謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!5at HISTORY
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!5 - 暇つぶし2ch2:神奈川県民
07/02/15 23:05:27
魏志倭人伝
URLリンク(ja.wikisource.org)


3:日本@名無史さん
07/02/15 23:05:41
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!
スレリンク(history板)
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!2
URLリンク(c-others.2ch.net)
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4(実質3)
スレリンク(history板)
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!3(実質4)
スレリンク(history板)

ここ使うなら上のスレッドをちゃんと使い切ってからにしろ

4:神奈川県民
07/02/15 23:07:11
卑弥呼の死
URLリンク(inoues.net)

5:日本@名無史さん
07/02/15 23:08:01
>>3に同意

6:神奈川県民
07/02/16 00:55:51
前回の謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4は無駄レス&意味不明レス多すぎです。
今回はそのようなことのないよう願います。

7:神奈川県民
07/02/16 01:06:59

曲学の徒
URLリンク(www.kodaisi.com)
この国宝は真っ赤な偽系図、それとも史実。あなたのご意見をお聞かせください。

8:神奈川県民
07/02/16 01:15:55
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
 内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
URLリンク(www.isejingu.or.jp)

この豊受大御神と>>7の天豊姫の関係は?
どなたかご存知のかたいますか?

9:日本@名無史さん
07/02/16 09:03:43
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

10:日本@名無史さん
07/02/16 09:10:49
↑ 人多杉の原因はこれか?

11:日本@名無史さん
07/02/16 09:47:23
今でも丹波杜氏の技術の高さは世界1ですばらしいよね、やはり日本海側がかなりの
発展をしていて国が合併したときに首都を奈良にしたのがミソだね。

12:○「本能寺の変、425年目の真実」
07/02/16 10:44:08
○人大杉を何とかするべし。自由に書き込めないぞ。

○卑弥呼はかなりの影響があった人物と思われるのに、
なぜ、敵対した勢力などの記録に名が残っていないのか、不自然だ。
卑弥呼への敵対勢力、他部族にも文化があった以上、
文字くらいはあったはずだろ?



13:日本@名無史さん
07/02/16 12:56:50
記録なんか無いって。

文字無いんだからさ。


14:太国
07/02/16 14:29:35
>>12 >>13
卑弥呼の時代にはもう文字はあったはずだ。ただ一般民衆は無いと
同然、文字は読めなかっただろうし、生活とかけ離れて無用だっ
たのか、まぁそういうところだろう。

というのは、卑弥呼より古い時代のはずの「漢委奴國王」の文字
入りの金印が志賀島から出ているからだ。これは当時九州にいた
国王が字が読めないんでは使用に耐えずに近く意味をなさない。
だから国王とその取り巻きあたりは一般と違い文字を読めたはず
である。

15:日本@名無史さん
07/02/17 07:48:56
天皇陵を明けろと主張されている一つの理由として
もしかしたら、天皇陵など古墳の中に
漢字で書かかれた文献が出てくるかもしれない
期待から、そういうふうに言われている。

当時の日本は、神権政治であり
天皇や皇族は、ミコトといって、
神の言葉を伝える人だと言われていた。
つまり、死後の世界、言葉の世界でも
あらゆる階級で主導権を握っていた。

よって、下層階級までに漢字が伝わると
下層階級同士で言葉の伝達が広範囲に活発に行われ
当時の権力者の既得権益を侵す心配があった。

だから、それから数百年後、仏教が伝わった時
一部の保守派からは、外国産まれの邪教扱いだった。
何故なら、仏教とは文字で書かれた教義宗教であり、
この宗教によって、下層階級近くまでの
広範囲に文字が伝わり、それによって
権力者たちの既得権益を侵す心配があったからだ。

16:日本@名無史さん
07/02/17 08:53:51
>>15
そんなもんねえよ。とっくに盗掘されてらあ。

宮内庁って言う名のクズ役人どもは、天皇陵が空っぽになるのを
待ってるんじゃねえのか?
ほんと、死んだ方がマシな連中だぜ。

17:日本@名無史さん
07/02/17 09:01:34
うちの近所の古墳にはエロ本大量に投棄されてたぜ!
湿ったエロ本の思い出でした。

18:日本@名無史さん
07/02/17 09:29:48
文字が無かっただから地名も漢字の使える渡来人が勝手に付けたので地名は全部朝鮮系のものが多いよね。

19:唐松山
07/02/17 10:14:25
おーい この3人はどうだ
注目の3名に対比出来そうな記事を 書き出します。
景行12年
ホ38168  はゝミタあつさ ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる 
かれスミヨロシ ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ
景行18年
ホ38273  アフミヨカ ツクシチのチの タカタミヤ ヲホミケたをれ
景行20年
ホ38300  フソサミヱ キサラギヨカに ヰオノヒメ クスコウチミコ
イセノカミ まつるいわひは ツクシむけ ヒメコトシソヨ


20:日本@名無史さん
07/02/17 11:30:57
伊賀の忍者もやはり渡来人系統でしょうかね、高い技術が要求される職業なので

21:日本@名無史さん
07/02/17 11:59:03
忍者ってCIAみたいなもんだろう?
そんなもん、何処が紀元でもない。
あほうか?


22:九州出身
07/02/17 12:58:59
かきこめない

23:日本@名無史さん
07/02/17 13:32:07
えっ?

24:九州出身
07/02/17 22:46:09
これどう思う?
意見を聞かせてもらおう!みなさん
URLリンク(yujiwww.web.infoseek.co.jp)

25:日本@名無史さん
07/02/17 22:49:36
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

26:九州
07/02/18 00:41:40
神社だが、出雲系スサノウ一族の神社が8割、九州ヒミコ一族の神社が2割ていうところに注目!

27:愛知県民
07/02/18 01:40:47
>>24
「スサノヲ」でなく「スサノウ」ですか?
帥升は107年の段階で、既に史上最初の倭国王となっています。
神武東遷が史実としても、卑弥呼以前ではないでしょうか。

28:九州出身
07/02/18 01:45:56
素戔鳴だよ!
素戔鳴=帥升
日本で1番有名な神、素戔鳴が昔天下を治めた。

29:九州出身
07/02/18 02:50:00
吉備から奈良に移住する者があった。唐子・鍵遺跡。
ナガスネヒコの祖先が奈良を支配。葛城一族?蜘蛛族?
2世紀、出雲はスサノウ一族、九州は卑弥呼一族が支配。吉備?関東?東北?北海道?
東海・関東・東北・北海道は縄文時代からの人々が暮らしていた。後にアイヌと呼ばれた。
奈良にも縄文時代からの人々はいた。

3世紀、出雲からニギハヤヒが奈良へ。モンゴリアンの風習を導入。
出雲系は、日本全国に進出し、神社を作っていった。
ニギハヤヒの死去後、九州日向から神武天皇を迎え、九州日向系(天皇系)が天皇、出雲系が皇后として統治する。古墳を作り始めた。まず、環日本海系が奈良・瀬戸内海・東海地方に進出した。
*このあたりのことや出雲のことは日本書紀は神話の世界に押し込めた。
だんだん九州系(現天皇系)が力をつけ、特に、4世紀から5世紀、10代崇神天皇から25代武烈天皇までは勢力が強くなった。当然、百済と親交が深い。*日本書紀は百済よりの発言が目立つ。

30:一応九州王朝説
07/02/18 09:02:09
出雲勢力のピークはもっと古いんじゃないですかね。縄文期の黒曜石
文明の中心が、諏訪→出雲の順、と言うのが私の考えですが。
ただ、出雲は越、九州と、半島から流れ着く場所としては遜色ないです
が、耕地面積としてはどれだけ大勢力を養えるのか、という問題があり、
弥生後期・晩期の遺跡や出土品からも、今のところは九州北部の方が
勢力としては強勢だったかと。

ニギハヤヒは、三種の神器を持っていた。多分神武記からはそう思われ
ます。私は、神武もニギハヤヒも「筑紫」発だと思いますが、それはともか
く、三つの祭器が結構そのポイントになるのではないでしょうか。まず、剣
ですが、鉄の産地の半島からの流通としては、どちらも遜色はない。出土
しているのは圧倒的に九州ですが、銅剣は出雲も山ほどでてきましたよねw
鏡については、一番あたらしい祭器と考えられますが、やはり九州。鉄鏡な
んてのも日田からですが出ている。
しかしながら、その二つは決め手にはなりにくいと思います。出雲も銅鐸文
化圏と見れば、むしろ畿内と関係は強いし、ニギハヤヒも出雲かもしれない。

31:日本@名無史さん
07/02/18 09:10:30
>>30
剣はないだろ流石に

32:一応九州王朝説
07/02/18 09:14:06
さて、残る一つですが、勾玉については、もともとは出雲や越の翡翠
だったのが、弥生中期以降中国ガラスの定型品が出現し、九州はそ
れ一色になっていきます。出雲がセンターである必要が無くなり、平
行して生産力も飛躍的に向上、そして国譲り。そういう経緯だったの
ではないでしょうか。
もし出雲出身なら、その所有する祭器で神武のそれと比べて長脛彦
が混乱するでしょうか・・・。

と、ここまではニギハヤヒの出自の決定打にはなりませんねw
でも、「ニギハヤヒは物部」という強力な根拠があります。物部なら筑
紫に沢山あります。

ただ、「大和朝廷が必死に出雲で祭器を探した」という話もあるので、
やっぱりまだ確定とまで言い切る自信はありませんが。九州宗家に
対抗するための探索なのか、それとも本当に「唯一の祭器」があった
のか。
まあ、やはりニギハヤヒについての情報不足、そんなところです。

あと、三輪神社=蛇=オオナムチという説については、蛇=水の神と
いうことで、荒れに荒れた大和川を静めるための神様、と言うことで、
必ずしも出雲由来という必要性はないかと思われます。まあ治水技術
の移植という可能性もありますが。

33:日本@名無史さん
07/02/18 09:16:51
半島軽油で移住するのが流行した時期につぎからつぎに渡来人がやってきましたが
在来から住んでた人は純朴ないい人がおおかったので自分から使用人になりました
古墳を造れといわれればハイハイと言って手作業で造りました

34:愛知県民
07/02/18 09:38:35
>>32
日本書紀を見ると、垂仁天皇もアメノヒボコの曾孫・清彦から神宝を取り上げていますね。
ところが刀だけがひとりでになくなって、淡路島に行ったと。
淡路島は特別視されていたようなので、この話も興味深いです。
アメノヒボコの渡来も垂仁天皇3年というのは明らかにおかしいので、
孝霊天皇の頃かな? と思います。

35:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 10:52:30
>>29
これは貴方の今年の初夢ですか?

36:愛知県民
07/02/18 11:39:49
>>35
ユング心理学では、神話は民族の集合的無意識の所産だとか。
ここは歴史板ですから、神話の取り扱いには注意が必要と思います。
ただ、神話と歴史は明確な境界が無いので難しいところがありますね。
神話にも史実が反映されているかもしれないし、
歴史にも神話的記事が混じっていたりしますから。

37:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 11:47:50
>>36
「出雲系は、日本全国に進出し、神社を作っていった」が特に解らない。
「3世紀、出雲からニギハヤヒが奈良へ。モンゴリアンの風習を導入」これも。
神話とは関係なく、この人の言ってる事が納得いかない。

38:九州出身
07/02/18 11:58:31
>>30
出雲・九州は弥生時代に栄えたと私はみている。縄文時代は東北のが多かったらしい。
ニギハヤヒについては私も筑紫とみている。

>>35
>これは貴方の今年の初夢ですか?

君はいつもくだらない突っ込みするね。>>6をみてごらん。
>>29のレスは>>24のHPに書かれてた内容。流れをよく読め!俺の意見は少し違う。



39:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 12:58:07
>>38
[日本の神社のほとんどは、出雲のスサノウの子孫・家来が、日本全国に、進出して行くときに、作ったものである。
8世紀までに建てられた神社は、3000~5000。そのうち、出雲系スサノウ一族の神社が8割、九州ヒミコ一族の神社が2割、その他少々]

このような資料をよくよめといわれてもねえ。第一、「九州ヒミコ一族の神社」だなんて・・・。
こんなの邪馬台国が九州に存在した事をまず前提としてるじゃないの。それを喧々諤々してるんでしょう。ちがう?
「九州ヒミコ一族の神社」が確定してるなら、邪馬台国の所在地を巡っての論戦や、ましてこのようなスレでの議論の必要も無い、苦労しないって。


40:唐松山
07/02/18 13:13:42
こんなのは?
卑弥呼は、 住吉神社の 姫神
ホ38168  はゝミタあつさ ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる 
かれスミヨロシ ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ

41:九州出身
07/02/18 13:24:11
>>39
だからほとんど解決してるんだよ。
客寄せパンダ的なのになってる「邪馬台国」「卑弥呼」の文字

>>40
読めません・・・

42:唐松山
07/02/18 13:36:30
景行12年 景行が 九州遠征中
はは(卑弥呼) 高熱を発して倒れる 天皇 神に祈ったが通じず
かれ(卑弥呼)住吉 ナオリ神(豊作の神) 社をさらに建てて 祭る
景行18年 筑紫のオオミケ 死亡 景行遠征中
景行20年 イオノ姫(五百野皇女) 筑紫向け


43:一応九州王朝説
07/02/18 13:54:45
出雲系列で多いのは、えべっさんですかw
現状は、お稲荷さんの系列、熊野神社系列、天神さん、八幡様、そのあ
たりが一番多い。そのサイトで、古い時代の神社の比率をどうやって算
出したのかがわからないのでなんともねえ・・・。まあ、古いものに多いの
は確かでしょうがね。なんといっても全国の神様が集まったわけですから。
その後政権交代に応じて宗旨替えという事もあったでしょうし。葛城と出雲と
も関係深いのは定説ですし、初期の天皇と出雲・吉備とが関係深いのは
確かだと思いますが。
それと、九州と環日本海系の2大勢力にわける手法は感心しませんね。
単純すぎかと。

八幡(万)神は、応神・神功由来で、その上にいますヒメ大神が卑弥呼
とかイヨ(トヨ)とも言われますが、要するに天皇家も宗旨替えした、初期
の神仏混淆形態です。実際、男山八幡宮はじめ、天皇家の行幸の多くは
八幡でした。吉野や熊野大社のような難路には行っても、伊勢神宮は
ほとんど行っていませんよね。
天神は、菅公が合祀されたからややこしいようですが、菅公のためだけ
の天神は稀少で、多くはそれ以前から存在しています。太宰府が本家で
すから、これが九州王朝説で特に問題にされる、「アメ氏の神社=天神」
ということです。私はこれは有力と思います。このことに言及した学者は稀
少ですよね。戦国時代になっても太宰府や宗像は特別な聖地として扱われ
たようです。
その他、宗像神社、綿津見神社も筑紫、淡島神社もそうだと私は思います。
伊勢内宮は、庶民は勿論天皇家にとっても禁足地であることを、神社本
庁は知ってるのかどうか。伊勢系列は、天皇家の全国支配と同時に広が
ったもの、明治以後国策で広がったものがあるようですが、私としてはそ
のトレンドや系統について等、正直よくわかりません。数が多すぎですよ
ね。でも、江戸末期のお陰参りは政治的に流布されたものという説もあ
ります。

神社については、イデオロギーが絡むので、特に太国氏のような方のレ
スはお断りいたします。荒れますし、学問としての歴史から逸脱しますから。

44:唐松山
07/02/18 14:04:08
訂正
かれ(卑弥呼)×
かれ(オオミケ?) ○

45:唐松山
07/02/18 14:16:03
イオノ姫が筑紫に下る時 80(沢山)人の 物部 及び20人の司 も 同行しています


46:愛知県民
07/02/18 14:25:32
>>43
>九州王朝説で特に問題にされる、「アメ氏の神社=天神」

これは600年の遣隋使で、小野妹子が倭王の姓を問われて答えに窮し、
自らの祖先・天足彦国押人命を想起して「アメ・タリシヒコ」と答えた
ことから来ているのでは?
600年の遣隋使は九州王朝と結びつけるより、日本書紀が恥ずかしくて
書けなかったと考える方が良いと思う。
台与以来334年ぶりの華北中原への使者が、歴史的イベントどころか
赤っ恥をかいて帰国したことが、推古朝の大改革の起点だったのでしょう。

また来週・・・

47:一応九州王朝説
07/02/18 14:31:09
アメ・タリシホコ だけじゃないですがね。天のなんたらってのは。
神話の登場人物にはいっぱい。

48:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/18 14:31:53
『八幡の由来』

神武の東征完結を祝う(遠征守護神)が奉られている。
東征完結を成し遂げた神武は天皇家にとって英雄的存在。また、後代の天皇達も
、この英雄を祭り上げた皇祖達(神功皇后など)に対しても尊意を敬称し
宮を創建した。

その中でも、伊美郷の八幡分霊が八幡総本家の宇佐ではなく
わざわざ遠く離れた石清水八幡からの分霊であったことも興味深い。

49:一応九州王朝説
07/02/18 15:10:59
それは何処の八幡ですかねw

まあ断定してる私も悪いけど、八幡の歴史や由来についてはまだ
よく分かってませんので。あしからず。
その読み方自体も百説あります。

50:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 17:04:37
>>41
ほう、これは驚いた。邪馬台国の謎が既に解き明かされたとは初耳だ。
数多い考古学者先生や、アマチュア考古学ファンを差し置いて、
おたくが出した結論とはいかがな代物ですかな?

51:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 17:51:49
九州出身さん、さっきの啖呵もどこへやら。黙ってると寂しいじゃないの。なんか反論ちょうだいね。

52:日本@名無史さん
07/02/18 18:35:18
出雲系列は新羅系で日本の神社のほとんどが新羅系なので消しまくったらしいよ

53:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 19:18:12
>>52
神社はもともと新羅系の宗教だったわけですか?
古代の新羅には日本の神社の元となった宗教の痕跡があるんでしょうか?

54:日本@名無史さん
07/02/18 19:20:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

55:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/18 22:44:35
みなさまへ。>>54 は、スレ落ちしないようにから揚げしてくれているだけです。
荒らしではないのでご心配無く。

56:日本@名無史さん
07/02/18 23:41:29
>>54>>55
いらんことするな

57:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/19 02:09:48
>>56
私がしてるわけではありません。あしからず。

58:日本@名無史さん
07/02/19 08:59:11
三足土器で炊飯の意味を早くときせつめいしてくれよ、耳にタコができるよ

59:○「本能寺の変、425年目の真実」
07/02/19 11:08:47
○人大杉状態をなんとかするべし、自由に書き込めないぞ。

○何かこのごろ出た本に、軍事的、戦略的には、九州北部以外に、
邪馬台国はありえないという結論が出されたそうだが?
たしかに、蛮族からの防衛を考えると近畿あたりは守りにくいか?

60:日本@名無史さん
07/02/19 11:47:40
邪馬台国はアイヌの国だったので九州に限定される方が異常でもっと広い範囲に及んでいましたので
また国も100以上方々にあったので当然首都は出雲の近くにありました。

61:日本@名無史さん
07/02/19 14:50:56
狗邪韓国についても考えてみる必要があるかもね。
倭人伝の記述の仕方を見ると、倭の一部のようにも取れる。
そうなると、中心地として畿内を考えるよりも、九州を考えたほうが
納得できるような気がする。

62:日本@名無史さん
07/02/19 15:54:47
>>61
倭人の国です。

63:日本@名無史さん
07/02/19 18:02:13
>>62
>倭人の国です。

妄想です

64:日本@名無史さん
07/02/19 19:25:07
>>63
なんで?じゃー朝鮮人の国だってのか?

65:日本@名無史さん
07/02/19 20:26:00
>>64
韓伝読めば判るだろう。書いてなければ誰にも判らん
倭人は、 倭人在帯方東南大海之中
韓半島が該当するような文ではない。

66:日本@名無史さん
07/02/19 21:47:40
倭人は半島にもいました、むしろアイヌがほとんど日本にいましたので、
新羅系と百済系と高麗形の3者がいりみだれてわれさきに日本になだれこんできて、好きなように
国を造ってはりあいましたが、

67:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/19 21:51:28
>>58
僕が思うに、「さん」「そくどき」「すいはん」とサ行の韻があることで、当人が気に入っているフレーズであり
炊飯というなんとなく暖かい家庭の団欒を思わせる言葉が入っていることから、
彼は暖かい家庭環境に飢えた寂しい少年時代を送っており、そのことが未だにトラウマになって彼を苦しめ、
時折このような行動に出るのではないかと思われます。

68:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/19 21:56:18
>>58
さすがに文章で耳にタコはできないでしょう。
目にタコができるかもしれません。

69:日本@名無史さん
07/02/19 22:07:25
>>65
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。
旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。
郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、
南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。

コレを読むと倭国の北境が狗邪韓国だと読めるが?
で、

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。

半島に倭人がいたとしか理解できん。


70:日本@名無史さん
07/02/19 22:17:34
>>69
そう、キーポイントは、「韓国を経て」というのと、「その北岸」と
言う言葉。狗邪韓国が倭人の国でなかったら、「韓国の南岸である
狗邪韓国に至る」となるはず。

71:日本@名無史さん
07/02/19 22:22:21
倭国の乱れを嫌って渡海 新たに国を作る
 在りうるな

72:日本@名無史さん
07/02/19 22:24:49
>>66
そのようなことは、朝鮮半島の歴史書である三国史記には全く書かれてい
ない。新羅本記には、倭人が攻めて来たという記録しか残っていない。
仮に、朝鮮半島からわたってきた勢力があれば、間違いなく朝鮮の人の
記憶に残っているだろうし、記録にもちゃんと残っているはず。

73:日本@名無史さん
07/02/19 22:25:16
狗邪韓国 が 目的地ではない と読み下す。
ただの通過地点


74:日本史@名無しさん
07/02/19 22:29:30
むしろ倭人とその近縁部族が古くからいたと考えるべきだと
思うが。「天下り」は日本だけじゃなく半島南部にもある。
弥生稲作を伝えた中国南東部の民族が流れてきた先が九州
~半島~日本海沿岸だった、という事だろう。

75:日本@名無史さん
07/02/19 22:30:12
>>70 >そう、キーポイントは、「韓国を経て」というのと、「その北岸」と
言う言葉。狗邪韓国が倭人の国でなかったら、「韓国の南岸である
狗邪韓国に至る」となるはず。

「韓国を経て」と「韓国をへる(歴)」では、180度意味が変わります。

>其北岸(その北岸)

その北の岸  (其)は 東南大海の中 です。


76:日本@名無史さん
07/02/19 22:35:56
>>74
私もそう思います。
日韓歴史論争でよく見かけますが、古代史に現在の国境線を引くことは愚かなことです。

77:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/19 22:36:09
>>70

>そう、キーポイントは


もちろん『到』です。 この解釈が重要な鍵を握ります。



>>74は河童です。

78:日本@名無史さん
07/02/19 22:41:28
>>75
しかし、三国志の韓伝にも「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接」
とある。東西は海を以って限りとなし、南は倭と接する。
これからみても、朝鮮半島の南部は倭と思われる。


79:日本@名無史さん
07/02/19 22:41:53
本スレこっち?

80:74
07/02/19 22:43:23
違うよ。

81:日本@名無史さん
07/02/19 22:46:46
>>74 倭人も韓国から金属を輸入していたから、交易拠点になる倭人の
マチはあったとは思うけど、後の任那地域ほどの広さではないと思う。
任那地域の拡大は三韓征伐(370頃~400頃)でなされ、それ以前は
倭人のマチが数個あった程度ではないかな。

82:日本@名無史さん
07/02/19 22:47:54
>>74
朝鮮半島の南部には鉄がある。これを求めて倭人がやってきていたらしい。
以前見かけたのだが、明らかに日本人町としか思えない町があったらしい。
今、ちょっと調べてみたのだが、見つからなかった。
もうちょっと調べてみようかな。

83:日本@名無史さん
07/02/19 22:52:05
>>81
以前、見かけたものによると、交易ではなく、日本人自身が鉄を
掘っていたらしい。

84:日本@名無史さん
07/02/19 22:56:24
日本史講座とかくらいの本でも常識です。

85:74
07/02/19 22:59:14
対馬海流に乗って来たら対馬の北も南もほんのわずかな差
なんだと。
だから、九州だけに来ていたと考える方が不自然。

もちろん倭人の血はいろんな所からの流入による混血で、半
島、北方、南方いろいろだろうが、稲作をもたらした集団が江
南地方から来たのは間違いないと俺は思う。三国時代でもま
だ稲作に不適な寒冷地である地方を越えて半島南部に伝わ
ったとは考えにくい。未だに満州~北朝鮮は麦。

86:日本@名無史さん
07/02/19 23:06:54
>>85
古代の稲作とか鉄とかになると、決まってどこぞの集団が持って
やってきたということになる。しかし、有史以来いろんなものが
日本に伝わってきたが、どこぞの集団が大挙して持ってやってきたと
いうことがあったかな。
サツマイモは江戸時代に伝わったが、なんとなく入ってきた。
鉄砲にしても、宣教師が持っていただけ。

稲作だって、サツマイモなど多くの農作物と同じようにして伝わったと
考えるほうが妥当だと思う。

87:神奈川県民
07/02/19 23:11:29
謎に満ちた卑弥呼は誰?その謎を解き明かすものは現れるのか!
みなさんお意見を聞こう。

88:74
07/02/19 23:14:20
例えとして適切ではないような。

芋は植えればいいし、鉄砲は使用も運用もある程度習った。
それに兵器の革命と言っていいものだし。

稲作は、技術とあるていどセットだったと思うんだが、どうか?

人口動態については、海で隔てられているので、時代が下る
ほど大人数の移動は減ったのでは。・・・んー、説得力無いな
あ。自分でも思うよ。

89:日本@名無史さん
07/02/19 23:15:43
イネそのものは縄文時代からあることが考古学で分かったよね。
問題は水稲耕作の技術そのものってことになるわけだが。
ん~技術ってことになるとなんとなくで済むんだろうか。

90:日本@名無史さん
07/02/19 23:26:50
要するに、邪馬台国時代からあるいはそれ以前から、朝鮮半島まで
出かける勢力があった。三国史記によると、紀元前から倭人が攻めて
来たという記録が残っている。

これは九州の勢力だろうと思われる。九州以外の地域がこれをやるためには
まず、九州を支配しなくてはならない。

倭人伝には、持衰という人間が出てくる。これは、大海をわたることが
いかに困難だったかを示している。
となると、もっと穏やかに瀬戸内海などに船を出すのは容易だったに
違いない。だから、高地性集落などが出来た。

九州を中心に考えると、全てがうまく説明できるような気がする。
だから、邪馬台国は九州にあったと思う。

91:日本@名無史さん
07/02/19 23:34:29
>>88
世界的に見ても、たとえばタバコはアメリカの原住民が吸っていたものを
コロンブスが持ち帰ったといわれるし、ジャガイモにしても、トマトにしても
南アメリカが原産だが、南アメリカ人が移住と共に持ってきたものではない。

古代の青銅器にしても、鉄にしても、伝わるときに人間が大量に
移住したという話は聞かない。
稲作にしても、たとえば、朝鮮半島に伝わったときにどこからか大量に
人間が移住してきたかというとそんな話も聞かない。

日本の古代についてだけ、何かが伝わると人間が大量に移住してきたと
いうことになる。これはおかしいと思うが。

92:日本史@名無しさん
07/02/19 23:35:49
青銅器も鉄も民族ごと移住して広めた方の例だと思うが

93:日本@名無史さん
07/02/19 23:45:09
>>92
鉄は全世界に広まったわけだが、全世界に移住した民族とは?

94:日本@名無史さん
07/02/19 23:50:05
ちょっと話ズレてるかもしれんが。

実は初期農耕の伝来については西洋でも同じような論争があるよ。
いち早く農耕が始まったのは西アジアだけど、

西アジア人が移住してきた結果、西洋に農耕が伝来した 説。
西アジアとの文化的交流によって、西洋人が農耕を選択的に需要した 説。

ってことで日本だけって訳じゃないかな。

95:日本@名無史さん
07/02/19 23:52:48
>>59
それは、トンデモ本だろう?


邪馬台国総論
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

96:日本@名無史さん
07/02/20 08:42:39
>>75
> >其北岸(その北岸)
> その北の岸  (其)は 東南大海の中 です。

郡より 「倭」 に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、
南しあるいは東し、 「その」 北岸狗邪韓國に至る七千余里。

「その」は「倭」を受けているだろ?


97:いろいろと問題の多い『安本流数理』
07/02/20 11:37:14
いろいろと問題の多い『安本流数理』歴史学批判

古代の王、一代十年説
URLリンク(www.geocities.jp)

安本ダイアグラム
URLリンク(www.geocities.jp)

98:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 12:33:16
>>96

>「その」は(倭)を受けている。


いいえ。
ここまでの文で「倭」の領域範囲を確定する事は出来ませんから
※仮に「其北岸」の其を
「倭」と設定した場合
「倭の北岸」の(北岸)の場所は、(九州玄海灘沿岸、又は壱岐の北部沿岸、対馬の北部沿岸)と、なります。 それでいいの?

「其北岸」の「其」の視点を半島に求めた場合、半島には 北岸は存在しなく、(南、東、西)岸 しかありません。

つまり、「其北岸」の「其」の視点は対馬(朝鮮)海峡の“海の中”に置いて、同海域内の(北の岸)となります。

99:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 12:46:47
>>96

例えば

川を挟んで、北に(A)と 言う国、南に(B)と言う国が有ったと仮定します。

この場合、「其北岸」と 言う表現に符号する場所は、
※(B)と言う国の北側にある川に沿った川岸
(これは、A、Bどちらの国から見ても 同じ)

※もう一つは、
川の中に舟を浮かべ、(A)と言う国の南岸部分が、舟を浮かべている川の北側の岸となります。
(この場合、A、Bどちらかの国に視点を置いても成立しません。あくまで視点は川の中)です。

100:日本@名無史さん
07/02/20 13:18:35
>>99
岸というものを、あくまでも海岸ととらえた場合でしょ?

この場合文脈はあきらかに倭国(倭国の境界線)の北岸としか
読めないですよね?

他に中国の古代文献でこういう表現があるかは私は知りませんが・・

また、韓伝の「東西は海を以って限りとなし、南は倭と接する。」という
地理説明とも一致します。

仮にあなたの主張される

>「倭の北岸」の(北岸)の場所は、(九州玄海灘沿岸、又は壱岐の北部沿岸、対馬の北部沿岸)

だと次に続く

「始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。」

という説明とも矛盾します。


101:日本@名無史さん
07/02/20 13:20:33
河童さんは全体的な視点に欠けている。
「北岸」という文字だけに注目して、その意味だけを考えようとしている。
今、問題になっているのは、朝鮮半島の南部が倭に属していたか、
そうでないかということで、その観点から考えなくてはならない。

陳寿も完璧な文章を書いていたとは考えられないわけで、あやふやな
部分もあれば、間違っている部分もある。
それを念頭に置いた上で、陳寿の意を汲み取ることが大事なわけ。

極端な言い方をすれば、北岸の意味などどうでも良くて、陳寿が
どういう意図で北岸と書いたのかが重要なわけ。

で、朝鮮半島南部は倭だったか、そうでなかったかどう思う?

102:日本@名無史さん
07/02/20 13:23:35
狗邪韓国(クジャカンコク)と読むからカン違いするのかな?

クザカラまたはクザハラという国名かもしれないのに・・

103:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 13:54:41
>>100

申し訳ないけどそれって、和訳間違えていると思う。

>倭国の境界線。


これは良いと思いますが、境界線の位置は(陸?、海?)
それに、境界線を文中の何処から探るの?


意訳(和訳)違い箇所


>南は倭と接す。
「接す」じゃ、誤解受ける
>始めて一海を渡る
ここは「初めて」と「始めて」の使い分け、「度と渡」の違いを明確にしなくては


誤解生じる和訳かと

104:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 14:11:50
>>101


>陳寿も完璧な文章を書いていたとは考えられないわけで


出来たら「考えられない」と、主観しちゃう要因を教えてください。

わたしなんか足元に間も及ばない国学者に対して、その発言にコメントする言葉はありません。

105:日本@名無史さん
07/02/20 14:22:58
陳寿が国学者???
おまいは中国人かw

106:日本@名無史さん
07/02/20 14:31:00
>>104
あなたがずっと言われ続けていることですが
定説・通説と違う認識を提示した方が先に根拠提示しなければいけないのですよ。
(例)
河童 「相対性理論は間違っている!」
名無し「ほう、してその根拠は?」
河童 「まず正しいとする根拠を示せ、私は認めない」
名無し「だからどこをどう認めないのか具体的に」
河童 「しつこい奴だ、お前荒らしだろ!」

ALL  「荒らしはお前じゃああああああ!」

107:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 14:42:22
>>106

私は少しずつゆっくりと散々説明しています。
相手の気に入る説明かどおかは知りませんが?

108:日本@名無史さん
07/02/20 14:56:42
>私は少しずつゆっくりと散々説明しています
していませんよ、あいも変わらずのはぐらかしに終始するのみです。
ところでそのハンドル最近使い始めたのに、散々ってあなたw
あなたには自演は無理です。

109:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 15:29:37
>>108


>>106のレスよく確認
私は>>106の「ずっと」に対して「散々」をしようしたまで

それに、最後の「自演」

なんですか?それ?
話の主旨と違う発言ですよ。 「自演」は倭人伝の何処に書いてありますか?

関連無い話に興味はありません。

110:日本@名無史さん
07/02/20 15:36:19
>>109
>関連無い話に興味はありません
邪馬台国に関係は無くともスレには大いに関係ある
あなたがプラムだというのはお腹いっぱいなくらい誰もが分かっているわけよ
だからつまらぬ言い訳せずに根拠とやらを示してくれ、話はそれからだ
てか散々関係ない話を繰り返し書いてきたくせに、どの口がそんなこというのかね


111:日本@名無史さん
07/02/20 15:50:44
>>97  これにレスするのも何だが。
在位平均年代論の批判はすこしだけまとも。
古墳比較表の批判は前提からダメ。

安本の全部を根底から否定しようとして自滅。

112:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 15:54:27
>>110

馬鹿みたいな野暮は止しなよ それじゃあガキ丸だしだ
以後関係ないレスはスルーする

荒らしの相手スる奴も荒らしだからな じゃあ

113:100
07/02/20 16:33:15
>>103
wikipediaの一般的と思われる和訳です。

>南は倭と接す。
「接す」じゃ、誤解受ける
>始めて一海を渡る
ここは「初めて」と「始めて」の使い分け、「度と渡」の違いを明確にしなくては

この部分を、詳しく教えていただければれば有難いです。


114:日本@名無史さん
07/02/20 16:59:27
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

115:日本@名無史さん
07/02/20 17:01:20
狗邪韓国は倭人伝に出てくる倭人の国。


116:河童 ◆EY2wfgakAQ
07/02/20 17:09:07
>>113
今チョット忙しいので、夜にレス入れておきます。

117:日本@名無史さん
07/02/20 19:50:53
>>101

>極端な言い方をすれば、北岸の意味などどうでも良くて、陳寿が
>どういう意図で北岸と書いたのかが重要なわけ。

意味がわからないからって、「どうでも良く」はないだろう。
ちゃんと検証してあげなさいよ。

ヒントは「岸」とは基本的には「水陸の境目」のことだよ。
よほど特殊な用例であることが、前後の関係から明らかなでもなければ
普通に読めばいいんだよ。
だから、「其」とは「海」「川」「湖」か「陸地」のどちらかだ。
それと「其」とは既知の情報を示す代名詞だから「其」の正体は倭人で既に既出のものだ。


   倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。
   舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。
   從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、

「水」だとすると既出のものは「東南大海」しかない。
そして、「陸」はというと「該当なし」だろうね。
「倭人」は民族呼称(国名だと言い張る人もいるが)だし、
「倭」も国名だ、国名は国名であって「陸」と同義じゃない。
「山島」と言うことは、理屈の上では有り得るが、文章の上で意味が通じなくなる。
対馬より手前の「狗邪韓國」が「山島」の北岸じゃこまるからね。
つまり、正解は「大海」。狗邪韓國は大海の北岸にあるんだよ。
極普通の当たり前の話しだよね。
陳壽は、皆が悩むような可笑しな事は書かなかったのさ。


118:日本@名無史さん
07/02/20 20:35:16
>>117
海の中からの視点とは!
考えつきませんでした。

ただ普通の読解力ですと理解できない部分もありますので
117氏の考える和訳をあげていただければ嬉しいです。

119:日本@名無史さん
07/02/20 21:07:55
>>118

>海の中からの視点とは!

別に海側に視点が在るわけじゃないよ。
文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。
「大海」はあくまでも客体(倭)の所在地、
狗邪韓國はその縁に当たるので「大海の岸」と書かれただけ。

>和訳をあげていただければ嬉しいです。

WEBを捜せばいろいろな人の訳が入手できるよ。
微妙に違ったり、面白おかしいのもあるのでチャレンジしてみたら?

ちなみに俺の訳(ごく一般的だと思うが)はこんな感じ。

>倭人は帯方の東南大海中に倭人在り、山島依って国邑を為す。
>舊(もと)百余国、漢の時に朝見するもの有り。今、使訳が通じるところ30国。
>郡より倭へ至るには、海岸に従いて水行し韓国を歴(へ)る。
>南へ東へし、其の北岸狗邪韓國に到る、七千余里。

120:日本@名無史さん
07/02/20 22:38:04
>>119
あれ?117は河童さんじゃないの?

121:日本@名無史さん
07/02/20 22:39:44
どおしてそう言い切れますか

122:日本@名無史さん
07/02/20 22:46:48
>>104
陳者が完璧な文章を書いていれば、みんな苦労はしない。
海を渡るにしても、「渡」と「度」が使われていたりする。
他の文献と比べても、「邪馬台国」と「邪馬壱国」の違い、「一大国」と「一支国」の
違いなど、字も間違っているんじゃなかろうかと思われる点がある。

倭国の国の戸数にしても不自然だし、距離にしてもおおざっぱだし、
あなたが言っているように、国から国に移動する基点にしても良くわからない。

国の位置関係にしても実態がつかめない。倭人伝を読んで、これが完璧な
文章と思うのは無理がある。


123:一応九州王朝説
07/02/20 23:11:49
陳者>陳寿 のことですかねw

誤字脱字は陳寿の責任じゃないよ。

124:サガミハラハラ
07/02/20 23:14:27
陳寿の文章について、原田実氏はその著「ウドンゲ花咲く邪馬台国」の中で次のように記述している。
ーー引用開始ーー
ところがハイ松之はその同じ上表文の中で「三国志」の欠点をも指摘している。すなわち叙述が簡略すぎて脱漏さえ見られること、
(失在干略、時有所脱漏)記事が錯綜して矛盾が多いこと(注記紛錯、毎多舛互)明らかに誤っていて論理的ではない叙述があること
(?謬顕然、言不附理)などである。




125:日本@名無史さん
07/02/20 23:16:14
>>123
そう、陳者ではなくて陳寿。これはタイプミス。
SoftTalkWEBというソフトから書き込んだので、字が小さくて気づかなかった。
申し訳ない。このソフトの字を大きくする方法はあるのかな。

126:九州ですが ◆uZFVMLIhZI
07/02/21 06:24:57
>>121
「どおして」という言葉使いから容易に想像できますが、なにか。
ということは暗に私ですよと誇示しているように見受けられますが、なにか。
ということは御自分の説に大変自負していられるということでしょう。
ある程度学問的に突っ込んだ研究をしてこないとこのような自信は生まれませんが、なにか。


127:日本@名無史さん
07/02/21 09:18:01
>>125
SoftTalkWEBではなくて、SofTalkWEBだった。
ギコナビもあるが、こちらのほうが使い勝手がいい。
書き込んでも、スレッドが上がらないのが難点。

128:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/21 09:42:20
>>120

河童の『其北岸』に対する意見は >>98-99にて述べています。

129:日本@名無史さん
07/02/21 09:43:41
ひょっとして鎭守が適当に書いた文章がいまは現実のあたかも事実を書いた者に
変遷していってるということでしょうか。


130:日本@名無史さん
07/02/21 09:51:16
>>128
専用スレで発言して下さいね。

131:日本@名無史さん
07/02/21 10:11:30
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

132:日本@名無史さん
07/02/21 10:35:24
プラム ◆TOfHBAKZgM

>専用スレで発言してくださいね


九州ですがさん了解しました。 プッwww

133:神奈川県民
07/02/21 19:46:32
謎の女王の真実にせまる。
日本古代史 最大のミステリーを解け!

134:日本@名無史さん
07/02/21 19:47:16
溶けた

135:日本@名無史さん
07/02/21 21:26:03
>>119
>倭人は帯方の東南大海中に倭人在り、山島依って国邑を為す。
>舊(もと)百余国、漢の時に朝見するもの有り。今、使訳が通じるところ30国。

>郡より倭へ至るには、海岸に従いて水行し韓国を歴(へ)る。
>南へ東へし、其の北岸狗邪韓國に到る、七千余里。

この和訳を見るかぎりではやはり 「其の北岸狗邪韓國に到る」 の「其の」は
「郡より倭へ至るには」の 「倭」 を差しているとしか思えないなあ。

>文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。

であれば 「韓国を歴(へ)る」 ではなく「韓国の南岸」という記述になると思う。

136:119
07/02/21 23:08:06
>>135

> >文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。
> であれば 「韓国を歴(へ)る」 ではなく「韓国の南岸」という記述になると思う。

「倭の北岸」と読むと「岸」とは「国境」くらいの意味になってしまう。
そう読んで読めないことも無いと思うが、かなり特殊な読み方でしょう。
私が「大海の北岸」と読むことに違和感を持たないのは、
狗邪韓國から大海渡航ルートの導入部として当然の表現だと思うから。
貴方は、貴方で韓國経過ルートの終点としてと考えてるんでしょうけどね。

ただ、それでは「東南大海之中、依山島爲國邑」「參問倭地、絶在海中洲島之上」と言う
倭地の概況説明と齟齬が生じる。
狗邪韓國倭説論の方々が、これについて難儀をされているのはご存知のことでしょう。

137:日本@名無史さん
07/02/22 00:00:32
>>136
ただ、それでは「東南大海之中、依山島爲國邑」「參問倭地、絶在海中洲島之上」と言う
倭地の概況説明と齟齬が生じる。

そーなんですよねー
案外と魏の使者も、韓半島南部が韓人、倭人、中国系の雑居地だからこのような
どちらともとれる書き方にわざとしてたり・・

138:九州出身
07/02/22 20:53:33
倭人在帶方東南大海之中
だから朝鮮半島は倭ではないとみえるが・・・どうかな?

139:日本@名無史さん
07/02/22 22:41:02
倭人伝の書き方は、やはり朝鮮半島の南部が倭であるような書き方を
していると思う。そうでなくても、紛らわしい書き方といえる。

韓伝も「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接」と書かれているわけだが、
後漢書も「馬韓在西、有五十四國。其北與樂浪、南與倭接」とあり、
「弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接」とある。

また、倭人伝には、倭人は身に文をすると書かれているが、両書とも
弁辰は、倭に近いので、身に文をすると書かれている。

やはり、朝鮮半島の南部は倭だったと思う。

140:日本@名無史さん
07/02/22 23:33:55
朝鮮半島南部には、任那と呼ばれる日本府があったことが日本書紀や
中国の書物に書かれているわけだが、その前身ではなかったかと思う。
『宋書』では、「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が登場するが、
魏志に書かれていた当時はもっと小さかったのかもしれない。

141:119
07/02/23 00:40:20
>>140
> 朝鮮半島南部には、任那と呼ばれる日本府があったことが日本書紀や

 誤)任那と呼ばれる日本府
 正)任那にある日本府

> 中国の書物に書かれているわけだが、その前身ではなかったかと思う。

 中国史書に「日本府」って出てくるの?

> 『宋書』では、「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が登場するが、
> 魏志に書かれていた当時はもっと小さかったのかもしれない。

 弁辰が任那になったと書かれているわけじゃないだろう。

 「自稱使持節都督倭百濟新羅"任那"加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王」

 武の自称の中で出てくる言葉 。
 洛東江水系を示すと思われる「加羅」と言う地名と併記されている。

142:日本@名無史さん
07/02/23 15:01:03
要するに、倭の勢力は、壱岐や対馬だけでなく、朝鮮半島南部まで及んで
いたということかな。しかも、その時期は邪馬台国以前まで遡る。

>>141
中国の書物では、「任那・加羅」と併記されることが多いが、日本書紀では
加羅国、安羅国、斯二岐国、多羅国、率麻国、古嵯国、子他国、散半下国
乞サン国、稔礼国の十国を総称して任那と呼んだと言う記述があり、
加羅は、任那の一部だったと可能性が非常に高いといわれる。



143:九州出身
07/02/23 18:41:46
天照大神は『魏志倭人伝』の卑弥呼女王であるという。
『天照大神』とは記紀によって付けられた尊称であるが、御神名としては大日霎貴という。
中国現存の最古の辞書といわれる『説文解字』は「みこ」と読んでいる。
「日」の字を付けて「ひみこ」と読み『魏志倭人伝』では独特の、
他民族を蔑んだ文字を使って「卑弥呼」としたもの。
すなわち、天照大神は「大日霊女貴 尊」(おおひみこ むちのみこと)であり、
卑弥呼女王ということになる。
他の人の意見を聞こう!

144:九州出身
07/02/23 18:49:57
我が国の歴史の始まり、出雲国を創建した素戔鳴尊。
出雲大社では神祖熊野大神と尊称され古代から最も祟尊された神について語ろうではないか。

145:サガミハラハラ
07/02/23 19:01:25
出雲の熊野神は天照大神とスサノヲノ命とのウケイの時に生じたクマノクスビノ神
ではなかったでしょうか?

146:日本@名無史さん
07/02/23 19:06:41
倭の定義は小柄なサルみたいなやつと言うだけで日本人とは限らないみたいですよ、
女は小柄な女が良くて大柄な女は食い物にならないほどのひどいもので

147:太国
07/02/23 20:24:43
>>143
卑弥呼≠天照大御神

正解は以下のとおり

神功皇后≠卑弥呼≠比売大神

倭の五王≠当時の各天皇

神武≠崇神≠應神

148:日本@名無史さん
07/02/23 21:59:24
サガミハラハラさん、つらくないか?

残念ながら、あなたの説は見当違いだわな。


149:日本@名無史さん
07/02/23 22:55:14
天照大神=卑弥呼+台与とすれば、須佐之男命は狗奴国の卑弥弓呼かな。
つまり、狗奴国は出雲を含む日本海沿岸地方。
後漢書の記述を採用すれば、地理的にも問題はない。
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王

狗奴国の勢力は、ひょっとしたら、北九州の一部にも及んでいたかも
知れない。記紀の、天の安の河原の誓約のときに生まれた宗像の三女神は
自分のものだと須佐之男命が言うが、これは宗像地方が須佐之男命の
ものという意味かもしれない。

北九州地方が現在でも言葉が異なること。また、福岡市付近で盛んに
作られた甕棺が、北九州市付近では全く見られないことなど古代から
その南の地方とは違う文化圏と考えられる。

150:サガミハラハラ
07/02/23 23:42:25
いいえ、私の説が正当です。
辛いというならば、私の正当な説がなかなか受け入れないことです。

151:日本@名無史さん
07/02/24 00:39:03
自分の説が正当だなんて断定するような香具師の説はたいてい正当じゃない。

152:日本@名無史さん
07/02/24 03:35:40
>>150
・「説文解字」は読まない(読めない?)
・諸橋大漢和辞典は全く読む気がないと明言
・藤堂明保「漢字語源辞典」は存在すら知らない
・「角川地名大辞典41 佐賀県」に掲載されている小城周辺の地名が
 福岡甘木、宮崎都城、奈良大和などと同様に、邪馬台国候補地で存在している
 地名の奇妙な一致について全く調べていない。
・小城市に出向いて、小城公園を囲い込むように存在している天満宮など、
 神社がまるで「怨霊封じ」をするかのように多数存在しているという報告を無視
・岡田英弘(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所名誉教授)の著書、
 「日本史の誕生」の存在すら全く知らない。
・井沢元彦は邪馬台国ならびに卑弥呼の墓が
 佐賀平野のどこかにあったのではないかと書いているが、全く知らない。
・清水義範の小説「おそるべき邪馬台国」も全く知らない。
・娑婆(サンスクリット語「サハー」の漢音訳:原義は「現世」)と
 舎利(サンスクリット語の「シャリーラ」の漢音訳:原義は「死体」)と同じ事だと信じ込んでいる。
・小城公園は江戸時代に鍋島藩主が作らせた庭園を明治8年に公園法に基づいて
 一般に開放された、という事実を書き込まれると
 ファビョって関係のないスレまで荒らす。

結論① サガミハラハラは思い込みだけで妄想書きまくってるだけ
結論② サガミハラハラは他人の話を聞く耳を持たない電波

153:サガミハラハラ
07/02/24 07:51:21
>>152
ご明察です。
私の邪馬台国論はほとんど地理論です。卑弥呼の都と墓がどこにあるのかを探しあてることだといっていいでしょう。
ですから風俗とかはからきしわかりません。
ところで井沢氏の説ことですが、どの本にかいているのでしょうか。
読んでみたいので書名を教えてください。

>>151私は香具師ではありませんので、私の説は正当です。

154:サガミハラハラ
07/02/24 08:04:27
桜岡の元の名のシャバ丘ですが、人骨なのでシャリ丘のほうが適切です。
これは井沢氏のいうように、日本は言霊の国であるので、生々しい人骨という
言葉を避け、音の似た娑婆という言葉におきかえたのではないかと思います。
不吉な地名をよい地名にかえることは、日本では結構あります。

155:日本@名無史さん
07/02/24 08:25:16
倭には小さいの他におとなしい・おだやかという意もある。
他の北方や西方の騎馬民族のように度々、中国中原を侵して皇帝を
殺すような民族ではなかったので、そう表現されたのだろう。

もちろん近代の第二次大戦後の中国戦争後、倭人の特徴から「東洋
鬼」「小日本」という非難語が生まれたのは本当の話。
中国では黄巾の崇拝した「鬼神」を国教としていた倭人から「東洋
鬼」という言葉が生まれたし、倭の小さいという意から「小日本」
という蔑視も生まれた。
中国での北方民族への蔑視表現としてよく北狗や奴戌等の「犬」に
まつわる表現が使われるのと似ている。

156:日本@名無史さん
07/02/24 12:00:02
>>152
>・清水義範の小説「おそるべき邪馬台国」も全く知らない。

これは漏れも聞きはじめだ。今度探してみるお。

157:大杉博
07/02/24 15:36:19
邪馬台国は四国山上にありました。
だれも反論できないので私の説が正当です。
天理教万歳!

158:日本@名無史さん
07/02/24 15:50:03
>>157
>邪馬台国は四国山上にありました。

ほんとかな?
四国山上て、具体的には何県のどこでつか?

>天理教万歳!

信者さん? だったら天理市に邪馬台国比定してみては?
天理教のおじば、だったかな、あそこは布留遺跡といって
古墳時代初期のフル~イ遺跡なんでつよ

159:マンセー名無しさん
07/02/24 15:56:49
邪馬台国は韓国慶尚南道の高霊にあったニダ!

ウリの説が正当ニダ!

妄言言うチョッパリどもは黙るニダ!

160:日本@名無史さん
07/02/24 16:11:33
>>159
>黙るニダ!

はいはい、黙ってスルーするぅよ、ぼく
でも、いろんな説、あるんだね~  <( ^ ^ :

161:愛知県民
07/02/24 16:12:01
「其の旧語を聞くに、 自ら太伯の後と謂う」(魏略逸文)
倭人は呉の太伯の後裔と自称していたようですが・・・?
太伯・周王室の姓は「姫(き)」氏。
天孫降臨神話でニニギノミコトは高千穂峯に天下り、阿多の笠沙の岬に着いたとされますが、
753年、鑑真を乗せた遣唐使船も阿多に漂着しています。
その直前、屋久島で風待ちをしていますが、屋久島は九州最高峰・宮之浦岳(1935m)
をはじめ数百の高峰を有しているので、こちらが高千穂峯かもしれません。

九州出身さん
①素戔鳴=帥升
②天照大神=卑弥呼
①と②が同時に成り立つ理由が分かりません。
説明して頂けますか?


162:日本@名無史さん
07/02/24 16:25:56
>>161
>①素戔鳴=帥升 ②天照大神=卑弥呼 ①と②が同時に成り立つ理由が分かりません。

そだよね
帥升は2世紀初め、卑弥呼は2世紀末~3世紀前半の王さまだよ
どう考えたって、天照大神・素戔鳴の姉弟には、ならないと思うよ  (ToT)
愛知県民さん、鋭い指摘だな~
九州出身さん、ぼくにもキチンと説明して頂けまつか?

163:日本@名無史さん
07/02/24 17:43:42
邪馬台国は、熊本県七城町?の「うてな遺跡」だと思うのだが。
地図を見ていて非常に良い場所だと思う。
菊池川の5km下流に大規模な環濠集落である方保田東原遺跡があり、
これがうてな遺跡の防御の集落だったと思う。
ちなみに「うてな」は「台」と書く。
あまり発掘調査は進んでいない。
URLリンク(www.pref.kumamoto.jp)


164:日本@名無史さん
07/02/24 17:56:17
>>163
うてな遺跡だと仮定すると、古墳前期の方形周溝墓出土の事実から出雲系の影響が強いことになり
舟形石棺からは畿内の影響下にあったということになる。
また肝心の弥生終末期には小さなムラ程度の規模でしかない。
あなたの邪馬台国観とはそれでいいものなの?

165:日本@名無史さん
07/02/24 18:29:08
>>164
方形周溝墓と出雲の関係については良くわからないが、方形周溝墓があるから
出雲の影響というのは短絡的過ぎるのでは?舟形石棺にしても、方形周溝墓に
しても熊本県では良くあるもののようなのだが。
うてな遺跡は、あまり発掘調査が進んでいないが、大規模な多重環濠集落で
あると思われている。

下流に大環濠集落である方保田東原遺跡があるが、
URLリンク(www.city.yamaga.kumamoto.jp)
これよりも地理的にも地形的にも、うてな遺跡のほうがずっと重要な地位に
あると考えられる。

166:愛知県民
07/02/24 22:45:58
3世紀に倭人が先祖としていた呉の太伯の痕跡が残っている筈だとすると、
謎の多い宇佐神宮の「比売大神」に思い当ります。
「姫」姓を持つ太伯、虞仲(春秋・呉国の祖)、季歴(周王室の祖)の三兄弟が
スサノヲの三姫に置き換えられた可能性はないでしょうか。

167:754
07/02/25 00:16:10
>>165
方形周溝墓というのは弥生後期中葉に山陰で発生した独特の墓制のことです。
これは弥生後期後半までは吉備にも見られ、終末期までは畿内でもありましたが
古墳時代になってから発生するのは主に中部九州の特徴です。
舟形石棺は畿内だけでなく吉備にも多く見られるもの。
つまりあなたが多く見られるとおっしゃるように、古墳時代に入ってからの熊本・大分は他地域の文化影響をモロに受けているのです。
それ以前の中部九州は参照ページにもあるように、巴型銅器、ジョッキ型土器など独自のものと他地域のものが交錯しています。
山陰や畿内の土器も多く出土するとも書かれているでしょう?
うてな遺跡が邪馬台国かどうかは別にしても、北部九州とは繋がりが薄い地域であると考えたほうがいいでしょう。


168:日本@名無史さん
07/02/25 00:36:42
方形周溝墓というのは弥生後期中葉に山陰で発生した独特の墓制のことです。


169:日本@名無史さん
07/02/25 00:46:30
ごめんなさい。上の>>168はぼくの書き込みですが、>>167に対し、「それヘンですよ」と言いたかったんだ
ところが手がすべって、中途半端で書き込んじゃいました。で、やりなおし

>>167
>方形周溝墓というのは弥生後期中葉に山陰で発生した独特の墓制のことです。

なにか勘違いがあるのでは?
方形周溝墓は、弥生時代前期から存在していると思いますが
URLリンク(www.yoshinogari.jp)


170:日本@名無史さん
07/02/25 00:47:24
>>167
北九州を代表する弥生時代の墓制である甕棺は、発生期の頃は、熊本県と
福岡・佐賀は同じような密度だったのです。その後は、福岡県や佐賀県の
密度が濃くなるわけだけども。
このことからもかなり古くから関連があったと思う。

熊本県に注目するのは、一大率のこともあるのです。邪馬台国が北部九州ならば、
伊都国に一大率をおいて諸国を監察する必要はない。

さらに、邪馬台国までの行程も熊本のほうがずっと妥当する。

鉄についても、福岡県の考古学関係者が口をそろえるのは、圧倒的な鉄の
出土量を誇る熊本ということです。最近、福岡県でも、大規模な鉄の加工跡が
見つかったけれども、これも玄界灘沿岸ではなく、熊本に近い八女。

さらに、宮崎のこともある。天孫降臨のような出来事を想定すると、つまり、
宮崎に勢力を拡大しようとすると、熊本のほうが有利。北部九州だと、
逆に熊本がネックになる。

171:日本@名無史さん
07/02/25 01:44:00
>>169
彼は四隅と勘違いしているのでは?
それにしても中南部九州に瀬戸内の影響が強いことは同意だが。

172:日本史@名無しさん
07/02/25 07:26:16
こうは考えられないか?

奴国が共立の中核で、九州全体。(除クナ国)
でもって、邪馬台国は、共立されたバチカンみたいなもんで、
九州以外の支配領域が合わせて7万戸。そこに三十余国が
入っている。

173:愛知県民
07/02/25 10:04:37
>>172
私は畿内説ですが、九州の政治・軍事の中心は伊都国でしょう。
経済・貿易の中心は奴国、宗教は宇佐だったかと。
近畿における大和・河内・伊勢と対応していると思います。

弁辰の狗邪国については、狗邪「韓」国と強調しなければならないほど、
倭の影響が強かったんでしょうね。

174:愛知県民
07/02/25 14:25:19
吉田孝氏は「日本の誕生」で、倭国王「帥升」の名は中国風の姓名と思われ、
この時代の漢人の姓として「帥」より「師」のほうが一般的なので
「師升」が正しいのではないか?と論じています。
卑弥呼についても呉の太伯の姓「姫」の意訳「ひめ」+「みこ」であり、
呉の敵である魏に遠慮して「姫(き)」をそのまま名乗らなかったのでは?
以上、素人の想像です。
また来週・・・

175:日本@名無史さん
07/02/25 14:47:10
句呉と孫呉は全く別物だろうに

176:日本@名無史さん
07/02/25 15:31:11
吉野ヶ里遺跡は邪馬台国ではない!面土国王・帥升

URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)


177:日本@名無史さん
07/02/25 15:59:48
やはり、魏志倭人伝の話は、日本書紀や古事記の
孝霊天皇~崇神天皇の話なんでしょうね。
だとしたら、狗奴国というのは河内国(大阪南部)であり、
卑弥呼(百襲媛命?)と仲が悪い男王・卑弥弓呼は武埴安彦命かも。
もし、これが分かれば、崇神10年は、246年前後になり
日本の記紀にある実年代を割り出すのに、大きな前進になる。
また、魏志には、奴国が2回出てきますが、
最初の戸数2万戸の奴国は博多湾沿岸として
後の奴国は、難波(摂津)国であり、その南にあるのが
狗奴国=河内国だと思う。
狗奴国の官は、魏志にでてくる「狗古智卑狗」は誤写で、
魏略に出てくる「拘右智卑狗(コウチヒコ)」=河内彦なんでしょう?
武埴安彦命は、生母が河内の出身だし。
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)


178:サガミハラハラ
07/02/25 16:52:12
>>176吉野ヶ里町吉田目達原、米多郷、筑志米多国造
メタは邪馬台国のヤマタイの訛化とみられる。よって吉野ヶ里一帯が邪馬台国であったという
私の説は証明された。(230年ごろに小城に遷都)

179:日本@名無史さん
07/02/25 16:56:46
思わぬところから助太刀がくるものですね。
これで邪馬台国論争は解決ですね。
とりあえずめでたい事です。

180:日本@名無史さん
07/02/25 17:29:33
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

181:木村鷹太郎
07/02/25 17:30:49
邪馬台国はエジプトである。
日蓮大聖人はギリシャの太陽神。

南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経

182:唐松山
07/02/25 17:34:17
半年で 治めた 四道将軍の 戦は、
景行の  数度に及ぶ戦より 特筆すべき物であり
景行の 九州全域に及ぶ戦は、ただの熊襲狩り 
という事ですか?

183:日本@名無史さん
07/02/25 18:16:35
>>178
ぜんぜん、違うじゃん。メタ と 邪馬台国はw
もう、そこまで論破されていても、
自説を下げられないのは、こういうことだろう?w あわれw


> そんなわけで、後藤さんは「倭国歴訪」の自費出版を決意する。
>だが、三千部印刷したのに、売れたのはわずか五百部。
>大半は売れ残り、自宅の段ボール箱の中に眠っている。

> 「こう言うと、みんなから笑われるけど、全国に数ある図書館の
>うち半分は買ってくれるのではないか、と期待していました。
>こんなに売れないとはね…」

> 中学生のころから歴史好きで、邪馬台国論争にも興味があった。
>外で遊ぶより、そんな本を読んでいるのが楽しかった。

> 相模原市内の小学校教諭になって十七年目の八六年、
>心臓の病気で倒れた。死ぬかと思ったが、運良く回復した。

URLリンク(www.toonippo.co.jp)

184:サガミハラハラ
07/02/25 19:17:16
ずいぶんおくわしいと思ったら新聞みたのですね。

御前手前がオメーテメーと転訛するのであるからヤマがヤメと転訛しヤメタイとなり、
ヤとイが落ちてメタとなって不思議はありません。

185:日本@名無史さん
07/02/25 19:19:16
そうですね。言葉は長い時間のうちにずいぶんと変化しますからね。

186:太国
07/02/25 20:22:01
>>177
だいぶ正解に近いが女王国は九州所在である。

崇神即位元年=景初元年=実年代239年

紀の記載の崇神10年=実年代240年

崇神10年=実年代246年(垂仁天皇誕生)

卑弥呼≠比売大神

187:日本@名無史さん
07/02/25 20:28:15
>>186
はっきりいて、狗奴国というのは、
畿内にあったもう一つの奴国の南ということでしょう?
また、卑弥弓呼という名前から言って
卑弥呼と近い関係にあったんじゃないの?

狗奴国は河内?畿内の奴国は摂津(難波)?
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

狗奴国の男王・卑弥弓呼という名の意味
URLリンク(yamatonokuni.seesaa.net)

188:太国
07/02/25 20:38:21
>>187
九州で比定されたい。

189:太国
07/02/25 20:44:12
>>186 訂正

○ 崇神即位元年=景初元年=実年代237年

すみません。あわててました。紀の記述の 神功39年=実年代239年 でした。

190:日本@名無史さん
07/02/25 20:52:04
>>187
某氏からの苦しい願望なぞ意に介さず、大きく視野を広げて比定されたい。

191:サガミハラハラ
07/02/25 20:56:38
狗奴国は熊本県北部です。
まず、奴はトと発音してください。(意味は国という意味です)
クトが正解です。この国名は熊本県北部の宇土半島のウトとして残っています。

192:日本@名無史さん
07/02/25 21:44:48
>>191
それは絶対に間違い。
奴は、「と」とは発音しない。
だったら、奴国を「な」と発音したのに。
狗奴国だけ、「く」なんて発音しない。
日本人みたいに、複数発音を使い分けていない。
中国人は基本的に、その時代、その時代
漢字の発音は一つだ。

193:日本@名無史さん
07/02/25 22:01:31
宇土ってシュメールの太陽神でしょう?

194:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 00:40:07
>>979{ドン来い14}
ちょうど今ドン来い14が終わったので、姉妹スレのここでお答えします。
「鳥居の登場は8C」と言う事ですが、あれは弥生時代の集落の門で、
鳥が止まるのが縁起がよいとされていたものです。
唐古鍵遺跡などの鳥が止まってる様子を表した土器か何かを見たことがあります。
随分昔の記憶ですが。これも初期道教の影響といわれます。


195:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 00:46:43
>>191
ちょっと目にとまったので、よこやりのようですが失礼してレスしますが、
「まず、奴はトと発音してください」はちょっと違うんじゃ?
当時「奴」はdo,toなどとは発音していなかったと記憶していますが。

196:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 01:04:13
>>155
トンヤンクイとか、シャオリーベンは、単に東洋の鬼、だとか国が狭いとか言う意味で、
黄巾とは関係ないと思うけど。

197:日本@名無史さん
07/02/26 01:10:35
どう考えても都合良く歪曲してるだけです。
本当にありg

198:日本@名無史さん
07/02/26 02:33:12
サガミハラハラは、自分の定説のために
常識的な音韻の知識も無視。
そりゃ、本も売れないし、学会からも相手にされないよ...
追い込まれているのは分かるけど...

199:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 06:04:10
>>178
狗奴国は、熊本県の菊池一帯だとは思うが、邪馬台国は伊都国からさらに奴国を経てフミ国に至り、
投馬国からさらに行かなければ到着しない場所にある。いくらなんでも吉野ヶ里は近すぎ。
吉野ヶ里は邪馬台国連合30カ国のうち、かなそな国「かんさきなくに」ではないかというのはのは聞いたことがあるが。
吉野ヶ里は邪馬台国時代既に衰退期に入っていたという人がいたけど、そのソースはわからないが。

200:日本@名無史さん
07/02/26 07:18:54
>>194
>鳥がとまることが縁起がいい
その考えだと鳥居と縁起は、縁起が先で鳥居はその後と考えられますが、如何?

201:日本@名無史さん
07/02/26 07:33:17
>>199
吉野ヶ里遺跡の発掘責任者の高島氏は、「吉野ヶ里の望楼から邪馬台国が
見える」と言ったらしい。高島氏は、吉野ヶ里と邪馬台国の時代は重なると
考えているらしい。
畿内説の人の年代観によると、吉野ヶ里の時代は邪馬台国の前と考える人も
いる。この年代観が現在の邪馬台国畿内説の唯一の根拠なので仕方がないが。

だから、古代の年代については、語る人の年代観に左右される。
庄内期の始まりについても、人によって100年くらいは差があるようだから、
このあたりは、気をつけたほうがいいかも。新聞記事を読むときとか。

ちなみに、新井白石は、吉野ヶ里付近を弥奴国に比定したんじゃなかったかな。

202:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 07:46:32
いつの間にか『ドン来い14』が修了したようだが、もう俺は新スレ立てるつもりはないので(追い出された)
後はお好きに

203:サガミハラハラ
07/02/26 08:50:22
よく邪馬台国の時代という言葉が使われるが、いったい年代でいうといつごろをさすのか。
卑弥呼の即位は183年で間違いないであろうし、邪馬台国と正式になのったのは230年代
(親魏倭王の金印を受けてから)のことであり、それ以前は邪馬壱国であった(最も古い魏志倭人伝では邪馬壱国と表記)。
委奴(イト)国が邪馬壱国と称したのは、122年に委奴国が倭面土(イメンド)国をほろぼし、その故地にシマイ(斯馬委)国をたて、名称の
混同をさけるために邪馬の委の国として邪馬壱国としたのであるが。(委と壱は同音【倭人には同義】で、台は大壱【タイ】のこと)


204:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 09:12:21
>>203

>邪馬台国と正式になったのは230年代


范曄はその史書『後漢書倭傳』の中で(自武帝滅朝鮮)と書き、既にその書の中で(邪馬臺國)の文字を見付ける事が出来ます。

それが史料事実というものです。主観は頭の中だけに!

205:日本@名無史さん
07/02/26 09:26:36
原人の発音を聞いて通訳が漢字に直したのが邪馬台国なので、邪馬台国は2個以上あったのだ。

206:太国
07/02/26 10:05:29
景初元年=崇神即位元年=239年

卑弥呼≠比売大神

207:太国
07/02/26 10:06:37
どうもいけません。間違えてばかり。

× 239年   ○ 237年

208:日本@名無史さん
07/02/26 11:13:16
>>192
漢字の発音って時代で区分できるのですか?

古来から地域差で変わると思ってました。

209:日本@名無史さん
07/02/26 11:16:41
>プラム ◆TOfHBAKZgM
専用スレで活躍してくださいね

210:日本@名無史さん
07/02/26 11:53:16
>>209
コテ叩きです。注意してください

211:日本@名無しさん
07/02/26 12:06:27
>>208
古代の読み書き体系は原則フォーマルなものしかないですからね、
王朝が長く続くと読み書きも熟成され変化していくものです。
中国では「上古音」「中古音」「近世音」「現代音」と分類されています。
特に、
南北朝前期以前の音を上古音
 ※日本では大雑把に「古音」と呼んだ
南北朝後期~隋~唐代初期の中古音を前期中古音
 ※日本では大雑把に「呉音」と呼んだ
唐代中期~五代十国~宋の中古音を後期中古音
 ※遣唐使らが持ち帰った長安弁ベースの音を日本では「漢音」と呼んだ

といいます。魏志らの音は当然上古音とみてよいでしょう。

「奴」の上古音は[nag]、前期中古音(≒呉音)は[no]。
[do']はこれの変化でしょう。
後期中古音(≒漢音)以降は[nu]とされているそうです。

魏志倭人伝の固有名詞の漢字
URLリンク(www.dai3gen.net) 

ですから「奴国」の奴はナでいいということになります。

212:日本@名無史さん
07/02/26 12:10:36
>>209
同意。
>>210
棲み分けの提案はコテ叩きじゃないよ。

213:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 12:12:06
今は便利になりました。

最近まで『名無し@変身』さんや『名無し@名無し』さんの個別をなかなか区別出来なかったが

最近 『名無し』さん全てに(コテ)が付いたように見えます。
便利になりました。
これからは より一層楽しませてもらいます。

ね!>>209 さん クス

214:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 12:16:24
こうして見てみると

以外と参加者住人の少なさに驚きを覚える。


では 巣に帰りますので

215:日本@名無史さん
07/02/26 12:19:59
やれやれ

216:日本@名無史さん
07/02/26 12:29:54
>>211
>南北朝前期以前の音を上古音
>南北朝後期~隋~唐代初期の中古音を前期中古音

違うだろ。

上古音は詩経の体系(押韻による推定復元)
中古音は切韻の体系(実際には切韻は残っていないので広韻などによる)

この間1000年以上の開きがある。

移行期は今ひとつ不明で、森博達によれば上古音は前漢までで、後漢代は既に中古音だという。
だから

>といいます。魏志らの音は当然上古音とみてよいでしょう。

とは必ずしも言えない。実際、伊都は中古音ならイトだが上古音で読むとイタになり、
伊都を前原あたりに当ててイトと読むのが妥当であるならば、既に中古音の体系に移っており、
古くから情報が上古音のまま残っているとするほうが理解はしやすい。


217:日本@名無史さん
07/02/26 12:59:43
>>212 >>210だが
なぜあの短い時間で>>209に同意出来た主意を問いたいのだが?
付和雷同に反応しただけなのかw

218:日本@名無史さん
07/02/26 13:37:25
>>216
厳密に言えば、魏志のころは
上古音と中古音の過渡期だと思われ。
字によっては、上古音のまま、中古音というふうに
変化していた可能性がある。

219:日本@名無史さん
07/02/26 14:54:56

                 くまー
                r -、,, - 、
            __    ヽ/    ヽ__
  くまー     ,"- `ヽ, / ●     l )
         /  ● \__ (● ● i"
        __/   ●)      ̄ )"__ "`;
      .(_i  ●    ' __, '"  ̄`'(___/.i⌒i
        丶_ ,i⌒i,,_(_/    ● i ̄ ̄ )_|__
      __, '"   ̄ ヽ! ● ●)  ミ~ ̄_● ヽ)
くまー   (_/     ● i    ∪  / ⊂{●  | くまー
       l ●( _●) (  ̄)-    /   -'  i
     /ヽ、   |∪l   T      i     ● '")

九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
  出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 14
スレリンク(history板)l50
♪邪馬台国ドンと来い♪ 13
スレリンク(history板)l50

15スレのスレ立てができないので、だれか変わりにお願いします。

220:日本@名無史さん
07/02/26 15:13:24
♪邪馬台国ドンと来い♪ 15
スレリンク(history板)

立てたぜ

221:サガミハラハラ
07/02/26 15:24:39
>>204
後漢書倭伝は三国志より後の時代(100年ぐらい)の成立で、其の部分は
魏志倭人伝を写したも同然のぶぶんです。

222:日本@名無史さん
07/02/26 15:41:40
>>221
まさか、それを知らんとは思えないので、
多分、ぷ氏は、後漢書は後漢の時代のことを書いているのだから、
その中で使用されている邪馬臺國という言葉は、
後漢当時に通用した言葉のはずだと言いたいのでしょうね。
いつも肝心なところを書かないから。
范曄が見た資料がいつの時代に作成されたかは知る由も無いが。

223:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 15:46:50
>>221

何時の時代に書かれようと、後漢時代の記録を書からこその『後漢書』
当然先行史料となる倭人伝は参照して当然の事
魏は後漢時の後の時代で、魏書の先行史料が無ければ当然 、魏書の中に過去からの経緯は書書かれているのが当然でしょう。
それに中国の王朝の変化に日本の時代が同時変化をしているわけでは有りませんから、当然後漢書に使えそうな記事が満載していても何も不思議ではありません。
それよりか
編纂者の生きていた時代の考えを盛り込む方が問題です。
後漢時から見れば、未来の出来事ですから

224:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 16:12:48
>>222

>肝心な事を言わない(書かない)


貴方も多分知っているとは(多分)思うが、
今別スレにて倭人伝の詳しい解釈を公開展開中
それでも
肝心な部分が無いというのかい?


貴方があれ以上の説明が出来ると言うなら話は別だが。

225:日本@名無史さん
07/02/26 16:54:14
>>224
二つのレベルで肝心なことを書かないね。
一つ目は、普通のレスでのこと。
>>223で書いてることを>>204で最初から書いておけば、
サガミハラハラさんの誤解もなかったろうに。
文章の書き方の癖なのかな。

二つ目は、別スレのことだから、ここに書くと皆さんにご迷惑だろうから、
むこうに書いておきます。

226:日本@名無史さん
07/02/26 17:12:25
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

227:日本@名無史さん
07/02/26 19:00:09
書き写してるうちにドンドン違う物になってしまった

228:日本@名無史さん
07/02/26 19:30:06
>>227
法華経みたいなもんかね。
漢訳本ですら16種類も存在していたっていうんだから。

229:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 20:15:25
398 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 17:49:37
>>225

>名前:日本@名無史さん :2007/02/26(月) 17:17:12
あっちの225です。
従郡至倭にしても、
「基点って何?なぜ従来は今が基点で従郡至倭だと郡が基点になるの?」
ってところが説明が無い。

→どのレベルに合わせて説明したらよいか解らない  
中には『魏志倭人伝』って何?的レベルのヤシもいるだろうし、私の説明だけで
理解でき、間違いを指摘できるヤシもいる。
決してムズイ事でもなく、主観も入っていないはず。全て辞書からそれていない内容なので
そちこちで見かける想像で組み立てた理論よりは、かなりまともと自負している。


>  >>224
二つのレベルで肝心なことを書かないね。
一つ目は、普通のレスでのこと。
>>223で書いてることを>>204で最初から書いておけば、
サガミハラハラさんの誤解もなかったろうに。
文章の書き方の癖なのかな。

→あれはサガミさんに宛てたレス  彼にはあれで十分すぎるレスなの
一から十まで説明しなければ解らないほどの馬鹿ではないよ
それに、彼に至っても私からの反論だけで「ピ~ん」とくるんだよ
付き合いもかれこれ二年以上になるからね

(返レスの必要はありません。)



230:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 20:25:55
>>229
おっ。プラムさんが帰ってきている。そうこなくっちゃね。
でも僕には難しいことが多くて、おてやわらかにね。

231:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/02/26 21:09:14
>>230 九州ですがさん

帰ってきた訳ではありません。
また向こうに行きます。     ではまた


すると
また名無しが横から  『二度と来るな』顔をだす

232:日本@名無史さん
07/02/26 21:41:59
「邪馬台国」基本常識FAQ
Q「三国志」の漢字の発音は?
A「様々な資料を総合していくら調べても上古音なのか中古音なのか分からない」というのが定説。

233:日本@名無史さん
07/02/26 21:44:39
>>231
名無しってわるいやつですね。

234:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/26 21:52:31
>>200その考えだと鳥居と縁起は、縁起が先で鳥居はその後と考えられますが、如何? 」

縁起ではなく宗教ですね。なぜ縁起がいいのかは、僕が思うにもっと古代に、
丸木舟で航海して船に鳥が止まると陸地が近いということで喜んだ遠い記憶が
弥生時代の集落がちょうど止まり木のでっかいような形で、そこに鳥が止まると、
縁起がいいという道教の考えに反映したのかも。道教は風水などの原型のような宗教だから、
自然との調和を考えたのかも。

235:日本@名無史さん
07/02/26 21:54:30
不必要に荒れないように、住み分けしましょう


236:日本@名無史さん
07/02/26 22:16:58
荒れないようにここはコテ専門にすればいいと思うよ。
名無史は完全スルーで

237:日本@名無史さん
07/02/26 22:26:45
>>236
2ちゃんでは、そういうスレは削除依頼なんだよな

238:日本@名無史さん
07/02/26 23:24:45
>>237
×削除依頼
○削除対象
スマソ

239:『臺』と『壹』
07/02/27 01:45:56
>>221
サガミハラハラよ、現在、存在している魏志倭人伝の写本は
12世紀に書かれた新しい写本だ。

倭(人、国)条の『臺』と『壹』
URLリンク(www.geocities.jp)

240:日本@名無史さん
07/02/27 02:16:28
倭に対するヤマトって読みは、その頃倭(わ)にあった卑弥呼の
氏族からのことを邪馬臺(やまたい)と呼んだのを当てたところに始まる。
 この邪馬臺も見てのとおり、全くありがたくない文字ばかりなんだけどね。

241:太国▲kosintou
07/02/27 11:19:21

[10]サガミハラハラ<>     
2006/11/11(土) 19:13:27
皇国史観にもとずく、研究活動を行っている学者をあげてみましょう。
・安本美典 記紀の内容は実在するとして精力的に活動をつづけている。
      彼の薫陶を受けた人物に後藤幸彦がいる。安本氏は記紀を歴史書として見直すことにより、
      日本歴史界において多大なる貢献をしたといえる。

242:日本@名無史さん
07/02/27 14:28:53
>>241
サガミハラハラ、
安本を評価している時点でアウト。

243:太国
07/02/27 14:33:22
>>241 はニセ者です。

244:太国▲kosintou
07/02/27 16:42:07
>>243 はニセ者です。



245:サガミハラハラ
07/02/27 16:51:12
古代史に限らず、研究においては旧態依然たる説に執着することなく新しい方向や手法を模索する必要がある。
安本氏は在野の立場から古代史をみつめなおそうとする立場であり、その手法など評価できるものである。

246:太国▲kosintou
07/02/27 17:04:29
>>245
あなたは皇国史観に基づいて研究を行っているのですか。
もしそうなら、イデオロギーありきの研究姿勢ということですね。

247:太国
07/02/27 17:21:15
好黒嗜感(ブラック・コーヒー=古秘=古神道)で研究をやっているのは
本物の俺のほうだ。

248:太国
07/02/27 19:15:59
>>247は拙者のニセモノです。

249:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/27 21:01:11
>>248
太国さんはトリップは付けないんですか?ニセモノが無くなると思うんですが。

250:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/27 21:11:09
>>245の、「安本氏は在野の立場から古代史をみつめなおそうとする立場であり、その手法など評価できるものである」
の考えには僕も賛成です。色んな説があるが全員が正しいのではなく、真実は一つしか無い。そう考えると殆どの人が間違っている事になる。
特に安本氏の「有棺無槨 棺あって槨無し」説は支持します。

251:バルタン星人
07/02/27 21:27:11
うちの近所でも自分の家の過去の悪いとこは一切子供に引き継がずに
都合のいいことだけを孫子に言い伝えてる家が多いので困ったものだ、
たとえば昔に高利貸しをやってた子孫が高校の校長をやって叙勲を受けたら
なにも知らないよその村の人は先祖から立派だとか言うが、今で言う悪徳サラ金や
街金で金持ちになったくせに


252:日本@名無史さん
07/02/27 22:35:31
サガミハラハラは、なぜ、世間から相手にされないのか
深く考えてみよ。

あなたが教師を辞めて、人生追い込まれているのは理解するが...


253:日本@名無史さん
07/02/27 22:44:34
>>246
皇国史観などとレッテルを貼って批判するのが一番悪い。
反対意見をそういう言葉で封じようとするのは醜い。

254:太国
07/02/27 22:57:04
>>253
あいつ(>>246)はみどものニセ者です。

255:太国
07/02/27 23:01:25
レッテル貼りではない。本人がそう言っている
皇国史観に基づいた正しい古代史スレ
[9]サガミハラハラ<>
2006/11/11(土) 18:30:07
1番さん大賛成です。正しい皇国史観をひろめましょう。

256:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/27 23:18:09
>>252
個人攻撃はやめてください。本の出版など何かと話題になりやすい人なのは承知していますが。
>>254
それから太国さんはどれが本物かさっぱりわからない。

257:日本@名無史さん
07/02/27 23:19:00
畿内説と九州説のどちらが皇国史観であるかなんて意味がない。

安本は、九州説を捉えることが皇国史観だと思っているが
実は、畿内説の考古学者(文献よりも考古学)のほうが、
日本書紀などの文献を正当化させる可能性があるんだよ、結果的ね。
そこが、面白いところだ。


258:日本@名無史さん
07/02/27 23:23:39
畿内説の考古学者って、出だしは
反皇国史観で、神武東征なんて嘘っぱちという論点から
畿内説を唱えた人も多かった。
しかし、文献を嫌う畿内説の考古学者たちだが
結果的には、彼らの主張は、日本書紀の正当性を取り戻しつつあるんだわな。
実際、記紀を否定してきた考古学者たちが
崇神天皇周辺の記述を言及しまくっている感じだしw
なんというか、出だしと結果が違う方向へ進みつつある。
もし、巻向が邪馬台国と関係があるのなら
日本書紀がたちまち歴史書として復活する可能性が出てくる。

259:日本@名無史さん
07/02/27 23:26:29
うんこスレからやって来た全て偽者スレ荒らし


260:日本@名無史さん
07/02/27 23:27:02
>>256
どうもすみませんでした。二度としません。

261:日本@名無史さん
07/02/27 23:36:31
>>254
わかっていますよ。
>>255
畿内説は皇国史観というレッテル貼りを良くやる。
本居宣長が初めて九州説を唱えたわけだが、これを批判するときにも
皇国史観という言葉を使っていた。

それから、第二次世界大戦後しばらくの間、東遷説を封じ込めるためにも
この言葉を使っていた。神武東征神話の亡霊とか。

奥野正男さんだったかが言っていたが、ある年代の人は、こういう言葉を聞く
と、次にどんなレッテルを貼られるのか怖くて何も言えなくなるといっていた。
畿内説はやることがえげつない。でも、もうそんな言葉に左右される時代では
ないが。

262:一応九州王朝説
07/02/28 00:16:34
神武がいたから皇国史観というわけでもないですよね。

ただ、何でも最初からずっと天皇が統治していたという
考え方が問題なわけで。実社会では未だにそんな風に
真剣に思い定めている右翼の人もいるので、まだ戦前
の過酷な記憶とセットの皇国史観というイメージを取り
払うべきではありませんが。

古田は右翼から攻撃されてるわけですから。多元的
古代が許せない畿内説の人もいますし、明確に万世一
系の意図をむき出しにする人も中にはいるわけでw。

まあこんなあさはかなやりとりになるのも、○国さんの
歴史と似て非なるイデオロギー落書きの責任ですね。
「イデオロギー」自体は、生きて生活する上で誰でも
必要な思想、程度の意味ですが、固執すれば宗教に
なってしまう。国家神道とか宗教とかの装いを纏ってい
ても、実際は「自分の意見第一」すなわち「自分教」なん
ですよ。ナルシストというか。

263:太国
07/02/28 08:20:47
お前は好黒嗜感(ブラック・コーヒー=古秘=古神道)に左党を入れて飲んで
いる。左党は金・代歯でやりゃぁいいことで、お前は欠歯八代が存在
しない津田病に罹患しているのだ。早くこのような短絡的歯垢を無くし、
お前の頭内のリトマス試験紙を赤化する思想脳露を、円旗政で忠倭しなければ
いよいよ虫欠く歯様を呈してきて、強酸政が充満する危険な歯槽の状態にいたる。
お前は早く歯科医糖や強酸糖の危険政を察知しなければ、忠崇神敬までして
やられるぞ。4分の一の円旗政しかないアサヒの状態では、ちょっと危ない。

264:太国
07/02/28 08:25:40
>>263は拙者のニセモノです。

265:太国  ↑
07/02/28 10:10:33
ニセ王

266:バルタン星人#
07/02/28 10:26:50
#を名前の後にいれて偽物合戦はいいかげんに終わってくれよ

267:バルタン星人 ◆sVVR0Q7eM2
07/02/28 10:28:00
あれ、やりかたを忘れた

268:太国▲kosintou
07/02/28 10:37:18
本物はトリップつきだけ

269:日本@名無史さん
07/02/28 10:47:40
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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270:奴国 ◆BdeghU15Mk
07/02/28 11:22:39
イデオロギーとは定義の仕方にもよるが、基本的には「思想を根本において、それに
反する事実を無視、軽視、歪曲する態度」と考えています。

思想それ自体の良し悪しを言うのはナンセンス。

畿内説も戦後、記紀伝承は捏造と考え、鉄器の不利は無視、三角縁は大量出土が
あっても特注と言い逃れて同位体比も無視、平原も無視・軽視というような歴史が
あり、直木のように「神武東遷を認めるのは皇国史観であり軍国主義である。」と
いう思想を明言する人もいる。最近の畿内説は別の方向性もありますが。

要するに、皇国史観とかマルクス主義史観とかが問題ではなく、事実に対する態度
こそが本当の問題ではないかと考えています。

271:日本@名無史さん
07/02/28 15:21:00
>>251 九州ですが氏
>特に安本氏の「有棺無槨棺あって槨なし」説は支持します

その論点は変だよ!
元々列島に、外箱の付いたものなど見つかっていないのだし、列島全体を見渡しても「有棺無槨」は特異性を見出だすことが出来ない。

272:日本@名無史さん
07/02/28 16:19:07
【衝撃!クリにもピアスが!】
メンサロ板で「いちご(17才)」というコテが大暴れ!自暴自棄になり自ら
おっぱいを晒す!(一部リスカ画像に注意)

好きな女の子のおっぱいがあれば鬱病は改善に向かう
スレリンク(mental板)


273:日本@名無史さん
07/02/28 21:28:48
あすかあきお氏は邪馬台国は琉球民族の国で狗奴国はアイヌの国、両国間が戦争で疲弊しているところへ
北方渡来系が来てそれぞれを南北へ追いやったと。
なんでもアメリカには進駐軍が持ち去った144枚の粘度板に琉球民のメソアメリカ起源が記されているとか。


274:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/02/28 23:02:50
>>271
ホケノ山古墳の木棺は木の枠いわゆる木槨で囲んであります。


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