09/05/13 20:44:40
会津贔屓で知られる歴史小説家の早乙女貢氏が先日亡くなったと知りました。
1980年頃から急速に強まった戊辰戦争と言えば「会津=被害者(正義)・薩長=加害者(悪)」
と言う誤った認識がありますけれども、この認識を作り出すのに貢献した人物の一人でした。
ロマンチストな歴史ファンにとって、「正義」「誇り」「武士道」等のキーワードがちりばめられた
氏の小説は共感を持たれ、現在も続く会津を被害者とする誤ったイメージを広めた元凶の一人と言えましょう。
実際に故宮崎十三八と共に、会津を正義と賛美して、薩長を悪と捏造する前述した80年代後半からの
白虎隊ブームを作り出すのに 早乙女氏の果たした役割は大きいと思っています。
正直私は、会津を正義とする会津の嘘には歯がゆい想いを抱いていたものの
会津の捏造が暴かれるのは私の生きている間には無いだろうなと思っていました。
しかし90年代後半頃から、徐々に会津の嘘が暴かれるようになります。
まずは会津が被害者との根拠の一つである戊辰戦争後に会津藩は無理やり斗南に流刑されたと言うのが
会津が自発的に斗南を選んだと言う斗南藩史の内容が広まるようになり、その嘘が暴かれる事になります。
更に会津贔屓にとって会津は被害者との主張最大のより所だった、戦後会津藩士の遺体埋葬を明治新政府が禁じたと言う
所謂「遺体埋葬禁止令問題」が、昨年大山格氏により昨年その捏造が暴かれる事になります。
不思議な事に、この遺体埋葬問題の捏造が暴かれて半年も経たない内に、会津若松市側から遺体埋葬令が無かったと言う
史料を公開するなど、ここ最近になり、急速に会津こそが正義・被害者と言う虚構が崩れつつあります。
先ほど自分が生きている間に会津の嘘が暴かれる事はないと思っていたと書きましたけれども
今では会津の虚構はあと十年ももたないだろうと認識を改めるようになっています。
もっとも早乙女氏は星亮一のように他人に責任転嫁をする事はなかったですし
あくまで小説家としての姿勢を貫いたので、会津の虚構が崩れ去ったとしても
宮崎や星ほど非難される事はないでしょう。何より自らが築きあげた会津の虚構が崩れ去るのを
見ずに済んだのは、ある意味早乙女氏にとっては幸せだったのかもしれません。
某ブログより引用しました。