。
どうやら古代の為政者から見たら怪しかったようだが。

508:日本@名無史さん
07/04/23 07:14:36
前スレに
〉鬼道を怪しい術だと思う人は馬鹿ばかり
とあったので・・・
まぁ、一部の信者には怪しくなくてもいんだけど。
ちなみに、九州人じゃありません。


509:日本@名無史さん
07/04/23 07:27:15
>>502

じゃ、古墳は土蜘蛛の墓だと!
大和朝廷の大王たちは、その土蜘蛛どもの墓を真似て、
自らの墓を築きましたと!
そう言いたいわけですね。


510:日本@名無史さん
07/04/23 07:34:12
>>502

>ほんの限られた資料だけで、そこだけ繋げて想像している。
>だから妙ちくりんで思考力の狭い妄想だと思われてしまう

それ、自分自身に言った方がよいよ。

511:日本@名無史さん
07/04/23 20:09:10
卑弥呼は姫子。

512:日本@名無史さん
07/04/23 20:13:49
その発想はなかったわー!
で・・・姫子って誰?

513:日本@名無史さん
07/04/23 20:38:27
ですが・・・ゆれてるよ・・・ですが

514:日本@名無史さん
07/04/23 20:39:11
日巫女・姫子は普通の説だよ。


515:日本@名無史さん
07/04/23 20:44:13
日御子でもいいですか?

516:日本@名無史さん
07/04/23 20:44:36
あのさー、素朴な疑問だけど、畿内説の人たちは、
道教事件の時に称徳天皇は何故遠く宇佐神宮まで御神託を
もらいに逝ったと考えてるの?

517:日本@名無史さん
07/04/23 20:47:26
卑弥弓呼は誰ですか?

518:日本@名無史さん
07/04/23 20:49:40
伊勢神宮は、当時改装工事中だったからなー

519:日本@名無史さん
07/04/23 20:52:25
>>518
嘘こくでねえ。

520:日本@名無史さん
07/04/23 20:53:15
邪馬台国と天皇家の関連性は、不明です

521:日本@名無史さん
07/04/23 20:56:30
オラがお参りにいった時の話なのに・・・
よくウソだとおみやぶりになったな!さすがです

522:日本@名無史さん
07/04/23 20:58:40
江戸期までの歴代天皇は誰一人として一度も伊勢に行った事が無いほど伊勢はどうもいい存在
一方古代の天皇は九州へはしょっちゅう遠征してた

523:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:02:56
>>513
ぶきみだっつーのに。

524:日本@名無史さん
07/04/23 21:05:02
伊勢神宮にしてもよ、江戸時代なんて、外宮のトヨ受の大神しか
参らなかったって言うでねえか?

トヨって、卑弥呼の次に立った女王でねえべか?
畿内説のお人はここんとこどうかんがえてんだべ?

525:日本@名無史さん
07/04/23 21:07:08
ですが・・・の背後で・・・なんか鬼がいるような気配が・・・ですが

526:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:09:04
でも卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、
などをもっと検証していくべきだとは思うが。

527:日本@名無史さん
07/04/23 21:10:07
宇佐は、伊勢につぐ第二の宗廟だかんね。
応神さん、神功さん、比売さんがおるしなー

528:日本@名無史さん
07/04/23 21:12:36
その検証は、ですがに任せた。
しっかりがんがれ

529:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:13:54
>>524
僕も歴史の経緯を無視すれば、トヨタマヒメがトヨのような気がするんだけど。

530:日本@名無史さん
07/04/23 21:16:34
天照より、須佐之男の娘や応神さんの方が、親近感あったんだろう。

531:日本@名無史さん
07/04/23 21:25:07
最近ですがの一人舞台だな。
・・・・不気味・・・・
ですがは、鬼道でよく衆を惑わすからな。

532:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:36:44
>>529
歴史の経緯を無視すれば、比売大神が卑弥呼のような気がするんだけど。

533:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:43:40
>>531「最近ですがの一人舞台だな」
まさかー。
名無しさんが多いのでコテが目立つだけ。

534:日本@名無史さん
07/04/23 21:49:54
比売って三姉妹だろ。
卑弥呼は三人の事だったのか。

535:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 21:56:08
>>534
三姉妹?
宗像の三姉妹と混同してない?

536:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/23 22:03:27
>>532 九州ですがさん

卑弥呼は崇神の時代の女性ですが、比売大神は神功の時代の女性だと拙者は
考察しております。
宇佐神宮の伝では比売大神はアマテラスとスサノオの子だとの話ですが、
それは嘘ではないですが、厳格に言えば別の父母がいる、女島出身の神功~
仁徳世のころの九州に生存した九州王朝の女性ですよ。
たとえば明智小五郎の生みの親は江戸川乱歩ですが、これはそのとおりと
観るべきで、物語の中では明智の彼の両親が設定で別にいるはずでしょう。
伝の云うのは乱歩のほうです。しかし血を分けた父母は格別にいたことに
なるのです。

537:日本@名無史さん
07/04/23 22:11:12
比売ってさ、多紀理毘売命と市寸嶋比売命・多岐都比売命の三姉妹じゃないの?
宇佐マニアの方よろぴく

538:日本@名無史さん
07/04/23 22:20:22
宗像の三姉妹って誰?

539:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:47:23
>>536太国さん
あくまで「歴史の経緯を無視すれば」の話です。
宇佐神宮の近所の何とか言ううらぶれた神社がその比売大神の元々祀られていた場所だそうで、
宮内庁に封印されているそうです。それとヒメという音が似ているということでしょうか。
そんなこんなでミステリアスな印象を持っているのは確かです。

540:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:51:49
>>538三姉妹あらため三女神でした。

541:日本@名無史さん
07/04/23 22:53:16
>>536

どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?

542:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/23 22:55:35
>>358
宗像の三姉妹改め、三女神でした。

543:日本@名無史さん
07/04/23 22:56:32
◇フリー百貨辞典にて

豊葦原中国とは、
日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界。転じて日本の国土の異称。葦原中国(あしはらのなかつくに)とも呼ばれ、単に中津国(中つ国)とも言う。
神々の住む天上世界である高天原と対比して、人間の住む地上世界を指すと考えられる。
日本の古代史として日本神話を読み解く際には、以下のように解釈されることもある。しかし、邪馬台国論争と同様に諸説がある。
1.出雲地方そのものを葦原中国とする説
2.ヤマト王権の東遷と成立を以て、高天原を旧勢力圏であった九州地方、葦原中国を畿内であるとする説。
3.広海、後の大和盆地の平野部、三輪山近辺を葦原瑞穂国と定め、現在の橿原あたりを葦原中国(あしわらのなかつくに)としたという解釈。
4.文字通り、中津=大分県中津市という説


544:日本@名無史さん
07/04/23 23:34:31
ですがが壊れてゆく・・・・
ぼろぼろやん。

545:日本@名無史さん
07/04/24 00:01:16
>>539
中津の鷹神社が宇佐の元宮のひとつだといわれているが?

しかも比売大神は確かに宗像神のなかの大神だが、すぐそばの
大許山で山頂の遺跡のある奥宮で祭られている地主神を
地元の豪族が持ち込んだものとされている。当然、今は御禁足地。

他の元宮も大許山の周りで点々としてるが、皆どこが何か知っているし
かえってご利益があるといって、神宮でなく元宮見たさにいく人間も多い。
うらぶれてはないと思う。

546:日本@名無史さん
07/04/24 00:06:58
>>536
絶対に違うと思う。なぜなら、宇佐で両脇に神功皇后と応神天皇を従えて
2人の天皇(皇后)より上座に配置されて比売「大」神として祭られている。

同時期に居た人間を天皇と皇后より上座に置くわけない。誰が天皇より上にこれるんだ。
皇祖神扱いされているとしか考えられない。

547:日本@名無史さん
07/04/24 00:46:33
置いてある位置はそうなんだけど・・・
一之御殿には応神、二之御殿には比売、三之御殿に神功ってなってて、主祭神は応神になってるみたいよ

548:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 05:38:58
>>545
僕が大分昔NHKで紹介されたとき見たその神社は荒れ果て放題でお化け屋敷みたいだったという印象がある。
山の中に古い鳥居が立っていて人の気配さえも無く枯葉も落ち放題で人が近づいた形跡さえないような。
なんでこんな場所が宮内庁によって封印されているんだろうと疑問に思ったほどだ。
宇佐神宮の宮司さんが今でも比売大神の事を「卑弥呼なんでしょう?」といって訪ねてくる人も多いです」と言っていたから
HNK放送後に尋ねてくる人多さにその神社も地元で整備したのかも知れない。
宇佐神宮には現在比売大神の像{結構ちっちゃい}は無く、どこか近くにあるような物言いだったけど詳しくは聞けなかった。
宇佐近辺の出だと言う事以外詳しい事は解らないということで四拍手で祀られている事が怨霊とも言われるその理由についても
ただ昔からそうしているとの事でよく解らないとの事だった。
もっと詳しく知ってる人がいたら情報おそえてね。

549:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 07:59:03
九州ですがさん 参考情報有難う。

>>546
比売大神は九州王朝の女王的位置の人物であるが、卑弥呼とは別人であり、
同王朝は女性の重要人物がわりかし多くいたのだ。女王的地位の人物なら
真ん中に座することはおかしくはない。そこは九州だからなおさらだ。

演劇で銭形平次をやれば彼が主役であり、ずっとえらい将軍役がいても、
それは脇役になる。

550:日本@名無史さん
07/04/24 08:45:31
九州に姫子様をまつる土俗信仰があるというのは本当
ですか?

551:日本@名無史さん
07/04/24 08:51:56
>>549

どうして道鏡事件で、宇佐の神託を求めたのさ?


552:日本@名無史さん
07/04/24 08:55:52
求めたんじゃなく宇佐の方から神託が下ったと言って来たの。
その時の宇佐の神職が道鏡の血縁者。

ブッシュとゴアの大統領選挙の時の様な胡散臭い話だよ。

553:日本@名無史さん
07/04/24 08:56:32
>>545

大許山ってどこにあるの?
検索しても場所がわからないです。

「大許山」の読み方もしりたいです。

554:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 09:29:10
>>551
訳許真路とは簡単だ。部外者は皇統に入らないから天皇にはなれない。
選挙じゃないんだから、なおさらだ。
いまはそっちの話じゃないが・・・。

555:日本@名無史さん
07/04/24 09:34:47
古事記、日本書記が編まれたのが7世紀
500、600年前のことなどわからんわな
今、戦国時代や江戸時代を語るようなものだし
卑弥呼は古事記に書かれてる神のどれかにあたるかもしれんが



556:日本@名無史さん
07/04/24 09:44:16
訳許真路って何ですか?

557:日本@名無史さん
07/04/24 09:47:21
邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか
やっぱり九州の小国のような気がするな


558:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 09:48:45
皇統の道筋がないということで、それが天皇になることが許されない真の
理由だよ。

559:日本@名無史さん
07/04/24 09:57:24
>>554
訳許真路って何ですか?

560:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 10:02:42
>>559
その『訳』は>>556だよ。

561:日本@名無史さん
07/04/24 10:50:20
>>554=560

訳許真路って何ですか?



562:日本@名無史さん
07/04/24 10:51:39
>>557 :日本@名無史さん :2007/04/24(火) 09:47:21
>邪馬臺国と読まずに大和の壹国という説が有力ではなかろうか

うんなこた~ない。
もう、その説は何度も論破されている。

563:日本@名無史さん
07/04/24 10:59:46
>>551-552
弓削道鏡事件で見逃せないのは彼の出自だよ。
弓削道鏡は物部守屋の5世。
物部宗家は、守屋の兄弟の子孫である石上氏に受け継がれたが
本来の宗家(守屋の嫡流)は、弓削氏だったはず。
物部氏とは、ニギハヤの後胤。

URLリンク(www.myj7000.jp-biz.net)

564:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 11:03:35
>>561
失礼、間違えた。その訳は>>558だよ。視力が落ちてるので・・・。

565:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 12:40:01
>>549 そうですね。古代の九州は女王も多いんですよね。八女津媛だとかもそうだし。
記憶によると女王が木の枝に鏡をいくつもぶら下げて降伏して来たってのがあったような。


566:日本@名無史さん
07/04/24 14:01:40
>>563

宇佐の神職が、物部宗家と関係が?
弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とすると、そのサイトにありますが?

567:日本@名無史さん
07/04/24 15:14:39
魏志倭人伝には
卑弥呼の死後、壹与という少女が国を治めたとある。邪馬壹国といい二回も
誤表記するかという疑問がある
それと卑弥呼は夫を持たなかったというから天皇の系譜とは違う人物であろう。
つまり邪馬壹国とは統一王朝のことではないのである。


568:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 16:21:46
卑弥呼の女王国は九州王朝の始まりで、その親はその前段階の、王朝の下積み的
環境の者。比売大神は、それより後代の九州王朝の女王的存在。

569:日本@名無史さん
07/04/24 16:47:26
みんなは、宇佐の沖合いにある姫島のこと知ってるの?

比売大神は、姫島の姫のことだと思うが。



570:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/24 16:53:53
まずそうだろうな。

571:カナカナボウシ
07/04/24 19:04:49
うん、間違いない。ヒミコであることは絶対ない。

572:日本@名無史さん
07/04/24 20:06:05
よってたかって、ですが案を完全否定
どんまい  ですが・・・

573:日本@名無史さん
07/04/24 21:01:32
「ですが」が、無知すぎるんだよ。
持論を展開するなら、もっと下調べしないと。

574:日本@名無史さん
07/04/24 21:26:34
太国は今夜はもう寝たほうがいい。

575:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/24 22:06:14
>>573「無知すぎるんだよ」
だったら比売大神についてこっちが質問してるんだから何か一つでも知ってる事実を言ってみたら?
宇佐神宮の宮司さんも知らない事を知ってるとは思えないけど。
下調べもなにも>>548以上のことは今のところ解らない筈だ。
こちらが聞いているのは事実としてはっきり解っているのは何か、という具体的な部分に踏み込んでいるのだから、
「だと思う」という想像からの意見ではない。
>>526で言ってるように「卑弥呼が語源となって生まれたと思われる、巫女、日巫女 姫、姫巫女、 などをもっと検証していく」
為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。
確かに冒険だとは思うけれども。

576:日本@名無史さん
07/04/24 22:47:38
>>575

>為に手始めにこの「比売=ヒメ」という音が「ヒミコ」という音と関係があるかどうかを検証しようとしているのだ。

本当に本当にどうしようもないくらいに不勉強のバカだな。

古代に、「卑弥呼」と中国人が聞いた倭人の発音が、
倭人の「巫女、日巫女 姫、姫巫女」を意味する「ヒミコ」の発音と、
どうして同じだと考えるわけ?


577:日本@名無史さん
07/04/24 22:57:36
宇佐の比売大神は、姫島のアカルヒメだろ。
もう、とっくの昔に結論は出てるんだよ。

578:SOY
07/04/24 22:58:37
比売大神。昔から興味をもっていますが、解釈が難しい神様だと思います。

私がざっと思いつく範囲でも以下の神様が関わっているように思えます。

・宗像三神(市杵島姫)
・万幡豐秋津姫命(天万栲幡千千比売命)
・織女神(天棚機比売大神)
・服織女
・阿迦留姫命
・下照比売命(高比売命)
・天美津玉照比売命
・玉依姫
・丹生都比売
・稚日女尊
・大日霊貴尊
・豐比賣命

でも、どう解釈して良いのか分からないというのが正直なところです。
後世、いろいろな神様と結びついた可能性もあります。

分からないことばかりなので、
ここでなされる検証については非常に興味があります。
 


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