謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!3at HISTORY
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!3 - 暇つぶし2ch947:日本@名無史さん
07/04/02 09:13:59
畿内邪馬台国王権は、九州に降下した新型の兵器を持った軍隊の東遷で滅亡したと言うのが
正しいですか。

948:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/02 10:22:48
>>900
>鉄器が乏しい畿内で、どのように大和王権が誕生したのか?

その理由はあまり女王国が畿内か九州にあったかの判別にはメリットは少ない
と思うから止めろとは極端な言い回しだからそうは言わんが、ここでは
なるべく他のことに視点を移したほうがいい。可動性流動性のものを固定的に
考察して結論を決めるのは、一寸躊躇したほうがいい。

乏しいと言ったって、記紀には神武以降畿内が王権的状況となっている旨の
記述だから、乏しくても王権が出来うる論拠になってしまう。とりわけ不審
でもなかろう。記紀の文面は文証だからな。神武以前は神代だから否定箇所を
主張するのはもっともだが、神武以降は津田病人のような否定は君の場合は
せんだろう?w

949:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/02 10:37:06
>>901
方位も当時のことだし、おおざっぱに書きこんだ可能性はあろうし、だいたい
磁針が指すのも真の北ではなかろうし、左右45度の揺れ的説明を考えに入れね
ばなるまいから、これも決め手とするには危険だあるな。

950:プラム ◆TOfHBAKZgM
07/04/02 11:35:11
>>949
太国さん

遠く離れた異国の地における方位記載に、八方位である『東南』の書き込みは
相当方位に対し信頼性の高い証拠です。

951:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/02 12:20:51
了解です。

952:日本@名無史さん
07/04/02 12:37:02
>>948

太国氏は、「東遷説」を取っていませんので、
ことさら貴方と議論するつもりはありません。

興味があるのは、「九州邪馬台国東遷説」を取っているその他の方々の意見の方なので。

九州の邪馬台国と、畿内の大和王権が同時に存在したとしても、
あながち間違いでは無いかもしれませんからね。
むしろ、日本書紀は、神功皇后の九州遠征で、九州の女酋を滅ぼしたと記述していますので、
この九州の女酋が、邪馬台国卑弥呼の末裔だったかも知れません。
もっとも、九州王朝説の貴方は、この仮説も受け入れないでしょうが。





953:日本@名無史さん
07/04/02 12:58:30
一応、「九州の邪馬台国を、畿内の大和王権が滅ぼした」という仮説について、
簡潔に述べておきます。

1、神功皇后の時代を5世紀初頭と考える。
2、九州の邪馬台国は、卑弥呼の死後も、5世紀頃まで存在した。
3、日本書紀に、神功皇后の九州遠征で九州の女酋が滅ぼされた記述がある。
4、九州の女酋とは、邪馬台国の女王の末裔である。
5、日本書紀は、神功紀に魏志倭人伝を引用している。
6、日本書紀は、神功皇后を卑弥呼に見立てたのではなく、神功皇后が卑弥呼(の末裔)を滅ぼしたと匂わせた。


954:日本@名無史さん
07/04/02 13:14:21
邪馬台国が九州にあったとして、その後、
畿内の大和王権に滅ぼされたと考えるのか、
邪馬台国が東遷して、新たに大和王権として登場したのか?

なんだかんだ言っても、
鉄器の保有量の多い九州の方が、鉄器の少ない畿内王権よりも優勢と考えている以上、
「邪馬台国東遷説」を取らざるえないということでしょう。
(九州王朝説は別として)

「邪馬台国東遷説」の考え方は、
鉄器で武装した九州が、鉄器を持たない畿内に負けるはずが無いということですからね?
「邪馬台国=九州」という論拠に帰結するわけで。


955:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/02 13:42:09
>>952
西遊記の孫悟空なら国ごとの東遷は出来るだろうが、現実にはそういうのは
ないと観る。それはいいとして、余の主張は江戸時代の京都の朝廷と江戸の
徳川幕府の並立のような状況が当時九州と畿内にあったということで、一定の
期間九州に九州王朝が存在したのだということだ。

卑弥呼の末裔が朝廷側から滅ぼされたということは何ともだが、可能性は相当
程度ありうる。卑弥呼の末裔で壱与のもっと後代と言えば比売大神がそれだ。
比売大神はおそらく日女島出身の女で、神功~仁徳の時代あたりの女だ。その
女がそうかも知れぬが? いまのところ疑問符だ。

ただ滅ぼされたと言っても完全ではなく、九州王朝はその後も勢力を回復して
文武の時代前後まで継続した。完全な滅亡はそのころとなる。

956:太国 ◆yVAs7uaYlY
07/04/02 13:53:20
>>953

1 神功皇后の時代は倍暦計上で4世紀後半。つまり倍暦で実年代は

  神功摂政皇太后 353年   同崩御 375年

2 邪馬台国は倭の五王朝で、卑弥呼のほうは邪馬壱国のほうだ。
  論は後者のことを言ってるのだろう。そうなると、文武世のころだから
  6世紀末の可能性はあろうが、まず7世紀に入って後者の国は滅んだ。
3 記述があるなら可能性ありとして、>>955のとおり。
4 紀が伝を引用したとは言えるだろう。
5 匂わせるくらい知ってるなら、隠さず具体的か増量での記述となろうから、
  暗示めいたことはしてないと観る。

957:日本@名無史さん
07/04/02 16:15:49
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
URLリンク(www.hibari.ed.jp)

958:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/02 16:30:08
>>942「九州説の論拠が揺らいでしまいます」というのは主観的な表現であって」ですか。
それだったら>>930で問題になってる僕の発言も殆どがそうですよ。でもそれを問い詰めてる。
  問題になってる原文は、
「考古学重視の畿内説が結論が出終わったようなことを言ってるのは嘘だと言ってるの。
もう今の説で決定ということなら何故未だに発掘作業を続けるのか?
結論が出たならもうこれ以上発掘は不必要な筈。方や考古学の至上主義でえらそうに言う反面、裏では必死こいて掘ってる。
これこそ畿内説の自己矛盾だと言ってるわけよ。
考古学は結論が出たとこまではいってない途上学問だと謙虚になりなさいといいたい。
「かも知れない」「と思われる」の範疇。」の部分。
続く


959:日本@名無史さん
07/04/02 16:31:59
三角縁神獣鏡ほすぃい。
みんなNHK見てるの?

960:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/02 16:33:21
>>958続き
「考古学重視の畿内説」とはこのスレの畿内説論者であり、いわば畿内説考古学者の代理人のような発言してる者だ。
考古学者がいまだ箸墓にしろ巻向にしろ卑弥呼またはトヨの墓かもしれないという段階で発掘を進めようとしているのであり、結論はまだであるということ。
現在も考古学者が邪馬台国は畿内であると100パーセントの確率を持って発表できる段階ではない。にも拘らず
スレでは邪馬台国は畿内で決まり」の如き発言を多く見かける。
「結論が出たならもうこれ以上発掘は不必要」とは邪馬台国を見つけようとして、それをモチベーションにした発掘調査の必要

は無くなるという事。「方や考古学の至上主義でえらそうに言う」のはとはこのスレの畿内説論者の態度。
「裏では必死こいて掘ってる」は、現実に発掘している考古学者を指す。
発掘調査は特に邪馬台国の為だけではない事は解っているが考古学者の中には発掘のモチベーションというかロマンを邪馬台国

に対し抱いて発掘調査している者もいることはむしろ事は当然だろう。その思いがいまだ止むことは無いのに
という意味合いを込めているのが「結論が出たならもうこれ以上発掘は不必要な筈」の部分。
簡略的に言うと、スレでは畿内説が邪馬台国は畿内で決定のような言い方をするが、発掘調査をしている当の学者が
未だに邪馬台国の女王国の場所や宮殿跡、卑弥呼やトヨの墓、などを考古学の統一見解としてまとめ上げる事が出来ないのは
ひとえに動かぬ証拠の遺物がないからでありまだ発掘調査段階で「畿内で決定」を言うのは矛盾と取られても仕方が無く
「考古学は結論が出たとこまではいってない途上学問だと謙虚になりなさいといいたい。 「かも知れない」「と思われる」の範疇。」と続くわけ。






961:日本@名無史さん
07/04/02 17:08:19
>>958

>>942は自分ですが、>>930は他の人です。

それはそれとして、

>>728は、あまりにアレすぎてレスする気にもなれなかったのですが、
おおむね、>>930に同意するところです。

962:日本@名無史さん
07/04/02 17:23:56
畿内の大和部族が、そのまま大和王朝ではないと考え
られる理由。

1.畿内の大和部族がある時期を境に、銅鐸を作るのを
  止めて、銅鏡を無数に作っていること。
1.畿内の豪族の物部他いくつかの部族は九州から転居
  している事実があること。
1.突然、大型の前方後円墳が河内に出現し、埋葬品に
  馬具の痕跡が見られること。

普通に考えて、九州経由で大型船の建造が可能な部族が
畿内に侵略し、畿内で勢力を蓄え、吉備、北九州に勢力
を拡大して行ったと考える方が妥当と思えるのだが・・・

963:日本@名無史さん
07/04/02 17:27:36
邪馬台国の時代に大型船の建造が可能な部族は
朝鮮半島でなく、中国の呉、越あたりが有力かも

当時は金帝国に圧迫され、滅亡の危機にあった筈だから
新天地を目指して、九州に上陸した可能性は否定できない。

964:日本@名無史さん
07/04/02 17:33:19
記紀の伝承であるように、九州や韓半島に兵力を輸送するのには
相当な大型船の建造技術がない限り、不可能とおもわれる。

簡単に畿内勢力が九州や韓半島に侵略したとあるが、倭寇(海賊)
まがいの行為を想像しているのか、船団を組んでの侵略かの区別
をつけて、記入して欲しい。

2世紀の銅鐸文化の畿内勢力では、絶対に船団での侵略は不可能。



965:日本@名無史さん
07/04/02 18:43:54
>>964

>簡単に畿内勢力が九州や韓半島に侵略したとあるが、

誰もそんなことは言ってない。

>2世紀の銅鐸文化の畿内勢力では、絶対に船団での侵略は不可能。

畿内説で、2世紀の畿内が九州を侵略したなどという説は聞いたことが無い。
勝手に捏造しないように。





966:九州ですが ◆IhXqm1bg5c
07/04/02 18:58:37
>>961
結構真面目に問題にしていたんですね。これは失礼しました。
今まで荒らしにかき回されていたので、当日疲れていたのと、自分の文章が下手なのと、
タイピングが遅いのとで、イライラしていてついつい感情的になり、
見境無く失礼なことも書き込んでしまったようで関係者にあやまらねがなりません。
まあ荒らしも紛れ込んでいるかもしれませんが分別付きませんし、そこは何ともいえませんが。
>>728は確かに舌足らずで誤解を招いたかも知れません。


967:日本@名無史さん
07/04/02 22:53:54
大阪や奈良に朝鮮人が昔から多いのは奴隷として連れて行った子孫じゃないの?
神武が東征したときは大して何もなかっただろうから(紀元前もありえる)

都建設のために奴隷階級の人間をたくさん畿内に連れて行って支配したんじゃないの?
だから九州からきた神武が簡単に天皇になれたのよ。


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