08/02/18 11:42:36
>>555
石棺があらかじめ用意されてあるものだったのならば、
都塚古墳に石棺&木棺があるから2人埋葬という根拠にはならないよね?
そもそも、石棺は死体を収めた後で羨道を通って石室に納められるもので、
もともと石室においてあとから死体だけを運んでくるものではないはず。
この時代、夫婦合葬の風習はない。
同時代の例としては推古天皇が父欽明天皇の陵にもともとは別のところに葬られていた
母を合葬したという記述があるが、わざわざ史書に書き残されたほど。
欽明天皇はもともと大后石姫皇女とも合葬されておらず、
推古の母蘇我堅塩媛との合葬は推古天皇の専横と取られたようだ。
この例を除いては、歴代天皇や豪族に夫婦合葬の例は見られない。
蝦夷の妻(物部氏)が眠る墓を中大兄皇子が破壊したとするのも不自然。
また、蝦夷より妻が早死にだったとする資料もない。