07/09/01 15:52:59
>>172
古代朝鮮に先進文化が無かった◆ 朝鮮人が貨幣鋳造を始めたのは10世紀からである。
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★日本におけるコイン鋳造の歴史
歴史の教科書には、西暦708年[慶雲(けいうん)5年]に、武蔵国(むさしの国)の秩父郡(ちちぶごおり)から
銅が献上され、年号を和銅とあらため、初めて和同開珎(わどうかいちん)という貨幣[銀銭と銅銭]が造られたと書かれている。
しかし、奈良県の飛鳥池(あすかいけ)遺跡から発見された富本銭は、それ以前の7世紀(西暦600年代)後半頃に、
飛鳥の中心地で作られていることが分かった。富本銭が鋳造されたのは683年頃である。
考古学の研究が進んだことにより、古代の日本国では、富本銭以前にも『無文銀銭』という貨幣が使われていたことが
明らかになっている。『無文銀銭』が使われていた時代は、660年頃である。
朝鮮において初めて貨幣が鋳造されたのは、高麗時代初期(996年)であり、日本国の貨幣鋳造よりも後の時代である。
この事実からも、10世紀以前の東アジアでは、日本国のほうが朝鮮よりも文化レベルが高かったことが理解できる。
朝鮮人は、「古代朝鮮人が日本に移住し、さまざまな先進文化を日本人に教えてあげた」と主張するが、そういう事実は無いのだ。
朝鮮人は古代日本に移住していない。文化レベルも日本国のほうが高かったのである。日本国におけるコイン鋳造にも、
朝鮮人はまったく関与していないのである。技術というものは、どのような技術であれ、使うためにあるのである。
古代日本人に貨幣鋳造技術や貨幣経済の管理法を教えた渡来人たちは、当然、自分たちの国に住んでいた頃も、
その技術を使っていたはずである。もし、これらの技術を日本人に指導した渡来人が朝鮮人であったならば、彼らは自分の国(朝鮮)でも、
貨幣を鋳造していたはずであり、彼らの国では日本よりも早い時期に貨幣経済が発展していたはずだ。
ところが、9世紀以前の朝鮮(ワイ州とワイ新羅[わいしんら]が古代朝鮮である)においては、貨幣が鋳造された事実は無いのである。