「天皇家の真の皇祖は蘇我馬子」論at HISTORY
「天皇家の真の皇祖は蘇我馬子」論 - 暇つぶし2ch120:日本@名無史さん
07/04/03 10:46:52
>>119 (続き)
これらは、その答えによって、さらにいくつかの疑問を派生させる。
c aの場合、単なる別名ではなく、押坂彦人皇子というぐあいに「皇子」という身分も称していたのか。
d 「皇子」という身分も称していた場合、本当に皇子の身分だったのか。
e 皇子の身分であるとすれば、臣下の身分から、いつ、いかなる理由で、いかなる手続きや手順や段階を経て、皇子の身分となったのか。
f 皇子の身分ではなかったとすれば、身分の詐称が何故許されたのか?
g aの場合、同時期に押坂彦人と馬子の両方の名を称したのか、あるいは使う時期が異なるのか?
h 同時期に両方の名を使った場合、どのような基準で使い分けたのか?
i 使う時期が異なるとすると、それぞれを使っていた時期はいつか?

実は、「日本書紀の記述から押坂彦人大兄皇子が消えていなくなると蘇我馬子が登場してくる。」(>>7)と主張しており、g~iについては、時期が異なり、最初のうちは押坂彦人と称し、後に馬子と称したという主張である。しかしこれは完全に記紀等の記述と異なる。
  敏達元年(572年) 蘇我馬子が大臣になる
  用明2年(587年) 中臣勝海連が押坂彦人と竹田皇子の呪殺に失敗し、押坂彦人へ寝返ろうとする
これほどひどい事実誤認があると、g~iなどの疑問を提示することじたい、虚しくなる。(トホホ)


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