07/04/20 17:26:56
「天皇の先祖は木満致」の証明
蘇我氏の先祖については諸説あるが門脇禎二氏の唱える5世紀に渡来した百済の貴族で任那を支配していた木満致と考える説が有力である。
また私は天皇家の祖は蘇我馬子と考えているので、もしそうだとすると天皇家の祖先は百済の貴族で任那を支配していた木満致ということになる。
そのことは「日本書紀」等の文献からも伺うことができるので論じてみたい。
1、内宮家
推古朝において任那は内宮家と呼ばれていた。宮家とは屯倉のことで朝廷の直轄地のことをいう。
この宮家の特に「内」が冠されているのは任那が天皇家の元々の領地であったことを表している。
2、任那の調
調とは領地から徴収する税金のことである。562年に任那は新羅に併合されている。
その後、大和朝廷は新羅に対して調を要求した。
同様に任那の一部を占領した百済に対しても調を要求している。そして両国はその要求に応えている。
つまり形式的にではあるが両国は任那が天皇家の領地であることを認めていたのである。
認めていたのは天皇家の祖先が任那を支配していた木満致だったからと考えれば理解できる。
続く