謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!6at HISTORY
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!6 - 暇つぶし2ch182:日本@名無史さん
07/04/16 11:06:50
>>181
わざわざ、そんなことをする必要はないだろうw
なぜ、二つの王家を一つにするために万世一系にするために...なんだ?
そんなことせずとも、もう一つの王家を抹消すれば良いだけじゃんw
日本書紀の編纂者からしたら、そうとう昔のことなんだから。

183:日本@名無史さん
07/04/16 11:30:49
>>182
中国式の易姓革命を嫌ったからではないかな?

その二つの王統の内部紛争が一応の決着をみたのが

大化の改新~壬申の乱だとしたらありうる。

倭から日本へと国名が変わったのも、「一書に曰く日本が倭を併呑した云々・・」

あやしいw

小国である日本が大国である倭を乗っ取ったとすれば、大多数をしめる倭国民

を納得させるための手段が必要であり、そのひとつが日本書紀だと思う。

184:日本@名無史さん
07/04/16 11:49:50
>>183
回りくどい見方をしすぎだろう?
そんなこといったら、壬申の乱ですら説明がつかないわな。
あまりにも無理しすぎた見方だ。

185:日本@名無史さん
07/04/16 12:07:48
>>184
でも出雲神話にしても神武東征にしても
国を譲ってもらったんだ!と声高に叫んでるのが
うさんくさいし・・



186:日本@名無史さん
07/04/16 12:56:50
小国の日本=畿内政権が、九州の邪馬台国を滅ぼしたんだよ。

187:日本@名無史さん
07/04/16 13:14:19
うさんくさいのは中国史書の「或云」の方だよ。
「通典」「唐会要」「旧唐書」を比較してみれば、
「あれ?」と思うところが出てくるよ

188:日本@名無史さん
07/04/16 14:40:01
>>186
逆でしょ

189:日本@名無史さん
07/04/16 15:16:11
書記も魏志もいい加減だから困る。

190:日本@名無史さん
07/04/16 15:28:10
>>188
小国の日本=九州の邪馬台国が、大国の倭国=畿内政権を滅ぼしたのか?



191:日本@名無史さん
07/04/16 16:47:37
>>190
嘘だろ!

まだこんな畿内厨がいたの?

192:日本@名無史さん
07/04/16 17:00:28
小国の日本が、倭国を併合したと中国人が証言してるんだからしょうがないだろ。

倭国=邪馬台国=九州なら、小国の日本=畿内王権だ。


193:日本@名無史さん
07/04/16 17:11:25
>小国の日本が、倭国を併合したと中国人が証言してるんだからしょうがないだろ。

       

小国日本┬九州┬邪馬台国―→倭国┬九州┬邪馬台国
      │   └それ以外        │   └それ以外
      │                  └畿内┬邪馬台国
      ├畿内┬邪馬台国            └それ以外
      │   └それ以外
      │
      └其他┬邪馬台国   

194:日本@名無史さん
07/04/16 17:15:16
小国日本┬九州┬邪馬台国A
      │   └それ以外B
      │           
      ├畿内┬邪馬台国C
      │   └それ以外D
      │
      └其他┬邪馬台国E
           └それ以外F


大国倭国┬九州┬邪馬台国G
      │   └それ以外H
      │           
      ├畿内┬邪馬台国I
      │   └それ以外J
      │
      └其他┬邪馬台国K
           └それ以外L

を滅ぼした

195:日本@名無史さん
07/04/16 22:28:12
邪馬台国は畿内にあった大和朝廷。

しかし、この大和朝廷の始祖・神武さんは
紀元1世紀頃、日向の西都の小領主の出身でした。
その当時の畿内や出雲からみたら、亜流の領主だった。

しかし、畿内で王位継承争いが起こり
亜流であった日向の神武さんに畿内王権の大王の座が
転がり込んできましたとさ。

この間、日本は混乱の時代に突入し、
九州の奴国などは、畿内を無視して勝手に魏から金印を貰ったとさ。
神社伝承では、九州には、神武~孝霊の間がありません。
おそらく、この間、上古代の戦国時代に突入し
畿内と九州が分裂していたように思う。
漢の奴国王ではなく、漢の倭の奴国王というぐらいだから
奴国を超えた倭という存在は、紀元57年よりも前に存在していたということだろう?


196:日本@名無史さん
07/04/17 01:36:53
つーか倭人伝読めば「倭国」と呼ばれるところに
北部九州が含まれているのはわかるだろ。
だから倭国=少なくとも九州は必ず含まれる。

倭人伝より、東に大海があり倭人が住むが倭国ではないという=本州か四国か?

畿内が日本だろ。滅ぼされた国の名前をつかうわけがない。畿内政権が誕生し
九州の豪族(王族?)は揃って畿内に移動している。
つまり、小国の日本=畿内の連合国(中国や九州に比べて小さい)
    中国地方の出雲や吉備、安芸=始めは倭国側から畿内派に移ったか?
    鉄を持ち強くて連合国が連なる九州=倭国

と見るのがしっくりくる。



197:日本@名無史さん
07/04/17 03:35:51
>>196
その見方は苦しすぎる。


198:日本@名無史さん
07/04/17 05:14:54
>>192
そこら辺なんだよな、中国に胡散臭さを感じるのはw
半島の連中は倭人呼ばわりで煽ってくるが、中国は、小日本だの鬼子だw

みょうな国家戦略が無きゃいいがなw

199:日本@名無史さん
07/04/17 07:20:13
「大国の倭国である九州邪馬台国が、小国の日本である畿内大和朝廷を滅ぼした!」


こう云うのが胡散臭さがない解釈なんだろ

全然辻褄合ってないけどw

200:日本@名無史さん
07/04/17 08:34:32
九州説ってのは、
邪馬台国は九州にあってほしいし、
大和朝廷は邪馬台国とつながって欲しいしと、
いいとこどりのワガママな妄想なんだよ。


201:日本@名無史さん
07/04/17 08:43:41
畿内説ってのは無理やり邪馬台国と卑弥呼を
 皇室と畿内政権に結び付けようとする
罰当たりの馬鹿の妄想なんだよな。
しかも返す言葉が詭弁だらけ。のろわれてるのかこいつらわw

202:日本@名無史さん
07/04/17 08:55:47
>>197
倭人伝から見方にかなった論理で
どこも見苦しくないが?

つまり反論しようがなく返答に詰まったときに畿内説がごまかしに
使う台詞かな。悔しかったら自説いってみなw反論こわいんかw

203:日本@名無史さん
07/04/17 09:53:06

倭人伝の邪馬台国は九州だとおもうが、当時はやはり

畿内勢力のほうが強大だと考えざるを得ない。

その上で日本書紀に日向から神武がきたと書かれていることを

考えれば、小国の日本(九州)が大国の倭国(畿内)を

最終的に乗っ取るかたちになった。と、思う。

《*中国側の倭国とは列島に住む倭人の国というほどの認識では?
  別倭という名称も考えて・・》




204:日本@名無史さん
07/04/17 09:56:10
九州が「日本」とよばれたことは無い。

205:日本@名無史さん
07/04/17 10:15:19
>>204
?
熊襲(クマソ)=肥素(クマソ・ヒモト)=日本(ヒモト・ニホン)
の関係を見れば・・

206:日本@名無史さん
07/04/17 12:00:43
何の対応関係もねえよ。

207:日本@名無史さん
07/04/17 15:34:47
青玉採れる吉備だろ。

208:日本@名無史さん
07/04/17 15:52:59
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。

前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤~6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。

日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。


653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)

韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。

認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。

209:日本@名無史さん
07/04/17 20:46:19
>>203
北部九州から招かれた神武たちの子孫が出雲出身の大物主(大国主)を追放し、
十代崇神天皇の頃に北部九州政権を打ち立てたのでしょうね。
2代~9代の間に新参者が大王にのしあがったわけですが、
1:神武は、大王などではなく、一新参者にすぎなかった事
2:物部氏や蘇我氏の由緒が明らかになる事は、藤原氏にとって都合が悪かった事
3:北部九州勢力が出雲を排除したやり方は、そのまま記述するに忍びなかった事
などから、「国譲り神話」として、記紀には記載されたのでしょう。

210:日本@名無史さん
07/04/17 22:07:09
>>209
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?

藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?

211:日本@名無史さん
07/04/17 22:22:05
>>210
詳しく教えて

212:日本@名無史さん
07/04/17 22:28:07
>>211
はぁ?
そんなこと知らないで都合が悪いとかなんとか言ってたのか?


213:日本@名無史さん
07/04/17 22:31:24
>>212
君の宗派の教祖は何といっているのかね?

214:日本@名無史さん
07/04/17 22:43:43
>>213

教祖などいないね。
日本書紀と古事記をきちんと読んでるだけだ。

さて、聞くが、物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?


215:日本@名無史さん
07/04/17 23:13:10
>>214
君が感じる電波はどう言っているかね?

216:日本@名無史さん
07/04/17 23:23:01
>>215

記紀に書いてある通りだ。

高天原に最初にいる神は天御中主。
天御中主は、藤原氏の祖であり、天照大神よりも格上。

何か?

217:日本@名無史さん
07/04/17 23:33:39
>>215

さて、今度は君の番だが、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?


218:日本@名無史さん
07/04/17 23:40:16
>>217
君が感じている電波ではどうなっているかね?


219:日本@名無史さん
07/04/17 23:43:31
>>218

君の答え待ち。

さて、今度は君の番だが、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、
藤原氏の都合がどう悪いんだね?

まあ、浅知恵で知ったかぶった君の負けだよ。
なんのエセ古代史本に影響されたか知らんが、
自分で記紀の原文をきちんと読むことだ。

220:日本@名無史さん
07/04/17 23:55:55
もつかれー!
勝者も敗者もノーサイド
明日もお仕事がんがれよ!

221:日本@名無史さん
07/04/18 00:04:01
>>219
誰か別の人と間違えているのだが、まだ気がつかないかね?

222:日本@名無史さん
07/04/18 02:29:20
しかし倭人伝では北部九州の詳細を書いて倭国のことだと
言っているから中国人のいう倭国=少なくとも北部九州を含むわけで。


223:日本@名無史さん
07/04/18 05:02:54
神武は南部九州だろう?
もう、憶測でものを語るな。


224:日本@名無史さん
07/04/18 09:01:38
神武が南部九州にいたと記紀に記載されているのは記紀の編者の誤解によるものです。
神武がいたのは、福岡市西部の室見川流域(山門庄)の日向です。

225:日本@名無史さん
07/04/18 09:05:44
天御中主は記紀編纂時に作り出された神で、当時の日本人に信仰されていた存在ではない。

226:日本@名無史さん
07/04/18 09:06:29
>>224
その説は一時期、支持したが
最近は、あんまり支持しない。

227:日本@名無史さん
07/04/18 09:08:58
>>225

それが正しくと、記紀編纂時には、藤原氏は天皇家より格上だと日本中が認めていた。

228:日本@名無史さん
07/04/18 09:53:03
日本語でおk

229:日本@名無史さん
07/04/18 09:55:20
高千穂は、福岡の背振山をモデルにして書いてると思う。

230:日本@名無史さん
07/04/18 10:15:04
>>229
おまえ、高天原と高千穂の区別からして
ついていないだろう?

231:日本@名無史さん
07/04/18 10:27:14
降臨したニニギの言葉を思い出して。

232:日本@名無史さん
07/04/18 10:32:50
>219
蘇我氏が最後の倭国大王家だったからじゃないの?



233:日本@名無史さん
07/04/18 10:53:53
矢塚古墳はホケノ山タイプで、東田大塚古墳はポストホケノ山タイプ?


古墳“発祥”の纏向古墳群はすべて前方後円墳 奈良
2007年04月12日
 奈良県桜井市にある最古級の纏向(まきむく)古墳群(国史跡)を調査した同市教
委は12日、形が明確でなかった東田(ひがいだ)大塚(3世紀後半)、矢塚(同半
ば)の両古墳が前方円墳とわかったと発表した。これで、女王・卑弥呼(ひみこ)の
墓との伝承もある箸墓(はしはか)古墳(3世紀半ば~後半)などの古墳が密集し、
「古墳発祥の地」とも言われる一帯の主要墳墓がすべて前方後円墳と確定。厳密な年代
や古墳出現の状況など謎の多い古墳時代を探るうえで重要な発見だ。

 両古墳の範囲確認調査として、前方部があると推定される場所計192平方メートル
を発掘した。

 東田大塚古墳(桜井市東田)は、従来の調査で後円部が直径68メートルと判明。
今回は西側で5カ所を掘った結果、前方部の盛り上がりを確認した。その長さは40
メートル前後になるとみられる。このため、後円部の直径が前方部の長さの2倍ある、
最古タイプの「纏向型」よりも新しい古墳の可能性が高まった。
URLリンク(www.asahi.com)


前方後円墳の発展過程、奈良・纒向遺跡の発掘で確認

 同遺跡内には、3世紀代の最古級の前方後円墳が点在。「纒向型」と呼ばれる最
初期の前方後円墳は、前方部と後円部の長さの比率が1対2。矢塚は後円部の直
径が64メートル、前方部の長さが32メートルと推定されることから同型に当てはま
るが、東田大塚は後円部の直径が68メートル、前方部の長さが40メートル以上に
達するとみられる。
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)

234:日本@名無史さん
07/04/18 11:20:48
>>232

はぁ?
ばっかじゃないの?

どういう根拠があってそんなことが言えるわけ?
蘇我氏が新興の渡来人だって説のほうがまだ信憑性がある。


235:日本@名無史さん
07/04/18 14:13:10
>>234
蘇我宗家が滅ぶとき「国記」「天皇記」を焼いたってあるじゃない

236:日本@名無史さん
07/04/18 14:21:49
>>235

それがどうやって藤原氏の都合が悪くなることになるのだ?

237:日本@名無史さん
07/04/18 14:24:49
>>216
 藤原氏は中臣氏ってことで天児屋命が祖なのではないの?

238:日本@名無史さん
07/04/18 14:28:05
>>236
 232・235は私だが209とはちがうよ。

239:日本@名無史さん
07/04/18 14:36:24
>>236
 209ではないが、もし蘇我氏が倭国大王家だったら
中大兄皇子と結託しクーデターを起こした藤原氏は
その大義名分を失うからじゃないの?



240:日本@名無史さん
07/04/18 14:36:44
>>237
天児屋命は、天御中主の10代後の孫。

こんな基本的な知識を知らないやつが本当に多いな。

>>238=232
>蘇我氏が最後の倭国大王家だったからじゃないの?

その根拠は、「国記」「天皇記」を焼いたからなのか?
全然関係ないだろ。どう、関係があるんだ?



241:日本@名無史さん
07/04/18 14:39:49
>>239

いったい、誰の説なんだよ?
本当にバカだな。
生半可な古代史の知識与えられて、騙されてるんだよ。

どうせ、「歴史上は蘇我氏が悪者扱いだが、本当は蘇我氏が倭国の大王で~」っていう、
トンデモ本の類だろ?
そんな本ばっかり読んでないで、自分で調べてみろっての。




242:日本@名無史さん
07/04/18 15:13:32
>>237
そだね。藤原氏の祖神はアメノコヤネ。
奈良の春日大社が藤原氏の氏神さまだけど、まず守護神のタケミカヅチを祀ったみたい。
アメノミナカヌシが藤原氏の祖神って、>>216さんはデタラメだよね。
アメノミナカヌシは最初の神様だから、特定の氏族の氏神じゃないもん。
ま強弁すりゃ、どんな氏族の祖にだって、持ってこれないことはないけどさ。
>>216さんはいい加減な知識で古代史関連スレに思いつきレスする例の病気持ちさんだろ。
早く自分の持ち場に帰ってくれないかな。うざいなあ。

243:日本@名無史さん
07/04/18 15:16:32

ハシケ男・・・・・・ www

244:日本@名無史さん
07/04/18 15:20:25
>>240
おいおい、なんでたかが一悪大臣である蘇我氏が
国の歴史書や王家の記録を持ってるんだ?

おかしいだろ?滅びる時にそんなものを一緒に
あの世に持っていくのはその国の王だけだろ?

245:日本@名無史さん
07/04/18 15:21:20
>>242

URLリンク(www17.ocn.ne.jp)

中臣氏は、天御中主尊を祖としてますが、何か?

246:日本@名無史さん
07/04/18 15:22:07
>>244

なに?根拠はそれだけ?
じゃ、国会図書館が、日本の王になるのか?
お笑いだな。


247:日本@名無史さん
07/04/18 15:31:10
だいたい、
天御中主~天児屋根~中臣と系譜が続くことは、
系図をちょっと調べれば常識の範囲。

天御中主が中臣と無関係とするなら、
なおさら、蘇我氏と大王は無関係。

おこちゃまでも、それくらいの理屈は理解できるだろう。

248:日本@名無史さん
07/04/18 15:42:19
>>246
根拠のひとつとなりうる事としてあげている。
仮説のひとつだろうに・・

>>245
代表的古代豪族の一つである「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とする
と思いっきり最初にかいてあるだろうw
これが一般の解釈。

逆にね私と違い学識があるらしいので
邪馬台国~日本成立までの貴方の主張を聞きたいね。



249:日本@名無史さん
07/04/18 15:43:48
このレベルの低さは邪馬台国総論の奴だろw

250:日本@名無史さん
07/04/18 15:47:07
>>242
>ま強弁すりゃ、どんな氏族の祖にだって、持ってこれないことはないけどさ。

特定の神を、特定の氏族の祖に持ってくるなんてことは出来ないね。
神と氏族は、きちんと1対1で対応していて、
特定の神の子孫だと名乗れる氏族は、特定の氏族に限られている。

>>242は、強弁するだけで、どんな氏族と神も結び付けられると考えているようだが、
無知にもほどがある。




251:日本@名無史さん
07/04/18 15:53:43
藤原家の祖が天御中主なら、よっぽど偉いんだな。
天照大神を祖とする天皇家より古いのか、藤原家は。

252:日本@名無史さん
07/04/18 15:54:15
>>248

藤原氏(中臣氏)の祖は、天御中主尊まで遡るんですよ。
いいかげん、自分の無知を認めたらいかが?

URLリンク(www.geocities.jp)

天御中主尊
天八下尊
天三下尊
天合尊
天八百日尊
天八十万日尊
津速魂尊
市千魂命
居々登魂命
天児屋根命



253:日本@名無史さん
07/04/18 16:27:05
>>252
素人の素朴な疑問なんだが、>>245で紹介されているHPで、
天御中主尊も天八下尊も父母無し妻子無しとあるけど、
それでどうやって祖神になれるの?
妻子が無いのに、子孫が藤原氏ってどういうこと?

254:日本@名無史さん
07/04/18 16:35:06
>>253

「子孫」が、まずいなら、「系列」と言えば理解できるか?
「チェーン店」とか「フランチャイズ」ならどうだ?

255:日本@名無史さん
07/04/18 16:38:51
奈良の春日大社にも、目立たないが天御中主をまつる祠があって、名前は飛来天神社。
しかし藤原氏の氏神である本殿4祭神に比較すれば、まったくの末社扱い。
航空安全の神だそうで祭日もあるが、神社関係者や氏子など誰も「祖神」とは思っていない。

256:日本@名無史さん
07/04/18 16:43:51
なんでこの程度の知識しか無い奴が調子に乗ってるか不思議なぐらいだよなw

257:日本@名無史さん
07/04/18 16:47:24
で、蘇我氏を古代の大王だと崇拝してる氏子はどこにいるの?

258:日本@名無史さん
07/04/18 16:55:41
>>254
>「チェーン店」とか「フランチャイズ」ならどうだ?

わかったよ。藤原一族はミナカヌシ株式会社のフランチャイズチェーン店・・・、これでいいんだな。

だからもうやめてくれよ、2ちゃんを覗きにくる歴史好きの子ども達もいるんだぞ。
きっと、おとなってバカだよね、って思われてるぞ。www

259:日本@名無史さん
07/04/18 17:06:11
>>258

もとはといえば、おまえがバカなことを言いだすからだ。

蘇我氏や物部氏の素性が知れることで、藤原氏がどうして困るんだ?
蘇我氏が、古代の大王だからか?

どっちがバカなんだよ。
すこしは勉強しろ。

260:日本@名無史さん
07/04/18 17:14:42
自分の無知の基づいて散々調子に乗った挙句に
「元はと言えば」とかそもそも論を持ち出す奴ってなんなの?w

261:258
07/04/18 17:16:37
おあいにくさま。おれは>>209じゃないからね。
たしかに>>209も馬鹿げたレスだな。それは同意。

262:日本@名無史さん
07/04/18 17:17:50
蘇我氏の素性は皇別氏族だろう?
ただ、当時の蘇我宗家の当主は母方に渡来人がいる人物であり
そういう関係で、蘇我氏は革新派で律令体制支持者だった。

それにくらべて、皇室や藤原氏は
反律令体制であり、神権政治支持者だった。
よって、大化の改新は、保守派による復古主義運動だった。
しかし、最終的には律令体制に入ることになり、
自分たちが神権政治主義者だったことが都合が悪かったので
その部分を歪曲したのが本当だろう?


263:日本@名無史さん
07/04/18 17:22:11
>>254
子孫という言葉の実態はよく解る。でも、系列であるって具体的に何を言ってるの?
系列であることと、祖神・子孫であることは、どう違うの。
子孫と言う直截的な言葉が都合が悪いから、系列という曖昧な言い方に変えただけじゃん。
その言い換えた言葉が何を指しているのか具体的に示さないと、誤魔化したことにしかならんよ。
まして、チェーン店とかフランチャイズとか、あまりに漠然とした例え話で、ナンセンス。

264:日本@名無史さん
07/04/18 17:25:37
>>263

>>253が、トンチキな質問をするから、子供にもわかりやすく例えてやっただけ。
不満があるなら、おまえが、説明してやれよ。


265:日本@名無史さん
07/04/18 17:28:41
今度は逆切れw

266:日本@名無史さん
07/04/18 17:32:29
>>265

自分で説明できないなら、たとえ話に文句言うなよ。

267:日本@名無史さん
07/04/18 17:39:18
・元はと言えば御前が悪い

・少しは勉強しろ

・御前が説明しろ

・文句を言うな

268:日本@名無史さん
07/04/18 17:41:52
>>255
>奈良の春日大社
>藤原氏の氏神である本殿4祭神

第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)
第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)
第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)
第四殿 比売神(ヒメガミ)

宇佐神宮の比売大神みたいに、この春日大社にも得体の知れぬ比売神さんがいます。これは何者?
URLリンク(www.naranet.co.jp)

269:日本@名無史さん
07/04/18 17:47:31
卑弥呼サマでは・・・・・・

270:日本@名無史さん
07/04/18 18:02:13
ウィキの「比売神」。ただし書きかけ。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

271:日本@名無史さん
07/04/18 18:04:06
>>267

藤原氏が、天御中主まで系図がつながってることが今日わかっただろ?

おまえの知らないことが世の中にはいっぱいあるんだよ。
恥ずかしい妄想ばかりしてるんじゃないぞ。
蘇我氏うんぬんのトンデモ本に影響受けるなよ。


272:日本@名無史さん
07/04/18 18:21:19
>>252
そのサイトの一番最初に

(代表的古代豪族の一つである「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とする)

と書いてあるのはなぜ?

273:248
07/04/18 18:28:55
>>271
お前がえらいのはわかったから
お前の主張を聞かせろや

274:日本@名無史さん
07/04/18 18:28:59
>>271
> >>267
> 藤原氏が、天御中主まで系図がつながってることが今日わかっただろ?
> おまえの知らないことが世の中にはいっぱいあるんだよ。
> 恥ずかしい妄想ばかりしてるんじゃないぞ。
> 蘇我氏うんぬんのトンデモ本に影響受けるなよ。


恥かしい奴w
何が今日解ったんだろだよ

御前は自分が何も知らないヴァカだから飛び付いたんだろwww


このヴァカは自分の引用先のサイトがどの文献の何を根拠にしてるのかも理解しようとしないし
その文献自体がそもそも何の文献に基づいているかも解ってない

それに留まらず、「記紀に書いてある通りだ」のホザいて措いて
古事記や日本書紀になんて書いてあるかも解ってない

だから
「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」だの
だの
「天御中主は、藤原氏の祖であり、天照大神よりも格上。何か?」だのと、
どうだ参ったか的な事を恥かしげも無く平気で言ってられるんだろwww




275:日本@名無史さん
07/04/18 18:35:04
>>272

おまえ、>>245>>252を間違えてるだろ?わざとか?
「中臣(なかとみ)氏」は、「天児屋根(あめのこやね)命」を祖神とするのは、
その通りだが、系図は、>>252のように、さらに遡れるんだよ。

古代史を研究する人で、中臣の祖は天児屋根だから、天御中主とは無関係などと、
額面通り受け取る人はいないだろうね。

>>273
俺の主張は↓

>>209のトンデモ説のように、
物部氏や蘇我氏の由緒が知れると、藤原氏の都合が悪いなどということはありえない。





276:日本@名無史さん
07/04/18 18:36:13
このヴァカは祖神の位置付けが解ってないww

277:日本@名無史さん
07/04/18 18:38:25
>>274

おや?
じゃ、おまえは、

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめとでも言うのかね?

おまえの言う、真実を表してる系図があるなら、検索してきなよ。


278:日本@名無史さん
07/04/18 18:42:26
このヴァカは一先ず天児屋根命を祖神とする事を認めました

しかし遡るんだよ付け加えましたwww

「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」理論の為にはこの一言は必須のようですw


古事記には天之御中主神の事をなんて書いてあるんですか?w

初代天皇から遡ったら誰に到達するんですか?ww

279:日本@名無史さん
07/04/18 18:45:18
>>278

何をムキになってるわけ?
これ以上、恥の上塗りをしても、なんにもならないよ。

それより、天御中主が、藤原氏と系図でつながってることの説明でもしたら?



280:日本@名無史さん
07/04/18 18:53:53
このヴァカは古事記を根拠にするような事をホザいて措きながら
古事記の神代系譜も全然解かってないから、
天之御中主神の位置付けが解って無いんだよwww

このヴァカは古事記なんか読んで無いだろ

ネットで中臣氏系図を見付けて、そこで最初に天之御中主神が書いてあるから
そこで初めて古事記を確認したぐらいの知識があるようにしか見えない。全くw




>「藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?」

一番冒頭の当たりしか理解して無い奴にしか言えない恥かしいセリフwww

281:日本@名無史さん
07/04/18 18:54:59
>>280

何をムキになってるわけ?
これ以上、恥の上塗りをしても、なんにもならないよ。

それより、天御中主が、藤原氏と系図でつながってることの説明でもしたら?


282:日本@名無史さん
07/04/18 19:20:10
>>271
蘇我氏云々もトンデモかもしれんが、藤原氏は天御中主まで系図がつながってるっていうのも、線で結んでるだけじゃん。
>>252のサイトは、『尊卑分脈』っていう14世紀の系図集をもとにしてると書いてあるね。
天八下尊という神様は先代旧事本紀にあるようだけど、記紀に出てくるの?
結局、『尊卑分脈』は、どんな根拠があって藤原氏の系図の最初に天御中主を置いて、線で結んだんだろうね。
記紀に書いてある通りとは思えんのだけど。>>281はどう思っているのかな。

283:日本@名無史さん
07/04/18 19:27:13
古事記の最初に出てくる天御中主に、
藤原氏が、系図上で線で結ばれるということを、大和朝廷が許してるという意味を、
もっとよく考えてみたまえ。


284:日本@名無史さん
07/04/18 19:30:57
>>280
>このヴァカは古事記なんか読んで無いだろ

おれもそう思う。
しかしそいつが、「記紀に書いてある」ってんだから、読んでみる。
まず古事記。
最古の写本である真福寺本の影印でいこう。
URLリンク(www.neonet.to)

3行目の下の方、墨が滲んで薄黒くなってるが、「故其天兒屋命者」とあり、
その次に分注で、【中臣連等之祖】と書いてある。
結局、古事記を読めば中臣氏の祖はアメノコヤネと書いてあるわけだ。

「読め」って言う奴が読まずに、天御中主が藤原氏の祖などと、タワケたことを書く。
マチガイを指摘すると逆ギレして開き直る。
病気だね。

285:日本@名無史さん
07/04/18 19:33:44
>>284

おや?
じゃ、おまえは、

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめとでも言うのかね?

おまえの言う、真実を表してる系図があるなら、検索してきなよ。





286:日本@名無史さん
07/04/18 19:49:16
>>283
14世紀といえば室町時代。藤原摂関政治を経たあとの時代に成立した『尊卑分脈』が、
系図上で藤原氏と天御中主を結んだとして、それにどれ程の意味があるのか。
記紀にそう書いてあった場合の、「朝廷が許している」という意味と、
『尊卑分脈』に書いてあるのを「朝廷が許している」という意味をもっとよく考えてみたまえ。

>おや?
>じゃ、おまえは、

URLリンク(www.geocities.jp)
>↑系図がでたらめとでも言うのかね?

14世紀に『尊卑分脈』を編纂した洞院公定がそう思っていたということではある。
でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。
その辺、どう考えてるの。

287:日本@名無史さん
07/04/18 20:10:18
>>286


>でも、それがそのまま記紀成立当時、そう考えられていたという証拠にはならないよね。

証拠にならないと言うなら、証拠にならない。

他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?
魏志倭人伝にも言えることだよ?


288:日本@名無史さん
07/04/18 20:12:29
>>285
その系図で、天児屋根命の親神としている「居々登魂命」とか、
そのまた親の「市千魂命」とか、いったい記紀のどこに書いてあるのだ?

しかしあんたは、「記紀に書いてある」(>>216)って言うんだから、
まずあんたが居々登魂命や市千魂命などの、天御中主~天児屋根の間をつなぐ神々を
記紀のどこに書いてあるかぜーんぶ示せよ! 示せるもんなら。ww

言っとくけど、「記紀」ってのは古事記と日本書紀のことだぜ。分かってるよな。
ゆめにも先代旧事本紀なんか持ち出すなよ!
逆ギレや開き直りはそのあとにしてくれ。

289:日本@名無史さん
07/04/18 20:16:34
>>288

本質のすり替えはみっともないからやめたまえ。

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめだというなら、
でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。




290:日本@名無史さん
07/04/18 20:16:44
古事記も日本書紀も読んでないアフォが先代旧事本紀なんか読んでる筈が無い

読んでたら「チェーン店」だの「フランチャイズ」だの言わないwww

291:日本@名無史さん
07/04/18 20:19:37
碌な知識もない癖に間違った論理を展開してるのはコイツなのに

論拠が崩されそうになったら摩り替えは止めろと摩り替える始末wwwwwwwwwww

292:日本@名無史さん
07/04/18 20:23:39
どうしたね?

負け犬がきゃんきゃん吼えてるみたいで、みっともないぞ。

URLリンク(www.geocities.jp)
↑系図がでたらめだというなら、
でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。


293:日本@名無史さん
07/04/18 20:26:22
系図の正しさと中臣氏の祖神が誰であるかは別の事なのにそれすらも解ってないwww

294:日本@名無史さん
07/04/18 20:32:45
>>275

古代史を研究する人で、中臣の祖は天児屋根だから、天御中主とは無関係などと、
額面通り受け取る人はいないだろうね。


295:日本@名無史さん
07/04/18 20:41:47
藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。
そろそろ約一名さんは撤退したほうがいいと思われ。
ちなみに皇室の祖神であるアマテラスの親イザナギは書紀一書においてすでに
国常立の子孫天鏡尊(天合尊)の子孫とされている。


296:日本@名無史さん
07/04/18 20:42:03
↓藤原不比等が一言

297:日本@名無史さん
07/04/18 20:45:01
>>295

>藤原じゃなくたってみんな辿れば結局は天御中主にいっちゃうから意味ないわな。

いきません。



298:日本@名無史さん
07/04/18 20:45:52
つーか、原初神が一番偉いという素朴すぎる考えがどこから出てくるのか?

ギリシアのゼウス、北欧のオーディン、ケルトのヌァザ・アーケツラーブ、
エジプトのラー、バビロニアのマルドゥク・・・
原初神なんていねーじゃん。

299:日本@名無史さん
07/04/18 20:58:22
そろそろ、藤原氏が、天御中主に系図を繋ぐほど、由緒ある氏族だってことがわかったろ?

藤原氏は、蘇我氏や物部氏とは格が違うんだよ。


>>209みたいなトンデモ説に惑わされるのは、
藤原氏について、きちんと調べてないからだ。

藤原氏系図だけ調べても、ただものではない氏族だってことは推測できる。
それだけ、諸君が勉強すればそれでいい。

300:日本@名無史さん
07/04/18 21:04:21
勝利宣言キタwwwwww

301:日本@名無史さん
07/04/18 21:04:55
>>299

なんで藤原氏にそこまでこだわるの?
なんか理由があるのかな?




302:日本@名無史さん
07/04/18 21:07:31
ギャハハ! 春になると香ばしい香具師が湧いてくるんですね~。
>>210
>>219
>>241
>>247
>>252
お前の事だぞ。プッ!
>藤原氏は、実質、天皇家よりも格上なんだよ?
アホですか?
>自分で記紀の原文をきちんと読むことだ。
お前は山川出版の日本史の教科書をきちんと読んだほうがいいぞ。
中臣鎌足なんて、中大兄皇子にとりついたわけわからんオサーンだぞ?
>天御中主~天児屋根~中臣と系譜が続くことは、 系図をちょっと調べれば常識の範囲。
すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!

しかしさ、この馬鹿みてると、藤原不比等って偉大だな~って思うんだよね。
いまだにこんな馬鹿を生み出してるんだからさあ。

303:日本@名無史さん
07/04/18 21:11:48
>>287
>他の氏族の系図でも同じことが言えるし、
>もちろん、古事記や日本書紀も編纂時より古い記録が、
>事実という証拠はほとんど無いということでいいんだね?

神様がご先祖様ですということに、事実という証拠があるわけないだろう。
記紀に記述があるということは、編纂当時に、そう考えられていたということ。
「考えられていた」ということが事実。
同じように、「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」ということが事実。
「14世紀に洞院公定が藤原氏の祖を天御中主だと考えた」という事実は、
記紀成立の時期に、人々が「天御中主が中臣氏の祖であると考えた」ということの証明にはならない。
だから、252の系図は「藤原家は天御中主が祖だから、天皇家より格上」ということの証明にはならない。

URLリンク(www.geocities.jp)
>↑系図がでたらめだというなら、
>でたらめだと、はっきり言えばいいだろう。

252の系図がでたらめなのではなくて、この話にこの系図をもってくるのがでたらめなんだね。

304:日本@名無史さん
07/04/18 21:11:46
>>302

>すげー馬鹿。その系図は不比等が造ったものだっちゅーの!

氏族以外の人が作った系図ってあるの?

藤原氏の系図が捏造なら、天皇家の系図も捏造ってことでいいのだね?


305:日本@名無史さん
07/04/18 21:13:42
>>303

魏志倭人伝の記述も、「書いた人がそう思った」ということでいいんだね?

そう考えれば、多くの矛盾も解決するわけだが。

306:日本@名無史さん
07/04/18 21:17:41
>>304
>>305
浪人が決まったのか、留年が決まったのか、はたまたただのニートか知らないが、
引きこもって平日の昼間から2ちゃんばかりやってないでちゃんと学校へも逝くんだぞ。
そのうちいい事もあるからさあ。

307:日本@名無史さん
07/04/18 21:19:07
この議論の流れ。デジャビュ?倭人伝関係で何度も見たような。

308:日本@名無史さん
07/04/18 21:19:16
>>306

君も、今日ひとつ勉強になったろう?
藤原氏の系図についてな。
よかったじゃないか。

309:日本@名無史さん
07/04/18 21:22:15
>>308
プッ! ひとつ勉強になったゾー!
お前がスゲー馬鹿だと言う事がよく解った。あはははは。w

310:日本@名無史さん
07/04/18 21:27:15
倭人伝関係っつーか邪馬台国関係じゃねぇ?

311:日本@名無史さん
07/04/18 21:33:26
いまの天皇家に現存する天皇の系図って継体までしか遡れないってほんと?

312:日本@名無史さん
07/04/18 22:31:55
天御中主はほとんど全ての氏族の先祖でもある。
ことさら藤原氏の先祖といわれてもなあ。

313:日本@名無史さん
07/04/18 23:10:18
中臣氏祖神の天児屋根は、『古語拾遺』では諸本によって、タカミムスビの子に
なってたり、カミムスビの子になってたりする。要するによく分からなかったんだな。
で結局、後世にはツハヤムスビの後とすることに落ち着いた。
鎌子・勝海の流れが滅んで、黒田(継体朝)の流れに移った時点で別の氏族に
変わったため、よくわかんなくなっちゃったんだろうな。
そもそも中臣氏はムラジ姓氏族なのに、中「臣」だったりして、素性がよくわからない氏族。
意外に帰化系の可能性もあるかも知れない。

ちなみに六国史にツハヤムスビは1カ所に出てくる。スグリ姓、つまり本当は
帰化人である連中が、中臣氏を賜る記事に出てくるのが何とも興味深いw
『続日本後紀』承和10年(843)1月27日
美濃国山県郡少領外従八位上の均田勝浄長等九人に姓中臣美濃連を賜ふ。中臣氏の祖津速魂命の苗裔なり。

誰かさんが言ってるのは、足利氏の先祖は神武天皇であるというのと一緒で
あまり意味がない。氏祖はやはり義家か、義国・義康あたりを挙げるのが普通。
誰だって遡れば天御中主になっちゃううんだから。(純正日本人なら)


314:日本@名無史さん
07/04/18 23:34:10
>>313


話の流れをまったく理解しとらんね。

天御中主と系譜を結んでるのは藤原氏系図が世に出てるということは、
それだけ、藤原氏は、勢力を誇っていたということであり、
蘇我氏や物部氏とは格が違うということだよ。



315:日本@名無史さん
07/04/18 23:37:12
蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?

そんな系図は、みたことないね。
捏造しようと思えば出来るものを、出来なかったということだ。
藤原氏だけが、それを出来た。
天皇家さえも出来ない。

そういうことだよ。


316:日本@名無史さん
07/04/18 23:43:43
その系図がいつ作られたかが問題だね。

317:日本@名無史さん
07/04/18 23:48:02
とにかく、藤原氏が、他の氏族を恐れるとか、
素性が知れたら困るとか、そんな状況なんて無いんだよ。

藤原氏は、天皇を凌ぐほどの力を持っていたといってもいいくらいだ。
藤原氏をなめてるやつは、その認識不足から古代史を語る資格もないね。


318:日本@名無史さん
07/04/18 23:49:46
>243
枕詞 はしけやし

319:日本@名無史さん
07/04/19 00:02:52

 「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」

藤原道長が寛仁2年(1018年)に詠んだ歌。(小右記)

来週から京都国立博物館で展覧会。
URLリンク(www.kyohaku.go.jp)

320:日本@名無史さん
07/04/19 00:05:33
>>314
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」
って道長が詠んだくらい、藤原氏は平安時代に勢力を誇っていたわけで、
それより後の室町時代にできた系図が、藤原氏の権勢を反映しているのは、むしろ当然なわけ。
それを持ってきて「蘇我氏や物部氏とは格が違う」っていうのは、あまりに時代感覚が希薄すぎるね。
蘇我氏や物部氏が力を持っていた時代は6~7世紀で、藤原氏の全盛期よりずっと前。
そんな時代に、系図を作る風習があったかどうかがまず疑問。
たとえあったとしても、蘇我氏や物部氏が一番偉い風に書かれた系図を
後から実権を握った藤原氏が、そのまま認めると思う?
藤原氏の後は武家社会だから、公家政権の最後に位置する藤原氏の書いた歴史が残るわな。

321:日本@名無史さん
07/04/19 00:35:36
>>311
>いまの天皇家に現存する天皇の系図って継体までしか遡れないってほんと?

「天皇家に現存する天皇の系図」のところが意味不明ですが、
現天皇家の祖先が継体までしか遡れないか、と質問を読み替えますと・・・・・

そんな説もありますが、反対する説もあります。
女系を考慮する説もあり、いろいろです。
また、古代の君主が世襲制であったかどうかも、議論される点です。
現存の文献だけではなかなか将来に決着できるような問題ではないようですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)

322:日本@名無史さん
07/04/19 03:44:12
>>311
継体天皇は応神天皇の5世の傍系の皇族だったわけ。
今の滋賀県・福井県あたりに所領があって
皇室本家が断絶したことから、婿養子に迎えられた。

そういう経緯と、彼の即位が記紀が書かれる前だったから
今の皇室の直接の先祖の確実に遡れる最初が継体天皇といわれる。
そういうわけで、今の歴史学者はそれ以前には慎重になっている。

ただし、最近の調査から、継体天皇の即位は割りと平和に行われたことや
考古学的な変化もあまりなく、また
日本の記紀に書かれている人物名の木管などが発見されてきたことから
やはり、継体天皇は傍系から皇位を継承した天皇だと言われ始めている。

また、このスレタイの邪馬台国論争も、大いに
応神天皇や継体天皇に関する研究にも影響を与えると思う。

323:日本@名無史さん
07/04/19 08:16:35
系図が古代まで遡れないことがハッキリしたわけだから、
ここらで仕切りなおししましょう。

継体天皇以前の系譜は確証が無いこと、
祟神天皇までは慎重に検討すること、
それ以前の神武天皇の東征などの記述は検討に値しないこと。
天照大神と天皇家を結ぶ系譜も、記紀成立以前には遡れないこと。

これだけの約束事を踏まえれば、
卑弥呼と男弟の関係を、天照大神とスサノヲの関係にみなすことは出来ません。
神武東征も、事実とはいえないことと、考古学上の物証から、
邪馬台国東遷説も根拠を失います。


324:日本@名無史さん
07/04/19 10:04:09
継体天皇関連で、鴨稲荷山古墳というのがある。

325:日本@名無史さん
07/04/19 16:03:32
もう九州から近畿まで全部邪馬台国だったで良いじゃん。

326:日本@名無史さん
07/04/19 16:12:36
九州から近畿まで全部邪馬台国ですが?

首都が九州から畿内に移っただけで。

327:日本@名無史さん
07/04/19 16:16:35
>>323
神武東征は事実かどうかは、考古学の力だけでは限界があるというだけで
検証に値しないという意味ではない。
よって、神武東征は事実ではないという意味ではない。
現時点では、肯定でも否定でもないとしか言いようがないということ。
また、仮に神武東征が事実だとしたら、それは邪馬台国の出現の
前か後かでも見解が割れるということ。

328:日本@名無史さん
07/04/19 16:55:17
>>327

おまえは、どういう説なんだね?
もちろん、論拠あっての説なんだろうね?

329:日本@名無史さん
07/04/19 17:14:27
>>322  同意
戦後は「天皇は万世一系ではない」というイデオロギーが強かったが、
最近は王朝交代説を主張する若手・中堅の学者は皆無になった。
普通に考えて、王朝が後退したのに簒奪される以前の王朝と接合して
自分の歴史に組み込んだりする訳がない。

応神天皇の母は神功皇后で継体天皇とはオキナガ家でつながる。
応神の子供が母方(オキナガ)に行き、王族として世襲されていったと
考えられる。

330:日本@名無史さん
07/04/19 17:26:50
>>329

息長氏って、どういう氏族だと思ってるわけ?

天皇家に近い?わりに、消息不明で地名にも残ってないですが。



331:日本@名無史さん
07/04/19 18:38:41
>蘇我氏や物部氏が、その系譜上に天御中主を置いているかね?

理解力のないやつだな。
例えば蘇我氏は孝元天皇から系図を始める。さらに遡れば神武・アマテラス・
イザナギ・ミナカヌシと遡れるが、そんなことは書かない。
清和源氏系図だって清和天皇から始めるのが一般的。遡れば清和・神武(以下略)
物部氏だってニニギ・オシホミミ・アマテラス(以下略)

諸氏と共通する部分はとばして、氏祖から始めるのは当たり前。
逆に言うと、中臣氏が氏祖コヤネからではなく、わざわざさらに遡ったところから
書かざるを得なかったのは、コヤネの出自が広く知られてなかったため。
(たぶん自分たちも知らなかったんだろうと思う)
それでツハヤムスビという記紀にはないカミを創造し、そこにつなげることとなった。
津速・市千・興登の位置付けが、親子だったり兄弟だったり混乱してるのも
なかなか説を確定することが出来なかった名残だろう。

332:日本@名無史さん
07/04/19 18:40:35
息長氏は九州とは何の関係も無い氏族ということは確か。
つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人。


333:日本@名無史さん
07/04/19 18:43:02
というわけで、応神が九州勢力で、畿内王権を剥奪したとかいう説は妄想ということになる。

334:日本@名無史さん
07/04/19 18:55:43
息長氏は、近江水系を支配していたのは、間違いないだろう。
それは、祟神天皇の前の代の頃から(3世紀)と言っていい。
考古学的にも、畿内と丹波の交流は否定されない。
四隅突出墓の関係から、そのまま、若狭湾や越、但馬まで交流があっただろう。


335:日本@名無史さん
07/04/19 18:57:33
近江水系を支配した息長氏の祖は、15代応神天皇の5世孫にあたる息長真手王だといわれる

とある。神功皇后以前から明らかに存在したとは言い切れないのでは?

336:日本@名無史さん
07/04/19 19:01:18
弥生時代中期後葉の弥栄町奈具岡遺跡において、
小さな谷に面した建物址から八㎏をこえる鉄片が出土したことである。
この時期の遺跡の中では日本でもっとも多い量だ。

弥生時代後期の林・藤島遺跡も、2千点を超える鉄製品が見つかっている。

337:日本@名無史さん
07/04/19 19:05:13
天目一箇神と同神とも、兄弟とも言われる天之御影命(あめのみかげのみこと)は、
開化天皇の子で、日子坐王(四世孫が神功皇后)の妃である息長水依比売の父。

つまり、息長氏は、開化天皇の頃から、製鉄とも関係が深かったと見ていいだろう。
これは、考古学の発見とも一致している。



338:日本@名無史さん
07/04/19 19:14:31
>>335

それ以前に、息長氏という氏族が実在したという証拠はあるの?

339:カナカナボウシ
07/04/19 19:19:37
更級日記にでてきます。ちょっと後世になりますが。

340:日本@名無史さん
07/04/19 19:21:36
息長氏は、和邇氏とも関係が深いことから、
渡来系技術者集団と考えることが妥当だろう。

早い話、継体天皇は、渡来系技術者集団を支持母体として権力を振るっていたということであり、
継体天皇本人も渡来人であった可能性は否めない。というか、そうであろうが。

341:日本@名無史さん
07/04/19 19:27:24
>>339

ずいぶん、落ちぶれたんだね。息長家は。

342:日本@名無史さん
07/04/19 19:49:15
>>335

君、なにか、反論無いの?

343:日本@名無史さん
07/04/19 19:55:00
天皇は天照の子孫しかなれないからなー!

344:日本@名無史さん
07/04/19 20:16:43
>>342
?
反論は無いよ。332に対する疑問を言っただけだし・・

345:日本@名無史さん
07/04/19 20:24:21
そっか 言っただけか・・・・

346:日本@名無史さん
07/04/19 20:50:51
>>345
ごめんなw

347:日本@名無史さん
07/04/19 20:59:37
許すよ

348:日本@名無史さん
07/04/19 21:02:27
ただ、息長帯比売(おきながたらしひめ)の読みが本当かな?と疑問は感じる。
足仲彦(たらしなかつひこ)と比べると「そくなが」と「そくなか」で夫婦そろいの
名前になるのにな・・と思ってたw


349:日本@名無史さん
07/04/19 21:30:36
所詮、その程度のレベルかよ。

350:日本@名無史さん
07/04/19 21:33:53
その程度ってどの程度?

351:日本@名無史さん
07/04/19 21:54:52
独り言を言っただけだ。

352:日本@名無史さん
07/04/19 21:57:50
独りごとか、了解

353:日本@名無史さん
07/04/19 23:02:43
>>332
>つまりは、神功皇后も応神も九州を征圧しただけで、九州とは関係ない人

無学 

354:日本@名無史さん
07/04/19 23:12:05
>>323
天皇家と朝廷が わざわざ天照とスサノヲ、神武東遷説をつくり出した理由は。
関係ないはずの天照を伊勢神宮で祭ってるのは。

天皇が自ら出処を九州と繋げる理由は。
う~ん、自分で東遷説を言っているわけだから。

それがすべて大嘘で、出生不明の祟神が自ら天皇を名乗ってから後は
歴史があるみたいに神話を勝手につくったと?

まるで北の将軍様みたいだね。(金剛山に祖先が舞い降りたという神話が北朝鮮にありまつw)

355:カナカナボウシ
07/04/19 23:15:07
>>341更級日記のでてくるのは落ちぶれたとおっしゃるのですか。
では、土佐日記にでてきたら出世したとでも?

356:日本@名無史さん
07/04/20 01:10:19
継体の頃は、天皇になれるかどうか母方の勢力の大きさに左右された。
なにせ父方の勢力が存在しないんだから。
オキナガは弱小勢力だったが、神功皇后の活躍で一時の隆盛を得た。
その記憶が残っていたから、継承者が途絶えそうになったときに継体が
即位できた。まあ、そんなところではないか。
継体以降は「王」を名乗れるのは天皇の5世孫までというルールができた。


357:日本@名無史さん
07/04/20 03:01:00
息長氏は近江国坂田郡南部を本拠とする古代豪族。応神天皇の皇子稚渟毛二俣の子
意富富杼王を祖とする。姓は公(君)。敏達の后に広姫を入れ中央に進出。広姫が
天智・天武天皇の祖父押坂彦人大兄皇子を生んだことにより、684(天武13)に真人姓を
賜るなど、天皇家の外戚として重視された。

同じく稚渟毛の子孫とされる三国氏・坂田氏などは、その実それ以前より存在した
三国氏・坂田氏の後をついだものであり、息長氏もこれ以前より存在していたことは、
息長水依姫や神功、その弟息長彦王、彼等の父息長宿祢王、息長田別王などの存在から
明らか。稚渟毛の母が息長田別の孫であり、その関係から息長氏を嗣ぐこととなったのだろう。

息長水依姫の夫彦坐の子孫が息長宿祢王であり、この氏族は古くから皇室とのつながりが
深い。と同時に、坂田郡は渡来系の多いところでもあり、また宿祢王の姻族はアメノヒボコで
もあり、渡来系ともつながりが深い。自身が渡来系との説もある所以である。

358:日本@名無史さん
07/04/20 08:27:46
滋賀の鴨稲荷山古墳は九州色の強い古墳だとか、今城塚古墳の石棺も九州の石を使ってるとか、
継体天皇は九州とのつながりが強いみたいだね。

359:日本@名無史さん
07/04/20 08:42:56
>>354

昔、NHKで見たけど、
天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。

愛知県一宮の真清田神社の祭神・天火明命(ニギハヤヒ)は、天照大神と同一神という説がある。
事実、真清田神社でお札をもらうと、天火明命では無く天照大神と書かれてある。

総合して考えると、神武東征神話が事実ならば、
近畿の天照大神王権に、九州から来た神武が割り込んだことになる。
神武は、近畿勢力と同化するために、天照大神を祀ったというわけ。



360:日本@名無史さん
07/04/20 08:56:48
継体天皇もまた、東海勢力と無関係ではない。

継体天皇の妃は尾張の目子媛で、
この女人は日本書紀には尾張連草香の娘とされている。
尾張には継体の皇子である安閑・宣化両天皇の陵と目される古墳もある。

あまり知られていないが、
天皇家は、東海勢力との絆がけっこう深いのだ。

361:日本@名無史さん
07/04/20 09:02:44
6世紀前半ごろ、愛知県熱田区に造られた断夫山古墳は、
尾張最大の古墳として知られています。

全国的に古墳が小さくなっていく時期、尾張で最大の古墳が造られた理由として、
尾張氏の娘・目子媛(めのこひめ)が継体妃となり、
後に大王位を継ぐ「安閑(あんかん)・宣化(せんか)」の外せきになったことが考えられます。
つまり、断夫山古墳は尾張氏にかかわる墓である可能性が高く、
断夫山古墳と形が似た二子山古墳についても、
尾張氏の一族、特に目子媛の墓ではないかとする仮説が出されています。

継体天皇の頃、尾張は隆盛しているわけです。

362:日本@名無史さん
07/04/20 09:10:13
尾張最大じゃなくて東海地方最大。
同時期の築造に限れば、畿内以外で最大。

363:日本@名無史さん
07/04/20 09:19:49
継体天皇は史実で、九州とは関係ないことがはっきりしたね。

364:日本@名無史さん
07/04/20 18:58:45
なんかさ、憶測で歴史を語りすぎるきらいがある。
もう、あほかと。
ここは邪馬台国の時代云々を語るスレだし、
継体天皇のことも憶測をさも定説のように語る阿呆の多いこと。
戦後のマルクス主義史観・唯一史観の弊害だわな。

365:日本@名無史さん
07/04/20 19:02:14
>>354
おまえら、ちゃんと記紀を読んだか?原文で。
ここにいる奴は、記紀をちゃんと原文で読んでいない奴が多すぎる。
図書館で原文をかりるなり、ネットで原文を探すなり
本屋で一万円くらい出して買い揃えるぐらいしてから
歴史を語れや。

366:日本@名無史さん
07/04/20 19:11:41
>>329
応神天皇の出生に関しても諸説がある。
最近、言われているように、二倍年暦で計算したら
別に生物的に不思議なことはない。
ただ、日本書紀の編纂者は、神功皇后の活躍時期を無理に卑弥呼に合わせたように
上古代の日本が二倍年暦だったことを気がついていないような気がする。
そんな関係から、彼らは応神天皇の出生を疑ったのかもね。
仮に二倍年暦が事実なら、神功皇后は15歳で応神天皇を生んだ幼妻だったことになる。


367:日本@名無史さん
07/04/20 19:14:17
>>359 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 08:42:56
>>354
>昔、NHKで見たけど、
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説がある。
>壬申の乱で勝利した天武天皇が、東海勢力の顔を立てて天照大神を祖神として祀ったというわけ。

自分は昔はその説を信じたけど、最近は疑っているね。
やはり、天照大神はずっと前に作り出されたんだと思う。
少なくとも、崇神天皇の前後(卑弥呼の前後)には。


368:日本@名無史さん
07/04/20 19:32:53
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。

前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤~6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。

日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。


653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
URLリンク(bbs.enjoykorea.jp)

韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。

認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。

369:日本@名無史さん
07/04/20 20:13:57
ここにも原文タンがいた!
原文無理ぽ!勘弁

370:日本@名無史さん
07/04/20 22:38:40
1000 :日本@名無史さん :2007/04/20(金) 22:36:18
みんな、熱くなっているなww

自分はここ最近、いろいろ考古学の講演とか
見に行くようになったんだけど、

全体的な印象として、あと数年たてば、おそらく
邪馬台国畿内で決着するような雰囲気みたいです。
というのは、学会のほうでは、もう100%近くが畿内で
中国人で邪馬台国を研究している学者も殆ど畿内に傾いていて
そういう雰囲気らしいです。これは日本全国的に見てもそう見たいです。

たまにテレビで九州説を主張している学者さんも居ますが
テレビでは、畿内と九州で対に出ますが、
実際は、ほとんど異端扱いになりつつあり、孤軍奮闘という感じらしいです。

371:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/20 22:49:34
ドン来い17 レス1000番さんへ
変なまとめ方しないでよ。その時代の風潮で歴史が決まるわけじゃないんだから。
根本的な問題が解決しない限りアバウトに畿内説で決まりだなどと言われても
疑問だらけ、不審だらけの歴史を日本の未来を担う子供達に教えても
きっとその中から歴史の真実を明らかにする人が出てくるに違いない。
いい加減なまま断じて幕引きをさせてはならない。
九州説はもっとがんばろう。言い続けよう。でないといいように誤魔化されてしまう。

372:日本@名無史さん
07/04/20 22:53:29
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。

応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。

もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。

神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。

ここまではOKだよね?

373:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/20 23:07:34
>>370
いやいや、そうなったとしても、いずれ臥海のドン連中はこの世から
消える。そうなるとその下の学輩は九州説を黙っていたところ、出世の
妨害をされるおそれが薄くなるから、のびのびと真の主張ができて、畿内説は葬り去られる。

だいたい畿内近隣に女王国があるんなら、記紀はその記述を遠い遠い大陸の倭人伝以上に詳細に書くことができ、とうの昔に論争はないはずだ。それに卑弥呼のことが書いてあるわけだからねぇ・・・ つまり、女王国は九州にあったことは動かないのだ。

374:日本@名無史さん
07/04/20 23:13:25
>>372
応神と神功は九州と無関係ではない。

375:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/20 23:18:59
>>373 フムフム。

376:日本@名無史さん
07/04/20 23:30:19
>>374

九州を征圧したというだけで、
応神と神功は九州とは親戚関係は無い。

377:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/20 23:33:06
遠い遠い大陸の魏志倭人伝に女王国の記述が多大に書かれている。

近い近い日本の古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない。

女王国は日本にあるんだから、本来はこれが逆でなくてはならないのに
皮肉にも反対になっているのである。

これは何を物語っているのか? 
全国の皆さん、よく深考されたい。

つまりだ、女王国は畿内に無かったからだ。九州にあったからだよ。

378:日本@名無史さん
07/04/20 23:47:47
それでも、継体天皇は、九州勢力とは無関係。

応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。

もちろん、祟神天皇も、九州とは無関係。

神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。

ここまではOKだよね?

379:日本@名無史さん
07/04/21 00:17:59
>>377
>これは何を物語っているのか? 
>全国の皆さん、よく深考されたい。

女王国のころの日本列島では、中国みたいに文字でものごとをきちんと記録する習慣はなかった。
日本列島ではどこでもそうだった。九州でも畿内でも。
それで何百年か時が経つと、女王国のことはだいぶん忘れ去られてしまい、
断片的なエピソードはともかく、きちんと正確に事跡を伝えることができる人はすっかりいなくなってしまっていた。
しかし「史書をまとめよ」と命じられたので、なんとかかんとか、やっとこさの思いで記紀がが編纂された。
それゆえ

>古事記日本書紀にそれが殆ど書かれていない

のは、決しておかしなことではないのである。

380:日本@名無史さん
07/04/21 00:24:11
>>367
>天照大神は、もともと近畿の東海勢力が祀っていたローカル神という説

違うね。ローカルなら普通に出てくるわけだし、元伊勢祭りなんかないはず。
ローカルじゃないのを広めようとしたんでしょ。



381:日本@名無史さん
07/04/21 00:36:03
それより、>>372・・・・ただ単に勉強不足なのかしらないけど
結局、嘘を書いたら駄目だよ。それを前提にして説をつくるとすべてが嘘になる。

応神と神功は怖いほど九州に関係してるよ。まず神功は生まれが不詳。
経歴を考えたら初めから九州出身の可能性もある。

それから応神。欽明天皇の枕もとに出たんだっけ?w 宇佐と非常に関わりが深い。
なんでわざわざ宇佐なの?そばに何でも建てたり伊勢にでも加えりゃいいものを。

神功と応神。この2人は当然八幡で本元宇佐とつながってるし。
しかも畿内の朝廷は何もかも宇佐の神託に右往左往。東大寺もな。

あと、神輿の発祥も宇佐だということを忘れずに。というか知らないんだろうが・・

382:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:37:30
僕が一番おかしいと思うのは南方向を西に読み替える事もさながら
倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。
確か畿内説はこのように捉えるのだとか。
これじゃあ幼稚園だって「最後までもっと詳しく書きましょうね」と先生からお小言を頂戴する。
もしも大人でこんな文章を書く人がいたら、何らかの精神疾患を疑ってしまう。

383:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 00:41:51
>>382間違いの訂正です。

南方向を西に読み替える  でなく 南方向を東に読み替える
でした。

384:日本@名無史さん
07/04/21 00:46:27
>>381
宇佐の社伝を読むとさ、神功は生まれた場所不詳としながらも
すぐ後でさ、祖母山の大神の新婚神話とか現在の宮崎の都農とか
出してるんだよね。ここには口伝集も残っているというし、
なんか仄めかしたいのかなと思うんだね。

385:日本@名無史さん
07/04/21 00:50:48
>神功は生まれが不詳。

父は息長宿祢王、母は葛城高額姫ですが、何か?

386:日本@名無史さん
07/04/21 00:55:53
>>382
>倭人伝の記述が東南にいたる何里、何々国、官名何々・・と最初丁寧に書きながら
>30カ国名だけをを並べ始め、とどのつまりは水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃうこと。

さぱーり意味不明。

「30カ国名だけをを並べ始め」、・・・なんだそりゃ?

「水行十日陸行ひとつーき。といきなり跳んじゃう」、・・・誰がだよ?

387:日本@名無史さん
07/04/21 00:59:34
「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。修行なの。

いっしょうけんめい修行して身を清めないと邪馬台国に
入れてもらえないの。

388:日本@名無史さん
07/04/21 01:04:07
九州の東海岸は入組んだうえ島だらけで、水行には相当時間が費やされた
とみるが当然。

389:日本@名無史さん
07/04/21 01:07:25
少なくとも朝廷を初めとする皇族には それなりに家伝とか社伝とか
何でもあるだろ。九州と関わりがなければ
日本中に宇佐八幡を4万も広めたり、神輿や信託出させたりはさせないはず。


390:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 01:12:05
>>386
へえー畿内説でもこの部分に異説があるんだ。
知らなかったー。で、どのように捉えるわけ?

391:日本@名無史さん
07/04/21 01:30:32
>>378
>応神天皇も、神功皇后も、九州とは無関係。
>神武天皇が九州出身でも、その後の畿内王権は九州とは無関係ということはガチ。
>ここまではOKだよね?

OKではない。
つぎの3天皇は、九州から妃を迎えていると思われる。いずれも南九州の豪族の娘のようだ。

【景行天皇】
妃:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)
妃:襲武媛(そのたけひめ)
妃:御刀媛(日向美波迦斯毘売)(ひむかのみはかしびめ)

【応神天皇】
妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)

【仁徳天皇】
妃:日向髪長媛(ひむかのかみながひめ。諸県君牛諸井の女)

392:日本@名無史さん
07/04/21 01:52:27
>>381
宇佐の信託と関係があるのは
初代の神武からそう。

393:日本@名無史さん
07/04/21 02:56:14
>>380

九州には元伊勢が無いことは、認めるわけだな?

394:日本@名無史さん
07/04/21 02:58:57
>>391

九州から妃を迎えたとしても、その子が次の天皇になれたわけじゃない。


395:日本@名無史さん
07/04/21 03:03:58
■■ 江原啓之に解明させたい歴史ミステリー ■■
スレリンク(history板)

396:日本@名無史さん
07/04/21 03:27:56
>>393
元々来たところにはいらない。オリジナルの土地にわざわざ畿内から立てるか?
しかし天皇の勅令で宇佐の代々の古社が順々に建てられているね。

しかし、何、>>393>>394, ここで無理やり天皇の神代記を
断ち切ろうとしているわけ?つまり祟神は出生をごまかしたという説に
でもしたいのかな。。。

しかし天皇は史書を読んで自分の出生を知ったわけではないのを
頭に入れたほうがいいよWW 誰が編纂を監修したのか脳みそ使おう。

397:日本@名無史さん
07/04/21 03:44:32
神武=祟神?
あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
まだ王ではなかったとか?

考古学上だと、畿内からは王冠や三種の神器が出てくる時期が
他より遅いってあったね。別スレか考古学板で読んだけど。

398:日本@名無史さん
07/04/21 04:40:11
>>393
伊野天照皇大神宮があるから
元伊勢はいらなかったのでは


399:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 06:30:29
>>386>>387
>>386はお答えが無いようですが?
おたくより「「水行」「陸行」は「すいこう」「りくこう」じゃないのよ。
「みずぎょう」「おかぎょう」と読むの。」の人のほうがよほど信憑性があるような気が。
せいぜい修験道にでもはげんでちょうだいね。
おたくじゃないの、この前「水行はすいこうじゃないの。みずぎょうざなの。って言ってた人は。

400:日本@名無史さん
07/04/21 07:39:16
>>382

次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、
次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、
次有鬼奴國、次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國、

国名だけを並べているのはこの21国だね。どう数えても「30カ国」じゃないよね。
「水行十日陸行一月」はもちろん邪馬台国に至る日数の記述で、これら傍国21国よりも前のところに書いてあるね。
邪馬台国については「水行十日陸行一月」の行程とともに官名や戸数も丁寧に書いてあるよね。

だから>>386氏の疑問は当然だと思うよ。
>>382が何を主張しようとしているのか、ぼくも全く分からないね。
まさかと思うけど、肝心カナメの魏志倭人伝さえ読んでない・・・・・ことだって、あるのかもね。

401:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 07:52:51
>>379
記録する習慣はあったよ。紀はその原書群をもとにして書かれているんだから。
それに、数歩ゆずって記録の習慣がないとしても、稗田阿礼の記のように、彼の
脳内の記憶から記が書かれたんだから、卑弥呼の君臨と女王国の位置、習俗、
交易のおおざっぱでも知ってるはずで、この位なら忘れるはずはない。

記をあのくらい語れるんだから、かようなおおざっぱは、畿内のわきにあって
女王がいて天皇と交流したとかの彼の記憶からの記事が必ず残る。
それが無く、遥か遠い異国の倭人伝に記載があり、近国の情報を採り易い記紀
に0に近い記録内容を考えれば、畿内に女王国がなかったことは、全国の
皆さん、自明に近いことだ。

402:日本@名無史さん
07/04/21 08:43:50
巻向って本当に邪馬台国の卑弥呼の時代と同時期だったのか?年代が実はまるきり違うのでは。
ここが非常にひっかかる。
なぜならいきなりそんなものが現れた。

つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。
邪馬台国の東遷だとしたらバッチリ合う or 神武の東征(実は神武=祟神、欠代は九州に居た)

なんせ天皇家が自分から祖は九州からやってきたと言いふらかしまわっている。
巻向を建てた集団の長〓天皇家は、天皇らが自ら編纂しまくる通り筑紫・日向(昔の九州の呼び名)
からやってきたのは史実≒事実。

そして巨大古墳の建設開始に秦氏が加わった。伊勢のユダヤと間違われる
奇妙な記号や魚も秦氏の影響でしょう、やはり。秦氏といえば宇佐。なので、
宇佐+吉備 ⇒ 畿内
そしてもし宇佐や吉備が邪馬台国と関連するなら、邪馬台国の東遷がはこの時期だ。


などと風呂にゆったり20分ほど浸りながら至った軽い一説。リオハのワインはいつも旨い。
あと20分長く浸かっておけば年号の不一致も論破できたと思う。

403:日本@名無史さん
07/04/21 09:31:59
>>402

>つまりどこかから誰か大集団がやってきて建てた。

それは正解だよ。
でも、九州から東遷してきたとしか想像できないようだね。

君の頭の中には、「3世紀の倭国=邪馬台国=九州」という図式しかないのは理解できる。
君が無知で、3世紀の日本列島全体の様相について何も知らないし、
何も知ろうとしないのが原因だからな。

もし、少しでも「3世紀の日本列島全体の様相」について知ろうとしていたなら、
奈良盆地にきた大集団が、九州からきたと考えるよりも、
吉備や紀伊や丹波や東海から来たと考えたほうが、
考古学上の物証からも明らかだと理解できるだろう。
まあ、理解できなくても責めないよ。
最初は、誰でも知らないことはある。知らないことは恥じゃない。
知ろうとしないことが問題なだけでな。


404:日本@名無史さん
07/04/21 09:42:40
九州ですが ◆IhXqm1bg5c にも、ちょっと問いただしておくか。

君は、当然、邪馬台国は九州にあったと考えるわけだね?
それならそれでいいよ。
じゃ、それを前提としてもいいから、ひとつ君の考えを聞かせてくれ。

過去レス・スレにもあるとおり、
弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?
それとも遺跡の年代が捏造なのか?
どう思うね?

405:SOY
07/04/21 10:13:19
>>404
>弥生時代の奈具岡遺跡や、林・藤原遺跡からは、
>この地域では、大量の鉄を扱っていたことがわかっている。
>これらの地域は邪馬台国と、どう関係があったのか?
>または関係が無かったのか? 独自に朝鮮半島と交易していたのか?

私も少しだけ横レスいたします。

邪馬台国=北九州とするなら、山陰と邪馬台国は無関係ではないと私は考えます。
山陰が中国と交易するにしても、北九州や朝鮮半島を経由せずには交易できませんから。

北九州から品物を入手するだけでなく、北九州を通過させてもらうことも
あったと思います。これらについては朝鮮半島から山陰の土器がどの程度
出土するか等によって判断するしかないかと思われます。

私個人の意見としては、必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
全て担っていたとする必要はないと考えます。
 

406:日本@名無史さん
07/04/21 10:36:36
>必ずしも、北九州が朝鮮半島との交易を
>全て担っていたとする必要はないと考えます。

その通り出雲が頭から抜けてるねw 

407:日本@名無史さん
07/04/21 10:50:18
>>403
すっげー狭い奈良盆地並の思考回路W

読めばわかるとおり、想像ではなく
天皇家が自称九州から東征してきたといっていることと、巨大古墳群が現れることに
吉備・宇佐の秦氏の関係が切り離せないことから筋道建てて説いているわけだが。

紀伊や丹波や東海、つまり畿内と東海、もともと近いところから(当然掘ってでるのも関連してるなw)
なぜか奈良盆地に集まってきて、そこの天皇が九州から来たと言い始める理由は?
そりゃ、近いところだと考古学で出るのも関連するのはアフォでもわかる。

巨大古墳群ができはじめることを吉備の秦氏と繋げると、一番関わりの深い宇佐が出てくるのは
当然で。想像でも思い込みでもなく理論的。

史書完全無視で、考古学だけしか話せないならさ、考古学スレにどーぞーw
最近 覗いたときは畿内説破壊されまくってたみたいだけどなぁw

しかも

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408:日本@名無史さん
07/04/21 11:04:22
>>407

>天皇が九州から来たと言い始める理由は?

神武は、1世紀の人物だろ。



409:日本@名無史さん
07/04/21 11:52:31
若狭湾には、ツヌガアラヒト(天日槍)が渡来している。
但馬を開拓した、タジマモリという人もいる。
この人たちは神功皇后に繋がる。
応神は、高志前の角鹿の伊奢沙和気大神と名前を換えたという不思議な記述もある。

神功皇后と応神のゆかりは、九州よりも山陰の方が濃いのである。

410:日本@名無史さん
07/04/21 13:45:05
「神武東征」って言っても実質的に戦争っぽいのは「白肩津」以降。
要は、大和と河内の地域戦争ですね。
瀬戸内と東海の間にあって交通の要所である大和を河内が東海と連合して
奪ったってだけのこと、と言うストーリー。
これなら3世紀の話しとして成立し得る。
後は河内勢力自体の遠祖が弥生文化の伝来とともに九州の方からやってきた、
と言う伝承を組み合わせれば「神武東征」譚の出来上がり。
事実かどうかは知らんが。

411:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:11:37
>>400こちらもそっちがどこに疑問を感じているのかよく解らない。
じゃおたくは「次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、」などに細かい記述が無いのはどうしてだと思うわけ?
また水行十日陸行一月はどう捉えてるわけ?


412:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 16:29:18
>>404僕としては
「奈具岡の鉄器生産は、同じくこの遺跡で盛んに行われていた水晶玉製作に使う鉄錐などを作るためのものであった」というのが正直な意見で
同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。
邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。

413:日本@名無史さん
07/04/21 16:34:37
UP! ロンドンハーツ !!!

古瀬絵理 スイカップ アンオフィシャルホームページ
URLリンク(suikup.free.fr)

414:日本@名無史さん
07/04/21 17:12:29
>>397 :日本@名無史さん :2007/04/21(土) 03:44:32
>神武=祟神?
>あるいは神武以降欠代のときは実はただの地方豪族であって
>まだ王ではなかったとか?

神武と崇神が同じわけはない。
代数から言ったら、神武というのは、崇神よりも
150年ほど前の人だろうと言われている。

神社伝承なんかには、神武のことは九州の日向や宇佐にも残っているが
そこからバタリト天皇の伝承が消え、次に出てくるのが、熊本のあたりで
孝霊天皇(卑弥呼の親父という説がある)の代まで出てこない。

よって、その間は畿内王権はローカル王権になっていたとしか思えない。

また、神武東征についてだが、あの記述が正しければ
神武は河内にたどり着くまで全く戦闘をしていない。
それまでは平和そのものの巡幸なわけで。
また、その河内での戦争は負けているんだよ、神武は。
その後、熊野から入って、畿内の事代主神の婿養子に入っている。
ちなみに、神武と事代主神は数代前で繋がっている遠い親戚。

415:日本@名無史さん
07/04/21 18:23:20
>>412

>同じ鉄器を作るにしても方や北部九州は武器が主で、畿内は勾玉など装飾にと文化の違いで使用法が違っていたと思う。

北部九州で、どれくらいの鉄器を武器にしてたかも知らないバカ。
というか、鉄器は武器にしか利用されないものと思ってるバカ。

>邪馬台国とは無関係で、独自に朝鮮半島と交易していたと思うが、邪馬台国時代より多少時代が下るのではないかと思う。

根拠も無く、「思う」だけ。

416:日本@名無史さん
07/04/21 19:03:05
>>412
丹後の奈具岡遺跡は弥生中期の遺跡ではなかったでしょうか。
しかしあなたは、「邪馬台国時代より多少時代が下るのでは」とお書きで、
そうしますと奈具岡遺跡は後期後半ないしは古墳時代に入った遺跡となってしまいますが、
そのようなソースがありましたでしょうか。あればぜひお示しください。

417:日本@名無史さん
07/04/21 20:27:32
>>410
> 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。

そうやね。
出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。

争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
集権化が進み始めた兆候だと思えるね。

418:日本@名無史さん
07/04/21 20:37:56
大国主って、国を譲るんだから、なかなかの人物だな

419:愛知県民
07/04/21 20:46:44
記紀を読む限り、大和朝廷の九州支配は遅いです。
景行紀に南九州(熊県(くまのあがた)が出て来る)、仲哀・神功紀に北九州を支配し、
伊都国・奴国・末盧国に当たる県と並んで「山門県(やまとのあがた)」が出て来ます。
九州説で邪馬台国=山門県、狗奴国=熊県とすれば簡単なのでしょうが、
邪馬台国は遠絶ということなので、やはり畿内にあったと思います。
そうすると難升米=長髄彦説になります。
神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。
帥升=須佐之男か? 九州出身氏が言ってましたね。

420:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/21 20:54:41
>>415>>416
まいったなー。この問題はつい先日お題にのぼってだいぶ喧々諤々やり合ったんだけど。
又蒸し返すにはちょっと期間が短すぎるんじゃない?>>415バカとか言う前に
ちょっと前スレくらい読んでよって感じ。あんまり短い期間で同じことやるとうんざりする。
>>416の言うようにソースからいちいち示さないといけないしねえ。
このスレか姉妹スレのドン来いスレそしてその一つ前のスレくらい読んで調べてもらえない?
そして疑問があったらそこで初めて聞いてきてちょうだいな。

421:日本@名無史さん
07/04/21 20:56:19
>>414

神武・崇神がローカル?

神武の都、磐余と言うところは瀬戸内から遡上してきた大和川の最上流部。
宇陀、伊賀を通じて伊勢と繋がる要衝の地。
鎖国政策でこじんまりと過ごせるような立場じゃないですよ。



422:日本@名無史さん
07/04/21 21:05:11
>>419

> 神武以前に近畿~九州に及ぶ国家連合があったのかは問題ですが、
> 倭国王帥升が百六十人の生口を献じたという記事を見ると、可能性はあるように思います。

160人は多いように見えるが、大した輸出産品が無ければ奴隷貿易しかないですよ。
鉄塊1㎏が人1人ぐらいの交換レートだったのかもしれません。


423:日本@名無史さん
07/04/21 21:09:00
>>417
> >>410
> > 「神武東征」って言っても ~ 要は、大和と河内の地域戦争ですね。
> そうやね。
> 出発地の日向はともかく、途中の宇佐だの筑紫だの安芸だの吉備さのは
> 友好国か親戚筋みたいな感じで画かれている。

これは間違いの事実。

> 争いの記憶は畿内内部での出来ことのことでしょう。
> 弥生時代後期の高地性集落の分布が畿内・東海方面に多いのは、
> 北部九州や吉備、出雲に較べて地域統合が遅れていた地方でも
> 集権化が進み始めた兆候だと思えるね。

これは一概に言い切れないこと。
地域統合の進んだ地域が後進地域に攻め込んで輸出商品の「生口」を
獲得していたのかもしれない。

424:日本@名無史さん
07/04/21 21:18:52
素朴な疑問なのですが、邪馬台国畿内説の皆さんは、
「高千穂への天孫降臨、そしてその子孫である神武天皇が日向より東遷したという記紀の記載」
をどのように説明されるのでしょうか?

425:日本@名無史さん
07/04/21 21:23:24
>>424
邪馬台国畿内説の人でも色々いるが
彼らの大部分は、神武東征の出来事は
たとえ事実だったとしても、それは
3世紀中ごろの卑弥呼の時代よりもずっと前の出来事だろう?
と考えているわけです。

426:日本@名無史さん
07/04/21 21:28:17
ずっと前って2世紀より前ですか?

427:日本@名無史さん
07/04/21 21:31:14
>>425
なるほど。
魏志倭人伝では、「卑弥呼のあとトヨが起つ。」とありますよね。
私はこのトヨは、記紀にでてくる宇佐の豊玉姫だと思っているのですが、
畿内説の人たちはそれについてはいかがでしょうか?

428:日本@名無史さん
07/04/21 21:33:10
卑弥呼を誰に比定するかでちがってくるよ

429:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:33:45
神武天皇即位 紀元元年

崇神天皇即位 紀元237年

430:日本@名無史さん
07/04/21 21:37:17
>>426
いや、だから、邪馬台国畿内説の中でも人によって意見が違うから...
たとえば、あの3世紀中ごろの出来事を
日本書紀や古事記に記載されている いつぐらいの出来事なのか
解釈によって、当然、神武の東征の時期の解釈も異なってくるし。

で、今一番有力なのは、魏志に出てくる西暦247年の出来事を
日本書紀の崇神天皇10年の出来事と同一視する見方。

それによって、その前の天皇の年代も計算していく。
一般的に日本書紀は、神武の即位年を革命年の辛酉年に合わせようとした
ことが分かっているので、古事記の天皇の寿命や
上古代の二倍年暦も考慮して計算して考えないといけない。

ちなみに、おれが考えたのでは
神武が生まれたのは西暦50年代で
神武東征は西暦70年代~80年代くらいで
神武が死去したのは西暦120年前後。

431:日本@名無史さん
07/04/21 21:45:05
2世紀より前なんだね。
あり

432:日本@名無史さん
07/04/21 21:46:59
狗奴国との戦い~卑弥呼の急死
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

日本書紀 巻五第三話 武埴安彦の反乱
URLリンク(www.loops.jp)

日本書紀巻第五 の崇神天皇10年に注目
URLリンク(www.j-texts.com)



433:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/21 21:47:13
紀の崇神天皇十年=皇紀573年=紀元240年=正始元年

434:日本@名無史さん
07/04/21 22:04:36
>>423

中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
海賊>狗奴國>後世の河野水軍

435:日本@名無史さん
07/04/21 22:24:49
>>434

いずれにしても、「海賊対策」と言うのは広域な安全保障体制を構築する動機の
一つだね。
こういった安全保障体制は弥生中期には九州・韓半島間にしか存在しなかったが、
物流網が拡大するにしたがって瀬戸内にも成立してゆく。
それが畿内説的には邪馬台国体制と言うものそのものだ。

436:日本@名無史さん
07/04/21 22:29:31
>>434
>中期の高地性集落は海岸部中心だから海賊対策だったと言うことも考えないと。
>海賊>狗奴國>後世の河野水軍

いい加減なことを言うな。

武家家伝_河野氏
URLリンク(www2.harimaya.com)

437:日本@名無史さん
07/04/21 22:30:24
>>434

神武は、その海賊の中の一集団だったろうね。

438:日本@名無史さん
07/04/21 22:43:15
>>436

何が言いたいんだね。

>>436提示のサイトの冒頭部

>河野氏は、ニギハヤヒ命の後裔越智氏から出ている。
>すなわち、文武天皇の時代に越智玉興が伊予大領となり、
>その弟玉澄が伊予国温泉郡(風早郡?)河野郷に住んで河野氏の祖になったという。
>『その真偽は詳らかではない』が、かなり古くから河野郷に根差した土着の氏族であったことは間違いない。


439:愛知県民
07/04/21 22:45:01
>>424
私はとんでも畿内説ですが、神武天皇が狗奴国の卑弥弓呼だったと思います。

>>427
台与は登美夜毘売(那賀須泥毘古の妹)と言ってきましたが、
壱与=伊須気余理比売のほうが良さそう。

440:日本@名無史さん
07/04/21 22:47:25
>>437

海賊行為も交易も紙一重の世界だったでしょうからそういう考えもあるでしょうけど、
「神武」は特定個人ではない、始祖集団の何人かの首長の功績をまとめた伝承だろう。

441:日本@名無史さん
07/04/21 22:55:22
>>435

そうそう。
「海賊に煩わされて、隣村との物品のやりとりが滞ることに困って、
ムラ同士が団結してなんとかしようや。」
ということで、まだ荒らされてない奈良盆地に指令本部を置いたのが、
ようするに大和連合のはじまり。

九州説の人は何を勘違いしてるのか、
「国を拡大すること=鉄器の武器で侵略すること」しか頭に無いから、
全然、話が噛み合わない。
まあ、九州勢力が鉄器の武器で隣村を蹂躙していたことはあったろうが、
そうした荒くれ集団に、団結して対抗したのが大和連合。


442:日本@名無史さん
07/04/21 23:03:22
>>441

いや、俺は瀬戸内と東海の間に有って「通せんぼ」状態だった大和を
周りの勢力が占領したのが畿内連合の始まりだと思う。

443:日本@名無史さん
07/04/21 23:04:56
大和連合から国を譲ってもらったのが、邪馬台国ですか?

444:日本@名無史さん
07/04/21 23:06:11
>>442



大和盆地に、「通せんぼ」をしていた勢力があったというわけ?
ニギハヤヒとか?

445:日本@名無史さん
07/04/21 23:09:57
>>442

たとえば、東海勢力なら、紀伊半島の南を舟で行けば、
河内に着けるわけだから、奈良盆地が、「通せんぼ」にはならないのでは?

それとも、東海から陸路で奈良盆地を通過して河内に行こうとしたということ?

446:日本@名無史さん
07/04/21 23:13:52
ヒント 新幹線

447:日本@名無史さん
07/04/21 23:14:09
>>445

東海は、関が原を抜けて近江へ行けば、大阪湾や若狭湾に行くルートがある。
大阪湾に行くには、奈良を抜ける必要がある。

伊勢から伊勢街道を通って奈良に抜けるルートもあったと思う。


448:日本@名無史さん
07/04/21 23:16:03
紀伊半島の南側は、海が荒くて舟が寄れる津も少ないから、危険だったのでは?

神武も熊野に迂回するのに苦労してたようだし。

449:日本@名無史さん
07/04/21 23:20:25
>>446

なるほど、関が原ルートですね。
古代では、海が内陸に迫ってたから、
今の美濃あたりから河内に行くには、関が原を通ったほうが早そうですね。

河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。




450:日本@名無史さん
07/04/21 23:21:00
凄く大変だったってさ

451:日本@名無史さん
07/04/21 23:26:33
丹波・越・東海・近江の勢力にとっては、
瀬戸内海に抜けるためには、奈良盆地はおいしい土地だったでしょう。

奈良盆地を早くからねらってたのは、丹波・越・東海・近江の勢力だとすると、
吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?
近畿と手を組みたいと思ってたのかな?
一応、鉄器は吉備まで流れていたようですが。


452:SOY
07/04/21 23:29:51
>>446
>ヒント 新幹線

>>449
>なるほど、関が原ルートですね。

>河内に出る手前の奈良盆地は、自然の要害として機能したことでしょう。

新幹線は奈良盆地を走っていないのでは?
ある意味、奈良は素通り… 鉄器が少ないのもこのあたりと関係があるのでは?

寝る前にちょっと発言してみました。
 

453:日本@名無史さん
07/04/21 23:30:07
吉備は、鬼退治に夢中でした

454:日本@名無史さん
07/04/21 23:32:53
soyおやすみ

455:愛知県民
07/04/21 23:33:57
>>422
しかし、百六十人の生口を連れて行くためには千人ぐらいで行かないと
無理なのでは?
途中で逃げたり亡くなったりした生口も多かったかもしれない。
やはり大変な数と思いますが。
迎える漢王朝も警戒したでしょうね。

456:日本@名無史さん
07/04/21 23:36:26
>>451

>吉備とかは、どういうスタンスだったんでしょうね?

播磨・河内・阿波・讃岐と東瀬戸内連合を形成していたんじゃないのか?
大和を手に入れれば東海・関東と直接交易ができる。


457:日本@名無史さん
07/04/21 23:37:11
さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。

鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?





458:日本@名無史さん
07/04/21 23:39:28
>>455

一度で海峡を横断するのは無理でしょうね。
とにかく楽浪までは自力で連れていかないとねえ。

459:日本@名無史さん
07/04/21 23:41:13
>>457

うん。実際に、奈良から鉄は多く出土してないのだから、
鉄を交易して備蓄していたとは考えられないし、考える必要も無いよ。

当時は鉄と同じくらい貴重なものもあったはず。
例えば「塩」だよね。


460:日本@名無史さん
07/04/21 23:42:46
>>457
> さて、越や但馬など、弥生時代の日本海側では、
> 鉄器が潤沢だったことがわかってきています。
> そうなると、鉄を得るために、わざわざ瀬戸内海ルートを奪取する必要は無いわけです。

「日本海ルート」勢のライバル、「瀬戸内海ルート」側から見れば大和の掌握は重要じゃないの?

> 鉄以外の物産品を交易するために、奈良はハブ市場として開拓されたと考えますがいかが?

「ハブ」であることは間違いないね。

461:日本@名無史さん
07/04/21 23:52:23
URLリンク(www.jti.co.jp)

この図にあるように、弥生時代末期で、塩を生産していたのは、瀬戸内海の一帯。
日本海ルートも側も、瀬戸内海の塩を欲しかったろう。
九州も瀬戸内海の塩を欲しかったはず。
吉備辺りは、塩の交易の利権を掌握していたかもしれない。
それならば、奈良を市場として開拓する意味がある。

462:日本@名無史さん
07/04/21 23:54:57
蝦夷をつかまえて、「奴隷市場」として栄えていたこともありうる。

463:日本@名無史さん
07/04/22 04:07:44
神功が熊襲を退治するとき 大和軍に宇佐の神軍も一緒だったこと忘れんな。
つまり神功は九州制圧などではなく、北部九州の対熊襲を支援しに
来たんだね。だから隼人の魂を祭る神社が宇佐にある。

このことからも北・中部九州と畿内は戦争などしていないうえに
制圧されてもいない。

じゃ、どうやって畿内と九州が繋がったんだろうな。記紀の神武東征で
すでに指摘されているとおり、安芸や吉備は征圧などしていない。
つまり宇佐の圏内から吉備まで戦う必要などなかったんだろう。

ところが畿内で戦わないといけない。ここからもわかるとおり、吉備と畿内の
境が対立圏じゃなかったのかな。どちらにせよ東征という漢字は内容に合わないと
おもうがね。            


464:日本@名無史さん
07/04/22 05:48:28
「東征」という漢字があまりにも大げさだったから
後世の歴史家が混乱してしまったんじゃないのか?

フランスが翻訳を素直に読んだら
「九州生まれの神武が、畿内の王家の娘と結婚して
後を継承しました」と素直に解釈しているのにはワロタ。

こういう素直な解釈って、日本人はしないよなw

465:日本@名無史さん
07/04/22 06:06:14
>>463

>ところが畿内で戦わないといけない。
>ここからもわかるとおり、
>吉備と畿内の 境が対立圏じゃなかったのかな

吉備から播磨、摂津、河内と阿讃の東瀬戸内連合の成立が先でしょう。

ここが核となり豊を中心とする西瀬戸内や畿内内陸・東海を統合し、
大瀬戸内連合が形成された。
これに北部九州玄海グループが加わった姿が、
初期のヤマト政権だね。

大和が中心になってしまったのは、渡来系の影響力だと思う。
大連合が成立して安定したため、
韓からの渡来者も増えたと思うが、
こういった集団は比較的後進な畿内内陸部に定住したものが多く、
逆に他の地域を文化的に凌駕してしまったとかね。

466:日本@名無史さん
07/04/22 06:26:23
>>465
馬鹿説発見。
渡来系が主役なら、外国に近い九州のほうが
主役になるだろうがw

もう、こんな阿呆説ばっかw 九州説はw

467:日本@名無史さん
07/04/22 06:38:17
>>464

「東征」自体が後世の歴史家のネーミング。


468:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:04
>>467
マジで、原文読まなきゃいかんの典型だな。
というのは、明治以降、原文読まずに
各々の解釈文が出回ったのが大きな要因だな。

469:日本@名無史さん
07/04/22 06:40:56
>>466

日本語が読めないのね。


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