07/03/26 18:12:22
>>34 (続き)
まじめに日本書紀を読んだことあるのかな?
蘇我馬子=押坂彦人 ということで、日本書紀等に疑問も矛盾も無いのだな?
では、まず敏達のところから、
敏達元年4月蘇我馬子宿禰を大臣とした。⇒つまり、彦人が大臣になった、つまり、彦人は臣下なの?
敏達元年5月天皇は皇子と大臣に尋ねられた。⇒つまり、彦人以外に政務上重要な皇子がいた?それは誰?
もし、それが彦人のことなら、「彦人と馬子に尋ねられた。」となるが、馬子=彦人なので、分身の術でも使ったのか?
敏達4年1月広姫を皇后とした。(広姫は)押坂彦人を生んだ。⇒彦人の父は敏達、故に馬子の父も敏達? 故に稲目=敏達?
敏達14年2月馬子は父の祀った仏に祟られて病となる。⇒馬子=彦人の父である敏達も仏教徒?
実は「父の時に祀った仏・・」という表現なのだが、まるで過去形。敏達14年に敏達は過去の人?それとも敏達はゾンビ?
敏達14年3月物部守屋は天皇に「疫病の流行は蘇我氏が仏法を広めたことによる」と奏上し、仏像や仏殿を焼き、馬子を責める⇒
臣下の守屋が、天皇の第1子の彦人(=馬子)を責めることができる立場だった?
守屋の奏上は「蘇我氏」となっているが、彦人(=馬子)以外の蘇我氏も責められたのか?
それとも従来の説のように馬子(=彦人)は蘇我氏筆頭の立場という理解で良いのか?
敏達14年8月守屋は誄をのべる馬子の姿を「矢で射られた雀のようだ」と笑う⇒
臣下の守屋が、天皇の葬儀の場で、その第1子の彦人を笑いものにした?
馬子の記述がもっと多いのは、この後の用明、崇峻、推古のときだが、もういいだろう。
蘇我馬子=押坂彦人で、日本書紀等に疑問も矛盾も感じないというのは、まじめに読んでいないか、疑問や矛盾に気付く注意力や感覚が鈍いとしか思えない。