07/03/27 11:54:09
いくら議論しても無駄結論なんて到底出ない
51:日本@名無史さん
07/03/27 12:03:36
>>50
いや男谷ってことで結論は初めから出てますが
52:日本@名無史さん
07/03/27 16:48:47
男谷は結論というか多数決でな
男谷中心に見れば
その男谷と勝負してて勝率が6割超えた加藤田や
その男谷に再戦して勝った大石
大石を倒したと言われる白井亨
そして男谷を片手でボコった勝の親父
こんな感じになる
結論は出ない。男谷は暫定王者
53:日本@名無史さん
07/03/28 13:49:21
伊庭八郎は?
54:日本@名無史さん
07/03/28 19:30:03
鬼鉄時代の山岡鉄舟と互角かそれより上ってくらい
55:日本@名無史さん
07/03/28 23:27:51
鬼鉄といえば浅利はどうよ?
56:日本@名無史さん
07/03/29 00:36:37
竹刀で山岡の防具を割ったとか
中西子正と浅利義信の流れを汲んだエリートとか聞くけど
あまり表に出ない人だからよくわからんよね浅利義明は
当時でも隠れた名人みたいな人だったらしいし
57:日本@名無史さん
07/03/29 10:18:12
男谷って苗字、どうしても
アッー!的な、「やらないか」的なものを想像してしまうのは俺だけか?
いや俺だけではないはずだ。
男衾とかもそうだが
58:日本@名無史さん
07/03/29 11:02:28
伊庭は大道場のボンで幕府奥詰衆もつとめたような身なのに
伏見、箱根、函館と実戦で戦っているな。
59:日本@名無史さん
07/03/29 22:33:59
山岡鉄舟も一応ボン。元ボンだが
実は塚原卜伝の子孫なんだよな山岡鉄舟
60:日本@名無史さん
07/03/29 22:37:37
スマソ子孫かどうかは不明だ
同じ一族ではあるみたいだが
61:日本@名無史さん
07/03/29 23:11:55
中村半次郎
62:日本@名無史さん
07/03/30 00:01:04
半次郎はボンじゃねえな・・・。
63:日本@名無史さん
07/03/30 01:03:01
結局、西南戦争まで生き抜いた。
桐野は、道場剣法以上に思える。
64:日本@名無史さん
07/03/30 03:41:58
山岡鉄舟なんか官軍のど真ん中通って生還しましたが、何か?
65:日本@名無史さん
07/03/30 03:49:14
桐野利秋は彰義隊と戦ったときに指を二本落としてしまったの?
66:日本@名無史さん
07/03/30 07:01:03
戦った時じゃなくて、その後の湯屋帰りに襲われ
左手中指薬指を失ったんじゃなかったっけ?
67:日本@名無史さん
07/03/30 11:52:40
芹沢鴨も強かったって話を聞くけど、どうなんだろう?
68:日本@名無史さん
07/03/30 20:43:17
>>64
斬り抜けたのとは違うんだよね。でも、目的が露見したら兵士に寄ってたかってやられるはずなのに、平然と通り抜けたのだから、やはり大したものではないでしょうか。
69:日本@名無史さん
07/03/30 20:45:47
>>67
らしいですね。京都に行く時は山岡もついていたけど乱暴狼藉を抑えられなかったそうだし。
酒乱の異常者だから放っておいただけかもしれんけど。
70:日本@名無史さん
07/03/30 20:53:25
>>68
でも本陣近くではさすがに敵に寄られそうになって
どっか民家に逃げ込んで、そこで次郎長とかと出会ったんじゃなかったっけ
むしろそこで切り抜けようとすれば
恭順の意志が無効になるから、切り抜けようとしなかったみたいな話も聞くし
71:日本@名無史さん
07/03/30 20:55:31
本当に無敵な者は敵に斬られること無く
だからといって、敵を斬る必要もない
それを体現した人だから山岡鉄舟は凄すぎ
72:日本@名無史さん
07/03/31 00:14:19
>>70
駿府なら安東文吉ではないかな?
73:日本@名無史さん
07/03/31 20:10:18
>>72
URLリンク(www5e.biglobe.ne.jp)
次郎長みたい
74:日本@名無史さん
07/04/09 00:31:36
【鳥羽源三郎 信州某藩剣術指南役 尊王攘夷十八武士を上意討ち】
信州某藩の剣術指南番の家柄に生まれ、若い頃、三年間、江戸に留学して神田お玉ケ池の千葉周作の門に入り、
免許皆伝となった。かなりの腕であったようだ。
鳥羽源一郎といい、のち、浪人して桐山家に入り、桐山姓となった。
この源三郎が、明治維新に際し、勤王佐幕の争いで、二人の家中を斬った。殿様の命による上意討ちであった。
源三郎は二百五十石の上士で、佐幕派であった。 (中略)
何回か出撃して、全部で十八人斬った。そのうち、じっさいに源三郎が手をかけたの
は、二人だったという。 (中略)
しばらくして、藩論が急変して、勤王派が天下をとった。勤王派のクーデターが成
功したわけで、そうなると、殿様などというものは、いいかげんなもので、今度は、
源三郎たちが佐幕派の上意討ちの対象となった。
75:日本@名無史さん
07/04/09 22:07:18
ところで、宮本武蔵が最高の武芸者・剣客であるかどうかは皆さんにお任せするとして、
彼が書いたとされる五輪書は物凄く深い内容だと思う。
孫子を戦国の日本人が実践して、自身の言葉でまとめたという意味で興味深い。
ただあまりに、いろいろなところで五輪書の実践だの解説だのが氾濫してどれが
良い訳なのか分からん。
そこで日本史板おすすめの五輪書はどれか教えて。
76:日本@名無史さん
07/04/09 22:40:44
(=゚ω゚) 原文読むべし! ・・・と言うのは気の毒だが、やはり数冊読むしかない。それだけの価値は有るものじゃ。
武道伝書は数あれど、あれだけ手に入りやすく詳細な伝書は他には無い。
心法、技法、勝負の駆け引き、形の解説、他流の良否。本来なら秘伝だったはずだ。
できれば二天一流も学べばさらにイイのだがw
77:日本@名無史さん
07/04/09 22:51:23
このスレは幕末最強スレだから
幕末というか江戸後期からの剣術思想が尊重されるので
丹羽樗山の「猫の妙術」や「天狗芸術論」なんかの方をオススメしておく
山岡鉄舟の本なんかも深い
78:日本@名無史さん
07/04/11 14:07:47
>>31 >幕末で一番人を斬ったのは誰だ?
鳥羽源三郎 信州某藩剣術指南役